◎ 久喜市コミュニティスクール令和6年度・全員研修会 4/15(土) 鷲宮行政センター4F会議室
 
  「久喜市学校運営協議会委員」の本年度の「全員研修会」が、15日(月)鷲宮行政センター4Fの会議室で行われ
 ました。毎年年度初めのこの時期に開催されています。最初に委嘱書の交付、研修会1部として「事例発表」、Ⅱ部 
 に学校別の「話し合い」という形で過去持たれてきました。久喜市は県内初に全小中校がコミュニティスクールに移行
 しています。各学校の運営協議会委員は原則10名です。ほとんどの学校がほぼ100%の参加、ですから200名を
 超す参加者で会場はムンムンでした。今年は任期の中間年、委嘱書配布はありません。そして研修1部の事例発表
 が我が久喜中地区=「遷善館学園」でした。与えられた時間は40分、1校10分を各2分短縮して8分、発表の際の
 移動に3~4分かかるとして残り4~5分、この時間で私がこの間取り組んできた、「遷善館」活動充実化の活動に
 ついて報告してください、と4月1週の久喜小学校運営協議会の席で言われました。いくら何でも4~5分でまともな
 話など出来るはずがありません。困りました。しかしです。人前でおしゃべりすることが何よりも好きな私としては、
 喜喜としてお引き受けし、この日の報告となりました。



    ◎ 久喜市市民大学第24回定期総会  4/13(土) 鷲宮まなびすポッと 

  「市民大学校友会」の令和6年度・「第24回定期総会」が13日「鷲宮行政
 センター」5F、市民大学や高齢者大学の学びの場である「まなびすポッと」
 において開催されました。冒頭長く市民大学を担当してこられたT先生の
 退任をうけ先生にご挨拶をいただき、記念品の贈呈を行いました。長い事
 ありがとうございました。また新たに担当されるT先生、私とは長く親しい関係
 にありますが、よろしくお願いします。
  

  6期のK氏の議長の下、会は進みました。令和5年度に係る事業と決算。6年度に係る計画と予算、そして
 人事の5議案がすべて承認されました。会員総数はこれから若干のプラスマイナスがありますが、100名を
 わずかに割って96名、従って会費収入10万円弱、繰越金、雑収入合わ20万円弱の予算となります。
  事業は年3回の全体会、市民大学の公開講座への参加、親睦旅行として碓氷峠・富岡製糸工場方面、そして
 行財政部会、ボランティア活動部会等の部会活動等が予定されています。
  今年の大学1年生は30期生、すなわち市民大学開校30周年の年となります。明大学開放講座に30周年
 記念事業を取り込む予定であり、そうしたものへの参加を積極的に進めていく予定です。
  
  総会終了後急に会長と司会者から求められ、「久喜市の生涯学習について話していただきたい」となりました。
 生涯学習全般ですとチヨット幅が広すぎますし、「市民大学」とのかかわりの中でお話しました。久喜市において
 「生涯学習推進体制の整備」と呼ばれる組織的活動が始まりは、平成元年・2年の文科省による「生涯学習
 街づくりモデル事業」から始まったこと、この事業は全国自治体ほぼ失敗に終わったが、久喜市は「市民主導の
 生涯学習の推進」により例外であったこと、私が手作りで組織した「生涯学習推進部」がそれだが、行政の側に
 おいてもそうした動きがあり、それが平成7年の市民大学開校につながったこと、従って市民大学の目的は明確に
 久喜市における「生涯学習推進のリーダー養成」にあったこと、それから30年今入学者数の減少とともに、そうした
 性格も薄れていること、そしてある意味で日本一とも言えた久喜市の生涯学習ボランティアの活動は衰退の一路
 を辿っていること、ずっーと私たちが担ってきた「市民まつり」の開催不能がその象徴であること、等々のお話を
 しました。どこかで、どこかでそうした状況に歯止めを懸けねばならないこと、それが私たち市民大学と校友会の
 役割であること、そんなことを話しました。これは難しいことですがやらねばならないと思います。私は最後の
 頑張りをこの1点にかけるつもりです。

     ◎ 令和6年度 久喜市高齢者大学入学式  4/10(水) 総合文化会館大ホール
 
  10日(水) 午後「文化会館大ホール」にて、「久喜市高齢者大学」の令和6年度「入学式並びに始業式」が
 行われました。今年の入学者は65名なのですが、4年生25名、3年生39名、2年生44名の進級者に比し
 大幅に増えています。ただし4年生の25名は46年を数える高齢者大学の歴史の中で史上最低数、100%
 「コロナ」の影響でした。徐々に戻っている感じで悦ばしい限りです。
  「久喜市高齢者大学」は昭和54年に開校され、今年の新入生が46期生、今までの卒業生は4304名をと
 なる伝統ある学校です。全国に「寿大学」とか「生きがい大学」とかの名称で同種の大学は数多くありますが、
 4年生というのは余りありません。「学び」と「仲間つくり(クラブ活動)」と「ボランティア活動」を大きな柱とし、
 全国有数の「高齢者大学」といえます。
  学長(市長)の式辞、議長(代行)、2人の県議の祝辞はそうした高齢者大学の性格・特徴に踏まえ、「学びと
 ボランティア活動を通じ、素晴らしい「まなびすと」に成長してください」、とか、「地域のつながりの中で、学びと
 サークル活動の経験を活かしてほしい」といった内容で貫かれていました。
  大変傑作だったのは在校生代表による歓迎のことばでした。私たちは入学者25名と大学史上最低数で
 ここまで来ましたが、クラブ活動・学外行事等で楽しく、充実した学生生活を送ってきました。」と自分たちを
 PR、「新入生に楽しく、充実した学生生活を送ってもらうために―か・き・く・け・こ―を大切に」と話されました。
  (か)は活動・学習、(き)は気分よく、(く)は工夫、(け)は健康、(こ)は交流・貢献なのだそうです。確かにその通り、
 前記した久喜市高齢者大学の特色・性格をよく表しています。
  最後に市民大学で歌った「久喜市民歌・よろこびの町」と違い、単純で明確な「久喜市高齢者大学校歌」を
 歌って閉会となりました。
  高齢者大学の益々の充実と、学生諸君の健康にして有意義な学生生活を祈念致します。
   頑張っていきましょう。

       ◎ 令和6年度・久喜小学校入学式 4/9(火) 
 
  久喜小学校の令和6年度の入学式が、9日
 行われました。この日時ならぬ春の嵐、強風で
 新入生児童+、おめかししたお母さんにはお気の
 毒でした。今年の新入生は何と102名、本当に
 久しぶりに100名を越えました。
  この傾向はここ数年は続くとのことです。

