2005.3
福祉教育実践の広がり
福祉教育の意義について
- 子供の時に、社会福祉や人間の生活に対する理解を深めることを目的とした学校教育などの取り組み。社協との連携、総合的学習の時間の活用
- 地域住民の啓発活動を目的とした福祉教育。社協の他、社会福祉施設の地域貢献活動として取り組まれることも多い。
- 社会福祉サービスの担い手を養成する専門職教育。資格に関わるいわゆる実習を指す。
原田正樹「福祉教育実践のクオリティを高めていくために」
キーワードは、生きる力〜自己選択、自己決定が強調されるようになった社会福祉の世界でも、改めて「自立」とは何かが問われている。ただし、福祉教育は勝ち組となるような「生きる力」をめざしていない。他者と共に生きる力を形成することで、ノーマライゼーションの具現化と福祉コミュニティをめざしてきた。しかし、それは福祉関係者だけが合意してきたことではないか。
また、近年地域福祉の重要性が強調される。しかし自分たちと異なるものを排除し、抑圧する力を持つのも地域である。地域を理想化するのではなく、コンフリクトや意見の対立に向き合って調整していくことが必要である。それを住民一人一人が自覚し解決に向けて実践を行うのが地域を基盤とした福祉教育である。
ところが、実際には福祉教育実践は形骸化している。今日の福祉教育の三大プログラムとして、「疑似体験」「技術講習」「施設慰問」がある。そこでは福祉教育と称しながら「貧困的な福祉観」を再生産しているとは言えないか。障害の追体験をしたとしても、それはネガティブな困難性であり、障害者そのものの尊厳や存在のと尊さは学ぶことはないだろう。点字の技術講習は大切であるが、視覚障害者の人と関わりたい、お話ししたいというモチベーションがないといけないだろう。そして、慰問にしてもいまだに「かわいそうな人たち」を励まし慰めてあげようという姿勢である。ボランティア、イベント系にしてもそうである。そこに利用者から学ぶという視点が欠けている。また、利用者が何を期待しているのかという配慮もない。
では、どのようにすればよいのか。
- 目的やねらいを共有すること〜しばしば見えるプログラムに力を入れがちだが、目的やねらいなど見えないプログラムを明確にして話し合う必要がある。
- 対象理解から主体形成の視点へ〜障害者や高齢者を援助を要する人としか捉えるのではなく、生活主体者としての個人として捉えること。多様な生き方の中で自己肯定し、異なる他者との関係性の中で、あなたの問題を私たちの問題として内在化していくこと。
- ふりかえりと分かち合いを大切にする〜事前学習に力を入れるのではなく、事後学習の感想文から授業がはじまる。一人一人の感じた感想を深めていく学習が必要である。
- 公開授業を開催すること〜学校文化の中に福祉教育を定着させるのは、社協主催の研修会に担当の先生を召集するだけではその場限りである。福祉の土俵に教員を乗せるのではなく、教育の土俵に福祉関係者が出向かなければ本物ではない。
- ボランティアと地域貢献を区別すること〜責務として行うことはボランティアではない。地域貢献を責務として積み重ねた結果として、自発的・自律的なボランティアが尊重されるのである。
- 地域福祉実践の中の学びを大切にすること〜生活の中で福祉課題に気づき、それを共有しながら解決に到るプロセス。
- 受け入れ施設から働きかける施設へ〜忙しい中、学校側の無理な注文、利用者の援助で精一杯である。条件整備が出来ないまますべてを施設に押しつけるつもりはないが、少なくてもノーマライゼーションを具体化していくミッションがあることを確認する。
- 貸し出し社協から企画・コーディネート型社協へ〜多くの社協が福祉用具物品の貸し出しに終始してしまっている。せっかく学校側が社協の扉をたたいてくれているのに…30年前はその逆であった。社協が学校側から門前払いをくらっても何度も足を運んでいたのは社協であった。また、貧困的な福祉観の再生産に荷担してしまっている社協があることも確かである。
- 財源を作り出していくこと〜福祉教育を本格的にはじめようとすればそれなりにお金がかかる。真剣に考えている地域は、共同募金を活用したり、企業や市民からの寄付で福祉ファンドを創設していこうとしているところもある。
- 福祉教育実践は「共同実践」で展開すること
こうした取り組みは、単に小学校や中学校の総合学習の福祉教育という範疇を超えて、実習教育、地域福祉への発展を含んだ示唆の飛んだ論文である。
(2005.7.18)