2006.8
認定こども園

 内容については、ほとんど「特集の視点」で語られている。
 団塊の世代と、第二次ベビーブームをのぞき、日本は常に少子化問題を抱えてきた。1989年の合計特殊出生率は1.57ショックとして表現されたが、その後も少子化に歯止めがかからず、2005年には1.25まで低下している。
 国は1994年12月にエンゼルプランを作成し、緊急保育対策等5カ年事業の中で、子育て支援のための総合計画を示した。その後のプランでは、具体的数値目標も掲げられている。しかし、日本は先進国の中でも家族・こども向け、公的支出が最も低いレベルであることが国際比較の調査報告もされている。教育・保育・医療・社会福祉のあらゆる分野で、こども家庭をめぐる国の投資が常に先送りされ、理念のないこども家庭施策を進めてきた結果が改めて突き詰められている。
 総合施設においては、幼保一元化の議論がその奔りであろうか。1960年代から、厚生・文部両省で議論されてきた。25年間少子化に歯止めがかからないにもかかわらず、一方では待機児童にも対応しきれず、他方では定員割れが進行するなど、地域によって課題は異なる。
 構造改革の流れの中で、次世代育成支援策として、認定こども園の名称になり、就学前のこどもに関する教育、保育などの総合的な提供の推進に関する法案として、2006年10月から施行されることになる。その中で、
 保育に欠けるか否かを問わず、就学前のこどもに一貫した教育・保育を提供する
地域の全ての家庭の子育て支援を行う。

 これまで保育所も幼稚園も、それぞれ異なった制度・機能の中で役割を果たしてきた。そこで、総合施設や認定こども園の役割をこの特集で論じることになる。

網野武博「これまでの保育所の歩みと幼保一体化をめぐる論点」
 幼保については、古くは明治から始まっていることについて論じている。
 幼稚園と保育所の棲み分けは、第二次世界大戦後、保育所を児童施設と位置づけ、幼稚園を学校教育施設の一環と位置づけた事による。それが決定的になったのは、1963年の通知、「幼稚園及び保育所の調整についての文部省、厚生省間の了解事項について」である。これによって、教育の場としての幼稚園は、生活の場としての保育所とは異なるという認識を強めることになった。
その後は、1970年から1980年、1990年代以降の動き、と幼保一元をめぐる政策を概説している。その結果、例えば、幼稚園における預かり保育が始まり、制度化していくなど、幼保スクランブル現象が起きていることを明らかにしている。

座談会:認定こども園のめざすもの
 保育所や幼稚園の機能を社会のニーズに合わせてどう充実させていくかという方向でイメージしていたが、実際は、単に現状の保育所と幼稚園を合体させたものとなっており、物足りなさを感じる。
 少子化が進行する中でも、この10年で幼稚園は利用者が10万人減っているのに対し、保育所では40万人増えた。幼稚園の預かり保育を活用しても、待機児童の解消には充分でない現状がある。本来であれば保育所がカバーするのが第一義であるが、待機児童解消を既存の幼稚園の力を借りて推進するため、制度の隙間を埋めていく必要性も出てきた。地方分権や規制改革という背景のみならず、こうした課題を克服するため、認定こども園も園が現代的な意義を与えられたと言える。
 幼稚園が利用者との直接契約であるのに対し、保育所の契約主体は市町村となっている。認定こども園は、直接契約で一本化し、利用料も主体的に施設で決める。そのため、保育所にとっては今まで以上に経営感覚が求められる。保育所への直接契約の導入可否は、弱者救済という児童福祉の理念もあり、認定こども園での状況を見極めながら長期的に判断していくことになるが、今回は形を変えた保育所改革 といえる。
 あとは、子どものあり方とかまぁ、適当に話し合っていた。

後は、提言が6つ、全国保育協議会の取り組みなどが載っている。

 提言を読んでみると、やはり保育所と幼稚園では、細かい事務上の処理(法人会計基準)で全く違い、整合性をどうするのかが問題になっているようである。例えば、給食費について、保育所は非課税、幼稚園は課税対象だったりする。
あと認定こども園での直接契約制度は、現行保育制度の切り崩しとも取れるが、介護保険における要介護度判定のようなシステムが確立されていないので、おそらく施設側の入所決定は混乱するだろう。同様に、保育料も現行の設定方法との調整をしなければならない。
 またまぁ、規制改革が背景にあるので、サービスの低下?職員ばかりではなく、設置基準の緩さや0歳から2歳までの保育は認可外としたことで、そのコストが保障されないことに寄る危険性など。
2008.1.14

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