  久喜小の児童数が1番多かったのは、何と本町小と分離する前年、51年前の事、1800人余を数えました。
 本町小分離後もしばらく1000人を維持していたのですが、ご承知のような少子化の進行、1000人を割る、1学年
 平均100人を割ってしまうと大騒ぎしたものでした。ここ数年は400人台半ばでした。今年は500人の大台を超え
 539名とのこと、多いことは良いことだ、何ともうれしい限りです。
  会は1年生の担任発表から始まりました。子供たちは僕の先生、どんな人だろうと真剣に見つめていました―左―
 
続いて新入生児童呼名、みんな元気に返事し起立していました。
   校長先生の式辞です。まず初めに大勢参加している「来賓・地域の方にこれからお世話になります。みんなで 
 ありがとうと言いましょう」から始まり、「ありがとうございます」と児童の大合唱に続きました。「いのちを大切に
 すること」から、久喜小の古い伝統にふれ、「遷善館」について語り、最後は「地域とともにある学校」で終わって
 います。そのあと教育委員会の言葉、そして市長のお祝いのメッセージがビデオで流されました。―右―
 これからはこういう形が多くなりますね。それから来賓祝辞、PTA会長祝辞で入学式は短時間で終わっています。

  もうすぐ小学校での新しい生活が始まります。すぐ「ゆうゆう」の受付が始まり、これまたすぐ運動会です。
 新入生諸君のこれからの生活が楽しく、充実したものであるよう応援していいきます。頑張ってネ!

       令和6年度・久喜市々民大学入学式 4月6(土) 久喜まなびすポッと









  令和6年度の「久喜市市民大学」の入学式が、6日(土)午後市民大学や高齢者大学の学びの舎「まなびすポッと」で
 行われました。私は市民大学・高齢者大学の運営委員長を勤めていますが、何とこの任期が令和7年3月までとの事
 後丸々1年この職を勤めることになります。
  本日の入学者(第30期)は10名、2年生進級者は11名、大学院入学者は3名です。何かこの辺が1学年の学生数
 となってしまった感があります。悲しいことです。定員は1学年40名です。1期生の私の時がそうでした。今年長い間
 入学予定者7名で止まっていたことがありました。何が何でも1桁に留まった場合、必ず「費用対効果」を口にする人が
 出るのです。市民大学の廃校なんてとんでもないことを口にする人が出るのです。教育委員会も、私たちも、校友会も
 人集めに猛烈な努力をしています。しかし結果がこれなのです。再度悲しいことです。
  式は「新入生呼名」を経て、学長式辞 
―左―、来賓祝辞と進みました。2年生による「歓迎のことば」―中―、「記念
 すべき市民大学30期生となる君たちは、上手に地域社会に溶け込んで頂きたい。」的なことを言っていました。
  また新入生代表の「誓いのことば」では
―右―、「市民大学でまなび、それを通して地域づくりに貢献していきたい」と
 抱負を述べていました。その後相変わらず難しい「久喜市の歌」を斉唱しあっという間に式は終了しました。

  何度も述べましたか今年の新入生は30期生です。市民大学が出来て30年ということです。私は平成7年入学の1期生
 校友会の設立準備委員長であり、初代会長です。市民大学とともに過ごしてきました。10周年も、20周年もそれなりの
 記念事業を持ちました。今回も30周年記念事業を持ちたく提案しています。
   橋本先生や野島先生の市民大学に懸ける思いを知る者として組織していきたいと考えています。
   最後のご奉公、40周年にはあちらの人となっているでしょうから。

  ◎ くきっ子ゆうゆう20周年記念事業 令和6年度初の学校運営協議会  4/4(木) 

  4月を迎え新年度の活動が一斉に開始されています。4日午前に「久喜小放課後子供教室・くきっ子ゆうゆうプラザ」の20
 周年事業実行委員会の会議が持たれました。「くきっ子ゆうゆう」は平成17年モデル校として、市内で最初に開校されました。
  本年20周年を迎え記念事業を実施すること、その事業として1・記念誌の発行、2・20周年を祝う会(懇親会)、3・20周年の
 集い(子供が主役)の3事業を行うことは決定されていました。しかしその内容については未定となっており、20周年の年度が
 始まった今、早急にまとめる必要があり本日の実行委となりました。正式決定は次回「実施委員会」となります。
  1・記念誌について  1番多くの協議を要ました。基本的にA4版、22頁程度、手作りのものとします。なおこの作成に
                 岸は全力を傾ける覚悟です。
  2・20周年を祝う会  簡単に言えば懇親会・食事会です。令和7年2月を予定 会場は今後久喜小との協議に寄ります。
                 会費は2000円以内とし 来賓10数名、参加者実施委・サポーター等
  3・20周年の集い  久喜中地区3校の行事・コミ協の行事が秋にあり、独自の日程は無理のため、閉校式で兼ねるもの
               とする。子供たちの意識化を図るため開校式もその1部とする。発表できるものは発表する。他は
               壇上で報告する。活動報告のビデオを上映する。レクゲームを行う。司会進行は子供たち。
  ※ 本体の「ゆうゆう」の運営があるため、可能な限り実施委に負担のないものとする。―出来る人が出来るときに―
  ※ 実行委は6名が選出されているが(実行委員長・岸)、固定せず参加は自由とする。3部会長・貼り付けもしない
  ※ 子供たちに可能な限り役割を持ってもらう。  
  
  「くきっ子ゆうゆうプラザ20周年実行委員会」が開催された4日の午後、新年度になり最初の「久喜小学校運営協議会」が
 開催されました。今まで第1水曜日14:00からでしたが、今年は第1木曜日13:30からとなります。今の委員の任期は
 令和5・6年度ですから、委員の変更はありません。学校側から新任のH教頭が就任されました。最初に教員室で先生方との
 「顔合わせ」をしました。久喜小は今年度は比較的異動の少ない年だったと思います。いずれにせよ先生方との「意見交換会」
 も予定されています。様々な課題を共有し、子供たちの育成に関わってまいりましょう。
  会議室に戻り本年度の「学校グラウンドデザイン」について話し合い、承認しました。概略以下の通りです。
 ● 学校教育目標  イノベーション力の育成
 ● 目指す学校像  「みんなが幸せな学校をつくろう」
    ~みちをたのしみ みちを歩き みちをつくる~  合言葉は「チーム久喜小」
   学校経営の基本理念  「子供は未来を託す地域の宝」~生きがいが溢れる学校~
   経営の基本方針     「学校・家庭・地域が協働する開かれた教育課程の実現に向けて」
  以上の点に立ち《今年度の重点》を⁑表現力を高める ⁑健康な生活習慣を確立する ⁑個の伸長等6項目を挙げています。
  いずれにせよ本年度は「久喜小フオーラム」の開催も予定しています。頑張ってまいります。 

