1998年ある意味ピークを迎える。

6月14日
恒例の仙台での日本拳法の試合であった。で、午前中に団体戦が行われ、鹿野の混成チームにもエントリーしている。
1回戦は、日大工学部であったが、私の相手は、勢いのある人であり、はじめの号令の後にまごついているうちに一本取られる(3本制)。その後、攻勢を凌いでいたが、その隙に左のハイキックをしようとして滑って転び、胴突きをくらってあっさり負けている。
鹿野の混成チームでの相手は自衛隊であった。今度は慎重に移行として、ステップのフェイントを試みているが、ワンステップでは引っかからず、ツーステップで相手が踏み込んできたところをバックステップし、相手の連打をかわしながら、カウンター気味に右の拳をぶつけて、一本取っている。その後、相手が攻撃をしてこないため、こっちも様子を見ながら間合いを外すなど、ぐるぐる回ったいるうちに、先生から私が消極的であると映ったらしく、攻撃しろと叱咤されている。もっとも、時間切れを狙っていたし、周りからも失笑が聞こえてきそうだったので、仕方なく攻勢に出たところ混戦状態になり、相手が上になり、私が下になり1本取られ結局引き分けになっている。ゲームとしては、逃げ切りを図るという戦法は悪くないはずであるが、格闘技のスタンスとしては恥ずかしいものであった。でも、練習じゃなくて勝敗がつく団体戦なんだから、ゲームとして考えても良いんじゃないだろうか。まぁ、まだ、日本拳法としては駆け出しだからガンガンやっていかないと行けなかったのだろう。
HとSに試合があることを伝えていたため、午後の個人戦に応援に来てくれる。午前中の反省を踏まえて、また、7月の大会を考慮して、タイミングをつかむこと、攻撃の機を逃さないことを念頭に臨んでいる。
1回戦は私よりも身長が10センチほど高い日大工学部であった。なめられたのかそれとも単に考えなしだったのか、ガンガンと突っ込んでくるタイプであった。無用に相手にはつき合わなかったが、微妙にヒットポイントをずらしながら当てさせながらも、タイミングを見計らって胴に一撃を放ち、一本。相手は、打撃で取られたことから今度は組み技に移行してくるが、ルールを活用して場外で仕切り直しをさせ、相手がもう打つ手がなくなったところで、ラッシュでこちらから攻めてアドバンテージを奪い、相手の動きを止め、右拳の面突きで一本であった。
2回戦目もガンガン来る日大工学部であった。序盤に相手に一本取られてからの試合展開であった。今度は、こちらの打撃はあまり取りにくいジャッジになっているので、相手の間合いにつき合わないように、慎重になっている。相手が間合いを強引に詰めて攻撃してきたところにかわしながら面突きを入れてタイに持ち込んでいる。その後、お互いに乱打戦になって決め手を欠いて延長戦に。先取り一本制であるため、慎重にいくが、試合慣れしていたのは私の方であった。少々演技が入れて当たったぞというアピールと共に右の胴蹴りで勝っている。
3回戦は、同門の兄弟子のIさんであった。ここまできたら、入賞まで後一息だったので、どちらも勝ちたいという高揚感、恨みなどない心地の良いものであった。そして、これまで様々な大会に出た中でもベストバウトに数えることの出来る試合であった。かれと試合をするまでの間、名前を呼ばれるまでの間、ぽつんと座っていた。静かな、そう、本当に静かな時間だった。そして、名前が呼ばれ、目の前に、同門の相手が立っている。持てる力の限りを尽くした。右の回蹴、ハイキック、左の胴回蹴、フェイント、ジャブ、ストレート。はじめはIさんに私の攻撃が見られ右拳のストレートで顔面を打ち抜かれ、一本先取される。圧力があり、状態が浮くのが分かる。その後は、回り込みながら機を見計らう。まず一本取らないといけない。手足がフル回転しながら、相手の攻撃をあしらっているうちに、一瞬状態が浮く。その機を逃さず胴突きを入れてタイにする。そして、その後はまたもや決め手を欠いた状態になる。熱しられた空間。気の遠くなるような時間。しかし、もう少しやっていたいという気持ち。不思議な力場であった。そして、延長戦に。急激に気力が萎えてきて、何とか持たせようと頑張るが、攻撃に力がなく、徐々に押し切られていき、つかまってしまった。同門対決ということで、後でビデオを見ると道場のみんなが盛り上がっていたのが分かり、もちろん私が応援されることもなく、やられ役であった。攻撃の一つ一つに一喜一憂している。しかし、そうしたことを越えて、あの空間が時々現れ出るから格闘技の試合は面白い。

