2001.8
つながりの再構築

対談
 要するに従来の福祉対象者以外の生活困窮者あるいは困難性を抱えているような課題郡が見えてきたこと。あるいはそうした社会情勢(社会問題)であること。それに対して、福祉関係者はどうするべきなのか…ことにホームレスについて。ホームレスは厚労省だけの問題ではなく複数の関係省庁が最初動いたが、対策としては厚労省だけだった。あるいは、大阪のホームレス問題も国が動くべき問題であるとした途端に大阪は待ちの姿勢になってしまった。ホームレスは、今のところ単身男性者が多く、雇用主が用意した寮や社宅など「労働住宅」に入っていた。更に既婚者もホームレスになる前は既に単身化して「労働住宅」にいた人達である。いままで福祉の対象者に比べ、働ける男性の失業者はなかなかそこに入らなかった。
 ホームレスに限らず今日では自立が社会福祉のゴールを示す言葉になっている。自立を目指すからこそ社会はそれを認知する。福祉に税金を投じても良いという合意掲載される構造になっている。とりわけ未だ働けるかもしれない男性にとっては、自立=就労自立のイメージが強いと思います。とはいえ、自立支援センターから就労の斡旋はスティグマとして作用している。安い労働力として使おうとする人達、就労先がしっかりしているか、雇用が安定的に継続するかどうか…本人の借金問題…
 他、寄せ場のこと、福祉就労の新たな可能性のことなどが話されているが、どれも結論を見いだすことは難しく、意見に留まっている感がある。おもしろい意見として、近所とのつきあいがあるから老人ホームに入らない人がいるのと同じように、野宿している人が、犬や猫を飼っているから施設に行くのは嫌だという理由も、渡しは極めてまっとうな人間らしい反応だと思うんですよと。あるいは、ホームレスは宇宙の果てから来たように思われるが、自分達の住んでいる地域から生み出されること。反対運動や投石がある一方で、そっとお茶を置いていくサラリーマン、しょっちゅう何かを持ってくる主婦もいる。その複雑性が大切である。行政としてはまず、市民と野宿している人達やその支援者が、対立点を含めて同じテーブルについて議論ができる仕組みを作っていくことが大切である。

川本隆史「福祉と連体のつながり」〜三好春樹の介護論を参考にしている。

落合俊郎「インクルージョン理念の再認識とその合理性」〜障害児教育の歴史

石塚秀雄「今日の福祉国家における貧困及び社会的な排除との戦い」
 社会的排除とは、アンダーグラウンド、周辺化(マージナル化)などいわゆるニュープアを指す。それはこれまで社会福祉政策が捉えてこなかった課題である。このニュープア・社会的排除は、新自由主義を軸に論じられることが多い。ニュープアは、再分配による敗者復活が困難にもかかわらず「自力自助」努力による敗者復活が求められるため、これまで以上に長期的に社会から排除された状態が続く可能性が高い。ヨーロッパでは、ウエルフェアからワークフェアへと政策転換したイギリス、第三セクターの活用など紹介されている。

土場学「新たな「公」の創造」
 もともと戦後の日本社会では公共性という言葉はあまり良い意味合いを持っていなかった。すなわちそれはしばしば政府の政策を強引に正当化する錦の御旗であり、そうした制作への異議や不満を封じ込める水戸黄門の印籠であった。もっぱら公=官(及びそれと対を為す私=民)という図式の元で解釈されてきた事による。公害問題や公共事業を巡る紛争などは、公的利益を追求する行政と私的利益を追求する地域住民との対立という図式に回収されてしまい、多くの一般市民も自らの生活が直接脅かされない限りその矛盾に目をつぶろうとしてきた。
 しかしここ最近の問題群は、私的な問題を公的な問題としてどう処理していくかということを誰しもが考えなくては行けなくなった。そもそも公共性と私的利益を被るものと不利益を被るものが存在していても、同じ共同体の一員であるという理念の元で受益者と受苦者を分かち合う「連帯性の感覚」を当事者が存在することを前提に、行政主体が「公共性」という概念の元でそうした共同体の理念を大便し、その成員の連帯性を媒介するときはじめて正当化可能なものとなる。というほどに単純なことではない。
 最近よく言われる公共性とは、ボランティア活動を典型として市民の側から多様な形態での公的な問題への関与は、結果として新しい公共性、もしくは公共圏(公共性を意味づける社会的側面)を作り出す営みとなり、それは近年「市民的公共性」として注目を集めている?行政権力に依存しない自立的な公共圏を再構築しようとする志向の現れとみなすことができる。このほか含蓄の富む内容となっている。

他実践レポート〜薬物依存・サラ金・失業・フリーター・帰国者


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