令和7年度・久喜市レクりエーション協会総 4/12(土) 総合文化会館

  久喜市レクリェーション協会の
 令和7年度総会(評議員会)が
 12日(土) 総合文化会館広域
 展示室で開催され、加盟団体
 (久喜市綱引連盟) 代表理事と
 して出席しました。

  総会ではまず倉持会長が挨拶 ―左― 会長を議長とし、6年度と7年度に関する4議案
 7・8年度に関する議案(人事)の5議案が提出され―右― 全て全員一致で承認されました。 
  来賓祝辞を議長・教育長・県議より頂きました。時節柄議長、県議より新年度予算について
 話がありれました。久喜市は727億9500万円、埼玉県は2兆2308億円、共に過去最高
 との事です。久喜市は対前年比118億円19・4%もの増、県は5・2%の増とのことでした。
  久喜市の主な支出は新焼却炉・義務教育学校・中学校体育館エアコン等の整備費、県は
 広く防災と子育て支援と説明していました。大きくなる、増える事は良いことです。しかしレク協
 への市からの補助金は40万5000円、「スポ協」や「スポ少」から比すと極めて低額です。
  これは14年前の合併の際、市民団体への補助金は4つの町の合計額とされ、「レク協」は
 旧久喜市しかなかったため、この額となりそれが続いているためです。対前年比**%増
 として頂きたいところですね。
  所で久喜市レクリエーション協会の加盟団体は現在10団体です。「グラウンドゴルフ」や
 「太極拳」といった大手の組織が、スポ協に移行しています。これは上部団体の県組織が
 「国体」との関係でスポ協に移行したためで仕方ないところでしょうか。またかって隆盛を
 誇った「社交ダンス」、「フォークダンス」も組織の高齢化から脱退しています。久喜市レク協
 としては組織弱体のそしりは免れません。来年は「ねんりんピック」が埼玉を会場として開催
 されます。久喜市も「レクリエーションダンス」の会場として決定されており、今年はプレ行事も
 計画されています。チャンスです。ぜひレク協の組織拡大と補助金アップに努力してください。

  
 第10回「喜びの町・久喜マラソン大会3/23(日)市民Gスタート・ゴール

  数えて第10回となる「よろこびの町・久喜マラソン大会」が、すっかり暖かくなった23日、「総合
 運動公園市民グラウンド」をスタートゴールとする各コースで行われました。この大会は2016=
 平成28年に、当時の田中市長の下に始まりました。丁度コロナに襲われ、マラソン大会その物は
 中止となりましたが、自己申告というオンラインで何とか実施したという年もありました。(令和2年
 第6回大会) 私は大会開始当時はスポ少本部長にありました。大会副実行委員長として長く
 本部に詰め、この大会に関わってきました。何よりも開始に当たって、当時教育委員会にあった
 市民スポーツ課事務局と、連日コース設定に駆けずり回った懐かしい思い出があります。
  今年はボランティアとしても離れ、1人の観客として大会を見させていただきました。






















  どこでレースを見ようかと思いましたが、市役所に車を起きここの前としました。全レースが見ら
 れるからです。「市役所通り」を運動公園方向へ300m程行くと、加須市へと長々と続く遊歩道
 がある「新川用水」です。ここが1500mの距離となる「小学生1500m部門」と「ファミリー
 部
門」の折り返し点です。―上・左と中―が1500mの折り返しです。中央のソロ色プレーカーの
 方は折り返し点の大型コーンが倒れないよう支えている役員です。スクーターは先導する役員
 です。「千葉市J陸上クラブ」とか、「野田市・市川市・鶴ヶ島長久保小」とか結構遠くからの参加者
 が目立ちました。
 
 同じ距離、同じ折り返し点がファミリーです。―上・右と中・左― ところで市長のマラソン好きは
 有名です。てっきりハーフに出ると思っていましたが、ご長男の手を引いて目の前を走り抜けて
 行きした。未だ幼稚園児ですがスポ少野球で頑張っている子です。やっぱり可愛いのですね
 ―中・左―です。2~3歳の女の子をお父さんが抱っこして走ってきた若い夫婦です。「ここから
 少し走ろうね」とお父さんが言っていったん下ろしたら、「やだー、抱っこ」としがみついていました。
 ゴールまであと750m、お父さんがんばってください。
  市役所に戻り「ハーフの部」の大部隊が通り抜けていくのを応援しました。今大会参加者は
 3900人と聞いています。その7割以上がハーフです。スタートから1キロ以上ですが、やは

 大部隊が走りけていきました。―中・中と右― 
  同じところで3キロの部も応援しました。これの折り返し点は市役所と県道杉戸線(4間道路)
 との中間付近にあります。「3キロ」はやはりどことなくのんびりしていました。大会スポンサーの
 「Y」との関係で提燈祭り関係者が大分参加していました。その遅いこと、遅いこと、「お前ら
 真面目に走らないと山車引かせないぞ」と脅かしたら、「無理ですよ」なんてにやにや笑っていま
 した
―下・左―
  ここでしばらく待ってハーフの帰りを応援することとしました。今年は寒い日が大分続きましたが
 今日は気温上昇、走る人には大変だったと思います。おなじみゲストランナーの「川内雄輝」さん
 今年は仮面ライダーのショッカーのコスチュームで走っていましたが大分辛そうでした。
  市役所前では「久喜高校の吹奏楽部、久喜ベンチャーズ」が演奏で選手たちを応援しました。
 こういうの手作り感があっていいですね。
―下・中― 間もなく白バイ2台の先導で1位の選手が
 帰ってきました。市役所―久喜駅前―コスモスロード―鷲宮神社折り返し、ご苦労様でした。
 ゴールまでアト1キロです。
―下・右―
  てなことで今年は初めて1応援者として、また市民グラウンド以外の場所で久喜マラソンを
 楽しませていただきました。ありがとうございました。

     ◎ 埼玉県スポーツ協会創立100周年  3/16(日)
         100周年記念表彰「功労賞」 受賞の栄に浴しました。  

  公益財団法人「埼玉県スポーツ協会」(会長・大野元裕県知事)は、大正14年・1925年
 「埼玉県体育協会」として創立されて以来、本年をもって創立100周年を迎えました。
  創成期の頃、太平洋戦争による大きな打撃、終戦、昭和22年=1947年新生埼玉県
 体育協会の創立、昭和39年=1964年・東京オリンピック開催に始まるポーツの隆盛
 は昭和42年・1967年の埼玉国体とつながり、大きな県民スポーツの拡大に至りました。
  その後昭和50年=1975年の50周年記念事業、平成16年=2004「彩の国国体」開催、
 そして平成31年=2019年、名称を「体協→スポ協」と変更するなど、順調な歩みを続け
 てきたことはよく知るところです。また「スポ協」最大の内部組織である「スポーツ少年団」は
 昭和37年・1962年東京オリンピックを記念し、同時に「日体協創立50周年記念事業」の
 1つとして発足しています。我が埼玉県スポ少は日本最大の都道府県本部として、全国を
 リードし続けていることはご承知の通りです。
  その埼玉県スポ協は東・西・南・北63市町村協会、47競技団体、6学校体育団体、
 計116団体が加盟、県知事が会長を勤める大きな組織として、競技力の向上、県民の健康
 体力の維持増進といった活動に当たっています。
 
  私はサッカー協会代表として「久喜市体育協会」の常任理事を長く務めていました。そして
 昭和56年理事長に就任、「総合運動公園建設促進運動」に取り組みました。今思い出しても
 身震いがするほど熱心に取り組み、今の総合運動公園誕生を見たのですが、余りにも熱心に
 活動しすぎたため体調を崩し、ドクターストップで理事長を辞しました。その後無役だったの
 ですが、この時の活動が認められ副会長に請われ就任しました。しかし同時期市スポ少の
 本部長に就き、県本部の役員にもなったため、活動分散を嫌い6~5年で辞しています。
 ですから私は久喜市体育協会役員として、県協会役員にはついていません。が昭和63年に
 会長・「相川曹司」、教育長・「荒井修二」名で県体育賞を受けています。
   スポ少の方です。こちらは熱心に取り組み、県副本部長を17年務め、年齢制により退職し
 ました。その最後の2年間、本部長の病気―活動休止―逝去という中で、本部長代行を勤め
 県スポ協の全ての会議に出席しています。「上田清司」会長、「三戸一嘉」専務理事の時でした。








  さて100周年を迎えた県スポ協は多くの記念事業を実施しました。
 1・記念式典と祝賀会  2月23日 埼玉会館大ホールとロイヤルパインズホテル
 2・100周年記念誌の発行
 3・機関誌「ポーツ埼玉」100周年記念号の発刊
 4・県スポ協章の作成   国民スポーツ大会選手団ユニフォームのリニューアル等々です。
  またスポ少も関東ブロック種目別大会、13種目別記念県大会等でこれに参加しています。
  
   私は県スポ少の役員を辞して7年になります。今回一切の連絡を受けていません。記念式典
 祝賀会のみ、旧きスポ少の友人に誘われました。体協・スポ協本部事務室には4半世紀通い
 詰めた人間です。当然お伺いするところですが、たまたま私が主催する地元の行事と重なり
 欠席しました。先日県スポ協事務局から大きな封筒で書類が届きました。何だと思い開けて
 みると、何と記念式典当日に行った100周年記念表彰(功労賞)の表彰盾でした。私も功労者と
 して表彰されていたんですね。最も前記した巨大組織全ての対象者を表彰したわけで、その数
 2000名以上と聞いています。市スポ協の枠ではなく、県スポ少からの推薦と聞きました。
  写真左・左半分のマークが前記した今回選定した埼玉県スポーツ協会章ということになります。
 引退した身ですが、記念表彰の栄に浴したこと感謝申し上げます。
  100周年を契機に県スポ協の益々の発展充実を祈念いたします。表彰、ありがとうござい
 ました。

       ◎ Jリーグ1部 2025開幕 2/15(土)

  J1・2025は14日(金) 「大阪ダービー」を持って開幕、翌15日(土)はV3を狙う「広島」と
 「浦和」との開幕戦も行われ、好試合となりましたが0-0で引き分けています。私はもう何度か
 述べていますが、サッカーというこの不思議な魅力を持つ競技を久喜市で代表する人間と
 されています。久喜市サッカー協会の会長を40年務め、最初の少年サッカークラブを立ち
 上げたことなどに拠ります。しかし私はサッカーをどの時代でも正式にはやっていません。
 たまたま30歳くらいまでこちらは熱心にやっていた、山登りのトレーニングにと地域の仲間と
 サッカーケームを始めたのです。「クラブを創ろう」と進んだ際、1番暇だから(学生)岸さんが
 代表を、となり今日まで来たということです。しかし私は「子どもを大人に、大人を紳士にする」
 サッカーに夢中となり今日まできたわけです。そんな私ですからJリーグが始まると、順位予想を
 立て、放映がある限りテレビ観戦し続けてきました。
  さて今年です。このところ若手の成長株が海外に流出、またかっての「鹿島のジーコ」、
 「浦和のブッフバルト」、最近では「神戸のイニエスタ」のような大物の参入もありません。戦力
 が極めて平均化し、予想は大変難しいものがあります。そんな中で去年まで2連覇を果たし、
 今年で3連覇となる「ヴィセル神戸」、昨年2位で先週行われた「富士フィルムスーパー杯」優勝
 の「サンフレッチェ広島」が優勝争いの軸になると思われます。共にブレイヤーが定着し安定し
 た戦いが期待できるからです。次は昨年初出場ながら3位と健闘、話題を呼んだ「町田ゼブリ
 ア」でしょうか。今年もディフエンスを効果的に補強、守備はさらに強化されたと思います。ただ
 私は前の「青森山田」以来、この監督のサッカーを良しとしません。勝つことのみにこだわり
 過ぎでいます。サッカーは子供を大人に、大人を紳士にするスポーツです。大切なことはルール
 の周りにある「フェアープレー」とか、「スポーツマンシップ」という事だと思います。
  4・5番手は「横浜マリノス」、「浦和レッズ」、「ガンバ大阪」といったところでしょうか。特に地元
 昨年は13位とふがいない成績に甘んじた「レッズ」に期待します。柏からМF「マテウスサビオ」
 を始め大型補強を行っています。15日の「広島戦」でもよくまとまったプレーをしていました。
  「ACL」を3度制覇、名門「浦和」にはぜひ優勝争いを演じてもらいたいと考えます。

  Jリーグは1993年、10チームで発足しました。小雨にけぶる国立での2強と言われた
 「マリノス」と「ヴェルデイ」開幕試合前、セレモニーでの川淵チアーマンの開会宣言に身も
 心も震えたことを思い出します。『私達は大いなる夢への第一歩を歩みだします。』ただ
 これだけでした。しかしそれは健康で幸せに満ちたポーツを通した市民生活の向上に、
 Jリーグがお役に立っていきたいと高らかに宣言するものでした。J3まで拡大されたJリーグ
 がその道を確かに歩み続けているか、確認しつつ成長していくことを望むものです。  

 ※ スポレクのページ故障のため、令和6年12月中旬から令和7年1月中旬まで、
  「市政ニユース」のページにて報告してきました。この度トラブルが解消しましたので
 本来に戻り、このページにてスポーツレクリエーション関係を報告してまいります。

  なお「市政ニユース」に掲載されていますこの間の報告は、本来このページに戻す
 べきですが、またトラブルの原因にもなりかねませんので、そのまま「市政ニユース」の
 ページに残します。
   ご面倒かと思いますがそちらのページをお開き下さい


 地域スポーツコミッションシンポジウム2025 1/28(火) 市役所会議室

  「地域スポーツコミッションシンポジウム2025」が28日、東京で開催されました。研修の中で
 久喜スポーツコミッション中村会長が事例報告を行いました。本来なら会場で拝聴、会長を応援
 すべきところですが、本庁舎会議室においてオンラインでの参加となりました。久喜スポーツ
 コミッション会員で参加は私一人、アトは行政の職員でやや寂しいものでした。
  
   最初は「為末大」氏の約1時間の講演でした。為末選手は400mハードルを専門とする陸上
 競技選手、3つのオリンピックに出場し、世界大会等で日本人としては初めて短い距離を走る
 種目での上位入賞を果たす等名選手として知られています。為末氏は山梨県韮崎市で仲間と
 開催した「にらりんピック」の経験に踏まえ、日本陸連・広く日本のスポーツ界の持つ閉鎖的考え
 組織運営を批判されました。そしてスポーツの本質について「デポルターレ」、「デスポート」
 を話され、ポーツを「娯楽・教養・競技(勝負)」の総合と話されました。このスポーツ本質論は
 私がスポ少の研修で40年を越えて話してきた内容であり、そのまま聞くことができました。
  最後に今後の方向性として、① 内容を絞り込んでいく(広くスポーツ振興というのでなく、
 具体的に久喜でいえば3×3とかスケボーというように) ② 想いが強い関係者だけで運営
 しない、廻りの人の意見をよく聞く、➂スポーツコミッションは規制を外し、障害を取り除いて
 行く活動が必要、とされていました。ただ全体としては余り内容のない講演という感じでした。

  本日の主催元「日本ポーツツーリズム推進機構」の「地域スポーツ戦略ディレクター藤原
 直幸」市から、機構の活動内容について報告を受けました。
  1・地域スポーツコミッション新規設立、経営へのコンサルティング(久喜市も)
  2・人材育成・交流の推進(このシンポジウム等)
  3・ポータルサイトの運営
  4・海外スポーツコミッションとの連携  等々です。

  最後におまちかねの3地域ポーツコミッションによる事例報告です。
 我が埼玉県久喜市、石川県金沢市、東北海道と名づけられていますが北海道釧路市です。
 久喜市の中村会長はお仕事は弁護士です。しゃべることはプロです。ただ何とも気の毒と思
 ったのは相手が金沢と釧路だったことです。実績と組織力に圧倒的な差がありました。
  中村会長は久喜市は昨年3月発足、未だ1年未満の組織であることを述べながら、久喜市が
 ポーツ健幸都市宣言をしていること、その都市宣言の理念と同じくする活動を目指していく
 とし、自身が会長を勤める3×3のプロチーム「埼玉ワイルドベアーズ」の活動について触れて
 いました。久喜市は観光資源、宿泊施設にとぼしい、今後法人化が課題となる、財源確保
 スポンサー獲得等を通じ地域活性化に貢献していきたいとされていました。
  金沢市と釧路市です。金沢市は6人の職員を擁し、スポーツ団体に奨励金を交付できる財力
 を有しています。釧路市はNPО、同市のポーツ・文化振興の拠点施設、スーパーアリーナの
 指定管理者でもあります。
  金沢市のそれは正式には「金沢文化スポーツコミッション」というそうです。ポーツ=文化ととらえ
 金沢の地域振興を文化とスポーツの力で図っていきたいとしています。能登地震の復旧に当たり
 現地で「モルック」の大会を主催したそうです。(注・モルック フィンランドを発祥とするインクルーシブ
 スポレク競技、昨年函館で世界大会が開催される等今世界レベルで爆発的ブームを呼んでいる)
  参加者1000人の笑顔が、能登を元気づけた、スポーツの力で町興し・災害からの復旧を、と
 熱っぽく語っていました。
  釧路市です。早くからカナダの高校生とアイスホッケーの交流を持つなど交流・合宿の多い街
 です。昨年スポーツ合宿による経済効果は53億円、これは市の一般会計1000億円の
 5パーセントを越えるというのですから大したものです。自らが指定管理者である「スーパー
 アリーナ」を地域振興の拠点施設とし、「コンパクトシティ」を掲げる釧路市の街づくりに、貢献して
 いきたいとされました。
  全くうらやましい限りです。中村会長がせめてはもう少し多く活動報告できるよう、私達もこれから
 活動を広げていかねばなりません。でも私は後何年そうした活動に取り組めるのでしょうか、少し
 寂しい気もします。

 
 
  令和2年度・第1回久喜市スポーツ推進審議会 10/7(水) 教委会議室 

  7日(水)教育委員会会議室において、令和2年度の第1回?スポーツ推進審議会が開催され
 出席しました。昨年の10月に会議を持ち、この任期(令和元年・2年)の委嘱状を頂いて以来
 実に1年ぶりの会議です。会議では(1)令和元年度事業報告について、(2)令和2年度事業計画
 についての2項が議事となり、それなりに活発な意見が出され、(2)の2年度事業を承認、閉会
 しました。 
  とマァこれで終わってしまうと短いものとなりますが、少し考えを述べます。第1回目の「東京オリン
 ピック1964・S39」を前に、将来にわたり日本スポーツの振興を図っていこう、と行われたのが、
 S36年の「スポーツ振興法」と、S37年の「日本スポーツ少年団発足」でした。共にその後の我が国
 スポーツ振興に絶大なる役割を果たしました。2回目の東京オリンピックを前に、この「スポーツ
 振興法」を全面改正して作られたのが、2011・H13年の「スポーツ基本法」です。「前文」で「スポーツ
 は世界人類共通の文化」と規定し、同時にスポーツ推進のための計画策定を、国には義務、地方
 公共団体には努力義務としました。これを受け、国では2012・H14年に「基本計画」を、埼玉県では
 2013・H15年に「推進計画」を策定したという流れがあります。こうしたことを背景にこの時期、数回に
 わたり市議会で「推進計画」策定を求める質問をし続けました。確か5~6回目の質問で「策定する」
 との教育長の答弁を頂いた記憶があります。「久喜市スポーツ推進審議会」はこの計画を策定する
 ためH27・2015発足し、27・28の2年かけ、29年3月に策定されました。2017~2021、H29~令和3年
 の5年を期間とします。
  すなわち今は来年・令和3年度中に、「第2次・久喜市スポーツ推進計画」を策定せねばならない時
 だという事、加えて久喜市は本年3月に突如として、「健幸スポーツ都市宣言」を発しました。
 スポーツ振興一筋に生きてきた私としては、大いに喜ぶところですが、準備が全くない中での宣言
 これからそれにふさわしいあらゆる施策を準備し、実施していかねばなりません。その役割を担う
 ものとし、今年4月、「生涯学習課」から「スポーツ振興課」が独立、大衆団体をみる「推進係」の他に
 上記を担う「企画係」が誕生したのです。要するに我が審議会が、計画策定に関わり、スポーツ振興
 に関する様々な意見・考えを提言する時、それを可能とする適切な事務局体制が整備された時
 だという事です。
  そこで審議会の現実に戻ります。今日の会議は令和2年度・第1回です。果たして2回・3回はある
 のでしょうか。協議されたのは前年度の事業報告と、半分終わっている今年度の計画のみです。
 事業報告は市議会「9月定例会の予算決算常任委」に提案された後でないと、行政機関では審議
 できないそうです。だとすれば第1回会議は当然この時期となり、「年1回」の流れとなります。第2次
 「久喜市スポーツ推進計画」策定の準備を、市の「健幸スポーツ都市宣言」に相応しい施策提言を
 せねばならぬこの時に何としたことでしょう。私は実りある審議会であるためには、年3・4回の
 会議は必要と思っています。この方向で今後の「スポ審」のあり方を考えられるよう切望するもの
 です。

    コロナ禍の4連休・スポ少活動の応援を楽しみました 9/21(月・祝)












  今年は7月に4連休、8月に3連休がありました。今日は9月の4連休土・日をスタートに
 今日の「敬老の日」、明日の「秋分の日」と続くものです。私など公務から解放されて3年目、
 毎日が連休のようなものですが、やはり何となく心が浮き立ちます。
  今年はとにかくコロナとの戦いに明け暮れ、関わりの中で日々が過ぎています。この連休は
 7月、8月のそれとやや異なり、非常事態が解除され、日常生活の再開への活動が一定程度
 進み、もちろん新規感染者はそれなりなものの、何となく安定した気分でのものでした。
  スポ少活動も再開され3カ月目に入り通常団活動から、年間スケジュールに沿った大会等が
 開催されるまで進んできました。昨日バドミントン、本日野球の観戦・応援を楽しみました。
  バドミントンは市内市長杯大会、昨日毎日興業アリーナで開催されました。(―左―)
 バドミントンはチヨット大変です。シャトル(水鳥の羽で作られています)が風に左右されます。通常
 密閉の中で試合・大会を行います。しかし「3密対策」からそれは許されません。毎年12月第一週
 久喜を会場とする県大会は、すでに中止を決定しています。市内大会も開催できない、という
 状況でした。しかし「県大会なし、市内大会も」では、余りにも今年の6年生がかわいそうとの事で
 開催に踏み切りました。参加選手・使用コート数を減らし、開けピロゲのドアに近いコートは使って
 いません。通常練習もシャトルが消毒できないため、シャトルを握る手はビニール手袋をはめて
 います。徹底した対策に敬意を表します。今年の県大会は中止となっていますが、来春3月にでも
 県大会が持てることを願いつつ会場を後にしました。
  一方野球は県大会の代表8チームを決める東部地区大会が、宮代運動公園他で行われました。
 この大会に久喜市内から4チームが出場、久喜小地区の「久喜少年野球クラブ」、本町小地区の
 「久喜レインボーズ」が勝ち残り、今日の決定戦に進んでいました。先週の試合も応援観戦した
 私はこの日も楽しみに宮代運動公園に出向きました。野球は屋外ですから「バドミントン」のような
 例はないのですが、それでもセレモニーをきちんとやる野球としては、開会式・閉会式・表彰式の
 ないものでした。「レインボーズ」は6年生が3人という小柄なチーム、1回戦も辛勝でした。この日も
 前半競り合いから、後半何とか競り勝ち栄冠を獲得しました。逆に1回戦コールドで大勝した「久喜
 少年」、対戦相手の羽生のチームが大変強く、残念な結果となりました。いつも久喜小で練習を
 見続けていますので、応援にも力が入りました。(―右―) 「レインボ゛ーズ」は久喜の代表として
 県大会頑張ってください。
  スポ少も活動再開後、新しい生活様式=新しいスポ少活動を体験・慣れ、何とか活動を展開
 できるようになりました。油断禁物、きちんと活動を継続してください。本部としてはアト来春の
 ロードレース大会が残されています。これは頭の痛い話です。何とかコロナが、もう一回りも二回り
 も沈静化していることを望むだけです。

  第6回マラソン大会中止・オンラインマラソン大会へ? 8/20(木)  

  緊急事態宣言が解除され、様々な活動がそれなり展開されている中、だからというべきか
 第2波の到来というべきかコロナ感染が拡大、連日の感染者数に一喜一憂する毎日が続いて
 います。市内の今年中の大会・行事は、ほぼ中止決定がなされています。そんな中今年度最後の
 行事ともいえる「第6回・市民マラソン大会」(令和3年3月21日開催予定)が注目されていました。
 受付その他の関係から、正式決定すべき時期を迎えています。実行委全員による「総会」が持て
 ない中、「書面評決」で意見が求められ、「中止すべき」と「何らかの形で開催を」との案が50対20
 との結果が出ていました。最終決定すべき前段としての「幹事会」が開催されました。
  1・第1回大会から実行委員長を勤められた鈴木信彦氏(前体育協会副会長)が退任、顧問に
   就任され、新たな実行委員長に篠原義勝氏(久喜市スポーツ協会会長)が就任されました。
   なお私は引き続きスポ少本部(運輸部門担当)として副実行委員長を勤めます。篠原氏は
   スポーツ協会(旧体協)会長を梅田市長が退任され、新たに会長に就任しています。

  2・第6回久喜市マラソン大会について  コロナ感染拡大がつづいており、大会当日の状況も
   見通せない、参加者・ボランティアスタッフ等を第一と考え、中止とする。なおすでに年内の
   主要な大会、(大阪・横浜といった全国的なものから、上尾・蓮田・小江戸川越・加須こいのぼり
   大会等)、来年久喜市と同時期の「深谷、羽生、古河花もも大会」も中止となっています。

  3・久喜マラソン大会を楽しみとしている皆様にこたえるため、「新しい生活様式」にのっとった
    「オンラインマラソン大会」を提案する。なおオンラインマラソンとは、通常の大会のように
    参加選手が集まり、定められた日時に、定められたコースを走るものではありません。
    定められた期間内(通常2~3週間)に、それぞれが自由に設定したコースを走るもの
    スマホのアプリを利用してエントリーします。タイムを競うもの、タイムではなく期間内に
    設定された距離を走るもの、等の方式があります。

    以上の提案は「書面評決」で全実行委員に諮られます。正式決定はその結果によりますが
    決定は間違いないものと思われます。(大変残念ですが) これで昨年の第5回大会に続いて
    2年連続中止となりました。その時エントリー優先申し込みがありましたが、これは次回
    第7回大会へ引き継がれます。
     私は先の「書面評決」の際、何らかの形で開催すべきと返答しました。ただオンライン方式
    には余り賛成ではありません。例えば出場者を市内在住とかに限定、数を絞ってやるべき
    だと考えていました。今回の案が承認(間違いないと思われますが)されると、それが来年3月
    末のものであるからにして、今年度中の行事は全てできないものとなります。スポ少の来年
    1月の「ロードレース大会」も、こうせざるを得ないのでしようか。私はまだフリーハンドであり
    たいと考えています。

      ◎ 令和2年度・市スポ少本部登録 8/16(日) 教委会議室

  梅雨明けが遅く、その分猛暑が続く旧盆明けの16日
 教育委員会会議室において、久喜市スポーツ少年団本部
 登録が行われました。ご承知のようにコロナ騒ぎの今年、
 書面評決としたため「総会」を持たず、本部事業としては
 今年度初のものとなります。
  何ども記してきました。少年団は1人1人の団員・指導者を
 町を通して県、県を通して国まで登録するメンバーシップの
 組織です。そしてその登録に当たり、これまたまち・県・国とそれぞれ定められた登録費を
 納入するという「有料登録制」の組織です。この登録費は当然国・県・町それぞれのレベルで、
 助成金=補助金と並んで活動資金、こちらは自己財源となります。ですから登録は活動実態を
 把握する=組織員数、活動資金を得るの両面から、スポ少にとって最重要と位置付けられます。
   その登録ですが大部様変わりしてきました。長く紙ペースでした。最近ではウエッブ登録となり
 ました。登録最終期限は8月末日です。スタートは今年は4月20日からでした。多くスタートと同時
 に登録し、G・Wには終わっているのが普通です。スポ少は18歳まで団員登録が出来ますが、
 多く小学生です。3月の卒業で一番団員が少なく、特に今年は新人団員が多く加盟する3・4・5月に
 コロナの関係で活動を休止していました。今年は大幅な団員数減を覚悟していました。県・日本
 本部へ登録しませんと、県大会への出場権がありません。8月末日まで追加登録をしますが
 少数にとどまります。その登録ですが、各団はパスワードにより自分の団だけを、本部は自分の町
 全部を見ることが出来ます。今日の登録に当たりウェッブ登録を確認しました。団数52、団員数
 1087名、指導者390名、スタッフ登録者60名でした。
なお指導者登録は本年度からシステムが
 異なり、有資格者のみ、無資格者はスタッフとして登録します。
昨年度の実績です。51団、1254名
 団員、480名指導者でした団プラス1(中学生バスケ)、団員マイナス167、指導者マイナス30
 
です。このところ久喜市はソフトテニス・ラグビー・陸上と次々に誕生、新規加盟団の団員が全体の
 大幅団員数減を防いでいました。今年の167名マイナスをどう見るかはともかく、少年団の危機は
 深刻です。指導者の30名マイナスです。新しい指導者登録制度は国で決めたもの、私たちがどう
 こう言えるものではありません。しかし私はこの少年団活動の危機的な中で、こうしたことはすべき
 ではなかったと考えます。しょせん現場を知らない学者さんのなせる業です。 
  前記した紙ベースの頃は、登録者数がその時解りますので、何というか面白かったです。今は
 お金の流れのみとなりました。この登録費ですが団員700円、指導者1200円です。もちろん
 市―県―国の分があります。他に久喜市は単位団登録料2000円を徴収します。従って各団は
 団員数×700円+指導者・スタッフ数×1200円+団登録料2000円を本部に納入します。
  久喜市本部はこの合計額から久喜市分を差し引き、県本部に納入します。県本部はその中から
 県分を差し引き、日本本部に納入します。これが登録費の流れです。ですから団1つひとつの、団員
 1人ひとりの登録費が、久喜市を通して県、県を通して日本本部に納入され、日独同時交流や
 全国大会といった大きな行事の活動資金として使われることになります。久喜市の今の登録費は
 10年前の3町との合併の際決められました。旧久喜市では現在より高い登録費を取っていました
 ので、行政からの補助金より、登録費=自己財源が多かったものでした。
  今回市本部ではこの登録に当たり、コロナ対策費として1団5000円を助成しました。消毒液他の
 購入に充ててもらいたいと思います。
  てなことで登録事務を終えました。ほっとするより暗い気持ちが優先します。少年団の長期低落化
 傾向は、コロナにより一層拍車がかかった感があります。私を筆頭に指導者の高齢化が進んで
 います。つらく重い気分です。

     ◎ 本来ならオリンピックでした。 7/25(土) 

  7/23日付「久喜市アラカルト」のページでも、同じようなことを記しました。コロナ騒ぎ、それも
 第2波到来を思わせる感染増大という重苦しい中で、4連休の真ん中にあります。土曜日曜の前に
 木(海の日)、金(スポーツの日)と続いたからです。スポーツの日はかって「体育の日」と言い、S39・
 1964年の東京オリンピック開会式を記念して設けられた祝日です。その後「スポーツの日」として
 10月第2月曜日となっていました。それが今年は2020・東京オリンピックの開会式が、昨日24日
 となったためこの日になったのです。そうです。本来なら昨24日はオリンピック開会式の日、56年
 前同様、テレビの前にくぎ付けとなって、この一大イベントに涙を流しているはずでした。
  何ども何ども記してきました。私はスポーツ大好き人間です。スポーツには「する・見る・支える」の
 それがあるといいます。「する」はさすがにこの歳となって大部減りました。しかし「見る」と「支える」
 の方は今もなお、私の生活の大きな部分を占めています。その中でもオリンピックはあらゆる意味
 で別格なのです。それは4年に1度の多くの種目の最大の大会という枠を越え、人間社会に福祉の
 向上をもたらす「文化としてのスポーツ」の集約としてあるからであり、また私が45年にわたって
 関わってきたスポーツ少年団を生み、育ててくれたからです。
  前の東京オリンピックの時、私は早稲田の学生でした。母校の「戸塚記念講堂」か゜フェンシング
 の会場となり、オリンピック期間中2週間が丸々休みでした。私はずっーとテレビの前に座り続け
 観戦し続けました。だから多くのシーンを鮮明に覚えています。開会式の聖火、最終ランナーで
 広島に原爆が落とされたその日・その場で生まれた、早稲田の中距離ランナー「坂井義則」君が
 100数十段の階段を一気に駆け上がり、日本晴れそのものの青空をバックに、最上段で聖火を
 掲げたその姿は、正に敗戦から立ち直り、世界へ飛躍せんとする当時の日本の姿そのものでした。
  日本人初の金メダリスト、三宅選手が誇らしげにメダルをかざした姿、神永がヘーシンクに押さえ
 込まれ敗れた瞬間、逆に「東洋の魔女」の勝利の時、またその後不幸にも自ら命を絶った「円谷
 幸吉」選手が、超人的に強かった「アベベ」に次いで、2位でマラソンゲートをくぐったときの苦しそう
 な顔、みな鮮やかに思い出します。
  この前東京オリンピックの2年前、S37・1962年秋に2年後と迫ったオリンピックを成功させよう
 との「オリンピック・デー」が設けられ、全国で様々なイベントが行われました。この時前記したように
 オリンピックが人々の思い出に残るだけでなく、「青少年のための永遠の事業であれ」との願いを
 こめ、同時に「日本体育協会(現スポーツ協会)創立50周年記念事業」として、東京で設立された
 のが、ほかならぬ我が「日本スポーツ少年団」です。だからスポ少はオリンピックで生まれ、その
 理念を自らの理念としています。それは「参加することに意義がある」そのままに、「結果でなく過程
 を大切にする」考えです。少年団活動に参加し、そこでの様々な活動を通して、健やかに成長して
 いく=生きる力を育む活動なのです。だから私は少年団を瞳のように大切と考え、どっぷりとつかり
 ながら、45年を過ごしてきました。
  昨24日は本来なら2020オリンピックの開会式でした。そして1昨日23日は1年延期された
 オリンピックの開会式の日です。しかし昨日・今日の新聞は、感染者が過去最大を記録したことに
 多く紙面を割き、このことにはほんの少ししか触れていません。残念ながらそれが現実です。
  私に出来るものはありません。何としてもコロナの感染を押さへ、来年のオリンピックが盛大に
 開催されることを切望するものです。★すべての人が自己ベストを目指し、★1人ひとりが互いを
 認め合い、★ そして未来につながる…… 史上最高のイノベーティブでポジイシブな大会として!
 
   ◎ 今年初の市スポ少本部会議   7/11(土) 久教委会議室 

  久喜市スポーツ少年団は、コロナ感染に伴う市内小中学校の臨時休校、外出の自粛要請を
 受け、3/2日から活動を休止してきました。以来3カ月半余、6月20日をもって活動を再開
 しました。厳しい感染予防の方法・手段を取りつつ、やっと校庭・体育館に子どもたちの笑顔と
 歓声がこだまするようになりました。今年度後期の事業を整理し、コロナ対策の実際状況を確認
 するための本部員会(常任理事会)を、11日(土)教育委員会会議室で開催しました。今年に入り2月
 第1・第2日曜日に「認定員養成講習会」を開催しました。ほとんどの役員にお集まりいただいた
 席で、3月末に総会を準備する理事会、その理事会を準備する常任理事会を2月末・3月上に
 持つことを決めました。その後コロナ騒ぎが起き、今年に入って初の本部りの会議となりました。
 
  だから今年に入って初の本部員会であり、そもそも活動を休止していましたので、本当に久ぶり
 の顔合わせでした。「お久しぶりです。お元気ですか。」の挨拶しばしの後、会議に入りました。
  まず今までの流れを報告、了承を頂きました。活動休止から再開まで、総会を中止とし、書面
 評決に変えたこと、再開に当たっての本部の考え、そうした議決に会議を持つことが出来ない
 ため、正副本部長会議をもって当てたこと、等々でした。

  次いで今年度の本部事業を整理しました。
 ◆ 中止とする本部事業  1・5月の総会、2・5月の体力テスト、3・6月の母集団講習会
 ◆ 国・県本部で今年度は実施しないとした事業  1・来年2月予定 スタートコーチ養成講習会
 ◆ 中止となった参加事業  1・旧久喜地区 5月のごみゼロ運動 10月の市民祭りパレード
      2・旧栗橋地区  10月の体育祭
      3・旧鷲宮地区   7月の国際交流野球大会
 ◆ 検討している本部事業  来年1月ロードレース大会(10月に決定)   
 ◆ 実施する本部事業  1・8月の登録事務  2・令和元年度・2年度の広報紙発行 
  多くの事業が今年度は中止となっています。市関係の事業ですでに11月3日の旧久喜中央地区
 市民体育祭まで中止が決定されています。来年1月のロードレース大会も、極めて厳しい状況下に
 あると言わざるを得ません。なおコロナ感染対策費として、全団5000円の補助金交付は全員
 一致で承認されました。

  次いで活動再開後の活動状況(コロナ感染防止)です。再開に当たり教育委員会の「指針」以上の
 厳しい内容の文書を私の名前で出してあります。6/20の再開日に数校・数団の活動状況を見て
 歩きました。「素晴らしい」と思う団、チヨット首をかしげる団と若干のばらつきがありました。
  しかしここへ来て、ドコモ真剣に取り組んでいるようです。これからはしばらくでなく、今の活動が
 恒となる、今ゆる「新しい少年団活動」となると思われます。そろそろどこの種目別部会でも
 大会の時を迎えます。会議も多くなりますので、再度部会で徹底化されることを求め、会議を終え
 ました。
  今年1年は正に変則的活動となります。地道に着実にやっていきます。

  ◎ 埼玉県スポーツ少年団臨時代議員会 6/20(土) スポーツ総合センター

  埼玉県スポーツ少年団の令和2年度「総会(代議員会)」は
 コロナ感染下とのことで、書面評決で行われたことは、本
 ページ5/19日付で報告しています。その際人事議案は
 本年度が隔年の役員交代年であること、特に本部員は
 代議員にお集まりいただけねば選出できないことから、改めて
 そのための総会を開催するとされました。「緊急事態」が解除
 され、少年団活動も再開されようとする20日(土)、県スポ協
 本部が置かれる、「スポーツ総合センター」講堂において、臨時代議員会が開催されました。
  「埼の国=クニ=92」と言われ、かって埼玉県には92の市町村がありました。県本部はその
 全ての市町村に本部を設置した最初の県です。ですからかっては92人の代議員によって、総会は
 構成されました。相次ぐ合併によって市町村数は減り、今や63、従って全員出席でも63人の
 代議員となります。写真は総合スポーツセンター講堂、大きい会場なのでソーシャルディスタンスを
 とっためか、単に出席者が少ないのか良く解りませんね。
  開会に当たり尾崎本部長が挨拶、コロナで大きな痛手を受けた少年団を、来年に延期された
 オリンピック支援活動の中で再生していこう、とされました。
  その後先の書面評決の結果が報告されました。代議員63名、回答56、有効39、無効17、
 未回答7、有効は全員「同意」で議決されています。無効が多かったのは署名日付の誤り、
 書面評決は初めてだったので、単純なミス(事務局サイドの)とのことでした。
  次に役員の選出に入り、本部長尾崎豊、副本部長関根剛(東部)、七五三和孝(西部)、長谷川
 司(南部)、宮沢達三(北部)の各氏、全員2年前私が選考委員長として推薦した方、留任です。
  次に本部員の選出、東(4)・西(4)・南(5)・北(3)を各地区代議員の互選で推薦しました。私は当然
 東部地区のそれに出て、3名が留任、新たに越谷市の本部長を推薦しました。私がこうした形で
 東部地区から本部員に選出されたのは、何年前だったでしょうか。副本部長を17年勤めました。
 その前本部員を10年以上やりましたので、30年以上と思われます。あの頃は若かったと思い
 また右肩上がりの少年団、当時は良かったとも思うのは、やはり歳の所為なのでしょう。
  そのあとコロナ騒ぎで中止となった行事の報告を受けました。関東ブロック競技別交流大会、
 日独同時交流、全国スポーツ少年大会等の行事は仕方ないとしても、本年度中の新たな
 指導者の資格講習会(スタートコーチ)が中止というのにはまいりました。
  最も今日活動を再開した久喜の少年団も、大会・行事等のメドは未だ全く立っていません。
  それだけコロナの影響は大きかったといえます。負けずにやっていきます。

     ◎ スポーツ少年団活動が再開されました。 6/20(土) 









 
  本ページ3/2日付学校臨時休校・外出自粛をうけ、少年団活動の「休止」を呼び掛ける文書
 以来、いくつかの私による通達文書を報告してきました。実に4カ月に及びましたが、やっと
 コロナ騒ぎによる活動休止にひと段落を告げ、活動再開にこぎつけることが出来ました。
  ただしこれは「非常事態宣言」解除を受けてのものであり、「安全宣言」発令によるものでは
 ありません。団員の安全・安心を第一とした活動、新たな生活様式=新たな少年団活動、に
 取り組むことをお願いしての再開でした。
  20日4つの小学校を見て回りました。前日梅雨のかなりの雨、外は無理かなと思ったのですが
 みんなの熱意が実ったのでしょう、アウト・インともに再スタートの日を飾ることが出来ました。
  写真は-左・野球、中・バスケ、右・バド-です。子供たちは元気いっぱい、待ちに待った皆との
 練習を楽しんでいました。何と言ってもやはりスポーツに頑張る子供の姿は良いものですね。
  今回再開に当たり厳しい?お願い(活動指針)をしました。スポーツ時以外マスクは着用となり
 ます。バドとバスケの指導者は指導中着用していました。敬服します。子供の健康チェックが
 義務付けられます。異常があった場合活動に参加させてはいけません。バドとバドは団独自の
 チェックシートを用意し、指導者(育成会役員)に提出、チェックを受けていました。良いことです。
  ボール、バット等用具の定期的消毒も必要です。なお本部では消毒液その他の購入費用として
 全団に5000円の補助金を予定しています。有効にお使いください。
  全ての活動会場で、指導者・育成会役員に「しばらくご面倒おかけします。」と挨拶して回りました。
 暑いとき、熱中症が心配される時ですが、スポーツ活動時以外、ですから育成会役員は常時
 マスクは必着となります。よろしくお願いします。
  早速、ソフトテニス部会役員から「大会」について問い合わせがありました。会場使用基準、
 活動指針に沿う限り、制限は考えていないとお話ししました。ただし長い活動休止で子どもたちの
 体力はかなり低下しているかと考えます。その点十分な配慮を求めます。
  さあ、待ちに待った活動が再開されました。また週末毎に子ども達の歓声を聞くことが出来ます。
 自然に身体が躍動してきます。

      ◎ 市スポ少活動再開に当たって(指針) 6/12(金) 

  下段で報告してあるように、久喜市スポーツ少年団本部は、コロナウイルスの感染に一定の
 歯止めがかかり、小中学校も授業再開に向け歩き出した中、ほぼ4カ月に及んだ活動休止を
 解除、20日(土)より再開することとしました。その後久喜市教育委員会より公共体育施設・
 学校体育施設各々に、「(使用に当たっての)ガイドライン・留意事項」が定められ、すでに各団に
 送付してあります。この内容にも踏まえ、子どもの未来を守るという少年団として、特に遵守
 頂きたいことを列記、各団に配布しました。以下の内容です。

  ―この文書は指導者・育成会役員全員が読まれ、共通認識をお持ちいただきたい。―

  先にお知らせしたように少年団活動再開を、通常授業開始1週間後の6/20日~する。
 この間のご努力・ご協力に敬意を表する。活動開始に当たり以下を遵守されたい。
                再開に当たっての基本方針
 ① 団員の安全・安心を第一とした活動を展開する
 ② 学校・家庭と連携し、団員の日常の健康状態の維持に努める。
 ③ 「3密・ソーシャルディスタンス・うがい」などを徹底、新たな生活様式=新たな少年団
    活動を創出、活動を進める
                     一 般 的 注 意
  ● 団員の体力状況に応じ、活動時間・内容等徐々にレベルアップしていくこと
  ● 熱中症の時期と重なる。十分な熱中症対策

                      具体的注意事項
 
1・教育委員会が定めた「感染予防ガイドライン」を配布してある。これが基となる。各団この
   中身を認識・徹底化され、団員、保護者に周知すること。
 
2・活動当日に参加した全団員・指導者・育成会母集団を把握・記録しておくこと。求められれば
   直ちに提出できるようにしておくこと。
 3・当日の活動前に全員の健康状況をチェックすること、咳やのどの痛み等の風邪の症状、
   だるさ・息苦しさ、臭覚や味覚の異常、体温等々。活動前のミーティングの始めに指導者
   母集団が問診で行う。異常があれば活動に参加させない。特に体温は基礎、朝自宅で
   計ってくる習慣をつけさせること。忘れた場合団の体温計で計ること。なお本部はコロナ対策に
   全団に5000円の補助金交付を予定、アルコール消毒液等の購入に充てる事、なお非接触性
   体温計があればベター、3000円から10000万、通常7000円前後。
 4・マスクを持参、スポーツ時以外は着用、往復時・ミーティング時など。なお母集団・育成会は
   マスク着用のこと
 5・備品・用具の消毒を適時行う事、最低開始時か終了時に1回
 6・体育館利用団は入退場時に手指部の消毒を行う事、換気に心がける事
 7・ミーティング時のみならず、活動時もソーシャルディスタンスの確保に勤める事
   可能な限りグループ別活動の導入
 8・当然ながらつば・痰を吐く事、タオルの共有・飲み物の回し飲み等の厳禁
 9・利用後の掃除とごみの持ち帰り
  (2・です。仮に、あくまでも仮に活動に参加したメンバーから感染者が出た場合、居合わせた
 全員が濃厚接触者の可能性を持ちます。濃厚接触者の定義は難しいものがありますが、とに
 かく全員外出自粛となり、団活動は長期にわたり不能となります。)

  以上を内容とします。最後に全指導者に団員の安全・安心を守る活動への、「本気と覚悟」を
 訴える文章を加えました。少年団では活動主体である子どもの安全安心を第一に、すべての
 活動が成り立っています。団と団員との間には、「民法」のいう典型契約には該当しない「スポーツ
 指導契約」が結ばれているとの考えに立ちます。そこで団員は活動に参加する義務、指導者は
 技術指導を提供する義務が生じます。この活動に当たり、指導者は団員の「安全配慮義務・
 保護監督義務」を有します。仮に団活動で事故・ケガ等が発生した場合、指導者は「安全配慮
 保護監督義務違反」となり、何らかの責任が発生します。この時過度の違法性(当然気がつく
 範囲内での安全配慮を怠った場合)がある場合、法的にも違法性を問われることにもなります。
  スポーツ少年団の指導者は、団員の安全安心にそれだけ責任を持っているという事です。
 岸は久喜市スポーツ少年団で起きた全ての事故に、何らかの責任を負うとの覚悟で、本部長の
 任に当たっています。今度の場合はケガ等でなくコロナ感染予防となりますが、とにかく上記した
 事は全て各団で実施してください。(違法性の阻却)
  久喜の日本の明日を託す子どもたちの、安全で安心な活動に、再度指導者諸兄姉の「本気と
 覚悟」を求めます。

       ◎ 市スポ少活動再開6/20日からに  6/2(火)

  何事にも「陰と陽」、「アクティブとネガティブ」があります。今回のコロナ騒ぎ対応もその最たる
 ものでした。一方で「子どもの身体第一でしょう。活動禁止通知を出して下さいい」といわれ、
 他方で「もう組織が持ちません。早く再開通知を」といわれ、そしてともに「本部長は何を考え
 てるんですか」といわれました。つくづく安倍さんとか、知事さんとか、市長さんていうのは大変
 だろうとお察しする次第です。
  ところですでにお知らせしているように、我が埼玉県等を最後として「緊急事態宣言」が全国
 で解除され、社会活動再建への動きが始まっています。久喜市内での公共施設再開等は
 すでに市のH・Pで公表されています。
 ● 公民館・各集会所、および各体育施設等は6/1より使用が「可」となります。
 ● 学校体育施設は6/15日より、同じく利用できます。
 ● 市内小中学校は6/1より授業を再開、分散登校、午前中のみの授業という形で徐々に
    グレードアップし、正式授業再開は6/15日~を予定しています。(原則として)
  したがって少年団において、ラグビー・ソフトテニス等公共体育施設利用団体においては、6/1
 より、その他の多くの少年団においては6/15より、少なくとも活動場所は使用可となります。
 しかしです。団員の日常活動が通常に戻っていない段階での、活動再開は多くの問題点があると
 考えられます。
  東部地区内各市町、少年団本部等と連絡を取り、また県本部とも意見交換をしました。上記
 各公共施設利用再開は、久喜市は突出して早く、多くは7月1日からとなっています。したがって
 東部地区各市町少年団の活動再開は、ほとんど7月1日からとなっています。
  これらを総合的に勘案し、また1日も早い活動再開をとの要望にも踏まえ、子どもたちの通常
 授業開始後1週間、子どもたちの健康状況等に踏まえ、活動再開を6/20(土)とします。

  各種規制の解除と感染防止とは、矛盾するものがあります。すでに北海道・北九州等において
 2次感染が発生しています。仮にそうしたものが埼玉県・首都圏において起きた場合、最悪「緊急
 事態宣言」再発令もあり得ます。したがって上記日々はあくまでも予定となります。
  活動再開に当たり、公共・学校施設共に、新たな使用基準(制限)が加わることは、十分考え
 られます。前提としていわゆる
 ※・3密の排除、※・手洗い・消毒の徹底、※・換気、※・健康状況のチェック、※マスク着用などは
 当然ですが、「施設の同時期の利用人数の制限」が加わる可能性もあります。少年団においては
 特にインドア種目に影響が出る恐れがあります。
  活動再開に当たっては各単位団はグループ活動などを行い、また当初は活動時間を抑え、
 徐々にグレードアップしていく等の配慮を行ってください。
  以上を内容とする私名義の文書を6/1に発送しました。各単位団におかれましては準備等
 ご協力をお願いします。なお活働再開に当たり、市の新たな使用基準等も明らかにされると
 思われますので、それに踏まえ再度お願いの文書を発送する予定です。
  安部首相の要望に応じ、学校が休校となり、施設の使用が禁止され、さらに「緊急事態宣言」
 まで発令され、活動休止となって3カ月余が経とうとしています。この間の少年団関係者皆様の
 ご労苦・ご協力に敬意を表します。もう少しです。もう少しで子どもたちのはじける笑顔に囲まれ
 一緒に活動が出来ます。
 
     ◎ 夏の甲子園(高校野球全国大会)中止決定  5/21(木) 

  日本高校野球連盟(高野連)は、昨日20日、今夏の第102回・「全国高校野球選手権大会」と
 その代表校を決める地方大会を中止することを決定しました。全国大会の中止はこれで3度目、
 すでに春の選抜大会も中止となっており、春・夏中止は史上初めてとのことです。 
   2月中ごろから我が国を襲った新型コロナウイルスの影響は、長く大きなものとなりました。
 「緊急事態宣言」の発令により、感染拡大は収まりつつありますが、未だ予断を許さないものがあり
 ます。大会中止の理由として、ほぼ2カ月弱全国で行われる地方大会での感染リスク、長きに
 及んだ休校による影響(部活動の停止よるコンディショニングの問題、今後の授業時間確保への
 支障)、全国大会そのももの感染拡大の危険性等を挙げています。すでに同じ世代の「高校総体」
 (インターハイ)、同じ種目の「全国大学選手権」も中止決定がなされており、私もこの決定は当然の
 ことと考えます。

  私に大手金属メーカーに勤務した高校時代の友人がいます。独身の頃大坂に6・7年いたそう
 です。ある年の夏季休暇に実家へ帰らず、ふと思い立って甲子園に行ったそうです。「あのツタの
 からまる球場の壁面を見たとき、身震いした」。「2・3日通って試合を見続けたけど、階段を上って
 グラウンド全体を見たとき震えが来た」。「とにかくあれは良い、高校野球は別格だ。!」と何度も
 話してくれました。そうなのです。夏の甲子園は、単なる高校生の1つの全国大会という概念を超え
 いがぐり頭、汗・涙・礼儀等と一緒に、別格のもの=1つの文化として、私たちの生活に定着して
 きました。 高校野球は「別格」なものとして、青少年スポーツ活動に、部活動の在り方に様々な影響
 を与えてきたのです。しかし「別格」なものですが、同時に昨今否定的側面も露呈しています。確か
 に大きな目標を失った、高校球児諸君には同情します。だから今度のことが、これからの高校野球
 の、部活動のあり方を良き方向に変えていく、契機になることを期待するものです。

  これは野球だけでなく、あらゆる種目に言えることです。昨今の異常気象の中で、夏の大会の
 あり方、過密すぎる年間のスケジュール、選手の健康管理等がクローズアップされています。
  「総体」のサッカーなど殺人的です。野球ではほとんどが、1学期末の試験の最中に予選に臨み、
 高校生の本分である勉学よりも野球を優先させ、勝ち上がった学校が甲子園に集まり、うだるような
 暑さの中、試合を行うのです。選手の健康管理で問題となった昨年の大船渡高校・佐々木投手の
 例があります。「投げさせるべきだった」と多くの監督経験者が口にしました。張本の発言などは
 暴言というか、度し難いものがあります。世界一の野球大国であるアメリカでは、投手の投球数には
 厳しい制限があり、そもそも全国大会がないのです。(州(県)大会まで) 子どもの体よりも勝つことを
 重視する、かっての高校野球の名監督と呼ばれた人の多かったのにはがっかりしました。そもそも
 高校野球は教育の、人材育成の一環だ、と言ってきたのはどなただったでしょうか。そうした中で
 あの「ダルビッシュ有・桑田真澄」といった人が、張本発言を激しく批判、過密すぎる高校野球の
 スケジュール改革案まで、発言されたことに拍手を送ります。

  何よりも批判されるべきは、朝日新聞をはじめとするメディアです。子供たちの過酷な現実を無視
 し美辞麗句でこの現実をあおるのは、犯罪としか言いようがありません。異常なブームを生んで
 いる「箱根駅伝」もそうですが、メディアのスポーツイベント主催は問題過多なのです。
  今度のことは高校球児にとって、気の毒と言えば気の毒でした。しかし投手の投球数をはじめとし
、健康管理の在り方から、年間スケジュール、メディアとの関係、そもそも部活動のとは何か、まで
 考察を深め、一歩でも改革していく、そのきっかけとなることを期待するものです。

      ◎ 県スポ少本部総会中止・書面評決  5/19(火)

 
 16日(土)は令和2年度・「県スポ少本部代議員会(総会)」の予定日でした。昨今のご時世当然の
 ことながら中止となりました。どうするのだろうと思っていましたが、「書面決議の可否について」の
 提案書が送付されてきました。① 令和元年度事業報告、② 同じく決算報告、③ 令和2年度
 事業計画、➃ 同じく予算の4事項につき、可否を回答、書面にて返信するものです。なお本年度は
 役員改選期に当たります。こちらは書面決議とせず、緊急事態宣言解除後、「臨時代議員会」を
 開催、改選を行うとしています。

         (令和元年度事業報告)
 ◆ 登録状況です。1583団、17485名指導者、45649名団員、いずれも前年比30団、220名
     1097名減となっています。
 ◆ サッカー・野球・ミニバス・駅伝等13の種目別県大会を実施
 ◆ 我が久喜市で受け入れを行った第46回日独スポ少同時交流
 ◆ 指導者・リーダー養成・研修事業
 ◆ 東日本大震災復興記念スポーツ交流大会
        
 (令和元年度決算報告)
  収入合計 6478万1090円  県費助成金10001000円  日体協補助金 8776640円
                     登録両  40496000円  他
  支出合計 6183万2445円  種目別大会16216000円  県運営 28840791円 他  
  収支差額  294万8645円 

         
(令和2年度事業計画・予算)
  
※ 13の種目別県大会 1671万2040円
  
 第47回日独スポーツ少年団同時交流受け入れ・派遣 245万円
  
※ 指導者養成・研修事業  631万③700円
  ※ 
リーダー養成・研修事業 166万7048円
  ※ 
地域交流補助事業    400万円
  ※ 
交流大会派遣事業  109万3769円
  ※ 
表彰費          74万4200円 
  
 他
  上記予定事業の中で、このコロナ騒ぎの中で実際できるのかという点が残ります。種目別県大会
 は上半期のものは、すでに実施不能です。例年7月に行っている関東大会ですが、当初9月に
 延期されていましたが、それも不能となり、結局中止されています。日独同時交流は今年は無理
 です。久喜市は県から指導者養成、地域交流、母集団の助成金を頂いて毎年実施しています。
  今年の指導者養成事業は、例の新しい「スタートコーチ養成研修会」となります。果たして市本部で
 主管できるかは全く分かりません。
  それよりも何もこれからのスポ少です。コロナの収束・その後の状況が全く分からないように、
 これも予測不能のものがあります。かって経験したことのない大不況がくる、という人がいます。
  少年団も全国的にほぼ4カ月、全く活動が出来ない状況にあります。比較的楽天的な人もいれば
 壊滅的打撃を受けるという人もいます。
  いずれにせよ1日も早い活動の再開を願い、その中で今まで同様、はじける子供の笑顔を育んで
 いく活動に当たっていきたいと考えています。

      ◎ スポ少本年度総会中止、書面評決へ 4/25(土) 

  「スポ少殺すに刃物はいらぬ。(週末に)雨の3日も降ればよい。」という言葉があります。そんな
 意味で言えばスポ少にとって、正に最悪とでも言うべき状況が続いています。3月2日付で、「当面
 少年団団活動の禁止」の通達を出したとき、まさかこうも長引くとは思ってもいませんでした。
  安部首相による自粛要請を受けて市内小中校の臨時休校から、緊急事態宣言の発令と進んで
 います。一応5月6日までとなっていますが、一部に?延期の声もあります。現時点では指導者、
 母集団の少数による会議も含め、一切の活動を休止している中で、年度末・年度初めから、「総会」
 の時を迎えています。
  本部総会をどうするか、この間ずっと考えてきました。教育委員会関係の団体で、すでに今年度
 総会を中止し、書面評決とした例が結構あります。いずれにせよどこかのレベルの会議で、決定
 せねばなりません。会議開催を図りましたが、今の状況では最小議決機関である「常任理事会」
 ですら15人を越ますので、不可といえます。時間はどんどん経過していきます。今日の新聞では
 「G・W明けの緊急事態宣言全面解除は困難か」との記事さえ見られました。事務局、副本部長と
 相談し、本年度総会の中止、書面評決で代行、の方向を取ることとしました。
  明日にでも正副本部長会議を開催します。10人を越す会議は持てないからです。「正副本部長
 会議」なるものに、規約上議決権はありませんが、現状からしてヤムを得ないと考えます。
  ご同意を頂ければ、総会資料の作成に移ります。3専門部会長、6種目別部会長に個人的に、
 事務局にお越しいただくことになります。必要なら私も立ち会います。資料が整った段階で、もし
 会議開催が可能となっていたら、常任理事会でご決定を頂きたいと考えています。
  なお正式議案の他に、「本年度の活動目標」なるものがあります。私はそこに、1・「新型コロナ
 ウイルス問題」、2・10周年を終えた本部活動の新しい方向性、3・新指導者制度に基づき、新たな
 資格の獲得、の3つを提案したく、文章化しました。
  とにかく少年団はG・W明けまでは一切の活動が出来ません。この延期も十分考えられます。
 とにかく大変ピンチな状況にあることは、間違いありません。しかし皆なで歯を食いしばってでも耐え
 再び子どもたちの明るい歓声が、各活動場所で聞かれるよう頑張っていきましょう。

      ◎ 市方針一転、スポ少活動禁止を継続  3/28(土)

  下段3/23日付で、コロナウイルス感染防止に対する久喜市の新たな方針から、4月1日から
 15日までの期間、少年団活動を可とする通知をしました。しかし首都圏・特に東京都の感染状況
 から、久喜市は「第7回・対策本部会議」の上記方針を変更、上記期間の全ての公共施設の使用を
 禁止(「ふれあいセンター久喜」は一部可)することとしました。従って少年団は先の通達(3/24
 
付け)を撤回し、従前どおり、一切の団活動を禁止とします。(上記内容の通達を急ぎお出しします。)

  混乱していますので、状況を整理します。
  新型コロナウイルスの感染が進む中、少年団活動について、いくつかの意見が寄せられて
  いました。しかし本部は自主自立を本来とすることに鑑み、禁止等の通達を控えてきました。
  そうした中、全国的に蔓延する感染状況に踏まえた、安倍首相による要請を受け、市教育
  委員会は、市内全小中校を3月2日から26日まで臨時休校とすることを決定、合わせて18才
  以下の体育施設の使用禁止と、外出自粛要請がなされました。
  これを受け、少年団本部は3月2日付で、一切の少年団活動の禁止、指導者・母集団会議の
  可能な限りの中止の通達を出しました。
 ※ それからほぼ3週間が経過しました。事務局には活動再開を求める声がいくつか寄せられて
  いました。また市には、全面休校のいくつかの弊害の声も寄せられたそうです。こうした中19日
  20日と開かれた国の「専門家会議」、「対策本部会議」の見解を受け、市は「第7回対策本部
  会議」を開催、以下を決定しました。
  市主催イベント等の原則中止、高齢者施設の休館等の継続、運動施設に関し高齢者等には
  引き続き利用自粛を求めるが、高校生以下の利用については可とする以上については4/1
  ~15までとする。
 
 この市の新たな方針をうけ、本部では3月24日付で、4/1~4/15の間、少年団活動の
  再開を可とする通達を出しました。歓迎する多くの声を聴くことが出来ました。
 
 しかしここ数日新たな事態が発生しました。東京都のオーバーシュートを連想する感染者の
  増大であり、このまま進むとロックダウン(都市封鎖)の可能性まであるという状態です。首都圏
  協働しての対応という声が起こり、今週末のそろっての外出自粛要請がなされました。
 
 これを受け久喜市では27日、先の方針を転換、従前どおり18歳以下の体育施設使用を禁止
  加えて、一般市民の種々公共施設の利用を大きく制限する方向を打ち出しました。
 ※ 従って少年団においても3/24日付通達を撤回、新たな通達を本日付でお出ししました。
  上記したように、
従前どおり活動禁止を4/15日までは継続するという内容です。
 ※ 4/15日以降です。何とも予測がつきかねる状態にあります。とにかく今は最悪の事態と
  ならないよう、私たちに出来る事をきちんとやっていくほかないようです。
     

   東京オリンピック・パラリンピック、ほぼ1年の延期を決定 3/26(木)

  コロナウウイルスの感染が、さらなる広がりを見せている中、中止か延期か、延期とすれば
 その時期は、といろいろ論議を呼んでいた、「2020東京オリンピック・パラリンピック」は、ほぼ
 1年の延長することが確定しました。24日の安倍首相の提案に、バッハ「IOC」会長が同意し
 その後の「IOC」緊急理事会で決定をみたものです。
  何度も言ってきたように私は、スポーツ物神論者であり、とりわけオリンピックに拝跪して
 きました。何としても予定通り行ってもらいたいとの、強い思いがありました。しかし最近の
 コロナウイルスの世界的感染状況を見ると、予定通りの開催は無理と考えていました。最悪
 「中止」という事もありえたわけで、「1年程度の延期」は、今の状況では考えられるベストの
 ものといえます。その意味で22日の緊急理事会で、「4週間内に検討し、決定する」とした
 「IOC」の結論が、世界中から批判を浴びていたわけで、安倍首相からの、バッハ会長への
 提案は、時期的にも、内容的にも良きものだったといえます。これに伴い丁度今日から、復興
 オリンピックを象徴する、「福島Jビレッジ」から始まる予定だった、「聖火リレー」も延期される
 ことになりました。
  いろいろな問題が残されています。来年は「陸上」と、「スイミング」の世界大会があります。
 この大会をどうするのか、という点もあります。また代表選手の件や、経済的諸問題等々です。
  しかし私はこの決定を、現状下での最良のものとして受け止め、来年を、1年程度先を待ち
 焦がれたいと思います。そして文化としての「真のスポーツ定着」のため、私なりの活動をして
 行きたいと考えています。
      ◎ スポーツ少年団活動再開へ  3/23(月) 

  下段でお知らせしたように、コロナウイルスの感染を防ぐものとして、久喜市内の小中高校は
 去る3月2日より26日まで臨時休校となっています。これに伴い外出自粛の要請がなされ、また
 学校体育施設は18歳以下の利用禁止、公共施設は実質的禁止となっています。これを受け
 少年団は2日付で、少年団活動の全面的禁止を通達しました。3週間が経過しました。あらゆる
 手段を講じての感染封じ込めが、一定の成果を挙げつつも、まだ予断を許さないという状況にあり
 ます。全面休校による深刻な影響もあり、各地域の状況に応じた柔軟な対応を、との方向が国
 からも打ち出されています。こうした状況の中、久喜市では以下のような方針を打ち出しました。
 ※ 3/26(水)・27(木)・28(金)の3日間、各校の状況に応じつつも基本的に登校日とし、補修
  授業を行い、終業式、春休みに入る。
 ※ 学校体育施設、公共施設の18歳以下の使用を、4/1(水)より4/15(水)まで許可する
 ※ この間に状況に踏まえ、4/16(木)以降は決定する。 
  したがって4月1日以降の少年団活動は原則可能となります。(この間の久喜市内の感染状況に
  踏まえ、16日以降は決定されます。)

  久喜市内に新たに感染者が出た場合、当然前に戻ることになります。また学校体育施設中、屋内
 は入学式等の関係で使用禁止の学校があります。各学校へお問い合わせください。
  大変な時期に長いこと、皆さんにはご迷惑をおかけしてきました。活動再開に当たっては、当然
 ながら感染防止に最大限の注意をお払いください。

  ◎ 「臨時休校中の少年団活動について」通知を出しました。 3/2(月) 

  安部首相の要請に基づき、久喜市教育委員会は本日2日より、26日までを「臨時休校」とする
 事を決定しました。この事態を受け2日付で、私の名前による以下を内容とする文書を出しました。

 ◆ 少年団は自主自立の組織であることから、「自粛要請」の段階では、こうした通知文は控えて
 きた。しかしこの事態で全く違ったものとなった。本部は会議を開いておらず、この文書は全て
 本部長たる岸の責任であること。

 ◆ 臨時休校期間中は、各学校の体育館・運動場は使用できません。また児童の外出自粛を
  求めています。以上のことから使用する施設のいかんを問わず、臨時休校期間中の一切の
  少年団活動を禁止とする。練習・交流試合はむろん、季節柄団総会・6年生の卒業を祝う会
  (お別れ会)も含む。

 ◆ 指導者会議・母集団会議も可能な限り自粛すること、ヤムを得ぬ場合少人数に留める事

 ◆ 臨時休校は26日まで、そのあとは春休みに入る。春休みに入っても上記の内容が継続
   される事を想定しておくこと。

 ◆ 本部は3月一杯はあらゆる会議を持たない。通常スケジュールが相当遅れるものと想定され
   ます。総会および総会を準備する理事会は、追って連絡する。

 ◆ 大変な事態ですが、少年団はいつも「子どもの未来」を第一に行動してきた。がんばって
   この危機を乗り越えていこう!

  以上を内容とするものです。「禁止する」等という表現を使ったのは今回が初めてです。
 ヤムを得ないことと考えます。

  第5回・久喜マラソン大会中止決定・緊急総会 2/20(木)総合文化会館 

  20日総合文化会館で、「久喜マラソン大会実行委員会」の緊急総会が開催されました。急な
 連絡にもかかわらず、総合文化会館広域展示室に置かれたイス席はほぼ満員でした。連絡を
 電話で受けたとき、審議内容と提案内容がすぐ理解出来ました。とうとう久喜もかと思い、残念
 だがしょうがないか、との思いが去来しました。要するに新型コロナウイルスの問題です。
  開会の挨拶で大会会長・梅田市長は、「市民生活の安心・安全を第一に、大会開催のゼヒに
 皆様の意見をお聞きしたい」とされました。鈴木実行委員長を議長に緊急総会に移りました。
  まず事務局より状況報告、今大会には小学生から70歳代まで、合計5、577名のエントリーが
 あり、またボランティアスタッフも1、330名の申し込みがあったとの事です。
  そうした中、国内で新型コロナウイルスの感染が確認され、その後も増大、こうしたことを背景に
 2月中旬以降、3月中旬までに開催予定の、市民マラソン大会の多くがすでに中止を決定している
 状況にあり、久喜マラソン大会も中止することを提案したいとしました。併せて大会を中止した場合
 のエントリー者への対応とし、1・参加費の返金はしない、2・参加記念品・大会プログラム・ナンバー
 ゼッケン等を送付する、3・次回大会への先行エントりー権を付与する、としました。
  質問・意見等は一切出ませんでした。皆・残念、ひと月先なのだから何とかできないか、との
 思いを持ちつつも、ヤムを得ないだろうという所なのでしょう。私も同じ思い、特に私の場合1週間
 先に祝賀会を控えており、落ち着かない日々を過ごしています。
  とに角1日も早くこの問題が落ち着き、通常の市民生活が送れることを祈るのみです。
   ◎ スポ少最後の認定員養成講習会 1日・白岡市、2日・久喜市 

  私は毎年2月の第一土・日は、大変忙しい日程に追われます
 毎年開催する「スポーツ少年団認定員養成講習会」が、久喜市
 では第1・第2日曜日に行われます。したがって朝の開講式、
 午後の講義と出席します。また同じ講習会をお隣白岡市では、
 第1土・日の2日間で行います。白岡とはいろんな面で交流して
 いますが、この講習会でも講師を相互に派遣しています。
 ですので私は、第1土の白岡の講習会に講師として参加して
 います。加えてこの2日間は、「まなびすと久喜」が開催されます
 初代推進部委員長であり、この大会を組織してきた者として、 可能な限り、顔を出すように
 しています。だからこの2日間は毎年あっち行ったり、こっち行ったりの忙しい時間を送って来ました
  今年はさらに地元本二町内会防災組織の、避難訓練が行われました。両方の役員をしている私
 は、当然これにも参加しました。何も忙しかったという報告ではありません。結局私は今年「まなび
 すと久喜」には参加できませんでした。報告する内容は、この講習会が、久喜市では昭和55年=
 1980から、毎年のように実施してきましたが、最後であること、日程上おそらく我が国で開催される
 最後のそれだという事です。
  今まで少年団は少年団の指導者養成制度にのっとり、講習会を実施してきました。私は昭和55
 年の久喜市での最初の講習会に、「認定員」を取得、翌年、田沢湖の「青少年センター」で育成員
 を取得しました。以来40年にわたってこの講習会の講師を勤めてきたことになります。
  この「スポーツ少年団指導者養成制度」が廃止されます。前記したようにこの制度に基づく講習会
 は今年度で無くなります。2月という事もあり、来週の日曜日も含めた久喜での講習会が、全国最後
 の物と思われます。
  来年から「日本スポーツ協会指導者養成制度」にたち、スタートコーチという新たな資格を取得
 することになります。日本スポーツ協会の他の資格と同様、4年ごとの更新、4年で1万円の資格
 登録費(初回のみ+登録事務手続き料3000円)が必要となります。「スタートコーチ養成講習会」
 ですが、1日の日程、研究協議をふくむ、従前同様市町村本部主催の物も取り入れる、等は決定
 されていますが、他は未定です。正し今までは無料でしたが、「受講料」は徴収されます。未定
 ですが3500~4500円と言われています。
  では今「認定員」の保有者はどうなるかという事です。「5年間猶予期間」として、指導者登録を
 することができます。もう1つの方法として、「認定員」は「スポーツリーダー」でもあります。この
 「スポーツリーダー」はスポーツ協会の資格のため、それを少年団指導者用としての、「アシスタント
 コーチ」に移転させることができます。この際も費用は「スタートコーチ」のそれと同じです。
  さらに言えばスポーツ協会加盟競技組織の指導者資格、サッカー協会やバレーボール連盟の
 指導者資格でも可能です。どれで可か各競技団体に問い合わせる必要があります。
  いずれにせよ、少年団の指導者にとっては、今より厳しい状況となります。これは「更新が義務
 づけられる」、「その上、金をとられる」といったレベルではなく、「良き指導者になる、そのために
 学び続ける」という事、時代を担う青少年の健やかな育成を図っていく、社会団体としての少年団
 指導者に、今そうしたことが求められている、という事なのです。
  今回この講習会を受講され、「認定員」の保有者となる皆様が、数年のうちに「スタートコーチ」の
 資格を取られることを強くお勧めします。少年団に45年関わり、少年団を深く愛する者の切なる
 希望です。(写真、―本日久喜での講習会―)
  
     ◎ 令和元年度・第5回久喜マラソン大会  1/31(金) 

  令和元年度・第5回久喜マラソン大会もアト2カ月後と
 迫りました。大会実行委員会の幹事会が、30日(木)「鷲宮
 総合支所会議室」において開催され、最後の準備状況を確認
 大会の成功を誓い相ました。
  すでにご報告しているように、3月の第4日曜日・22日開催、
 スタートゴールの久喜運動公園は々、ただ新たに「クオーター
 の部・約10K550m」が加わり、5部門で開催されます。
  従って「クオーターの部」参加者を1000人とし、定員を
 1000人増やして6000人としました。

  ※ 現時点での申し込み状況です。ハーフの部・3265人、クオーターの部・781人、3Kmの部・
 627人、1・5Kmの部・492人、親子の部・316人、計5481名、これに協賛企業ランナーが加わり
 5600名前後、充当率は約92%となります。
  ※ ゲストランナーです。おなじみ川内優輝選手、奥さんの侑子さん、久喜親善大使の岡島彩さん
 気象予報士の平井信行さんに、資生堂ランニングクラブ、平成国際大陸上競技部の皆さまです。
  ※ 運営に当たるスタッフです。本部・案内・駐車場・競技・救護等に1060人、これに高校生
 ボランティア約5人が加わって万全を期します。(含む・救護・医療体制)
  ※ 当日のスケジュールです。開会式8:00~ 3Kmの部8:45、ハーフの部9:20、親子の部
 9:30、クオーターの部9:55、1・5Kmの部10:00スタートとなっています。表彰式10:35から
 随時、競技終了12:10、ステージイベント12:15~、閉会宣言12:45です。
  ※ 表彰 1位から3位賞状・メダル・副賞 4位から6位賞状・副賞、7・8位賞状、全体の対象
 人数は33部門264名です。
   大会収支は参加費約1600万円、協賛金420万円、助成金975万円で、約3000万円を
 想定しています。
  ※ 交通関係  久喜駅から会場までのシャルバスを運行します。駐車場は総計1735台分確保
 しました。ただし運動公園内駐車場は事前申し込み選手、大会役員用であり、応援者は駐車出来ま
 せん。可能な限り車での来場はご遠慮下さい。
    交通規制について  走路周辺に各種交通規制が入ります。ご協力ください。
  
  当日好天に恵まれ、大盛況のうちに開催できることを願うのみです。私は変わらず副実行委員長
 を勤め、当日は本部におります。なお写真は前年・第4回大会のものです。

   ◎ 令和元年度・県スポ少現地研修会 1/25(土)・26(日)磯部温泉 



















  令和元年度・「埼玉県スポーツ少年団指導者現地研修」が、25(土)・26(日)と群馬県磯部温泉
 「磯部ガーデン」にて開催され、久喜の仲間8人と参加しました。この行事はすでに50年を超えて
 行われている埼玉県スポーツ少年団の名物行事、種目を超えた指導者が一堂に会し、研修を
 積むとともに、胸襟を開いて語り合い、懇親を深めようというものです。私も40年をこえて、毎年
 参加しています。鬼怒川・伊香保・塩原等々で行われてきましたが、このところ磯部温泉が多くなって
 います。車2台で久喜を出発、昼飯を横川の峠の釜めし」を、有名な「おぎのや」で食べました。
 やはり本店の釜めしは美味かったです。(―上・左―)
  さて研修会です。今年は180余名参加、最盛期300を超え、参加制限をかけたのですが、それに
 しても矢張り参加者の減少がみられ、チヨット寂しいです。正副本部長が壇上に上って開会式、
 考えてみれば私も17年、この立場にいたわけで、今は楽になりました。(―上・中―)
  1日目の研修は今関心の的の「指導者に関わる制度の改定について」、講師は日本スポーツ協会
 地域スポーツ推進部少年団課の駒田惇氏です。(―上・右―) 講演の内容について私はすでに
 市スポ少理事会で説明しています。今までの少年団の指導者養成制度に基づく指導者資格を
 廃止する。新たに日本スポーツ協会指導者養成制度による「スタートコーチ」養成講習会を実施
 する、他のいくつかの資格と合わせ「少年団の理念」を学んだ資格取得者のみ、指導者登録が
 できる(省略) というものです。この背景として、① 社会から少年団への期待が高まっている、②
 スポ少に「地域づくりに貢献する」事が求められており、より社会的使命を果たす存在になることが
 期待されていることから、③少年団指導者は全員、日本スポーツ協会公認指導者資格者である
 べきである、という事です。これは私にはよく理解できます。しかし県本部役員を辞し、現場の
 指導者とのみ接している今の立場だと、現実とやや乖離しているのでは、と思う部分が多いです。
 私としては粘り強く久喜の仲間に、理解を求めていきたいと思います。
  そのあとは種目別の分科会、私はサッカーのそれに出ました。種目によって分科会の時間と
 内容が大部異なるようです。風呂に入って、浴衣に着替えて「情報交換会」、要するに懇親会です。
  最初の頃300名を超す大宴会に感動を覚えたものでした。参加者も少なくなり、皆歳をとりました
 こう永くこの会に出ていると、ほとんどが顔なじみといえます。ご無沙汰をお詫びしたり、変わらず
 少年団談義に熱中したりと楽しい時間を過ごしました。(―下・左―) 
  
2日目の全体会です。かって種目別分科会の報告があったのですが、時間がかかるため、今は
 報告書のみ掲示されます。埼玉県スポ少の令和2年度の、全ての行事を知ることができます。
 
 (―下・中―) 2日目の研修は正副本部長5人をパネラーとし、指導協委員長をコーディネーター
 とするパネルディスカッション、「今後のスポーツ少年団活動について」です。昨日の講演内容の
 指導者改定制度から、指導のあり方、団員のタイプ、勝利至上主義について、指導者とコーチの
 違い、中学生組織化の必要性から母集団の問題と、多くの問題が語られました。ただ多岐多様に
 渡りすぎ、問いかけに連結性がなく、話しがあっちこっちに飛んで、深まらなという感じを持ちました。
 
(―下・右―)
  この現地研修会も長く、多く出過ぎました。そろそろ最後にしようかな、なんて思いつつ帰宅の
 途に就きました。

    ◎ 第37回埼玉県綱引選手権大会 1/19(日) 毎日興業アリーナ



















  この大会は全国大会の県予選となる、①一般男子の部、②一般女子の部の他、普及をネライと
 する③一般男子の部Ⅱ部、④男女混合の部、⑤小学生の部の5部門で行われます。ところがです。
 参加チーム①3チーム、②2チーム、③3チーム、④3チーム、と少なく、⑤も10チームにとどまり
 ました。合計なんと21チーム、久喜市の大会の1/5以下です。したがって市長のご挨拶を頂いた
 開会式も(―上・左―)何となく寂しいものでした。宣誓を市内太田小の選手にしてもらいました。
 太田小は長きにわたり、市内最強を誇る名門校、市内大会、この大会にも多く出場していただいて
 います。(―上・中―) 出場チームが少ないため、予選は普通の予選ではなく、決勝戦の組み合わ
 せを作るためのもの、試合数を多くするため主催者も苦労しています。審判は全員「AA」の公式
 審判員、実にスムーズに進んでいきました。
  さて各部門の成績です。⑤小学生部門では、市内大会で衝撃の「綱引」をみせた「東小桜ONE
  TEAM 」が圧勝しました。出場したチームはいずれも市内大会をへての、大型チームです。「東小・
 桜」はほどんど女性がメンバーでしたが、、超大型の「宮代笠原」、フォーム・技術面ではナンバー1
 の「太田」のチームにも危なげなく勝っていました。確かに女性では大型ですが、単にそれだけで
 ない、チームとしてのまとまりみたいなものもありました。敬服します。(―上・右―) 
  うれしいことがありました。④男女混合の部で、市内大会でも優勝した「小林鮪倶楽部」が見事
 優勝を飾ったことです。大会前日にО校長先生にお会いしたら、「ベストオーダーが組めないんで
 すよ」と言っておられましたが、メンバーぎりぎりで出場する、他のチームと異なり、多くのメンバーを
 擁していました。これは常日頃のしっかりした活動故と思います。小林小を核とした地域コミュニティ
 の形を「綱引」で体現されています。益々の活動に期待します。(―下・左―) ②一般女子の部は
 共に狭山市のチーム、予選では負けた(―下・中―)の「台城部」が優勝していました。写真のように
 当然ながら完璧なフォームです。それにしても2チームとは寂しいですね。
  同じく3チーム参加の①一般男子は県内では無敵の「ホンダブラックキヤット」が、今年も圧勝で
 した。(-下・右-) それでも全国大会ではいっも予選落ちです。ホンダに勝てるような新たな
 チームの誕生を期待するのですが、無理ですかね。
  この大会を久喜の体育館でやるようになってから何年か経ちます。市内大会で県の綱引連盟には
 大変お世話になっています。一向にかまわないのですが、大会そのものが停滞気味というのが
 寂しいです。平成初期のころは各市町に、それなりの綱引クラブがありました。その再生を望むのは
 綱引の持つハード性からして、無理なのでしょうか。最も市内でも前記した「小林倶楽部」を除いて
 ないのですから、会長として言える立場ではありませんが。

 第9回久喜市スポーツ少年団ロードレース大会 1/13(月・祝) 総合運動公園

























  令和元年度・第9回久喜市スポーツ少年団ロードレース大会が、13日市民グラウンドをスタート
 ゴールとする総合運動公園で行われました。新年に入り最初の事業であり、10周年記念事業と
 しての最終事業ともなります。この大会は、新久喜市スポ少本部として出発以来、菖蒲総合支所
 隣の上大崎グラウンド周辺で行われてきました。同グラウンドが所有者の県に返還され、遊水地
 としての工事が始まったため使用中止となり、変更を余儀なくされていました。コース・トイレ・駐車場
 すべての面を考慮し、総合運動公園としました。当日中学生の大きな大会があるため、体育館正面
 から奥、テニスコート周辺の公園内道路の使用を制限されました。コース設定に苦労しましたが、
 400mトラックの市民グラウンド、約480mのトラックが作れる多目的グラウンド、公園内道路を活用
 何とかそれぞれに距離の異なる1年~6年のコース、駅伝のコースを作ることが出来ました。
  8:20開会式を始めました。この季節とは思えない、暖かい良いコンディショニングの中でした。 
 市長・議長・教育長のご挨拶を頂きました。(―上・左―) 可愛い1年生からのスタートです。スタート
 点30m位手前からゆっくり歩かせ、スタート地点で「ドン」とピストルを撃つ方式、いきなりのスタート
 で焦って走る子どもたちの転倒等を防ぐためです。スタート役員は、手を拡げつつ子供たちと向かい
 合いながら背歩し、「ドン」の音でダッシュ、素早く両横に逃れます。(―上・左2―) これを10数回
 やったわけで、役員は結構大変だったと話していました。ずっと人数も増えて4年生・男子のスタート
 です。(―上・右2―) 選手諸君はトラックを一周し(―上・右―) 多目的グラウンドを走り、また樹木
 の下をくぐりトラックへと帰ってきます。(―中・左―) 新しいコースの利点は何と言ってもコンパクト
 なこと、ほとんどのコースを見渡せる本部周辺は応援で大変な人でした。(―中・左2―) 
  なお来賓梅田市長は、1年から6年までの男子の部、全レースを子どもと一緒に走られました。
 合計では10Kを少し超えています。子供たちも大感激、ありがとうございました。最も私は「市長が
 6レースも走ったんだから、本部長もせめて1レースくらい走れ」、と言われまいりましたが。
  大勢の役員の協力で運営もスムーズ、予定通りに個人ロードレースが終わり、団対抗駅伝競走に
 進みました。バスケやサッカーの団で男女両部門に出場もあるため、参加は50チームを優に超え
 ました。団の名誉がかかっていますので、みな熱心に注意事項に耳を傾けます。(―中・右2―)
  男女同時スタート、男子の部では昨年本部新加盟、「久喜陸上少年団」がどれほど走るかが注目
 でした。最初からこのところ強い野球の「A」、サッカー「HFC」と初めから首位争い(―中・右―)、
 見事に初優勝を飾っています。(―下・左―)はタスキ渡し、(―下・左2―)は公園内道路から、トラッ
 クへと懸命に走る選手諸君です。女子の部ではいつもバスケの団が強いのですが、今年は1位、
 太田ホワイト、2位ウエストのバドミントン少年団が上位を独占しました。この5チームは2/11日、
 熊谷市スポーツ文化公園陸上競技場での、少年団駅伝県大会に出場します。久喜市の仲間の
 代表、力走に期待します。
  閉会式、表彰式に移りました。今年は10周年記念のトロフィも加わり、カップ・トロフィが一杯
 でした。(―下・右2―) 戸草内副本部長から「講評」をうけ、(―下・右―)全てを終えました。
  絶好の駅伝日和に恵まれ、コースもまずまずで、大成功に終えることが出来ました。後は2月
 第1日・第2日の「認定員養成講習会」をもって、10周年の年の全てを追えます。私にとっては
 忘れられない1年となります。

 
   ◎ 年末年始のスポーツイベントから・サッカー  1/13(月) 

  サッカーは暮れの皇后杯、元日の天皇杯、そして高校選手権の女子と男子です。
 まず皇后杯です。絶対王者「日テレベレーザ」が、序盤にC・Kからあげた点をまもり、見事に
 3連勝を飾りました。「ベレーザ」はこれで、リーグ戦・カップ戦と3冠、今年から始まったアジアの
 クラブ選手権も加えれば4冠です。とにかく控え選手も含め、出る選手、出る選手「なでしこ」の
 メンバー、個人技の高さは傑出していました。しばらくは日テレ時代が続くものと思われます。
  0-1で敗れた「浦和レッズレディーズ」ですが、「南」が安定し、「高橋」等若手が成長、日テレを
 追う1番手の座を確立しつつあります。今年度に期待します。なお同じく埼玉の「ちふれASエル
 フィンズ」が3位に入賞、うれしい限りです。
  天皇杯です。新装なった新国立での初試合となりました。「ヴィッセル神戸」が、2―0で「鹿島
 アントラーズ」を下し、初優勝を飾りました。神戸はこのところ、「ボドルスキー」、「イニエスタ」、
 「ビジヤ」と往年の世界的名選手を次々と獲得、チーム作りが注目されていました。リーグ戦は
 8位ともう1つでしたが、「ビジヤ」退団に花を添えています。リーグ3位の鹿島は今年無冠に終わり
 ました。特に前半が大変悪かったです。最近この大会はJトップチームが、ACLにでるため、故障
 選手やコンディショニングに問題が出ています。鹿島はチヨット気の毒でした。「浦和レッズ」もそう
 ACLこそ、決勝戦まで進出しましたが、リーグ戦はまさかの14位、2020こそぜひ優勝争いを
 演じてほしいと考えます。
  高校選手権女子です。バスケ・バレー・バド等は男女共通ですが、ラグビー・サッカー・野球は
 男の種目という感じがします。もちろんスポーツの世界に男女差別はなし、どこも女子の普及に力を
 注いでいます。その中のトップがやはりサッカー、この大会も1998年に始まり、今年が第28回を
 数えます。初期は北の常盤木(仙台)、南の神村(鹿児島)の2強、その後兵庫の日の本、静岡の
 藤枝純心とで4強を形作ってきました。このところ2016に東京の十文字、昨年は神奈川の星槎国際
 湘南が優勝する等、全国的にレベルが上がっています。 決勝戦は準々決勝を「日の本」との死闘
 PK戦で勝利した藤枝純心が、神村学園を1-0で破り、4度目の優勝を飾りました。大変レベルの
  高い良い試合でした。藤枝純心主将、CB長江の安定した守備が光っていました。なお埼玉県は
 2回大会から5回大会まで、4連勝した過去がありますが、男子同様このところ全く振るいません。
 今年は関東地区代表校にも入れず、出場すらできていません。過去1度だけ全国大会に出ている
 地元・久喜高校も、関東大会出場がやっとのようです。奮起を求めます。
  最後に男子です。第98回大会、出場校数が4000を超えていました。101回の野球が3787校
 でしたから、だいぶ上回るようになりました。決勝戦は絶対王者V2を狙う青森山田と、名門復活を
 期す静岡学園との対決となりました。前半2-0と山田がリードした時、「あぁ つまんない」と思い
 ました。フリーキックからのヘディングとPK、いつもこんな形で点を取り、あとは固い守備で結果
 として勝ってしまう、こうした山田のサッカーがあまり好きではないからです。しかし静学は個人技を
 前面に押し出して反撃、3-2と見事な逆転勝利を収めました。藤枝東・清水東・清水商業とかって
 全国を席巻したサッカー所、24年ぶり静岡の復活です。また静岡同様このところ振るわない埼玉
 県勢ですが今年は、「昌平」が健闘しました。敗れた対山田戦も、後半見事な個人技から2-3と
 追い上げ山田を慌てさせました。静岡同様、名門所の復活を果たしていただきたいと切望します。
  アト準決勝戦の「帝京長岡」・「矢板中央」にも感心しました。帝京長岡の個人技、特にあのドリブル
 には目を見張りましたし、「静学」のシュートの嵐を防ぎ切った「矢板中央」魂のディフェンスにも
 心を揺さぶられました。とにかく男女共にレベルの高い戦いを堪能しました。ありがとうございました

      年末年始のスポーツイベントから・ラグビー 1/11日(土)

  この時期のラグビーの大会と言えば、高校選手権・大学選手権、そして日本選手権でした。この
 ウチ真の日本一を決める「日本選手権」はかって、学生と社会人のチヤンピオン同士の試合で
 日程も成人の日(1/15)に固定されていました。私が学生の頃は、早稲田の2年連続優勝なども
 ありました。1997年からトーナメント戦となり、社会人有利を反映し、2017年からは学生チームの
 参加はなくなり、社会人トップリーグの順位決定戦的意味合いの大会となっています。今年はW・Cの
 関係で、トップリーグは明日(12日)からの開催となり、この大会は行われませんでした。したがって
 高校・大学の2選手権大会のみです。
  暮れから初春にかけて花園で行われる高校選手権です。かって「ТBS」で放映していましたが、
 いつの間にかなくなりました。昨今のブーム到来で復活を期待しましたが、結局決勝戦のみでした。
 高校サッカー=日テレとはだいぶ差があります。こんなことではラグビーは、単なるブームに終わり
 ます。協会の努力に期待します。さてラグビーはあらゆるスポーツの中で、1番番狂わせの少ない
 競技です。この大会も多く、第1シードと、第2シードの決勝戦となります。今年もそれ、東の王者
 「桐蔭学園」と、西の王者「御所実業」の対戦となり、桐蔭が悲願の初(単独)優勝を飾りました。
  それにしても後半の逆転は見事でした。それにSО「伊藤選手」の個人技が光りました。後半の
 D・Gもさることながら、ランニングも素晴らしかったです。早稲田に進学するとのこと、楽しみにして
 います。それともう1つ、埼玉県代表、浦和高校の頑張りです。大変な粘りで3回戦まで進出しま
 した。文武両道の鏡みたいなもの、心からの拍手を送ります。それにしてもかっての秋田工業、
 黒沢尻工業(北上市・廃校)といった東北勢、東京の古くは保善・目黒から、近くの国学院久我山
 大坂の常翔(啓光)学園、京都の伏見工業と、名門が次々と衰退していくのは寂しいものですし、
 東西の桐蔭学園、東海大暁星、東福岡といった特別な学校のみ強いというのも、矢張り問題が
 ありますね。
  大学選手権です。関東リーグ、関西リーグ、対抗戦グループとある中で、矢張り強豪・名門校が
 多く、厳しい試合を多くしている「対抗戦グループ」が、強いのには変わりないようです。今年も
 名門中の名門、早稲田―明治に、天理、東海が挑戦しましたが、跳ね返されています。ところで
 このところ関西きっての名門・同志社が、低迷しているのは寂しいですね。
  さて早稲田と明治です。タテの明治にヨコ(展開)の早稲田、FWの明治にBKの早稲田とあらゆる
 面で、対局をなす2チームは、大学のというより日本のラグビーを牽引、人気を2分してきました 。
  今回も新装なった国立を満員としましたが、昔からこうでした。かって子女最強のFWをようした
 明治と、天才SО本城との対決となったときは、6万5千人入っています。
  さて今年も大型で強力FW の明治と、学生最高のハーフ団を中心とした、BKの早稲田の対決で
 した。対抗戦では明治が圧勝しています。しかし選手権で逆になるのが常、去年も逆でそうでした。
  特に早稲田は久しぶりにベストメンバーがそろい、本当に楽しみでした。さて試合です。前半の
 早稲田31-0は衝撃でした。全ての面で、早稲田が一歩上回っていました。しかし明治の後半の
 追い上げも見事、正に伝統の一戦にふさわしいものでした。早稲田ではキャップテン、S・H斎藤の
 正確なキックと判断力、センター中野の位置取り・突破力が目立っていました。来年以降は「帝京」
 も加わって、学生ラグビーを盛り上げてくれると考えます。本当に久しぶりの「荒ぶる」を聞き、
 涙を流しました。感激でした。 
  トップリーグは明日から開幕します。W・Cですっかり人気者となった選手が、それこそトップの
 プレーを披露してくれるものと、こちらもまたワクワクドキドキです。

     ◎ 年末年始のスポーツイベントから・駅伝  1/5(日) 

  正月というのは本当に日本的なものです。暮れのあわただしさから解放され、初日の出を
 拝み、一年の幸せを祈る、生活のリズムになくてはならないものです。その年末年始の最近での
 最大の楽しみは、孫の来宅と、この時期に行われるスポーツイベントのテレビ観戦になっています。
  特にサッカー・ラグビー・駅伝のいわゆる冬のスポーツは、年間最大の大会がこの時期にあり、
 ワクワクドキドキの何日かを過ごします。サッカー・ラグビ―は高校選手権の決勝が、遅くなって
 いますので、すでに終了した「駅伝」から振り返ってみます。
  
  まず暮れとは言えませんが、10月の末に大学女子の大会が仙台であり、暮れの30日には
 富士山麓を走る「富士山駅伝」が行われています。順位は共に1位・名城大学、2位・大東文化大学
 3位・立命館大学でした。(富士駅伝では3位に選抜) 女子大学ではかって京都の仏教大・立命館
 2強時代があり、その後立命館1強時代が5~6年続きました。ここへ来て名城大学が、昨年・今年
 と2大タイトルを獲得、黄金期を迎えつつあります。低学年の選手が多く、しばらくは名城時代が続き
 そうです。なお埼玉東松山の大東文化大はいつも2位、悲願の優勝には、いつも1人2人足りない
  状況です。
  これも暮れの直前、11月末に行われた社会人女子の大会、「クイーンズ駅伝」です。1位・J・P、
 2位・ダイハツ、3位・昨年優勝のパナソニックでした。JP―バナソニックの対決と言われましたが
 「J・P」4人の新人が好走しました。特に1区を走った廣中選手の走りは圧巻でした。まもなく女子
 長距離界に廣中時代が到来すると思われます。
  暮れの都路を走る「高校駅伝」です。マラソン距離を男子は7区、女子はハーフを5区で繋ぎます。
 ここでの問題は外人留学生、1人の走りで勝敗が決まってしまう事が、ここ数年続いています。男女
 共に最長距離の1区以外での出場となっています。女子ではその留学生を故障で使えなかった
 「仙台育英」が、日本人だけで優勝しています。なお5区を走った久喜中出身、「山中選手」は見事
 区間賞を獲得、優勝に貢献しました。未だ1年生、これからに期待するところ、大なるものがあり
 ます。昨年アンカーに留学生を起用、優勝した「神村学園」は、その留学生のリードを守れず2位に
 終わりました。
   男子では留学生を3区に使った「倉敷」を「仙台育英」が追走、6区で同じく留学生がほぼ捕らえ、
 1年生アンカーがトラック勝負に勝ち、男女アベック優勝を果たしています。埼玉県から男子は
 「埼玉栄」、女子は「昌平高校」が出場しました。かって大森監督の指導の下、埼玉栄の女子が
 連覇した時もありましたが、このところ男女共に低迷しています。男子「埼玉栄」は22位、このところ
 「埼玉栄」に代わって全国大会に出ている、女子「昌平」が13位と将来に期待を持たせました。

  新年に入って、上州路を走る元日の社会人男子の「ニユーイヤー駅伝」です。私は層の厚い「旭
 化成」時代が続くと予想していましたが、その通りとなりました。来年は箱根で驚異的新記録を
 打ち立てた、東洋大学・相沢選手も加入するそうです。優勝を決定づけた「小野選手」のような
 無名の若手も急成長、旭化成黄金時代が到来した感があります。なお埼玉ホンダは3位でしたが
 来年は箱根での東京国際大躍進の立役者、「伊藤選手」も加入するとのこと、ゼヒ旭化成を追って
 もらいたいと思います。
  さて最後が2・3日の箱根往復駅伝です。100Kを超すコースに、応援の人波がずーと続き、テレビ
 視聴率は30%を超えるという異常な人気を呼んでいます。今年は東海―青学を軸に、東洋・駒沢
 新興・国学院の5強と言われていましたが、青学が圧勝しました。3・4・5位に国学院・帝京・東京
 国際が入り、9位創価大と新興チームの躍進が目立ちました。一方駒沢は8位・東洋は10位に
 沈み、この大会きっての名門、中央は12位、日大18位と、はっきり新旧交代を示していました。
  しかも記録的にも従来の常識では理解できないものでした。総合タイムで7分も縮め、区間では
 新記録が7区間で出ています。特に2区相沢選手のタイムなど、チヨット信じられないものでした。
  これは元日のニユーイヤー駅伝から続いた好コンディション、そして実力の向上があるのですが
 もう1つ、話題を呼んでいる魔法のシューズの問題があります。これはナイキの「ズームXヴァイパー
 フライネクスト%」と呼ばれるもの、ド派手なピンクか赤のため、写る写真全てこのシューズを履いて
 おり、「魔法の赤いシューズ」とも呼ばれています。今回箱根では何と85%の選手がこれを履き
 好記録につながり、席巻しました。これはカーボンファイバープレートを、宇宙航空産業で使う特殊
 素材のフォームではさんであるため、厚底となります。マラソン2時間切りを可能としたキプチョゲ
 選手、日本新記録を作った設楽・大迫選手、高校駅伝、ニユーイヤー、箱根と、とに角この靴ばかり
 と言える状況です。1万mで30秒、箱根の22Km位では、60~70秒記録を縮めるというデータも
 あるそうです。国際陸連では「器具は不公平な補助、アドバンテージをもたらすものであってはなら
 ない」との規定に基づき、調査に入るとしています。かっての「魔法の水着」のようになるのでしょうか
 注意深く見守っていきたいと考えます。

   ◎ 第1回川内杯栗橋関所マラソン大会 12/29(土) 栗橋利根川河川敷

























  本ページ24日付でお知らせした、第1回川内杯栗橋関所マラソン大会が、絶好のマラソン日和
 に恵まれた29日、栗橋地区内栗橋河川敷で行われました。指定の駐車場に車を留め、日光街道
 を地下道でくぐり、利根川堤防を登り、下って河川敷の降り立つと、素晴らしい展望が私たちを
 迎えてくれました。主催者・選手のテントの彼方には、日光街道の鉄橋、その上に奥日光の山々、
 右手に転ずると関東の名山・筑波山と絶好のロケーションでした。(―上・左―)
  8時半、開会式が始まりました。大会会長、梅田市長やゲストランナー川内優輝選手が挨拶
 私も大会副会長と紹介を受け、チヨット面映ゆかったです。写真は選手宣誓です。(―上・中―)
  スケジュールは9:30、2㎞の部、10:00、10㎞の部です。開会式を終え、トイレに行きました。
 スタートゴール地点に10の仮設トイレを置いたのですが、マア長蛇の列、いらいらしながら並んで
 いたのですが、2㎞の部のストはおろか、ゴールまでも見られませんでした。2㎞のトップは何と
 6分30秒台という好記録、このコンディショニングと平たん路にあるのでしょうか。そのうち、間に
 合わなくなると10キロの選手が騒ぎ出しました。「お先にどうぞ」と譲っていたら、とうとうスタート、
 実際間に合わなかった人が10近くはいたと思います。10Kは30分かかります。ゆっくりゴール点に
 戻りながら、会場を見て歩きました。土手には主催者が用意した豚汁のテントがありましたが、川原
 の一部には、先の台風がもたらしたヘドロがまだ残っていました。(―中・左―) あるテントには
 川内優輝選手の各種大会での優勝トロフィ等が飾ってありました。(―上・右―)フルマラソン2:20
 以内での完走97回というギネスの認定書や、昨春のボストンマラソン優勝メダル等もありました。
  10キロの部のゴールです。トップの選手は何と30分を切りました。市民マラソン大会としては、
 破格の高タイム、(―中・中―) 川内3兄弟の真ん中、鮮輝選手は4位くらいでした。35分位に
 なると選手が続々とゴールしてきます。(―中・右―) 皆良い顔をしていました。今日のレースで
 殆どが好記録を出したとみて、多くがにこにこしていました。なお梅田市長が結構早かったのには
 びっくりしました。
  表彰式では男女それぞれ3部門に賞状、トロフィ等が授与されました。(―下・左―)表彰式も
 終わって、関門を設けなかった故のこの時間で最終ランナーが到着、ペースメーカーを務めた
 川内優輝ご夫妻が、途中まで戻ってエスコートしてのもの、みんなの祝福を受けて満足のゴール
 でした。(―下・中―) その後川内選手とのジヤンケン大会(―下・右―)、記念写真会等あり
 終始和やかな1日でした。
  この大会は川内鴻輝選手のプロモート、川内一家総出演とあって、若干批判の声も聞かれま
 した。しかし若さゆえのチャレンジ、好天に恵まれ、平たん路故の好記録続出、見事に成功したと
 思います。「聖地化プロジェクト」等の多くの仲間に恵まれたこともその一因と考えます。
  2回・3回と継続し、また地道な活動を続けていくことが大切、鴻輝選手のこれからの頑張に
 期待します。

     令和元年を振り返ってⅡ・スポレクのページから 12/27(金)

  令和元年を振り返るそのⅡは「スポレク」です。まなびすとのページでも記したように、私は
 昨年県スポ少の役員を辞しました。その時ずっと務めた来た久喜市のスポ少本部長も、と思い
 ました。ただ本年度が新久喜市スポ少10周年の年であり、10周年記念事業を実施することが
 決定していました。事業内容を私が決めました。企画の段階で責任者でありながら、実施の段階で
 その場にいないことは、何としても無責任です。それに記念事業の目玉ともいえる「日独同時交流」
 は私の強い希望で取り入れました。昭和59年・第11回の日独同時交流派遣、翌60年の第12回
 の受入れは、その後の私の活動の原点を形作りました。私的にはもう一度この事業を成し遂げて
 45年に達する自分のスポ少活動を締めくくりたいと考えたからです。だから「もう1年」と自らお願い
 して本部長を継続しました。そして10周年事業に取り組んだのです。
  「日独」の困難性は覚悟していました。しかし正直言ってこれほどつらいとは思いませんでした。
 5月には寝られない夜というものを、久しぶりに何日も経験しました。6月中旬になって、やっと
 ホストファミリ―が確定、同時にプログラムも決定を見たときは、天にも昇るうれしさでした。そして
 7月下旬夢のような1週間を過ごしました。私としては不満足なものでした。しかし県関係者等
 からそれなりの評価を頂きました。これはひとえにホストファミリーの方々の、完璧なまでの協力に
 あったと心から感謝しています。ただ今回の経験から今のスポ少(国・県)の状況では、この事業は
 益々難しくなるのではないかと考えています。
  2学期に入り、記念運動会、記念誌と記念品の作成、そして先月の式典と一気に終えました。特に
 記念誌刊行に当たっては、本部役員W氏の力大きいものがありました。感謝申し上げます。
  記念大運動会も、式典も日独同様、私には不満足でした。でもこれもまた、日独同様、外部の
 皆様には評価を頂きました。「大したものだよ」、「今これだけできるのは久喜しかないよ」という
 ように。私の思いだけが強すぎるのでしようか、私はスポ少の活動・組織・ありようが大好きです。
 だからこれだけの長きにわたり、没頭してきました。今でもスポ少の方々は真面目です。しかし年々
 子ども達のある種目のスポーツをする組織という傾向が強まっています。スポ少は育成団体であり、
 社会的団体であることを肝に銘じてもらいたいと考えます。10周年を終えて、今の私の心境は、
 「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」という所です。

  あと例年同様「綱引」にも関わってきました。これはほとんど、12月第一日曜日の大会と、その前
 ひと月の子どもたちへの指導の活動に限られています。今年もまずまずの大会でした。ただ
 「綱引連盟」の高齢化は増々進行、将来に暗い影を投げかけています。
 
  今年は他に「スポーツ推進審議会」が入りました。ご承知のように平成23年、戦後スポーツを
 法の立場から支えてきた「スポーツ振興法」(昭和36年)を50年ぶりに改訂、「スポーツ基本法」
 が成立しました。これを受け、24年国、25年県で「スポーツ基本(推進)」計画が策定されました。
  こうした時期に私は議会で、「久喜市においても推進計画を作るべし」との質問を何回もさせて
 頂きました。だから今の「久喜市スポーツ推進計画」も、「久喜市スポーツ推進審議会」発足も
 (私は)自分の議会活動の成果と思っています。本当は推進計画策定に自分が関わりたかった
 のです。久喜で50年にわたりスポーツ振興に関わり、すべての団体に関わり、多くの研修を積んだ
 者として、その自負がありました。しかしそれは無理というもの、できたものを拝見しました。まあ
 典型的なもの、良くも悪くもないものでした。だから民間人となって、これとC・Sだけはぜひやりたい
 と思っていました。今年その願いが叶って委員の依嘱を頂き、副会長となりました。本当は副の
 つかない方がよかったのですが!・?。しかし最初の会議で、これはダメだと思いました。年2回
 の会議、年間事業警戒と報告・時期遅れの。典型的なあるだけの審議会でしょう。私は会長招集
 による「推進委員協議会」の組織化を提案しました。自主研修、それによる意見提案の場です。
  折から久喜市は来年「スポーツ都市宣言」を発します。これを実効性あるものとせねばなりま
 せん。「推進計画」のいう、「いつでも どこでも 誰でも いつまでも」スポーツに楽しむ施策と環境
 整備が伴うものでなければなりません。その中で「推進会議」の果たす役割は大きいものがあり
 ます。来年はこの点に頑張っていきます。
  今年は大成功を収めたラグビーW・C、そして来年はいよいよ東京オリンピックです。来年も
 スポーツとともに生きていきます。

    ◎ 川内杯栗橋関所マラソン大会について 12/24(火) 

  喜びの郷「久喜マラソン大会」については、このページで何度も報告してきました。今年は新たに
 「クオーターの部」も加え、より充実した内容で行われます。ただコースが久喜と鷲宮地区に限られ
 ています。栗橋、菖蒲地区でもマラソン大会を!、それを街づくり・活性化につなげられたら、そんな
 人たちの思いを受けて、企画されたのがこの大会です。主催は上記大会実行委員会、主催は
 「市民ランナーの聖地化プロジェクト」、ご存知の方もおられると思いますが、川内兄弟を中心に
 久喜市を市民ランナーのメッカにしようと活動している団体です。そして協力団体として、久喜市や
 久喜市商工会、観光協会などと共に、「日光街道栗橋関所・栗橋宿を元気にする会」もあり、この
 大会の性格を表しています。この大会実行委の最後の会議が、22日夜市内で開催されました。
 
  大会の概要です。期日は暮れも押し詰まった29日・日曜日、会場はJR・東武栗橋駅から、徒歩
 20分、栗橋関所近くの利根川河川敷が、スタートゴールです。なお選手は河川敷の駐車場が
 利用できますが、応援の方は栗橋小をお勧めします。レースは高校生以上で年齢別に3段階・
 男女別の6部門が10Km、小学生部門男女別・高・低学年別の4部門の2㎞です。河川敷を上流
 加須市方面に走り、折り返すコースです。募集人数1キロの部700人、2キロの部300人でした。
  すでに締め切っていますが、計1120名の申し込みがありました。開会式が8:30、2Kスタート
 9:30、10Kスタート10:00、閉会式は11:30となっています。ゲストランナーにカップを寄贈
 されたおなじみ川内優輝さん、奥様の川内侑子さん、次兄の川内鮮輝さん、この大会の総合
 ディレクターは川内鴻輝君、大会副会長がお母さんと、まさに川内家総出演となります。

  大会役員です。大会会長に梅田市長、そして私が川内家のお母さんとともに副会長となりました。
 お恥ずかしい限りです。事務局を一手に司る運営本部長に、私とは親しい関係にある砂川前市民
 まつり実行委員長がつかれています。
  とにかくマラソン大会をやりたい、久喜を市民マラソンの聖地にしたい、合わせて町の活性化を、
 そんな夢を持つ、情熱にあふれる人たちの手作りの大会です。 
  来場・応援をよろしくお願いします。

  ◎ ウインターカップ久喜2019 12/21(土)・22(日)毎日興業アリーナ他










  この時期の大会として、しっかり定着している「ウインターカップ久喜2019」が、21・22の
 2日間、毎日興行アリーナ、サブアリーナ、市内小学校体育館で行われました。この大会は
 競技力の向上・優勝を目指す優勝部門、日ごろ交流しているチームとの交流を図る友好部門
 に分かれ、また歓迎の垂幕、久喜の子どもたちによる歓迎のパフオーマンス、母集団の真摯
 な大会運営への参加等、少年団大会のありうべき大会の在り方を示しており、いつもさわやか
 な感じでこの大会を拝見しています。左は開会式での市長挨拶中は参加50チームの紹介
 です。もちろん県大会での優勝チーム等、県内の強豪チームも多く参加しています。
  右はこの大会の呼び物の1つとなっている歓迎のパフオーマンスです。今年は久喜ミニの
 男女団員、保護者が、北陽高校チア―リーディングと一緒に、「クッキーダンス」を踊って
 くれました









  この大会は前記したように、県大会上位チームが多く出場する「優勝部門」と、久喜の各
 チームが日頃仲良くしている、東部地区のチームが多い「友好部門」と2つに分かれています。
  「友好部門」は市内の各小学校体育館で行われます。左は久喜小体育館でのその部門の
 試合です。各チームの母集団が運営を担って、本当に手作りの大会との観を深くします。
 優勝部門の総合の準決勝、決勝戦を観戦しました。埼玉県の少年団は13の種目別県大会を
 持っています。全ての大会を見ています。試合前両チームが向かい合って挨拶するのは、ほぼ
 共通です―右― 変わっているのはその前の選手紹介です。ミニバスでは々サイドに両選手が
 並び、紹介されると自分の選手と手タッチ、審判に握手、そのあと相手チームの監督のみに
 握手し、コートの走り出るというもの―中― いろいろな選手紹介があるものだと思いました。

  優勝部門の決勝戦は男子は
 「越谷ウインズ」対「入間リベルタ」
 女子は「川口じりん」対「越谷宮本
 シャインズ」の対戦、いずれも県内
 を代表する強豪チームです。 



 試合中の写真撮影は禁止です。写真は役員控室のガラス越し遠くから撮りました。共に白黒の
 ユニフォームですので、解りづらいですが手前が男子・奥が女子の試合です。―左―
 試合は男子は「越谷ウインズ」、女子は「川口じりん」が、序盤からリード、危なげなく勝ちました。
 「川口じりん」は、確かこの大会3連覇と思います。
  試合終了後ただちに閉会式・表彰式に移りました。優勝部門でも1回戦で負けたチームの、
 ブロック毎の試合があり、多くのチームが表彰の対象となる配慮がなされています。―右―
 賞状、カップ等お渡しした後、私はお礼の言葉を申し上げました。
  少年団の望ましい大会の在り方を示すこの大会を、長きにわたり運営している久喜市スポ少
 ミニバス部会の皆様にまず感謝し、参加選手諸君には、この大会での熱戦を糧に、これからの
 素晴らしい未来を歩んでいただきたいことをお話しました。
  いつもながらさわやかな思いとともに、会場を後にしました。

 スポ少 来年度から登録規程・指導者書規程変更 12/13(金) 

  来年度(令和2・2020年)から、スポーツ少年団の登録規程、および指導者諸規定が変わり
 ます。このことに関し、明日・13日、15:00より「ふれあいセンター久喜」で開催される理事会
 にて説明する予定です。良く理解され対応されるよう切望します。

 ★ 登録 原則として団員10名以上・指導者2名以上(2名以上の有資格者=スポーツ少年団の
  理念を学んだ者)を必要とする。ここまでは従来と変わりません。ただし有資格者でないと
  指導者として登録できなくなります。資格のない者は、変更により新たに設けられた、役員
  又はスタッフとして登録することになります。(役員・スタッフの概念は規定がありません。)

 ★ 有資格者 今までのスポーツ少年団指導者養成制度に元ずく、「認定員養成講習会」は
  本年度(令和元年度)で廃止されます。来年度からは新たに、日本スポーツ協会指導者養成
  制度に基づき、スタートコーチ(少年団)を養成します。

 ★ スタートコーチ養成講習会 当然県単位での実施となります。県本部では今まで同様、
  市町村本部での開催も予定しています。受講料・実施回数等詳細は未定です。講習会は
  1日で9時間、内容については従前とあまり変更はありませんが、団員年齢の低下から
  ACP、また倫理等が加わり、進行方式として、グループワークが取り入れられます。
  検定試験あり、
指導者登録料は4年間で1万円、最初のみ登録手続き料3000円を要します。
  
4年ごとの再研修は義務となります。 

 ★ 令和2年以降、この
スタートコーチ現認定員が移行出来る「コーチングアシスタント
  及び他の
日本スポーツ協会公認資格が(例・サッカーのA・B・C級指導員等)が指導者登録に
  必要な資格となります。しかしながら
来年度から令和登録までは、現行の認定員資格で
  
登録できる猶予期間となっています。 

 ★ そのために認定員資格をお持ちの方は
「公認アシスタントコーチ」への移行が必要となります。
  今までの養成講習会で認定員は「スポーツリーダー」の資格をも持っています。これをアシスタント
  コーチへと移行します。そのためには日本スポーツ協会に資格移行申請を行い、移行手続きを
  行う必要があります。当然その際13000円は必要となります。また次回更新の4年のうちに
  研修会の受講が必要となります。
  最終移行申請は令和5年11月、移行手続き完了は6年3月となり、10年3月31日まで有効。

 ★ 変更内容、手続き、費用、有効年数等を中心にお知らせしてきました。1番大切なことは
  この改定は、
地域社会から信頼される少年団を目指し、すべての指導者が良き指導者になる事
  そのために全員が研修し、資格保有者になるためのものです。

  ● なお岸は久喜市スポーツ少年団500名指導者が、早い段階で(ここ1・2年で)スタート
   コーチ資格者になることを強く求めます。

     第10回・久喜市綱引大会 12/1(日) 毎日興業アリーナ 










   第10回久喜綱引大会が、1日毎日興業アリーナで開催されました。久喜市合併10周年
 記念と銘打ってあります。今年も120チーム、1160名もの参加がありました。実は2年前の
 大会153チーム、1370人をピークとして少しずつ減少しています。これは少子化によるもの
 1学年・1クラスで1チームが組めなくなっているのです。特に女子が8人そろわず、男子の
 チームに参加するというのが多くみられました。ために低学年の部を筆頭に、女子の部の
 参加が男子の部をだいぶ下回りました。ここ数年様子を見て、対策を講じねばと考えます。
 それでも開会式では、さすがに広いアリーナも参加者で埋め尽くされました。(―左―)
  開会式の最後に、江面第一小児童代表による選手宣誓がありました。今回江1小には
 3日間指導にお伺いしました。顔なじみの子でしたがステキな宣誓でした。(―中―)
  競技が始まりました。小学生を低学年・中学年・高学年の男女別と6部門に分けて進行
 していきます。(―右―) は高学年女子ですが、見事なフォームです。最初からこれですから
 この大会のレベルの高さがうかがえますね。










  この大会、ユニフーム統一の規定はありません。でも参加選手諸君はチームとしての
 まとまりを表す意味で、そろったユニフームで参加します。主に学校の体育着、濃紺や
 淡紺のものが多いです。中にはカラフルなユニフォームも見られます。(―左―) 
 清久小と思いますが、運動会の時に使用するのでしょうか、黄・赤・ブルーといったТシャツ
 実にカラフルでした。また(―中―) は、片や黄、片や青のТシャツでの出場でした。
  小学生の部の予選リーグを終え、一般の部に移りました。男女4人ずつの混合です。
 各小学校が、先生、PТA役員等でチームを構成、出場してくれます。ために子どもたちの
 声援は耳をつんざくものがあります。(―右―)は校長先生をトップタガーとした久喜小の
 チームです。一般混合はAレーン、1番本部席近くで行われます。私のすぐ近くまで応援に
 来た久喜小児童が「イノベーション力!、イノベーション力だ!」といって応援しているのには
 思わず笑ってしまいました。これは久喜小の学校教育目標が、今年から「イノベーション
 (力の育成)」となったためです。簡単に言えば「新たな価値を創造する(力の育成)」とでも
 言えますか。私も「学校運営協議会委員」として、これに賛同しています。しかし「イノベーション力」
 では、綱引は勝てませんネ。児童の必死の応援むなしく見事予選敗退でした。










  午前で予選リーグを終え、午後から決勝トーナメントに移りました。小学生6部門、伝統的に
 太田小のチームが強いです。これはもう20年以上前からで、1つはこの大会に臨む態勢の
 違い、もう1つは歴代の先生方の指導の積み重ねによるものと思われます。綱引は簡単な
 競技、1人1人が身体全部の力で綱を引き、8人が1つにまとまることです。しかし難しくも
 あり、相手・時間との関係でこれが崩れてしまいます。太田小のチームは全て原則をよく
 守り、厳しい練習をこなしてきているのでしょう。低学年・中学年男女4部門で、今年も優勝しました。
  ただ高学年では男女共に、大きな体と圧倒的パワーを持ったチームが勝っています。男子は
 青毛小、女子は久喜東小のチームでした。青毛小には毎年お伺いしています。強力チームと考え
 期待して指導に当たりました。まずまずの引き方でしたが、今年会場中にどよめきを持って迎え
 られたのは、東小女子チームでした。何年かに1度、こういうチームが登場します。とにかく大きい
 そろいの紫色のロングТシャツで登場した時、大人のチームかと思ったくらいでした。おそらく
 専門的な指導は受けてないのだと思います。粗削りでしたが、とにかく圧倒的なパワーでした。
 (―左―) 一般の部では「小林倶楽部」が連破しています。専門的指導者を要する小林地区の
 クラブです。最近県内・全国共に、地域の綱引クラブが減っています。今後のご努力に期待します。
  閉会式に移り、今年からあたらしくした優勝カップ等を授与しました。3位以内入賞の中に、
 桜田小、(―中―)、栗橋南小といった比較的新しいチーム、また小林小、江Ⅱ小といった小規模
 校もありました。関係者のご努力に敬意を表します。前記した東小女子チームの表彰(―右―)
 一般の表彰をもって閉会式を終えました。最後に私は「講評」で、『綱引のもつ、1人1人の頑張り、
 チームとしての団結が、学校・地域のこれからの中で活かされることを望みま。この力で10年を
 終えた、久喜市の新しい未来を共に頑張っていきましょう。』と申し述べました。
  最後に大会運営に大いなる協力を頂いた、埼玉県綱引連盟役員、久喜市スポーツ推進委員の
 皆様に心よりの御礼を申し上げます。ありがとうございました。

 
       スポ少ロードレース大会コース設定 11/28(木) 

 
 今年1年「10周年記念事業」に取り組んできたスポーツ少年団も、下段で報告したように
 16(土)の「記念式典」をもって、その事業を終了しました。厳密にいえば「10周年記念」と冠を
 つけた大会が、1つだけ残っています。毎年年が明けた1月上旬に行われるロードレース大会
 その団対抗駅伝がそれです。この大会はこの10年、菖蒲総合支所のおとなりにある「上大崎
 グラウンド」を発着点とする、コースで行われてきました。西北方向がはるか遠くまで田んぼ、
 北風でもふけば猛烈に寒い、という1点を除けば、「見沼代用水」沿いを走る良いコースでした。
  ところがです。この「上大崎グラウンド」が、県の調整池工事のため、使用できなくなりました。
 したがって新しい会場・コースを設定して、来年の本番に備える事となりました。
  スポ少ロードレース大会会場としての必要条件は、駐車場、トイレ、そしてコースです。この
 3つを全部クリアーできるところはそうないのです。そこで駐車場・トイレからまず「総合運動公園」
 
を第一候補地としました。ここの欠点はコース取りの難しいこと、400mトラックの市民グラウンド
 ですから、距離の短い低学年は対応できます。しかし2000mは欲しい、高学年、駅伝コースと
 なると難しいのです。「国体道路」を使うことは多分出来ないと思われます。そこで先日役員に
 お集まりいただき、実測を兼ねてコース設定を行いました。

  いずれにせよ市民グラウンドが、スタート・ゴールです。大体走る距離は過去の大会から、1年
 男女と2年女子が1000m、2年男子と3年男女が1200m、4年男女と5年女子が1500m、
 5年男子・6年男女・駅伝が2000mという所です。
  そこで市民グラウンドは1周400m、お隣の多目的グラウンドは同じく1週400mの(トラック・
 コース)を作ることができます。そこで1000mは市民グラウンド2周半、1200mは市民グラウンド
 1周、多目的へ走って1周、また市民グラウンドへ戻って1周(実際は1300m位)で対応できます。
  問題は市民グラウンドの出入り口、多目的グラウンドの出入り口が限られるため、コース
 設定に難しい所がありますが。
  そしてそれ以上の距離のコースです。運動公園内道路を走らせようと思ったのですが、大会
 当日毎日興行アリーナで、大きな大会があり、体育館前は遠慮されたいとの通告を受けました。
 そこで良くマラソンや駅伝のゴールでみられる、内周・外周コースを作らねばならなくなりました。
 個人レースは良いのですが、駅伝は難しく、ために国体道路の歩道を走るケースも考えられます。
 他目的グラウンド外側の約100mの部分ですが、ここは市道、警察の許可がいります。
  今申請中です。はっきりしているのはあくまで会場は、市民Gを発着点とする運動公園だと
 いうこと、これから細部を詰めて本番に備えていきます。

     ◎ 第5回・久喜マラソン大会準備進む  11/26(火)