7月20日
先月の良い状態のまま、剛柔流の東日本団体戦に参加している。しかし、相変わらず、気負いもなくのんびりとしたものであった、いつものように午前中は新人戦であり、計測の手伝いなどをしている。午後からの試合なので、昼食はのぞいて、徐々にテンションを高めている。
1回戦は、強いと定評のある宏武会Aであった。みんな師範、師範代クラスで、私たちがはじめたときからいつも上位にいる目標の人たちであった。しかし、2年前くらいから徐々にスピードやきれがなくて勝ちにくい状態にもなっていた。ちょうど、SとHは、ピークに達している時期でもあり、難なく勝っている。スピード、きれに経験が重なり上回っている状態であった。私は、大将であり、すでに二人が勝っていたので、消化試合であった。しかし、相手はせめて一勝ということで闘志にみなぎっていて。私の気のゆるみから、カウンター気味に2本立て続けに取られ、その後、私が1本返した後、かかと落としを顔面にくらい、2本。やばいナァということで、最近練習していたフックを使い、一発逆転を狙った。2発目の時に、うまい具合に距離が合い、カウンター気味に入り、相手が思わず膝をついたときに、思わず、胴に蹴りを入れてしまう。明らかな反則であったが、日本拳法の練習の成果でもあった。また、フックが入った瞬間「やめ」がかかっていたが、聞こえていなかった。味方からの叱責が強かった。しかし、試合後、相手はこだわらずに助かった。
2回戦は、力の差で勝つべくして勝ったという感じであり、対戦相手がどこであったか、そのときも分からなかった。しかし、内容として、Hがカウンターを主体とした試合を組み立てていたのに対し、相手が下がり気味になっていたため攻めあぐね、引き分けとなった。Sは、余裕で勝っているが、ここで本数をつけて負けるわけにはいかなかった。しかし、その杞憂は必要なかった。相手が目の前に立ったときに、どのくらいの力量で、自分がどのくらいかある程度予測できていたので、安心してやることが出来た。3回戦は、秀練会であった。今回は、一勝一敗であったため勝たないと行けない状態であったが、私の相手はそれなりに圧力があったし、クリンチの力もあったが日本拳法の首相撲で馴れているのでプレッシャーにもならなかった。しかし、相手がかなりエキサイトして、クリンチの状態で挑発的な言葉をかけてきて、私もカッとなって、何回目かのクリンチの時に相手をつぶして転がし、蹴りを入れて審判に厳しく注意されている。結果として勝ってはいるが…
そして、決勝は宏武会Bチーム。若い人たちを中心に構成されていた。このチームは、現在(2004年現在)剛柔流の常勝チームとなっている。Aチームとクロスしていた経験やスピードがBチームはすでに上回っていたというべきか。それでも、Hはだれつつあった気力と集中力を一点に集めてすばらしい動きをして勝った。しかし、Hは突っ込みすぎ、強烈なカウンターを喰らい続け、まさかの5本負け。ということは、私は必ず勝たないと行けない状況であったが、攻撃が単調になり、待ち蹴りの餌食となって惨敗してしまった。しかし、まぁ、抜群のチームワークでモチベーションも高く、誰かが負ければ誰かが勝つという相互作用の中でうまい具合に回転した。で、日記を見たら、はじめて新人戦、団体戦に出た後、誰かが欠けている状態で3人揃ったのは2回目であった。

9月27日
東日本の個人戦が行われているが、パソコンのダイヤリーに移行しあれこれ試行し、その当時の記録がない。しかし、確かうろ覚えであるが、一回戦は勝っているような気がする。たしか、激しい打ち合いで相手をうち負かせているような。

11月29日
日本拳法の大会があったが、全く記載されていない。どうだったかナァ。そこそこやっていたんじゃないだろうか。

この一年は、すごく充実していた。サンドバックが好きで暇さえあればたたきにいっていたし、日本拳法の先生も現役バリバリで稽古を付けてもらっていた。自主練習、練習量もこれまで以上であった。やはり、練習に勝るものなしである。

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