1995年大学4年生であり、卒論とかで忙しかった。

1995年1月29日
寒稽古を行っている。はじめての寒稽古で、しかもHの家で3時間しかねていなかった。荒浜で準備運動をしたあと、膝上まで海水に浸って正拳100本、受け20本行っている。その後初歩の型をした後、Hと組み手をしている。本気に蹴られていたかったと受懐している。そのあと、キャンプファイヤーで暖をとり、日本酒を少し飲んでいる。安酒にも関わらずおいしかった。この寒稽古ははじめてで最後の参加となっている。

1995年7月2日
私は、実習やらであまり練習しておらず、この年の団体戦は出場していなかったが、HとSは出場し、3位になっている。昨年は、西多賀に負けていたが雪辱をはらしている。しかし、秀練会にはストレート負けを喫している。しかも、Hはこの大会で肋骨を圧迫骨折をしていた。さらに7月の半ばから大道塾に入会している(当時行きつけの喫茶店のマスターの紹介もあり)。攻撃に対して消極的すぎることから実際に体にパンチやキックを当てることで度胸をつけようとしていた。しかし、ローキックは痛い。火曜、木曜の練習であったが、火曜日に行くと木曜日は歩けないくらいダメージが残っていた。さらに、土曜日は剛柔流の練習なので、火曜日、土曜日のサイクルであった。さらに、8月にはHと野外でのスパーリングをしている。今思えば、まわりから見ればけんかにしか見えなかったんじゃないだろうか。(日記の記載だけでも5回は行っていた)Hのカウンターで鼻血は出るは、私は本気でミドルを蹴っているし。ただし、こうした経験から間合いやスピード、タイミング、踏み込む勇気が出てきている。

1995年9月3日
個人戦に出場し、行きつけのマスターの奥さんと子供さんが見ている中、あっさりと1回戦で負けている。誰にどの様に負けているのかわからないが、すごく恥ずかしかったと日記に記載されている。また、テレビ放映が主目的であったようで、式典がメインですごく待たされたという記載がある。

1995年10月1日
昇段試験を受けに行き、黒帯になっている。そこからは、一切試験を受けていないし、これからもそのチャンスはないだろう。でも、全然気にならない。また、この時期卒論が忙しく、さらに院も目指していたので、勉強していた。大学にいてこんなに勉強したのはこの時期からであった。それまでは、麻雀ばっかりでした。それに伴って、12月を最後に大道塾には行けなくなった。また、12月12日に総本部で暇なときに主にSと出張して練習−組み手をしている。その頃のスター選手やら師範代とかと組み手をして楽しい時期を過ごしている。

1995年12月16日
空手の打ち上げでは、納め稽古を行っている。蝋燭を四隅に灯し、真っ暗な中、型を演じるというものであった。衣ずれの音、踏み込みの音、拳が空を切る音、気合、おぼろに見える姿そうしたことに空手の神聖さ、清らかさ、澄んだ間を感じている。

後半は、大学院の試験とかで忙しかったこと、春休み、夏休み、冬休みは帰省して練習をしていなかったこと。また、大道塾もとぎれがちであったが練習を重ねる中で免疫がついていることなどが記載されていた。また、相対的に、パワーが付いてきて踏み込んでからの巻き込み型の攻撃ははまれば結構うまくいっていることが分かる。しかし、あいかわらず、練習不足からHやSとの距離は開いていて、特にHのカウンターにはいつも餌食になっていた。しかも、Hはこの後2年くらいは個人戦などで成績を収めていく。先の先のカウンターがすごく冴えていた。Sはよく怪我をしていた。しかし、足技に関しては上達していることが記載されている。

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