  数えて第5回となる本年度の「久喜マラソン大会」、来年(令和2年)3月22日(日)開催
 されます。すでに大会参加受付も始まり、準備は順調に進んでいます。

 ◆ 新たにクオーター部門が加わりました。今までハーフ・3Km・1・5Km・親子と4部門
  で行われてきました。「ハーフはきつい、10Kmの部門を設けてくれないか」との要望を
  多くいただいてきました。今大会から「ハーフ」になぞらえ、「クオーターの部」を新設します。
  クオーターですから10・5Km強となります。コースは「野原種苗」先まで「ハーフ」と同じ
  その先を左折し、JR新幹線高架下を久喜駅、東5丁目と走るものです。
  今回この部門参加者を1000人とし、全体を5000人から6000人に増員しました。

 ◆ ハーフの部のコースを一部変更しました。今までは桜田4丁目をコースが囲んでしまう
  ため、長期通行不可となっていました。「東鷲宮駅」手前、トンネルを通り、沼井公園で折り
  返しとなります。

 ◆ 現時点での申し込み状況です。全体6000人のところ2286人、ハーフの部は3200人
   のところ1613人、クオーターの1000人のところ257人となっています。まあこれからと
   いう所ですね。

 ◆ スポーツ少年団は今までと同様、運輸部門を担当します。駐車場・シャトルバス・選手収容
  などが内容です。同じく今まで同様本部役員、久喜と鷲宮地区少年団は2名、栗橋と菖蒲
  地区少年団は1名の派遣をお願いします。今年は10周年記念事業の年、いろいろお願いを
  してきましたが、これは内部事業と違い、市民全ての人の参加と協力で成り立つものです。
  100%の協力をお願いします。

 ◆ 私は変わらず、この運輸部門責任者、全体の副実行委員長を勤めます。大会成功を期し
   頑張っていきます。

        今年も綱引指導頑張っています









 
 毎年12月第一日曜日は「久喜市綱引大会」です。今年は1日、いつもの「毎日興業アリーナ」
 で開催されます。久喜市は綱引に、埼玉県で1番最初に取り組みました。昭和58年のことです。
 もう何ども報告していますが、以来私は綱引に関わり、3年ほど前から会長職にあります。
  ですから毎年この時期は、猛烈に忙しいです。大会準備の他に、参加する小学生児童の指導
 が加わるためです。写真はいずれも昨年度の大会です。
左から開会式、ほぼ正しい6年生
 
チームのフォーム、そして閉会式です。今年も126チーム、1155名もの参加を頂きます。
  楽しく、思い出に残る大会でありますよう準備していきます。元気に参加してください。

  この綱引大会に参加する児童の指導に、連日駆け回っています。本当は放課後残って頂けて
 1時間程度の練習をするのが理想なのですが、帰宅の問題があるのでしょう。それをせず、
 昼休み、業間にお声がかかります。それも長くとれる曜日に集中しますので、どうしてもダブって
 しまうこととなります。とにかくウイークディは、毎日どこかへお伺いしています。
  綱引はハードで、かつ結構難しい競技です。まず1人一人が正しく綱を引かねばなりません。
 そのためには「綱」を身体の真ん中、おへその前に固定し、身体全体の力で引くことです。
  しかしこれが意外と難しいものです。苦しくなると手の力で引く、身体が「綱」とナナメになる、
 頭がフラフラする等々です。次にこの正しいフォームで、8人全員が1つのチームになる事です。
 綱引は誰のせいで負けるとか、誰のおかげで勝ったとかいうことのない、8人が心を一つにして
 こそ成り立つ、究極のチーム競技なのです。例えば上の写真の中、これは昨年の大会で高学年
 男子の部で、優勝したチームだと思います。身体全体の力で引く、8人が一直線上になっている
 頭がしっかり固定されている、まず正しい引き方です。引かれて、耐えて、耐えて、また引くの
 繰り返しり中で、このフォームは乱れがちです。「最後まで頑張るんだよ」と子どもたちに口が
 酸っぱくなるほど教えています。
  本番の大会まであと10日ほどです。教え子通しが引き合う時など、どちらを応援するか迷う
 ものです。でも子供たちが、この究極の仲間を信頼する競技で、1日がんばって何かを
 学んでくれたらと頑張っていきます。
  12月1日、元気に参加してください。

   ◎ 県スポ少東部地区本部長会議  11/17(日) 越谷市役所会議室

  16日の「設立10周年記念式典」の疲れもとれぬ中、17日午後、越谷市市役所会議室にて
 令和元年度「東部地区本部長会議」が開催され、副本部長吉住氏とともに出席しました。
  県スポーツ少年団の最高決議機関は、「代議員会=総会」です。この代議員は市町村
 本部長、または副本部長となっています。年に一度では、なかなか県本部の情報伝達と、意思の
 疎通もままならぬ、という事で、藤沼元本部長時代に、この会議は設定されました。県内4つの
 ブロックで会議を持ち、情報伝達、意見交換、合わせて懇親を図るものです。私は東部地区を
 代表して、副本部長を17年務めました。だからこの会議を主催する立場にあり、久喜を会場に
 したのも5~6回にのぼります。
  合併で東部地区を構成する市町も15になりました。今回八潮市・行田市を除く13の本部長に
 出席、県本部から尾崎本部長、事務局、総勢30名の出席を頂きました。越谷市教育長、尾崎
 県本部長の挨拶の後、直ちに会議に移りました。
  まず県本部の「こどもとスポーツの未来を考えるプロジェクト」がまとめた、「スポーツ少年団の
 未来に向けて 育てよう! スポーツで子どもの心と体」についてです。原理原則に立ち、望ましい
 少年団活動を提案しています。その通りだはと思いますが、最近の私はこの種の話に、心が踊ら
 なくなりました。歳ですネ。
  次は「市町村少年団の状況について、倫理規定の整備状況、来年度からの指導者制度」です。
 「処分基準「については、私が県のプロジェクトの責任者としてまとめたものです。従って久喜市
 では、埼玉県でというより、全国で一番最初に、「倫理規定」を総会で確立しています。しかし県内
 市町村本部の多くが、未整備の段階にとどまり、残念な思いがします。
  登録制度です。ご承知のように令和2年(23020)から、新たな登録規定、指導者諸規定が施行
 されます。このことについては、別に詳しく報告します。
  最後が「県内スポーツ少年団の状況について・登録数」でした。毎年この時にその年の初期
 登録数が公表されます。それによれば団数・1558、指導者17485、団員45642、いずれも
 前年から、30団、220人、1104人マイナスとなっており、依然として長期低落状況に歯止めは
 かかっていないこととなりました。種目別ではサッカー6団・団員数432人、野球12団・250人の
 減となっており、このところ頑張っていたバスケも、216人の減少となっています。陸上とラグビー
 のみが団員数の増加を見ています。久喜市です。51団・480名指導者・1254名団員で、2団
 増、指導者8名減、団員団員3名増となっています。5年前=平成237年度から数値が出て
 いますが、団・指導者・団員共に、わずか数名とはいえ増えているのは、東部地区15市町で
 久喜のみです。東部地区・団員数では春日部市がダントツで、2位をいつも久喜と越谷市で争って
 きました。今年春日部市は1357、越谷市は1263名、久喜市は9名少なく3位でした。ただし
 春日部市はこの5年間で370名、越谷市は160名減少しており、来年は久喜市がトップにたつ
 かもしれませんね。春日部市の人口は23万6千人、越谷市34万ですから、久喜は良く頑張って
 いるといえます。その証拠に小学生児童数に対すね少年団団員数、いわゆる加入率は久喜が
 15・87%でトップです。越谷市=6・69%、春日部市12・73%となっています。とにかく加入率
 が問題ですね。久喜市増えたのはわずか3名、新規加入の陸上とソフトテニスがなければ、逆に
 70名近い減だったわけで、喜ぶわけにもいきません。これからも1人でも多くの子どもたちを
 迎え入れる努力をみんなで続けていきましょう。
  そのあと会議を閉じ、懇親会場に移動、楽しい情報交換の時をもち解散しました。もちろん
 皆から昨日の記念式典につして、高い評価を頂き、感謝されたのは申すべきべきもありません。、

  ◎ 久喜市スポ少設立10周年記念式典 11/16(土) 三高サロン








  前段でお知らせしたように、16日(土)三高サロンにおいて、「創立10周年記念式典」を
 開催しました。1市3町の合併により、新久喜市が誕生したのは、平成22年です。この合併が
 確実となった21年秋、4つの町の少年団本部は、「新久喜市スポーツ少年団本部結成準備会」
 を立ち上げ、周到な準備活動に踏まえ、22年秋「新本部」を発足させました。今年が10周年の
 年となります。この記念すべき年に当たり、従来の活動の点検、厳しい組織状況の中、活動の
 展望を切り開く場として、「10周年記念事業」に取り組んできました。すでにそのすべてをこの
 ページで報告してきましたが、以下の通りです。
 ① 第46回日独同時交流受け入れ 7月25日~8月1日 終了
 ② 大運動会 9月29日(日) 南栗橋スポーツ広場  終了
 ③ 記念品の制作・配布
 ④ 記念誌の発行     この2つは下段で紹介した通りです。
 ⑤ 冠6種目別大会   終了
    ロードレース大会団対抗駅伝・男女 令和2年1月
  そして⑥ がこの記念式典です。以上記念式典はこの事業の締め括りとなるものです。

  会には約140名の参加を頂きました。伊藤常任理事の司会のした進められました。まず私が
 主催者挨拶、『歩んできた10年は決して穏やかな航海ではなかった事、しかし関係皆様の懸命
 な努力で、51団・1300団員・500指導者が原則的少年団活動に取り組んでいる事、この
 記念事業を契機とし、少年団活動の王道を歩み続けていく事』等を、お話申し上げました。
  そのあと記念表彰に移りました。市長・教育長・私の3者連名によるもの、単位団推薦
 部会推薦、本部推薦の皆さまでした。次に私から感謝状を贈呈しました。これは本部・部会活動
 に、多大な貢献をされた5団体・5人の個人の方です。(―左―) 亀田常任理事より受賞者を
 代表しての謝辞を頂き、来賓の皆様からご祝辞を頂きました。県本部長代理・七五三(しめ)
 副本部長、市長・議長等6名よりいただきました。(―左・2―) 式典の1部、表彰を終わり
 2部・祝賀会に移りました。
  乾杯のご発声を、飯島前副本部長・放課後子ども教室運営委員会々長が行い、(―右・2―)
 直ちに祝宴に移りました。私にはこの事業を進めるにあたり、だいぶ皆様に激を飛ばし、協力を
 強いてきたかな、という思いがありました。そんなことで来賓の方はもむろんですが、出席された
 本部関係者皆様にお酌をして回りました。いろいろありがとうございました。
  良い雰囲気の会でした。出席された方は皆最後まで残っておられました。最後に戸草内副
 本部長が、実感のこもった閉会の挨拶をされ終了しました。(―右―)

  これで記念事業は、ほぼ終了したことになります。地獄だった日独の準備過程等の思い出が
 去来しました。私にとっては全て不満の残るものでしたが、結果は多くの皆様からそれなりの
 評価を頂きました。私の思いの方が、現実と合わなくなっているのかな、「老兵は死なず、ただ
 消えゆくのみ」か、マッカーサーのそんな言葉を思いつつ帰宅しました。

  ◎ 本日市スポ少本部設立10周年記念式典開催 11/16(土)
        記念誌・記念品完成・配布します。 










  本日・午後5時より「三サロン」において、久喜市スポーツ少年団「設立10周年記念式典」
 を開催します。久喜市と同じく、平成22年に誕生した「新久喜市本部」は、本年をもって10
 執念を迎えました。その節目の年に、従来の活動の点検、未来への展望を切り開くものと
 して10周年記念事業に取り組んできたことは、もう何どもこのページで報告してきました。
  「第46回・日独同時交流」、「大運動会」を終わらせることが出来ました。その締めくくり
 として、今日の「式典」があるのですが、これに合わせ、10周年記念誌(―左―)、記念品
 (―中・右―)を発行・作成・配布します。
  記念品は名入りタオルです。写真のようにブルーのタオル地に、少年団マーク、「KUKI
 Junior  Sports  Club  The10th  Anniversary」と白文字で名入りされています。厚地の
 良いものです。きっと好評を頂けるものと思います。これは全団員・指導者に配布します。
  「あゆみ」と題された記念誌です。A4版ピタリ100頁です。私のあいさつ文、市長・議長など
 の祝辞文、6種目別部会2ページ、全51単位団1ページの紹介文、本部事業紹介、本部
 規約、役員名簿に加え、協賛の広告15頁です。これは1500部印刷しました。全指導者
 には配布、団員にも半数以上にお渡しできると思います。これは記念誌部会にお任せして
 いました。渡辺部会長以下のご努力に感謝申し上げます。
  当然記念誌・記念品は、本日の式典、来賓の皆様には贈呈します。なお記念誌はのちに
 県内全市町村本部に郵送の予定です。
  準備を入れれば1年かかりました。後は今日夕刻からの式典を待つのみです。そこにおいて
 52名の皆様を表彰、10団体・企業・個人に感謝状を贈呈ます。
  日独をはじめ、長く苦しい道のりでした。「終わりよければすべてよし」と言います。
  式典を成功に終わらせるよう頑張ります。

    ◎ ラグビー W・C2019閉幕に思うこと  11/8(金)

   ラグビーW・C2019は、日本の大躍進の中、大変な盛り上がりをみせ、「南アフリカ」の
 ニュージーランドと並ぶ、3度目の優勝で幕を閉じました。途中台風の影響で中止となった
 3試合がありましたが、アジアで最初に開かれたこの大会は、大成功の内に閉幕しました。
 ①大会そのもの、②試合、③今後の日本ラグビーの3点から振り返ってみたいと思います。

  日本のこうしたイベントの組織力には定評のあるところです。日本でラグビーは決して
 メジャーとは言えません。10年前に決定されましたが、4年前の認知度は50%だったそう
 です。しかし観客数、テレビ視聴率、チケット販売数とも、過去最大、またはそれに近い数字を
 出しました。サッカーの「FIFA」に当たる、ラグビーの国際統括団体・「WR」ビル・バ―モント
 会長は、「今後につながる画期的な素晴らしい大会」だったと、高い評価をしています。大会
 組織委員会関係皆様のご努力に感謝し、これからのラグビーの、そして人類福祉の向上を
 もたらす、文化としてのスポーツの発展・普及につなげて頂きたいと考えます。
  
  次に試合です。日本の初のベストエイト=決勝トーナメント進出を高く評価します。フルコンタクト
 スポーツ種目の中で、日本が到達できる最高位の成績だったと考えます。私は日本が本当に
 強くなったとはいえ、イギリスの4協会、フランス、南半球の3カ国には勝てないと思っていました。
  したがって決勝トーナメント進出は、まず無理という予想でした。それが予選リーグで優勝候補
 アイルランド、トーナメント戦進出をかけたガチ勝負での、スコットランドへの勝利は、素晴らしいの
 一言に尽きます。特にスコットランド戦2トライ目の、BK・FW一体となっての得点、オフロードパス
 の連続でのあのプレーは、今大会の圧巻であり、涙が出ました。
  ラグビーは比較的、予想しやすく、それがあまり外れない競技です。でも今大会ティア1のトップ
 チーム間ではそうでもない、まさに奥深いものだと感じました。大会前はトップグループはニユー
 ジーランド、イングランド、アイルランドの3国、次のグループはウエールズ、南アフリカ、オースト
 ラリアでした。予選リーグを終えてニユージーランドがダントツ、ついでイングランド、優勝はこの
 2カ 国から、チヨット不気味なのが、予選リーグでニユージーランドに粉砕されましたが、その後
 見事な戦いをしている南アフリカかな、と予想しました。準決勝でニユージーランドが、決勝戦で
 イングランドが、それこそ完敗したのは予想を裏切るものでした。南アフリカが優勝したのは、
 個の強さ・フィズィカルの強さでした。どこのチームにも互角に渡り合った、日本のFWが、モールで
 30mも押されたのはまさに衝撃でした。しかし結局ラグビーは、ここが原点なのでしょう。
 
  ラグビーW・Cを終えてこれからの日本ラグビーです。フィバーとして終わらせることなく、日本
 ラグビーの強化へと繋げていかねばなりません。Aがトップチームの強化、Bが底辺の拡大、Cが
 ラグビー観客の増加です。トップチームの強化としては、1流代表チームとのテストマッチを多く
 経験すること、トップリーグの強化、特に清宮副会長が発言したところの、8チーム位による
 プロリーグの発足は、ぜひ早急に実現してほしいと思います。Cの観客数の増大です。これは
 ここしばらくは続くと思います。ただかってのブーム期にも、早明戦で国立を満員にしたことが
 ありました。最近テレビのワイドショーで、連日ラグビーが取り上げられます。にわかフアンの
 コメンティターが、ノーサイド精神のすばらしさを語っています。しかし世界のラグビに「ノーサイド
 精神」はあっても、「ノーサイド」なる言葉はありません。「フルタイム」といいます。「ノーサイド精神」
 はあらゆるスポーツに共通のものです。こうしたそこの浅さは、Bの底辺の拡大にもつながります。
  私はこれにかなり悲観的です。中学校や、高校で一気に部活動が活発になる、ラグビーは
 そんなやわなものではありません。とにかくフィズィカルの占める部分が強すぎるのですいわば
 日本人には不向きなスポーツといえます。国籍のいかんを問わず、代表選手中、外国人は
 前回3分の1、今回半分、2023大会は3分の2となる事でしょう。身体・骨格はどうにも
 ならないことです。しかし底辺の拡大なしに、今後の日本ラグビーの成長はなし、タグラグビー
 その他の普及で、地道な努力を続ける事しかないでしょう。
  とにかくさわやかに戦い、日本ラグビーの進歩を見せつけてくれた、代表チームに拍手を
 送ります。これからも多くの大会を見続け、日本ラグビーを応援していきます。

 
    第65回・中央地区市民体育祭 11/3(日・祝)久喜小校庭 















  3日、久喜小校庭で第65回・「中央地区市民体育祭」が開催されました。この日、午後からの
 天候が心配されていましたが、昔から雨の心配はない日となっており、まずまずの天候で1日
 楽しむことが出来ました。なにせ65回という歴史・伝統を誇ります。ちょうど私が小学校4年生の
 時、と記憶しています。私は第1回から参加していることになります。なにせ町内会が6~7の
 頃(丁度今の祭典保存会の数)です。町内会対抗仮装行列等もあり、今以上の盛り上がりでした。
  参加町内会が30ほどになった今ですが、その伝統を受け継いでいます。会場周囲をぐるっと
 テントが取り囲み、町会ごとのコスチュームによる入場行進など、私の知る限り市内体育祭の
 最大規模で行われていると思います。
  (―上・左―)はその表れの入場行進、(―上・左2―)は会場風景です。開会式への入場行進は
 町内会ごとにそろいのユニフーム・帽子で堂々の行進です。中には手作りの小旗を打ちふるって
 という町内もあります。会場は周囲をずらーとテントで囲まれます。各テントでは女性役員が
 トン汁・おでん・お汁粉等を作って、参加町内会員にふるまっています。正に昔と変わらぬ、良き
 コミュニティの場なのです。
  実施種目は10数です。町内対抗のものを除き、多くは自由参加です。(―上・右2―)は玉入れ
 (―上・右―)は大玉送りです。老若男女が一緒に汗を流します。また久喜小の子どもたちも
 鼓笛演奏で花を添えてくれました。(―下・左―)なお央中央地区の市民体育祭、会場は久喜小と
 本町小の隔年です。したがって鼓笛演奏も隔年となります。
  もちろん大変な盛り上がりを見せる対抗種目もあります。綱引・ゲームリレー・普通のリレー
 です。私は毎年「綱引」の審判をします。予選・決勝とあり、結構忙しいです。「ゲームリレー」は
 (―下・左2―) 我が町内は、なぜか絶対的に強く、今年も優勝できました。リレーです。男女別
 6人、小学生2人、一般4人(20歳以上2人)で構成されます。メンバー集めが結構大変です。
 今年男子の部でよいメンバーが集まり、上位入賞を狙っていました。予選でぶっちぎりの1位
 だったのですが、何と違反があったとのことで失格となりました。リレーゾーンを巡ることです。
  走ったメンバーは納得せず、若干混乱がおきました。結局解釈の問題です。この種の催しは
 ルールは緩やかに、が原則です。私は体育指導委員の頃、20年を超えて判定を下し、抗議を
 受ける立場にいました。この種のことは毎年起きます。マア仕方ないことといえます。
  町内対抗リレー(―下・左2―)ですべてのプログラムを終了、閉会式に移りました。(―下・左―)
 恒例のお楽しみ抽選会もありました。我が町内会長に、「お米5K」が当たり、「今度の防災訓練
 炊き出しの原料が入ったぞ」と皆大騒ぎでした。 
  もちろん夜は町内会役員、婦人会、民生委員から地区PТAの方まで加わって、反省会で
 楽しいひと時を過ごしました。本当に楽しく、かつ有意義な1日でした。

   ◎ 女子バスケリーグの試合を見ました。10/26(土) 毎日興業アリーナ



















  26日(午後)毎日興行アリーナで、バスケットボール女子日本リーグ、東京羽田ヴィッキーズ―
 JX・ENEOSサンフラワーズの試合を観戦しました。毎日興業が招待したもので、夜はB2リーグ
 越谷アルファーズ―香川ファイブアローズの試合もありましたが、こちらはスポ少の会議があり
 観戦できませんでした。とにかく久喜市のスポーツ推進計画に、するスポーツ―見るスポーツ
 ―支えるスポーツを推進する、とあり、こうした国内トップレベルの試合を見られ事は、大変良い
 こと、機会を提供された毎日興業に感謝します。
  私は前から埼玉(所沢)ブロンコスの試合等、いつもご案内を頂いていました。今回も久喜市の
 行政トップの方は皆、顔をそろえていましたが、「サンフラワーズ」のマスコット、エノモス君と
 和やかに談笑していました。(―上・左―) この試合は「ヴィッキーズ」の主催です。そのサイド
 ゴール下という、絶好のポジションで試合を見る事が出来ました。
  ところでバスケットボール女子日本リーグは、12クラブで運営されています。JX、トヨタ、デンソー
 富士通、シャンソン化粧品等々です。その中で「JX・ENEOS」は最強チーム、昨年度も優勝して
 います。例の 春日部市出身、日本代表の不動のエース、「渡嘉敷来夢」選手を中心に大柄な
 選手が多く、試合前の練習は迫力がありました。一方「羽田ヴィッキーズ」は小柄な選手が多く
 会場に多く来ていた、昌平高校バスケ部の先輩も選手として出場、応援は優勢でした。梅田市長
 挨拶、野球の始球式に当たるボール投げを行い、試合開始です。(―上・中―) 
  とにかくスピードがあり、目の前で見る試合は迫力がありました。コンタクトプレーでバランスを
 崩し、倒れた選手が目の前まで滑り込んできました。同じく勢い余り、ゴールの支柱に激突して
 動けない選手まで出ました。試合は「サンフラワーズ」の優成が予測されていました。しかし
 ハーフまでは「ヴィッキーズ」が善戦しました。3点シュートが正確で、スピーディに動き回り
 わずか1ポイント差の状態でした。しかし第3クオーター、第4クオーターで、やはり力の差が
 出ました。(―上右・下中―) とにかくゴール下で待ち構える渡嘉敷選手への、高くて早いパスを
 止める事が出来ず、確実にポイントをあげられていました。あっという間に30点差となり、結局
 99-74でサンフラワーズの勝利に終わりました。終わってみれば、ほぼ順当な結果といえます。
  一味違うバスケットの試合を見る事が出来ました。とに角会場がにぎやかです。絶えず応援と
 絶叫型のアナウンスが入ります。落ち着いて試合を見る、という雰囲気は全くありません。最も
 このスタイルが「時代」にあっているのかな、とも思います。
  ハーフタイムには「サンフラワーズ」チア―ガールによる、ハーフタイムシヨーもありました。
 (―下・左―) 前段にはおなじみ北陽高校のダンスもありました。いつもご苦労様です。
 試合終了、マッチオブプレイヤーとして、共に埼玉出身の渡嘉敷選手と、前記した昌平高校
 ОGが表彰されていました。選手たちは会場フアンに挨拶、退場していきました。(―下・右―)
  ミニバス少年団団員の孫は今、バスケに夢中です。栃木ブレックスの試合をよく見に行きます。
 「連れて行け」といつも催促されます。今度はbJリーグの試合を見に行くか、そんな思いにさせて
 くれた今日の観戦でした。

    ◎ W・Cラグビー代表チームの健闘を称える 10/23 (水) 

  このページでこのところ何回か記してきました。今・日本で開催されている「ラグビーW・C」で  
 日本代表チームは大活躍、予選リーグを4戦全勝、ブロック1位でベスト8、決勝トーナメント  
 に進出しましたが、決勝トーナメント1回戦、準々決勝戦で南アリリカに3-26で惜敗?完敗
 大敗し、姿を消しました。しかし出場チーム中最弱国の1つと言われながら、前回大会で大躍進
 奇跡とまで言われた南アフリカ戦の勝利、他3勝をあげた勢いを持続、さらにアップさせ、優勝
 候補のアイルランド、スコットランド等を倒し、目標としたベスト8入りを果たした事、早く・短いパスを
 縦横につなぐ攻め、身体的劣勢をまとまりで防ぐ守備は、大会関係者から高い評価を呼び、
 日本列島にラグビーフィバーを巻き起こしました。さわやかな、あくまでもさわやかだった、その
 健闘に心からの拍手を送ります。ご苦労様でした。

  私はラグビーの予想については、極めてネガティブです。「ティア1」の国には、いくら日本が強く
 なったとはいえ、イタリア・アルゼンチンを除いては勝てないだろうと思っていました。フィズィカルに
 加え、歴史・伝統に違いがあるからです。ベスト8入りを目標とした日本と、いつもそこに入っている
 チームとの違いです。南アフリカ戦に良く表れていました。ニユージーランドに敗れたとは言え
 南アフリカは、決勝トーナメント入りを前提に、コンディショニングを調整していました。ベスト8を
 目標に、しかも前回大会の教訓からボーナスポイントを得るため、ほぼメンバーを固定、最終盤
 まで全力で戦ってきた日本とには大きな違いがありました。アイルランドが苦杯をなめた、日本の
 早い横への展開を、CТBを前に出すことで完璧に押さえました。後は日本の弱点であり、自分の
 長所である「身体要素」を徹底的に使用、セットプレーで完全に制圧していました。日本がこうした
 国に勝ち、さらに上位に進むには、ベスト8の常連国になること、そうした国とのテストマッチを
 数多く行うこと、これしかないと思います。そのためには、長い長い時間がかかると思われます。

  さてこのW・Cラグビー大会で、多く誕生したにわかラグビ―ファンです。私はあまり期待していま
 せん。熱しやすく、冷めやすいは日本人の特徴ですが、かっての「2002日韓W・C」と同じように
 ならぬことを期待するのみです。せめてマスコミが、これに少しは乗って、高校選手権や学生、
 トップリーグ等の試合中継を多くしてくれることを、望むものです。
  これと共に肝心のラグビー人口の増大の問題です。これも難しいなと思っています。とにかく
 ラグビーは、身体要素の強い、まさにフルコンタクトスポーツです。かって天皇杯は社会人と学生の
 №1チーム同士で争われました。私が早稲田を終える年のそれは、「近鉄」と「早稲田」との対戦
 でした。その時、大会前に早稲田の名伯楽・日比野監督が恐怖を込めて、「近鉄は(F・Wが)押して
 来るだろうな」と語っていたのを思い出します。近鉄のFWには100Kを超す選手が2人もいる
 からとのことでした。しかし今・学生チームですら、100Kを超えない選手はレギュラーになれま
 せん。早稲田―リコー日本代表と、7番・右の名フランカーに石塚武生という人がいました。
 170cm・75㎏の体躯で、タックル魔と呼ばれる猛烈タックルを繰り返し、日本代表不動の
 レギュラーでした。しかし今なら、石塚がどんなに果敢なタックルを繰り返しても、代表チームへの
 お呼びすらかからないでしよう。私のサッカーの教え子で、U高校でラグビーをやった子がいます。
 正面からタックルに入る怖さ・恐怖感を語っていました。180cm・100㎏を超す選手が全力で
 ぶつかり合う競技、それがラグビーです。綱引と同様、決してメジャーなスポーツにはなりえない
 のではないか、そんな気がしてなりません。底辺が厚くなるのが、トップチームの強くなる条件
 です。そんな意味ではチヨット心配な部分もあります。
  この期間、ずっと私たちを楽しませてくれた代表チームに、心からの拍手を送ります。のこる
 W・Cラグビー大会を最後まで見続け、又何か記したいと思います。

 スポーツ推進審議会委員の依嘱を頂きました。10/16(水) 教委会議室 

  令和元年度の第1回「久喜市スポーツ推進審議会」が、16日教委会議室で開催され、委嘱書
 を頂き委員に就任しました。また冒頭の役員選出において、ご推薦を頂き同委員会の副会長に
 就任させていただきました。とにかく待ち望んでいた委員であり、全力を挙げ、久喜市スポーツ
 レクリエーションの振興、健康な街づくりへの努力を誓うものです。
  私が昨年の4月に議員を辞し、24年ぶりに晴れて民間人となったとき、やりたい仕事・役職が
 ありました。1つは学校運営協議会委員→コミュニティスクールへのかかわりであり、1つは
 スポーツ推進審議会委員→スポーツレクリエーションの振興でした。両者ともに私の議会活動
 の結果として誕生した制度・仕組みであり、民間人としてその責任を取り続けたいと思ったから
 です。学校運営協議会委員の方は、昨年4月に久喜小で依嘱されており、「地域とともにある
 学校」作りに邁進しています。(本H・Pまなびすとのページ参照)
  さてスポーツ推進審議会委員のほうです。私はいわゆる「スポーツ議員」として、過去多くの
 場で、久喜市民スポーツ推進の提案をしてきました。平成23年「スポーツ基本法」、24年
 国の「基本計画」、25年県の「推進計画」という流れの中で、私は久喜市において「スポーツ
 推進計画」の策定、そのための「スポーツ推進審議会」の組織化、を求める提案を何回か
 し続けました。はじめはにべもない答弁でしたが、国・県の流れには抗し難かったのだと思い
 ます。27年「審議会発足」諮問→答申と進み、29年3月「久喜市スポーツ推進計画」が
 策定されました。私はこの流れを喜ぶ゜とともに、「自分が関わりたい」とうずく思いがしました。
  50年を超え現場で活動し、多くの研修を積んできた者として、そうした思いが強かったのです。
 しかし当時はかなわぬ夢、じっと耐え、晴れて今日の日を迎えた事となります。

  委嘱書の交付、教育長挨拶と進んで、3期目にはいった審議会新委員の自己紹介です。
 委員は15名、5名が公募委員、残り10名がいわゆる学識委員ですが、4名がスポーツレク
 団体代表、5名は区長会、老人会、校長会等の代表で構成されています。
  会長、副会長の選出に移りました。他委員より推薦があり、会長に「瀧澤重博」氏、副会長に
 私が選出されました。会長の滝沢氏は発足時から会長にあった方、淑徳大学特任教員と
 名簿の備考欄に記載されています。私は初めてお会いしたわけで、お人柄、過去の活動実績等
 何も知りません。とにかく副会長という立場上、補佐・審議会の円滑な運営に努力してまいります。
  そのあとこの「会議」と、久喜市の「スポーツ推進計画」について事務局より説明を受け、会長を
 議長に議事に移りました。
  市内スポレク団体への交付金額、事業報告等を資料に沿って説明を受け、質問・意見を述べる
 ものです。社会教育委員会の会議や、今まで私の出てきた各種審議会で感じてきた、余り中身
 のない時間です。私は今まで記してきた関係から、発足以来「スポーツ推進審議会」には、
 強い関心を持ってきました。その私にすら、この会議の活動は見えて来ませんでした。最もこれは
 常設審議会のもつ性格の1つですが。ただ公募委員の中に、障がい者スポーツ等に強く関わって
 いる方がおられ、積極的な発言をされておられました。
  私は最後に2つほど意見を述べました。1つは久喜市が急に言い出した「スポーツ都市宣言・
 健康生活宣言」(名称もこれから、具体的中身も現時点では不明)と、これから第2次に向けて
 準備活動に入る「推進計画」との関係、もう1つは年2回という会議の在り方ではダメだという
 こと、仮称・「スポーツ推進審議会委員協議会」的なものをもうけ、自主研修の場を設けるべき、
 というものです。1つ目はあれは首長部局と言っていました。いかにも行政的答弁、スポーツ推進
 に関わるものは、全部自分のこととして考えねばいけません。もう1つは検討課題となりましたが
 次回会議は令和2年2月予定! こういうことだと誰の目にも、この会議は見えてきません。
  とにかく切望していた役職、前向きに頑張っていきます。

    ◎ ラグビーW・C 日本代表決勝トーナメントへ 10/15(火)

  本べージでも取り上げてきましたが、今日本で開催されている「ラグビーW・C2019」は
 4プールに分かれての予選リーグを終え、ベスト8による決勝トーナメント戦に突入します。
  プールAに属していた我が日本代表チームは、先月20日の開幕戦、ロシア戦以来、
 アイルランド―サモアと勝利、ベスト8=決勝トーナメント進出をかけた最終戦、13日の
 スコットランド戦に、「W・C」の伝説になる、とまで言わせしめた熱戦を展開、見事28-21で
 勝利、何と4戦全勝、A組1位で決勝トーナメントへの出場を決定しました。
  それにしても「W・C」関係者で誰が、アイルランド・スコットランドを連破して、1位での予選
 リーグ通過を予想したでしょうか。まさに「W・C」史上に残る、見事な見事な戦いぶりでした。

  その見事さを象徴するのが、前半2度目のトライと、後半の最終盤、自陣前での守備
 でした。2度目のトライはフッカーの堀江がボールを持ち出し、ロック―FBとボールをつなぎ
 最後にプロップの稲垣が飛び込んだものです。まさにフォワード・バックス一体となっての
 ものです。そして特筆すべきはこの過程での個々人の技術の高さです。スピンとオフロード
 パスの連続でした。スピンとは目の前の相手防御者を、回転しつつ、かわすプレーです。
 前回の2015大会で、ウイングの山田が何回かこのフレーを見せてくれました。ちなみに
 サッカーにもこのプレーはあり、フランス・ジダン選手の数々のプレーは有名です。
  オフロード(パス)とは、タックルされ、倒れながらも、味方選手にパスを出すプレーを
 言います。これにより攻撃のスピード化、連続性が確保されます。こうした高度の技術を
 大事な場面で、しかもフォワードの選手までが、トップスピードで出来るのですから、まさに 
 「魔法のトライ」、「衝撃のトライ」となったわけです。
  もう1つは最終盤の守備でした。フィズカルに勝るスコットランドに押し込まれました。相手も
 必死でした。「テイア1」、伝統国の面目があります。私はいつも明治の重量F・Wに、早稲田の
 軽量F・Wが押し込まれ、屈辱の認定トライを取られるのを見てきました。「認定トライじゃねー」
 なんてレフェリーを野次ったものでした。しかし日本代表チームは違いました。低い姿勢と
 全員のまとまりで耐え抜きターンオーバー、残り時間が少ないことから、今度はF・W陣で
 ボールをキープ、ついに歓喜の時を迎えたのです。

  さあ決勝トーナメントです。日本は20(日)、B組2位の南アフリカと対戦します。南アフリカは
 正直強いです。まして今大会の日本の活躍から、前回大会とは異なり、万全の準備をして
 来るでしょう。しかし日本がアイルランドに勝つことを、誰が予想したでしょう。おめず臆せず
 堂々のプレイを、何よりもよい試合を期待します。
  さて私の予想です。準決勝戦はイングランド―ニユージーランド、ウエールズ―南アフリカ
 でしょう。そして決勝戦はニユージーランド―ウエールズかな、そして、優勝は、これは大会に
 入って全くスキを見せていないニユージーランドでしょうか。ラグビーW・C史上初のアジアで
 開催された大会で、これまたW・C史上初のV3を果たす、というものです。でもこれは全く常識的
 予想、この常識を覆す、日本チームの魂の戦いに期待しましょう。

         ◎ 金田正一投手・死去   10/7(月)

  昨夜寝る前にパソコンを開いたところ、「金田正一さん死去」の報がありびっくりしました。
 本日の新聞も大きく報じています。6日(日)早朝、敗血症のため、86歳にて死去されました。
 偉大な記録を作り、愛される大投手でした。心よりの冥福をお祈りします。
  金田投手は国鉄スワローズ(現ヤクルト)→巨人と活躍し、14年連続20勝、通算400勝、
 通算4490奪三振等、不滅の記録を打ち立てました。長身、筋肉質の体躯、左腕から投げ
 おろす快速球と、「屋根から落ちるよう」と言わせしめた、大きくタテに割れるカープで大活躍
 1958年開幕戦でのルーキー長嶋との「奪4打席連続三振」は、今でも語り継がれる伝説的
 エピソードとなりました。65年巨人軍に移籍、О・Nとともに巨人V9の牽引役となりました。
  69年に通算400勝を達成、引退しました。その後ロッテオリオンズの監督、解説者等として
 活躍されていました。明るい性格とチヨットオーバーなジェスチャー、誰からも愛された人でした。
 なお背番号「34」は、「1」の王、「3」の長嶋、「16」の川上らとともに永久欠番となっています。

  私は金田投手が国鉄→巨人と活躍したころは、今よりずーと野球フアンでした。いろんな
 記憶に残る名投手がいます。例えば打撃の神様川上をして、「目に見えないものは打てない」
 とまで言わせしめた、魔球フォークボールを駆使した杉下茂投手です。しかし54年の対西鉄
 との日本シリーズで、「フォークボール、又フォークボール」と熱投、肩を壊しました。
  シーズン401奪三振、オールスター9連続三振、79年日本シリーズでの「ノーアウト満塁
 9回裏」での救援の際の「21球」等、有り余る伝説を持つ「江夏豊」も短命でした。
  わずかに「神様・仏様・稲尾様」の西鉄・稲尾の8年連続20勝が金田に次ぐものとなります。
 14年連続20勝の記録がいかに優れたものなのか良く解ります。
  これは金田が優勝に関係ない「国鉄」に所属、無理をしなかったことにもよりますが
 やはりあの天から与えられた身体と、野球に打ち込む姿勢とによるものと思われます。
 いろんな意味で「投の金田、打の長嶋」はやはり別格だなと、思っています。
 
  もうあの明るいオシャベリと笑顔を見られないのは寂しいかぎりです。どうか安らかに
 お眠りください。そしていろいろ問題のある野球の今後をお守りください。

       土・日2つの運動会に出ました 10/5(土)・6(日)

















  10月だというのに30度を超え、猛烈に暑かった土曜日、10度も下がったのではないか
 と思うくらい寒く、雨が降った日曜日と2日続けて運動会に出ました。
  5日・土曜は草加に住む孫の運動会です。私は5人の孫を持っています。マア本当に
 可愛く私の生きがいです。内、気仙沼の次男に3人、草加の長女に2人です。気仙沼
 の方は遠方、毎年というわけにはいきませんが、2人の孫の運動会が同時に見られる時
 行くようにしています。来年は次女と長男が同時に見られる最後の運動会、もう予定を
 立てています。草加の方は近場ですから、毎年行っています。下の女の子ももう幼稚園
 年中さんとなりました。同じ年頃の子が、同じ服装で一杯いるのですから、何とも大変
 です。肉眼では何とか解るのですが、写真で見ると、孫がどこか全く分かりません。
 上・左が開会式、中がかけっこ、右がお遊戯、そして下・左が父親との親子競技です。
  かけっこが早かろうと、遅かろうと、お遊戯をちゃんと踊っていようと、だらしなかろうと
 とにかく孫を見ていると楽しいのですから、何とも不思議なものです。熱中症が心配で
 いくつかのプログラムを端折る中、娘手作りのお弁当を一緒に食べ、下段で紹介した
 ラグビーフエスタに出るため、大急ぎで帰宅しました。

  今日、日曜の6日は南栗橋スポーツ広場の「栗橋地区市民体育祭」に出ました。9年
 前、合併した最初の年、栗橋地区スポ少の責任者から、「出て下さい」と言われました。
  プログラムに「スポーツ少年団団対抗リレーがあるので、賞状をお渡しいただきたい」との
 ことでした。「大会のプログラムにあるなら、大会長の表彰だろう」と言ったら、「昔から
 こうなんです」とのこと、以来毎年参加しています。
  この日は寒い曇天でした。先週スポ少の10周年記念運動会をやったばかりの、「南
 栗橋スポーツ広場」に向かう途中、ポツンぽつんと雨が降り出しました。ついにはワイパー
 を使用→インターバル→弱と進んで、会場に着く頃は本降りとなりました。ピッチでは
 子どもの「玉入れ」をやっていましたが、みるみる写真のような状態となりました。(下・中・右)
  「実行委の皆様本部にお集まりください」とのアナウンス、協議数分ですぐ中止との
 決定が出されました。確かにこの寒さと雨の中での進行は、市民体育祭の性格に合わない
 でしょう。てなことでこの日私は寒い思いをほんの30分くらいしただけで、お弁当をもらって
 の帰宅となりました。 
  昨日の夜、我が町内会でも、11月3日の「市民体育祭」準備のための役員会を持ちました。
 11月3日は昔から晴天の指定日、雨にたたられたことはありません。でもこればかりは何とも
 しがたいこと、役員皆様のお骨折りに感謝しつつ、栗橋地区スポ少役員に挨拶して帰宅
 しました。

    ◎ 久喜ラグビースポーツフェスタ 10/5(土) 久喜コミュニティ広場

















  久喜市にラグビーの少年団が誕生して3年になります。いつも鷲宮の運動公園に近接
 する芝の「コミュニティ広場」で、50人を超す団員が活動しています。その「久喜ラグビー
 スクール」の指導者を中心に、久喜市や久喜市教育委員会、埼玉県ラグビー協会、
 もちろん久喜市スポーツ少年団も後援して、「久喜ラグビースポーツプロジェクト2019」
 の主催による「ラグビーフェスタ」が、5日(土)久喜コミュニティ広場で開催されました。
  この日私は午前、草加の孫の運動会に行っていました。午後からの参加でしたが、
 10月なのに30度を超した強い日差しの中、芝のコミュニティ広場は緑に輝いていま
 した。そしてグラウンド一杯に、2~300人の人たちが散らばっていました。そんな
 風景を見て、「あぁ、良かった、成功したな」と思いました。午前中は500人を超す参加者を
 見たとのことです。

  プログラムには、2015ラグビーワールドカップ応援歌「楕円桜」歌手、「渡瀬あつ子」さんの
 ミニコンサート、北陽高校チアリーディング部の皆様による「ダンス」(―下・右―)等も
 ありましたが、メインは「パナソニックワイルドナイツ」の選手による「ラグビークリニック」
 でした。今行われている、2019ラグビーワールドカップでも活躍している、SH田中選手が
 永く所属していた強豪チームです。ボールを持って相手選手に当たる、逆にボールを
 持っている選手へタックルする等を、小さな女の子まで真剣に取り組んでいました。
 (―上・左・中下・左―) またあの楕円級を正確に投げる練習の一環として、いわゆる
 ストラックアウトも行われていました。(―上・右―) 
  また大変な暑さ、水分補給を兼ねてのステージ前での休息時間には、ラグビーボール
 その他が当たる大抽選会まで行われ(-下・中-)、まさに盛りだくさんの内容でした。

  今日本で開催されているラグビーワールドカップ2019、ここでの日本代表チームの
 大活躍から、にわかラグビーファンが急増しています。しかし良いことなのです。これを
 ラグビー文化の定着へと拡大拡充していく道は、こうした底辺での地味な活動にある
 のです。素晴らしい企画と実践に挑まれた関係皆様に敬意を表します。

     ◎ 市スポ少10周年記念運動会 9/29(日) 南栗橋スポーツ広場

























  久喜市スポーツ少年団設立10周年記念事業も後半戦に入りました。全団員が参加する
 唯一の事業、従って記念事業中最大のものと言える「運動会」を、29日「南栗橋スポーツ
 広場」にて開催しました。
  準備が大変でした。会場・日にちの決定に手間取りました。こちらが確保した日、野球・
 サッカー部会さんに会場提供いただいた日も、大きな大会、学校行事等が必ず入って
 いました。次にプログラムです。慣れないこととて決定までに、何ども何ども会議を持ち
 ました。この10周年記念事業は、全単位団から参加を頂き、それを記念誌部会、
 企画(記念品・式典)部会、この運動会を担当する事業部会に分けました。事業部会には
 一番多くのひとを割りふりました。本番この日の運営を始め、多くの実行委のまじめな
 対応を頂いたこと心より感謝します。
  プログラムも低学年・高学年の徒競走、綱引、玉入れ、団対抗リレー(男女別)の5種目に
 絞り込みました。これが成功した原因と思われます。
  写真・上左と中が開会式です。矢張り1000人を超す開会式は見ごたえがありました。
  上右は招集風景です。学年別・男女別に集めるとなると大混乱、プログラムの間隔は
  大変長いものでしたが、これは仕方ないといえます。
  中段左は1年生の50m走、中は綱引、右は玉入れです。なお徒競走は低学年の50mは
 まだしも、グラウンドの関係で高学年もそのまま、ちよっと物足りなかったかな、という
 感を持ちました。
  下・左と中は団対抗リレー決勝レースのスタートです。1チーム7人、6走が指導者、
 アンカーが4年生以下で共に50m、他の走者は学年自由、100mです。やはり団対抗
 リレーは大変な盛り上がりを見せました。女子では「栗橋ロックフィルズ」、男子は「栗橋
 南FCウイングス」が優勝しています。
  閉会式で私が団対抗リレー3位までを表彰、徳佐内副本部長の講評を頂いて閉会
 しました。(下・右―)
  実はこの日、午後からの降水率はかなり高いものでした。しかしみんなの熱意が通じ
 たのか、暑いくらいの1日でした。無事終えることができ、ほっとしています。
  残るは記念誌、記念品、式典です。記念誌は原稿がほぼ集まりました。記念品も
 すでに発注済みです。
  後は記念式典に万全の準備を進めていきます。 
 
        ラグビーW・C、日本・アイルランドを破る 9/28(土)

  
本ページ9/19日付でもお知らせしたように、今日本で第9回ラグビーW・C2019が
 開催されています。今月20日に開幕し、その初戦において、Aプールに属する日本は
 「ロシア」に30-10で快勝、ボーナスポイントを含め勝ち点5を獲得しています。予選リーグ
 第2戦、アイルランド戦が28日静岡県袋井市の「エコパスタジアム」で開催され、日本は
 前半9-12から逆転、19-12で見事な勝利をあげました。
  この日私は孫と「東京デイズニーシー」で遊んでいました。しかし試合が始まるころから
 気もそぞろ、スマホの画面にくぎ付けになっていました。後半福岡のトライで逆転、さらに
 田村の「P・G」で点差を開くともう夢中、「19-12、後半40分試合中」の表示が、何と
 長く感じたことでしょうか。そして歓喜の勝利となり、思わず万歳、深夜家へ帰ってから
 中継録画を見て涙しました。
  さてこの大会が始まり、日本戦終了後、見られる限りの放映される試合を見ました。
 そこで感じたことはランキング上位のチームの圧倒的な強さでした。南アフリカ・アメリカ
 に圧勝したニユージーランド、イングランドには、強さというか脅威を感じました。そして
 スコットランドを粉砕したアイルランドもそうでした。特に鉄壁な防御力には絶望を感じ
 ました。大会前の対南アフリカ戦、日本との間には、はっきりした力の差がありました。
  とにかくニユージーランド・アイルランド・イングランドの3強に、オーストラリア・南アフリカ
 ウエールズ、この辺までには、日本まだは勝てないというのは私の確信に近いものでした。
  しかし「勝つ、そのための努力をしてきた」と日本の首脳陣は言い続けました。しかし
 2014サッカーワールドカップの例もあります。「(日本の)サッカーの歴史を変える」と
 本田圭佑は豪語しました。しかし現実は皆さまご承知の通りです。世界は甘くないのです。
 ましてラグビーはあらゆるスポーツの中で、一番番狂わせのない競技なのですから。
  しかししかしです。ご覧の結果になりました。正に前回大会の南アフリカ戦に次いで、
 世界の奇跡を起こしたのです。ただ前回が多分に「南アフリカの油断」という要素が
 多かったのに比し、今回アイルランドはそれなりに、警戒していたわけですから、より
 意義ある勝利といえます。特に実践練習を40分休まず行ってきたことからくる体力的
 自信、個々のフィズカル的劣勢を、数で補うというまとまり・連携を80分間貫きとおし
 ました。前半ロースコアの接戦、後半逆転というシナリオ通りの試合でした。
  日本チームの健闘に心からの敬意を表します。残るサモア戦・スコットランド戦にも
 勝ってほしいと思います。サモアも楽な相手ではありませんし、スコットランドには前回
 大敗を喫し、決勝トーナメントへ進めなかった原因を作っています。特にスコットランドが
 1敗で来た場合、決勝トーナメント進出をかけてのガチ勝負となります。
  ぜひ初のベスト8、決勝トーナメント進出へ、そしてさらなる高みへ!
   応援していきます。

     ◎ 巨人 5年ぶり37回目のリーグ優勝 9/22(月) 

  優勝へのマジックナンバーを、4としていた読売巨人軍(ジャイアンツ)は、20(金)・21
 (土)と 「DeNA」に連勝、5年ぶり37回目のリーグ優勝を果たしました。私はプロ野球ファン、
 巨人ファンなので、5年ぶりの優勝を、やはりうれしく思うものです。
  今年の巨人は監督に原辰徳氏が復帰、丸、炭谷らの補強、桜井・中川等の若手投手陣
 の台頭により、一時期は独走態勢を築いていました。終盤ややもたつきましたが、監督の
 好采配が栄冠をもたらしたといえます。私が野球、というよりあらゆるスポーツに興味を
 持ち出したのは小学生になった当時です。丁度セ・パ両リーグに分かれ、今の体制に
 なったのは私が小学校に入学した年でした。この年は「小鶴」というホームランバッターを
 擁した、「松竹ロビンス」がチーム優勝したのですが、そのあと巨人は圧倒的に強く
 51~53と3連覇、1年おいて55~59と5連覇を果たしています。ちなみに1年優勝でき
 なかったのは、打撃の神様「川上」をして、「目に見えないものは打てない」と言わせしめた
 あの魔球・フォークボールを投げ続けた、杉下の「ドラゴンス」でした。
  ちょうどそんな時期に、プロ野球に興味を持ったのですから、必然的に巨人ファンになら
 ざるを得なかったわけです。とにかく巨人戦以外は放送(ラジオ)しませんし、新聞は
 勝てば「川上・赤バっト一閃」、負けると「千葉ファインプレー」というものでした。おそらく
 広島とか大阪とかに住んでいた野球少年以外、みな私と同じだったと思います。そして
 65~73のОNを要した伝説のV9と続き、「巨人・大鵬・卵焼き」となったのです。
  あれからずいぶんたちました。今でもプロ野球・巨人ファンに変わりありませんが、正直
 ファン度が大部減りました。多くの種目をテレビ中継するようになりました。見る試合数、
 見る回数が違うのもありますが、どうもサッカーやラグビーのような、スピード感、ワクワク
 感が野球にはないのです。3時間を超すあの試合時間は、どうにかならないものでしょうか。
  最近野球中継を見る事もほとんどなくなりました。深夜のスポーツニユースをみて、「おっ
 勝ったか」とそれなりにうれしく、「あっ、また負けたか、良いクローザー入れろよ」と思う
 程度というのが正直なところです。
  それでもC・Sに勝ち残り、日本シリーズにも勝って、久ぶりの日本一に期待するものです。
 おそらくMVPには、一貫してよかった「坂本」が輝くでしょう 。0・313の打率と、39本の
 ホームランは見事でした。15勝の山口は沢村賞をもらえるでしようか。
  そして来年岡本にはもう少しの成長を期待しますし、今年そこそこだった桜井・中川に
 戸郷らの若手投手の成長をもって、V2に挑戦していただきたいと思います。
  これからの「C・S」そして日本シリーズは、結果だけスポーツニユースで知るのでなく
 中継を見つつ、ジャイアンツを応援したいと思っています。

 
     ◎ ラグビーW・C2019 明日開幕 9/19(木) 

  「W・C=ワールドカップ」とは、文字通り国際大会、世界大会を指し、多くの種目で
 この名称の大会があります。普通「W・C」とは「FIFA」のそれ、オリンピックをしのぎ
 世界最大のスポーツ大会とされる、サッカーの大会を指しますが、ラグビーの「W・C」
 はこれに次ぐ、規模と世界からの注目の中行われます。
  この大会は1987年・ニュージーランド・オーストラリアで開催され、以降サッカー・
 オリンピックと同様、4年に1回開催、今大会が9回大会、アジアでは最初の開催となります。
  日本はラクビーの後進国ですが、アジア地区では最強であり、第1回大会から、連続
 出場しています。しかし成績は最悪、というより妥当なところで、第2回・イングランド大会
 で「ジンバブエ」に勝利した以降、長く全敗の汚名を記録していました。しか皆さんご承知
 のように前回のイングランド大会において、「エディジョーンズ」HCの下、世界の強豪
 「南アフリカ」を破り、また予選リーグ3勝をあげるなど大活躍、一躍フィバーを巻き起こし
 ました。自国開催となる今大会では、「ジョセフ」新HCの下、史上最強を豪語、大会直前の
 テストマッチでも好成績を残すなど、悲願のベスト8入りが期待されています。

  この大会には20カ国が参加、5チームずつ4っのプールに分かれ、まず予選リーグが
 戦かわれます。各ブロック上位2チーム、計8チームにより決勝トーナメント戦となります。
  日本は「アイルランド・スコットランド・ロシア・サモア」と共に、Aプールを構成、第1試合
 対ロシア戦が、明日「東京競技場」において開会式に次いで行われ、11月2日、「横浜国際
 競技場」での決勝戦まで、熱戦の火ぶたが切られます。もうワクワクドキドキです。
  さて日本です。大会前の「PNC大会」で優勝、ランキング10位に位置するなど、確かに
 力をあげています。しかしその後対「南アフリカ」戦では、明らかに力の違いを見せつけられ
 ました。厳しい戦いになる事は間違いありません。ラグビーはいわゆる番狂わせの、1番
 少ない競技です。高校ラグビー選手権で、シード1位と2位同志の決勝、というのが多いのは
 このせいです。したがって予選リーグでは、よりランキングの低い「ロシア」と「サモア」に
 勝つことが絶対条件となります。「ロシア」には先のテストマッチで、接戦を強いられており、
 「サモア」もツボにはまったときの強さは定評があります。何としてもこの2国に勝ち、「アイル
 ランド」か「スコットランド」のどちらかに、というのが願いとなります。「アイルランド」は現在
 ランキング世界1位、「ニユージーランド」と並び、今大会優勝候補の筆頭に挙げられています。
  「スコットランド」は日本の苦手とするタイプ、前回大会で大敗したことが、予選リーグ敗退
 の原因となりました。両国どもにフィズィカルが強く、ディフェンスの強さには定評があります。
 もう祈るだけです。

  さて予想です。先に挙げたことからやはりベスト8は、Aプールからアイルランドとスコット
 ランド(日本?)、Bプールからはニユージーランド、南アフリカ、Cプールからはイングランド
 フランス(またはアルゼンチン)、Dプールからはオーストラリア・ウエールズが予想されます。
  準々決勝戦はAとB、CとDプールの1位と2位がたすき掛けで戦います。したがって
 ベスト4はアイルランド・ニユージーランド・イングランドとDプール1位のオーストラリアか、
 ウエールズと予想します。準決勝のアイルランドとニユージーランド戦が事実上の決勝戦、
 勝者が決勝戦でおそらく出てくるだろう、イングランドを破るものと予想しています。

  期待する選手です。日本ではSОの田村、ウイングの福岡と松島、F・Wではやはり「マフィ」
 でしょうか、外国ではやはりSОに逸材が多く、現「神戸製鋼・カーター」の後釜、ニユージー
 ランドのバレット、アイルランドのセクストン、それにウエールズのイケメンFBハーフペニーと
 いったところです。
  私は50年を超えてラグビーを見続けてきました。特に早稲田に入ってから、早明戦の
 魂の戦いに涙を流し続けてきました。セブンエースの藤本、若くして逝った宿沢、天才・本城
 ТB藤原の突進、タックル魔・石塚、いろんな人とそのプレーが浮かんできます。多くの人が
 このスポーツに、命を懸けてきました。その重みを背負い、日本代表チームの健闘に期待します。 

    ◎ 市スポ少・10周年記念事業内容確定  9/17(火)

  久喜市スポーツ少年団本部は、15日・常任理事会、16日・理事会を開催、本年
 1年をかけて実施中の10周年記念事業中、未実施の部分の全てを協議・決定し
 いよいよ本番の時を迎えます。10周年記念事業は以下の通りです。
 (1) 第46回日独同時交流受け入れ
 (2) 10周年記念種目別大会(6部会+ロードレース大会の団対抗駅伝)
 (3) 大運動会
 (4) 記念品の作成・配布
 (5) 記念誌の刊行
 (6) 記念式典(表彰・祝賀会)
  このうち(1)は、本ページで何度も報告しているように、すでに成功裏に終了しています。
 また(2)は部会主管、すでに終了している部会もあります。
  残る4つの本部による記念事業、そのすべての準備を、本日完了したという事です。

 (3) 記念大運動会 9/29南栗橋スポーツ広場  予備日10/27市民グラウンド
  全団員、指導者、母集団の参加  50m走、綱引、玉入れ、団対抗リレー
  駐車場に限りがありますので、乗り合わせをお願いします。

 (4) 記念品の作成・配布  全団員・指導者(ふくむ10月末日までの追加登録者)
    名入れタオルと決定

 (5) 記念誌の刊行  本部長挨拶、祝文(県本部長・市長等6名) 10年の歩み
     51全単位団に1P  6部会に2P、本部事業について、資料等
     10月末日までに発行、全指導者、団に配布

 (6) 記念式典 11月16日(土) 三高サロン 1部・表彰、2部・祝賀会 17:00~
  司会は式典・祝賀会共に伊藤育成部長
  ※ 主催者挨拶 岸輝美
  ※ 記念表彰 表彰者は市長・教育長・本部長の3者、受賞者 51単位団各1名
    部会、テニス・バド各1名、バレー・バスケ各2名、サッカー3名、野球4名以内
    本部ワク若干名  全員で67~68名
  ※ 感謝状贈呈者(本部・部会事業への協力者)  表彰者は本部長名
    団体 毎日興業アリーナ・シンコースポーツ(以上市内体育施設指定管理者)
    埼葛北特定郵便局長会・日本信号野球部(以上野球) カクダイホーム(サッカー)  
    個人 藤沼貞夫 野口英雄 飯島祐起夫 平井よし子 朝武紀夫  (講師)
  ※ 表彰者代表謝辞 亀田事業部長
  ※ 来賓祝辞 県本部長 市長 議長 教育長 県議会議員2名
 
  祝賀会   挨拶・本部長  懇談  閉会
  式典出席者 来賓県スポ少10名  東部地区本部長他12  行政関係13
  団代表 51団×2=102名 本部役員18名 感謝状贈呈者10名  計165名
  式典参加費 5000円 個人負担

    ◎ 東京オリンピックマラソン代表選手確定 МGC 9/15(日)

  マラソン選手権大会を兼ねた「マラソングランドチヤンピオンシップ・МGC」が、本日
 ほぼ東京オリンピックマラソンコースで行われ(スタート・ゴールの国立競技場のみ異なる)
 男女1位2位の4選手が、代表選手に決定、3位選手は今後のファイナルシリーズ
 待ちとなりました。
   男子 1位・中村匠吾(富士通)、2位・服部勇馬(トヨタ)、3位・大迫傑(ナイキ)
   女子 1位・前田穂南(天満屋)、2位・鈴木亜由子(JP)、3位・小原怜(天満屋) 

  この選出方法はかって不透明な部分もあった代表選出方法を明確化し、加えて
 本番でのメダル獲得を目指した、新たな選考方法として注目を浴びていました。すなわち
 男子では福岡マラソン・別府大分マラソン等5大会、女子では名古屋マラソン・北海道
 マラソン等4大会、それぞれに基準タイムを設け、それをクリアーした選手に本日の
 МGCへの出場権を認め、本日の大会において上位2選手を代表選手として決定、残り
 1ワクは本年秋から、来年春までの男女それぞれ3つの大会において、基準記録を
 突破した最高タイムの選手とする、というものです。この基準タイムですが、男子は2時間
 5分49秒、女子は2時間22分22秒という大変高いもの、このタイムを上回らない場合
 本日の大会3位が代表選手となります。従ってかなりの確率で、本日の大会3位の選手が
 最後の代表選手となる、ということが言えます。

  さて本日のレースです。男子30名、女子10名が出場しました。男子は大迫・設楽・
 井上・服部の4強の争いといわれていました。ホンダの設楽選手が飛び出し、一時期は
 600mもの大差を付けましたが、30K付近から失速、中村・服部・大迫のラストの勝負と
 なりましたが、ロングラストスパートに、定評のある中村選手が制しました。代表選手に
 なる、のでなく、本番で勝つ、を想定した走りを見せた、設楽選手のチャレンジに敬意を
 表します。
  女子は鈴木を中心に、松田(4位・ダイハツ)が絡むと思われていました。その松田が
 序盤にミス、20K過ぎから先頭に出た「前田」が見事、独走で優勝しました。2位が
 「鈴木」、脅威の追い上げを見せた「小原」は、いつも残念、もう一つという走りでした。
 それにしても「前田・小原」の「天満屋」は、「山口・重友」と過去、オリンピック代表選手を
 出しています。本番に強いのですかね。
 
  しかしです。男子では「設楽・井上」、女子では今回早い段階で失敗した「松田」等は
 死に物狂いで、ファイナルシリーズに挑んでくると思われます。まだまだマラソンレース
 オリンピックまででも楽しめますね。
  それにしても選考に明確な基準を設け、それが男子日本記録へ結びつくなど、キチン
 とした成果を上げた、陸連関係者に敬意を表します。

       ◎ 日独同時交流打ち上げ会  8/31(土) 

  「第46回日独同時交流受け入れ」、あの三高ソロンでの「さよならパーテイ」から
 はやひと月が経とうとしています。この事業の最後の予定であった関係者による
 「打ち上げ会」を、31日市内で開催しました。今回の受け入れの成功の最大功労者
 であった「ホストファミリー」の方々を中心に、県体協少年団課々長等の出席を頂き、
 楽しい時間を過ごさせていただきました。
  日独同時交流は毎年行われています。日本最強地方本部である埼玉県は、当然
 関東第ⅱグループの中心として、毎年受け入れをしています。5~6回頃まで県本部
 主催・公共施設での宿泊でしたが、その後各市町村本部・民泊による、それへとなり
 ました。私たちが旧久喜市本部10周年を記念して、受け入れをしたのは第12回
 昭和60年=1985年です。そしてその前年に私はドイツへの派遣を頂きました。
  私は昭和57年、当時の市体育協会理事長に就任、猛烈な意気込みで「総合体育
 施設建設促進運動」に取り組みました。この2年間、続く派遣・受け入れの4年間は
 私にとって、貴重な体験であり、その後の全ての活動の原点を形作りました。
  その後私はスポ少の本部長、県にあっては本部員→副本部長を務め、昨年4月
 最後の1年は本部長代行まで勤め、定年制により役員を辞しました。
  この間「久喜市で2回目の受け入れを!」、との要請を何どもいただきました。しかし
 お断りし続けてきました。「大変だ」という思いの他に、前回の思い出があまりにも強烈
 だったからです。「もうあの真似はできない」との思いがあったからです。しかし「合併が
 あるから」、「合併後間もないから」と、お断りし続けてきた理由はすべて通用しなくなり
 ました。強い要請を毎年頂き、ついに今年、「新久喜市スポ少10周年記念事業」とし
 受け入れを決意しました。もちろん組織的手続きは全てやりました。市本部としての
 事業ですから、32年前同様みんなの協力は頂けるものと思っていました。
  ここに私の見誤りがあったのでしょうか。それよりも少年団の恐ろしいまでの弱体化が
 ありました。私は100%少年団の理念主義者です。組織決定をし、方針を立て、それに
 みんなが協力していく、こうした活動を今までしてきました。最近のスポ少はそれが
 出来なくなっているのです。団員数の減少→活動量の減退は、自分の種目としての
 少年団活動を維持するだけで精いっぱいになっているのです。「日独にまで手を回す
 余裕はない」のです。
  だからこの受け入れ事業の準備過程はつらく、苦しいものでした。正直眠れない夜が
 何日も続きました。何とか成し遂げられたのは、1にホストファミリーの方々の協力、2に
 地域・関係各位の心温まる行動でした。
  今、この事業を終えてそうした方々への感謝の念で一杯です。と同時にこれからの
 少年団に大きな不安を覚えています。私が抱き続けてきた少年団への思いとか、良さは
 もう通用しなくなっているのでしょうか。いずれにせよ残された10周年記念事業には
 全力を尽くします。運動会、記念誌、式典……。それが終わったとき、私は燃え尽き
 ちゃっているか、不安ですが。
  最後に再度ホストファミリーの皆様に御礼を申し上げます。良き人たちに出会え、本当に
 幸せでした。ありがとうございました。

   ラグビーWC開幕せまる 代表選手決定 8/29(木)
 
  ラクビーWC2019・日本大会の開幕もあと3週間と迫ってきました。本日(29日)
 大会出場代表選手31人が発表されています。
  ラクビーは代表選手の条件に国籍はありません。出身国で代表選手の経歴がないこと、    
 両親、または祖父母の誰かが日本人であること、日本で3年以上プレーしていること、   
 が満たされればОKなのです。ラグビーは大変コンタクトの激しいスポーツです。身体が
 でかいこと、骨格ががっしりしていることは第一条件となります。必然外人選手が多く
 なります。前回2015イングランド大会では31人中、外人10-日本人21でした。今回は
 外国(出身)人が半数の15人と、過去最多となっています。おそらく次回大会は3分の2を
 占めることになるでしょう。そのうち一列とS・H以外、全部外国人なんてならないことを
 願うものです。
  さて選手ですが、フッカー堀江、プロップ稲垣、フランカー、マイケル、№8マフィとFWは
 予想メンバーで占められました。注目されたHBはやはり、田中・流・茂野と3人選出され
 ТBはトライゲッター福岡・松島他となっています。なお前回大会で、あのルーティンで
 話題となったF・Bの五郎丸、トライゲッターだったウイングの山田は外れました。

  さて大会は9/20の日本対ロシア戦で開幕、11/2横浜国際での決勝戦までの日程で
 行われます。日本はアイルランド・スコットランド・ロシア・サモアのAプールに属しています。
 ぜひこの中で2位・ベスト8までに入り、決勝トーナメントに進出してもらいたいと思います。
  前回大会で南アフリカを破るという戦いを演じました。ラグビーはあらゆる競技の中で、1番
 番狂わせのないものといわれています。「世界の奇跡」とまで言われました。今大会を前に
 して日本代表チームは、「PNC大会」で優勝するなど、確実に力をあげています。世界ラン
 キングも9位まで上がっています。ぜひ上位に位置するアイルランド、スコットランドのどちら
 かに勝ってほしいと思います。スコットランドには前回痛い目にあいました。リターンマッチを!
 またランキング最上位のアイルランドは、最近のテストマッチでイングランドに大敗する等
 調子を落としているといわれています。
  カーター選手など有力選手が引退したとは言え、ニュージーランドの3連覇なるか、イング
 ランドは?、ウエールズは?、興味は尽きません。
  もうワクワクする思いで開幕を待ちわびています。

     ◎ 夏の高校野球閉幕 思うこと  8/23(金) 

  令和元年度・第101回全国高等学校野球選手権大会は、22日決勝戦が行われ
 大阪代表「履正社」が、石川県代表「星稜」に5-3で競り勝ち、初優勝、閉幕しました。
  「履正社」は「大阪桐蔭」の陰に隠れていましたが、大変な強豪校で、「大阪桐蔭」が
 全国制覇した内何年かは、「履正社」が出ていても、優勝しただろうといわれている
 位です。今回も強力打線を擁して優勝候補筆頭であり、順当な勝利といえます。
  一方今大会№1投手の「奥川」を中心に、北陸勢悲願の初優勝を狙った「星稜」は
 惜しくも準優勝に甘んじましたが、良いチームでした。全体としては今大会は我が
 埼玉県代表の「花咲徳栄」が、1(2)回戦で敗れたり、去年の金足農業「吉田輝星」
 投手のようなヒーローも現れず、例年と比して盛り上がりはもう1つというところでした。

  高校野球の危機とか、問題性とかが言われて、久しいものがあります。1つは野球を
 やる子供が少なくなっていることです。少年団では、サッカーに遅れをとってからもう
 20年近くなりますが、最近ではミニバスにも抜かれています。私にはよくわかりませんが、
 監督の指示通り、というのが、今の子どもの感性に合わないのでは、という気がします。
  良く学校教育の指標に「生きる力の醸成」といいます。今、社会で一番必要とされる
 「主体的に行動できる人材を育成」するということです。この能力を育成するのは、
 選手・子どもと指導者とが、対等な人間関係をつくり、子どもが自己決定できる部分を
 増やすことです。現実には野球は監督・指導者の指示に従う部分が多いのでは。この
 状態では野球人口の減少は避けられないでしょう。「楽しくサッカー(バスケ)を好きに
 なるように」のほうに流れていくと考えます。

  それとこの大会は、大会前から大船渡高校「佐々木朗希」投手の問題がありました。
 163Kの速球を投げるという好投手を、監督が「ケガ・将来」を考え試合に出さず、結果
 敗退したという問題です。マスコミでの論調は、平均して監督と佐々木投手の判断に
 批判的、中には例の張本さんのように、「絶対に投げさすべきだ。ケガを怖がってんなら
 スポーツしないほうが良い」等という論外の発言もありました。批判する人たちに共通
 するのは、「甲子園絶対主義」です。「甲子園に行くことで選手は評価される、出場が
 高校野球の目標」というものです。スポ少の世界では、最初に否定される安易な「勝利
 至上主義」の見本みたいなやつです。
  そこで思い出すのは新潟県高野連のことです。今年から投手の身体を守るため
 「投球制限を導入する」としていたのですが、取りやめました。これに賛同する意見が
 都道府県高野連から、何と1つもなかったためです。恐ろしいことです。永年「日本
 高野連」の指示待ちでやってきたから、自分で考える事ができないのでしようか。
 これでは「自己判断できる子どもの育成」などできるはずがありません。新潟県高野連
 は、少年、中体連、リトルシニアから大人の組織まで含め、「青少年野球団体協議会」
 を組織、新たな発想で、各年代の選手をサポートしています。
  高野連もこうした発想で、子どもの野球離れから、日程、健康面まで含め検討して
 頂きたいと考えます。最も旧態依然たる高野連と朝日新聞との、癒着体質からして
 無理なのでしようか。
  夏の高校野球から野球のみ取り上げましたが、青少年スポーツ全体に言えることです。
 特に全国高校総体の日程・あり方も検討せねばなりません。「サッカー」の大会など、
 もはや殺人的とまで言えます。

  ◎ 江1SC40周年祝賀会に出ました。8/12(月・祝) 徳寿庵










  江面第1小地区サッカースポーツ少年団・「江面ファーストサッカークラブ(江1SC)」が
 創立40周年を迎えられ、記念式典を開催、ご招待を頂き出席しました。正直申して
 チヨット苦しい参加でした。スポ少本部長という立場でのものですが、同時に「江1SC」
 発足に関わったという面も加わってのものだからです。旧久喜市のスポ少発足が
 昭和51年、実質野球少年団だけでしたから、当時久喜市サッカー協会会長、体育
 指導委員(現スポーツ推進委員)だった私は、サッカー少年団の設立を目指し、51年秋
 52年春と「少年サッカー教室」を開催、52年夏「久喜少年サッカークラブ」を設立し
 その団長に就きました。53年夏久喜東側を対象に教室を経て、「久喜キッカーズ」を
 組織しました。後は「イケイケどんどん」です。54年江1を対象に教室を開催、受講生
 で「江1SC」を組織しました。しかし恒常的指導者に恵まれず、その後「江1SC」の団長
 を20年にわたって務められた、我が盟友野原氏に頼み込んで、55年=1980年、春
 スポ少本部に加盟、正式発足、以来本年をもっと40周年となったわけです。
  野原氏は20周年で退団、その後を現団長・野口氏が引き継いだことになります。
 野原氏はその後、自宅と目と鼻のところにあり、ご子息も入団していた、久喜小「久喜
 少年サッカークラブ」の中心メンバーとして活躍されました。
  江1小は小規模校です。さ来年=令和3年4月には江2小と合併します。その江1小を
 基盤とする「江1SC」が、このご時世にしっかり組織を維持し、40周年を迎えたのです。
  一方我が「久喜少年サッカークラブ」については、皆様ご承知の通りです。何の顔
 あって祝辞を述べられるか、というのが本音です。事実大変苦しい挨拶でした。
   しかし出席して本当に良い雰囲気の「会」でした。指導者もあまり多くありません。でも
 団長を中心に、育成会と一体となって、手作りの見事が運営がなされていました。
  少年サッカーは特殊な組織運営にあります。サッカー協会の4種(12歳以下・少年)
 委員会指導の下にあります。選手育成・戦力強化を狙いとする4種リーグを中心に
 運営されています。「江1SC」も、同じ小規模校を基盤とする菖蒲地区の「森下ドリームス
 (小林・栢間小)」、および「菖蒲ウイングス(三箇小)」と合同で、協会登録をしているとの
 ことです。ご苦労をおかけします。しかし今日見た「江1SC」の雰囲気がある限り、
 今後も充実した組織活動が継続されると信じます。
  私は今はこれだけしか言えませんが、本部にあって、少しでもみんなの良い環境づくり
 に努力していきます。40周年おめでとうございました。

 
 ◎第46回日独同時交流全体さよならパーテイ8/7(水) 品川プリンスホテル


















  第46回日独同時交流受け入れ事業も、猛暑の中順調に進み、訪日団全体の
 「さよならパーテイ」が、7日夜宿泊先の「品川プリンスホテル」で開催されました。
  最後のお別れをしようと久喜から、30人を超すホストファミリーの家族とご一緒に
 参加しました。
  それにしても「全体会さよならパーテイ」の雰囲気は、ずいぶんと違っていました。
 会場のタワービル30階の部屋は絨毯が敷かれていますが、そこにドイツ団120名が
 座り込んで集まっています。食べ物・飲み物等は用意されていません。地方に散り
 それぞれに苦労してきたドイツ団が、一堂に会し、緊張感から解放され、懇親の
 時を過ごすという感じです。開会行事で、ドイツ(―上・左―)、日本両国スポ少代表が
 挨拶、ドイツ大使館の方も祝辞を述べていました。そのあとこの交流期間中に
 誕生日を迎えられた団員に、日本本部からプレゼントが贈呈されました。久喜に
 来られ、山中大吾氏宅でお世話いただいた、「ツァンダーー・オウン」君もその1人、
 久喜でもプログラムの合間に、皆からお祝いされていました。
  その後各グループ毎の余興が演じられました。(―上・中―)は「柔道グループ」の
 人間ピラミッド、(―下・右―)は、ドイツの山岳地方の民族衣装をまとってのダンスの
 披露です。確か「ニーダーザクセン州」のグループと思います。
  東京都のリーダー会が返礼です。法被をまとってチヨットしたアクション、(―上・右―)
 その後メロディ―を流して、みんなでダンスをしました。ほぼ全員のドイツ団員が踊りに
 加わっていました。先頭に久喜に来た「メクレンブルク・フォア―ボンメルン」団の
 団長、「ダニエルランペ」が飛び出したのに、チヨットびっくりしました。氏は若干29歳
 久喜での滞在中、細かに気を使い、見事な指導者ぶりでした。多数ある公式行事では
 挨拶をせねばなりません。緊張は大変なものだったと思います。それから全て解き放さ
 れてリラックスしたのでしょう。楽し気にダンスに興じていました。私も1984、ヘッセン州
 「ホイゼムシュティン」でのサヨナラパーテイで、同じ思いをしました。ご苦労様でした。
 (―下・左・中―)は、ペラン氏を筆頭とする、久喜に来た団員の余興です。『私たちは
 ドイツでドイツで1番綺麗な州、メクレンブルクフォアボンメルン州から来ました。それを
 証明する余興を演じます。』と紹介、笑いとブーイングをかっていました。内容は久喜の
 歓迎パーテイと同じものですが、それを見ながら、この2週間を思い出し、一瞬感傷的
 になりました。
  余興はまだまだ続いていましたが、私は会場を後にしました。最後に全員と握手し
 ランペ団長とは抱き合いました。英語でいえば「グッドラック、スィーユゥアゲイン」と
 いう所ですが、私は前とは違い今回のメンバーと、2度とお会いすることはないでしょう。
 ただ思い出だけは、私の残り少ない人生の中で、消えることはありません。
  ひと月も眠れなかったほど、猛烈に苦しかった準備と、楽しかった1週間が交錯し、
 やはり涙が溢れました。

   ◎ もう綱引大会の準備を始めました。 7/6(火) 教委会議室 

  お祭りの方は4日(日)に打ち上げ会が終わり、ひと段落しました。「日独」の方は
 7日(水)に「品川プリンスホテル」で、全体の「お別れパーテイ」があり、これで公式
 行事は全て終わることになります。いずれも暑い中でのものでしたが、しかしここ
 数日は、それをはるかに上回る、まさに殺人的猛暑日が続いています。しばらく
 のんびりと休養したいところですが、何と師走の行事・「久喜市綱引大会」の準備が
 もう始ました。寒い中での大会です、季節感等どこかに飛んでしまいますね。

  この大会は毎年12月第1日曜日の開催です。今年は12月1日となります。
 8:30受付開始、9:10開会式、会場毎日興業メインアリーナも同じです。
 小学生低学年1~2年、中学年3~4年、高学年5~6年各男女の6クラスに
 一般の男女混合の7部門で行われます。申込用紙が教委・本庁舎・3総合支所に
 おかれています。必要事項を明記して、1人100円の参加費を添えて、上記窓口に
 お申込み下さい。〆切りは10月末日です。未だチヨット間があります。新学期が
 始まったら、みんなでよく話し合い、大勢参加してくださいね。
  この大会昨年は143チーム、1273名もの参加を頂きました。それでも1昨年
 (平成29年度)大会より、チーム数で10チーム、参加人数で97名減りました。
 対前年比マイナスというのは、初めてかと思われます。これは1学年で男女共に
 8人のメンバーを組むのが難しくなっている表れかと思います。少子化の影響は
 こんなところにもあるのですね。
  秋になり参加申し込みが終わると、どこの学校も練習を開始します。それに合わせ
 「綱引巡回講習会」を行います。直接各学校へ出向き、綱引のルール、引き方等
 お教えするものですが、何せウイークディ、人が足りず私など連日、となります。
  関係する皆様へのお願いですが、申し込みが長時間取れる昼休みの日に集中
 します。普通の昼休みや、業間時間等ですと、時間が足りず、効果的練習とはなり
 ません。希望を言えば、放課後小1時間ほど取っていただくのがベストです。
  いずれにせよもう大会に気がうずきます。今年も頑張って準備活動にあたって
 参ります。

日独交流7日目・さよならパーテイ、8日目・つくば市へ7/31(水)・8/1(木) 

















  早いものでもうこの日が来てしまいました。「さよならパーテイ」を31日・夜「三高
 サロン」で開催しました。最初に挨拶した私は『素晴らしい1週間であったこと』、
 『私の長きにわたる活動を支えたくれたのは、1985・6年の日独交流の派遣と
 受け入れ事業にあったこと、しかしこれからは、この1週間に代わること』を述べ
 そして団長ダニエネランペ氏を始めとするドイツ団員、通訳のK女史、ホスト・
 ファミリーの皆様に感謝の言葉を申し述べました。さして最後に『多くの素晴らしい
 人々と出会い、触れ合えた交流だった。、だから「アウフビーターゼーン」、さよなら
 ではなく、「ビスモーゲン」またね、とご挨拶します。またお会いしましょう。ありがとう
 ございました。』と結びました。さすがに「ありがとうございました」と言った時は
 感傷的になりました。
  その後ダニエルランペ団長が挨拶(―上・左―) 多くの関係者に感謝品を渡され
 ました。私も歓迎パーテイに次いで、またいただきました。恐縮です。その後時間
 までホストファミリの方々と談笑、記念写真を撮っていました。(―上・中・右―)

  8日目、8/1(木)は次の受け入れ市、茨城県つくば市への見送りです。家族
 総出で、すべてのホストファミリーが見送りに来てくれました。(―下・左―)
 全員での記念写真、(―下・中―)はバスを見送るホストファミリーの方々です。
  ホストフアミリーの皆様には、感謝以外の何ものもありません。
  次の受け入れ先「つくば市」は人口24万ほどの町です。研究学園都市として
 誕生したのが30年ほど前でしょうか、街路樹も大きくなり、すっかり落ち着いた
 雰囲気となりました。(―下・右―)は、久喜本庁舎の1・5倍はあると思われる筑波
 市役所です。ここの市民食堂で対面式・歓迎パーテイとのことでした。
  次の日程に緊張しているドイツ団員と、ろくな挨拶もできずお別れしました。でも
 8/7、品川プリンスホテルでの「全体さよならパーテイ」には、久喜のメンバーは
 多数参加します。その時きちんとご挨拶します。
  帰りは圏央道であっという間でした。この1週間の思い出や、長く苦しかった準備
 過程等を振り返り、しばし感傷的となりました。
  
  日独交流7日目・手打ちうどん・折り紙体験 7/31(水) 緑風館 

















  とうとう日独交流も最終日、「さよならパーテイ」の日となりました。今日は「久喜
 ふれあい農園内・緑風館」での、午前・ウドン打ち、午後・折り紙体験です。
  ウドン打ちは、ここでいつも指導にあたっておられるS氏の下、行われました。
 あらゆる器具が完璧に用意されています。何グラムのウドン粉に、何グラムの
 お塩の入った、何CCの水を入れ、ウドンを「こ練る」ことからスタート、ドイツには
 「こ練る」という動作=感覚がないとかで、通訳が説明に困っていました。それに
 してもドイツ団員は、みな手先が器用でした。大きな「お供え餅」状に練った後、
 「のし棒」を使って伸ばしていきます。(―上・右―) 感心するほど見事に帯状に
 したものを切って、ほぐして、熱湯の中に入れていきます。(―上・中―) うで上が
 る時間をぬって、「おにぎり結び」にも挑戦してもらいました(―上・右―)
  指導はうちの女性役員です。サランラップにご飯を乗せて、握っていきます。
 中身は梅干し・鮭・塩昆布はダメな人が多いとかで、最も一般的な「ツナ」と
 しました。さあ出来上がりです。自ら打ったウドンとおにぎりに舌鼓を打っていました。
 (―下・左―) 「箸」は皆器用にこなします。ウドン・おにぎり・うちの女性役員が
 あげた野菜・海老などのてんぷらと、食べきれないほどでした。ただうどんをズル
 ズルと食べることはできず、御飯のように食していました。
 
  午後は「折り紙体験」、講師は「ゆうゆう」などで大活躍されているI氏夫妻です。
 最初にI氏から「鶴・トトロ・富士山」といった折り紙が、プレゼントされました。私も
 この時、事前に用意していた「竹トンボ」をプレゼントしました。これが大うけでした。
  折り紙は鶴を始め、いくつかに挑戦してもらいました。最初どうだろう、と危惧して
 いたのですが、ドイツ団員は実に器用、かつ熱心に挑戦、女性団員の要望で
 「トトロ」にまで挑戦、時間オーバーまで頑張っていました。(―下・中―) 最後は
 完成品を全員がかざして、講師と記念写真(―下・右―)、しかし今日の2つの
 体験が、これほど喜ばれるとは思ってもいませんでした。

  今夕はさよならパーテイ、早く帰る予定でしたが、ドイツ団員が100円ショップで
 買い物したいと希望、イトーヨーカドー内「キヤンドゥー」に立ち寄りました。それに
 しても100円ショップはドイツにもあるのでしようか。値段がわかっているので
 彼らにも安心なのですね。

  ◎ 日独交流6日目・バス旅行 7/30(火) 日光東照宮・中禅寺湖

















  6日目の今日は、バス利用の日帰り旅行と決めていました。秩父(荒川下りと祭り
 会館)、他の候補地から、日光と決めたのは、やはり世界文化遺産のご威光と思われ
 ます。大勢のホストファミリーの同行を頂いて、バスは東北道―日光道と走って日光
 入りです。私はいつも奥日光へと一直線、東照宮へ来るのは何年ぶりでしょうか。
  例の別名「日暮らしの門」ともいわれる「陽明門」をバックに、記念写真を撮った後
 ドイツの団員に英語の翻訳器を渡して、自由行動です。私も梅雨明け直後の猛暑
 の中、陽明門(―上・左―)、見ザル・言わザル・聞かザル(―上・中―)、眠りネコ
 (―上・右―)とみて歩きました。ドイツ団員も鮮やかな極彩色の建物に驚いたこと
 でしよう。
  次にいろは坂を上り中禅寺湖に到着、クルージングを楽しみました。中禅寺湖は
 男体山の爆発によってできた湖、周囲25㎞もあり、また4平方㎞以上の湖としては
 国内で最高地点にあります。所で今回久喜市に来たドイツ団員の故郷、「メクレン
 ブルクフォアボンメルン州」は大変湖の多い地域です。故郷を思い出したのか、楽し
 そうに記念写真を撮っていました。(―下・左―)  クルージングは「立木観音」乗り場
 から「菖蒲が浜」まで楽しみました。折から林間学校期とあって、大変込み入って
 いました。船に乗り込むとき、100人近い子供が下りてきましたが、みな加須市の
 子どもだったのに驚きました。(―下・中―) ドイツの団員はデッキ(甲板)に出て、
 思い思いに、日光富士とも言われるる男体山をバックにした、中禅寺湖の風景を
 楽しんでいました。(―下・右―) 
  「菖蒲が浜」から再びバスに乗り、明智平で下車、「華厳の滝」を見物しました。
 「華厳の滝」は、中禅寺湖の水が、97mの落差で落ちる日本3大名瀑の1つ
 です。皆豪快な滝に歓声をあげていました。
  明日は最後のプログラムの日、そして夜は「さよならパーテイ」です。あんなに長く
 苦労して、明日で終わりか、なんて感傷的気分の中で、帰路のバスの人となりました。

 ◎日独交流5日目・意見交換会・弓道・茶道7/29(月)久喜中・北陽高校

















  活動プログラムの中で必ず取り入れるもの、ホストファミリープログラム、文化・
 スポーツ体験等いろいろありますが、「意見交換会」は、その中でも最上位に位置
 付けられるものです。毎年スポーツに関するテーマを決め、両国の若者が意見を
 交換するものです。今回のテーマは「インクルージョン」です。様々な違いを認め合い
 共にスポーツを楽しもうというものです。こういう取り組みは、ドイツと日本では大部
 差があります。ドイツではスポーツ大会でも、クラブでも健常者と障碍者が一緒に
 活動します。日本では別々に行われているのが通常です。テーマがテーマですし
 相手は10代後半です。市内の高校にお願いしましたが、折り合いがつかず、結局
 久喜中H校長のご好意に甘えました。旧久喜市内4校から参加いただき、コの字の
 机をはさんでの意見交換でした。―上・左― 内容が内容だけに、参加された中学
 生にはご苦労をおかけしました。でも1・5時間の交換会を終え、記念写真で喜んで
 いました。―上・中― 中学性諸君ありがとう、また4中学校関係皆様に感謝します。
  その後久喜中学校を見学、音楽室での吹奏楽部の練習、そのレベルの高い演奏
 に驚嘆していました。―上・右―

  午後からは久喜北陽高校での、「弓道」と「茶道」の体験です。「弓道」では全員が
 胴着・帯・ハカマを着せてもらい大喜び、弓を持っての記念写真です。―下・左― 
 その後練習場で、部員付ききりの指導を受け、全員が1本実射しました。―下・中―
 良い経験になったことと思われます。
  次に「茶道」経験、全員が和菓子をいただいた後、部員が点ててくれたお茶を飲み
 ました。部員が事前に作法を説明していましたが、そこまでは理解できなかったようです。
 皆、神妙にお茶を飲んでいました。―下・右―
  実は交流プログラムを作成する過程で、北陽高校のこの2つのプログラムで、全体が
 完成、ほっと一安心したというエピソードがありました。2つのクラブの方が、きちんと
 カリキュラムを組まれ、親切に対応してくれました。心からの御礼を申し上げます。

  日独交流3日目・スポーツ交流・催馬楽神楽・盆踊り 7/27(土) 久喜小他

























  今日は午前、まず久喜小体育館で少年団とのスポーツ交流です。インドア種目の
 バド(―上・左―) バレー・バスケにお願いしました。ドイツには野球・ソフトテニスは
 ありません。サッカーは専門の人もいて、取り入れたかったのですが、何せこの暑さ
 割愛しました。バドの人もいて、その人たちは中学生との試合を楽しんでもらいました。
  バレーは対格差が大きいため、ソフトボレーでした。「僕はバレーボーラーだ。正式
 ボールなら負けない」と、ゲームに負け悔しがっているドイツ団員もいました。(―上・中―)
  バスケは混合でゲームを楽しんでもらいました。(写真上・右)はゲーム後ドイツ団員
 からのプレゼントに喜ぶ、久喜のミニバス団員です。

  昼食は代表的日本料理、「お寿司」を楽しんでもらいました。本当はドイツ団が喜ぶ
 「回転すし」にしたかったのですが、鷲宮のプールでシヤワーを使ったため、道順の
 関係で近所のすし店としました。2・3カン残した子もいれば、1・5人分ほど食べた
 団員もいて、バラバラでした。(―中・左―) その後鷲宮中学校で、郷土芸能部の
 鷲宮神社催馬楽神楽の練習を見学しました。(―中・中―) その後神妙な面持ちで
 太鼓を打っていました。(―中・右―) ランペ団長は本当の日本文化にふれる事が
 できたと喜んでいました。ご協力いただいた鷲宮中学校校長先生、郷土芸能部の
 皆様に感謝します。

  夜は今回のプログラムの中、ポイントともいえる「南栗橋コミュニティ広場」での
 盆踊りへの参加でした。台風の接近で土・日は雨の予想、気をもんでいましたが
 思いが通じたのか楽しむことが出来ました。栗橋地区役員が用意してくれた会場内
 テントに、ホストファミリーの方と団員が集まってきます。みんなに浴衣を着てもらい
 ました。浴衣姿に見とれたり、仲間同士からかったりと、みな大喜びでした。
 ―下・左―、この盆踊りは「豊田ふるさとづくり振興会」の主催による、「豊田(南栗橋)
 ふるさと祭り」の一環です。昨年夏、この日独交流が決定したので、私は久喜市内の
 多くの盆踊りを見て歩きました。ここの盆踊りが、かっての面影を残し、住民手作りの
 一番立派なものでした。会場の南栗橋スポーツ広場中央には、やぐらも組まれて
 います。そのヤグラを背景に市長と記念写真を撮りました。―下・中― なお市長から
 昨日の表敬訪問に続いて、鷲宮神社「らき☆すた」のお土産を頂きました。祭り関係
 の方々から様々なご厚意を頂きました。浴衣姿の団員に、おみこしを担がせてくれたり
 「坂東太鼓」の大太鼓を打たせてくれたりしました。極めつけはプログラムの合間に
 会場にドイツの民謡を流してくれました。団員たちの中には、曲に合わせダンスを
 踊る子もいました。いろんなところで、いろんな人のご厚意を頂いています。うれしい
 限りです。盆踊りも進んで、いよいよ花火が打ち上げられました。―下・右― ドイツ
 団員は肩をくみ、打ち上げられる花火に合わせスキップしていました。慣れない土地
 での様々なご厚意にうれしかったのだと思います。良いシーンでした。

 日独交流2日目・工場見学・市長表敬訪問 7/26(金)

















 
 いよいよ今日から具体的プログラムです。9:00教育委員会駐車場に集合、清久
 南部工業団地内「キッコーマン久喜工場」見学から始まりです。「キッコーマン」は
 ご承知のように醤油の我が国最大メーカーですが、ここは和風総菜の素「うちの
 ごはん」シリーズを生産しています。新工場を建て、生産開始して5年ほどのピカ
 ピカの工場です。入口研修室でビデオによる説明を受け
(―上・左―)、その後
 食品工場ですから、完全密封の製造過程を見学しました。
(―上・中―)、
  他にいくつかの工場に見学を依頼しました。日程の調整も含め、お引き受け
 いただいたキッコーマン久喜工場に感謝します。帰りにお土産とし「うちのごはん」
 シリーズを1袋ずついただきました。私は「ジヤーマンポテト」でした。その他に
 「なすのみぞれ炒め」、「もやしのねぎ味噌炒め」と言った食品名もありました。
 もちろんドイツ団員もいただいていますが、和風料理そのものですから、彼らに
 理解出来るかな、とチヨット思いました。
  この日のメインは市長表敬訪問です。午後1なので昼食会場をどこにするか大部
 迷いましたが、水上公園、外でサンドウイッチとしました。少し時間があったので
 自由時間を取ったところ、団員たちは大喜びで、池のペタルボートにはしゃいで
 いました。
(―上・右―) 水上公園の芝の丘に建つ、数寄屋造りの小屋の下で
 皆、美味しいサンドウィッチをいただきました。

  
市長表敬訪問が始まりました。市長の歓迎の言葉、私の挨拶の後、「ダニエル
 ランペ」団長の謝辞、団員全員と市長との自己紹介を兼ねた名刺交換の後、
 市長と、ドイツ団員とのお土産交換を行いました。実は昨日の歓迎パーテイで
 私だけお土産を頂いていました。ドイツスポーツ少年団(DSY)のペナント、バッジ
 その他です。ペナントはもう私の玄関の壁に貼ってあります。バッジもブレザーの
 襟に付けました。うれしいものです。市長からのドイツ団へのお土産は、扇子を
 中心に、その他もろもろです。その後のフリートーキングの中で、市長の「未だ1日
 だけですが、久喜の印象はどうですか」の問いに、「非常に良い。どうして皆こんな
 親切なのか」という団長の答え、すっかりうれしくなりました。
―写真・下・中・右
 市長からのお土産を手渡しているところです。
  その後「М・菖蒲」を見学しました。他のプログラムの調整がつかず、取り入れた
 ものです。ドイツ団はショッピング、レストラン等で楽しんでいました。私は通訳の方と
 お茶を飲んだ後、小1時間ぶらつきました。「マクドナルド」で、団員がマックを食べて
 いました。日本まで来てマックはやめろよ、なんて思いつつ、身体は大きいけど、
 やはり幼いんだな、なんて思い笑みが出ました。

  
 ◎ 日独交流1日目・対面式・歓迎パーティ 7/25(木) 三高サロン・他

















 
上・左 対面式での自己紹介
   
中 久喜市紹介ビデオを見る
   右 今日からよろしく 打ち解けて歓談
 下・左 歓迎パーティ ドイツ団長挨拶
   中 楽しく歓談
   右・ドイツ団員のパフォーマンス

 
 第46回・「日独同時交流久喜受入れ」がいよいよ始まりました。正直言ってつらく
 苦しい準備過程でした。しかし多くの人の様々なご厚意を頂いてこの日を迎えました。
  まずホストファミリとの対面式です。1週間お世話になります。会場は「ふれあいセ
 ンター久喜」です。ドイツ団員と、ホストファミリーの方々が、対面に並んでまず自己
 紹介、「お世話になるのは、我(家へ泊るのは)どんな人だろう」と、双方共に緊張気味
 でしたが、1つのテーブルに着くと、すぐ打ち解けて懇談していました。夕刻からの
 「歓迎パーテイ」に備え、いったん各家へ帰っていきました。
  「歓迎パーテイ」の会場は、「三高サロン」です。「本三祭典保存会」の若者がたたく
 天王様・提灯祭りの囃子にのって、ドイツ団員の入場です。まず始めにドイツ団を歓迎
 私の古き知人である花柳流名取、細井晴美=花柳博紗薫様に、「アヤメ」を舞って
 いただきました。チヨットテープの操作を誤りましたが、楽しんでいただきました。
  歓迎式典では、日本側を代表し、尾崎県本部長、、久喜市に来られたドイツ団を
 代表して「ダニエルランぺ」団長が挨拶されました。どうか1週間私たちの用意した
 プログラムを楽しんでください。市長・議長に挨拶を頂き、教育長の「プロースト」の
 発声で乾杯、祝宴に移りました。なおこの交流期間中、公式行事では、未成年者も
 含まれることから、アルコール抜きとなっています。また特別ゲストとして、昨年埼玉県
 より、ドイツに派遣された指導者・団員2名が挨拶されました。顔なじみが数名おり
 1年ぶりの再会を楽しんでいました。
  ドイツ団員を接待いただく、久喜市のホストファミリーの方々です。10名の方ですが
 本当に皆良い人ばかりです。お子様がケガをされたり、不幸があったりと、情報が
 もたらされたとき、一瞬目の前が真っ暗となりましたが、皆予定通りドイツ団の接待に
 当たっていただきました。心よりの御礼を申し上げます。
  この日県本部長も来られ、またさよならパーティには出席できない来賓も全員顔を
 そろえていただきました。そこで私は対面式での挨拶のみにとどめ、歓迎パーテイは
 司会進行を務めました。長く挨拶ばかりでしたので、本当に久しぶりでした。
  途中ドイツ団員による、自分の取り組んでいるスポーツ(水泳・バドミントン・サッカー)
 を取り入れたパフオーマンスを楽しみ、ドイツ団員、ホストファミリの皆様とみな帰って
 いかれました。久喜での最初の夜を過ごすことになります。どうか蒸し暑い日本の気候
 に注意され、楽しく充実した1週間を過ごしてください。私も精いっぱい頑張ります。 
 

   ◎ IBA鷲宮大会・レセプション 7/20(土) 鷲宮運動公園・公民館
















  夏祭りも終わり、今年も「IBA」国際交流大会の時を迎えました。7月下旬江戸川
 (今年は三郷市)で行われる「IBA世界大会」に出場するオーストラリア代表チームが
 その前段階に、交流を前から続けている鷲宮地区で、軟式野球国際交流久喜大会
 を持つのです。今年38回というのですから、長きにわたり、困難なこの事業を継続
 してきた関係者皆様のご努力に、深い敬意を表するものです。
  オーストラリア代表チームは選手(小学生)16名、コーチ3名、7月17日から帰国
 する31日まで14泊を鷲宮地区野球少年団団員宅で寝泊りします。この大会は
 世界大会の前段階として位置づけられ、今日・明日の2日間久喜市内の3つの
 連合チームと優勝を争う形式です。相変わらず梅雨平がつついていました。会場
 には両国国旗が掲げられ、国際大会の雰囲気をかもし出しています。(―上・左―)
 この大会は久喜スポ少の本部主催、私が大会長として挨拶しました。(―上・中―)
 は来賓・市長挨拶です。対戦するは市内選抜A・B・Cの3チームです。開会式を
 見ても同年齢ながら、体格は一回り大きいです。第1試合の途中まで見ましたが
 やはり野球の普及度が違います。細かいプレーが今一つで、やはり久喜のチームが
 強かったです。(―上・右―)
  この大会は2日間、いつもは大会終了後の明日の夕方、運動公園に隣接する
 コミュニティ広場でレセプションが行われていました。今年はまだ明けぬ梅雨を配慮
 してか、鷲宮公民館で本日行われました。オーストラリアチームとその家族、鷲宮の
 3つの野球少年団、そしていつもながら手作りで歓迎してくれる、鷲宮地区の野球
 指導者・母集団の皆様と盛り上がりを見せていました。(―下・左・中―) 
   オーストラリアの団員がたどたどしい日本語で『私は****です。10?歳です。
 ポジションは***です。』と自己紹介をし、また歌を披露してくれました。(―下・右―)
 鷲宮の3団団員も自己紹介、その中で「桜田チエリーズ」の団員諸君は、英語で自己
 紹介していました。久喜市内では今、3・4年が週1時間、5・6年生は2時間英語の
 授業があります。『英語でやれ、英語でやれよ』と言っていた市長、教育長もご満悦
 でした。
  いつもながらの暖かい応対を見させていただきました。ご承知のように来週25日
 からは日独同時交流受け入れが始まります。私はこの準備に追われてきました。正直
 申して、これほど苦しかったのはこの歳までで初めてでした。だからこのIBA鷲宮交流に
 いろんな思いを持ちます。合併して10年、未だに鷲宮地区のそれに限られています。
  ホストファミリーも鷲宮地区に限られています。鷲宮地区以外の方からは批判的意見
 すら聞こえてきます。この事業は、少数の本当に少数の関係者のご努力によって支えら
 れているのです。しかしスポ少とは野球を、サッカーをやるだけのものではありません。
   あくまでも子どもの健やかな育成を図る活動です。国際交流の体験はその最たる
 ものです。だから私は25日からの事業を何としても成功させます。
  そんなことを思いつつ帰路に就きました。
 
   「なでしこ」決勝Т1回戦で敗退 女子WCサッカー 6/29 

  第8回・女子サッカーワールドカップ2019フランス大会は、すでに決勝トーナメント
 に入っています。日本代表チーム(なでしこ)は、予選リーグを1勝1敗1分け、
 ブロック2位で突破、決勝トーナメントに進出しましたが(ベスト16)、1回戦でオランダ
 に1-2で敗れ姿を消しています。考えれば2011・第6回大会において、あの澤選手
 の劇的同点ゴールで追いつき、延長、Pk戦でアメリカを破り優勝、フイバーを生み、
 また前回の2015カナダ大会においても、決勝戦で同じアメリカに敗れたものの
 準優勝と、輝ける成績を残して来ただけに、残念という気がします。しかしある意味
 では予想されたこととも言える事です。(私は良くてベスト8止まり、悪ければ予選リーグ
 敗退と予想していました。)
  
  すでにベスト8が出そろっています。順当にランキング上位チームであり、その意味
 でも今大会は番狂わせが少なく、日本の1回戦敗退は今の実力そのままと言える
 わけです。今大会「なでしこ」は初の女性監督・高倉氏で大会に臨みました。高倉監督
 はこの間自らが指揮い、年代別大会において好成績を残して来た若手メンバー中心
 の選手団を構成しました。大会中にさらに伸びる可能性に賭けたと言われていますが
 しかし代表メンバー中17名が初めてという選手団は、余りにも若過ぎ、経験不足でした
 例えばキャップテン熊谷とともに、センターバックを務めた初戦の浦和の南は、ゴール
 前から前線へのパスを多く相手に渡していました。交代でその後の試合に出た仙台
 の市瀬は、熊谷とのカバーリングに難があり、失点につながっていました。高倉監督
 がこのチームの中心としたМFの長谷川も、いかにもひ弱で、かつ経験不足でした。
  もう1つはコンディショニング調整の失敗です。宇津木・坂口・籾木・小林とけが人が
 多く、誰が出ても戦力が変わらない、などという状況とは大きく違っていました。
  さらに言えば2011以降、一時的なブームの後、リーグ戦こそ発足しましたが、
 その後着実な前進は見られていません。根本の登録選手の増加等が遅れています。
  しかし最大の原因はこうした主体面と違い、対戦相手、特にヨーロッパ勢の急成長
 にあります。イングランド・オランダ・イタリアなどがそれです。男子のチームは各々
 強豪国です。豊富な資金を導入し、育成に力を注いできました。フィズカルが圧倒
 的に落ちるだけに、技術に差がなくなれば苦戦は当然です。
  いずれにせよ来年のオリンピックが勝負となります。再び今大会のような結果に
 終われば、女子サッカーの未来に暗雲が漂うことになります。奮起を求めます。

  さてこの大会です。私は本命アメリカ、対抗フランスとドイツ、追ってイングランド・
 オランダと思っています。準々決勝戦のアメリカ―フランスがカギになりますが、
 アメリカの経験が一歩優るかと思います。決勝戦は多分アメリカ―ドイツ、常勝
 アメリカがやはり有利という予想はあまりにも一般的ですね。

  第46回日独スポ少同時交流・久喜受け入れプログラム6/23(日)

  一時は全く進展せず、どうなることかと夜も寝られなかった日独同時交流受け入れ
 準備も、大勢のみなさまの協力を頂き、プログラム、ホストファミリーも確定、今日は
 教育委員会会議室で、最初のホストファミリー会議を開催することが出来ました。
  とにかくほっとすると同時に、これから細部を煮詰め万全を期していきます。

        午   前     午      後    夜 
1日目 7/25
  木 
  久喜駅東口出迎え
ホストファミリーとの
対面式、ふれあいセンター
 歓迎パーティ
 三高サロン
2日目    26・金 工場見学
 キッコーマン 
 市長表敬訪問・市長室
 М・菖蒲
 
3日目   27・土  少年団とのスポーツ
 交流・ 久喜小体育館
鷲宮中学催馬楽神楽見学   盆踊り
 南栗橋 
4日目   28・日     1日・ホスト  ファミリー・プログラム  
5日目   29・月   意見交換会
  久喜中
 弓道・茶道体験
 北陽高校
 
6日目   30・火    1日バス旅行  日光東照宮見学
 中禅寺湖観光
 
7日目   31・水   ウドン打ち体験  折り紙体験
  前・後共に緑風館 
 さよならパーティ
 三高サロン
8日目   8/1
  木 
   次の交流地
  つくば市へ・見送り 
 

  以上が確定した受け入れプログラムです。プログラムに必ず入れる「ホストファミリー
 プログラム」は、昨今の事情から日曜日としました。5日目の午前の意見交換会、
 午後の弓道、茶道体験にあたり、久喜中と北陽高校のご協力に、心よりの感謝を
 申し上げます。
  とにかく菖蒲地区のローズパークとの交流(市長・議長等は7月下旬、そちらに行かれ
 さよならパーティには欠席となります。) 少年団では鷲宮中心の野球の「IBA」と重なり
 困難さが増していました。難航していたホストファミリーです。あらゆる手を講じましたが、
 数軒しか応募がなく、一時は絶望の淵に沈んでいました。必死で多くの知人にお願いし
 何とか今日の会議へたどり着くことが出来ました。感謝申し上げます。
 まだまだやらねばならない事が多くあります。とに角スタート地点に立つことが出来ました。
  一つ一つチェックしつつ、後ひと月弱、最後の詰めの作業に取り組んでいきます。

 最初の10周年記念種目別大会・バド 6/23(日)毎日興行アリーナ

  久喜市合併記念10周年の今年は、同時に
 新久喜市スポ少10周年の年であること、1年を
 かけ様々な記念事業を実施することは、何ども
 報告してきました。
  その第一は今、私が今まで経験してきた各種
 事業の組織化の中で、1番苦労している「日独
 同時交流」の受け入れです。


 その後は下半期に入ってとなりますが、記念式典、記念誌の発行、全指導者・団員
 への記念品の配布となります。直接団員が参加するのは「記念大運動会」ですが
 そのほかに「種目別大会」を行います。久喜市スポ少には6つの種目別部会があり
 ます。野球・サッカー・ミニバス・バレー・バド・ソフトテニスです。それぞれの種目別
 部会は年何回かの市内大会を持っています。そのうちの1つを「10周年記念大会」
 の冠をつけ行うものです。6種目ですが、ミニバスは常時「男女別大会」大会ですので
 +1、加えて来春の本部ロードレース大会の男女別駅伝と、計9つの優勝・準優勝
 トロフィを記念事業予算から用意しました。
  各部会の大会の数は様々です。野球とサッカーの6つが最多のようです。多いよう
 に思われますが、春・夏・秋の大会に、冬の新人戦、合間に2回の新人戦(5年以下)
 のようです。本日10周年記念種目別大会としては、初めてとなる「バドミントン」は
 1番少なく、春と秋の2回です。春は団体戦(団対抗)、秋は個人戦ですから、この
 大会が10周年記念大会としてはふさわしかったのでしょう。バドミントンはかっての
 埼玉国体の会場だったことに代表されるよう、体協・スポ少共に組織がしっかりして
 いました。第1回のスポ少のバドミントン県大会は参加9チーム中、久喜市で7チーム
 占めていました。毎年のように市内のチームが優勝したものでした。
  この大会への参加団は4です。3団も解散、または合併して消えたことになります。
 この10年の歩みは、まさに苦労の連続だったな、バドを始めみんなに苦労をおかけ
 したなと、開会式のチヨット寂しい団員たちを見ながら思いました。次の10年が少しは
 明るいものでありますよう、祈らずにはおれません。
  この後来月に入ってミニバスの冠大会、野球・サッカーは秋の市長圷大会と伺って
 います。
 こちらは全力をあげ、日独を成功させ、秋の記念事業へと入っていきます。

    第5回・くき健康ウオーク 6/16(日) 久喜市教委発着コース

  前日は1日冷たい雨が降り続いていました。夕刻スポ少越谷市での認定員養成
 講習会の講師を務め、帰宅しましたが、週末・夕刻・雨と重なって大渋滞、イライラ
 しながら帰宅したのですが、それでも久喜につく頃、西の空が明るくなっていました。
  ところがこの日はドピーカン、野外行事には暑すぎる天候となりました。
  教育委員会の駐車場に集合、立哨地点ごとに徒歩、車でそれぞれのポイントに
 向かいました。今回のコースは6/7付、本ページで紹介してあります。教育委員会
 を出て、アリオ西側を北東に進み、折り返して香取公園に戻ります。ここから東上して
 本町小前を通り、五領交差点を右折、市役所通りを県立図書館まで進みます。私は
 この五領交差点に立ったのですが、職員の運転する車で現地まで運んでくれる
 最も近い地点でした。
  参加者が教育委員会の駐車場(給食センター予定地ソバ)での開会式を終え、
 出発するのは9:00です。私たちが立った地点は3K少しの地点、通過は10時
 少し前、というところでした。綱引連盟の仲間とともに、木陰を求めながらひたすら
 待ち続けました。参加者は100名ははるかに超えていましたが、200名には少し
 足らないかと思われます。そんな人たちが役員の先導・交尾に挟まれて、あっという
 間に通り過ぎていきました。大勢の役員、周到な準備の割には少ない数でした。
  最も久喜マラソン大会等と異なり、これがウオーキングの特徴かと思われます。
 私も自分の好きな時間に、思いついたコースを歩きます。タイムとか順位を重視
 するのではありませんから、「大会」というのになじまないものなのかもしれません。
  さて参加者が過ぎた後です。私たちは参加者の後につき、コースを観察しながら
 歩いて帰ってきてください、と言われていました。8Kコースは前記した県立図書館
 から、久喜中前、総合病院前を通ってゴールします。これだと私の立哨地点から
 5K弱あります。最近日独と提灯祭りの準備で腰痛が悪化、かなりひどい状態
 チヨットしんどいので、逆コースを一直線に教委に戻りました。
  それでも2K強、熱さの中のつらい歩きでした。
  結局ほんの1分程度、参加者の中の顔なじみに挨拶、あとは暑さの中、立ち続け
 歩いてで、半日が終りました。
  追加  後で参加者を確認したところ233名とのことでした。事前申し込みが100名
      強との事ですから、当日参加者のほうが多かったことになります。少し暑すぎる
      くらいの好天のせいでしょうか。

 令和元年度・久喜市スポーツ少年団母集団講習会6/9(日)鷲宮西コミセン 

  久喜市スポーツ少年団
 令和元年度の「母集団
 講習会」が、9日(日)鷲宮
 西コミセン「おおるり」で
 開催されました。
  スポーツ少年団には独特


 の用語がありますが、「母集団」はその最たるものといえます。母集団=団員の母の
 集団との理解から、多くの誤解を生んでいます。団員の母親は、活動への参加を強制
 されるというものです。少年団に強制・義務付けはありません。「母なる川とか、「母なる
 大地」という言葉があります。「母集団」とは、母親のような愛情をもって、少年団を愛し
 育んでくれる人たちを指すのです。
  今年の「母集団講習会」です。いつものように2本立て、1つは久喜小穂村校長先生の
 講演、1つは久喜市レク協理事長・江面第2小・朝武校長先生による、レクの実技指導
 です。
   穂村校長先生の講演は「子どもに夢を」と題するもの、教育者として、子どもに夢を
 与える事が教育の目的、との考えに立ち、まず渋沢栄一氏の「夢七訓」の紹介から
 始まりました。最後に「幸福を求める者は、夢なかるべからず」で終わるものです。
  そして本田圭佑、石川遼、イチロー、錦織圭といった選手が、小学校卒業時に書いた
 「僕の夢」なる作文を紹介、「夢を持ち努力する大切さ」を話されました。また埼玉の
 生んだオリンピックメダルスイマー、「星奈津美」選手の母親の手紙、「あなたの夢を
 一緒に追い続けることができて幸せでした」を紹介、最後にイチローの「今、自分の
 できることを一歩ずつ積み重ね、成長すると 夢が目標に変わる」を紹介していました。
  子どもが夢を持って努力すること、その努力と親たちが一緒であること、母集団
 講習会に相応しい話でした。
  朝武先生の実技指導は定評のあるところです。今日もオープニングゲーム、
 ペアゲーム、グループ対抗ゲームと次から次へと繰り出し、笑いを誘い、みなを
 引き込みつつレク指導を終えていました。
  スポ少10周年の年の「母集団講習会」を終えました。これから通常活動に加えて
 10周年記念事業への協力をお願いすることになります。よろしくお願いします。
  なお写真は1昨年のものです。

    ◎ 第5回久喜市健康ウオークが開催されます。6/7(金)  

  久喜市合併10周年記念事業として「第5回久喜市
 健康ウオーク」が16日(日)、久喜市教育委員会を
 スタート・ゴールに開催されます。
  この事業は歩くことで市民の健康体力の増進を図り
 幸せな市民生活をお送りいただくことを目的に、平成
 27年から行われてきました。久喜―鷲宮―栗橋― 
 菖蒲と一巡、コースが久喜に戻っています。


  主催は久喜市・久喜市教育委員会・体協・レク協であり、主管「くき健康ウオーク実行
 委員会」です。「くきマラソン」とは規模が異なりますので、市民団体は参加していま
 せん。私はレク協加盟「綱引連盟」を代表して役員を務めています。
  4年前、久喜が会場の時は、駅東側でコースを作りました。今回は教育委員会を
 スタート・ゴールとする8Kと5Kの2コース、教育委員会を出て、アリオに向かいます
 が、手前を左折、1K近く北上して、香取公園に戻り、アリオ東側を経て、教育委員
 会に戻るのが5Kのコース、8Kは香取公園からそのまま東上、本町小前→五領交差
 点を右折、市役所通りを→市役所→久喜中→総合病院と歩いて、ゴールするのが
 8Kコースです。私は五領交差点に立ちます。ここは8Kコースで、約3・2Kにあたり
 ます。教育委員会に集合後、職員の運転する車で、その地点に立ちますが、帰路は
 最終歩行者が通過後、そのあとを歩いて戻るとのことです。その距離5K弱、普通
 なら何でもないのですが、このところの忙しさから腰痛がひどく、チヨットつらいよ、と
 いう状態です。
  梅雨に入るかが少し心配です。ただ残念なことには参加者が少ないこと、現時点で
 60名を少し超えているだけとのことです。来週一杯受け付けていますし、当日参加も
 可、大勢の方の参加をお待ちしています。(0480-22-5555)
  なお写真は昨年大会のもの、私が立った菖蒲シラサギ公園の風景です。
   ◎ 市スポ少10周年記念事業実行委発会式 6/1(土) イリス

  本ページ5/11日付「久喜市スポーツ少年団令和元年度定期総会」でもお知らせ
 してありますが、本年度は久喜市と同じく、久喜市スポーツ少年団本部結成10周年
 の年、それを祝い、明日へのさらなる活動強化を狙いとし、10周年記念事業を実施
 します。10周年記念事業の内容は以下の通りです。
 (1) 第46回日独同時交流の受け入れ
 (2) 記念誌の刊行
 (3) 記念品の制作・配布
 (4) 記念大運動会
 (5) 記念式典
 (6) 記念種目別大会
  以上6事業の内、(1)は日独同時交流は同実行委が、(6)の記念種目別大会は種目
 別部会が行います。したがって10周年記念事業実行委が、企画・運営する事業は
 (2・3・4・5)の4事業です。全役員理事・常任理事・本部員参加による実行委を
 以下の3部会に組織しました。
 (1) 記念誌部会 記念誌の刊行
 (2) 事業部会 大運動会の企画運営 9/29(日) 南栗橋スポーツ広場
 (3) 企画部会 記念品・記念式典   11/16(土) 三高サロン
  記念誌・記念品は記念式典前、10月末を目標としています。
  予算は積立金90万円+本年度の本部会計となり、130万円前後を予定しています。

  今日の会議ではまず私が全体像を説明し、そのあと各自の所属部会を決めました。
 単位団代表者51名を記念誌・20名、事業18名、企画・13名とし、バランスよく、
 各部会別に単位団を置きました。その後各部会長の下、部会別会議を持ち解散しま
 した。私は実行委員長として、すべての部会の会議に出席する予定です。なお
 3部会長と3副本部長が、副実行委員長となります。
 
  なおすでに発会した日独同時交流実行委員会です。猛烈に苦労しています。私は
 20歳時から地域運動に参加、30歳の頃には組織する立場にありました。ありと
 あらゆる事業をこなしてきましたが、こんな苦しい思いをしているのは初めてです。
  しかし何としても成功するよう、死にもの狂いで頑張っていきます。

  令和元年度・第36回久喜市綱引連盟総会 5/25(土) 和みの湯

  各組織の本年度の総会も大方終了したものと
 思われます。そのしんがりを承って、市内小学校
 運動会が行われたこの日、令和元年度・第36回
 久喜市綱引連盟総会を開催しました。私が会長と
 なって2度目の総会です。
  「綱引」という競技、また「久喜市綱引連盟」の組織
 状況等については、もう何ども報告してきました。
 
(―昨年度の大会から―)

 とにかく激しい競技です。普通の人なら2本もまともに引いたら、
 吐き気を催すほどです。だから一般市民のクラブとしての組織化は、まず無理な状態
 です。一方競技内容は「エース」とか、「あいつが弱い」というものはなく、全員が
 一本の綱に思いを込めて引くことで成り立つ、究極のコミュニティスポーツなのです。
 そんな事で、一般市民の、特に小学生の参加を促してという、「綱引大会」がそこそこ
 の町で、それなりの規模で開催されているのです。特に久喜市のそれは、参加1000
 名を優に超す規模で毎年開催されており、最大級のものといえます。この大会は市と
 市教委の主催、連盟は実質、主管団体としてこの大会の運営にあたっています。他に
 「久喜市レクリエーション協会」と、「県綱引連盟」に加盟、両者の行事に参加して
 います。この程度の事業関係議案、そしてわずか5万円前後の予・決算議案は、
 いずれも、全員一致で承認されています。
  ただ困っているのは連盟会員の高齢化、新しい会員の加入が見られないことです。
 主体的に参加するのは、「綱引大会」だけという現状では仕方ないのかもしれません。
  何としても新しい会員の獲得を図っていきたいと考えます。

  小さな総会ですが、今年もまた市長・教育長、石川県議、レク協会長のご出席を
 頂きました。「綱引大会主催者」ということもあるかと思いますが、ありがたいことです。
 御礼申し上げます。今年の「久喜市綱引大会」は、12月1日、毎日興業アリーナで
 開催されます。
  例年のように11月には「綱引巡回講習会」を開催します。
  多くの皆様の大会への参加をお待ちしています。

    ◎ スポ少体力テスト・太田小地区懇親会 5/12(日)  








  昨日下段で紹介したように、本年度の定期総会を終えたばかりですが、本日は市内
 各会場において、「体力テスト=運動適正テスト」が行われました。
  少年団の目的は種々ありますが、何といってもその第一は、子供たちに体力、それも
 バランスの取れたそれを身に着けてもらうことにあります。そのため少年団では体力
 テストを行うことが、唯一の義務となっています。体力テストの内容は以下の通りです。
  1・立ち幅跳び 2・上体起こし 3・腕立て伏せ 4・時間往復走 5・5分間走
  子どもたちが学校で行う体力テストは「新体力テスト」です。これは8科目行います。
 共通なのは立ち幅跳び・上体起こしだけです。「新体力テスト」には特別の器具を必要と
 するものもあります。少年団のそれは何の器具もいらず、わずか5科目だけで、瞬発力
 柔軟性、筋力、全身持久力といった、体力の各要素を見ることができるものです。
  今日私は鷲宮地区の会場、上内小にお伺いしました。今小規模校となり、鷲宮小との
 統合の対象となっていますが、かっては大規模校、大きな体育館とグラウンドがあり
 ます。写真は、左から準備運動、上体起こし、腕立て伏せ、1番右がグラウンドでの
 5分間走です。 
  ところで「日本スポーツ協会」は、最近「運動適正テスト」に力を注がなくなっています。
 「判定員養成講習会」もなくなりました。したがってこのテストを【正しく実施する】が
 大変難しくなっています。今日も拝見していて、かなり怪しげなところがありました。
  加えて日本スポ少本部が、そうしたことに踏まえてか、今この体力テストの再検討を
 始めています。今のところどうなるか未確定ですが、ある変更は避けられない所です。
  いずれにせよ少子高齢社会の進行、人口減少、財政困難という流れの中で、将来
 大きな負担を背負うのは、間違いなく今の子どもたちです。強く、優しい精神と共に
 それを保証する強い体力の持ち主へと、子供たちを育ててもらいたいと考えますし、
 そのためにこの体力テストを活用していただきたいと考えます。

  この体力テストの日は他に楽しみが一つあります。太田小地区スポーツ少年団の
 学校の先生を交えた懇親会があるのです。もう20年も前から行われており、私へも
 ご案内をいただいています。校長・教頭・教務主任各先生方と、現場指導者、育成会
 との意見交換もあり、出席していて大変参考になります。それにしても「太田クラブ」
 「キッカーズ」といった、各部会を代表する名門クラブの現状をお聞きし、改めて
 少年団の厳しい現状を再確認しました。
  10周年記念事業も、日独も大変なことです。猛烈な不安感にさいなまれています。

  ◎ 市スポ少本部令和元年度定期総会 5/11(土) 栗橋文化会館

  市スポ少本部10周年記念事業の年、令和元年度
 第9回久喜市スポーツ少年団本部定期総会が、11日
 栗橋文化会館「イリス」で開催されました。
  「イリス」で総会は初めてのこと、これも大型連休明け
 初めての週末とあって、各市民団体の総会が一斉に
 もたれ、会場確保が出来なかったからです。
 それでも49団中48団の参加で盛大に開かれました


