終戦前後2年間新聞切抜き帳(16)

日本の軍事技術はどうだったのか

飛行機にそれを見てみる

上から

(1)紫電改
大馬力空冷発動機を装着しているので側面形が
ズングリしていて、グラマンに酷似している。
(2)連山改
正面から見ると殆どB-29型と見紛うばかり、
降着装置は近代的な三車輪式である。
(3)東海
機首のガラスばりに特徴がある。この広い視界
から潜水艦を発見するのである。
(4)桜花
魚雷のような胴体に小さい主翼をつけている。
桜のマークのあたりから先端までに一噸の爆弾
が入っている。操縦席の後側面に見えるのは
ロケットの空気取り入れ口である。
(5)橘花
発動機のようなものはタービンロケットで、
プロペラを必要としないので脚が短いのが
奇異である。

yahoo検索 と件数紫電改 126.000件
google検索と件数紫電改 111.000件

google画像イメージ検索と件数 紫電改 1.110件.
 
yahoo検索と件数 連山改 110件
google検索と件数連山改 161件

google画像イメージ検索と件数 連山改 2件.
 
yahoo検索と件数 偵察機東海  23.600件
google検索と件数偵察機東海 101.000件

google画像イメージ検索と件数 偵察機東海2件.
 
yahoo検索と件数 桜花 147万件
google検索と件数桜花 190万件

google画像イメージ検索と件数  桜花 45.900件.
 
yahoo検索と件数 橘花 75.200件
google検索と件数橘花 81.600件

google画像イメージ検索と件数 橘花 650件.

(2007.08)


.        諸元表
.          
.     
                    
                 終戦期の海軍新鋭機 生産競争に惨敗 質は世界の最高水準
 新聞紙面全文

 帝国海軍の終戦期における新鋭機陣容はどんなものであったか?つい先ほどまでは世界と国民の眼から厳重に閉ざされていたこの秘密の翼もいまいたましい敗残の姿を聯合国軍の前に曝して続々と接収されつつあるが、その中には国民には勿論のこと、聯合国側でさへ驚嘆するほどの優秀機の数々が見い出され、かっての逞しく強く頼もしかったこれらの「海の荒鷲」も今はそぞろに敗戦の哀れをもよほさせるよすがとなってしまった。

      -------------------------------------------------------------------------------
一体わが海空軍は昭和七年故山本元帥が航空本部技術部長時代に一大飛躍を決行し以来粒々辛苦の結果かの支那事変、大東亜緒戦期の華々しい大戦果を挙げたのであるが、その機体整備上のモットーとするところは大約左の二項目にあったのである、即ち

一、航続距離を大にして海洋作戦に適せしめること
二、飛行艇、水上機等の従来の海軍専用機種に拘泥することなく、性能の優れた陸上機を大胆かつ広範に使用するこ  と。
 
この整備方針こそは今日でこそ世界海軍の常識になってゐるが、昭和七年から大東亜緒戦期時代には全く世界的な新構想であってこれが日本海空軍をして一時「無敵」の名を冠せしめた鍵であったのであるが、その優れた構想も、緒戦の大戦果も間もなく訪れた「生産競争」の開幕と同時に米国の航空工業力の前にあへなく一片のデスクプランなり果ててしまったのである。しかしその技術的水準は常に世界空軍の一歩前か又は世界の最高水準と共に歩みを続けたことは割り引きのないところであった。かくて大東亜戦を迎へ、続いて米国陸海空軍との龍虎の過程において生産戦でこそ惨敗を喫したけれども、設計と新鋭機の部面では火の出るやうな「頭脳の日米戦」を展開したのであった。

 例えば、有名な零式戦闘機は緒戦期においてグラマンF4 型を苦もなく一蹴したと思ふと間もなく米海軍はグラマンF6 型を繰り出し零戦また改良に改良を加へて六次に亘る新型をもって応えてゐるが如きはこのよい例である。

 かくて終戦間際には

一、B-29 の頻襲の防衛
二、機動部隊への一挙反撃
 といふ殆ど当時の日本軍事力の総ての戦略目標を一身に担って機体設計も大きな飛躍を遂げんとしたその時、終戦の鐘が鳴り響いたのであった。
 終戦期の新鋭機で兎に角実物が出来上がってゐたものは総数三十八機種、このうちロケット機六、四発爆撃機二、B-29遊撃戦闘機三種があった。

