2005.12
検証 介護保険制度改革

座談会
2005年10月から施設入所者に対するホテルコスト〜居住費と食費の自己負担が実施されている。2006年4月には新予防給付を軸にして、二度目の介護報酬改定と医療分野の診療報酬が同時に改定される。目的は

介護制度の変更点

施設の利益率については、特養が補助金を含み10.2%、老健は10.6、老人病院は8.1%となっている。居宅サービスはホームヘルプ・看護型は1.6。それ以外のショートスティやデイサービス、通所リハでは10%以上である。この利益率はものすごく高い。一般企業では2〜5%でも優良企業なのである。しかし、この統計は5000以上ある施設の母集団の中から200施設程度のサンプルでしかない。
終の棲家とか言う幻想は、団塊の世代では当てはまらず、転勤や異動などで渡り歩いている人が多くいると言うことで、施設入所は特別のことではなく、住み替えの一つとして捉えてほしいとのこと。←しかし、この解釈はあまりにも楽観的であると考える。

藤井賢一郎「介護システムの変革に置いて求められる経営」
なかでも他の産業では考えにくい利益が計上されている。残念ながら2006年の介護報酬は確実に減らされるであろう。制度ビジネスの利益は、税や社会保険料から生まれるものであり、必要以上に高ければ非難される。これが一般産業と違うところである。サービス水準を下げるような人件費カットも安易に実施され、その結果、平均的な費用が下がって超過利益が生まれ、最終的には介護報酬がさらに減額される。従来の基本食事サービスでは、食事提供の効率化によって浮いた分を、ケアの質の向上のために使うことはとがめられていなかったが、今後は食事差益という言葉で否定される。介護報酬減額スパイラルに陥っている。
一般産業では、生産技術が普遍化・陳腐化した結果、商品内容では差別できなくなり、厳しい価格競争・コストカット競争に陥ることをコモディティ化と呼ぶ。介護事業で起こっているこのスパイラルはコモディティ化に似た側面を持っている。
また、設備投資に関しても事業内容に見合わない高額な施設設備、つまり高額な建築単価と仕様にあり、社会的にこの過剰資産が容認されてきた。このため、益出しをしなければならず、それがスパイラルに陥っている原因となっている。

平厚「ホテルコスト徴収の意義と留意点」
そもそも、施設入所は居住・食費込みの保険であるべきである。なぜなら、そもそも施設入所もサービスとして保険が設定されているはずである。であるなら、居宅で暮らしたいと思いながらも施設入所を選ばざるを得ない人へのサービスと居宅でサービスを受けている人が同一面で語られるのはおかしい。つまり、施設入所を余儀なくされた人にとって、居住費を保険外で負担しなければならないなどと言う保険は社会的な保険としては失敗である。
普通ならば、こうしたサービスや料金の内容の変更には、契約の更新や再契約が必要になるが、介護保険ではそのような変更は、事業者が一方的にスライドさせることが出来るとされる。なぜなら、法令の変更によるものであっても、恣意的あるいは不当な変更の可能性が低いことにある。

平野隆之「制度改正により求められる保険者の役割」
に変化し、具体的な推進策は、介護予防モデル構築に向けた「介護予防施策の推進」(地域支援事業)と認知症ケア構築に向けた「地域密着型サービスの基盤整備」である。また、サービス導入の課題は、これまで介護保険事業計画と異なり、空間と効果という計画手法の採用が新に求められる。空間とは、日常生活圏域を設定し、そのまわりに地域密着型サービスを整備し、圏域内で需要と供給が結びつくようにシステムを構築することを意味する。これは、介護保険以前にみられた中学校圏域を基盤とした老人保健福祉計画の指針を踏襲している。厚生労働省が推奨する日常生活圏域は、人口2〜3万人に一つの圏域として捉え、地域包括支援センターを設置することにしている。この地域包括支援センターが今後介護保険事業が統合され、市町村はサービス提供の第一線から後退することになる。
しかし、今回の制度改革が持つ意味は、従来の介護の社会化から地域ケアの社会化への転換と言える。日常生活圏域の中で新たなサービスの基盤整備、また介護予防効果が求められるなど、保険者はそのための抗議のサービスの質の確保・向上を推進する責務をになっている。

コメント
やっと今月号によって、労働者の劣悪な環境について真っ正面から取り上げている箇所がこの月刊福祉でも見ることが出来た。というのも、寄稿しているのは、教員や施設長などで、読む対象が現業の職員となれば、精神論やら理想論、あるいは制度説明がおおかった。ここに来て、やっと定着していない労働環境の要因について述べている。というか遅すぎると言う気もしないが…最も読まれている専門誌でこうして取り上げていることはある意味画期的だったかもしれない。
2005.11.16

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