2001年大会編
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01.8.12 東日本剛柔流剛武館団体戦
01.11.10 設営
01.11.11 全日本剛柔流大会
01.11.23 日本拳法東北大会

01.8.12 東日本剛柔流剛武館団体戦トップへ

恒例の行事といっては語弊があるかも知れないけど、もう、かれこれ7回くらいはこの大会に出ている。こんなに続けて出ているのは、私たちくらいなのではないだろうか。あのとき、どうなんな展開だったのかとか、どういうドラマがあったのかというのは記憶にはほとんどないけれど、なぜか、出ないといけないと思ってしまう。たぶん、3人が出る意志があるうちは、出るんだろうナァと思う。
今回は、団体戦とシニアだけの大会だったので(以前までは、新人戦も兼ねていた)、終わるのが早かった。打ち上げも近くの国際会館で喫茶をする程度だったので、ぱっと切り上げれた感じが強い。いつものように、大会が終わった後も片づけをしっかりして行くが…。この片づけって、結構好きで、祭りの後まで参加している気分になって、なんだか、けだるいけど、楽しい作業である。

試合の方は、結果から言うと、2回戦で敗退であった。(厳密に言えば3回戦だが)しかし、かなり惜しい試合であったし、私たちのチームを敗った相手が優勝をする。(連覇)そして、唯一、連覇を阻止できるようなチームであったと思う。(優勝できたかどうかは別にして)

1回戦は、分派の勝気会であった。若いチームのようであった。(実は、開会式のとき左隣にいて、2回戦の相手は右隣にいた)
先鋒の友人(途中に泊まりに来た人。以下、Sという)は、仕事が忙しくて、ずっと寝ていない状態で、体調不良、運動不足といっていたが、Sの蹴りは、全盛期の威力とスピードには及ばないが、的確な間合いから冷静な攻撃を加えて、軽く料理をする。Sは、あんまりパンチが得意でないし、練習不足で脇はしまっていないし、威力もなかったが、キックは冴えていた。(Sの話では、この頃はむやみに突進しないで、間合いで、個の瞬間はいるナァというのが見えているらしい)
中堅の友人(以下Hという)は、出会い頭のカウンターを審判がしっかりと取ってくれたおかげ*1で、試合が有利に進めることが出来た。Hは、右拳のカウンターの名手で、全盛期の時は、先の先で、呼吸から動きから全て読んだ上で、その上で的確にカウンターを決める人であるが、この頃は、調整不足が続いて、後の先になりがちである。(同じ対応でも、質が違う)
私は、体格が私よりもある、重量級の選手であった。なんでも、その道場の息子ということで、かなりの使い手なのかなと思ったが、下がりながらのカウンターを使う人であった。最初は、警戒をしていたが、思ったほど圧力がなかったので、間合いを詰めて攻めていく。友人達にいわせると、左の回蹴の威力がないということであったが、いったん、審判がその攻撃が効果であると判断すると、それ以降注目するので、有利にことが運んだ。しかし、後半、一本調子になって、カウンターを立て続けに取られて、引き分けであった。何回かつかむのはいけないと忠告されたが*2、日本拳法の練習を積んでいたおかげで、ダーティなクリンチにはならなかった。

午前中に、2回戦も行われる。前年にぼろくそに負けた分派の秀練会拳聖会であった。前年度も 秀練会が1.2を独占、本部直営の冬の時代にあって、拳聖会の独り舞台である。実際、秀練会は、その大会、その大会でのルールに基づいて、ちゃんと対策を練って練習をして、参加している。しっかりと組み手の練習を行い、体格も本部とは比べものにならないくらい「ごつい」。コンビネーションも速いので、いったん、攻撃に巻き込まれると、怪我をすること間違いなしである。また、クリンチになる前のつかみから、パッとハイキックを繰り出したり、反則すれすれのフックとか、一撃も目指している。私は、こういうスタイルが嫌いではないが、本部直営のめざしいている空手とはちょっと方向性が違うような気がする。あくまでも、和気藹々と、楽しく、型もちゃんとして、古武道なんかを習得したり、ときどき、組み手をして、研鑽しようとするスタイル。(これはこれで、とても好きなのだが)
とにかく、前年度のリベンジをかねて、なんとも、疲れが見え始めようとする社会人の我々が、実質、直営の道場の唯一の生き残りとして、最後の牙城として期待されることになる。