 大平洋ひと飛び 「連山改」完成は僅か五機
 
『紫電改』(単座戦闘機)
 昨年末頃完成した戦闘機で前身紫電の改良型、B-29 の遊撃用である。一部をレイテ湾で使用したところ敵はグラマンF6 と間違へて少しも攻撃しなかったといふエピソードがある。

 『烈風改』(単座戦闘機)
 有名な海軍戦闘機の設計者三菱重工業の堀越技師の設計になる最新鋭機でB-29 の遊撃用、この機にははじめて離昇馬力二千三百馬力の三菱MK9A型二重星型十八気筒空冷発動機が装着されてゐる。この発動機はB-29の発動機と同級のもので、空冷発動機としては世界の最高水準を行くもの。

 『J-七型』(単座戦闘機)
 これは我が国では最初の鴨型機(先尾翼機)ともいひ機首に水平尾翼を持ち主翼と垂直尾翼は発動機と共に尾部にある特殊な形式、発動機はMK9A型、横須賀海軍第一技術廠鶴野技術大尉の設計で福岡の九州飛行機が試作、一号機が飛んだだけで終戦となった。最高速度七百四十五キロといふから世界の水準をまさに突破してゐる。

 『連山改』(四発爆撃機)
 中島飛行機の設計に成る七人乗り重爆、翼幅三十五米、全長二十二。九米、全重量三十二。二トンといふからB-29 にほぼ匹敵する。航続距離が非常に大で、爆撃機として六千六百キロメートル、偵察用に使へば実に七千百キロメートルを飛ぶ。勿論大平洋などは一飛びであるが僅かに五機しか出来てゐなかった。サイパン攻撃用に期待されてゐたもの。

 『東海』(潜水艦攻撃用)
 視界をよくするため機首のガラス張りに特徴のある双発機、若干実戦に用ひて戦果を挙げてゐるが、これも生産不足ではかばかしくなかった。九州飛行機の製作になる。

 『橘花』(双発ロケット機)
 特攻用の「秋水」と兄弟分、一基のロケットの出力は推進力にして四百七十五キログラム。普通の発動機に換算すると約千五百馬力
、最高時速六百八十キロメートルでロケットとしてはやや遅いが、航続距離が五百六十キロメートルある点に特攻用として絶大の意義があったが、今年八月十日三機完成して、初飛行を行った五日後に終戦となった。

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「橘花」と兄弟分の「秋水」

yahoo検索と件数  秋水  294
google検索と件数 秋水  296

google画像イメージ検索と件数 秋水 1.130件.
(2007.07)

 秋水の試作機。海軍が昭和19年7月、ドイツから潜水艦で持ち帰ったメッサーシュミット163Bの設計図などをもとに大急ぎで試作された。胴体がアルミ製。主翼は木製合板張りのロケットエンジン機であった。
 昭和20年7月7日、横須賀、B29への執念を込めて作られたロケットエンジン機「秋水」の第一回テスト飛行が行われた。優れた上昇力は、空の要塞に一矢報いん、の期待に応え得るものであったが、結果は墜落・・・。写真のように胴体の残骸を残した。
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 『桜花一型』(特攻用爆弾グライダー兼ロケット)
 これは有名な神雷特攻隊が使ったもの。一式陸上攻撃機(俗称葉巻型)に抱かれて敵地附近まで運んで貰ひ母機から放れると滑空で敵艦に突入する。途中で敵戦闘機に遭ったら少量の火薬ロケットで速度を出す(後に火薬ロケットはタービンロケットに換えられた)といふもの。滑空速度四百六十五キロ時、航続三十七キロ、横須賀第一技術廠と愛知時計で製作してゐたが間に合わなかった。



.                             雷神

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                     『桜花』を使った「神雷特攻隊」の記事
 この記事を読むと、『桜花』は有名なドイツのV-1ロケットと同じような攻撃効果を挙げるために作られた「人間の眼を持つロケット」だ、とあります。設計性能については殊更に云う程の欠点もないと思われるのですが、見出しにある通り、問題はロケットを抱いて飛んで行く「親機」、この場合は一式陸上攻撃機なのですが、それがいかにも時代遅れの飛行機であったために、戦場に到達する途中で、その大半は親子共々撃墜された、とあります。

●一式陸攻は、山本聯合艦隊指令長官が搭乗していて撃墜された飛行機で、多目的な爆撃機として活躍した名機でしたが、性能の点で、既に時代遅れになっていました。代わるべき新型が続かなかったのが悲劇でした。

 当時の飛行機設計の基本条件は、飛行距離を遠く洋上遥か彼方にまで到達できるよう最大限に軽くすることでした。その方針は間違っていたとは思えませんが、そのために飛行機本体及び操縦者の防御が疎かにされ、かつ過重な燃料搭載により敵の被弾に極めて弱かった、という決定的な課題を抱えました。一式陸攻は米軍では「ワンショットライター」つまり「弾が当たればすぐ火が付く」と笑われていた飛行機でした。

yahoo検索と件数 雷神 286万件
google検索と件数雷神 213万件

google画像イメージ検索と件数 雷神 45.100件.