         令和5年度・久喜小学校卒業証書授与式  3/25(月)








  令和5年度「久喜小学校卒業証書授与式」が25日行われました。コロナの時期何回か来賓なしで行われました。
 私たち「学校運営協議会」メンバーは内部者ということで、教職員と一緒に全ての入学式・卒業式に出席していました。
  今年は大勢の来賓の出席を頂きましたが、私たちは主催者側、教職員の後方席での参加です。今年の卒業生は
 68名、いつもより10名前後少なかったです。なお久喜小の6年度の入学者数は久しぶりに100名を越えています。
 しばらくその数を確保できるとのこと、久喜小児童数1000名を越えていた頃を知る者としてうれしい限りです。 
  みんなの拍手の中卒業生の入場です。まず目立つことは男女ともに羽織袴の多いことです。2・3年前まで見られ
 ませんでした。去年10名前後で下。今年は一気に増えて女の子で4割、男の子で3割程度に達していました。ちなみに
 私は次男と長女に複数の孫がいます。次男は東北М県K市に住んでいます。早くからほぼ全員羽織袴での卒業式
 とのことです。長女は県南S市に住まいします。そこは羽織袴スタイルは区別感・違い感を与えると禁止されています。
 いろいろですね。
  卒業証書授与に移りました。1人1人が呼名をうけ壇上に進み、証書を受け取ります。
―左― 2組の名簿最後の
 卒業生は第16、550号でした。今年の卒業生は久喜小151期生です。1期平均110人ということになりますが
 すごい数、やはり伝統校ですね。 
  校長先生の式辞 ―左2― 教育委員会の言葉、来賓祝辞と進みました。校長先生の式辞では学校教育目標の
 イノベ―ション力に触れながら挑戦し続けること、、教育委員会の言葉では渋沢栄一に触れながら目標達成と
 日々の行動との繋がりを述べていました。最後に市長のビデオメッセージを聞いてというか見て終えました。
  ところで私は議員時代当然久喜小・久喜中の入学・卒業式に出ました。久喜小ではほぼ毎年私が来賓祝辞を述べ
 ました。「サンティグジュベリの星の王子さま」や、「金子みすず」の詩など入れてそれはそれは見事な挨拶?をした
 ものでした。第一私は全てノー原稿でした。「岸さんの挨拶を聞くために卒業式に出る」といった区長さんもいたくらい、
 最近はこうした機会に恵まれず、聞いてばかりいるのはつまらないものですね。「あぁ 挨拶がしたい!」
   続いて卒業生の「別れの詩」と「在校生の送る詩」、私の頃は「答辞と送辞」と言って代表者がやったものでした。
 その代表者の選出基準が問題だということで、中学校など生徒会会長がやった時期もありました。今ではそれでも
 問題だということで、写真のように「全員」でやります。
―中― 1人1人がやるので当然長くなり、中学校などうんざり
 することもありました。教育委員会とPTAから記念品贈呈があり
 ―右2― 懐かしい久喜小校歌を皆で斉唱して
 お開きとなり、卒業生は拍手の中退場していきました。 
―右―
  
重ねて君たちの卒業を祝います。君たちの前途は緑の平原ばかりではありません。荒々しい岩山も待ち構えて
 いるでしょう。そんな時、君たちが久喜小で身につけた「イノベーション力」、変化に対応し乗り越えていく力は
 君たちの大きな味方になると思います。力強く歩き続けてください。

   ◎ これまた最後の社会教育委員会への出席  3/14(木) 鷲宮まなびすポッと 

  下段で最後の「久喜市放課後子供教室運営委員会」への出席を報告しました。そして1週間後の14日これまた
 最後となる令和5年度第3回「久喜市社会教育委員会」会議に出席しました。久喜市は議決機関の人間=議員は
 各種審議会委員に「就けない・就かない」という決まりがあります。平成7年51歳で議員に初立候補するに当たり
 「公民館運営審議会委員」、「体育指導委員」(現スポーツ推進委員)他2・3の辞表を書いたものでした。23年間
 はこうした役職の空白期間だった訳です。議員としての終期に民間人に立ち戻ってやりたいものがありました。1つ
 は「スポーツ推進審議会委員」、1つはコミュニティスクールに関する「学校運営協議会委員」でした。共に議会で
 その設置・組織化を長きにわたり、数次に及んで質問し実現をみたものだからです。
  「スポーツ推進審議会委員」は議員を辞めた年の秋、スポーツ少年団のワクから委嘱を頂き、副会長、会長代行
 と3期6年務め、昨秋辞任しました。「学校運営協議会委員」は平成30年度当初から、母校であり居住区の久喜小で
 委嘱を頂き現6年目、会長を勤めています。上記2つに比して「社会教育委員」は何が何でもやりたいとは思って
 いませんでしたが、平成30年年度初めに同じくスポ少ワクで委嘱を頂き、3期6年務め辞職を迎えたということになり
 ます。いま社会教育(体育)、生涯学習活動、あらゆる地域活動・市民活動が完全な低迷期にあります。絶頂期に
 あり、かつそれを自分が中心となり担ってきた過去を知る者とし忸怩たる思いがあります。だからこの6年間の
 「社教委」としての活動は決して楽しいものではありませんでした。特に住民の学びを担ってきた「公民館のコミセン
 への移行」、それを事務局の教育委員会・社会教育課があっさり認めたことに深い憤りを持っています。
  そんな中での最後の「社会教育委員会々議」でした。最初にこの間私たちが取り組んできた「久喜市の今後の
 青少年活動の推進について」なる提言書が教育長に提出されました。なお私はこの提言書の内容に余り深い
 意義を感じていません。   
  まとめられた令和6年度の「生涯学習関係事業計画書」の意見交換に移りました。そこで私は2つの意見を述べ、
 最後の社会教育委の会議を終えました。1つは学校施設の開放について、1つはPTA活動についてです。
  学校施設の開放は体育施設に関しては、昭和36年制定の「スポーツ振興法」で規定され、久喜市でも昭和40年代
 前半に始まり、一定程度の定着を見ています。ここでは遅れている教室・特別室の解放に関してです。本当は習志野の
 「秋津コミュニティ」形式が望ましいのですが、難しい問題があります。町内会の会議・活動、地域のサークルの活動の
 拠点として、学校の教室・特別教室等の開放を進めてください。「コミュニティスクール」も「地域学校協働活動」も
 地域と学校の双方向の活動です。学校も地域に対してその教育力を提供すべきなのです。
  もう1つは「PTA」についてです。各学校に「PTA」があります。そして市の「PTA連合会」に加盟しています。この市の
 「P連」は県の「PTA連合会」に加盟しています。しかし今こうした今までのありようが根底から崩れています。「市P連」
 の「県P連」からの脱退、各校「PTA」の「市P連」からの脱退、そして各校PTAのに任意加盟化への動きです。3/15
 日付読売新聞埼玉版にこの特集記事が掲載されていました。「県P連」への「市町村P連」の加入率は何と3割を割った
 とのことです。当然「全国P連」から脱退する「県P連」の動きも加速しているそうです。そして大事なことは各校「PTA」 
 の任意加盟への動きです。これも止められない動きとして久喜市内で起きています。本来任意加盟の組織ですから
 「いいじゃない」との意見もあります。しかしです・皆さん方の町内会・自治会も任意加盟の組織です。しかし市内全ての
 町内会、おそらく全国すべてのそれが全員加盟を前提として運営されているのです。任意にして加盟を取り直すなど
 したら町内会活動などやっていけなくなります。しかしです。今の高齢社会、防災対応の中で「町内会」=共助・近助
 の動き・組織はどうしても必要なのです。このことを強く申し述べ、PTAの事務局である社会教育課が連合体として
 見るのでなく、個々の組織としてきめ細かく対応に当たられるよう要望し、最後の会議を終えました。