  平成30年度に係る事業・決算報告、新規加盟団の承認、役員の改選、令和元年度
 事業計画、予算、全て満場一致で承認されました。
  新規加盟団は「久喜陸上競技クラブ」、「久喜東ソフトテニスクラブ」の2団です。
 少子化の進行、基盤とする児童数の減少という中で、団・団員数の減少が続いて
 います。そうした状況下、ここ数年「ラグビー、ソフトテニス、陸上競技」と新たな単位団
 種目の加入をいただいていることは大変ありがたいことです。大いに歓迎します。
  役員は今年が10周年記念事業の年ということで、基本的に留任いただきました。
 私も令和1・2年と本部長を引き続き務めることとなりました。よろしくお願いします。
  事業計画の中には、当然10周年記念事業があります。具体的には7月の日独交流
 9月の運動会、11月の記念式典です。そして「記念式典」までに、記念誌を刊行し、
 全団員・指導者に記念品を制作・配布します。また6種目別部会の年間1つの大会を
 「10周年記念大会」とし、優勝・準優勝トロフィを贈呈します。
  通常の団活動、部会活動に加え、今年は上記がプラスされます。忙しい1年となります。
 当面7月下旬の「日独同時交流受け入れ」に全力を傾け、その後記念誌の作成、記念
 運動会へと入っていきます。全力を、とにかく全力を傾けてまいります。
  なお記念Тシャツ等に気が回り、カメラ忘れてしまいました。写真は昨年度の総会
 です。

 3チームが県大会へ スポ少野球東部大会閉会 5/6(休) 鷲宮運動公園  










  下段で紹介したスポ少東部地区野球大会は、今日が2日目最終日でした。各ブロック8
 チームが3日、1回戦を戦い、本日が準決勝、決勝戦、決勝戦進出2チームが、全国大会
 にもつながる県大会に出場できます。
  朝、県大会進出をかけた準決勝戦で、市内のチームが戦っている試合を見たいと
 渡辺部会長に電話、『レインボーズが勝って決定、桜田チエリーズがこれからです。』との
 事で、急ぎAブロック会場・鷲宮運動公園へ向かいました。春日部市「ヤングタイガース」
 との対戦でした。先取点を許しましたが、見事に逆転、1-2で勝利をおさめ、県大会出場
 を決定しました。(―写真・左―)
  その後市内3チームが、決勝戦に進出したとの情報が入りました。大したものです。
 どこかの会場で決勝戦を見たかったのですが、祭典関係の行事があり、間に合わず
 閉会式を見ました。4会場での決勝戦を終えた各チームが、続々閉会式に集まって
 きます。県大会出場チームは以下の通りです。
  Aブロック 優勝  さくらキッズ・幸手市  準優勝 さくらだチエリーズ
 
 Bブロック  〃  久喜レインボーズ    〃 南川崎ゴールデンアローズ・八潮市 
  Cブロック  〃   栗橋ジャイアンツ     〃  松伏フアィターズ
  Dブロック  〃   ニユー武里ジヤンボーズ 〃   白南ボーイズ・白岡市
  赤字が久喜市のチーム、3チーム県大会出場は、今までなかったと思います。優勝した
 「栗橋ジヤィアンツ」は春の市内大会優勝チーム、攻守良くまとまり、今年の市内では最強
 チームと思われます。「久喜レインボーズ」は、実に勝負強いチーム、逆転に次ぐ逆転で
 栄冠を勝ち取ったとのことです。「桜田チエリーズ」は準決勝戦を観戦、決勝戦は残念な
 結果でしたが、3チームともに県大会での健闘を期待します。
  閉会式です。優勝・準優勝チームに「スポ少野球部会東部ブロック運営委員会」と、
 「埼玉新聞社から賞状、全員にメダル、優勝チームに優勝旗、準優勝チームに「盾」が
 贈られました。(―写真・中―) 
  整然としたあくまでも整然とした大会運営の最後は、県大会出場8チームによる退場
 行進、選手諸君は2日間にわたる戦いを振り返りつつ、県大会での頑張りを誓っての、
 さわやかなものでした。(―写真・右―)
   野球部会の皆様ご苦労様でした。良い大会でした。

     ◎ スポ少野球東部地区大会開会式 5/3(祝) 鷲宮運動公園 










  第38回・埼玉県スポーツ少年団軟式野球交流大会の東部ブロック大会が、今年度は
 久喜市を会場に行われ、その開会式が3日鷲宮運動公園で行われました。1日が予定日
 でしたが、順延されたものです。鷲宮の他、久喜総合運動公園多目的広場、南栗橋
 スポーツ広場2面の4会場で行われ、各会場1位の4チームが、全国大会までつながる
 県大会に出場します。
  私が県スポ少の役員を30年近く務めた事、内、17年副本部長を務め、最後は本部長
 代行まで務めたことは何度も報告しています。だから各種目の県大会(開・閉会式)へは、
 数多く 参加してきました。その中で野球は別格だなといつも思います。競技団体との関係
 が薄い事、甲子園の影響等なのでしょうか、とにかく真面目であり、理念に忠実なのです
  野球は段数・団員数こそサッカーに劣りますが、指導者の数は圧倒的、その指導者が
 定め通りきちんと活動するのです。
  この大会、開会式もその通りでした。まず「大会要項」です。主催・主管・後援・協賛
 協力団体と10を超える組織名があります。団員綱領・指導者綱領から少年団の歌、
 更には進めている「マナー」についての記述まであります。そして正装の部会役員の多さ、
 整然として入場行進です。更に「団員綱領の朗読」から「選手宣誓」、特に各級野球
 大会での「選手宣誓」の見事さは、他の追随を許しません。今日も地元ということで春季
 大会優勝の「栗橋ジャイアンツ」キャップテンが、「令和」という新しい時代を取り入れ
 たり 野球のできる喜びを、周りの人みんなのおかげと、感謝の言葉を述べたりと、
 素晴らしい宣誓をしていました。
 
  この大会は32チーム、各ブロック8チームが今日1回戦、2日目の6日(休)が、準・
 決勝戦と戦います。久喜市は通常4チームですが、地元ワクで+1、5チームが出場して
 います。1つでも多くのチームが勝ちあがって、県大会へ進出できるよう、6日も応援
 観戦しようと思っています。
   写真・左  一斉に声を合わせての入場行進
       中  大会会長・東部ブロック長挨拶
       右  大変すばらしかった選手宣誓


  スポ少、日独&10周年記念事業Тシャツ見本出来ました。 4/21(日) 


  







  久喜市スポーツ少年団は新市誕生と同時に発足、本年創立10周年を迎え、1年をかけ
 記念事業を実施すること、その目玉ととして「第46回日独同時交流受け入れ」を実施する
 ことは、何度も報告してきました。その日独同時交流と、10周年記念事業を盛り上げる
 意味からも、「記念Тシャツ」を制作・販売することも決定されていました。
  久喜市スポーツ少年団は、昭和60年旧久喜市の時ですが、同じく10周年記念事業
 として、第12回の日独同時交流を行っています。その時も日独の国旗をデザインした、
 素敵な記念Тシャツを作成、好評を博しました。その時はドイツからヘッセン州(Hessen)
 団員の訪問でした。そこでドイツと日本の国旗、その下に、Hessen Kukiと記したデザイン
 のものでした。それを思い出し、デザインしたのが写真です。ドイツ全体での行動から、
 グループプログラムに移り、今年久喜市に来るのはMecklenburg Vorpommern州の団員
 です。メクレンブルク・フォアボンメルン州は、バルト海に面したドイツの北部、人口は
 170万人、州都はシュベェリーン市です。あまり長いので「メクレンブルク」と、Kukiを
 国旗の下に記し、少年団マークで結びました。これが表面・胸、背中首のところに久喜市
 の10周年で作成されたロゴマークを置きました。(写真と少し違います。)
  対象は1年生団員から、指導者までとなりますので、サイズは12段階まで用意して
 います。価格は団員サイズは1、500、母集団用は1700円、指導者男性は2000円
 を考えています。(予定)ドイツ団員には贈呈、他はもちろん希望者の購入となりますが、
 日独交流、10周年記年運動会でも、着用したいと考えています。多くの方の購入を
 希望します。総会で注文書を配布します。もちろんその後の注文も受け付ける予定です。
  このТシャツを着た大勢の団員指導者の下、日独同時交流と10周年記念事業が
 盛大に展開される日を夢み、準備にあたっていきます。

  第30回・久喜市レクリエーション協会総会 4/20(土)ふれあいセンター久喜

  「久喜市レクリエーション協会」の令和元年度・第30回
 「評議員会」(総会)が開催されました。
  第30回ということで、ああ30年たったかな、と色々な
 思いが沸き起こりました。私は平成7年議員立候補に
 当たり、23年間勤め、後半の半分は責任者であった体育
 指導委員(スポーツ推進委員)を辞しました。高齢社会の
 到来が目の前に迫る時でした。

 
  それに備えての各種軽・新スポーツの普及・組織化が私たちの任務でした。各種軽
 スポ教室の開催、組織化に私は没頭しました。そこから太極拳、グラウンドゴルフ、
 ミニテニス等々の組織が誕生しました。そしてそうした団体の受け皿として、
 「レクリエーション協会」の組織化を図ったのです。困難な問題がありました。「民踊・
 フォークダンス」といったレク団体が、すでに体協に加盟していたからです。「久喜市
 体育協会」との融和を図る意味からも、体協会長で民踊連盟の会長であった、故斎藤氏を
 会長に迎えて、発足出来たときの喜びは大なるものがありました。設立準備委員長で
 あった私は、以来10年副会長として、レク協の基礎を作り、10周年記念事業の際、
 その職を辞し、以来学経理事として今日を迎えました。
  その後「レク協」にも大きな変化がありました。中心組織であった「グラウンドゴルフ」
 「太極拳」が、国体との関係で、県組織に合わせ体協に移行しました。加えていくつかの
 加盟団体が、会員・役員の高齢化に伴い活動が低迷し、全体として活動の減退という
 現状を迎えているのです。 
 
  第30回というのは、レク協の30周年に当たります。その記念すべき年に記念事業の
 記の字も出ないのは、何とも寂しいことです。しかしそれがレク協の現状なのですから、
 認めるしかないのでしよう。いつもながらの事業と、いつもながらの会計が提案され、
 承認されました。
  挨拶された梅田市長が、『久喜市の高齢化率は29・8%、28%台後半の国・県を
 超えてしまった。合併した10年前は20・2%、この10年で10%も増えた、大問題』
 と述べ、そうした高齢社会の中で果たす「レク活動」への期待につなげていました。
  29・8%のと真ん中にいる私も、日課とするウオーキング以外にも頑張って、せめて
 皆の足手まといだけにはならぬよう努力したいと思います。

 平成31年度・埼玉県綱引連盟総会 3/30(土) 越谷市コミュニティセンター  

  2019年度の「埼玉県綱引連盟総会」が30日、「越谷市コミュニティセンター」で
 開催され出席しました。久喜市の綱引大会や、本ページ3/16日付「越谷市綱引
 連盟30周年式典」で折にふれ記してきました。決してメジヤーな種目でない「綱引」
 ですが、県大会・関東大会・全国大会を持ち、それぞれのクラスに組織を有して
 います。県の連盟は比的大きな組織を持つ、越谷市と久喜市を中心に運営されて
 おり、事務局が越谷市にある事から、年度総会はずっと越谷市で行われています。
 私は久喜市で、綱引という種目が誕生して以来の会員ですが、久喜のみに留まり、
 県連盟には一切関わってきませんでした。3年前3代目の久喜の会長に就任以来
 何かと関係が深まり、今年初めて県総会に出席させていただきました。
  
  それにしてもチヨット寂しい出席者でした。久喜市の総会と変わらないくらいでした。
 行事は県・関東・全国大会、県連盟が加盟する県レク協関係、久喜市や越谷市等の
 大きい市の大会への審判派遣、といったほかに登録申請の受付、審判講習会等
 連盟として大切な事業等でした。
  会計です。予算決算総額約60万円です。登録料、県大会への参加費、連盟所有
 備品の貸し出し代等がそれぞれ1/3を占めています。県レク協の補助金が6・8万円
 というのはいかにも低いですね。
  支出の部では県・関東への負担金20万円、大会事業費10万が主なものでした。役員
 では会長高橋(越谷市長)、副会長に上坂(越谷)、内藤(久喜)、理事長に神山(都幾川)
 以下すべての役員を再任、提案6議案が全て承認されています。
   久喜市関係では12/1の久喜の大会に審判の派遣を頂き、また県大会を来年
 1/19、毎日興行アリーナで行います。なお再来年2020の6月に関東大会を
 同じく久喜で行う予定とのことです。
 
  いずれにせよ私は、久喜の市民大会をきちんと行うことを第一に、県連盟の傘下と
 してその事業に、協力していきたいと考えます。

  第4回よろこびのまち久喜マラソン大会・Ⅱ3/24(日) 久喜市総合運動公園


















  全種目のスタートを見送って、ステージ横の本部席に戻りました。ここで体協や体指
 (スポ推委)の古き仲間とダベったり、会場を埋め尽くすテントを覗いたり、ゴールへ
 入るランナーに声援を送ろうと思ったのです。が、今年は表彰を仰せつかりました。
  ところで表彰は全種目8位までです。この役は大会副会長、副実行委員長で、と
 いうことでした。副会長は教育長・商工会長、連合区長会長です。副実行委員長は私の
 ように団体代表者で、JC、スポ推委、地区区長会長といった方々です。私は主に8位
 を表彰したのですが、全員に賞状、+6位までにメタル、+3位までが副賞というもの
 です。副賞は久喜産のお米・イチゴ、他に何かあったでしようか。抱えきれない人もい
 れば、とに角7位からは賞状のみ、チヨット気の毒でした。
  この表彰ですが、例えばハーフの部は39歳以下、40、50、60歳代、70歳代以上
 の男女と10部門、3Kの部にはプラスして中学生と12、1・5K小学生は4、親子は
 当然1と、何と27部門もあり、次から次と2時間近く付き合わされました。写真(上・左
 親子、上・右はハーフ39歳以下)です。気が付いたこと、参加者は久喜市民、近隣市町
 の方が多いのは当然ですが、入賞者はやはり愛好者、遠くの方が多い、小学生には
 真岡市の子がいました。記録がすごい、1・5K小学生で殆どが5分を切っていました。
  3K・中学生女子で優勝したYさん、久喜中の陸上部で今年県№1のランナー、進む
 高校は女子駅伝最高名門の仙台育英、お母様とは親しくさせていただいていますが
 今後のさらなる活躍に期待します。がんばってください。それとやはり70歳代以上の
 表彰、みな典型的ランニングスタイルですから、帽子でもかぶられていると本当にお若い
 わずか無帽の方の白髪頭に年代を感じるだけ、とにかく感心します。同じ年代でも
 私など腰痛で100mと走れません、恥じいるのみです。
  表彰の合間に「川内選手、ゴールに入ります」のアナウンス、今年は前記したように
 忍者スタイルの川内選手が、全体で3位のゴールでした。(―上・中―)
  表彰を終え閉会式まで少しありました。この大会は久喜市・教育委員会・体育協会の
 3者主催ですが、大会実行委の主管です。この実行委は体育団体のみならず、多くの
 医師会、農協・商工会、区長会等地域団体で構成されています。まさに「オール久喜」
 なのです。会場には久喜市内4ユルキャラが勢ぞろい、皆に愛嬌を振りまいていました。
 (―下・左―) またステージでは、北陽高校チアーリーディングの皆様が、パフォ―マンス
 を見せてくれました。(―下・中―)
  最後は川内選手、ゲストランナーの岡島彩さん(2018ミスユニバース埼玉代表、くき
 親善大使)、サポートランナー宮崎亜紀さん(タレント)のお3方によるトークショーで締め
 括りました。(―下・右―) なおこの日は、川内選手アマチュア最終レースとあって
 マスコミの注目を浴び、夜のテレビニユース等で多く取り上げられ、大会PR上では
 大変な効果でした。
  てなことで今年の「久喜マラソン」を終えました。本部詰めですから、レース沿道の様子
 が全く分からないのが少し残念です。でも仕方ないことでしょう。多くの部門で協力
 する我がスポ少のメンバーは、今年も完璧に役割を全うしたものと確信しています。
  ご苦労様でした。来年第5回大会は新たに10K部門を加える予定です。
  多くの皆様の参加を今からお待ちしています。

 
 第4回よろこびのまち久喜マラソン大会・Ⅰ3/24(日) 久喜市総合運動公園


















  1昨日の市内小学校卒業式の日は、気持ち悪いくらいの暖かさでした。昨日は何と
 15度も気温が下がる寒さでした。「第4回・よろこびのまち久喜マラソン大会」本番の
 この日は途中からチヨット風が強くなりましたが、この大会のシンボルカラーであり、
 スタッフジャンパーの色、抜けるような青空に恵まれた絶好のマラソン日和でした。
  乱立する大会旗、周囲をぐるりと囲むテント、ステージ、ゴールで市民グラウンドは
 迎えてくれました。8:00開会式です。梅田市長・大会会長挨拶、来賓祝辞と続いて
 大会ゲストランナー「川内優輝」選手の挨拶、今日のレースが、最後のアマチュアと
 して、となります。なおご婚約おめでとうございます。(―上・左―)
  いよいよレース開始、国体道路からのスタートです。まず「1・5K小学生の部」から
 です。男女別5・6年生の部と、3・4年生の部と4部門ですが、スタートは一緒500名
 ですが、それでも壮観でした。完全ランニングスタイルの子、サッカーやバスケのユニ
 フォームの子、中には:剣道クラブで胴着・ハカマの子までいました。(―上・中―)
  次いで親子の部(1・5K)です。175組350人の参加です。手をつないだり、中には
 どちらかが、「ホレホレっ」と急っつきつつのスタートでした。(上・右―) 
  頑張れ、頑張れと声援を送っているうち、何せ1・5Kです。早い子は5分、親子でも
 6分でゴールします。あっという間に目の前を通過、市民グラウンド内ゴールへと走り
 抜けていきました。(―下・左―)
  さていよいよハーフの部のスタート、約3500人の大部隊です。9:30自らも最後尾
 からスタート、完走した梅田市長の号砲が鳴り響き、スタートです。走者の予測タイム
 1時間代、10分代、20分代との自己申告に基づき、スタートの並び順が決まります。
 先導者、白バイ2台の後、来るわ来るわ大軍勢が走り抜けていきます。(―下・中―)
 先頭集団に今回は黒の忍びスタイル、忍者衣装の川内選手を確認できました。
  でもあまりにも多くて3人の議員諸兄や、市長はわかりませんでした。ところで出場
 選手の中には、必ずある種のコスチュームで走る人がいます。それもこの種の市民
 大会にはご愛嬌といえます。派手な角着き帽子や、トギンちゃんのお面などは普通で
 カメラを構える私の前で、ちゃんと止まってくれるこんなランナー人までいました。
 (―下・右―) ハーフの部の大部隊を見送って、市民グラウンド内本部席へと戻りました。

   ◎ 越谷市綱引連盟創立30周年式典 3/16(土) 越谷サンシテイ

  私が「久喜市綱引連盟」の会長を務めており、「久喜市綱引大会」等の運営に当たって
 いることは、何度か報告しています。当然上部団体に、県の綱引連盟、国の綱引連盟が
 あります。:県は県大会、国は全国大会を持っています。県大会は最近久喜を会場にして
 おり、1/20日付本ページで今年度の大会を報告しています。全国大会は駒沢体育館で
 3日(日)行われたばかりで、録画中継で見させていただきました。この「埼玉県綱引連盟」
 です。綱引はメジャーになりにくい種目ですから、組織は決して大きくありません。
  その中で県で最初にこの種目に取り組んだ久喜市と、越谷市が中心的地位を締めて
 います。例えば初代会長が島村前越谷市長、2代目が久喜市の故樋口県議会議員、3代目
 となる現会長が高橋現越谷市市長、現副会長2人が越谷市と久喜市からというように。
  この現県副会長の上坂氏が会長、そしていつも久喜の大会に、大勢の審判員で応援して
 いただいている「越谷市綱引連盟」の、創立30周年記念式典・祝賀会が16日行われ、
 久喜の仲間4人で出席しました。
  上坂会長挨拶、30年の経過報告の後、感謝状の贈呈がありました。受賞団体の中に、
 女性の綱引クラブ3つがありました。こうした地域の「綱引クラブ」を維持することは
 大変な事です。敬意を表します。
  来賓祝辞で越谷市長、教育長の後、黒田越谷市レク協会会長が祝辞を述べられました。
 越谷市レク協は創立50年を超し、県・東部地区の中心をなしています。黒田氏は市長・
 県議等務められた他、自ら多くのスポレク活動の先頭に立ってこられた方、多くの意味で
 私の大先輩です。少し老けておられましたがお元気なご様子、うれしく、懐かしくご挨拶を
 させていただきました。
  祝賀会にうつり、カラオケまで飛びだすにぎやかな会、楽しい時間を過ごしました。

  越谷市と久喜市が県連盟の中心と言いましたが、越谷市にはどうしてもかなわない
 部分があります。1つは公式審判員です。越谷市は役員の大半がそうですが、久喜
 ではほんの数名です。私も20年以上前に「AA」の資格を取得しましたが、登録費を
 払わず失効となっています。これからはこの点を是正してまいります。もう1つはこの日
 のような連盟創立**年という部分です。久喜市のスタートは昭和58=1983年です。
 しかし体育指導委員としてでしたので、「連名設立」という自覚がありませんでした。
 市の大会を持った60=1985年発足とすれば、新年度が35周年となります。
 40周年までは生きているかわからない、来年2月にでも記念式典を持とうか、なんて
 ことを話しつつ帰路につきました。(カメラうっかり忘れました。申し訳ありません。)

  ◎ 県スポ少指導者現地研修会 3/9(土)・10(日) 水上温泉 









        埼玉県スポーツ少年団は、毎年年始めにその年度の「指導者現地研修会」を持って
 います。もう40年以上も続いていますが、県内指導者が一堂に会し、研修し、種目別
 大会の年間スケジュールを確認し、大宴会で胸襟を開いて語り合い、情報交換と親睦を
 深めるものです。
  1月の最終土・日・1泊、関東内の温泉場の大ホテルと決まっています。最初はバス
 2台でしたが、最大時参加者が300人を超えました。参加条件を絞りこの所200数十
 名の参加が続いていました。今年どうしても会場が取れず、大幅に遅れて9・10で開催
 場所もチヨット不便な水上温泉水上館でとなりました。大幅な参加者減を予想しましたが
 それでも180名が参加、久喜からも3名減の7名で参加しました。

  ホテルの会議室でまず全体会からスタートです。本部長挨拶(―左―)、あぁ去年は
 自分がやったんだな、と1年前のことですが、懐かしく思い出しました。県本部内3専門
 委員会活動報告を受け、研修1の始まりです。今回は今日・明日ともに「スポーツ現場に
 おけるハラスメントについて」と題する、「谷塚哲」氏の講演です。(―中―) 私がこの
 研修会の責任者をしてた頃も、「安全と法律問題」で講師をお願いしています。

  2日間にわたった谷塚氏の講演内容は以下の通りでした。『これからの5年・10年で
 スポーツは大きく変わる。どう変えるか、その中で少年団は、指導者の役割は』と問題
 提起、まず『スポーツは「デパルターレ=楽しむ」というラテン語から来ている。第一に
 楽しいものでなければいけない』とし、加えてスポーツ基本法、基本計画の中身にふれ、
 第2次スポーツ基本計画の中で、スポーツインデグリテイ(公平性・健全性・高潔性)を
 高める、コンプライアンスの徹底、カバナンスの強化、差別・ハラスメント、暴力の絶滅を
 訴えました。そして基本計画でいう、スポーツで①人生が変る、②社会を変える、③世界
 をつなぐ、④未来を創る…への取り組みを言われました。
  続いて少年スポーツの否定的現実を羅列、勝利至上主義・全国大会・トーナメント制
 単一種目・上下関係・一貫指導の欠如等々、そして最初の「スポーツとは楽しいもの」
 に戻り、少年団の主体である子どもたちの、可能性を拡げることこそ、指導者の役割と
 されました。指導者は勉強しなければいけない、正しい知識をもって、信頼され、社会
 から必要とされるクラブを、スポーツを!、で結ばれました。
  当たり前の事を当たり前に話されましたが、今一度確認するに良い内容でした。

  その後「サッカー分科会」に出ました。サッカーはこの所団員の減少が続いていますが、
 県の中で最大の組織です。サッカー協会との関係に問題がありますが、これに触れると
 止まらなくなりますので止めておきます。
  夜は大広間での大懇親会、最初の頃、300人の大宴会に感動したものでした。皆
 親しいスポ少仲間、差しつ差されつの楽しい時間でした。(―右―) でも皆一様に歳を
 取っていました。

  宴会も部屋も10数年振りで、本部から離れ、久喜の仲間と一緒でした。もうそろそろ
 お前は、という警告なのでしようか。でも来年も多分参加していると思います。

  県スポーツ少年団駅伝競走大会 2/11(月・祝) 熊谷スポーツ文化公園



















  第36回・埼玉県スポーツ少年団駅伝競走大会が、11日(月・祝)熊谷スポーツ文化
 公園で開催され参加しました。県スポーツ少年団は現在13の種目別大会を開催して
 いますが、唯一の全ての少年団が参加できる大会です。
  最初昭和58年交流大会として、翌年から正式県大会として、ずっーと朝霞市陸上
 競技場で開催されてきました。私の団はロードレース=駅伝が圧倒的に強く、毎年
 久喜市の代表として参加し続けてきました。昭和63年第5回大会の優勝をはじめ、
 2位・3位を各1回、入賞は6~7回あります。県役員としても含め、この30年この日
 は朝霞市に通い続けてきたことになります。
  この大会は県本部主催、朝霞市本部主管という形で、朝霞市さんには本当に長く
 お世話になってきました。「新しい大会形式をお考えいただきたい」との、朝霞市から
 の要望に応え、県本部で検討し、今年から県北部の市町本部で構成される「駅伝
 競走部会」を組織、会場を上記・熊谷スポーツ文化公園に移しての開催となりました。
 この検討過程で、私は県の本部長職を務めており、そうした立場から最初となる
 この会場での大会を見たいという思い、合わせて久喜の代表応援を兼ねてのお伺い
 でした。

  何せ今年のワールドカップの会場となるラグビー場、巨大なドーム、そして2回目の
 国体会場となった、この陸上競技場を併せ持つ運動公園です。その大きいこと、
 駐車場から大分歩いて陸上競技場に入りました。昨年の総会で役員を辞して以来
 ご無沙汰している皆に挨拶、開会式に臨みました。(―上左・選手宣誓―) 9:00
 女子、10:45男子のスタートです。(―上中、下左―) それにしても参加チームの
 少ないのには驚きました。女子21、男子は24チームです。一時期女子は倍、男子は
 3倍近い参加チームがありました。久喜はロードレース大会の上位チームが出場して
 いますが、この大会に予選はありません。申し込めば参加できます。最近減少して
 きたとは言え、この数はいけません。西部・南部地区の遠隔地故の減、北部地区の
 対応の遅れが原因かと思いますが、来年度への対応を求めます。
  さて女子の部は、男女共にこの所常勝チームの「川越ファイトマラソン」が、やはり
 ぶっちぎりで優勝、2位・さいたま市「大和田ミニバス」、3位・日高市「高麗川フエニッ
 クス」でした。久喜市代表の「久喜ウエストバドミントン」は11位、「栗橋ロック
 フィルズ」は19位でした。
  男子はその「川越ファイトマラソン」と、サッカー全国大会に出場、ベスト8にまで進出
 した地元、県少年サッカー界の雄、「江南南」が、スタートからアンカーまで大接戦を
 演じましたが、「江南南」が基礎的運動能力の高さで競り勝ちました。(―下中―先頭
 襷を渡す黄色「江南南」、緑「川越」) 3位はこれまた強豪サッカー団の、川口市の
 「戸塚JFC」、久喜勢では「東鷲宮FC」が8位で見事入賞、「青葉エンゼルス」は15位、
 「砂原サッカー」は17位でした。
  閉会式では優勝チームに表状の他、優勝旗、カップ等が授与されました。(―下右―)
 参加チームは寂しかったですが、大会運営はまずまず、会場は走路も含め完璧でした。
 ご努力頂いた「県駅伝部会」の皆様ご苦労様でした。久喜の代表チームもよく頑張って
 くれました。ありがとうございました。
 
     埼玉ブロンコスb3リーグ公式戦 2/10(日) 毎日興行アリーナ 










  bリーグ3部に所属する「埼玉ブロンコス」の公式試合が、10日毎日興行アリーナで
 行われました。ブロンコスは県内唯一のチーム、かって「所沢ブロンコス」といった頃
 から、毎日興行が熱心に応援、年1回ですが公式戦を招待していました。今回も「スポ
 少本部長」との立場でご招待いただき、選手の座るイスのすぐ後ろで、迫力あるプレー
 を見させていただきました。
  bリーグはプロを目指す「NBL」と、企業チームが中心の「bjリーグ」が統一され、
 2016に発足しました。発足に当たり、その中心に立たれたのが、その道の先輩
 Jリーグ初代チアマンの「川渕三郎」氏であったことはご承知のとおりです。以後Jリーグ
 の後を追い、地域密着型・自主運営型の経営を行ってきています。バスケはジュニア
 で人気があり、今や登録数でも野球を抜いてサッカーに次ぐ数を誇っています。私の
 最愛の孫も、今ミニバスに夢中になっています。
  毎日興行はブロンコスを支援、今年で3年連続公式戦を久喜でもっています。下段で
 報告してあるように、この日「スポ少認定員講習会」、お断りしたのですがオープニング
 セレモニーだけでもゼヒとのことで参加しました。会場に入るとバスケ独特の雰囲気
 けたたましい音楽を背景に、チアーガールがパフォ―マンスを演じていました。(―左―)
  開会式、男澤毎日興行社長・市長挨拶、来賓紹介等の後、市長のトス、両チーム
 センタージャンプによる、ボール奪い合いで試合が開始されました。(―中―) 中央
 53の背番号が市長です。このコスチュームは「デルノザウルス」と記されたエプロン風
 のものです。「デルノザウルス」は運動公園入口にある、大手パチンコ店です。何故
 市長がこれを着て、と不思議に思ったのですが、何と「ブロンコス」を支援する企業の
 トップに位置するそうです。市長はサービス精神旺盛ですね。ちなみに約30社ある
 支援企業の№2は、久喜市に本社のある「HINOKIYA」でした。
  試合開始です。相手は愛知県安城市に本部がある、「アイシン・エイ・ダブリュアレイ
 オンズ安城」、かっての「アイシン精機」です。それにしても企業名を残すようでは未だ
 まだですね。白が「安城」、チームカラーの緑が「ブロンコス」です。(―右―)
  bリーグは今3部制です。1・2部は共に西・中・東地区に分かれ、各々6クラブで
 構成されます。3部に地区制度はありません。「ブロンコス」は3部、今年は10で
 運営されています。したがって全部で46クラブで運営されていることになります。
 「ブロンコス」もb1を目指しているわけですが、はっきり言ってあまり強くなく、3部の
 中位位、道のりは厳しいようです。
  Jリーグは、J1~J3、その下にJFL、さらに関東・関西リーグと各地区別リーグ
 が3~5層で構成され、その下に県リーグと、すそ野の広い組織体制が確立されて
 います。これは「日本サッカー協会」の力が強いためで、他の競技団体に、これを
 望むのは無理かもしれません。
  この日会場は小学生は無料、久喜市民は500円としたそうです。それでも1200
 のイス席はほぼ半分でした。パンフレットに依ればベンチ裏のプレミアム席で7200
 1F自由席で前売り2800、当日3200円です。2Fはさらに安く、小中高は大人の
 半額です。bリーグ側は3000人入る体育館での試合を望んでいます。しかしこれ程の
 体育館はさほどありません。仮に1試合1000人入ったとして、入場料は2~300万
 チヨット苦しい数字ですね。事実bリーグプロ選手の平均年収は、ほぼ500万円と
 いわれており、最高峰がかの「栃木ブレックス・田伏選手」の5000万円、経営
 安定化はこれからの大きな課題です。
  控え選手の座るイスのすぐ後ろでの観戦は、さすがに迫力がありました。ただし
 試合前のウオーミングアップから解ったのですが、「ブロンコス」は何としても
 小型、2メートル近いプレイヤーは外人1人でした。平均身長でかなり差があり、
 リバウンドはほとんどダメ、苦し紛れに打つ3ポイントシュートも正確性を欠き、
 見る間に放されていました。(結果77-97負け)。今年も「ブロンクス」の前途は
 多難のようです。私は前記の通り、スポ少講習会での講師の仕事があり、第1
 クオーターで失礼しました。
  「ブロンコス」が、「bリーグ」が、様々な困難を乗り越え、発展・充実することを
 願います。それには地道な努力を要します。しかしJリーグのチームは、皆それを
 して来ています。それとJリーグのように地域(市民)スポーツ振興を含むキチン
 とした哲学を持つことも求めます。 

   ◎ スポ少認定員養成講習会 2/2・3・10 ふれあいセンター久喜・他










  もう10年を超えて定着したスケジュールとなっていますが、2月第1・第2日曜日
 (3・10) 「認定員兼スポーツリーダー養成講習会」を、「ふれあいセンター久喜」
 にて開催しました。
  またこれも例年通り、第1土・日(2・3)と白岡市でもあり、2(土)白岡市で講師を
 勤めました。白岡市の会場はオープンしたばかりの「生涯学習センター・こもれび
 の森」でした。久喜市でも理科大跡地活用問題の中で、揉めている最中です。
 マア豪華すぎる施設に驚きました。(―左―)
  久喜市では70名が受講しました。2/3が市内、他は近隣市外の方です。白岡も
 約80名が受講、相変わらずのスポ少指導者のまじめさに敬意を表します。
  私は1週は「運動適正テスト」、2週目は「指導者に必要な医学的知識」の単元を
 担当しました。(―右―) 私がこの資格を取得したのは、昭和55年です。1年おいて
 57年秋田県の「田沢湖青少年スポーツセンター」で、「育成員」の資格を得ました。
  以来40年近く、講師を務めてきたことになります。今年も6つの町に伺いました。
 なおこの指導者資格は今後大きく変わります。「スポ少」から離れ、「日本スポーツ
 協会」のそれとなります。したがって「更新」と登録費が義務付けられます。最終
 決定ではありませんが、今のところ4年に1度で1万円だとされています。
  しかしスポ少の指導者は大変だと思います。普通なら休息や、家族との団欒に
 充てる土・日・祝祭日のほぼ全日を、子供の指導に費やし、あまつさえ良き指導者
 たらんと、こうして2日間缶詰で講習を受けるのです。
  しかし、しかしです。未来を託す子どもたちの健やかな育成は、「2025年問題」
 一つをとっても、最も重要な課題なのです。多少なことではたじろかない体力と
 強い心の持ち主へ、そして高齢者を含む多様な人と、共に生きていこうとする
 やさしい心の持ち主へと、育てていかねばならないのです。私は閉講式で皆様に
 そうお話ししました。
  そのあとの試験では全員がクリアー、合格となりました。ホッとしています。
  2日間お疲れさまでした。ご苦労様でした

  ◎ 第4回久喜マラソン大会準備進む 1/31(木)・鷲宮総合支所

  平成30年度・第4回久喜マラソン大会も、あと2カ月弱とせまりました。準備のための
 第2回幹事会が、関東地方には恵みをもたらした雨が降る中、鷲宮総合支所4F会議室で
 開催されました。 
  ① 開催日・3月24日(日) 変更なし なお来年度は3月22日・第4日曜日を予定
  ② スタート・ゴール・コース・競技部門  変更なし
  ③ 参加選手 1・ハーフの部 男子2873名 女子522名 計3395名
           2・3㎞の部 一般男女・高校生男女・中学生男女 
             男子444名 女子228名 計672名
           3・1・5㎞の部 5・6年男女 3・4年男女
             男子278名 女子216名  計494名
           4・1・5㎞親子の部 175組350名
      総計男子3941名、女子970名の4911名  以上は約100名のメディカル
    ランナー、ゲストランナーを含みません。実際は丁度定員の5000人前後となります。
  ④ ゲストランナー 川内優輝選手  川内優輝選手ご一家
     資生堂ランニングクラブ  平成国際大学陸上競技部
     気象キャスター平井信行さん 久喜市親善大使 岡嶋 彩さん
  ⑤ 大会スタッフ  本部・案内・駐車場・競技・救護各部門に計1060人
  ⑥ 当日のスケジュール
     開会式 8:00~ 競技 1・5k小学生の部8:50 親子の部9:05
                     ハーフの部9:30  3kの部9:50
     表彰式 10:10 1・5kの部から随時
     協議終了12:10   閉会宣言12:30
  ⑦ 協賛 22社から現金協賛、1社から物品協賛 計365万円
  ⑧ 大会駐車場 選手用に8カ所1548台、関係者用に6カ所457台確保
  ⑨ なおシャトルバスもありますが、今年から徒歩コースも案内します。

  私はスポーツ少年団を代表し服実行委員長を務め、駐車場、選手搬送等の部門を
 担当します。スタッフ会議を3月3日(日)17時より教育委員会会議室にて行います。
  ここで最終確認を行い、大会成功に万全を期してまいります。

 ◎ 第36回埼玉県綱引選手権大会 1/20(日)毎日興行アリーナ








 左   開会式 やはり市内大会と比べると寂しいです
 左2  小学生部門優勝の久喜太田小「がんばりマリウス」
 右2  このところ毎年優勝の一般男子・狭山市「ホンダブラックキャット」
 右   表彰式 小学生優勝部門
  「第31回県民総合体育大会・第36回埼玉県綱引選手権大会」が、20日(日)「毎日
 興行アリーナ」で開催されました。このところ毎年この時期に、この会場で行われて
 います。部門は全国大会の予選を兼ねる、「一般男子の部」の他、「一般女子の部」、
 「小学生の部」、そして少しでも参加チームを増やそうと「男女混合の部」を新たに設け
 ました。しかし参加チームは「一般男・女の部」が各4、混合の部2、小学生の部12、
 計22チームと、昨今の綱引大会同様少数にとどまりました。
  埼玉県内において、最初にこの種目の組織化を図ったのは久喜市です。昭和58年
 審判講習会を行い、この年事実上の県大会であった「日清カップ」を行いました。翌年
 この年オープンした「勤労者体育館」で行い、この2つの大会成功で自信をもった私たち
 は、翌年から「久喜市綱引大会」を持つに至ったわけです。この前後から県内で綱引
 の組織がいくつか誕生、以来越谷市・久喜市を中心として、この種目が維持されてきま
 した。当初はいくつかの市町に「倶楽部」が活発に活動していましたが、この種目の
 特殊性からして随時衰退、現時点ではホンダ、消防署といった職場で、それも細々と
 活動されるに至っています。その代わり究極の「コミュニティスポーツ」といった面から
 市民・町民大会といった形で行われており、久喜市・越谷市・狭山市等において
 大勢の参加を得ています。そしてそうした市・町からの参加はやはり多いといえます。
  今回久喜市からは7チーム、狭山市からは6チームの参加をいただきました。

  「一般男子の部」は全国大会の予選を兼ねており、本田製作所狭山工場の「ホンダ
 ブラックキャツト」が危なげなく優勝しました。全国大会ではよい成績を残せていません。
 健闘に期待します。なお2位となった「花園蟹連合」は、30年を超えがんばっている
 地域クラブ、敬意を表します。
  一般女子の部には菖蒲小林地区の「おばやし鮪倶楽部」か出場してくれました。
 一昨年市内大会に初出場(一般混合)、旋風を巻き起こしました。今大会初出場、全敗
 でしたが、その挑戦は素晴らしいと思います。今後も頑張ってください。
  「小学生部門」です。市内・町内大会を持っている越谷市、宮代町、狭山市等から
 優勝チームが出場しました。皆それらしい大型チームでしたが、訓練の度合いが違い過ぎ
 ていました。小粒ながら久喜市の太田小チームが1・2位を独占しました。今年の太田小
 チームは例年より小粒ですが、技術レベルは過去最高と感じました。
  閉会式で講評を務めた私は、この大会に関わられた全ての人に感謝申し上げ、
 「厳しい、であるがゆえに多くの利点を持つこの種目の普及・充実に、ご努力を頂きたい」
 と申し上げました。

    ◎ 年末年始のスポーツイベントを開催して・Ⅲ 1/18(金)

  最後にサッカーです。天皇杯・皇后杯、男女の高校選手権、そしてこの種目
 にはu12(アンダー12・小学生)の全国大会までありました。
  まず天皇杯です。「アジアカップ」との関係で、暮れというには早い12/9に
 「埼スタ」で行われ、我が「浦和レッズ」が「ベガルタ仙台」に1-0で勝利、2006年
 以来12年ぶり、3度目の王座に輝きました。それにしても決勝点となった「宇賀神」
 のシュートはまさにスーパーでした。「レッズ」はこのところ「関根・遠藤」と若手の
 中心選手が去り、代わりにBkの「橋岡」、МFの「長澤」といった新戦力が台頭、今年
 久しぶりの大型補強に成功しました。ぜひ今年は1昨年に次ぐAFCチャンピオン
 リーグと、Jリーグの両頂点に立ってもらいたいと考えます。
  皇后杯は「日テレベレーザ」と「Iナック神戸」で決勝戦が戦われ、「ベレーザ」が
 リーグとの2冠に輝きました。現段階ではちょつと「ベレーザ」の力が一段抜けている
 感じです。所で今年はワールドカップの年、トップチーム下の各年代別大会で日本
 女子は絶えず好成績を残しています。ぜひあの「2011の感激再び」に期待します。
  「u12」の大会です。この大会は私のチームの結成年に始まりました。「いつかは
 この大会に」なんて、身の程知らぬ夢を描いていた頃を懐かしく思い出します。
  以前は夏、東京を中心に行われていましたが、このところ暮れ、それも鹿児島で
 そして8人制で行われるようになりました。第1回大会(昭和52年)では、与野市
 (当時)の単独チーム、「下落合サッカー少年団」が、清水市(当時)の選抜チーム
 「FC清水」と優勝を分け合いました。しかし今では単独チームはおろか、市の選抜
 チームでも勝てない状況となっています。Jリーグの下部組織=ジュニアチームの
 独占場となっています。今年も「川崎フロンターレu12」が優勝しています。ところで
 埼玉はこの年代は大変レベルが高く、過去多く優勝、または上位に入っています。
 県大会子ベスト4チームなら、どこが出ても全国大会の優勝を狙えます。それが
 中学・高校と進むにつれ、ダメな状態になっています。何故なのでしようか。私はこの
 段階で答えを求める、勝つ事のみ追うことにあると思っています。今の埼玉県少年
 サッカーの状況には深い悲しみを感じています。
  最後に男女の高校選手権です。まず女子です。「なでしこ」ブームに乗って、ТBS
 系列で全国放送されるに至り、大変な人気を呼んでいます。今大会は「星槎国際湘南」
 が、名門「常盤木学園=仙台」を破って、なんと創部5年目で初優勝を果たしました。
 決勝点となった30mのFkは女子のレベルを超えていました。それにしても見事な
 サッカーでした。準決勝対「東海大5校」戦での、見事なパスワークは、今までのあら
 ゆる高校女子サッカーのレベルを超えていました。「常盤木」は藤枝純心、日本学園
 (神戸)と、強豪校に競り勝っての決勝戦進出でしたが、目指すサッカーの質が「星槎
 国際」が1つ上でした。これからは上記した4強が、激しく頂点を競うことになると思わ
 れます。
  男子です。「青森山田」が2年ぶり、2度目の栄冠に輝きました。準優勝の「流通大柏」
 は昨年の対「前橋育英」戦に次いで、2年連続決勝戦で涙を飲んでいます。この2校に
 「尚志学園」(福島)と、「矢板中央」の4校が目立ちました。特に「尚志」のバスサッカーは
 素晴らしく、準決勝の対青森山田戦では、惜しくもPk戦で敗れましたが、試合内容では
 完全に上回っていました。我が埼玉代表は今年もダメでした。県予選決勝戦で「南校」が
 「昌平」に勝ち、全国大会出場を決めたとき、久しぶりの古豪復活を喜ぶと同時に、
 全国ではダメだなと思いました。あのサッカーではよくて2回戦、上へは進めないな、
 と思ったのですがその通りでした。埼玉県代表が1回戦で、0-4で大敗しても、何も
 感じなくなっているのが、今の県高校サッカーの状況といえます。悲しいことです。

  ということでほぼ1カ月、見られる限りのスポーツ大会を見、満喫しました。ああ暮れ
 から正月はこれがあるからいいな、早く来ないかな、なんて思うのはそれこそ早すぎま
 すね。

 
   ◎ 年末年始のスポーツイベントを観戦して・Ⅱ 1/17(木)

 
 続いて「駅伝」です。暮れの都路を走る「高校駅伝」、元日の社会人「ニュー
 イヤー駅伝」、そして「箱根駅伝」とありました。
  「高校駅伝」です。男子はマラソンの距離を7区間、女子はその半分を5区間で
 つなぎます。いつも思うのですが、この年齢では留学生外国人(ケニア人等)との
 差があり過ぎます。留学生の走りで勝負が決まってしまうという傾向があります。
 女子では「神村学園(鹿児島)」の留学生がアンカーを走り、逆転で鹿児島県勢
 初の優勝を果たしています。
  男子では3区で「倉敷」、4区で「広島世良」の留学生が圧倒的な走りをみせ、その
 まま1位・2位を飾りました。大学・社会人に好ランナーを多数送り出している「学法
 石川(福島)」が3位に入り、結果を出していました。なお花の1区で「埼玉栄・白鳥
 選手」がトップで走り、そのまま勢いを持続入賞を果たしています。箱根駅伝でも
 活躍した「東海大・館沢選手」が、確か「栄」の3年の時3位で走ったという記憶が
 あります。久々に古豪復活という所でした。
  元日の上州路を走る「ニューイヤー駅伝」です。「旭化成」が「4区・市田」でチヨット
 冷や汗を流しましたが、やはり層の厚さを発揮、最終ランナー「大六野」が、ゴール前
 スパートに競り勝ち2連覇を達成しています。それにしても2チーム組めるほど、層が
 厚く、しかも多数がこれからというチーム、しばらくは旭化成時代が続きそうです。
  2位には4区でアジア大会マラソン優勝の「井上選手」が力走した「MHPS・(三菱
 日立パワーシステム・長崎市)」 と九州勢が1・2位を占め、3位には「トヨタ自動車」が
 入りました。それにしても 4位の「富士通」を除き、「コニカミノルタ」、「日清食品」、
 そして「設楽選手」が走らなかった「ホンダ」といった、関東勢はだらしなかったです。
 「日清食品」はその後陸上部の大幅縮小を発表しています。「佐藤悠基・村澤明伸」と
 いった名選手を擁し、過去この大会でも2回優勝しています。1つの時代が終わった
 のでしようか。
  そして「箱根駅伝」です。今年も沿道に応援の人波が絶えず、まさに異常な人気を
 
呼んでいます。今年は「青学」の4連覇がかかっていました。そして「原監督」は過去
 最強を豪語、その可能性は高いものがありました。しかしわずか4・5区、より厳密に
 いえばたった4区だけの失敗が命取りとなりました。長丁場・10区間という箱根駅伝の
 怖さと、だから面白さとを教えてくれた大会でした。優勝した「東海大」は見事でした。
 いつも優勝候補の一角に挙げられながら悲願の初優勝、「佐久長聖」を全国有数の
 強豪校へ導いた「両角監督」のスピード+ススタミナの指導が見事に開花しました。
  所で今大会、「帝京大」が5位、「国学院大」が7位に入賞、共に過去最高順位を達成
 しました。一方過去優勝回数ベスト3の、1位中央14回は11位、2位早稲田13回は
 12位、3位日大12回は14位と下位に沈み、予選会落ちとなりました。特に母校早大の
 ふがいなさには、腹立だしさを覚えるのみです。「故障者・故障者」の言い訳は聞きたく
 ありません。奮起を求めます。なお鷲宮東中出身、法政大学の「青木涼真選手」は
 今年も山登りで7人抜きの快挙を達成しました。「久喜マラソン」に出てもらえないかな、
 なんて考えています。

   ◎ 年末年始のスポーツイベントを観戦して・1 1/16(水) 

  歳末年始の1カ月は、各種スポーツイベントが凝縮されて行われます。サッカー
 ラグビー、駅伝の他バレーボール、バスケット等の各レベルの全国大会がありました。
 バレー・バスケ共に天皇・皇后杯、高校とありましたが、ここまで書くと長くなり過ぎます
 ので、一応冬の三大スポーツ、サッカー・ラグビー・駅伝の大会を観戦しての感想を
 綴ってみます。
  まずラクビーです。今年はワールドカップも日本で開催されます。日本選手権(トップ
 リーグ)、高校・大学とありました。日本選手権は「神戸製鋼」が「サントリー」を粉砕
 圧勝しました。実力差はさほどないと感じましたが、やはり「ダンカーター」の加入が
 大きかったようです。「神戸製鋼」はかって、ミスターラグビーともいえる「平尾誠二」
 巨漢フォワードの「大八木」等を擁し、日本選手権7連覇を達成したことがあります。
 7連覇とまでいかずとも、ここ数年は「神戸製鋼」を、サントリー・ヤマハ・トヨタらが
 追うという形になりそうです。
  高校ラグビーは「大阪桐蔭」と「桐蔭学園(横浜)」の対戦となり、「大阪桐蔭」が昨年の
 雪辱を(東海大暁星)果たしました。「大阪桐蔭」のフィズィカルの強さがやや優っていまし
 たが、26-24という高校ラグビーの決勝戦にふさわしい熱戦でした。
  大学選手権です。「帝京大学」に前人未到の10連覇がかかっていました。帝京大学の
 「岩出雅之」監督は、確かに新しいラグビー文化を確立しました。ただ私は大西―早稲田
 北島―明治の、哲学と魂のこもった試合に、50年を超えナミダを流して来た者として
 「早明」の復活、首位争いを熱望し続けてきました。特に母校・早稲田は今年、創部100
 周年の年、祈りにも似た期待がありました。対抗戦にはほぼ満足でした。明治が帝京を
 破り、早稲田が明治に競り勝ちました。結果帝京と早稲田が同率優勝となりました。
  さて大学選手権です。帝京―天理、早稲田―明治の準決勝となりました。早稲田―
 明治は、対抗戦の試合と全く逆、きわどく明治が雪辱を果たしました。この2チームは
 実力全く互角、2連続勝利はないと、明治の勝ちを予想していました。それにしても
 それぞれのラグビーに徹し、見る者を感動させずにはおかない、素晴らしい2試合でした。
  もう一つの準決勝は天理が帝京を圧倒、帝京の夢を粉砕しました。3人の外人の
 パワーだけでない天理のラグビーの快勝でした。
  そして決勝戦、強力フオワードを前面に押し立てての熱戦でした。中盤明治が優勢でし
 たが天理が終盤盛り返し、手に汗握る熱戦でした。「前へ!」の北島ラグビーに徹した
 明治の、いかにも明治らしい勝利でした。
  これからはこの4強に、早稲田を追い込んだ慶応等を加えて、素晴らしい大学ラグビー
 が繰り広げられる事を期待します。

  平成30年度・第8回市スポ少ロードレース大会
       
1/14(月・祝) 菖蒲上大崎グラウンド  1/14(祝)1/1















     
上・左 朝7時の準備状況 富士山がきれいでした。
 上・中 開会式 一列の短いのが気になりました   
 上・右 1年生のレース(1000m)を梅田市長が走りました。
 下・左・中 タスキを掛け、団の名誉を担って駅伝の部スタート
 下・右 見沼代用水路沿いを走る駅伝部門

  平成30年度・第8回久喜市スポーツ少年団ロードレース大会が、14日菖蒲総合
 支所南側にある「上大崎グラウンド」、および周辺道路で行われました。
  合併し新本部誕生後、ここを会場に行われてきましたが、県の手により調整池の
 工事が始まるため今年が最後となります。ここはコースと駐車場は完璧なのですが
 西北方向がはるかかなたまで水田、ために風でもふけば地獄とかします。この日は
 絶好の好条件、何年振りかで快適な大会運営となりました。久喜市で一番きれいに
 見える富士山を見やりながら準備、開会式です。やはり一団の列の短さが気になり
 ました。私は開会式で、スポ少10周年の年を頑張ろうと挨拶しました。
  レースは学年別・男女別の個人走と団対抗駅伝(1チーム5人)です。スタート・ゴール
 共に上大崎G、1・2年男女、3年女子が1000m、3年男、4年男女が1500m、
 5・6年男女が2300mです。駅伝は5・6年のコースを使います。公園のすぐ近くに
 ある菖蒲中の外周、見沼代用水路沿い道路を使うため、安全なのがここの特色です。
  運営に慣れていることと、やはり一つのレースへの参加者が少ないせいか、順調に
 進行してラストの駅伝、冬枯れの見沼代用水路沿いを懸命に走る団の代表を、皆
 声を張り上げて応援していました。
  駅伝の部上位入賞の男子、青葉エンゼルス、東鷲宮FC、砂原SC、女子・ウエスト
 バドミントン、栗橋ロックフィルズは、スポ少駅伝県大会に出場します。市スポ少の
 代表です。今年から熊谷の文化スポーツ公園で開催されます。力走を期待します。
  ということで毎年寒かったという思い出しかない、この大会も今年は快適に終わらす
 事が出来ました。この大会は30年度の最終事業であり、新しい年のスタートの事業
 です。そして新しい年は、記念すべきスポ少10周年・日独同時交流の年です。
  忙しい1年になる、この大会同様成功させねば、なんて思いつつ帰路に就きました。

   ウインターカップ久喜2018 12/23(日)・24(祝) 毎日興行アリーナ他








 左  手作りの歓迎の垂れ幕が見守る中、開会式です。
 左2 参加全50チームが紹介されました。
 右2 久喜ミニの歓迎パフォーマンスに北陽高校チアーリーディングも飛び入り参加。
 右  「友好部門」 久喜小体育館の風景です。

  1つの町の1つの種目別部会による大会としては、最大級の大会である「ウインター
 カップ久喜2018」が、23・24の2日間毎日興行アリーナ、第二体育館、市内小学校
 体育館で開催されました。一応本部主催となっていますが、企画運営全てミニバス部会の
 手によるものです。
  この大会の素晴らしさはいくつかあります。1つは50チーム参加という大規模な事
 です。今年も近隣・東部地区からは無論の事、遠く戸田市、日高市、所沢市、寄居町
 等からも参加をいただきました。その参加チームですが競技力を競い、優勝を目指す
 強豪チーム(優勝部門)と、日ごろ交流している仲間に感謝し、友好の輪を深めあう部門
 (友好部門)の両者から成り立っています。まさに少年団大会のありうべき姿を指し示して
 いるといえます。さらに運営の在り方です。ミニバスは決して指導者が多いとは言えませ
 ん。しかしそれをいわゆる母集団の方々が、自発的・真摯な活動で支えています。そうし
 た指導者・母集団の姿に団員も答えてくれます。体育館の壁には、歴代の団員とお母さん
 方が手作りした、大きな歓迎幕が張り巡らされています。そして毎年単位団の交代で
 歓迎のパフォーマンスを披露してくれます。今年は「久喜ミニ」の男女団員が、久喜市
 の歌・「喜びの街」に合わせた、「久喜クッキーダンス」を披露してくれました。「You Tube」
 でも全国に流れ好評を博しています。踊り終え万雷の拍手で退場すると、アンコールの
 声が一斉に沸き起こりました。「?」と思っていると、このダンスを広めてくれている「市の
 親善大使」、北陽高校チアーリーディング部、久喜ミニの団員が再度、そしてお母さん
 方までも登場、もう1度踊ってくれました。関係者全員で、この大会の盛り上げようとして
 いる態度が現れていて、実にさわやかでした。
  開会式を終え、選手諸君はそれぞれの会場に散っていきました。私は午後「友好部門」
 会場の一つ、近所の久喜小学校を覗いてみました。ここでも子供たちは真剣にボールを
 追っていました。







  2日目の今日は「毎日興行アリーナ」で、優勝部門の決勝戦を見ました。男子は「戸田
 ミニバス―庄和NEXUS」、女子は「川口じりん―東川口ミニバス」の川口勢同士の対戦
 でした。4チームとも県内ミニバスチームを代表する強豪です。男子はこのところ県内
 無敵の「戸田ミニバス」か圧勝(―左―)、一方女子は接戦となりましたが、何度かこの
 大会でも優勝している川口じりん(―左2―)が勝利を収めました。
  閉会式です。友好部門は各会場で表彰式ですが、優勝部門は出場全チームを順位
 決めての表彰です。ですからカップ・トロフィ・メダル・ボールと表彰用品の山でした。
  (―右2―)  私は表彰を終えた後、開会式で久喜の団員が披露したダンスの基歌
 「素晴らしい久喜市の栄光・永遠なれ」を紹介、昨日・今日の君たちのひたむきな努力
 それを励まし、応援する指導者・お母さん方の姿、そうしたスポーツを、ミニバスを通した
 活動の輪が、永遠であることを願う、とあいさつしました。ご苦労様でした。また来年
 お会いしましょう。(―右―)

    ◎ 第36回・埼玉県綱引選手権大会要項確定  12/18(火)

  第31回・県民総合体育大会参加、第36回・埼玉県綱引選手権大会の要綱・参加
 申し込み書が、県綱引連盟事務局より送られてきました。前段の久喜市綱引大会に
 出場、それなりの成績をあげられたチームの参加をぜひお願いします。
  ● 主 催  埼玉県、埼玉県教育委員会、埼玉県レクリエーション協会
  ● 主 管  埼玉県綱引連盟
  ● 協 力  久喜市綱引連盟
  ● 日 時  平成31年1月20日(日) 開会式 9:30
  ● 会 場  久喜市毎日興行アリーナ(久喜市総合体育館)
  ● 種 目  一般男子の部・一部  選手8人の合計体重600㎏以内
          一般男子の部・二部      〃        〃
          一般女子の部      選手8人の合計体重560㎏以内
          一般男女混合の部   体重制限なし
          小学生の部
  ● チーム編成  1チーム12名以内 監督・トレーナー各1 選手8名、交代要員2名
  ● 競技方法 予選リーグ(3~4チーム) 決勝トーナメント
  ● 参加資格  埼玉県在住・在勤・在学する者によるチーム
  ● 参加料金  1チーム10、000円 男女混合の部5、000円 小学生の部2、000円
  ● 参加申し込み先 県連盟事務局 Fax 048-985-9625
  ※ 一般男子の部・一部、一般女子の部は全国大会予選を兼ねます。

  大会を盛り上げるためにも、地元である久喜市関係者の参加を熱望しています。

   ◎ 平成30年度第9回・久喜市綱引大会 12/2(日)毎日興行アリーナ















  新市となって9回、旧久喜市を含めると33回となる、「平成30年度・久喜市綱引
 大会」が、2日(日)「毎日興行アリーナ」で開催されました。この大会への参加者は
 うなぎのぼりで増え続けて、昨年等はもう限界、という感じでした。今年初めて少し
 減りました。それでも会場を埋めつくす(―上左―)140チーム、1、300人もの参加
 がありました。私は7:30に行ったのですが、すでに駐車場は満杯でした。
  大会長=梅田市長挨拶(―上左2―)、栗橋小児童代表の選手宣誓(―上右2―)
 続いていよいよ熱戦の開始です。
  今年は会場の横壁にほとんどの学校の応援幕が張り巡らされ、大変熱がこもって
 います。それと特徴ですが、やはり児童数の減少が進んでいます。この大会小学生
 部門は男女別、混合の場合は男子の部への出場となります。同一学年で男女別に
 チームが組めなくなっているのです。混合での出場が目立ちました。高学年男子の部
 (―下左・高学年男子優勝の太田小―)の準優勝の久喜東小のチームは6人も女性が
 入っていました。
  今回事前の指導に6つの小学校にお伺いしました。業間など中身は10分も指導でき
 ない事があります。実効性はあまりなかったと思いますが、やはり行った学校は気に
 なるものです。問題は集中した練習をどれくらい(数・時間)やれるかということです。その
 意味で綱引の伝統校である太田小は優っているのでしよう。今回小学生部門6つを
 完全制覇しました。体格面で勝るチームに前半に引かれても、盛り返し、結果とし勝って
 いました。正しいフォームで持続した練習の成果だと思います。先生方のご指導に
 敬意を表します。(―上右―)高学年女子決勝、奥青毛小、手前優勝の太田小。男女
 共に太田小のチームは完璧な引き方をしていました。県大会でも頑張ってください。
 準優勝の青毛小のチームは全員5年生、来年が楽しみですね。
  一般混合決勝戦、(左2は準優勝・市役所、右2は優勝の小林倶楽部) 去年同様
 市役所―小林倶楽部の対戦となり、小林倶楽部が圧倒的な強さを発揮しました。
 なお小林小は昨年は、優勝した高学年女子だけ目立ちましたが、今年は小学生全
 部門で多く上位に進出しました。地域の方のご指導とかで、その熱心さにこれまた
 敬意を表します。てなことで無事終了、(―下右・梅田大会会長による表彰 高学年
 女子の部―) 
私は最後の「講評」で、大勢の方のそれぞれにお寄せいただいた大会
 成功へのご協力に感謝し、市制施行10周年の年・来年のご健勝でのご活躍を祈念
 すると申し上げました。
  大勢の参加をいただいた大きな大会を無事終わらせる事ができ、ほっとしている時
 心胆寒からしめる事が起きました。保護者の方が来られ、大会関係者の参加児童の
 体格への発言にご注意をいただきました。聞いていてまいったと思いました。多分
 悪気はない、何気ない発言なのだと思います。しかし参加児童に不快感を与えた事は
 確かです。元気に頑張った子どもに対し、あってはならないことです。大会統括責任者
 として心よりお詫び申し上げます。いつ、どの席で皆に注意し、二度とないようにしようか
 なんて考えながら、少し重い気分で反省会へ急ぎました。

     ◎ スポ少野球部会30年度納会 12/1(土) 三高サロン










  ここ数年恒例となっていますが、12月の第一土曜日はスポ少野球部会(渡辺部会長)
 の1年を振り返り、来年への夢を語り合う「納会」の日です。この日も楽しく参加させて
 頂きました。野球部会は年5つの大会を持っており、そのすべての開会式、閉会式兼
 表彰式のご案内をいただきます。だから私は1年間を、野球部会とともに過ごしていく
 感があります。
  野球部会は14の単位団(+中学生団1)で構成されています。指導者・育成会役員で
 各単位団共に数名~10名近く出席しますので、参加者は優に100名を超します。

 (左・盛会だった野球部会納会) 部会長、本部を代表して私、野球連盟の挨拶があり
 乾杯を経て楽しい懇談に移りました。
  ややあって各単位団がそれぞれに壇上へと進み
(―右―)1年を振り返り、来年の
 抱負を述べてます。今年の戦果を得意げにしゃべる団もあれば、今年はさておき、来年
 はやりますよ、と宣言する団ありでとても和やかです。
  久喜市スポ少には9つの種目別少年団がありますが、部会を構成しているのは6つ、
 野球、サッカー、ミニバス、バレーボール、バドミントン、ソフトテニスです。この中で野球
 は最大の団数と指導者数を誇ります。団員数はサッカーが上回っています。部会には
 それぞれに特徴があり、どこが良いなんて私には言えませんが、野球はとにかく真面目
 であり、スポ少の理念に一番忠実です。それに今日のような会を持つのも、少なくとも
 久喜では野球だけです。
  長く皆と一緒にいて、この楽しい雰囲気の中にいたかったのですが、これも恒例、明日
 12月第一日曜日は「綱引大会」です。すでに皆が集まって準備をしています。綱引連盟
 会長の私としてはサボるわけにいきません。ナミダを飲んで会場を早めに失礼しました。
  野球部会の皆様お許しください。そして来年久喜市スポ少10周年の年、日独同時
 交流を含む記念事業、よろしくお願いします。


    第4回久喜マラソン大会運輸部会 11/26(月) 教委会議室 

  第4回「よろこびのまち久喜マラソン大会」も準備が着々と進んでいます。すでに
 「幹事会」により概要が決定しています。この大会は久喜市内の多くの団体が参加する
 「久喜マラソン大会実行委員会」の手により行われますが、その中でスポーツ少年団は
 駐車場、シャトルバス、選手収容・搬送等を行う「運輸部会」を構成、私はその責任者
 として、全体の副実行委員長にあることは何度か報告しています。その「運輸部会」の
 会議が、26日教育委員会会議室で行われ、準備状況の確認、実行部隊からの提案等
 を行いました

   第4回大会は来年2019―3/24(日)に行われます。
 
 ▲ すでに申し込みを受け付けています。現時点でハーフ1、858人、3K206人、
  1・5K143人、親子188人、計2、395人の申し込みがあります。昨年計測器の
  不調から計時ができない大ポカをやらかしましたが、ほぼ例年並みという所です。
  
 駐車場 例年通り運動公園内をはじめ、付近の企業、公共施設等から
  計2、222台分の駐車場を確保しました。この担当52名はすべて少年団です。
  
 久喜駅及び教育委員会駐車場と会場=運動公園を結ぶシャトルバスを運行します。
  混雑時に台数を増加、スムーズな輸送を目指します。ボランティア35人、スポ少、
  JC、社会福祉協議会等です。
  
 ハーフの部において、関門を3か所設置します。9・0K鷲宮中学校、13・5K
  弦代公園、18・1Kホテル久喜です。交通規制の関係もあり、制限時間に遅れた人を
  収容、運動公園まで送ります。ボランティア21人全部少年団です。
  
 以上駐車場、シャトルバス、収容・搬送の「運輸部会」、ボランティア依頼人数は
  103名です。うち86名がスポーツ少年団、少年団は今までと同様、全本部役員+
  久喜・鷲宮地区単位団からは2名、栗橋・菖蒲地区単位団からは1名の派遣をお願い
  します。ご苦労をおかけしますが、「オール久喜」で大会を成功させねばなりません。
     よろしくお願いします。

    ◎スポ少東部地区本部長会議 11/17(土) 加須市民プラザ  

  埼玉県スポーツ少年団の東部ブロック本部長
 会議が、17日「加須市市民プラザ」で開催され、
 市本部を代表し、大坂副本部長と出席しました。
  各市町本部長はほとんどが県本部総会の際の
 代議員に就任しています。県本部の課題を親しく
 報告し、各市町本部の状況に踏まえた意見を交換
 し合い、合わせて懇親を深めることを目的に毎年
 開催されています。


  考えてみれば私は東部ブロックを代表しての、県副本部長を務めてきたわけで、そうした
 意味では初めての市町本部長としての出席でした。なお東部ブロックは南は三郷・八潮市
 北は羽生・行田市まで、15市町本部で構成されていますが、参加は12市町本部でした。
 議題は以下の3つです。
 (1) 平成30年度スポーツ少年団の登録状況について
  いつもこの会議でその年度の登録状況の報告があります。
 県 1、613団  17、705名指導者 46、746名団員
  いずれも前年度より17団、310名、1、536名減少しています。
 久喜市 49団、489名、1、251名 団・変わらず、指導者15名減、団員18名増
  登録時の問題があり、100%正確ではありませんが、県全体では減少が続き
 久喜市はほぼ現状を維持していると言えます。
  種目別では県全体ではサッカーが団員708名の大幅な減少、野球とともにここ
 数年、減少が続いています。

 (2) 埼玉県スポーツ少年団駅伝競走大会について
 
 種目に関係ない県大会として、35年間朝霞市で行われてきました。今年度から
 平成31年2月11日(祝) 基本的に北部ブロックの市町本部により、「駅伝競走部会」
 を組織、会場も熊谷スポーツ文化公園に移して行われます。なお久喜市では従来通り
 ロードレース大会駅伝の部、上位男子3、女子2チームを派遣します。
 
 (3) スポーツ少年団登録者処分基準の運用について
  この件に関しては何度か報告してきました。日本本部における「処分基準」の設定を
 うけ、県本部では私を責任者とするプロジェクトチームを組織、周到な準備を経て、昨年
 秋、これに関する「規律委員会」をスタートさせました。久喜市でもこれを受け、本部
 規定の改正による、「規律委員会規定」を設け、本年度総会でスタートさせました。
  現段階では、県内でも久喜市本部だけと思われます。繰り返しますがこれは登録者を
 処分するためのものではありません。処分など必要としない、そうした行為が起こらない
 少年団活動を展開することが求められるのです。そのためにも原則的少年団活動の
 展開と、ガバナンスの確立を進めていかねばなりません。
  この後各市町本部より、報告・意見がありました。私は来年度の発足10周年記念事業
 について報告、協力をお願いしました。
  約2時間の会議の後は席を移しての懇親会、みな親しいスポ少仲間です。楽しい時間を
 過ごさせていただきました。

      ◎ 今年の綱引大会内容決定  11/16(金) 

  今年の綱引大会は例年通り、12月の第一日曜日、今年は2日に総合運動公園「毎日
 興行アリーナ」で開催されます。サーすでに参加申し込みを締め切り、事務局で対戦表
 の作成も終わりました。私も連日市内各小学校にお伺いし指導に追われています。本日
 16日夜、中央公民館で本番に備えた最終会議を行い、大会内容のすべてを整えました。

 
 参加チームは144、参加者数は1、280名です。昨年よりチーム数11、参加者数
   111名の減です。昨年の大会で、この数あたりが限界という感じを持ちました。それ
   でもこの数、参加された皆様に感謝します。
 
 本部席に向かって左側に新たに選手控え席を増やしました。それぞれ学校毎に指定
   されています。これに伴い、1階席の学校の入口を新たに設けました。担当役員の
   指示に従い入場してください。2階席は従前どおり正面入り口です。
 
 駐車場は約490台分確保しました。当日グラウンドでは他の大会も予定されて
   います。指定の駐車場をご利用ください。運動公園の駐車場以外に、江面1小、南彩
   農協江面支店150台分を用意してあります。
 
 3レーンで競技を行います。隣のレーンの笛とまちがえないように。
 ● 小学生諸君の注意事項を事前に配布します。参加児童への確認をお願いします。
   クツ・自由  滑り止めスプレー・綱引用ベルト不可
 ● 予選はリーグ戦、1本引き。決勝トーナメント、決勝戦のみ3本引きで゜す。

  本番まであと2週間です。1本でも多く引く練習をしておきましょう。それでは当日
  元気でお会いしましょう。大会を成功させるため精いっぱい努力します。


   ◎ 今年も大会向けの綱引指導が始まりました。 11/8(木) 

  今年も12月第一日曜日・
 2日に「久喜市綱引大会」が
 行われることは報告してあり
 ます。すでに申し込みも終わり
 大会本番を待つだけとなって
 います。


  参加する各小学校においては、一斉に大会に備えた練習が始まります。昨年は「綱引
 連盟」全体で10校、わたくしは7校にお伺いしました。11月一杯は土日を除いて毎日と
 いう有様でした。今年もすでに6校から依頼をいただいています。うれしい悲鳴という所
 です。今日は北小にお伺いしました。1年生チームから6年生チームまで、10チーム程
 の選手が参加してくれました。昼休みの30分ほどの時間です。この日は綱引の特徴と、
 実際の綱の持ち方=引き方についてお話ししました。
  綱引には中心選手=エースがいません。8人が一体となり、一本の綱に思いを込めて
 引いてこそ成り立つ競技です。そのためには綱を体の正面に固定する、身体全体の力を
 使って引くのです。これは競技の中ではなかなか難しい事です。運動会の綱引のように、
 綱に対して身体を斜めにしてしまうとか、お尻を出す=身体がエビ状になってしまうのです。
 これは何度も何度も綱を引いて、身体で覚えてしまうしかないのです。写真は共に昨年の
 大会
のものです。右の小学生チームはほぼ正しいフォームで引いています。アト何回か
 お伺いしますのでしっかり練習しましょう。
  これから今月いっぱい久喜小・青毛小・桜田小他にお伺いすることになります。今年の
 大会が昨年に増して、盛会となるよう頑張っていきます。

     ◎ 栗橋地区市民体育祭 10/7(日) 南栗橋スポーツ広場










  台風が抜けて、暑いくらいの
 好天の中、平成30年度の
 栗橋地区市民体育祭が
 「南栗橋スポーツ広場」で開催
 され参加しました。


 スポーツ少年団々対抗リレー表彰のためです。旧久喜市内の5地区体育祭にはスポーツ
 少年団の対抗リレーはありません。栗橋地区体育祭にはこれがあり、それもこの表彰を
 大会実行委責任者でなく、少年団本部長が行ってきたそうです。合併して新本部形成後
 栗橋地区のY副本部長から、「表彰にお越しいただきたい」と言われたときは少し驚きま
 したが、役割とのこと以来毎年参加しています。
  今日は台風25号が抜けて、いわゆるフェーン現象なのでしょうか、写真のように抜ける
 ような青空は秋のものでしたが、30度Cを超える大変な暑さの中の大会でした。
  栗橋地区には野球2、サッカー2、バレーボール3、ミニバス・ソフトテニス各1と
 9つの単位団があります。ソフトテニスが男女両チームを出して、男女共に5チームが
 出場しました。女子の部は(―写真・上左―)は、ソフトテニスと、ミニバスの「ロック
 フィルズ」が競り合いましたが、「ロックフィルズ」が制しました。男子の部は野球の
 「栗橋ジヤイアンツ」と、サッカーの「南栗橋ウイングス」の接戦となりましたが、
 「南栗橋ウイングス」の逆転勝利となりました。(―写真・上中―) 応援の下級生団員や
 保護者で結構盛り上がりました。その後本部前で表彰を行いました。(―写真・上右―)
  
これで私の役割は終わりなのですが、いつも少し見学して帰ります。特に昼休み中の
 アトラクション、久喜市内は主催者側に各地区の公民館があり、その公民館主催で行う
 各種教室で誕生した組織が、成果を発表する、という形が多いのですが、ここは違います。
  学校挙げて一輪車に取り組み、その効果効能を学校経営に生かしている、地元「栗橋
 南小」の一輪車(―写真・下左―)と、スポーツ推進委による新スポーツ紹介です。
  フィールドが芝生なので、大変なようでしたが、子供たちは元気に一輪車を転がして
 いました。スポーツ推進委による新スポーツ紹介、今年はノルディックウオーキング、
 最近よく見られるスキーのストックを使ってのウオーキングです。(―写真・下右―)
  会場から参加者を募り、芝の上でのストックワークに取り組んでいました。
  私の地元の市民体育祭は、「文化の日」です。町内対抗リレーの選手集めなど、もう
 準備が始まっています。またスポ少でいえば来年は10周年の年、記念事業として
 「運動会」を行います。その時は今日のように「団対抗リレー」もやることになります。
  しっかり準備せねば、なんて考えながら会場を後にしました。
   ◎ 市スポ少10周年記念事業Ⅱ 日独同時交流  10/3(水)

  前記で報告したように久喜市スポーツ少年団本部は、来年10周年記念事業を
 実施します。その目玉として「第46回・日独同時交流の受け入れ」を行います。
  この事業は、日本・ドイツ両スポーツ少年団主催の国際交流です。前期全体行動
 (約120名)―グループ行動Ⅰ(約12名)―グループ行動Ⅱ―後期全体行動が日程
 です。埼玉県はそのうち、グループ行動Ⅰを担当します。7月20日過ぎに来日します
 ので、20何日から1週間を埼玉県で過ごすことになります。この日程を県内市町村
 本部が主管、民泊にて受け入れを行うものです。
  このことはすでに何度も記してきました。旧久喜市スポ少本部は昭和51年発足
 60.年に盛大な10周年記念事業を実施しました。この時やはりこの記念事業の冠と
 して、第12回日独同時交流の受け入れを行っています。そしてその前年昭和59年
 第11回の派遣指導者として私は訪独、交流活動を行ってきました。この2年間の
 思い出は、私にとって何にも耐えがたい宝であり、その後の一切の活動の原点を
 形づくるるものでした。その後30数年が経過、ここ10年は毎年のように県本部から
 2度目の受け入れを、との強い要望をいただき続けてきました。昨年強い要望を受け
 理事会に提案、理事会でご承認をいただきこの事態となったわけです。

 日程 前記全体行動を終え、久喜市に来られるのは7月20、4・5日です。そこから
      7泊8日ですので、8月2日前後までとなります。

 資金 県本部より200万円の女性があります。

 組織 10周年記念事業実行委とは、独立した実行委を組織します。   

 スケジュール
 1日目     東京駅出迎え―久喜・民泊家庭との対面式   歓迎パーティ 
 2日目   市長表敬訪問     
 3日目        夜の部
 4日目         1日だけ
 5日目        盆踊り参加
 6日目       
 7日目       さよならパーティ
 8日目     茨城県に出発―見送り   
  2日目から7日目午後の部まで6日間、空欄16コマを埋めることになります。
  実際は民泊家庭プログラム1日、大型バスでの旅行1日(日光・秩父など)が入るため
  4日間10コマの埋めることになります。
 ※ 1週間中土曜日の夜は南栗橋の盆踊りに参加します。
 ※ 団員の体調維持を考え、夜の部は前記を除き、行事を入れないことを予定
 ※ 考えられる交流事業 久喜の団員とのスポーツ交流  ドイツ団員のスポーツ体験
   (空手・柔道・弓道等の武道系のもの)  文化活動体験(習字・折り紙、手打ちうどん等)
   久喜工業団地内の工場見学  市内中高生との意見交換会等々  
 ※ 来日する団員はリーダー団員11名(15歳から20歳位) 指導者1名です
  来春受け入れ民泊家庭を公募します。

     市スポ少・来年度10周年 記念事業を実施  10/1(月)  

  久喜市は平成22年(2010)、旧久喜市・菖蒲町・栗橋町、そして鷲宮町が合併、
 新たな町として誕生しました。来年度が新市誕生10周年になります。様々な「立ち止まり
 再検討する」事態の続出の中で、久喜市としてどう記念事業を行うか、の話は立ち消え
 となっていますが、かって私の質問には、(前市長時代)何らかの記念事業を行うとの
 答弁がありました。
  私が責任者を務める久喜市スポーツ少年団本部は、前記合併が決定されると同時に
 「合併協議会」を組織、周到な準備を経て、新市誕生と同時に現在の新本部を発足させて
 います。久喜市と同様来年度が10周年に当たります。すでに何らかの記念事業と、その
 目玉として「日独同時交流受け入れ」を行うことは、決定されており、積立金も行って
 きました。来年に控え事業内容のすべてを決定、準備活動に入る時期がせまって
 います。その決定を12月の本部理事会で行いたく、「計画案」の検討に入りました。
  以下報告します。

  第46回日独同時交流受け入れ 7月下旬~8月上旬 7泊8日  別記

  記念式典 11月下旬の土か日を予定 三高サロン
  記念表彰 式典の前段階に行う 表彰者・感謝状贈呈対象者は今後確定
          
  記念誌作成 記念式典前に作成 作成部数1、000部予定 100ページ程度
            内容  挨拶・祝い文 あゆみ 単位団と部会から 関係資料等。

 ◎ 記念品作成 2、000個予定 全団員・指導者・+α 式典前に配布

 ◎ 記念事業 全団員・指導者・母集団が参加できるものとして運動会を予定
          総合運動公園市民グラウンド  9月または10月
          日独同時交流を兼ねたТシャツを着用
          団対抗種目をいくつか実施、表彰する

  冠大会  本部事業としてのロードレース大会駅伝、6部会大会に冠をつける
          優勝・副優勝トロフィを用意。

  以上の通りとなっています。細かい部分をこれから協議し、12月第1日曜日予定の
 理事会に提案したいと考えています。
  記念事業に要する費用です。6年目から積立を開始10-10-20万円と積んできま
 した。今年も昨年並みの20万を予定しています。60万+来年度会計からとなります。
  通常では80万から100万内となります。記念誌が半分強を占めます。広告のページを
 取り、何とか資金を得たいと思っています。それにより記念品代に回せる額も決まって
 きます。みんなと良く協議しつつ、決定へと向かってまいります。

       第4回・久喜マラソン大会概要決定 9/26(火) 

  早いものでもう第4回を数える「よろこびのまち久喜マラソン大会」、すでに準備は
 急ピッチで進められています。今まで各部会会議が断続的に開催され、それらをまとめ
 ての大会の内容を協議・決定する、「平成30年第1回幹事会」が、26日鷲宮総合支所
 にて開催され出席しました。
  そこで提案され、決定された大会の内容を紹介します。
 (1) 全般 大会名、会場、主催・主観、公園、協力団体等、今までと全く同じです。
  開催日ですが、来年3月24日(日) 雨天決行となります。
 (2) 大会ポスター すでに原図は完成しています。協力・久喜工業高校情報技術科
 (3) 「ハーフの部」、「3Kmの部」に、男女共に60歳代の部門・70歳以上の部門を
  新設しました。また「小学生の部」と「親子の部」が共に2Kmから1・5Kmに短縮
  されました。なお、参加費は、一般3、500円、高校生1、500円、小・中生
  500円、親子2、500円は変わっていません。
 (4) 「ハーフの部」コース変更 帰路久喜駅東口通過後(16Km付近)直進、オーバー
  ブリッジ高架下をくぐり、春日部・久喜線を東4丁目で折り返します。
 (5) 記録計測 前回ミスにより計測不能という大失態を演じました。今回は今までの
  3回大会までの計測業者を変更します。
 (6) 参加者定員  全体としての5000人には変わりありませんが、ハーフの部
  200人増の3、200人、小学生の部200人減の600人となっています。
 (7) 参加者募集方法  申込期間11/1~来年1/10 インターネット 郵便振替
  市内小学生は別途、学校を通じて
 (8) 協賛金 1万円以上、そしてボランティアを募集します。
 (9) 最後に当日のスケジュールです。 1・小学生男女1・5Kmの部8:50
  2・親子の部の部9:05  3・ハーフの部9:30  4・3キロmの部9:50

  以上の通りです。なおスポーツ少年団の担当は、変わらず駐車場・シャトルバス・
  物品搬送等の運輸部門です。私はその部門の責任者、全体としての服実行委員長
  にも変わりありません。何回か会議を重ねつつ、準備にあたってまいります。
   ◎ 久喜市レク協・いきいきフエスタ 9/15(土) 毎日興行アリーナ
 

















 上段・左から市長挨拶
  フラダンス・3B体操

 中段・左からレクダンス
  よさこい・阿波踊り


 下段左・阿波踊りの鳴り物・三味線が見事でした。右・全員で阿波踊りを踊って閉会です。

  第9回を数える久喜市レクリエーション協会の「いきいきフェスティバル」が、15日
 「毎日興行アリーナ」で開催され参加しました。この企画は久喜市レク協加盟団体が、
 自らの活動を披露・発表し、市民の皆様に知っていただくと同時に、組織の充実に
 繋げようとするものです。
  久喜市レク協は現在13の団体で構成されています。我が「久喜市綱引連盟」もその
 一員ですが、。この「フェスタ」には参加していません。本来なら駐車場係を仰せ使って
 いましたが、朝からの雨でお役御免となり、見学だけとなりました。「ターゲットバード
 ゴルフ」、「歩こう会」といったアウトドアの団体も参加していませんので、踊り・ダンス系
 団体の参加となりました。
  「久喜市レク協」も、グラウンドゴルフ・太極拳の2団体が体協に移行、また古い歴史
 を持つ「民踊連盟」が離脱して、大変寂しくなりました。組織的弱体はぬぐい切れません。
 「グラウンドゴルフと太極拳」は、国・県の上位組織が、「レク協」から「体協」に移行した
 のに伴うものです。これは国体との関係、また「民踊連盟」は高齢化によるもの、同様
 のものに、「フォークダンス連盟」があり、共に今のスポーツ・レクリエーションの状況を
 色濃く反映しています。
  写真上段右は3B体操の発表です。3Bとは体操で用いる、「ボール・ベル・ベルダー」
 の頭文字、写真は「ベルダー」を使ってのものです。中段・左はレクダンス研究会、
 これは普通に歌われる歌に振付して踊るもの、「見上げてごらん 夜の星を」等が披露
 されていました。
  中段中は「よさこい」、左はレク協では1番新しい「阿波踊り」です。阿波踊りの「鳴り
 物」で、三味線が4人もいたのに驚きました。このプログラムがラストでしたので、最後
 に皆で「阿波踊り」を踊り、フィナーレとなりました。
  見物客が極端に少なく、発表・披露し、市民の皆様に見ていただき、関心を持って
 もらう、できればご参加をいただく、というもう一つの狙いはちょっと残念でしたという
 結果でした。マア、そんなに肩ひじを張らずに、楽しみながらこつこつとやっていくしか
 ないのでしよう。
      ◎ 県スポ少退職役員ご苦労さん会 8/30(木) 白岡市 

  埼玉県スポーツ少年団の運営は、県の東・西・南・北ブロック別に行われている要素が。
 強くあります。まず各種目別地区大会がそれですし、4ブロック別に本部長会議が行われ
 ています。副本部長も各ブロック1人ずつ、本部員も東ブロックから、それぞれ4-4-5
 -3人と選出されます。会議の行き帰りにご一緒して、情報交換の機会も多く、どうしても
 同じブロックの役員とは、より親しいというのが普通です。
  私は東部地区を代表し、県副本部長を長く勤めました。一応東部地区を代表する県本部
 役員という形でした。4年前、本部長を勤められた白岡市の藤沼先生が退職されたとき、
 県全体のそれとは別に、私がお呼びかけをして、東部地区関係役員のみで、「ご苦労様
 でした」の会を持ちました。以来2年に1回、越谷市や八潮市の本部長、久喜のH女史の
 退職の際も同様の会を持ちました。
  今年は私の他に、本部員として白岡市と加須市の本部長が退職、新たに三郷市・杉戸町
 等から3人が本部員に就任されました。私の後継として副本部長につかれた宮代町S氏の
 お骨折りで、30日(木)白岡市のお蕎麦屋さんで、「ご苦労さん会」を持っていただきました。
  会には上記退職者、新役員の他、今までの「ご苦労さん会」に出られた懐かしい方の
 ほとんどが出席、本当に懐かしく、うれしいひと時を過ごさせていただきました。
  県本部も私が責任者となって選出した、尾崎新本部長以下の新体制の下、スタートした
 ばかりです。少子化・団員数の減少傾向に、歯止めがかからない中での苦しい運営になろ
 うかと思いますが、ぜひとも頑張ってください。今の私の立場内での協力は惜しみません。
  東部地区も本部員は幸手市のN氏のみ継続、他3人は新人というフレッシュな体制となり
 ました。関根新副本部長を中心に今後の活躍に期待します。

  私はほぼ30年務めた県本部役員を、定年制により辞しました。久喜市と県本部役員との
 任期は1年ずれています。少なくとも今年1年は市の本部長です。さて来年以降です。来年は
 久喜市スポ少の10周年の年、日独同時交流受け入れも行い、その全ての準備を今年中に
 行うこととなります。私は昭和59訪独・60年受け入れと、第11回・12回の「日独同時交流」
 に関わり、この2つがが私のその後の活動の原点となりました。何としても来年の日独同時
 交流・10周年記念事業に関わりたいと念じています。そんなことでもう1期本部長を続けよう
 かな、と密かに?考えています。(というよりお願いしたいというところです!)
  楽しく懐かしい時間でした。県本部で長くご一緒し、すでに辞された仲間とは本当に良い
 ものです。残された活動の時間は少ないものですが、お互い頑張りましょう。
  
    ◎ 本年度綱引大会に向けた講習会について 8/27(月)
 

  本ページ8/7日付でお知らせしたように、早くも今年の綱引大会(12/2・総合体育館)の
 準備を始めています。毎年「綱引連盟」が行っている、大会向け講習会を今年も以下の通り
 実施します。お気軽にお申し込みください。

  ※ 申し込み先 0480-22-5555(教委スポ振グループ) 090-2744-9415・岸
  ※ 期間 10月最終週~11月一杯
 
 ◎ 一般の部 夜間及び土・日 練習会場へお伺いします。学校体育館の場合、「綱」のない
          学校もありますのでご注意ください。

 ◎ 小学生の部 ◆ 各学校へお伺いします。
          ◆ ウイークデイの業間、昼休み、放課後、いずれも可です
            ただし 業間の場合実質的練習時間が極めて少なく、非効率です。
            昨年長く昼休みが取れる曜日に集中しました。放課後何日か
            日程をお取りいただければ幸いです。
          ◆ 綱引用「綱」がない場合、総合体育館で借りることができます。
          ◆ 講師は連盟役員(公認審判員)ですが、ウイークデイの昼間とて
            人数に限りがあります。1校3日程度にご配慮ください。

  本日午前には、市内小中学校校長会(教育委員会会議室)に出席、説明しました。  
 34校校長に教育長以下、指導課職員がずらり居並び壮観でした。初めての事
 気が弱く、無口な!私としては説明に苦労しました。
  なお申込用紙は教委、本庁舎・総合支所・公民館等公共施設に置かれています。
  10月末日までにお申し込みください。
  申し込み先は教委、本庁舎分室、各総合支所です。 

     ◎ 夏の高校野球・100回記念大会閉幕 8/23(木) 
  
   1 0 0    お盆と並んで夏の国民的行事である、「高校野球選手権
           100回記念大会」は、「大阪桐蔭高校」の2度目の春夏連覇、
全国にフィバーを巻き起こした「秋田金足農業」の準優勝で
幕を閉じました。今年は100回記念大会とのことで、我が
埼玉県等参加校数が多いところは複数代表となり、56校
参加の下に行われ、初めての「タイブレーク」、熱中症対策の
給水タイムの導入など、それなりに新たな100年へ、改革
への一歩となった大会であったといえます。もっともこうした
  ことは、ほかの種目では当に行われていますが。  

  絶対本命といわれた「大阪桐蔭」はその通りの強さでした。かって現阪神タイガース
 の「藤浪」を擁して春夏連覇をした時、あるスポーツ新聞で「補欠選手のみのチームで
 準優勝できる力を持つ。」との記事を読み驚愕したものでしたが、今年のチームは
 その時を凌ぎ、まさに100回大会史上最強チームを実証しました。対浦学戦、決勝戦
 と大差のついた試合でも、割合接戦だった試合でも、とにかく負ける感じは全くありませ
 んでした。藤原・根尾等例年ならドラフトの目玉となる傑出した選手が、ごろごろいるこの
 チームは、まさにあらゆる意味で「史上最強」でした。
  その「大阪桐蔭」を凌ぎ、今大会の話題を独占したのが「金足農業」でした。判官びいき
 は甲子園の常ですが、ちょっと行きすぎという面さえ見られました。とにかく「大阪桐蔭」に
 代表されるように、全国から優秀選手を集め、優れた環境(全員寮生活・練習場)の下で
 野球に打ち込める高校のみが強い、という状況下で、全員地元出身、冬は長靴で雪の
 校庭を走る、という「金足農業」に人気が集まるのは、ある意味で当然でした。高校野球
 の代名詞・「さわやか」を地でいったチームでした。ただ「吉田投手」の881球は何と
 しても問題を残しました。「甲子園の優勝ピッチャーは大成しない」といわれますが、吉田
 投手のこれからを注意して見ていきたいです。

  多くの話題を提供して、100回大会は幕を閉じました。問題は2つあると思います。1つは
 大会の華やかさに比して、依然として続くスポーツ・野球離れ、予選参加校数も減り続けて
 います。中学校も含めた部活動のこの問題は、今多くの論議を生んでいます。これに関し
 論じますと長くなりすぎますので、またの機会とします。
  もう1つは大会だけに限っての選手の健康管理の点です。ピッチャーの投球数、イニング数
 の制限、加えて全体としての日程調整の問題です。ただピッチャーの投球数・イニング数
 制限は、強豪校と普通の学校野球部との、さらなる格差を生む、という点が比較されています。
  大会日程の調整(大会期間中に休日を多くとる)の件も、北の高校の2学期始業日の問題が
 あり、なかなか難しいといわれています。いずれにせよ第一に考えるべきは選手諸君の健康
 なのですから。「肘関節学会」の発表では、野球少年で肘に何らかの痛み・障害を経験した
 のは、40パーセントに達したということを忘れないでいただきたいと思います。
  
  夏の甲子園と並行して、「高校総体」が行われています。主催は「全国高等学校体育連盟」
 です。いわゆる運動部活の種目はすべてここに加盟しています。しかし「野球」はこれに
 加盟せず、独自に「高野連」を組織しています。この「高野連」の前近代的体質は前から指摘
 されていました。私は「野球」も「高等学校体育連盟」に加盟すべきだと思っています。上記した
 2つを改善していくにも、「高野連」の組織改革に目を向けるべきと考えます。
  それはそれでよいものとは思いますが、いつまでも「礼儀・汗・涙・さわやかさ」にのみ依拠
 しつづけるのはいかがなものでしょうか。   
   
   埼玉県ミニテニス協会創立20周年記念誌祝詩文 8/17(金) 

  埼玉県ミニテニス協会(会長・土屋品子衆議院議員)が、
平成11年久喜の地で創設されて以来、数々の足跡を
踏んで本年20周年を迎えます。私と埼玉県ミニテニス
協会との関わりについては多く記してきました。発足以来
副会長を勤めてきましたが、昨年の総会において辞任
しました。辞任に当たり県協会から過分なる対応を頂き
感謝状・記念品等頂戴しました。本年6月土屋会長より
 お手紙を頂き、20周年記念誌への原稿の依頼を頂きました。協会発足当時の思い
 出を、とのことでした。すでに何のお役にも立っていない私にまで、ご配慮を頂いた
 ことに感謝し、8月末日までにとのことですので、本日作成、事務局に送付しました。
 以下祝詞文です。

  
創立20周年を祝う  協会発足の頃の思い出
                             
    久喜市 岸 輝美

  埼玉県ミニテニス協会創立20周年を心よりお祝い申し上げます。協会設立に幾ば
 くかの関わりをもった者とし、思い出を書かせていただきます。
  平成5年現副会長・当時久喜市教委体育課々長の福田氏と体育指導委員の会長
 の私で立川を訪れ、天野先生より直接指導を頂きました。初めてミニテニスに触れ
 た時、これは本物だ、物になる、との実感がありました。以降天野先生を久喜の地に
 お迎えしての体指の実技講習会、教委主催のミニテニス教室の連続的開催、市民
 ミニテニス交流大会と圧倒的な活動を経て、翌6年6月に久喜市協会を設立しました。
  その後市協会の充実化、県内各地への普及活動を同時に図る活動に奔走しまし
 た。天野先生も県内各地に来られ、普及活動に尽力されました。平成8年には県より
 「彩の国ミニテニス大会」の名称使用が許可され、久喜市の総合体育館で開催される
 大会に、県内各地からの愛好者の参加が促進されました。こうした成果として庄和町
 (当時)・鳩ケ谷市・飯能市・北本市等々に次々とクラブ・協会が組織されるに至ったの
 です。平成10年2月、久喜市で開催された第2回ミニテニス交流大会に9市町・200
 名を超す参加がありました。そしてこの大会終了後「県協会設立準備委員会」が発足
 したのです。この動きの中心をなしたのは久喜市協会会長であり、前県協会理事長の
 故山形氏でした。山形氏の活動は時として性急であり、時として独善的なこともあり
 ましたが、氏の驚異的な活動なくして県協会の設立、その後の10周年から全国大会
 の県開催はなかったとさえ言えます。改めて黄泉の旅に立たれた山形氏に敬虔なる 
 祈りをささげるものです。「会長に土屋氏をお迎えしたい、労をお取りいただきたい」
 と山形氏から依頼を受け、二人で春日部市の土屋事務所をおたずねしたのは初秋の
 頃と記憶しています。こうして平成11年2月に久喜市において「県協会設立総会・
 祝賀会」を開催しました。土屋会長・山形理事長・小幡副理事長以下8市町・770名
 での誕生でした。なお私は協会の組織体制の整備を図る、とのことでその年暮れ
 副会長に就任、昨年の平成29年度総会で辞職するまで、18年にわたりこの職を
 勤めさせていただきました。何の功なくも退職に当たりお寄せいただいた協会役員
 各位のご厚情に厚く御礼申し上げます。
  無限の魅力を持つミニテニス、これを愛好する人たちが素晴らしい人間関係で
 結ばれている協会が、ますます充実発展することを願い設立当時に関わる思い出の
 文とさせていだたきます。

   ◎ スポ少認定員講習会の講師を勤めました。8/11・12 寄居・和光
 
 
  スポーツ少年団には独自の「指導者養成制度」があり、それに基づいて「認定員養成
 講習会」が行われます。県本部主催のものもありますが、そこは日本一を誇る埼玉県
 スポ少、県本部からの委託という形で市町本部主管の講習会も、数多く行われています。
 こうした講習会の講師を、30年を超えて勤めてきました。この講習会の時期です。もちろん
 マチマチなのですが、やはり他の事業との関係からか、夏季と年度末に集中するという
 傾向があります。この夏も3会場から依頼を頂きましたが、そんなことで猛暑未だ衰えを
 みせぬ、「山の日」と日曜との連休、11・12と寄居町・和光市にお伺いしました。
  今回担当した単元は、「スポーツ指導者に必要な医学的知識」、「スポーツと栄養」、
 「地域におけるスポーツ振興」、「運動適正テスト」の4つでした。それぞれ単元により、講義
 時間が定められています。だいたいお伺いした会場では2~3単元、3時間程度の講師を
 勤めるというのが常です。講義内容は全部で10単元あります。その中で「スポーツ少年団
 の理念とその意義」、「スポーツ少年団の組織と運営」といった100%少年団のものが
 半分以上あります。後は「文化としてのスポーツ」、「地域におけるスポーツ振興」といった
 スポーツ論一般のものが2~3、こうしたものは何といっても30年を超す経験があります
 ので、目をつむっててもできる、という部類なのですが、問題は「医学」・「栄養」といった
 専門分野です。県本部では「お医者さんとか、栄養士さんとか専門家を講師に」と呼び
 掛けているのですが、なかなかそうともばかり行かず、となると私にお声がかかるのです。
 私もこの2つは苦手な分野ですが、今回も3会場で「医学」は入るありさまです。
  それにしてもいつも思うのですが、少年団の指導者は実にまじめです。週末の本来なら
 休息や家族サービスに充てる時間に、子どもたちの指導に当たり、加えて良き指導者
 たらんと、こうして講習会をうけ、資格を取るのです。それも1日びっしり8時間を2日間
 受け、最後に1時間の試験を受け、6割以上取らないと不合格というのです。本当に
 気の毒になるくらい、だから講師の仕事にもつい力が入るというものです。私のほうも
 この暑さの中、2日連続で3時間しゃべり続け、いささか疲れました。
  でも、でもです。2025年問題に代表されるように、少子化の中で超高齢社会にわが
 国は入っていきます。その時にこの社会を支えるのは、今の子供たちです。
  多少のことにはたじろかない、丈夫な身体と強い心、なおかつ皆と共に生きて
 いこうとする優しい心とを兼ね備えた、子どもたちを育てていくことが、何よりも大切
 なのです。
  もう1会場・新座市が残っていますが、全員が試験に合格し、新たなより高まった立場で
 少年団の指導に当たってくれることを願い、2日間の講師の任務を終えました。 

    ◎早くも綱引大会の準備を始めました。8/7(火)中央公民館

  
遅い台風の接近が伝えられ中断しましたが、もう嫌に
 なる暑さが続いています。そんな中早くも暮・12月の行事
 である「綱引大会」の準備が始まりました。7日「中央公民館」
 にて今年の大会の向けて初の会議を持ち、「大会募集要項」
 スケジュール等協議・決定しました。

 ※ 大会期日 例年通り12月第1日曜日・今年は2日です。
 ※ 会場はいつもの通り毎日興行(メイン)アリーナです。
 ※ 主催は久喜市と久喜市教育委員会、私たち「久喜市綱引連盟」と、「久喜市スポーツ推進
    委員協議会」が全面協力します。
 ※ クラスは例年通り小学生が低学年・中学年・高学年各々男女の部の6部門
    一般が男女混合(各4名)の1部門です。
 ※ 参加選手は1チーム12名以内です。監督1、マネージャー1・選手8名・交代2名です。
    小学生部門は監督・マネージャーは成人であること、男女混合は男子の部への
    参加となります。
     一般チームの監督・マネージャーは選手を兼ねることができます。
 ※ 参加費 選手1人100円 監督・マネージャーとしてのみの場合不要。
 ※ 競技方法 小学生部門 予選はリーグ戦、決勝はトーナメント・各1本引き。
                   決勝戦のみ3本引き。
          一般部門  予選・決勝共にリーグ戦
          (参加チーム数により、競技方法の変更を行う場合があります。)
 ※ 参加申し込み方法 
 参加申込書(教委生涯学習課・本庁舎教育分室・各総合支所
     市内各体育施設・公民館等に置かれています。)に必要事項を記入の上、
     参加費を添え、生涯学習課・分室・各総合支所へ。
     申し込み期限 10月31日     
 ※ 大会当日の受付は8時30分からですが、大会運営をスムーズにするため、いくつかの
   方法を考えています。

  
さて毎年行っている「綱引連盟」による講習会です。希望に応じ「綱引のコツ」、「ルール」
 「大会での行動のとり方」等指導します。私は昨年など11月は1日の休みもありませんでした。
  教委生涯学習課0480-22-5555(内線367)、または岸090-2744-9415まで
 お申込みください。
  私は昨年に「綱引連盟」の会長に就きました。昨年から大会の統括責任者を務めています。
 また綱引指導に関しては、ウイークデイの昼間ですから該当者が少なく、猛烈に忙しくなります。
  でもうれしい悲鳴、アト、4カ月頑張って準備に当たっていきます。

     ◎ 日独同時交流・吉見・南栗豊田盆踊り&花火 7/29(日)








 左・折り紙、左2・習字に挑戦、右2・見事に描けました、右・最後はおにぎり結びに挑戦です
  28・29日は、いつもは西からくる台風が、逆に伊豆諸島から北上、西転して東海・近畿・中国
 と進むという逆走台風に苦しめられました。28日夜予定されていた南栗橋豊田ふるさと祭りは
 1日延期されました。ために今日は忙しい1日を送りました。
  まず午前吉見町での日独同時交流のプログラム、いわゆる「体験型」を見学しました。会場は
 「吉見町西部ふれあいセンター」です。まず団員たちは「けん玉」で身体ならし、「けん玉」は
 ドイツでもある程度やられているのでしょう。初めてとは思えず、結構こなしていました。
  続いて折り紙です。会場なのですが30畳くらいの板の間、すわり机が置かれ、皆が座布団に
 座ってのものです。この座り方はドイツにはありません。皆窮屈そうに長い脚を持て余して
 いました。最初は一番簡単である「飛行機」からスタート、これは何とかクリアーしていましたが、
 次に「鶴」となるといけません、みな首をかしげるばかりで完成した人はいなかったと思います。
  次にこうしたプログラムの定番、「習字」です。まずタテ線、ヨコ線、左右に下るナナメ線の
 練習です。「筆はまっすぐもって」、「止めて→ゆっくり筆を運んで→止めて」と通訳を挟んでの
 難しい指導です。ここで決定的なのは先ほどの座る姿勢、とにかく机に正対していませんので
 それだけでも、書道は難しいよ、というところでした。その後「日本」と書き、後は「友情・平和・
 絆・友」等から好きな字を書いていました。
  最後に全員に真っ白な扇子がプレゼントされました。これに習字で文字を書き、おみやげに
 するという粋な計らいです。柔道をやっている女性団員はお手本を書いてもらい、文字ならぬ
 記号の「柔道」と書いていました。中に「ヘッセン州スポーツ少年団」と書いた団員がいました。
  皆ヘッセン州スポルテ・ユーゲントから選抜されて、来日しているのです。そしてそこは
 私が第11回訪独し、第12回に受け入れた州です。なつかしさがこみ上げてきました。そして
 最後にグループ指導者が、お礼にと習字の先生にプレゼントした、ヘッセン州スポーツ少年団
 ペナントを見て、思わず涙がこぼれました。何度この旗を頂いたことでしょうか。ああ・日独
 交流っていいなと改めて思った次第です。
  体験の最後は調理室でのおにぎり結び、吉見の関係者があげたてんぷらと共に自分の
 結んだおにぎりが昼食なのです。さぞおいしかったことでしょう。








    南栗橋コミュニティプラザでの「豊田ふるさとまつり」の、「坂東太鼓」や「盆踊り」

  家へ戻り、夕刻から南栗橋コミュニティプラザでの「豊田ふるさと祭り」を見学しました。日独
 同時交流の定番プログラムとして、「盆踊りへの参加」があります。来年に備え一度視ておき
 たかったからです。場所は、スポーツ少年団野球大会で足げく通っている「豊田コミュニティ広場」
 要するに南栗橋スポーツ広場の隣り、新幹線側にあります。
  主催はNPO法人・「豊田ふるさとづくり振興会」、南栗橋地区は自分たちが作ってきたとの思い
 が強く、郷土愛にあふれた様々な活動に取り組んでいると伺っています。 
  コミュニティ広場は全面芝の良いところです。中央の約100m四方の広場に櫓を組み、
 雪洞がともされています。最近こうした風景が見られなくなりました。周囲を露天が囲み、結構な
 賑わいです。プログラムは子供みこしに始まり、「坂東太鼓」、保存会の人たちによる「栗橋音頭」
 「フラダンス」と続いて、フリー参加の盆踊りへとつながっていきます。
  市長をはじめ大勢の来賓の方もおみえでした。顔なじみの人も多く、時たま本部テントへ
 お伺いしては、よもよや話に花を咲かせました。また「豊田ふるさとづくり振興会」会長さんにも、
 ご挨拶申しあげ、来年の日独同時交流への協力をお願いしました。
  8時ちょうど、打ち上げ花火が始まりました。以前女房の実家の加須市で、旧盆にやられて折
 毎年見ていましたが、久しぶりです。何となく郷愁があってよいものです。
  来年ドイツの団員たちと来よう、きっとこの雰囲気に驚くし、喜ぶだろうと思いつつ、家路に
 つきました。  
 
 第37回少年軟式野球国際交流久喜大会 7/21(土)・22(日) 鷲宮運動公園


 
  左
 開会式 市長挨拶



 
  右
 国際試合です



  元広島東洋カープ監督だった古葉竹識氏が理事長を勤め、軟式の少年野球の国際交流
 大会などを行っている組織に「iBA」があります。毎年7月~8月にかけ、江戸川区営球場で
 国際交流大会を行っています。この大会のため来日するチームと、国内からこの大会に
 参加する鷲宮地区のチームとが、親しく交流するようになってから、はや40年となります。
  そして20年ほど前からこの交流チームは、オーストラリア・メルボルンの「オ―ジーズ」という
 少年野球チームとなっています。このチームは大会本番1週間ほど前に来日、鷲宮野球
 少年団のお家にホームステイします。江戸川の大会へも鷲宮から通います。東京ドームでの
 プロ野球試合観戦から、日光などへのレクもあります。そして直前に鷲の宮で、トレーニングも
 兼ね、毎年行っている国際交流大会が、この大会なのです。そして鷲宮を中心とした少年野球
 の諸君は、春3月メルボルンを訪ね、現地の大会に参加、久喜へ来たメンバーの家庭にお世話
 になる等、まさに双方向の国際交流として、歴史を重ねてきたのです。

  さて大会は「オージーズ」に、市内野球少年団選抜のA~Dの4チーム、計5チームが参加
 各チーム4試合の総当たりで行われました。考えてもみてください。地球の裏側メルボルンは
 今真冬、平均気温は5度です。そして日本は灼熱地獄、まさに30度を超す気温差があるの
 です。本当に身体を心配しました。でも日本とオーストラリアの国旗が飾られ、国際試合の
 雰囲気が漂う中、元気に4試合を戦い抜いてくれたそうです。 


 左・わずかな時間で
 打ち解けあっての
 記念写真

 右・たどたどしい
 日本語で自己紹介




  22日(日) 少しは涼しくなった?午後5時、鷲宮球場に隣接する「コミュニティ広場」にて
 閉会式、そしてレセプションが行われました。優勝は今年の春・夏の市内大会を制した「太田
 クラブ」を中心とするAチーム、「オージーズ」は残念ながら、全敗で最下位でした。正直言って
 オーストラリアは野球の普及度が、日本とは比べられないほど低く、したがって実力も今1つ
 例年のチームも今年のレベルです。

  表彰の後、楽しいレセプションに移りました。「オージーズ」の諸君が、たどたどしい日本語で
 自己紹介、「僕は**(名前)です。僕は11(2)歳です。僕は**と**(ポジション)です。」という
 もの、全員11歳か12歳、ただし体格は中学生なみでした。
  全員がジュース、ウーロン茶等で乾杯、広場の端に用意された食料を取りに走ります。
 考えてもみてください。参加者は200名はいると思われます。2日間応援で疲れている
 お母さん方が、アメリカンドッグ・唐揚げ・枝豆・ポテトチップといった食べ物を、用意して
 くれているのです。これがスポ少の良さ、といえばそれまでですが、両日共35度の猛暑の中
 試合応援の後です。本当に頭が下がります。
  約1時間の楽しい交流でした。なお前日の開会式、このレセプションともお忙しい日程の中
 市長・議長・教育長の出席を頂きました。ありがとうございました。

  平成30年度・久喜市スポーツ少年団登録 7/22(日) 教委会議室  

  久喜市スポーツ少年団の平成30年度登録(初期)を、
 猛暑が続く22日(日)午後、教育委員会会議室で行い
 ました。何度も言ってきた通り少年団は子ども・団員、
 大人・指導者が、国・県・町に登録するメンバーシップ
 の組織、しかも1人一人が登録費を納入する、有料登
 録制の組織です。したがって「登録」とは、数=組織
 状況と、活動資金両方に関わる重要なものとしてあり
 ます。
  かって紙ベースで行っていました。しかもその年度の
 登録することによって、その年の活動に
 参加できるというかたくなな考えから、年度当初に行っていました。数年前から全国一斉
 にウエッブ登録となりました。各単位団はウエッブ登録を行います。そのページは該当団
 と本部のみ見ることができます。市本部の登録とは、その数にそって登録料を納め、
 ワッペンと団旗のリボンを受け取って、帰るものと変わりました。そのウエッブ登録です
 が、当該年度の締め切りは7月末日です。それ以降は町のみ、県と国にはできません。
 そんなことを考慮し、今年は1カ月遅らせ、今日としました。また直接金を持参するのも
 今年限りとします。来年からは各単位団に口座を持ってもらい、振り込みとします。
 簡易性と透明性を増すのが目的です。

  さて登録数です。団員1、239名、指導者492名、年度は団員1、196名、
 指導者502名でした。約ひと月早かったので、実際は昨年並みといえます。毎年減り
 続けていますので、まずはほっとしています。1団平均団員は25・3人、指導者は
 10・0人です。久喜市は同じ種目の単位団3つ以上で「部会」を組織しています。野球
 部会15団、サッカー部会11団、ミニバス部会7団、バレーボール部会6団、バド部会
 4団、ソフトテニス部会3団、後は空手・水泳・ラグビー各1団です。団員数では最近
 激減していますが、やはりサッカー、指導者は圧倒的に野球が多いです。指導者では
 団員の倍・なんと34名という単位団もあれば、登録上最低の2名という団も4あります。
  登録費は久喜市・埼玉県・国にそれぞれ納めます。団員は200-200-300円、
 指導者は200-300-700円です。久喜市への登録費は久喜市で決められます。
 現在の登録費は合併時に、一番低いまちに合わせたもので、旧久喜市ではともに
 500円徴収していました。
  久喜市ではほかに単位団登録費5、000を徴収しています。したがって約60万円が
 自己財源なります。こうした事は体協・レク協等大人の組織にはなく、スポ少の組織的
 強みを示しています。
  いずれにせよ、長期低落傾向に何とか歯止めをかけることができた?かと、まず
 ひと安心しています。来年は大きな費用を伴う10周年記念事業、それに向かって
 まっしぐらです。

      ◎ 2018FIFA ワールドカップ閉幕―1― 7/16(月)

  6/14(木)、地元「ロシア」と「サウジアラビア」との、Aグループリーグ戦で始まったロシア
 ワールドカップは、昨日の決勝戦フランス―クロアチア戦をもって、世界中を熱中させた1カ月
 の幕を閉じました。優勝、5大会20年ぶりのフランス、準優勝クロアチア、3位ぺルギー、4位
 イングランド、大会前この結果を予想した人が果たしていたでしょうか。
  私は優勝候補にブラジルとドイツ、3番手にスペイン、4番手にフランスと考えていました。
 フランスを4番手にしたのはフランスだから、この国は今大会能力は高いのですが、いつも
 途中でチームワークが乱れ、優勝を競うしたたかさに欠けるからでした。しかし今大会はデシャン
 監督が良くチームを掌握、若さ溢れる豊富なタレントを、うまく使いこなしていました。攻撃は
 クリーズマン、脅威のスピードを誇る19歳のエムバペ等「個」に頼るものでしたが、中盤から
 後方の組織的な守備は完璧でした。とにかく若手中心、ここしばらくはフランスが世界に君臨
 することになります。
  オウンゴールと、ビデオによるきわどいPKによる失点、惜しくも準優勝に甘んじたクロアチアは
 やや不運でした。それも決勝トーナメントはすべて延長、肉体的にも限界に近い中での健闘は
 賞賛に値します。かって「チトー」が率いた多民族国家「ユーゴスラビア」は、内紛を経て、7つの
 国家に分裂しました。クロアチアはその1つ、人口は400万人強しかありません。もともと名古屋
 に在籍した「ドラゴン・ストイトビッチ」に代表されるよう、技術の高い地域、今回はヨーロッパ
 強豪クラブの中心選手をそろえたタレント軍団でした。好・不調の波が大きい国民性をダリッチ
 新監督がうまくまとめていました。大会最優秀選手となったモドリッチは、今大会を通じベルギー
 のセザールとともに、1番評価し、好感をもったプレイヤーでした。
   あの驚異的なスピードでの速攻によって、日本中を落胆のふちに追いやった3位ベルギーも
 見事なチームでした。今大会守備偏重が目立った中で、攻撃的な試合を行い、得点は出場チーム
 中トップでした。
  サッカーの母国イングランドも、今大会若手中心のチーム、ただとにかく守備を固め、セット
 プレーからの得点、というスタイルはあまり面白くありませんでした。フランスとともにこれから
 強くなっていくチーム、4年後に期待します。
  他には準々決勝戦でフランスに敗れたウルグァイ、1回戦ポルトガル戦での「スアレス」との
 コンビで、68m一杯に使った「カバニ」のプレーにも驚かされました。もし準決勝・対フランス
 戦にカバニが出ていたら、と思わずにはいられません。
  とにかく猛暑の中、そしてお祭りの中、慢性的寝不足から解放されます。あとは―2―に
 譲ることにします。

       ◎ ロシアW・C、夢のベスト8進出ならず  7/3(火)

  下段でも報告しているように「2018FIFA ワールドカップ」は、予選リーグを終え、ベスト16
 による決勝トーナメント戦に突入しています。絶対本命「ドイツ」の予選リーグ戦での敗退に
 代表されるよう、今大会は番狂わせの多い大会でした。その番狂わせの中に、日本のトーナ
 メント戦進出も含まれているといえます。日本の属した「H」グループはポーランド・セネガル・
 コロンビアでした。正直言って実力的には、勝てない相手だと思っていました。まして本番
 突入直前の代表チームは、最悪の状足といっても良いものでした。西野監督の「心配する
 ものは何もない」という言葉が、実にうつろに響いていました。
  それが1勝1敗1分け、勝ち点4、グループ2位で決勝トーナメントへ進出したのですから
 実に良く戦ったといえます。唯一の問題点だった「ラスト10分のバス交換」も、逆に西野監督
 の決断力、チーム掌握力として美化されるのですから、すべては結果次第という事なのでしょう。
  そういう意味では対ベルギー戦は、善戦だったとしてもあくまでも敗北であり、日本サッカー界
 悲願のベスト8入りは今後に託されたことになります。
  決勝トーナメント1回戦を前に、相手がベルギーと決まった時、予選リーグ以上の絶望感が
 走りました。予選落ちしたドイツは論外として、ブラジル・アルゼンチン・スペインと優勝候補が
 今一なのと比して、フランスとともに強さが際立っていました。絶好調の「ルカク」は止められ
 ないと思いました。先取得点を取られたら、0-3、0-4もありうるとも考えました。
  それがベスト8が現実に、とまで夢の世界に導いてくれた、選手諸君の大健闘に拍手を送り
 ます。原口・乾両選手のシュートは実に見事でした。「ルカク」と途中から出場し、同点ゴールを
 ヘッドで決めた「フエラィニ」は195センチです。「長友と乾」は170センチ、「乾」に至っては
 体重が、なんと60Kを切ります。まともにいったら吹っ飛ばされてしまいます。それが2人、3人と
 次ぎ・次ぎ行き、チームとしての守備も見事でした。
  しかし結果として敗れました。この差は何なのか考える必要があります。子供の頃からの
 一貫指導システムの確立が求められます。私はスポーツ少年団の人間であり、サッカーを
 健全育成という言う目的の手段として考えています。残念ながらこれからの日本サッカーは
 「一貫指導システムの確立」の名の下に、「W・Cで勝てるサッカー・選手の育成」へとどんどん
 走っていくことになるでしよう。今大会で評価を高めた西野監督を、監督として続行させるので
 はなく、こうした仕事に当たっていただくのが良いと考えています。
  もう「2022FIFAワールドカップ」に思いが走ります。今まで中心であった本田・岡崎・香川
 のビッグスリーに、川島、長谷部・といった選手、長友・乾までも、その名はないでしょう。
  今大会大活躍した柴崎・原口・大迫といった選手を中心に、東京オリンピック世代で
 ナショナルチームを再編成する必要があります。まず東京オリンピックでの好成績を期待
 します。
  あと2週間、少し緊張感から解放されて、ワールドカップを観戦することとします。
  寝不足状態はまだまだ続きそうです。

     ◎ ロシアW・C、日本決勝トーナメントへ進出  6/29(金) 

  ロシア各都市で行われている、「2018FIFAワールドカップ」は、予選リーグが終了、いよいよ
 決勝トーナメント戦に突入します。Hグループの日本は、28・29両日をまたいだリーグ最終戦
 対ポーランド戦において0-1で惜敗しましたが、コロンビア戦2-1・勝、セネガル戦2-2・分け
 で勝ち点4を獲得、同勝ち点のセネガルと、勝ち点・得失点差・総得点・対戦成績と、まったく同じ
 ながら、フエァープレーの得点、要するにリーグ戦を通しての、反則=警告の数が少なかったと
 いう事で、かろうじて同グループ2位で決勝トーナメントに進出しています。 
  日本的心情は「潔さ」をよしとします。武士道から来ているのでしょう。だからポーランド戦の
 ラスト10分が、それこそ大番狂わ・大金星でしかない、日本の決勝トーナメント戦進出を、今一つ
 喜べないものにしている感もあります。しかしこれはれっきとしたルールです。本ページ6/5日
 付「ワールドカップに思うこと―1―」でも記したように、あの「ドーハの悲劇」は、もう1つボール
 キープに徹せなかったことから来ています。6回のW・C出場を経て、日本はここまで成長した
 ということもできます。消化不良はその分、ベルギー戦で頑張ってもらうこととしましょう。
  戦前私は1分け2敗くらい、実力的には勝てないと思っていました。「吹け・神風」と祈るのみ
 でした。結果1勝1敗1分けですので、大健闘、大殊勲といえます。コロンビア戦の幸運が
 大きかったです。絶対的エース「ロドリゲス」の不調、一発退場での80分にわたる数的優位
 結果この勝利が決め手になったこととなります。
  セネガル戦は2度にわたるビハインドを追いついたわけで、勝てた試合でした。この試合
 日本の実力向上を感じさせてくれました。

  さて決勝トーナメントの相手は、Gグループ1位のベルギーです。予選リーグ戦前以上に
 絶望的思いが走ります。「FIFA」ランキング3位、ベルギー史上最強チームといわれ、上手くて
 強い、ドイツを筆頭とし、アルゼンチン・ブラジルと今一つなのに比し、圧倒的強さでグループ
 1位でリーグ戦を突破しました。その要因は怪物といわれるエースストライカーのルカク、
 とにかく今大会絶好調です。他にスピード・テクニック共に優れるアザール等、その攻撃力は
 破壊的です。しかし予選リーグも、実力的には勝てないと言ってきたのですから、トーナメント
 1回戦にも、「神風」が吹くことを祈るのみです。日本チームでは、やはり柴崎の展開力と香川
 乾のピリリと辛いさんしょに期待します。

  決勝トーナメント進出16チームが決まりました。やはり絶対本命ドイツの名がないのが、何と
 いっても目立ちます。これでイタリア・スペインと3大会続いて、前回王者は予選リーグで姿を
 消したことになります。やはりW・Cには魔物が住んでいるのです。
  そんな関係で左ゾーン8チームに、強豪がそろいすぎました。左ゾーンはウルグァイ・フランス
 ブラジル・ベルギーがベスト8に、右ゾーンはスペイン・クロアチア・スエーデン・イングランド
 でしょうか。初戦からのフランス―アルゼンチン、コロンビア―イングランド戦は大一番となります。
  予選リーグの状況とトーナメント戦は、また違ったものとなります。初戦こそつまずきましたが
 左ゾーンからは徐々に調子を上げている、ブラジルとベルギー戦の勝者が、右ゾーンからは
 スペインまたはイングランドあたりで、決勝戦が行われるというのが私の予想です。
  とにかく決勝トーナメント戦は、予選リーグとは全く違ったものとなります。それこそ一発ノック
 アウト、死力を尽くした戦いになることでしょう。
  全試合かたずを飲んで、見守ることとします。

     ◎ 第4回・くき健康ウオークin菖蒲 6/24(日) 菖蒲地区内コース


   左
 しらそぎ公園付近を
  行く参加者

   右
 私が担当した
  チェックポイント



  梅雨のまっさい中とて心配された天候もまずまずの中、第4回・「くき健康ウオークin菖蒲」が
 菖蒲総合支所のすく近くにある、「農業トレーニングセンター」駐車場をスタート・ゴールとする
 8Kmコース、5Kmコースで行われました。この大会は平成27年に始まり、久喜→鷲宮→栗橋
 と会場を移して行われてきました。主催は久喜市と久喜市教育委員会、体協・レク協・スポーツ
 推進委等で、実行委員会が構成されています。
  コースは「農業トレーニングセンター」をスタート、菖蒲文化会館(アミーゴ)→ラベンダー咲く
 「しらさぎ公園」を経て、菖蒲中学校で左折、農道をまっすぐ南進、途中で5Kmコースと別れ
 圏央道をくぐっていったん白岡市内に入ります。同市立大山小学校に沿って、魚釣りで有名な
 「柴山沼」を左に見ながら西進、「稲穂通り」を超え「見沼代用水」まで来ます。珍しい川の立体
 交差・「柴山伏越」で、「見沼代用水」沿いのサイクリングロードに入り、後はここをまっすぐ
 約3Km歩いて、ゴールというコースです。なおこの「見沼代用水」沿いのサイクリングロードは
 我がスポ少ロードレース大会のコース、なじみのあるところです。
  私は「しらさぎ公園」に置かれた最初のチェックポイントを担当しました。事務局に「トイレの
 あるところ」!と要望したからです。年寄りはつらいよ、というところです。ここは総合支所の
 すぐ裏手、「アミーゴ」にも近く、菖蒲地区住民の憩いの場所です。ラベンダーも整備され
 よいところです。ただスタートして1Km弱、ウオーカーが一斉に来たため、チェックのハンコ
 押しが大変でした。ハート形の可愛いハンコで、参加者には好評でした。その参加者は
 300名弱というところ、今まででは1番少ない参加者でした。やはり梅雨時ということと、交通
 利便性の関係でしょうか。
  ごった返したチェックが終わると、早や役割終了ということです。ゴール地点まで(徒歩で)
 戻り、5Kから10Kとゴールする皆を迎えました。
  さて来年はまた久喜地区へ戻ることになります。大切なことは老若男女を問わず、特に
 高齢者の体力維持に有効なウオーキングを振興すること、今までの4つのコースに表示板
 等整備し、パンフレットでも作って、広く市民にPRすべきです。そのことが健康寿命の向上
 につながるのではないでしょうか。

     ◎  ロシア・ワールドカップに思うこと―Ⅱ―  6/12(火)

  ここでは―Ⅰ―に続いて、いよいよ日本の成績、優勝予想について考えてみます。
 まず日本チームの予想です。ちょっと考察するのがおっくうなくらい、悪い状態に陥っています。
  アギーレ監督、ハリルホッヂ監督と来て、本大会出場を勝ち取ったにも関わらず、直前に西野
 監督に交代しています。「選手とのコミュニケーション不足」を理由に挙げています。国際的に
 サッカーの世界で監督交代はよくあります。問題はあくまで結果ですが、少なくとも現時点までは
 一向に良くありません。ガーナ、スイスと共に0-2で完敗、ベテランばかりに頼った選手選考を
 ふくめ、明るい希望は全く持てない状況です。何度も言いますが、戦いは結果です。とにかく
 結果はよかったといえるよう、祈るばかりです。
  さて日本はHグループ、対戦相手は、第1戦 コロンビア19日(火)、第2戦 セネガル24日(日)
 第3戦 ポーランド28日(木)です。この中で2位以内が、決勝トーナメントに進出します。
  大会組み合わせが決まった時、思わず絶句しました。全部強いチーム、実力的に日本の勝てる
 相手ではありません。
  まず初戦のコロンビアです。かって私が大好きだったMF・バルデラマや、FW・アスブリージヤ
 等を擁した頃以来の、第2次黄金期を迎えています。MFのロドリゲス、FWのファルカオは世界
 トップクラス、前回大会のグループリーグ最終戦で、コロンビアがメンバーを落としていたのに
 完敗したのが思い出されます。しかし初戦で負けたらグループリーグ突破は、まず不可能となり
 ます。なんとしても引き分けを望むものです。
  続いてのセネガル戦です。3チームの中では低いとはいえ、一番勝つ可能性のあるチーム
 です。しかし体は大きく、身体能力はすさまじく高い。マネ、ケイタ両FW のスピードは破壊的と
 言えます。またアフリカのチームには珍しく、クリバリを中心にデイフエンスも強いものがあります。
 しかしグループリーグ突破には、何としても勝たねばならない相手です。
  最後のポーランド戦です。最近は東ヨーロッパでは最強のチームです。その原動力は世界を
 代表するFWの1人、レヴァンドフスキです。「バイエルンミュンヘン」に所属し、今年のブンデス
 リーグでも断トツの得点王、ちょっと止めることは不可能と思われます。
  以上常識的には3試合とも勝てそうにありません。3敗か1分け2敗というところです。あるマス
 コミの読者予想で、88%の人がそう答えていました。スポーツ種目の中で一番番狂わせが少ない
 のはラクビー、逆にサッカーは比較的多いといわれています。8割以上押され、20本シュートを
 打たれ、 2本しかシュートを打てなかったのに、その1本が入って勝った、なんて事がよくあります。
 初戦のコロンビアか、トーナメント戦進出を決定して、メンバーを落としたポーランドどちらかに
 引き分け、セネガルに勝って、何とか1勝1敗1分けで、決勝トーナメントに進出してもらいたいと
 これはもう、祈るような思いで願っています。 吹け!神風!