Sの相手は、オーソドックスなしかし、それだけに安定感抜群の選手であった。しかし、最初に、Sの前蹴り気味の回蹴が胴に決まって、そこから、Sのすごく老練な戦術が功を奏して、1-0で勝つ。老練とは、相手が攻撃をしようとする前に、相手の間合いをつぶしいてラッシュをするとか、効果的な移動で間合いや攻撃をはずしていた。相手が、力が強いだけに、また、技術があるだけに、そうしたつぶし合いや駆け引きに勝ったSは、素直にうまいと思った。
Hの相手は、Hよりもかなり、でかくて、体重もあって、パワーもあるようなタイプであった。技術という面では、Hには及ばないなりにも、リーチが長いので、踏み込むのが難しい選手である。しかし、実は、Hはこうした相手が大好物であるはずであった。動きは単調なので、その前に踏み込んだり、間合いを「作る」のが簡単な相手は、彼の餌食である。しかし、いかんせん、後の先になっている状態では、踏み込めない状態が続いて、膠着する。そして、相手が少しつかんでから、Hがいやがって離脱しようとする寸前に、右のハイキックをあてられてしまう(実践では当たらない攻撃であるが、面をかする)。それまで、決定打がなかったので、審判は試合を動かす意味もあったのか、ポイントを2先行させる。そこから、Hは頑張ってポイントを取りに行ったが、本人の弁では、力が入らなかった*3ということで、そうしたのが見えたのか、果敢に攻めるが、中途半端で、結局、膠着してしまい。0-2で負ける。
私の相手は、前年度と同じ人で、その時は、私は、肩を1回戦で亜脱臼していて、1-4で負けてしまった相手である。小柄であるが、全国大会で、優勝をした人であり、技術もパワーもある人であった。私にとってもリベンジの相手であった。つかんでからのハイキックのうまい人で、スピードもある。試合としては、今回は、私が勝たなければならない状態であった。そのため、迂闊に飛び込んでカウンターを喰らうようなことのないように、じっくりとうかがう。前の試合と違って、圧力がある。気を緩めると、一気にもって行かれそうになる。こうした相手には、フットワークで距離の出し入れをしても意味がない。むしろ、そうしたところに神経を使うと、一気に踏み込んでくるだろう。だから、お互い半歩踏み込めば当たる間合いで、我慢比べをする。何度目の心理戦?で、後、30秒ですというコールがかかる。先に仕掛けたのは相手であったが、にらみ合いで、相手の当たる箇所やタイミングを読み合っていたので、相打ちとなる。その後何回か、仕掛けるが共に相打ちとなり、このままでは負けるということで、時間ですというコールの間際に、左拳をあてるが、カウントされず。引き分けであった。
ということで、1勝1敗1分で、1ポイント差で負けた。
しかし、その後、拳聖会は、準決勝では、3タテで圧倒的に勝ち、決勝では、相手の秀練会の先鋒が棄権をする。勝っていれば…。本部直営での久しぶりの入賞が出来たナァと思ったりした。
閉会式で、トロフィーを受け取っている人たちを見て、久しぶりにほしいと思った。

怪我もなく、そんなに筋肉を痛めもせずに大会を終われたことは何よりであった。(次の日、やはり、無理があったのか*4、頭にこぶが2つと背中が痛かった)しかし、はやり、アドレナリンが過剰の放出された後なのか、ぐったりとするし、脱力感が襲ってくる。(過度に緊張もするしね)食欲もなく、友人の家に行くと、3人とも疲れ切って、仮眠を取る羽目になる。