   令和5年度・第4回久喜市放課後子ども教室運営委員会 3/7(木) 菖蒲文化会館アミーゴ



  
令和5年度の第4回の運営委員会が、菖蒲文化会館「アミーゴ」で開催されました。「久喜市放課後子供教室」は組織体・
 運動体ではありませんから、常任理事会とか理事会とか総会と言った、各級の協議・議決機関は持っていません。それが
 放課後子供教室のかなりあやふやな決定過程につながっています。まぁそれはともかくとしてこの「運営委員会」が、久喜市
 放課後子ども教室の唯一の審議機関であり、議決機関といえます。この運営委員会は、現21の実施校の実施委員長、
 教育と福祉の行政代表2の他、スポ少・子供会・レク協・婦人会といった団体代表、校長会・社会教育委・スポーツ推進委等
 機関代表13人と計36名で構成され、年4回の会議を持っています。ここでは私はスポーツ少年団を代表して、となって
 います。いつからこういた形になったのでしょう。おそらく市町合併→全校開校になってからと思われます。ご承知のように
 久喜市の「放課後子供教室」は平成17年我が久喜小で始まりました。何度か報告していますが今年、令和6年度に20周年
 記念事業を実施します。私はその責任者として遂行にあたって参ります。平成17年久喜小がモデル校として開校するに
 あたり、私は「運営委員会設立準備委員会」の責任者として組織化に当たりました。平成16年の2月議会で当時は「地域
 子供教室」と呼ばれたこの事業の実施を要望質問したものとしての責務と思ったからです。そこでI氏を委員長とする運営
 委員会を発足させました。20名の委員のうち13名が「くきっ子」関係者でした。
  それから20年「ゆうゆう」の活動に当たってきたわけで、スポ少枠からなどという認識は少しもありません。しかし私は
 昨年5月のスポ少本部総会で29年間勤めてきた本部長を辞任しています。一応スポ少枠でとなっている、「スポーツ推進
 審議会委員」は昨秋、「社会教育委員」とこの「放課後子供教室運営委員」は今年度をもって辞任ということになります。
 だからこれが運営委員会委員として最後の会議となります。19年間勤めてきましたが、うち13年は議員職にありました。
 またスポ少のように全ての責任を持ち、最大の活動をする人間でもありませんでした。久喜市でやりたい、久喜ならできる
 そう考えて久喜での実施を要求する議会質問を行い、実現にこぎつけた、だから少しでも責任を以て関わっていきたいと
 考えていたからです。 
  20歳からこうした活動に参加した私は、この60年間多くの組織・運動に関わってきました。誕生し、成長し、絶頂期を
 迎え、低迷し、ついには解体状況となる―そんな過程をいくつも見たし、関わってきました。「久喜市放課後子供教室・ゆう
 ゆうプラザ」は残念ながら今、低迷期・周落期にあります。この日の会議で令和5年度は合計319日開校され、市内児童
 数の43・9%にあたる2941人が参加したと報告がありました。もちろん多くのサポーターの協力を得てです。素晴らしい
 ことです。多くの地域の方々の参加のもとに、多くの講座を実施するという久喜方式の下では全国1といえます。しかしです。
  そうした数字とは別の厳しい状況がそこにあるのです。関わる人の固定化・高齢化、従って疲弊化が蔓延しています。
 名目上20人の実施委員がいても、実質数人で回しているという現実があるのです。今年「けや木っ子」の実施委員会が
 解散するという衝撃的事態が起きました。市内で初めてのことです。「何とかして続けたい」と願い関係者は必至に再建を
 目指しています。しかし「サポーターとしてお手伝いはするが実施委はイヤ」というのが実情です。もしもう1つ解散などという
 事態が起きれば雪崩を打つ危険性が現実にあるのです。
  こんな時に運営委を辞めていくことになります。これは前から分かっていたことで仕方ないところです。今年度の「くきっ子」
 20周年記念事業は責任を以てやります。この20周年記念事業だって「控えめに・控えめに・抑えて・抑えて」という空気に
 満ちています。大変なことはなるたけやらないという空気です。大変なことだけど、それが大切なことならば頑張ってやっていこう
 というのが「ゆうゆうの精神」だったのではないでしょうか。
  とにかくこの1年最大限の努力を誓うものです。