  次に優勝予想です。Hグループまで8ブロック、上位2チーム、計16チームでトーナメン戦トが
 行われます。私の予想ではドイツ・ブラジル・スペインが3強です。ベスト8は左ゾーンからは
 1・ウルグァイかポルトガル、2・フランス、3・ブラジル、4・ベルギーがコロンビア、右のゾーン
 からは5・スペイン、6・アルゼンチン、7・ドイツ、8・イングランドかポーランドです。そして
 ベスト4はフランス、ブラジル、スペイン、ドイツと思われます。ここまでくると絶対的エース
 ポルトガルのロナウド、アルゼンチンのメッシ、ポーランドのレヴアンドフスキの存在よりも、層の
 厚さも大きな意味を持ってきます。準決勝戦フランス―ブラジル戦はブラジルと思われますが
 スペイン―ドイツ戦は分かりません。ドイツは全員の役割が決まっており、それを正確にやります。
 強いことは前回大会で織り込み済みです。ただ私はこのサッカーはあまり好きでなく、スペインの
 勝利を願うものです。スペインが華麗にバスを回し、ドイツががっちり守る、結果はドイツがやや
 優勢というところでしょうか。決勝戦はブラジル―ドイツが7割、ブラジル―スペインが3割の割合
 ブラジルは今大会、ネイマールだけのチームから脱却、前回大会の雪辱をぜひ果たしてもらい
 たいと個人的には考えています。
  いずれにせよドキドキハラハラ、胸を締め付けられるような1カ月が間もなく始まります。
 

  ◎ 市スポーツ少年団母集団講習会 6/10(日) 菖蒲農業トレーニングセンター


  久喜市スポーツ少年団の平成30年度・「母集団講習会」を、菖蒲農業トレーニングセンターで
 開催しました。毎年「鷲宮西コミセン」でもっていますが、今年は取れなかったためです。不慣れな
 会場とて、ご迷惑をおかけしました事お詫びいたします。内容はいつもの通り、1部講演、Ⅱ部
 レクリエーション実技という内容です。今回講演の講師は県本部員、草加市本部長の「大野女史」、
 レク実技指導はいつもの、久喜市レク協理事長「朝武氏」でした。
  ところでスポーツ少年団は、少年団ならではの用語があります。「母集団」とはその最たるもの
 そして多くの誤解を与えています。ほとんどの人は読んで字のごとく、「母の集団」、要するに
 団員の母親たちの集団と思っています。そんなところから、少年団では母親の活動への参加=
 義務化・強制がある、と考えられています。最近の少年団活動の低迷は、こうしたことを嫌う
 今の若い母親たちの心情もその原因の1つ、とさえ言われています。しかしチョット違うのです。
  「母集団とは、団員の母親たちの集団」ではなく、「母親のような愛情で少年団を育ててくれる
 人たち」を言うのです。広い意味で言えば、指導者も母集団、母集団も子供たちにとり指導者
 なのです。今久喜市はすべての小中学校に、コミュニティスクールが導入されています。また
 日本一ともいえる規模で「放課後子供教室」が展開されています。ともに政治を行政だけに
 子供の教育を学校だけに任せるのではなく、多くの地域住民の参加で推し進めていこう、との
 考えに立っています。スポーツ少年団は、スポーツを手段として子供たちの健やかな育成を
 図っていく活動です。それを多くの地域の方々の参加を頂いて保証していこうという活動です。 
  事実久喜市のスポ少においては強制・義務付けはしていません。最も「まして団員の親に
 おいては」という考えが若干あります。疑問の方はどうぞ本部までお問合せください。
  今日の講師・大野さんは(-写真・左-)先の肩書と同時に、仕事をお持ちの母親であり、
 ミニバス少年団の団長兼コーチです。その辺はよくお話なされたと考えます。(岸はやむをえぬ
 事情で遅刻、1/3弱しか拝聴できませんでした。)
  朝武氏のレク実技指導は定評があります。(-写真・中・右-)参加者は楽しく、1時間強の
 レクに興じていました。間もなく各団は夏の野外行事を迎えます。今日のそれを子供たちとの
 楽しい時間に、役立ててくれることを望むものです。
  今年の少年団は通常の活動となりますが、来年は本部10周年の年、記念事業と日独同時
 交流が待っています。当然多くの人たちの参加と協力を頂いて、これを成功させます。

役員を辞しました。平成30年度県スポ少代議員会 6/9(土) 県体協会議室

  本日14時より、県体協本部が置かれる上尾市の「総合
 スポーツセンター講堂」において、平成30年度の埼玉県
 スポーツ少年団代議員会=総会が開催されました。私に
 とってこの代議員は、本部長代行として全体を仕切ると共に
 年齢制により、長く務めた県本部役員を辞するものでした。
  開会に先立ち、県本部を代表して挨拶しました。まず短い
 期間でしたが、本部長職務代理という大役を、大過なく
 過ごさせて頂いたお礼を述べた後、県スポーツ少年団の
 状況として、①団員数減少化傾向に歯止めがかからない事
 ② 倫理委員会を発足させた事、③指導者養成制度が変わる
 事をお話し、最後に2年後と迫った少年団を生んだ、東京オリンピックの準備に関わる過程で
 少年団の再生を図っていきたいこと、その第一歩を本代議員会の成功をもって、歩み出して
 頂きたいとしました。
  私が議長となり、議事が進行しました。1・平成29年度事業報告並びに決算について、2・平成
 30年度事業計画並びに予算について、共に満場一致で承認されました。事業は種目別県大会
 日独同時交流、指導者・リーダー養成事業、国内交流大会事業等、29年度には関東ブロック
 種目別交流大会がありました・会計規模は両年共ほぼ7、000万円、29年度が関ブロ種目別
 大会のプログラム分だけ高額となっています。収入内訳は、両年度共に県費補助金1、000万円、
 日体協補助金1、100万円、登録費4、300万円、参加料760万円となっています。
  30・31年度の役員選出に移りました。まず正副本部長の選出です。選出方法を求めた
 ところ、「本部案はないか」との提案があり、他になかったため過日本部員会で決定した「案」
 をお示ししました。この人事案件は私が座長の「推薦委員会」で協議、本部員会の了承を
 頂いたものです。満場一致でご決定を頂きました。
  本部長 尾崎豊氏  副本部長 宮澤達三氏・長谷川司氏・関根剛氏・七五三和孝氏です。
 この時点で私が辞任役員を代表してあいさつし、その後の進行は尾崎新本部長と交代、学経
 本部員、地区代表本部員を選出、閉会となりました。

  私は宮田県2代目本部長の最後の1年に副本部長となり、藤沼本部長時4期8年、佐藤
 本部長に2期4年、計13年副本部長を勤めました。その前に「本部員」を10数年勤めました
 ので、30年程県役員を務めたことになります。この間50周年をはじめとする記念事業、
 何回かの関東フロック競技別大会、バレーボール、剣道等の全国大会と、多くの事業に参加
 させていただきました。スポーツを愛し、子供を愛し、その健やかな育成に限りない情熱を
 燃やす、多くの仲間との交友の時間を持たせていただきました。楽しく充実した30年間でした。
  最後には本部長代行まで経験させていただき、私にお寄せいただいた県スポ少関係皆様の
 ご厚情に心よりの御礼を申し上げます。ありがとうございました。
  久喜市本部長の任期はアト1年ありますし、その翌年は市スポ少の10周年記念事業と
 私にとり2回目の「日独同時交流」が待っています。もうしばらくは頑張ることとします。
  でも4月の議員辞任に、今回の県本部役員辞任と続き、どこかにぽっかり穴が開いた感じ
 は否めません。何年か前から覚悟していたこととはいえ、寂しいものです。

       ロシア・ワールドカップに思うこと―1―  6/5(火) 

  ワールドカップ・ロシア大会の開幕が近づいています。すでに日本代表チームも出発、19日の
 開幕戦(対コロンビア)を控え、テストマッチを行いつつ、間もなく現地のベース地に入ります。
  出場を勝ち取った監督が突然解任されたり、代り映えのしないメンバーが選ばれたり、テスト
 マッチでの出来が悪かったりと、日本代表チームの前評判は散々、一向に盛り上がりをみせて
 いません。しかしサッカーに50年を超えて関わり、この大会をずっーと見続けて来た者として、
 胸が締め付けられるようなワクワク感と共に、開幕を待ちこがれています。

  私は長く久喜市サッカー協会の会長を勤め、またいくつかのサッカー少年団を創設した者と
 して、久喜市でサッカーを代表する人間のように思われています。しかし一度もサッカーを正式に
 やった人間ではありません。本H・P「私のプロフィール」にも記してありますが、高校時代から
 スポ少活動を始めるまで、結構山に登っていました。大学生の時、山登りのトレーニングにでも
 と思い、久喜中校庭で顔なじみの野球クラブのメンバーが、冬のトレーニングとしてサッカーに
 興じていたのに出くわし、「僕もやらして」とプレーしたのがきっかけでした。「サッカークラブ」と
 して独立し、一番時間があるという理由だけで「代表」を押し付けられました。クラブは瞬く間に
 東部地区の強豪になりましたが、メンバーが12人そろうと「代表だからやめることはない」と
 試合に出られないありさまでした。そんな私が以来50年を超え、サッカーにのめりこんできた
 のですから、何にとも不思議な話しです。

  「ワールドカップ」という大会は来年、日本で開催される「ラクビー」他、いくつもあります。しかし
 普通に「ワールドカップ」という場合、オリンピックと並んで世界最大のスポーツイベント、むしろ
 テレビ視聴者数その他で、オリンピックをも上回るサッカー大会を指します。国際サッカー連盟
 (FIFA)が主催、1930年に始まり、今回で21回を数え、オリンピックの中間年に行われます。
  そんな「ワールドカップ」に関心を持ち出したのは、1958・昭和33年「スエーデン大会」頃
 からです。日本におけるサッカー普及度は低く、新聞スポーツ面でも片隅で報じる位でした。
  1962年の「チリ大会」と連続してブラジルが優勝、あの「ペレ」が神業的プレーで大活躍した
 のでした。1964年「東京オリンピック」が開催され、日本は強豪アルゼンチンを破るなど活躍
 第一次のサッカーブームが起きました。前記私のサッカークラブが誕生したのもこの年です。
  だから次の1966「イングランド大会」からは、専門誌を買いあさり、自己流の予想を立て
 やっと放映されるようなったテレビは全部見て、熱中してきました。
  この「イングランド大会」はサッカーの母国・イングランドが初優勝を果たしました。史上最高の
 ミットフィールダーといわれる、「B・チャールトン」と、西ドイツの「ベッケンバウアー」が決勝戦で
 渡り合った大会です。
  以来放映される試合は全部見てきました。全ての大会、驚愕すべきプレーは鮮明に記憶に
 残っています。1970メキシコ大会のブラジル、翌1974西ドイツ大会の西ドイツ、前回2014
 ブラジル大会のドイツは圧倒的に強かったです。1974アルゼンチン大会での「マラドーナ」の
 あのドリブルシュート、2010南アフリカ大会でのスペインの魔法のパス、前回ブラジル大会の
 開催地でサッカー王国ブラジルのドイツへの大敗等々、鮮やかによみがえります。
  所でサッカーの後進国、わが日本は1998年フランス大会に初出場、今大会で6回連続
 出場しています。2年近くかけて行われる予選は大変厳しいものがあり、そうした意味では
 評価できなくもありませんが、どうも本番のほうは今一つといえます。1194アメリカ大会への
 初出場を決めた「ジョナルバルの歓喜」にも、その前回大会への「ドーハの悲劇」にも涙を
 流した者として、何とか3度目の決勝トーナメント進出を願ってはいますが……。

  日本は予選リーグを突破できるのか、優勝はドイツの連覇?、ブラジルの雪辱?と思いを
 めぐらしていきますが、長くなりました。―その2―に譲ることにします。

 ◎平成30年度・日本スポーツ少年団本部委員総会6/2(土) 渋谷シティガーデン 
  私は先に平成29年度・日本スポーツ少年団委員総会に出席、
 報告しています。(―本ページ3/6日付―) その中で「最初
 にして最後の委員総会」としましたが、本日平成30年度の
 第1回委員総会が開催され、県本部を代表し出席しました。
 確かにわたくしの任期は来週の今日まで(9日)、お許しを頂き
 ます。会は全国各地からの委員(基本的に都道府県本部長)
 の出席の下、坂本日本本部本部長挨拶(―写真―)、そして
 本部長の議長で進められました。 

  29年度と30年度に関わる行事・会計、全国大会について等5議案、3報告、その他です。
 29年度決算ですが、収入支出ともに5億2、864万2、454円、登録料が60%強の約3億
 4、900万円、参加費約8、100万円、日体協からの補助金等が約9、900万円となっています。
  支出は指導者養成等に約9、000万円、全国大会等国内交流事業に約8、300万円、日独
 等国際交流事業に約6、200万円、各都道府県本部への補助金が最大の約1億2、400万円
 となっています。
  30年度に関するものです。活動計画は4ページにわたる、膨大なものが提示されましたが
 予算に関しては「要望予算の編成について」の表示のみで、具体的なものは提示されません。
  次に今年は2年に1度の役員改選期に当たります。本部長及び副本部長候補者選定委員会
 が設置されました。わが埼玉県では私がこの座長になり、すでに会議を終えています。日本
 本部のそれは現役員はすべて除かれ、外部の人間によってのみ構成されます。日本スポーツ
 協会常務理事、バレーの「ヨーコ ゼッターランド」さん他が推薦されました。
  日本本部は本部長1名、副本部長3名体制です。本部長は現在は埼玉県東松山市の坂本
 祐之輔氏、かっては サッカーの長沼健氏、新日鉄の藤井丙午氏、防衛大臣の栗原祐幸氏
 等々がついておられました。副本部長は東西ブロックの本部長から各1人、わが埼玉県の
 高橋庄二郎、宮田守男両氏も東日本地区代表として、この枠で副本部長を務めています。
  もう1人はいわゆる学経、女性が優先され、このところテニスの沢松女史、ソフトボールの
 宇津木女史等がつかれていました。
  全国大会の開催地、特に剣道とバレーボールについて協議しました。なかなか開催地と
 して名乗りを上げる都道府県本部がないとのこと、全国大会の在り方の再検討を提案
 する委員もいました。
  スポーツ少年団登録者処分基準に基づく処分が報告されました。埼玉県も久喜市も
 すでにこれに関する組織=「倫理委員会」を発足させています。県の役員等が対象と
 なる場合、公平性の視点から日本本部がこれを行います。こういう事が多くあるのでしょうか、
 イヤなことです。
  最後に指導者の資格に関することです。長い時間をかけ、「全国指導協」で協議されており
 最終段階に入っています。今までの「スポーツリーター兼少年団認定員養成講習会」から
 日本体育協会指導者養成制度に基づくものへ変更となります。今までの認定員は「スタート
 コーチ」として認定されます。新たなカリキュラム、テキストの作成、資格登録料等をこれから
 煮詰めることとなります。が新制度への移行は32年度からと、お尻が切られています。
  極めて深刻な問題です。勉強を進めていきます。来週の今日6/9が県の本年度総会です。
  30年余の県役員生活にピリオドを打つことになります。少年団を取り囲む状況が厳しさを
 増す中残念な気がしますが、仕方のないことです。久喜市の活動に専念することとします。

 平成30年度・久喜マラソン大会実行委員会総会 5/30(水) 菖蒲コミセン

 
 本年度で第4回を迎える「よろこびのまち久喜マラソン大会」実行委員会の、平成30年度
 総会が、30日菖蒲総合支所4Fの「菖蒲コミュニティセンター」で開催されました。私が今年
 3月の第3回大会を欠席したことは報告してあります。来週土曜日の県スポ総会をもって
 30年余務めた県役員も辞することになります。2度とこんなことはありませんので、再度お許し
 をいただきます。
  さて総会は梅田新会長あいさつの後、竹下副実行委員長議長の下進みました。
  第3回大会は最終エントリー4、945名、出走者4、196名(84・9パーセント)、完走者
 4、097名で成功裏に終了しました。ただランナーたちの情報ネット「ランネット」の参加者
 評価では、機械のトラブルにより記録証が当日発行できなかったことはともかく、シャトルバス
 の件、距離表示の件で苦情が寄せられ、現時点での総合評価60・8点と、去年に比べかなり
 低いものとなっています。一考を要すると思われます。
  平年29年度事業報告、収支決算、30年度事業計画、収支予算いずれも満場一致で承認
 されました。予算規模は2、600万円、収入内訳は参加費1、170万円、補助金975万円、
 賛助金450万円となっています。支出は計測・警備・シャトルバス等委託費が1、530万円、
 参加品・飲料等消耗品費が650万円他となっています。
  事業計画ですが、今まで同様11月1日より募集を開始、来年2月にボランティアスタッフへの
 説明会を持ち、3月最終日曜日=24日に本番を迎えます。種目、定員、コース等は一応従来
 通りですが、警察等関係機関との協議により、修正を行うこともあります。 
  大会役員ですが、会長が新市長に変わった他は全員留任、私も引き続き運輸部門担当の
 副実行委員長として委嘱書をいただきました。
  この大会も定着してきた感があります。マンネリに陥ることなく、多くの参加者に愛される大会
 として、さらなる充実を目指し頑張ってまいります。
 

    ◎ 久喜市綱引連盟平成30年度総会 5/26(土) なごみの湯 

  私が昨年度から会長を務めている、「久喜市綱引連盟」の今年度の総会を、「森のせせらぎ
 なごみの湯」で開催しました。何度か記してきました。埼玉県内で久喜市が発祥の地である
 スポーツ種目は2つあります。「綱引」と「ミニテニス」です。両者に関わりあえたことをうれしく
 思うものですが、「綱引」のそれは昭和58年です。埼玉県では最初の「審判員養成講習会」を
 開催、当時「ニッシンカップ」と呼ばれた「県大会」を、2年続けて久喜市で開催しました。
   これに自信をつけ、昭和60年=1985に「久喜市綱引大会」を開催するに至ったのです。
 以来30年を超え、参加者1、200名を優に上回る規模での、大会を継続してきたことに
 誇りをもつものです。
  これも何度か記してきましたが、「綱引」は大衆化しえない競技種目です。普通の人が2本も
 まともに引いたら、吐気を催すほど激しいものです。逆に1人のヒーローも、1人の弱者も
 生まない究極の団体(コミュニティ)スポーツなのです。だから多くの愛好家を生み、組織を拡大
 する、ということより、市民体育祭や子供たちを中心とした大会が、この種目の性格に合って
 いるといえます。そして久喜市の「綱引連盟」は、まさにそうした活動を行ってきたのです。

  だから会員は決して多くありません。20名です。予算規模も少ないです。「久喜市綱引大会」
 は、市と市教委の共催事業だからです。だから「総会」はスムーズに終了、その後の懇親会に
 多くの時間を費やしました。ただ会員の高齢化が気がかり、毎年少しでも若手活動家の獲得
 を図っていきたいと考えています。
  夏休みが終わるころから準備をはじめ、11月は連日、講習会と称する綱引指導に費やす
 ことになります。それはそれで楽しみですが。 

     彩の国プラチナキッズ推進委員会 5/24(木) さいたま共済会館

  埼玉県は、県体育協会に委託、「日本スポーツ振興センター」や、「日本オリンピック委員会」
 等の協力をいただき、「埼玉県ジュニアアスリート発育育成事業=彩の国プラチナキッズ発育
 育成プロジェクト」に取り組んでいます。この事業は平成23年に始まり、今年で8年目に入り
 ます。要するに運動能力の優れた小学校4年生30名を選抜、5年生・6年生と3年間、発育
 育成プログラムを体験させ、将来の埼玉県(日本)のトップアスリートを、誕生させることを
 目的とした事業です。
  この事業を推進するため、「推進委員会」が組織されています。委員長は県体協副会長で
 専務理事の三戸先生、わたくしは長くご指導をいただいています。副委員長は県体協スポーツ
 科学委員長、委員に行政の方、体協選手強化対策委、小体連会長等がおられ、県スポ少本部
 も委員構成団体となっています。本日、かって体協本部が浦和に置かれていた頃、「本部員会」
 で良く使った「さいたま共済会館」で、30年度第1回推進委員会が開催され、私としては最初で
 おそらく最後になる会議に出席しました。
  小学校4年生・10歳位の子供たちは「ゴールデンエイジ」と呼ばれ、この年代になると、脳・
 神経系の発達が完成に近づきます。動作の習得に対する準備が整い、競技力向上に必要な
 あらゆる能力を、身に付けられる最適時期とされています。プロジェクトは県内小学生4年生を
 対象に広く募集、1次(走・跳・投の基礎運動能力)と、2次(プラスして敏捷性・持久性・瞬発力等)
 にわたる選抜テストに基づいて、基本として30名(男女ほぼ半数ずつ)を選出します。応募者は
 今年は1、258名、41・9倍というのですから恐れ入ります。
  4・5・6年生と3年間、プログラムにのっとり、様々なスポーツ種目を体験します。基本的に
 中学校部活動にはない種目、ボート、自転車、アイスホッケー、アーチェリーから馬術、ライフル
 射撃まであります。3年間のプログラムを終えた子供たちが、どこの中学・高校に進み、何の
 競技をやっているのかという追跡調査もあります。
  事務局からの報告を聞き、育成プログラムへの委員の意見の際、私は押し黙っていました。
 埼玉県体育協会のスローガンは、「まず参加 楽しくスポーツ みんなが主役」というもの
 です。少年団はこのスローガンに立って、団員みんなが楽しくスポーツ活動に親しみ、生涯
 スポーツの基礎づくりを、の考えに立っています。このプロジェクトは、40倍を超す倍率を突破
 したエリートたちの、将来のトップアスリートを育成するものです。少年団の理念とは相い入れ
 ないものと言えます。 かろうじて多くの種目を経験させ、競技力向上に役立つ能力を伸ばすと
 いうプログラムに救いがあるといえます。最も最近の少年団も、小さい頃からの単一種目、
 そして技術・競技力の向上が前面に出ています。長く少年団にかかわってきた者として悲しい
 ものです。
  このプロジェクトの途中経過です。プロジェクト発足8年、卒業生はまだ高校2年生が最高
 年齢です。国際大会出場2名、国内大会では上位入賞者が結構いるとのことです。委員長は
 このプロジェクトは、最低30年のスパンで考えているといっていました。全ての組織の目的は
 「質と量」、組織の拡大と、質=競技力の向上は至上命令です。少年団が異常といえる
 です。と言い聞かせて納得することにします。
  閉会後三戸委員長に、あと2週間で役職を辞すること、長くご指導いただいたお礼を申し上げ
 ました。

  ◎ 平成30年度久喜市スポーツ少年団体力テスト 5/13(日) 市内各会場

 
 G・W最終日が「総会」、明けて第二日曜日が「体力テスト」
 というのが少年団のお決まりの日程です。今日も市内各
 小学校会場で、一斉に体力テストが行われました。
  私は朝食を取った後、三会場を回ったのですが、皆すでに
 終了しており、太田小のみで、最後の実施科目で校庭でやる
 「5分間走」、それも最後の団の最後のグループ、最後の
 2周くらいを見ることができました。それが左の写真です。
 

  毎年40年以上継続していますから、慣れている、スムーズに運営されている、といえない
 こともないのですが、やはりどこも参加者自体が少ないのです。さびしいかぎりです。
  少年団の目的はまず健康な身体の育成にあります。バランスの取れた体力の持ち主に、と
 いうことです。そこであらゆる活動の中で「体力テスト」を最も重視、義務としています。
  少年団の体力テストは、学校で行う「新体力テスト」ではなく、「運動適正テスト」です。器具も
 いらず、簡易に行えるからです。この「運動適正テスト」はわずか5種目で成り立っています。
  ①立ち幅跳び、②上体起こし、③腕立て伏せ臥腕屈伸、④時間往復走、⑤5分完走です。
  わずかこれだけで、体力の3要素1・発現力(体力を起こす)、2・調整力(体力をコントロールする)
 3・持続力(体力を続ける) の各要素である、筋力、パワー、柔軟性、敏捷性、筋持久力、全身
 持久力といったものを、それなりに図ることができます。
  指導者に求められるのは、1・体力テストを正しく実施する、2・結果から体力を正しく判定する
 3・そこから処方箋を導き出し、そのプログラムを実践する、となります。
  礼儀・挨拶といったもののほかに、体力面でも少年団はやはり違う、と言われるよう頑張って
 頂きたいと考えます。
  体力テストの日の夜はもう1つ楽しいことがあります。これは市内で唯一太田小地区のみです。 
 各少年団指導者・母集団が一体となり、学校の校長・教頭・教務主任、そして私までお呼び
 頂き、懇親会=意見交換会を開催するのです。合併前から、もう10年以上続いています。
 学校側ともよき情報交換の場となります。この夜も楽しいひと時を過ごさせていただきました。
  太田小地区少年団関係者に敬意を表します。
  

平成30年度・第29回久喜市レクリエーション協会総会 5/12(土) 中央公民館

  
12日、本年度の「久喜市レクリエーション協会総会(評議員会)」
 
が中央公民館において開催され出席しました。私とレク協との
 関係は、本ホームページ「プロフィール」のページに記してあり
 ます。平成7年議員に立候補するまで、23年間「体育指導委員」
 (現スポーツ推進委員)にあり、ちょうどその後半半分責任者の
 立場にありました。当時将来の高齢化社会に対応、各種新・軽
 スポ・レク教室に熱心に取り組み、それを通して、多くのレク団体
 を組織化しました。

  しかし当時「レクリエーション協会」はなく、またレク団体の「民踊」、「フォークダンス」といった
 団体が、「久喜市体育協会」に加盟していました。組織化には大変苦労しましたが、私が設立
 準備委員長を務め、体協との融和を図る意味からも、体協会長、民踊連盟会長であった故斎藤
 八重子氏を会長にお迎えし、私が副会長、現在もレク協運営の中心にある朝武氏を理事長に
 おいてのスタートでした。何せ年度途中でしたから、当時の県レク協会長で、県スポ少副本部長
 故丸山氏に無心し、そのお祝い金を運営費にした思い出があります。平成2年のことでした。
  私はその後10年間副会長を務め、レク協10周年記念事業の際、特別表彰を頂き、その職を
 辞しました。その後役員のお取り計らいで、「学系理事」のお役を頂き今日に至っています。
  また昨年「綱引連盟」の会長に就任、レク協構成団体の長としてもあります。

  その後「レク協」は、多くの団体にご加盟を頂き、大きな組織に成長、隆盛を誇った次期が
 ありました。しかしここ10年近く前から次第に衰退、今、低迷状況にあるといえます。
  その1つは「グラウンドゴルフ協会」、「太極拳連盟」といったレク協加盟有力団体の脱退、
 体協への逆加盟にあります。これは県の上部団体の問題、「県体協」加盟のほうが、
 「県レク協」加盟より、国体部門への参加、施設の利用等で有利なためです。
  もう1つはお定まりの加盟各組織員の高齢化という点です。長く各組織の運営の中心を担った
 指導者が引退、人数、活動量の減少を余儀なくされています。少年団の少子化からくる活動
 低迷と同じものですが、いくつかの組織においては、危機的状況を呈しています。

  今総会においては提案された議案が全て承認され、30年度活動への第一歩を踏み出しました。
 それにしても相変わらずの低額会計状態です。総予算が約70万円です。市からの補助金が
 40・5万円、県レク協からの助成金が4・8万円です。我がスポ少は総額約450万円、市から
 186・5万円、県からは約50万円です。最もスポ少は子供・指導者1人1人からの登録費
 収入約150万円がありますが。(これがスポ少の特色であり強み、体協にもありません。)
  市からの補助金は、平成22年の合併の際、各団体への補助金を1市3町分合計して支出
 したためです。体協・スポ少は4市町にあったため合計され、レク協は旧久喜市しかなかった
 ため、据え置かれたのです。県レク協からの助成金4・8万円とありますが、逆に負担金
 4万円を支払います。実質0・8円ということです。
  よくこれだけの金で運営できるものと感心します。県レク協から実質0・8万円の助成で
 よく各市町レク協から不満が出ないものと、これまた感心します。私たちは人間の生きる喜びを
 り・クリエートするため、レク活動に親しみ、組織を作り、レク協に加盟しています。金の問題
 だけではありません。しかしより良い環境の中で、レク活動が出来るよう努力するのは、役員の
 役割です。私は久喜レク協を組織し、補助金0からスタート、死ぬ苦しみで40万円までもって
 きました。今の財政状況で補助金を上げるのは至難の業です。しかし何らかの努力を
 レク協役員各位に求めるものです。

平成30年度第8回・市スポ少本部定期総会 5/6(日) ふれあいセンター久喜

  G・W最終日は「久喜市スポーツ少年団本部定期総会」の日と
 なっています。今年も「平成30年度・第8回」の定期総会を
 「ふれあいセンター久喜」で開催しました。
  少年団は、全国・県・久喜市ともに、少子化からくる児童数の
 減少、プラス児童の生活様式、さらに言えばスポーツ行動の
 持ち方の多様性から、団員数の減少、長期低落化傾向に歯止め
 を打つことができない状況にあります。

  しかし31年度の久喜市とスポ少本部の10周年記念事業、32年度の他ならぬスポ少を生んだ
 2回目の東京オリンピックを準備する過程で、しっかりと活動を展開、活動の活性化を図って
 いきましょう、私は開会の挨拶でこう申し述べました。
  提案した29年度の報告・決算、30年度の予定・予算全て満場一致で承認頂きました。
 今回はその他に、「倫理委員会発足」に関する、「本部規約一部改訂」他の議案も了承頂き
 ました。すでに県本部では昨秋発足しており、市町村段階では、久喜市が第一号と思われます。
  この件の県本部プロジェクトの責任者だった者として、まずはほっとしています。

  閉会後ご出席を頂いた梅田新市長、柿沼教育長、石川県議よりご祝辞を頂きました。ありが
 とうございました。もう何度も記してきましたが、私は6月の県本部本年度代議員会(総会)で
 30年間に及んだ役員に終止符を打ちます。市本部は今年役員任期は中間年、少なくとも
 来年の今日までは本部長を務めます。来週は体力テスト、月末はごみゼロ運動、来月に
 入って母集団講習会、そして各種目別大会と行事が目白押しです。頑張ってやっていきます。

  ◎ 川内優輝選手ボストンマラソン優勝報告会 4/30(月・祝) 中央公民館
 









  30日18:00より、「久喜中央公民館大集会室」において、先のボストンマラソンにおいて
 1987年(昭和52年)世古利彦選手が優秀して以来、日本人として実に31年ぶりの優勝を
 果たした、久喜市在住・久喜市観光大使「川内雄輝」選手の、「優勝祝賀会」が開催され
 参加しました。主催は「久喜市を市民ランナーの聖地化プロジェクト=理事長・川内選手の
 お母さん」です。会場は立ち見まで出る大盛況、約250人と思われます。時間ギリギリに
 入った私も当然ずっーと立ちっぱなしでした。
  先ずプロジェクト理事長・川内選手のお母さんが挨拶、続いて梅田市長、石川県議祝辞と
 続きましたが、次にサプライズゲストとして「谷川真理」さんが挨拶されました。谷川真理さんと
 川内選手とは親交が厚く、「寒さ・雨・風」という天気予報を知らせたところ、「良い天候」」との
 川内選手の返事をもらったとの、内わ話をしていました。(―写真・左―)
  そのあといよいよ川内選手が登場、実に30分を超す長い報告をしました。川内選手は
 今回のボストンマラソンが、フルマラソン出場81回目になるそうです。過去の記録から
 「暑さに弱い」とされていました。逆に寒さ、風等には強いと話されました。学連選抜で
 箱根駅伝を2回走っており、2回とも山下り、スタート時は2~3度前後とのことでした。
  また過去寒さの長野マラソンでも優勝しているそうです。他の選手がタイツスタイル、
 昨年大会優勝で、優勝候補筆頭ケニア・ジョフリー・キルイ選手もウィンドブレーカー
 着用でしたが、川内選手はウオームアームのみの通常スタイルでの出場とのことでした。
 でも参加選手中持ちタイムは11位、現実では8位内入賞を狙っていたとのことでした。
  予想に反してのスタートダッシュ、5Kでみんなに追いつかれてから先頭集団をキープ
 30K過ぎのキルイ選手のスパートでみるみる引き離され、一時は2分近い差がついた
 そうです。しかしキルイ選手のスパートがちょっと早すぎたこと、プラスこの天候から
 チャンスはあると考え、あきらめずに追い、40K過ぎで逆転、最後は2分25秒もの大差、
 2時間15分58秒のタイムで、優勝のテープを切りました。(―写真・中―)

  ボストンマラソンは世界最古の大会、そこでの粘りの優勝は賞賛に値します。長い間の
 「自分の走り」を追求してきたのが、この栄光を生んだのだと思います。 
  問題はこれからです。川内選手は、今後日本代表入りはしないと表明しています。しかし
 世古マラソン強化プロジェクトリーダーは「必要な選手、頼んでも残ってもらう」としています。
  東京マラソンは真夏のレース、日本代表選手には、「大迫、設楽」といったスピード選手が
 有力とされています。公務員ランナー・市民ランナーの、突然のプロ転向も含め、今後を
 注意深く見守っていきたいと思います。
  そのあとは昨年の久喜市民祭りの実行委員長、市民音楽家「砂川隆秀」氏作の、川内
 選手応援歌を皆で合唱しました。川内選手の過去の大きな大会出場には、その都度
 「壮行会」が開かれており、私も何度か参加しています。その折に聞いたことがありました。
 【風を切れ 突き進め 信じる道をただひたすらに 走り抜け その足で 強く大地を踏み
 しめて】 よき歌であり、楽しい時間を過ごしました。(―写真・右―)  

    ◎ 市スポ少体力テスト研修会 4/30(月・祝) 太田小体育館 

  
2日連続で素晴らしいしい五月晴れに恵まれた30日、太田小
 体育館で、少年団で団員が活動中に行う唯一の義務である
 「体力力テスト」(久喜市では毎年5月第2日曜日に実施)を正しく
 実施し、その結果を正しく判定するための研修会を行いました。
  少年団の目的は青少年の健全育成、バランスの取れた体力の
 持ち主へと、子供を育てる事にあります。「体力」は少年団
 にとって最重要課題としてあります。
以前は日体協による「体力
 テスト判定員養成講習会」を実施していたのですが、日体協は
 なぜかこの制度を廃止しました。久喜市は長く、すべての指導者は認定員と判定員の資格
 保持者に、を目的としていました。以前は6割近くの判定員を要していたのですが、このところ
 だいぶ減り、ために「体力テスト」の結果利用、運動プログラム実施が困難になっています。
 今回の研修会はその前の段階、体力テストの正しい実施、判定を習得するためのものです。
  「テキスト」がありませんので私が作成、「判定表」とともに受講者に配布しました。

  受講者は約30名でした。まず講義、私が体力テストの重要性、体力の概念、体力の3要素
 それを測定するための種々の体力テストについてお話ししました。私は昭和55年に判定員
 (テスター)、57年にインストラクター(指導員)の資格を得、長く県内各地で、体力テスト判定員
 養成の任に当たってきました。
  続いて少年団の体力テスト(運動適正テスト)の5種目について、説明しました。
 ① 立ち幅跳び、②上体起こし、③腕立伏臥腕屈伸、④時間往復走、⑤5分間走の5つです。
  わずかこれだけで、体力の3要素(発現・調整・持続)をそれなりに把握することができ、
 またメジャー、ストップウオッチ、ホイッスル、ビニールテープ等しか器具を用いない簡易性
 から、少年団では採用してきました。各種目の設定、判定等をお話ししてから、5分間走を
 除く4種目を、受講者に実際行ってもらいました。(―写真・立ち幅跳び―)

  受講者は熱心に取り組んでいました。正しく実施し、正しく判定し、その結果から体力診断
 運動プログラム作成と実践、とすすんでいくものです。今日の研修会では、そこまでは無理
 です。各自ゼヒ研修に取り組んでいただきたいと思うのですが、その機会がありません。
  改めて日体協のこの制度(体力員養成制度)廃止を、批判するものです。
   
   第35回 埼玉県スポーツ少年団 南埼地区軟式野球交流大会
                      4/29(日・祝) 久喜市総合運動公園多目的広場 









  久喜市・蓮田市・白岡市・宮代町で構成される、埼玉県スポーツ少年団「南埼野球連絡協議会」
 主催による、「第35回南埼地区軟式野球交流大会」が、今年度は久喜市が当番市とのことで
 総合運動公園多目的広場で開会式、他2会場で試合が行われました。
  少年団は市内大会→東部地区大会→県大会と進んでいきますが、私の若き頃の中体連等の
 大会は「東部地区大会」に代わって、「群大会」という重要な大会がありました。「南埼玉郡」の
 大会、だから菖蒲町・宮代町・白岡町(いずれも当時)は、私たちに大変なじみがあるのです。
  今回26チームが参加、久喜市14、白岡・蓮田各5、宮代2チームです。かって「北葛飾郡」
 に属し、南埼交流には関わらなかった栗橋・鷲宮両地区も合併後参加していますので、やはり
 久喜市のチームが多いです。
  G・W真っ最中、本当にさわやかな天候の下、開会式は行われました。野球部会独特のあの
 全員が掛け声を出し、手を大きく振っての行進です。(―写真・左―) 前年度優勝チームから
 優勝旗・優勝カップの返還(―写真・左2―)、大会会長挨拶(―写真・右2―)と続き、私が
 地元本部を代表し、「歓迎の挨拶」をしました。私はこうした形の交流大会が、少年団理念に
 一番合っている事を話し、真剣な勝利への戦いとともに、友好・交流の輪を広げていただく事を
 お願いしました。そのあと久喜市内5団の代表による団員綱領、「青葉エンゼルス」監督に
 よる指導者綱領朗読、同じくエンゼルス主将による「選手宣誓」
(―写真・右―)で、開会式を
 終えました。野球部会のこうしたセレモニーは定評がありますが、今日のそれは全部見事な
 ものでした。開会式には就任したばかりの梅田新市長も出席、始球式では、中学生当時
 鷲宮中野球部だったという、腕前を披露していました。
  ところで「南埼野球連絡協議会」会長は、白岡市本部長の野口氏です。野口氏と私は長きに
 わたり、県本部で一緒に活動してきた盟友です。あとひと月、6月の県本部総会において
 私と同じく定年退職されます。お互い長いこと頑張ってきました。野口氏の今後の変わらぬ
 地元での活躍、青少年育成の活動に期待します。お互い頑張っていきましょう。
 

 第3回スクール21カップ 県スポーツ少U-10サッカー大会総合開会式 
           
 4/14(土) 県営上尾陸上競技場










  平成30年度第3回・スクール21カップ 埼玉県スポーツ少年団U―10サッカー大会の総合
 開会式が、14日(土)県営上尾運動公園陸上競技場で開催され、大会会長として出席しました。
  この大会は県内サッカー少年団のU-10、いわゆる4年生以下の県大会として、3年前から
 開催されています。県本部主催・埼玉新聞社共催、スクール21(江ジュテックジャパン)の特別
 協賛をいただいてのものです。U―10として、学年を区切っての県大会は、埼玉県では唯一
 少年団としてはおそらく全国でも、他にないと思われます。
  サッカー少年団は種目別では、団数・団員数ともに最大の組織です。加えて特殊な性格を
 もっています。それは競技団体=サッカー協会の力が極めて大きく、サッカー少年団にも
 支配的といえるほどの、強い影響力を持っていることです。トレセン(選抜チーム)は、全ての
 市町村に組織されています。サッカー協会の4種(U-12=6年生以下)のみの登録チームと
 少年団が一体化され、4種リーグが組織されています。トップチームが参加する普通の
 県大会は年間何と5回あります。そのうち少年団だけの大会は1つ、1学校単位のサッカー
 少年団が、「レッズ」、「アルディージャ」といった、JリーグのU12のチームと同じ条件で
 大会を行うのです。こうして今県内の少年サッカーは、競技力の向上へ、Jリーグの選手
 養成へ、と流れているのです。こうした県少年サッカーを取り囲む環境が、ここ数年の
 サッカー少年団団員の急激な減少に、つながっているといえるのです。少年サッカーに
 すべての少年スポーツに大切なことは、育成です。サッカーを通して、スポーツを通して
 子供たちを健やかに育成するということです。U―10大会ははこうしたものとして組織化
 されました。部会すらなかったサッカーに部会を組織し、指導者に認定員の資格保有の
 義務化も実施しました。U―10大会実現に至るまでの、こうしたサッカー部会関係者
 田中前、小山現部会長を始めとする皆様に深い敬意を表します。 

  この大会は地区予選を、各地区の事情に応じ、6月~11月に実施します。そして12月に
 代表32チームによる中央大会が開催されます。今日の総合開会式は、その大会参加予定
 (U―10ですから、今後団員は結構増えます。参加チームもそれに応じて増えていきます。)
 チームの総合開会式です。ただここが先の野球と違うところですが(野球はトップチーム)、
 この総合開会式の参加を義務付けてはいません。今日は約330団が参加していました。
  東西南北ブロック別の入場行進(先頭の東部ブロックのそれは、私が壇上で迎えました。)
 (―写真・左―)、終了後の式典、そこにおける団員綱領の朗読、選手宣誓という次第は
 野球の総合開会式と同じです。とにかく団員綱領はおろか、団旗さえ無縁であった、ひと昔
 前の大会に比べると、大変な様変わりです。
  とにかくU―10です。まだ4月、ほとんどが9歳以下です。ですから入場行進も、全員が
 掛け声を発し、一糸乱れない野球と異なり、スタンドに手を振ったり、じゃれ合ったり、
 また団員綱領朗読も本当に幼く、かわいいものでした。
(―写真・中―) また選手代表の
 宣誓も、昨年度優勝の「新座片山」のかわいい女性団員でした。
(―写真・右―)
  この大会のスローガンは「明日のヒーローを目指そう!」というものです。小学校生活は
 まだ3年もあります。長いスポーツ人生の第一歩の時期です。楽しくサッカーを続け
 元気で明るく、一回りも二回りも大きくなって、また中央大会でお会いしましょう、
 おそらく最後となる大会会長として、私はこう申し述べました。
 

  ◎ 第45回・県スポ少野球総合開会式 3/25(日) 県営大宮球場

  
今日は第3回久喜マラソン大会です。私は前回、前々回同様、駐車場・輸送担当責任者
 副実行委員長を務めています。準備の状況を、このページで報告してきました。その本番日
 だというのに、上のタイトルを報告するとはどうしたことでしょう。
  久喜マラソン大会は第1回が゜3月第2週、去年が第3週、そして今年は第4週です。この
 3月第4(最終)日曜日というのは、県スポ少野球の合同開会式の日なのです。大会本番は
 秋の県大会(全労済カップ)なのですが、1年間の開幕を告げるという意味で、県内全チーム
 参加が義務付けられています。当然久喜市内野球少年団も全団参加です。マラソン大会の
 方は、久喜・鷲宮地区各団2名、菖蒲・栗橋地区1名の役員、もちろん真面目さ、この上ない
 少年団指導者ですから、当然参加してくれます。でも
準備会その他で必ず、「野球部会の
 皆様にはご迷惑をおかけしますが、とにかくよろしく」と、くどいほど言い続けてきました。
  その私がマラソン大会には出ず、上記のほうへ参加したのです。降ってわいた県スポ少
 本部長代行という私の身分、プラス様々な条件が加わってのものです。七重の膝を八重に
 折ってお詫び申し上げます。デモです。朝、久喜駅で「おはようございます。シャトルバスは
 あちらです。」と、笑顔で迎えるスポ少のお母さんたちにあった時は、やはりつらかったです。








 
  大宮駅から歩いて球場へ向かいました。大宮公園の桜は
 球場へと急ぐ子供たちを迎えていました。 

 (―写真・上右―) 今日の総合開会式は秋の県大会
 全労済カップのものです。数えて第43回、大会参加の
 全チーム355団・5、325名の選手諸君が参加しています。
  その全チームが球場バックネット前で記念写真を撮り終え
 10時過ぎ入場行進が始まりました。昨年度の優勝、準優勝
 「東秩父」と「上尾上平」を先頭に、バックネット前から前進
 2塁々場手前で左右に別れ、ライト側・レフト側出口より退場するコースです。
  北部・中央ブロック(さいたま市)を私が、東・西部ブロックを小川埼玉新聞社社長が

 (―写真・上中―)、南部ブロックを宮崎野球部会長が迎えました。全員がイッチニイと
 声を上げ、手を大きく振り、モモを高く上げるあの野球少年の行進です。 
  入場行進を終え、向きをバックネット側にむけ、式典が始まりました。スタンドは入場

 行進を終えた選手諸君・保護者・指導者で一杯でした(―写真・上右―)
  まず前年度優勝カップの返還、私が受け取りましたが、さすが県大会のものとあって
 大きく、重いのにびっくりしました。主催者・来賓あいさつへ移り、私、埼玉新聞社、部会長
 全労済の順に挨拶しました。私は今日の立派な入場行進を讃え、その一歩は明日への
 一歩、秋の県大会に一回りも、二回りも成長されてまたお会いしましょう、と結びました。
  そのあとは華の団員綱領朗読と宣誓です。私が受けましたので写真は撮れませんでした。
 (―写真・下―) は1塁ベンチ前に集合したその直前のものです。
  今日の総合開会式は、スポ少野球の在り様を集結した感じのものでした。昼食をとり
 帰路につきましたが、大宮公園の花見客に交じり、解散した子供たちがブルーシートに
 座り、花見酒ならぬ昼食をとっていました。この子たちのこの1年、否、これからが
 素晴らしいものであるよう、これからも頑張っていきます。あと1回、サッカー部会のU10
 (4年生以下)県大会合同開会式が、4月14日に待っていますが、それでこの種のお役目
 から解放されることになります。最後なんだから、と自分に言い聞かせ、マラソン大会
 欠席の免罪符にしたいと思います。
 
 

     第12回冬季パラリンピック・平昌大会閉幕 3/19(月) 

  韓国「平昌」で開かれていた、第12回冬季パラリンピックは、昨日夜、閉会式が行われ
 10日間にわたる大会に幕を閉じました。今大会にはこの史上最多の49カ国・地域
 から選手が参加して行われ、次回「2022冬季オリンピック・パラリンピック」が開催される
 北京に引き継がれます。そしていよいよ「2020東京夏季大会」となります。
  38選手が参加した日本勢は金3、銀4、銅3のメダルを獲得、これは目標数を上回る
 活躍とのことです。埼玉県深谷市の村岡選手が1人で5個のメダルを獲得、またスノー
 ボードの成田選手、スキー距離のベテラン新田選手の活躍等を、連日メディアが伝えて
 いました。しかし羽生選手や女子のスピードスケート、同じくカーリング等で異常な盛り
 上がりを見せたオリンピックと異なり、関心という点で、やや低調という感は否めないもの
 がありました。
  オリンピックが健常者アスリートのそれであるように、パラリンピックは障がい者の世界
 最大のスポーツの祭典です。ただ身体障がい者の大会であり、知的障がい者や視覚
 障がい者の大会は別にあるということが、健常者のそれとは違うこととなります。
  この大会は「IPC」の主催です。2004アテネオリンピックから、夏季大会都市で一体
 として行われるようになりました。パラリンピックの「パラ」とは、スキーでいうパラレル
 (スキーをそろえて滑る)のパラで「並行」、すなわち健常者のオリンピックと並行して同様に
 行うという意味、もう1つはギリシャ語の前置詞で、「並んで立つ・対等」からきている、と
 いう説があります。ドイツナチスから亡命したユダヤ人の精神科医、「グッドマン」氏が
 勤務するロンドンの「ストークマンテビル病院で」、当時不治の病とされた脊髄損傷の方々に
 リハビリとして、スポーツ、個人種目からチームフレーへ、と始めたのが始まりとされています。
 とすれば単なる大会開催からくるのでなく、理念として後者の「パラ」でありたいですね。

  いずれにせよ健常者のスポーツと同じです。こうした大会に出場するトップの選手の活躍と
 同時に、底辺の拡大・すべての人がスポーツに慣れ親しむ環境を作っていかねばならないの
 です。それが「スポーツ・フオー・オール」というものです。
  私は久喜の地で、スポーツ推進の活動にかかわって50年を超します。全て健常者のそれ
 でした。今、ちょっとした心の痛みがあります。


  埼玉県スポーツ少年団種目別部会連絡会議 3/14(水) 県体協講堂 

  埼玉県スポーツ少年団は、本体の活動に全ての本部員が
 何らかの形で関わり、運営していこうとの考えで3専門委員会
 を組織しています。その1つスポーツ少年団の各種大会
 指導者の交流活動の在り方等を担当しているのが、「活動
 交流委員会」です。この委員会の主催で年2回ほど開催され
 るのが今日開催された「種目別部会連絡会」です。
  現在埼玉県では13の種目別県大会を実施しています。
 1つは駅伝ですので12の種目別部会が組織されています。
  その「駅伝」ですが、30年を超え朝霞市にお世話になってい  ました。すでに本ページ2/1日付で報告してあるように
 来年度から、熊谷市文化スポーツ公園に移して開催されます。そんなことで朝霞市の役員も参加
 13種目全役員そろっての会議でした。委員長、私の挨拶の後、指導者を取り囲むいくつかの
 問題点につき、事務担当より報告がありました。
 (1) 種目別大会における混成(合同)チームについて
  団員数の減少により、1団で1チームを構成できず、大会に参加できぬ単位団がある。子供
  たちに試合する喜びを味わってもらいたい、すでに混成チーム参加の例がある。地域・種目
  によってさまざま、各種目のルールにより適用が可能・不可能がある。
  ◎ 大会運営にかかわることなので、各種目部会の判断に任せる
    スポーツ少年団の関東・全国大会は混成チームは参加不可、予選となる大会は留意。
    勝つための混成チームとならないこと

 (2) 駅伝県大会
  30年度から=31年2/11(祝)から熊谷文化スポーツ公園陸上競技場・公園内コース
  男女6区、12キロ、1人2キロとする
  県北部地区を中心に駅伝部会を構成する。

 (3) スポーツ少年団登録者処分基準について
   すでに他で報告していますので割愛します。  
 
   そのあと、3~4部会ごと3グループに分かれて情報交換(―写真―)、テーマは指導の
  あり方(勝利至上主義の否定)というものでした。永遠の課題と思われます。
   少年団の種目別県大会は、かって種目によってバラバラでした。この委員会のご努力により
  「要綱」、ベンチ入り指導者の資格所持の義務化等統一されました。これからは(1)の問題、
  さらには永遠の課題であるグループ協議の内容等が問題点となるのでしょう。


  平成29年度・日本スポーツ少年団委員総会 3/6(火) ガーデイシティ渋谷 

  日本スポーツ少年団本部の平成29年度第2回委員総会が
 6日、渋谷駅前にある「TKPガーデンシティ渋谷」で開催され
 埼玉県本部を代表し出席しました。この「委員」は基本的に
 各県本部長で構成され、日本本部の最高決定機関となり
 ます。私は「委員」ではありませんが、何度も記してきた
 ように、現在「県本部長職務代理者」としてあるためです。
  
  会には日本本部長、わが埼玉県東松山市の坂本氏、他
 日体協の少年団事務担当も出席、本部長の挨拶、故佐藤
 県本部長への黙とうの後、開会しました。  
  6議案、5報告事項、その他4項目2時間にわたる会議でした。主なものを報告します。
 ※ 設置規定の変更  日本体育協会が日本スポーツ協会と名称変更に伴うもの、英語表示が
   「Sports」から「Sport」に変更すること、役員の任期に関し文言整備を行ったもの、の3点です。
 ※ 30年度予算 収入支出5億8、664万3、878円。やはり登録費が前年度より371万円
   程減少、全体としては870万円ほど増です。
   支出では5つある全国大会への補助金が123万の増、調査研究費が400万ほど増のため
   早速事業費補助を、との質問が出ていました。
 ※ 平成35年度までの全国大会の持ち回り開催地を確認しました。
 ※ 日独同時交流について グループ等の編成を確認、団員参加の個人負担についての
   要望あり、この辺相変わらずというところです。
 ※ 日本体育協会スポーツ推進方策2018について
    A4版・105ページにわたる膨大なもの、2011のスポーツ基本法、2017のスポーツ基本計画
   (第2期)を受け、今後5年間の方向性を示したものです。
 ※今後のスポーツ少年団指導者の養成について
   これは大きな問題点です。これからは少年団指導者の養成を、日本体育協会公認スポーツ
   指導者制度、それも改訂により新設される「スタートコーチ」として養成するというものです。
   今後カリキュラム、現育成員・認定員の新制度への移行、等々を協議、30年度内に
   決定します。新制度のスタートは32年度からとされています。

   報告事項では「日本スポーツ少年団・第10次育成6か年計画」、いわゆる「アクションプラン
  2017」の進捗状況、2020東京オリンピック・パラリンピック大会へのスポーツ少年団の
  取り組みについて、および本ページ2/2・3日付で報告した「関東ブロック」のそれを含めた
  各ブロック本部長会議について報告がなされました。

  その他の中では、「運動部活動のあり方に関する総合的なガイドライン(案)」について、報告が
 ありました。私が「市政ニュースのページ」で、「2月定例会議案質疑」で質疑した内容です。
  それは私が議会で指摘したように、学校教育の一環としての部活動の見直しまで踏み込んで
 います。日本における学校教育、その中で部活の占める位置からして、だいぶ先のことになる
 でしょう。しかし少年団・総合型地域スポーツクラブ、部活を融合する新たな地域スポーツクラブ
 を目指している事は間違いありません。先の公認スポーツ制度の改定は、それを目指した
 ものと言えます。
  初めてで、おそらく最後の日本本部委員会への出席でした。よき勉強をさせていただきました。

 
      ◎ 第23回・冬季オリンピック平昌大会閉幕 2/26(月)

 
 お隣韓国・平昌で開催されていた、第23回・冬季オリンピックが閉幕しました。次回冬季大会は
 4年後北京で開催されますし、2020年夏季大会、東京オリンピックに向けて、いよいよカウント
 ダウンが始まったことになります。
  この大会前の雰囲気は実にイヤなものでした。あからさまな政治利用一色てした。平和五輪を
 演出したい韓国に、「IОC」が乗っかる形で、ルール違反がまかり通り、「北朝鮮」選手が参加、
 アイスホッケーの統一チームが結成されたりしました。また巨額な放送権料の関係で、アメリカに
 人気のフィギユアが午前に、ヨーロッパに人気のスキージャンプが夜遅くに、という選手を無視した
 スケジュールもありました。そんないろいろな否定面もありましたが、結局アスリートの活躍が
 オリンピックの素晴らしさを取り戻してくれました。矢張りスポーツは、オリンピックはいいな、と
 つくづく思います。
  日本選手も大活躍、金4・銀5・銅4、計13個のメダルを獲得、自国開催の長野大会を上回り
 史上最多を記録しました。ケガ―ブランクを乗り越え、V2を達成したた羽生選手、勝利後銀と
 なったライバルの韓国選手に駆け寄り、抱擁した小平選手などの活躍は永く語り伝えられる
 事でしょう。またマスタートというスピードスケートの新しい種目で金となった高木選手、銅に輝いた
 カーリング女子チームの、戦術と心理的駆け引きを、テレビが幾度も幾度も放映、すっかり
 茶の間全員を、この種目の専門家としていました。
  大会前の予想で一部マスコミが、あれも金、これもメダル、計20個は、とはやしたて、食傷気味
 でしたが、もう少しスキー系の成績が良ければ、あながち夢ではなかったことになります。トニカク
 選手諸兄姉の頑張りに拍手を送ります。
  さて東京オリンピックです。ノロウィルスやボランティア大量脱退、などという事は日本ではない
 でしょう。しかし欧米ファーストは同じ、日程面で同様な影響を受けます。平昌の寒さが言われて
 いましたが、真夏の開催を余儀なくされています。暑さ+して湿気対策はどうなのでしょう。
  夏季大会の競技種目は冬季とは比べものになりません。輸送・搬送対策は十分なのでしょうか。
 加えて莫大な費用があります。長野冬季五輪施設も、維持でき無くなったものが出ています。
  コスト削減、肥大化しすぎたオリンピックのスリム化に、努力していただきたいと思います。
  最も開催国の特権で空手、野球・ソフト等増やしたのですから無理と言えますが。 
  我がスポーツ少年団は、1964東京オリンピックを記念し、1962に誕生しました。その後の
 日本のスポーツ振興に果たした役割は、絶大なるものがあります。以来50数年、今スポーツ
 少年団は少子化からくる団員数の減少、活動の低迷にあえいでいます。しかし私たちは2020
 オリンピックに、準備過程から深くかかわり、再生、充実を目指して行きたいと考えています。
  文化としてのスポーツ振興と、それによる青少年の健全育成は、何よりも大切だからです。
 

  第3回久喜マラソン運輸部会スタッフ説明会 2/25(日) 教委会議室 

  第3回久喜マラソン大会も(3/25・日)跡1月となりました。スポ少が担当する運輸部会の
 スタッフ説明会が開催され、全ての準備を終了しました。なおこの会議は初めて、移転後の
 教育委員会会議室を使ってのものでした。
  私は運輸部会の責任者であり、ために大会副実行委員長となっています。駐車場・選手収容
 駐車場等が任務で、スタッフはほとんどスポーツ少年団となっています。
  大会参加者はハーフの部3、457名、3㎞の部674名、2㎞の部473名、2㎞親子の部
 448名、計4、945名です。
  本日の会議は最終のもの、会場の不案内、また任務に応じ2回の会議に別けましたので
 出席状況が不安でしたが、多くの参加者があり、相い変わらぬ少年団指導者の真摯さを反映
 していました。
  シャトルバスは久喜駅西口から、大会会場までのシャトルバス運行に関してのもの、バス運行
 が、6:20~13:30ですので長時間の協力をお願いする事に成ります。
  選手収容は第1関門鷲宮中学校、第2関門弦代公園、第3関門ホテル久喜における、収容
 選手の輸送、物資輸送等です。そして駐車場は17駐車場、計2、304台に及ぶ駐車場を
 担当するものです。どんなに対策を講じても、ある種の混乱は必ず置きます。ご足労をおかけ
 します。
  参加者は質問・確認の後、初めての人はスタッフジャンパーを受けて帰途に就きました。
 アトは当日が好天に恵まれ大会が成功、多くの関係者の努力が報われることを願うのみです。 

  ◎ スポ少バドミントン県大会個人戦 2/24(土) 蓮田市体育館パルシー 









  24日蓮田市「総合市民体育館・パルシー」で開催された、第24回埼玉県スポーツ少年団
 バドミントン大会(ダブルス個人戦)にお伺いしました。バドミントンの県大会は、年2回あります。
  1回は久喜第一体育館で12月に開催される団体戦(団対抗)、そして2回目のこの大会は
 卒業を前に、今までの成果の全てを競う個人戦(ダブルス)です。従って6年生は全員参加
 フルエントリーを原則としています。この大会には19団約160名の選手が参加し、内6年生は
 9割を占めるそうです。なおこの大会は29年度埼玉県少年団の最後の大会となります。
  会場の「パルシー」は立派な体育館です。正面左側にできたばかりの「蓮田市文化会館」が
 きらきら冬の陽に輝いて迎えてくれました。
(―写真・左―) ホールはいす席634席との事
 です。
  殆どが6年生ですから体格のよい子が目立ちました。「私は開会式でバドミントン少年団での
 体験を活かされ、新たな場での活躍を期待する。」と挨拶しました。
(―写真・中―) 久喜市
 での大会同様、大きな体育館フロアーを一杯に使って12面の同時進行でした。
(―写真・右―)
 
 日本のバドミントンは山口選手や奥原選手、複数組のダブルスと、女子を中心に国際的にも
 高いレベルにあります。今日の参加選手の中からそうした選手が出てほしい、否、それよりも
 少年団での体験を基に、素晴らしい新たな世界を歩いて行ってほしい、そう願わずにおれません。 


  ◎ 市スポ少認定員養成講習会 2/4・11(共に日) ふれあいセンター久喜











  ここ10年近く定番となっていますが、2月の第1と第2日曜日、4・11と「ふれあいセンター久喜」
 で、スポーツ少年団認定員養成講習会を開催、終了しました。
  少年団は子供が活動主体・主人公の組織であり、活動ですが、正しい方向へ導いたり、引っ
 張ったり、押したりの運営主体は大人・指導者です。その人たちに、少年団の組織はどういうもの
 なのか、子どもの心と身体の特性は何か、安全に運営していくには何が必要か等、最少レベルの
 学習をして頂き、テストを実施し、合格者を正式な資格者として認定する、そうしたものとして
 スポーツ少年団の指導者養成制度はあり、それに基づいて養成講習会が実施されています。
  現在はこれに合わせ、「日本体育協会公認スポーツ指導者制度」による、「スポーツリーダー」の
 資格も付与されます。
  なかなか大変なものです。朝9:00~17:00迄2日間の講義を受け、最後に1時間の「テスト」
 があります。設問50、内30問正解が最低点です。講師は同じく指導者養成制度による「育成員」
 有資格者です。久喜市には現在4名います。他に県スポ少本部役員等にお願いします。また
 特に「スポーツと栄養」といった課目は専門家、例えば久喜市の栄養管理師さんにお願いします。
  私はこの認定員を昭和55年に、育成員の資格を同56年に取得しました。他に日体協、文科省
 のいくつかの資格を有し、毎年多くの会場で長く講師に当たっています。

  少年団の指導者は実に真面目だと思います。登録規定により1単位団当たり2名以上の資格者
 がいないと認められません。実際はそんなものではありません。例えば久喜市では500名余の
 登録指導者がいますが、9割近くが有資格者です。それでいて毎年この講習会実施要望がある
 のです。これは退団・新規登録者という、少年団の1つの特色も影響していますが。

  今年も久喜市50余名、近隣市町から30名弱の受講者がありました。(―写真―)左は受講シーン
 
講師は前県本部長・藤沼氏、は一心にテストに向かっているシーンです。休憩日の土・日
 子どもの指導に当たり、加えてこうして2日間、缶詰めになっての受講・テストと、少年団指導者の
 真面目さに頭が下ります。最もこちらも大変でした。先週は金・土とこのページで報告している、
 「関東ブロック本部長会議」に出席、終了してすぐ白岡市に戻り、1・5時間の講師を務めました。
  翌日曜日・4日は、9:00に開講式で挨拶、1時間おいて、「運動適正テスト」の講師を務め、昼食
 を噛み噛み、これもこのページで報告している、埼スタのサッカー少年団県大会最終日に出ました。
  今日(11日)は下段の「駅伝競走大会」に出、閉会式を13時に終え、外環道―東北道をぶっ飛ば
 して久喜に戻り、15時からの「スポーツ指導に必要な医学的知識」の講義を2時間勤め、閉校式
 ―試験に立ち会いました。まあ猛烈に忙しかったですが、こんな生活が認知症の進行を防いで
 くれるのかもしれません。受講者諸君が頑張ってくれたので、試験は全員が合格、安心しました。
  少子高齢社会の進行の中、そうした次代を生きる子供たちの健やかな育成を、地域の中で
 保証していくという、少年団の活動は益々その重要性を増しています。どうか頑張ってほしい、その
 ために今回の講習会が、少しでも役に立てばと思わずにいられません。
 

   ◎ 第35回・県スポ少駅伝競走大会 2/11(日) 朝霞市陸上競技場















  平成29年度第35回・埼玉県スポーツ少年団駅伝競走大会が、11日朝霞市陸上競技場
 周辺周回コースで行われました。この大会は昭和59年に始まりました。その前年58年は
 県大会としてでなく、交流大会として行われています。この大会と第1回大会に、私の団は久喜市
 代表として参加しています。この36年間、数多くこの大会に参加、優勝・2位・3位各1回、入賞は
 7~8回を記録、数々の思い出のある大会です。この36年間ずぅーと朝霞市で行われ、朝霞市の
 少年団には大変なご苦労をおかけしてきました。来年から県本部直接の主催により、熊谷市の
 文化スポーツ公園で行われ、この会場は今年最後となります。私は開会式で、『県スポ少は今、
 13種目の県大会を行っています。その中でどんな種目の少年団であれ、参加できる唯一の
 大会がこの駅伝大会です。すべての種目の基礎、走ることを競うこの大会で頑張るとともに、多く
 の仲間と交流し、素晴らしい1日としてください。』とあいさつし、同時に長くご苦労をおかけした
 朝霞市関係の皆様に御礼を申し上げました。(―写真・上左―開会式) 今年は女子24チーム
 男子37チームが参加、女子のスタートのピストルは私が打ちました。(―写真上左2―)グラウンド
 
を一周、周囲のコースへ出る女子、(―写真上右2―)は男子のスタートです。さすがに迫力が
 ありました。コースは野球場、陸上競技場等ある朝霞市の運動公園を一回りする2㎞、スタート
 のみグラウンドを一周しますので、2、250m、1チーム6人です。襷渡しはグラウンド内、
 倒れこんだり、次走者を励ましたりのシーンは、テレビで見るのと変わりありません。
(―写真
 上右―)
 矢張り男子ではサッカー、女子はバスケが平均して強かったですが、男女ともに走りを
 専門とする、「川越フアィトマラソン」が圧倒的に強く、何と男子はV7、女子はV5を達成しています。
 (―写真下左、圧倒的に強かった川越ファイトマラソン男子のゴール―)
  久喜市からは女子2チーム、男子3チームが参加しました。女子、栗橋ロックフィルズが11位、
 青葉ホップス(共にバスケ)が14位、男子は東鷲宮FC15位、青葉エンゼルス(野球)16位、市内
 大会優勝の砂原サッカーは、インフルで登録選手がダウン、大会本部の許可を得、急きょ
 メンバーを組み換え出場、30位以下となっています。全チームよく頑張りました。
 
  閉会式・表彰式です。前段のサッカー県大会の時に報告していますが、この大会は私の名前の
 表彰状です。後にも先にも3大会だけですので、記念にと撮っておきました。
(―写真下左2―)
 
 3位までと、4位~10位のチーム表彰は私がしました。ために写真はありません。(―写真下
 右2は女子、右は男子の個人表彰、1区から6区までの区間賞のメンバーです―)

  来年は熊谷市埼玉県立文化スポーツ公園で行われます。ここの朝霞市の会場には数々の
 思い出があります。来年は県役員を辞していますので、果たして熊谷会場に足を運ぶことがある
 のか、なんて考えると寂しくなりました。
 


   ◎ 第46回・埼玉県サッカー少年団大会 2/4(日) 埼玉スタジアム









  平成29年度・第46回のサッカー少年団大会は、県内サッカー少年団約400チームの参加、
 東西南北の各地区予選を勝ち抜いた、代表36チームによる中央大会は、1/14、2/4
 と行われ、ベスト4による準決勝・決勝戦が、今日11日「埼玉スタジアム」で行われました。
  ベスト4は上尾朝日、新座片山、春日部のYANAKA、川口の戸塚FCJでした。埼玉県の
 サッカー少年団は長く、新座片山・江南南の2強時代が続いています。その江南南に引き分け
 PK戦勝ちした、上尾朝日と新座片山の準決勝戦が、事実上の決勝戦では、と言われていました。
  午前中、私は久喜市の認定員養成講習会のため観戦できませんでした。決勝戦は上尾朝日に
 3-1で力勝ちした新座片山と、春日部YANAKAに1-1で引き分け、PK勝ちした川口戸塚の
 対戦となりました。なおこの大会(中央)は最近珍しくなった11人制、ピッチ・ゴール共に正規
 (大人用)のもので行われています。小学生として最後の大会ですから、これで良いのかも知れ
 ません。
  このところの埼玉の異常気象、コンディショニング等心配しましたが、杞憂に終わりました。
 最高の状態での試合でした。試合は決勝戦としては一方的となりました。新座片山(パープル)が
 テクニック・スピード共に上回り、川口戸塚(イエロー)を押しまくりました。前半10分までに新座
 片山が2点あげた時点で、勝敗は決まりました。新座片山は今迄のイメージとやや異なり、
 テクニックが目立ちました。特に小柄なライトサイドフォワードの、スピードあるドリブル、突破力は
 抜群でした。結局新座片山はベンチ全選手が出場、6-1で勝利を収めています。
 
  何度も記してきましたが、今本部長職務代理者にあります。表彰状ですが本部長名で印刷して
 あります。昨年暮れの、同じくサッカー少年団のU10県大会では間に合わず、故人名を読むとき
 だけ自分の名を読んで間に合わせました。今回は手書きで職務名と私の名前の物でした。
 県大会で私の名前の表彰状は、今日と2/1の駅伝県大会、そしてバドミントンだけとなります。
  どちらかの大会で、記念の写真でも撮っておくかと考えています。
  閉会式の挨拶で私は、スポ少県大会の中で、一番歴史があり、かつ大きいこの大会での
 選手諸君の健闘を称え、今後新たな舞台で更なる飛躍を期待すると述べ、少年団の中で特殊な
 立場にあるサッカー部会役員のご努力に感謝して終えました。


 平成29年度・日本スポーツ少年団関東ブロック本部長会議
                2/2(金)・3(土)
 埼玉県体協会議室・上尾東武ホテル 

  平成29年度・日本スポーツ少年団関東ブロック本部長
 会議が、2・3の両日埼玉県総合スポーツセンター内、県
 体協会議室と、上尾駅前の東武ホテルで開催されました。
  関東ブロックは山梨・群馬・栃木・茨城・千葉・神奈川・東京
 わが埼玉県の1都7県で構成されます。今夏埼玉県で開催
 された「関東ブロック競技別交流大会」の主管県が、持ち回り
 主管しています。すでに報告しているように、本部長職務
 代理者として、この会議に出席しました。

  各都県ともに出席者は本部長、指導協委員長、事務単当者+副本部長の3~4名、日本本部
 から副本部長、少年団課課長、事務担当者の3名が出席されました。まず全体会です。日本
 本部副本部長、主管者を代表して私が挨拶しました。少年団課課長が小1時間にわたり、今回の
 協議内容について説明され、その後質問、意見交換と進みました。多項目に渡るものでしたが、
 1・日本体育協会を日本スポーツ協会と名称変更する。これに伴い英語表記
 Japan Sports Associationを、Japan Sport Associationに変更、従ってスポーツ少年団の英語
 表記のJJSCAのSportsから、最後尾のsをとることになります。
 2・処分基準・処分決定機関について
  県段階で、処分基準を確定・そのための倫理委員会を設置したのは埼玉県だけです。
 3・2020東京オリンピック・パラリンピックに向けた取り組みについて
  スポーツ少年団は1回目の東京オリンピークで誕生した組織、2020成功のため多くの活動に
 参加します。また聖火リレーに、少年団団員も参加できるよう申し入れも行っています。  
  また2020オリンピック開催期間中が、例年実施している各種大会と重なるケースが、多々
 あります。具体的に対応していきます。
 4・公認スポーツ指導者制度改定について
  これは大きな問題です。現在の「認定員養成講習会」は、「スポーツリーダ」を兼ねています。
 ここから日本体育協会の「公認スポーツ指導者養成制度」に合わせ、「スポーツリーダー養成
 カリキュラム」が改定されます。従って少年団は、この「公認スポーツ指導者制度」に一本化、
 または少年団独自の「仮称・日本スポーツ少年団認定制度」を制定するか、の問題です。
  日本本部で種々検討されていますが、結論に達するのにはまだ時間がかかりそうです。 
 5・平成29年度の登録状況
  久喜市・埼玉県同様、長期低落状況に、歯止がかかっていません。団数で278団、指導者
 3473名、団員6971名が、28年度より減少しています。なお埼玉県は指導者数、団員数は
 全国1、団数は2位と変わりません。(1位北海道)
  その他「第10次育成6カ年計画」、他は省略します。
  この後「本部長、指導協・事務担当」それぞれの分科会に移りました。私はO県副本部長と
 「本部長分科会」に当然ながら出席しました。ここでは団員数の減少に伴い、種目別ながら
 全国大会出場制限の問題(3年生以下も)、いわゆる幼児の入団問題、いつもながらの競技
 団体(サッカー)とスポ少との関係等が話されました。

  この後は宿泊先の、上尾駅前の東武ホテルに移動、「情報交換会」です。私はこの会議に
 藤沼本部長時代は殆ど出席していました。故佐藤本部長になってからは、若手の副本部長に
 お譲りしていました。だから各県正副本部長の大半とは、古い顔なじみです。楽しい情報交換
 のひと時を過ごしました。
  2日目はホテルの会議室で全体会です。昨日の各分科会の報告がなされ、散会しました。
 解散の後、「連絡会議」で、30年度の山梨県開催の「関ブロ競技別交流大会」、茨城県開催の
 「スポーツ少年団大会」等の細かい日程調整の話をし、全て終了しいました。
 
  開会・情報交換会・閉会と3度にわたる挨拶、2度の全体会と本部長分科会での座長役、
 なにせ皆各県を代表する指導者です。疲れました。
   お別れの際、先に記した各種大会等での再会を約束しあいました。しかし私はこの6月の
 30年度県スポ少総会で、定年制により、あらゆる役職を辞する事に成ります。おそらくお会い
 することはもうないだろう、と思うとチヨット寂しくなりました。
 

  ◎ 埼玉県スポーツ少年団・平成29年度現地研修会 1/27(土)・28(日)
                        群馬県安中市・ホテル礒部ガーデン








  
毎年1月の最終土日は、40年を越えて「埼玉県スポーツ少年団現地研修会」です。今年は
 群馬県安中市「ホテル礒部ガーデン」で実施です。月曜日の大雪、その後の48年ぶりという
 低温、だいぶ心配しましたが、雪はむしろ埼玉の方が残っていました。
  この研修会一時は参加者が多すぎ、会場にも困るまでになりました。参加条件を厳しくしましたが
 それでも、今年も200名をゆうに越す参加者を見ています。まず全体会です。
(―写真・左―)
  私が県本部を代表し挨拶しました。まず私が県本部長職務代理者となった過程を報告、協力を
 お願いしました。次いで29年度の県本部の組織・活動状況を報告、最期に2年先の東京オリン
 ピックに至るまでの多くの大きなスポーツイベントの中で、少年団の旗を高く掲げ、協力、PRし、
 少年団活動の再生・充実化を図っていこう、と呼びかけさせていただきました。
  次いで1日目の研修会です。事務局より指導者の処分基準・倫理委員会の発足について説明、
 長谷川本部員より、本部プロジェクトで策定した提言書・「育てよう!スポーツで 子どもの心と体」
 について報告・説明を受けました(―写真・左2―) 長谷川氏は昭和59年第11回日独同時
 交流の際、私が引率した団員です。当時は学生でしたが、今・県本部員として活躍、成長した姿に
 感慨を覚えました。その後各会場に別れ、12の「種目別分科会」、30年度の各種目別大会等を
 協議する場です。
  上州の名湯・礒部温泉で疲れを休め、いよいよ「情報交換会」いわゆる宴会です。なにせ220名
 余の大宴会です。壮大の一言に尽きます。
(―写真・右2―) みな親しい少年団仲間です。同じ
 釜の飯を食い、胸襟を開いて明日の少年団を語り合う、本当にたのしいひとときでした。
  2日目の全体会、研修は「埼玉県障がい者スポーツ協会・重田博」氏による、「発達障がいの
 理解と支援について」です。
(―写真・右―)  「Sport for All ・ All for Sport」という言葉が
 あります。スポーツは多くの効果・効能をもっています。だから少年団は、そのスポーツを手段とし
 子ども達の健やかな育成を図っています。そしてそのスポーツのもつ、大きな効果効・能を全ての
 人が自らのものとせねばならないのです。私は1昨年一般質問で、「インクルーシブ教育」に
 ついて、質問した際少しばかりですが勉強させていただきました。LD・ADHD・高機能自閉自閉症
 等の生徒児童は、7%弱・70万人弱と言われています。私たちはこれから、遅れている発達障がい
 発達障がい児への理解を含め、共に活動する条件を整備していきたいと考えます。
  11時前に閉会、今年1年の頑張りと来年の再会を約し、解散しました。

  私は2年前まで、県本部内専門委員会「指導者委員会」の委員長として、この現地研修会の
 企画・運営の責任者でした。今年は本部長職務代理者として全体責任者だった訳です。私は
 何度か報告してきましたが、この6月の県本部総会において、定年により役職を辞します。
 いわば今年の立場は、最初にして最後のもの、来年は一参加者として、となります。40年
 参加し続けてきましたが、今年の現地研修会はその意味でも、記憶に残ることでしょう。


    第3回・久喜マラソン準備が順調に進んでいます。 1/27(土) 

  第3回となる「久喜マラソン大会」については、昨年11月23日付の本ページで、その準備を
 始めた事を報告しています。大会本番を約2カ月後に控え、準備は順調に進んでいます。
  実はこの23日には「第2回幹事会」が開催される予定でした。ご承知のような前日の大雪で
 中止となっています。把握している準備状況をお知らせします。今年も変わらず「オール久喜」
 で準備し、運営する大会です。皆様のご協力をよろしくお願いします。

 (1) エントリー状況
   ハーフの部  男子2、910名 女子547名 計3、457名   定員3、000名
   3Kmの部       415名    259名     674名        800名
   2Kmの部       249名    199名     448名        800名
   親子の部(2Km)        183組・366名                400名   
      計       3、890名  1、055名   4、945名      5、000名    
  ご覧の様にすでに定員に近づいています。特にハーフの部は定員を15パーセントも上回る
 状況です。まさにうれしい悲鳴という所です。

 (2) ゲストランナー  川内優輝選手、島村女子陸上部、資生堂ランニングクラブ、平成国際大

 (3) 一般参加者、児童生徒参加者用記念品も決定しています。(スポーツタオル)

 (4) スタッフ関係  今大会も市内市民団体・地域団体のご協力を頂き、本部・競技・走路・案内
   駐車場等の役割を、総勢1、080名のスタッフで担います。
    このスタッフへの説明会が、2月の下旬から、3月上旬にかけ行われます。我がスポーツ
   少年団のそれは2月25日(日)、教育委員会会議室です。

 (5) 当日のスケジュール  開会式8:15~9:30
      競技スタート   2Kmの部 8:55    親子の部 9:03
                 ハーフの部 9:30   3Kmの部 9:50
      表彰式       競技別に9:40~11:35
      競技終了宣言      12:10     閉会12:30

 (6) 大会収支(見込み)
   収入  参加費1、400万円  協賛金356万円  補助金975万円    計2、731万円  
   支出  委託料1、450万円  消耗品626・8万円  役務費148万円他  計2、731万円

  大会本番までアト2カ月弱、準備に万全を期してまいります。


     ◎ 第35回・埼玉県綱引大会 1/21(日) 毎日興業アリーナ
 








  第30回県民総合体育大会参加・第35回「埼玉県綱引選手権大会」が、21日久喜総合体育館
 毎日興業アリーナ久喜で開催されました。私と「綱引」との関係は、このページで何度も報告して
 います。私と「埼玉県綱引連盟」との関係です。綱引とかかわって35年を過ぎますが、一度だけ
 その頃、「テレ玉」の中継があり、その際依頼され、解説した事を除き、県の組織には一切関わ
 ってきませんでした。久喜市の他の活動に忙しすぎたためです。一方「久喜市綱引連盟」は一貫
 して県連盟の中枢を担っています。前(二代目)会長は、久喜市の故樋口県議でした。県役員の
 中枢を占め、私の前の会長「内藤氏」は現副会長を担っておられます。今後ですが、少なくとも
 私も県総会には出席するつもりです。
  さてこの「綱引大会」です。このところ毎年久喜の総合体育館で開催されています。大会規模
 です。大変残念ですが、このところ参加チームが大変少なくなっています。男子の部・女子の部
 一般混合の部、小学生の部(男女別無し)と4部門ありますが、今大会4―2―3―10と19チーム
 の参加でした。それでも閉会式の「大会講評」で、『多くの参加を頂いて盛り上がった』と言って
 いましたので、平均的参加数は推して知るべきです。これは「綱引」という特殊な競技の為せる
 技でしょう。特に昭和末期から、平成初めにかけて、いくつかのまちにあったクラブチームが
 選手の高齢化で、殆ど解散したのは残念の一言に尽きます。なお小学生の部で、久喜市内から
 6つのチームが参加してくれました。御礼を申し上げます。そのうちの1つ、暮れの久喜の大会で
 圧倒的な強さで「高学年女子の部」を制した、菖蒲地区小林のチームが全員で開会式で見事な
 「選手宣誓」をしてくれました。(―写真・左―)
  「一般の部」は3月の全国大会の予選を兼ねています。4チーム参加の「男子の部」はここ数年
 常勝軍団である「ホンダ」が優勝しました。―写真左・2―の様によく訓練されています。決勝戦は
 花園町の「花園ТC」、県内でも伝統あるクラブチームです。善戦しましたが惜しくも敗れました。
 (―写真・右2―)手前が「花園」、奥の白が「ホンダ」です。「花園ТC」には、どう見ても5~60代
 しかも小柄な方が数人おられて、クラブチームの良さを見せてくれました。
  「一般女子の部」は狭山市の「台城部」が優勝しました。参加2チーム、全国大会では大苦戦する
 事と思われます。
  「一般混合の部」は3チーム参加、市内大会で、「市役所チーム」を破り優勝した「小林」が、
 2位と頑張りました。菖蒲小林小地区の若きお父さん・お母さん方のチーム、これからも市内大会
 で大活躍してくれることを期待します。
  小学生の部です。市内大会と異なり、男女の別はありません。久喜市の他、越谷市・宮代町の
 参加、両町とも「綱引」には伝統があります。市内大会「中学年の部」で、優勝した「青毛小」が
 参加してくれました。相手は6年ですから全敗しましたが、そのチャレンジに拍手を送ります。
 きっと来年・再来年に生きてきますよ、ありがとう。決勝戦は市内大会を制した「太田小」と、
 「宮代町百間小」のチームとの対戦となりました。百間小のチームは男女半々のメンバ―でしたが
 実によくトレーニングを積んでおり、身体面で優勢な「太田小」チームも歯が立ちませんでした。
 V2とのことで、定期的練習をしているのでしょうか。
  (―写真・右―) は閉会式での表彰です。表彰状・優勝旗といったものの他に、副賞として
 カップめんやスナック菓子等の箱詰めが送られていました。矢張り新聞社やテレ玉が後援する
 県大会ならですね。
  私が市の連盟会長となって初の県大会でした。どんな立場で参加するのかと思いました。かって
 審判の一番上の資格を持っていました。なんと更新料を払っていなかったので、とうの昔に失格
 しています。選手招集か記録係りでもと思っていましたが、スーツを着て出られたい、とのこと、
 結局「来賓」待遇で、開会式には挨拶までさせられました。同じく来賓として来られた副市長、
 時節柄お忙しい市長に代わって挨拶の上、長時間ご観戦を頂きました。御礼申し上げます。
  まあ、私としては来年はもう少し内部の人間として関わりたいと考えています。
 

     新春のスポーツイベントを堪能しました。―2― 1/11(木)

 
 最後にサッカーーです。元日に天皇杯そして高校選手権の男・女を見ました。
 天皇杯は今年で第97回大会と歴史も古く、Jのチームから、地域のクラブ、高校生チームまで
 参加できるオープン制で行われています。やはり最後に残るのはJ1のチーム、今年は「横浜
 マリノス―セレッソ大阪」で優勝が争われました。結果2-1でセレッソ大阪が逆転勝ち、「ルバァン
 カップ」についで、2冠に輝きました。「セレッソ大阪」は、今シーズンJ2から昇格したばかりですが、
 リーグ戦も3位と大躍進を遂げた事に成ります。
  マリノスもリーグ5位と健闘、天皇杯も相変わらず、ベテラン中沢を中心とした守備の堅さが
 目立っていました。ところで埼玉県勢です。「大宮アルディジャー」は再び、来期J2に転落、「浦和
 レッズ」は、ACLこそ頑張りましたが、リーグ7位、天皇杯も振るいませんでした。来期、大宮は
 J1への復帰、レッズはリーグ優勝を目指し、頑張ってもらいたいものです。

  高校女子サッカーです。第26回大会と比較的若い大会ですが、「なでしこ」ブームに乗り、急激に
 人気を高めています。ただ異常なマスコミの報道があり、試合時間と同じくらい、「友と誓った**」
 とか、「家族の愛に支えられて」とかの、お涙頂戴型ドラマが入るのにはやや面喰います。
  高校女子サッカー界では、南の神村(鹿児島)、北の常盤木(宮城)の2強時代がありました。
 今、兵庫の日ノ本、静岡の藤枝純心のそれに代わったようです。「常盤木」は1回戦、「神村」は
 2回戦で敗退しました。事実上の優勝決定戦と思われた「日ノ本」―「藤枝純心」は2回戦で激突
 藤枝が競り勝ちました。決勝戦は「藤枝純心―作陽高校」の間で行われ、藤枝が順当勝ちして
 います。作陽は岡山県の山間部・津山市にありますが、男子も全国大会の常連校です。藤枝は
 無失点での優勝、今年は男子の大会も含め、守備の強いチームが目立ちました。
  ところでサッカーどころの我が埼玉県ですが、6~7回大会の頃まで、「本庄一、埼玉平成、
 埼玉栄」と言ったチームが、入れ替わり優勝していました。このところさっぱりダメです。
  地元久喜高校です。7~8年ほど前、関東地区代表ビリの方で全国大会に出ました。私は
 いつもウオーキングの途中、立ち止まって練習風景を見ます。あのテニスコート位での練習、
 全国大会ではまずない公立高校を思うと、本当によくやっていると拍手を送ります。最近では
 県内ベスト4~8と言ったところ、それでも公立高校では1番上位のようです。頑張ってもらいたい
 と思います。

  最後に第96回男子です。「前橋育英」が、アディショナルタイムでの決勝点という、劇的勝利で
 「流通経済大柏」を下し、初優勝を飾りました。昨年の大会決勝で「青森山田」に、0-5という
 屈辱の敗北を喫しており、正にその執念の優勝に敬意を表します。夏の総体に続いての2冠を
 狙った「流通大柏」は、大会を通じての失点はこの1点のみ、見事なディフェンス力でした。前橋
 育英も失点は準決勝の1点のみ、今大会は守備の強さが目立った大会でした。今大会は1が
 「青森山田」続いて、「東福岡」―「流通大柏」と言われていましたが、「矢板中央」、「明秀日立」等
 関東勢の活躍が目立ちました。
  ところで埼玉県です。「昌平」が2回戦で敗退、今大会もダメでした。1981年・60回大会の
 「武南高校」以来、もう40年近く優勝から遠ざかっています。33・34回(浦高)・35回(浦西)と
 3連覇し、「埼玉を制する者は全国を制す」と、故福永健司氏をして言わせしめた事、また1968年
 第47回大会において「浦和南」が、「赤き血のイレブン」のモデルとなった松本監督―永井選手の
 下、「総体・国体・選手権」の3冠を達成したこと等、はるか遠い話となりました。なんとも寂しい
 限りです。もっとも平均すれば、全国1成績の良い県少年サッカーの「勝つことのみ追求する」
 現状が、これを招いたともいわれていますが。(県サッカー協会への嫌味です。)
  参加チーム数4090、夏の甲子園が3800代ですから、普及度では野球をしのいでいます。
 折から高校野球では、100回記念の今夏の大会から、「タイブレーク」が導入されます。この大会も
 これからは超過密日程の解消、次代を担う高校生たちの健康管理に留意していただきたいと
 考えます。

  「埼玉スーパーアリーナ」で行われた、バスケの天皇杯と皇后杯、高校バレーボール選手権
 (いわゆる春高バレー)もみました。バスケでは天皇杯は「千葉ジエッツ」が、皇后杯は「JX・
 ENEOS」が獲得しました。「JX」は5連覇、チヨット力が抜けていました。バスケは少年団では
 急成長、野球を追い越し、サッカーに迫っています。我が最愛の孫(小1)も夢中になっています。
  バレーは男子は「鎮西高校」、女子は「金欄会」が優勝しました。バレーも「東洋の魔女」以来
 人気は高いのですが、競技力はこのところ、世界レベルから離されています。この世代の頑張りに
 期待するものです。
  という事でスポーツイベントのテレビ観戦に、明け暮れた新春でした。早く来年の正月が来ない
 かな、と思うのは早すぎるでしょうか。

  
     ◎ 新春のスポーツイベントを堪能しました 1/10(水)

 
 新春には多くのスポーツ種目の、大きな大会が行われます。連日放映され、例年そうしたもの
 を見ることが、スポーツにどっぷりつかってきた、私の正月の大きな楽しみとなっています。
  
まず駅伝です。暮れには男女高校駅伝が京都で開催されました。これは昨年の事ですので
 省略します。元旦の朝を彩る「ニユーイヤー駅伝」です。赤城山麓を走る男子の実業団対抗です。
  「旭化成」が昨年に続いて2連覇を果たしました。とにかく選手層が厚く、出場選手レベルが
 他に2・3人います。しかもメンバーが、長距離ランナーとしてはこれからという年代、かって無敵を
 誇ったころに完全復活、当面は「旭化成」時代が続くものと思われます。
  2位となった、矢張り何となく応援する埼玉の「ホンダ」です。4区「設楽」で追いつきましたが、
 残り3区間で2分強離されました。「東日本」では何回か優勝していますが、本番ではどうしても
 勝てません。2・3枚コマ不足のようです。
  「箱根駅伝」です。テレビの視聴率と言い、100Kを越えて絶え間ない応援の人波と言い、正に
 日本を代表するスポーツイベントとなりました。私は青学のチャラさが好きではありません。が
 予想通りV4を果たしました。層の厚さ、距離への強さは群を抜いていました。全くノーマークだった
 7区「林選手」の強さなど、敬意を表さざるを得ません。母校「早稲田」は、今年5・6位を予想
 していましたが、力走良く2年連続して3位に入りました。いずれにせよ「東洋」・「東海」両校の
 来年は、今年より一段と実力が上がります。来年こそ群雄割拠と、楽しみにしています。
  この後、都道府県対抗男女が、2週続けて行われます。男子には優勝、女子には入賞を
 期待しています。
  
  
ラグビーです。日本選手権(トップリーグ)、大学選手権、高校選手権がありました。
 日本選手権は決勝戦が13日ですので、まだ終わっていません。「サントリー」と「パナソニック」
 の間で決勝戦が行われます。私は早稲田―サントリー(現役・監督)と歩いた清宮氏の学生
 時代のプレーが好きで、サントリーのファンです。準決勝戦を見る限り、その清宮氏が率いる
 「ヤマハ発動機」 に圧勝したサントリーが、「トヨタ」に苦戦したパナソニックより勢いがあります。
 この2チームはここ10年、日本のラグビー界をリードしてきました。最高レベルの試合が見られる
 ものとワクワクしています。
  大学選手権です。思った通り「帝京」がなんとV9を達成しました。とにかく岩出監督は「帝京
 ラグビー」という文化を確立しました。敬意を表します。私はこのラグビーというスポーツを
 50年を越えて見続けてきました。大学に入り、大西鉄之佑・北島忠義という2人の巨頭の下、
 「展開の早稲田」―「前への明治」の熱戦に何度も涙しました。大西鉄之佑氏の著書
 「闘争の論理」は、僕の知りえたスポーツ書の中の最高傑作の1つです。「展開―前へ」の
 ラグビーは単なる戦術ではなく、両校のラグビー哲学であり、それを愛するフアン で秩父宮は
 沸き立っていました。だから100%えこひいきですが、早・明の復活を待ち望んでいました。今回
 明治の大健闘には心からの拍手を送りますし、早稲田の復活躍進を待ち望むものです。特に
 早稲田は来年は創部100周年の年、あの「荒ぶる」を謳う早稲田ラガーマンの姿を見たいとの
 猛烈な心のうずきがあります。
  高校ラグビー選手権です。ラグビーという競技は、一番番狂わせの少ないものとされています。
 だから日本の「南ア」への勝利は、正に奇跡だったのです。高校選手権は、そういう意味で第一
 シードのチームが大体勝って来ました。今回は珍しく第二シード同士、それも大阪勢同士の対戦
 となりました。東海大暁星の勝利は、本番での経験の違いと言えます。高校生らしい熱のこもった
 良い試合でした。それにしても最近の高校生は大きいですね。

  
 
 長くなりましたので、サッカーは後にします。

  第7回・市スポ-ツ少年団ロードレース大会 1/8(祝) 菖蒲上大崎G















  平成29年度・第7回「久喜市スポーツ少年団ロードレース大会」が、祝日の8日(月)菖蒲町
 上大崎公園グランドを、スタートゴールとする会場で開催されました。同所は菖蒲総合支所の
 南にあり、野球場と運動広場からなる運動公園です。周辺の菖蒲中学校、見沼代用水側道
 を走るコースでレースが設定されています。
  合併に伴い、新久喜市本部が誕生して以来、ここを会場としてきました。コース・駐車場最高
 トイレまずまずなのですが、唯一の欠点が同公園の西~北方向が、数Kmに渡り水田である
 事、ひとたび風が吹けば地獄と化すことです。今まで7年間、第1回大会を除き、ただ寒かった
 という記憶のみ残っています。
  またここから見える富士山は、市内最高と言われています。その富士山は朝・7時の集合時
 にやっと見えた程度、すなわち半日曇、ために風も弱く、まずまずのコンディショニングでした。

 写真・上左 開会式であいさつする田中市長、平均して団員の列の短さが気がかりでした。
 レースは学年別・男女別の個人走と、団対抗駅伝です。スタート・ゴールは公園内です。4年生
 迄グラウンドを出て、近接する菖蒲中学校の外周を回ります。3年男、4年男女はスタートして
 グラウンドを一周することで距離を多くしています。写真上・左2 は田中市長のピストルで
 1年生(同時スタート、少ない女子は鉢巻きで判別)と3年女子 写真・上右2 です。
  写真・上右 はグラウンド内を走る4年生男子です。サッカー少年団団員のカラフルなユニ
 フォームが印象的です。写真・下左は菖蒲中を一周してグラウンドへ入る直前、下左2
 ゴールインです。矢張りスタート時に比べ、ももが上がっていませんね。
  5・6年生と駅伝は「見沼代用水」の側道を走ります。距離はずんと長くなって約2、400m
 です。写真・下右2 仲間の応援を受けつつ、見沼代用水側道を走る駅伝選手。 スポ少の
 強みは役員に困らない事、各単位団の指導者・育成会役員が、熱心にコース役員から、
 スタート・ゴール・計時、招集他全てを完璧にこなしてくれます。本当に感謝の一言です。

  そんなことでスムーズに協議は進行、お昼過ぎには終了しました。写真・下右 は駅伝3位
 内入賞団へのものです。 駅伝上位入賞団は来月、朝霞市で行われる県大会へ出場します。
  久喜市のスポ少仲間の代表として力走に期待します。私も参ります。
  
  種目に関わらず全団員が参加する、少年団最大の行事が終わりました。同時にこのロード
 レース大会は、新しい年のスタートを告げるものです。本年が久喜市スポーツ少年団に関わる
 すべての人たちにとって、良い年でありますように!
  
  スクール21カップ県スポ少U10大会12/24(日) 新座市営陸上競技場








  新座市営陸上競技場で行われた、第2回・「スクール21カップ・埼玉県スポーツ少年団U10
 サッカー大会」の最終日に出席しました。この大会は県スポ少本部と埼玉新聞社が主催、県
 スポ少サッカー部会が主管するものですが、名称通り特別協賛を進学塾の「スクール21」に
 頂いて昨年から行われています。
  スポ少のサッカーは県で特別な地位を占めています。組織自体は1番大きな組織です。ただ
 競技団体のサッカー協会の影響が強く、その組織=「4種サッカー連盟」の主導下で運営されて
 います。だから「県スポ少サッカー部会」の発足も、種目内で一番遅いものでした。現在トップ
 チームの県大会がなんと5回も行われます。「関東大会予選」、「全日本大会予選」、「4種リーグ
 大会」、「新人戦」、「少年団大会」です。このうち少年団のみの参加は、「少年団大会」だけです。
 他は「浦和レッズ」とか、「大宮アルディージャ」とか、Jリーグの少年チームと同一の条件で戦う
 のです。まともに戦えるはずがありません。加えて年間を通して行われる「4種リーグ」があり
 少年団チームは疲労しきっています。これが最近継続しての少年団団員数の大幅減少に繋がって
 いるのです。
  この大会はそうした危機的状況から、何とかして少年団的大会を、との願いで組織されたもの
 です。組織化に努力された小山現、田中前部会長に敬意を表します。私は昨年第1回大会の
 春の「上尾陸上競技場」での合同開会式から、ずーと県本部を代表し、出席しています。

  この日準決勝(同時進行)・決勝の3試合を観ました。―写真・左―は新座片山―FC・GLAUX
 (本庄市)戦です。本庄市のチームは初めて見ます。良いチームでしたが1-0で片山が押し切り
 ました。もう1つは江南南―浦和尾間木戦でした。浦和尾間木はトップチームを含め、いわゆる
 単一学校で組織される少年団としては、ここ数年最高の実績を上げています。善戦しましたが
 何せ相手は江南南、1-4で敗退しました。
  ―写真・左2―は決勝戦、新座片山―江南南戦です。共にここ20年を越えて、埼玉の少年
 サッカーをリードしてきた強豪です。両者ともに、4年生とは思えぬ見事な技術・スピード、実力は
 互角と思われますが、江南南のシュートが何本かバーに嫌われ、4-1で新座片山が栄冠に輝き
 ました。
  閉会式・表彰式です。中央大会出場32チームが参加―写真・右2―、私、さいたま新聞社、
 スクール21学院長―写真・右― より賞状・カップ・メダル等が授与されました。
  県本部を代表し、私は『この大会のサブスローガンは「明日のヒーローを目指そう!」、君たちは
 まだ4年生、将来に更に光り輝くようサッカーに、勉強に、いろいろな活動に励んでください。』と
 あいさつしました。
  県サッカー部会の皆様ご苦労様でした。大変だと思いますが、どうぞサッカー部会の、否
 スポーツ少年団の未来のため頑張ってください。


     ◎ ウインターカップ2017・2日目 12/24(日) 毎日興業アリーナ

  この日私は上で報告するU10県サッカー少年団大会に出
 ました。閉会式を終え、だいぶ気をもみながら車を飛ばし、何とか
 閉会式に間に合う事が出来ました。
 ★ 男子優勝 戸田市 戸田ミニバス
     準優勝 入間市 リベルタ
 ★ 女子優勝 川口市 川口じりんМBC
     準優勝 川口市 鳩ケ谷桜女子
  なお男子で久喜ミニ(本町小)が4位に入賞しました。
 
 2日間ご苦労様でした。参加いただいた県内各地の団員・指導者諸兄姉、久喜市ミニバス部会の
 皆様に感謝します。

    ◎ ウインターカップ2017 12/23(土) 毎日興業アリーナ









  久喜市スポーツ少年団主催・ミニバス部会主幹の「ウインタ―
 カップ2017」が開会しました。今日・明日の2日間です。この
 大会は「久喜市スポ少ミニバス部会」の全面的企画運営の下
 開催され、すでに35年を超す歴史があります。大会は県大会
 での活躍を期す「優勝部門」、友好交流を第一とする「友好部門」
 に別れ、県内各地から50のチームが参加、熱心な母集団の
 運営参加も含め、ありうべき少年団大会を実現しています。

  とにかくみな手作りであり、皆熱意にあふれているのです。
―写真・上左― は挨拶する田中
 市長です。バックの壁につるされた歓迎の幕を見てください。歴代の団員たちが、参加チームを
 歓迎しようと心を込めて作ったものです。久喜を代表する提灯祭りや梨の花等が描かれいます。
  今回の参加チームは優勝部門32、友好部門18の50チーム、男・女チーム半数ずつです。
 ―写真・上中―はチーム紹介、立ち上がって皆に手を振っています。さすがに6年生ともなると
 160cを超す子が結構います。この大会の呼び物の1つ、久喜市のチームが、毎年交代で行う
 「歓迎の言葉」と称するパフォーマンスです。今年は久喜小の男子チーム「久喜スカイ」が市民歌
 「よろこびの町永遠なれ」に合わせ、華麗なダンスを披露してくれました。拍手喝さいの中退場
 すると、期せずして「アンコール」の大合唱、へーと思っていたら何と、久喜市の親善大使
 「北陽高校チア―ダンス部」のメンバーと再登場、再び見事なステップを刻んでくれました。
 このダンスをミニバスの練習会場に来て、指導してくれたそうです。加えて後方では母集団、
 指導者も一緒に!―写真・上右―見事なものでした。この大会のもつ良さわやかな、あくまでも
 さわやかな雰囲気を表わしていました。

  下段で記しているように、今日の夜が佐藤本部長の通夜、明日は告別式、加えて私は立場上
 新座市陸上競技場の、「サッカー少年団アンダー10県大会閉会式」にも出ねばなりません。
 明日の閉会式に間に合わない恐れがあります。もしかして子ども達の熱戦を視れない可能性が
 ありますので、しばらくの間、「優勝部門」の試合―写真・下―、帰路久喜小で「友好部門」の試合
 を見させていただきました。明日閉会式に間に合う事を願っています。


   ◎ 埼玉県スポーツ少年団本部長・佐藤高弘氏逝去 12/17(日) 

  埼玉県スポーツ少年団本部長、「佐藤高弘」氏逝去の知らせを県体協よりいただきました。
 突然の訃報に言葉もありません。謹んでお悔やみを申し上げます。

  佐藤高弘氏は平成26年、藤沼貞夫前本部長の後継として、県スポーツ少年団本部4代目の
 本部長に就かれました。藤沼前本部長時代は、私同様副本部長として補佐、その後4年間弱
 県本部の舵取りをされたことになります。氏は蕨市の出身です。埼玉県スポーツ少年団は昭和
 37年日本本部誕生と同年に、東京都本部と共に全国最初の県本部として発足しています。
  その時埼玉県本部を構成したのは、蕨市と現加須市・当時の北川辺町本部のみでした。その
 蕨市の団員登録1番が、リーダー団員の佐藤高弘氏、ですから佐藤氏は日本スポーツ少年団
 の登録団員第1号となります。これが佐藤氏の自慢でもあり、誇りでした。
  氏は蕨市にご奉職でした。ですから勤務に追われ、一時期県役員を離れていた時期もあり
 ましたが、何と言っても能力のある人、故・宮田守男2代目本部長最後の年に、副本部長として
 復帰、以降前記の様に藤沼体制を補佐し、その後4代目本部長と歩まれた事になります。

  本部長就任後は本部機構の改革、各種プロジェクトによるありうべく少年団像の追求、といった
 面に指導力を発揮されてきました。半面、運転をなさらないという事情に因るのか、各種種目別
 大会等に顔を出すのは、少なかったかなという感じを持ちます。たしか本部長就任数年前に
 大病を患ったとお聞きしています。
  しかしその後は、お元気に活動しておられました。今年に入り夏の関東ブロック種目別交流大会
 を欠席されました。「腰痛」とお聞きしていましたが、その後秋に入り、全くお姿を見ることがなく
 なりました。心配しておりましたが、数週間前しばらく活動を休まれるとの事で、副本部長会議で
 私がその職務を代行する事となりました。その時こんな事に成るとは思ってもいませんでした。
  私は年齢制限により本年度をもって、役職を辞する事になりますので最後のご奉公となります。
 佐藤氏と何ら話しをすることなく、こんな事態になり私自身混乱しています。
  通夜・告別式は23・24との連絡のみで、他は分かっていません。両日ともに出席させて頂き
 安らかなれ、を祈りたいと思います。
  本部長就任途中での逝去、無念の程をお察しします。他の役員の皆様と相談しつつ、埼玉県
 少年団活動を守り続けてまいります。どうぞ安らかにお眠りください。


  ◎ 久喜市スポーツ少年団本部臨時総会・理事会 12/17(日) 西公民館

 
 師走も押しせまった17日(日)、清久コミュニティセンター・西公民館で、久喜市スポーツ少年団
 臨時総会・理事会を開催しました。明けて新春、全団員が参加するロードレース大会が開催され
 ます。その準備、そして年度末行事のいくつかをご協議頂くものとして、毎年この時期に理事会を
 開催しています。加えて今回は、本部規約一部改正の臨時総会を持ちました。本部規約の変更は
 総会によるものからです。
  規約の改正は新しい単位団が、本部に加入する際の部分を明確化したものです。新しい組織が
 本部加盟を申請した場合、歓迎こそすれ、お断りする例は今迄ありませんでした。従って「規約」も
 ごく単純なものでした。昨年度ラグビー、サッカーの2組織から加盟申請がありました。うちサッカー
 の組織の申請を不受理としました。クラブとして数年の活動実績があり、その間の活動状況が
 少年団として迎え入れるにどうか、との意見があったためです。決定権はありませんが、「サッカー
 部会」も同様な見解でした。旧久喜市本部時代も含め、初めてのものです。今回の変更は申請に
 当たっての提出期限、添付書類等盛り込んだものです。加えて日本本部登録の変更も、(ウエッブ
 登録、団員加盟年齢)盛り込みました。全員一致で承認されました。


 
 理事会にうつり、「ロードレース大会」、「認定員養成講習会」他のご協議を頂きました。ロード
 レース大会は、来春1月8日(月・祝)「久喜菖蒲総合支所周辺」で行われます。いつものように
 個人ロードレース、団対抗駅伝です。極寒の時期の開催です。よろしくお願いします。
  認定員養成講習会は来年2月4(日)・11(日)「ふれあいセンター久喜」を会場に開催されます。
 いつものように私はいくつかの講義を受け持ちます。
  また平成?31年度は、久喜市スポーツ少年団10周年の年に当たります。記念事業を実施
 することはすでに決定していますが、その中に「日独同時交流受け入れ」を加えることを提案
 ご了承いただきました。久喜市では旧本部10周年の際、第12回の受け入れを行っており
 2度目となります。かねてより県本部から、ぜひとの要望を頂いていました。第11回にドイツに
 派遣頂いた私にとって、この2年間は生涯の誇りとする事業でした。30数年ぶりとなりますが、
 2回目も成功を収めるよう頑張る決意です。

 

 平成29年度・県スポ少本部員会&表彰式12/10(日) 上尾バンケットホール

  
 10日上尾駅東口の「バンケットホール」において、本年最後、29年度第4回本部員会
  閉会後本年度の埼玉県スポーツ少年団表彰式を行いました。
   議題は共に下段11/25日付で報告してある、イ・29年度登録について、ロ・ブロック本部
  長会議について、ハ・専門委員会報告の3点でした。ブロック本部長会議と、登録状況は前記
  通りですが、改めて小学校児童数の減少率を上回る、加入率(全児童数中の、少年団員数)
  の減少に、危機の深刻さを実感しました。その後本年度(30年1月)の現地研修会について
  協議、会場を群馬県安中市の礒部温泉、研修内容を「発達障害とスポーツ活動」とする事に
  決定、細部を担当委員会に一任しました。
   閉会後、平成29年度・埼玉県スポーツ少年団表彰式に移りました。毎年この日程で行って
  います。日本スポーツ少年団顕彰伝達式、埼玉県スポーツ少年団表彰授与式の2つです。
   日本スポーツ少年団顕彰は、各都道府県本部の登録数に応じ、日本本部が市町村本部と
  指導者を顕彰します。県本部が推薦します。今年の市町本部は隣の杉戸町本部、朝霞市等
  6本部、なお久喜市本部は、旧久喜市と、昨年新久喜市と、すでに2回授与されています。
   個人表彰は指導者登録数の多い県本部は、毎年全国最多の8名です。この中に久喜市で
  県バドミントン部会の事務局を担うK女史がおられました。おめでとうございます。私は不正確
  ですが、30年ほど前に頂いています。
  

   県本部表彰は指導者表彰のみ、各市町村本部登録指導者数に応じ、数が決まっています。
  なおこのような形で、毎年表彰を行っているのは、全国で埼玉県本部のみです。 
   久喜市は3名、今年は野球部会のW氏、サッカー部会のN氏、バドミントン部会のS氏です。各
  市町村本部が推薦、県本部員会で決定します。久喜市からはS氏のみの出席でした。今後
  共のご活躍を祈念いたします。
   この日本部長が欠席、本部員会、この表彰式と私が代行しました。それぞれの代表の方に
  表彰状(盾)を贈呈、その後『この表彰は長いことご苦労様でした、という意味ではありません。
  今後ともご活躍ください、というものです。厳しい状況の中、子どもの明るい未来を切り開く
  活動に一層のご尽力を賜ります。』と挨拶しました。
   後は楽しい懇親会、「正林一平」さんの奏でるサクソフォンをバックに、親しいスポ少仲間
  との楽しい歓談のひと時を過ごしました。


    平成29年度・第8回久喜市綱引大会 12/3(日) 毎日興業アリーナ










 
上左  1400人の参加選手   上左2 あいさつする田中大会会長
 上右2  参加選手代表宣誓     上右  3レーン使って同時進行
 
下左   優勝した中学年男子   下左2 一般2位の市役所チーム・正しいフォームです
 下右2  多くの先生方がユニフォームで参加してくれました  下右 表彰式・中学年女子 


 
 平成29年度・第8回「久喜市綱引大会」を、3日「久喜市総合体育館・毎日興業アリーナ」で
 開催しました。旧久喜市時代から開催しており、当時を含めると「第33回」となる、歴史と伝統を
 誇る大会です。久喜市が埼玉県における綱引発祥の地であること、私がその当初から35年を
 越えて、この競技に関わってきたこと、そして本年5月の「久喜市綱引連盟」総会において、
 3代目の連盟会長に就任した事、そんな諸々はすでに報告してあります。そんなこともありこの
 1カ月、市内7小学校にほぼ連日、綱引指導にお伺いするという、本当にあわただしい日々を
 過ごしてきたこともまた報告してあります。

  とにかく今大会155のチーム、1、390名の選手諸君に参加を頂きました。今年もまた昨年
 大会を上回り、史上最高を記録した事に成ります。チヨット限界に近づいていますが、大会開催
 側としては嬉しい限りです。大会の主催は久喜市と久喜市教育委員会、綱引連盟会員と久喜市
 スポーツ推進委員協議会のメンバーで、競技役員を構成、私が総括責任者を仰せつかって
 います。前日18:30からと、今朝は7:30集合、準備を終えました。
  
8:30受付開始、1400人の参加者が一斉に入場するのですから、もうイモを洗うようでした。
 開会式です。3段に整列してのものですが、さすがに広いアリーナも超満員の状態でした。
  競技場の注意を受けて早速協議開始です。本物の競技用マットを敷いて、3レーンで同時
 進行です。本部席に近い側から、高学年の部、中学年の部、低学年の部、というように。
  各レーンに5人の審判を配置しました。市のメンバーの他に、県綱引連盟役員が6人も応援に
 来てくれました。毎度の事ながら嬉しく、感謝申し上げます。

  競技が始まると、猛烈な仲間からの応援、ホイッスルの音も聞こえないほどです。何せ7つの
 小学校に指導にお伺いしました。顔見知りの子供から「綱引きのコーチ」と声をかけられます。
 嬉しくなって「頑張れよ」とやると、対戦相手も教え子だったりして、「僕たちもだよ」とやられ
 思わず苦笑いというありさまでした。私の他に連盟役員が指導にお伺いしています。また各学校
 の先生たちも「一般混合の部」にもチームを組んで参加してくれています。だからどのチームも
 けっこう「さま」になった綱引をしています。そのレベルを伝統の故、とうれしく思うものです。
  何としても参加チームが多く、午前の予選リーグを終えたのは、正午を大分回っていました。
  午後からは決勝トーナメントです。矢張り各部門で、よく訓練され、比較的体の大きいチームが
 残っていました。所で「綱引」はなぜか「太田小」が強く、昨年は全部門優勝を独占しました。しかし
 今年は、3部門、「青毛小」が2部門、「小林小」1部門と分散しました。これも普及と各学校の
 努力の表れと評価します。
  特に衝撃だったのは高学年女子の部の「小林小」、小規模校ですが、身体もそろい、見事な
 訓練が積まれていました。その「小林小」の子供たちを指導したのが、「一般混合の部」で
 ぶっちぎりで優勝した、「小林クラブ」の方々、専門家がおられ、本格的競技大会出場チーム
 並の器具、道具も備え、圧倒的な強さでした。いつも「一般混合の部」は、「久喜市役所」と
 私の地元の祭り若者チーム「弐心睦会」が、決勝を争います。その「弐心睦会」ですが、2チーム
 エントリーしておきながら、突然欠場しました。何と秩父の夜祭り参加の為との事、このバカ奴ら
 来年は山車曳かせねーぞ、と怒っています。
  大勢の方々のそれぞれの努力を頂いて、無事終わる事が出来ました。閉会式で「講評」に
 立った私は、そんな皆様にお礼を申し上げ、「綱引きはエース・主役のいない競技、8人が1本の
 綱に思いを込め、1つになって成り立つ、みんながみんなを思って出来る競技」と話し、そうした事
 で過ごした今日1日は、これからみんなの学校・職場・地域に、好もしい影響を与えてくれると
 確信しています、とお話ししました。最後にこれからも久喜市の各種行事にご参加を頂き、明るく
 元気な久喜のまちづくりにご尽力いただくことをお願いし、結びとしました。
  お疲れさまでした。ありがとうございました。

   ◎ 久喜市スポ-ツ少年団野球部会納会 12/2(土) 三高サロン

  私の様にスポーツの世界に、どっぷりつかって毎日を
 送っている人間にとって、風の音や、木々のざわめきに
 季節感を感じる事はありません。**の大会案内が入った
 からもう春だ、**を準備するからもう秋だ、とスポーツ行事に
 よってのみ、季節を感じる事に成ります。師走に入り第1土
 が、バドミントン県大会、次の日曜が綱引大会、第2日が
 県スポ本部員会と表彰式、第3日が新春ロードレース大会を
 準備する理事会、第4土・日がウィンターカップ、これが


 終わると大晦日で正月だ、という事に成ります。もうすっかりそうした私の季節感の中に定着した
 市スポ少野球部会納会は、毎年12月第1土曜日夜に開催され、私に師走の入りを告げる行事
 なのです。
  久喜市スポーツ少年団は、市内で種目別大会を行う部会が6つあります。「野球」はその中で
 14団体と最大の組織であり、また最も少年団的、そしてまじめな組織なのです。市内大会だけ
 春・夏・秋のトップチームの大会、冬の新人戦、その合間に2回のジュニア大会が入ります。
  そのすべてに私へ開会式、閉会式・表彰式の案内が来ます。全ての開会式に、あの整然
 とした入場行進があり、指導者の指導者綱領、団員の団員綱領の朗読があります。閉会式・
 表彰式も流れるように進行します。そうした一連の流れ、準備から後片付けまで、とにかく
 真面目で、ルールをきちんと守る野球部会の指導者がいます。私はそうした姿を1年で最低6回
 12日以上見ている訳で、いわば1年間を野球部会の行事と共に送る事に成ります。

  そうした野球部会の1年最後の行事が、この「納会」となります。1団から指導者、育成会会員
 10名を超す団もあれば、4~5名の所もあります。全体としては必ず100名を超します。
  来賓は私と野球連盟代表のみ、挨拶が終わり、抽選で次年度の幹事団を決め、懇親に入り
 ます。その時間に各団別が全員が壇上へと進み、1年間の反省、次年度への抱負等を述べ
 ます。『**大会優勝させてもらいました。来年は優勝を狙います。』というように。『ウチだよ』
 などのヤジが入り、本当に和やかです。しかしです。そうした言葉の中に『来年は*人しか
 いません。試合には出られませんけれど、団活動は継続します。』とか、『5年生以下*人、
 もう少しで試合が出来ます。この冬頑張ります。』といった発言があるのです。和やかな気分
 が消し飛び、深刻な思いに駆られます。この人たちの真面目さ、この雰囲気の良さを思うと
 もっともっと良好な環境を、と思うのです。頑張らねばならないのは私自身なのです。
  そんなことを思っているうち19時近くになりました。明日の「綱引大会」の準備で体育館集合
 は18:30です。目の前の料理を恨めし気にみて、中座しました。
  野球部会の皆様、お許し乞う。トニカク来年もまた皆さんと一緒に過ごさせていただきます。


  埼玉県スポーツ少年団バドミントン交流大会 12/2(土) 久喜総合体育館  


  平成29年度・第36回
 埼玉県スポーツ少年団
 バドミントン交流大会が
 2日、久喜総合体育館
 毎日興業アリーナで
 開催され、県本部を
 代表し、出席しました。


  このアリーナは先の埼玉国体のバドミントン競技の会場、その後の中体連・高体連等、県内
 バドミントン競技の主要な大会は、ほとんどここで行われています。加えて県スポーツ少年団
 バドミントン部会は、発足時久喜市内バド少年団が主導、今も事務局を構成、そんな事もあり
 バド部会県大会はいつも久喜を会場としている事に成ります。
  今大会は22のチームが参加し、団対抗戦です。登録数に応じ、複数チームが出場している
 団もありますので、実際の出場団数は10台となります。確か県内登録団数は29団と記憶して
 います。団対抗の団体戦には、ある数が必要であり、そこまで団員数のいない単位団は出場を
 見合わせたという事なのでしょう。先日の「体操」少年団同様、それぞれに苦しい状況をもって
 いるようです。それでも地元「江面シルバースマッシュ」代表の見事な宣誓、その後の写真の
 ように、アリーナ一杯に広がっての対抗戦は、やはり少年団の大会にふさわしい、さわやかな
 ものでした。
  外で出たら、市民グラウンド・多目的広場4面を使って、サッカー少年団新人戦の東部地区
 予選大会が行われていました。明日はアリーナで「綱引大会」、10日は県本部員会兼表彰式
 17日は市本部臨時総会、23・24日が、ミニバスの「ウィンターカップ」で、24日は新座市での
 アンダー10サッカー県大会と、師走の月も行事で目白押しです。ありがたいことです。身体が
 元気でないとできない事、もう少し頑張り続けます。

  ◎ 平成29年度・県スポ少東部ブロック本部長会議 11/25(土) 宮代町

 
 埼玉県スポーツ少年団の最高決議機関は「代議員総会」
 です。この代議員のほとんどを占め、各市町本部の運営
 責任者である、市町村本部長にお集まりいただき、県の
 状況を報告、意見を交換し、課題・情報を共有する、プラス
 懇親を、そんな種々を目的に、毎年この時期にブロック
 本部長会議を開催しています。平成29年度「東部ブロック
 本部長会議」が、25日・宮代町・「日本工業大学校友会館」
 で持たれました。


 
 「東部ブロック」を構成するのは、15市町です。久喜市・加須市等合併で、だいぶ町本部がなく
 なりました。12市町本部からご出席を頂きました。
  佐藤県本部長が欠席のため私が代理で挨拶、今回お骨折りを頂いた宮代町・関根本部長、
 同町教育長(代理)の挨拶の後、直ちに会議に入りました。
  本日の議題は以下の3点です。
 1・スポーツ少年団登録者処分基準の運用について
 2・平成29年度・埼玉県スポーツ少年団の登録状況について
 3・スポーツ少年団の未来に向けて「育てよう! スポーツで 子どもの心と体」

  (1)は私が県のプロジェクトの責任者として、まとめてきたものです。すでに県本部では「埼玉県
 スポーツ少年団倫理規定」が制定され、処分基準の運用が始まっています。各市町本部におい
 ても、同様に「規定」を制定し、運用を開始していただきたい旨のお願いです。大切なことは、
 「適切な処分執行のため」ではなく、処分など必要のない、少年団活動を展開する事です。
  ご理解をお願いします。久喜市でも30年度からの適用を目指し、準備してまいります。

