HOME SUMMER PICNIC INDEX LAST

SUMMER PICNIC FINAL

1990.8.11−12
福岡県福岡市早良区・シーサイドももち
入場者数 20,000人
入場料 ¥5,150(前売券) ¥6,000(当日券) ¥3,000(中学生以下当日券)
Guest:松山千春 五十嵐浩晃 中村あゆみ 壇太郎 吉田拓郎 井上陽水 嘉門達夫 チャゲ&飛鳥 ふきのとう 村下孝蔵 杉田二郎 小室等 宇佐元恭一 永井龍雲 下田逸郎 風 イルカ 山本コウタロー
主催 :ユイ音楽工房 BEA
後援 :福岡市教育委員会 NHK福岡放送局 ポニーキャニオン
協賛 :ふくや
協力 :JR九州 JAS日本エアシステム 西日本鉄道 近畿日本ツーリスト 堀川バス 堀川航空トラベルプラザ ジャムトレイン マスプロ 禅プロデューサーズ・カンパニー
企画制作:ユイ音楽工房 BEA
 
♪キャンプ場一番乗りは実は6月1日からの予定であったが主催者との話し合いで7月1日からになる
♪会場の広さから入場者数を2万人に限定したため途中からチケット入手が困難になる
♪キャンプ場のテントがひとつ燃えた 原因は提灯のローソクであった
♪観客が自主的に数日前から会場の砂利等の除去作業をする
♪前日こうせつがキャンプ場を訪問、「あの日の空よ」をみんなで歌う
♪NHK−BSで生中継があるが5時で放送終了のため最後まで中継されなかった
♪こうせつの武道館メンバーDIG・ITが再結成
♪開演前に会場内で結婚式
 



第1部第2部第3部
あの日の空よ
君といっしょなら
翔びそこねていた君へ
海と君と愛の唄
ヘイ・ヘイ・マイフレンド
夏休み
伝説の恋
星空列車
あの人の手紙
時は来たれり
(演奏Dig・It)
朝が来るまで
九州へ帰る友へ
何処にもいかない
今日は雨
僕の胸でおやすみ
名物せんべい
いつもふたり
幼い日に
(ゲストを数組はさんだ後石川さんと)
来年も来るよ
僕の気分はいつもラララ
神田川
おもかげ色の空
満天の星
たぬき囃子
君のいない街
僕は風になりたい
ひとりきり
マキシーのために
風をくらって
夢一夜
赤ちょうちん
あんたんこと好きっち
少女の名前はHalley
100万マイル気分
さよならに嘘はつかないで
男たちよ
旅するあなた
ピクニック・ナイト
オハイオの月
どうせ人生に迷うなら
遙かなる想い
夏の少女
ヘイ・ジプシー誘っとくれ
窓をあけてごらん
お前が大きくなった時
歌って笑って
あの日の空よ


SUMMER PICNIC 1990を語る

みなあい(99.6.7)
「夏の少女」あたりから涙があふれてきたけど一番期待していたラストの曲が「歌って笑って」で涙が止まったのがとても残念!
最後だから思いっきり泣きたかったのに・・・。
「出発」「時は流れて風が吹く」あたりを期待したんですけど。
 
格清幸子(99.6.11)
8・9回目は結婚・妊娠と忙しい&経済的な理由でいけなかった。
つわりと戦いながら、『次は必ず連れていってあげるからね!』とおなかの赤ちゃんに語りかけながら泣いた。
そして待ちに待った夏・・・・
6ヶ月になっていた子供は、長旅を乗り越えてくれるか・・
そんな不安と親の趣味というかエゴで連れていって良いものかどうか・・・
と言う思いが交差する中で迎えたファイナルだった。
しかしいざ福岡入りすると、何回か一緒に夏を過ごした仲間たちがそんな不安を吹き飛ばしてくれた。
子供を連れた家族同士お互いに協力し合って一人が子守りをしたら次はまた違う人が面倒を見ると言った具合でそれぞれが譲り合ってファイナルを楽しんだ。
子供がいることによる時間や行動の束縛からもそんな協力のおかげで乗りきれた。
みんなで楽しもう!そんな思いが伝わってきた。
うれしかった。
もうひとつ、ファイナルでしたいことが私にはあった。
それは結婚式!
一応お式はしたんだけど、サマピの会場でウエディングドレスを着たかった!
・・・ってことで実際の式ではドレスを持っていたにもかかわらず着なかった。
そんなわけで子供の持ち物に加えてビニ−ル袋に詰めこまれた私のドレスも会場入りしたのであった。(笑)
オ−プニングではドレスを着て会場の中を走った。
みんなびっくりしてたけどうれしかった。
子供を抱いた花嫁・・・・んんん?
でも花嫁姿の写真はたった1枚。
おなかを空かした子供に座っておっぱいを上げるにはドレスはあまりにスペ−スを取りすぎたから。
すぐにビニ−ル袋入りとなったかわいそうなドレス。
同じように会場で結婚式を挙げていたカップルがとても輝いて見えた。
良い思い出です。
 
ビー太(2001.8.16)
思い出といえば、FINALにして初めてキャンプ村へ参加した(3日間ですが)。
初めて仲間とTシャツを作った。背面には「祝・サマーピクニックFINAL」と入れたが、前面は「吉田拓郎・ともだち」だった(ごめんなさい)。
他の拓郎フアンからそのTシャツを売ってくれと言われたが余分に作っていなかったので丁重にお断りした。
背面の文字を見た他の観客にコンサートスタッフと間違えられ会場内についての質問をされた。
前日の吉田拓郎のリハーサル時に会場外壁によじ登って「拓郎!」と叫んでいたら係員から引きずり降ろされた。
オープニングでのジェット風船を気合を入れて膨らましていたら割れた。
おいちゃんの1部は興奮と飲酒の関係で頭が空っぽになった(あまりよく覚えていない)。
故村下孝蔵さんの「踊り子」は夜風に染みた。
全てのステージが終了し万歳を繰り返しながら来年の夏は何をすればいいのかとぼんやり考えていた・・・
 
マニラの唐川(2001.12.1)
吉田拓郎が「南こうせつに捧げる」と歌った、ロック調の「神田川」は、今だにかっこよいと思う(が、残念ながらCDもビデオも何も残っていない)。
この日は、拓郎・こうせつ・陽水が3人で歌った「夢の中へ」も貴重な音楽シーンで、当時28歳だった私は青春のクライマックスを感じました。
 
ああマニラにて<その2>(2002.9.6)
彼女と行くために切符を2枚買っていたが、行く彼女もいなかったので、一人で新倉敷から福岡に向かった。
春に腎臓を壊して会社生活を断念し、故郷福岡で静養中の元同期に当日電話した。
「今夜、こうせつに行くか?」
「南こうせつ?面白そうとねえ」
と、ふたつ返事で了解。途中から一人で盛り上がっていった僕に、
「お前、オールナイトとは知らんかったとよ」
「オレ、病み上がりくさ。そういう人間をこういうところに誘っていいと思っとると?」
などと(すっかり福岡弁で)文句をぶつくさ言われ、途中から一緒に見るのをやめたが、結局「満天の星」でキラキラをやっていたのを見逃さず、また一緒に見た。
2年後そいつは「公認会計士」になった。今年の年賀状に、「忙しい毎日です。あのコンサートが懐かしい」と添えてあった。
 

HOME SUMMER PICNIC INDEX