薬 師 堂 (2007.12.11) |
もとは桃雲寺という曹洞宗の立派な寺であったが、明治になって旧領主の木原氏の庇護を失い、1880年(明治13年)に同じ曹洞宗の万福寺に併合されて廃寺となった。
現在はわずかの寺域に薬師堂と二つの石碑を残すのみである。 −桃雲寺再興記念碑− 旧新井宿村領主の木原氏の初代は徳川家康の江戸入府に随行した旗本で、 幕府の大工棟梁として江戸城修築に貢献し、その功績により新井宿村全域を知行地として与えられ、以後代々に引き継がれた。 この木原氏四代目の義久が1664年(寛文四年)に新井宿村にあった古寺を再興して、初代の吉次の号(桃雲)をとって桃雲寺と命名。 これを後世に伝えるために五代目の義永が建立したのがこの記念碑である。 碑文には、木原氏五代の幕府における功績、薬師信仰の功徳、新井宿や大森近辺の当時の様相などが記されている。 江戸初期の記念碑としては様式が珍しく、 また当時の新井宿近郷の様子や旗本の領地支配の実態を知る好資料とされ、 大田区の文化財に指定されている。 −富士講碑− 1832年(天保3年)に新井宿村の富士講中が、 富士講中興の祖とされる食行身禄(伊藤伊兵衛)の没後百年の記念と、 村内安全を祈願して建立したものである。 碑の正面に刻まれている「仙元大菩薩」は富士山の尊称である。 富士信仰は食行身禄の活躍によって享保の頃に広く普及し、 江戸を初めとして近隣諸国に多数の富士講がつくられた。 碑文には、この碑の建立に桃雲寺の住職が積極的に関与したことなども記されていて、 当時の民間信仰の様子を知る資料とされ、大田区の文化財に指定されている。 近くには、 天祖神社、 新井宿義民六人衆の墓などがある。 |
参考資料:学生社刊 大田区史跡散歩 |
所 在 地 | : | 東京都大田区山王3-29-8 |
交 通 | : | JR京浜東北線大森駅下車、徒歩10分 (地図を参照) |