2000.12
虐待問題を考える


レポートと提言という形で編纂されているため、まとまった形を取っていない
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老人虐待
については、人間関係、介護をネガティブに捉えている傾向がある、相談するなどストレスの発散がないなどによる。児童においても、同様である。介護を養育に置き換えるとほぼその要因は一致する。結局、虐待予防を踏み切るにはどのくらいの人が虐待をしているかではなく、どのような要因で起こりうるのか。虐待は誰でも起こすことがあり得るという視点で望むしかない。その上で、では、どのようなことが虐待を引き起こさないのかを施策などで具体的に展開して行くしかないと言える。

障害者虐待について
は、虐待は施設などで行うものであるという先入観があるが、実際は、母親による虐待、父親が知的障害のある娘を性的虐待をしているとか、逆に知的障害のある青年が老母を餓死させた傷害到死事件などが散在される。また、無理心中に障害者の子供が巻き込まれたりすることもある。障害者殺し事件は、障害者がどのようにこの社会で生きるのかを映す鏡である。このような家族による障害児・者殺しは何度も繰り返されてきたことである。そのたびに減刑嘆願の署名運動が起こる。『罪滅ぼし」「いたたまれぬ思い」であるからだろうか(そうではあるまい)
いまだ、この社会は障害であることを不幸とし、その障害があることからもたらされる家族の負担は家族の責任だとしている。そして障害者に関わる福祉・教育関係者はしばしばその家族の責任(育て方)をあげつらい責めたりする。家庭内の障害者虐待は社会から追いつめられる家族と障害者との緊張と葛藤のプロセスとして作り出されている。
障害者虐待事件における被害者は、いずれも親思い・家族思いであった。これまで親や家族に苦労をかけ悲しませてきた「悪い自分」に苦悩し、家族をさらに苦しめる虐待の被害を自ら進んで語ろうとしなかった。とりわけ性的虐待はそうであった。家庭内での障害者虐待は、障害児・者を抱える家族にとってこの社会を生きるとき、いおう無く忍び寄る障害者差別の桎梏であると言える。あえていうならそのつまづきは多くの家族にとって普通のことである。その現実を踏まえて障害者福祉関係者がいまなし得るのは、障害者と家族に「そんな差別と躓きに負けるな」と励ますメッセージである。

座談会

児童虐待防止法
〜発生予防、医師、弁護士、施設職員などの虐待の通報義務、児童相談所は速やかに対処することと強化される。その他、虐待の被害者・加害者の両面から心理的なサポートをしていくことが必要という認識が明確になる。児童福祉法28条の「親権の一時停止」でも面会などの制限などが強化されている。
高齢者虐待についても、加害者であっても介護を一身に背負っているという面でいえば犠牲者である。
障害者に関しては、日本で虐待された障害者本人が相談に行っても障害者の証言能力は非常に懐疑的に見られてしまい、警察でも被害にあった障害者の証言をもとに控訴を提起しない、立件しようとしない現状がある。
DVに関しては、シェルターが有効であるが、まだまだ数が足りない。母子生活支援施設など。
要因に関しては、隣近所のつながりが希薄であること。家族ケアの規範が強調されていること。DVに関しても、離婚の際は経済的な部分を全面的に負担することが当然視される中で、孤立を深めていると言える。〜わが国は歴史的にいえば、家族を対人援助サービスの一種の含み資産として、その力に過大な期待をかけてきた。

虐待に関してはよく分からない事が多い。とはいえ、上記の障害者の親による虐待はかなり根深い。老人・児童のどちらの要素も含み、まさに弱者の縮図を見る思いである。この障害者虐待レポートは弁護士のものだったが弁護士の書くものは訴えるものがしっかりと伝わり、正義と眼差しの深さにうなずくもの(論文・レポート)が多い。
(2005.7.18)

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