画像で考える日本の文化 ■ 土田麦僊『舞妓林泉図』から

増成隆士


 


 

 欧米の多くのひとびとにとって、いまなお、日本はおおむね十把ひとからげにされた「遠い東(Far East)」のなかに含まれているに過ぎない。中国、朝鮮、フィリピン、タイ、・・と日本のひとびとの顔、自然風景、衣食住、風俗習慣などを区別できるひとは、きわめて少ない。その事実は、欧米の映画などにも反映しており、日本人から見ると、とても日本とは思えないものが日本として登場する場面は珍しくはない。そして、このことは、相対化して、われわれ自身の場合について反省しておく必要がある。たとえば、日本人にとって、「欧米」「アラブ」はおおむね十把ひとからげではないか。
 日本は、ある時期から極端に、欧米(ないしは、西洋)に眼を向け、それとの対比・対照によって自己認識をし、また、それができると考えてきた。
 そのような思考方式の鮮明な一例を土田麦僊(1887〜1936、明治20〜昭和1)の『舞妓林泉図』に見ることができる。この作品がレオナルドの『モナ・リザ』を強く意識したものであることは明らかである。

 
 前景の人物坐像と後景の自然風景との不自然な(わざとらしい)組み合わせ。斜に坐った女性とそのあいまいな表情。一方、このふたつの作品は、重要な点で、きわめて対照的である。レオナルドは輪郭線をぼかす画法(「スフェマート」)によって、生命的なものの本質である動きを表現しようとした。加えて、暗く幽玄な彩色が世界の奥行き、立体的な実在性を感じさせる。これに対して、『舞妓林泉図』では細い輪郭線が、見える世界を静止した「表面」としてかたちづくっており、奥行きは捨象されている。色は明るく、淡く、軽い。背景に山水が配されているにもかかわらず、この世界には奥行き、実在感がなく、仮象的な表面としてしか存在していない。
 舞妓の人間性を完全に無視し、華麗な着物および山水と同レヴェルの「物」にして装飾的に一体化せしめたこの作品は、単に「きれいな」通俗的な装飾画に堕する寸前の性格の画である。しかし、その寸前のところで、通俗的な装飾画とは一線を画している。それはこの画家の技量によるよりも、この画家の上述の知によるものである。
 この舞妓図に「古きよき日本の美」を感じるひとは、その"しあわせ" に浸ればよい。日本のアイデンティティーを西洋との対比で析出せしめてきた(そして、いまなお、それは終わってはいない・・・)近代日本の知はこれでよかったのだろうか。そういう深い問いを私はこの作品から感じる。
 


 (土田麦僊『舞妓林泉図』は、『近代日本の美術 東京国立近代美術館所蔵作品選』 東京国立近代美術館、による。)

 


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