こうして、恒例行事は幕を閉じるが、こうして、3人でれたことは喜ばしいことである。道場が開設されてからずっと出ていて、始めはやっぱり新鮮だけど、勝てなくて、どうしてかナァと思っていたが、7回も出ていると、勝てるチームと勝てないチームの力や試合があって、やはり、ちゃんと空手をしている人は勝てるものである。回蹴とステップとコンビネーションを練習すれば、すぐにでも組み手は出来るけど、どうしたらヒットさせるか、納得できるのかというのは、ある程度の経験が必要である。やり始めたときは、イメージ先行で、バリエーションがないため、一本調子になって空回りをする。得意なスタイルはスタイルで、様々なケースに対応することが重要である。しっかりとしたキックとパンチ、筋の通った試合運び、これが王道なのだろう。

泥のように眠り、3人、ダラーとする。Hは、昨日にやったドイツゲームをするが、睡魔と疲労には勝てずに、また、朝早く仕事があるため12時ぐらいには、睡眠をする。私は、朝まで「ガンパレ」をしてしまう。(..;)

*1(前々回から、拳(足)サポーターを着用が義務化になったことによって、打撃音があまりでなくなったせいで、審判のジャッチがすごく難しくなっている。)よって、打撃音の出る、手のひらを使ったパンチが流行っている。
*2この流派では、接近戦のなかでの投げはない。同じような(東北大会)の大会では、硬式空手のクリンチ状態は、警告と見なされる所もある。2分という制約の中で、これを膠着状態と見なすのか判断が分かれるところである。また、投げたりすることによって、時間を止めるのが、面倒な作業なのかどうか…
*3パワーのない攻撃をポイントとしてジャッジすると、強いパワーの選手の攻撃のことごとくをポイントとして加算していかなければならない。しかし、効果的な攻撃を弱いパワーの選手をした場合のジャッジもしないと、試合が動かない。よって、強いパワーの選手の攻撃を取られないで、弱いパワーの選手のがカウントされると、強い方は、不服だし、弱い方は、いくら攻撃してもカウントされないので、評価基準が両者の中で曖昧になることがある。しかし、納得する攻撃というものは、確実にあるし、それは、かなりの確率でジャッジをするので、納得して試合が運べることが多い。(同じ様なレベルであれば、ポイントは、ある程度、効果という部分が強調されるためジャッジは容易であるが…。)
*4試合は、組み手でいえば2回しかしなかったことになるが、練習の10倍の集中力と、緊張感を伴う。持てるものを出し切るわけでないが、そうした自分の実力を強制的に引き出そうとするため、無理が出るというわけである。

01.11.10 設営トップへ

明日大会があるので、仙台にいく。(友人の家に泊まるため)
当然の事ながら、恒例の設営がある。今回は1000人規模の大会ということで、時間がかかるのかナァと思ったけど、いつものように終わる。いつものことだけど、一言、道場生をたくさん集めるのはよいけれど、もっと効率的に回して動かせば、もっと早く終わることが出来るはず。指示する人が設営に最中に全員集めて打ち合わせをしたりするのは全部終わらせてからも出来るはず。最中にするもんだから、何をすればいいのか分からない多数の道場生が遊び出す始末は避けてほしかった。(`ヘ´) プンプン。
指示する人は、師範クラスだから末端はあんまり大きな声で言えないだろうけど、もっと気を使ってほしかった。

帰りに、同じ道場の人たちとラーメンを食べて、珍しく、友人3人でカラオケに行った。私は試合の前だから、あんまり乗り気でなかったし、設営の手際の悪さで、頭の上に糸くずが巻いていて、いまいちテンションがあがらなかった。
本当は、少し運動をしたかったけど、帰ってくると11時過ぎだったし、ゲームを少ししてお開きとした。「6ムニト」結構面白かった。

