2000.8
生活保護制度の新しい展望
〜生活保護法施行50周年を迎えて
役割と変化
現在の制度は、憲法25条の1項と密接に結びついた制度である。そのなかで
- 保護水準自体の実質的な引き上げ
- 社会保障に関わる他の諸制度の発展に伴い、相対的な役割の低下
視点.1
- 経済構造改革と失業率の増加:制定時はイギリスのベバリッジ報告を元にしているが、その背景は、完全雇用が前提となって、児童、医療が社会保障が乗るという位置づけであった。最近の雇用情勢が簡単に元に戻らないのであれば、根本的に捉え直す必要がある。
- 人口の高齢化が生活保護制度に対してもつ意味
- 家族形態の多様化が持つ意味:世帯、家族の社会保障、税制の捉え方について。生活保護制度において、完全に個人単位というのは馴染まないのではないか。例えば、扶養義務者からの保護費の徴収を含めて、家族による扶養をどう捉えるのか。
視点.2
- 生活保護の役割は社会的なセーフティネットにある。市場競争が円滑に動くための一種のインフラとしての機能が重要で、規制緩和によって市場が活発になれば、そこから漏れてくる人に対して効率的な手段が必要で、それが生活保護の本来の役割である。
- 所得保障との整合性について。ヨーロッパは失業保険の給付期間は3年であるが、日本は最大300日である。しかし、日本の場合は、失業給付がきれた後は、制度的には一般的な所得保障である生活保護制度でカバーされる(ヨーロッパではその辺の失業保険と福祉の境目が不明確)補完的な役割。しかし、コンセンサスを得ていない。例えば、「生活保護に頼らないために、年金水準をもっと充実させなければならない」という議論がある。しかし、それは、年金制度に過大な負担がかかってしまう。効率性という観点で捉える必要がある。
- 生活保護が就業への動機づけを低めるのではないかというモラルハザートの問題。在職老齢年金では、かつては所得が1万円増えたら給付額も1万円減らしてしまう、受給者から視れば、いわば働いた所得に100%の所得税が課されるような制度であった。しかし、これが最近の改革では50%課税まで低下した。また、所得税の配偶控除の減らし方も同様である。これらに対し、生活保護は100%課税である。そこはもう少し他の制度改革のように、働くことへのインセンティブを高めるような仕組みが必要ではないか。
- 扶養義務者からの徴収について。これはいわゆる「補足性の原理」であるが、これがセーフティネットを阻害しているのではないか。家族の扶養義務を大前提にして、それが満たされない場合に初めて政府が出て来るという、家族が第一で、政府が第二という考え方はこれから多様化した家族の時代にはもう時代遅れではないか。
雇用施策と生活保護制度に連続性が必要
- 視点.2の2に関連して、もう少し生活保護を気軽に利用できる制度にする必要があるのではないか。
- 今年度から技能習得費という制度を活用して、職業訓練を受けられる範囲を大幅に拡充し、■習得を進める対策を講じてきている。つまり、早く保護を受けて、早く資格を取得して、早く就労するという方にシフトする。保護と職業訓練とをセットで行っていくならば、必然的に雇用保険制度と生活保護制度の連携という課題が生まれる。〜雇用保険給付を基本的に一年受ける。その間にいろいろな事業によって技能を身につけるけれど、それが切れると生活保護の対象となる。そうすると生業扶助といったカテゴリーになってしまいそこに断絶がある。
- 生業扶助については、例えば自転車の運転免許のように今までは就職が決まってから必要な資格を取るという流れであったが、しかしそれでは就職活動そのものが制約される。それを逆転させるという意味。
- 今までの常識は、公的年金などの社会保険の拡充によって、生活保護に陥らないようにするという「保護から保険へ」が主流であった。しかし、それは高度成長期の豊かな財源を前提としていた。生活保護の場合は、資力調査があり、本当に必要な人に給付を集中することができる。その意味では生活保護の役割を高めることは、国民の過大な負担を避けつつ、社会的なセーフティネットを充実するという効率的な所得再分配政策になると思われる。今の雇用保険は、本来常用労働者のためのものであって、パートや派遣事業者の多くは適用外であり、学生や主婦も適用外である。それから、現行の雇用保険の給付設計は、年齢が高く、長い間被保険者であるほど給付期間が長いという、いわば積み立て方式の年金のような制度になっている。生活保護もっと積極的に利用する仕組みにすることによって、年金水準も過大なものがもっと切りつめられる。