      ◎ 令和6年度久喜市市民大学卒業式  3/2(土) 久喜まなびすポッと









  令和5年度の「久喜市々民大学」と「同大学院」の卒業式並びに修了式が2日(土) 市民大学と高齢者大学学舎である
 鷲宮総合支所5F、「まなびすポッと」で開催されました。(―左― ) 今年度の大学卒業生は10名、大学院修了者は5名、
 第29期生となる1年生から2年生への進級者は11名でした。卒業生、大学院生、1年生に卒業証書・修了証書・終了証
 が学長(市長)から授与されました。(―左2―) 学長の式辞(―右2―) 来賓祝辞(―右―) と続きました。
  式辞では「学びへの強い意志と仲間との切磋琢磨が今日の良き日を迎えた。」 市議会議長と県議の祝辞では「久喜市の
 生涯学習活動の中で市民大学の果たした役割は大きい。」 「学んだ成果を更に活かしてほしい」との言葉がありました。
  来賓祝辞のアト、お定まりの来賓・主催者の紹介がありました。私は「久喜市々民大学・高齢者大学運営委員会会長」
 と紹介されました。会長は委員みんなの互選です。私はこの役職に「社会教育委員」からついており、「社会教育委員」は
 「スポーツ少年団」からついています。そのスポーツ少年団は昨年5月の総会で、すでに本部長を持しています。「社会
 教育委員」の任期は今年度いっぱいであり、この3月を以て辞することになります。そしてこの「市大・高大運営委」です。
 いつまでが今の任期かわかりませんが、多分今年度中と思われます。ですから3期6年務めた私のこの職も辞任、
 卒業式出席はこれが最後かな、何て思いながら紹介を受けました。やはり寂しいものです。
  在校生代表の送辞、卒業生の答辞と進みました。「送辞」では「何事にも真摯な卒業生、無理せず頑張ってください」、
 「答辞」では、「もう一度学びたい、との思いで大学に入った。withコロナから afterコロナの時を楽しく学んだ。ゆうゆう=  
 放課後子供教室、市民まつり、被災の募金活動等に楽しく取り組んだ、思い出を胸にこれからを頑張っていきたい。」
 とありました。
  本日卒業の2年生は28期、4月入学する1年生は30期生です。平成7年に開校した市民大学は来年度30周年を迎え
 ます。大学1期生として、交友会を立ち上げた(初代会長)者として、そしてこの市大・高大運営委員長として、30周年記念
 事業を提起し、実施していきたいと思っています。そして記念事業を通して「数」を第一とし、厳しい状況にある市民大学の
 持続可能な道を模索していきたいと考えます。

      久喜市民大学校友会行財政部会研修会 2/17(土) 久喜市中央コミセン 

  市民大学校友会(H会長)には3つの部会があります。「文化芸術活動」、「ボランティア
 活動」、そして「行財政政部会」の3つです。「文化芸術活動」は文学散歩等、「ボランティア」
 は市民祭り・まなびすと久喜・久喜マラソン等のお手伝いの窓口をしています。「行財政部会」
 は文字通り久喜市の市政状況、および財政を勉強しようとする部会です。この日開催された
 「行財政部会」は今まで久喜市議会定例会の傍聴、市の財政状況等の勉強をしてきました。
 丁度この時期、来年度予算の議会での審議の時です。結構な反響を呼び、参加者は30人
 を越えていました。市の出前講座を利用、1番忙しい時期「財政課」から3人の職員が来られ対応してくれました。

  まず令和6年度の予算の概要から始まりました。一般会計609億6800万円、前年度比58億400万円16・2%もの
 大幅増となっています。これはこのところ問題となっている公共施設の維持管理に大きな予算を投入しているためです。
  他国保・介護など特別会計が318億1600万円で8・6%増、水道・下水道の企業会計が147億2214万円で1・5増
 となっています。合併前の旧久喜市が200億、合併して400億後半から500億前半という状況でした。初めて600億円
 に到着したことになります。
  歳入です。市税が235億で38・6%、国庫支出金99億1千万で16・3%、繰入金69億3500万円で11・4%、地方交付税
 57億2200万円で9・4%となっています。各種基金を大幅に取り崩し、「繰入金」大幅増が特徴です。
  歳出です。このところの特徴です。民生費が254億2700万円、41・7%を占めています。教育費が96億7900万円
 前年度より倍以上に増えているのが今年の特色、問題となっている校舎の維持管理他です。
  そのあと令和6年度~10年度までの「久喜市中期財政計画」について説明がありました。新たなごみ処理施設、(仮称)
 本多静六記念・市民の森・緑の公園整備が一時的に増大、また当然ながら扶助費・子育て支援のための費用が増大する
  とし、厳しい財政状況が続くと想定、しかしそうした社会情勢やその変化に柔軟に対応、健全性を保ちつつ財政運営を
 行っていくとされました。
   この後会員楽しみとしていた質問に移りました。何せ皆厳しい経済戦争を勝ち抜いてきた企業戦士ばかりです。
 「東鷲宮の複合施設は無駄だ。取りやめろ。」
 「新ごみ処理施設」の焼却に関係ない「にぎわい」に25億もの支出は無駄遣いの極みだ。
 「学校給食の無料化」は少子化対策に必要だ。何故やらないのか
 「小中学校の雨漏り」、「公共物の外壁落下等」わかっているのになぜ対策をしてこなかったのか
 実現無理と分かっているのに「フルマラソン」を計画した。無駄な金を何故使ったのか。等々、正に批判のオンパレードでした。
 最も財政課職員は質問には慣れています。きちんと答弁はしていました。
  私は市民大学1期生、従って校友会の1期で初代会長でした。その後議員当時この「行財政部会」に出ていると、私に
 批判の矢が向けられることが度々ありました。「企業会計では考えられない。」、「無駄・無理・ムラばっかり」、時々私もしゃくに
 さわって、「企業会計と公会計ではそもそも違う」、「企業会計は会社(企業)に利益をもたらすものとしてあり、公会計は住民に
 福祉をもたらすものとしてある。」なんてきれいごとをいってやりあったものでした。そんな一昔前を思い出しつつ皆の質問を
 聞いていました。もちろん私は質問しませんでした。

 
     ◎ 令和5年度・久喜市高齢者大学卒業式  2/16(金)  総合文化会館大ホール   

   16日午前「久喜市総合文化会館大ホール」において、令和5年度の「久喜市
 高齢者大学卒業式並びに修了式」が行われ、「市大高大運営委員会委員長」として
 出席しました。今年の卒業生は41名、修了者は3年28名、2年39名、1年45名の
 112名、計153名です。1300名入る大ホールですからやはりチヨット寂しいな、と
 いう感じでした。卒業証書授与、修了証書授与、皆勤賞・精勤賞授与と順調に進み、
 学長(市長)式辞・来賓祝辞となりました。
   式辞では4年前の入学の時が、コロナの緊急事態宣言の時、カリキュラムの変更
 等で大変だったでしょう、と振り返られ、しかし最初のとまどいも乗り切り、「体育祭」等で
 見事なパフォーマンスを発揮されたとし、そうした苦難を乗り越えられた卒業生が、今後も「まなびすと」としてあり続けて
 いただきたいと結ばれました。議長と県議の祝辞では「新しい値域づくり」にお励みいただきたいとありました。
  在校生代表の「送辞」では、「ウイッズ・コロナからアフター・コロナへ、現高大の人数と活動量にみあったクラブ活動や
 ボランティア活動へ、と卒業生が残してくれた改革の途を歩んでいきます。」と述べていました。
  卒業生代表の「答辞」では4年間の歩みの中で、何度も何度も「コロナ」が出ていました。やはり「コロナ」の影響は
 大きかったのですね。
  卒業記念品の目録贈呈から、おなじみ「久喜高齢者大学校歌」の斉唱を以て会は終わりました。なお令和6年度の
 「入学説明会」は4/5(金) 市大高大校舎で、「入学式並びに始業式」は4/10(水)文化会館大ホールで行われます。
  新入生は最低でも40名、出来れば+αは欲しいなと思います。
  私の市大高大運営委員長という立場もあとわずかと思います。有終の美を飾れるよう頑張ってまいります。