  (2)です。少子化と種々の社会情勢から、少年団が長期減少化にあえいでいることは、何度も
 報告しています。今年は県レベルで団1、630団、指導者18、015名、団員48、282名が
 登録しました。いずれも残念ながら35団、348名、903名の減となっています。
  サッカー・野球といった大手の減が目立ち、サッカーは8団・団員768名、野球は12団・団員
 314名も減少しています。 
  久喜市は49団、504名、1、233名です。団1増、指導者20名増ですが、団員は42名減と
 なりました。ちなみに東部ブロックにおいて、団数は春日部市(53団)に続いて2位、指導者は
 同じく春日部市(648名)に次いで2位、団員数は、春日部市(1、498名)、越谷市(1、340名)に
 続いて3位、また全小学生数の中で、少年団団員の占める割合(加入率)は、1位羽生市18・82
 %についで、15・47%で2位となっています。加入率の減は、小学生数減少率を、県・久喜共に
 上回っており、深刻な問題を投げかけています。
  (3)は望ましい少年団活動りあり方を求め、県プロジェクトでまとめたものです。パワーポイント
 も作成、研修会等での活用を求めています。
  
  出席した各市町本部から意見を頂き、来年度の会場を加須市、ついでにその翌年の会場を
 越谷市と決定、会場を移しての懇親会に移りました。懇親・交流、こちらも重要なひと時でした。


 第3回・久喜マラソン大会の準備が始まりました11/24(金) 中央公民館 

 
 下段で報告したように、私は今、目前に迫った「久喜市綱引大会」の準備に追われています。
 それに構い過ぎていましたら、来春の第3回・「よろこびのまち 久喜マラソン大会」、私が責任者
 を勤める「運輸部会」の会議を開催する事となりました。もうその時期を迎えているのです。

  第3回となる大会は、来年3月25日(日)開催されます。昨年より1週遅れとなります。主催・主管
 後援団体、そして多くの団体が、正に「オール久喜」として、開催されるのも変わりありません。
  種目もハーフマラソンの部、3Kmの部、2Kmの部、親子2Kmの4種目、各種目ごとに性別
 年齢別にいくつかの種別に別れ、合計19種別で行われるのも同様です。
  上記の様に多くの市民団体が参加、部会を構成し、実行委員会を構成しています。競技部会
 走路部会(コース役員)、式典部会というように、私たちスポーツ少年団は「運輸部会」を担って
 います。駐車場、シャトルバス、選手収容・搬送などが内容です。
  まず「駐車場」です。総合運動公園内駐車場は無論、周辺の企業・民間駐車場の協力を頂き
 2、222台分の駐車場を確保します。全部で17カ所となります。
  次に「シャトルバス」です。久喜駅前・旧東京理科大跡地から、会場まで選手を運びます。
 駅前は朝日バス10台、理科大川は市バス4台を予定しています。
  次に「選手収容・搬送」です。ハーフの部は3か所の「関門」を設置しています。①鷲宮中学校
 ②弦代公園、③ホテル久喜です。制限時間を過ぎた選手を収容、会場へ搬送します。
  この3つが当日の「スポ少」が担当する役割です。駐車場52人、シャトルバス13人、収容・
 搬送21人の役員を要し、計・86人という膨大な数に上ります。今までと同様、常任理事以上の
 役員、各単位団からコース内の久喜・鷲宮地区2名、菖蒲・栗橋地区1名の役員派遣を12月
 開催予定の理事会で要請します。
  今まで同様のご協力をお願いします。

  久喜のマラソン大会は、手づくり・市民上げてのものとして、参加者に大変好評です。マラソン
 愛好者たちの情報サイト・「ランネット」でも、総合評価85点という高い評価を頂いています。
  今回も「笑顔と真心」で、参加選手を迎えたいと思います。少年団諸兄姉の協力を、再度
 お願いします。すでに11月1日からエントリーを受け付けています。現時点でハーフの部
 1、810名、3Kmの部161名、2Kmの部106名、親子の部92組、計2、261名の申し込みが
 あるそうです。これは昨年の同じ時期を100名上回っているとのことです。
  昨年の大会には、4、850名の申し込みがあり、当日参加者は4、184名でした。

  来年3月25日の大会本番が好天に恵まれ、これを上回る参加者を得て、開催できるよう
 これから準備に当たってまいります。


   ◎第7回・県スポ少体操競技交流大会 11/23(木・祝) 川越市立体育館

 
 第7回を数える平成29年度
 
「埼玉県スポーツ少年団・体操
 競技交流大会」に、県本部を
 代表し、参加しました。
  
会場は、陸上競技場等も
 共にある、「川越運動公園」内
 川越市体育館です。


  県スポーツ少年団では、種目別県大会を13種開催しています。1つは「駅伝大会」、もう1つは
 「複合」ですから、実際の種目別大会は11となります。一番大きく、歴史のある種目別大会は
 「サッカー」で、今年度は46回を数え、参加チームは450を超します。今日の「体操競技」の
 それは第7回で、9チームでした。間違いなく県スポ少の中で、1番若く、かつ小さな県大会と
 言えます。この体操競技の県大会組織化に、大変な努力をされたのが、県スポ少副本部長を
 短い期間でしたが、ご一緒した越生町のI氏、「複合部会」から独立、「体操競技部会」、そして
 県大会へと進めた事に成ります。大変なご苦労があったことと評価するものです。

  開会式を終え、役員の方といろいろ話しました。ジュニアの体操競技においては、1から5
 ランクまでの「規定」があるそうです。少年団で行われるのは3以下、基礎中の基礎と言えます。
  会場に設置されていたのは、マット(床競技)、跳び箱、鉄棒(高学年)でした。跳び箱は高さ、
 床・鉄棒は、演技内容がランクによって異なるそうです。
  また指導に当たり、認定された指導者が2名は義務付けられており、団によっては指導者の
 不足、高齢化という深刻な問題もあるとのことです。
  それともう1つ、専門的指導者による、従って競技レベルの高い、いわゆる「クラブ」が、
 こどもの、というより親の人気が高く、少年団は苦しい運営を強いられている、とも言って
 いました。最近この傾向は、どの種目も共通のようです。

  団員は圧倒的に低学年が多く、かわいらしいものでした。写真の様に普通の体操着から
 本格的レオタードと、コスチュームは自由、このレオタードは7000~1万円位と、他の
 種目のユニフォームと比べて高いものではありません。最近バドミントンやソフトテニス
 のラケットは、かなり高額の物を、子供たちも使っています。
  普通の小学生ならだれでも飛べるレベルの「跳び箱競技」において、着地した後、あの
 テレビでよく見る、体操競技の選手の様に、両手を斜めに上げてポーズをとる、その姿に
 思わず微笑んでしまいます。
  手作りのこじんまりした良き大会でした。苦しい状況はどこでも同じです。スポ少体操競技
 の充実・発展を願い、1時間ほど観戦の後失礼しました。
  
写真・競技中は特定者以外禁止、練習風景のみです。

 ◎ 29年度・久喜市綱引大会の準備を終えました11/21(火)久喜中央公民館

  平成29年度・「第32回久喜市綱引大会」を10日後に控え「綱引連盟」、「スポーツ推進委員会」
 等で構成される実行委員会は、最終会議を持ち、大会へ向けての準備を終えました。
  私個人としてはこの間、市内各小学校での「綱引」指導に追われました。去年までは個人と
 しての依頼でしたが、今年は「連盟」代表としての公的依頼、お伺いしたのは7校にのぼりました。
  本H・P「市政ニユース」のページでも報告したように、この間3日間の宿泊による研修会参加が
 2週連続してありました。11月定例会の準備のための会議もあり、午前A校、午後B校といった
 連日で、目が回るほど忙しい毎日です。
  さて今回の参加者数です。小学生男子低学年31チーム・273名、同女子10チーム90名、
 中学年男子35チーム・309名、同女子23チーム201名、高学年男子20チーム・187名、
 同女子20チーム177名、一般男女混合16チーム・151名、計155チーム1388名の参加
 申込を頂きました。去年が146チーム・1320名でしたから、9チーム・68名増という事になります。
  プラスして各チーム1~2名の監督・マネージャーがつきますので、参加者1500名、応援の
 大人たちを入れて、2500名を超す熱気の中で大会を迎える事に成ります。もうちょっと限界、
 という所ですが、正にうれしい悲鳴です。今年新たに「栗橋小」が参加、市内小学校から16の
 学校に参加を頂きました。また一般の部も5チーム参加が増えています。連日の疲れも吹き 
 飛んでしまいます。
  大会会長は田中市長、副会長は柿沼教育長、参与に4体育団体長と綱引連盟会長としての
 私です。大会競技役員と運営役員は、綱引連盟会員とスポーツ推進委員の皆様、私が統括
 責任者を勤めます。審判員は3つあるレーンに5人ずつ張り付きます。いつものことながら
 県綱引連盟から6人の強力な応援を頂いています。心より感謝申し上げます。
  受付開始時間は8:30です。~9:10
  開会式 9:20~9:40
  競技開始 9:45   閉会式 15:30予定
  ※ 参加選手は指定の場所に席を占めて下さい。本部側2F、バックスタンド側1・2F
  ※ 試合は予選リーグ、決勝トーナメントです。決勝トーナメントの決勝戦のみ3本引きです。
  ※ 3位決定戦は行いません。従って3位は2チームとなります。

  注意事項 ご協力をお願いします
  ● 大変な車の数が予想されます。可能な限りの乗り合わせをお願いします。
         特に後から来られるご父兄の方
  ● なごみの湯、他、民間駐車場への駐車は絶対おやめください。
  ● 受付の際、入り口が大混雑します。走ったり、押し合ったりはおやめください。
  ● ゴミは必ずお持ち帰りください。
  ● 各自の荷物は各自で責任を持ってください。
  大会本番まであとわずか、体調にご留意ください。それでは皆様当日お会いしましょう。
    思い出に残る楽しい1日であるよう、大会運営に最大の努力を払います。 


    ◎ 第3回・くき健康ウォーク 11/19(日) しずか館スタート・ゴール










   折から襲来した寒波の中、開催された第3回となる、「くき健康ウォーク」に役員として参加しま
  した。久喜市・久喜市教育委員会、久喜市体育協会、久喜市レクリエーション協会4者の主催
  によるものです。このホームページの、いくつかのページで報告しているように、11月の私は
  殺人的に忙しい日々を送ります。2泊3日の研修が2回あり、11月定例会が始まり、そして
  ウイークデイは毎日「綱引」の指導が入ります。そんなわけで、この大会への役員としての参加
  は今年が初めてです。これもレク協構成団体=綱引連盟の会長になったためと言えます。
   第1回が久喜地区、昨年は鷲宮地区を会場に行われました。今年は栗橋地区、「栗橋文化
  会館イリス」で開催される、栗橋地区の市民祭り、「やさしさ ときめき祭り」に合わせたもの
  です。ちなみに来年は菖蒲地区、日程は「ブルーフェステイバル」開催中とのことです。
   コースは栗橋駅近くにある「いきいき活動センターしずか館」を、スタート・ゴールとする10Km
  5Kmの2コースです。参加者は事前申込者が280名、プラスして当日申込者で300名強と
  いった所でした。コースの紹介はチヨット表現しにくいのですが、スタートして北へ向かい、八坂
  神社から、栗橋宿を南下、「栗橋文化会館」により、いったん駅の西側に出て、橋上の栗橋駅
  を抜け、東口駅前からゴールというものです。

   -写真左は開会式-、「しずか館」は統廃合で廃校となった旧「栗橋北小」、大きな校庭を
  持っています。コースには指導票と、コース役員が随所に立っています。―写真・中・右―
   私はスタートしてすぐの地点、全員が通り過ぎて、ゴール近くの栗橋駅西口前に移動、と
  2か所を担当しました。所でこのウォーキング大会は、一斉スタートではありません。当日
  申し込みの人などは、済ませてから出るのですが、グループ同士でばらばらに、1時間の範囲で
  スタートするものでした。加えて丁度疲れが出る、「文化会館・イリス」で、休憩を兼ね、テナントで
  買い物をする人などいたそうです。何のことはない、最初から、最終までほぼ3・50時間、
  コース役員として、1番長く立ち尽くしたことになります。参加者は参加標を首からぶら下げて
  いますが、あまり目立つものでもありません。服装も写真の様に、一般通行人とあまり変わらず
    マラソン大会と違い、派手なものではありません。
   最もウォーキング自体がそうしたものなのでしょう。こつこつと毎日積み重ねることによって
  健康体力の維持増進に繋がるのです。私も20年近く毎日1万歩を歩いてきました。
   これからも続けていきたいと思いますし、高齢社会の中、高齢者の病気予防=健康づくりと
  して広めていきたいと考えます。   
 
     久喜市綱引連盟「綱引講習会」 11/4(土) 江面第2小体育館 
                                          
 
  私が「久喜市綱引連盟」
 の本年度の総会において
 会長に就任したことは、
 すでに報告してあります。
 本ページ5/27日付参照
  その時にも述べましたが
 「綱引き」というのは、
 極めて特殊な競技です。

  いわゆる大衆化できるものではありません。相当運動している人間でも、2本で゜も引けば
 吐き気が出るほどです。おっつけ一部の人間のみに限られる事に成ります。しかし綱引きは
 8人が気持ちを一つにしてこそ成り立つ、究極のコミュニティスポーツと言えます。ですから久喜
 は早くから(昭和58年)この点に着目し、子供中心の大会を組織してきたのです。従って「久喜市
 綱連盟」の仕事のほとんどが、「市民綱引大会」を成功させることにあるのです。

  今回この研修会を組織するにあたり、審判・運営・参加選手・参加選手への指導、いろんな
 立場の方々に、参考になるものをと考えました。連盟会員だけでなく、「一般の部」に常時参加
 しているチーム、小学校の体育主任、もちろん「スポーツ推進委員」の方たちにご連絡申し上げ
 ました。結果約20名の参加を頂きました。特に「市役所綱引きクラブ」のメンバーに、多数の
 参加を頂きました。御礼申し上げます。
  講師は「埼玉県綱連盟事務局長」のТ氏、いつも久喜の大会の際には、応援の審判を頂いて
 います。結果はやはり「審判」の講習が主となってしまいました。まあ致し方ない所でしょう。
  でも全員が主審の講習=体験を積めて、綱引きに対する理解が深まったことと思います。

  さて今年の大会も12/3(日)、「毎日興業アリーナ」で開催されます。すでに参加申し込みを
 締め切りました。今年も1200名の参加を頂いています。チヨット限界に近く嬉しい悲鳴を
 あげています。「綱引き巡回講習会」にも、多くの申し込みを頂きました。これはもう今年に
 始まったことではありませんが、11月のウイークデイは、公務のない限り毎日、どこかの学校に
 伺う事に成ります。まあ身体が健康だから出来る事で、最後まで頑張ります。
  今は大会が成功裏に終わる事のみ願っています。

  ◎ 綱引大会へ、早や指導が始まりました。10/26(木) 久喜市立青毛小 

  私と「綱引」との関係
 については、もう何度も
 記してきました。今年も
 「久喜市綱引大会」が
 が、12/3(日)・「久喜市
 第一体育館・毎日興業
 アリーナ」で開催されます。



  今、大会参加者を募集中です。間違いなく今年も、参加者1000人を超す大きな大会となる事
 でしよう。私にとって今年大会は、特別なものとなります。5月の「久喜市綱引連盟」総会において
 会長に推され、責任者としての初の大会となるからです。
  まず、11/4(土)に審判・大会運営者・参加選手、それぞれの立場でプラスとなる講習会を
 計画しました。次に参加選手、特に小学生を対象とする「綱引巡回講習会」への申込を募集
 しました。「栗橋南小」・「青毛小」・「栢間小」等々からご連絡を頂いています。その他毎年私
 個人に、指導の申込を頂いていた、「久喜小」・「北小」にも今年もお伺いする事に成ります。
 ただ私の立場が異なり、この2つの学校のみ、とはいかなくなりました。お許しを頂きます。

  そんなわけで今日、「綱引連盟」に申し込みいただいた学校の中で、初の「久喜市立青毛小」
 での綱引指導となりました。本当は1時間位は欲しいのですが、どこの学校も中々放課後に
 子どもを残す、というのは難しいようです。大会まで3日間、昼休みを使ってというスケジュール
 です。ただチヨット長く30分以上取れました。今日は最初でしたので、オーダーの組み方
 綱の正しい握り方、入場の仕方、そしてほんの1・2本の引き合いで終わりました。若手の
 綱引連盟役員で、スポーツ推進委員のK君のお手伝いを頂きました。ありがとうございました。

  11月に入るとほぼ毎日となります。忙しくなりますが頑張っていきます。なお写真は昨年度
 大会のものです。いずれも小学生の引き合いと表彰です。

   ◎ スポ少・ソフトテニス交流大会 10/9(月・休) 運動公園テニスコート 

  久喜市スポーツ少年団には野球・サッカー・ミニバス
 バレーボール・バドミントン・ソフトテニス・空手道・水泳
 ラグビーと9つの種目の単位団があります。そのうち
 種目別部会(体協等で言う連盟)を構成し、市内大会を
 持っているのは長いこと、バドミントンまでの5種目でした。
  昨年6番目として「ソフトテニス部会」が誕生、大会を
 持つにいたりました。
  久喜市スポーツ少年団は久喜市と同じく、本年で8年目
 を迎えています。発足当初から鷲宮地区で、「桜田ソフトテニス クラブ」が活動していました。
  その後栗橋地区・久喜地区と誕生したのです。部会が誕生して昨年、第1回の市内大会を開催
 しました。その時は「野球」の大会と重なり、先約していたためテニスの開会式を欠礼しました。
  だからソフト大会への出席は、今回が初めてとなります。会場は総合運動公園テニスコート
 オムニコートで6面あります。少年団でも県大会レベルだと、10面は欲しいそうですが、市内
 大会なら十分とのことでした。開会式への出席者は前記3団、総勢80名強という所でした。

  少年団が今、少子化を最大の因として団員数の減少にあえいでいることは、このページで
 何度も述べてきました。合併し新本部を結成してから8年、この間に何と野球4団、サッカーと
 バドで3団、バレー2団が解散しています。団員数やっと2ケタ、という団も結構あります。
  それだけに今年新たに加盟した「ラグビー」と共に、ソフトテニスの頑張りには感謝する事
 大なるものがあります。中学生10数名を要する団が2つあるのも特色です。
  
  大会は男女別高学年・低学年の4部門、ソフトテニスはダブルスのみです。コートの大きさ
 ネットの高さ共にハードと同様です。ハードはネットのセンターをヒモで釣り。少し下げます。
  実はソフトテニスは、かって久喜中で大変強かった種目です。また久喜工業高校・久喜高校も
 熱心に活動しています。一昔前というより、三昔ほどの前の、私の埼葛体指の仲間だった杉戸の
 「О女史」が全国レベルの指導者、熱心な指導で少年団・中学生共に、杉戸町は県内最強
 全国レベルにあります。そんなことを思い出しながら、あの「ポーン・ポーン」というソフト
 テニス独特の音の中で、1時間ほど試合を観戦、会場を後にしました。


   ◎ サッカーW・C本大会(2018ロシア)出場決定! 8/31(木)

  サッカーの日本代表チームは、本日「埼玉スタジアム」において行われた、アジア地区最終予選
 対「オーストラリア」戦に2-0で快勝、予選最終戦の「サウジィアラビア」戦を残して、来年の
 「2018・ロシア大会」への出場を決定しました。久喜市において、サッカーに深く関わってきた
 者として、6大会連続、6回目の出場を何よりも喜ぶものです。

  ロシア大会を第21回とする「サッカーワールドカップ」は、オリンピックをはるかに凌ぐ、世界
 最大のスポーツ大会であることは、よく知られています。日本はこの大会に1954年から参加
 していますが、予選で惨敗、そもそもワールドカップが、どんな大会かさえ知らなかったと言われ
 ています。東京オリンピック(1964)―メキシコオリンピック(1968・銅メダル獲得)―日本リーグ
 発足と、確実に進歩向上してきた日本のサッカーでしたが、しかしワールドカップへの道は長く
 厳しいものでした。プロとしてのJリーグが誕生した1993年、翌年のアメリカ大会の最終予選
 イラク戦での「ドーハの悲劇」は、今でもはっきり覚えています。
  そして「1998・フランスワールドカップ」最終予選、B組2位の日本は、A組2位のイランと
 アジア地区3代表の最後の椅子を巡り、「マレーシア・ジョナールバル」で死闘を繰り広げました。
  2-2で延長に入り、Vゴールでの決着となりました。後半・中田の打ったシュート、キーパーが
 はじいたところへ走りこんだ、岡野のスライディングシュート、4年前の「ドーハの悲劇」が
 「ジョナールバルの歓喜」となった瞬間でした。テレビを食い入るように見つめるだけだった私は
 ただただ涙を流すだけでした。初めてW・Cに挑んで以来、実に43年越しに、日本のサッカーが
 夢の舞台に立つ事が実現したのでした。
  以来日本は2002・日韓、2006・ドイツ、2010・南アメリカ、そして前回2014ブラジルと
 5回連続本大会に出場、今日の快勝で6大会連続、6回目となったわけです。

  すっかりアジアの強豪=W・C常連となった日本ですが、今回の予選も決して楽なものでは
 ありませんでした。初戦のUAE戦、思わぬ敗北となりました。このような予選形式となってから
 初戦を落として本大会へ出場した国はないのです。「アギーレ」前監督の思わぬ事件、交代した
 「ハリルホジッチ監督」の評価も今いちでした。中心選手の多くが、ヨーロッパ各リーグでプレー
 する時代です。コンディショニングの問題がありました。しかし本田・岡崎・香川といった文字
 通り日本をけん引してきた選手に代わり、原口や久保といった若手選手、逆にベテラン今野
 といった選手が日替わりで大活躍、B組トップでこの日を迎えた事に成ります。
  この日も前記ベテラン組はベンチ、若手が活躍、22歳の浅野、21歳の井手口のゴールが
 印象的でした。今日本のサッカーはあげて「ポゼッションサッカー」を志向しています。ボール
 獲得率、丁寧にバスをつなぐ、そのために必要な技術と瞬間的判断力を育成する、という
 やつです。確かに蹴って、走って、というサッカーより重要でしょう。しかし球際の強さ、
 運動量、激しく競い合う、という事は何をおいてもサッカーの原点と言えます。わが愛する
 「浦和レッズ」が、どうも勝負弱いのはこの辺にもあるのではないでしょうか。「ハリルホジッチ」
 監督のサッカーも、この点で評価するものです。

  さて来年6月から7月、ロシアで行われる本番です。日本チームは「日韓・南ア」大会だけ
 決勝トーナメントに進出しましたが、他は予選リーグで敗退しています。「歴史を創る」と豪語した
 前回大会は、一勝も挙げられませんでした。それだけ世界のレベルは高いのです。
  1人として確定している代表選手はいない、と言われる現状です。どうかベテラン・若手、海外組
 Jリーグ選手、長所を取り入れた良きチームを作ってください。
  もうワクワクして来年6月を待っています。
 

  ◎ 議員ソフトボールチーム見事に?敗退 8/27(日)南栗橋スポーツ広場










  2カ月に渡る猛特訓?を経て、いよいよ大会本番を迎えました。この大会は「平成29年度
 第30回県民総合体育大会・兼・第8回市民ソフトボール大会(体協祭)」という長いものです。
  旧久喜市体育協会の理事長・副会長を勤めた私は、この大会の発足時も、趣旨もよく理解
 しています。組織内だけでなく、何らかの形で一般市民の参加できる大会とし、普及と拡大を
 図ろうというものです。
  ソフトボールも一時期は、職場・町内会等の急造チームが結構参加したそうです。それが
 このところゼロ、危機意識に駆られた協会役員は、工業団地内企業10数社を参加要請に
 訪問したとの事、結局組織外参加チームは私たちだけ、協会役員はよほどうれしかったらしく
 前記したように、わざわざ役員チームを編成して、私たちの練習試合の相手をしてくれたり、
 開会式では感謝の言葉までいただきました。てなことで私たちの急造チームも、それなりに
 楽しい2カ月間を過ごせましたし、意思疎通の場ともなりました。感謝するのはむしろ私たち
 なのかも知れません。

  私たちの試合は南栗橋スポーツ広場、第1試合で9時開始です。総合開会式が8時から
 総合運動公園多目的広場でありました。これに出ますと試合開始に間に合いません。何人か
 出ればよいですよ、とのことで5人が開会式に出ました。私は勿論開会式に出ました。責任者
 故、と言いたいところですが、実際はスターティング(否・全過程)メンバーではない、といのが
 理由です。小山会長、田中市長(体協会長)、わがチームの代表・柿沼議長等の挨拶を受け
 終了、急いで南栗橋に向かいました。
  相手は栗橋地区の「上2」チーム、わがチームは17名も参加しました。若手K君も参加、
 一応最強メンバーが組めました。とにかく外野にフライが飛んでも、何とかなるという布陣です。
 ピッチャーはN氏、わがチームでストライクを投げられる唯一のエース、ただし所属する地元
 ソフトチームでバッティングピッチャーとの事、ために実に打ちやすいボール?を投げる習慣
 があります。良く打たれました。わがチームも良く打ちましたが、正面を突いたりとやや不運な
 面もありました。結局善戦むなしく?、5-14で惜敗?しました。
  でも副議長と私を除いて、全員試合に出ることができましたし、柿沼議長、S氏・М氏が
 ヒットを打ち、K氏はファインプレーとそれぞれ活躍、練習の成果が表れていました。
  とにかく仮に、あくまでも仮にです。もし1回戦勝つと、この日第3試合が2回戦となります。
 動けない選手が続出します。マア負けて良かったという所です。最終秘密兵器とされる私が
 最後まで秘密のままだったというのも、敗北の一因かもしれませんが。
  とにかくみんなの協力を頂いて楽しい2カ月でした。この日応援を頂いた田中市長、局長
 他の皆様に感謝します。

  夕刻「なごみの湯」で打ち上げ・解散式を行いました。来年は「市議会スポーツクラブ」を
 組織して、公共体育施設利用団体として登録、ソフトボール以外にもいくつかの大会に出よう
 との声がありました。しかし皆さん、来年の事を言うとオニが笑いますよ。


      ◎ 花咲徳栄高校・県勢初全国の頂点へ  8/23(水)

  8月8日より兵庫県西宮市の「甲子園球場」で行われていた、「第99回・全国高等学校野球
 選手権大会」は、23日決勝戦が行われ、埼玉県代表の「花咲徳栄高校」は、広島県代表
 「広陵高校」に14-4で圧勝、全国3839校の頂点に立ち、埼玉県勢としては初めて深紅の
 大優勝旗を手にしました。
   埼玉県代表校としては春の選抜は2回、「大宮工業高校・1968」と「浦和学院高校・2013」
 が優勝しています。夏の全国大会は1951年に「熊谷高校」、1993年に「春日部共栄高校」と
 共に準優勝に甘んじてきました。それだけに悲願であった県勢初Vはまさに見事であり、心から
 敬意を表し、祝福するものです。
  優勝の因はいくつかありますが、ここ3年連続して全国大会に出場、好成績を上げてきた事
 から、単に甲子園に出る、から全国一を目指した練習を積み上げてきた事が第一にあります。
  綱脇・清水の両輪、切れ目のない打線等がその中身でした。同じく県を代表する名門、
 「浦和学院高校」は、今春の関東大会で優勝、強豪チームでしたが、県大会決勝で圧勝した事に
 それが良く表れています。
  それにしても本番の準決勝戦、対「東海大菅生」戦のみ、最終回で追いつかれ、延長戦にもつれ
 込む接戦でしたが、他はいずれもスコア的には圧勝でした。「広陵・盛岡大付属・前橋育英」と
 皆強豪ぞろいです。実力にはそんな差はないわけで、やはり優勝するには目に見えない何かが
 働いたと言えるのでしょう。その「何か」を見事に手中にした、「花咲徳栄高校」関係皆様に
 再度敬意を表するものです。

  と、マァここでやめとけばよいのですが、スポーツに生きる私としては少しプラスしておきます。
 「暑さ・汗・礼儀・すがすがしさ」に形容される、夏の一大行事は終わりました。負けて涙し、
 甲子園の土を拾い集め、球場に一礼して立ち去る球児たちを見て、ああ高校野球はやはり良い
 感動した、と思うのが普通ですが、そうとばかり言ってられない現状があります。その1は
 全国3839校という出場数です。少子化の中で4000校を割ってしまう、と騒いだのは何年
 前のことだったでしょうか。「高校サッカー選手権大会」へのそれは、確か4160校位と記憶
 しています。中体連・高体連のそれは解りませんが、我が埼玉県スポーツ少年団では
 サッカーは無論、ミニバスにも追い抜かれ、第3の組織になっています。長期低落化に歯止め
 がかからないのです。少年団野球関係者の優れた真摯さを思うと、もう少し報われてしかる
 べしと考えています。
  もう1つ、この大会の主催者「高野連と朝日新聞」の問題があります。どこの高校でも大きな
 戦力になっている「女子マネ」への対応など論外と言えます。
  それと最近では運動生理学関係者から、サングラス・日焼け除けクリームの必要性が多く
 指摘されています。おそらく女子マネ問題に表れる時代錯誤からして、主催者側は一笑に
 付すでしょうが。「高野連・朝日新聞」は、「暑さ・汗・礼儀・すがすがしさ」を前面に、夏の大会
 を神事と考えているのでしょうか。こんなことを続けていれば「夏の一大行事」でもなくなって
 しまいます。それはまじめな野球関係者への冒涜に他ならないのです。


     ◎ 議員ソフトボールチーム大会出場へ―Ⅱ― 8/20(日) 









  久喜市アラカルトのページ、7/6日付でお知らせした、体協祭への参加のための私たち
 議員仲間でのソフトボールクラブの結成、練習の第2報です。
  前記したように毎週木曜日に、1時間強の練習を続けてきました。今年は夏に来て梅雨が
 戻ったかのように、連日不純な天気が続いています。でも私たちの行いが良いせいか、単なる
 偶然か練習は毎回こなしてきました。皆忙しい毎日を送っています。、参加者は最初が1番多く、
 後は7名~13名というところでした。キャッチボール、バッティング練習、守備練習と形通り
 やると丁度1時間強、という毎回でした。
  大会の組み合わせ抽選会を兼ねた「代表者会議」が、19日・午後「文化会館広域展示室」
 で開催されました。「ソフトボール協会」は年間を通し、A~Dの4ブロックで運営されており、
 今大会はA・B2部に別け、各20チーム、計40チームが参加です。勿論私たちはB部門
 抽選の結果第1試合9:00~対「栗橋・上2クラブ」となりました。会場は南栗橋広場です。
  相手チームの実力のほどは全く解りません。ただ間違いなく私たちより強いでしょう。マア
 万が一にもケガの無いよう、本業に支障のないよう心がけていきます。―写真・上左は代表者
 会議―
です。
   
  ところで練習を続けているうちに、身の程知らずの我がクラブ員から「一度練習試合を」との
 声が上がりました。顔見知りの協会役員に話した所快く了承、それも協会役員特別チームを 
 編成しての対戦となりました。「代表者会議」の翌日、20日日曜日の朝、菖蒲寺田グラウンド
 は役員の方々が早朝から整備され、絶好のコンディショニングでした。
  ところでソフトボールの試合は最低、背番号着きの上位と帽子をそろえねばなりません。
  やっとこの試合に間に合い着用して臨みました。それが―写真・中と右―です。協会役員
 チームの平均年齢は60歳代半ばという所でしょう。わがチームとほぼ同じです。先発
 ピッチャーをわざわざ会長がしてくれました。この球を結構打ち込んで、前半は圧倒的に
 リード゜したのですが、途中から後退したリリーフピッチャーの、それなりの球を打てず0行進
 逆にばてが来た我がチームは、後半足が止まり、エラーを続出、結局最終回7回裏9-10
 でサヨナラ負けとなりました。とにかくこの日、1番打席に立った人で5回、3度目までが
 限界で、後は打つ気力さえ無かったと言っていました。やはりスタミナ切れ、体力不足なの
 です。でも楽しい時間でした。
  中心選手の私を温存!しての上記の結果です。もしかしたら1回戦くらいは突破できるかも、
 否、夢にもそんなことは考えずに、終わってからの打ち上げ会を楽しみにします。
  最後の練習を今週もう1回して本番に備えます。大会本番はまたお知らせします。

  
 ◎世界陸上マラソン・川内選手魂の力走、PVで応援しました。
                        
8/6(日) 文化会館小ホール
 

  4日ロンドンで開幕した「世界陸上」は、金メダル
 ならなかった「ボルト」のラストラン、地元「フアラー」
 の脅威のラストスパート、等々で盛り上がっています。
  日本時間6日(夜)、早くも男女マラソンが行われ、
 ご承知のように、わが郷土久喜から「川内優輝」選手
 が出場しました。3度目の出場ですが、今回を代表
 選手としてラストランと位置づけ、その走りが注目
 されていました。


  川内優輝選手応援団長の田中市長を始め、市内から約10名が現地で応援しました。
 また大勢の市民で応援しようと、「パブリックビューイング」が、総合文化会館と川口選手の
 母校、鷲宮中学校で開催されました。静かに応援したい、との思いもあったのですが、やはり
 文化会館のそれに参加しました。会場は300のイス席ですが、5割弱の市民が参加、特に
 前列をオレンジのТシャツで身を固めた、「久喜市を市民ランナーの聖地に、プロジェクト」の
 メンバーが占め、結構盛り上っていました。
  現地で応援した田中市長他のメンバーです。折り返し地点に陣取り、テレビ放映に2度ほど
 登場していました。H議員、U旧議員等、その時会場は大変盛り上がりました。また会場(文化
 会館)の様子を、現地(ロンドン)の市長らにメールで送る、という粋な試みもされていました。

  さてレースです。競技前、正直言って好成績を願うのは無理との雰囲気がありました。
 日本人ランナーでは、アフリカ勢の中盤以降のスパートに、ついていくのは無理、が最近の
 正直な状況だからです。ただ今レースを最後と決め、また好調を伝えられていることから、
 何とか一桁を、最高8位入賞を願っていました。
  レースはほぼ予想通りでした。前半は大きな集団の後方についていました。しかし20Km
 手前からの外人選手のスパートに、徐々に離されていきました。川内選手にはいくつかの
 アクシデントが襲いました。特に躓いて転倒したシーンが放映された時には、会場から
 悲鳴が上がりました。前の大会は17位と18位です。密かにそれより下位の成績を覚悟
 しました。テレビも日本人トップの中本選手のみ追い続け、川内選手を見ることはほとんど
 できない状況でした。レースが終盤に近付いて、9位を走る中本選手に何とか入賞を、との
 思いで画面を見ていたとき、突然その後方に川内選手が登場しました。この時の盛り上がり
 は最高でした。場内歓声に包まれ、全員が立ち上がっての『川内! 川内!』の大合唱と
 なりました。川内選手はあっという間に、中本選手を追い抜き、もうれつなラストスパートで
 8位の選手を追いました。もしアト100メートルあったら、間違いなく入賞していたでしょう。
  ゴールして倒れこむのもいつもの川内選手でした。

  結局「最低目標」とした入賞を果たせなかったという事も言えれば、アノアクシデントで
 30位前後の最悪成績まで覚悟したことを思えば、「見事な粘り、さすが」とも言えます。
  その後の女子選手もふるわず、結局川内選手が最高成績でした。早速「瀬古陸連
 マラソン担当コーチ」が、「引退はもったない。継続を」とのエールを送っています。
  しかし川内選手の性格からして、前言を翻すことはないでしょう。これからは「市民
 ランナーの星」として、市民ランナーの養成に、というより「走り」を通した健康な市民の
 養成に頑張っていただきたいと願っています。
  田中市長をはじめとした現地応援団の皆様、ご苦労様でした。
  最後にPV実施関係の皆様のお骨折りに感謝します。


     早くも綱引大会の準備を始めました。 8/3(木) 中央公民館 

  もう何度も記してきましたが、「久喜市綱引大会」は毎年12月第1日曜日に開催されます。
 連日の猛暑にあえぐこの時期に、早くもその準備が始まりました。3日、今年度の大会のため
 の第1回の準備会が開催されました。
  ▲ 主催  久喜市 久喜市教育委員会
  ▲ 協力  久喜市綱引連盟 久喜市レクリエーション協会 久喜市スポーツ推進委員協議会
  ▲ 期日 29年12月3日(日)
  ▲ 会場 久喜市総合体育館・毎日興業アリーナ
  ▲ 部門 ①小学生低学年男子  ②低学年女子   ③中学年男子
        ④ 中学年女子      ⑤ 高学年男子  ⑥高学年女子
        1チーム12名以内 選手8名 交代要員2名 監督・マネージャー(成人)
        ⑦ 一般男女混合 監督・マネージャーは選手を兼ねることができる
  ▲ 競技方法  「予選」リーグ戦・1本引き  「決勝」リーグ戦またはトーナメント3本引き 
  ▲ 参加資格  久喜市に在住・在勤・在学する者
  ▲ 参加費  1人100円(監督・マネージャー専門の場合不要)
  ▲ 申し込み  10月31日まで  所定の申込用紙に必要事項を明記の上、参加費
            を添え、直接窓口で申し込み  生涯学習課・3教育委員会分室
  ※  申込用紙は受付窓口、市内公民館、市内体育施設にあります。

  上記の内容は、大会期日以外全て前回と同じものです。問題は参加人数・チーム数です。
 前回は1323名・146チーム、198名・21チームも増えました。大会運営上リミットに近づき
 つつあります。特に問題なのは選手控え席、駐車場です。会場内で参加選手、及び応援家族
 の皆様は大会役員の指示をお守りください。駐車場はもう限界、総合運動公園以外の場所を
 用意する予定です。
  この時期の準備会に綱引連盟会員の殆どの出席を頂きました。感謝申し上げます。しかし
 「スポーツ推進委員協議会」の皆様の応援を頂いても、何としても人数が足りません。
  「綱引連盟」そのものの力量アップが必須の課題です。しかしこの課題は20年前から言わ
 れ続けている事、3代目会長としてはなんとも頭の痛いところです。
  この後何度か準備会を持ち、万全を期してまいります。
  皆様の参加をお待ちしています。


  スポ少関ブロ競技別交流大会バドミントン 7/29・30(土・日) 久喜総体

















  第36回・関東ブロックスポーツ少年団競技別交流大会の2・3日目は、5会場に別れての
 種目別試合です。各会場は前段で紹介してありますが、バドミントン種目は我が久喜市の
 第一体育館・毎日興業アリーナでの大会です。大会の運営はすべて、県スポーツ少年団
 バドミントン部会役員を中心とする「競技委員会」の手によります。私は大会副会長として
 29日の開会式、今日の閉会式に出席、何試合かを観戦させて頂きました。

  バドミントン部門の開始式は磯井県バド連盟会長、久喜市の田中市長、柿沼教育長を
 お迎えし開かれました。8都県男女部門2チーム、試合形式はダブルス2・シングルス1
 ですので、選手は予備1人を加えて各チーム6人、監督・コーチ等役員は各チーム3人
 150名弱での開始式です。(―写真・上左―) 埼玉県選手代表男女各1人による「宣誓」を
 追えて直ちに試合開始です。(―写真・上中―) このアリーナは埼玉国体でバドミントンの
 会場になって以降、「バドなら久喜」と言われるほど、各種大会で多く使われています。
 12面取れますが、本部側を開け、10面での大会です。試合開始前に選手同士が
 プレゼントを交換します。かっては1人1人が**円以下のもので、と用意したことも
 あったのですが、今回は色紙の交換です。各チームが選手全員の名前と、バドへの
 思い等を記入、7枚用意し、全試合の前に交換するのです。(―写真・上右―) マァ
 少年団、特にこの関ブロ交流大会らしい試みと言えます。 
  1日目は所用あり、第1試合のみで帰りました。
  
  2日目の今日は午後から観戦、順位に絡む試合を見ることができました。バドミントンは
 関東では神奈川県が圧倒的に強く、過去多く優勝しています。今年は埼玉県が地元開催
 ということもあり、今年はいつもと違い最強メンバーでチームを構成、両者の優勝争いと
 予測されていました。男子は神奈川に1日の強があり、優勝、埼玉は2位でした。
  最終試合となった女子・神奈川―埼玉戦は全くの互角、手に汗握る接戦となりました。
 (―写真・下左、右・赤が神奈川、左・青が埼玉―)  ダブルスで神奈川、シングルスで
 埼玉が勝ち、1-1、ダブルス2試合目が決定戦となりました。両チームとも死力を尽くしての
 戦い、1-1から、最終セット、ジュースにもつれる熱戦となり、結局神奈川に勝利の女神が
 微笑みました。本当に素晴らしい戦いでした。試合後の挨拶では両軍選手に会場から
 割れるような拍手が送られていました。(―写真・下中―)

  閉会式では1位~3位までに、賞状とメダルが送られました。(―写真・下右―) なお3位は
 男子は群馬、女子は栃木県チームでした。講評で井上競技委員長が、「これから行われる
 バドミントン連盟のジュニア大会で、またお会いしましょう。」と挨拶していました。この大会は
 交流大会であり、上(全国)に繋がる大会ではありません。しかし競技委員長がこうした挨拶を
 する時代になっています。少年団の理念を強調してスタートしたこの大会も、ある意味で
 曲がり角に来ているのでしょう。
  とにかく8年に1度の埼玉県での、「関ブロ種目別交流大会」も終わりました。私は県本部
 役員として、この大会に3回も関わらせて頂きました。来年役員を辞任する事に成りますので
 今大会が最後となります。楽しい思い出が残り感謝しています。
  次回の埼玉県大会は8年後、その時も観戦・応援しますと言いたいところですが、果たして
 それが叶うでしょうか。とにかくこの大会の益々の発展を、祈念させていただきます。


  スポ少関東ブロック競技別交流大会開会式7/28(金) さいたま記念体育館

















  第36回・「関東ブロックスポーツ少年団競技別交流大会」が、8年ぶりにわが埼玉県で開催
 されました。関東ブロックとは山梨県を加えた1都7県、回り番で開催しており、従って埼玉県
 開催は上記の通り8年に1度となります。競技種目は開催時は野球・バレー・ミニバスの3
 それにバド・空手道の順に加わって、現在は5種目で行われます。あくまで「交流大会」であり
 上位につながる大会ではありませんが、「野球」のみ8月上旬に行われる「全国大会」への
 関東ブロック2代表を決定する大会となります。
  大会は3日間です。1日目は総合開会式のみ、2・3日目に各会場に分かれての試合です。
 今回今日の総合開会式は「さいたま市記念総合体育館」で、野球は鴻巣市上谷総合公園
 野球場、バレーは川越市総合体育館、ミニバスはここさいたま市記念総合体育館、バドが
 我が久喜市毎日興業アリーナ、そして空手道が上尾市の埼玉県立武道館となります。
  特記すべきは、今大会が初めて大会運営本部が宿泊所を用意しなかったことです。勿論
 都県・またはチームによって、独自にホテルをとった所はあるかと思いますが、これも圏央道
 開通による利便性向上によるもの、今日は午後から、明日からの試合も10:00~という事で、
 泊まらなくとも大丈夫、というチームが大多数という事情によります。
  最近埼玉県本部は担当制を敷いており、「処分プロジョクト」担当であった私は、この大会の
 準備に関わっていません。しかし県副本部長(大会副会長)という立場で開会式に参加しました。
  明日・明後日は責任者として、地元久喜総合体育館に詰めます。

  さいたま市記念総合体育館は、ほぼ久喜の総合体育館と同程度の大きさです。会場正面に
 日の丸を挟んで、関東ブロック少年団旗と埼玉県少年団旗が皆を歓迎です。(―写真・上左―)
  さいたま市立浦和西小学校金管バンド部の児童諸君が演奏する行進曲にのって、985名
 選手団の入場です。先頭に各都県本部旗、次いで各都県本部長、団員は5種目ですから、
 種目別に5列での行進です(―写真・上中―)。しんがりは地元埼玉県、組み合わせの関係から
 A・B2チーム出している種目もあり、やはり大部隊でした。
  全員の入場を終え、神谷県副本部長による歓迎の挨拶です。『ようこそ埼玉にお越し頂きました。
 心より歓迎します。日頃の練習の成果を十分発揮されると共に、各都県の仲間と交流し、意義
 深い大会としてください。』こんな内容だったと思います。(―写真・上右―)
  その後団員綱領の朗読(―写真・下左―)と、選手宣誓(―写真・下中―)です。共に埼玉県の
 団員、団員綱領朗読5人は各種目代表、市の大会、県の大会、こうした関東の大会代表でも
 必ず忘れて絶句する子が出てくるのは、いかにも子供らしく微笑みました。「選手宣誓」野球と
 空手道の代表、空手道の女子団員の方が、身体が大きかったのも今風でした。
  ところで入場行進を浦和西小の児童が演奏してくれました。小学校でこの数と演奏は
 見事でした。閉会式を終えて参加者に2曲演奏してくれました。一つは良く聞くものですが
 曲目は分かりません。1つは「星野源の恋」でした。例の「ふうふをこえていけ」と演奏する中
 可愛い女子児童がパフォーマンスを演じてくれました。ご苦労様でした。(―写真・下右―)

  その後団員はアリーナで、県リーダー会の指導での「交流交換会」、指導者は種目ごとの
 「代表者会議」で1日目を終えました。明日は前記した会場で交流試合です。種目によって
 異なりますが、色紙、はがき(自分の思いを記入したもの)等のプレゼント交換も行います。
  思い出に残る楽しい大会でありますように!、私はバドミントンの会場でお待ちしています。
 

   ◎ 第44回日独同時交流宮代町受け入れ 7/24(月) 宮代町進修館

  スポーツ少年団はスポーツ活動を通して、青少年の健全育成を図る育成団体です。そのために
 奉仕活動・文化芸術活動等も、活動に取り入れています。時代を担う青少年に豊かな国際
 感覚を身につけてもらい、広く世界的視野に立った活動を展開してほしい、そんな願いを込め
 日本スポーツ少年団は、ドイツスポーツ少年団との間で、日独同時交流を1974年から実施して
 います。日本スポーツ少年団が1964年の東京オリンピックを記念し、その2年前に誕生した時
 ドイツスポーツ少年団をモデルとした過去から来ています。
  同時期(7月下旬)に、同人数(120名強)が、相互に訪問と受け入れを行います。全体行動が
 前後に1週間あり、中間の2週間が10グループ位に分かれての、地方プログラムです。ホーム
 スティによります。今年その受け入れを、お隣の宮代町少年団本部が行い、歓迎パーティで
 埼玉県本部を代表して私が挨拶をしました。私が第11回・昭和59年派遣指導者として、ドイツ
 ヘッセン州で、翌年久喜市での第12回同時交流受け入れの責任者として、活動したことは
 何度も報告してあります。私が生涯の誇りとし、その後の全ての活動の原点となる、素晴らしい
 2年間でした。









  今年で44回を数える日独同時交流の、埼玉県での受け入れはお隣り宮代町です。来られた
 のはメクレンブルク・フォアボンメル州、指導者1人、団員12人のグループです。同州はかって
 東ドイツに属し、ベルリンより北部にあります。私が訪独した時は、未だ東西ドイツに分かれて
 いた頃、従って私にはなじみの薄い地域です。団員たちと受け入れ民泊家庭の対面式は
 宮代町「進修館」で行われました。例の特色ある施設、昭和50年代の東部地区サッカーの
 会議は、全てここで行われており、私には大変懐かしい所です。
  大ホール壇上に私たちが座り開会、県本部を代表して私、関根宮代町本部長、合川宮代
 町議会議長と歓迎のあいさつをしました。(―写真・左―) 私は『40年を超える歴史と伝統ある
 交流、すでに1万人を超すリーダーが、意義深い交流を経験してきました。宮代町でも素晴らしい
 プログラムが用意されています。日本の夏の暑さに注意され、意義ある交流活動を経験される
 よう期待します。』と申し述べました。ただ昨日の鷲宮の通訳が超ベテランだったのに比し、
 こちらはアルバイトの女子大生、通訳にチヨット面食らってしまいました。

  式を終え、ドイツの団員はホールのイス席で民泊家庭と談笑です。壇上では定評のある
 「宮代町空手道少年団」の団員が、空手の模範演技を見せてくれました。(―写真・中―)
  「型」の他、面の上につけた紙風船を、回し蹴りで割って見せたりし、かなりの迫力、ドイツ団員も
 拍手・喝采でした。演技を終えて、さっそくドイツ団員との記念写真、スポーツ交流はすぐ打ち
 解け合います。(―写真・右―)
  実は宮代町スポ少本部の、日独同時交流受け入れはこれで2回目、1回目は10年前です。
 久喜市本部が行ったのは、前記の通り昭和60年=1985年、旧久喜市本部創立10周年を
 記念してのものでした。正直言って、「久喜市で2回目を」との、県本部からの要請を数年前から
 受けています。再来年=平成31年・2019が、新久喜市本部結成10周年の年に当たります。
  その時には県本部の要請を受けたいし、受けねばならぬだろうと、すぐ打ち解け合い、談笑
 しているドイツと宮代の少年団団員を見ながら、そう密かに?考えました。
 
 少年野球国際交流久喜大会レセプション 7/23(日) 鷲宮コミュニテイ広場 










  先日前段で報告した「第36回・少年軟式野球国際交流久喜大会」は、熱戦を繰り広げ終了
 しました。今日は閉会式、そしてレセプションです。会場は鷲宮運動公園内、コミュニティ広場
 芝生、ステージもある、例の「鷲宮コミュニティ祭」の会場ともなるところです。
  まず表彰式、1・2・3位は市内のチーム、オーストラリア・メルボルンチームはやはり最下位
 とのことでした。私から優勝盾(ヴィクトリア杯)と優勝旗を渡しました。市内チームはすべて
 野球少年団3~4の連合チーム、交流第一の大会です。それにふさわしい良き2日間だったと
 思います。
  それにしても真冬のオーストラリアから、この酷暑の中の日本、メルボルンチームの諸君は
 大変だったと思います。レセプション開始前から、家族の方も含めぐったりと椅子に座り込んで
 いました。(―写真・左―) 鷲宮地区野球少年団母集団の皆様が、このレセプションを準備
 してくれました。お骨折りに感謝します。焼き鳥・唐揚げ・ポテトチップ諸々、それにジュース
 ウーロン茶・コーラ等の飲み物です。開会に先立ち、私は『この後の世界大会で頑張り、東京
 ドームでの野球見学を楽しみ、ディズニーランドで遊び、日本を良さを味わい、日本を大好きに
 なってください。』とあいさつしました。
  乾杯の後、皆それぞれのグループ毎に談笑しつつ、空腹を満たしています。(―写真・中―)
 ややあってメルボルンチームがステージに上り、自己紹介です。『僕は**です。10*歳です。
 ピッチャー (サード)です。』とたどたどしい日本語でもの、いつもながら可愛いものでした。
  その後全員でのパフォーマンス、唄を歌いつつ、手を振ったり、首を前後に振ったりするもの
 ですが、中に表情たっぷりの子、逆にブスっと突っ立ったまま、歌だけの子、どこにも色んな
 タイプの子がいるものです。(―写真・右―) お返しに久喜の子のパフォーマンスはありません
 でした。こういう事も交流活動、1組くらいあっても良いと思います。

  会場には連日の市長・議長・教育長の他、この交流の育ての親ともいえる本多前鷲宮町長も
 お見えになりました。いろんな人の、いろんな努力・協力があって、この国際交流が続いています。
  それぞれの皆様のそれぞれのご努力に深い敬意を表します。


    第36回・少年野球国際交流久喜大会 7/22(土) 鷲宮運動公園 


  もうすっかりこの季節の行事として定着した、「少年軟式野球国際交流久喜大会」が開幕、
 開会式に出席しました。1982年、笹川良一氏らの支援を得て設立された、公益社団法人・
 「少年軟式野球国際交流協会」 は、毎年7月江戸川球場等において、国際交流大会を開催
 しています。(理事長・古葉竹識氏、なお久喜市スポーツ少年団副本部長・戸草内登氏は専務
 理事を務めています) この大会に出場するオーストラリア・メルボルン選抜チームが、長く
 鷲宮少年野球チームと交流しており、日本における日程=ほぼ2週間を、同地区の家庭に
 宿泊(ホームスティ)します。なお鷲宮地区少年野球チームは、毎年3月にオーストラリアに
 遠征、逆にホームスティでお世話になり、現地での大会に参加する等の交流活動を行います。
  ちなみに江戸川での国際大会は今年34回ですが、この鷲宮での大会はそれより古く36回
 長きにわたりご努力されている、鷲宮地区少年野球関係皆様に心より敬意を表します。

  ですからこの大会は江戸川での「国際大会」を前にした、オーストラリア・メルボルンチームの
 本番前の身体慣らし、そして久喜で、来年3月現地で交流する、仲間とのお手合わせなのです。
  バックネットに日本とオーストラリアの国旗が掲げられ、開会直ちに両国国歌が演奏される中
 開会式が行われました。出場チームはメルボルンチーム、久喜市の野球少年団を4団位で
 A・B・Cの3チームを編成、4チームで行われます。総当たりリーグ戦、今日・明日で2試合ずつ
 戦い、最後に成績による、優勝戦・3位決定戦を行います。メルボルンチームはさすがに身体
 1つ大きい子だらけでした。(―写真左・袖黄色―)
  私は開会式で大会会長として挨拶、ありがたく思います。鷲宮・江戸川での大会の他に
 新幹線に乗ったり、東京ドームでプロ野球を見たり、東京ディズニーランドで遊んだりの
 スケジュールがあります。「久喜で、日本で素晴らしい経験をしてください」と申し述べました。
  田中市長・柿沼議長・教育長のあいさつの後、メルボルンチーム団長が挨拶されました。
 (―写真・中―) 日本人ですが、現地にお住まいで毎年来られます。この方が通訳されます。

  第1試合の半分ほどを見ました。(―写真・右―) 身体は頭1つ大きいメルボルンチーム
 やはり練習量と試合数の違いがあり、例年久喜のチームが優勢です。今年のチームは
 いつもより守備が良いようでした。何勝するか、何位になるか、明日が楽しみです。
  明日は試合終了後、表彰式、並びにレセプションが同運動公園内「自由広場」でおこなわ
 ます。短い時間ですが、子供たちはすっかり打ち解け、仲良しになっています。
  また明日も当然ながら参加します。


 野球・サッカー・懇親会とスポ少活動に忙しい1日でした。7/15(土)     










  スポ少活動に追われて、1日中あわただしく過ごす日が
 年間何日もあります。この日もサッカー近隣交流大会
 カクダイ杯開会式、野球夏季交流大会閉会式、そして
 長く少年団事務局を勤められたE氏の昇進を祝い、兼
 それ以上に長く本部役員を勤められ、本年度総会で辞任
 された方の慰労会と、あちこちに移動しつつ、忙しい1日を
 送りました。まぁ健康に恵まれ、こうしてあわただしい日を
 持てることは幸せな事なのでしょう。

  「久喜市スポーツ少年団サッカー部会」は11団で構成されています。春の春季大会、秋の
 市長杯(6・5年生部門)、冬の新人戦(5・4年生部門)、ジユニア大会・4・3・2年生部門の他
 他市町の友好チームを招待しての「近隣交流大会」をこの時期に持っています。13年ほど前
 から、地元住宅メーカー「カクダイ」さんの協賛を頂き、「カクダイ杯」として開催されています。
  15日の開会式に出ました。市内11、市外13、計24チーム参加の大きな大会、総合運動
 講演、市民G・多目的広場4面を使用います。最近は主流となっていますが8人制、他に
 リフティング、ロングキック、キックターゲット等のイベントも取り入れた、楽しい大会となって
 います。(―写真・上左―)は田中市長の挨拶です。
 
  午後は益々暑さが勢いを増す中、南栗橋運動公園の、野球夏季大会閉会式に出ました。
 この大会は秋の少年団大会=全労済カップの予選を兼ねています。早いもので上に繋がる
 最後の市内大会なのです。今日はベスト4の試合でした。決勝戦は「栗橋G―太田クラブ」
 「栗橋G」は春の大会を制し、今年は市内最強と言われています。一方「太田クラブ」は
 「南埼交流大会」で優勝、勢いに乗っています。試合は「太田クラブ」の女子エースピッチャー
 が見事な投球で完封、5-0で栄冠に輝きました。それにしてもこのだけ運動能力の高い
 女子を見るのは初めてでした。「太田クラブ」は女子3人が加わってチームを構成しています。
 良いことです。+して1つ、ベスト4に「清久スターズ」が入りました。厳しい環境の仲、関係
 皆様のご努力に敬意を表します。各々が夏の終わりの東部地区大会で勝ち進み、県大会
 への出場に期待します。(―写真・上中閉会式―)
 
  この日更に1つ、長きにわたり少年団事務局を勤められたE氏が、今春「課長」に昇進され
 ました。E氏自身サッカー少年団の指導者であり、私は30年を超えて親交を頂いていま
 す。また本年度スポ少総会で、本部役員の中枢を担われた3名の役員が退職されました。
 と言うことで、「Eさんおめでとう、退職役員の皆様ご苦労様でした」の会を持ちました。
  皆親しいスポ少仲間、変わらぬ少年団への夢を語り合い、夏の夜を送りました。

 ―付録― 16日(日) 午後から上記した「サッカー近隣交流大会」の閉会式に出ました。
  市民グラウンドA面での、1位グループの3決と決勝戦を見ました。決勝戦は「白岡南―
 久喜東」で争われ、1-1からPK戦にもつれ込み、「白岡南」が優勝しています。(―写真
 上右―)  閉会式では1位グループから4位グループまで計10チームの表彰、加えて
 上記したイベントに、個人表彰まであり、タップ1時間はかかりました。まぁ友好第一の大会
 ですから盛り上がって楽しいものでした。(―写真下・優秀選手表彰―)
 
   ついでにおまけをもう1つ、17日(月・休)県南S市に住む、
 孫の初めてのミニバス試合の観戦に過ごしました。未だ
 1年生、ミニバスの少年団に入って2カ月ですから、試合なんて
 ものではありませんでしたが、楽しく1日を過ごしました。爺バカの 見本ですね。
  てなことで、お祭り本番を前にした3連休は、スポ少三昧で
 でした。明日はお祭りで頑張ることとします。

    第18回・埼玉県ミニテニス協会総会 6/17(土) スポーツ総合センター
                 副会長を辞しました
  平成29年度第18回
 埼玉県ミニテニス協会
 定期総会が、17日
 上尾市スポーツ総合
 センターで開催され
 ました。
  私は県協会設立
 (平成12年)以来あった
 副会長の職を辞しました。

  総会は土屋会長の挨拶で始まり(―写真・左―)、提案された28年度に関する事業・決算、
 29年度の事業予定、予算、そして役員改選のすべての議案を可決、閉会しました。
  私は平成12年発足した、県協会において勤めていた副会長を辞職、後任にこの間一貫して
 久喜市と県において、一緒に歩んできた福田氏(久喜市協会会長・県協会理事長)が就かれました。

  本ページ5/27・「久喜市綱引連盟総会」の項でも記しましたが、埼玉県において、久喜が
 発祥の地と言えるのは、「綱引」とこの「ミニテニス」です。平成5年春の事です。当時久喜市教育
 委員会体育課々長であった福田氏と、体育指導委員会の会長であった私は、この新スポーツの
 発祥の地、立川市を訪ね、初めてこの無限の魅力を持った球技を体験しました。以降5・6年と
 「教室」を通して組織化を図り、6年秋「久喜市ミニテニス協会」を発足させました。
  中心となったのが故「山形」氏でした。山形氏は驚嘆すべき活動量をもって、久喜市の充実化
 県内各地への普及を図り、ついに平成12年県協会の誕生に至りました。発足にあたり会長を
 土屋衆議院議員にお願いし、私は副会長、山形理事長という体制でした。
  そして21年に「大宮パレスホテル」で、盛大な10周年記念事業をもったのです。久喜市協会
 発足以来のこの15年間は、正に黄金期、夢のような時間でした。久喜の第一・第二体育館を
 目一杯使ってもやっとという、大きな大会を何度ももちました。久喜市内の多くの体育館は
 ミニテニスに熱中する愛好家であふれ、県内多くの地に組織が誕生しました。
  しかし県協会10周年後、いくつかの不幸が連続的におきました。山形氏が体調を崩されたこと、
 この種目の考案者であり、日本協会の理事長として大きな影響力を持っていた「天野氏」と
 仲たがいを起こされたこと等です。ついに山形氏はすべての職を辞し、その後黄泉の旅に立たれ
 ました。改めて山形氏の偉大な足跡に敬意を表するものです。  

  山形氏の存在が大きかっただけに、久喜市も県協会も大きな打撃を受けました。それを埋め
 頑張ってくれたのが、定年で市職員を辞し、民間人となった福田氏です。久喜市協会会長、
 県協会理事長に就かれ、大変な努力をされていました。その福田氏が突然体調を崩され、今
 懸命にリハビリに励む身となりました。その後県協会副会長に就かれ、他界された樋口氏の
 後任をこの総会で選出する、それに合わせ激務である県協会理事長を辞することにした、と
 連絡を頂きました。ならば故樋口氏と共に私が辞し、後任に福田氏がなるべしと提案した
 次第です。
  久喜市協会・県協会の発足に関わったというだけで、その後何の実務に参加せず、長きに
 わたり副会長を勤めさせていただきました。諸兄姉の友情に心より感謝申し上げます。
  総会終了後土屋会長から(―写真・右―)感謝状と記念品を頂きました。お礼のあいさつで
 私は、上で記した歴史に触れながら、皆様にお礼を申し上げ、ミニテニスの普及・充実を
 祈念しました。どうぞご健勝にてご活躍ください。ありがとうございました。


  ◎平成29年度・久喜市スポーツ少年団母集団講習会  
                            6/11(日) 鷲宮西コミセン・おおるり










 
 久喜市スポーツ少年団本部による、平成29年度「母集団講習会」が、11日(日)「鷲宮西
 コミュニテイセンター・おおるり」で開催されました。内容は1・清久小学校校長「帯津嘉二」氏
 の講演、2・栗橋南小教頭「朝武紀雄」氏によるレクリエーションの実技指導の2本立てです。
  市内各少年団から100名を超す参加を頂きました。

  帯津氏による講演は「未来を創る子ども達のために」と題されたもの、氏はかって久喜市
 教育委員会で生涯学習を担当、「ゆうゆうプラザ」の全校開校にも大きな貢献をされました。
  氏はノルウェーサッカー協会の「親のための10の心得」を引用しつつ、スポーツに親しみ、
 スポーツを通して親子が感情を共有することの素晴らしさからは話しを始め、変化の予測が
 難しいこれからの社会の中では、知識や思考といった「知的な力」と、新しい課題に挑戦し続ける
 「意欲や意思」の2つの力が必要とされ、そんな頑張る子どもたちを育てることが、「私たち親の
 頑張りどころ」と結ばれました。
(―写真・左―)

  朝武氏は久喜市レクリエーシヨン協会会長、長くこの講習会の講師を勤められ、楽しいその
 指導ぶりには定評があります。また久喜市スポーツ少年団の第1号、私とは40年をこえた
 親しい関係にあります。じゃんけんゲームに始まり、手拍子を打った数でグループをつくり
 様々なゲームをする、3人での「木の中のリス」、4人での4拍子の動作を続け、音楽に合わせ
 ていく、正に流れるように進んでいきます。参加者は引き込まれるように心地よい汗を流して
 いました。最後はグループ対抗ゲーム、絵や写真を16分割したものを、皆で協力してもとの
 形に戻す、会社ゲームと名付けられ、カード=資本金を、他グループの人とのじゃんけんで
 増やし(減らし)ていくゲームで終えました。
(―写真・中と右―)

 
 G・W最終日の「総会」に始まり、5月第二の「体力テスト」、第四の「ゴミゼロ運動」、6月第一
 「登録」と週末ごとに続いた本部事業も今日で、上半期の事業を終了した事に成ります。
  6月・7月は種目別大会が多く、そして夏休みへと入っていきます。夏休みの各団の楽しい
 野外事業の中で、今日のレクリエーション実技講習が活かされることを希望します。
  子どもとスポーツの喜びを共有し、その中で未来を創る子どもたちを育てていく、少年団
 活動の中で、母集団・育成会の皆様の積極的な役割を願うものです。


  県スポ少本部・平成29年度代議員会 6/10(土) スポーツ総合C

  埼玉県スポーツ少年団の平成29年度代議員会・
 総会が、10日県体協が置かれる上尾の県総合
 スポーツセンターで開催されました。
  代議員会には1・28年度の事業報告と決算
 2・29年度予算と事業計画、及び3・県少年団
 登録者処分基準の3議案が提案され、全議案が
 承認を頂きました。
  予算規模ですが収入総額7172万3000円
 (+前年度繰越1112万円)、支出総額7442万
 2000万円となっています。

  収入のうち補助金等約2100万円(県費補助金約1000万円、日体協補助金約1100万円)
 登録費4300万円、参加料約760万円となっています。
  支出の方ですが、少年団種目別大会約1823万円、指導者・リーダー養成に約985万円
 地域交流事業に400万円、ほかに8年に1度埼玉県で開催される関東ブロック競技別交流
 大会に約687万円他となっています。
  事業としては種目別大会、指導者・リーダー養成事業、日独交流、広報・顕彰事業と言った
 通常のそれの他に、前記の様に関東ブロック種目別交流大会が予定されています。

  最後に「スポーツ少年団登録者処分基準について」です。この件は、本ページ5月20日付で
 報告していますのでご参照ください。登録指導者の体罰等の違反行為を行った者について、
 処分問題を検討する「埼玉県スポーツ少年団倫理委員会を設置する事」、及びこれに伴い
 「埼玉県スポーツ少年団規定の一部改正」の2議案でした。私はこの案件を検討する県本部
 プロジェクトの座長を勤めました。日本本部からの提案を受け、この問題に関し推進している
 のは埼玉県だけです。初めての事とて大変苦労しました。本総会においてもいくつかの建設的
 ご意見を頂きました。若干の手直しを行いつつ、なにせ処分という極めてデリケートな問題です。
 十分に注意しつつ運用に当たってまいります。
  
  長期低落化にあえいでいた少年団は、昨年度一定の下げ止まりの状態を作りました。
 関係する皆様の大変なご努力があったと推察します。経緯を表します。下げ止まりから反転
 攻勢の年へと、この1年を変えていきたいと考えます。
  さらに私事ですが17年勤めた副本部長、30年を超えた県本部役員の最後の1年となります。
 少し寂しい気持ちは正直ありますが、有終の美を飾れるよう頑張ってやっていきます。

    久喜市スポーツ少年団本部・29年度登録 6/4(日) 栗橋コミセン

  
私が本部長を勤める「久喜市スポーツ少年団本部」
 は、4日午後南栗橋の「栗橋コミュニテイセンター」に
 おいて、本年度の登録を受け付けました。
  少年団の組織、その中で登録の持つ意味については
 もう何度も記してきました。少年団は1人1人の団員・
 指導者が、登録費を納めて登録する、有料登録制・
 メンバーシップ制の組織です。国・県・久喜市に各々
 登録費を納め登録します。各々の登録費は各々の
 組織で決定されます。

  団員は700円、内国300円、県200円、久喜市200円です。指導者は1200円、同じく
 国700円、県300円、久喜市200円です。久喜市はこの他独自に単位団登録費2000円
 を徴収しています。各単位団は登録の際、700円×団員数、1200円×指導者数+2000円
 を添えて登録するのです。
  久喜市本部は登録費の総計から久喜市分を差っ引き、県本部に納めます。県本部は
 県登録費分を差っ引き、残額を国本部に納めます。この久喜市・埼玉県・日本本部への
 各登録費は、それぞれへの行政からの補助金・企業からの寄付金と並んで、大きな財源
 活動資金となるのです。
  「数は力なり」と言います。政治の世界だけではありません。大勢の団員、大勢の指導者は
 活発な団活動の、その集合体である本部の源です。そしてその数は同時に活動資金に
 繋がるのです。私たちが「登録」を重要視するのはここにあります。

  ところでこの「登録」ですが、かっては紙ベースでした。国・県・久喜市本部と3枚つづりの
 登録紙に書き込み、登録したのです。昨年度からウェッブ登録となりました。これは10年前
 位からですが、「スポーツ安全傷害保険」の登録も同じ流れでした。
  各単位団は3月下旬に、前年度登録に基づき、日本本部から送られてくる「はがき」に
 記されている「ユーザー名」・「ID」により、自己の「ページ」を開き、そこに打ち込むのです。
  当然ながら各単位団は自分の団のページしか開けません。一方久喜市本部は、これと
 異なり久喜市本部のすべての団の、登録状況を見ることができます。従ってこの日の
 登録は、各単位団は登録費を収めるだけ、久喜市本部はすでに把握している数に応じて
 領収書、団員と・指導者へ登録証・ワッペン、そして団旗へのリボンを渡すだけとなっています。

  この登録の〆切りです。前記したようにメンバーシップの組織です。登録しないとすべての
 少年団行事に、建前上は参加できない事に成ります。久喜市本部は正月のロードレース大会
 等もあり、常時受け付けています。県は(従って国も)7月末日までとなっています。
  この時の数字が、その年度の登録者数として記録される事に成ります。久喜市は昨年度
 団員1275名、指導者484名、団数48団でした。何と合併以来7年目にして、初めて前年
 を上回ったのです。天にも昇る気持ちでした。今年度は団員数40名のラグビーが新加入
 しています。2年連続増加を夢見ていたのですが、なんと団員数1196名、地獄に突き落と
 されました。最も指導者502名、昨年より18名の増です。活動が衰退すれば指導者数も
 へります。原因はいつにかかって少子化=児童数の減少にあるのでしようか。
  しかしです。前記しました。国本部化から「はがき」が送られてくるのは3月下旬です。
 そうすると各単位団は気がせいてウエッブ登録をするのです。実際は4月・5月段階で
 そこそこの新加入団員がいます。それを追加登録して7月下旬には、この日の数より
 4~50増えるのが常です。今はただその数が三桁に近いことを祈っています。

  埼玉県スポーツ少年団・野球夏季大会 6/4(日)春日部市大沼公園野球場











  4日、春日部市大沼公園野球場で開催された、「第36回・埼玉県スポーツ少年団夏季小学生
 軟式野球交流大会」に、県スポーツ少年団を代表し出席しました。
  この大会は秋の少年団大会(全労災カップ)と並ぶ、夏の野球部会の県大会ですが、同時に
 7月末に行われる「関東ブロック種目別交流大会」、さらには8月上旬の全国大会に繋がる
 県大会としてあります。
  埼玉県スポーツ少年団は今、13の種目別県大会を実施、それを主管する駅伝大会を除く
 12の種目別部会を組織しています。野球はその中でも特異なポジションを占めています。
  指導者数は圧倒的に1位です。団数・団員数はサッカーに次いで長いこと2位でした。その
 圧倒的に多い指導者が実に真摯に少年団の理念に沿い、活動します。私の県の活動の
 大先輩である「故Т初代野球部会委員長」以来の伝統と言えます。だから今はどこの部会も
 取り入れている、試合のベンチに入る指導者の資格保持の義務付け、モラルの向上、マナー
 重視の徹底、開会式での団員綱領の朗読等は、全て野球部会が始めたものです。いわば
 少年団らしい活動、少年団らしい大会を実践、そうした意味で少年団をリードしてきた部会と
 言えます。
  そんな野球部会はここ数年団員数の減少、そこからくる団数も減、にあえいできました。
 2年前から団数・団員数ともに「ミニバス部会」に抜かれ、3位となっています。大変なご苦労が
 あったことでしょえう。昨年県においても、久喜市においても長期低落に一定の歯止めをかける
 事が出来たのも、その背景に野球部会の「減り止まり」がありました。ご努力に敬意を表します。

  絶好の野球日和の中行われたこの大会は、本当に野球部会の大会らしいさわやかなもの
 でした。各地区予選を勝ち抜いた32チームの選手諸君は、素晴らしい入場行進をみせて
 くれました。32の団旗が青空にはためく綱領朗読も、選手宣誓も素晴らしいものでした。
  「子どもの成長を願う時、そこに少年団があります」を地で行く大会でした。
  そんなことを私は主催者挨拶の中で申し述べ、関東大会、さらには全国大会を目指しての
 健闘を呼びかけました。
  開会式後同球場での第一試合を観戦しました。大会に東部地区代表として市内チームは
 出場しておらず残念でしたが、お隣加須市の「北川辺ウォーターズ」と、戸田市のチームとの
 試合でした。昨年の秋の県大会を制した「北川辺」は、今年も見事なチームでした。
  秋の「全労災カップ」には、ぜひ市内のチームも出てほしい、そんなことを思いつつ
 市本部本年度登録会場へと向かいました。  
  

 平成29年度・第5回久喜市小学生陸上競技大会5/30(火) 総合運動公園 



  真夏日の30日、久喜市総合運動公園・市民グラウンドにおいて、「平成29年度・第5回
 久喜市小学生陸上競技大会」が開催されました。この大会は柿沼教育長がまだ久喜小の
 好調だった頃、組織化に熱心に取り組まれたものですが、すっかりこの時期の、何よりも
 市内小学生(但し6年生だけ)が、一堂に会する行事として定着しています。主催は「久喜市
 教育研究会」・「久喜市小学校体育連盟」です。市内殆どの小学校が「運動会」を終えたばかり
 各学校校庭では、運動会の練習に合わせ、6年生が一生懸命に、出場する種目の練習に
 励む姿が見受けられます。
  種目は個人が男女ともに100m走、70mハードル(―写真・左―)、1000m走(―写真・右―)、
 走高跳、ボール投げの5種目、全員リレーが各校の人数に合わせて、3000mの部と4200m
 の部となっています。

  久喜市民グラウンドは400mトラックです。直線路では正面側で70mハードル、バックスタンド
 側で100m走、フィールドで高跳びが同時進行します。予選が終わると1000m走です。
  男女ともに2レース、タイムレースで決勝はありません。ここ数年毎年写真の様に、川内選手が
 一緒に走ってみんなを引っ張ってくれます。その川内選手に、「いつもありがとうございます。
 世界大会頑張ってください。」と代表が檄文をプレゼントしていました。(―写真・中―)
 
 この日は川内3兄弟揃い踏みでした。この暑い中1000m×4を走られたわけで、いつも
 ながらご苦労様です。世界大会での検討を期待します。


  すべての予選・決勝を午前中に終え、午後からは全員リレーです。猛烈な盛り上がりをみせた
 と思われますが、私は正午で失礼しました。
  「コツコツときたえた体は たからもの」、これは久喜市の体力向上に向けた合い言葉です。
 子どもたちが、この陸上競技大会を1つの契機として、コツコツとスポーツに取り組み、丈夫な
 体と合わせて心とをつくってください。


    ◎ 平成29年度・久喜市綱引連盟総会 5/27(土) なごみの湯
           
 3代目の会長につきました。
  

  27日(土) 「なごみの湯」において、平成29年度久喜市綱引連盟の総会が開会されました。
 私と「久喜市綱引連盟」との関りは、毎年の「久喜市綱引大会」と合わせ、何回も報告して
 います。あらゆる「スポ・レク」の種目の中で、久喜市が「県内発祥の地」と自負できるのは
 「ミニテニス」と「綱引」だけです。その2つにかかわり、今も活動していることに深い喜びを
 感じています。
  久喜市での「綱引」の始まりは昭和58年です。教育委員会体育課(当時)係長でり、今も
 久喜市のスポーツ振興の一線に立つS氏の提案で、埼玉県最初の「綱引公認審判員資格
 取得講習会」を持ったのです。20名を超す体育指導委員(当時)や、スポレク活動家、当然
 私も受講、公認審判員となりました。
  その年当時「ニッシンカップ」といった最初の県体かいを、当時市内で一番大きかった
 「久喜東中体育館」で、翌59年第2回の大会を、その年開館した現「第二体育館」、当時の
 「久喜勤労者体育館」で開催したのでした。この2つの大会で自信を持った私たちは、翌
 60年「第1回・久喜市綱引大会」の開催に踏み切ったのです。以来昨年度で32回を数え
 1000名以上が参加する大会を、発展的に継続してきたことになります。

  この間久喜市は会長(故・樋口県議)、副会長、理事長等「県綱引連盟」に多くの役員を
 送り、県綱引連盟をリードしてきました。県大会・関東大会等何回も久喜市を会場に行われ
 ました。これを壁手になったのが「久喜市綱引連盟」でした。初代会長は「故・中村正弥氏」
 氏は久喜市レク協・体指協会長等も勤められた、私のこの道の大先輩でした。
  2代目が今日まで会長であった「内藤譲一」でした。氏は温厚な性格で綱引連盟をまとめ
 今日の市内大会の隆盛を築かれました。私とは40年を超すスポレク仲間です。

  その内藤氏からお電話を頂いたのは、年度代わりの頃でした。『高齢故引退したい、後を
 頼む。』というものでした。私は久喜市連盟の平役員です。固辞しましたが『他の人も了承
 している。』と何回も依頼され、お引き受けすることとなりました。前記した『最初の時から
 関わっていて、元気なのはあなただけ、(綱引のこれからに)責任がある。』と言われました。
  この類の説得に私は弱いのです。

  「綱引」はその性格からして、大衆化しえないものです。「久喜市綱引連盟」の行事も
 「久喜市綱引大会」を除くと県関係の物だけです。それと役員・審判員の数も少ないです。
  当面「久喜市綱引大会」の更なる充実、連盟活動家、審判員の増加を目指していきます。
  関係各位、久喜市スポーツ推進委、レク協役員の皆様のご協力をよろしくお願いします。
   頑張っていきます。

     ◎ 県スポ少処分基準問題 倫理委員会発足へ  5/20(土) 

  6月第2土曜日は、毎年県スポーツ少年団代議員会(総会)開催日です。その総会に提出する
 議案を審査する29年度第1回本部員会が、昨日19日・上尾総合スポーツセンター内会議室で
 開催され、提案される全ての案件を了承しました。その中に「スポーツ少年団処分基準」に
 関する「埼玉県スポーツ少年団倫理規定」と、「埼玉県スポーツ少年団本部既定の一部改正」
 があります。日本スポーツ少年団によって提起された「処分基準」と、それの県本部への
 適用に関し、県本部では私を責任者とする「処分基準プロジェクト」を組織、検討を続けてきま
 した。初めての事、処分というデリケートな問題だけに苦労しましたが、やっと原案を確立出来
 まずはホッとしています。


  
ご承知のように数年前、スポーツ指導現場において、指導者による反倫理的行為(暴力・暴言
 セクハラ等)が社会問題化しました。体協・JОC・高体連等5団体は、25年4月に「絶滅宣言」
 を行い、各種取組を強化してきました。日体協では25-7の「スポーツ指導者のための倫理
 ガイドライン」をへて、26-3少年団指導者もその対象とする、「日本体育協会倫理規定」を
 設けました。所掌する委員会等の決定により、違反者を相当の処分の対象とするものです。

  この流れをうけ、日本スポ少本部は、27-11に「スポーツ少年団登録者処分基準」を定め
 前記したように、各県本部も同様の対応を求め、私共の取り組みが始まったわけです。
  少年団は自主自立の組織・活動です。それゆえ今まで処分も、当事者間の問題解決を
 第一としてきました。これは今後も変わりません。しかし違反が明らかであり、結果処分の
 必要がある場合、「規定」
に基づいて処分する事が大切です。また「処分相当性の原則」=
 処分行為の種類・程度に応じた段階的内容となるよう基準を定め、各級少年団において適切
 に運用していく必要があります。すなわちネライは①暴力行為の絶滅、➁暴力行為を決して
 許さない姿勢の明示、③組織としてのガバナンスの確立、要するにこの基準が適用される事
 のない「少年団の理念」に沿った運営にあります。

  私たちプロジェクトは会議を重ね以下の点を提起しました。①処分基準・➁処分内容・③
 処分の救済処置等、全て日本本部のそれと同じとし、「埼玉県スポーツ少年団倫理委員会」を
 組織する。それに伴い1・「埼玉県スポーツ少年団規定」の一部を改正する。2・倫理委員会
 規定を新たに設ける、ものです。
  もちろん1・2共に代議員会の承認を得る事になりますし、1は加えて県体協の承認も受ける
 ことになります。
  「処分」とはきわめてイヤなものです。実際に当たっては徹底した調査を必要とします。
 何よりも処分など必要としない、それが当然であり、現実そのように運営されていますが、
 子どもを主人公とし、その未来を輝かしいものとしていく少年団活動を展開していくことに
 あります。改めて今、そのことを噛みしめています。
 

      ◎ スポーツ少年団体力テスト 5/14(日) 市内各会場

  
スポーツ少年団には
 「義務」が3つあります。
  1つはすべての団員・
 指導者が登録する、
 それも「登録費」を納め
 る「有料登録制」の
 組織だという事です。
  この「登録費」は大きな
 自主財源となり、時として「 補助金」を上回ります。
  2つ目はスポーツ活動につきものの、ケガ・危険に対応するため「スポーツ安全傷害保険」に
 加入することです。しかしこの2つの義務は、少年団の主人公である団員・子どもに代わって
 大人=指導者・育成会がこれを行います。実際子ども・団員が行う唯一の義務が3つ目の
 「体力テスト」を行う事となります。
  少年団の目的は「団員の心と身体の健やかな育成」にあります。目に見えない「心」の部分は
 難しいものがあります。目に見える「身体」の成長を図ろう・バランスのとれた体力の持ち主に!
 が現実的課題となります。体力にも色々な要素があります。体力がついたので、― やる気が
 出てきた・風を引かなくなった・足が速くなった― というように。順に体力の精神的要素・防衛体力
 行動体力と呼んでいます。学校で行う「新体力テスト」、少年団の「運動適正テスト」共に、目に
 見える(数値で出る)行動体力を計り、これを伸ばすことで精神的なもの、防衛体力も伸ばして
 いこうとするものです。
  「音」にも「色」にも3要素があります。「行動体力」にも、「発現・調整・持続」と呼ばれる3要素が
 あります。「発現」とは筋力・パワーに関するもの、「調整」とは柔軟性とか敏捷性、「持続」とは
 文字通り持久力に関するものです。少年団の体力テストは、わずか5種目の実技でこの体力
 全体を推し量るものです。子供に要求されるのは、あくまで「バランスのとれた体力」であり、
 特に必要なのは「調整」です。「筋力・持久力」は、大人になってもトレーニング次第ですが
 この要素は子供の時にしか身につかないからです。少年少女時にスポーツをすることの大切さは
 こうしたところにもあります。
  少年団では上記のような考えに立ち、「体力テスト」実施を年1回は行う事としています。久喜
 市では、総会を終えた5月第2日曜日毎年実施してきました。
  この日はバスケ部会が上位大会と重なり、また野球部会のうち勝ち進んでいる何団かが
 大会との事で、会場によってかなり寂しい所もありました。
  写真は桜田小を会場とするもの、
左が全身持久力を見る「5分間走」、右が主に腹筋の持久力
 をみる「上体起こし」です。
 
 結果は男女別・年齢別の採点表によって、5つの種目毎に0~10点に採点され、合計得点に
 よって5級~1級、及び級外に判定されます。あくまでもバランスのとれた体力、という視点から
 各級毎に「必要最低点」があります。
  大切なことは1・テストを正しく実施する、2・それに基づいて正確に判定する、から、3・体力
 診断をし、4・運動処方を導き出すことです。
  すなわち団全体の、また個人個人に適した運動トレーニングを、活動プログラムに取り入れ
 て行くという事です。そして健康な体と心の持ち主へと子どもたちを育成していくことなのです。
  各団指導者・育成会のご努力に期待します。勿論本部としても最大限の協力をして参ります。


   ◎ 市スポ少本部・29年度定期総会 5/7(日) ふれあいセンター久喜













 
 G・Wの最終日はスポ少本部総会日と決まっています。議長・教育長・県議の来賓出席を頂き
 平成29年度総会を「ふれあいセンター久喜」で開催しました。
  開会に先駆け私は、少子化の影響をもろに受け、団員数の減少をもろに受けていた状況から
 ようやく脱出しかけていること、新たな年を反転攻勢とすべく、『一層のご努力をお願いしたい』
 と挨拶しました。
  表彰に移りました。市本部合併後7年、長く副本部長を勤められた石井・平井の両氏、指導協
 委員長の山田氏、総務部長南雲氏の4名に功労賞、指導者として30年のゴールド賞に島田・
 竹内の両氏を始め20年・10年永続指導者への優秀指導者表彰13名でした。特に功労賞を
 受賞された4氏は、本部運営の中枢を担われた方だけに、私としては大打撃、慰留に努めま
 したが、こうしたボランティアとしての役職は、本人の気持ちが第一ですので仕方のないこと、
 長いこと本当にご苦労様でした。有難うございました。
  その後昨年度市長杯大会で優勝した各単位団に、教育長からレプリカを贈呈(―写真・左―)
 
審議に移りました。
  総会は議長に「戸草内副本部長」を選出、提出した6議案が全て満場一致で承認されました。
  (―写真・右―)  第3号議案・「加盟について」では、「久喜ラグビースクール」の本部加盟を
 承認しました。市内初のラグビー少年団、代表は辛島勝弘氏、「鷲宮運動公園多目的広場」を
 中心に、団員約40名で活動しています。大歓迎します。よろしくお願いします。
  第4号議案・「平成29・30年度本部役員について」  私は本部長に留任します。4人だった
 副本部長は石井・平井両氏の辞任をうけ、新たに菖蒲地区の大坂氏を選出、戸草内・吉住氏は
 留任、3人体制となりました。他組織の理事長に当たる「指導協委員長」はどうしても選任する事
 ができず、吉住副本部長兼任となりました。
  総務部長の後任には、「キッカーズ」の「三浦」氏が就任されます。「サッカー部会」の事務を
 一手に処理してこられた実績をお持ちです。よろしくお願いします。
  残る常任理事は各種目別部会長です。今年本部6つ目の部会として「ソフトテニス部会」が
 発足しました。(山口部会長) 県でも今拡大中の部会、よろしくお願いします。
  私・本部長の委嘱による「本部員」に、新たに加盟した「ラグビースクール」から「井上氏」に
 就任を頂きました。氏は野球少年団に長くかかわってこられた方、本部運営に強力な新戦力を
 得た思いです。よろしくお願いします。
  総会終了後「懇親会」を持ち、和やかなひと時を過ごし解散しました。

  さて開会時に「長期低落化状況に歯止めがかかった、反転攻勢の年としたい」と挨拶したと
 記しました。確かにそのような状況はありますが、同時に4人辞任した役員を埋め切れることが
 できなかったという現実もあります。少年団の基礎はスポーツです。無限の魅力を持つスポーツ、
 これからも種目を中心とした活動は大丈夫と言えます。ただ今、種目を越えて、運営面に
 携わろう、というタイプの指導者が非常に少なっています。この面のみ担ってきた私は将来に
 大きな不安を持っています。私自身25年を超えた県の役員を、今年1年で辞任する事に
 なります。(県体協定年制による) 市スポ少は定年制を敷いていませんが、長く続ける気も
 ありません。この任期位かな、という思いがあります。
  加えてこの任期は久喜市と少年団の8年目・9年目になります。すなわちこの任期中に
 市の新市誕生10周年記念事業をにらんだ、スポ少の本部10周年記念事業を決定、準備
 せねばならないのです。そんな事をあれこれ考えると走り出したくなります。
  とにかく老体にムチ打って、最後のご奉公に励むこととします。
  
  久喜マラソン大会実行委員会総会 4/25(火) 鷲宮総合支所会議室 

  去る3月19日(日)に行われた、第2回「久喜マラソン大会」に
 ついては、すぐ下段で報告してあります。早くも第2回大会を
 総括し、来年の第3回大会を準備する、平成29年度「久喜
 マラソン大会実行委員会総会」が、25日、鷲宮総合支所4F
 会議室にて開催されました。
  総会には28年度の事業と収支決算報告、29年度役員
 同じく事業計画と予算案の5議案が提案され、全て満場
 一致で承認されました。
  会計面ですが総額約2、500万円、うち参加費が5割強の
 1、280万円、協賛金472万円、補助金が3割弱の737万円
 となっています。支出面では計測・シャトルバス運行・警備業務等多方面にわたる委託料が
 約6割弱の1、447万円を占め、ついて消耗品費666万円となっています。この割合は決算・予算
 ともほぼ変わりません。
  役員は会長田中市長、副会長柿沼教育長他3名、実行委員長に体育協会の鈴木氏、副実行
 委員長に各セクションの責任者となる7名と前回同様、私も運輸部門担当の副実行委員長に
 継続して選出され、閉会後委嘱状を市長より交付されました。
  さて事業計画ですが、大会規模・会場・準備過程等不動ですが、肝心の期日がまた1週間
 ずれ込み、3月第4日曜日の25日となりました。第1回大会が第2日曜でした。これは草加市・
 古河市・羽生市等近隣の大会とダブるという事で、第2回大会は第3日曜としました。出席者
 より、「出場選手にとっては、久喜の大会は第*日曜日と固定したほうが予定が立ちやすい、
 これからもこのようにくるくる変わるのか。」との質問が出されました。確かに警察署より、「人事
 異動直後の大会は避けていただきたい。可能なら少し遅らせていただきたい(警察署の人事異動
 は3月上旬が通常)」 なる要望があることは事実です。事務局はその辺をにおわせつつ、
 第4回以降はともかく、第3回はこの日程でお願いしたい。」と答えていました。
  実は少年団にとり3月第4日曜日は最悪の日程、最大大手の野球部会の40年来の最大行事
 とダブるのです。この大会は全市規模のものです。1つの団体の事情を言うわけにもいきません。
  私としては5月7日の総会で、ひたすら皆様にお願いするだけと覚悟をきめています。
 
  マラソン大会そのものは2回の大会の成功をうけて、今後ともそのように実現されていくでしょう。
 私はこの大会のネライは3つあると考えています。1つは大会そのものの成功、1つは大会に
 関わる市内各種団体の大会を通しての組織的強化、もう1つは、市民がこの大会をキッカケとし
 それぞれの健康体力の維持増進に取り組み、健康なまち・元気なまち・「久喜」を創造していく
 そんな活動の醸成です。
  これからは2・3への取組ができればなと考えています。

   ◎ 第2回久喜マラソン大会 3/19(日) 久喜総合運動公園 



















  第2回・「よろこびのまち 久喜マラソン大会」が、前回大会より1週間ずらして第3日曜日、
 これは昨年と変わらず、「久喜市総合運動公園市民グラウンド」をスタート・ゴールとし、ハーフ
 の部・3kの部・2kの部・2k親子の部の4部門で行われました。ハーブの部のみ若干コースが
 変わっています。昨年は第1回大会とて、ハーフのコース設営にだいぶ時間をかけましたが
 今年は昨年の経験が生き、ほとんど準備に時間を割くことはありませんでした。昨年約4000名
 の参加を頂きましたが、今年はハーフの部に3、000人強、3kの部に約800人、2k約500人
 親子約400人と4、700名強、2割増の申し込みを頂きました。また大会直前に前回同様ゲスト
 ランナーとしてお迎えした、川内選手の世界陸上選手権マラソン大会代表決定があり、大いに
 盛り上がりました。
  8:10開会式が始まりです。私は大会役員(副実行委員長)として壇上に登りました。そこからの
 開会式の写真です。(―上・左―)田中市長の主催者挨拶、川内選手の決意表明、岸審判長の
 競技説明の後、選手宣誓を受け、競技の開始です。
  2kの部、親子の部、ハーフの部、3kの部と時間をおいてスタートしていきます。200組・400人
 参加の親子の部、親子どちらかが早く、手を引っ張りつつ繋いでいるスタートはほほえましいもの
 でした。(―上・中―) 去年は三つ揃えのスーツ、今年は母校・鷲宮中学校陸上部時代の
 ユニフォームで走られた川内選手を先頭とした、ハーフの部3000人のスタートは凄い迫力
 でした。(―上・右―) 昨年スタートと戻って来る選手が一部交錯したため、スタート時間の調整、
 スタート位置を国体道路交差点の後方に下げたため、実にスムーズでした。
  
  全部門スタートを終えて、ゴールした部門からの表彰を本部ステージ前で行いました。表彰は
 10位まで、1位から3位まで賞状・メダル・副賞、4位から6位まで賞状・副賞、7位から10位
 まで賞状というものですが、私はなぜか7位表彰の担当、私の所から賞状のみとなるため
 なんとなくバツがわるかったものでした。ちなみに副賞は久喜の名物、「久喜クッキーズ」と
 特産の「イチゴ」とのことでした。(―下・左―)
  そんな中早くもハーフの部のゴールです。トップは勿論川内選手、強風向かい風のため、記録は
 そこそこでしたが、2位を5分くらい引き離してのぶっちぎりのものでした。(―下・中―)やはり
 世界大会出場選手は別格なのだ、と改めて思い知らされました。前記した「鷲宮中」と記された
 真っ黒のユニフォームが印象的でした。
  川内選手はゲストランナーですから、順位に関係ありません。そのハーフの部・男子39歳以下と
 2kの部男子6・5年生の優勝者は、私のサッカーの教え子でした。やはり何となくうれしいものです。
  本部横のステージでは北陽高校チアリーディング部のパフォーマンス、川内選手のトークショーが
 行われ、また商工会の物品販売店も多数あり、結構な人出でにぎわっていました。
  競技終了を告げる花火が上がりましたが、ハーフの部で最後の関門を通過したラストランナーが
 入ってきました。メディカルランナーに囲まれてのものです。(―下・右―) 川内選手の力走も
 あれば、こうした最後まで頑張った市民ランナーもいます。これが「市民マラソン大会」の良い
 所なのです。
  ともあれ第2回大会は無事。それも成功裏に終了しました。早くも定着した感があり、大会その
 ものはより多くの参加者を得て、第3回大会を迎えることになるでしょう。
  今年は県と共同で、「健康マイレージ事業」も始まります。後は市内いたるところにジョギング・
 ランニングコースを整備、あるいは指定し、いつでも・どこでも・だれでもが、自らの体力に合わせ
 歩き、走るという、「健康なまち・久喜」を目指していくべきでしょう。 

  市民グランド改修記念・レッズサッカースクール3/12(日) 久喜市民グランド










  総合運動公園内「市民グラウンド」周辺には、第2回「久喜市マラソン大会」ののぼりが多数
 閃いていました。1年前この大会に合わせトラック部分の改修をしました。そして今回フィールド
 の改修を行い、ほぼ20年ぶりに市民グラウンドが、元の形態・機能を取り戻したことになります。
  この間私はどれくらいの時間をここで過ごしたでしょうか。とにかく私はこのグランウドで休日の
 ほとんどの時間を送ってきました。私が黄泉の世界に旅立った後、できればこの地に散骨して
 頂きたいと思っているくらいです。
  余計な事を書きすぎました。本日、久喜総合運動公園・市民グラウンドリューアル記念・「浦和
 レッズ」サッカー教室が、指定管理者・毎日興業の主催で行われました。参加したのは久喜市
 スポーツ少年団サッカー部会4・5年生100数十名、コーチは「浦和レッズ・ハートフルクラブ」の
 方々です。「ハートフルクラブ」は、「浦和レッズ」と心の共有を土台に、コミュニケーションの輪を
 広げる活動をしています。今日誰がお見えになるか楽しみにしていました。5~6人お見えで
 したが、私と同世代の「落合弘」さんがおられました。開会式で施設長・私・市長とあいさつした後
 落合さんが、厳しい言葉で子供たちに話しをしました。(―写真・左―) 私はスポ少の行事に
 出て、いつも思うのですが、サッカーの子は少しだらしない所があります。おそらく落合さんは
 「スポーツ・サッカーをする前に人の話はよく聞く」なんてことを話したのだと思います。
  その落合さんですが、若手コーチによる練習が始まった後、指導者・保護者に離れた場所で
 話をされていました。私は「ハートフルクラブ」スタッフと、話しをしていてこれは聞いていません。
  参加された人によると、スポーツで1番大切なのは「こころ」、仲間へのおもいやり・互いに信頼、
 全てに一生懸命の「こころ」が大切と話されたそうです。当たり前のことですが、感動したと言って
 いました。
  さてサッカースクールの方ですが、全体を3つのグループに、各々2人のコーチがついて、広い
 フィールド一杯に行われていました。(―写真・中・右―) コーチ陣の指導力は折り紙付きです。
 絶えず子どもたちの歓声がこだましていました。
   私はコーチ陣の中に、2年前スポ少の県外研修でお世話になった「室井」さんがおられず、
 お礼を申し上げられなかったのが少し残念でした。
  どうか子どもたちが、落合さんが話されたという3つのこころを大切に、スポーツにサッカーに
 頑張ることを期待します。そして何よりもこの市民グラウンドが、これから長きにわたり、市民の
 スポーツの殿堂としてあり続けることを願うものです。


 平成28年度・埼玉県スポーツ少年団県外研修 3/4(土)・5(日) 伊香保温泉










 
  4(土)・5(日)と群馬県伊香保温泉・ホテル天坊で開催された、平成28年度・埼玉県スポーツ
 少年団現地研修会に参加しました。この研修会は毎年1月最終土・日と決まっていますが、
 今年はどうしても会場が取れず、約一月おくれてこの日程となりました。県内少年団指導者が
 一堂に会し、研修し、同じ釜の飯を食い、交流・交換し、また種目別部会の1年のスケジュール
 を協議するものです。もう40年を超えて開催されていますが、私も毎年参加しています。
  なにせ急な日程変更、かなりの参加者減が心配されましたが、そこはまじめなスポ少指導者
 約1割の減にとどまりました。まず全体研修会、今回は「子どもの心理を知って団活動を充実
 しよう」と題された、1部・吉田繁敬氏、2日目午前は小出利一氏を加えての2部の2本立て
 でした。
(写真・―左と右―)
  吉田氏は日本本部の指導者養成プロジェクトメンバー、臨床心理士で、ご自身も名古屋市で
 剣道少年団の指導をされています。小出氏は地元群馬県新町で、総合型地域スポーツクラブ
 少年団両者の運営指導に関わっておられます。
  吉田氏は「コーチング」とは、スポーツ技術を教える事でなく、「子どもの自発的やる気を引き
 出すためのコミュニケーションスキル」だとし、専門家として子どもの「こころの発達と課題」を
 詳しく説明されました。子供に「有能感を獲得させる」ことが大切とされ、私たち指導者は「子ども
 たちの心的サンイ」を読み取る、「怒りの感情をコントロールする」こと、「子供と共通認識を持つ
 こと」が必要と話されました。随所に少年団指導者として、現場体験に踏まえた実例を話され、
 解りやすく、楽しい講演でした。
  2日目の講演は小出氏を加え、お二人の対談調で進められました。小出氏の現状に関する
 話があちこち飛び、やや深みを欠くものとなっていました。
  
  1日目講演1部を終えた後は、12の「種目別分科会」です。私は「サッカー部会」のそれに
 出たかったのですが、正副本部長に事務局を加えた会議があり、断念しました。
  お風呂に入って、浴衣に着替え、お待ちかねの「情報交換会」です。
(写真・―中―)
  いつも思うのですが、少年団活動に限りない情熱を燃やす、県内指導者が一堂に会しての
 「交換会」は実に壮観です。酔いが回るにつれみな席を移しつつ、少年団談議に口角泡を飛ば
 していました。ただ、ただです。多くの人が顔なじみ、高齢化は少年団の世界も同様です。最も
 私も40年参加しているのですから、その最たる者と言えます。私は副本部長を16年、その前に
 本部員を10年以上勤めてきましたが、少年団の年齢制により、役職はあと1年となります。
 あと何回この席に座っているだろう、なんて考えたらチヨット寂しくなりました。
  長期低落状況にあり、2000人、3000人規模で団員数を減らしてきた県少年団は、本年度
 500人の微減にとどまり、低落化に歯止をかけつつあります。29年度は関東ブロック種目別
 交流大会も主管します。「この年を反転進行の年とすべく、更なるご努力をお願いしたい」、
 閉会で私は県本部を代表し、こうご挨拶を申し上げました。


 第2回・久喜マラソン大会準備ほぼ終了2/26(日) 久喜総合文化会館

  昨年初めて開催された「よろこびのまち 久喜マラソン大会」はまさにオール久喜、大勢の
 市民の皆様の参加と協力を頂いて、成功裏に終了しました。あれから1年、「第2回・久喜
 マラソン大会」を迎えることとなりました。
  今年は開催日を1週間ずらし、3月第3日曜日19日です。主催・主管・会場(スタート・ゴール)
 何よりも昨年同様多くの市民の協力の下に開催されるのは変わりません。1週ずらしたのは
 草加・古河・羽生等近隣の先行大会にダブるためです。
  ハーフの部・3㎞の部・2㎞の部・2㎞親子の部の4部門で行われるのも同じです。ハーフの部、
 川越線が通れるためコースが若干変更、その分走り良くなりました。
  参加者です。昨年申込者4、000人強、今年はハーフの部3、036人、3kの部809人、2kの部
 473人、親子の部392人の計4、710名が申込み、2割近く昨年より増、うれしい限りです。
  主管する「大会実行委員会」は、市内殆どの団体で構成されています。「スポーツ少年団」は
 昨年同様「運輸部門」を担当しました。大会参加者・関係者等の駐車場、シャトルバス、運送・
 救護車、とにかく「運輸」に関するすべてを担当します。
  昨年同様久喜地区と鷲宮地区単位団には2名、栗橋・菖蒲地区単位団には1名の役員派遣
 を要請しました。鷲宮地区の役員にはコース役員を、他3地区は運輸部門の担当です。

  今日は17:00より「総合文化会館広域展示室」で、運輸部会の最終打ち合わせ会を持ち
 ました。駐車場は総合運動公園のそれから、日本通運・市役所・旧理科大等12に及び、シャトル
 バス担当者の集合は何と6:00です。ご苦労をおかけしますがよろしくお願いします。
  皆支給されたスタッフジャンパー・帽子を片手に帰っていきました。
  これでスポ少=運輸部会の準備は、ほぼ終了したことになります。この部会の責任者であり、
 全体の副実行委員長の私はもう少し、となります。
  願わくば当日が好天に恵まれ、昨年以上の成功を収めますように!


   ◎ 市スポ少認定員養成講習会 2/5・12(共に日) ふれあいセンター久喜










  ・60数名の参加を頂きました。受付風景
  ・講習会風景
  ・私も3科目・5・5hの講師を勤めました。
 
  左・正式な資格が付与されますので
      最後に試験があります。
      50問中30以上正解で合格です。


  毎年この時期に実施していますが、県本部主催・市本部主管による「スポーツ
 リーダー兼スポーツ少年団認定員養成講習会」を、2/5(日)・12(日)の2日間
 「ふれあいセンター久喜」で行いました。ご承知のように少年団の活動主体は
 団員=子どもですが、これの利益を守りつつ、運営にあたるのは大人=指導者
 です。そこで必要な最小限の研修を受けていただき、これに正式な資格を付与
 活動にあたっていただこう、というのが「スポーツ少年団指導者養成制度」です。
  2種あり、まず「認定員」、そして「育成員」です。私は旧久喜市で最初にこの
 講習会を行った昭和54年に「認定員」を、翌55年に田沢湖青少年スポーツセンター
 で「育成員」の資格を得ました。以来35年となります。この間「文科省」や「日体協」
 のいくつかの資格を取得、長く「認定員養成講習会」の講師を務めてきました。
  旧・新本部を通して久喜市はこうした研修会には熱心に取り組んであり、全指導者
 (530名)の、資格保持者率は県内最高水準にあります。

  講習会は2日間、1日前9:00~後5:00迄16時間に及ぶハードなものです。
 以前はこの日程で講習会を受講すると、自動的に「資格付与」となったのですが、
 今はプラスして1時間の試験があります。にもかかわらず今年は会場の関係で
 制限したのですが、毎年100人近い(近隣市町を含む)受講者があるのですから
 本当に少年団の指導者はまじめだなと感心します。
  講義内容は「スポーツ少年団の理念・組織と運営」から、「トレーニング論」、
 「医学的知識」、「栄養」、「安全管理」、「ジュニア期のスポーツ」等10科目に達し
 ます。1科目30分から2時間のものとあります。
  講師は基本的に「育成員」の資格を持つスポ少指導者です。今回「理念」は
 久喜市放課後子供教室運営委員会会長に、「栄養」は正式な「栄養管理士」の
 方にお願いしました。私も1日目に「体力テスト」、2日目に「指導者に必要な医学的
 知識」の2科目を担当しました。の予定でしたが「ジュニア期のスポーツ」予定講師が
 キャンセルとなり、この科目もプラスとなりました。ために2日目午後13:00~
 17:00まで、何と4時間連続しての講師となりました。さすがに少しくたびれましたが
 他市町へ出向いての講師の場合、せっかく来ていただいたから、と複数科目の講師
 という事が普通で、それなりにこなしました。
  最後の試験、皆真剣に取り組んでいました。4者択一の問題で、50問中、30問以上
 正解で合格となります。どうか全員合格してくれ、と祈らずにはおれません。

  これをもって28年度の本部事業はすべて終了しました。後は新年度の準備に入ります。
 全受講者が「認定員」となり、より少年団活動に励まれることを期待します。
  一緒に頑張ってまいります。


  埼玉西部ライオンズ少年野球教室 2/4(土) 総合運動公園多目的広場  












  今冬は冬の寒さがことのほか厳しいようです。「スポ少ロードレース大会」もただ寒かった
 という事のみ覚えています。寒風吹きすさぶそんな寒さの中、総合運動公園の指定管理者
 「毎日興業」さんのお取り計らいで、「西部ライオンズ少年野球教室」が、いつも大会会場と
 なる「総合運動公園多目的広場」で開催されました。毎年この時期に行われています。
  コーチは西武ライオンズが、少年野球育成のため組織している「ライオンズアカデミー」
 所属の石井氏・岡村氏といった3名の方でした。参加したのは久喜市スポーツ少年団野球
 部会所属の14団から200名弱という所、この時期は6年生がいないため、一番少ない
 人数となります。
  まず走塁から(―写真・左―) ピッチャーの投球フォームに合わせた離塁の距離、歩幅
 何歩といった細かいところまで指導していました。続いて野球の基礎中の基礎、キヤッチ
 ボールです。(―写真・中―) 『漫然と投げない・一級一級意識を持って投げる。』の注意
 から、ボールの握り方、グローブの出し方等、子どもたちは真剣に聞いていました。
  そのあと2手に分かれ、今教わったばかりのキャッチボールの練習、
(―写真・右―)
 少しは進歩につながったことでしょう。
  この日白岡市での「認定員養成講習会」講師の仕事があり、12時までに出向かねば
 ならぬため此処で失礼しました。お昼まで子どもたちは熱心に練習に励んだことでしょう。

  丁度野球にとってはオフシーズンになります。でもプロ野球のキャンプも始まりました。
 このグランドでも、子どもたちの勝利を目指す真剣なプレーが、間もなく見られることになり
 ます。28年度登録人数が県でも下げ止まり、久喜市ではほんの少しですが「増」となり
 ました。その要因は野球部会の下げ止まりにあります。寒風の中、元気に練習に励む
 子どもたちの熱心な活動と、それを支える指導者との輪がこれを導いたものと考えます。
  どうか新年度に向け、更なる努力をお願いするものです。

  最後にこの教室を企画いただいた「毎日興業」、寒風の中激励にお越しいただいた
 市長・教育長・正副議長に感謝申し上げます。

  久喜キッカーズ創立40周年記念式典・祝賀会 1/21 三高サロン
 











  太田小地区サッカー少年団・「久喜キッカーズ」が昭和53年誕生、本・平成29年度に
 創立40周年を迎えるにあたり、「記念式典・祝賀会」が、20日「三高サロン」で開催され
 ました。ご承知のように旧「久喜市スポーツ少年団」は、昭和51年々頭に誕生しています。
  実質的に野球少年団4団のみの組織でした。当時私はサッカー協会会長、体育指導
 委員の職にあり、サッカー少年団組織化を決意、教育委員会主催の「少年サッカー教室」
 を51年秋から5年連続して行いました。結果52年・「久喜少年サッカークラブ」、53年
 「久喜キッカーズ」、55年・「江面1サッカークラブ」の誕生を見るにいたりました。
  以来40年「キッカーズ」とは、親しく同じ道を歩んできたことになります。

  会は手作りのビデオの上映に始まりました。―(写真・左)―団員がドリブルでサッカー
 ボールを運び、「40」と描くものです。良きアイデアでした。続いてY実行委員長、現団長
 「栃木」氏が挨拶されました。―(写真・中)― お二人の挨拶を聞きながら「キッカーズ」の
 今日を築かれた何人かの人を、懐かしく思い起こしていました。初代団長の「Т氏」、長く
 団長職を勤められ、その後体調を崩して辞された渡辺氏、その渡辺氏はお体の不自由さ
 を押して本日出席されていました。懐かしさに思わず抱きついてしまいました。柳田氏・
 先ほど挨拶された栃木現団長、そして久喜市サッカー部会の事務を一手に担って頂い
 ている三浦副団長、その時・その時における、その人・その人なりの努力が、今日に
 繋がっているのです。深い敬意を表します。
  その後指導者が紹介されました。―(写真・右)― ОBの若い指導者が多いのに感心
 しました。私は久喜市スポーツ少年団を代表し、挨拶をさせていただく光栄に浴しました。
  前記したキッカーズ指導者の仲間との関りにふれた後、思い出としてとにかくいつも
 「団員数が多かったこと」、100人前後いて、旧久喜市本部ではいつも私の団とトップを
 競っていました。そして県大会において、「3位入賞を2回」記録していることです。私の
 団は16回県大会に出ていますが、ベスト8が最高、どうしてもこの壁を越えることは
 出来ませんでした。こんなお話しをした後、私は多くの多種目の少年団が団員数減少
 に歯止をかけつつある中、サッカー少年団のみが大幅な減少を続けている事を指摘、
 「強化」にのみ専念するのでなく、「育成を通じて強化を図る」少年団活動の本道を

 歩み続けられる事を訴えました。

  会にはキッカーズ指導者・母集団、市内サッカー少年団関係者の他に、普段交流して
 いる市外からも大勢の参加あり、「久喜キッカーズ」の活動の幅を示していました。
  40周年おめでとうございます。益々の充実・発展を祈念いたします。
  ご招待ありがとうございました。

 
  久喜市スポ少ロードレース大会 1/15(日)菖蒲大崎グランド・周辺道路


 開会式
 市長挨拶


 2年男子
 スタート





 見沼
 代用水脇
  を走る
   駅伝

 駅伝
  タスキ
  リレー


  平成28年度・「第6回久喜市スポーツ少年団ロードレース大会」は、雨で1週間延び
 大寒波の襲来した15日、菖蒲総合支所先・大崎グラウンド及び周辺道路で開催され
 ました。久喜市スポーツ少年団には8つの種目の少年団があります。ロードレース
 大会は種目に関わらず、あらゆるスポーツの基礎である、「走る」を競うものです。
  旧久喜市本部でも行われてきました。合併し継続することを決定しましたが、会場地
 に苦労しました。コース・駐車場・トイレと3つ揃ってなければならないのです。ここ
 「大崎公園グラウンド」は、見沼代用水に沿って走れるため、コースと駐車場は申し分
 なく、トイレもまずまずと言えます。ただ欠点が1つ、東方向を除いて周囲が見渡す限り
 の田んぼという事です。風でも吹こうものなら寒いこと・寒いこと、とにかくここ数年の
 大会は「寒かった」という思い出しかありません。今年はその最たるものでした。
 私など、何回トイレに駆け込んだでしょうか。

  大会は学年別・男女別の個人走と、団対抗駅伝です。個人レースは1・2年生、3年
 女子までが1、000m、3年男子・4年制が1、500m。5・6年生が2、300mです。
  団対抗駅伝は1チーム5人、5・6年生のコースを走りますが、2・3・4添はトラック
 に戻らずタスキを渡しますので、実際走る距離は2、000m弱となります。
  極寒の中大勢の保護者が応援に駆け付け、ほほえましいシーンが随所に見られました。
 それにしても指導者・母集団の役員が、実によく各役割をこなし、1、000人をこす
 規模の大会として見事な運営でした。心より御礼申し上げます。
  団員が参加するものとしては、28年度の最終事業であり、同時に新年の幕開けの
 事業でした。長期低落化が続いた少年団において、28年度久喜市は若干の団員増を
 見ました。新年度は反転進行の年となるよう頑張ってまいります。


   サッカー少年団U10県中央大会12/25(日) 新座市総合運動公園











 
 上左・準決勝
 上尾朝日-江南南

 上中・決勝戦
 上尾朝日―狭山
  レアル

 上右・これが
 スクール21カップ



  6/28(日)上尾運動公園陸上競技場の「合同開会式」(6/28本ページ参照)で
 開幕した「第1回・スクール21カップ埼玉県スポーツ少年団U10サッカー中央大会」
 の最終日が25日・「新座市総合運動公園陸上競技場」で行われました。
  合同開会式同様、この日も私が県本部を代表し、参加させていただきました。
 準決勝戦から観戦しました。なお久喜市の「東鷲宮FC」がベストエイトまで進出、
 面目を保ちました。
  「上尾朝日―江南南」戦は、「江南南」が押し気味でしたが、「上尾朝日」が2本の
 FKを生かし、辛勝しました。もう1つの準決勝戦、「武蔵野FC―レアル狭山」は
 「狭山」が順当勝ちしました。
  決勝戦の「上尾朝日―レアル狭山」は、ほぼ予想通りに「上尾朝日」が3-1で
 快勝、第1回大会を制し、初の「スクール21カップ」を手中に収めています。6年生
 大会に最近よく見られる、勝つための激しいサッカーというより、ドリブル等の巧み
 なプレーが、随所にみられてよき内容の試合でした。
  この大会はU(=Unde)10、すなわち4年生以下の県大会です。県スポ少サッカ
 ー部会の役員が大変苦労して組織しました。埼玉県は勿論、全国でも初の試みの
 大会だったと思います。
  県サッカー少年団は、他の種目別組織が下げ止まりの中、今年度も700名もの
 団員数の減少という、深刻な状態にあります。
  県協会主導の「強化」型運営に、地方のサッカー少年団がついていけなくなって
 いるのです。この大会が「育成」を主に、その中で「強化」を図っていくという本来の
 少年サッカー団活動への、回帰を目指す第一歩であってほしいと考えます。
  閉会式(―写真・下2枚―) で私は、この大会を共催された「埼玉新聞」、全面的
 協賛を頂いた「スクール21」関係皆様へのお礼と共に、こう挨拶しました。 



 ウインターカップ久喜2016閉会式12/23(金・祝)久喜毎日興業アリーナ










  前段でお知らせした「ウインターカップ久喜2016」の2日目の大会が、23日
 1日目と同じく、久喜市総合運動公園の2つの体育館、市内3小学校で行われ
 ました。午前中、本町小体育館での「友好部門」2位パーツの試合を見ました。
  丁度本町小地区のミニバス少年団「久喜ミニ」と、「大利根」の男子チームの
 試合でした。(―写真・左―) 「友好部門」は市内3小学校体育館を会場に行わ
 れています。指導者が少ない中で、こうした運営がスムーズに出来るのは見上
 げたものです。一つだけ気になったことは、相手チームコーチが怒鳴り続けて
 いる事、こうしたシーンは最近ではあまり見られません。
  午後からは毎日興業アリーナで「優勝部門」、男女それぞれの3位決定戦、
 決勝戦を観戦しました。女子の部3決で、「久喜ミニ」の女子チームが快勝、市内
 チームで唯一入賞し、面目を保ちました。
  決勝戦は男子「戸田МB―吉見西」、(―写真・中―)「吉見西」は県スポ少副
 本部長で、我が盟友О氏が団長を務めるチーム、「戸田МB」は県大会優勝
 チーム、女子「川口慈林―松伏ジュリア」で行われました。女子は先の県大会の
 優勝・準優勝チームとの事、正にこの種目の県内最高レベルの試合でした。
 男子は「戸田МB」、女子では「松伏ジュリア」が優勝しています。
  熱戦を終え閉会式、(―写真・右―) 表彰状・トロフィをお渡しした後、私は遠く
 入間・深谷・長瀞等もから参加いただいた50チームの皆様に、この大会への
 協力に対するお礼と、子どもたちの健やかな育成への限りないご努力をお願い
 する挨拶をし、閉会となりました。

  もう何度か同じ事を述べてきました。この大会は50チーム参加という規模、
 優勝・友好部門という大会の在り方、指導者・育成会母集団の真摯な運営ぶり
 と、どれをとても評価すべき大会と言えます。いつもさわやかな気分に浸りつつ
 家路につきます。形だけの主催者で恥ずかしい限りです。
   ありがとうございました。

 ミニバスウィンターカップ・バド近隣交流大会12/18(日)久喜・幸手体育館










  久喜市近隣優勝友好ミニバス大会・「ウインターカップ久喜2016」が、今年は
 「毎日興業」の全面的協力を頂いて、「毎日興業アリーナ久喜presents」なるサブ
 タイトルを付け、18(日)総合体育館(毎日興業アリーナ)・第2体育館・市内小学校
 3つの体育館で開かれました。23日(祝)の2日間にわたり行われます。この大会
 については毎年報告してきました。ミニバス部会の全面的企画・運営の下での
 ものですが、一応本部主催事業、私が挨拶・表彰を行っています。今年も参加
 チームは県内各地から50チーム、遠く入間市・長瀞町・深谷市等からも参加を
 頂いています。1つの町の種目別部会が行う大会としては最大規模と言えます。
  大会名の優勝・友好大会とは、県大会優勝チームも参加、そうしたチームが
 競う「優勝部門」と、交流・友好を主眼とする「友好部門」、少年団大会のありう
 べき姿を実現しています。加えて大会運営の在り様です。ミニバスは決して指導
 者が多い組織と言えません。それを補っているのが、いわゆる「母集団」です。
 単に指示を受けてのものでなく、自発的に真摯に運営にあたる、この部会の
 「母集団」の活動にいつも感心しています。
  開会式では市長等の来賓挨拶(―写真・左―)、50全参加チームの紹介(―
 写真・中―)、そしていつも会場を沸かせる、久喜市の単位団による歓迎の
 パフォーマンス(―写真・右―)と進んで、各チームは5会場へと別れていきました。
  子どもたちは今日・23日と2日間全力でプレイ、23(祝)夕刻に閉会式・表彰式
 でまたここに集合します。23日に報告します。











  久喜市スポーツ少年団本部は、県本部の助成を得て、毎年2部会の種目別交流
 大会を行っています。今年は「バドミントン」と「バレーボール」です。
  上記した「ウインターカップ」と重なったため、バド部会の近隣交流大会は、幸手
 体育館・「アスカル」で行われました。久喜市内バド4団に加え、羽生市・加須市・
 白岡市・杉戸町から4バドミントン少年団の参加を頂きました。
  会場の幸手市体育館・アスカルのメインアリーナは、ほぼ久喜市のそれと同じ広さ
 を持つ良い体育館でした。バド部会は団対抗としての県大会を終え(12/3付本
 ページ参照)、来年個人戦の大会を蓮田市で持ちます。そうした大会への備え、
 というより近隣交流大会にふさわしい、日頃競い合う同じバド仲間との交流と友好の
 楽しい1日でした。

埼玉県サッカー協会・設立70周年の集い 12/17(土) 新都心ラフレさいたま










 
 埼玉県サッカー協会(SFA・横山謙三会長)の「設立70周年の集い」17日、さい
 たま市新都心「ラフレさいたま」で開催されました。私に案内状が届いたのは大分
 前です。なぜ私にと思い、県審判部のS氏、市サッカー協会事務局のE氏に問い
 合わせた所2人とも来ていないとの事、益々わからなくなり迷いましたが、出席の
 返事を出しました。私は県サッカー協会の役員をしたという記憶がありません。
 あまつさえ県サッカー協会の、少年サッカーへの関わりに大いなる疑問を持って
 います。それでも出席したのは、やはり久喜市のサッカー協会会長を45年を越え
 勤め、また少年サッカーの普及育成に勤めた者の証しと考えたからです。
  会場は新都心の「ラフレさいたま」、スポ少の関東ブロックの会議・研修等でよく
 利用しています。立食パーティ形式なので参加者の正しい数は良く分かりません。
 まあ200人前後と思われます
(―写真・中―) 開会式では横山会長が主催者
 挨拶、続いて上田県知事(―写真・左―)宮崎県議会議長、清水さいたま市長、
 野本サッカー振興県議連会長が祝辞を述べました。その中で野本サッカー
 振興県議連会長は、福島原発事故の避難民の受け入れ施設であった、旧騎西
 高校の今後の活用策として、サッカーの普及・振興の場としての案が進んでいる
 との注目すべき話をされました。
  その後相川元県協会会長の音頭で乾杯、歓談に移りました。長いこと活動して
 きましたので、結構顔なじみがいて、それなりに楽しい時間を過ごしました。

  ここで県サッカー協会について述べておきます。埼玉県におけるサッカーは明治
 末期、旧埼玉師範・現埼玉大学で始まり、卒業後教員として各地での普及活動に
 より、少しずつ拡大されていったと言われています。協会としての発足は1946年
 昭和21年です。戦後1年の混乱期、この時期に組織を立ち上げた先人のご努力
 に経緯を表します。その後1951・26年に浦和高校が全国制覇、連続優勝し、
 3年目にその浦高を県予選で破った「浦和西高校」が全国優勝、「埼玉を制する
 者は全国を制す」と、福永健司当時の県体協会長をして名言を残させています。
  その後浦和市立高校、同南高校、武南高校と活躍、30年に12回優勝し、正に
 サッカー所として全国をリードしてきました。公益財団法人として組織も確立、
 少年からJリーグのチームまで含め、登録チーム数1、691、60、056名、指導者
 5、992名、審判20、212名(共に日本サッカー協会が正式に認定した者)と全国
 トップレベル(多くは東京都に次いで2位)にあります。

  しかしです。その高校勢も武南高校を最後に、ここ30年優勝から遠ざかっていま
 す。最近では1・2回戦敗退が指定席になっています。横山会長は、協会の役割は
 「普及・育成・強化」の3つだが、「育成と強化はイコール」とし、悪名高い「4種(少年)
 リーグも全国に先駆け導入した。」と豪語しています。はたしてそうなのでしょうか。
  確かに少年は全国最高レベルにあり、「甲南南・新座片山・レジスタ」多くのチーム
 が全国優勝しています。しかし私は最近の県大会等を見ると、どうしても勝つための
 サッカーに終始している感を否めません。これで高校時代に、大人になって伸びる
 のか、と思うのです。
   第一晩秋から来春にかけ、わずか3~4カ月の間に、「全国大会県大会・4種・
 U10・少年団大会・新人戦」と5つもの県大会が行われます。トップレベルのチーム
 から、20人・30人代の地域の少年団まで、皆疲労困憊しているのです。それが
 下げ止まりが見られる、県少年団の中にあり、サッカーだけが大幅な団員減少を
 続けている原因なのではないでしょうか。
  「育成と強化はイコール」という前に、将来に備える少年サッカーにあっては、
 「育成」を第一とし、その中で「強化」を図っていくことが、大切なのではないで
 しょうか。

