2000.5
新世紀の社会福祉とは1〜理念と枠組みの視点から

対談
日本の社会保障は最初はドイツ型の社会保険を導入した。大正から昭和にかけての健康保険がそうであった。戦後はアメリカの発想が入ってきた(ソーシャルワーク)。しかし日本は、社会保険中心の施策で福祉は補充的な立場に留まってきた。それはさらに加速し、社会保障全体にしめる割合は1973では2割であったが、1990年頃には1割と減少してきた。社会保険の窓口を広げすぎたため、福祉的な要素が入りすぎてしまった。福祉が限定的から普遍化に向かっていったため、収拾がつかなくなっている。
これまでの福祉分野は、低所得者対策のような経済的・制度的な議論と、サービスそのものに即した臨床的な考え方がやや渾然一体となりながら、しかも分裂していたと思われる。このうち経済的なことは、福祉だけを取り出して考えてきたが、年金や医療保険を含めた社会保障全体、又経済社会全体の中で考えていく時代である。
今後の改革で市場原理が導入されるが、財政は公的に、供給は民間でと言う形で導入されれば従来の市場原理のデメリットが解消されると考える。ただクリームスキミングとよばれる、非常に儲かるところだけを選別するといった問題は生まれるから、質の評価やチェックを実施することは不可欠である。
臨床的福祉は一人の生活を総合的に応援していくもので、制度的福祉は適用する人と市内人を峻別する物である。どうやって統合させ、齟齬を来さないようにするのか、理論的検討と実践の積み重ねが必要である。〜市場原理、競争原理を保管する行動原理の確率が必要になる。
臨床場面の即したケアの哲学とも言うべき物とより社会的な視点に立った公平とは何かと言った原理にさかのぼった議論を制度論と並行して進めていく必要がある。

中岡成文「福祉のための臨床哲学」
援助者と被援助者の関係で、ケアする・されるという固定概念ではない。例え援助者がプロであっても人間としては自分のうちに様々なケア(気がかり、ニード)を抱えており、その点では誰か他の人のケアを仰がなければならない。逆に被援助者でも、自分に余力があれば、他の人のことを気にかけることが出来る。つまりケアの関係が逆転する場面もあると思う。
後は傾聴ボランティアの中でスピリチュアルな次元に会話が飛ぶことが出来ることの大切さについて述べている。上手に引き出してくれることによってそうした心のニードが出て来るという。

大橋謙策「社会福祉基礎構造改革とコミュニティソーシャルワーク」
在宅福祉を考える際には、従来の施設のような画一的なものから、在宅の持つ多様性やここの形態に合わせた制度設計が必要になる。少なくても、所得保障中心とは違う枠組みが必要である。そのポイントがケアマネイジメントである。あるいは、地域自立生活支援の社会福祉実践は様々な社会資源(フォーマル・インフォーマル)をコーディネートする役割が重要になる。
自立も労働的自立、精神的・文化的自立、健康的・身体的自立、社会関係的自立、政治的・契約的自立などを多元的に捉える必要がある。(インフォームドコンセントによる専門家の協働作業、エンパワメントによる利用者の意欲の喚起など)
イギリスでは、1968年のシーボーム報告を受けて、70年に地方自治体社会サービス法が制定し、コミュニティケアを推進させた。その後82年にバークレー報告が出され、コミュニティソーシャルワークという援助方法の必要性が説かれた。
戦後日本の社会福祉援助論は、ケースワーク、グループワーク、コミュニティオーガニゼーションという3分類法を取ってきたが、その考え方はアメリカでも70年代にほぼ終焉し、社会福祉実践方法の統合化がなされた。
アメリカのコミュニティオーガニゼーションの理論の発展として、32年のレイン報告により、ニーズ資源調整論、47年にニューステッターにより整理されたインターグループワーク論、55年M.ロスの地域組織化論さらにはロスマンの3つのモデルによる包括的アプローチなどの理論モデルがあった。
従来地域福祉に見合う社会福祉方法論として、コミュニティオーガニゼーションが考えられてきたが、それは個別課題を抱えている人には必ずしも直接的に関わりを持たず、その抽象的・外延的援助のための地域住民の組織化とか、大多数の住民の共通関心事の解決には取り組んできたが、課題を抱えている人へのソーシャルサポートという点では弱かった。

橋本泰子「ソーシャルワーカーにとっての福祉哲学」
介護保険の介護報酬は従来と変わっていないのにも関わらず、職員の切り捨てを競争と勘違いをして断行している施設が横行している。しかし、福祉の理念は、尊厳ある生活をすべての人にいつでも保証するということであり、持てる能力を再考に発揮して生きるその人らしい生活を、人生のどのステージにおいてもすべての人に保証することである。この理念を福祉の哲学の根底に据えたとき、そこに存在するサービス実施の原理・原則は、サービス利用者主体、生活の支援、ニーズに応じたサービス、対等な立場にたつ専門的援助関係である。サービスの効率性はサービス提供条の工夫、努力であるにすぎない。
福祉サービスは人間性豊かな人であれば経験を積むことで習得できるという見方がある。しかし、出来る範囲が自分が生活経験してきた範囲に限られてしまう。自分が対応してきたようにしか対応できない。すなわち、サービスの個別化が困難なのである。個別性が高い援助をするためには相談援助の技術や介護などの技術が必要なのである。

宮島渡「市場経済下に於ける社会福祉施設運営と福祉のこころ」
施設整備の流用について、措置費の弾力的運用に関する通知によって施設の運営費が適正と認められる場合に限り、民間施設給与改善費の管理加算分と運用収入の一部が施設会計から本部会計に繰り入れ可能となり施設設備費に充当できることとなっている。←第三者評価を取り入れれば保育所の弾力的運用となること。
あとは経営のノウハウについて述べている。最後にこころを強調するのは蛇足であった。

金子和夫「社会保障給付費の推移からみる社会福祉概念の変化」
50年勧告においてわが国の社会保障とは一応、社会保険、公的扶助、社会福祉の3つの部門を基軸とする一体的な政策体系であった。しかし、当時の社会保障の中心はあくまでも生活困窮者、と基盤整備であり、46%が生活保護費であった。
そのご高導成長期になり、防貧対策の重要性が増し、国民皆保険、皆年金が確立1961年する。社会保障も生活保護から社会保険中心へうつっていく。昭和20年代の福祉三法から六法へ。71年の児童手当法によってわが国の社会補償制度が一応整備される。1973年に老人医療費支給制度の創設による高齢者医療の無料化、健康保険の被扶養者の給付率の引き上げや高額療養費制度の導入などが行われる。福祉費に関しては、社会保障全体の2割を切るようになる。このころは医療がトップで、5割であった。
高齢社会に達し、1983年に老人保健法が成立し、老人医療費の無料化制度の廃止と一部自己負担の導入が行われる。1985年に基礎年金制度が創設されると共に高齢化率の上昇に伴い、年金受給者の増加が顕著になった。
また少子化対策では現在特殊出生率が1.39以下まで下がっている。社会保障制度は、年金が5割、医療が4割、福祉が1割となっている。
2005.12.18

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