01.11.11 全日本剛柔流大会トップへ

8時30分に選手登録をして、出番が17時。活躍した時間は2分であった。大会終了も20時ぐらいだったかな。まぁ、コートの数も制限があったから、仕方がなかったという部分と、もっと、どうにか出来たんじゃないかという部分があった。もっとも、表彰は各コートで行ったのは良かった。終わった階級毎にその都度やっていたので、長ったらしい表彰を聞かずにすんだのは良かった。
しかし、式典は蛇足であった。挨拶とか型の演武というよりも、こんだけ、スケジュールがこなしきれていないのに、丁寧にやるか?まぁ、これも仕方ないか…。全日本の剛柔流が集まった大会だからナァ。
あんまり、待たせられたので、アドレナリンの調子がいまいちで、待ちづかれてしまった。

私の相手は、日本拳法の試合でもいつも見かける、そして、見る人から強いと印象づけることの出来る人であった。私は、級の部で組み手にでているのだが、彼は段の部で優勝ないしは準優勝をコンスタントにする人で、きれのある右の後ろ回蹴は自衛隊や学生すらもかわしきれないというものである。それを知ったとき、なんで、よりによって1回戦から、再来週にまた日本拳法の試合があるのに、こんなに待たされて、4000円払って、しかも、勝てない相手と!そして、毎年楽しみにしている大会なのに!…それを知ったのは、10時で一気にテンションが落ちまくっていき、本当につまらない大会となった。
それでも、今まで運動をしてきたのだから、良い試合をしたいということで、過去に彼が負けたパターンを反芻し、時々ミットを打ったりとしていた。
本番では、全く私のパンチは当たらずに、いいように胴や面にキックが当たる。4-0で負けるのだが、全然、当たらない。間合いの取り方や確実性や、スピードが全然違う。パワーもあるし…。
その後の彼との対戦を見ていて、じっくりと攻めれる人とは好勝負をしていた。間合いの取り方がうまいと迂闊に攻めることはないようであった。もっとも、間合いの攻防は一朝一夕では出来ないが…2分のなかで1分30秒ずっとやりとりが出来るであろうか?もしくは、相手に攻めたらやばいという攻撃が出来るであろうか?
結局、彼は優勝した。

友人も1回戦から優勝した相手と当たった。その人は、私のとは対照的に、ガンガンと攻めるタイプである。間合いをつかんだら一気に攻撃を仕掛ける。パワーもスピードも申し分ない。何より攻撃に迷いがないのが見ていて気持ちがよい(友人には悪いが)また、やりとりの中で微妙に攻撃を変えて、相手に攻撃させない見えないというか無意識のようなテクニックもあり、これもまたすごいと思った。脂がのっている時期というものがあるとすれば、この選手は今がそうであろう。

しかし、一つだけ提言をすると、
今回、胴の防具がかなり薄くなって、胴に攻撃をされた場合、結構痛かったりする。そうしたソフト胴の着用がルールにあって、しかもきちんと拳のサポーターを着用することになっていたにもかかわらず、いつも大会にでているチームのうち何組かが、他流派も参加ということで(着用も注意を受けないだろうという認識の下)、それを逆手にとって、拳サポーターでなく、拳にテーピングを巻き付けるだけにして、打撃音を出すようにしたり(ジャッジが有利になる)、自分がダメージを与えるときはソフト胴で、自分が与えられると痛いからということで、従来の固い胴を着用して試合をしていた。みんなが、ソフト胴、拳サポーターというルールでやっていることを考えると、自分は痛い思いをしたくない(リスクを背負わないようにする)、ジャッジに有利なようにルール違反をしている。他流派の方は、組み付きとか投げとか、強引に攻撃をし続けるといった練習をしてきたことが、ルールとかみ合わないで注意を受けているが、基本的な着用に関しては、そんな小ずるいことはしなかったぞ!大会にでている常連がそんなことでは、いかがなものかな?それをさせている、または黙認している指導者は、もっとずるいと思う。

