2005.7
障害者自立支援法案が目指すもの


小池将文「障害者自立支援方が目指すもの」
支援費制度は2003年4月から実施されたが、初年から財政的に破綻をきたし、見直しを余儀なくされた。どこまでが想定の範囲であったか定かではないが、結果的には支援費制度は財源の裏打ちのない欠陥商品であった。〜特に在宅サービス分野が支援費制度の中で拡大されたが、このサービスが国の予算内で行わないといけないとされる、裁量的経費で行ったため、簡単に破綻した。当初予算が少なくなったら補正予算を組んでも財源を確保しなければならない義務的経費ではなかったのである。
その後、介護保険の見直しの際に、障害者〜精神障害者も含めて行こうとする案が持ち上がったが、財源の確保〜範囲の拡大の面で了承されず、経済界・与党の合意も得られず潰れた形になる。その直後に出てきたのが「障害者自立支援法案」であった。
簡単にいうならば、支援費制度では、今後増えるであろう在宅サービスなどを支えるのは困難であること。障害種別によってサービスの格差が大きいこと〜特に精神障害者は支援費の対象外。就労をめざしながらも必ずしもそうなっていない。ことである。

小澤温「障害者自立支援法と障害者ケアマネイジメント」
自立支援法は、市町村を提供主体としたサービスの一元化と支給決定手続きの明確化。ケアマネイジメントの導入はこれまでの支援費制度の不備を補う上で重要な点である。つまり、マネイジメントについて支援費制度では特に明記されていなかったということである。
で、介護保険の時もいわれたのが、エンパワメントするマネイジメントの重要性。しかし、ここでも指摘されているが、計算ワーカーと揶揄されるように、給付の対象とならないようなサービスはマネイジメントする上で、あまり重要視されない傾向にあると。申請に従い、その人の意見を聞きながら右から左に設定することになっている。
在宅サービスの必要量について、今後増大したとしてもそれを補えるだけの財源を確保できるのか。また、福祉計画の策定が自立支援法では義務づけられているが、しっかりとニーズを把握することができるのか。その判断基準はどこにあるのか。つめる必要がある。

池末美穂子「障害のある人の所得保障と費用負担の問題」
この手の話はよく聞くが、結構タブー視されている。収入が多い青年、壮年の障害者はいないこと。親と同居している障害者が圧倒的に多い。身体障害者は実数は多いが、大半は脳卒中などによる高齢者の障害であることである。
しかし、親と別世帯となる際には、無年金者は生活保護、障害基礎年金受給者は年金+生活保護となり、当然、年金の分は生活保護費が差し引かれることになる。別世帯になった場合、当然、預貯金の調査が行政によってなされることになる。法案では、新に「預貯金調査権」を行政行為として付与しようとしている。さらに法案は、介護給付(ホームヘルプ、ショートステイ)と自立支援医療(更生医療、精神通院公費)への応益負担〜1割徴収を課そうとしている。

堀越英宏「今後の施設運営と小規模多機能サービスの実践」
法案は、地域生活支援、就労支援の強化。それによる自立訓練や就労移行支援を事業として盛り込んでいる。入所期間の長期化など本来の施設機能と入所者の実態の乖離を解消するため、サービス体系を機能に着目し、再編、効果、効率的にサービスが提供できるようにする。現段階で、自立支援給付の内容、介護給付の単価、事業所指定基準、障害程度区分などが政令、省令に委ねられているため経営的な判断が出来ない。
通所施設などの日中活動は、第二種社会福祉事業化され、経営主体についても緩和されNPO法人などが参入できる。小規模通所授産施設を経営する社会福祉法人について、従来の相談事業、居宅支援事業に加え、短期入所事業の経営が可能になっている。

座談会
在宅サービスの需要の拡大、支援費制度の破綻は、それまで障害者の生活はサービスの不足によって様々な制約を受けてきたことの裏返しである。地域生活の中で障害者が暮らすことは、周りの人々にとっても安心して暮らせるはずである。〜しかし、支援費制度が発足して1年半で新たな制度に変わることからして、将来的なビジョンに基づいた基盤整備が行われてこなかった。
ケアマネイジメントについては、要するにサービスの内容の個別化や実施に伴うメニューの取り決めを行うが、これは現場においてなされているはずである。個別支援計画、それぞれの障害や個性によって違った対応をとっているし、能力も考慮している。では、より個別化を進めていく際に、より人材をどのように確保し、実施していくのか。労働に見合った賃金が得られるのか。
ケアマネイジメントの支給決定では、一次判定では100の項目で障害特性もされる。審査会ではどのようなメンバーなのか。医療中心の医学モデルになるのではないか。当事者が参画できるモデルでないといけないのではないか。〜原案がまだである…おそらく医療中心になろう。
種別ごとの単価であったが、今度は具体的に提供されているサービス一つ一つに単価がつくのではないかと期待している。療護施設は医療的ケアのニーズが高いが、介護保健施設に比べると医療スタッフの配置は少なく、ニーズとサービス提供機能にミスマッチが起きている。というか、昔からそうだった。
自立=就労にこだわりすぎている。いままでの歴史から、就労だけが自立ではないはずである。

施設長1名と、教授2名による座談会であったが、問題提起している施設長に対して、教授達は自分の持論の展開と自立支援法案の良さ、これまでの施設批判と上滑りであった。

コメント
自立支援法案に限らず、焦点は、取れるところからとるというスタンスである。これまで、措置制度のもとで庇護された施設入所者は、ただ当然で過ごすことが出来た。その一方で人権や権利上、彼らに年金が支給されてきた。保護されながら年金はたまっていく一方であった。これを改善し、使った分は払うという考えである。これは、措置制度が悪いのではなく、受給と供給のバランスが悪かったに他ならない。高度成長期、景気の良さからそのようになったが、現在の不況の状況では、それは仕方のないことである。何も働かない人が頑張って生きている人よりも生活が保障され、しかもいっぱいお金をもらっているのはおかしいのだ。
その一方で、地域で暮らそうとしている、在宅で生活している人はこのような恩恵は受けてこなかった。施設にはいると二重の保護があったが、そうでないと生活保護以下のお金で生活を強いられることになる。さらに、高齢になってから障害になるのと、先天的に障害である場合の受給の格差はひどかった。また、家族が大人になってからも面倒を見ないといけなかった。そういった意味で、福祉のシステムはねじれていたのである。
よって、施設入所者の財布を程良く支出させることで、措置で使われた財源を在宅サービスに振り分けるという再編が望まれる。しかし、在宅サービスを徹底しようとすれば、そのお金だけでは到底足りない。
(2005.7.17)

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