2004.3
元気をつくる福祉実践

今田高俊「「心の豊かさ」を問う時代に生きる
ボランタリーな活動は「心の豊かさ」を得る源泉である。この活動には他者への関心と関わりと応答を特徴とするケア行為が含まれる。ケアは人間存在の原点であり、他者と共にあるための条件である。ケアはいわゆる介護や世話といった狭いものではなく、人間存在の意味を問うことに関係する。「心の豊かさ」を得る重要な営みは、他の事物や他者をケアすることで、自身の存在の意味を確認することにある。
NPO(非営利組織).NGO(非政府組織)の活動の高まりについて。80年代から現在まで、「心の豊かさ」が「ものの豊かさ」の意識を凌駕し、それは時代としてのトレンドとなっている。時間的なゆとりや文化的な生活の向上はその心の豊かさを支えるが、日々の人間関係の中で心身の要求が十全に満たされ、人格の持つ可能性が実現されることこそ豊かさにつながる。〜ボランティア活動はその一助となる。ボランティアは利他的行為が発想の根源であるものの、利己的行為から帰結する対立や分裂を調整する問題に取り組むべきである。つまり、利他的行為のみでは社会を形成することが困難であるという見方である。〜利己的行為の残余が利他的行為であるとする(財の余剰が慈善活動となっていったように)。しかし、いまのボランティアはそうではない。自己の存在確認の動機となっている。
ケアの本質は「生きることの意味」を確認することにある。他人をケアすることで、本人は自分の生の意味を、生きている実感を獲得する。ケアするとは、その対象である人格や事物が持つ「存在の権利」故に、かけがえのない価値を持っていると深く感じることを前提として、対象が成長したり自己実現することを支援することにある。
ケアする行為は自己実現や人生における活力の源泉である。この点で、自己中心ないし利己的な権利意識が存在する。しかし、ケア力を発揮するには、他者へ開かれていること、および他者をエンパワーすることが求められる点で、他者中心ないし利他的である。このようにケアは利己的と利他的という二元論を越えたものであり、自己犠牲に陥ることなく他者に開かれた存在となるための条件である。
個人主義化が進んだ社会で、他者に関わらなくても生きていくためには、ケアの職業化や制度化は不可欠であるが、それが市場効率や行政管理に従属したのでは、ケアの意義が歪められてしまう。〜ボランティアはそうしたケアの意義を掘り起こす中間集団である。ケアし支え合う活動そのものが立派な公共福祉の営みだと胸を張って良いのである。

藤正巌「人口減少社会の展望」
 言いたいことは、2点ほど。高齢化社会の到来はすでにヨーロッパの地方では当たり前であり、日本においては「ごく当たり前の未来」として認識していかないといけないこと。福祉の問題は、生産年齢人口の多い人口密集地域であり、大都市に特有の問題である。ことに3大都市圏は現在はまだ高齢化率が低いが、2030年が近づくにつれ、急速の高齢化が進む。これに対しすでに超高齢社会となっている市町村は、人口の年齢構造が固定化し、これ以上の高齢社会にはならない。
 また、日本の現在抱えている問題は、日本の人口が多すぎることにあるという認識が欠けていること。可住面積当たりの人口密度は、1キロメートルあたり1009人であり、西ドイツ360人、イギリス260人、フランス160人と比べても3倍から8倍である。アメリカは50である。さらに可住面積あたりの国民総生産も他の国に比べるとかなり高い。このことは、エネルギー量、廃棄物産出量共に多く、ごみごみとしたものとなっている。2100年頃の人口、4000万人。それはちょうど江戸時代の末期の人口だが、そこまで減ってはじめてドイツと比較出来る程度の生存空間が得られる。そこまで減ってはじめて人の居住および生産・消費の部分と農地が分離され、その中心地の都市に人口が1万から5万人程度集まり、多彩な美しい地方都市が出来るはずであると。
 う〜ん。すごい発想だ。しかし、まぁ、ごく当たり前と思うことやもともと人が多すぎると考え、その上で、社会保障の構築なんかが行えると良いかなとおもう。
 同様なことは
 赤川学「子供が減って何が悪いか!」ちくま新書511,筑摩書房,2004
 に詳しい。
 
この他。
石井哲夫「実習教育を目指すものと課題」なんかはなかなか良い。
社会福祉現場には、どちらかというと現実的な援助に関わる自分の経験的な価値観の確立が主となる職人気質のようなものが育ち、セールスを主とする職業人のような対外的に社交的な人や表現お上手な人が少ないようにと感じる。一般に寡黙な人がいて、利用者援助や実務に関わる気迫と祖固持からは大変すばらしいものがある。そして何気なく言っていることや、していることには長年の年季の入ったそれなりの理由がある。そこ所は決して学校では教えてくれない。また実習先でも教えてくれない。〜つまりうわべだけ見て「あそこの現場はこうだ」などと決めつけられるので、現場は実習生の受け入れを疎ましく思う。こういう交流の少ない実習教育は、極めて実りが少ない。それでもやらないよりは、やった方が良いという気持ちで妥協しているのがいまの実習教育だといっても過言ではない。

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