  ※ 写真は在校生の手で作るトンネルをくくり、退場する卒業生と見送る学長・副学長  やはりチヨット寂しいですね。
 
     ◎ 令和5年度・くきっ子ゆうゆうプラザ閉校式  2/15(木)









  久喜小の放課後子供教室―「くきっ子ゆうゆうプラザ」―の令和5年度の閉講式が、15日午後久喜小体育館で
 行われました。ここ数年「コロナ」との関係で活動中に、活動途中で休止を余儀なくされたりとか、何かと制約を受ける
 状況が続いていました。しかし今年はwichコロから、afterコロナへと時が移り、年間ほぼ予定通り行えたことは、何より
 でした。久喜小体育館中央に参加児童が学年別に体育館すわりで陣取り、左手には実施委・サポーター、右手は先生方
 そして後方に大勢の本日お手伝いいただいた保護者からなる当日サポーターの皆様方です。
  開会に先駆け「フラダンス」、「ダンスを創ろう」の教室の参加児童が、今年1年の成果を披露してくれました。フラダンス
 下級生の腰の振りが何とも可愛く、また「ダンスを創ろう」はキレッキレの踊りでした。そのあと「編み物」の子供たちが
 今年制作した「ポシェット」を披露しました。1年生が何人もいました。去年幼稚園児だった訳で、1年後にはこんな立派な
 ものが作れるのかと感心しました。
  児童の司会で「式」は始まりました。実施委員長、運営委員長、校長先生が挨拶しました。皆「コロナ」に触れ今年1年
 スケジュール通りの活動ができたことを喜んでいました。アトは子供たちに「楽しかったですか? はーい」、「また来年も
 参加してくれますか?はーい」といつもながらの閉校式の風景でした。各教室代表が1年間の乾燥を述べてくれました。
  全ての教室サポーターの代表に受講生から感謝の言葉とともに、活動の記録の冊子が送られました。全ての教室の
 活動シーンがスライドと動画として上映されました。下級生に比して少ない6年生が卒業を前にお礼を述べ、また手作り
 の記章がプレゼントされました。中学生になっても頑張れよ! 

  19回目の「くきっ子ゆうゆうプラザ」の閉校式です。運営する側も、「くきっ子」の子も慣れています。スムーズな運営
 でした。19回目の閉校式ということは来年度は20周年ということになります。「くきっ子ゆうゆうプラザ」では来年20周年
 記念事業に取り組むことを決定しています。「記念誌の刊行・記念式典(食事会)・記念事業(くきっ子アエスタ)」の3つです。
 やることは決まっていますが中身については未定です。これから協議して決めていきます。ただ記念事業の実行委員長は
 私と決まっています。通常の「くきっ子ゆうゆう」を行いながら、プラスして記念事業に取り組む事なります。大変なことは
 わかっていますが、しかしきちっとやっていきたいと考えます。
  ふと読んだ文科省のH・Pから、当時の「地域子供教室」の久喜市での実施を議会で質問して以来、この事業に関わり
 続けてきました。過去を振り返る際の里程標して、30年・50年に向かっての指導標として、この記念事業を位置づけ
 しっかりと取り組んでまいります。

    ◎ 久喜市学校応援団コーディネータ―研修会  2/15(木) オンライン 

  
令和5年度「学校応援団コーディネータ―研修会」が、15日午前オンラインにて開催され出席しました。7日(水)
 久喜小学校運営協議会での折、この日研修会がありますよ、と知らされたからです。私は異常性格者です。自分の
 活動分野で研修会があるとか、勉強会があると知るとほぼ100%出席してきました。スポーツの分野でも生涯学習
 の分野でもです。通信教育を受けたり、大学ゼミを受講したこともありました。文科省や日体協の資格を取得の
 ためずいぶん遠くまで出かけたものでした。だから歳をとっても市の研修会に出ないということはありません。
  所が肝心の久喜小学校応援団のコーディネーターは影も形もありません。結局オンラインで私一人での研修でした。
 「主幹」に「久喜小では誰がやっているのですか?」とお尋ねしたところ、「アレ、今誰だったっけ」ということ、ヤーですね。  
  それというのも「学校応援団」は今微妙な立場にあります。学校応援団とは学校における学習活動・安心安全・環境
 整備・クラブや部活動などを、ボランティアとして協力・支援を行う保護者・地域住民による活動組織を言います。しかし
 これは今や埼玉県教育委員会の施策上の名称で、この名称を頑固に使い続けているのは埼玉県だけといってよい?
 状況にあります。これは「第3期埼玉県教育振興計画」にしっかりと位置付けられ、その推進を歌っているからです。
  「コーディネーター」とはこうした活動の中心を担い、各学校に複数配置が望ましいとされ、令和5年までに県内に
 3100人委嘱するとされています。ちなみに県教委のアンケートでは、学校応援団の県内設置率は小学校で99・9%
 中学校では98・3%、もちろん久喜市内は全小中校に設置されています。すでに1820人のコーディネータ―を擁して
 いるとしており、このコーディネーターの久喜市の研修会が今日だったということです。
  しかしです。「学校応援団」について知りたくてInternetで調べてみても、埼玉県の例しかありません。他の活動の中で
 その名前が出てくるのさえ2・3の市区町村教委にとどまります。文科省のH・Pには全くその名は登場しません。代わりに
 地域と学校との望ましいあり方を進める組織・活動として登場するのは、「地域学校協働活動」または「地域学校協働
 活動推進本部」です。これは今後の地域と学校との望ましい姿を追い求めるものとして、平成27年に「中央教育審議会」
 が答申し、平成29年には「社会教育法」の改正までなされたからです。すなわち学校運営協議会・コミュニティスクール
 同様国の法律でその活動が保証されている組織・活動といえます。文科省では今、「学校運営協議会」と「地域学校
 協働活動(推進本部)」をこれからの学校の在り方、地域と学校との望ましい関係づくりの両輪として、強力にこれを押し
 進めています。実はこの「地域学校推進本部」の前に、「学校支援地域本部」なる組織と活動がありました。これが
 今の形に変わったわけですが、考えてみれば当たり前のことです。「学校支援地域本部」とは、地域が学校を支援する
 という一方向のベクトルです。大切なことは地域と学校の双方向の連携=協働です。「地域学校推進本部」も、「コミュ
 ニティスクール」も双方向・協働の活動です。そして「学校応援団」なる組織・活動を見た場合、正に名称通り学校を
 応援する地域の人たちの組織・活動となり、一方向のイメージしか与えません。
   県教委は従って市教委も、国が「地域学校協働活動」を推進するため、やっと重い腰を挙げ、組織化を開始して
 います。しかし現場では混乱が起きています。「名簿を提出せよ」との市教委の方針に応じ、ひどい例だと「学運協会長」、
 「学校応援団コーディネーター」、「地域学校協働活動推進員」が同じ人という例さえあります。何故県教委が、従って
 市教委が「学校応援団」に固執するのか意味が解りません。。「令和5年度研修会」ですから、6年度も7年度もやるので
 しょうか。同時並行に「地域学校協働活動推進員研修会」も。?私は早く「地域学校協働活動」に絞り、地域と学校との
 ありうべき姿を追い求めていく、そんな活動に集中すべきだと考えています。
   そんな私の視点に立ち、1部3校の事例報告を拝聴しました。小林小・東鷲宮小・鷲宮中の3校です。それぞれの
 学校の熱心な活動に敬意を表します。
  休息をはさみ文科省政策による2本の20分ほどのビデオを見ました。1つはコミュニティスクールに関するもの、1つは
 島根大学教授による高校生の地域づくりへの参加事例から、「地域とともに創る教育」なる内容でした。
   最初の「コミュニティスクール」に関するビデオは、一般的な内容=コミュニティスクールと地域学校推進活動の一体的
 推進を歌い、それだけに原則から筋を外していない良い内容のものでした。久喜市でもこうしたビデオを、研修に積極的に
 活用していくべきと考えます。うちの学校は(大勢の人の協力をすでにいただいている、だから、うちの学校ではコミュニティ
 スクールは必要ない)といわれる人がいる。これは理解の1面性を表している。コミュニティスクールとは大勢の地域の人が
 活動しているだけでなく、そうした仕組みを作り続けること、多様な人々の意見を組み入れるプロセスが大切とされました。
 「共有する教育目標を達成するために活動」、「緩やかなパーチナーシップ関係」、「協働活動推進員を学運協メンバーに」
 と言っていました。そして学運協の発展的携帯として、より大勢の値域人々の参加による「拡大学校運営協議会」の組織化
 を呼びかけていました。共感するところ大なるものがありました。