(2007.07)



.                           富岳
●B-29に対抗して計画された『富岳』はB-29よりひと回り大きく、その最大の目的は大平洋をノンストップで横断して米本土爆撃を行おうとするものでした。下の図は、右がB-29, 左が計画だけで終わった『富岳』です。
.              
.                           
.                            左 富岳    右 B-29

                空しい構想『富岳』開発計画

 戦後明らかになった日本軍の試作機の中で、異色なのはこの『富岳』です。戦局を一気に挽回させるべく、アメリカ本土を直接爆撃するために考えられた超重爆機でした。『ゼロ戦』と『戦艦大和』がノスタルジックに日本人の心を捕らえているのと同じように、この『富岳』に果たせぬ幻を抱いて当時を懐かしむ風潮は、今の高年層の男性に確かにあるようです。

 満たされぬその夢は、逆転シリーズと銘打ってフイクション小説に何度となく登場してきますね。そのストーリーの大半は、アメリカ.タコマにある B-29の工場を『富岳』によって爆撃する、という筋書。
 この種の本が50数年たっても、飽きもせず店頭に並ぶのを見ると、架空の物語を読んで酔いしれる者が、今もなお結構多いという事の表れでしょうか。

 『富岳』の構想図は何種類かあったと思うのですが、上のイラストでは最も無難なスタイルとしてB-29のスケールアップのような形に描かれてあります。

 出来もしないのにアメリカ本土の爆撃を目指して国力不相応の飛行機の製作を考えた当時の指導層の心情にやりきれない空しさを感じます。いかがでしょうか・・・・。

yahoo検索 と件数 重爆撃機富岳 218件
google検索と件数 重爆撃機富岳 143件

google画像イメージ検索と件数 重爆撃機富岳 3件.
 (2007.07)



重複しますが、もう一度書き直してみました。

●近代兵器の生産に遅れをとった日本の技術的レベルは、欧米との比較では想像以上に低い水準にあった、というのが偽りのない事実でした。エンジン設計ではまるで技術の蓄積がありませんでした。自動車王国アメリカとは全く比較にならなかったのです。工作機械の水準及び台数、これもレベル以下でした。工作員、熟練工、これらの層の薄さも問題でした。更に、開発のスピード、これは技術の問題ではなくシステムの問題ですが、この方面の遅れとなるとどうにもならない宿命的欠陥を抱えていました。

 以下、それらを論じるとなるといくらでも並べる事が出来るような気がしますが、とにかく、当時の日本の技術水準では長軸のシャフト一本作るのが至難のワザだったとのこと。それすらなかなか出来なかったのです。日本の技術は世界水準だったが生産競争に敗れた、とする説には全面的に賛成出来ません。日本はその両方に敗れたのです。

 戦争中の日本の飛行機について。
 
●近代兵器の生産に遅れをとった日本の技術的レベルは、欧米との比較では想像以上に低い水準にあった---これが事実だったと私は考えています。
 日本には内燃機関(エンジン)に関する技術の蓄積はまるでありませんでした。
 自動車王国アメリカとは全く比較にならなかったのです。
 従って、液冷式のエンジンなどは、とても満足な設計も量産も出来ずに終わっています。
 工作機械の水準及び台数、これもレベル以下でした。工作員、熟練工、これらの層の薄さも問題でした。体系的な養成や育成の思想が欠如していたからです。

 更に、総合的な視野に立つ開発、附随する試作のスピード、これは単に技術の問題ではなく工業生産全体に及ぶシステムの問題ですが、この方面の遅れとなるとどうにもならない未熟さを露呈していました。
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 以下、それらを論じるとなるといくらでも並べる事が出来るような気がしますが、とにかく、当時の日本の技術水準では、四発重爆エンジン用の長軸のシャフト一本作るのが至難のワザだったとのこと。それすらなかなか満足に出来なかったのです。

