1999.1

社会保障の将来像

社本修「社会保障構造改革のスケルトン」
社会保障構造改革は1995年の「社会保障体制の再構築」社会保障制度審議会の勧告を出発点にしている。介護保険は、これまでの高齢者介護にかかる領域に、社会保険を導入し、費用負担の面で、在宅・通所・入所問わず、社会福祉サービスの措置費の枠を超えた調整を施そうとするもの。また、公的介護保険がいっそう大きな影響を及ぼすのが、高齢者も医療保障(老人保健法・医療保険各法)の仕組み全体であろう。
社会保障制度の構造改革は、個人の自立を支援する利用者本位、制度の横断化による全体の効率化、公平・公正の確保などである。
もっとも、医療費の増大−赤字体質の解消を主眼としている。しかし、今日の社会保障に於ける費用負担問題は、高齢者医療の分野に限ってみても、各種医療保険制度・老人保険制度・生活保護に於ける医療扶助・公費負担医療制度そして介護保険制度のように、それぞれの固有の分配原則を持った各種制度によって構成されている。なので、社会保障の費用負担問題として一律にこれらの制度を削減縮小するという形で議論できないのではないか。

座談会
この時期は、老人保健分野を公費−税中心にするべきか拠出中心にするかといった議論がある。あるいは、診療報酬は出来高にするべきか定額制が望ましいのかといった議論である。それに関連して、診療報酬では、自由診療と保険診療があるが、その混合は禁止されていることに言及している。
老健や療養型病床群は将来的にはなくなるのではないか。あるいは、医療と福祉は連携して福祉にも権限が出てくるのかといった議論がある。一時的には医療が強いが長い目で見れば福祉の方が強いのではないかとのこと。また、福祉食に対する待遇が低すぎると言うこともすでに話題にはなっている。社会福祉士の資格を取りながら看護師の視覚も欲しいと思っても、カリキュラムが違ってしまっている。共通の科目を創設するとかそうした工夫が欲しい。
21世紀を超えても、個々人の生涯を支える社会的インフラ(基盤)として社会保障の重要性は変わらない。それは生活設計の中にすでに社会保障が組み込まれているためと、国民の考え方としてリスクをどういった方法でプールするかと言うときに、社会保障としてリスクをプールする方法が望ましい。
医療、年金、介護、育児といった社会保障の構造改革はあっても、公的部門全体がその分野から撤退してしまうような抜本的変化はないと思います。例えば、規制緩和によって、介護の分野では民間業者が参入してケアの供給主体の多様化が起きますが、税源は保険料つまり公的な財源という事に代わりはありません。

国民負担率とは社会保障も公共事業も国防も全て一緒にしているので、政府活動の規模を示す指標にはなりえてもそれ以外では生産性のない議論になりがちである。また、年金、医療、福祉の比率は5:4:1となっているが、1の中に雇用保険や労災も入っている。なので、高齢者や子育て支援などに比率はもっと少ないはずである。

京極高宣『21世紀社会保障の給付・負担はどうあるべきか』
福祉の視点として
1. 低所得者への配慮を忘れない
2. 国民間の不公正の是正
3. 国民の自立生活を支援する。
また、基礎年金が生活保護よりも給付が少ないことから、制度上成熟していないことを指摘している。最低でも基礎年金が生活保護を上回るようでないと行けないはずである。社会扶助(生活保護)は本来的には社会保険の補完であることを想起すべきである。
また、もはや老人は社会的な弱者ではなく、自立した市民として位置付けられるだけの所得保障が行われていることを言及している。なので、一定の自己負担は不可避である。

山崎泰彦『介護保険から社会保障構造改革へ』
介護給付の利用者負担は定率1割である。これに日本医師会も含めて合意したことは、患者負担の適正化と老人医療の定率負担を促すことになろう。医療から介護への流れを促進する上で、医療給付と介護給付の利用者負担の整合性が不可欠だからである。
また介護報酬は要介護状態のほか地域などを勘案して算定される。供給コストを報酬に繁栄させるという当然の措置であるが、いずれは医療保険の診療報酬体系に地域差が組み込まれることになろう。

土田武史『公平性と効率性』
社会保障は元々公平性を基軸とした制度であり、貧困問題などを背景に社会が不安定化し、その対応を求める動きが強くなると、公平な分配を図るための社会保障制度が強化される。しかし、社会保障制度の展開にともない税や社会保険料の負担が大きくなり、社会保障給付や福祉施設などの無駄や非効率が経済活動を疎外するという主張が大きくなると、効率性を基軸とした社会保障改革の動きが強まる。
世界的な市場競争の中で勝ち抜かなければ、雇用の縮小や賃金水準の低下、社会保障水準の低下も免れないという主張が強くなっている。こうした市場の論理に打ち勝つことは中々難しい。しかし、そうした市場の論理も明らかにかげりが見えてきた。ヨーロッパでは、民主社会主義政党が政権を握ったと言うことは、社会保障の縮減に国民がノーを突きつけたことである。そうした意思表明は、市場の論理に取って代わるような論理に裏打ちされているわけではない。むしろ、論理的には社会保障の縮小が正しいかもしれないと認識しつつも、それを敢えて否定し、社会保障を維持しようと国民が選択した。根が年にわたって資本の論理に対してカウンターカルチャーとして培ってきた労働者の価値理念が反映されている。こうした、国民の選択を受けてヨーロッパの新政権は市場の論理に変わる新たな論理を模索し始めている。
2006.6.16

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