  ◎令和5年度・久喜市々民大学体験・大学院研究論文発表会2/10(土) まなびすポッと

  卒業を間近に控えて、久喜市市民大学恒例の行事である「大学生の体験・大学院生の卒論発表会」が10(土)
 鷲宮総合支所5F「まなびすホッと」で開かれました。同所は市民大学や高齢者大学の教室でもあります。
  市民大学の体験発表は1年生・2年生各2人の計4人、大学院生の卒論発表会は大学院進学者5名全員が
 グループとして同じ研究に取りり組んだため1つでした。
  1年生N女史の「私の高血圧対策」 N女史のご主人です。企業戦士としてバリバリ働いていたさなか、脳梗塞で
 倒れ、左半身にまひが残ったまま生活、家族は30数年の介護に追われたそうです。そうした経験から高血圧対策
 に取り組み・実践されたその活動報告です。N女史はまず人間ドックを受け自分の体の状況を確認、多くの書物を
 読み知識を得、特に栄養士の指導を2か月受け食生活を改善等積極的な取り組みを行っています。その結果
 ① 正しい食事を取る、② 適度な運動、③ 適切な睡眠、④ ストレスをためない の4つが高血圧対策のみならず
 高齢者の健康維持に大切と結ばれていました。
  次に同じく1年生男子のY氏 「山登りとバードウオッチング」です。氏は中学生時に登った「筑波山」と「富士山」
 登山から登山の魅力に取りつかれました。若いころ、中高年、その時の体力に合った山登りを続けられました。
 高齢者となり低山ハイクや里山歩きとなり、そうした中で珍しい鳥に出会い、バードウオッチングへ入っていったとの
 ことです。初めて聞く珍しい鳥を写真と一緒に見せてもらいました。本当に身近であんな鳥に出会えるのですね。
 私も亡父が日本で4番目に古い社会人山岳会の設立同人でした。そんな関係で30代前半スポ少に出会うまで
 よく山に上りました。でもバードウオッチングをなんて素敵な考えはなかったですね。私の感性のしからしむる所で
 お恥ずかしい限りです。楽しい体験報告でした。
  2年生に移ってまずK氏の「高橋郁と下総皖一について」、「下総皖一」はご承知のように加須市大利根の出身、
 「お正月・七夕様・かくれんぼ」等々の童謡の作曲者、同時に我が母校久喜中を始め近隣の多くの小中校の校歌
 の作曲家として知られています。一方「高橋郁」です。私は名前だけ知っています。栗橋の生んだ詩人というか
 作詞家です。ただ「栗橋南小」などいくつかの校歌の作詞、「栗橋八坂小唄」等地区の音頭の作詞に限られて
 いるため知名度はもう一つです。K氏はこの2人をセットとして、栗橋に関わる偉人として顕彰し、広く知らしめよ
 と言われていました。K氏は栗橋町興しの活動をされておられるご様子で、それに踏まえての体験発表でした。
 東北3大祭りというのがあります。「青森のねぶた、秋田の竿灯・仙台の七夕」です。山形市から文句が出ました。
 「花笠音頭」があるじゃないか、4大祭りと呼ぼう、盛岡市民も黙っていません。ギネスが認定した世界一の太鼓の
 祭り、「さんさ踊り」がある、5大祭りと呼ぼう。3・11が起きました。東北6県そろって復興と被災者を痛むイベントを
  やっています。東北6県なのに福島だけないのはおかしい、「福島わらじ祭り」を入れて6大祭りと呼ぼう、もう
 きりがありませんね。「埼玉3偉人」なる人がいます。「渋沢栄一・塙保己一・荻野吟子」です。我が久喜市民が
 言います。林学の父・公園の父「本田静六」を加えて4大偉人、加須市民も負けません。「下総皖一」を入れて5大
 偉人だ。郷土を愛する気持ちとはすごいものです。郷土を知ることは良いことです。そこから埋もれた教育資源を
 見つけ出し、知らしめることも大切です。ただ「*大祭り」とか、「*大偉人」的なものはイヤですね。
  最後が2年H氏の「そば打ちに魅せられて」、同じ内容の体験発表は多くあります。そば打ちとはそれだけ魅力が
 あり、かつ奥深いものなのですね。こちらもそばは大好き、ただし食べるだけです。お恥ずかしい限りです。

