2002.3
福祉専門職員こころを支える

川原邦彦「職員満足の視点と今後の福祉経営」
職員が満足できる職場=利用者へのサービスの充実であるという論点。労務管理・人材育成の視点。といっても、結構陳腐である。まず、給料が安いことに尽きるが、この点については触れられていない。給与が安いことは仕方がないこととして、洗脳することに紙面が費やされている。特に見るべき点はないが、継続的な学習の機会とスーパーバイズを中間管理職が行うことで新任職員のやる気を引き出すことが必要と述べている。
また、労務管理で夜勤などの改善で一時間単位でフレキシブルにパートを入れたりと緩和させるという案もあるが、パートの労働上の保障や一時間単位でのシフトは逆に例えば急な職員の用事や風邪などによる休養などの隙間を作りにくい状況になるのではないかと思った。

水澤都加佐「もえつきの構造と回復のプロセス」
もえつき症候群、言葉では知っていたけど、その定義についてはピンときていなかったので、確認。「強い使命感や責任感をもって、人並み以上に仕事に取り組んだ人が、ある時を境に、ちょうど張りつめていた糸が切れるように、急に意欲を低下させ投げやりになること」「心身の症状だけではなく、逃避的になったり自己否定感にさいなまれたり、他者に対する思いやりに欠けるようになるなど、機能不全な行動が目立ち、出勤が困難になる。家庭生活にまで影響が及ぶ、希死念慮が出現するなど、特に対人関係の業務に従事する人に多く見られるのが特徴的」「自分が最善と信じて打ち込んできた仕事、生き方、人間関係などが全く期待はずれに終わったことでもたらされる疲労や欲求不満」だそうだ。
以下、しばらく事例的なことが述べられている。ふ〜ん、なるほどと読ませてもらった。
私自身、頑張りマンではないのでそんなことがあるんだナァと思うが、仕事に幻想を抱いている人ほどそうなりやすいようだ。また、見栄っ張りで傲慢な人ほどそうなりやすいようだ。事例を読むと、困った独りよがりの人が多い。もっとも、労働環境上、サービス残業当たり前という雰囲気から欲求不満になったり、休みたいけど休めないとかそうした日本的な労働上の劣悪さもありそうだ。たかだか、福祉の仕事。あなたがいなくてもどうにかなる。私はいつもそう思っている。

小畑万里「困難ケースと向き合う」(〜生活保護ケース、死生観の確立へ〜」
ゆらぎ(後にでてくる尾崎新が提唱する概念)に即したレポート。
機関における援助は、援助者個人の主張や価値観を超えて、援助原則と乖離しても、行政機関として果たすべき役割が優先されること。
確たる答えのない答えを見いだしていく場面が多い。自分の力のおよばない解決の手段が見いだせない状況の中で、必然的にストレスは増していく。その場合、無感覚になっていくか、バーンアウトしていくか。しかし、継続して援助活動に身を置き続ける限り、それが本質的な適応にはなっていない。
援助者としてとりわけ重要な土台とは、自分を含めて人間の存在や生命の営みを考え、その年齢なりの死生観を形成していくこと。
長いライフサイクルを視座にとれば、援助活動に携われるのはほんの一時期で援助関係は一過性であり、自己の限界が自然のこととして見えてくる。利用者の生命とはなんであり、生命を生かし切るとはどのようなサポートすれば可能なのかを、繰り返し問い続けるプロセスこそが援助活動であり、自己理解である。一方、死を意識することは寄りよい生に照準を当てることでもある。その視点が加わってはじめて、QOLは完結する。毎日、単調に繰り返されるようにしか感じられない日常生活援助が死を前にして本当に意味のあることかどうかが問うことが出来るようになり、日々の積み重ねの大切さを別の角度から見直すことが出来るようになるからである。

森田汐生「自分自身を表す力を付ける」
ノーと言えること。自分の責任、自分の仕事の範囲を明確に理解して、それ以上の仕事に対してノート表現することが必要。それをしないと、仕事を抱えすぎて不平不満をこぼすことになる。しかし、それはノーと言えない自分のせいでもある。また、利用者に対しても、まず境界線とは何か、どこまで踏み込めるのかという事を理解し、利用者に対してもノーということもまた必要。

  1. 日常的な役割に囚われることなく一人の人間として優先順位をつける権利がある。
  2. 自分の感情を認め、それを表現する権利。疲れたら疲れたと言語化していく。
  3. 間違う権利。誰しも間違うし、ミスが起きたときに間違いを自分で認めること。
  4. 人の悩みの種を自分の責任にしなくてよい権利。

対談:尾崎新×長谷川俊雄
小畑でも述べたが、燃え尽きる一因として、SWは一生懸命利用者に向き合って関わろうとすればするほど、社会の矛盾を補完したり隠蔽したりすると言うジレンマの中で仕事をしていることも無関係ではない。仕事の量の多さ、一人で悩まざるを得ない環境や事情、さらにそれでも多くの援助者がよい援助をしたいという思いを持っていること
「福祉職神話」について、他者から肯定された経験が豊かでない援助者、自分の存在を認められたいと渇望している援助者が陥る神話。よい援助者優しい援助者であろうとする。が、うまく行かない方が多い。それが積み重なってくると、利用者が疎ましくなっていく。しかし、その疎ましくなる感情に対して罪悪感を抱く。という悪循環。困っているとか悩んでいると言うことを言葉にして共有していくのもSWの力であり、それは傷をなめ合うのではなく、そこから新しい視点や発見を積み重ねていくことがSWの力である。相手との関わりを育てること。仲間同士で関わり育てること。いろいろな現状や現実、仕事の進め方について、豊かな視点から考えることが出来るのではないかと…
私たち援助職は、ひょっとするとどこかに、他の仕事よりも福祉の仕事は崇高であるとか、社会的な意義や価値が高いんだという先入観を持ってはいないでしょうか。福祉の仕事は、他の職業と同列であり、働くことには変わらないんだと。確かに、天職とか一生の仕事という選択肢だけではなく、短い期間だけ「一生懸命」に取り組む。福祉の仕事をした経験を他の仕事に生かすという考え方も、もっと自由にもってよいと思います。
同僚と対話をすること。視点を豊かにすること。柔軟でしなやかな見方・発想を持つこと。また、クライエントとも向き合い、社会制度や仕組みとも向き合うこと。それがSWの力を高め、燃え尽きを予防、克服する上で大事なことである。

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