2003年8月23日 更新

    パーソナルコンピューター履歴書 

 黎明期

コンピューターに初めてさわったのは 1975年大学の卒業研究用の資料を作成するフォートランでプログラムを作成したのが初めてです。
レーザー光線を使ったフーリエ変換型の光メモリーを作成するために取り込む書籍などの1ページ毎の露光レベルを決めるために画面に文字「e」のしめる割合が一定で入れるがランダムになるように印刷するプログラムを作成しました。同時のプログラムは、命令一行毎に一枚 パンチカードに穴をあけて命令を入力する方式でした。
従って100行のプログラムを入れ込むには、100枚のカードにパンチを入れる必要があり、順番を間違えたり、一部が無いとプログラムが動かない代物でした。また、コマンドに間違いがあると、エラーが発生したカードがはじかれて飛び出してくる状態で、スピードも遅く、100%〜50%まで5%おきに印刷させるのに、1晩かかる等、おもりが大変でした。
1976年入社した当時、まだ会社にも電卓と複写機(ジアゾ染料方式が主流でXEROXがやっと部署に1台)程度でした。先見性のある先輩が、パソーナルコンピューターの草分けのZ−80を使ったシステムを動かしていました。8ビットマイコンで最大メモリーが64Kバイト、命令は、紙テープで記録するか、カセットテープに記録する方式でスピードが遅く計算機で計算する方が速いと言われました。
言語としては、フォートラン、コボル、等が主流で、フォートランをまねたフォーカルとかいろいろな言語が発生したら消えていく群雄割拠の時代で、このころビルゲイツが、後のパソーナルコンピューターの言語として発展する、BASICプログラム言語を開発したと言われています。
 成長期

日本においてパソーナルコンピューターをここまで発展させた原動力は、NECを抜きに話を進められません。今では、パソコンメーカーのシェアの上位グループで一位争いをしていますが。1980年に初めて16ビットCPUをのせたパソコン NEC PC−9801シリーズが発表されたときの衝撃は、PEN4の発表よりも衝撃が有りました。やっと業務の一部をパソコンに任せることが可能なCPUが出てきたとビジネスショーでも大評判でした。当時ほかに対抗する有力企業もなくシェア90%を確保するなどCPUを独占していました。
記録媒体も、カセットから8インチと同じ容量が記録できる5インチHDフロッピーディスクへ変わるなど、一太郎、LOTUS123等業務に利用可能なアプリケーションソフトがあらわれ、ワードプロセッサーを駆逐して行きました。OAだけでなく実験データを取り込んだり、測定したデータを整理するなど、それまで大型のミニコンを使用する以外処理することが出来なかった領域のLA(ラボラトリーオートメーション)にPC-9801を使い、BASIC言語でプログラムを作成するのがはやりました。
このころ、レンズの解像力を測定したり、騒音を測定するLAのプログラムを3本ほど開発して実用化したり、インドネシアの工場に持ち込んだ測定装置のプログラムをインドネシア語の変換したりしてプログラムを一生懸命作成出来た時期でした。
当時パーソナルと呼ばれても価格が高く、一式揃えると100万円ほどして、車1台が買えるほど高価でした。
会社のお金で、パソコンを揃え技術を取得してある程度会社に貢献してノウハウをため込み、1990年清水の舞台から飛び降りる様な気持ちで購入したのが NEC PC 9801 EX です。

我が家に入った初代 CPU PC9801EX


当時としては、3.5インチFDDが搭載され、CPUも 286 12MBで最新鋭でしたが、すぐにCPUが32ビット化して 386 486 PENTIUM と性能アップが進み時代に取り残されていきました。アドオンCPUで最終的には50MBまでクロックアップしましたが、WINDOWS 3.1までしか対応出来ず、現在は、大宮で騒音測定システムのバックアップシステムとしてその役割を待っている状態です。

2台目は、エプソンのPC−9801互換機を購入してCPUも486 100MHzへアップしました。
このCPUでWINDOWS95を導入してMIDI楽器を操り、パソコン通信、インターネットと発展して行きました。

 成熟期 パソコンの自作と家庭内LANの開始
1998年 自作DOS−V 一号機は、MMX PENTIUM 200 MHz SIMM 128 MB HDD 2GB と当時としては高性能でしたが、これもすぐにクロックがあがり、自作もSOCKET7 AMD K-6V 550MB SLOTO 1 インテル PENTIUM U Vとすすみ最終的にPENTIUM W 2.0Gまで自作しています。
現状の保有台数は、合計 10台が稼働しています。子供にDOS−V 3台、妻にノートパソコン1台、古いPC9801時代のソフト用としてEPSON PC486HX 1台、サーバーとサーバーの予備機、ソフトインストールや調整用に1台、映像、音楽の修正用のPEN4 2Gとその予備機1台と計10台が家庭内LAN で繋がっています。補修用や調整中もあり今現在何台あるか不明です。これだけあるとウィルス対策やメンテナンスで結構時間が費やされます。
でも近所の子供が来ても、その子にもパソコンを与えらるなど、近所の子供には人気のスポットになっている様です。
通信も 2400BPSから 64Kbps  ISDN FRETS を経由してADSLを飛んで 100mbps B FRETSまで進みダウンロードにその威力を発揮しています。

 埴原さんちのパーソナルコンピューターのTOPページに戻る