
天皇陛下は、この会見の場で、自らの命を捧げる代わりに日本国民の「生命」の救済を嘆願したと言われています。マッカーサーはその天皇陛下の真摯な態度に打たれて、天皇の戦争責任を不問にすることを決意したとなっています。
日本人は偉大なマッカーサー元帥の決断に感謝し、そして天皇陛下の今更ながらの大御心に感激したのでした。
米国での、日本人の心理、行動様式、メンタル構造、それらの研究については、あたかも「家畜」を観察するような冷徹なものが多く、それらの視点を踏まえて日本統治を行うべくやって来たマッカーサーが、この会見で情緒的に突如として変容して日本人に理解を示し同調したとはとても思えません。あくまでもそれは計算された政略的な結果としての結論だったと考えた方が理屈に適っています。
ある本に書かれていた記事では次のようになっています。
「昭和20年9月27日 天皇は東京赤坂の米国大使館にマッカーサー元帥を訪ねた。ここに掲載した写真は、その時米軍の写真班によって撮影されたものである。直立不動の天皇と、ゆったりと構えるマッカーサー。この二人の対照が国民に大きな衝撃を与えた。
衝撃的な写真
写真を見て、歌人の斎藤茂吉は「うぬー、マッカーサーの野郎」と日記に記した。一枚の写真がもたらしたもので、これほど衝撃的な意味をもつものはなかったであろう。少なくとも、日本人が国民的な規模で痛切にそれを味わったのが、マッカーサーと天皇が並び立つ写真であった。
それは細部まで計算された演出であった。日本人が抱いていた「天皇」という偶像を破壊するための、政治的なショーであった。国民はこの写真によって、あらためて日本は戦争に負けたことを知らされ、天皇をも従属させる力が現実に存在することを思い知らされた。
あわてた政府は、この写真を掲載した29日付け朝刊(朝日、毎日、読売の三紙)を発売禁止にした。まだ新聞紙等掲載禁止令が生きており、内務省の検閲が続けられていた。
然し、29日の朝になって、この処分を知ったGHQは、ただちに新聞ならびに通信に対するいっさいの制限を撤廃せよとの指令を出し、午後1時以後、発売禁止を受けた新聞を自由に販売してもよいと指示した。そして、この日から5日後の10月4日、GHQは内務大臣などの罷免を含む覚え書きを出し、東久邇宮内閣は総辞職に追い込まれる。
マッカーサーは、その回顧録に次のように記している。
「私は丁重に出迎え、日露戦争終結の際、私は一度天皇の父君に拝謁したことがあるという想い出をしてさしあげた。」
通訳として同行した外務省情報部長の奥村勝蔵の[初めの挨拶が一応済むと、元帥の語調がさっと変わり、演説めいた調子で滔々とやり出した。(中略)演説口調の合いの手に、私に向かって厳然と『テル.ザ.エンペラー』(天皇に告げよ)といった言葉が、鋭く私の耳に響いた。]との話は、マッカーサーの回想記と相当なズレがある。
会見のもつ意味
問題の写真はどのようにして撮影されたか。奥村によると、マッカーサーが客間の入り口に立っていて、「彼はまず陛下を居間の中央に案内し、自分はその脇に立った。すると、米軍の写真班がさっと現れて片膝を折りカメラを構えた。私はいそいで飛びのいたが、とたんにパチパチとシャッターが切られた。」
天皇はモーニングを着て直立、マッカーサーは開襟シャツの軍服、ノーネクタイ、襟元のボタンを外し両手を腰の後ろに軽くあてている。「天皇のメンツ」を失なわせるための意識的なポーズであった。
会見と写真が「天皇のメンツ」を失なわせるためだったことは、61年に発見されたジョージ.アチソンの覚え書きによっても傍証されている。アチソンは、占領開始と同時に公使の資格でマッカーサーのお目付け役として国務省から派遣されてきており、マッカーサーの答礼問題に関しても、「我々の立場としては、過度にならない限り、天皇がある程度メンツを失うことは望ましいと思う」とマッカーサーをけん制している。
しかし、この会見は GHQの意図だけで行われたものではない。「国体護持」をはかろうとする日本にとっても、会見の意味は大きかった。マッカーサーはこの会見によって、天皇の戦争責任の不問を決意する。またGHQにとって天皇は、占領政策遂行の上で必要不可欠の存在でもあったのである。
記憶から---
この写真は有名なので、いろんな人の意見やら論評やら、批判、賛意、コメント、など、図書館に行けば今でも豊富な資料を捜し出す事ができます。勿論、私の記憶もかなり鮮明に残っています。
戦後数年後、中学時代のある日の教室で、ある先生が、天皇とマッカーサーとの会見を例に出して、天皇の自己犠牲表明によって日本国民が滅亡の危機から救われたのだと、その天皇の計り知れない有り難さを涙ながらに話し出した事がありました。感涙にむせぶ--とはまさにこの事だと感心した位でした。
聞いていた級友一同の反応はどうであったか。
感泣し出した先生の姿を見て、突然どっと爆笑の渦が沸き上がったのでした。----それが当時の我々の反応のすべてでした。
その事実をどのように解釈したらよいのか、それはこれを読む貴方にお任せすることに致しますが。
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(2007.07)
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大辞林 ジー‐エッチ‐キュー【GHQ】
《General Headquarters》総司令部。特に、第二次大戦後、連合国軍が日本占領中に設
置した総司令部。マッカーサーを最高司令官とし、占領政策を日本政府に施行させ
た。昭和二七年(一九五二)講和条約発効により廃止。連合国軍最高司令官総司令
部。