2003年8月7日 更新

  埴原さんのカメラとビデオの歴史   

 黎明期
1952年 8月 原宿慶応病院にて生を受けカメラを初めて意識したのは、4才 北海道苫小牧のことでした。紙の町苫小牧の社宅の庭に植えた「バラ」大きな花が咲いたときに、父親が私をとともに撮影したことを覚えています。
5才の時に石鹸箱にロール状にした紙を入れて写真を撮るまねをして鉛筆でそのときの風景を書き込んで遊んでいました。6才で小学校に入学するとすぐに東京へ父親が移動になり東京へうつりました。
この東京へ移動への餞別におもちゃカメラを近所のおばちゃんにもらったのが私の最初のカメラです。1958年頃
従って写真の趣味は、45年の長きにわたり私の趣味としてもっとも長く、一生死ぬまで続くと思われます。

1台目 「アニー10」
ボルタサイズ(35mm未穿孔フィルムに裏紙をつけたタイプでライカサイズのネガでした) 1速、絞りは天気マークで3ゾーン切替で、カウンターは、裏蓋の窓で裏紙のマークを見て巻き上げるタイプです。白黒フィルムでたしか12枚撮りであったと思います。

2台目は、「フジペット」 子供から写真に親しみ写真人口を育てようと始めたカメラの第1号
ブローニーサイズ 6X6 固定焦点 75mm F8 11 16 天気マーク付き 1/30秒とB シンクロ接点付き
運命のいたずらか、将来富士写真フィルム鰍ナカメラを開発するとは思いもかけませんでしたが、このフジペットで6年間
写真を撮りまくりました。

3台目は 「セミミノルタ」 スプリングカメラの中古品

 成長期
1964 東京オリンピックにあわせて、手巻きで自動露光補正付きのハーフカメラ 「ヤシカハーフ17」を父親が購入してくれて、自衛隊の「ブルーインパルス」のセーバーC21ジェット戦闘機の快晴の青空に描く5色の五輪を撮影した覚えがあります。
1969 都立田園調布高校時代写真部に所属して自分のカメラが欲しくなり、Asahi PENTAX SPを購入して新宿のヨドバシカメラに通い、新築にマンションに全天候型の暗室を作り本格的に白黒写真を現像から伸ばしまで始めました。レンズやアクセサリーを買い集め、このころ35mmサイズのセットがほぼ完成しました。詳細は下の表を参照願います。
1972年 千葉大学工学部写真工学科に入学。
1973年 春 約一ヶ月間 ヨーロッパへ旅行、リバーサルフィルムで50本ほど撮影して個展を開くかと思いましたが、まだ物足りなさを覚え中止、結婚を条件にカメラマンとして援助しても良いとの申し出が旅行に同行した人からあったがまだ20才でありまだ結婚を考えていなかったので丁重にお断りしました。このとき受けていれば、カメラマンとしてそこそこ生きていたかもしれません。
135サイズの解像力や階調表現に限度を感じて中版カメラのPENTAX 6X7を購入し自宅の暗室にて、独自の処方を検討して白黒の世界をほぼ修了し、カラーの世界へ飛び込みました。自宅でカラープリントの大伸ばしをおこなったり、2浴のカラーペ−パー処理の処方を研究したり、ポートレート写真の撮影教室に参加したり、ヌード写真をスタジオをかりて撮影するなど、写真家として技術と技能を磨きをかけました。

 成熟期
1976年富士写真フィルム鰍ノ入社 入社試験の時に110サイズのカメラをどう思うかとの質問にミノックスBLを取り出してミノックスでも問題ないのだから110サイズは問題ないと答えた、その試験官が入社後配属先の上長になるとは思いませんでした。役員面接でも、説明用にプリントを貼ったアルバムも持ち込み、実例でフジ黒白のネガの欠点を指摘して役員の中にどよめきが起こったのを覚えています。良く採用してくれたと思います。
4年間 古川橋でカラーネガを担当し今まで得た知識を思う存分発揮し評価のための写真の撮り方を獲得し、順調に進んでいるかの様に思えたのですが、突然の辞令で足柄へ飛ばされました。
1979年からの4年間の足柄時代に、乳剤の作り方、フィルムの作り方を覚え、良き伴侶を得て足柄から東京へ戻る。
この間、古川橋時代に得た知識で足柄工場の評価方法を改善して評価能力を高めましたが、写真を撮ることがあまり出来ず、2週間の休暇を取って、ヨーロッパへ2回目の旅へ出かけました。このとき購入したのがプラウベルマキナーです。
1983年 カメラの担当となり8年間、1000円の「写ルンです」から50万円の「フジ GX680 PRO」まで開発に関わり、カメラに魂を込めて開発しました。我が家に当時開発に関わり魂を込めた商品の一部が残っています。

カメラの歴史

機 種 名 FILM SIZE 焦点距離 絞り シャッタースピード 購入時期
01 アニー10 35mm 不明 天気マーク 1/30? 1958 ボルタフィルム使用
02 フジペット 6X6 75mm 天気マーク 1/30 1960 天気マーク F8,11,16の3ゾーン
03 セミミノルタ 6X4.5 75mm F3.5 B 1〜1/200秒 1962 おじさんからもらう
04 ヤシカハーフ17 135 ハーフ 24mm F1.7 1/30〜1/800 1964 新幹線も止まる高速シャッターとCMしていました
05 Asahi PENTAX SP 135  50mm F1.4 1〜1/1000 1969
06 Asahi PENTAX SL 135  1〜1/1000 1970
07 タクマー135mmF3.5 135mm F3.5 1969
08 タクマー28mmF3.5 28mm F3.5 1970
09 マクロタクマー100mmF4 100mm F4 1972 ベローズ、接写リングも購入
10 ミノックス BL ミノックス 17mm F4 1〜1/1000 1973 海外旅行のおみやげ
11 Asahi PENTAX 6X7 6X7 105mm F2.8 1974
12 タクマー6X7 55mm F3.5 55mm F3.5 1974
13 マクロタクマー135mmF4 135mm F4 1975
14 プラウベルマキナー 6X7 80mm F4 1980
15 FUJICA 110 FALSH 110 24mm F4/11 1/100 1982
16 フジ GS645J 6X4.5 75mm F3.5 1〜1/500 1983
17 フジ GS645S 6X4.5 60mm F3.5 1〜1/500 1984
18 フジ カルディア Hite FL 135 35mm F2.8 プログラム 1985
19 フジ タンデム FL 135 38/76mm F2.8/5.6 プログラム 1986
20 フジ 望遠カルディアスーパー 135 35/100mm F3.5/11 プログラム 1987
21 フジ トラベルミニ 135 28/45mm F2.8/4.5 プログラム 1988
22 フジ HD−R 135 38mm F2.8 プログラム 1989


  埴原さんちのカメラとビデオ TOPへ戻る