2003.9
福祉専門職の倫理と責務

倫理とは何か…ある社会(機構)において遵守するべき人の理とでもいおうか。道徳は、人生の道程における徳である。哲学は、人間理解にいたる様々な問いであると把握している。私は、哲学の中に倫理とは何かと考えるべき素材であって、倫理にとって哲学とは何かという問いは成り立たないのではないかと思う。そういった意味で、福祉専門職の倫理とは、人としての理であると同時に、遵守すべき行いとでも理解しようか。

論文1
石井哲夫「福祉専門職の行動の原点」
個人的な自発的意思の尊重が重要であるという視点から、しかしながら、志が高く、動機も充分、エネルギーあふれる人材が、バーンアウト寸前、兵糧も後続も尽きたとこぼす昨今。競争原理は確かに新しい息吹を与えたが、果たしてそうしたモチベーションを保障しうるシステムであろうか。
そうした中、論者は社会福祉従事者のあるべき姿を、困難な社会情勢の中で、施設職員にしろ、地域福祉援助にしろ、きわめて強靱な人間的な気持ちを持ち続け、受苦を忍耐しながら、臨床的実践の知性と経験を発揮して、利用者中心の援助サービスの向上に努めるという気迫ある人物でなければつとまらなくなってきているのである。と述べている。さらに、社会福祉専門職に望むこととして、

  1. 自分の仕事についての価値や興味をはっきり持っていること
  2. 利用者への適切な理解と、その受け止め方や行為の幅が広いこと
  3. 利用者の満足感を大切にしながらも、援助の目標が合理的であること
  4. 援助者は自己覚知に心がけ、感情に走らないように気をつけるが、人間的な素朴な気持ちをはっきり持つこと
  5. 即興的な行動や、条件反射的な行動に対しては、必ず後で評価を行うこと
  6. 重要な行動の判断や決定に関しては、必ず上司と合意しておくこと
  7. 部下に対しての指示や命令について、余裕のない時をのぞいてあらかじめ理解を示してもらうこと
  8. 自分の仕事に対して、最新、最高の理論の追求を心がけること
  9. チームにおける仕事の在り方を研究しておくこと
  10. 援助者は自己の感情転位に気づき、職業人としての自己確立を目指すこと

社会福祉援助について考えてほしいことは、
  1. 利用者が背負っている重荷を知り、それを少しでも軽くして上げたいと思うこと。
  2. 利用者の立場に立って、理解を深め、徹底的な見方になってほしい

専門職に望むというあたりは、バイスティックのパクリも混在するが、モチベーションとしての1、度量としての2、探求心としての8は倫理として、自分(論者)の言葉として響いてくるものがある。

論文2
小山隆「福祉専門職に求められる倫理とその明文化」
時々お世話になっているメーリングリストの主催者がこんなところに寄稿しているとはという気持ちで読んだ。
で、内容的には、職業倫理とは知識と技術を専門職として運用させるための土台であり、専門職を専門たる価値であると述べている。なるほど、信念の体系ともいうべきものが倫理であり、価値であるという主張は当然のようであるが、実は日々我々が専門職として意識には登らない課題である。知識不足や技術不足を痛感することはあっても、倫理観が欠如しているとはあまり思わないからである。むしろ、相手の仕事において、根本的に違うのではないかと思うところこそ、知識や技術を越えた専門職としての在り方に対するかすかな違和感だったりする。もちろん、この論文においてはそうしたことについては触れてはいないし、倫理綱領の重要さと明文化の意味について、いわゆる汎用としての倫理として書かれている。しかし、倫理綱領にいたる経緯にもさまざまな価値の実現があり、単なる形骸化したマニュアルではない。日々の実践に照らし合わされるべき理念でもある。また、明文化して公表するということは、利用者(あるいはい一般市民)に対する意思表示であり、信頼を寄せるべき価値として提示されているという意味で重要である。さらに、専門職同士による共通の理解を寄せる(最低ラインの質の確保)ためにも必要なことであると言える。要するに、共通基盤としての倫理であり、それはマニュアルでもなく、時には遵守し得ない状況もあり得る。しかし、少なくても上述の通り、様々な意味を持ち重要なことであると言える。

論文4
羽地亮「専門職の倫理教育を考える」
倫理学を専攻している人らしく、倫理は善行を勧めるものであるが、善人であるということではない。さらに、倫理綱領が示されているから、それを守らせればよいと考えるのは早計である。善行の在り方を紙の上で表明することは出来ても、現実にどの様に適用するかは自明ではない。また、面白い事例があり、現実の善悪の優劣は千差万別であることが分かる。それは窃盗と見なすことから全く窃盗と見なさないものを順番に並べるものであるが、道ばたに50円を拾うことから、店舗に押し入り30万円を持ち去るまで10項目。かなり抽象化されているが、その背景にある現実を考えるとそこには優劣を付けることが容易ではなく、きわめて主観であることが分かる。
具体的な事例の積み重ねから、倫理観を高めていくという主張は倫理教育で教えている論者の持論であろうし、おそらく正しいことであろう。それは、現実に起こる倫理をめぐる実際におけるそれぞれの立場やそれを越えたところで守るべき価値観を滋養することこそが、倫理という価値を高め、鍛えることであろう。
そして、最後に、人を倫理的にする方法を示しえてはいないという。もし、ある人が倫理的な問題解決能力を備えていたとしても、この人がその能力を行使するかそれとも悪行をなすかはその人のさらなる決断と資質の問題だからである。倫理学は、善悪の原理を教えてはくれるが、悪人を善人にする方法は教えてくれない。そして、それは悲しむべき事ではなく、人間は多様な性格と資質を持ち、それについて他人に介入されない権利を許されているべきであると考える。いかにして人間に善行を為すよう強制すべきかについては、社会の仕組みや法制度など、様々なファクターが関係してくる。
ある意味、すっきりとした論文である。倫理というと守るべき事が強調されるが、倫理の限界と人間の多様さを示したものであった。

感想
倫理綱領をめぐる概説から倫理の実際まで割と小粒ながらも揃ったいると言った感じか。倫理学はよく分からないが、論文4における提言は、先に述べたように倫理=守るべきという固定概念は無力であることを暴いていると考える。社会学においても、役割論において様々な揺らぎ(個性や時代背景などを含むアイデンティティ)がある中でこなされるべきであるが、役割におけるルールも存在している。結局のところ、倫理綱領は大事ではあるが、遵守しなければならないことではなく、実際の現場において対立する価値観を含み、職業人としての「役割」を規定している「一要素」であると言える。
(2004.6.6)

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