1997年将来妻となる人と友人以上恋人未満になる。

7月6日
東日本の団体戦に参加している。この大会からコンタクトレンズを入れて試合を行っている。メガネ党としてはかなり抵抗があったが、両目0.06の乱視でずっとそのまま試合に出ていたことを考えれば、今にして思うと、すごく無理をしていた。(その当時、SもHも目が悪いにも関わらず、コンタクトを入れてなく、本部のN師範代(当時)に広瀬のメガネの怪しいやつらといわれていた)もっと早く入れていれば良かったナァと思った。また、この大会では、学生の時のラクビー部で同じ下宿にいた3つ下のA君がすごい偶然で道場に入会していて、新人戦に出ていて、確か良い成績を収めていたような…。弱いッスねと飄々と話していたことが印象にある。私の方は、HがSとの練習で右腕を骨折して(Sの蹴りを肘で粉砕しようとして手にぶつかって折れてしまったと当時の日記に記載されている)、Hの代理で出場している。相変わらず、Hの家でゲームをしすぎて、3時間しか寝れなかったが、結果としては、割と充実したものとなっている。午前中の新人戦でみんないい動きをしているのを見て、こんな風に動けるか不安であったが、団体戦では、チームワークの良さから3位に入賞している。中堅で出場し、1回戦は、様子を見ている内に勝てるという確信を持って攻撃し、2-1で勝っている。2回戦は、先鋒が勝っているため、余裕を持ってしまい、その隙にハイキックをくらい、挽回しようにも空回りになり、負け、大将のSが引き分け、決定戦で再びSが出て勝っている。3回戦は、多分本部との対戦だったと思う。(あるいは秀練会か)とにかく格上の相手だったようで、当たって砕けろ精神で戦い抜き、4-3で負けているが、すごく充実していた。

7月12日
日本拳法では、防具中心の練習の毎日でかなり鍛えられていることが分かる。その頃、先生は全盛期を過ぎているとはいえ、全国で優勝するだけの力があり、先生との組み手は恐怖すら覚えていた。また、足腰が座っていないことが自覚される。どっしりと構え、適格で力強い攻撃凱歌に出来ていないことが実感されている。

9月15日
いつもの東日本個人戦が、全日本大会になり、オランダ人とか参加している。最も大きい大会であった。私の方は、よく練習に来るD指導員と1回戦で当たり、負けている。攻め込んでいきながらもかわされて、動きが止まったところを押し込まれてしまった。しかし、格上とか格下とか考えずに、打ち返していることを日記では評価している。

11月23日
日本拳法での仙台での大会に出ている。詳細については触れていないが、かなりハードヒットをしないと勝てないこと、全く勝てなかったことが述べられている。また、将来妻となるMが見に来ている。一般的に、かなり私の動きは滑稽なはずであるが、最後まで見てくれている。

ホーム