エッセイ

おとなのための動物園

 動物園は子供のもの、という感じが現在は強い。おとなの入場者も少なくはないしても、その多くは、自分自身のためというよりも、こどもの保護者として、止むを得ず訪れたに過ぎず、動物園でおとなたちは、動物よりもわが子の方を見ている。
 まずこういう雰囲気が強いから、おとなだけでは動物園はどうも居心地がよくない。それでも、休日は動物園全体にひとが多いから、目立たずに済むが、平日に、ましておとな独りで訪れると、この人は一体何だろう、といった感じになる。
 単に雰囲気だけのことではない。施設の面からしても、おとながのんびりと、しかも充実した時を過ごすことができるようにはできていない。
 本格的におとなを対象にした動物園を考えてはどうであろうか。というのも、動物園の動物たちはおとなの人生の大切なパートナーでありうるからである。疲れたおとなの心をなごませてくれる動物や、おとながものを考えるのに貴重な刺激を与えてくれるような動物たちのいる場所としての動物園。そして、次から次へとただ見て歩くのではなく、動物の前でのんびりと、望むならば長時間過ごすことのできる施設となっている動物園。また、動物に関する図書や映像資料などを備え、それらに静かにゆったりと触れることのできるライブラリーと、一流ホテルなみのラウンジやレストランのある動物園。
 規模を異にしたそういう動物園が都市の中に、そして郊外に、いくつかあって、美術館や劇場に行くのと同じような感じで行くことができたら、と私は思う。動物たちは何も芸をしてくれなくてよい。彼ら、あるいは彼女らそのものが、ひとのいかなる技をもってしても造りえぬ作品である。その見事さをまのあたりにし、こうした作品がこの世界に生きて存在しているということの意味をあらためて考えてみることが、まさにおとなにとって意味のあることではなかろうか。

日本動物園協会発行の雑誌『どうぶつと動物園』第39巻第10号(452号)/1987年10月 の
「動物だんわ室」欄に執筆したエッセイ


 ニューヨークに滞在中、ブロンクス動物園に行ってみた(1996年8月末)。上掲のエッセイで私が望んでいるようなコンセプトの動物園がアメリカなどでつくられつつあると聞いていたからである。
 ブロンクス動物園は全米一の規模の動物園ということで、たしかに、(サファリパーク型の動物園は別として)広大である。自然と動物の環境の保護ということも謳っており、見物する人間たちの視線をある程度カモフラージュする工夫などもされていた。
 ブロンクス動物園は、しかし、私が望んでいるようなコンセプトのものではなかった。もっとも、これでも、人工都市のひとつの極致であるマンハッタン摩天楼で疲れたおとなが、ここに来てたとえばキリンの姿を見れば、心が少なからずなごむにちがいない。都市型動物園では、その囲いの狭さがいつも気になるキリンも、ここでは、相当広い場所を与えられ、ゆったりと暮らしていた。


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