 従って重爆の量産は当初から無理だったと聞いた事があります。
 日本の技術は世界水準だったが生産競争に敗れた、とする自国賛辞説(ノスタルジア)は理解出来ても賛成出来ません。日本はその両方に敗れたと見るべきです。
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 愚かな戦争をしたもんだ---今更ですがそう思います。乗った者が死ぬ飛行機を作って、それが優れていた、とは何と云う言い草でしょうか。身の程知れ、と我ながら云いたいくらいです。(話題になっている爆弾三勇士の流れなのかな。)
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 日本の技術力生産力の実態は、何も兵器に関するものに留まらず、現在に至るも、例えば、なかなか飛ばない宇宙ロケット一つを取り上げても分かる通り、巨大プロジェクトには日本は宿命的に弱いのです。得意なのは、どうしても小さなモノ---このあたりに凝縮されているような気がします。

 身の程を知る為政者なら、真正面から巨大な技術大国と戦争をする---なんて考えなかったでしょう。アメリカと対決するのではなく、ドイツやスイスに見習い、当時からカメラや時計等の開発に小国日本の国力を割いて、精密機器立国を考えたかも知れません。
 そうありたかったものです。
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 戦時中、私共子供が知っていた日本の飛行機となると、ゼロ戦、はやぶさ、雷電、飛燕、新指偵、呑龍、疾風、彗星....、それ位のもの。
 それが、戦後になって、その他にも多数の新鋭機があると分かって驚いたものでした。
 
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日本の軍事技術はどうだったのか
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飛行機にそれを見てみる。(写真省略)

 新聞紙面全文
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 終戦期の海軍新鋭機
 生産競争に惨敗
 質は世界の最高水準
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 帝国海軍の終戦期における新鋭機陣容はどんなものであったか?つい先ほどまでは
世界と国民の眼から厳重に閉ざされていたこの秘密の翼もいまいたましい敗残の姿を
聯合国軍の前に曝して続々と接収されつつあるが、その中には国民には勿論のこと、
聯合国側でさへ驚嘆するほどの優秀機の数々が見い出され、かっての逞しく強く
頼もしかったこれらの「海の荒鷲」も今はそぞろに敗戦の哀れをもよほさせるよすが
となってしまった。
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 一体わが海空軍は昭和七年故山本元帥が航空本部技術部長時代に一大飛躍を決行し以来粒々辛苦の結果かの支那事変、大東亜緒戦期の華々しい大戦果を挙げたのであるが、その機体整備上のモットーとするところは大約左の二項目にあったのである、即ち.....。