後かたづけは、すぐに終わり、けれども、最後の搬入まで手伝い。館長からファミレスでごちそうのなり、帰ってきたのはやはり23時であった。今回は、3人ともヘトヘトでビールを少し口に含むとバタンキューであった。

01.11.23 日本拳法東北大会トップへ

これで、一年のイベントは終了した。この試合が終われば、とりあえずホッと出来るそれが一番嬉しかった。
宿直の関係で、日帰りとなる強行軍で、朝の6時に集合して、10時から試合をして、15時30分に終了、帰ってきたのが19時であった。脱力感と倦怠感が帰宅と同時にどっと来て、すぐに眠りたいところであったが、子供をお風呂に入れたりなんだかんだと、いつも通りの就寝であった。そして、いつも通りに起きて、宿直に出かける。朝から勤めて、結局寝たのが、朝の5時で、6時30分に起床して、仕事をして終わったのが12時。さて、この12時は何日後の12時でしょう。フキフキ "A^^;

試合の方は、朝に3試合、午後に2試合であった。
朝は団体戦で、くじ運も良かったのだが、3位になることが出来た。
1回戦の相手は、日本拳法の同好会ということで、飲み屋のマスターが有志を集って参加したチームであった。昔やったことのある人、格闘技に興味のある人たちの集まりなので、練習とかもそんなに回数はこなしていないようだったし、大学の40代の教員とかいた。あと、日大工学部のOBとか仙台支部の選手とか混じっていて、実力に幅があった。結果は、3勝1敗1分けで勝つ。私は、その大学の教員であったが、後ろ回蹴と右のパンチで秒殺であった。
2回戦は、昨年優勝した自衛隊であった。結果からいうと、私だけが勝って、あとは負けた。何より力が強いし、パンチのきれもいい。キックはそんなでもないが、組みになると、そつなく上になられてしまう。また、組んだ瞬間に力負けをしている。私の相手は、前の試合で、壮絶な殴り合いをしていたので、それにつき合わないように、間合いを取って、容易に踏み込ませないようにする。間合いが合った瞬間に、左の回蹴がタイミング良く入り、1本を先取する。そのあとは、組みになるケースが多く、一本は、向こうが取るが、思ったほど組みが強くないことが分かり、次の組みの時は、私が上になる。抵抗するが、頭の所にじりじりと回り込んで行くうちに、相手の面が取れる。この時点で、私の勝ちとなる。組みの練習を積んできた甲斐があった。
3回戦は、3位決定戦であった。相手は日大工学部のBチームで、級の部の選手であった。実力はほぼ均衡していて、1勝1分けで中堅の私に回ってきた。相手は、そんなに強そうでなかったが、私の攻撃がカウントされない状態が続く。結構、顔面とかヒットさせていたのだが、多分、ちゃんと構えて攻撃をしていなかったのだろうか。バツン、バツンと当たっていたのだが…そうこうするうちに、胴を抜かれて(威力は感じなかった)、私が左の回蹴をしたときに、転んでしまい、決められてしまった。しかし、副将が、調子が良く、カウンター気味の攻撃が決まって、大将は、先に一本を取られたが、最後の方で盛り返して引き分け。2勝1敗2分けで辛くも勝つ。
なんだかんだ言って、4年も参加して、こんなに勝ったのは初めてであり、いつもは午前中は1回戦しかしなかったのに比べると、会心の出来であったし、チームワークの良さも光った価値のある3位であった。
午前中は、仙台のSが応援に来てくれる。2回戦からの見学であったが、来てくれることは嬉しかった。組みで健闘していることを褒めてくれたが、もっと、右の回蹴とか、当たりそうだナァとかいっていた。たしかに、そうかも知れないが、この頃、あんまりハイキックがあまり当たらないことや、右の回しに自信がないこと、パンチのジャッジが私の場合今回取りづらいということも考慮して、今回の大会は、左の回蹴に絞ることを自分なりに確認した。