  「集い」はその後、懐かしい松本監督、大山監督へのインタビューがあり、また
 サッカー協会を支える埼玉新聞・テレビさいたま、サイタマスタジアム2002と
 いった代表者の紹介があり、
(―写真・右―)閉会しました。

 

    平成28年度・久喜市綱引大会 12/4(日) 毎日興業アリーナ























  平成28年度・「久喜市綱引大会」が、1、300数十名という史上最大の参加者を
 みて、4日毎日興業アリーナで開催されました。私と「綱引」との関係、この大会との
 関わりについては、もう何度も書いてきましたので省略します。とにかく11月に
 入ってから、議会開会日を除いては毎日、業間に「北小」、昼休みに「久喜小」の
 綱引練習の指導に出向きました。お陰様で私は今や、「サッカーの団長」でも
 「ゆうゆうのサポーター」でもなく、「綱引きのコーチ」として子供に定着しています。

  さて合併して7回目の大会、今年は市内全小学校23校から15校の参加と拡大
 約1、380名という30年を超す中で、最大を記録しました。うれしい限りです。
   ―写真・上段左はその開会式、右は選手宣誓―です。さしも広いアリーナも
 2、000人の選手団で埋め尽くされました。
  試合は小学生低学年(1・2年生)、中学年(3・4年生)、高学年(5・6年生)の各
 男女別、プラス一般混合(男女各4名)の7部門、アリーナに3つのレーンを設け
 午前予選リーグ、午後決勝のスケジュールで行われました。なにせ試合数が多く
 審判団は大変でした。今年も県綱引連盟審判員のお手伝いを頂きました。心
 より御礼申し上げます。
  私はBレーン、主に小学生中学年男女の部の審判を担当しましたが、どうも
 久喜小・北小の子どもが気になってしまいます。審判としては失格なのでしよう。

  さて前段で報告してありますが、この日は午後より県スポ少の行事があり、予選
 リーグを終えた段階で失礼しました。―写真下段左は私が指導した久喜小5年生
 女子のチーム―、ほぼ正しいフォームですが前の何人かの身体が横向きになって
 います。―写真・下段右は一般久喜小の先生と、私の祭りの若者チーム―との
 対戦です。久喜市内の小学生チームは、ほとんどが「久喜市綱引連盟」の講習会
 個人によって訓練されており、かなり高いレベルにあります。また多くの小学校の
 先生方がチームを組んで「一般混合の部」に出てくれます。必然的に子どもの指導も
 正しいものがあります。
  さて私が指導した久喜小・北小のチームですが、業間・昼休みなので中身は
 実質5~10分程度、もう一つ訓練というには遠いものがあります。もっとも私に
 指導力がないのが最大の因で、今年も成績の方は今一つでした。北小低学年女子
 が3位に入賞したくらいでした。久喜小では一番期待していた6年女子チーム、
 予選リーグは突破しましたが、決勝トーナメント1回戦(準々決勝)で優勝した太田小
 チームに敗けてしまいました。どうしても体が小さい(腰周り・お尻周り)のが難点です。

  小学生の部では6部門すべてを太田小のチームが制しました。縄跳びの江Ⅰ小、
 綱引の太田小はもはや伝説になっています。身体も大きいのですが、綱引に対する
 姿勢が他の学校と違うような感じを持ちます。久喜小ではまず参加しないスポ少の
 団員も太田小は全員が出場しています。そういう雰囲気を、太田小は綱引に対して
 持っているようです。とにかく敬意を表します。
  一般の部、いつも私が会長を勤める、「本二祭典保存会」の若者が、法被姿で登場
 会場をにぎわしてくれます。いつも市役所チームに負けていましたが、前々回から
 2連勝していました。今年はベストメンバ―が何枚か欠けていましたので、どうかな
 と思っていましたが案の状、市役所チームに雪辱されてしまいました。おかげで
 市役所チーム責任者のT氏には、この1年威張られそうです。
  
  今年は「栗橋南小」・「桜田小」が大選手団で出場してくれました。「清久小」は全員が
 「清久魂」とプリントしたTシャツを着こんでの出場でした。「小林小」は保護者・子どもの
 熱心な応援がありました。いずれも御礼申し上げます。「ゆうゆう」ではありりませんが
 いつの日か、市内全校出場を目指し、これからも頑張っていきます。

 ◎平成28年度・県スポ少表彰式、市本部に日本本部から顕彰
                    
  12/4(日) 浦和ワシントンホテル













  毎年12月第1日曜日は、埼玉県スポーツ少年団本部のその年最後の本部員会、
 終了後県少年団の表彰式、並びに日本本部の顕彰伝達式の日となっています。
  久喜市では丁度「綱引大会」の日、私などは毎年あわただしく動きます。今年も
 午前中の予選リーグを終えて、急いで会場のワシントンホテルに向かいました。
  先に報告した各ブロック本部長会議の報告、来年度埼玉県が会場となる、「関東
 競技別交流大会」等を内容とする、本部員会を終え表彰式に移りました。
   日本本部の顕彰の伝達からです。都道府県の登録数に応じて表彰される市町村
 本部・指導者の数が決まっています。埼玉県は何といっても日本一の組織、毎年
 6本部、10名の指導者が表彰されます。私は25年ほど前に、旧久喜市本部も
 20年ほど前に受賞しています。ところがです。壇上でのんびり構えていたら、何と
 市町村本部表彰最後の6番目に、「久喜市本部」と呼ばれ本当にびっくりしました。
  新久喜市本部は結成7年目ですから、まだ当分先と思っていました。とうやら
 2巡目に入り、旧久喜市本部の結成年数で該当したようです。とにかく(写真・右)
 のような表彰盾をいただきました。久喜市本部としては、市政施行10周年の年
 10年を迎えます。10周年記念事業をにらんだ活動時期を迎えます。

  埼玉県本部の表彰式に移りました。13年前から毎年実施し、都道府県本部で
 こういう制度があるのは埼玉県だけです。指導者表彰のみ、登録指導者200人に
 1名で推薦できます。久喜市は560名ほどの登録がありますので毎年3名、今年は
 野球部会審判長吉葉氏、同前副部会長浜田氏、青毛ウイングスの栗田氏でした。
  本部長より表彰がありました。(写真・左) この表彰は「長い事ごくろうさまでした」
 というものではありません。「これからもよろしくお願いします。」というものです。
  どうか久喜市のお三方をはじめ、本日表彰の栄に浴された方は、引き続きの
 ご活動のほどよろしくお願いします。
  久喜市本部の日本本部顕彰の件は、11日(日)来春のロードレース大会を準備
 する理事会で報告します。祝賀会はやめときます。


  バド県大会・ゆうゆう・スポ少野球忘年会、忙しい1日でした12/3(土)











  師走に入り土・日はいつもこんな具合ですが、今日は朝からスポーツ少年団
 バドミントン県大会、抜け出してくきっ子ゆうゆう、戻って昼食をとりつつ県本部長
 県体協少年団課課長と打ち合わせ、夕方から市スポ少野球忘年会とあわただしい
 1日でした。
  まず第35回県スポーツ少年団バドミントン大会、毎日興業アリーナです。第1回
 大会は蕨市でしたが、もう20年を超えここが会場となっています。第1回大会は
 参加チーム9、うち久喜が5団、鷲宮が2団を占め、優勝は「鷲宮ビッキーズ」、10
 回大会くらいまでは、いつも久喜市のチームが上位を占めていました。その7団の
 うち、現在も活動しているのは4団ですから、チヨット寂しく思います。優勝からも
 見放され、このところは部会長を務める、I氏の蓮田の少年団が圧倒的な成績です。
  私は会場が久喜の前から、過去35回毎回参加してきました。参加25チーム、
 ―写真・左―は開会式・選手宣誓、受け手は佐藤県本部長です。
 
  試合を観戦する本部長と離れ、久喜小へと戻り「くきっ子ゆうゆう」に参加、今日は
 人気のある「ミニテニス」と「クリスマスリース」づくりです。「クリスマスリース」づくりは
 私も会員の「まち研久喜」が担当、飾り物の「松ぼっくり」を、わざわざ奥日光光徳
 牧場まで拾いに行くほど熱が入っています。熱心にリースづくりに励む、大勢の児童
 保護者の姿が見られました。―写真・中―
  
その後再びバドの大会へ戻って、県本部長・県体協少年団課課長と昼食を取り
 つつの打ちあわせ、暮れ・最終日曜日のサッカー県大会閉会式・表彰式出席の
 任務が舞い込みました。ありがたいこととします。 


  最後は毎年12月第1土曜日に開催される野球部会の忘年会、「三高サロン」です。
 野球部会は今14団ですが、参加者が約130名、まとまりの良さを表しています。
 ―写真・右―一時期組織的にピンチの時がありましたが、今懸命の努力が実って
 安定状況に入っています。野球はセレモニーをきちんとやるため、全ての大会に
 呼んでいただいています。そんな1年間の思い出を振り返りつつ、楽しいひと時を
 持たせていただきました。

県スポーツ少年団東部地区本部長会議 11/26(土) 白岡中央公民館 

  埼玉県スポーツ少年団本部、この時期
 の恒例事業となっているブロック本部長
 会議、東部地区のそれが26日、「白岡
 中央公民館」で開催されました。
  各市町村本部運営の中心を担われる
 本部長にお集まりいただき、県本部から
 問題点を報告、各市町本部長からは
 逆に各市町本部の抱える課題を報告
 していただき、県本部長・事務局・各
 市町本部が協議・交流し、より良き県
 本部・市長本部の運営を図っていこう
 との趣旨で開催されています。東・西・
 南・北、4ブロック毎に開催されます。

  今年の東部地区は白岡市、会場の中央公民館には7市2町の本部から21名の
 出席がありました。現15本部ありますので、ちょっと寂しい出席状況でした。
  野口白岡本部長の下進行されました。まず佐藤県本部長が主催者挨拶、議事に
 入り、阿部県少年団課々長より本年度の登録状況の報告がありました。1、665団
 18、363指導者、49、186団員との事です。団は27団、指導者は239人、団員は
 569人ずれも昨年より減少しています。久喜市は同じように団48(-1)、指導者
 484(+6)、団員1、275(+41)の状況です。この登録状況ですが、県では全て
 減少したものの、その減少率がここ数年では最低であり、下げ止まりの傾向にあり
 ます。種目では最大組織・サッカーの減少が止まりません。
  久喜市では団数のみ1団減りましたが、指導者・団員数は共に増加、最近の
 児童数の減少から見れば、大変な事と、各団指導者・母集団の皆様に感謝する事
 しきりです。東部地区内で団数・指導者数は春日部市に次いで2位、団員数は
 越谷市が入り3番目となっています。
  次いで同じく阿部氏より、「スポーツ少年団登録者処分基準」について説明が
 ありました。県本部で私が座長でプロジェクトをつくり、検討してきたものです。
  体罰絶滅の運動の中で、体罰を起こさない、見過ごさない、ガバナンスの強化を
 ねらいとし、独自の処分基準を作るものです。今回の本部長会議で皆様の考え
 聞き、県本部で一歩前へ進めていきます。

  その後各市町本部より処分基準への考え、各本部の課題等を全市町からお話し
 いただきました。どこの市町本部もやはり悩みは団員の減少、取り組んでいる団員
 増加策の話が多かったです。
  その後は会場を移しての意見交換会、皆親しいスポ少仲間、楽しいひと時を過ごし
 ました。

 平成28年度・第62回中央地区市民体育祭 11/3(祝) 本町小校庭





















  第62回中央地区市民体育祭が、秋晴れ絶好の運動会日和の中、本町小学校
 校庭で開催されました。第62回というのですから、大変古い歴史を持ちます。
  この間私はそれぞれの立場で、この体育祭に関わってきましたが、雨が降った
 という記憶がありません。この日は昔から天候の良い日と決まっているようです。
  旧住居表示の頃はこの地区に町内会は7つしかありませんでした。だから町内
 対抗仮装行列まであった、町民総参加のにぎやかなものでした。
  20歳代~40歳代は「体育指導委員」として、この行事の役員を勤めました。今の
 ように町内会、多くの地域団体の方々に企画から参加を頂く実行委員会形式の
 基を創りました。
  そして50代に入ってからは、町内会役員としてこの体育祭に参加しています。
 基本的に町内会のテントにいて、対抗競技の一つである「綱引」の審判をする、と
 いうのがここ10数年のスタイルです。

  それにしても良い行事だといつも思います。広い校庭のグルリは各町内のテントで
 埋められます。開会式には町内会ごとのコスチュームに身を包んだ500人を超す
 参加者があります。(―写真・上左―)テント内ではそれぞれに、トン汁・おでん・
 お汁粉等が作られ、参加者に振る舞われます。競技種目は「町内対抗競技」を除き
 基本的に参加自由です。だから皆心地よい疲れを感じつつ、コミュニテイの輪を
 広げる1日となるのです。
  
  その対抗競技ですが、「綱引」、「ゲームリレー(ユニフォクのスティックを使っての
 ドリブル)」、「リレー(男女別100×6人)の4つです。私はこの「綱引」の審判をずっと
 勤めています。(-写真上中-)我が町内はゲームリレー、リレー男女の3種目に
 出場、ゲームリレーに優勝、リレーは男女ともに入賞という好成績をあげました。
 (-写真・下左1・2-)この体育祭は参加すること、懇親を深めることが狙い、勝敗は
 2の次です。でもやはり「対抗競技」は盛り上がります。わが町内会も急増の応援団
 が誕生、大変なまとまりと盛り上がりを見せました。(-写真・下右-)
  プログラム総てが終了、子どもたちの明日の学習活動の場を、使った前よりも
 きれいにして、心地よい疲れと共に家路につきます。
  後は反省会と称する楽しい時間が待っています。
   

浦和レッズ・28年度Jルヴァンカップ・第2ステージ優勝 10/29(土)

  浦和レッズが29日行われた最終1戦前の対ジェビロ磐田戦に、1-0で勝利、
 最終戦を待たずに、28年度・第2ステージの優勝を決めました。Jリーグは現在
 2シーズン制を採用、この後、年間チヤンピォンを決める大一番を控えており、
 喜ぶのはまだまだ早いがのですが、2週間前の15日(土)には、同じく今年度の
 「J・ルヴァンカップ」においても、宿敵「ガンバ大阪」に延長の末P・K戦で勝利を
 おさめ、優勝しています。続いての事なので、まず来週の最終戦で年間1位と
 なる事、次いでJリーグチャンピォンシップでも優勝することを期待し、喜びを
 文章とします。
  Jリーグが発足したのは平成5年・1993年です。当時の最人気チーム「横浜М」と
 「ヴェルディ東京」との開幕試合に先立ち、小雨にけぶる国立競技場で行われた
 セレモニーで、Jリーグ初代チアマン「川渕三郎」氏は、たった30秒の歴史に残る
 名演説をしました。『今から私たちは大いなる夢への第一歩を踏み出します。』
 「大いなる夢」とは、Jリーグ100年構想として理念化されています。この「大いなる
 夢」を共に実現していこうと、私はJリーグを応援し続けてきました。「浦和レッズ」
 のファンとなったのは、当時県内唯一のチームだったからです。
  しかしレッズは弱かった、発足1・2年と続いて最下位に甘んじ、Jリーグのお荷物
 とまで言われました。そして平成11年には2部に転落しています。平成16年から
 20年頃までの黄金時代は、その反動もあって「ウハウハ」の数年を過ごしました。
  しかし当時の主力「ワシントン」や「ポンテ」が去り、再び低迷の時を迎えました。
 再建の一歩は5年前「ミハイロ・ペトロビッチ」氏を監督として迎え入れてからです。
  多くの有力選手を獲得、数年前から常時優勝を争うチームへと再建されました。
  しかし、しかしです。良いサッカーをやりながら、何としても勝負に弱い所があり
 ました。ここ数年いつも優勝を争う大事な一戦で、「サンフレッチェ」に、「ガンバ」に
 苦杯をなめ続けてきました。今年の1ステージも同じく終盤につまずき、結局3位に
 終わっています。
  それだけにいつも苦杯をなめ続けてきた「ガンバ」へのPK戦での勝利、0-0の
 まま引き分けに終わり、年間1位からの転落と思われた「ジェビロ」戦での武藤の
 値千金のヘッドは、そうした苦しみを味わい抜いた所からくる真の「ビッグクラブ」
 への成長の証しとうれしく思うものです。
  さあ来週、「マリノス」に勝ち、年間1位を決め、そして28年度チャンピオンシップ
 で優勝、私たちに10年ぶりの感激を味合わせてください。
  ワクワクしながら見守り、応援していきます。
 
   Bリーグ・埼玉ブロンコスの試合を見ました。9/19(祝)毎日興業アリーナ












  ちょうど1年前、場所も同じここで、(最も名称は久喜市初のネーミングブライツで「毎日興業
 アリーナ」と改称されていますが)、久喜市初のプロバスケの試合「埼玉ブロンコス―群馬クレイン
 サンダース」の試合を見させていただきました。1年ぶりの久喜の地での第2戦となりますが、
 若干事情が違っています。新たな男子プロバスケリーグ「Bリーグ」が発足、この22日に開幕
 するのです。
  日本の男子バスケはプロ化をめぐる考え方等の違いから、「NBL」と「bj」リーグに分かれて
 いました。分裂を問題視した「国際バスケ連盟」による、資格停止処分も含む介入により
 11シーズンに及んだ分裂を解消、ようやく「Bリーグ」としてスタートすることになったのです。
  加盟チームはB1が18チーム、B2が同じく18チーム、このB1・B2に入れなかったチームが
 「B3」を構成、今年は9チームが参加しています。「B1・B2」はプロですが、「B3」はノンプロ
 です。今日対戦した「埼玉プロンコス」と「東京海上日動ビッグブルー」はこの「B3」、今年1年
 3、000人収容の会場確保等、Bリーグの厳しい条件をクリアーしつつ、B2昇格のための入れ
 替え戦を目指す苦しいシーズンに臨むことになります。
  
  開会式では田部井毎日興業社長、田中市長が挨拶、その後田中市長の始球式ならぬ
 ボールの空中へのスローで試合が始まりました。思えば昨年、市長がやむを得ず会場を
 離れねばならず、急きょ私が代行したものでした。2mを超す大男に挟まれ、威圧感を受けつつ
 こわごわボールを投げたものでした。
  さて試合です。「ブロンコス」には、2m級が黒人選手を含め数名います。対する「ビッグブルー」
 は日本人プレイヤーのみで0、リバウンド等で圧倒的な差があり、どう見ても「ブロンコス」有利
 という感じでした。ところが3ポイントシュートが不正確、加えてディフェンス能力が低く、第1Qは
 7~8点引き離されました。(1Q=10分、1試合40分)おやおやと思っていましたが、身長さが
 徐々に出て、第2Qで逆転、「78-71」で勝利を収めました。
  それにしてもです。例えば私たちがJ1のサッカー試合、「浦和レッズ」戦などを見ていて、J3
 の試合を見るようなもので、ずいぶんと物足りなさを感じました。前記した3Pシュート、デイフェンス
 またゴール下へのパスはほとんど見られませんでした。去年「プロンコス」が対戦、30点差以上
 で大敗した「群馬クレインサンダース」は、「B2」に所属しています。「ブロンコス」の「B2」挑戦は
 厳しいものと思われます。
  「チァーリーダ」の応援、にぎやかな「ハーフタイムショー」もバスケならではのものでした。
 何とかというアイドルグループのハーフタイムショーは、にぎやかを通り越して何を言っているのか
 全く分かりませんでした。歳のせいなのでしょうか。

  「Bリーグ」そのものは9/22日に開幕します。デジタル戦略を駆使、「エンターティメント性の
 追求」を掲げています。野球、サッカーに次ぐ団体スポーツのプロリーグとして、成長・定着
 されることに期待します。
  「B3」は10/1(土)にスタートします。 「ブロンコス」の開幕試合、会場は春日部総合体育館
 です。プレ・シーズンマッチとしての今日の久喜での試合、有料観客者数はどれ位だったので
 しょう。本番となると入場料は3、000円から2、000円です。(大人) ホーム会場は春日部の
 他、所沢・埼玉市民体育館等、3000人を確保し、ぜひ入れ替え戦へ進んでいただきたいと
 考えます。応援していきます。
 
      第15回夏季パラリンピック・リオ大会開会 9/10(土)

 
 第15回夏季パラリンピック・リオ大会が、8日開会しました。159カ国と地域、難民選手団、
 史上最高の約4、300人が参加しています。7日~18日まで12日間、22競技、528種目が
 行われます。競技・種目数も史上最高、これは当然ながらパラリンピックならではの競技が
 ある事、同じ競技でも障がいの違いや、程度によって種目別けがあるためです。例えば100m
 走では車イス・義足・視覚障がい等16種目に分かれるそうです。日本からは132名の選手が
 出場します。
  そもそもパラリンピック大会は「国際パラリンピック委員会・IPC」が主催、主に肢体不自由の
 障がい者が参加する(視覚障がいも含む)、世界最大の身障者スポーツ大会です。2004年の
 アテネ五輪大会から、オリンピックと完全一体化、同年・同場所開催となりました。ために
 多くの関心を生み、マスコミにも取り上げられ、商業的にも成功したものとなっています。
  「パラリンピック」は、イギリス・ロンドンで第2次大戦で負傷した兵士たちの、リハビリとして
 開催された「ストークマンデビル大会」を出発点としています。「Paraplegia・下半身マヒ」を語源と
 しており、肢体不自由(特に車いす使用)者を主とした大会でした。これは聴覚障碍者を対象に
 「デフリンピック」、知的障碍者を対象に「スペシャルオリンピック」という国際大会が組織され、
 それなりの歴史を持っている事にもありました。特に知的障がい者はかって健常者の偽装出場
 もあり、種目から外されていました。やっと前回・ロンドン大会で、12年ぶりにいくつかの競技・
 種目で復活しています。
  ところでパラリンピックのシンボルマークは3つの羽状のものです。「赤・青・緑」3色で表され
 ています。丁度久喜市のマーク「K」の斜め部分に似ています。これは「心・スピリット」、「身体・
 ボディ」、「魂・マインド」を表しているそうです。総ての障がい者が「心・身体・魂」を込めて参加
 する、文字通りの「Para・もう1つの」オリンピックであってほしいと考えます。

  大会が近づくにつれ、テレビでパラリンピック関係の番組が多くなり、そのほとんどを見ました。
 車いすラグビーの迫力にびっくりしました。激突する車イスに火花が飛ぶ感じでした。陸上競技の
 記録の高さにも驚きました。健常者と変わらないものでした。本番の開会式では誰が決めたわけ
 でもない、国際・国内大会を問わぬ障がい者スポーツ大会の入場行進がありました。
  車イスの人は前列に、一番遅い人の速さに合わせるというやつです。互いに支え支えられ、
 共に生きて行こうとする人たちの姿です。
  そしてこうした互いを認め合い、共に生きていこうとすることは、いわゆる2、025年問題
 超高齢社会・人口減少社会にあって一番大切なことです。「地域包括ケアシステム」を貫く考えは
 こうしたものでありたいと思います。

  日本選手団はこの大会でメダル40個を目標にしているそうです。前回ロンドン大会で
 振るわなかったこと、次回が東京大会である事からでしょう。しかしあまりそうしたことに
 こだわらず、もてる力を最大限に発揮する素晴らしい大会であってほしいと思います。
  スポーツの専門家をもって自任する私としては、他にも書きたいことが多くあります。
  ドーピング、器具、この大会でのメダル獲得者への報奨金、特にスポーツ庁が発足しての
 身障者スポーツ振興策の問題等々です。しかし書き出すと長くなりますので、また次の機会と
 します。。
  とにかく観戦・応援していきます。健闘を期待します。素晴らしい大会でありますように!


        ◎ 第2回・久喜マラソン大会準備始まる  9/5(月)

 
 このページでその都度、何回も報告してきました。「久喜マラソン大会」は無の中から誕生
 いくつかの限界をはらみつつも基本的に成功して、第1回大会を終えました。コース設定という
 難問に、しゃにむに突っ走った昨年に比べ、今年は比較的余裕の中で、より良き大会を準備
 して行きたいと思います。実行委幹事会・各種部会等が相次いで開催されています。

 
 第2回大会は以下の内容で開催される予定です。

  ※ 大会名 第2回よろこびのまち・久喜マラソン大会
  ※ 開催日 平成29年3月19日(日) (前回大会より1週間遅くなっています。)
  
※ 会 場 久喜総合運動公園スタート・ゴール
  ※ 種  目 ハーフ・3K・2K・親子
  ※ 定  員 5、000人
 
 開催日は「古河はなももマラソン」、「藍のまち・羽生さわやかマラソン」、「草加松原太鼓橋ロード
 レース大会」等との競合を避けるため1週間延ばして、3月第3週の開催となりました。参加者
 からしても、また前回のあの寒さから考えると、役員にもありがたいものと考えます。
  会場は当然「総合運動公園」となります。スタート・ゴールには、ある空間と施設を必要とします。
 ここしか考えられません。なおコースですが「市役所と文化会館」、「久喜駅前」・「コスモスふれあ
 いロード」・「鷲宮神社」とめぐるこのコースは、ある意味でベストと言えます。特に今回「県道川越
 線」を封鎖、横切れることとなりました。これにより前回コースの欠点であった、鷲宮神社折り返し
 前の複雑なコース、対面走行が解消されます。コースは大幅に向上するものと思われます。
  なおそのために距離を調整、「弦代公園」先他で若干のコース変更があります。
  種目は前回と変わりませんが、定員の内、前回好評だった「親子の部」を、200組400名と
 しています。また参加費、中学生1、000円から500円に減額しています。
  またメインの「ハーフ」のスタートを9:00とし、すべてのスタート地点を、市民グランドトイレそば
 交差点より後方とします。前回大会のスタート時の反省に踏まえてのものです。
 
  私は前回大会同様、「運輸部門」責任者として、副実行委員長を勤めます。また少年団が
 役員を出していますので、「走路部門」にも委員として会議に出席します。
  特に「運輸部門」は、駐車場、選手収容等で昨年若干の混乱を生みました。本番までに
 協議・対応策を考えていきます。
  いずれにせよ本番はすぐやってきます。あらゆる準備を重ねていきます。いずれにせよ
 第2回大会が前回にも増して成功するのに、一番大切なのは、前回参加選手が異口同音に
 語っていた、市民の皆様の熱心な応援と、暖かいもてなしにあることは間違いありません。


         リオ・オリンピック閉幕に思う事 -2- 8/26(金)

 
 かって私たちは「体罰」という、スポーツの世界にあってはならない問題に直面しました。今
 スポーツ界はその根絶のため、あらゆる努力を傾けています。その過程で、共感すべき多くの
 コメントをされた、炎のハードラー「為末大」氏は、この件についても意見を述べています。
 「アメリカのアスリートは敗因を語り、次の試合への対策を言う。」とし、銀・銅を取りながら「申し
 訳ない」を繰り返す日本選手に、そう言わざるを得ない雰囲気・環境があるのでは、としています。
 日本のスポーツを取り囲む、「結果だけで評価する」に、「謙虚さは美徳」がプラスして成るもの
 なのでしょう。大切なことは「結果としての勝ち負けでなく、努力してきた過程」にある、「挑戦し
 続けることにある」というのです。日本はこれから高齢社会、人口減少社会に入る。これからの
 「縮む社会」にあっては、すべての人々が挑戦し続けることが大切、とされていました。スポーツ
 少年団に生きてきた私にとって、この言葉に大賛同を覚えるものです。
  
  「オリンピック開会に思う事・8/10」にも書きました。わがスポーツ少年団はS39=1964年の
 東京オリンピックが、東洋の魔女の、靴を履いたアベベビキラの、日本柔道を粉砕したアントン
 ヘーシンクの、と言った思い出に残るものとしてでなく、青少年のための永遠の事業であれ、との
 願いを込め設立されました。オリンピックの精神を自らの理念としています。「参加する事」に、
 「努力する過程」に、「挑戦し続ける」事に意義があるのです。
  今少年団は児童数の減少を最大の因として、厳しい状況にあります。しかし私たちは2、020年
 東京オリンピック・パラリンピックの、その前年のラクビーワールドカップ(熊谷市)の準備に参加
 する過程で、この原点に立ち返り、少年団の再活性を図っていきたいと考えます。

  さて準備が始まります。閉会式でリオの市長から、バッハIOC会長を通じて小池都知事に
 五輪旗が渡されました。和服を着ておられ、かなり強い雨の中大変だったと思います。(厚化粧
 だったかは解りません) その後の安倍首相のスーパーマリオには、チヨットびっくりしました。
  オリンピックは、「北京・ロンドン・リオ・東京大会」と都市の開催であり、国の首相が前面に
 出るという事はないからです。(ただ諸外国間では意外に好評の様です。)「政治利用だ」なんて
 いう人がいますが、あまりお堅いことは言わないででおきましょう。現実は両者の、協力・連携
 なしにやっていけないからです。
  新競技場やロゴマークで出だしから躓いています。当初7、340億円と言われた総予算が
 2兆とか3兆とまで言われています。その後のスポーツ振興に役立つなら、作るべき施設は
 作るべきです。削るものは削る、出すものは出す、透明性を伴い予算執行に当たっていただき
 たいと考えます。

  今大会好成績と言える日本選手団ですが、次の東京オリンピックでは、世界3位、金20~
 33というメダル獲得を目標に掲げています。前記しましたがこうした活躍が、東京五輪成功の
 カギを握る事に成るのでしよう。リオの大会でも、希望を見出した種目もあれば、絶望の思いを
 だいた種目もありました。当然種目の枠を超え、国を挙げた強化策を進めていかねばなり
 ません。(味の素)「ナショナルトレーニングセンター」のさらなる充実が求められます。さらに
 言えばここは原則、パラリンピック選手関係者は使えない、という悲しい現実があります。
 スポーツ振興に一元的に当たる「スポーツ庁」も発足していますし、オリンピック・パラリンピック
 同時開催という現状の中で、この枠は取っ払うべきと考えます。またすでにサッカーで定着して
 いる「ナショナルトレセン制度」=(年齢別一貫育成制度)を、各競技団体も導入、充実させて行く
 べきとも考えます。

  4年後日本選手がどんな活躍を見せるか、今からワクワクです。くどいようですがこうした
 競技力の向上は、生涯スポーツ=国民スポーツの振興と一体です。東京五輪を準備する過程で
 あらゆる手立てで、スポーツ振興に当たっていただきたいと考えます。
  久喜市でも私が何度もお願いしてきた「スポーツ振興審議会」が発足、「久喜市スポーツ推進
 計画」の策定に当たっています。これは長きにわたり要望してきた、私にとり小躍りするくらい
 うれしいことですが、しかしその進展状況が一向に見えてきません。どうか久喜市民をつなぎ、
 生活を元気に、豊かなものにしていく=スポーツの推進計画策定にしっかり取り組んでください。
  リオの閉会式で3・11復興支援への感謝を込めて、「ありがとう」の文字が浮かびました。
 2、020東京五輪では、そうした復興の力となった、日本人の「絆」とか、「志」を世界に発信
 できたらと思います。目標通りの活躍を日本選手団がすることを念じ、私は久喜の地でしっかりと
 「過程を大切に、挑戦し続ける子どもたちの育成」に当たってまいります。

  
       ◎ リオ・オリンピック閉幕に思う事 -1-  8/24(水)

  南米で初の開催となった第31回・夏季オリンピック・リオデジャネイロ大会が、22日の
 閉会式で「See You In Tokyo」の文字を浮かび上がらせ、17日間の熱戦に幕を閉じました。
 次回は2、020年東京で、56年ぶり2度目となる開催、リオで消えた聖火を再び灯すまで、
 様々な困難のある準備をし、世界の仲間をお迎えするスタートとなる時でもあります。
  
  今回のリオ・オリンピックは、経済不況・社会的不安(治安・準備)等から、大会そのものが
 不安視されていました。しかし終わってみれば、ガラガラだった観客席等いくつかの問題点は
 ありましたが、それなりに良い大会でした。やはり「スポーツは素晴らしい・オリンピックは良い
 ものだ」、そのものの大会と言えました。
  特に質素であった開会式は良いものでした。「緑の五輪マーク」や、「互いの違いを認めま
 しょう」という呼びかけは、アマゾン川に代表される豊かな自然と、それが破壊されつつある
 こと、移民による多民族国家というブラジルが、この大会で発信したいものをよく理解する
 ことができました。
  ところでこの「互いの違いを認めましょう」という事です。オリンピックは国家・民族・宗教・
 言語を超えた平和の祭典である、とは前から言われていました。開会式での入場行進、
 選手団を紹介するコメントに、「*月前****人が死傷するテロがありました。」とか、
 「内戦中で多くの国民が死傷しています。」とかの多いのが目立ちました。また難民選手団が
 初めて登場しました。柔道の選手が「腕十字固め」を決められたのに、最後まで「まいった」を
 せず、「家族が・仲間がどこかでテレビを見ている。」と、インタビューで答えたのは心に
 沁みました。同じく柔道で金メダルを獲得したブラジルの女子選手は、「ファヴェーラ」と
 呼ばれるブラジル独特の、最貧困地区の出身です。「少しでも子供たちの力になれば」と優勝
 インタビューで涙ながらに語っていました。「違いを認める」・「世界は一つ」と言っても色々
 あるのです。今大会加えて「LGBТ」、いわゆる「性的少数者」の問題が浮上しています。
 この点に関し私はコメントするすべを持ちません。今まで全く考察してこなかったからです。
 今後スポーツの在り方全般を考える中で、考えていきたいと思います。

  さて肝心の成績のほうです。今回金12、銀8、銅21、計41個という史上最多のメダルを
 獲得しました。このことを素直に喜びたいと思います。国から地方自治体、競技団体まで
 「スポーツ推進(振興)計画」を策定しています。中身の背骨はただ2つ、「生涯スポーツの
 振興と競技力の向上」です。国では、「国民スポーツの振興と国際競技力の向上」であり、
 競技団体では、「競技人口の増大と競技力の向上」となるのです。この2つはあくまで表裏
 一体であり、その意味で今大会の好成績を喜びたいと思います。
  それにしても体操男子団体、個人総合の内村選手、バドミントン女子ダブルス、そして
 女子レスリングと逆転が目立った大会でした。またテニス男子の錦織選手の実に96年
 ぶりのメダルを筆頭に、史上初とか、**年ぶり、*大会ぶりというメダルも多く、応援
 する私たちに、興奮・感動・歓喜をわき起こしました。ボルトの見事な走りに感動し、逆転を
 生んだ内村の鉄棒の見事な着地、男子400mリレーに興奮しました。スポーツはまさに
 喜びを分かち合い、感動を共有し、人と人とのつながりを深め、生活を豊かで味わい深い
 ものとするのです。改めてスポーツとは素晴らしい、と考えます。
 
  ただ頂点に立てなかったメダリストの、記者会見には少し異な感じを持ちました。皆一応
 に「申し訳ない、申し訳ない」、「せっかく応援を頂いたのに」、「期待に添えずに」と繰り
 返していました。その頂点が銀メダルを獲得しながら、V4を逸した女子レスリングの吉田
 選手、記者会見には胸の痛みさえ感じ、いたたまれませんでした。スポーツの本質に関わる
 ものとして、以下少し考えてみたいと思います。


         ◎ リオ・オリンピック開会に思う事  8/10(水)

 
 すでにサッカーで競技は開始されていましたが、南米での初の開催となる第31回夏季
 オリンピック・リオデジャネイロ大会の開会式が、6日行われ17日間の熱戦が始まりました。 
  
この大会には史上最多となる205の国と地域、また初となる「難民五輪選手団」など
 1万1千人を超える選手が参加、28競技・306種目で熱戦が繰り広げられます。

  私は6日夜まで旅行で家を留守にしており、開会式は生で見ることができませんでした。
 しかしその後は、大きなスポーツ大会ではいつもの事ですが、連日テレビにくぎ付け、観戦、
 応援の日々を送っています。すでに水泳の荻野、体操男子団体等のうれしいニユースが
 入っています。日本選手の活躍はうれしいものですが、しかしこうした事だけに一喜一憂
 するのでなく、人類福祉の向上をもたらす=「スポーツ」の祭典としての、オリンピックの持つ
 意味を、改めて考えながらリオ・オリンピックを見ていきたいと思います。ましてやこの大会は
 次の第32回東京オリンピックに繋がるものとしてあり、何よりもオリンピックはわがスポーツ
 少年団の「生みの親」でありますから。

  開会式を生で見られなかった私は、「You・Tube」他で繰り返し繰り返し見ました。良い開会式
 だったと思います。この大会直前に行われた東京都知事選で、候補者の殆どが大会経費の
 縮小を口にしていました。半分うなずき、半分反発していました。リオ大会が決定した頃と違い
 経済が失速したブラジルは、予算規模の縮小を余儀なくされました。それでも心に残る開会式
 でした。サンバのリズム・移民による多民族国家・アマゾン川が代表する豊かな自然とその危機
 私たちがブラジルにもつイメージがそのまま表現されていました。特に浮かび上がった緑の五輪
 マークは大変新鮮でした。北京やロンドンの豪華絢爛さはどこにもありませんでした。費用は
 北京の20分の1、ロンドンの12分の1とのことです。これは東京大会に良い示唆を与えている
 と考えます。ただ必要な経費は必要なものです。特にこうした大会と表裏一体としてある、
 スポーツ総予算は絶対に減らしてはいけません。

  もう一つこの大会では、ロシアのドーピング問題が暗い影を投げかけていました。条件付きで
 参加を認めたIOCの決定を良しとしません。そもそもスポーツはその基本的な価値を、自己の
 尊厳を相手の尊重に委ねるフェアプレーに負う、この相互尊敬にたつものであり、公平・平等が
 根幹をなすのです。国籍・宗教・人種を問わず、健常者・身障者共に「スポーツ権」を行使できる
 のです。「パラリンピック」を主宰する「IPC」が、ロシア選手団の参加を認めなかったのは、この
 ことをよく理解しているからであり、拍手を送るものです。私たちはこのドーピング問題とともに、
 スポ―ツの世界に暗い影を落としている、いわゆる体罰=一切の暴力的言辞・セクハラ・パワ
 ハラを、上記スポーツの本質に反するものとし、その根絶に今後とも努力し続ける事を誓う
 ものです。

  我がスポーツ少年団は、1964年の東京オリンピックを記念し、この大会が単に思い出に
 残るだけでなく、青少年のための永遠の事業であれ、との願いを込め、1962年に誕生
 しました。オリンピックの精神を自らの理念としています。以来54年、日本のスポーツの振興と
 青少年の健全育成に、果たしてきた役割は絶大なるものがあります。私自身この活動に
 関わり、今日まで歩んできたことを誇りに思うものです。
  2019年ラクビーワールドカップ(熊谷)、2020年東京オリンピック・パラリンピックを準備する
 過程で、私たちはもう一度この原点を振り返り、児童数の減少から厳しい状況にある少年団
 の再活性化を図っていきたいと考えています。
  てなことを考えながら中盤戦を迎えるリオ・オリンピックを見ていきたいと思います。  
  内村選手の個人戦は、史上最強の女性・吉田選手のV4は、この大会が最後というボルトの
 走りは、と興味は尽きません。もうワクワク・ドキドキです。


   ◎ 梅雨明け猛暑の中、少年団活動頑張っています。8/1(月)  

  今年の関東地方の梅雨明けは、いつになく遅いものでした。この週末が梅雨明け初のもの
 でしたが、途端にあのうだるような猛暑に襲われました。しかしそんな中、いつもながらの
 忙しいスポ少活動の週末を過ごしました。
  29(金)・30(土)・31(日)とスポ少関東ブロック種目別交流大会が開催されました。山梨県を
 加えた関東8県が持ち回りで開催、今年の会場は栃木県でした。種目は野球・ミニバス・バド
 バレー・空手道の5種目、野球のように全国大会予選を兼ねるもの、単に交流大会だけの
 ものとあります。いつもなら必ず行くのですが、今年は後記する行事があり参加しませんでした。
  久喜からは平井副本部長がバドの役員として参加しています。なおこの競技別交流大会は
 来年埼玉県が会場となります。夏休み明けから準備に入らねばなりません。忙しくなります。

  30日(土)はさいたま市「荒川運動公園」で開催された、ソフトボールの県大会に主催者とし
 出席しました。ソフトボール少年団は県内で40数団あり、さいたま市・川口市が中心です。
  部会長の斉藤氏とは古き良きスポ少仲間、頑張っておられる姿にはいつも敬服します。
  来賓として清水さいたま市長もお見えになっておられました。荒川運動公園はさいたま市
 の施設、少年野球場兼ソフトボール場が8面、その他大人の野球場、サッカー場、テニス
 コート等あり、各種大会でいつもお世話になっています。開会式で私は、スポ少とオリンピック
 との関係、オリンピックとソフトボールとの関係等お話しし、素晴らしい大会でありますように
 と申し述べました。

  31日(日)は「久喜市総合運動公園」で、「久喜地域会議」による「総合運動公園花いっぱい
 事業」が早朝から行われました。(―市政ニユース7/31日付参照―)旧久喜地区の多くの
 市民団体で構成される「久喜地域会議」の主催事業、少年団も構成団体で山田指導協委員長
 が役員として頑張っています。当日30名の参加要請があり、運動公園への花植え、という事
 から野球・サッカーの屋外種目に参加を呼びかけました。みな快く応じていただき、60名強の
 参加があり、全参加者の半数を占めました。「スポーツを手段として、地域の子どもを地域で
 育てる」という少年団の趣旨からして当然の事、でも参加された関係皆様には心からの感謝
 を申し上げます。ただ私は当日羽生市での、指導者養成講習会講師の仕事があり、Yシャツ
 革靴姿での参加、作業スタイルの皆様に比して、なんとも恥ずかしいかぎりでしたし、8:30
 には失礼しました。お許しください。

  という事でこの週末少年団活動の最後を、羽生市体育館での「認定指導者養成講習会」講師
 として過ごしました。科目は「スポーツと栄養」、「スポーツ指導者に必要な医学的知識」の2つ
 2つとも専門科目であり、出来れば栄養管理士さんとか、お医者さん講師が望ましいのですが
 なかなかそうもいかないようで、どういうわけか私に依頼があります。羽生市の平井本部長とは
 親しくご交際を頂いており、最近こうした資質向上にも熱心に取り組んでおられます。
  参加者は40名弱でした。この夏は他に寄居町、和光市にもお伺いする予定です。
  熱いなどとは言っておられません。この夏も頑張っていきます。


   ◎鷲宮少年野球国際交流大会レセプション 7/24(日) 鷲宮自由広場

           
 









  昨日開会した「第35回・少年軟式野球国際交流大会」は、昨日の予選リーグに次いで、
 本日順位決定戦が行われ、幕を閉じました。
  大会終了後、会場の「鷲宮運動公園内自由広場」において、閉会式、そして大会参加者
 のみならず、この国際交流に関わっている多くの皆様の参加を頂いて、レセプションが
 行われました。
  大会はオーストラリア・メルボルンチームと、市内から5チーム(女子選抜1チーム、合同
 4チーム)参加で行われ、市内レインボーズ・鷲宮クラブ連合チームが優勝、私は表彰式で
 優勝旗・優勝盾を送りました。―(写真・上左)―なお体格の良いオーストラリアチーム、技術
 は今1ということで5位に甘んじていました。

  その後メルボルンチームの自己紹介、記念品贈呈等あり
 懇談に移りました。会場の「鷲宮自由広場」は、芝生の中々
 良いところです。決して豪華とは言えませんが、真心のこもった
 料理に舌鼓を打ちつつ、しばし楽しい時間を過ごしました。
  自由広場にはステージもあります。そこでは大会参加の
 それぞれのチームごとに、アトラクションが演じられました。
  オーストラリアメルボルンチームの合唱、久喜市女子選抜
 (フェアリーズ)のヒゲダンス、「静イーグルス」中心のチームの
 パフォーマンスは見事でした。子供たちはわずかな時間ですっかり打ち解け合い、
 国際交流の実を上げていました。

  こうした運営はすべて、「鷲宮地区野球母集団連絡会」の皆様が担当されていました。
 そのお骨折に心から感謝申し上げます。
  オーストラリアメルボルンチームは、今後週末から江戸川区立球場で行われる世界大会
 に参加、また東京ドーム・浅草等の見物、民泊家庭での交流と待っています。どうか
 楽しい思い出を作ってください。
  昨日も述べましたが、関係皆様の長きにわたるご努力に、心より敬意と御礼を申し上げます。
  主催者・大会会長の名誉を頂きながら、なんのお力になれぬことを恥じるものです。


    第35回少年軟式野球国際交流久喜大会 7/23(土) 鷲宮運動公園

 
 元広島カープ監督、「古葉竹識」 
 氏を責任者とする、公益社団法人
 「少年軟式野球国際交流協会」が
 
主催する「世界大会」は、今年で
 34回を数えます。この大会に
 参加するオーストラリア・メルボルン
 選抜チームを迎えての、表記大会
 も前身から含めると、35回となる
 そうです。「継続は力なり」この大会を

 
長きにわたって続けてこられた
 
久喜市スポーツ少年団野球部会
 特に鷲宮地区の皆様に心からの
 敬意を表します。
  毎年、世界大会前の前哨戦と
 言う形でこの大会は持たれますが、
 参加するメルボルンチームの選手
 諸君は、ホームステイです。そして
 来年3月には鷲宮を中心とする久喜の
 団員諸君が、メルボルンでお世話になります。それを20年を超え続けているのですから、
 これはもう文化であり、国際交流の際たるものと言えます。
  この大会はメルボルンチームに加え、久喜市内の14の野球少年団から女子選抜チーム、
 4の混合チームと6チーム参加で、今日・明日の2日間行われます。『この大会を手始めとして
 メルボルンチームが、世界大会でも素晴らしい成績を上げることを期待します。と共にホーム
 ステイでの交流、東京ドームや浅草等の見物を通して、楽しい思い出をつくられることを希望
 します。』、通訳付きのあいさつで私はこう申し述べました。
  明日決勝戦の後、ここ鷲宮運動公園自由広場で歓迎レセプションもあります。
  またお会いします。
 

   ◎ 野球・サッカー、スポ少夏季大会の季節です。7/10(日)










  久喜では天王様・提灯祭りの
 太鼓の音と共に、梅雨が明ける
 と言われていますが、うっとおしい
 空模様が続いています。
  しかしこの時期はスポ少にとって
 大切な夏の大会が行われるとき
 でもあるのです。野球の夏季大会
 サッカーの近隣交流大会が開催
 されました。
  野球の夏季大会は2(土)、総合運動公園他で開会式、1・2回戦、10(日)に青葉公園で
 準決・決勝戦・閉会式が行われました。この大会は秋に行われる、野球少年団県大会の
 久喜市の予選を兼ねています、すなわち早くもこの時期で、上に繋がる最後の久喜の大会と
 なるのです。決勝戦では市内きっての強豪チーム「レインボーズ」が、見事な逆転勝ちを
 おさめ優勝、春の大会優勝チーム「静イーグル」が準優勝でした。ベスト4の「桜田チエリーズ」・
 「久喜ファイターズ」と共に、夏休み明けの東部大会で健闘、県大会出場を目指してください。
 
  サッカーは市内11チームに、東部地区、南部から伊奈・桶川等13チームの参加を頂き
 計24チームによる「近隣交流大会」です。9(土)が雨のため1日順延、10(日)・18(祝)の
 2日間、久喜市総合運動公園の4面を使って行われます。野球とサッカーは県でも久喜でも
 2大組織ですが、オーバーに言えば文化の違い、大きく異なる運営がされています。
  野球はとにかくセレモニーをきちんとやり、サッカーはむしろこうしたものを好みません。
 でもサッカーもこの大会だけは、入場行進をやります。写真のように野球と比べると少し
 だらしない、しかし野球のように子供たちが全員声を掛け合い、同じ角度で手を振る行進
 より良い、という声もあります。そのあと暑さを吹き飛ばし、子どもたちは元気にボールを
 追っていました。18日は夏祭り本番の日、失礼します。
  野球もサッカーも元気にボールを追う子供たち、叱咤激励する指導者、賢明に応援する
 保護者の姿とを見ることができました。
  この大会が終わると夏休み、楽しい野外行事が待っています。野球で、サッカーで、
 野外活動で子供たちはたくましく成長していきます。  
  その子供たちを、これからもずぅーと応援し続けていきます。


 ◎県スポ少U10サッカー大会総合開会式 6/26(日) 上尾陸上競技場 















  埼玉県スポーツ少年団は、13の種目別県大会を持っています。この中でも
 最古の歴史を持ち、県内少年団の種目別県大会をリードしてきたのはサッカー
 でした。また県内少年団団員数約5万人の内、40パーセントの2万人の団員
 を要し、団数約450団もトップです。そうしたサッカー部会が、また一つの歴史的
 事業を開催しました。U10、要するに10歳=4年生以下の県大会を持つのです。
  埼玉県、否、全国の少年団でもこれは初めての試みと言えます。
  大会名は第1回「スクール21カップ・埼玉県スポーツ少年団U-10サッカー大会」
 と言います。主催・埼玉県スポーツ少年団、共催・埼玉新聞社、特別協賛「スクール
 21」です。この総合開会式を終えて、今秋中に地区大会を終え、中央大会を12月
 11・25の2日間、新座市総合運動公園陸上競技場、他で行います。
  この合同開会式が本日、上尾運動公園陸上競技場で行われ、私は主催者と
 して出席、挨拶をしました。

  前記したようにサッカー少年団は約450団です。第1回大会の今大会には約
 375団が参加、今日の合同開会式には、学校行事、地域大会等で参加できない
 チームを除き、約260団が参加したそうです。団員数が減少の中にある少年団で、
 しかも4年生以下の大会です。その組織力に敬意を表するものです。
  午前10時ジャスト、入場行進の始まりです。まず私が演壇に立ち、みんなを
 迎えます。こうしたスタイルは野球の合同開会式で経験しています。サッカーはこう
 したイベントを、今まで持ってきませんでした。日の丸・少年団旗を先頭に、東部地区
 から堂々の入場です。写真のようにカラフルな、サッカーユニフォームが競技場
 のアンツーカーに映えて、とても見事でした。野球と違う所はイッチニー・イッチニー
 と掛け声をかけながら腕を振らない事、逆に観客席にいる保護者ににこにこ笑い
 ながら手を振っていました。4年生以下だから、いやこれはある意味で野球と
 サッカーの文化の違いなのです。(―写真・上右、下左―)
  入場行進を終えて開会式、小山部会長(深谷市)の開会宣言につづいて、私が
 主催者として挨拶しました。ある意味で画期的なこの大会を組織されたすべて
 の関係皆様に感謝、U10の団員諸君には、そうした皆様に感謝しつつ、将来に
 向かい大いに羽ばたいてくれることを期待する、と申し上げました。
  私の後、埼玉新聞社社長、「スクール21」スクール長が挨拶、団員綱領朗読と
 選手宣誓に移りました。サッカーはとにかく、協会の影響力の強い組織です。
 今までなかったことでした。かって少年団大会に、本部長代行で出席した際、
 「来賓」と紹介されたことがあった位ですから。
  でも「団員綱領朗読」も、「宣誓」もすごく良かったです。選手宣誓の子など、感激
 のせいか、それてもU10のなせる業か、泣きながらのものでした。(写真・下中2枚)
   とにかくここまで引っ張ってこられた、「サッカー部会」役員の皆様に深い敬意を
 表します。 
  開会式の終わった後のアトラクション、「球舞」 -CUBE JAPAN-のフットボール
 パフォーマンス(要するにボールリフティングを極限化したもの)に子供たちは歓声を
 あげていました。(-写真・下右-)
  
  埼玉の少年団のなかにあって、特異な存在であったサッカー部会で、画期的な1日
 でした。この大会が今後のサッカー少年団に、大きな影響を与えることを願うものです。


 ● 久喜市スポーツ少年団「母集団」講習会 6/12(日) 鷲宮西コミセン
 













  久喜市スポーツ少年団「母集団」講習会が、12日「鷲宮・西コミセン」で、市内
 各単位団から約120名の参加を頂き開催されました。
  このところ講演・レクの実技指導の2本立てで実施されていますが、今年は
 特に講演を新久喜総合病院の方にお願いしました。救急科・兼心臓血管外科部長
 「岡崎幸生」氏と、理学療法士副主任「平野秀実」氏のお二人です。
  岡崎氏は新総合病院の開院に当たり、応援団長として九州から来られ、今救急
 部門の第一線に立っておられます。救急車受け入れ台数、昨年1日8・2件平均
 から、16・4件へ、救急外来受診患者数、同じく3・5名から35名へと、驚くべき
 「新久喜総合病院」の拡大状況について話され、「断らない医療・質の高い医療」を
 目指していくとされました。専門とする心臓・血管の話とともに、生活習慣病、肥満
 栄養・食生活、たばこ・アルコール等について、日常生活での健康留意の必要性
 に触れておられました。
  平野氏は「日体協公認アスレチックトレーナー」の資格もお持ちです。成長期、
 成長期のトレーニング、スポーツとケアとして、アイシング・ストレッチング・水分
 補給等具体的な話をされました。実践的であり、良き参考となり、指導者講習会
 にもお呼びしたいなと思わせるものでした。
  私は「新久喜総合病院」の、久喜市の地域医療の中核病院としての発展を強く
 願っています。地域とのコミュニケーションの機会を多く持ちたい、との病院側の
 強い希望をうけ、いくつかの場を設定しました。スポ少が地域の子どもの健やか
 な育成を、地域全体で進めているように、地域医療を地域みんなの参加で
 育てていかねばならないのです。

  2部のレク指導、久喜市レクリエーション協会理事、ベテランで多くのレク関係の
 資格をお持ちの「土田重春」氏の指導で、参加者は心地よい汗を流しつつ、数々の
 ゲームに興じていました。
  少年団で「母集団」活動の持つ意味は大きいものがあります。団員の「母の集団」
 ではありません。「母」のような愛情で少年団を育てていく人たち、ということです。
  今日の研修会が、少しでもそのためのお役に立つことを願い、閉会としました。 


 ●県スポ少年団本部・28年度代議員会6/11(土) 県総合スポーツC 

  埼玉県スポーツ少年団本部・平成
 28年度代議員会(総会)が、11日
 上尾市の「総合スポーツセンター」
 で開催されました。
  何度も記してきたように今、少年団は
 長期低落化の中にあえいでいます。
  団員数・指導者数の減少に歯止が
 かからないでいます。それは同時に
 全体としての少年団活動の低迷を
 もたらしています。日本一と言われる
 県本部も同様です。かって「彩の」と
 言われた埼玉県は、92の市町村があり、
 したがって92名の市町村本部を代表する
 代議員によって、この総会が持たれていました。現在合併によって63に減り、
 今年出席者34名、委任状21名で総会成立、これに陪席の現本部員が加わって
 いましたが、会場は閑散とし、往時を知るものとしては寂しい限りでした。

   開会に当たり佐藤本部長と、岩崎県体協事務局長が挨拶、佐藤本部長は
 この現状から、1・団運営の健全化、2・少年団全般の強化、3・指導者の資質
 向上を訴えていました。体協事務局長は、県体協にとって今年を「人材飛翔」の
 年とし、東京オリンピックに100人の県関係者を出場させたい、と話されました。
  小学4年生を対象とするプラチナキッズ(エリート養成組織名称)30人に、
 4、200人の応募があったそうです。子供と親の関心が、こういう方向にのみ
 向いてしまうのが、現実なのです。「スポーツを手段として子どもを育てる」、と
 いう少年団の理念は、むなしいものとなりつつあります。

  総会では提案された27年度の事業報告・決算、28年度の予定・予算がすべて
 満場一致で承認されました。決算総額約7、230万円、他県と一けた違うか、という
 水準は維持しています。その後今年度は役員改選期に当たるため、まず
 正副本部長を選出、私は副本部長に再選されました。その後学識本部員と代議員
 からの本部員を選出、閉会しました。

  私は東部地区代表という形で副本部長に選出頂きました。規約による定年制の
 関係で、この2年間が最後となります。17年連続勤めることになります。宮田・
 藤沼・佐藤3代の本部長を補佐してきた訳で、よくまあ長くやってきたものだとの
 思いがあります。
  なお東部地区女性指導者代表という形で、県本部員を勤めてきた、市副本部長
 「平井よし子氏」は本年をもって退任されました。23年の長きにわたりました。私は
 本部員にはそれ以前に就任していましたので、この間ずっーとご一緒に本部員会
 その他県の行事に参加し続けてきたことになります。本当にご苦労様でした。
  2年後私も同様かと思うと、ふと感傷的になりました。


   ● 久喜市スポ少本部28年度登録 6/5(日) 栗橋コミュニティセンター

  5日南栗橋駅近くの「栗橋コミュニティセンター」にて、市本部・平成28年度の
 登録を行いました。スポーツ少年団と登録については、もう何度も書いてきました。
  少年団はメンバーシップの組織、団員1人ひとり、指導者1人ひとりを国・県・
 久喜市本部に登録します。それも有料登録、久喜市・県・国の登録料がそれぞれ
 決まっています。
  毎年6月第一日曜日と決まっている久喜市本部登録日に、合計登録費と3枚の
 登録用紙を提出します。久喜市本部は、そこから久喜市分の登録費を差し引き
 2枚の登録用紙と共に県本部に提出します。県本部は送られてきた登録費・登録
 用紙から、県の分を差し引き、国へ提出する――これが今までの登録でした。
  市・県・国の登録費はそれぞれへの行政、その他からの補助金と合わせ、各々の
 レベルでの重要な収入になるわけです。
  1人ひとりを登録し、1人ひとりの登録費が市・県・国の、活動を保証する、こうした
 有料登録制が少年団の、組織の強さを保証してきたのです。

  今年からこの登録が大きく変わりま
 した。お金の流れは変わりませんが、
 登録が紙ベースから、ウェッブ登録に
 移行したのです。もう10年近く前に
 なりますが、スポ少では義務である
 安全傷害保険の加入も、今はウェッブ
 登録となっています。
  日本本部から送られてきた各団の
 ユーザー名、パスワードにより、各団の
 ページを開き、登録します。記載必須
 項目に、各団のEmailアドレスがあり
 登録が確認されると、これにより
 登録料請求書が送られてくるシステム
 となっています。
  したがって各団は員数登録をすでに完了しており、今日は登録費の納入です。
 久喜市本部(教委事務局)のみ、久喜市全体の登録状況を見ることができます。
 指導者483名、団員1、237名です。これは共に昨年の今日の数字を、わずか
 ひと桁ですが上回っています。全国的に長期低落下状況にある少年団です。
 わずかと言えうれしいことです。

  総会、体力テスト、ゴミゼロ運動、今日の登録と続いてきた本部事業も、来週の
 「母集団講習会」をもって、上半期少年団事業も終わりです。これからは
 各種目別大会、各単位団の夏休み中の野外活動へと移っていきます。
  いずれにせよ変わらず、少年団活動の充実を目指してまいります。
  

    ● 平成28年度・久喜市綱引連盟総会 5/28(土) なごみの湯 

  「綱引」と私とのかかわり、「久喜市綱引大会」と「久喜市綱引連盟総会」については、毎年
 報告しています。総会資料にもありますが、「久喜市綱引連盟」は会員わずか20名、行事
 と言えば、上記久喜市の大会を主管するだけで、あとは「県大会」や、加盟している「市レク協」
 行事への参加位です。変わり映えしないのですが、それでもやはり報告します。

  とにかく「綱引」は激しいスポーツです。専門家でなければ、かなり日常生活でスポーツして
 いる人でも、2~3本引いたら「吐き気」をもよおすほどです。平成のひとけた代には、県内でも
 いくつかの町に「市民綱引クラブ」があり、活動していました。今壊滅状況です。市民スポーツ
 としてメジヤーになることはありえない競技です。
  それでも実に奥深い競技です。「One For All  Al l For One」と言いますが、その見本的となる
 スポーツ、8人が1本の綱に思いを込め、1つになって成り立つ競技なのです。
  久喜市教育委員会が、「綱引大会」を熱心に支援しているのも、この辺にあるのだろうと考え
 ます。
  今年も12月4日に「久喜市綱引大会」を開催します。「ゆうゆうプラザ」ではありませんが
 市内全校からの参加を目指して、また秋から各小学校をめぐりたいと思います。
  久喜市で「綱引」に最初に取り組んだのは、昭和58年でした。その時以来の仲間である
 N会長、k副会長、共に歳をとりました。でもまだまだこの不思議な魅力を持つ競技に
 かかわり続けていきましょう。 

 ●平成28年度・久喜市スポ少本部定期総会 5/5(祝) ふれあいセンター久喜 

  G・Wも終盤に入った5日、「ふれあいセンター
 久喜」で、平成28年度・第6回久喜市スポーツ
 少年団本部定期総会」を開催しました。
  久喜市本部は、新久喜市誕生と同時に発足
 していますので、久喜市の同じく今年で7年目に
 入ります。第6回総会というのは、設立総会を
 カウントしていないためです。久喜市と同じく
 平成31年が10周年となります。昨年度から
 10周年記念事業をにらんで、本部会計から
 積み立てをしています。
  今年は2年任期役員の中間年となりますので
 人事案件を除き、7議案を提出しました。
  事業報告・計画、収支決算・予算の他に
 規約改正、そして本部脱退と加盟です。
  「規約改正」は、日本本部の登録規定が昨年度から、1単位団有資格者2名以上と変更された
 ため、それに合わせたものです。登録基準は1単位団10名以上の団員、2名以上の指導者
 その指導者は有資格者とする内容です。
  「脱退」はこのところ総会では必ずある議案です。今まで登録していた単位団が解散するか、
 登録せぬため、本部から「脱退」となるものです。今年は2団、1団は私の団ですから、なにおか
 いわんやです。(4/8日付・久喜少年サッカークラブのページ参照) 「加盟」はソフトテニス1団、
 新本部誕生以降、増加しているのはソフトテニスのみが現実です。

  ところで開会に先駆けての定数確認で、司会が『加盟48団中、出席**団、委任状*団』と
 報告したのでびっくりしました。たしか6年前の設立総会時は、60団を越えていた筈です。
  記憶をたどってみると、この6年間になんと野球とサッカーが各4団、バドミントン3団、
 バレーボール2団、計13団が「脱退」しているのです。
  今日は子供の日、新聞の特集記事に、35年連続して子供(14歳以下)が減少、埼玉県では
 6、000人も減ったとありました。少子化に歯止めがかかりません。そしてそれ以上に問題
 なのは、少年団への加入率が、数の減少を越えて進行している現実です。

  「1億総活躍社会国民会議」で、タレントの「菊池桃子」さんが、PТA活動にふれ、本来任意
 の活動と発言、ネット上で好評かを得ているそうです。4/17日付久喜市アラカルトのページで
 ふれましたが、町内会にもこうした意見は最近よくあります。
  しかし私は思うのです。2、025年問題を前にして、この時代を支えていくことになる、子供
 たちの健やかな育成に任意も強制もないのだと、教委や学校にそれを委ねるのでなく、
 行政・学校・地域社会・家庭(保護者)が一体となり、それぞれ役割を担いつつ活動していくことが
 それこそ本来の活動なのだと、少年団はこうした活動をこつこつと積み重ねてきました。
  だから少年団活動を何としても大事に守り、育んでいかねばならないのです。
 

   ● 久喜マラソン大会実行委員会総会 4/26(火) 鷲宮総合支所会議室

  3/13第1回よろこびのまち久喜マラソン大会
 は、成功裏のうちに終えることができました。
 (3/14日・市政ニユースのページ参照) 今後の
 成功的継続を願い、28年度の久喜マラソン大会
 実行委員会総会が、鷲宮総合支所4F会議室で
 開催されました。
  総会には27年度事業報告、収支決算、28年度 役員・事業計画・収支予算の5議案が提出され
 すべて満場一致で承認されました。
  決算は収入2、500万、参加費と補助金が
 ほぼ1、000万、協賛金500万となっています。
  役員はすべて27年度の継続、私は引き続き、
 運輸部門担当の副実行委員長の委嘱を頂き
 ました。事業計画ですが、大会の日を本年度
 3月第2日曜日から、第3日曜日(3/19)となっています。予算は総額2、500万は変わりませんが
 参加費の割合が増加しています。
  第2回大会は、今日の「総会」を皮切りに、5月下旬に専門部会会議を開催、第1回大会を
 詳しく総括反省し、夏からは具体的準備に入っていきます。

  さて総会資料として、インターネットのランナーの書き込みページ、「ランネット」に書き込まれた
 出場ランナーの感想・評価が載っていました。大変興味を惹かれるものでした。
 ○ 本当に初開催かと思われるほど、申し分ない運営だった。(同様のもの、多数あり)
 ○ 沿道の市民の応援が素晴らしかった。(同様のもの多数あり)
 ○ イベントもよかった。 × 逆にあの類(過度)のイベントは必要ない、の意見も。
 ○ 会場へのアクセスが良い。(鉄道・駅からのシャトルバス)
 ○ コスチューム姿での川内選手の参加が良かった
 ○ まちあげて、住民そろっての雰囲気があり、心地よかった。

 × 日程 羽生・古河・草加とダブってしまう。変えていただければ助かる。(多数)
 × コースに狭いところがあり、参加者がこれ以上多いと危ないのでは。
 × タオルの参加賞がせこい。゛せめてTシャツを。(同様の意見多数あり)
 × 駐車場が分かりにくかった。
 × コース上の距離表示が少なかった。
  等々でした。面白いものでした。狙いとした「オール久喜で」、は間違いなく成功したと
 うれしく思っています。

  私の意見は当日事務局に提出しました。事務局=教委の方々の大変な努力を評価します。
 その上に立ち、もう少し民間サイドの活用を図るべきだったと考えています。これほど大きな、
 しかも最初の大会を成功させながら、達成感、成就感を味わった民間サイドの活動家は
 いただろうかと考えています。やるべきものがあまりにも多く、関わる人があまりにも
 多かったとしても、民間の意見を聞き、考えを取り入れるべきだったと考え、組織化の過程に
 問題があったと思っています。
  多くの参加ランナーが、良かったと評価した「オール久喜」は、そうした活動・経験を市民が
 持っていたからで、これが大会成功の大きな原因だったと考えています。要するに久喜市が
 長く取り組んできた、「住民参加・住民主導」の様々な活動の積み重ねが(行政からいえば
 そうした施策が)、この大会を成功に導いたと考えています。


 ●平成28年度・久喜市レクリエーション協会総会 4/9(土) ふれあいセンター久喜

 
 平成28年度・第27回久喜市レクリエーション
 協会評議員会(総会)が、9日ふれあいセンター
 久喜で開催され出席しました。 
  私と「レク協」との関係は何回か述べてきました。
 議員に立候補するまで23年間、私は体育指導 
 委員(現・スポーツ推進委員)にあり、後半の10年
 強は委員長を勤めました。当時の活動の大半は
 来るべき高齢化社会に備えた、各種軽・新スポ
 レク種目の普及・組織化にあり、ここから太極拳
 グラウンドゴルフ、ミニテニス等多くの組織=
 クラブ→連盟・協会を設立しました。

  一つ問題点がありました。当時久喜市には
 レクリエーション協会が未組織であったこと、
 民謡、フォークダンスといったレク系組織が、「久喜市体育協会」にすでに加盟していたことです。

  そんなことで私は平成2年・準備委員長として「久喜市レクリエーション協会」を組織しました。
 「体協」との友好・連携を図る意味から、会長に民踊連盟出身の斉藤体協会長を迎え、理事長に
 その後一貫して指導的立場にある朝武氏、私は副会長としてのスタートでした。苦しいスタート
 でした。年度途中でしたので、行政からの補助金はゼロでした。当時の県レク協会長、現在の
 私と同じ、東部地区選出県スポ少副本部長であった岩槻の丸山先生・斉藤会長にお祝い金を
 おねだりし、そのお金で1年間運営したものでした。
  その後民踊連盟・フォークダンス連盟の体協からの脱退、レク協への加盟もなり、いくつかの
 新加盟の組織もあって「レク協」は大きく、強くなりました。
  平成11年、「10周年記念事業」を実施、その時「特別表彰」を頂いたのを機に、副本部長を
 辞し、今は学経理事としてあります。
  「久喜市レクリエーション協会」も、発足して27年が経過しました。「斉藤・佐藤・中村」氏と
 歴代会長も皆、黄泉のたびに立たれました。懐かしさと寂しさがこみあげます。

  ただ今日の総会を見ても、若干の心配があります。「グラウンドゴルフ協会」、「太極拳」等
 かっての中心組織が、脱退、体協に加盟したことです。これは県の上部組織との関係、
 要するに「国体」オープン種目との関係です。
  加えて今年は「フォークダンス連盟」が脱退しました。活動家の高齢化から、連盟維持が
 不可能になったとのことです。「ミニテニス」をはじめ、いくつかの組織に員数減少傾向が見られ
 ます。これは「スポ少」も同じで、他を言える立場にありません。そういえば久喜市が誇る
 「高齢者大学」も入学者が減少しているとのことです。
  しかし本格的高齢者時代を迎え、この時こそ「レク協」の活動の重要性・必要性がある
 のです。「学経」役員だとして傍観者的立場は許されません。何としても「レク協」の再生を
 目指し頑張っていかねばと考えます。


  ● 第1回久喜マラソン大会・運輸部会スタッフ全体会 2/27(土) 農トレセンター 

  記念すべき第1回・「久喜マラソン
 大会」も2週間後に迫りました。
  この終末を使い、「文化会館広域展   示室」、「農業トレーニングセンター」
 等で、大勢の当日ボランティアの参加
 を頂き、最初で最後となる「スタッフ
 全体会議」を行いました。
  今まで各部門ごとに会議を持ち、
 準備を重ねてきたのは何度も報告
 【菖蒲農業トレーニングセンターにて、全体会と部門別会議】  してきました。
  スポ少は「運輸部会」を担い、私は分科会長―副実行委員長を仰せつかりました。スポ少の
 理事会において、このマラソン大会を本部事業として位置付け、全54団に、久喜・鷲宮地区に
 2名、菖蒲・栗橋地区には1名の当日ボランティアを割り振りました。「運輸部会」の任務は
 選手・保護者・関係者の駐車場、選手用の久喜駅からのシャトルバス、救護者・資材の運搬等々
 です。まず駐車場からして、無用・全てシャトルバスでと言う考え、とは言ってもと言う考え、統一
 するのにしばらく掛かりました。となると駐車場が足りない、あの企業に頼もう、あそこはどうだ
 の連続でした。なにせ実現そのものが無理では、とされた大会です。これは他の部会でも
 同じだったでしょう。スポ少本部役員はある程度準備会議で、この状況を知っています。でも
 今日の大会スタッフは今日が初めて、集まってくれるかも心配したくらいでした。
   しかしです。午前中の「走路部会」には200人近くのコースに沿った各町内会役員、午後の
 この会議にも、100人を優に越すスタッフにお集まりいただきました。つくづく久喜のスポレク
 活動の、コミュティ活動の強さを感じた次第です。市民大学校友会など、ボランティアの申し込み
 をしたら、もう定員の申し込みが集まりました、と断られたりしました。なんとしてもこの大会に
 関わりたい、と言うことで、たってお願いし、コース役員の一部に加えて頂いたくらいです。
 本当にありがたい事です。
   
  この日、この間長きにわたって苦労された教委スポーツ振興係の方から、大会の概要に
 ついて説明を受けた後、上記した「運輸部会」の各部門別会議で、大会当日の役割を確認
 解散しました。
  今日の会議で、大会の成功に自信を持つ事が出来ました。コース設営に苦労していた頃を
 懐かしく思い出します。残り2週間、手抜かりないよう最後の準備に当たっていきます。
  後は当日が好天でありますように。


  ● スポ少・第22回バドミントン県大会個人戦  2/27(土) 蓮田市総合体育館

  第22回の埼玉県スポーツ少年団バドミントン大会(個人戦)
 が、27日「蓮田市総合市民体育館・パルシー」で開催され、
 主催者を代表し、参加しました。
  埼玉県スポーツ少年団は、13の種目別県大会を実施して
 います。このうち「駅伝」と「複合」を除く、いわゆる種目の     大会は通常、年2回というところです。もっともはサッカーの
 様に4回もやって(4種大会)、自分の首を自分で絞めている
 例もあります。バドミントンも2回、1つは昨年暮れ、久喜市
 総合体育館で行われた団体戦、今日の県大会は卒業を
 間近にした個人(ダブルス)戦です。かって団員数が多かった
 【蓮田市総合体育館での熱戦】   頃、団体戦だと出場できない子に、県大会を経験させたい
 
という趣旨で、6年生対象の個人戦としたそうです。従って団体戦は34回ですが、こちらは22回
 となるわけです。参加はややさびしく、18団から108名でした。

  所でひと月前ほどでしたが、埼玉新聞を読んでいたら、「蓮田市の女子小学生コンビが国際
 大会で3位入賞」という記事がありました。韓国オープンのバドミントン国際大会で3位に入った
 そうです。「へえ、すごいな」と思い、「蓮田サウスシヤトラーズ」の子かな、とも思いました。
  先の団体県大会で優勝していたからです。その通りで、この大会にも出場していました。この
 ダブルスコンビは5年生時、「小学生バドミントン連盟」の全国大会優勝ペアーだそうです。
  こうした全国トップレベルの子から、週1日・2時間程度の練習でバドミントンを楽しんできた
 子もいます。これが少年団の良い所なのです。
  『中学校へ行っても、バドミントンを、スポーツを楽しんで下さい。参加されている5年生以下の
 諸君は、一人でも多くの友達を少年団へ誘い、バドミントンを、少年団を盛り上げて行きましょう。』
  挨拶で私はこうのべました。


   ● 「桜田チエリーズ」40周年記念式典・祝賀会  2/20(土) 三高サロン










 
 【戸草内団長挨拶】  【IPB理事長・古葉竹識氏祝辞】  【藤沼前県本部長の音頭で乾杯】

   鷲宮桜田地区(桜田小・東鷲宮小)野球スポーツ少年団「桜田
 チエリーズ」は、昭和51年に発足、幾多の歩みを重ね、本年40
 周年を迎えられました。20日「三高サロン」において、前広島東洋
 カープ監督、古葉竹識IPB理事長、藤沼前県本部長、本多前鷲宮
 町長等多くのご来賓、関係者、110名余の出席を得て、「記念祝賀
 会」を開催、私もご案内をいただきました。祝賀会には久喜市の他
 加須市・幸手市等多くの少年団関係者が出席、「桜田チエリーズ」
 の交流の広さを物語っていました。

 【にぎわう祝賀会会場】
   ご承知の通り久喜市は、平成22年合併新たに誕生しました。旧1市3町にそれぞれスポーツ
 少年団本部があり、活動していました。合併協議に合わせ「新久喜市スポーツ少年団本部結成
 準備会」を組織、新市誕生と同年に、「新久喜市本部」をスタートさせています。ですから久喜市と
 同じ歴史を持ち、本年で7年目に入ります。私は前記「準備会」の議長を勤めたことから、その才
 あらずもこの間、本部長を勤めてきました。

  私はご承知のように「サッカー少年団」です。従って「桜田チエリーズ」の発足当時、初期の頃の
 活動内容は余り知りません。しかし隣町の本部長として、「桜田チエリーズ」が鷲宮町本部の
 中心団であること、少年野球を通した国際交流活動に大変熱心であること、等は良く存じ上げて
 いました。合併後は現団長・「戸草内」氏は副本部長、現総監督・「渡邉」氏は市野球部会長・
 本部常任理事として、親しくご交際を頂きつつ、共に活動に当たっています。 

  
人口減少社会を迎え、久喜市もご多分にもれずその渦中にあります。その中で鷲宮桜田地区
 は貴重な人口増加地区、その桜田小・東鷲宮小を基盤とする「桜田チエリーズ」は、それなりの
 団員数にも恵まれ、ここ数年、市内野球部会上位の戦力を有し、各種大会においていつも
 優秀な上げています。
   とくに「IPB」を通したオーストラリア少年野球チームとの交流・国際交流活動にあける「桜田
 チエリーズ」の果たしてきた役割は特筆に値します。少年団もドイツとの交流をしています。
  私も昭和59年・派遣、60年・受け入れに参加、この2年間の体験はその後の私の原点と
 なっています。古葉氏も祝辞の中でふれておられましたが、長きにわたりこの活動の中心的
 役割を果たしてこられた、戸草内団長をはじめとする「桜田チエリーズ」関係皆様に、改めて
 深い敬意を表するものです。

  少年団は今、長期にわたる団員数の減少と言う厳しい状況下にあります。しかし少年団の持つ
 重要性と必要性は益々増しています。「2025年問題」があります。久喜市でも高齢化率は35%
 を越え、1・8人の若者が1人の高齢者を支える事となります。多少な事ではたじろかない丈夫な
 身体と、強く、でありながら共に生きて行く優しい精神の持ち主へと、青少年を健やかに育てて
 行かねばならないのです。一方私たち大人は様々な活動をし、その活動の中で多くの時間を
 共有した仲間を、地域の中に持っていく事が大切です。少年団は、その組織と活動は、大人と
 子どもにとり、そのための最も必要なツールと言えます。
  「桜田チエリーズ」が40周年を契機として、益々充実した活動を展開され、こうした少年団活動
 の王道を歩み続けられますよう心からの祈念を申し上げます。
  楽しい時間でした。40周年おめでとうございました。
    

 久喜市スポーツ少年団認定員養成講習会 2/7・14(日)ふれあいセンター久喜

 
 
埼玉県本部主催・久喜市本部主管による
 「日本スポーツ少年団認定員・兼スポーツリー
 ダー養成
講習会」を、7・14・の2日間「ふれあい
 センター久喜」で開催しました

 
 この日程はここ10年近く固定、6日(土)の白岡
  市での同様の講習会講師と合わせ、今年も
 「まなびすと久喜」と完全にダブリ、大変忙しい
 思いをしたのも(まなびすとのページ2/7参照)
 例年と変わりませんでした。

  少年団の主体は子ども達です。しかし子どもは
 組織に登録したり、保険に入ったり、大会を組織
 したり、と言うことを永続的に行うことが困難です。
  そこで子ども達に代わり、その利益を守りつつ、
 組織を運営していく大人たちが必要となります。
 
【正式な資格なので最後に試験に取り組みます】
   これが指導者です。従って少年団を正しく運営していくためにも、指導者の資質・モラル・
  指導力が問われるのです。そこで指導者に少年団の目指すべき方向は何なのかとか、団員
  たる子ども達の、心と体の特質は何なのかとか、安全にスポーツ活動をするためにはどうすれ
  ばよいのかとか、必要最小限の講習をしていただき、受講者に資格を付与しよう、と言うのが
  「スポーツ少年団指導者養成制度」です。
   

   資格には2つあります。この講習会で取得できる「認定員」と、その上級の「育成員」です。
  私は「認定員」を、久喜市で初めてこの講習会を実施した昭和55年に取得、翌56年に秋田県
  田沢湖町の「青少年スポーツセンター」で、3日間の講習を受け、「育成員」となりました。
   「育成員」には4年に1度の「更新」が義務付けられており、たまたま昨年秋私が、その「更新
 
 研修会」に参加したことは、本ページ27―11/15日付で報告してあります。そのほかに
 
 私は日体協の「体力テスト指導員」、文科省の「上級少年スポーツ指導員」等の資格も所有
  長く県本部の役員、とりわけ指導者養成担当の責任者であったことから、長きにわたり、
  また多くこの認定員養成講習会の講師を、努めてきたことに成ります。

  
 最終的には指導者全員が有資各者に、が目標ですが、現実的にこれは無理、特に埼玉県
  は全国の約1割、2万人という圧倒的な数を誇っています。久喜市の登録指導者は520人と
  いうところ、熱心に各種研修会には取り組んでおり、有資格者は継続指導者の、9割を越えて
  います。今年受講者は少ないかな、と思っていましたが、新規登録者を中心に、市外も含め
  80
を越えました。
   講師は基本的には「育成指導員」、久喜市内にも全員が講師ではありませんが7名います。
  今回は久喜市教育委員会生涯学習課々長補佐・サッカーの指導者として知られるE氏が
  講氏初デビューを果たしました。他に前の県本部長、白岡市本部長、久喜市教育委員会
  の栄養管理士さん等々にお願いしました。私も1日目には「体力テスト1・5時間」、2日目は
  
「医学的知識2・0時間」を担当しました。他に「開講式・閉講式、試験の立会、採点」と結構
  忙しいのです。しかし皆が熱心に受けてくれたため、全員が合格点をクリアしました。主管
  した者としてひとまず安心というところです。
   県本部に申請、全員の資格が認定されます。認定書交付は5月上旬に成ります。
   80数名の受講生の皆様お疲れさまでした。今厳しい状況にある少年団を支え、リードして
  行くのは、これからの君たちの活動です。頑張ってください。

   
       ● 第20回・彩の国ミニテニス県大会  2/14(日) 第一体育館

   平成27年度第20回・彩の国ミニテニス大会(県大会)が、14日、久喜市総合運動公園
  第一体育館で開催されました。私と「ミニテニス」との長い関係、そこから県の副会長を仰せ
  つかっている事等は、もう何度も記してきました。埼玉県のミニテニス発祥の地が久喜市です。
   平成5年の事でした。いわゆる「新スポーツ」と呼ばれるものは多くあります。がアウトドア
  ではグラウンドゴルフ、インドアではこのミニテニスが、群を抜いて面白いものです。久喜市で
  立ちどころにメジヤー化し、「市協会」が発足、初代会長故「山形氏」の下、県協会の組織化と
  合わせ、この大会が始まりました。平成8年の事です。
   以来20年が経過したことに成ります。色々ありました。今日土屋会長、樋口副会長、来賓の
  市長・議長等と一緒に会場に入った時、参加者の少ないのに驚きました。改めて大会プログラ
  ムを見ると、全部で95組・190名とあり、またびっくりしました。確か最盛期には600名を越え
  ていた記憶があります。大会実行委員長の話では20回中で最少との事でした。
   今少年団は団員の減少に苦しんでいます。児童数の減少が最大の原因ですが、他にも色々
  要因があります。ミニテニスも、そして他のスポレク種目も同じ様な状況にあります。愛好者の
  数はそれほど減少していないのですが、組織性と言うか、団体制と言うか、そうしたものを嫌う
  のです。自分達だけでプレーを楽しむ、組織の束縛は受けない、だから登録者が減り、大会
  参加者が減っていくのです。
   現久喜市協会会長で、県協会理事長であるF氏の苦労がよくわかります。氏は市内「ゆうゆう
  プラザ」等でミニテニスを指導、必死で拡大に務めています。氏の努力が報われることを願う
  のみです。
   そんなことで今年は開会式中に、大会参加75歳以上の会員を表彰していました。組織維持
  拡大への努力の表れと評価します。
   新スポーツには楽しむ←→競技力の向上、自由にやる←→組織の充実、という矛盾する
  要素が特に強く現れます。そんな中でF氏をはじめ、県・市協会の役員は、懸命に頑張って
  いるのです。
   私もたまたま市と県の協会組織化に関わったと言うだけで、いつまでも副会長に就いて
  いる事は出来ません。。何かお手伝いしなければ、としみじみ思った今日の大会でした。


 ●平成27年度・第33回県スポーツ少年団駅伝競走大会 2/11(木・祝) 朝霞市
 
  平成27年度・第33回「埼玉県
 スポーツ少年団駅伝競走大会」が
 11日(木・祝)朝霞市中央公園陸上
 競技場周辺周回コースで開催され
 ました。
  この大会は昭和58年に、種目を
 越え県大会を開催、交流しようと言う
 考えで開催されました。思えば私の
 「久喜少年サッカークラブ」は、この年
      【71チーム参加での開会式と選手宣誓】
 
結成7年目にして初めて県大会に出場、久喜市ロードレース大会駅伝の部においても、
 ぶっちぎりで初優勝を果たしました。しかしこの大会を知らず記念すべき第一回大会には参加し
 ていません。翌年から毎年のように、久喜市の代表として出場、昭和63年度第6回大会の優勝
 を始め、2位・3位を各1回、入賞は6~7回と言う成績をあげたものでした。      
    

  だから自分の団が出場できなくとも
 この大会には血が騒ぐのです。昨年
 は大会長として全てを取引りましたが
 今年は県役員として、また久喜市の
 本部長とし応援を兼ねの参加でした。

  久喜市では合併以後、市内ロード
 レース大会の上位、男子3・女子2
 【陸上競技場周辺を走る女子】 【男子の部のスタート】
 団を代表として派遣しています。今年
 男子は「久喜東FC」・「久喜少年野球」 「東鷲宮FC」、女子は「太田ホワイト」 
 「久喜ミニバス」でした。
  県大会への参加チームは男子42
 女子29団でした。このチーム数は
 ここ10数年を越えて最少と思います。
  インフルエンザが大流行している
 とは言え、チョット心配な数字、やはり
 【競技場内タスキ渡し】  【閉会式での表彰・優勝旗授与】
 少年団活動の停滞状況の表れなのでしょうか。

  それでも昨日の寒さとは打って変って好天の中、子どもたちは元気いっぱい走ってくれました。
 応援する中間・保護者の姿とも合わせ、やはり良いものだと思います。主管する朝霞市の
 皆様の見事な運営の中で、良い大会でした。
  レースは男女ともに、川越市の「ファイトマラソン」が圧倒的な走りを見せ、優勝しました。
 なにせ男子はV5で8回目、女子はV3で11回目という物凄さです。 
  「マラソン」の名がつく少年団は、県内ただ1つだと思います。男女ともに2位を2分近く引き離し
 区間賞を、6人中女子は5人、男子は全員と言う圧巻の走りでした。久喜市内では女子「太田
 ホワイト」19位、「久喜ミニ」25位、男子は「久喜東FC」17位、「久喜少年野球」20位、「東鷲宮
 FC」は確認できませんでしたが、30位前後と思われます。皆良く走りました。ご苦労様でした。

  運営に定評のある朝霞市の関係者のお骨折りで、大会は無事終わりました。ありがとうござい
 ました。なんだかんだと言っても私は、来年もまたこの大会に参加することに成るのでしよう。


 ●~よろこびのまち~久喜マラソン大会実行委幹事会 2/3(水)広域展示室

   本番を1カ月後に控えて、久喜マラソン大会実行委員会幹事会が、3日夜「総合文化会館
  広域展示室」において開かれ、最終準備状況の報告を受けました。後は各部門別の役員
  打ち合わせ会を持ち、いよいよ本番を迎えることになります。

 1・参加者関係(確定数)
    A ハーフマラソンの部 2、371名(男性1、967名・女性348名)
    B 3㎞の部          690名(男性424名・女性263名)
    C  2㎞の部          486名(男性275名・女性211名)
    D  親子の部       209組418名
       総参加者  3、965名(男性2、922明・女性984名)
       参加者の8割は県内の方です。遠くは北海道・長崎県からもありました。   
  ※ ゲストランナー  川内優輝選手(ご家族のお母様、2人の弟さんも参加します。)
               しまむら陸上部  橋本愛里選手 田中杏梨選手
               平成国際大学陸上部10名

  ※ 参加者記念品  
一般参加者にはマフラー型タオル、児童生徒にはミニタオル

 2・スタッフ役員関係(ボランティア参加状況)
  
 お陰さまで①本部、②競技役員、③会場、④救護スタッフ、⑤イベント管理、⑥給水所スタッフ
  ⑦走路スタッフ、⑧運輸スタッフの8部門に
1、058人・26団体のボランティアの協力を頂き、
  態勢を整える事が出来ました。ウチ市民880名、職員178名です。私は⑧の運輸スタッフの
  責任者を勤めています。シャトルバス・駐車場・資機材搬送等々です。

  ※ スタッフ支給品
  
 スタッフ全員にジャンパーと帽子を支給します。ライトブルーと白を基調としたものです。
  ※ スタッフ説明会
  
 2月24日・25日・27日の3日間、菖蒲コミセン、同農業トレーニングセンター、久喜総合
  文化会館広域展示室、同中央保健センター(救護スタッフ)が会場となっています。
   各セクションごとに説明会までに、一度会議を持つこととなりますが、
可能な限り説明会
  への出席をお願いします。


 
3・緊急時体制
  
 ① 救護所を本部、コース上4の5カ所に設置します。
   ②  埼玉東部消防局に、スタート・ゴールとなる運動公園に救急車配備を依頼しています。
   ③ コース上にメディカルランナー、AED隊を配置、迅速な対応を行います。
   ④ 傷病事案発生時の対応フローを作成、周知・徹底を図ります。


 4・当日スケジュール関係
  
 大会当日のスケジュール
  
開会式   8:10~8:35  主催者あいさつ・ゲストランナー紹介・選手宣誓
                    競技場の注意―大会愛称表彰他

 
 準備運動  8:35~8:40
  競  技 
9:00~11:40 スタート ハーフ・900 2K・9:10 2K親子・9:13 3k・9:50
  表彰式   10:00~11:30
  
競技終了宣言    11:40
  ステージイベント   
11:40~12:40
  閉会宣言       
13:00

 5・協賛・運営関係
  現金協賛  45企業  5、020、000万円   メインスポンサー(森のせせらぎ なごみ)は
  物品共産   2企業               選手のゼッケンに、他は大会プログラム
                             大会ノボリ旗等に記載します。


 
 大会収支(見込み)について
  
 収入  参加費  10、249、000円   支出  委託料  12、861、000円
        協賛金    5、020、000円        消耗品   5、755、000円  
       
補助金    9、750、000円      印刷製本費   2、272、000円
                                   役務費   2、555、000円他                 計   25、019、000円               25、019、000円


 6・交通関係
 
 ※  シャトルバスを久喜駅~会場を運行します。(無料)
               
 6:00~13:30 10台
          
※  駐車場について
               選手・来場者用に1、388台 関係者用に497台

               
可能な限り自転車・徒歩でご来場ください
          
※  交通規制  選手の通行に合わせ交通規制を実施します。
               会場~JA南彩江面支店交差点間は8:00~13:00
               コース外規制は1番短いものですがそれでも8:00~10:00です。

              
 ご迷惑をおかけしますが、ご協力をお願いします。

 7・イベント関係 
 ゴールとなる市民グラウンドの多目的グラウンド側半分が、ステージエリア
             となり、イベントが実施されます。
              東側コーナーは出店・販売エリアとなります。
             一般東の自由広場は「萌☆輪ピック」会場です。コスプレマラソンも
             行われます。 

              また総合文化会館前広場・久喜駅西口前広場・鷲宮神社等において
             応援として、「栗橋坂東太鼓」等の声援があります。

   以上なんとかここまで来ました。一番心配した参加選手もメインのハーフマラソン2、400
  総数4、000名と、いずれも8割に達しましたので安心しました。ボランテイァは久喜町ですから
  心配していませんでした。気がつく点は全て配慮しました。後ははじめてということで、何か
  突発事故がないかと心配するだけです。
   当日が好天にめぐまれ、大会そのものが成功することを願っています。そこがスタートと
  なります。


    ●平成27年度・県スポ少県外研修会1/30(土)・31(日) 伊香保温泉











【1日目全体研修会】【パネラ―県内少年団出身の3人のアスリート】【約50人のサッカー部会会議】 
 
 私としてはもう38年続いて
 いる、これまた年が明けて、
 1月の最終土・日と決まっている
 「埼玉県スポーツ少年団指導者
 現地研修会」に参加しました。
  この所、鬼怒川と伊香保で
 隔年に開催されていますが、
 今年は伊香保の「ホテル天坊」
 久喜市からは各種目別部会
 代表等10名が参加しました。

 
 【同じ釜の飯を食う研修】    【2日目研修会講師・小出氏】

  
 私は1昨年度までこの「現地研修会」を、企画運営する担当責任者でした。機構改革で外れ
  少し気楽な感じで参加出来るようになりました。日程はほぼ決まっています。1日目・午後集合
  全体会―1日目の研修会―種目別分科会―懇親会、2日目全体会―研修会―解散、という
  ものです。参加者は10年ほど前がピーク、300人を越えたため、対象を絞りました。ここ
  数年は220~30名と言うところです。それでもこれだけの数が県外まで集結、研修し、懇親
  すると言うのは埼玉県以外考えられません。日本一たる所以です。
   
   今年全体研修会は、県スポーツ少年団出身のトップアスリートお3方による、「パネルディス
  カッション」でした。蕨北町サッカー少年団、武南高校を経て、鹿島アントラーズ・浦和レッズ
  等で活躍した「室井市衛」氏、熊谷Jバレー少年団、春日部共栄高校からイトーヨーカドー、
  さらにはビーチバレーで活躍した「鈴木洋美」氏、そして川口芝園イーグルス少年団、
  浦和学院を経て、ヤクルト・日本ハムで活躍した「坂本弥太郎」氏です。「室井・坂本」両氏が
  180センチ前後であることは知っていましたが、「鈴木」さんがお二人より大きいのには少し
  びっくりしました。パネルディスカッションは気楽に楽しく聞けました。3人とも少年団では
  まちがいなくエースだったのでしょう。しかし優勝したとか、県大会で活躍したとかの思い出は
  なく、仲間との遊び、レク活動の楽しさのみが残っていると話されていました。
   また室井氏は三浦和さん、坂本氏はダルピッシュ・ユーの思い出に触れ、一流中の一流
  選手の凄さを語ってくれました。「継続する事・挨拶の大切さ、コミュニケーション能力の
  向上を!」こんなことを同様に述べておられました。

   終了後は各種目別分科会、全部で12あります。野球の70名から、複合・体操の数名まで
  私はサッカーに出ましたが約50名と言うところ、少年団でサッカーの特殊な立ち位置は、
  もう何回も報告してきました。とにかく今2年続けて、1000名を越え団員が減少するという
  危機的事態にあります。このことについて書きだすと止まらなくなりますので、今日は止めて
  おきます。
   終了後皆温泉に入って、大広間での「情報交換会と称する懇親会」です。230名の縁会は
  とにかく圧倒的です。私は開会のあいさつで、「同じ釜の飯を食うは、この研修会の一番
  大切な中身です。」と話しました。みんな少しくたびれつつありますが、少年団に限りない
  情熱を燃やし続ける仲間との楽しい2時間でした。 
 

      ● 第1回・~よろこびのまち~久喜マラソン大会  1/26(火)

  久喜市にとって初めてのマラソン大会となる、「第1回・~よろこびのまち~久喜マラソン大会」
 も後ひと月強と迫りました。お陰さまで手探りの状態であった準備も、それなりに進んでいます。
  正に「オール久喜」の取り組みで、約1千人は、と言われていたボランティアも整いました。
 1番心配されていた参加者です。認知度不足、募集の遅れ、他の近隣大会とのダブり等懸念
 される状況が多かったのですが、ここへ来てどうにかと思われる状況となりました。未だ郵便に
 よる参加が残されていますが、多くても1桁、ほぼこの参加者数で本番を迎えることとなります。
  皆様のご協力に感謝申し上げます。とりあえずお知らせします。

  ◎ 大会期日 平成28年(2016)3月13日(日) 雨天決行
  ◎ 会 場   久喜市総合運動公園(市民グラウンド)
  ◎ 開会式   久喜市総合運動公園市民グラウンド 8:10~
  ◎ 種 目   1・ハーフマラソン 9:00スタート
            2・2Km       9:10スタート
            3・3km       9:50スタート
            4・親子2Km    9:13スタート
  ◎ 表 彰   各部門 1位~3位   賞状・メダル・副賞
                 4位~6位   賞状・副賞
                 7位~10位  賞状    

  各種目ごとの部門
   ハーフマラソン  男女別に ① 一般(18歳から39歳)
                     ② 40歳代
                     ③ 50歳代
                     ④ 60歳代以上   の8部門

   3km        男女別に ① 一般(18歳から49歳)
                     ② 一般(50歳以上)
                     ③ 高校生
                     ④ 中学生      の8部門

   2Km       男女別に ① 5・6年生
                    ② 3・4年生     の4部門

   親子       小学生1・2年生とその保護者    の合計21部門です。      

   各種目・部門・合計・総参加者数です。
  ハーフマラソン 1・一般男子(18歳から39歳) 762名
            2・      (40歳代)      606名  男子1、965名
            3・      (50歳代)      365名   
            4・      (60歳代以上)   232名  女子 349名
            5・一般女子(18歳から39歳) 152名
            6・      (40歳代)      107名  他にゲスト・協賛 
            7・      (50歳代)       66名
            8・      (60歳代以上)    24名   計 2、372名 

  
3km      1・一般男子(18歳から49歳)  95名
            2・一般男子(50歳第以上)    71名
            3・一般女子(18歳から49歳) 104名  
            4・一般女子(50歳代以上)    45名
            5・高校生男子             8名
            6・高校生女子             6名  ゲスト・協賛参加者
            7・中学生男子            91名    を加え
            8・中学生女子            54名   計 689名

  
2Km      1・小学男子生(5・6年生)   106名
            2・小学男子生(3・4年生)   108名
            3・小学女子生(5・6年生)    74名     追加者加え

            4・小学生女子(5・6年生)   101名    計  486名

  親子の部   209組・418名    合計参加者  3、965名

  以上の通りです。定員はハーフマラソン3、000名、3km1、000名、2Km800名
 親子100組200名です。これは定員と言うより希望する数でした。前記した事情から
 この数はかなり難しいと思っていました。若干中学生・高校生の参加者が少ないよう
 ですが、メインのハーフマラソンに2400名、トータル4、000名と8割に達しましたので
 ほっとしています。
   これから最後の準備活動に入ります。願わくば当日好天にめぐまれますように!


     ● 平成27年度・第5回久喜市スポ少ロードレース大会
                       
 1/11(祝) 菖蒲上大崎運動公園 

  久喜市スポーツ少年団
 本部事業の平成27年度
 第5回ロードレース大会が
 成人の日の11日、菖蒲
 総合支所周辺コースで
 行われました。
  新久喜市スポーツ少年
 団本部は、合併と同じく
 して、22年に発足してい
 ます。
   【開会式・教育長挨拶】     【スタート・ゴールは上大崎グランド】  
  年度途中でしたので22
 年度は旧4市町本部の
 活動をそのまま継続、
 新市本部事業は23年度
 からとなりました。従って
 今大会が、第5回大会と
 なります。
  何せ団員・指導者、
 応援の保護者を加えると
 2、000名を越します。
 【下級生は菖蒲中周回、高学年と駅伝は見沼代用水沿いを走ります】
  新大会の会場をどこにするか、と大分論議がありました。コース・トイレ・駐車場の3つがそろう
 ことが条件となります。旧久喜市本部の会場、総合運動公園はコースに難点がありました。結果
 菖蒲総合支所のとなりにある、上大崎グランドをスタート・ゴールとするこの会場となりました。

  駐車場はグランド周辺のみならず、総合支所駐車場があります。トイレも農業センター
 支所駐車場と使えます。何よりも低学年は菖蒲中学校周回コース、高学年は見沼代用水沿い
 と、他の交通に影響を与えないコースが取れるのが魅力でした。
  ただ一つ難点があります。上大崎グランドの西北方向が、はるかかなたまで田んぼの事、
 ひとたび風が吹けば、極寒の地に化すことです。去年がそうでした。

  さて今年は正月から温かい日々が続いていましたが、今日もそうでした。本当に助かりました。
 子どもたちは皆元気いっぱいに走ってくれました。各学年ごとの個人レースと、1団5名の団
 対抗駅伝とあります。走る距離は1年~3年女子まで1、000m、3年男子と4年男女が1、500m
 5・6,年は男女共に2、300m、駅伝は5・6年のコースを走りますが、タスキ渡しの関係で
 5人合計で9、900mとなります。
  
  少し残念な点、個人レースのみだけで駅伝不参加の団がそこそこあったこと、やはり団員
 減少の表れなのです。
  好天に恵まれ、子ども達みんなの頑張る姿を見て、楽しい半日でした。この子たちと共に
 新年も頑張って参ります。


     ● 久喜市民グランドトラックが整備されました。12/27(日) 


  下段で報告した「ウインターカップ久喜2015」
 閉会式に出席のため、23日総合運動公園・
 第一体育館へと向かいました。途中「市民グラ
 ウンド」に作業車が入り、何人かが作業中で
 あるのを見、「あっ、やっと整備が始まったな」と
 うれしくなりました。 
  ご承知のように、来年3月第2日曜日に「久喜
 マラソン」が行われます。何せ第一回大会、私た
 ちは色々なことに戸惑いつつ、準備に追われて
 います。この大会は多くの意味を持っています。
  1つは大会そのものを成功させること、1つは
 全国各地から参加される選手諸君に、心の
 こもったおもてなしを通し、久喜市の魅力を発信
 する事、そして1つはこの大会を通して、市民の健康・体力づくりの運動参加を促し、健康で元気 
 【グリーンダストで整備された市民Gトラック】  な町・久喜市を創造していく事です。

  そんな意味を全部こめて、私は6 月定例会で「久喜市民マラソン大会を成功させ、させ続ける
 ために」との一般質問を行いました。そのために当面市民グラウンドトラックの整備、長期的には
 市内各所にウォーキング・ジョギングコースの整備を訴えました。
  大変残念なことに市内のランナーは、今久喜市民グラウンドを練習会場として使いません。
 ジョギングコースが無いからです。加えて平成2年にオープンした、久喜市民グラウンドのトラックが
 あられる任せる状態となっていたからです。
  マラソン大会のスタート・ゴールであるここが、この状態では大会の名がすたると言うものです。
 「何らかの形で整備する」と答弁、スタート時そうであったグリーンダストでのそれを要望しました。
 やっとここにきてそれが実現したこととなります。
  大会準備も弾みがつくと言うものです。加えて最近大分水はけが悪くなったフィールドも、と
 思うのは少し欲張りでしようか。
  とにかくここは久喜市民のスポーツ活動のメッカです。大会に合わせてとの視点も加え、
 最大限の整備を願うものです。
 

       ● ウインターカップ久喜2015  12/20(日) 第一体育館

 
 「ウインターカップ久喜2015」
 が今日と23日、久喜総合運動
 公園第一体育館他で開催され
 ます。今朝は第一体育館で
 開会式が行われました。
  この大会は一応、主催久喜市
 スポ少本部となっていますが
 企画・運営全てを、ミニバス部会 が行う、市町村主催の大会では
 
最大規模のミニバスケットボールの交流大会です。

   
【開会式・市長挨拶】   【50チーム参加、参加チーム紹介】  この大会は「久喜市近隣優勝
 友好ミニバス大会」とのサブタイ
 トルがついています。
  
競技力を競い、優勝を狙う
 部門と、交流しつつミニバス、
 そのものを楽しむ両者が共存
 している大会なのです。
  だから今年も両部門に、県内
 各地から50チームも参加する
 大きな大会として定着しているのです。
 【歓迎のパフォーマンス】   【試合開始・健闘を期待します】
  
いくつかの特筆すべき特徴があります。下段の写真にある壁に張られた歓迎の旗です。畳6~8
 畳もあるかと思われるチョウ特大のもの、提灯祭りや久喜の特産「梨」等が描かれています。
  今日を迎えるまで30年近くの歴代の団員が、お母さん方の応援をいただいて手作りしたもの、
 この大会を盛り上げようと、その時その時造ったものです。皆の気持ちが込められているこの
 大会なのです。いつも開会式の最後に、久喜市内のバスケの単位団が交代で、歓迎のパフォー
 マンスを演じてくれます。今日は「菖蒲アイリスパープルズ」男子のダンスでした。「バスケより
 こっちの練習ばかりやってました。」との紹介に皆心からの拍手を送っていました。もう一つ
 あります。バスケはどうしても指導者が少ない、いわゆる母集団役員が運営に参加しています。
  その活動ぶりはいつも感心しています。少年団で「母集団」はいろいろ問題点を持っていますが
 この大会を観て、いつもホッとしています。

  大会は第一体育館、第二体育館の他、市内5つの小学校体育館でも行われます。どこの会場
 でも上記したように、それぞれの連携の下、素晴らしい運営がなされることでしよう。
  今日と23日、2日間が子ども達の思い出に残る素晴らしいものであることを期待します。
  頑張ってください。また23日閉会式でお会いします。   


 ●埼玉県スポーツ少年団本部・27年度表彰式12/19(土)浦和ワシントンホテル

  19日は27年の最後となる県スポーツ少年団本部員会が
 持たれました。先に報告してある本年度の登録状況、ブロック
 別本部長会議の報告を受け、また来年1月に行われる27年度
 「現地研修会」について協議し終了しました。本部員会はいつも
 上尾の「総合スポーツセンター」で開催されますが、今日は浦和
 駅西口近くの「ワシントン・ホテル」でした。本部員会終了後
 この時期恒例となっている平成27年度・埼玉県スポーツ少年団
 表彰式を持つためです。
  日本本部は毎年各県登録数に応じて、市町村本部・指導者を
 顕彰します。(埼玉県6本部・12名指導者)
   【受 賞 式 会 場】
  また県本部では独自に、市町村本部の登録者数に応じて
 指導者表彰を12年前から行っています。この日本本部顕彰の
 伝達式、並びに県本部表彰式を、毎年暮れのこの時期に
 行っているのです。
  今回日本本部からの市町村本部顕彰は、横瀬町・毛呂山町
 草加市・滑川町・飯能市・和光市の6市町本部が受けました。
  旧久喜市本部はすでに受賞しています。指導者は日本全体の
 約1割を埼玉県が占めていますので、12人と言う多さです。
  今回顕彰の栄に浴された方に、さいたま市岩槻JJの関根氏
 幸手さくら少年野球の玉村氏、県リーター会の小林さん、と
 【日 本 本 部 顕 彰 伝 達】  いった親しく交際をいただいている方、誰よりも久喜市バド部会長
 野口さんがおられました。おめでとうございます。

  県本部表彰は、各市町村本部指導者登録者数に応じて、市町  村本部が推薦します。200名に1人です。久喜市は500+
 2~30名をこのところ登録していますので、毎年3名を推薦
 しています。今年は野球「レインポーズ」の諸星氏、サッカー
 部会長の粟野氏、バド「江面シルバースマッシュ」の松本氏の
 3名です。皆それぞれの現場で長く御苦労をおかけしています。
  これからもよろしくお願いします。
 受賞者代表で挨拶した、加須市北川辺ウォーターズ仲沼氏の『スポーツに感謝、仲間に感謝、
 【に ぎ わ う 祝 賀 会 会 場】  子どもに感謝、そしてチョッピリ女房に感謝します』との
 挨拶は傑作でした。表彰式の後、皆で祝賀会、楽しいひと時をスポ少仲間と過ごしました。
  閉会のあいさつで私は、『少年団の表彰は、長いことお疲れさまでした。ごゆっくりお休み下さい
 と言うものではありません。これからもがんばってください、と言うことです。』と述べました。
  子どものはじける笑顔を守り、育むためにこれからもがんばってください。


   ● 平成27年度・久喜市綱引大会  12/6(日) 久喜市総合体育館










 【1、200人参加の開会式】 【開会式での選手宣誓】     【ほぼ正しい引き方です】

  数えて第31回となる「久喜市綱引
 大会」が、6日(日)総合運動公園
 第一体育館で開催されました。
  ここ10年来参加者は1、000名を
 越えていました。昨年僅かながら
 1、000名を割ったのですが、今年は
 ナント200名プラスの1、150名
 とにかく大変な人出、駐車場はパンク状態でした。
 【一般の部優勝の弐心睦会】【小学生6部門+一般で表彰】
  とにかく参加チーム数125、小学生低学年・男子26、女子13、中学年男子22、女子18、
 高学年・男子16、女子20、一般混合10というのが内訳、選手のみで参加者1、125人、これに
 監督、コーチが加わるのですから、開会式への参加者は1、300人近かったと言えます。
  写真のように広いアリーナも参加選手で一杯でした。

  当然試合数が多くなります。いつもより開始時間を早めてのスタート、3本のレーンを使い
 私は主に中学年が出場の、Bレーンを担当しました。なにせ各レーン4人しか審判がいません
 ので、主審・副審と休みなし、ちょっと疲れました。
  私はいつもこの大会の前に久喜小に「綱引」の指導に行っています。今年はプラスして北小
 と午前・午後に大分通い詰めました。「清久小」にもこれは「綱引連盟」の巡回講習会で、1日
 お伺いしました。そんな子供たちの試合が気になって、審判はちょっと失格かな、なんて思う
 時もありました。
  今大会古くから参加している、旧久喜市内はもちろんですが、栗橋南小、鷲宮桜田小、菖蒲小
 等が大勢参加され、やっと久喜市内全域の大会となった実感がありました。
  なにせ31回大会ですから、学校の先生方も「綱引」を良く理解されており、また私たち「綱引
 連盟」の役員が、各々地元の学校に指導に行っており、子どもたちは比較的正しいフォームで
 綱を引くようになっています。従って必然的に身体の要素が強くなります。試合前に整列する
 と、大体の結果が予測できます。
  久喜小はどういうわけか、いつも小柄な子が多く、また今年の「北小」もそうでした。これは
 いわゆる選抜を組んでくる学校と、クラス単位でチームを作る考え方の違いもあるようです。
  今年久喜小は3位以内ゼロ、北小は1チームでした。これはひとえに私の指導の悪さ、
 反省する事しきりです。ごめんなさい。
  
  小学生部門では低・中・高学年男女別6部門中、伝統的に強い太田小が4、久喜東小と
 青葉小が各1部門優勝しました。太田小はいつものように身体が大きく、加えて良く練習して
 いる感じでした。
  一般混合ではここ数年いつも市役所チームと、我が本二祭典保存会の若者チーム、
 「弐心睦会」が死闘を繰り広げます。今年は我が弐心会が、昨年のリベンジを果たしました。
  とにかく正式な大会では両者反則負け、力が互角で両者座り込んで立てない有様でした。

  試合数が多い割にはスムーズに運び、いつもと同じ時間に終了できました。
 県内各地から応援に駆けつけてくれた、「埼玉県綱引連盟」役員諸兄姉、いつもながら
 久喜市スポーツ推進委員協議会の皆様に感謝します。
  力いっぱい頑張ってくれた小学生諸君、ありがとう、また来年お会いしましょう。
  

   ● 平成27年度・県スポ東部地区本部長会議 12/5(土)幸手市中央公民館

  埼玉県スポーツ少年団の最高議決機関は代議員会=総会
 です。代議員は埼玉県本部を構成する63市町村本部の 
 本部長、または副本部長と規定されています。実際9割以上
 本部長です。各市町村本部の最高責任者であり、代議員会
 構成メンバーである各本部長に、年1回の総会の時だけで
 なく、意見・情報交換と懇親の場を持ちたい、との事から
 各ブロック別に、秋から冬の時期に「ブロック別本部長会議」
 を持つようになってから、もうだいぶ経ちます。その「東部地区
 本部長会議」が、5日(土)幸手市中央公民館で持たれました。
  東部地区とは北は行田・羽生から、南は三郷・八潮まで
 【東部地区スポ少本部長会議】     かって25市町村ありましたが、合併その他の関係で、
 現15市町本部、うち12市町本部長が出席しました。

  下段で報告したバドミントン県大会のアト、この会議に出た県本部長、幸手市教育長の挨拶
 の後、阿部県体協少年団課々長より本年度の登録状況の報告を受けました。
         27年度      26年度      増減
    団  数 1、694団     1、726団    ― 32団
    指導者 18、609名   18、916名    ―307名
    団  員  49、796名   51、281名  ―1、485名
  団数、指導者数、団員数何れも前年度より減少、減少化傾向に歯止めがかかっていない事を
 示しています。特に団員数はとうとう5万人の大台を割ってしまいました。
  加入率ですが県全体で12・15%、(久喜市15・72%)、前年度12・48%で、これまた0・33
 ポイント減少しています。
  次に種目別ですが、サッカー―1、135名、野球―509名と、大手のこの2種目だけで、約
 1、650名も減少、特にここ2~3年、サッカーの減少が目立っています。
  本部長から私も取り組んだ、「減少対策プロジェクト」のまとめの内容が示されました。単位団
 で取り組むこと、市町村本部で取り組むこと、県本部で取り組むこと、いろいろ対策が講じ
 られてはいます。しかし「皆すでに取り組んでるよ」という内容が多く、難しい状況にあります。
  こつこつと継続して取り組んでいくしかないのです。

  そのあと各市町本部より、特に今県本部が取り組んでいる、いわゆる「母集団問題」を中心に
 状況報告・問題提起を受けました。羽生市より一切「母集団」を組織していないこと、加須市より
 「母集団」という名称について(変更を求める)と、いった特徴的な報告を受けました。
  また宮代よりこれからの課題である年少者(園児)の組織化についての報告もありました。
 「母集団」も少年団にとって難しい問題です。関係者には解っていることですが、「母集団=
 団員の母親たちの集団=義務化・負担」という曲解につながっているのです。
  原則論にだけ立つのでなく、それぞれの状況に応じた活動が必要と考えます。

  その後場所を変えての情報交換会、私は久喜市野球部会の「納会」出席のため、乾杯だけで
 失礼しました。


 ●平成27年度・第34回スポ少バドミントン県大会12/5(土) 久喜総合体育館











   【開会式・本部長挨拶】       【開会式・選手宣誓】      【12面コートでの熱戦】
   平成27年度・第34回埼玉県スポーツ少年団バドミントン大会が、5日「久喜市総合体育館
  第一体育館」で開催され、出席しました。この大会は昭和57年=1982年から始まりました。
   県スポーツ少年団バドミントン部会は、久喜市のバド部会を中心に組織されており、私は
  この第一回大会から、34回の今年まで殆ど参加し続けていると思います。
   第一回大会の会場は、当時の県本部長、故高橋庄次郎氏のおひざ元、蕨市でした。この時
  県大会出場チームは8、久喜市が5、合併前の鷲宮が2、優勝したのはその鷲宮ビッキーズ
  でした。そんな組織状況でしたから、バドミントン部会の運営は久喜市が中心でした。競技の
  方も強く、優勝・準優勝に市内チームがいつも名を連ねていました。
   しかし優勝は平成9年・第16回大会の江面シルバースマッシュ、準優勝は平成17年・
  第24回大会の太田ホワイトシャトルズを最後とし、最近は上位に顔を出すことが無くなって
  います。そのかわり大会会場は、埼玉国体のバド会場・久喜の体育館に固定されており、
  運営面は変わらず久喜のメンバーが頑張っており、うれしいことです。

   バドミントン部会は現在県内で30団、指導者158名、団員677名との事です。決して
  大きな組織ではありませんが、この時期に団数、団員数共に僅かですが伸ばしており
  見事だと言えます。
   この大会には14市町から18団が参加していました。県大会に出場しない?出来ない
  団もあるようです。開会式では佐藤県本部長、磯井県バド連盟会長が挨拶しました。磯井
  会長とは、県体協派遣スポ少本部員をされておられた頃、親しくご指導をいただきました。
  変わらずお元気の御様子で安心しました。
   その後フロアー一杯に12面を使って大会が始まりました。本部長と私は、この日幸手市に
  おいて県スポ少東部地区本部長会議があり、午前中で失礼しました。
   バドミントン部会の変わらぬ活動と、団員の頑張りをずっと見守り、応援していきます。
   もちろんこれからも県大会には参加し続けて行きます。  

     ● 和光市母集団講習会・平林寺・T氏歓送会  11/28(土)

 
 素晴らしい好天の晩秋の土曜日、今日は1日あわただしく
 過ごしました。まず午前中は和光市スポーツ少年団母集団
 
講習会で講師を勤めました。これで3年連続となります。
  これまではいわゆる「母集団論」でしたが、今日は少年期の
 身体と心の特性、トレーニングの在り方等について話しました。
  発育発達期にあたる少年団では、多様なプログラム、オール
 ラウンドの身体活動を! を中心にしました。
  少年団で「母集団」の果たす役割は大変大きなものがあります。
 若干の誤解があります。「団員の母親たちの集団」ではありません
【人形を使っての心臓マッサージ】 
  
母なる川・母なる大地と言います。母なる愛情をもって少年団を育む人達をさします。地域
 ぐるみで子どもを育てる事が大切なのです。








【晩秋の陽光にてらされて紅葉が綺麗でした。野火止用水・銀杏の落ち葉で黄色の絨毯を歩く】 

  講演を終え午後、余りもの好天に誘われ、お隣の新座市平林寺を訪ねました。平林寺は
 臨済宗妙心寺派の別格本山、約13万坪の境内林は、武蔵野の面影を色濃く残し、国の天然
 記念物に指定されています。最近では境内にもみじが多いことから、特に紅葉の名所として
 人気があります。そのモミジや境内を流れる「野火止用水」を眺めつつ、銀杏の落ち葉で
 黄色の絨毯となった木陰路を歩く、楽しい1時間強の散策でした。

 
 急いで久喜に戻り、夕方からのT氏の歓送会に出ました。氏は久喜市教育委員会生涯学習課
 課長補佐を勤められ、この10月に年度途中の異動、教育現場に戻られました。
  ゆうゆう、生涯学習推進部等の活動でご一緒しました。何よりも氏は久喜市のスポレクの
 一線級の活動家、加えて久喜市スポーツ少年団の第1号の団員でした。40年という長く親しい
 付き合いをいただいています。教育現場は4年半ぶりとなります。次なる高みへ羽ばたくことを
 期待します。頑張って下さい。


  ● 第5回・県スポ少体操競技交流大会 11/23(祝) 川越市運動公園体育館











 
【10団・200人が参加しての開会式】【体操競技は初めて観ました、何とも可愛い雰囲気でした】

 
 埼玉県スポーツ少年団は現在13の種目別県大会を行っています。1つは種目にこだわらない
 「駅伝大会」、また「複合」の県大会ありますから、競技別と言えるのは11となります。1番古い
 のは今年44回大会を数えるサッカー、今日、「川越市総合運動公園体育館」で開催された「体操
 競技」が1番新しく、5回目となります。その「体操競技」の県大会に県本部を代表、出席しました。

  県体操部会長・越生町の今村氏とは、県本部で長くご一緒した、親しいスポ少仲間です。いろ
 いろ苦労話をお聞きしました。なにせ体操ニッポン、ジユニア体操クラブは数多くあるそうです。
  体操少年団はやっと10団まで拡大出来たとか、審判等県体操連盟ジユニア組織の全面的
 協力を頂かないと運営は苦しいとの事でした。
  私は13の種目別県大会全てを観ていますが、「体操競技」は今日が初めてでした。空手着・
 柔道着・胴着+胴の剣道といった武道系の開会式も、色とりどりのユニフォームが集う野球
 サッカーのそれも良いものです。今日初めて見た「体操競技」のそれはとても可愛い感じでした。
  200人の参加選手の内、8~9割が女子、低学年の子はハープパンツ・半そでと言う普通の
 体育着ですが、中・高学年はほとんどがいわゆるレオタードの体操着、髪型は全員が「アップ」
 でした。中には1・2年生の小さな子が、正式な体操着を着ていて、何とも愛くるしかったです。

  種目は床運動・跳び箱・鉄棒・平均台の4つでした。
  床運動はテレビでよく見る正方形のマットではなく、幅2m、長さ10数mのもの、スタートから
 ゴールまで進みながら、種々の演技をするのです。ただマットの下に硬質ゴムで出来た独特の
 クッションを敷き詰めますが、これがそろっている体育館はなかなかないとの事でした。
  跳び箱は傑作でした。普通の跳び箱を縦でなく、横に置いてあります。1つは低学年、もう1つは
 高学年の同時進行、低学年で勢いよく走りだし、踏切板で飛び上がり、どう飛ぶのかと思ったら
 小学校の体育の時間で飛ぶ、おなじみの足を開くそのままのフォーム、それでいて着地すると
 見事にあの手を開いて、胸をそらすポーズを作るのですから、思わず拍手を送ってしまいました。
  もう1つの高学年の方はさすが、空中で1回転します。でも見事に着地した選手は見ません
 でした。中々内村選手並みとはいかないものなのですね。
  平均台は高学年が演じていました。手を着いての回転は横向きでした。中には平均台方向
 への回転、手を接かずの回転もあるとの事でしたが、今回私は見られませんでした。
  当然ながら跳び箱、平均台共に補助者がついて、安全を図っていました。

  とにかく可愛い大会でした。数・レベル共に、いわゆるクラブが圧倒的との事、その中でこうした
 大会を持っている、今村氏他体操部会の役員のご努力に敬意を表します。
  こうした方々の熱意が県の少年団を支えているのです。
  なお演技中の撮影はフラッシュ禁止との事で、右2つの写真の悪さをお許し下さい。 

  ● 上尾市スポ少本部創立50周年記念式典・祝賀会 11/21(土) 上尾市

  「上尾市スポーツ少年団
 本部・村田喜代汰本部長」が
 創立50周年を迎え、21日
 記念式典を同市文化センター
 祝賀会を「バンケットホール
 上尾」で開催、出席しました。
  上尾市スポーツ少年団本部
 はS41=1966年に蕨市、
 所沢市に次いで、県内3番目
 に誕生しています。
 【まず全団の団長・主将等を紹介】 【村田上尾市本部長挨拶】
  現在48団、2、592名団員
 906名指導者を擁する県内
 有数の組織に成長しています。
  
  式典では最初に48単位団の
 代表・キヤップテン・育成会
 会長を紹介、本部長、上尾市
 にある応援組織・後援会会長
 挨拶、「50周年のあゆみ」の
 後、記念表彰、来賓祝辞と進み
【皆で50周年記念宣言を朗読】 【祝賀会・旧本部長の音頭で乾杯】
  最後に50周年記念宣言が発せられました。50年の歩みを
 総括、魅力的な団活動と地域づくりへの参加を提唱し、『50
 周年を契機に、スポーツ少年団の将来像の具現化を目指し
 子ども達とともに未来を創造するため、新たな第一歩を踏み出
 していくことを、ここに宣言する。』というものです。

  祝賀会は上尾駅前の「バンケットホール上尾」で行われました。
 所で久喜市スポーツ少年団は新市下の組織、新久喜市と同じく
 6年の歴史しか持っていません。が、旧久喜市は今年が40周年
 に当たっています。私が旧久喜市本部から、県本部役員に
【200人強参加でにぎわう会場】  就任したのはS50年代半ばでした。

  この時ご一緒したのが、後に上尾市市長となられた新井弘治先生、その新井先生がお元気で
 乾杯の音頭を取られたのには感激しました。30年を越えて挨拶をさせていただきました。 
  元上尾市内単位団の母集団会長だったという女性演歌歌手の歌、指導者・団員OBによる
 バンド演奏等あり、まあ実ににぎやかな祝賀会でした。

  私は県本部で荒井松司旧市長、前記の新井耕治氏、その後の高橋、現村田本部長と親しく
 活動をご一緒しました。単位団では西上尾キッカーズ、原市イレブン、尾山台フアィターズ
 といった団とよく試合をさせていただきました。そして何よりも久喜市本部として忘れてなら
 ない方に、故「鳥塚奥美」氏がおられます。氏は県副本部長、指導協委員長、野球部会長等
 歴任されましたが、何よりも久喜市創生時の各種研修会講師として、多くのご貢献を頂き
 ました。以上個人としても、久喜市本部としても、絶えず上尾市を見本とし、活動してきた事に
 成ります。急に「締め」の音頭を、と言われた私はそんな話をし、益々の充実・発展を願い
 締めの音頭を取りました。 