一、航続距離を大にして海洋作戦に適せしめること
二、飛行艇、水上機等の従来の海軍専用機種に拘泥することなく、性能の優れた陸上機を大胆かつ広範に使用すること。
 
この整備方針こそは今日でこそ世界海軍の常識になってゐるが、昭和七年から大東亜緒戦期時代には全く世界的な新構想であってこれが日本海空軍をして一時「無敵」の名を冠せしめた鍵であったのであるが、その優れた構想も、緒戦の大戦果も間もなく訪れた「生産競争」の開幕と同時に米国の航空工業力の前にあへなく一片のデスクプランなり果ててしまったのである。しかしその技術的水準は常に世界空軍の一歩前か又は世界の最高水準と共に歩みを続けたことは割り引きのないところであった。かくて大東亜戦を迎へ、続いて米国陸海空軍との龍虎の過程において生産戦でこそ惨敗を喫したけれども、設計と新鋭機の部面では火の出るやうな「頭脳の日米戦」を展開したのであった。
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 例えば、有名な零式戦闘機は緒戦期においてグラマンF4 型を苦もなく一蹴したと思ふと間もなく米海軍はグラマンF6 型を繰り出し零戦また改良に改良を加へて六次に亘る新型をもって応えてゐるが如きはこのよい例である。
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 かくて終戦間際には
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一、B-29 の頻襲の防衛
二、機動部隊への一挙反撃
 といふ殆ど当時の日本軍事力の総ての戦略目標を一身に担って機体設計も大きな飛躍を遂げんとしたその時、終戦の鐘が鳴り響いたのであった。
 終戦期の新鋭機で兎に角実物が出来上がってゐたものは総数三十八機種、
このうちロケット機六、四発爆撃機二、B-29遊撃戦闘機三種があった。
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 大平洋ひと飛び 「連山改」完成は僅か五機
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「紫電改」(単座戦闘機)
 昨年末頃完成した戦闘機で前身紫電の改良型、B-29 の遊撃用である。一部をレイテ湾で使用したところ敵はグラマンF6 と間違へて少しも攻撃しなかったといふエピソードがある。
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 「烈風改」(単座戦闘機)
 有名な海軍戦闘機の設計者三菱重工業の堀越技師の設計になる最新鋭機でB-29 の遊撃用、この機にははじめて離昇馬力二千三百馬力の三菱MK9A型二重星型十八気筒空冷発動機が装着されてゐる。この発動機はB-29の発動機と同級のもので、空冷発動機としては世界の最高水準を行くもの。
.
「J-七型」(単座戦闘機)
 これは我が国では最初の鴨型機(先尾翼機)ともいひ機首に水平尾翼を持ち主翼と垂直尾翼は発動機と共に尾部にある特殊な形式、発動機はMK9A型、横須賀海軍第一技術廠鶴野技術大尉の設計で福岡の九州飛行機が試作、一号機が飛んだだけで終戦となった。最高速度七百四十五キロといふから世界の水準をまさに突破してゐる。
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「連山改」(四発爆撃機)
 中島飛行機の設計に成る七人乗り重爆、翼幅三十五米、全長二十二。九米、全重量三十二。二トンといふからB-29 にほぼ匹敵する。航続距離が非常に大で、爆撃機として六千六百キロメートル、偵察用に使へば実に七千百キロメートルを飛ぶ。勿論大平洋などは一飛びであるが僅かに五機しか出来てゐなかった。サイパン攻撃用に期待されてゐたもの。
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 「東海」(潜水艦攻撃用)
 視界をよくするため機首のガラス張りに特徴のある双発機、若干実戦に用ひて戦果を挙げてゐるが、これも生産不足ではかばかしくなかった。九州飛行機の製作になる。
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「桜花一型」(特攻用爆弾グライダー兼ロケット)
 これは有名な神雷特攻隊が使ったもの。一式陸上攻撃機(俗称葉巻型)に抱かれて敵地附近まで運んで貰ひ母機から放れると滑空で敵艦に突入する。途中で敵戦闘機に遭ったら少量の火薬ロケットで速度を出す(後に火薬ロケットはタービンロケットに換えられた)といふもの。滑空速度四百六十五キロ時、航続三十七キロ、横須賀第一技術廠と愛知時計で製作してゐたが間に合わなかった。
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 「橘花」(双発ロケット機)
 特攻用の「秋水」と兄弟分、一基のロケットの出力は推進力にして四百七十五キログラム。普通の発動機に換算すると約千五百馬力、最高時速六百八十キロメートルでロケットとしてはやや遅いが、航続距離が五百六十キロメートルある点に特攻用として絶大の意義があったが、今年八月十日三機完成して、初飛行を行った五日後に終戦となった。
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私から一言
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●一式陸攻は、山本聯合艦隊指令長官が搭乗していて撃墜された飛行機で、多目的な爆撃機として活躍した名機でしたが、性能の点で、既に時代遅れになっていました。代わるべき新型が続かなかったのが決定的なマイナスでした。

 当時の飛行機設計の基本条件は、飛行距離を遠く洋上遥か彼方にまで到達できるよう最大限に軽くすることでした。その方針は間違っていたとは思えませんが、そのために飛行機本体及び操縦者の防御が疎かにされ、かつ過重な燃料搭載により敵の被弾に極めて弱かった、という悲劇的な課題を抱えました。

 日本で名機とされた一式陸攻は米軍からは「ワンショットライター」つまり「弾が当たればすぐ火が付く飛行機」と頭からバカにされていた飛行機でした。
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●「桜花」を使った「神雷特攻隊」の記事
 この記事を読むと、「桜花」は有名なドイツのV-1ロケットと同じような攻撃効果を挙げるために作られた「人間の眼を持つロケット」だ、あります。設計性能については殊更に云う程の欠点もないと思われるのですが、上記にある通り、問題はロケットを抱いて飛んで行く「親機」、この場合は一式陸上攻撃機なのですが、それがいかにも時代遅れの飛行機であったために、戦場に到達する途中で、その大半は親子共々撃墜された、とあります。---それにしても、親機の下に抱かれた子機に乗った特攻兵の心境はいかばかりだったろうか。
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●電子装置の遅れもひどいものでした。
 長波の電波探知機は戦艦大和等に搭載されていましたが、敵が使用していたのは常に短波レーダーでした。両者の分解能は全く違っています。
 又、日本の射撃は盲滅法に撃つだけ。然し、敵は初歩的ながら弾丸の先に赤外線によるセンサーを装着していたのです。それによる命中率には格段の差があったのは当然です。

