新婚さんいらっしゃい:収録直前直後

 さて、取り敢えず2月2日(火曜)「新婚さんいらっしゃい」の収録は済みました。
 放送日は3月7日(日)12:55〜の予定です。ただし、地方によってかなり異なるので1週間遅れから4週間遅れまで色々あるようです(^^;;)。

 2月1日(月)
 朝6時起床するのはいつも通りだったのだけど、少し喉が痛い。ふみゅーまずい事に風邪気味のようだった。るなさんはもっと重症で結局起きてこれず、弁当を作るどころではなかった。とにかく、私は会社に行く。
 夕方頃会社から家に電話をするとなんと本当は追試の試験採点のためYMCAに行っているはずのるなさんが家にいた。
 風邪で熱が出たということであり、午前中に1回行き薬を貰ったんだけど2倍飲む必要があるので6時にもう一度病院に行ってくるとのこと。
 私はその日は仕事を調整したので、定時に会社を出て、軟禁場所のプラザホテルへと向かった。まさか、この時点で我々が泊まったことでホテルプラザの営業が1999年3月末に終わるとはこの時点では思っても見なかったのである。
会社から歩いて20分程、大阪朝日放送(ABC)の前にあるホテルである。実際「新婚さんいらしゃい」に出場すると貰える参加賞のことである。テレビではいつでもお二人で使える宿泊券なんて言っているが、前の日には拘束されるので絶対に必要な券なのである。けち臭いなあ。後、交通費も京阪神の夫婦には出ないというのが原則である。また、何があっても出なくてはいけないから、風邪程度で日程の変更などはできないのであるからちと今の時期は辛い。
 と、まあ私は6時20分頃にホテルにチェックインした。結局るなさんが来たのは、9時ごろになってしまい、遅い食事にありつく。ディナーは無料であるのが救い。後サービスでワインのハーフボトルが出てきたので一人で飲む。ディナー自体は5千5百円のものであったようで、結構満足。るなさんも風邪だ、熱があるといいながらむちゃくちゃ良く食う(^^;;)。パンは3切れ食うわ、最後のデザートなんぞ、私は1種類のケーキだけなのに、残っているケーキ全てとフルーツサラダまで食う。一体どこが病気なんだあ!
 と部屋に戻り風呂に入る。るなさんは明日の朝に入る事にし12時前に寝ようとするが流石に興奮して中々寝付けない。あ・・・寝付けたと思ったら、3時過ぎにるなさんたら布団アレルギーが出て大騒ぎになり起こされてしまう(;_;)。