    ● スポ少育成員更新研修会 11/15(日) 代々木青少年総合センター

  もう何度も記してきました。スポーツ少年団はその活動の
 主役は団員=子どもたちですが、その羅針盤・エンジンの
 役割を担うのは大人たち=指導者です。何よりも指導者の
 資質と指導力、そしてモラルが問われるのです。こうした事
 に踏まえ、少年団は創生時から、一定の研修を積み、資格を
 付与する指導者養成講習会を多く実践してきました。この
 資格には「認定員」と、「育成員」の2種あります。私は1981年
 「認定員」を、そして翌1982=昭和57年に、秋田県田沢湖の
 青少年スポーツセンターで、3日間の研修で「育成員」の資格 
 を取得しました。以来県本部役員への就任もあり、多く「認定員
【アト何回ここに来るのでしょうか】 養成講習会」の講師を勤めてきました。

  両者のウチ、上級資格である「育成員」には、資格更新の
 ため、4年に1度の研修会受講が義務付けられています。
  だから私にとって、今回のこの研習会受講は8回目に成る
 かと思われます。最初の内は田沢湖での1泊研修でしたが
 最近は、8時間程度の日帰り研修となっています。会場は全国
 いくつかあるのですが、私はいつも一番近い、中央会場である
 オリンピック記念・国立青少年総合センターで受講しています。
  スポーツに深くかかわってきた者として、ここはいろいろな                            思い出のある場所です。第11回日独同時交流派遣指導者
 【東日本各地からの参加者】   として、1984年日本最後の夜を過ごしたのも、文科省上級
 
スポーツ指導員を得た講習会もここでした。かっては他の同様の公立施設同じく、がんじがらめ
 の規則の中にありましたが、今は大分利用しやすくなっています。
  
  参加者は関東各県を中心に、北は山形・新潟、南は愛知・静岡県の方もおられました。県内は
 もちろん全国・関東ブロック等の大会での、顔なじみの方が何人もおられ会話が弾みました。
  研修内容は情報提供、講義が2本、研究協議です。

  情報協議では「少年団の未来像」、「第9次育成5カ年計画」について、特に「スポーツ指導者
 のための倫理ガイドライン」について、詳しく説明を受けました。
  講義1は「思春期女子団員の健康管理について」、私にとって一番学習していない内容でした。
 女性スポーツの歴史、女性スポーツ医学の重要性といった部分はまだ良かったのですが、
 大半が「月経周期の仕組み」とか、「女性アスリートに起こる月経トラブル」といった内容でした
 ので、ちょっと面喰いました。なにせ基礎的知識に欠けるため、初めて聞く用語ばかり、不勉強
 を恥ました。今までありとあらゆるスポーツに関する研修会を受けてきましたが、全く初めての
 分野でした。あらゆるスポーツが女性にとってタブーでない、スポーツ医学は故障を直すもの
 でなく、故障を起こさない、全身の健康をサポートするもの、女性には特にその視点を徹底化
 すべし、と言うのが結論と感じました。
  講義2は「アクティブ チャイルド プログラム」について、これは前と違い、久喜市では十分
 取り組んできました。遊びながら子どもの体力の向上を図っていく、一連のプログラムをさします。
  今後年少児(幼稚園児)をも、少年団の団員に組み入れていこうとの視点から、今、日体協
 日本本部は熱心にこれへ取り組んでいます。

  最後はテーマ3つに分かれての研究協議、私は「地域活動への取り組み」に参加しました。
 埼玉2、群馬・山梨・静岡・茨城各1の6名、種目も野球・サッカー・バド・スキー・複合と多様で
 した。「地域との関わり」については私以外あまり発言なく、やはり団員の減少、競技団体の
 ジュニア組織との関係、母集団問題等が中心でした。皆同様に問題点を抱えつつ、でも
 子どもの育成に、懸命に頑張っていると言う印象でした。

  一昔前はこうした研修会に出ると、元気をもらって帰宅したものでした。でもここまで来ると
 そういうことはなく、それはそれとして聞いて、自分なりに活動するように成りました。スポ少は
 理念と現実が離れているのが正直なところ、どううまくやるか、両立させるかは、全て個人に
 係る問題なのです。
  正直申して今回更新研修会に出るか、止めるか、少し悩みました。閉会後頂いた2020年
 3月31日までの「認定書」を見ながら思いました。2020年にまたこの講習会を受けるのは
 多分ないだろうな、今回が最後かと。
  「神宮橋」で振り返った薄暗闇の中の青少年センターが、数々のここでの出来事を思い出させ
 妙に感情的になりました。


      ● 2015・ラクビーワールドカップ閉幕に思うこと  11/2(月)

   イギリス(イングランド)で行われていた、ラクビーワールドカップは、王者ニュージーランドの
  2連覇で幕を閉じました。ラクビーの母国で行われたこの大会は、観客数、興行収入共に過去
  最高を記録、また日本が予選リーグ敗退ながら、歴史に残る番狂わせ、と言わせしめた対南
  アフリカ戦に勝利、予選での3勝等大活躍し、フィパーを巻き起こす等、正に歴史に残る大会
  となりました。

   この大会ベスト4は南半球勢のみでした。この傾向は前からのものですが、イギリス4協会、
  フランス等の奮起を望むものです。ベスト4ではアルゼンチンが良いチームでした。自陣から
  ボールをつないでいくラクビーは、これからの方向性を示すものと言えます。
   3位の南アフリカは日本に歴史に残る敗北を喫しましたが、やはり強いチームでした。ただ
  すこしフィズィカルの強さに頼りすぎるきらいがありました。
   準優勝のオーストラリアは、ディフェンスの強さが目立ちました。そのオーストラリアに快勝の
  ニュージーランド、前回大会優勝のメンバーが多く残り、ある意味で史上最強のチームと
  言えます。後半オーストラリアに迫られた時の、SOカーターのドロップゴールにはしびれました。
   フランカー、マコウ等史上最高ともいえる選手のバックス・フオワード一体となった内、外・
  内の連続パスは目を見張るものがありました。とにかくこの大会で、王者ニュージーランドが
  見せた攻撃重視のラクビーは、これからの姿を示していると言えます。

   さて日本です。対南アフリカ戦の録画を繰り返し・繰り返し見、何度も何度も涙しました。見事
  だったの一言に尽きます。最終版ペナルティゴールでの同点・引き分けでなく、あくまでトライに
  よる勝利を狙った選択にはしびれました。リーチマイケル主将の見事なまでのキャプテンシー
  と言えます。世界的名将、エディジョーンズCHの下、4年間の血のにじむ努力は文字通り
  「歴史を変えた」と言えます。対サモア戦、アメリカ戦も見事な戦いでした。スコットランド戦での
  大敗はある意味で仕方ありません。ラクビーと言う競技で、中3日の試合は無理なのです。
  これは日本の過去から来ている大会スケジュール、そうした意味でもこれからの日本は、
  ランキング10位以内を常態としていかねばなりません。

   さてこれからの日本ラクビーです。代表チームの大活躍で一大フィパーを巻き起こし、テレビ
  には連日ラクビー選手が登場、五郎丸だ、**だと騒ぎが続いています。ラクビーを50年見続け
  てきたものとして、この軽薄さは悲しいものです。1980年代史上最大のラクビーブームを
  生んだ伝説の名SО、早稲田の本城和彦の頃を思い出します。華麗なプレー、甘いマスク、
  華奢な身体は、圧倒的な女性支持者を生み、私も良く行った早稲田の東伏見のグランドは
  一目見ようとの女性ファンで一杯でした。1981年の早明戦は、史上最高67、000人の
  ファンで埋まりました。明治のFWとの平均体重差10K、圧倒的不利と言われながら、本城の
  活躍で勝ちました。ひたすら涙を流したあの試合を、今でも鮮明に覚えています。でもただ
  それだけ、その後に続くものはありませんでした。

   私は正直言って4年先の日本でのワールドカップも、これからのラクビーの隆盛も決して
  楽観していません。まず第一にこの競技の宿命、フィズカルの要素が強すぎる点があります。
  代表チームのFWの平均体重は、112Kとも3kとも言われています。1970年代早稲田・
  リコーで活躍した右フランカーに、石塚武雄という人がいました。身長170c、体重75k
  でしたが、頭から足元へ飛び込むタックルで、不動の代表チームのレギュラーでした。
   しかし今、彼がどう猛烈なタックルを繰り返しても、代表候補者にすらなれないでしよう。
  セカンドローでは195c、バックローでも185cという時代なのです。今大会でもロック
  トンプソンや、フランカー、マフイの活躍無ければ勝利は無かったでしょう。4年先の日本
  大会でも2列、3列、CTBは多く外人選手にたよらねばならないと思います。
   以上はこの競技の宿命ですが、それが競技人口の拡大につながらないものとなってしまう
  のです。なんと言っても競技人口が少なすぎます。高校ラクビー部は減り続け、中学校での
  ラクビー部はいくつあるのでしょう。小学生に至っては県内でも一桁のクラブしか存在しない
  でしょう。低迷しているサッカーがジュニアでは最大数を誇っているのと、対照をなしています。
   これは難しいことですが、少しでも協会登録人数を、増やす努力を続けねばなりません。

   次に施設が貧弱過ぎます。ラクビー専用球場は花園・秩父宮・熊谷の3つしかありません。
  その熊谷で今、正月の高校選手権の予選が開かれています。微かに芝ですが、中央部は
  はげて土色です。高校サッカー県予選の埼スタ・駒場が緑のじゅうたんなのと好対照です。
   高校ラガーマンのメッカ、花園は芝がはげ、凍った土が溶け出し、ぬかるみのグラウンド
  で大会が行われています。4年先のW・Cで、いくつかのグラウンドが改修されます。
   緑の芝生で試合をする、当たり前のことをラガーマンに提供すべきです。

   次に組織面の改革です。これはスポーツ界最大の組織、サッカー協会を見習うべきです。
  トップリーグを頂点に△形の組織を作り、トップリーグも、Jリーグのよう3部制みたくし、参加
  チームを増やすべきです。大学もいつまでも対抗戦グループだ、リーグ戦グループだと言う
  時代ではないと考えます。そして一貫指導体制を確立し、少ない競技人口で4年先を含めた
  日本ラクビーの未来を切り開いていかねばなりません。
   
   とにかく4年先のW・Cが大変楽しみです。ぜひベスト8に残ってほしいと思います。そして
  これからの4年間、日本のラクビーが正しい道をひたすら歩み続ける事を期待します。
   応援していきます。

  
           ● 久喜マラソン大会愛称決定   10/29(木)

  29日(木)鷲宮総合支所4F会議室において、「久喜マラソン大会実行委員会第3回総会」が
 開催されました。私は福祉健康常任委員会行政視察の最終日、帰宅したのは6時40分過ぎ、
 急いで駆けつけましたが若干遅刻、議事の前の部会報告は運輸部会幹事に代行していただき
 ました。6つの部会からの報告ですが、それぞれに一生懸命取り組んでいる姿が見られ安心
 しました。各部会共に、未だ未だ詰めねばならぬ部分が残されています。
   ご努力をお願いします。

  さて「議事」ですが、ただ1つ大会の愛称についてです。幸手大会は「さくらマラソン」、加須
 大会は「こいのぼりマラソン」、春日部大会は「大凧マラソン」と、それぞれその町・地域に
 ふさわしい愛称がついています。
  久喜市においても9/1~30日まで愛称を応募していました。 結果
  応募件数126件(市内56、県内19、県外50)、応募者数は総数88人に達しました。
  選考基準は、①覚えやすく親しみのあるもの、②公序良俗に反しないことの2点です。
  担当の「会場管理部門」の選考で、まず一次選考で5点を選びました。
  1・よろこびのまちマラソン、2・いきいき。ふれあいマラソン、3・久喜コカモスマラソン
  3・久喜はるかぜマラソン、5・ちょうちんマラソン、笑顔喜びマラソン大会   
  の5点です。その後ニ次選考において
   よろこびのまちマラソン  が選考されました。
  本日の総会において満場一致で了承され、正式決定されました。
  私は関係者ですから応募しませんでしたが、「よろこびの里 久喜マラソン」を考えていました。
  とにかく愛称も決定され、準備も一歩前進というところです。 

         ● 文科省スポーツ庁発足に思うこと  10/8(木)

   10/1文部科学省の外局として、国のスポーツ振興施策を総合的に推進する「スポーツ庁」
  が発足しました。スポーツにどっぷりつかり、その振興一筋に50年を越え歩んできた者として
  心より歓迎し、実効性ある今後の進展を望むものです。

   戦後の日本のスポーツ振興は、1964=H39年の最初の東京オリンピックに始まります。
  これを記念して制定された「スポーツ振興法」(H36)と、設立された「日本スポーツ少年団
  (H37)が、その後の日本スポーツの振興に果たした役割は、絶大なるものがあります。
   その「スポーツ振興法」の全面時改正として、現オリンピック担当相・遠藤利明氏等を中心に
  議員立法として制定されたのが、「スポーツ基本法」(H23年)でした。
   このスポーツ基本法はその前文で、「スポーツは世界共通の人類の文化」と規定し、スポーツ
  立国の実現を目指し、国家戦略として、スポーツを総合的、計画的に推進する」としています。
   そして附則第2条において、「政府はスポーツに関する施策を総合的に推進するための、
  スポーツ庁の設置、その他必要な施策を講ずるものとする」としました。
   従って今回の「スポーツ庁」の設置は、当然の道筋と言えるのですが、本年度初めにスタート
  予定が、半年ずれ込んだように、7府省にまたがって行われてきたスポーツ行政を、一元的に
  進めて行くのはやはり大変なようです。もし東京オリンピック・パラリンピックの招致が成功して
  いなかったら、もっと遅れたことでしょう。

   初代スポーツ庁長官には、ソウルオリンピック・ゴールドメダリストの鈴木大地氏が就任され
  ました。何回か講演を拝聴したことがあります。大変能弁な方でした。最年少者として水連の
  会長に就任、財政的立て直しを果たした手腕は高く評価されている。ただ文科省以外に健康
  増進は「厚労省」、国際交流は「外務省」、スポーツ産業は「経産省」等々、縦割りで進められ
  てきた訳で、これらをまとめる事が出来るか、委譲されなかった権限や財源を、将来的には
  一元化できるか等、難問が多く、その前途は厳しいと言えます。
   そして嫌だったのは就任早々、「リオデジャネイロオリンピックでは金メダル2桁、2020東京
  オリンピックでは今までで最大」と話されたことです。当面それが主だとしても、スポーツ庁発足
  の目的は「競技力の向上」にあるのではありません。これはスポーツを青少年健全育成、地域
  活性化の手段のそれ、として推進してきた私の願いでもあります。
   すなわち前掲の「スポーツ基本法」の第1章・総則、第2条基本理念が謳う
  1・国民の幸福で豊かな生活を生みだす、「スポーツ権」の確立
  2・青少年の健全育成
  3・地域の活性化
  4・国民の健康体力の維持・増進(医療費の削減)
  5・障害者スポーツの推進
  6・スポーツを通した国際交流
  7・そして競技力の向上       等々として
   すなわち「スポーツを通した社会発展」の実現をめざすものとして、「スポーツ庁」の活動の
  推進、充実を願うものです。
    

  ●久喜マラソン大会実行委員会運輸部会初会議 9/29(火)中央公民館

   29日は9月定例会閉会後、「全員協議会」、「代表者会議」と会議が続き、帰宅が遅くなりま
  した。急いで「中央公民館」へ向かいました。私が責任者を勤める「マラソン大会実行委員会
  運輸部会」の初会議のためです。
   ここで改めて「久喜マラソン大会」の組織体制をお知らせしておきます。大会会長は田中市長
  副会長は教育長、区長会長、商工会長の3名です。
   そして実際に大会を準備し、運営するのが主管団体としての「実行委員会」です。委員長は
  体協副会長の「鈴木信彦」氏、実行委員会は、それぞれの役割を準備する6つの「部会」で
  構成されています。例えば実際のレースを担当するのが「走路部会」、責任団体は「陸上競技
  クラブ」、会場のイベント担当が「催事観光部会」、責任団体は「商工会」です。走路の役員
  配置を担当するのが「走路部会」、責任団体は「区長会」です。
   私たち「スポーツ少年団本部」は「運輸部会」を担当、選手輸送、駐車場等を担当します。
  私はこの運輸部会の部会長、他の5部会長と共に「副実行委員長」を勤めます。

   実は実行委員会が正式に発会して以降、早く「運輸部会」会議を開くよう教委・事務局を
  せっついてきました。ここまで延びたのは、周辺の駐車場に実際おける車の台数の確認
  何よりも駐車=車での会場入りをどこまでにするか、に種々考えがあったためでした。
   総合運動公園の5つの駐車場、(体育館前、テニスコート横、市民グランド東側等)で
  最大598台駐車可能です。ここをマラソン選手用駐車場とし、先着500人に駐車券を
  発行、他の選手はシャトルバス(駅前から無料)で、との案が採用されました。
   他に大会関係者(役員)、2K、3Kに出場する小中生を応援する保護者の車、地元特産品
  を販売する人たち、イベント関係者、考えれば何台車が出るのか、駐車場はどれだけ用意
  するのかと、頭が痛くなります。とにかく総合運動公園以外に日本通運、日本信号、南中
  江1小、市役所第2庁舎等々、16か所、計1、687台の駐車場を現時点で確保しました。

   当然駐車場には限りがありますから、大会当日は久喜駅と会場を結ぶ、シャトルバスを
  運行します。10台程度のパスがピストン往復することに成ります。細部は今後バス会社と
  協議していきます。

   他に関門からの選手輸送の問題があります。ハーフの部で2か所関門を設置します。制限
  時間後に到着するランナーを収容し(市バス最大4台)、大会会場まで送る仕事があります。
   もう一つ、各給水所から本部に資機材補給の要請があった場合、これを輸送します。

   以上が「運輸部会」の仕事となります。例えば16の駐車場全てに「係」を配置します。提案
  された「案」では、計44名となっていました。他にシャトルバスに10名、関門からの選手
  輸送に20名、各地点への物資輸送に4名、計78名です。これはあくまで教委事務局案
  出席した「部会員」から、その数字で間に合うはずがない、との声が多数上がっていました。
  
   スポーツ少年団本部は、他に「走路部会」にも役員を出しています。(私他2名)走路役員も
  出さねばならないかもしれません。
   スポーツ少年団は「ロードレース大会」等、内部事業には保護者=育成会も役員として
  参加します。しかしこの大会に保護者を使うことは、少し無理かな、と考えています。
   加えて小学生の部(2K)に団員が出場する場合、その引率をせねばなりません。かなり
  きつい状況ですが、最大限の協力を惜しまないつもりです。

   今後教委事務局と細部にわたる「詰め」を行い、何回か会議を行っていきます。最後は
  大会当日の役員、全員参加での「打ち合わせ会」もやらねばならないでしょう。
   いぞがしいけれど楽しい準備です。頑張ってやっていきます。


 ● スポ少空手道県大会、バレー市近隣交流大会 9/27(日)県武道館・市体育館

   11年に1回と言う5連休のシルバーウィークが終わりました。私は市内でプロバスケの試合
  観戦、スポ少サッカー市長杯の開会式、閉会式、野球市長杯の閉会式と出、家ではラクビー
  ワールドカップの2試合テレビ観戦とスポーツオンリーで過ごしました。明けた日曜日の今日も
  午前は県立武道館でのスポ少空手道県大会、午後は総合体育館での市スポ少バレーボール
  近隣交流大会と言う日程、まあいつもこんなもんだと思いつつ、ぼやいたり、喜んだりです。









【開会式前のケ練習風景】 【試合開始前の張りつめた雰囲気】【4面のコート一杯に使って】
   第31回「埼玉県スポーツ少年団空手道交流大会」は、上尾水上公園の一角にある県立
  武道館で開催されました。ここには加えて県体協本部のある「総合スポーツセンター」、
  オープンしたての県立「アイスアリーナ」とあり、県スポーツ施設面の中心地の感があります。
   武道系の少年団は上部組織に「全日本**連盟」をいただくため、各々若干の運営面での
  違いがあります。「空手道」は私の県スポ少での盟友である、市野部会長がスポ少の理念に
  沿って運営しており、大会運営もそうした面が良く出ていました。
   小学1年生から中学生まで、型の部、組み手の部に合計900名を越す選手が参加、広い
  会場も一杯でした。試合開始後の写真撮影は禁止との事で、開始前の写真です。
   ところで「空手道」は、5年先の東京オリンピックの追加種目に有力視されています。そんな
  事も希望の一つに空手道を通して、心と体を鍛えてください、主催者としてこう挨拶しました。

   午後は久喜総合体育館の「バレーボール交流大会」に出ました。久喜市スポ少バレー
  ボール部会の主管で、近隣のチームを招待し、「地域交流大会」としてのこの大会も、いつの
  間にか17回を数えるに至っています。今年も市内7バレーボール少年団に、加須市、白岡市
  杉戸町、宮代町、春日部市、蓮田市から、11のチームを招待、18チーム参加で行われました。
  (昨日雨のため中止となった運動会が今日に延期され、参加できなくなったチームが複数あり、
  運営が大変だったそうです。)
   久喜市はかって久喜高校が全国高校女子バレーボールの3大名門校だったり、久喜中が
  旧幸手市教育長・千葉先生の指導で全国大会で優勝したりと、ママさんバレー、少年団等
  バレーボールが盛んな町です、私はそんな話をしながらこの大会に参加いただいた団員諸君
  指導者の皆様に感謝の言葉を申し述べました。


       ● ラグビーワールドカップ開会に思うこと  9/21(月)

   
第8回となるラクビーワールドカップ大会が、発祥の地・イングランドで開幕しました。最終日
  の10月末まで、興奮と感動の日々を送ることに成ります。大変楽しみです。
   私は子どもの頃から、あらゆるスポーツを見ることが大好きでした。子どもの頃は、大相撲・
  プロ野球のラジオ中継に夢中、テレビでスポーツ放映が始まると番組の殆どを見ました。
  その中でもサッカー・ラクビーは、やはり抜群に面白く、夢中で見ていました。
   だから日本ラクビー史上最高のウイングと言われる明治―八幡製鉄の「宮井国夫」選手や、
  空飛ぶウイングと世界から称された、同志社―近鉄の「坂田好弘」選手の快走を覚えています。
   早稲田に進んでから良く「秩父宮」に足を運びました。森や釜本・二村等を擁し、黄金期の
  サッカーに比べ、ラクビーは弱く、いつも明治に負けていました。北島監督の下、縦の明治
  FWの明治に粉砕されていたのです。
   しかし日本ラクビー界最高の名指導者と言われる「大西鉄之祐」、その後の「日比野弘」、近く
  では「清宮克幸」といった指導陣の下、早稲田も強くなり、「秩父宮」のみならず、「国立」さえ
  満員にした早明戦は、その後ラクビーブームを呼ぶに至りました。明治の松尾・砂村・吉田等は
  北島監督の「前へ」のラクビーを、藤本・本城・藤原・植山・宿沢といった歴代の早稲田は、
  大西先生の「展開―接近―連続」のラクビーをと、共にその特徴を活かし、その熱戦は今回の
  南アフリカ戦に負けぬものでした。
   県体協1Fのトイレの壁に、「前へ」と張り紙があった時は、大爆笑したものでしたが、見慣れる
  につけ、当時の熱戦を懐かしく思い出すに至っています。
   その後リーグ戦グループの「関東学院大学」が、名伯楽「春口廣」氏の下、猛烈に強くなり、
  大学選手権で覇権を競ったのも懐かしい思い出です。明治や関東学院に大学選手権で勝ち
  「荒ぶる」を「ラララ早稲田」と、グラウンドの選手と共に歌い、涙したのは私の若き良き思い
  出です。


  
 どうも一度もプレーはしていませんが、応援者として長かったため前書きが過ぎました。
  さて今回のワールドカップです。大変な楽しみです。
   なにせ日本は過去7回の大会において、1勝しか挙げていません。若くして黄泉の旅にたった
  伝説の名スクラムハーフ、宿沢広朗監督の時、第2回大会対ジンパブエ戦でした。その後引分
  2があるのみ、3回大会では2軍が相手のニュージーランドに、145点も取られる屈辱的大敗
  を喫しています。それと言うのもラクビーは、フィズカルの占める要素が強すぎるのです。
   「展開・接近・連続」のラクビーも、1人体重10K、身長10cの差があっては勝てないのです。
  高校ラクビー選手権で、いつもシード第1と第2のチームが決勝を争うのもこれ、全ての競技
  種目の中で一番番狂わせの無い種目なのです。
   それでも今大会期待するのは、過去の代表チームの中で史上最強であること、他ナショナル
  チームの3倍と言う猛練習の中で、体幹を徹底的に強化したこと、あらゆる科学的トレーニング
  に加え、精神面の強さにあります。
   サッカーは人もボールも動く・ポゼッションサッカーを目標としています。しかしラクビーでは
  ボールを動かすこと(蹴る)はせず、人は動き、ボールは保持し続けることを目標としてきました。
  体格面の不利を補うためです。それが対南アフリカ戦では100%生きていました。
    最後の10分間、ただテレビを見つめ、われを忘れました。頑張りぬいた選手諸君、エディ
  ジョーンズヘッドコーチの的確適切な指示、そしてPKを選ばず、勝つことのみを追求した
  リーチマイケルの見事なキャプテンシイ、全てに敬意を表します。
 
   楽しみが倍加しています。地元の利があるスコットランド、フイズィカルに優れ突破力のある
  サモア、ランキングこそ日本より下ですが侮れないアメリカ、とにかく死力を尽くし、悲願とする
  ベスト8への進出を切望します。それが2019・第9回大会の日本開催の大きな力となること
  でしょう。
   ベスト8は?、プールAはオーストラリア・イングランド、プールCはニュージーランドにトンガ
  またはアルゼンチン、プールDはフランスにアイルランドまたはイタリアと言うところでしようか。
  そしてプールBは南ア、スコットランド、サモア、そして日本の4すくみ、もし日本が悲願達成と
  なればなんと素晴らしいことでしよう。
    とにかく興奮と感動の一月間を過ごすことに成ります。何とも楽しみです。

  
      ● D ・クラマー氏の訃報に接して思うこと  9/20日(日)

  
 「デッドマール・クラマー」さんは、去る17日、90歳にて母国ドイツの地にて去されました。
  心よりのご冥副をお祈りいたします。
   日本のサッカーは今、日本にリーグ戦形式導入の魁となったJリーグの定着、男子チームは
  W・Cと、オリンピックに5大会連続出場、女子チームはW・C優勝・準優勝と、それなりに隆盛
  を誇っています。少年スポーツの世界では、とうに野球を抜いて、最大の競技人口を有するに
  いたっています。この現状は全て「日本サッカーの父」=クラマーさんのお陰と言えるのです。

   ご承知のように昭和39=1964年に東京オリンピックがありました。ホストカントリーとして
  予選なしに出場する日本チームは、世界サッカー界において最低レベルにありました。強化
  のため、日本サッカー協会が招へい、初めて日本の地を踏んだのが1960年でした。
   以来日本サッカーの強化に卓越した指導力を発揮されました。東京オリンピックでの世界
  最高水準にある「アルゼンチン」への勝利、メキシコオリンピックでの銅メダル獲得等、それは
  見事に実を結んでいます。
   私は故長沼健氏、岡野俊一郎氏から、スポーツ少年団の役員会、全国体指研修会で、この
  間のクラマー氏の指導ぶりについて、お話しをお聞きしたことがあります。代表チームの合宿は
  千葉県の検見川グランド、ホテルを拒否し、選手と一緒に粗末な合宿先を選んだそうです。
   朝食に出た味噌汁を『まずい』と言い、納豆を『古い』と評したとの事、『納豆は古いもの、新し
  ければ大豆だよ』と笑っておられました。
   その指導ぶりは徹底した基礎中心、科学的だったとか、同時に「大和魂」をいつも口にして
  おられたとの事でした。東京オリンピックを終え、日本を去るに当たっての置き土産が、指導陣の
  若手化と、リーグ戦導入でした。30代前半の長沼氏、岡野氏、川渕氏等がトップに立ちました。
  お三方ともその後、日本サッカー協会の会長を勤められましたが、長沼氏は日本スポ少本部長
  岡野氏はJOC総主事等も勤められ、日本スポーツの振興に多大な貢献をされています。
   下段でも記した最若手の川渕氏の活動は、皆様良く知っている通りです。
   もう1つがリーグ戦導入、1964年に日本リーグが発足、そして現在のJリーグへとつながり
  ました。今、その後多くの協議種目が日本リーグを導入しています。日本のスポーツ界への
  功績は計り知れないものがあります。
   なんども記してきたように、サッカーはズブの素人だった私が、サッカーに関わったのは
  1963年、大学2年の時です。だからクラマーさんの指導、影響が深まると共に歩んできた事
  に成ります。一コーチの存在・活動がこれほどその競技種目を越え、スポーツ界全体に影響
  を与えた例を私は知りません。
   クラマーさん、どうぞ安らかにお眠りください。ありがとうございました。   
   
  ● プロバスケ・BJリーグの試合を観ました。9/19(土) 久喜市総合体育館

 
 19日「久喜市総合体育館」
 
で、プロバスケットボールBJ 
 リーグ「埼玉ブロンコス」と、
 「群馬クレインサンダーズ」との
 試合が行われ、観戦しました。
  この企画は「久喜市総合運動  公園の」指定管理者である
 「毎日・シミズ共同事業体」が
 主催、久喜市で初めてのプロ
 バスケの試合でした。
 【BJリーグとブロンコスの旗】   【ブロンコスのチアガール】
 
 プロの試合ですから、当然
 有料です。(2100円―1900円)
  私は主催者よりご招待を
 いただきました。迫力ある生の
 試合を特等席で見させて頂き
 ました。感謝申し上げます。
  正直いってプロバスケの試合
 を観るのは初めてでした。試合
 前から数々のパフォーマンスが
 演じられ、1分しかないプレー
 【選手を激励する田中市長】    【フロンコスのアップ風景】
 中断時にも、必ずチア
 ガールが登場、ハーフタイム
 シヨーもあり、派手なもの
 でした。両チームともに2m
 越えの選手が4~5人おり
 迫力満点でした。
  野球で言う始球式、バスケで
 何と呼ぶのか解りません。とに
 かく急に私が、と成りました。
 2mを越すプレーヤーの間に
【2mを越す選手が3~4人いました】  【なんと私が始球式】     たって、ボールを頭上に投げ
 なんとか役割を終えることができました。試合中の撮影は禁止とあって、写真は全て試合前の
 ものばかりです。お許しください。

  試合は終始「サンダース」のペースで進められました。3ポイントシュートの正確さ、ゴール下の
 デイフエンス力にかなりの差があり、91―66で、地元チーム「ブロンコス」が敗れています。
  ご承知のように日本のバスケ界はこのBJリーグと、伝統的な企業チームを中心とするNBLに
 別れ、国際バスケ連盟(FIBA)から、制裁付きの解消を求められていました。川渕三郎さんの
 ご努力で、やっと統一リーグが出来ることに成ります。両リーグのチームが、来年秋に45チーム
 参加予定の新リーグを発足させます。3部制ですが、「ブロンコス」は3部、「サンダース」は2部
 入りが予定されています。
  今日の観客数はどれくらいでしょうか。まあ500人、最大でも7~800人という所でしょう。
 1部は5、000人、2部は3、000人の入場者数を想定しているとの事、統一リーグの前途は
 厳しいものと思われます。
  とにかく初めてプロのバスケの試合を、楽しむことができました。ありがとうございました。 

 
 
  ● 旧久喜スポ少、第12回日独同時交流30周年の集い  8/27(金)

  現「久喜市スポーツ少年団本部」は、新市誕生の年、旧1市3町本部の解散→合体で発足
 しています。従って旧久喜市スポーツ少年団は現存していません。この旧久喜市スポーツ
 少年団ですが、昭和51年・1976に発足、仮に継続していれば今年が40周年となります。
  私がこの旧久喜市スポーツ少年団に、多くの時間、情熱、労力を傾けてきた事は、もう
 何度も、々も報告しています。

  この旧久喜市スポーツ少年団本部は、昭和60年・1985に「創立10周年記念事業」を実施
 しました。そしてその目玉として、日本スポーツ少年団の最大事業、第12回日独同時交流受入
 を行ったのです。この「受入」に当たり、私は前年S59年に第11回日独同時交流派遣指導者
 として、ドイツを訪ね、民泊を含め23日間の国際スポーツ交流を体験しました。
  帰国後私を委員長とする「第12回日独同時交流受入実行委員会」を組織、1年余に及ぶ準備
 活動を経て、今でも日本・県本部で語り草となっている感動的な、ドイツスポーツユーゲント
 20名の派遣団との、交流を実現しました。そのための実行委のメンバーの真摯な態度、献身的
 なご努力、今も忘れることはできません。

  それから10年、H7年秋私たちは「日独同時交流10周年」としてドイツを訪ねました。実行委
 民泊受入家庭にお呼びかけをし、総勢15名でした。このグループを第12回日独同時交流に
 なぞって「12の会」としました。久喜の地を訪れた人たちと、フランクフルト市マイン河河畔に
 たたずむスポーツクラブハウスで、10年ぶりに再開、感動そのもものパーテイを楽しみました。
  
  そして20年、すなわち日独同時交流から30年に当たり、27日「30周年の集い」を市内で
 持ちました。年中お会いしている人もいれば、10年ぶりかな、という人もいました。ある意味
 皆歳をとったな、が実感でした。あの時40歳だった人は、私を含め皆70代なのです。
  ゴルフ三昧という方もいます。かみさんの介護一筋という方もおられます。大病を患ってネ、
 という方もおられました。ふた月ほど前に逝去されたY氏も実行委の一員でした。やはり30年と
 いう歳月は長いものだと痛感しました。一同ドイツのワインをかたむけつつ、思い出話に時を
 過ごしました。

  ドイツに派遣された59年、準備と受け入の60年、この2年間は体協理事長として、総合体育
 施設建設促進運動に取り組んだ、その前の2年間と共に、私の最も充実した感動の日々として
 あります。そしてその活動の中で、共に汗を流し、土にまみれ、今なお行動を共にする多くの
 得難い友人に巡り合いました。
  その友人たちと、あの時の感動を忘れることなく、これからも地域活動に頑張っていきたい
 と思うものです。

   ●平成27年度・県スポ少ソフトテニス交流大会 8/23(日) 熊谷運動公園










  【28団、400名が参加しての開会式】  【6×3面もコートを使っての熱戦】
 
 現在埼玉県スポーツ少年団は、第4回という一番新しい「体操」を含め、13の種目別県大会
 を実施しています。大手ではサッカー、野球、ミニバス、武道系では剣道、柔道、空手道、単一
 種目を越えて複合、駅伝もあります。県副本部長とし、本部長を代行、多くの県大会に参加
 してきました。それぞれに若干の違いはありますが、皆素晴らしい開(閉)会式と感動的な試合
 (プレー)がありました。
  本日熊谷市の総合運動公園(さくら)テニスコードで、開催されたソフトテニス小学生交流大会
 に参加しました。ソフトテニスの県大会へは初めてです。平成26年度の登録では県内32団
 1、183名団員、320名の指導者が登録されています。決して大きくはありませんが、1団平均
 40名弱の団員を擁しています。団員減少傾向から、1団20名前後が多い状況から言えば
 各団活発な活動をしている事が伺えます。
  大会会場は熊谷市のさくら運動公園テニスコートでした。今まで文化スポーツ公園のドーム
 テニスコートで行ってきたそうです。雪で屋根が破損して以来、未だ再開されていません。
 (来年春、運用再開予定)日本一暑い町、と言われる熊谷での、この時期の大会は大変だと
 思います。しかしここのテニスコートは大変立派、1連6面のテニスコートが3連、計18面の
 テニスコートを擁しています。2連がオムニ、1連がクレイコートです。その18面全てを使っての
 大会、県内から28団、約450名もの団員諸君が参加しました。久喜市内からも2団、「桜田」
 「栗橋」ソフトテニス少年団が参加していました。
  試合形式は男女別4年生、5年生以上の4部門です。

  富岡熊谷市長も来賓としてお見えになった開会式で、私は「日頃練習で培った成果を十分
 発揮され、素晴らしい試合をされると共に、県内各地の仲間と交流、思い出に残る楽しい大会と
 してください」と挨拶しました。
  その後1時間ほど大会を観戦しました。例の「ポーン、ポーン」というソフトテニス独特の音と
 応援する、仲間・保護者の声が会場にこだましていました。どの種目にも、どこの会場にも
 少年団活動のそれぞれの良さがある、改めてそんな思いを感じつつ会場を後にしました。


   ●第31回・全国小学生陸上競技交流大会 8/22(土) 横浜日産スタジアム
       
 次男の長女(小6女子)の応援・観戦をしました
                

 
 スポーツの世界で生きてきた人間
 として、この大会、知ってはいました
 が、名前だけというのが正直な所
 でした。今日日産スタジアムで、この
 大会を1日観戦したのは、只一つ
 気仙沼市に住む次男の長女(小6
 女子)が出場したからであり、要する
 に孫の応援のため、ということなの
 です。

 
【さすが日産スタジアムは 【フィールド中央ではソフトポール
  でっかかったです】     投げ、1位ナント80m超え】

 
 私の次男の事については、「市政ニ
 ユース」のページや、「まなびすと」の
 ページで、何度か記してきました。
  気仙沼市に住み、宮城県の高校
 教員を勤めています。3人の子どもが
 いるのですが、これが皆陸上競技の
 花形選手だったという、嫁に似てくれ
 すこぶる付きで足が速いのです。
 小6の長女は「気仙沼市ジユニア陸上
 【同時進行でハイジャンプ】 【100m走男子は11秒台でした】 競技クラブ」に所属しています。
 先の宮城県大会で400mリレーに優勝、なんと夢の全国大会出場となったのです。










 【100×4リレー、第6コース、第3走者 バトンの受け取り、奇跡の予選突破】
 
 ここでこの大会をお知らせします。主催は「日本陸上競技連盟」、後援が文科省、横浜市、
 読売新聞社と並んで、「日本スポーツ少年団」ですが、これは単なる名義貸しのようです。
  協賛が「日清食品」、大分資金を提供しているようで、この大会には≪日清食品カップ≫
 とのタイトルがついています。
  競技種目はいずれも男女別に100m、80mハードル、走り幅跳び、走り高跳び、ソフトボール
 投げと400mリレーの6種目、100mのみ5・6年の部があります。
  久喜市でも3年前から、小学生陸上大会を持っていますが、この大会種目の意味がわかりま
 した。この大会と同じなのです。
  選手は1種目しか出場できません。全員県予選大会を経てのものです。会場の日産スタジアム
 は、2002日韓ワールドカップの決勝戦が行われた所、現時点では日本最大の観客収容数が
 あります。1県選手+指導者で30名と決まっていますが、なにせ子どもの大会です。家族その
 他の応援者が多く、観客は7~8、000人いました。
  フィールド中央、コーナー、トラックと、同時に3種目進行しました。ソフトボール投げで82・
 40m、100m男子6年で11・93秒という素晴らしい投げ、走りも見ることができました。

  さて孫の女子400mリレーです。県大会での記録は出場チーム中ラスト7位、予選の組では
 最下位というものでした。(55秒台中)、当然全国大会では「走ることに意義がある」というやつ
 でしたが、予選(54秒台中)、準決勝戦(54秒台前半)共に、1秒以上縮めると言う大健闘で
 した。予選では、3位までと、記録上位6チームが準決勝に進めるのですが、5位でしたので
 あきらめていました。結果記録5位で準決勝に進めたわけで、電光掲示板に名前が出た時
 思わず飛び上がってしまいました。準決勝でも8チーム中5位、感動しました。孫は第3走者
 でしたが、バトンの受け渡しもまずまずで良い走りでした。とにかく良い経験と思い出になった
 事でしょう。来年は中学生になりますね。部活に「陸上」は無いと聞いていますが、何をするに
 せよ、この大会を誇りに頑張ってほしいと思います。
  埼玉県は女子「川越シラコバト」、男子「春日部陸友会」が出場していました。共に強いチームで
 予選は両者1位、準決勝は1―2位で決勝に残っていました。
  
  猛暑の残りの中での楽しい応援・観戦の1日でした。

   ● 本年度「綱引大会」準備を早くも始めました 8/21(金) 中央公民館

  私が「綱引」に長く・深くかかわってきた事は、何度も報告してきました。30回を越える歴史を
 持つ、毎年12月の第1日曜日開催の「久喜市綱引大会」は、それぞれに忘れられない思い出と
 して私の宝物となっています。
  さて平成27年度の「久喜市綱引大会」は、今年も12月6日(日)第一体育館で開催されます。
 「久喜市教育委員会」と、「久喜市綱引連盟」は、本日中央公民館で、今年度最初の準備会を
 開催、早くも成功を期し、準備活動を開始しました。

  ◎ 主催は「久喜市」と「久喜市教育委員会」です。
   「綱引連盟」と、「スポーツ推進委員協議会」と、「レクリエーション協会」の3者が協力します。
   会場は久喜市総合体育館第一体育館アリーナです。
   受付け開始8:30、開会式9:30、競技開始予定10:00です。
   種別は小学生が低学年、中学年、高学年各男女の6部門、一般男女混合の7部門です。
   競技は8名で行います。交代要員2名以内、監督・マネージャー各1名の12人以内です。
   小学生男子チームには女子の参加も可です。一般は男女各4名です。
  ◎ 参加資格は市内在住・在学・在勤する者です。
   参加費は選手のみ、1人100円です。
   申し込み10/30(金)までに参加申込書必着、(小学校には送付、広報くき10月号掲載)
   申し込み先  市役所、3総合支所教育委員会部署
   問合せ先  0480―85―1111  内線367      
  ● アリーナフロアーは必ずシユーズを履いて下さい。(監督・マネージャー)

  昨年は7部門に107チーム、980人の参加をいただきました。今大会は最低1、000人突破を
 目指します。そうした意味でも綱引そのものに経験の浅い学校、団体等ありましたらご連絡下さい。
 綱引連盟役員が指導にお伺いします。(上記電話番号、私でも可)
  また今年も私は、秋が深まるころ、久喜小へ子どもたちの指導に、足げく通うことになります。
 大変ですが楽しみでもあります。何故なら綱引は誰のお陰で勝ったのでも、誰のせいで負けた
 のでもない、全員が一本の綱に「思いと力」を合わせてこそ成り立つ、究極のコミュニティスポーツ
 だからなのです。


   ● 県スポ少中学生軟式野球交流大会開会式 7/6(日)加須市運動公園


  1昨日は5年後=2020
 2回目の東京オリン
 ピック・そしてパラリン
 ピックの開会に当たり
 ました。エンブレムの
 発表、その他種々の
 成功を祈念する行事
 が持たれています。
 
  【県下からの出場20チーム】      【地元・加須市長の祝辞】
   わがスポ少は1964年の東京オリンピックを記念し、青少年のための永遠の事業たれ、との
 願いを込め設立されました。設立に当たり先進国・ドイツのそれに学びました。主に10代、中・
 高校生を中心に組織しようと考えたのです。しかし学校教育の影響の強い日本においては
 その世代は中体連・高体連、いわゆる部活動に所属しています。そこで我が国の少年団は
 小学生を対象としたものとして成長してきました。今、少学生団員は95%を越えています。
  
   しかし少年団は生涯を通して関われる組織であり、活動です。生涯生き続ける地域にあって
 生涯を通してスポーツに慣れ・親しむ、これが本来の在り方と言えます。確かに少年団には
 この世代に「リーダー」と呼ばれる組織があります。しかし種目の活動がないと、中々大きく
 組織出来ない現実があります。こうしたことを先取りし、今大会で38回を数える「中学生軟式
 野球交流大会」を、組織されてきた県野球部会関係者の皆様に深く敬意を表するものです。
  部活との関係、硬球を使う先輩格のリトルリーグの存在、ここまで来るにはいろいろな苦労も
 あったものと推察します。
  久喜市にも数年前から「チョコレートクラッシュ」という団が活動しています。今は議員仲間で
 ある「貴志」君が指導に関わっています。この日も元気に開会式に臨んでいました。

  この日は今夏最高の暑い日でした。県下から20のチームが参加、元気な入場行進を見せて
 くれました。私は大会主催者として挨拶しましたが、加須大橋市長も来賓として出席され、
 ご挨拶をいただきました。
  大会は今日、来週土・日と3日間、ここ加須市運動公園野球場をメインに行われます。どうか
 元気にフレーし、また交流してください。
  そしてこれから県スポ少が、中・高生を組織していく、そんな活動の手本を見せて下さい。 
  

  ●第34回・少年野球国際交流久喜大会・レセプション7/19(日)鷲宮運動公園










 【開会式・オーストラリアチーム団長挨拶】【両国国旗と大会旗】【オーストラリア:女子選抜】
  前日の提灯祭りの関係で身体中が痛みを覚える中、鷲宮運動公園へと向かいました。
 数えて第34回となる「少年軟式野球国際交流久喜大会」開会式出席のためです。本来なら
 18―19開催予定でしたが、台風11号の関係で、1日順延されました。
  所で毎年7月下旬に東京都江戸川で、IBA(少年軟式野球国際交流協会)の主催で
 「少年軟式野球世界大会」が開催されます。これに参加した鷲宮のチームと、オーストラリア
 のチームとが、ホームスティにより交流を初めて、21年となります。これほど長く続いている
 陰には、関係皆様の大変なお骨折りがあればこそと、深い敬意を表する次第です。
  この大会は世界大会を前に、オーストラリアメンボルン選抜チームと、久喜市内からの
 7つの選抜チーム(ウチ1チームは女子選抜)による小手調べの大会です。スポ少本部が
 主催ですので、私が僭越ながら大会長となっています。オーストラリアと日本の国旗、
 IBAの旗のもと開会式、通訳付きの挨拶をさせていただきました。
  オーストラリアチーム諸君は、世界大会を含めほぼ2週間の滞在となります。真冬の
 オーストラリアから、猛暑の日本、体調に留意され、良い思い出をつくってください。
  民泊家庭の皆様、ご苦労様です。よろしくお願いします。










 【1日目対戦後の鷲宮コミュニティ広場での歓迎レセプション―、皆仲良く交流していました。】
  大会1日目ですが、この日の試合終了後、鷲宮運動公園に近接するコミュニティ広場おいて
 歓迎レセプションが開催されました。オーストラリアチームは1回戦「久喜女子選抜」には、勝ち
 ましたが、2回戦で敗れ、明日は2位パーツ戦に臨むそうです。
  ステージもある芝のコミュニティ広場は、この種のイベントには良い施設です。正面にオース
 トラリアチームの選手・役員・家族が座り始まりです。『僕は**(名前)です。僕は**歳です。
 僕は**と**(ポジション)です。』とたどたどしい日本語で挨拶、拍手を浴びていました。
   田中市長から全員に記念のTシャツをプレゼン、柿沼教育長の音頭で『乾杯』、会が
 始まりました。大多数の子どもたちは未だ、たった1日だけの交流ですが、すっかり打ち
 解けあっていました。 
  この後子どもたちは、江戸川での4日間の世界大会、東京ドームでのプロ野球観戦、はては
 東京ディズニーランドや、日光観光とびっしりのスケジュールが待っています。
  どうぞ良い思い出をつくられ、再び久喜の地にお越しください。お待ちしています。

           ● 「久喜マラソン大会」骨子決定   
  
  12日の祭りを終え、私は会派視察で北陸へ3日間行っていました。(市政ニュースのページ
 7/17・18日付参照)  この留守中でしたので、欠席しましたが、仮称・久喜マラソン大会の
 第2回実行委員会が開催され、大会の骨子が決定されました。

  まず大会役員ですが、会長に田中市長、副会長に教育長・商工会会長・区長会会長が就任
 されました。続いて大会実行委員会です。実行委員長に体育協会の鈴木氏、副委員長に
 6つの専門部から7人が委嘱され、委嘱書が渡されました。総務―商工会、催事―JC 、会場
 ―スポ推、走路―区長会(2人)、そして運輸―スポ少の私です。これから各専門部会ごとに
 会議を持ち、具体的準備活動を進めて行くこととなります。

  次に①大会名ですが「久喜マラソン大会」です。本来は幸手桜マラソン、加須こいのぼりマラソン
 春日部大凧マラソン、といった大会名称が望まれますが、大会の愛称をこれから募集します。
 ② 開催日  平成28年3月13日(日)雨天決行
 ③ 会 場  久喜市総合運動公園スタート・ゴール
 ④ 主 催  久喜市、久喜市教育委員会、久喜市体育協会
 ⑤ 主 管  久喜マラソン大会実行委員会
 ⑥ 参加費  上限を3、500円
 ⑦ 種目・定員  ハーフの部3、000人 3kmの部・2kmの部共に1、000人

  参加費については一般の部はともかく、大会によってマチマチの中学生・小学生の部の参加費
 が提示されていません。今後協議、決定される事になります。

   コースについて  ハーフの部は何度も何度も考え、警察とやり取りしてきました。基本的に
 運動公園スタート、市役所通り、駅前ロータリー、愛宕通り、コスモスロードと走り、さいたま
 栗橋線、川越栗橋線を高架下で通り、鷲宮神社で折り返すものです。
  さいたま栗橋~鷲宮神社間が対面コースとなり、ここがこのコースの難点と言えます。
  復路はさいたま栗橋線を越え、JR 宇都宮線を地下道で抜け、弦代公園東側から、東北新幹線
 高架沿いに久喜へもどり、久喜市東1丁目地内を東進、春日部久喜線から立体交差を越え、
 再び市役所通りから、運動公園ゴールのコースです。

  ゲストランナー  川内優輝さん

  今後のスケジュール  9月より大会周知
               11月より参加者・ボランティア募集
   
  今月末から各専門部会の会議を始め、細部まで煮詰める事に成ります。頑張ります。

     ● サッカー女子ワールドカップカナダ大会に思うこと 7/7(火)

   サッカー女子ワールドカップカナダ大会は、6日朝決勝戦が行われ、日本チームはアメリカに
  2―5と大敗、前回大会(2011ドイツ)に続くV2成らず閉幕しました。
   カナダ大会は時差の関係なのでしょう、多く生で観戦でき、この間多くの試合を堪能する事が
  出来、幸せでした。この日もテレビ観戦しましたが、勝利への願いは立ち上がりの5分で消し
  飛んでしまいました。あの立ち上がりの10数分間は何だったのか、といまさらながら思いますが
  全ては実力差と言うことなのでしよう。

   スポーツ種目にはまずレスリング・ボクシングといった身体で別けられる種目があります。
  ついでバドミントン・バレーボール・テニスといったセンターで別けられるものがあります。同じ
  コート・ピッチを敵味方入り乱れて、(身体をぶつけ合いながら)プレーする種目があります。
   サッカー・ラクビー・バスケ等であり、こうしたものが今(過去も)最も人気のあるスポーツ
  種目と言えます。こうした種目では身体(フィズカル)が決定的な意味を持つのです。
    最近富みに人気のあるテニスの錦織選手が、最後で勝てないのはやはりこれです。
  ネットで別けられている種目でさえ、20センチの身長差はいかんともしがたいのです。

   バスケの世界での実力はご承知の通りです。男子サッカーの世界ランキングは50位、
  「世界を驚かす」と豪語した前回(ブラジル)大会で、予選リーグ戦での敗退は、記憶に新しい
  ものがあります。ロシア大会にもあまり大きな期待は持っていません。
   少し違っているものに「ラクビー」があります。「エディ・ジョーンズ」という世界屈指の名泊楽
  の下、最近の充実ぶりは目覚ましいものがあります。世界ランキングもナント10位にまで
  上りました。4年先に日本大会がありますが、今年のイングランド大会を大変楽しみにして
  います。願わくばやはり駄目だったか、となりませんように!。

   そうした中、前回大会―ロンドンオリンピック―今回大会で、金―銀―銀メダルに輝いた
  女子サッカーチームの活躍は絶賛に値します。卓越したテクニック、連動したプレー、強い
  精神力とチームとしてのまとまり、そうしたものを武器に、世界の女子サッカーに新しい
  歴史を作りました。しかしそうした日本のサッカーは先進国に研究し尽くされ、また新興国の
  躍進も目覚ましいものがあります。
   今大会は大変組み合わせに恵まれました。正直言ってドイツ・フランスにも勝てなかったと
  思います。加えて予選リーグのエクアドル戦、決勝トーナメントのオーストラリア・イングランド
  戦を思うと、日本女子サッカーチームのこれからは大変厳しいものがあります。 
   何よりもチームの若手化を図らねばなりません。今大会もある程度の戦力ダウンを覚悟で
  もう数人は若手を帯同すべきでした。
   来年はブラジルオリンピックがあります。目前の成績よりも、将来を見据えた育成を願う
  ものです。不屈の精神力をもつ選手諸君と、ここまで導いた卓越した指導力の持ち主、
  佐々木監督に大いに期待するものです。


  ● 久喜市スポーツ少年団母集団講習会 6/14(日) 西コミセンおおるり

 
 久喜市スポーツ少年団の「母集団講習会」が、14日、
 鷲宮西コミセンにて開催されました。そのネーミングから
 若干の誤解を与えています。少年団用語である「母集団」
 とは、団員の母親たちの集団という意味ではありません。
  「母なる愛情をもって少年団を育む人たち」という事です。
 そこには強制・義務付けは無いのです。実際は指導者と
 一体となり、団員達の活動環境が向上する活動に当たって
 います。その母集団の資質の向上を図る研修です。


  Ⅰ部は栄養士・斎藤女史による講演、「スポーツと栄養」、
 Ⅱ部は久喜市レクリエーション協会理事長・朝武氏による

  
 【研修会・講義の風景】「レクリエーションの実技指導」の2本立てです。 

 
 斎藤女史はまず子どもの発育発達
 から話しを始め、発育発達を促す
 食事(栄養)・睡眠・運動の大切さに
 ふれました。バランスの良い食事を
 とることの大切さを話されました。特に
 持久力系・瞬発力系・球技系スポーツ  にそれぞれ必要な栄養、食事の内容
 から、試合前日・当日の朝食、試合の合間の栄養・食事の取り方等にまでふれられ、大変参考に

 【じゃんけんゲーム、レクダンス他、レクの実技研修】 
成りました。具体的で、大変わかりやすく 
 
お母さん方にも大好評でした。

 
 いつも思うのですが朝武氏の実技
 指導は天才的なものがあります。
  100人を越すお母さん方の集中力
 を高めつつ、じゃんけんゲーム、拍手
 反応ゲーム、組み合わせバズル
 ゲーム、銀行ゲームと、次から次と
 繰り出し、全員を夢中にさせていまし

 
 【研修参加者全員に笑顔があふれていました】   た。最後はレクダンス、3人、4人、5人と
 
ダンスの輪を大きくしていき、最後は全員で1つの輪で踊り、閉会式へと導入した時は、思わず
 唸ってしまいました。ぜひ夏の野外レクで、今日の講習内容を活かしてほしいと思います。

  少年団は今厳しい環境下にあります。しかし地域の子ども達の健やかな育成を、地域で保証
 して行くというこの事業を何としても守り育てていきたいと考えます。大勢の地域の方々、もちろん
 団員保護者の皆様の参加と協力をお願いします。



  ● 平成27年度・県スポ少本部代議員会 6/13(土) 県スポーツ総合センター

   13日、「県体協」が置かれる、上尾市の「県立スポーツ
 総合センター」において、埼玉県スポーツ少年団平成27年度
 代議員会(総会)が開催されました。挨拶に立った岩崎県体協
 事務局長が、いつもウチ(県体協)の会長があいさつで述べる
 事ですが、と前置きして、① 5年後の東京オリンピック・
 パラリンピックで、4種目が埼玉県で行われる、② 4年後に
 ラクビーワールドカップが、熊谷市も会場に行われる、③
 国体において我が県は開催県、東京都に次いでベスト3、④
 県のスポ少は、日本一の組織、を話されました。
  総会は本部長を議長として進行、26年度事業・決算報告
 27年度事業計画・予算案、団員増加策に関するプロジェクトの5議案が提案され、全議案が
 可決されました。
  事業計画では種目別大会ほか、前年度と代わりありません。
  予算は総額約7、091万円、前年比マイナス1、519万円となっています。これは今年度は
 全国大会の開催がなく、その分国からの補助金が減少したためです。ただし登録費は、やはり
 団員数の減少を考慮し、前年比250万円のマイナスを見込んでいます。

  最後に私も1員として参加した、プロジェクトによる「団員増加策に関する提案」、これには
 熱心な協議がなされました。まとめたものは至極当然な内容、どこの本部、どこの団でも、すでに
 取り組んでいるよ、との声が結構あります。大切なことは皆がこのことに意識を集中することと
 考えます。 
  いずれにせよ厳しい状況の中、本年も県本部は、子ども達の笑顔を守り、育む活動にまい進
 してまいります。
  なお久喜市では先週日曜日に終了した少年団登録です。来年度からweb登録に移行します。
 紙ベースはもうありません。詳細は後日お知らせします。

  ●平成27年度・久喜市スポーツ少年団本部初期登録 6/7(日) 栗橋コミセン

  久喜市スポーツ少年団の平成27年度初期登録が、7日
 栗橋コミュニティセンターで行われました。
  スポーツ少年団の組織、登録の重要性については、もう
 何度もこのページで記してきました。
  スポーツ少年団は全国・全市町全ての少年団の単位団、   指導者・団員が、登録するメンバーシップ制の組織であり、
 町・県・国、それぞれのレベルへ登録費を納入する、「有料
 登録制」の組織なのです。
  数は力なりと言います。従って「登録」は、「数」から組織力を
 占い、なおかつ各種助成金と共に、登録費が重要な財源に
 なる事から 、活動・財政両面にわたり、少年団ではきわめて重要となるものです。
   【27年度初期登録風景】
  現在登録費は団員700円、指導者1、200円です。国・県・久喜市の総計です。それぞれの
 登録費はそれぞれの本部で決定します。旧久喜市本部はかなり高額の登録費でしたが、合併
 =統合の際、旧3町との中間額としたため値下げとなりました。なお久喜市本部独自で、単位団
 登録費も徴収しています。
  こうした登録費は、各レベルへの行政からの助成金と合わせ、各レベル本部の財源となります。
 日独同時交流から、種目別大会まで、少年団の行事は全て、団員・指導者の登録費が活かされて
 いるのです。

  少年団の組織の危機的状況については、これも何度も記してきました。小学生児童数の減少を
 最大の因として、団員数の減少が続いています。国レベルでは11年連続となり、この流れは
 当分続くものと推測されます。ここ数年、この流れは指導者数にまでもおよぶように成りました。
  日本一の少年団、埼玉県も、久喜市も同様の状態です。久喜市では団員不足から、昨年3
 今年4、この2年間で7つもの団が解散しています。あらゆる解決策、団員数の向上策を求め
 活動していますが、まま成らぬ有様です。

  今年、上記のように4つの団が減少したことから、相当の減少を覚悟していました。前49団中
 1団のみ、都合により未登録で、指導者465名、団員1、175名でした。昨年度の初期登録+
 数名前後の7月末までの追加登録を加え、指導者503名、団員1、265名でした。末登録の1
 団を加え、推定団員は1、240~50名、指導者480名と思われます。指導者数は4団解散して
 いますので仕方ない所、共に微減に留まり、胸をなでおろしています。

  要はなんとしても、減少から→現状維持→増加へと、必死の努力を続け、少年団活動の輝きを
 取り戻すことです。何としても頑張ります。


      ● 平成27年度・久喜市綱引連盟総会 5/24(日) 和みの湯

  平成27年度「久喜市綱引連盟総会」を、24日夕刻より開催しました。私と「綱引」及び
 「綱引連盟」との関わりについては、もう何度もこのページで書いてきました。
  「久喜市綱引連盟」は、この競技をする人たちの組織ではなく、各種大会、特に「久喜市
 綱引大会」の審判、運営をするメンバーの組織です。だから決して大きい組織ではありません。
  最近「スポーツ推進委員」を中心に、少し増えましたが、会員はやっと20名を越える程度です。
 それでもこの総会に久喜市から、市長、教育長、レク協会長、県の連盟から会長(樋口県議)
 理事長、5人もの来賓の出席をいただきました。
  ここに「久喜市綱引連盟」の占める特殊な位置があります。市内においては小学生児童を
 中心に、1、000名を越す参加を見る「久喜市綱引大会」を、30年を越えて開催しています。
 (今年の大会が31回大会となります。)  また県においては、久喜市がこの競技の県での
 発祥の地であること、県連盟の主要役員を、多く久喜市から輩出している事等々です。

  今年も12月6日(日)に予定される久喜市綱引大会等の行事予定、また内藤会長を再選した
 人事等全ての議案を了承、スムーズに終了しました。
  いくつか注目点を紹介します。来年1/24(日)に、久喜市第一体育館で、本年度の「埼玉県
 綱引選手権大会」を開催します。全国大会に出場するトップチームの「ジスイズ・綱引」を
 自分の目でお確かめ下さい。
  もう一つは今年の「和歌山国体」から、「綱引」が正式に、「公開競技」として登場します。長い
 間「日本連盟」が要望し続けていたことが、やっと実ったことに成ります。今までの例で言うと
 「公開競技」になると、ほぼ10年で正式種目に格上げされます。
  また次期「東京オリンピック」において、「綱引」を行うよう働き続けてもいます。

  総会が終わりました。今年もまた、市民体育祭綱引競技、久喜小児童への指導、市の大会
 等で頑張るつもりです。
  
 
     ● 市・県ミニテニス協会総会を終えました  4/25(土)・5/9(土)

  平成27年度・第22回久喜市ミニテニス協会総会(4/25久喜
 第一体育館会議室)と、第16回・埼玉県ミニテニス協会総会(5/9
 上尾総合スポーツセンター講堂)を終えました。
  ミニテニスという新=軽スポーツ種目については、何度もこのページ
 で報告してきました。柄の短いテニスのラケットで、ゴム状のボール
 を打ち合います。コートはバドミントンのそれを使います。
  高齢者向けのスポーツ教室実施の過程で、立川市のA氏により
 考案され、たちまちのうちに愛好者が増え、大きな組織となりました。
 久喜市にこの種目を導入したのは平成4年の暮れです。何度か
 「講習会」・「教室」を行い、組織を作り、6年に町レベルとしては県内最初に、「久喜市ミニテニス
 協会」を発足させました。
  久喜市の協会の充実と合わせて、県協会組織化への活動が始まりました。この活動の中心を
 担ったのが、市会長、県協会初代理事長のY氏でした。Y氏の存在なしに、市の県のミニテニスを
 語ることは出来ないでしょう。そして平成12年埼玉県ミニテニス協会が誕生しました。
  私は市と県の協会発足に関わったと言うだけで、市協会の顧問、県協会の副会長(会長・土屋
 品子衆議院議員、副会長・樋口邦利県議会議員)を仰せつかり、現在に至っています。だから
 プレイヤーとしてはこのところご無沙汰していますが、20年を越えてミニテニスと深く関わって
 きました。当然今年も2つの総会に出席させていただきました。

  平成10年代は正に「ミニテニス」の躍進・充実の時でした。21年、県協会10周年記念式典、
 23年県協会主管による全国大会の開催がその頂点でした。ところで私は長く体育指導委員
 (現・スポーツ推進委員)の職にあり、特に時節柄、高齢者を対象とする各種新・軽スポーツに
 関わってきました。こうした新・軽スポーツに共通の問題点があります。「楽しく・面白く」という
 「遊戯性」と、「充実させる、上手くなる、強くなる」といった「競技性」を合わせ持つということです。
 審判や技術講習会を優先すると、どうしても楽しく、面白くは後退する事に成ります。
  それに新しく考案された種目というものは、どうしてもそれをした人物・その周辺に、ある種の
 権限が集中する事に成ります。ミニテニスもその例にもれないと言えます。
  ある意味で、ミニテニスの市と県の育ての親とも言えるY氏は、こうしたハザマの中で一線を
 退かれました。この2年間はそれにより生じた混乱を克服し、新体制を生みだす2年間だったと
 言えます。市のF会長、県のО新副会長、F新理事長はそこから生まれた新たな指導者と
 言えるのです。
  ミニテニスは不思議な魅力を持っています。ここ2年、若干の組織的低迷を余儀なくされて
 きましたが、再び旧の輝きを取り戻すことを期待します。
  あらゆる応援を惜しまない覚悟です。


       ● 仮称・久喜マラソン大会へ!思うこと  5/7(木)
 
  仮称・久喜マラソンについては、このページで何度も報告して
 きました。4/18には多くの皆様の参加と協力をいただいて、正に
 「オール久喜」で実行委員会が誕生しました。また準備の中枢を担う
 教委スポーツ振興Gや、準備委→実行委の何人かと一緒に「幸手桜
 マラソン」、「春日部大凧マラソン」も視てきました。これからの全ては
 メインとなる、ハーフマラソンコースの確定にかかっています。
  これだけは私達の努力だけではどうにもなりません。警察との協議
 許可 が必要なのです。ですからとりあえず事務局で「コース案」を
 作り警察と協議、いくつもの指摘を受けて、作り直しまた協議、の
        ①          繰り返しと成ります。大会により交通上に大きな影響が出るわけで
 これは仕方ないことと言えます。
  コースを考える上での必要条件があります。スポーツ大会として成功させるとともに、シテイ・プロ
 モーションの視点です。市役所と文化会館、鷲宮神社、コスモスロード、久喜駅周辺などの
 施設・箇所は可能な限りコースに組み込みたいものです。

  スタートとゴールは総合
 運動公園と成るでしょ
 う。スタートは国体道路、
 ゴールは市民グランド内
 と思われます。多目的
 グランド、2つの体育館
      ②             ③             ④         を有効に利用する事も
 出来ます。こう考えた場合どうしてもコースは、運動公園スタート→(行きか帰りに市役所通り)
 杉戸・久喜線オーバーブリッジを越え、久喜市東地域→鷲宮東・桜田地域と走り、鷲宮地区西側
 へと進み、鷲宮神社折り返し→コスモスロード→久喜地区市街→ゴール、と言ったコースが1番
 あさわしいものと考えられます。

  鷲宮を東から西へ抜ける場合、「JR宇都宮線」
 「埼玉・栗橋線」、「栗橋・川越線」といった障害が
 あります。JR は地下道しかありません。埼栗線
 川越線を、止めていただければ最高なのですが
 これは大変難しいことです。その場合⑤・⑥
 ような地下道をくぐることに成り、コースは
      ⑤            ⑥          限定され、かつ複雑なものとなるでしょう。場合
 よっては対面走行もありうるかもしれません。
  いずれにせよコースの設定が最重要課題です。今スポーツ振興グループ担当者は、必死に
 この作業に取り組んでいます。警察との間の行ったり来たりが、未だ何回かあると思われます。
 可能な限りこれをお手伝いしていきたいと考えています。

   コースが実行委員会のご承認をいただいて確定すると、1日も早く「募集」を始める事になり
 ます。その前に大会名称を決定する事になります。3通りの例があります。1つは正月に行う
 「**新春マラソン」、白岡市・越谷市などです。1つは単に「**シティマラソン」というもの、
 上尾市・熊谷市などです。やはりもう1つの「幸手桜マラソン」、「春日部大凧マラソン」、「加須
 こいのぼりマラソン」といった名称が、町のイメージアップにもつながり、良いですね。いずれに
 せよ実行委員会で、皆様のご協議をいただくことに成ります。どんな名称になるか楽しみです。

  具体的準備作業はそれ以降となります。忙しいでしょうが、楽しい作業です。頑張らねば
 成りません。

     
  ● 第5回・久喜市スポーツ少年団本部総会 5/6(水) ふれあいセンター久喜

 
今年のG・Wも5連休の今日で終わり
 となりました。このG・Wの最終日は
 
久喜市スポ少本部定期総会の日と
 昔から決まっています。平成27年度
 第5回定期総会を、「ふれあいセンタ
 ―久喜」で開催しました。

 
 新久喜市は平成22年誕生、今年で
 6年目に入ります。「久喜市スポーツ

 
少年団本部」も、同年秋設立総会を
  【定期総会風景】        【市長杯レプリカ授与】    持ち、久喜市と同じく6年目に入って
 います。
残念ながらここ数年、全国・埼玉県少年団と同じく、団員数の減少→活動の低迷という
 状況に久喜市も覆われています。ついには団そのものの解散につながり、2年続けてナント4団が
 本部退団のやむなきに至っています。本部長として強く責任を感じる次第です。        

  本年度の総会はこうした状況の中、開催されました。開会の前に指導者表彰を行いました。永続
 表彰はともかく、役職辞任者、単位団登録終了者への功労者表彰が多いのにも参りました。
  長く本部活動の中枢を担われた堺氏や、全児童数100人に満たぬ「江Ⅱ小」において、37年間
 団を維持され、本年解団した「久喜ペアーズ」の指導者への表彰には心が痛みました。本当に長い
 間ご苦労様でした。
  総会に提案した6議案全てが全員一致で承認されました。中には来年3月の「仮称・久喜マラソン」
 を本部事業として位置付け、全員参加とした事業予定や、4年先の10周年記念事業をにらみ
 「積立」をしていく予算案も承認されました。
  今年は役員人事の交代期に当たりますが、私は留任となりました。アト2年は本部長を引き受け
 させていただきます。お忙しい中、総会にご出席いただいた田中市長、柿沼教育長、
 冨澤副議長に感謝申し上げます。
  とにかく私が今までヒトミのように大切にしてきた少年団の理念が、もうこの世に会わないとか
 その役割を終えたとか、言われることは何とも悲しいことです。現実に学びながらも原則を貫き
 理念を活かしつつ、現実に柔軟に対応していく、なんとしても頑張りぬく決意です。


     ● 第27回・春日部大凧マラソン大会を視てきました。5/4(月・祝)










 【会場への道はテナントで一杯】【大会本部とゴール地点】 【マラソンゲートで写真を撮りました】










 【開会式・挨拶は佐久間氏】 【カッコ良い白バイの先導】【ハーフの部のスタート直後のトップ集団】 










【6、000人強のランナー】【10Kの部、ゴールへ】【ハーフのトップはやはり川内選手・中央白CAP】

  G・Wの真只中の4日、春日部市庄和地区の「大凧マラソン大会」を視察しました。この大会は
 庄和地区の江戸川堤で大凧を揚げる祭りの一環として、平成元年から始まりました。今年が
 27回大会となります。大凧は3日と5日に上げます。以前はこれに合わせ、3日に行っていた
 そうですが、余りの混雑に中間日の4日開催となったそうです。庄和町は平成18年春日部市と
 合併、従ってこの大会は「合併10周年記念大会」となっていました。
  開会式は9時に始まりました。マラソン大会の開会式は参加者の少ないのが特徴、「幸手桜
 マラソン」同様、こちらもエントリーの約1割の500名前後でした。大会名誉会長・石川春日部
 市長挨拶に次いで、大会会長挨拶とアナウンス、誰かと思ったら佐久間実氏でした。選手の
 後ろからでしたが、お元気なご様子でした。ここでもゲストランナーが川内選手と、地元春日部市
 在住のお天気キャスター平井さん、お忙しいことです。
  この日教委スポーツ担当のE氏の車に乗ってきました。ナント軽トラでしたが、荷台に自転車が
 乗っていました。レースが始まると規制がかかって走れないから、コースを視てきます、と僕を
 おいて、その自転車でコースを走ってきました。マア、熱心で真面目なことです。
  幸手桜マラソンもここもスタート・ゴール付近のみで、コース全体は見られませんでした。桜
 吹雪の中を走る幸手桜マラソン、ここは新緑あふれる江戸川堤を走るのが魅力です。久喜の
 場合季節も含め、そうしたものがありません。何かでカバーせねばならないでしょう。

  レースはハーフマラソンの部、10Kmの部、5Kmの部、2Kmの部の4部門、出場選手は総計
 10、924名、うちメインのハーフマラソンには6、634名がエントリーしていました。先日視察
 した幸手桜マラソンのメイン、10マイルレースより2倍の走者、国道16号を止めてのスタート
 でしたが、全員が通り抜けるのに大変な時間でした。2Kmは小学生4年生以上で男女別、
 中学生は5Kmに出るのですが、大変少ない感じでした。

  5Km・10Km・ハーフ共に、上の写真のマラソンゲートをくぐり、久喜の多目的グランドの半分
 くらいのグランドがゴールです。全部で10、000人もの人が、同じコースへ集中します。ハーフの
 部トップの川内選手は、当然10Km参加選手を追い抜いてゲートをくぐりましたが、人ごみを
 かき分け・かきわけ走るようで大変でした。
  所でこの大会のメイン、初めの10年近くは10Kmだったそうです。回数を重ね、ノウハウを積み
 警察との交渉を重ねてハーフ実施に至ったそうです。この話を大会役員からお聞きし、改めて
 仮称・久喜マラソンの難しさに思いをはせました。しかし何としてもやり遂げねばならないのです。
  1日も早くコースを確定し、募集を開始せねばなりません。このことに全力を注ぎます。


    ● 久喜市スポ少・体力テスト判定員養成講習会 4/26(日)森下公民館

  少年団には3つの義務があります。
 1つは登録する、団員1人一人が
 お金を払って登録する有料登録制、
 1つはスポーツ活動につきものの
 ある種のけが・危険に対応する
 スポーツ安全障害保険に加入する事
 です。しかしこの2つは子どもに代わ
 って指導者が行うこと、実際子どもの
 活動の中での唯一の義務が3つ目の
 【フロアーで会場設営】     【最後の認定テスト】
 体力テストを行うことです。これは少年団の活動目的の第一に、「バランスのとれた体力の持ち主」
 に子どもを育てることが上げられるからです。久喜市では5月第二日曜日に、全団一斉に体力
 実施します。そしてもう1回、各団で自主的にテストを行うことを呼び掛けています。このテストの
 結果が公認されるためには、「体力テスト判定員(テスター)」という、日体協公認の正式な資格を
 有した人が必要となります。この資格保持者は「体力テスト会」を正く運営し、その結果を判定し
 診断し、運動処方(活動プログラム)を導く役割を持ちます。この体力テスト判定員養成講習会を
 26日、菖蒲町の森下公民館で開催、私が講師を勤めました。

  私はこの資格を昭和56年、思い出せば前県本部長・藤沼先生講師の下、取得しました。翌
 57年日体協主催の「体力テスト指導員(インストラクター)養成講習会」を受講、3日間の缶詰
 講習の末、合格しました。以来県や市本部主催のテスター養成講習会の講師を数多く勤めて
 きました。特に体育指導委員(現・スポーツ推進委員)初任者研修会で、10年以上講師を勤めた
 事は懐かしい思い出となっています。従って久喜市ではこの資格を持つ人が多くいました。合併後
 やってきませんでしたが、昨年の体力テスト会で、テスターが足らないとの声が上がり、久しぶりに
 (久喜市では7年ぶり)今日の講習会実施となりました。

  しかし参りました。受講生がナント7人だったことです。これはある意味で「体力テスト」の少年団
 で持つ意味が薄れているのです。一方である種の強制力を持つ(この資格を有しないと公式試合で
 ベンチに入れない)、「認定員養成講習会」が、多くの受講生を集めて実施されているという現実が
 あります。悲しいことです。それでも熱心に受講してくれた人がいます。そして正式な資格取得の
 講習会です。みっちり6時間の実技をふくめた講習と、認定テストで講習会を終えました。試験では
 全員が合格圏内ですので、全員認定されるものと思われます。この試験問題は大分前に、私が
 つくったものですが、今も県の養成講習会で使われているものです。

  今回の受講生が5/10の「体力テスト会」でさっそく活躍してくれることを期待します。大切な
 事は体力テストをテストとして終わらせるのではなく、その後の活動プログラムに活かすこと、
 期待しています。
 

    ● 久喜シティマラソン実行委設立総会  4/18(土) 菖蒲コミセン

 
 仮称・久喜マラソン大会の実行委員会設立総会が、準備委員会発会後3カ月を経て、18日
 菖蒲コミュニティセンターで開催されました。宮内生涯学習課課長司会の下、挨拶にたった
 大会準備委会長・田中市長は、この大会を競技としても、シティプロモーションの視点からも
 成功させたい、そのためにも「オール久喜」で準備していきたい、とされました。
  田中会長を仮議長に総会は進み、1号議案・大会実行委員会設立趣旨、2号議案・規約
 が提案され、了承されました。第3号議案として実行委役員(案)が提案されました。
  まず教育長にプラスして、新たに副会長に商工会長・区長会長を承認しました。
  実行委員長に準備委員長でもあった、鈴木体育協会副会長を選出、副実行委員長には実行委
 を構成する6つの部会から1人、計6人となりました。各部会にはそれぞれ担当する市内各団体が
 いくつか割り当てられており、その中の最大団体から選出するものとしました。
  総務・広報部会=青年会議所、催事観光部会=商工会、会場管理部会=スポーツ推進委協議会
 走路部会=区長会、競技部会=陸上競技クラブ、運輸部会=スポーツ少年団です。
  従って私は「運輸部会」に所属する事に成ります。スポーツ少年団の会議に諮らねばなりません
 が、私がこの部会を代表する者に選出されることに成るでしょう。
  その後議長に鈴木実行委員長に就き、4号議案・行事予定案、5号議案・収支予算案が提案
 されました。共に了承されましたが、計画案・9月大会の周知開始は余りにも遅すぎます。この
 辺にこの大会の組織化の難しさが露呈しています。
  予算は総額1、867万円、内市からの補助金500万円は確定済み、100万円が協賛金
 1、267万円が大会参加費との事です。一般(ハーフ)参加費を3、500円と想定し、2、000人
 参加で700万円、残りが小中生・親子等で約500万強との想定です。一般参加費の3、500円
 
妥当ですが、参加者2、000人は少なすぎます。3、000人は欲しいところです。小・中生の
 参加費は500円が相場です。500万円といえば、1万人の参加となります。この数字はなにを
 根拠としているのでしょうか。


 
 とにかく実行委員会が発足しました。しかしこの実行委員会は、各部会の協議・決定を承認
 する場として位置付けられています。従って実際の仕事は各部会となりますが、これが上手く
 動き出すまで、もう少しかかります。とにかくコースを決め、大会名を決め、1日1刻も早く
 募集を始めねばならないのです。とにかく気ばかり焦ります。


  ●小雨と満開の桜の下、幸手桜マラソンを視てきました4/5(日) 幸手総合公園









    【6時半・役員はもう集合していました】【仮設トイレ100、テント20を業者より借入ました】










 
【グランド内の様子】【約500人参加しての開会式】【大会ゲスト・気象予報士・川内選手等】



 【並ぶ順は自己申告です】【スタート1分前・緊張感が走ります】【3千人が一斉に走りだしました】










【走りぬけるのに3分かかりました】【小・中学生のレースが入ります】【小学生の部表彰式】










【やはり断然早い川内選手】【最後に記録票をもらいます】【走り終えて仲間のゴールを待つ】

  
仮称・「久喜シティマラソン大会」実行委の発会を前にして、5日行われた幸手市さくらマラソン
 大会を視察してきました。今年で第24回を迎えるこの大会は、県下を代表する桜の名所、
 権現堂堤を、満開の桜の中を走る大会として定評があります。
  主催は幸手市・同教育委員会・同体育協会、NPO法人クラブ幸手、主管が大会実行委員会
 協賛に市内各大手企業、そして特別協賛が「幸手都市ガス」で、これはゼッケンに企業名が
 入っていました。
  競技ですがメインは10マイル(約16Km)です。幸手市東側にある陸上競技場がゴール、
 スタートはその前の道路、このレースは現在多くの大会で行われている、男(4)女(3)と年齢別
 7部門で構成されています。他にそれぞれ男女別に小学生2Km、中学生3Kmとファミリー
 2Kmのレースがあります。
  メインの10マイルはスタート後権現堂堤(幅2~3m)を走り、行幸湖を一回りし、幸手警察
 署前県道を戻るコースです。コースの多くに桜の並木があり、正に「さくらマラソン」の名に
 ふさわしいコースと言えます。
  2K・3K・ファミリーのコースは運動公園周辺道路です。今大会の参加選手は10マイル7
 部門計3、292名、他3レースの合計706名、総計3、998名でした。
  「受付」や「大会本部」でいろいろ質問したり、ご挨拶をしているうちに時間が経ち、開会式が
 始まりました。約500名の参加です。今大会のゲストランナーは浅井えり子さんさん、おなじみ
 川内優輝三さん、NHK気象予報士の平井信行さん、井田寛子さんの4人でした。 
  開会式を終えてスタート地点に急ぎました。参加ランナーは自己申告で、タイムの良い順に
 並んでいきます。9:10号砲一発スタートです。猛烈な勢いでダッシュする人、のんびり手を
 振りながら出いてく人、3、292名がスタートしていくのに2分30秒かかりました。
  10マイルランナーがゴールするまでの時間を有効利用、男女別2Kの小学生部門、3Kの
 中学生部門、2Kのファミリー部門がありました。小学生などは明らかにスポーツ少年団団員
 と思われる子が多く、中学生部門も含め参加者はやや少ないという感じでした。
  場内放送が10マイルレースの状況をアナウンスする中、やはり圧倒的な強さで、川内選手が
 入ってきました。2位とは1分近い差がありました。
  次々とゴールする選手の動きです。ゴール後コーンに従ってゲートをくぐります。ここで
 ゼッケンにあるバーコードが確認されます。次いでゼッケンに装着されている「ICタグ付き
 ナンバーカード」(3センチ四方)を外して返します。(委託業者がまた使用するためです)
 次いで参加賞(今回はポーチ)とポカリを頂いて、最後に記録票という流れ作業です。これを
 渡すときは、先に確認したバーコードによります。記録票を見せてもらったら、到着タイムだけ
 でなく、途中タイムも4カ所位が記載されていました。この計測は専門家の業者に委託
 します。素人では無理なのです。
  24回という歴史を誇り、半分近いのコースが桜並木の下を走る「幸手さくらマラソン」は
 ランナーに人気あるもの思われます。久喜市にはこうしたコースはありません。何よりも
 いろいろな条件が、コース設定そのものを難しくしています。しかし何としても5月中には
 決定せねば前へ進めません。当面これに全力を注ぎます。
  なお朝日バスのシャトルバス8台が、東武線幸手駅まで結んでいました。
  ゼッケンは事前に出場者に郵送されています。
  参加費は10マイル3、500円、小中生500円です。
  10マイルは8・5Kに時間の検問が設置されています。
  満開の桜の落下を遅らす効用はありましたが、冷たい雨の中立ちつくした5時間でした。
 大分疲れれましたが、大いに参考になりました。今後に活かしていきます。いろいろご教示
 頂いた幸手市「さくらマラソン」関係皆様に感謝申し上ます。 


  ● 埼玉県スポーツ少年団野球部会合同開会式 3/29(日) 県営大宮球場










【早朝から準備に当たる審判部】【観客席はほぼ満員でした】【開会式を終えてグランドから】

 
 埼玉県スポーツ少年団野球部会(中島秀雄部会長)の県大会は年2回あります。1つは
 競技別関東交流大会→全国大会につながる春のそれです。もう一つは秋に行われます。
 これは「全労済」が立派な優勝カップを寄贈しており、「全労済カップ争奪大会」とも呼ばれ
 県民総合体育大会参加の大会でもあります。この秋の県大会に出場する全てのチームを
 一堂に会し、合同開会式を行うことは、野球部会の定例行事として長く定着しています。
  最初は所沢市の西武ドームで行われていましたが、このところ県営大宮球場で行われ
 期日は3月最終日曜日と決まっています。
  なにせサッカーに次ぐ組織をもつ(現時点ではサッカー・ミニバス・3番手が野球)野球部会の
 行事です。団員・指導者・母集団を加えると、優に1万人を越すものとな ります。少年団の種目
 別大会は全て本部主催です。当然本部長が主催者あいさつをするわけですが、この日は下段
 で紹介したように、剣道全国大会の最終日、ここを留守にすることは出来ない、ということで私が
 代行を勤めました。

  8:30~9:30までが受付、受付をすましたチームから順次記念写真撮影、11:00から
 入場行進、12:00から開会式、12:30終了というスケジュールでした。実際は入場行進から
 20分ほど前倒しとなりました。隣接する「ナック5スタジアム」で、大宮アルディージャの試合が
 夕刻からあるため、なるたけ早く、ということにもよりますが、やはり参加団の減少(385団)と
 1団当たりの団員が少なく(総計5、723名)、写真撮影が早く終わったのが原因と役員が話し
 ておられました。団員不足はやはり深刻なようです。

  開会式が始まり、私は全労済埼玉県本部長、埼玉新聞社社長、野球部会正副部会長と共に
 グランド内に入りました。私がピッチャーマウンド付近に置かれた壇上に立ち、入場行進の
 開始です。団員は2団ずつセンタースコアーボード下から、まっすぐピッチャーマウンド近くまで
 行進、その後それぞれが右と左に折れて、3塁側と1塁側からスタンドに戻るという形でした。
  国旗・少年団旗を先頭に、385団の入場行進はやはり圧巻でした。全員が声を出し、歩調を
 揃え、まっすぐ前を見据えて行進していました。
  全団の行進が終わると、席を180度回転し、戻った団員を加えて、1万を越す参加者と向かい
 合い開会式です。前年度優勝・準優勝チームから優勝旗・カップの返還の後、主催者を代表し
 挨拶しました。子ども達には行進が立派だったことを称え、この1年それぞれの団、団員一人
 ひとりが目標をしっかり立て、その目標にむけ不断の努力を続けること、指導者・母集団には
 子どもの鏡として、マナー・モラルの向上に努められるよう話しました。
  その後団員綱領の朗読・選手宣誓をもって式を終えました。

  この大会は8から9月の市内大会、9~10月の各地区大会を経て、10月下旬に開催され
 11月第1日曜日に、ここ県営大宮球場でベスト4による準決勝・決勝戦が行われます。その
 時には今日元気な行進を見せてくれた団員諸君が、ひと回りも、ふたまわりも成長している
 事を楽しみにしています。
  なお開会式前、本部控え室にいる時、グランド内の撮影は禁止です、とのアナウンスが
 ありました。ために入場行進や式典の写真は撮れませんでした。


  ●  第37回・全国スポーツ少年団剣道交流大会3/28(土) 県立武道館










 
 第37回全国スポーツ少年団剣道交流大会は、今年埼玉県の当番で、3/27・28・29の
 3日間、上尾水上公園内にある「県立武道館」で開催されました。27(金)が開会式、28(土)
 
団体戦(小学生)と男女別個人戦(中学生)の予選、29(日)が両決勝と閉会式という日程です。
  私は27日は同日付「市政ページ」で報告してあるように、委員会の所管事務調査と重なり
 ダメ、29日は野球部会の合同開会式です。本来なら佐藤本部長が出向くはずですが、上記
 のように閉会式と重なるため、全国大会を優先して、私が代行する事となりました。ために
 私はこの日のみ、剣道大会を観戦させてもらいました。

  この大会、主催は日本スポーツ少年団本部、全日本剣道連盟、埼玉県スポーツ少年団本部
 埼玉県剣道連盟の4者です。大会は小学生団体の部、中学生男子と女子の個人戦の3部門
 です。共に全国から集まった子ども達に、試合を多く経験してもらうため、予選はリーグ戦です。
  小学生団体は全国47都道府県に埼玉県のみA・B2チームの48チーム参加です。選手
 構成は男女混合ですが、先鋒(1番手)は4年生で男女可、次鋒(2番手)と・中堅(3番手)・
 副将(4番手)・大将(5番手)は5・6年生で、かつ次鋒と副将は女性と決まっています。

  試合中は撮影禁止ということで、写真は撮れませんでした。左は団体の部優勝チームに
 授与される優勝旗、中は大会会場正面です。
  実は私は中学生時代の部活は「剣道」でした。中3で初段、高2で2段を得ています。だから
 当時を思い出し、楽しく観戦しました。もっとももう50年を越して防具は付けていませんが。
 剣道は高年齢に成っても、そこそこにやれる良いスポーツだと思っています。
  予選リーグが3時過ぎに終わってから、参加選手の合同稽古が行われました。引率の
 先生方はいずれも5段・6段の猛者、いつもは稽古をつけてもらえない他県の指導者に、
 子ども達は争って剣をふるっていました。それが右の写真です。

  本当は開会式にも出たかったし、明日の決勝戦も見たいのですが、明日は剣英大宮球場の
 野球の合同開会式に出ます。1時間強壇上に立ち、定評のある野球少年の入場行進を見守り
 ます。セレモニーには定評のある野球部会、これも大変楽しみです。
 


 ● 所沢市スポ少本部50周年式典・祝賀会 2/28(土) 所沢市市民文化会館










【さすが40万人都市立派な会場でした】【式典での記念表彰】【吉村早大教授の記念講演】









   【祝賀会・乾杯】      【盟友須澤所沢市本部長と】   【にぎわう祝賀会会場】

  所沢市スポーツ少年団本部・本部長須澤一男氏、が創立50周年を迎えられ、28日(土)
 同市市民文化会館において、記念式典・記念講演・祝賀会を開催、県本部を代表し出席
 しました。会場は同市役所のとなりにあり、「航空記念公園」に隣接しています。この公園の
 サッカー場は32年前、私が団長を勤める「久喜少年サッカークラブ」が県大会に初出場を
 果たした時の1回戦の会場、大変懐かしく、早めに出向いて散策しました。
  会場の「市民文化会館」は、40万人都市にふさわしく、大変立派な施設、ここの小ホールで
 「記念式典」と「記念講演」が行われました。

  ご承知のようにスポーツ少年団は、東京オリンピックを記念し、昭和37年誕生しました。この
 年埼玉県本部も発足、構成した市町村本部は蕨市・北川辺町(現・加須市)の2つのみでした。
 1昨年盛大に50周年記念事業を実施したことは、このページで何度か報告しています。所沢市
 本部は県内3番目として、正に東京オリンピックの年、昭和39年に発足したことになります。
  単に歴史を有するだけでなく、組織の大きさ、リーダー養成や日独同時交流受け入れを2回
 お引き受け頂く等、質量ともに県内をリードしてきました。本部長須澤氏は長く西武地区を代表
 して、副本部長にあり、私は公私両面にわたり親しくご交際を頂いてきました。

  1部「記念式典」では、その須澤氏に特別表彰があり、また継続30年以上等多くの指導者
 表彰が行われました。私は県本部を代表してあいさつし、厳しい環境にある少年団活動の
 これからで、引き続き所沢市本部が、先進的活動を展開されることを期待すると述べました。

  Ⅱ部は「記念講演」、講師は所沢市の地元、早稲田大学人間科学部教授「吉村 正」氏、
 吉村教授はソフトボールの世界ではカリスマ的存在であり、また、「ティーボール」の実質的
 考案者です。「子どもの汗と笑顔は宝」と題したお話しで、選手としても、指導者としても世界
 トップレベルの長い経験に踏まえ、「取り組む種目を真に好きになること」、「」指導者―子ども
 が信頼し合うこと」、「現実に踏まえた具体的目標を持つこと」、「学校とよい関係を持つこと」
 等々を話されました。

  少し時間をおいて3部「記念祝賀会」に移りました。私は地元の「並木衆議院議員」、教育長
 川越市本部長等と同席し、楽しい時間を持たせて頂きました。
  「50―友」と題された立派な記念誌も頂戴しました。もし仮に旧久喜市本部が存在していれば
 今年27年度が「40周年」になります。現実は31年度に、「新市本部10周年」を迎えることに
 なります。もう積立金等準備をしていかねばならないでしょう。その時私は本部長ではないで
 しょうが、元気ではいられるか、なんてことは考えないでおきます。  
  須澤氏は78歳です。見習うことにします。


  ●文部科学大臣生涯スポーツ功労者表彰受賞祝賀会 2/22(日) 三高サロン










  
【受付風景】       【発起人代表・田中市長挨拶】  【皆様から花束を頂きました】









 
【孫からも記念品】   【お礼の言葉を述べました】 【大勢の皆様のご出席を頂きました】

 
 私が平成26年度の「文部科学大臣・生涯スポーツ功労者表彰」受賞の栄に浴したことは
 本ページ、昨年10月10日霞が関合同庁舎講堂において、下村博文文部科学大臣ご列席
 のもと行われた、受賞式に出席したことは「市政ニュース」のページで報告してあります。
  
  受賞が正式決定した後、私の長く、親しく、良き仲間が祝賀会を計画してくれました。準備に
 最低2カ月かかる、年末・年始は避けよう、とのことで2月中旬頃となりました。発起人会主催
 と言うことで、推薦を頂いた埼玉県スポーツ少年団佐藤本部長、久喜市スポーツ少年団から
 戸草内副本部長、私の団から野原代表指導者、友人を代表して盟友・正倉氏、そして発起人
 代表を田中市長にお願いし、以上5名が発起人会を構成してくれました。
  会場の予約に始まり、案内状の発送、返信の管理、出席者名簿、式次第、祝賀会の内容
 と、全て発起人の皆様と、親しいスポーツ仲間が事務局を構成し、当たってくれました。心より
 そのご努力に感謝申し上げます。

  22日は年1回の休日議会の日でしたが、まずまずの天候に恵まれ、160名余もの皆様の
 出席を頂きました。「受付」は私の団のお母さん方が担当してくれました。18時ジャスト飯島氏の
 司会で開会しました。
  飯島氏は現久喜市放課後子供教室運営委員会会長ですが、長きにわたり久喜市スポ少の
 副本部長として、一緒に活動しました。今回事務局責任者として準備活動全般を担われました。
  田中発起人代表挨拶、その後佐藤県本部長代理・神谷副本部長、土屋衆議院議員、井上
 市議会議長、樋口県議、友人代表として野原宏氏に祝辞を頂きました。皆肩書きだけの人でなく
 私とはスポレク活動を通してご一緒した方々ばかりです。それぞれに思いを込められたご挨拶を
 頂きました。心よりうれしく、感謝申し上げます。

  出席の皆様から記念品、花束の贈呈を受けました。記念品はブルガリの素敵なネクタイ、実は
 事前に頂いており、この日着用していました。花束を私は平井さん、女房は野原発起人から
 頂戴しました。平井さんは市スポ少副本部長にありますが、女性指導者を代表して県本部員
 同様の理由で日本本部の役員をされておられました。一時日体協や中教審の役員までなされ
 そうした理由で、国の推薦で5年程前、文部科学大臣・社会教育功労者表彰を受けておられます。
 今回事務局を構成していただきました。
  「12の会」からも記念品と花束をいただきました。「12の会」とは私の生涯の誇りとしてある、
 第11回(昭和59年)日独同時交流派遣をへて、翌年久喜市で行った第12回日独同時交流受け
 入れの実行委、民泊家庭有志から成っています。久喜へ来られたドイツの方々を訪ね、彼の地
 を訪ねたりと、親しい交際を続ける仲間です。
  最後にこれはハプニングでしたが、私の子ども達からのプレゼントを、孫から渡されました。
 長女の長男です。俗に言う目の中に入れても痛くない、の孫がテーブルの間を縫って歩いて
 来た時はちょっと感傷的になりました。
  いよいよ受賞者挨拶となりました。「岸さんを入れて7人の挨拶だ。短く・短く」といわれていまし
 たので、30秒のものでした。本当は10分くらいやりたかったのですが。
  
  乾杯のご発声を藤沼県スポ少顧問にお願いしました。昨年の総会において年齢制により、
 退任なされるまで、12年にわたり本部長を勤められました。最後の置き土産が昨年春の私への
 今回の推薦でした。40年にわたり公私両面でご指導を頂いてきました。ありがとうございました。
  祝宴では可能な限り、皆様にご挨拶をして回りましたが、混雑故欠礼の方もあったかもしれま
 せん。お許しを頂きます。
  最後に我が盟友正倉氏が「お礼の言葉」を述べ、お開きとなりました。 
  スポーツ推進に50年走り続けてきました。この間共に汗を流し、共に土にまみれてきた大勢の
 皆様に喜んでいただけて、嬉しく思っています。ありがとうございました。
   挨拶の中で申し上げましたように、これからも身体の続くく限り、「人類共通の文化としての
 スポーツ」の推進、それを通した青少年の健全育成と、地域コミュニティの形成に努力し続ける
 事を誓わせて頂きます。重ねてありがとうございました。
 

 ● 久喜少年野球クラブ設立10周年記念式典 2/15(日) 三高サロン

 15日午後、久喜小地区野球少年団
 「久喜少年野球クラブ」の創立10
 周年の記念式典が行われ、出席し
 ました。同クラブは々久喜小地区を
 基盤とする「久喜スワローズ」と「久喜
 イーグルス」の合併・合同により、
 平成17年に誕生しました。
  所で私が責任者を勤める「久喜市
 スポーツ少年団本部」は、新市誕生

   【開会・関根実行委員長、福田団長挨拶】  同時に発足していますが、旧久喜市本部は昭和 
 51年発足、もしそのまま存続して
 いれば、来年度・27年が40周年と
 なりました。スワローズ・イーグルスは
 この旧久喜市本部設立を担った団、
 共に本部創世期の中心団でした。
  そして30年、児童数の減少・団員
 数の減少・活動の低迷という、今の
 少年団を取り囲む状況を予測し、
 合併・統合に踏み切りました。

  【指導者への記念品贈呈と指導者代表の謝辞】  こうして誕生した「久喜少年野球クラブ」の
 成功から、本町小地区、青葉小地区、菖蒲町地区の同様な動きにつながりました。いわば
 「久喜少年野球クラブ」は2度に渡って、先駆者としての役割を果たされた事に成ります。

  式典にはこの10年に関わられた指導者、育成会役員、20歳を越えたばかりのОB団員等
 多数が出席されました。私も祝詞文をお寄せした、素敵な記念誌も頂戴しました。
  私は同じ久喜小地区と言うことで、「久喜少年野球クラブ」の活動、人間関係等つぶさに見て
 きました。一言でいえば団長の福田氏を中心とした、まとまりの良さにあります。歴代の育成会
 の方々も皆熱心に活動されてきました。在りうべき少年団活動を体現している、とさえ言えます。
  『20周年を機に益々充実・発展されますよう、その中で皆様がご健勝にてそれぞれのお立場で
 活躍なされますよう……』私はこうご挨拶申し上げました。



     ● スポーツ少年団駅伝競走県大会  2/11(水・祝) 朝霞市










 【私が号砲を打った女子スタート前】 【女子1位ゴール】  【男子49チーム一斉にスタート】 









 【タスキ渡しを待つ次走者】   【閉会式・表彰式】      【男子1位に優勝旗を授与】
  2/11の「建国記念の日」は、県スポーツ少年団駅伝競走大会の日となっています。昭和58年
 に始まり、本年で第32回を数えるまで、県スポ少に定着しています。私が団長を務める「久喜
 少年サッカークラブ」は、かって駅伝に圧倒的な力を誇り、毎年久喜市を代表してこの大会に
 出場、第6回大会(昭和63年度)優勝、第11回大会(平成5年度)準優勝を始め、毎年上位
 入賞を果たしていました。ですから会場の朝霞市・中央公園陸上競技場には数々の思い出が
 あります。最近では毎年県役員としての参加のみ、何とも悲しい現実です。

  特に今年は佐藤本部長が海外出張中とあって、代行、大会会長を勤めました。
  この日は温かく、絶好の駅伝日和でした。大会には男子52チーム、女子31チームが参加、
 久喜市を代表して、男子は砂原サッカー・青葉エンゼルス・東鷲宮FCの3チーム、女子では
 青葉ホップス、栗橋ロックフィルズの2チームが参加です。
  私は開会式でこうあいさつしました。『埼玉県スポーツ少年団は13の種目別県大会を行って
 います。ウチ12は種目別大会、唯一種目を越えて行われるのがこの駅伝大会、走ることは
 全ての競技の基礎となります。駅伝は只走るだけでなく、タスキにみんなの思いを込めて、
 友情と連帯に基づく競技、少年団の理想を体現するものです。全員の力走に期待します。』

  コースは朝霞中央公園周回コース12、248mを6人でつなぎます。ここはそれぞれに立派な
 野球場・陸上競技場・体育館があり、良いコースです。女子の部の号砲は私が打ちました。
  男女ともに下馬評高かった川越市の「ファイトマラソン」が、ぶっちぎりで優勝しました。県内でも
 珍しい陸上競技、それも長距離専門の少年団ですから、当然といえましょう。
  久喜市の代表チームも良くガンバってくれました。今年成績の方は今1つ、女子の部、「青葉
 ホップス」18位、「栗橋ロックフィルズ」26位、男子の部では「青葉エンゼルス」16位、「東鷲宮」
 19位、「砂原」22位でした。ご苦労様でした。
 
  それにしても、久喜市のロードレース大会は正に地獄でしたが温かく良い半日でした。参加者は
 それぞれに半日を楽しんだようです。また来年のこの日、お会いしましょう。
  教の大会を成功裏に運営された、朝霞市のスポーツ少年団本部、体育協会、関係皆様に
 感謝します。ありがとうございました。


  ● スポ少認定員養成講習会 2/1(日)・8(日)ふれあいセンター久喜










 【2/1・8久喜会場講習風景、真剣に認定試験に取り組む】   【2/7白岡会場】

  スポーツ少年団のことについては、くどい位このページで書いてきました。少年団の主役は
 名称通り少年・少女=子ども達です。しかし子どもたちは子どもである故をもって、登録したり
 保険に入ったり、大会を運営したりという事が出来ません。そこで子どもに代わり、あくまでも
 子どもの立場に立ち、子どもの利益を守りながら、運営する大人が必要となります。この人たちが
 いわゆる指導者であり、母集団なのです。
  母集団は活動の環境整備が主な役割です。なんといっても指導者の資質・指導力が大きく
 問われる事になります。少年団が各種研修会に熱心に取り組むのは、こうした理由です。
  少年団の組織はどうなっているのか、子どもの心と身体の特徴は、安全に活動するために
 どんな配慮が必要か、こうした必要最低限の勉強をしていただき、それを制度化し、一定の
 資格を付与しよう、こうした目的で日本体育協会が組んだカリキュラムに基づき行われるのが
 「認定員養成講習会」です。同時にこれは単に少年団の指導者としてだけでなく、地域における
 スポーツ活動のリーダーたれ、とのネライから、「スポーツリーダー」認定を兼ねた講習会です。

  全国で約20万人、日本一の埼玉県はその1割弱の1万9千人強、久喜市では530人程の
 登録指導者がいます。この全員に資格を持っていただこう、が国・県・市の方針です。現に
 県では70%、久喜市では継続指導者の約90%が資格を有しています。
  久喜市では今まで数多くこの講習会を持ってきました。資格保有率が前記のようになり
 ここ数年は隔年に実施しています。毎年2月の第1・第2日曜日と決まっています。
  私は昭和55年にこの資格を取得、翌56年に上級としての「育成員」の資格を取りました。
 その後文科省の「上級スポーツ指導員」等、資格を頂きましたので、毎年県内多くの会場で
 講習会講師の仕事に当たっています。今年も1日目に「運動適性テスト」1・5時間、2日目に
 「医学的知識」2・0時間の講師を勤めました。また7日(土)には白岡市でも同様に講師を
 勤めました。

  少年団の指導者は本当に大変です。常日頃ボランテイァとして、子どもの指導に当たりながら
 より良き指導者たらん、とこうして丸々2日間も講習を受けるのです。皆グランドや体育館で
 力を発揮する人たち、2日間の講習はさぞかし大変だったでしょう。加えて正式な資格付与
 と言うことで最後に「テスト」まであるのです。皆2日目、5時~6時まで熱心に試験に取り
 組んでくれました。お陰さまで60パーセント以上の正解率を全員がクリアー、1人の保留者を
 除き、70人を越す受講者全員が合格となりました。

  私は主催者として開講式・閉講式でも挨拶をしました。少年団は今、拠って立つ児童数の
 減少から団員数の減少という、厳しい状況にあります。この状況を突破し、子ども達の健やか
 な育成を、地域社会の大人たちが図っていくという、少年団活動の王道を歩み続けられますよう
 その中で今回の研修が少しでもお役に立つことを願っています、こう申し述べました。

  
   ● 埼玉西部ライオンズ少年野球教室  2/7(土)  多目的グランド 

  暖冬の予想に関わらず、今年は結構厳しい寒さが続いています。
 しかし立春も過ぎ、選抜高校野球、プロ野球のキャンプ等の話題が
 スポーツ紙面をにぎわす頃となりました。少年野球選手諸君は
 シーズン到来を、今や遅しと待ち構えていることと思います。
  そんな時、温かい日和にも恵まれた7日、創造運動公園多目的
 広場で、「埼玉西部ライオンズ」の少年野球教室が行われました。
  主催は総合運動公園の指定管理者、「毎日・シミズ首都圏共同
 事業体」、参加したのは久喜市スポーツ少年団野球部会の5年生
 以下、約150名の諸君でした。
 【グランド一杯に散って】
  コーチは埼玉西部ライオンズОB選手、岡村隆則・石井文裕・星野智樹・高山久の4名です。
 「埼玉西部ライオンズ」と言えばかっての西鉄ライオンズ、稲尾・中西・大下等を擁し、最強を
 誇ったものでしたが、このところのパリーグでの成績は今一つ、という感じです。
  コーチに来てくれた選手ОBも、私にはちょっとなじみの薄い方ばかりでした。もっともこの種の
 教室は、サッカーも含め皆こんな感じですが。
  子どもたちは温かい日差しを背に受けて、コーチたちの指導を熱心に受けていました。
 走塁、キャッチボール、ポジョン別の守備、バッティングとカリキュラムもピッチリ組まれていました。
  私は開会式であいさつした後、しばらくこの練習風景を見て失礼しました。
  この日の野球教室が、子ども達のこれからに大きく活かされることを希望します。
  同時に「埼玉西武ライオンズ」の今シーズンでの活躍も。
  企画頂きました毎日・シミズ共同事業体の皆様、ありがとうございました。

 
 ●平成26年度・埼玉県スポーツ少年団県外研修 1/24(土)・25(日) 鬼怒川温泉 
  毎年1月の最終土・日は、県
 スポーツ少年団本部主催による
 「県外研修」の日です。私の記憶
 では、昭和50年度から始まって
 いますので、もう40回のなるかと
 思われます。私もこれに参加する
 ようになり、35年を越えていると
 思います。とにかく日本一、の
 埼玉県ならではの行事なのです。
  【全体会・開会行事】 【全大会研修・パネルディスカッション】

  要するに鬼怒川、伊香保、磯部
 といった県外温泉地の大ホテルに
 県内スポ少指導者が一堂に会し
 1泊2日に渡って全体研修、種目別
 部会会議を持ち、夜は大宴会で同じ
 釜の飯を食い、交流と懇親を深める
 というものです。ただこれに300人
 ものスポ少仲間が参加するのです。
   【県内スポ少指導者が一堂に勢しての大宴会】

  昨年まで私は長くこの行事の責任者を勤めていました。研修内容を何にするか等、企画段階
 また現場でも進行に大変気を使いました。本年度の本部機構改革で、このお役から解放され、
 久しぶりに気楽に2日間を過ごしました。
  研修は1日目、2日目共に、3人のパネリストによるパネルディスカッション、総合型地域スポーツ
 クラブに係る群馬県の小出氏、静岡県スポ少副本部長の伊藤氏、日本本部講師で愛知県の
 吉田氏のお三方です。単なる肩書きの持ち主だけでなく、各々複合、陸上・剣道少年団の現場
 指導者です。内容も指導者の資質向上を大項目に、指導方法、リーダー・若手指導者の育成
 クラブ経営=マネジメント、母集団の在り方等々の中・小項目に及びました。ディスカッションの
 合間合間に、パネラーがマイク片手に会場内を回り、参加者の意見を求める等、全員参加型
 のパネルティスカッションでした。ただ3人とも言うべき内容を多すぎるほど持っており、それを
 能弁に話すため、中身が多すぎる、もう少し一つの内容をじっくり聞きたいという印象を持ち
 ました。

  種目別分科会は文字通り、県内12の種目別少年団がそれぞれに会議を持ち、新年度の
 大会の在り方、部会運営上の問題点等を協議するものです。野球部会の67名から複合部会
 4名までの規模です。私は当然サッカー部会に出ました。42名の参加でした。スポ少サッカー
 部会の問題点については、もう何度も記してきました。
   Aというサッカースポーツ少年団は、99%までがサッカー協会4種(U12)に加盟し、同時に
 Aサッカークラブなのです。この両者(同体)は、サッカー少年委員会に組織されています。この
 少年委員会は、全面的にサッカー協会の方針の下に運営されています。この矛盾がここ数年
 多くの点で表れ、また改革する動きもありました。県内種目別少年団では、一番遅く「部会」が
 組織され、曲がりなりにも少年団大会は、ここが主管するようになりました。然し根本的に先の
 関係が続く限り、きわめて制限されるものとなります。
  本年、38回の歴史を持つ全国大会(協会主催)が、夏から冬と開会期日が変更に成ります。
 同時期に開催されてきた少年団県大会が、このことだけで当然のこととして、43回の歴史を
 持つ少年団大会の、開催時期が変更に成るのです。この不思議さが不思議なものとして、
 多くの人に理解されるのには未だ時間がかかるのでしょう。

  全体会、部会会議終了後、鬼怒川の湯で疲れを取り、懇親会の始まりです。なにせ300人
 からの大宴会です。講氏の方々はただ目を丸くしていました。開会で挨拶した私は『これからが
 研修の本番です。同じ窯の飯を食べ、大いに語り、交流し、本年もまた少年団の主役・子ども
 達のため頑張りましょう』と述べました。
  少年団を取り囲む環境は厳しさを増していますが、この仲間と共に今年も頑張っていきます。

  
  ●極寒の第4回スポ少ロードレース大会 1/12(月・祝) 菖蒲上大崎グランド










 【朝7時・富士山が綺麗でした】【開会前の打ち合わせ】  【開会式・競技上の注意】









 
【低・中学年菖蒲中周辺】  【高学年・見沼代用水沿い】   【駅伝・タスキ渡し】 

  
4年前、スポ少が統一され拡大された組織状況で、ロードレース大会会場の選定に苦労
 しました。コース・トイレ・駐車場の3点がそろっていないとダメなのです。結果菖蒲総合支所
 近接の上大崎グランド周辺となりました。ただ一つだけ難点がありました。西・北方向が
 見渡す限り田んぼの事、もし1月と決まっている大会日に、風でも吹けばその寒さは想像を
 越えると言うことです。丁度この日がその厄日に当たりました。

  役員集合は朝7時です。富士山が実に綺麗でした。役員を集め最後の打ち合わせ、
 体協やレク協も兼ねる教委の事務担が、その数の多さにびっくりしていました。私たちに
 とっては当たり前のこととなっていますが、指導者・保護者の熱心さ、まじめさは、スポ少
 最大の強みと言えます。
  市長・議長・教育長を来賓にお迎えし、開会式です。私はこの行事が27年に入り、最初の
 本部事業の事から、新年のあいさつをし、今年1年が本部・各単位団・指導者・団員にとって
 良き1年でありますよう、そのためにも各々が日常活動に頑張られるよう話しました。

  レースが始まりました。学年別・男女別の個人ロードレースと、団対抗駅伝です。1年~
 3年女子までが菖蒲中周辺を走る1、000m、3年男子~4年生が+グランドで1、500m
 5・6年が、上大崎グランドと菖蒲総合支所の中間を流れる、見沼代用水沿い2000m強の
 コースです。駅伝は5・6年のコースを使用、1団5名でタスキをつなぎます。皆極寒、強風
 のなか、一生懸命走っていました。

  ただハプニングもありました。トイレの件です。上大崎グランドには電話ポックス型1つ
 しかありません。農業トレーニングセンター、総合支所前駐車場、総合支所内のトイレと
 3か所を借りました。一番近い農業トレーニングセンターのそれが、開始すぐ使用過多
 による詰まりとかで使えなくなりました。これは使用過多というより設備上の欠陥だと思い
 ます。とにかくみんなにご迷惑をおかけしました。お詫びします。

  それにしても大変な寒さと強風でした。本部のテント内に多くいましたが、強風で激しく
 揺れ、こわい位でした。それでも時間どおりに終わったのですから、役員の皆様の
 ご協力には心より感謝します。今年1年厳しい状況の中で頑張って参りましょう。
  なお駅伝の部上位入賞、男子3、女子2は、2/11朝霞市で行われるスポ少駅伝
 県大会に出場します。頑張ってください。私も主催者の1員として応援に参ります。


   ● クラブ・高校サッカー準決勝戦観戦  1/10(土) 埼玉スタジアム

 
 昨年の暮れ始まった平成26年度・
 第93回全国高等学校サッカー選手権
 大会も、2日間を残すのみとなりました。
  私が代表を務める「久喜少年サッカー
 クラブ」は、毎年準決勝戦2試合の観戦と、
 明治神宮に卒詣で、各種大会での勝利、
 1年間の無事故を祈願するのを常として
 きました。
【第1試合・星稜:日大藤沢】【応援席手前・桃・藤沢、黄・星稜】
  
今年は最後の2日間は解体工事のため
 国立は使えず、「埼スタ」となりました。
  大宮の氷川神社にでも、初詣に行くか
 との案も上りましたが、駐車に難があり
 結局今年はサッカー観戦のみとしました。
  第1試合は石川星稜―日大藤沢、
 第2試合は前橋育英―流通大柏の組
 合わせです。
【第2試合・黄・前橋育栄―赤・流通大柏】 【1―1でPK 決着】

 
 折から寒波襲来中とあって、寒さの中での観戦となりましたが、第2試合後半30分を除いて
 冬の日差しを一杯に受けてであり、まあまあの状態でした。
  第1試合・星稜―日大藤沢戦は3―0で星稜が勝ちました。前半日大藤沢は2つのPK を
 与え、これが命取りとなりました。特に最初のPK は、ゴールから離れるドリブルへのファール
 だっただけに
、ちょっと厳しい感じでした。ただ星稜は昨年に続いての決勝戦進出、その勝利は
 順当なものでした。
  第2試合、前橋育英―流通大柏戦は、双方ともに攻撃力に富み、スピーディな試合展開、
 第1試合より大分見応えがありました。試合終了間際に同点に追いついた前橋育英が
 1-1の引き分けから、PK 方式での決着となり、5-4で辛勝しました。 

 
 決勝戦は12日(月・祝)、石川青陵―前橋育英で争われます。互角と思われますが、経験
 の部分だけ僅かに星稜有利かな、なんて気がします。この日はスポ少ロードレース大会の日
 なるたけ早く後始末を終えて、テレビ観戦する事にします。それにしても我が埼玉代表が
 ここまで進出するのはいつの事に成るのでしょうか。

 

  ●サッカー高校全国大会・昌平高校初戦敗退12/31(水) 大宮Nack5スタジアム









 【明日はごった返す    【地元・杉戸町のゆるキャラ   【昌平高校応援席】
  氷川神社参道】      スギピュンも応援】
                                                                








 【こんなスタイルで応援   【米子北ゴール前の攻防】 【このPKで敗れました 】
    してました】

 
 杉戸町にある昌平高校サッカー部が、全国高等学校サッカー選手権大会に初出場したこと
 このチームのCB を務める中心選手に、私の教え子である小泉君がいること、この子たちが
 在団した6年間は成績・活動運営面全てにわたって、ウハウハだったことはすでに述べました。
 (本ページ11/16日付参照) その後も小泉君と激励を兼ね食事をしたり、関係者一同集い
 プチ壮行会を(中身は保護者と指導者の飲み会ですが)持ったりと、楽しい時間を持ち続けて
 きました。そして昨日大会開幕、今日が待ち望んだ初戦となりました。
 
  本団Sコーチと会場へ向かいました。途中の氷川神社参道は、今日夜からのにぎわいを前に
 びっしり露店で埋め尽くされていました。先発組が席を確保しており、「ハイッ」と応援の半被を
 渡され、写真のようなスタイルでの応援となりました。
  ここ「Nack5スタジアム」は、かっての「県営大宮公園サッカー場」です。「埼スタ」が出来るまで
 ここが少年サッカーの県大会会場でした。何度かここへ来られた喜びに浸り、また敗戦の悔し
 涙を流したものでした。そんなことを思い出したり、大勢集まった当時の保護者と世間話しをして
 いるうちに、選手諸君が試合前の挨拶に応援席にきました。皆立ちあがって大拍手、間もなく
 キックオフです。しかし応援席は皆立ったままです。「オイオイ」と思っているうちに「見えないよ、
 座りましょうよ」と言う声、「何言ってんだ、ここは応援席だぞ」と言う声、なんとこの席は全員
 立ったままで、応援する所のようでした。結局座席を求めてコーチ陣だけ移動、ゴール裏まで
 行きましたが超満員、前・後半立ったままでの観戦、クタビレ果てました。
  
  試合は0―1で昌平が敗れ、初戦敗退となりました。一言でいえば「負ける時はこんなもの」
 ということです。後半の前半「米子北」の逆襲から、サイドからカバーに入った昌平BK が相手を
 押し倒し、PK を許しました。結局この1点が命取りとなりました。それにしても武南・西武台
 市立浦和と強豪校を総なめし、県大会を制した昌平の良さは全く出ませんでした。全国大会
 初出場、加えて初戦からくる硬さからなのでしょうか。県大会であれほど見事だったポゼッション
 サッカー、パスサッカーは見る影もありませんでした。もっとも「米子北」のツメの早さもありました。  最後まで崩れなかったディフェンスは実に見事でした。テクニックよりもフィズィカル、スピード
 ファイトの面で「昌平」は確かに劣っていました。丁度日韓代表チームの試合を観る感じでした。

  私はもう50年を超えてサッカーを観戦してきました。中身が、質が劣っていたというではなく、
 繰り返しますが「負ける時はこんなもの」なのです。そこからそれぞれが何かを導き出し、次へ
 つないでいけば良いのです。
  小泉君は就職の関係で、チャンピオンシップをかけた大会は、これが最後になると思われます。
 6年前と同様楽しい夢を見させてもらいました。お礼を言います。どうか長かった今までのサッカー
 生活を新しい仕事の中で活かして下さい。ずう-っと応援し続けていきます。


    ● ウインターカップ久喜2014開会式  12/20(土) 第一体育館








【入場を急ぐ選手諸君】【田中市長来賓挨拶】【参加チーム紹介】【呼び物・歓迎のパフォーマンス】

 
 「ウインターカップ2014」は、20(土)・21(日)の2日間第一体育館をメインに、小学校体育館を
 含む6会場で開催されます。この合同開会式が第一体育館で行われ出席しました。この大会は
 一応本部主催事業となっていますが、久喜市の「ミニバス部会」の手により、平成5=1997年
 より行われています。大会の規模・内容・運営方法等市町村主催の大会としては県内トップレベル
 にあるものと思われます。
  参加規模は「優勝」部門男女各16チーム、「友好」部門男女各9チーム、計50チームに及び
 ます。その「優勝」と「友好」と言う概念です。どのスポーツ種目にも共通する勝ちたい・優勝したい
 技術を高めたいというチームも、戦力・人数的にそこまでいかなくともバスケを楽しみつつ、仲間と
 交流しながら大会には出たい、というチームも共に参加できる大会なのです。運営方法です。
 バスケは決して指導者の多い種目ではありません。試合のコーチ、審判等に集中せねばなりま
 せん。当然様々な運営をスポーツ少年団で言ういわゆる「母集団」が担わねばなりません。所で
 この「母集団」は今少年団のネックだと言われています。現在の少年団の低迷の大きな原因は
 これにあると言われている位です。しかしこの大会でいきいきと自発的に活動している「母集団」を
 見ると、私などはすごく安心するのです。他に体育館の壁に張られる横断幕、それはこの大会を
 盛り上げようと歴代の団員・母集団の手づくりであり、歴代受け継がれているものです。そして
 市内のミニバス単位団が毎年交代で見せてくれる歓迎のパフォーマンス、今年は「青葉ホップス」の
 女子団員がポンポンを両手に見事なダンスを披露してくれました。私も市長以下の来賓も毎年
 これを観るのを楽しみにしています。
  要するに大会規模、大会内容、そして運営方法いずれも少年団大会の在るべき姿を体現して
 いるです。ここまで努力されたミニバス部会の皆様に深い敬意を表します。私は開会式でそんな
 ご挨拶を申し上げました。 

  開会式終了後子どもたちは6会場に散って、今日・明日の2日間熱戦を繰り広げます。そこでは
 県大会上位入賞を狙う強豪チームの激しいプレーも、バスケそのものを楽しむ友好的プレーも
 見られることでしょう。頑張ってください。明日、また閉会式でお目にかかります。丁度市民グランド
 での「久喜カップ」の大会と重なっていますが、せめては決勝戦くらいみたいと思っています。
 

    ● 埼玉県スポーツ少年団表彰式 12/7(日) 浦和ワシントンホテル



 【県スポーツ少年団表彰】 【本部長より盾を授与】 【にぎわう祝賀会】
  7日浦和ワシントンホテルで本年度第4回のスポーツ少年団本部員会、終了後日本スポーツ
 少年団顕彰伝達式、埼玉県スポーツ少年団表彰授与式が行われました。下記したようにこの日
 私は午前中、久喜市綱引大会に出ていました。予選リーグを突破した教え子たちのその後が
 気がかりでしたが、それはそれ立場上こちらに出席しました。
 
  日本本部は「顕彰制度」に基づき毎年各県推薦の有終市町村本部、指導者を顕彰しています。
 久喜市本部(旧)も私もすでに受賞(平成2年)しています。この伝達式を県本部表彰と合わせて
 行っています。今年は市町本部では春日部市・東松山市等6本部が、指導者では6名が伝達を
 受けました。
  さて県本部です。県では独自の表彰制度の下に、毎年優秀指導者表彰を行っています。各
 市町村本部の推薦によるもの、登録指導者200人につき、1人を推薦できます。久喜市本部は
 500名を越す指導者数ですから毎年3名を推薦しています。この推薦は久喜市の本部員会で
 行います。これがなかなか大変で、活動年数、本部・部会・単位団等活動領域等考慮し決定します。
  今年は野球・ミニバス・バレーボールから1人ずつ推薦、受賞されました。嬉しかったことは
 4人全員がそれぞれの活動にお忙しい中、浦和までお運びいただき授賞式、そり後の祝賀会に
 までご出席頂けたことです。
  賞状ではなく祝文を刻んだ盾をお渡ししています。それには最後に「今後の益々の活躍を祈念
 します」とあります。「長いこと御苦労さまでした」ではなく、「今後ともよろしく」との意味を込めた
 表彰です。さらなる活動を期待致します。

  後年内に団員増加プロジェクトの会議がありますが、本部としては今日で年内の活動を終える
 ことになります。12年続いた藤沼本部長から、佐藤新本部長体制に移行した本年、組織的には
 団員減少に歯止めがかからず、冬の時代を迎えています。
  しかし何としても頑張っていかねばなりません。少子化の時だからこそ少年団の必要性、
 重要性はますます高まっています。長い間努力された受賞者1人1人の顔を眺めながら、そう
 決意を強くしました。


   ● 平成26年度 久喜市綱引大会  12/7(日) 久喜第一体育館 








【早く入場したいな】 【フロアーではレーン設営】【1千人を越す開会式】【初参加栗橋南小児童宣誓】

  平成26年度久喜市綱引大会が、7日第一体育館で開催されました。もう
 何度も書いてきました。久喜市が埼玉県では最初の町として「綱引」を
 導入したのは昭和58年です。当時『日清カップ』と呼んでいた県大会を
 2年連続久喜市で開催、これに自信を得て「久喜市綱引大会」開催に踏み
 切ったのは60年の事でした。合併新市に生まれ変わりましたので、継続
 回数は謳っていませんが、だから今年は記念すべき30回大会となります。
  毎回100チーム、1000人を越す大きな大会として持たれ、私はその
【市役所-我が祭り若者】 30年毎年この大会に関わってきた事になります。