 ソフトが絡む電子兵器に関しては対応策はゼロでしたね。理解すら出来なかったのでしょう。
 ....<設計と新鋭機の部面では火の出るやうな「頭脳の日米戦」を展開したのであった。>....これは残念ながらウソです。仮に、ウソと云う表現に抵抗があるとしたら、日本軍にとっては、あくまでもハード尊重主義。従って、それはソフトには及ばない偏重思想にすぎない、と申し上げておきましょうか。

 新鋭航空機開発の底辺に横たわっていたのは、大艦巨砲主義の流れから脱し切れない姑息な思想でした。そのハード重視の思想を裏打ちしたのは自爆による単なる突撃精神だったと思います。
 敵に対すてセンサーによる捕捉の代わりに、特攻兵による「人間の目」がそれを代行したとは今更ながら涙の出る悲劇としか言いようがありません。
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 因に、パレスチナでの自爆テロが問題になっていますが、国のため敵に対して自爆を決行すと云う行動様式はテロでも特攻隊でも同じだ、と考えます。国の指示、叉は自己決定、によるとは云え、いずれにしろ愚かな行為だと批判するにはあまりにも悲惨です。
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●B-29に対抗して計画された「富岳」はB-29よりひと回り大きく、その最大の目的は大平洋をノンストップで横断して米本土爆撃を行おうとするもの、との事。

 戦後明らかになった日本軍の試作機の中で、異色なのはこの「富岳」です。

 戦局を一気に挽回させるべく、アメリカ本土を直接爆撃するために考えられた超重爆機でした。「ゼロ戦」と「戦艦大和」がノスタルジックに日本人の心を捕らえているのと同じように、この「富岳」に果たせぬ幻を抱いて当時を懐かしむ風潮は、今の高年層の男性に確かにあるようです。
 満たされぬその夢は、逆転シリーズと銘打ってフイクション小説に何度となく登場してきます。
 そのストーリーの大半は、アメリカ.タコマにある B-29の工場を「富岳」によって爆撃する、という筋書きです。
 この種の本が50数年たっても、飽きもせず店頭に並ぶのを見ると、架空の物語を読んで酔いしれる者が今もなお結構多いという事を示しています。

 「富岳」の構想図(存在するのは構想図だけです。)は何種類かあったと思うのですが、よく見かけるイラストでは最も無難なスタイルとしてB-29のスケールアップのような形に描かれてあります。
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 出来もしないのにアメリカ本土の爆撃を目指して国力不相応の飛行機の製作を考えた当時の指導層の心情に大きな空しさを感じるのですが、どうでしょうか。

yahoo検索と件数 終戦期の海軍新鋭機 2.180件
google検索と件数終戦期の海軍新鋭機  627件

google画像イメージ検索と件数 終戦期の海軍新鋭機 2件.

yahoo検索と件数 終戦期の陸軍新鋭機 780件
google検索と件数終戦期の陸軍新鋭機 635件

google画像イメージ検索と件数 終戦期の陸軍新鋭機 2件.

yahoo検索と件数 一式陸攻  31.500件
google検索と件数 一式陸攻 29.400件

google画像イメージ検索と件数 一式陸攻 482件.

yahoo検索と件数 自爆テロ 625.000件
google検索と件数自爆テロ 484.000件

google画像イメージ検索と件数 自爆テロ 7.740件.

yahoo検索と件数 電波探知機 257.000件
google検索と件数電波探知機 340.000件

google画像イメージ検索と件数 電波探知機 232件.

yahoo検索と件数 鴨型機(先尾翼機)519件
google検索と件数鴨型機(先尾翼機) 1件

google画像イメージ検索と件数 鴨型機(先尾翼機) 2件.

yahoo検索と件数 V1号ロケット 108件
←--私の旧式マックでは出て来ません。ウインドウズでどうぞ。
google検索と件V1号ロケット 414件

google画像イメージ検索と件数 V1号ロケット 11件.
(2007.07)

大辞泉 レーダー【radar】

《radio detecting and rangingの略》電波、特にマイクロ波を発射して目標物に当て、そ
の反射波を受信して方向や位置を測定する装置。船舶・航空機の航法や気象観測など
に用いる。電波探知機。

大辞泉 ロケット 2 [rocket]

機体内の火薬・液体燃料などの爆発によって生ずるガスを噴射して、その反動力で物
体を推進させる装置。また、その力を利用した飛行物体。大気圏外を飛行することが
できる。


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