2月2日(火)
 布団を取り替えて貰い取り敢えず寝る。7時30分に起き、私は朝飯を食べに行く。るなさんはお風呂。
 朝飯を食べながら周りを見渡すと、今日出場予定のもう一組のカップルを見つける。なんと若そうなカップルであったがここでは声を掛けないでおく。
 一応予定では9時にチェックアウトしておき、ロビーでABCのスタッフを待つという行程になっているのだが、ここで私がちょんぼをする。
 夕べそっておけばよかったのに、朝髭をそっている時にうっかり鼻の下を剃刀を変な滑り方をさせてしまい、見事に切ってしまう。血がどくどく(;_;)。
 まあなんとか9時までに血を止め、るなさんも朝飯を済ませて上がってきたので、取り敢えず私だけでも下に行こうとスーツケースをごろごろさせて1階に行く。チェックアウトを済ませる。因みに今回泊まったのは22階というスイートルームに近い部屋であった(がそんなにたいしたことはなかった)。
 もう一組を見つけたので、声を掛けると・・・
 「あ、(JR)西日本の人ですか」と・・・。「へ?」
 なんと、若いカップルはJR東海の23歳のカップルであった。私の年齢のほぼ半分(^^;;)。しかも旦那は男前である(^^;)。
 高槻(大阪)からきたという。なんと出場権は約1年前に取ったということであった。今回は と、るなさんも降りてきて合流。9時20分頃にディレクターの辻さんと多分プロデューサーの髭の人が迎えに来てくれました。タクシーに分乗して肥後橋にある大阪フェスティバルホールへと出発。
 B1Fにある舞台裏に入る。ちょっと雑談をした後に、これからのスケジュールを聞くと、まず、ここで(舞台裏)で台本に基づき練習をし、その後ステージで練習するということ。つまり2回だけ練習できるのだけど、台本は見せてくれないのである。
 最初辻さんが台本を流して読み、話を思い出しその後繰り返し台詞(?)を言うんだけど、これがまあ、40歳を越えた私には難しい(^^;;)。おぼえられまへん(^^;;)。とさんざんな結果であり自分でも情けない限りであったがるなさんは流石にうまいと感心する。まあ辛い練習も終わり、メークしてもらう。
 るなさんが私を「反町」みたいにしてくれというが、あっさり「無理です」と言われる(^^;;)。
 横では、若いカップルが練習しているが、ネタはあっちの方が良いわと感心する。まあ、それはそれということで、ステージの準備も終わったようなので、ステージで練習する場面となった。
 登場の仕方、帰り方等を教えてもらい、早速ステージでの練習。といっても三枝さんもまみちゃんもこの場では登場せず、プロデューサー(?)と辻ディレクターの二人が相手での練習である。向こうは台本を持っているが、こっちは持っていない。 と、台本通りでなくても良いというので今度は気楽にできた(^^;;)。舞台袖に戻るとADの若い兄ちゃんからは「旦那さんは本番に強そうですね」と言われたが裏を返せば台本の読み合わせの時は最悪と見ていたのだろう。それは言えるなあ。役者にはなれんわなあ、俺は。 と2組目の話を聞くとやはり面白いなあ。いいなあ、良いネタあってとこの時は本当に思う。 この後パネル明けクイズの練習を行う。

 さて、11時も過ぎて、台本を書いた尾上さんもやってきて緊張させるような事を言われたりして時間が過ぎていく。私は一向に覚えられない台詞の練習をするが、これがまた中々覚えられない。元々るなさんがしゃべると思っていたので安心していたのが不味かったのだけど、不覚である。
 12時に開場。客が4−600人位はいるらしいが実は見えない。注意事項をしゃべっているのだけど、舞台裏までは聞こえない。12時10分頃に三枝さんとまみちゃんが舞台裏にやってきて挨拶する。 「大場です」というと、三枝「まみちゃん(葉っぱの)おおばすき?」という古典的ギャグをかます。
 「まあ気楽にやってください」という三枝さんの顔はでかく、ドーランも凄かった。ところで、まみちゃんはテレビで見るよりも遥かに小さく細くかわいかったのが印象的である。本番中自分が話をしていない時は暇だろうから彼女の顔でも眺めておけばよいだろう、と思う(^^;;)。
 本番の時間が。我々は舞台袖へと移動した。

本番中・・・・

 大体我々は25分程度のしゃべりをした。が、が、が、台本は一体どうなっているの?というくらいに全然違うじゃないかに唖然としました。三枝さんは台本覚えているとか言われたんだけどなあ(^^;;)。兎に角こっちが主導権を取らないと悲惨な事になるということが良く判った一日でありました(^^;;)。まあ我々は流石に年の功でかなり主導権を握って話をしたんだけどねえ、あの若いカップルが悲惨であった(;_;)。
 パネルでは私は「13」と「4」を指名したのは勿論、メッセージを託したからでありまする(^^;;)。
 舞台裏でプロデューサ&ディレクタと我々とで記念撮影を行い、参加賞やサイン入り台本&サイン入り色紙(色紙は3枚で252円)を貰った。まりあちゃんに会い私はタクシーで枚方の家まで帰り、るなさんはまりあちゃんと食事&YMCAに仕事へと向かった。

 あ、そうそう、るなさんの前日の風邪はなんと知恵熱だと判明しました(^^;;)。


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