1996年 大学を卒業し地元に就職。日本拳法に入会する。

2月20日
卒業最後の剛柔流での練習。かなり日記ではセンチメンタルな記載になっている。Hとかなり本気でガチガチに組み手をしている。

7月20日
東日本団体戦のHとSの試合を見に行っている。Hのギリギリに神経を張りつめたようなカウンターやSの正統派(日記にはそう記載されている)の動きを見て、こんな環境でやっていたんだナァという感慨に耽っている。

8月3日
日本拳法の道場に入会している。左の前拳のみの練習ばかりであったが、最後に首相撲に参加し、駄々っ子のけんかのようなものであるが、非常に疲れたと述懐している。力と力の押し合い、掛け合い、崩し、もつれと分かりやすい。なにより、格闘技を再び始めたことに嬉しさを感じていた。また、サンドバックが大きく自主練によく行っていた。日本拳法に入会したことによって、月に1回仙台の方にも剛柔流の練習に行くようになり、バランス、間合いやスピードを調整していた。はじめは間合いとか攻撃の幅のなさに嘆いていた。(コンプレックスすら抱いていた)しかし、練習したことしか出せないし、それが最も早道であることも気づいていたようだった。

9月15日
東日本の個人戦に参加する。前日宿直明けで麻雀をして、そのまま仙台に行ったので、かなり体が重く、仙台に行ってから走り込んでHとスパーリングをしている。また、間合いもじっくりと待って、自分の間合いになるようにプレッシャーをかけていくことに戦術を変更している。でも、当日はすごく体がだるくてテンションが上がらず、Sと試合会場でスパーリングをしている。とにかく待ち時間が長く、気力とモチベーションを持たせるのにすごく苦労している。結果は、激しい打ち合いのうちに、一回戦を4対3で負け、その相手は、2位になっている。Hはくじによるところが大きいが、3位に入賞していると日記には記載されている。たぶん、くじだけではないんだろうけど…

11月22日
日本拳法でも本格的に組み手を行いだしている。しかし、剛柔流はクリンチしたらブレイクであるが、日本拳法では、クリンチからが勝負ということでその対応にすごく悩んでいる。組み技がうまい人や苦手だと思われると、混戦状態に持っていって、すぐに投げられて組み伏せられる。そのころ、私は全然組み技が苦手だったこともあって、エスケープするにはどの様な方法があるのか、どの様な間合いで戦えばよいのかを考えていた。

12月7日
仙台に行って練習をしている。このごろ、日本拳法の練習をまめにいっていることもあって、HやSとはまた違った視点で組み手が出来ている。これまで、才能とか体の器用さとかにこだわったいたが、結局は練習量と継続的な時間の幅にあったということである。学生の頃は、春、夏、冬と帰省して練習していなかったし、入会した時期も一年以上違う。この溝をうめるには、一緒にずっと練習をしていれば埋まるはずもなかったのである。

12月14日
足の甲にひびを入れている。練習の時に前蹴りを放ったときに肘で受けられてものと思われる。すでに、足首、右の肩などがいかれているが…格闘技と怪我は付き物である。

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