  主催は久喜市と久喜市教育委員会、協力「久喜市綱引連盟」、「久喜市スポーツ推進委員
 協議会」、「久喜市レクリエーション協会」、小学生を男女別低・中・高と6部門、それに一般男女
 混合の7部門という試合形式も変わりありません。今回107チームが参加しました。監督・マネー
 ジャー、応援する保護者等を加えたら1、500人を超えていたと思われます。
  これに対して審判有資格者は10数名、平均年齢は恥ずかしながら70歳を超えているでしょう。
 3レーンに4名ずつ貼り付け、大会をこなしましたがくたびれ果てました。駐車場係から受付、招集、 記録とスポーツ推進委員・レク協の皆様のお骨折りを頂きました。感謝申し上げます。

  私はここ10年を超えて、毎年久喜小の依頼をいただき綱引の指導に出向いています。昼休み
 業間の時間です。今年は上手く日程があって、11月上旬の連休明けから20日近く伺いしました。
  だからどうしても情が移ります。なんとかメダルを取らせたいと思いましたが今年はダメでした。
 久喜小は選抜形式をとりません。クラス単位ですし、どういうわけか毎年身体が小さいのです。
  この日私は上記しますが午前中のみでした。後ろ髪を引かれる思いで会場を後にしましたが
 午前中の予選を観てある程度覚悟していました。とにかく身体に違いがありすぎるのです。
   30年も大会を続けているので、どの学校も技術・フォームに関する練習が出来ています。
 加えて綱引連盟の会員がそれぞれ地元の学校に指導に出向いています。1人平均5Kも体重が
 違うとまず勝てません。でも手前みそですが、久喜小の4・5・6年女子のチームはあの小さな
 身体で実によく頑張りました。特に6年女子の技術的レベルは大会参加チーム中トップだったと
 思われます。
  一般男女混合はここ数年、市役所チームと、私が会長を勤める地元の祭り若者のチームが激戦
 を繰り広げています。ここ2年は祭り若者チームが勝ってきましたが、今年は大熱戦の末、市役所
 チームが雪辱を果たしたそうです。技術では勝てませんが、来年はメンバーをそろえリベンジ
 します。

  これも何度も書いてきました。綱引は猛烈に激しいスポーツです。普通の人が2本も引いたら
 まず動けなくなる、吐き気をもよおすくらいです。だから競技として大衆化する事はまずないで
 しよう。しかし1人のヒーローも出ない、誰のお陰で勝つでもなく、誰のせいで負けるのでもなく
 8人が1本の綱に思いを込め、協力し合ってこそ成り立つ究極のコミュニティスポーツなのです。
  学級経営にも町内会の親睦にも正に役立つものと言えます。まあそんなことでこれからも
 老体にムチうって頑張り続けることとします。


    ● スポーツ少年団バドミントン県大会 12/6(土) 久喜第一体育館








  【参加した選手団】      【選手宣誓】      【12面一杯に使って】 
 
 平成26年度・第33回スポーツ少年団バドミントン県大会が、一段と冬の冷え込みの増した
 6日(土) 久喜第一体育館で開催されました。この大会は昭和57=1982年第1回大会を
 蕨市「コミュニティセンター」で開催しています。その時の参加チームは私の記憶では9団、
 ウチ6~7団が久喜市内のチーム(当時の鷲宮町も含む)だったと思います。その当時から
 現在も久喜市のバド部会が運営の中核を占めています。会場は2回大会以降転々とし、
 上尾市の陸上競技場に付属した体育館でも数回持たれました。しかし久喜市に現在の体育館
 がオープンして以来ここを固定会場として持たれています。私は第1回大会以来ずうっーと
 この大会を見続けてきました。
  県のバドミントン少年団は最盛時30団を超えた頃がありました。大会にも常時27~8団が
 参加していたと思います。現在20団を僅かに超える程度、この大会参加も16団に留まりました。
  一貫して県バド部会の中核を構成してきた久喜市のバド部会も、合併時7団から5団と減少
 ウチ1団は団員不足からこの大会に欠場しています。バドミントンだけにとどまらず、このところ
 団員数の減少→活動の低迷、最悪解散と言う状況が少なからずあります。何とも悲しい事です。
  県本部も久喜市も必死にこの状況突破に取り組んでいますが、中々思うにまかせません。
 
  大会は寒波の中県下から集まった元気な団員達の参加で行われました。佐藤本部長挨拶
 磯井県バド連盟会長から祝辞を受けました。また団員代表による団員綱領朗読、宣誓も行われ
 フロアー一杯、12面のコートを使って試合が始まりました。
  バドミントンは紳士のスポーツと言われますが激しい動きです。スマッシュは子どもはともかく
 300kmを越すそうです。それにラケット・シャトルが結構高く、ママお金のかかるスポーツだとも
 言われているそうです。しかし子ども達にそんなことは関係なし、寒さを吹き飛ばし、元気一杯
 シャトルを追っていました。
  この子たちがもっと良い環境の中で、もっと多い仲間たちとバドミントンが、スポーツが
 楽しめる状況をきっと作って参ります。
  

  ● 草加市スポーツ少年団本部40周年記念式典・祝賀会11/30(日) 草加市








 【記念表彰】 【草加市長から本部が表彰されました】【アトラクション和太鼓】 【にぎわう祝賀会】

  30日午後、草加市スポーツ少年団本部(大野美江子本部長)の創立40周年記念式典・祝賀会
 が、草加市アコスホールで開催され出席しました。草加市スポーツ少年団本部は昭和49年9団
 366団員、99指導者で結成され、40年の歩みを刻んでここに40年を迎えたことになります。

  会場アコスホールは160名を越す参加者で一杯でした。1部「記念式典」では大野草加市本部長
 挨拶の後、佐藤県本部長、田中草加市市長等の来賓挨拶があり、その後記念表彰に移りました。
  最初に特別表彰として県本部における我が盟友であった前本部長・故天野氏の特別功労賞表彰
 がありました。現職の本部長のまま病魔と闘いつつ逝去されました。県「指導者委員会」では私の
 片腕として活動してくれました。県の会議では絶えず反対意見を延べ、自説を決して譲らずいつも
 とんがっている人でした。しばし懐かしさに浸りました。
  永年指導者への表彰までは当たり前でしたが、その後田中草加市市長から草加市スポ少本部
 への感謝状の贈呈がありました。「青少年健全育成へ長きにわたり努力されている」ことへのもの
 です、当然とはいえ素晴らしい事でした。

  その後立食形式の祝賀会に移りました。その席で私は来賓祝辞を述べるはめとなりました。
 先の故天野氏戸の関係以外にも、私は草加市とは深い関わりがあります。
  旧久喜市本部は昭和51年発足、最初3年間無我夢中で活動し、54年度から研修事業に
 取り組みました。3年連続した「認定員養成講習会」の講師団の中心的役割を果たされたのが
 草加市初代本部長のA氏、A氏は先に行われた草加市市議選に75歳で立候補、12期連続
 当選を果たされています。ここで「認定員」を得た私は55年に「育成員」をえるべく、秋田県
 田沢湖青少年スポーツセンターで研修を受けました。この時ご一緒したのが草加花栗剣道の
 N女史と氷川ミニバスのY氏でした。お二人ともその後少年団を離れられたのでしょう、ここ20年
 お会いする機会を得ません。その後前記したように県本部で天野氏等と共に指導者研修の任に
 当たりました。その時講師として何度もお越しいただいたのが、草加市教育委員会のN先生、
 この日は来賓としてお見えに成っておりしばし昔話に花を咲かせました。また草加市は野球は
 南部地区ですが、サッカーは東部地区に所属、草加市内のチームとは良く試合をしたものでした。
  そして最後に少年団とは全く関係ありませんが、とお断りして、私の最愛の孫が市内に住み、
 今日は幼稚園の運動会、明日は音楽会と足げく草加に通っている事、その孫と大分歳の離れた
 いとこが草加市の野球少年団に所属、主将を努め、県大会にまで出場させてもらったこと、
 だから孫も草加の少年団に入団し、その時は私が「母集団」成らぬ、「爺集団」の1員として
 草加市スポーツ少年団活動に協力する、と結びました。

  いずれにせよ少年団は今、少子化を最大の因として厳しい状況におかれています。草加市も
 久喜市もその例外ではありません。しかしあらゆるバトスとロゴスを結集し、この状況を突破
 していかねばなりません。なぜなら「子どもの成長を願うとき、そこに少年団がある」からです。
  子ども達の利益を守り、育んでいく活動にこの日を契機とされ草加市スポーツ少年団がさらに
 歩み続けられることを祈念いたします。一緒に頑張っていきます。


       ● 綱引指導・今年も頑張っています  11/23(日)
                          
 
  私が「綱引」に長く深くかかわっていることは
 もう何度も報告しています。今年も「久喜市綱引
 大会」が12/7(日)に開催されます。この大会は
 今年が記念すべき30回大会となります。
  「綱引」は実にきつい競技です。ですからこれが
 普及する、大衆化するということはないでしょう。
 しかし小学生などを対象とした大会を持つ場合
 それは最も優れた種目と言えます。他の多くの団体競技のように誰のお陰で勝ったのでもない
 誰のせいで負けたのでもない、8人全員が1本の綱に思いを合わせ、協力する事によってのみ
 成り立つ競技だからです。いわゆる1人はみんなの為に、みんなは1人の為に、の典型と言える
 のです。私が「綱引」に長くかかわったきたこと、大会の前にもう10年を超え、寸時を惜しんで
 久喜小に綱引指導に通い続けてきたのもこれが原因なのです。
 
  今年も大会ほぼひと月前、11月4日の連休明けから久喜小に通っています。去年までは業間
 昼休みの両方でしたが、業間の方は間もなく行われる「持久走大会」の練習に使うとの事で
 今年は昼休みだけです。火曜を除いて僅か20分ですが、練習日が低・中・高学年ときちんと
 割り振られているため、結構細かいことまで指導ができます。
  「綱引」で大切なことは身体全体の力で引くこと、そのためには綱を身体の正面にしっかり固定
 し、正対する事です。このことを8人全員が身につけ、一直線上で、「引く」、「耐える」をしっかり
 体にしみこませることです。

  写真はたまたま低学年、それも1年生のチームです。どうしても中・高学年に比べもう一つと
 の所があります。写真・左のチーム後ろ5人はまずまずですが、1番前は姿勢が高すぎますし、
 2人目は右足が浮いています。写真右のチームです。3人目、足をもう30㎝前へだす、4人目
 非常に正しいフォームのようですが、これだけ低いと「耐える」力は出ますが、「引く」力は出ません。
 もう少しい高い姿勢が必要です。6人目お尻が出ています。これでは全く力が出ません。上体を
 起こさねばなりません。と結構難しいのです。でも中・高学年は見事なまでのこのフォームを身に
 付けていますから大したものです。
  「久喜市綱引連盟」の会員がそれぞれに地元の学校に指導に行っています。だからフォーム・
 技術にさほどの違い・差はありません。どうしても身体=体重の大きい方が有利となります。
 久喜小は毎年比較的身体が大きくなく、この辺で劣勢を強いられてきました。7日はぜひ
 頑張ってほしいと思います。

  毎日熱心な先生が3・4人参加されています。感謝する次第です。この後11月定例会が始まり
 ます。今までみたく行けなくなりますが、大会まで最後まで頑張ります。


昌平高校・サッカー全国大会へ、久喜少年サッカークラブОB小泉君大活躍 
                           11/16(日) 埼玉スタジアム









【バックスタンド昌平応援席で観戦】       【表彰式・白・昌平高校、階段を上る
             【CKから小泉君がヘッドで得点】   橙は準優勝市立浦和】

  
下記した少年団大会の表彰式を終えて急いで埼玉スタジアムへ走りました。平成26年度・
 第93回全国高等学校サッカー選手権大会埼玉県大会決勝戦観戦のためです。11月第3日曜
 日のこの日は、毎年第2・3グランドで少年団、メーン会場で高校選手権の決勝戦が行われます。
 いつもは少年団大会の表彰式を終わらすと、スタジアムからの大歓声を聴きながら家路について
 いました。然し今日は別、とにかく一目散にスタンドを駆け上りました。
  私がスポーツ少年団・「久喜少年サッカークラブ」に深く、長く関わっていることは本ページや、
 「久喜少年サッカークラブ」のページでずうっと報告してきました。創設昭和52年、今年で38年目
 になります。今基盤とする久喜小の児童数の減少他、から団員数が激減、低迷の淵にあえいで
 いますが、かっては常時100名からの団員を擁し、東部地区きっての強豪チームでした。県大会
 にも数多く出場してきましたが、史上最強チームは、と考えると7期・昭和58年、12期・昭和63年、 そして32期・平成20年と直ぐ数えられます。この22期の学年は現高校3年、今日の決勝戦を
 戦う昌平高校で当時のキャップテン・小泉君が中心選手として出場するからです。
  この子たちと共に6年間ウハウハの時をすごしました。1年~6年まで全ての市内大会、関連
 大会に優勝しました。県大会にも3度出ました。前記したようにこの直前に少年団大会を観戦
 していますが、新人戦・全国大会県大会で、ベスト16・8で敗れたのが、今日の優勝を争った新座
 片山、江南南だったのも懐かしい思い出です。
  子ども達も保護者も最高のメンバーでした。あらゆる協力を惜しまず、今なお年数回の懇親の
 集いを持ち、必ずお声をかけてくれます。小泉君はそのチームのキャップテン、母上は育成会
 会長でした。武南ジュニアユースから本団OB3名と共に昌平高校へ進みました。新興ながら強豪
 チームに成長した昌平高校にあって、センターバックとして不動の地位を獲得、決勝戦進出の
 大きな力となってきました。昌平高校応援席近くで当たりを見回していたら『団長』と声をかけられ
 ました。32期、1・2年前後の保護者が一団で席を占めていました。気持ちは一つ、とうれしくなり
 ました。さあ、観戦です。

  昌平は絶好調です。西武台、武南、大宮東、埼玉栄と全国大会経験校を一蹴、東部地区内の
 チームとしては初となる全国大会を狙っていました。昨年の全国大会出場チームの古豪・市立
 浦和はエースをけがで欠き苦しい状況にあり、昌平有利の声がありました。試合はその通り
 昌平がボールを支配、押し気味に進行しました。 立ち上がり昌平エース野村君が見事なオーバー  ヘッドキックで先取点、そして後半小泉君がCKをジャンプ一番、ヘッドで合わせ決定的とも言える
 2点目をあげました。考えてみれば先取点をあげた野村君は「春日部大増」、鎖骨骨折で欠場
 した浦和市立のエース石上君は「春日部豊春」の選手、共に小泉キャップテン下の本団と東部
 地区の王座を争ったものでした。当時を懐かしく思い出しつつ観戦していました。
  そして終了のホイッスル、周辺は歓喜に包まれました。おめでとう小泉君、長い努力が実を
 結んだとしか言えません。昌平のキャップテン、CBの長里君と共に鉄壁の守備網を形作った
 小泉君は大会優秀選手にも選出されました。
  金メダルを胸に誇らし気に手をあげる小泉君の勇姿が、大型スクリーンに映し出されました。
 私達一団全員が抱き合い、ハイタッチし、歓喜に浸っていました。だから少年団でいいのです。
  さあ壮行会を準備しなくちゃ、とか、久喜小・久喜中や市長の所に表敬訪問に行くか、なんて
 思いつつ私もその渦の中にいました。
   とにかく全国大会出場おめでとう、途中で敗れた多くの仲間の分まで頑張ってください。



平成26年度・第43回サッカー少年団県大会決勝戦・閉会式 11/16(日) 埼玉スタジアム








【白・片山、青・江南試合前の挨拶】     【賞状を渡す横山協会会長】 【県大会出場32チーム】
             【片山CKから先取点】

  平成26年度・第43回埼玉県サッカー少年団大会の最終日が、16日(日)素晴らしい秋晴れの
 埼玉スタジアム第2・3グランドで行われ、昨年に続いて本部長代行で出席しました。
  県スポーツ少年団でサッカーは独特の位置を占めています。43回大会という歴史の古さ、団数
 団員数共に最大です。特に団員数では2番手の野球・バスケを2倍以上引き離し、全体の4割を
 占めています。問題はその運営方法、競技団体としてのサッカー協会の影響が強く、完全にその
 指導下にあります。選手育成・競技力向上を中心に回り、普通の地域サッカー少年団ではついて
 いけない状況も露呈しています。児童数の減少も加わり、昨今では団員数が極減、本年度は
 昨年度に比してなんと1、598名も減少するという危機的状況となっています。最もその最たる
 ものが私の団なのですから何をかいわんやです。
  今年の登録団は455団です。サッカーでは当たり前の11人制では参加できない団も結構
 ありますから、実際の大会出場チーム数は解りません。32チーム参加の県(中央)大会は3週に
 わたって持たれましたが、今日まで残ったベスト4は新座片山・江南南・埼玉JFC・成田フリーダム
 です。このうち新座片山・江南南は全国大会優勝の実績を持つ、正に全国クラスのチームです。
  成田フリーダムFC(熊谷市)は結成5年位の新チームとの事です。準決勝戦は新座片山が
 成田フリーダムに6-0と圧勝、江南南は1-0で埼玉JFC(富士見市)に勝利しました。

  結局決勝戦は新座片山―江南南という予想通りの対戦となりました。ここ20年両チーム以外
 優勝は1回だけ、片山は8回、江南は12回優勝、今年V3がかかっていました。試合内容も
 予想通り、立てに早い片山がCKからヘッドで先取点を取りましたが、クロスのスルーパスを
 有効に使った江南が徐々に圧倒、2-1で勝利を収めました。県内少年サッカーではいわゆる
 県大会が3つあります。(4種リーグのそれを加えると4回) 少年団大会でもこの有様です。
  他の県大会ではこの両者に大宮アルディジャ、浦和レッズ、レジスタ(八潮市?)といったこれまた
 特殊なチームが加わります。もう地域のサッカー少年団が勝てる時代ではないのです。

  閉会式・表彰式では私が賞状・優勝旗を、横山県サッカー協会会長が協会の賞状・トロフィを
 授与しました。少年団大会ですが、協会も主催団体となっているからです。かって県少年団
 本部長が来賓と紹介された事もあったとか、まあ少しは前進しているのでしようか。
  所で来年度から「全日本少年サッカー大会」のスケジュールが変更、冬季開催となります。
 ために少年団大会も日程変更を余儀なくされます。日程変更がスケジュールの過密化、
 競技力向上路線の一層の推進につながらないか、少し心配です。とにかく今年1年で1600名
 も減ったのです。地域少年団が楽しくサッカーを続けていける、そんな事こそ大切と考えます。

 
 ●平成26年度・県スポ少東部地区本部長会議 11/15(土) 久喜市中央公民館

  埼玉県スポーツ少年団ブロック別本部長会議・東部地区が、15日
 
久喜中央公民館で開催されました。県本部総会=代議員会を構成
 各市町村本部からの代議員は基本的にその町の本部長です。
  年1回だけでなく、親しく会議を持ち意見交換し、交流・親睦の
 ひと時を持とう、市町村本部の発展なしに県本部の発展なし、との 
 藤沼前本部長の発意から、平成15年から毎年この時期にもたれ
 本年度で第12回となります。
  さて東部地区ですがかっては25市町村、現在は合併の関係で
 南は三郷・八潮、北は行田・羽生まで15市町で構成されています。
  丁度中央に当たる春日部~久喜市で開催するのが出席者に一番便利、加えて私が東部地区を
 代表して副本部長にあることから久喜での開催は今回で3度目になります。

 
 会議には吉川市、行田市本部を除く13市町本部から21名、+県本部長・事務担当の23名の
 出席を得て開かれました。私が司会進行を担当、まず佐藤本部長挨拶、続いて柿沼教育長
 より来賓挨拶をいただきました。佐藤本部長は『少子化が最大の因としも、団員数の減少化が
 進んでいること、県本部で対策のプロジェクトを立ち上げたこと、ここでいろいろ御意見を伺い今後
 の対応を進めて行きたいこと』等を話されました。
  そのあと阿部県事務担当者より、1・26年度登録状況、2・「団員の増加に関するプロジェクト」
 中間報告について説明がありました。
本年度の登録数は団・1、726、指導者18、916、団員
 
54、241、それぞれ昨年度に比して39団、261名、2、960名減少しています。特に団員の
 全児童に占める割合=少年団団員の加入率が0・7ポイントも減少したことは大ショックでした。

  東部地区では吉川市を除き14市町で減少しています。東・西・南・北ブロックで一番東部地区の
 減少数が大きいというのもショックでした。団数・指導者数では野球が一番減少、団員数では
 サッカーの減が飛びぬけています。
  私も参加している県の「プロジェクト」の中間報告では、9名からなる会議の進行状況を報告、
 来年度の早い時期に増加策を策定し、各市町村本部・関係機関の協力を得て、出来るものから
 実施していきたい、としました。

  その後意見交換に移りました。
どの市町本部長からも深刻な団員減少の状況が報告され
 ました。特に出されたのが、※いわゆる母集団の問題、特に義務付け・強制は今の保護種には
 絶対受け入れられない。※ 縛りがなく、親の負担が少ないいわゆるクラブへ入会する傾向
 ※ 加入率の減少=子どものスポーツ離れがある、※ 「サッカー」の問題等々でした。 

  聞いていて皆うなずけるものばかりです。私たちが大事にしてきた理念と現実の状況との
 間に格差があります。現実を受け入れる、しかし理念は大切にせねばならない、この問題は
 ずぅーと続くことに成ります。
  そのあと席を移しての懇親会、皆親しいスポ少仲間、しばし日頃の苦労を忘れて
 楽しいひと時でした。


  ● 県スポーツ少年団空手道部会30周年記念式典 11/1(土) さいたま市








 
【開会市野委員長挨拶】  【記念表彰】     【乾杯で懇親会へ】   【万歳三唱でお開き】

 
 埼玉県スポーツ少年団空手道部会(市野彰俊委員長)の創立30周年記念式典が、1日
 さいたま市佐藤栄学園大宮法科学院大学「ビュッフエレストラン・スクェア」で開催されました。
 式典には空手道部会関係者をはじめ、県本部役員、空手道関東ブロック役員等約100名が
 参加、盛会でした。
  県スポ少空手道部会は昭和61年年頭の発足、同年3月に第1回の県大会を18団の参加
 で開催しています。また平成17から関東ブロック種目別交流大会5種目目の種目として実施
 しています。現在空手道部会を構成するのは約50団、指導者500名、毎年県大会を800名
 以上の参加規模で実施しています。こうした成長・拡大の流れの中心的役割を果たしている
 のが、委員長の市野氏、氏とは県本部活動で長く・親しい関係にあります。

  式典は市野委員長の主催者あいさつ、佐藤本部長の祝辞と続き記念表彰に移りました。
 1・今日までの空手道部会を築かれた功労者、2・全国大会等へ出場した優秀選手、まではよく
 あるケースです。ただ3・にリーダーとして単位団に残り後輩の指導に当たっている団員への
 表彰があったのには少し驚きました。そういえば私は今年も含め空手道県大会に本部を代表
 して出席することが多くあります。母集団を良く組織し、積極的に大会運営に当たっています。
 今回も女性活動家が多く出席、また式典運営に当たっていました。「空手」・「武道」という
 いかついイメージとは異なり、少年団の理念を良くいかしているという印象です。

  祝賀会の部では空手道関東交流大会参加に道を開いた、藤沼前本部長の祝辞、鴻巣市の
 空手道連盟会長・原口鴻巣市長の発声による乾杯から祝宴に移りました。親しいスポ少仲間
 との楽しいひと時でした。
  空手道部会の30周年をお祝い申し上げます。引き続きの充実・発展を祈念いたします。


      ● 文部科学大臣表彰受賞の報を受けました。 9/17(火)

  文部科学大臣表彰スポーツ部門(生涯スポーツ功労者)の受賞の知らせを受けました。スポーツ
 振興一筋に50年近く歩んできた者として素直に喜び、ご推薦頂いた埼玉県スポーツ少年団本部
 埼玉県体育協会・埼玉県教育委員会・日本体育協会関係各位、今日まで共に汗を流し、苦楽を
 共有してきた多くのスポーツ仲間に感謝申し上げます。

  文部科学省は毎年文化・科学・芸術・スポーツ各部門において顕著な活躍、または成果をあげた
 個人・団体を表彰しています。私が今回頂くのはスポーツ部門です。「地域や職場においてスポーツ の健全な普及・発展に貢献し、地域スポーツの振興に顕著な成果をあげたスポーツ関係者及び
 団体」に授与される
「生涯スポーツ功労者表彰」です。別枠で世界大会、国際大会で優秀な成績を
 あげた個人・団体への優秀者表彰、スポーツ推進委員に対する「スポーツ推進委員表彰」があり
 ます。今回この賞を受賞するのは全国で156名、県内では7名です。


  
今年の早い時期に埼玉スポーツ少年団で推薦決定がなされ、→県体育協会(県教育委員会)→
 日本体育協会と送付され、日本体育協会で推薦が正式決定されました。正式決定の報告を受けた
 のは今月早々でしたが、「新聞発表まで控えられたし」との指示もあり、今日まで伏していましたが
  本日「埼玉新聞・読売新聞」での報道がなされ報告するに至りました。

  私の久喜市でのスポーツ活動の歩みは本H・Pの冒頭「私の歩んできた道」でくわしく報告してい
 ます。 スタートは昭和39・1964年久喜町(当時)体育協会役員に「サッカー協会(現)」を代表し
 就任してからです。のちに理事長・副会長を勤めました。昭和57・58と理事長として「総合体育施設
 建設促進期成会」を組織、現在の総合運動公園建設実現に至ったのは忘れられない思い出です。
  昭和47年現「スポーツ推進委員・当時の体育指導委員」の委嘱を頂きました。平成7年市議会
 議員立候補に当たり辞職するまで23年間その職にあり、うち後半半分は委員長を勤めました。
  その時将来の高齢化社会を見据え計画的に取り組んだ各種軽スポーツ教室から、多くのレク
 団体が誕生しました。そうしたレク団体に呼び掛け、設立準備委員長として「久喜市レクリエーション
 協会」を組織、10周年まで副会長を勤めました。そして今は久喜市ポーツ少年団本部長・県副
 本部長にあります。
  スポーツ少年団は昭和51年「久喜市スポーツ少年団本部」発足に呼応、サッカー少年団組織化
 に取り組んだのが始まりでした。以来40年「スポーツ活動を通した青少年の健全育成」というこの
 道にのめり込んできました。昭和59年の日独同時交流派遣指導者としての訪独、翌60年の
 ドイツ少年団の久喜市への受け入れは、先の「総合体育施設建設促進運動」と並んで、私の生涯
 の誇りであり、今思い出しても胸の高鳴りを禁じえません。その後久喜市本部長、県副本部長に
 就任、県副本部長在職も14年目に入り、今回の表彰推薦につながったことになります。

  この間かけがえのない多くの友人を得、共に活動してきました。その中に「文科大臣表彰」を受賞
 された方が4人おられます。旧体育指導委員「K・М」さん、旧体育指導委員会会長・体育協会
 副会長「K・М」氏、旧日本スポーツ少年団本部常任委員・現市副本部長「Y・H」さん、現久喜市
 レクリエーション協会理事長「N・T」氏です。4人とも多くの時間を共にし、スポレク振興の夢を
 燃えし続ける大事な仲間です。この中で直接久喜市の推薦は「K・М」さんだけと思われます。   
 残りの方は持ち論久喜市での活動が基礎にあるのですが、県・日本組織からの推薦です。

  40年間にお1人です。それだけ久喜市からの推薦は難しいのでしょう。この4人や私のように
 それぞれの立場で地域スポーツ振興一筋に歩いてきた者に取り、文部大臣表彰は現時点での
 最高の名誉といえます。だから正直申していつの日にか私も、と思っていました。そして私の
 活動の長さや中身からして、いつの日か推薦を頂けるとも思っていました。(大分不遜です。
 反省します。) がここ数年は私のもう一つの立場からして、久喜市(教委)の推薦は難しいのだろう
 との思いが強くなっていました。だから今回の県スポーツ少年団の推薦は何とも嬉しく、長きに
 わたりご指導を頂いてきた藤沼貞夫前県スポ少本部長、三戸一嘉県体協専務理事他関係の
 皆様に心より御礼申し上げます。
  
  表彰式は
10月10日(金) 霞が関合同庁舎講堂で「下村博文」文部科学大臣ご出席のもと
 行われます。受賞後また報告します。


    ● 野球・空手道・バレーボール 忙しい1日でした。9/15(月・祝)

  
1年に何回かこんな日があります。出席せねば
 ならぬいくつかの大会・開会式が重なりました。
  野球(市内市長杯)、空手道(県大会)、バレー
 ボール(久喜近隣交流大会)の3つです。
  うち野球は多目的グランドで8:00、空手道は
 
上尾市の県立武道館で9:20全く同じ時間で
 
バレーボールが久喜第一体育館でした。ヤム得ず
 バレーボールは閉会式でお許しを頂きました。

   
           【団員綱領の朗読】
 
 市内少年野球市長杯大会は秋季大会、早い
 もので6年生最後の大会となります。夏季大会で
 優勝した「久喜レインポーズ」は東部大会を勝ち

 
き、県大会出場を決定していますはその
 東部大会でフエァ―プレー賞を獲得した「菖蒲
 アローズ」の表彰です。素晴らしいことですね。
 
「6年生諸君にとって最後の大会、思い出に残る

 
素晴らしい大会でありますように」私はこう
 【空手道県大会開会式】
    ②      挨拶しました。

  
空手道の県大会会場は上尾水上公園の一角にある「県立武道館」です。 県本部主催、県スポ少空手道部会の主管です。私は本部長の代理です
 が、年数回こうした例があります。いろんな県大会に出ていますが、空手着
 に身を包んでの開会式はやはり趣が違います。空手道は受ける感じと違い
 少年団の理念に忠実てあり、運営にも母集団が多く協力していました。、
 
 この大会は30回記念大会、立派な記念誌も頂きました。試合形式は
 「型」と「組み手」、 「型」は5人の審判が採点、旗判定します。
 【8面使用して運営されました】 実際打ち合う「組み手」も見たかったのですが、午後からという
 ことで失礼しました。11/1に予定されている「30周年記念式典」にも出席します。「空手道部会」
 の益々の充実・発展を祈念するものです。


 
 バレーボールは市本部主催、市バレーボール
 部会主管です。市本部が県から補助金を頂いて
 年2種目行っている「地域交流大会」、市内7団に
 加須市・白岡市・蓮田市・宮代町等から9団が
 参加してくれました。閉会式で表彰の後、開会式
 に参加できなかったお詫びを申し上げました。
 野球市内大会、空手道県大会、バレーボール
 【第一体育館での練習風景と閉会式】  地域交流大会と忙しい1日でした。
  最もこれに夜は会議という日程を年何回か経験しますが、……。どの会場にも元気いっぱいな
 子どもたちと、熱心な指導者、応援する保護者の姿がありました。やはり少年団は守って行かねば
 と思いました。最近ちょっとクタビレつつありますが、そんな時はこの子どもたちのはじけるような
 笑顔を思い出すことにしましよう。



     ● 早や「綱引」を準備する頃となりました 8/26(火) 中央公民館
             27―9/1 削除
     ● 埼玉県スポーツ少年団新旧役員歓送迎会 19日(火) さいたま市

 
 本ページ6/14日付で報告していますが、平成26年度埼玉県スポーツ
 
少年団代議員会(総会)で新旧役員の交代が行われました。特に6期12年
 
の長きにわたり、県スポ少3代目の本部長として指導に当たられた「藤沼

 
貞夫」氏が定年により勇退され、新たな本部長に「佐藤高弘」氏が就任
 しました。藤沼前本部長を囲み、ご苦労に感謝しつつ、新旧役員揃って

 
懇親のひと時を持ちつつ本部活動のさせなる充実を期そうそんな声が
 多くの人から沸き起こり、私を代表とする「発起人会」が準備に当たり

 
この日浦和Wホテル内「N」において標記の会を開催しました。
 【勇退された藤沼本部長、伊藤本部員に花束贈呈】

 
 藤沼前本部長は30歳代後半から40歳代、県教育局体育課職員にあり
 その大半を少年団担当に当たられました。旧久喜市本部発足当時、また
 私個人としては昭和58年日独同時交流派遣に当たり大変お世話になり
 ました。その後高校教員に戻られ、我が久喜市の「久喜高校」校長として
 教員生活を退職され、今度は役員としてスポ少に戻られました。平成14
 ~25年、12年にわたり本部長を勤められ、この間関東ブロック種目別
 交流大会、ボレーボール全国大会、創立50周年記念事業等の成功的
 【親しいスポ少仲間との楽しい歓談】  実現に大いなる指導力を発揮され
ました。

  思えば私はこの間一貫して副本部長として活動をご一緒したわけであり、感慨深いものがありま
 す。私たちは引き続き藤沼氏よりご指導を頂きたく、県本部「顧問」へ推挙しました。今後とも
 よろしくご指導のほどお願いします。他に今村副本部長(西部地区)、伊藤本部員他7人の本部員
 が定年・他の理由により退職されました。この日出席をいただいた伊藤前本部員は八潮市本部長、 本部員在職中は私が責任者を勤める「指導者委員会」副委員長として補佐いただきました。八潮市
 本部長は継続されますので引き続きよろしくお願いします。
   
  「会」は発起人の長谷川氏の司会で進行、発起人を代表して私の挨拶、佐藤本部長挨拶、
 藤沼・伊藤両氏に花束を贈呈、またご挨拶を頂き、神谷副本部長音頭の乾杯後、懇談に移り
 楽しいひと時を過ごしました。   
  県本部役員に定年制施行以来、毎年何人かの仲間が退職していきす。全てご一緒に活動して
 きた仲間ばかりであり、寂しさを禁じえませんが、同時に役員体制の若手化は必須の課題です。
  出田・尾崎両新副本部長、8人の新本部員、一新された新指導協役員と共に、停滞の許され
 ない県本部活動に今後とも努力し続けて行きたいと考えます。


         ● 今の夏も各種講習会頑張りました   16日(土)
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  ● 第33回少年軟式野球国際交流久喜大会レセプション7/20(日)鷲宮運動公園
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  ● 第33回少年軟式野球国際交流久喜大会開会式 7/19(土) 鷲宮運動公園

  ご承知のように久喜市スポーツ少年団本部は、新久喜市誕生と同時に
 平成22年旧1市3町の少年団本部が合体、誕生しました。この少年野球
 国際交流事業は旧鷲宮町本部で、20年前から続けられてきました。
  古葉竹識氏を理事長とするIBA 公益社団法人「少年軟式野球国際
 交流協会」は毎年7月末に、江戸川区臨海球場でU12の大会を開催
 します。この大会に出場するため来日する、オーストラリアのメルボルン
 選抜チームとの国際交流が、鷲宮で始まって丁度20年に成るそうです。
 オーストラリアのチームは久喜市内の野球少年団宅にホームステイ
 【オーストラリアチームの入場行進】 します。

  また春には鷲宮の選抜チームがオーストラリアを訪れ、やはりホーム
 スティで交流します。こんな素晴らしいことを30年を越え継続してこられた
 関係者の御努力に深い敬意を表します。
  今年の大会はオーストラリアメルボルン選抜チーム、市内女子選抜
 チーム、菖蒲地区、栗橋地区、旧久喜市内が4中学校区選抜チームと
 8チーム参加で、19・20の2日間鷲宮運動公園で行われました。
 この時期日本は梅雨、この日も前日の雨でメイン会場は使えず、お隣の
 【8チーム勢ぞろい、やはり身体は頭1つ大きいです】

  芝生広場での開会式でした。主催が「本部」と
 なっていますので、私が主催者挨拶をしました。
 久しぶりの通訳付きの挨拶でした。この大会で 
 素晴らしいプレーを発揮されると共に、大いに
 交流を深めていただきたい、本番の世界大会では
 素晴らしい活躍を!―-てな内容だったと記憶して
 います。開会式後第1試合の始球式をしました。
 【ピッチャーは教育長、相変わらず見事な?スイングでした】

  投げるのは教育長にお願いして私はバッター役でした。
 第1試合のメルボルンチームと、久喜市の女子選抜チームの試合を観戦
 しました。野球もサッカーに負けるなと最近女子のチームをどこの市町も
 組織し、交流大会を持っています。久喜の女子選抜チームも折にふれ
 合同練習をしており中々のものでした。監督・コーチとも女性指導者で
 これは大変よいことです。本当は最後まで見ていたかったのですが、
 今日は地元で昨日の提灯祭りの後片付けの日、みんな疲れ切った
 【守・オーストラリア―攻撃・久喜女子選抜】
 身体で頑張っているのに、まつり保存会会長の私が野球見物というわけにはいきません。残念
 ながら途中で失礼しました。
 
        ● ワールドカップ・ブラジル大会を見て    7/16(水) 

  灼熱のブラジルで開かれていたワールドカップブラジル大会は、ドイツの4度目の優勝で32日間
 にわたった熱戦に幕を閉じました。やっと寝不足から解放されることとなります。
  もう何度か書いてきましたが、プレイヤーとしてはズブの素人ながら、サッカーに深く関わってきた
 私は4年に1度のこの大会を、1966年のイングランド大会以来、それこそ深く注目し食い入るよう
 に観戦し続けてきました。それぞれの大会の優勝チーム、活躍したプレイヤー、戦術などを明確
 に覚えています。この大会もそうだったと言えばそうなのですが、若干熱中度が薄れてきたかな
 と思わずにいられません。それはやはりサッカーが自分の生活の中で占める割合が、昨今急激に
 減っているからなのでしようか。

  さて今大会、日本チームの感想から述べます。「攻撃サッカー、ポゼッションサッカー」で世界を
 驚かすと豪語していましたが、結局勝ち試合0、予選リーグ敗退で終わりました。この結果は私の
 予想範囲内であり、別に失望もがっかりもしませんでした。相も変らぬマスコミの馬鹿騒ぎだけは
 どうにもならないという感じですが。第一前回大会優勝、今大会も優勝候補に挙げられていた
 スペイン、サッカーの母国イングランド、ブラジルに次ぐジュールリメ杯獲得の強豪イタリアといった
 国ですら予選リーグ落ちなのです。そう簡単に決勝トーナメントへ進めるはずがありません。
 進歩している部分は確かにありますが、要するに世界レベルから見れば今の実力なのです。
 今後の課題は多すぎるほどあります。まずJ リーグの充実といった基本から取り組むべきと
 考えます。

  予選リーグ、スペインのオランダへの大敗は衝撃でした。サッカー界の進歩ぶりに驚かされまし
 た。地元とはいえ中・南米の国々、特にメキシコ・チリ・コスタリカがよく戦っていました。逆にアジア
 勢は全滅、次大会での本大会出場チーム数の減は避けられないと思われます。
 
  決勝トーナメントに入りPK決着が多かったです。実力的に差がなかったのでしょう。それと
 ドイツのノイアー、メキシコのオチョアを始めG・Kに名選手が目立ちました。
  もう1つ、「個の力」とよく言います。ブラジルは過去「個の力」で最多優勝を飾ってきましたし、
 マラドーナの5人抜きは余りにも有名です。しかし今大会、「ネイマール・メッシ、ロナウド」と
 「個の力」だけでは勝てない時代になったと感じました。途中出場選手が多く点を取ったことも
 それを良くあらわしている。トップ選手の「個の力」ではなく、ベンチ全員の「個の力」が問われる
 時代を迎えたのです。

  ドイツの優勝は圧巻でした。「ブンデスリーグ」そのものが大変充実しています。ベンチ全員が
 高い技術と精神力を有しています。チームとしていくつかのシステムを完全にこなしています。
 パスサッカー、堅守速攻、あらゆる戦術をマスターしていました。
  これからは今回のドイツサッカーが世界の目指すものとなるでしょう。

  
 ●平成26年度・県スポーツ少年団代議員会 6/14(土) 健康県民センター
         
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 ● わくわくドキドキの1カ月 ワールドカップ・ブラジル大会が始まりました。
      
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6/13(金)

    ● 久喜市スポーツ少年団母集団講習会  6/8(日) 鷲宮西コミセン
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    ● 第2回・久喜市小学校陸上競技大会  6/3(火) 久喜市民グランド
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   ●平成26年度・久喜市スポーツ少年団本部登録   6/1(日)
           団員減少に歯止めかからず!   栗橋B・Gスポーツセンター会議室

  平成26年度・久喜市スポーツ少年団本部登録が、2日連続猛暑日となり猛烈に暑かった
 1日、栗橋BGセンター会議室で行われました。合併に伴い新本部が誕生した時、行事等の
 会場を集中せずなるたけ多くの地域で持とうと決め、それ以来登録の会場は栗橋コミセンで
 行ってきました。今回予約が取れず「B・Gスポーツセンター会議室」となったのですが、初めて
 の会場とあって「ずいぶん迷った」と何人かの方にお小言をいただきました。

  スポーツ少年団は団・指導者・団員1つ1つ、1人1人が町→県→国と登録する、それも有料で
 登録するメンバーシップの組織です。この登録料は行政からの補助金と並んで各級少年団本部
 の重要な資金源となっています。登録料は久喜市-埼玉県-日本本部と団員が200-200-300
 指導者が200-300-700円、久喜市は+団登録料2、000円を徴収しています。旧久喜市本部は
 これより大分高かったのですが、合併-統合に当たり、他旧3町の登録料を考慮し値下げしました。
  ですから登録は活動の源となる「数と金」の両方に関わります。「登録」を私たちが大切にする
 のはこうした理由に依ります。

  このことについてはもう何度も書いてきました。このところ登録数の減少が続いているのです。
 少子化がその大きな因であることは間違いありません。「少年団活動そのものは相変わらず順調
 である。なぜなら指導者数は増え続けている。」と言いわけしてきたのですが、1昨年あたりから
 その指導者数も減少しています。全小学生に占める少年団団員の割合・加入率もこのところ
 毎年0・25ポイント近く落ち続けているのです。そして大変残念なことに久喜市本部もその例に
 もれないのです。

  登録は13:30~15:00でした。団の事情で本日未登録の団が3つありました。(これも組織の
 弱体化を意味しており、少し残念です。) 従って正式な数は未だ出ていません。分かり次第
 また報告します。昨年度は56団-534指導者-1、348団員でした。
  団は本年野球2、バドミントン1が減って53団です。
  未登録の3団を除いて指導者は400代半ば、団員はやっと1、200人代を数えていました。
  3団の推定数からして指導者は500、団員は1、300を割るものと思われます。
  なんとか維持してきた大台を割ることとなります。残念としか言いようがありません。

  青少年の健やかな育成をスポーツを手段として実践していく、少子化の中でこそその重要性と
 必要性を痛感するものです。この事態を深刻に受け止めています。久喜市においても埼玉県に
 おいても打開を目指し真剣な努力を誓うものです。


      ● 平成26年度・久喜市綱引連盟総会  5/25(日) 和みの湯
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       ● スポーツ少年団体力テスト  5/11(日) 久喜小 
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 ● 平成26年度・第4回久喜市スポーツ少年団本部総会 5/6(火) ふれあいセンター久喜
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     ● 久喜市第2体育館開館30周年記念式典 3/15(土)

  「勤体」の名で長くスポレク愛好市民に親しまれてきた「久喜市総合
 体育館第2体育館」(「雇用促進事業団より久喜市に所有権が移行した
 のに伴い平成18年名称変更)が開館以来30年を迎え、15日同館に
 おいて記念式典、並びにイベントが行われました。
  この体育館は「久喜市総合運動公園」の最初の施設として昭和58年
 工事着工、59年4月に開館しています。私はこの「30周年記念誌」にも
 書きましたが、昭和57・8年と市内体育団体あげて「総合体育施設建設
 促進運動」に取り組みました。だからこの施設には大変な思い入れが
 【イベント準備に忙しい第2体育館前】  あります。

  この体育館は雇用促進事業団と久喜市の合作、昭和50年代後期は
 久喜市のスポーツレクリエーション活動が大きな高揚期を迎えており
 「綱引大会」をはじめとして各種大会、通常活動の場として大いに利用
 されました。平成18年には利用者100万人を突破、現在130万人と
 伺っています。この種の中規模体育館としては我が国有数の使用度と
 思っています。平成5年久喜市総合体育館(現第1体育館)がオープン
 大きな大会では主役の場を譲りましたが、反面スポーツ少年団、
 【エントランスではコバトンもお出迎え】 中学校の部活動、ママさんスポーツ組織等の活動の場
 として変わらぬ人気を誇っています。

  式典には30年間この体育館にかかわった多くの関係者が参加しま
 した。皆顔なじみのスポレク愛好家、この体育館らしいアットホームな
 式典でした。この体育館で成長したバスケ・バド旧知の2人の若者が
 「この体育館が自分の原点」と思い出を語りました。この30周年記念
 誌のタイトル、「愛されて30年」を地でいくものでした。
  その記念誌、市長、教育長、スポレク組織の代表者(スポ少本部長と
 しての私の文章もここに入ります。)といった通常のものだけでなく、
 【挨拶する体育館館長】  関わった人々の思いが込められたものとなっています。

   建設にかかわった旧市職員が当時の事を語っています。この体育館
 を日常的に利用しているスポーツ愛好家から「思い出ノート」が寄せられ
 ています。その人たちなんと13歳女子が、70歳代男性まで正しく
 多くの人たちに愛され、使われてきたこの体育館の性格がにじみ出た
 記念誌となっていました。改めて記念誌を含むこの30周年記念事業に
 かかわれた諸兄姉のご努力に敬意を表します。ページをめくりながら
 私も開館の年の綱引大会をはじめとする私自身のこの体育館との
  【思い出を語る高校生】  長きかかわりを思い出していました

  式典の後記念イベントが行われています。スポーツ少年団と**歳代、なんと**年も
 年齢差のあるボレーボールの試合も組まれていました。最後までこうした記念イベントを
 見ていたかったのですが、私にとってはご承知のような時期、先約あり失礼しました。
  体育館入り口ではボランティアによる手打ちそば、焼ソバ等、正にみんなに愛されて30年
 そのもの出した。こうしたものを食せられなかったことと合わせて残念でした。
  これからも第二体育館が市民のスポレク活動の拠点として使用され続けますこと、それを
 通してコミュニティの輪がますます広がりますことを祈念しつつ帰路につきました。


     ● 第18回・彩の国ミニテニス大会  2/16(日) 久喜市第一体育館
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     ● 久喜市スポ少認定員再研修会・A・C・P 2/2(月) 江1小体育館

 
 少年団の行方を決め、その方向へ引っぱっていくハンドルやエンジンの
 役割を果たすのは指導者です。指導者の資質・指導力が全てのカギを
 
握ります。そんな意味から少年団はカリキュラムに基づき「指導者養成
 講習会」を40年を越え実施してきており、資格を付与しています。「認定
 員」と「育成員」です。全ての登録指導者に「認定員」の資格をお取りいた
 だこうは日本本部の方針ですが、なかなかそうはいきません。
  久喜市の今年度の登録指導者は530名強です。資格保有率は85%
 継続登録者では95%を数え、全国・県内有数の高い水準にあります。
 【ACPの実技講習風景】
 
 これも毎年のように市本部主催で「認定員養成講習会」を実施してきた
 からですが、1つだけ問題があります。この資格は登録を継続すれば
 自動延長されるということです。久喜市での最初の講習会は昭和55年
 でした。私もその時この資格を取りました。極端な場合この時の資格保持
 がそのまま継続しているということです。私の場合は翌56年に4年毎に
 更新研修受講が義務付けられている「育成員」を取得していますが-。
 そこで「認定員」資格保持者を対象に「再研修」を実施、理念を再確認し、
 【現状と課題について講義】 新たな研究成果を身につけていただこう、そんなネライを持って
 この講習会を実施しています。

  
今年は特に1部としてアクティブ・チャイルド・プログラム(ACP)の実技研修を取り入れました。
 おそらく国内最初の試みと思われます。これは子どもの体力不足を危惧する文科省が日体協
 スポーツ科学委員会に依頼、遊戯的要素を多く取り入れ、遊びつつ体力の向上につながる
 プログラムです。今回このプログラムの考案に当たった岐阜聖徳大学の佐藤先生に講師を
 お願いしました。会場が小ぶりの江1小体育館、受講生が40人ほどいましたので「鬼ごっこ」
 のような大きな動きのものは余りありませんでしたが、参加者一同童心に帰って楽しんで
 いました。願わくば各単位団において、特に低学年団員の体力向上につなげてほしいと
 考えます。

  実技講習の後はこの研修会の本来に戻って「スポーツ少年団の現状と課題」と題した私の
 講義、私は1・少年団は50周年を終え、より充実した姿を求め様々な取り組みをしている事
 2・しかしながら反面団員数の減少と言う厳しい局面を迎えている事、3・としていくつかの
 問題天を提起、4・結論として指導者の研鑚・モラルの向上を通し子供たちの笑顔を守り、
 育んでいく活動を展開しよう、斗呼びかけ1時間強の講義を終えました。

      ● 平成25年度・埼玉県スポーツ少年団現地研修会・Ⅱ
               
 1/25(土)・26(日) 伊香保温泉・ホテル天坊


  2日目の研修を「スポーツ少年団の運営・指導のあり方-現場における体罰・暴力問題について」
 とのタイトルでパネルディスカッションで持ちました。前日の矢野先生の講演を受け、その第Ⅱ部
 となるものです。パネラーは新座市・バスケの河内さん、宮代町・空手道の吉田さん、女性指導者
 県リーダー会々員・リーダー育成委員の小林さんの3名、矢野先生にもアドバイサー的立場で
 ご参加いただきました。私はコーディネーターを勤めました。正直申してパネリストは生涯学習
 関係で県主催の大きなものも含め何回か経験しています。しかしコーディネーターは身内だけの
 集まりでのそれ程度しか経験していません。今回内容が内容だけに、また一騎当千のスポ少
 指導者300人が聴衆だけにかなり緊張して臨みました。

  まず私が今日のパネルディスカッションの趣旨を説明、「こういう事例があった」、「こういうのも
 あった」的なものでなく、演題通り体罰・暴力行為を起こさない運営・指導のあり方をディス
 カッションして行きたい旨話しました。3人からの簡単な自己紹介からスタート、次に3人が現場の
 活動で気をつけている行動、セルフコントロールのような取り組み、合わせて悩み・疑問等矢野
 先生にお尋ねしたいことのお話しを頂きました。
  出された取り組み、子どもにはきちんとした目標を持たせる、
              指導者だけでなく、保護者と協働で育成に当たる
              子供に出来るんだという意識付けを持たせる
              指導者同士の意思の疎通を図っている
              起こさないために組織全体で「基本理念」を大切にしている
  矢野先生への質問と先生のアドバイス
   ◎ 寒稽古をやっているが、最近の子供にはつらいものとしてある。意味があるのか
     良く趣旨を説明する。「つらい・つらさ」を乗り越えて行くことに意味がある。
   ◎ 向上心をもって頑張っているが上手くいかず、折れそうな子供にどう言葉かけをするか
     説明する。人生ストーリー=映画「ロッキー」
   ◎ 起こした後どう対処するか
     隠すことなど論外、個人でなく組織で対応する。

  会場の方に意見を求めた際、顔なじみの女性指導者から『体罰を受けたものが体罰を行う、この 悪循環を断ち切らねばならない。』との意見が出されました。最後に3人のパネラーと矢野先生から
 まとめのご発言を頂きました。小林さんの『人とのかかわりの中で傷つく、しかし人とのかかわりの
 中で成長していく。』のご発言が印象的でした。

  最後に私がコーディネーターとして今日のまとめを発言しました。日本のスポーツ団体あげて
 体罰絶滅に取り組むため、昨年春青山・日本青年館で「絶滅の集い」を持ち、「宣言」を発して
 います。この集いで基調講演を行った「為末大」氏は「コーチはアスリートの運命を変える(人生を
 つくる)」といっていました。これを少年団にあてはめるならば、「指導者は子どもの人生をつくる」
 子どもの人生に大きな影響を与える、といえます。まず
 1・指導者は大きな影響力を持っていることを自覚する。
 2・ならば絶えず指導力・資質の向上・モラルの向上を目指し自己研鑚・学習を行う
 3・主役は子どもであること、スポーツを楽しむ子どもの権利を支えるのが指導者との自覚を持つ
 4・その上に立ち指導者と子ども・団員との望ましい関係を構築する
   さらに続けました。
  同基調講演で為末氏は指導者に必要なのは「総合的人間力」、その中で最も大切なのは「コミニ
 ケーションスキル」と言っていました。相手の思いを正しく理解し、自分の考えを正しく伝える
 そのために日々の活動の中でPATROLしよう、ここでいうパトロールとは
  P ブラセス         過程を大切にする
  A アクノーリッチメント  承認しましょう
  T トギャーザー      いっしょに楽しみ、いっしょに考えましょう
  R リスペクト        尊敬しましょう 尊重しましょう
  O オブザベーション   よく観察しましょう
  L リッスイング      話をよく聞きましょう   
 各頭文字をとったものです。このパトロールに絶えず気を付け団員との好もしい関係をつくって
 行きましょう、大体こんなことを呼び掛け結びとしました。   
        
     ● 平成25年度・埼玉県スポーツ少年団現地研修会・1 
                    1/25(土)・26(日)伊香保温泉・ホテル天坊     

  平成25年度埼玉県スポーツ少年団現地研修会が25・26の2日間
 伊香保温泉・「ホテル天坊」で開催され参加しました。
  この現地研修会は県スポーツ少年団指導者が一堂に会し、同じ釜の
 飯を食い、青少年の健全育成にかける夢を語り合うものとして40年前
 から開催されています。参加者一時400人を数えましたが会場が無く
 大幅な制限を敷きました。それでも県内各地から300人もの指導者の
 参加を頂き盛大に開催されています。
 【参加者受付風景】
  日程は毎回1月最終土日と決まっています。私も30年を越えこの2日間  はこの場にい続けていることとなります。会場は参加者の利便性を考え
 鬼怒川・伊香保・磯部温泉等、それも分科会での部屋数や全体研修会を
 考えかなりに大きいホテルとなります。今年は久しぶりに伊香保温泉は
 「ホテル天坊」での開催でした。ここ10年来この「現地研修会」は私が
 責任者を勤める「指導者委員会」が企画・運営に当たっています。今回
 特に2日目の研修、パネルディスカッションでコーディネーターを担当
 【全体会開会セレモニー】  かなりの緊張感を伴っての参加でした。

  日程は13時より受付、全体会での開会セレモニー、研修、13種目毎の
 分科会、そして夜の情報交換会と称する大宴会が1日目、2日目は研修
 閉会セレモニーで午前中での解散というものです。
  今回研修内容を「体罰・暴力問題」としました。今日本のスポーツ会あげ
 「体罰」絶滅の活動に取り組んでいます。特に子供が主役の少年団に
 あってはなおさらのことです。
 【講演する矢野先生】
  1日目研修の講師を高知大学教育学部准教授( 「矢野宏光」先生にお願いしました。実は昨年来
 「育成員研修会」等でこの問題での研修を行いたく講師を探し続けていました。事後処理の部分
 なら何人かおられたのですが、「体罰を起こさせない、望ましい指導・活動の在り方」の分野では
 探し当てる事が出来ませんでした。そうした意味で高知と言う遠方でしたが、矢野先生と言う素晴
 らしい講師にめぐり合うことが出来ました。
  先生は剣道7段、県内上里町で少年団を指導しておられた経験もお持ちです。教育学・スポーツ
 心理学等の基礎的理論に踏まえ、スポーツとスポーツ少年団理念の再確認にたって「体罰を起こ
 さない」指導者の在り方を明確に話されました。結びの小学校で子どもたちに「命の大切さ」に
 ついて語っている「日野原重明」氏にふれ、『命って何ですか、命とは時間、命を使って子どもを育て
 る、子どもも命を使って活動している。』というくだりは感動的ですらありました。

  研修会後は13の種目別分科会、私は当然「サッカー部会」に出ました。
 サッカーは県内少年団中最大の組織ですが、サッカー協会との関係で
 特殊な位置にあります。3年前ようやくにして「県スポ少サッカー部会」が
 発足、改革への道を歩みだしました。発言を求められ私は『理想から現実
 を見るのでなく、現実を見詰めつつ一歩一歩前進していこう』と述べました。
 
 【同じ釜の飯を食う仲間たち】  夜は300人の大宴会、皆顔なじみの人ばかり、次から次と席を
 移してはスポ少談議に楽しい花を咲かせました。

      ● 第3回・スポ少ロードレース大会 1/13(月・祝) 菖蒲上大崎グランド
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  ●ウインターカップ久喜2013(ミニバス大会)12/21(土)・22(日)第一体育館他
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   ● 県スポ少本部員会・25年度表彰式 12/8(日) 浦和ワシントンホテル
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          ●  中 村 正 弥 氏 追 悼     12/4(水)  

 
 旧久喜市体育指導委員協議会会長、旧久喜市レクリエーション協会会長、何よりも私の
 スポーツレクリエーション活動全ての長きにわたる先輩であり、仲間でもあった「中村正弥」氏に
 おかれては去る12月1日深夜逝去されました。訃報に接し言葉もありませんがとにかくご冥福を
 お祈りします。お静かにお眠り下さい。

  私が初めて中村氏とお会いしたのはいつだったろうか、この50年何をやるにも一緒であり
 多くの時間を共にし、余りにも多くの思い出があり過ぎるため定かではない。
  多分私の成人式の日だったと思う。当時ここしかなかった「久喜高校」講堂での式を終えた後
 新成人を代表して久喜中校庭に記念植樹をした。当時も成人式は公民館の主催、いろいろ
 世話をいただいた公民館役員の一人に中村氏がおられたと記憶している。『岸君、少しお手伝い
 してもらえませんか』と誘われ、当時は7町内しかなかった「町内対抗野球大会」のお手伝いを
 したのが、私の地域活動・社会教育活動の始まりだった。丁度50年前のことである。

  その2年後「久喜サッカークラブ」代表として体育協会の役員に就いた。その数年後「体育指導
 委員」の委嘱を受けた。がぜん中村氏とご一緒する時間が多くなった。
  今マンションになっている中落し堀川近くの氏のお宅でご自身が打たれる手打ちソバの馳走に
 預かった。今自称そば打ち名人は5万といるが、その走りの人だった。以来ここまで氏のソバに
 舌鼓を打ったのは間違いなく3ケタに達している。

  
中村氏の専門は何だったろう。野球、ソフトボール、バレーボール、中央公民館運営委員、綱引
 久喜市幼稚園ボレーボール連盟、私のように小賢しい理念は述べず、ひたすら身体を動かし、
 人間関係をつくり、それを何よりも大事にする古き良き活動家タイプだった。私の前の体育指導
 委員会委員長とし、多くのニユースポーツの普及・組織化に当たった。どこへ行っても『正弥さん・
 中村さん』、あるいは『マーサン』と仲間であふれていた。
  今の第二体育館、当時の勤労者体育館の所長を何年か勤められた。部活で体育館を利要する
 子どもたちに『おじさん・おじいちゃん』と慕われた。その子どもたちの卒業時、いつもポケットに
 箱詰めの万年筆を持っていて『卒業おめでとう』と言いながらプレゼントしていた。いつもバレー・
 バスケ・バド等の女子中学生だった。無類の女性好きだったのである。

  氏は久喜中央公民館の運営委員の中枢にいた。私は中央地区の体育指導委員として、市民
 体育祭を何十年とご一緒した。朝の入場行進、多くのプログラム、公民館主催教室から誕生した
 レク組織のアトラクション、今まで続く原型は皆中村氏が創った。
  氏は会長として、私は役員として「綱引」の普及と市の大会運営に当たった。もう20年以上  
 1、000人の参加者を越す大きな大会として定着している。来年が30回記念大会となる。せめて
 それまでは、と思っていたが残念だという思いだけがある。

  どうも前記したように余りにも多くの時間をご一緒し、余りにも多くの思い出がありすぎるため
 文章に統一性がない。中村氏が打たれる手打ちそばの馳走に3ケタは預かったとも前記した
 が、そのほとんどは氏のご自宅だった。例え1回でも奥様にいやな顔をされたらこうは続かな
 かったろう。中村氏の訃報に接しお悔やみにお伺いした時、あのいつものように穏やかな笑みを
 浮かべながら悲しみに耐えておられた。どうか氏の分まで長生きしご健勝にお暮らしください。 
  その時家族の方が『市民体育祭の日に入院し、綱引大会の日に息を引き取った』と言われた。
 おさえていた涙がどっとあふれた。

  中村さん本当にお疲れさまでした。そしてありがとうございました。私はもう少しこの場に残り
 久喜市のスポーツのレクリエーションの社会教育の今後を見続けます。そしていつの日か
 せめてもう1度、と望んでいたソバの馳走に預かります。
  どうぞ安らかにお眠りください。        
   

      ● 平成25年度・久喜市綱引大会 12/1(日) 久喜市第一体育館
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 ●埼玉県スポーツ少年団東部地区本部長会議 11/30(土) 羽生市中央公民館
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      ● 最後の久喜市駅伝競走大会2013  11/24(日) 

 
 「久喜市駅伝競走大会2013」が24日開催され、役員として参加し
 
ました。この大会は旧久喜市市政施行10周年記念事業として、久喜市
 久喜市教育委員会、久喜市体育協会3者共催として昭和57(1982)年
 に始まりました。以来コースこそ幾たびか変わりましたが30年を越え
 続けられてきたことになります。
  当時私は体育協会理事長にあり、大会実行委員長を勤めました。
 駅東側を走ることに警察の許可が下りず、工業団地まで走る西側
 【1区中継所タスキき渡し】 のみのコースを設定したものでした。

  
その後はサッカー協会役員としてこの大会にずっと参加し続けて
 きました。都市計画道路杉戸・久喜線(4間道路)の立体がなり、コースが
 変更した以降は、1区中継所となった久喜小に詰めています。
  今年の参加チームは一般男子21、一般女子4、シニア6、高校
 男子10、高校女子3の44、以上が市内一周コース、これに運動公園
 周辺周回コースの中学男子・女子、小学生男子・女子の部計49チーム
 【2・9kで8分も差がありました】  が加わります。この参加チームが多いか少ないかは
 判断によります。
   ただ確実に言えることは久喜市体協(現久喜支部)が本部として行う唯一の行事であること
 そのために役員が猛烈に多いこと、かなりの費用を使っていること等です。
 
 労(役員の数・経費等)多くして、益(参加者等)少ないこの大会をやめにして、個人参加レースを
 (シティ・マラソンみたいなもの)との声は前からありました。私はそうした声を一応理解しつつも
 やはりこの大会を始めたものとしての思い入れのせいか、積極的な発言はしませんでした。
 しかし現実にこの大会は今年が最後となります。来年の総会が「久喜市体育協会結成総会」と
 なります。現4支部の体協役員が本部事業を協議する中で、この大会は中止、代わりに個人
 参加のレースを持つこととしたそうです。周辺都市でも加須市のこいのぼりマラソン、幸手市の
 さくらマラソン、行田市の鉄剣マラソン、さらには白岡・宮代・蓮田と軒並みに開催されています。
  「個人レースのものは多いが駅伝は少なく貴重」とは、今まで駅伝大会を継続してきた理由
 だったはずです。また「体育関係合同新年会」(体協・スポ少・レク協・スポ推進委)も中止の方向
 にあるとか、これなどは長い積み重ねを無視した暴挙とさえいえます。体協本体役員の再考を
 促すものです。

  この日7時に久喜小に集合、準備に当たりました。レースは午前9時花火と共に始まりました。
 1区は5区間17・6Km中最短の2・9Km、高校生のトップは9分30秒でタスキを渡していました。
 一般女子やシニアの最終グループは17分20秒、なんと8分もの差がついたことになります。
  これが市民駅伝大会の特徴でしょうか、それでも記録を集計し、後片付けをし、10時過ぎ
 にはあっという間に終わってしまいました。でもこの何ともあっけない時間が来年はもてないか
 と思うと妙に恋しさがこみ上げるものです。

    ● 第42回サッカー少年団中央大会  11/17(日) 埼玉スタジアム
                       「江南南」V2達成!

  埼玉県スポーツ少年団は現在13の種目別県大会を実施しています。
 今年の大会は野球・県道の37回を筆頭に大体30数回という所です。
  サッカーは42回、別格に古い歴史を持ちます。団数・団員数共に1位、
 指導者数2位(1位は野球)の組織を持ち、特に団員数は2万2千人、
 埼玉県全体の4割を占めています。
  ただ問題がないわけでもありません。サッカー協会の影響が強く1年
 【キックオフ前の握手】 に3回(4種リーグも入れると4回)もある県大会で、少年団独自の
   ものはこの大会のみです。

  少年団大会は当然主催は少年団県本部、従って藤沼本部長が大会長
 私は他の副本部長とともに副大会長となります。本部長は全ての県大会
 の開会式・閉会式に出席、主催者代表の挨拶をし、表彰します。しかし
 大会期日が重なったり、またヤムを得ぬ事情の場合副本部長がこれを
 代行することがあります。前記しましたが私は今年ソフトボール・柔道の
 県大会に代理で出ました。(本ページ・8/17・18付参照) 冒頭に記した
 【上尾朝日ゴール前の攻防】  第42回サッカー少年団中央(県)大会最終日の閉会式にも
 本部長代行として出させていただきました。

  ご承知のように私はサッカーの人間ですし、久しぶりに最高レベルの
 試合を見たい気持ちも手伝ってこの日は喜んでのものでした。
  この大会は県本部に登録しているサッカー少年団全てが参加、8月
 下旬からの何段階かの地区予選を経て、中央大会出場32チームに
 よって11/3、10、17と行われてきました。ベスト16による2回戦から
 埼玉県サッカー人のメッカ、埼玉スタジアム(第2・第3グランド)で行われ、
 【32チーム参加の閉会式】 最終日の今日はベスト4による準決勝戦・決勝戦が抜けるような
 青空、緑の芝の下戦われました。
 
 ベスト4は浦和三室、江南南、上福岡少年少女、上尾朝日、決勝は
 「江南南」対「上尾朝日」戦でした。「江南南」は全国大会優勝も経験
 する強豪チーム、この大会初優勝の平成8年・第25回大会以来
 なんと11回も優勝しています。全員がトップスピート、ワンタッチで
 ボールを処理する技術を持っていました。特に大柄なG・Kと未だ5年生
 だという20番МFが抜群でした。一方の「上尾朝日」もスピードのある
  【3位2チーム表彰】  ライトサイドFWの攻めで互角に渡り合い見ごたえある試合でした
  2―0は「江南南」の貫録勝ちと言えます
 

  閉会式は中央大会出場32チーム参加でなされました。私の団が出ていた頃はこれは
 なかったのですがやはりこうすべきだと考えます。表彰式では私が少年団の賞状と大会旗を
 横山謙三県サッカー協会専務理事が県サッカー協会の賞状をベスト4のチームに授与しました。
  久しぶりに県大会で少年期の最高レベルの試合を見ました。それよりも何よりもここでの
 県大会はやはり良いものだと思いました。何年か前まで私のチームもたびたびこの場・この時
 ここにいました。今は遠い昔のような気がします。
  今の埼玉県の少年サッカーの状況を批判するのは簡単ですが、最近どうもそんな気もなく
 なっています。

    ● 前横浜DeNA・ラミちゃんがきました。
        25年度野球部会25年度新人戦  11/4(月・休) 菖蒲上大崎グランド
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  ● 日体協・アジア青年スポーツリーダー研修団との国際交流  10/27(日) 太田小

  「A・C・P」の普及を進めている日体協の依頼で、太田小で活動して 
 いるバドミントンスポーツ少年団「太田ホワイトシヤトルズ」が実践活動
 を展開したことはこのページで何回か報告しています。(5/26・7/28)
  この「ACP」と合わせて地域スポーツクラブとしての少年団活動の実態
 を研修に日体協が行っている国際スポーツ交流・「アジア青年スポーツ
 リーダー研修視察団」の一行が27日太田小を訪問されました。 
  昨年実施された同じ視察団一行が久喜第一体育館で行われていた
 県大会に来られたことがありました。こうした対応にはいつも埼玉県が
 【視察団一行と団員との対面式】   指定され関係者の一人としてうれしく思っています。

  太田小に来られた研修団の一行は中国・韓国・中国香港・ブルネイ
 チャイニーズタイペイ、フィリピン、ベトナム、ラオス・タイ・ミャンマー
 マレーシア・シンガポール・インドネシア・カンボジアの人たち、総勢30
 名の方々でした。お世話役の日体協スポーツ推進部国際課の方々
 とはもう顔なじみになっています。アジアの方々ですから顔も日本人に
 近く何となくなじみが持てます。「ユース・スポーツリーダー」といっても
 各々の国を代表して来日されているのですから、それなりのポジション
 【視察団と一緒にACP】 にいる方ばかり、平均年齢は40歳というところでした。

  まず視察研修団一行と団員たちとの対面式、続いて一緒になっての
 「ACP」の実際、「追いかけっこ」等にキャーキャー騒いでの楽しいもの
 出した。続いて団員たちとバドミントン、さすがはユース・スポーツ
 リーダー、結構打てる人がいました。最後にコーチ・母集団に・団員
 代表も加わっての懇談会、練習の頻度・クラブの運営・コーチのボラン
 ティア性、いわゆるスポ少の母集団について、様々な質問が出ました。
 最後に私に挨拶と指名されました。もう30年近くも前になりますが
 【団員とのバドミントンラリー】  日独同時交流の頃を思い出しこう述べました。
  『本の短い時間でしたが、少しは皆様方の研修のお役に立ったでしょうか。実は私にも大分
 前となりますがドイツとのスポーツ交流で、かの地でのひと月の研修・交流の思い出があります。
 大変楽しく素晴らしい研修てあり、その後の私のスポーツ活動の原点になっています。皆様方
 のこれからの研修がそうしたものでありますように!お元気にて研修を続けてください。』
  ここでやめとけばよかったのですが調子に乗って最後に言いました。
  『サンキュー、シーユーアゲイン、グッドラック』これで良かったのでしょうか。2時間強の交流で
 私の使ったたった1つの英語でした。お恥ずかしい限りです。

  一行はバスにゆられ次の視察先、(宮代町県道少年団)へと出発して行きました。各国体協
 のバッヂ等多数頂きました。ありがとうございました。 
  最後にこのところお世話になりっぱなしの「ハワイトシオヤトルズ」の皆様にお礼申し上げます。
 この間バドミントンそのものの練習にはやや支障があったかな、とも思いますが、子どもに
 とっては素晴らしい体験でした。そうした体験の場を提供し、子どもの成長を促していくのも
 少年団の役目だと考えます。ありがとうございました。


  ●埼玉県スポーツ少年団バドミントン部会研修会10/26(土) 鷲宮西コミセン
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  ● 埼玉県スポーツ少年団育成員研修会10/19(土) 県スポーツ総合センター

  平成25年度・「埼玉県スポーツ少年団育成員研修会」が19日
 スポーツ総合センターで開催されました。私が責任者を勤める
 「指導者委員会」の企画・運営で毎年6月に開催されていたも
 のです。今年種々の事情でこの日の開催となりました。この日は
 「育成員更新研修会」が東京で開催される等悪条件が重なり
 少数の参加者にとどまりました。受講生諸兄姉、何よりお二人の
 講師に深くお詫びします。講演は久喜市放課後子ども教室運営
 委員会会長「飯島祐紀夫」氏、県教育委員会スポーツ振興課

 【講 演 す る 飯 島 氏】    主幹「安藤伊知郎」氏による二本立てでした。

  「放課後子供教室」の久喜市での取り組みを話された飯島氏は、前久喜市スポーツ少年団
 副本部長、私とは30年を越えて絶妙のにコンビ関係にありました。『少年団の将来像』に新たに
 加えられたスポ少のコミュニティへの関わりについて事例に基づく講演でした。
  1・事業目的 活動内容 実施場所 人材(子どもたちの健全育成に情熱を持つ地域住民)
  2・事業の背景 今日的課題 現代の子どもたち 育てたい子ども像(人との関わり方や、社会
           のルール・マナーを身につけ、自分の考えをしっかりと伝える力等を育む)
  3・久喜市の取り組み  平成25年度 参加児童2、175名  サポーター2、086名
  4・成果  学校には  子どもには  地域の大人には  保護者には
  5・課題  人材の確保・育成  プログラムの開発  保護者と地域住民との関係づくり
        と並んで学校外の活動場所の確保をあげていました。安全・安心な場所=学校
        は利点であり欠点でもあると指摘、うなずけるものでした。
  6・おわりに   この事業が新しいコミュニティの構築につながることを期待する
  以上レジメに沿い充分な活動と実績に裏打ちされた講演でした。私は久喜市においてこの
 事業の発足から現在まで、その最先端を担っていますので内容は熟知しています。久喜市
 スポーツ少年団関係者は運営委・実施委・サポーターとして多数参加され、地域コミュニティ
 創造に多いなる力を発揮してくれています。

  もう1つ安藤伊知郎主幹の講演は「埼玉県スポーツ推進計画」について、国の「スポーツ基本
 計画」を受け、本年1月に制定されたばかりです。―スポーツを通した元気な埼玉づくり―
 基本理念とし、平成25年~29年度までを計画期間とし、全ての県民が生涯にわたって
 スポーツと関わる活動全般を計画対象とするものです。推進項目は大きく4つあります。
 Ⅰ・学校・地域における子どもの体育・スポーツ活動の充実
    子どもの体力向上  学校体育の充実  運動部活動の充実
 Ⅱ・生涯にわたるスポーツ活動の推進
   地域スポーツ  ライフステージに応じたスポーツ活動の推進  多様なスポーツの推進
   20歳以上の県民が週に1回以上スポーツをする割合  60%以上に
 Ⅲ・国内・国際大会に向けた競技スポーツの推進
    競技力の向上  障害者スポーツ
 Ⅳ・豊かなスポーツライフを支える環境づくり
    場・手軽にスポーツを楽しめる・スポーツを身近に感じる・スポーツ支援の環境づくり

  久喜市でもこれを参考とし「久喜市スポーツ推進計画」策定に間もなく取りかかります。
 この作業に何としても関わりたいと考えています。 
  
    ● 減少化に歯止めかからず 県スポ少25年度登録状況  10/18(金)

  18日(金)上尾市のスポーツ総合センターにおいて、平成25年度・第3回埼玉県スポーツ少年団
 本部員会が開催され、そこで本年度の埼玉県スポーツ少年団登録数が発表されました。県内
 市町村本部を通して県本部に送られていたものがようやく整理されたことになります。これは
 日本本部に送られ集約されます。日本全体の発表は未だしばらく待つことになります。
  小学生児童数の減少を大きな要因とし、ここ数年数百人単位で減少が続いていた団員数は
 3、488名減と大きく落ち込み、ついに5万5千人を割り込みました。団数も微減、活動その
 ものは堅調であるとの象徴であった指導者数も、わずかとはいえ減のやむなきに至っています。
  減少化に歯止めがかからなかったのみならず、組織・活動の将来に克服すべき大きな問題が
 生じたことになります。
  なお久喜市の本年度登録は本ページ6/29日付で報告してあります。ご参照ください。

            本年度      前年度
  団   数   1、733団     1、757団  マイナス   27団
  指導者数  19、176名   19、195名  マイナス   19名
  団 員 数   54、241名   57、729名  マイナス3、488名

  種目別登録団数 サッカー462団(―1) 野球426団(-10) バスケ326団(+3)
     指導者数 野球7、325名(ー201) サッカー5、349名(+95) バスケ2、217名(+43)
     団 員 数 サッカー21、429名(ー594) バスケ9、901(+152) 野球9、788(-885名)

 市町村別団数 さいたま市257団 川口市115団 所沢市76団  久喜市56団・5位
   指導者数 さいたま市2、962 川口市1、295  上尾市966  久喜市537名・10位
   団員数  さいたま市9、549 川口市3、324  所沢市2、348  久喜市1、390名・8位

  それにしても団員数の マイナス 3、488名は衝撃でした。種目別ではここ数年野球の退潮、
 バスケの堅調が続いていますが、本年バスケはついに団員数で野球を追い越しました。

  県スポ少50周年記念事業のキヤッチフレーズは『みんなで歩んだ50年 そして未来へ』    
 でした。50年の活動に踏まえ、より充実した少年団活動を展開していこう、そんな思いが
 こめられていたはずです。日本本部は少年団の将来像を描き、第9次か5カ年計画を策定し
 県本部は本部組織の再検討・見直しに着手しています。これからの少年団はどうあるべきか、
 という理念面での真摯な努力が何かむなしささえ感じる現実があります。
  今まで少年団は多くの困難をパトスとロゴスの総結集で何度も乗り越えてきました。
  この状況を何としてでも、という思いだけはあるのですが……。


        ● 2020オリンピック・東京開催が決定 9/9(月)

 
 アルゼンチン・ブエノスアイレスで開催された第125次IOC総会において、7年後に開催される
 2020夏季オリンピック(パラリンピック)の会場に東京が選出され、正式決定されました。

  スポーツというこの無限の魅力をもつ摩訶不思議なものに半世紀を越え、どっぷリ浸かってきた
 者として小躍りするほどうれしく歓迎するものです。
  スペイン・マドリード、トルコ・イスタンブールと3都市が立候補していました。当初マドリードが
 強敵とされていましたが、決選投票はイスタンブールと争われ60-36という予想外の大差で
 東京に決定しました。1964・昭和39年以来56年ぶりの開会となります。
  マドリードには経済不況、イスタンブールには国内・隣国シリアの政情不安というマイナス要因が
 あり、また日本のプレゼンテーションが素晴らしく良かったというのが勝因といわれています。
 確かにプレゼンテーションは全員が素晴らしく良かった。
  『 お も て な し 』の滝川クリステルさん、アスリートとしての太田雄貴(フェンシング)、気仙沼市
 出身の佐藤真海両選手(陸上・パラリンビアン)、そしてミズノスポーツの社長・水野正人さんの
 あのパフォーマンスも良かった。安倍首相の力強い演説も東京の最大のウイークポイント、原発
 汚染問題への不安感を吹き飛ばしたと評されています。また各種ロビー活動を展開した大勢の
 人たち、情報収集に努力されたスタッフと、とにかく東京に、日本に再びオリンピックを、の思い
 で努力された「チーム・日本」のご努力に敬意を表します。
  現実的には経済力・治安・各種世界大会の成功的実現も含めた、日本の東京の安定性が
 この結果を生んだといわれています。

  とにかくオリンピックは別格なもの、あらゆる意味でスポーツの持つ無限の価値を代表する
 ものです。1964東京オリンピックはその後の日本のスポーツ振興に決定的役割を果たした
 2つを生み出しました。
  2年前の1962・37年、2年後のオリンピックを成功させようと行われた「オリンピック・デイ」の
 日に誕生した我が「日本スポーツ少年団」と、同年施行の「スポーツ振興法」です。

 
 昨年50周年を祝った「スポーツ少年団」は今や団員100万人、指導者20万人を擁する日本
 最大の青少年育成団体としてあります。
  スポーツ振興を法律面で支えた「スポーツ振興法」はご承知のように、日体協100周年の
 1昨年「スポーツ基本法」に生まれ変わりました。
スポーツを文化としてとらえ、その振興を国家
 戦略とすると謳ったものです。そして国に「スポーツ基本計画」、各自治体に「スポーツ推進計画」
 を生みました。
 
  そのスポーツ基本計画は今後のスポーツ振興の7つの基本方針を掲げています。
 1・学校と地域における子どものスポーツ機会の充実
 2・ライフステージに応じた活動の推進
 3・地域スポーツ環境の整備
 4・国際競技力の充実
 5・国際競技大会の開催、国際交流・貢献の推進
 6・スポーツ界の透明性、公平・公正性の向上
 7・トップスポーツと地域スポーツの交流

  今回の東京オリンピック開催がもたらす経済効果は3兆円とも言われています。アベノミクス
 第4の矢、とも言われています。しかし市民スポーツとか青少年健全育成の手段としての
 スポーツとかに没頭してきた私にとり、そんなことはどうでもよいのです。
  もちろん成績の良いことはスポーツ振興に役立つでしょう。「国際競技力の向上」もそれなりに
 追っていかねばならないでしょう。しかし大切なことは老若男女だれもがスポーツの効果・効能を
 享受出来るスポーツ環境の整備。機会の充実です。健康な日本・健康な久喜市をつくっていく
 ことにあります。
  前回の東京オリンピックがスポーツ少年団とスポーツ振興法を生み、その後のスポーツ振興の
 原動力になったように、私たちは今回の東京五輪を準備する過程で、今後の日本のスポーツ
 振興を真に保障する様々な事業に取り組んでいかねばならないと思います。
  とりあえず私は久喜の地において、先の一般質問で要望、「策定する」との答弁を得た「久喜市
 スポーツ推進計画」の策定にかかわっていきたいと考えています。



       ● 2013世界陸上モスクワ大会を観て思ったこと  8/20
           
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   ●県スポ少体力テスト判定員養成講習会8/18(日) 総合スポーツセンター
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 ●第36回県スポ少ソフトボール中央大会  8/17(土) 荒川総合運動公園
 ●第35回県スポ少柔道親善大会          18(日) 県立武道館

  連日猛暑が続いています。、そんな実感はまるでありませんが国民的
 行事としてのお盆が終わるとスポーツシーズン本番の時を迎えます。
   少年団でも各種目において県大会が一斉に開催されますがそんな
 大会の先頭をきって17・8日ソフトボール、18日柔道の大会が行われ
 県本部を代表し開会式に出席しました。
   
   ソフトボール中央大会の会場はさいたま市荒川総合運動公園です。
 【炎天下の下開会式】  ここは荒川の河川敷に野球場、サッカー場、テニスコート等を持つ 
 広大な運動公園、私もサッカーの大会、応援等で何度か来ています。 
 ここの野球グランド6面を使って男女各16チーム参加で大会は行わ
 れます。大会をスムーズに進行するため県ソフトボール協会公式審判
 員の方が大勢協力されていました。心よりお礼申し上げます。
  ここもやはり団員不足の状況があるのでしょうか。入場行進でどう
 みても2・3年生という可愛い子がユニフォームに身を包んで、という
 チームを多く見ました。ソフトボール部会長S氏とも古い顔なじみです。
 【広大なグランド6面を使って】   こうした方々の長きにわたるご努力がスポ少を底辺で支えて
 いるのです。ご努力に感謝し、大会の成功を祈って会場を後にしました。 

  柔道の大会は上尾市の「県立武道館」です。丁度この日はおとなり
 「総合スポーツセンター」で県本部主催「体力テスト判定員養成講習会」
 を開催、私としては掛け持ち参加でした。
  柔道は男女別小学生1年から中学生3年までの個人戦です。(結果と
 しての団体総合成績) 柔道着に身を包んで一生懸命頑張る小学生 
 1・2年の女の子など何とも可愛いものでした。
 【手に汗にぎる熱戦】
  かって埼玉県庁の隣にあり県体協事務局もおかれていた旧武道館
 からここ、上尾水上公園の一角に新築移転してから10年は経ったで
 しょうか。主会場面は大きく立派なものです。ここに畳を敷き詰め、
 10面もの試合場を使っての熱戦が展開されました。総勢560名が
 参加しました。『数年前は1000人もの参加があったのですが』という
 柔道部会長О氏の言葉がここでも気になりました。

 【10面もの試合会場】  2日間、僅か2種目でしたがそれぞれの種目ごとに県大会の在り方
 持ち方が少しづつ異なる事を改めて実感しました。変わらないのは元気一杯に頑張る子ども達
 と熱心に運営に当たる指導者・育成会の姿です。両会場共に子どもたちには元気に戦うと同時に、 同じく頑張る相手との友好・交流を図ること、指導者・育成会の皆様にはご努力に対する感謝の
 念を述べさせていただきました。
 

  ● 平成25年度・第37回全日本少年サッカー大会に思うこと 8/3(土)

 
 平成25年度・第37回全日本少年サッカー大会(主催、日本サッカー協会・日本スポーツ少年団
 本部・読売新聞社)は去る7/27(土)より静岡県東部の諸会場(御殿場市・裾野市・沼津市)で
 行われていましたが、8/3(土)鹿島アントラーズジュニアの優勝で幕を閉じました。8/2・3の
 準決勝・決勝戦がテレビ放映され観戦しました。以下感想を述べます。

 
 決勝戦は「鹿島アントラーズ」と「名古屋グランパス」というこのところお定まりのJリーグジュニア
 (アンダー12)チームの対戦となり、2-0でアントラーズが優勝、参加8、981チームのトップに輝き
 ました。テクニックは互角でしたがフィズカル面でアントラーズが圧倒的に勝り、見た目通りの
 勝利といえます。なお埼玉県代表は昨年「FC新座片山」が優勝したことから、八潮市の「FCレジ
 スタ」、さいたま市の「大宮アルディージャ」の2チームが参加、「レジスタ」は2次リーグで、「アル
 ディジャ」は準々決勝戦で敗退、埼玉県勢2連覇はなりませんでした。

  所でこの大会は今年で37回大会、我がサッカースポーツ少年団「久喜少年サッカークラブ」は   
 設立37年目、要するに我が「久喜クラブ」は年数だけはこの大会とともに、歴史を刻んできたと
 いうことになります。当初この大会のテレビ放映を見るたびに「いつの日にか我がクラブも」と
 成らぬ夢を見たものでした。この大会当初は「清水FC」、「浦和FC」、「甲府FC」といった大都市
 選抜チームが優勝していたものですが、このところは前記したようにJリーグジユニア組織が
 圧倒的成績を収めています。今大会も北は「コンサドーレ札幌」、「ベガルタ仙台」、南は「サガン
 鳥栖」、「ソレッソ熊本」とずらりJリーグのチームがそろい、JリーグU12選手権大会の観を呈して
 います。
  所で日本のサッカーは長足の進歩を遂げました。今一歩世界列強の仲間入りを果たすには
 とどのつまり「個の強化」、つまり一人ひとりの技術的向上にあるといわれています。そのため
 には幼きころから優れた能力を持つ子を集め、すぐれた指導者による一貫指導、そしてその子
 たちに多くの経験の場を提供することが大切です。この大会はそうした意味では優れたた大会
 といえます。見事なまでに日本サッカー協会の方針が貫かれているといえましょう。
 

 
 長らく日本最大の大会は間もなく開催される夏の甲子園大会と言えました。汗と涙と礼儀
 ある意味で日本スポーツの原点を形成してきました。参加チームです。昨年減少に転じ4千校を
 割りました。今年は多分3千9百数十校と思われます。この少年サッカー大会は前記のように
 8、981チームです。参加チーム数・選手数ではおそらく日本最大の単一大会と思われます。
 サッカー少年に世界に追いつくための方針を提起することもさることながら、スポーツ大好き
 サッカー大好きの子どもたちが楽しく活動できる環境整備にゼヒ力を注いでいただきたいと
 思う次第です。
 
  埼玉の少年サッカーも「アルディジャ」・「レッズ」の両Jリーグ下部チーム、FIFA公認U12
 世界大会準優勝の「レジスタ」、そして一応少年団登録をしている「新座片山」に「江南南」と
 特殊なチームのみ県大会での優勝を独占する時代となっています。
  私はなんと言われようとこうした特別のチームより、団員不足に悩みながらも地に這いつく
 ばって頑張っている普通のチームを大切にしたいと思います。
  「また同じことを、古いなぁ」といわれようと、エリート選手養成より、「まず参加  楽しくスポーツ
 みんなが主役」という考えを貫いていきたいと思うのです。

     ●アクティブ・チャイルド・プログラム研修まとめ 7/28(日)

  本ページ5/26日付で太田小地区バドミントン少年団「太田ホワイトシャ
 トルズ」を対象にアクティブ・チャイルド・ブログラム(ACP)の紹介・広報活動
 が行われたことを紹介しました。以来2カ月「太田ホワイト」では活動日毎に
 準備運動を兼ねACPを実践してきました。その成果を検証、また日体協
 としては新たな広報活動として、28日再度太田小を訪問されました。
  活動の開始前ホワイトSコーチの指導で子どもたちはフロアー一杯を
 使っての追いかけっこ、一体何周したことでしょうか。これが単なる走る
【3カ月の成果・仲間だけで】   事だけならすぐ音をあげてしまいます。

  しかしそこに「遊び」があるから子どもたちは楽しく走るのです。これが
 「ACP」の魅力・良さといえます。「遊びの伝道師」といわれる日体協佐藤
 先生が前回に続いて指導、先生の手叩きに応じて、「その場走り」や「けん  けん」をするもの、手叩きの早さに対応します。こんな遊びを毎回やれば
 体力テストの「反復横とび」の記録など破格に向上することでしょう。
  
【これが最後佐藤先生の指導】
  所で前回の活動を記載する日体協広報誌「Sports Japan」2013・07-08・vol18が発行され
 私どももいただきました。プロのカメラマン、プロのライターによるものですから実によく出来て
 います。「いわば地域の教育力によって子どもをそだてようという事業」と久喜市の「放課後子供
 教室」を紹介した後……『今回訪問したのは子どもとスポーツを育む土壌豊かなその久喜市で
 長らく活動してきたバドミントン少年団』に始り、2人の団員、鈴木コーチ、久喜市副本部長で
 ホワイトの平井さん、そして私へのインタビューも載っています。『2カ月後に再び同団を訪問
 遊びを継承することでどんな効果が表れるかを確かめる予定・・・この日以上に素敵な子ども
 たちの笑顔にであえるのが、今から楽しみだ』で終わっています。
  ところで私のインタービュー文ですが『スポーツで人をつなぎ、元気な地域社会づくりに貢献する
 ことをスポーツ少年団に期待しています。』とあります。はたしてこんなカッコ良いこと言ったかな
 と自分で思うほど、プロのライターとは大したものです。ただし私の顔写真ではなぜか髪の毛が
 実物より少なく?映っていました。プロカメラマンの腕前は今一のようです。


    ● 第32回関東ブロックスポーツ少年団競技別交流大会・2日目
     
 7/27(土) 水戸市 茨城武道館   結城市 かなくぼ総合体育館

 
 前記したように2・3日目の今日・明日が競技別大会となります。当然
 
施設その他の関係で複数市が会場となります。今回野球が水戸市内
 2会場、空手が総合開会式の行われた県立武道館、バドミントンが
 ひたちなか市の県立笠松運動公園体育館、ミニバスが同じくひたち
 
なか市の市立体育館そしてバレーボールが一番埼玉県に近い結城市
 の市立体育館でした。当然全会場見るわけにはいきません。まず空手道
 
続いて水戸市営球場で埼玉県代表チームの試合を観戦、最後に結城市
 【空手道の試合・形】   でバレーボールを見るというスケジュールをたてました。

 
 「空手道」は開会式から見ることができました。道着に身を包んでの
 入場行進はすがすがしいものでした。団体形・団体組み手の2部門に
 男女2チームという形式、埼玉県の女子チームの監督は久喜市のTさん

 思わずうれしくなりました。目の前の「形」の部で埼玉県チームが見事に
 勝利を収めました。採点方式ですが1コート5人の審判が判定します。
 
埼玉県チームの初戦勝利を確認して、野球会場へ向かうため玄関に

【埼玉代表チームの熱戦】
  出ました。

 
 と、どうでしょう。屋内で気がつきませんでしたが猛烈な豪雨と雷、数日前から東北地方を襲って
 いたゲリラ豪雨が関東地方にまで押し寄せたのでしょう。数十メートル先の車まで行くことも出来ず
 玄関に立ちつくすだけでした。30分ほどで豪雨は止みましたが、仮に野球が再開出来ても、
 グランド整備に1時間はかかるでしょう。野球観戦はあきらめ結城市に向いバレーボールを
 観戦することにしました。


 
 前が見えない程の豪雨だったり、急にお日様が出たりという中、約1時間で結城市立かなくぼ
 総合運動公園体育館に到着、久喜市の総合体育館より大分小さいフロアー一杯に3面もの
 コートを設営一斉に試合をしていました。偶然埼玉県代表坂戸市の「SUGURO」の試合を見る
 事が出来ました(女子の部のみ)。大変な熱戦で第1セット半ば過ぎまで2点と離れぬ内容でしたが、 終盤抜け出し2セット目も連取、勝利を収めました。お聞きすると第1試合も勝っているとか、確か
 昨年度も岩槻の県代表が優勝したと記憶しています。私はサッカーですから女子、しかも室内
 種目の応援は珍しいものです。メガホンを使っての瞬時も休まぬ応援は迫力がありました。

 
 今回は天候の関係で2種目しか見ませんでした。また今の段階では各種目の成績も解って
 いません。もっともこの大会はあくまで友好・交流が第一ですから余り勝敗にはこだわるべき
 ではないでしょう。暑い盛りです。子どもたちも保護者もそして指導者も大変だったと思います。
  何よりもそれぞれの組織の形態に応じこうした大会を持ってくれる関係者、今年は茨城県
 
スポーツ少年団・各競技団体に感謝します。来年はまた神奈川県でお会いしましょう。


 
    ●第32回関東ブロックスポーツ少年団競技別交流大会
      1日目・開会式    
7/26(金) 茨城県水戸市県立武道館

 
 日本スポーツ少年団は山梨県を含む1都7県で関東ブロックを構成
 
指導者間・団員間の様々な交流活動を展開しています。その最大の
 ものがこの競技別交流大会です。
 
 第32回を数えるこの大会現在は野球・ミニバス・バレーボール・バド

 
ミントン・空手道の5種目で51チーム、指導者・団員計1344名が参加
 
する(ミニバス男女2部門・種目により開催県は2チーム)という大きな
 大会となっています。会場は関東ブロック各都県の持ち回り、したがって
 【開会式・選手団入場】   8年に1回は地元開催となります。

 
 日程は7月最終金・土・日の3日間と決まっています。1日目は合同  
 開会式のみ、2・3日目が競技です。実はこの7月最終・金というのは
 埼玉県では本部野最大行事・日独同時交流受け入れ市町の歓迎
 パーテイの日、従って藤沼本部長はどうしてもそちらに行かねばなりま
 せん。ということでここ数年はいつも私が埼玉県本部を代表して、合同
 開会式、夜のレセプションに出席しています。
 
【地元茨城バレーボール選手による選手宣誓】

 
 選手団の入場行進、野球・バレーボール・バスケ・空手道等種目を
 象徴するユニフォームに身を包んでの行進は何回見てもよいものです。
 この大会は交流大会です。全国大会の関東予選ではありません。(野球
 は8月北海道での全国大会の関東ブロック代表チーム決定戦を兼ね
 ます。)各都県代表チームとして十分な技量を発揮すると共に友好・
 交流の輪を広げていただきたい、―茨城県本部長や体協専務理事も

 【開会式後の交換会】
  異口同音に言っておられました。
  
  そんなことで開会式終了後は全員参加で交流・交換会を行います。リーダーの音頭による
 レクリエーションゲームですが、毎年思うのですがちょっと人数が多すぎて1つにまとまらない
 という感じでした。
  夜は宿泊ホテルでのレセプション、皆所属本部こそ違え顔見知りの親しいスポ少仲間、
 意見交換に時の過ぎるのを忘れました。 

        ● 久喜市スポ少本部・25年度登録状況   6/29(土)

 
 本ページ6/2付で久喜市スポーツ少年団本部の本年度登録を報告しました。当日未登録で
 あった団もいくつかあり、正式な登録数が確定、本日行われた市の本部員会で報告、組織状況
 今後の対策等協議しました。


 
 登録団数   56団(前年度比-3)

 
 種目別団数 野球17(―1)  サッカー14  ミニバス7  バドミントン6(―1)
            バレー7(-1)  ソフトテニス2  空手・水泳・中学野球各1(増減なし)
 
 
 種目別団員数・指導者数
     野球   353名  257名        サッカー  538名   151名
     ミニバス 169名   39名        バドミントン  84名    27名 
     バレー   85名   31名        ソフトテニス 47名    13名   
     他3団   72名  16名

 
 団員数合計  1、348名(男子1、022名・女子326名) 前年度1450名・-102名

 
 指導者数合計  534名(男性489名・女性45名) 前年度552名・-18名
                育成員5名 認定員447名  なし82名 
 資格保有率85%

 ◎ 1団団員平均数   24・1名    種目部会別  野球20・8名  サッカー38・4名
                         ミニバス24・1名  バドミントン14名  バレー12・1名

 
 1団指導者平均数   9・5名   種目別部会  野球15・1名  サッカー10・8名
                         ミニバス5・6名  バドミントン4・5名  バレー4・4名

  
 団 総会時1に加え登録時に2と3団の減となりました。内バドミントンは合併ですが
     野球・バレーは解散となりました。残念なことです。                 

  
 団員  3団の減から大幅な減少を覚悟しました。最悪1、300名を割ることすら覚悟しまし
        たがなんとか約100名の減、1300の半ばに落ち着きました。これは児童数の減のみ
        が原因なのでしょうか。本部でじっくり検討します。

 
 ※ 指導者 資格保有率85%、まずまずの数値です。今年は4年ぶりに認定員養成講習会は
    行わず「再研修」を実施します。

 
 ※ 活発な団活動を展開するにはどれ位の数が必要か、は難しい問題です。種目によって
     異なります。私は出来れば40名、最低30と考えます。その意味では大変厳しい現実が
    あります。総力をあげ数の確保に取り組んでいきたいと考えます。
 

 ●平成25年度県スポーツ少年団代議員会(総会) 6/15(土) 県民健康会館
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    ● 平成25年度・市スポ少母集団講習会 6/9(日) 鷲宮西コミセン
             27―9/1 削除

      ● 第26回関東綱引選手権大会  6/9(日)  久喜市第一体育館

  第26回・関東綱引選手権大会が9日久喜市の第一体育館で開催され
 ました。主催は「関東綱引連盟」ですが、山梨県を含む7都県で構成され
 ます。(除く茨城県)  7年に1回埼玉県が会場になるわけで、たまたま
 今年「埼玉県綱引連盟」主管、埼玉県の中で組織がしっかりしている
 久喜市が会場になったわけです。後援団体の一つとして「久喜市綱引
 連盟」は全力をあげこの大会に協力しました。

 【4部39チーム参加しての開会式】
  大会は男子部門、女子部門、混合部門、小学生部門の4部門に計
 39のチームが参加しました。なお久喜市内からは混合チームに「市役所
 チーム」が参加、小学生部門は全部久喜市内のチームです。
  先日偶然今年の全日本選手権の様子をテレビで見ました。長野県の
 「進友会(岡谷市)」が滋賀県の「BIWAKO同志会」を破り優勝していまし
 たが、その迫力に圧倒されました。私は今まで県大会しか実物は見てい
 ないので楽しみにしていました。
 【提灯祭りの囃子で会場が盛り上がりました】

  私は「本部記録」の役を仰せつかりましたが、午後は「市スポ少母集団
 講習会」で離れるため、どちらかといえば観戦が主でした。お許しください。
  とにかくラグビーのそれに似たそろいのユニフォーム、腰には太くごつい
 腹バンド、手は滑り止めのマグネシウムの粉で真っ白、全員が綱引専用
 シユーズに滑り止めのスプレーを塗り、鼻につくそのスプレーの臭いが
 会場内に充満するという「綱引会場」独特の雰囲気でした。
 【これぞ綱引のフォーム】
  もちろん実際試合が始まるまでシユーズはカバーで覆われています。
 ですから当然試合ごとに役員がモップを掛けます。
  私は前記したように午前中で会場を離れました。予選リーグを見た
 限りでは昨年度優勝の埼玉「ホンダ・ブラックキャット」、東京の「佐川急便」
 神奈川の「綾瀬消防」が3強という印象でした。事実決勝戦はホンダ--綾瀬
 消防で争われ、大方の予想に反し「綾瀬消防」が優勝したそうです。

【A・B・C3レーンで行われました】  
  「男女混合の部」に出た「久喜市役所」は予選リーグ2敗でした。相手チームは専門的練習を積ん
 でおり完全な力負けでした。でも何人か若手メンバーが見られ、今冬の大会での我が「二心会」
 チームとの対戦が楽しみです。
  小学生チームはこの時期ですと十分練習が詰めず、全チームが冬に比べ今一つでした。ただ
 大会のため協力してくれた出場学校に感謝します。秋にはまた巡回講習会で協力させていた
 だきます。
  中々このレベルの大会本物は見ることができません。堪能した半日でした。


    ● 久喜市スポーツ少年団本部25年度登録  6/2(日) 栗橋コミセン
                   -- 団員数減に歯止めかからず--

  2日(日)南栗橋駅近くの「栗橋コミュニティセンター」で久喜市スポーツ
 少年団本部25年度登録を行いました。新市本部結成以来どうしても
 会議が旧久喜市となりますので、ロードレース大会は菖蒲、母集団
 講習会は鷲宮、そして登録は栗橋と分散し実施しています。

  少年団を特徴づける第一はメンバーシップだということです。どこの
 どんな団・団員・指導者も市町村本部→都道府県本部→日本本部に
 【 登 録 風 景 】     に登録されます。そして登録に当たり団員・指導者1人・ひとりが登録料
 を市・県・国へ各々納める有料登録制(昭和51・1976年~)なのです。
  団員・指導者の久喜市・埼玉県と日本本部の登録料は決まっています。団員200-200-300円
 指導者200-300-700円です。旧久喜市はもう少し高額でしたが組織統一に当たり中間をとった
 ためこの額となりました。このほか久喜市段階で団登録料2、000円を徴収しています。
  ですから仮にA団が団員30名・指導者10名で登録した場合団登録料2、000円、団員700
 円×30人、指導者1200円×10人=35、000円を納めるのです。
  久喜市本部はこの中から団登録料2000円、団員・指導者各200円を差し引き、残額を名簿
 と共に県本部へ送ります。県本部は団員200・指導者300円を差し引き、これまた残りを名簿
 と一緒に日本本部へ送ります。
  こうした各段階での登録費は各本部への市・県・国からの補助金とともに大きな(収入)運営
 資金となります。日本本部の一番大きな事業=日独同時交流や種目別全国大会も、すべての
 団の指導者・団員1人ひとりがポケットマネー・小遣いからおさめた団費(会費)がもとの登録料
 が関わっているのです。これが少年団の組織的強固さの大きな原因となっています。
   当然ながらこの登録がない場合あらゆる少年団活動には参加できません。子どもたちが
 各団に入団するのは1年を通じてあります。市本部では常時追加登録を受けつけています。
 もちろんながら200円の登録料が必要です。

  だからある意味で「登録」は少年団で最大の事業ともいえます。この日大変心配していたこと
 がありました。ご存知少子化 → 市内小学生児童数の減少から来る団員数の減です。これは
 久喜市に限った事ではありません。全県・全国的な傾向、それぞれが懸命の努力を傾けていま
 すが、ここ数年団員数の減少が続いています。特に久喜市のように早くから組織化が進み
 成熟状況にある地域ほどその傾向が強いのです。

  昨年は59団、1、438名団員、547名指導者が久喜市本部の組織実態でした。本年度の 
 総会時点でバドミントン1団が解散、直前に野球1団が解散しました。私の団同様昭和52年に
 誕生、団員はいつも少数でしたが、指導者が多くファミリーな雰囲気を持った良い団でした。
  そして登録当日、最後まで登録を追い求めたバレーボール少年団1が解散を申し入れ、一気
 に3団減となりました。
   野球・19 → 18 バドミントン・7→6  バレーボール・8→7
   サッカー・14  ミニバス・7  テニス・2  空手・水泳各1は変わらず
  団員と指導者数です。当日数団がやむをえぬ事情で登録を延期しています。最終数字は出で
 いません。ひそかに1割減・1200人代後半を覚悟した団員は、なんとか1300人代半ばに
 落ち着きそうです。指導者も500人には、というところです。

  1団の適切な団員数は活動種目で、また団の方針(考え方)で異なると思います。私は活発な
 活動量を望めば30人代半ばが必要最低数と考えます。今回70人前後はサッカー4~5団
 野球で30人を数えたのは1団のみでした。10人から20人そこそこというのが8割を占めます。
  「うちも今年が最後」とか、「**と合併を考えている」という話をよく聞きます。
  本部としては最終数字が出しだい分析すると同時に何らかの対策を講じねばなりません。
  もっとも「もうやりつくした」という感もありますが、とにかく必死に頑張ります。 

  
     ●埼玉県スポーツ少年団サッカー部会総会  5/26(日) 与野コミセン

  平成25年度・埼玉県スポーツ少年団サッカー部会の総会が26日(日)
 さいたま市与野本町コミュニティーセンターで開催されました。
  スポーツ少年団の単位団はスポーツ種目の練習-試合-大会を中心に
 運営されているのが実際の姿です。ですから県大会を含め各種大会を
 運営していくため全ての種目が「種目別部会」を組織しています。
  サッカーは指導者数こそ野球に次ぎますが、団数、団員数共に埼玉県
 スポ少最大の組織です。種目別部会において問題となるのは競技団体
 のその種目組織との関わりです。「スポーツ少年団の**部会」ですから主は少年団となります。
 しかし実際は技術指導・審判その他で、競技の組織がその種目の「部会」をリードしているところも
 あります。「サッカー協会と県内サッカー少年団」との関係はその最たるものと言えるでしょう。

  県内サッカー少年団は長いこと「サッカー協会(4種・少年委員会)」の一元的支配下におかれ
 ていました。指導者の資格取得などはほっておかれ、悪名高い「トレセン」に代表される競技力 
 至上主義で少年サッカー界は覆われています。かって私は県本部長代行として「少年団大会」
 閉会式で挨拶した際、「来賓祝辞」と紹介され絶句した事がありました。
  本部における長きにわたる指導がありました。「現地研修会種目別会議」で現場でサッカー
 少年団の指導に当たる方々からの毎回の突き上げもありました。「サッカー部会」の発足、
 指導者の資格義務化(少年団大会のみ)に踏み切ったのは2年前のことです。

  県下480のサッカー少年団に案内状を出し約30団が参加、あとは委任状で総会成立、どこ
 で選ばれたのかわからない役員の下この2年間活動してきたことになります。
  24年度現地研修会で意見を求められた私はこう述べました。『現部会役員のご努力を可と
 する。まだここまでだ、ではなく、現実に踏まえここまで来た、とポジィティブに進めていこう。』
  この総会では2年の1任期を終え、代議員制度の導入を決定しました。スポ少の組織原則へ
 一歩前進したことになります。来年度の総会から県下486サッカー少年団を代表し、48の
 市、郡代表者が「評議員会」を構成することになります。
  もちろん不充分な点、不満足な点は多々あります。しかし一歩ずつ前進していることも
 事実です。この動きを止めることなく前へ進めていきたいと考えます。
  応援を惜しみません。

    ● アクティブ・チャイルド・ブログロム活動  5/26日(日) 太田小

  「アクティブ・チャイルド・プロクラム」って知っていますか。これは私も
 少年団活動の中で日常的に認識していますが、子どもの体力低下は
 著しいものがあります。この傾向は昭和60年頃よりあらわれ、走る
 飛ぶ 投げるといった基本的動作が身についていない、またその格差が
 進行しているといわれています。
  そこで「文部科学省」は「日本体育協会」に依頼、発育発達段階に
 応じて身につけるべき基本的動きを獲得し、高めるためのプログラム
 それも遊戯的活動を中心として作成し、平成22年から普及・実践活動を開始しました。この
 プログラムが「アクティブ・チャイルド・プログラム」です。

  少年団や総合型地域スポーツ活動、また小学校の体力向上活動の中で、この「プログラム」を   取り入れるよう日体協は推奨しています。埼玉県スポーツ少年団では現実に「現地研修会」の
 中でこのプログラム普及のため講演会を持っています。
  しかし実際のところ普及度は今一つという状況にあります。そこで日体協でこのプログラムの
 普及に当たる「スポーツ科学研究室」は、少年団の単位団でこのプログラムを実際に準備運動
 として組み入れる、その活動ぶりを広報誌で紹介しPRする、そんないくつかの目的を持って
 26日太田小地区バドミントン少年団「太田ホワイトシャトルズ」が活動する太田小体育館に
 来られました。なぜ「太田ホワイトシャトルズ」が選ばれたかというと、まず日本一の少年団組織
 を持つ県本部に依頼、県本部としては単位団首脳と町の責任者=本部長が県本部役員、という
 事からだそうです。急な話に快く応じてくれたホワイトの指導者・母集団の皆様に感謝します。
  
  私は当日ゴミゼロ運動を終わらせてからの参加でしたので、この日、日体協からおいでいた
 だいた佐藤先生(日体協でこのプログラム作成に当たったプロジェクトメンバーの1人、岐阜聖徳
 学園大学教育学部准教授)による指導は終わりにさしかかっていました。このプログラムの実際は
 前にビデオをいただき何度か見ていましたので知っています。
  例えば円上に子どもたちが背中にテープをつけて立ち、「追いかけっこ」をします。追いついて
 テープをとれば勝ちです。途中で笛が鳴ると逆に走るというルールです。子どもたちはキャーキャー
 騒ぎながらも真剣に走り、急ターンします。こうした中で身体の動き、さばき方を身につけていく
 のです。この日一緒に運動した「ホワイト」の指導者は、これから3カ月にわたり準備活動の中で
 このプログラムを実践します。次回日体協から「佐藤先生」他がおいでになるのは7月最終日曜
 です。子どもたちはどう変わっているでしょうか。

  今日も含めこの間の「ホワイト」の取り組みは「スポーツジャパン」に掲載され、このプログラム
 のPRを含み紹介されます。「スポーツジャパン」はかってあった指導者向けの「スポーツ・
 ジャーナル」と、少年団指導者向けの「スポーツ・ジャスト」が統一され、平成24年から刊行されて
 います。編集に当たる「ベースボールマガジン社」の方、他にスチールとビデオのカメラマンと
 大がかりな態勢でした。

  私としては「ホワイト」で成功したら、市内の他の団に積極的に奨励しようと考えています。また
 教育委員会にも話をし、学校でも取り組めてもらえたら、とも考えています。

    ● 久喜市綱引連盟25年度総会  5/25日(土) なごみの湯
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 ●久喜市・埼玉県ミニテニス協会総会 5/18(土) 市体育館・上尾総合スポーツC
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      ● スポーツ少年団体力テスト  5/12(日) 久喜小他市内会場
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 ●平成25年度・第3回久喜市スポーツ少年団本部定期総会5/6(祝)ふれあいセンター久喜
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 ●平成25年度・第49回久喜市体育協会久喜支部総会4/30(祝)ふれあいセンター久喜
            
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     ● スポーツ界における暴力行為根絶に向けた集い-Ⅱ-

  シンポジウムはコーディネーターに早稲田大学スポーツ科学学術院教授の「友添秀則」氏、
 パネリストに衆議院議員でスポーツ議員連盟幹事長代理の「遠藤敏明」氏、弁護士で日本
 スポーツ少年団常任委員でもある「望月浩一郎」氏、日本パラリンピック委員会事務局長の
 「中森邦男」氏、このお3方が学識経験側とすれば、アスリート側がバレーボールの「ヨーコ
 ゼッターランド」氏、テニスの「福井烈氏」、バドミントンの「米倉加奈子」氏の3人、以上6人
 で行われました。
  先のスポーツ基本法制定で中心的役割を果たした遠藤氏は、第三者機関設立の必要性
 その取り組みについて述べられました。
  スポーツ少年団の情報誌「スポーツジャスト」や日体協公認スポーツ指導者広報誌「スポーツ
 ジャーナル」でいつも論文を拝読させていただいている望月氏は、今日の「集い」を画期的と
 評価、暴力根絶を宣言し、行動し、(スポーツ界を)教育し、正しいスポーツ文化を今こそ築いて
 いこうとされました。
  障害者のスポーツ活動に取り組んでいる中森氏は、指導者・選手間の説明-合意という
 正しい指導を強調されました。
  全員一流選手だった過去を持つ3人のアスリート方です。気がついたことですが、「ヨーコ
 ゼッダーランド」さんは中村高校、「福井」さんは柳川高校、「米倉」さんは常総学院というその
 競技種目での超名門高校の出身です。3人とも高校時代は20年(近く)前、おそらく猛烈な
 しごき・体罰の中で部活動を過ごしたのだと思います。
  そうした体験から3人とも指導者にはコミュニケーションスキルが必要、指導者と選手は師弟
 関係でなく一緒に何かをつくり上げていく仲間に、指導者には総合的人間力が大切、と話され
 ました。
  参加者からの質問にコーディネーターから指名されて、たまたま「集い」に参加されていた
 女子柔道ロンドンオリンピック代表チームの体罰問題で活動している「山口香」さんが答えたり
 と会場は盛り上がりを見せました。特に後記する「宣言文」の起草委員会の責任者を勤めた
 コーディネーター「友添」氏の、適切な進行ぶりが際立っていました。

  「暴力行為根絶宣言」の採択に移りました。前記したように「友添」氏が座長となり起草委員
 メンバーが長時間にわたる討議を経て文章化されたものです。全文記載したいのですが何せ
 A3版2ページぎっしりという長文です。抜粋します。
  「宣言」は【はじめに】、【宣言】、【おわりに】の3章で構成されています。
  【はじめに】では「スポーツは人類が生み出した貴重な文化」、「スポーツとその価値を否定
 する暴力は相いれない」とし、「ここにあらゆる暴力行為の根絶に向けた決意を表明する」と
 されています。
   主文の【宣言】ではまずスポーツの本質を論じ、次に1・指導者、2・スポーツを行う者、
 3・スポーツ団体及び組織、の3者の取り組むべき課題を挙げています。表現でスポーツマン
 とせずスポーツパーソンとしてありました。パワハラとともにセクハラ根絶の中でこうした表現に
 変わっていくものと思われます。
  特に「3・スポーツ団体及び組織」で組織の透明性の確保、ガバナンス強化にとどまらず
 暴力根絶のためのガイドラインや教育プログラムの策定、相談窓口の設置、
まで謳って
 います。
  【おわりに】では再度本日の主催者5団体が、暴力行為根絶に取り組むことを宣言、政府
 他公的機関の協力・支援を要請し、暴力行為の根絶を通して、スポーツを人々に共有される
 文化として発展させていくことを誓っています。
  この宣言文は会場内数人の意見を求めた後全員一致で採択されました。

  私は先の2月議会一般質問でこの問題を取り上げました。久喜市内では少なくとも「体罰」
 の存在(学校体育・社会体育ともに)を確認していない、との答弁でひとまず安心しました。
  これからは社会体育では指導者研修の中にこの問題をきちんと盛り込むこと、学校体育
 特に部活動では、教育委員会とスポーツ団体(中・高体連)とが連携協力する必要(資格制度
 研修・処分)があります。
  相手が心身ともにか細い子どもである少年団においてはなおさらのことです。5/6の
 本年度総会においてこの件につき、強く述べたいと考えています。

  ●スポーツ界における暴力行為根絶に向けた集い-Ⅰ- 4/25(木) 日本青年館

  25日神宮外苑の日本青年館においてスポーツ関係5団体共催による「スポーツ界における
 暴力行為根絶に向けた集い」が開催され出席しました。余計事ですが神宮外苑は神宮球場
 国立競技場、東京都体育館、秩父宮ラクビー場等あるスポーツのメッカ、学生時代はもちろん
 (古い話)一昔前は頻繁に通ったものでしたが、このところとんと御無沙汰でした。早めに出て
 久しぶりの神宮外苑のウオーキングを楽ししみました。それにもう1つ、カメラをうっかり家に
 忘れました。ために「集い」の雰囲気お伝えできません。

  ここのスポーツ関係5団体とはいずれも公益財団法人の日本体育協会、日本オリンピック
 委員会、日本障害者スポーツ協会、全国高等学校体育連盟、日本中学校体育連盟、後援が
 文部科学省と厚生労働省です。会場は全国から参加したスポーツ関係者で一杯でした。それ
 だけこの問題が単に大きな社会問題となっている事にとどまらず、これからのスポーツ振興を
 考えた場合、最重要課題だから、と言えます。「集い」の内容は「為末大」氏による基調講演
 6人のパネリストによるシンポジウム、そして「暴力行為根絶宣言」採択の3つで゜した。

  「為末大」選手は400mハードルの日本記録保持者、世界陸上選手権で日本人初のトラック
 種目で2度のメダルを獲得、オリンピックには3大会出場し、昨年現役を引退されたばかりです。 
  為末氏は仲間のアスリートの3割が体罰を容認したという現実から話をはじめ、
 ①選手の成長に限界はない、ここまでだと思っている奥にあるものを呼び込むために
   (ある種の暴力は)容認される。
 ②苦しくなければ成長はない。
 ③管理されなければ人は怠ける。
 ④思いさえあれば手段は問わない(いわゆる愛のムチ)。
 ⑤反復練習=理屈はいらない先に身体で覚えるという文化。
 ⑥選手に大切なのは自立より規律。
     等々の考え・状況が日本のスポーツ界を覆っていた事をまず指摘されました。

   次にこれからのスポーツ(指導)活動は、
 A・指示通り動く人間から自ら考える人間へ(管理型から自立へ)。
 B・問答無用から対話へ、=上下関係から対等へ
 C・画一世から多様性へ、
 D・苦しさから楽しさへと変えていこう、と続きさらに提言として

 1・学校(部活動)、スポーツの現場に法的機関を
 2・競技間・年代間、指導者・選手間を超えた対話
 3・第三者機関の設置
 4・種目を超えた選手会の設立
 5・新しい教育観の構築・啓蒙  を述べられました。
    
  最後に『指導者は選手の人生を変える存在である』との言葉を引用、「スポーツ指導者は
 どんな人間を育てたら良いのか」で結ばれました。この『指導者は選手の人生を変える存在
 である』という言葉は、昨年12月の埼玉県スポーツ少年団50周年記念式典記念講演で
 「なでしこ」の佐々木監督も引用されていました。私は不勉強で誰の言葉か知りませんが
 指導者の1人として肝に銘じたいと考えます。

  ● 平成25年度・第1回LIVE ОN SEМINAR 4/24(水) 県体協会議室

 
 スポーツ少年団県本部より研修会のご案内をいただき、参加しました。
 「ライブ・オン・セミナー」なる聞きなれない名前のもの、会場に入り
 やっと理解できました。
  現在のスポ少最大のスポンサー、大塚製薬の協賛を得て日本本部が
 今年から行う新しいセミナー、双方向対応、WEB講演会と名付けられ
   大塚製薬の社内回線を使用、モバイル通信カードを介して担当者の 
 パソコンに講演を受診するシステムです。数人から数百人単位まで
【研修会もこうした形になった】  スダジオと会場の双方向の情報発信が可能です。

  内容はまず日本本部佐藤副本部長の「スポーツ少年団の理念の実現にをむけて」、および
 川原貴、中井誠一、小松裕お3方による「スポーツ活動中の熱中症予防」、お3方はすべて
 スポーツドクター、国立スポーツ科学センター統括研究部長やロンドンオリンピック日本代表団
 のドクターなどの経歴をおもちの方です。
  佐藤副本部長は①各単位団に複数の有資格者を配置する、②幼児加入のための条件整備
 ③地域のスポーツクラブとしての発展、を上げていました。①は埼玉県ではお話にならないこと
 ②はこの時期にスポーツをすることの大切さを言っていましたが、そのためにはプログラムの
 開発と指導者の資質向上が何よりです。③ではスポーツ少年団を幼児から高校生まで、その
 保護者を含めた地域のスポーツクラブとして再編成すること、を言っていました。総合型地域
 スポーツクラブ誕生以来もう何10回と聞いてきたことです。

  「熱中症」は暑さによっておこる障害の総称で熱失神・熱疲労・熱けいれん・熱射病等です。
 スポーツ活動で主に問題となるのは熱疲労と熱射病、特に最悪死にいたる熱射病は要注意
 です。いずれにせよ過度な運動を慎む、失われる水(塩分)をこまめに普及することが大切
 です。最近では指導者の意識が向上、それなりの対策が取られているようです。
  全国一斉のセミナーですから、休み時間に出された質問が中央に送られ、再開後講師が
 それに答えました。研修会もドンドンスタイルが変わっていくようです。

  日本本部の講演2割、8割は熱中症という時間配分、大塚製薬協賛ですから仕方ない
 ところでしょうか。このライブ・オン・セミナー、夏までに6回日時が決定され、予定されてい
 ます。どうぞお申込みください、というやつです。
  もう少し「スポ少本体」部分が多ければ検討してみたいと考えます。 

  ●平成25年度・第24回久喜市レクリエーション協会評議員会(総会)
     27―9/1 削除              4/20(土)・ふれあいセンター久喜


         ● 「浦和学院」選抜大会に初優勝 4/3(水)

  高校野球のメッカ、兵庫県西宮市の甲子園球場で行われていた第85回
 選抜高校野球大会の決勝戦は3日行われ、さいたま市の「浦和学院高校」
 が愛媛県の「済美高校」に17-1で快勝、見事初優勝、埼玉県勢としては
1968=昭和43年「大宮工業高校」以来45年ぶりの優勝を飾った。
 
  
県内の高校野球はかっては上尾高校・大宮高校、最近では浦和学院
 春日部の共栄、飯能の聖望学園等が強豪として知られている。しかし
  なぜか優勝とは縁がなかった。夏の大会では私が小学校に入った頃「熊谷高校」が、そして
 1993年=平成5年に聖望学園が準優勝、また春の選抜では同じく1993年に「大宮東」が準優勝し  ているだけである。だから大宮工業以来の全国大会優勝は、埼玉県高校野球界のというより
 野球の占める社会性・話題性からして、埼玉県民の悲願でもあっただけに何とも愉快な出来事
 である。
  2年生ながら小島投手が見事なピッチングをし、また3試合連続してホームランを放った高田選手
 をはじめとし強力打線が光った。決勝戦の17-1という結果はその集大成だった。
  それに森士監督の優れた指導力も見過ごせない。森監督には一度県のスポーツ少年団県外
 研修でご講演をいただいた。森監督のご子息が浦和の少年野球で活動していたご縁からである。
   スポ少の講演と言うとどうしても理念面に偏りがちだが、森監督の話は豊富な体験に踏まえ
 大変具体的であり、大いに参考となったことが記憶にある。

  野球はサッカーと並んであらゆるスポーツ組織の中で最もメジャーな競技、スポ少や体協等に
 おいての最大の組織である。特に野球は汗・涙・礼儀を象徴する「甲子園野球大会」で日本の
 スポーツの原点を形作り、文化を構成している。
 
 私はサッカーに関わってきた。サッカー協会の理念は高く評価しているが未だ文化を構成する
 には至っていない。特にスポ少においては「サッカー」とは際立った対極にある野球関係者の
 生真面目さは、やはり汗・涙・礼儀という高校野球と深いつながりにあるのだろう。
  またスポ少野球のセレモニーにはいつもびっくりするが、今日の閉会式を見て良く理解できた。
  
  「浦学」の優勝に触れながらつい余計な方へ行ってしまった。今度はぜひ夏の全国大会埼玉
 県勢としての初優勝を目指してほしい。選手諸君の頑張りと円熟期にはいった森監督の指導に
 大いに期待するものである。

 
 

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