午後からは、個人戦であった。結果からいうと、2位になった相手に2回戦で当たった。
一回戦は、東北文化大学の白帯であった。何がおかしいのか、にやけた表情でたたれていた。構えはしっかりしているので、攻めにくい感じであった。しかし、全然、パワーが感じなかったし、変に打ち合って、ジャッジをされたくないので、様子をうかがっているうちに、相手がキックをしてバランスを崩したところを決める。2本目は、相手が出てきたので、かなり距離を置いてから気合とともに一気に踏み込んで会心の左回蹴を放つ。それが、いい具合に入りほとんど疲れないで終わる。他の選手とかお〜とかいっていたが、そんなにいい音がしたのであろうか。
2回戦の相手は、自衛隊であったが、なんだかずるい感じであった。顔面にパンチをするのだが、防御のポーズをしてジャッジをさせないような感じであった。防御しているところ以外の所に4発ぶつけても、取ってくれない。左の回蹴をしても、つかんだり、防御しているとパフォーマンスをする。組みが強いだけの選手だったが、それで、1本目は相手の首をロックして後ろに投げようとしたら、逆に首の力だけで裏投げをされた。2本目はラッシュをかけたところに組まれてタイミング良く膝を入れられて終わった。力負けをしていなかったし、的確に攻撃をしていただけに悔やまれた。
午後は、仙台のHが駆けつけてくれた。2回戦の動きがとても良かった。特に、回り込むときはホバリング状態であったなどであった。しかし、コンビネーションで、4発顔面というのはいただけなかったということであった。胴に打ちわけるとか、タイミングをずらして、胴に回蹴をするとか工夫しても良かったのではないかと話してくれる。たしかに、頭に血が上って、ぶっつぶすとしか考えていなかった私が悪かった。もっと、冷静になるべきだったナァ。まだまだ、未熟である。(/_;)

しかし、いくつかの成果もあった。自衛隊相手に組みで、五分の勝負が出来たことは、あたりが強くなってきていることであり、自信がついてきた。いつもは逃げ腰で、出来るだけ組まれないように、組まれてもエスケープすることを考えてきたが、場合によっては組み勝負でも良いことが分かった。しかし、柔軟に、勝てそうもない相手には組みに行かないように、組まれても場外出来るようにクレバーに対処することが必要である。
あと、むやみに攻撃をしない、させないことを心がけること。2分という時間を有効にじっくりと試合を組み立てるように心がけた。もちろん、逃げ腰ではいけないし、強い相手は圧力がすごいので攻撃する気が失せそうになるが、飛び込む勇気と無謀に打ち合うのは訳が違うことを知る。単発だけでなく、組み合わせて飛び込む、状況に合わせて打ち合いに応じる、組みを想定して間合いを詰めるなど臨機応変に組み立てようとする意志が必要である。

最後の審判による講評では、拳をキュッと一つ入れるようにしっかりと突くことが必要で、その駆け引きをするためには、ギリギリの間合いで、半歩の出し入れで勝負をするのが日本拳法であると話される。そのために、ジリジリと距離を詰めるその心意気が必要であると話される。たしかに、そんな緊迫した勇気と勇気のぶつかり合いが必要である。無謀に打ち合うのでなく、ギリギリのところで読み合い、爆発するそんな試合をしなくてはいけないと痛感。下手でも良いから、そのような試合をしようとする意志が必要である。

総合して、今回の大会を振り返ると、運動する機会があったため、体のノリが良かった。前回、消化不良であったがお釣りが来るほどいろんな経験をさせてもらった。

最後に、引率してくれた先生は、ジャッジもやっていたし、とてもお世話になった。ありがとうございました。

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