スティグマ感の払拭
- 生活保護制度に対する国民一般の目は大変厳しい。それは、最低生活の保障という制度の本質と切り離せない、見方によってはむしろ制度が改善され、水準が高くなればなるほど、問題が先鋭化する傾向にある。
- 医療保険でもなぜ介護保険と同じように保険料を生活保護で巻かないことがなぜできないのか。生活保護を受給すると健康保険証がもらえない。かわりにいちいち福祉事務所にいって医者にいく許可をもらわないといけない。社会保険の保険料が払えない人は、政府が「立て替える」というような方式で、もっとスティグマを払拭することが第一歩であると思われる。所得条件が悪化した場合に生活保護で保護する。
- 国民健康保険の財政状況が悪化するのではないかということが必ず指摘される。〜要するに、貧乏人は医者に滅多にいくなということであろうか。(〜は私の感慨)
「健康で文化的な最低限度の生活」が持つ意味
- 視点.2の3での問題について。年金納付をしてきた人としてこなかった人を区別して遇した場合、今度は最低生活の基準ということから視た場合、全く無年金の人の生活水準と、年金権を持っている人の生活水準が制度的に違ってしまうという問題がある。これは、勤労収入がある人と無い人についても同じ。生保8条の「生活保護基準」は、それ以上でもそれ以下でもない「線」となっている。
- 最低限度の生活の保障という解釈よりも、むしろ、自立の助長に関連させると、ある程度の幅は認められるのではないか。
- 「線」の概念はアメリカでは負の所得税として捉えるのが有力。では、なぜ在職老齢年金の改正は問題になるのではないか。本来、年金とは働けなくなった人に対する所得保障である。その意味では働いているのに年金をもらえるという在職老齢年金の考え方は異質になるのではないか。
- 年金は社会保険制度であり契約である。生活保護は広い意味で社会契約かも知れないが全く無拠出の扶助である。社会保険制度という相互の契約関係を社会化したものと、生活保護法のように、ある意味で行政法の延長みたいな制度には性格の違いがある。
- 健康で文化的な最低限度の生活イコール生活保護という見方でなく、多くの制度(社会保障、年金、社会保険など)によって権利が実現されているというトータルに捉える必要がある。
- 生活保護の水準が高くなっているという点を考慮するべきである。算定方式の移行で、絶対的な貧困から、相対的な貧困ラインに変わってきている。
年金水準との関係
- 基礎年金の水準が生活保護の水準まで高くなくてもいいと思われる。年金の社会的役割から考えると、生活費全てを賄うこともともと必要ない。むしろ、老後生活に一定の確実を給付を提供することで、生活の不確実性を除去するための制度と考える。
- 年金は、本来老後の生活の一部を確実に担保するために政府が貯蓄を強制するものである。生活保護を受ける人にも貯蓄を強制しなければならないが、強制されるべき原資が無い人は、やむを得ず生活保護でカバーする。
- 年金は、生活の原資の一部であるが、生活保護の場合は、定義的には全ての原資である。したがって、生活保護と年金をリンクさせる考え方は誤解を生む。
扶養義務と資産の捉え方
- 現行の三親等家族の扶養義務というのはあまりに広すぎるのではないか。民法の原則よりも狭い範囲で生活保護制度を組むことについて、国民の合意がどれだけ得られるか。
- 年金、医療、福祉を含めて世帯単位や個人単位という中での位置づけも考えておかないといけない。生活保護の場合、生計の単位が世帯であるということは、形態が変わっても大きく変わらない。家族形態の変化にあわせていくことでよいのではないか。
- 現行でも、市町村自体が高齢者の財産を管理するのではなく、民間の不動産会社や信託会社に資産を預け、その契約を市町村が管理するというやり方ができればダイナミックな改革ができる。しかし、それをやる実力を行政が備えなけらならない。
論文より
多様な利用者(多重問題)捕捉性の低位性などの問題が顕在していること
介護扶助の新設、機関委任事務の廃止、法定受託事務(最低生活保障)、自治事務(相談援助)の創設。事務監査はあるが、指導監査は廃止される。
入所施設の収容の用語を入所に変更。
参考文献
社会福祉および生活保護の動向については「今後の救護施設のあり方」『救護部会だより』第一六号 東京都社会福祉協議会救護部会