  最後に大学院生5人による共通研究研究「シニア世代のウェルビーイングに向けてのまちづくりの提案」なる
 ものです。今年大学院に5人進学し、全員でこの研究テーマに挑んだというものです。私は1期生です。38人の
 仲間のうち約30名が大学院に進学、5つのゼミに分かれ、各人がそれぞれ研究課題に取り組みました。こういう
 のも今の市大の1つの表れなんだと感じ入った次第です。だだ5人が同様に取り組んだためか、1つの研究なのに
 まとまりに欠けるきらいがありました。高齢社会について、とか、久喜市の一般的公共交通について等の紹介が
 ありましたが、高齢社会のウエネルビーイングを実現する施策等への提案が弱い感じでした。「4つの提案」 を
 挙げていましたが、その中の「県・国と一体となった公共交通政策づくり」、「市民・行政・企業の協働」への提案
 といったところに的を絞るべきだったと思います。

      ◎ 久喜小・地域の皆様へ「ありがとうの会」  2/8(火)   

  8日午後久喜小学校で地域の皆様に「感謝する会」が行われご招待を頂きました。私たち「学校運営協議会」
 の委員、区長さん、民生委員、ゆうゆうのサポーター、読み聞かせ・花壇・野菜作り他ボランティアの皆さん、
 ゲストテイチャーの方々、出席者は多岐にわたりました。ゆうに50名は超えていたと思います。会場は体育館
 正面左右に子どもたちが座り、私たちは入り口側です。司会進行はもちろん児童、まず校長先生が挨拶され
 ました。『久喜小は大勢の地域の皆様のお世話になりながら運営されています。**の人たち。**の方々、
 そして**、**、挙げればきりがありません。今日はその方たちに「ありがとう」と感謝を伝える会です。
 みんなで地域の皆様にしっかりと感謝の気持ちを伝えましょう。』大体こんな挨拶だったと思います。
  それから各学年ごとに様々なパフオーマンスで私たちに感謝の気持ちを表していただきました。








  まず1年生は地域のゲストテイチャーから指導を受けた、「昔の遊び」を披露してくれました。「お手玉・けん玉・
 コマ回し」、みんなすごく上手でした。 
 2年生は感謝の気持ちを込めて「歌」を歌ってくれました。3年生はかわいい「ウサギ耳」のお面をかぶり「ダンス」
 を踊ってくれました。
  4年生はこの1年間、地域の皆様にご指導いただいた内容を紹介、ゲストテイチャーに感謝していました。
 その中で私たちの仲間、「学校運営協議会委員」のH氏による水に関する授業や、私の「天王様・提燈祭り」に
 関する話などがありました。やはりチヨットうれしかったですね。他に「裁縫・料理・身体健康に関すること」等々
 本当に多くの方々が授業に関わっているのですね。
  もうすぐ6年生となり、久喜小を支える5年生はそれらしき内容でした。リーダーの指揮棒に合わせて全員で
 「笛」を演奏してくれました。何度か聞いた曲でしたが、不案内の私には題名はわかりません。ただ曲に合わせて
 子供たちの対面、私たちの後方の2Fにいる仲間が垂れ幕を広げ、披露しました。全部で4枚ほどでしたが
 もちろん「地域の皆さん、ありがとうございます。」もありました。「来年は最上級生として久喜小を支えて
 いきます。」なんてのもありました。心意気が伝わってくるようでした。
  最後の6年生も、これまたらしきものでした。久喜小の最上級生として後輩たちをリードしながらの「通学班」
 の活動などの思い出を語ってくれました。
  1年生から6年生までのそれぞれに思いを込めた「ありがとうのパフオーマンス」が終わり、閉会行事だなと
 思っていたら、司会の児童が「次は岸さんの挨拶です。岸さんよろしくお願いします。」と紹介されたのにびっくり
 しました。全く聞いていません。根耳に水でした。後で聞いたらチヨットした連絡の行き違いだったようです。
  しかしです。私はこの歳まで人前でしゃべって人後に落ちた記憶はありません。このところあらゆる機能が
 衰えていますが、口の動きだけは昔と変わりません。それなりの挨拶をしました。『今日は大勢の地域の人々を
 ご招待いただき、1年から6年生まで全員の心のこもった「感謝のパフォーマンス」を見せていただいて、こちら
 こそありがとうございました。久喜小はコミュニティスクールとして「地域とともにある学校」を目指しています。
 久喜小児童は地域の子、地域の子どもは久喜小の児童です。先生と私たち地域の人間が共に当事者同士
 として子供たちに関わる、今日感謝されたものが当たり前として毎日ある、そんな関係を築いて行きたいと思い
 ます。今日は楽しい時間を過ごさせて頂いて有難うございました。僕たちこそ君たちに感謝します。』
  まぁ大体こんな内容でした。そんな活動を誓って楽しく解散しました。

 ◎ 久喜市高齢者大学教養講座・「台湾問題」講演会1/29(月)栗橋文化会館イリス 

  
久喜市高齢者大学の「教養講座」は、高齢者大学生のみならず、広く市民が参加できる勉強会として年数回
 開催されています。本ページ10/2日付で紹介している「論語勉強会」もその1つです。今回はまた「論語勉強会」
 とはがらっと異なり、「台湾問題」という極めて現実的・かつ政治的なもの、講師は加須市の「平成国際大学」の
 浅野和生副学長、先生は私が委員長を勤める「久喜市市民大学・高齢者大学運営委員」をお願いしており、親しく
 ご指導を頂いています。先生は慶応大学ご出身、政治学者で特に台湾問題の専門家でいらっしゃいます。月間
 政治理論誌「「Viewpoint}」や、産経新聞の主張覧に多く文章を寄せておられ、当然多くの著書を表しています。
 今回は「栗橋文化会館・イリス」にて、高大生他市民を交え、100数十名参加で行われています。
  ご承知のように台湾では先月、「総統選挙」・「立法委員総選挙」が行われています。総統選挙では民進党候補
 が40%を越える得票率で当選、今までの対中国政策が維持されることになりました。台湾は複雑な国です。
 先住民・中国からの移民・蒋介石とともに中国から移った人、他の多く東南アジアからの移民から成り立って
 いるそうです。そうした人たちの認識は自分は中国人=2・5%、台湾人であるが中国人でもある=30・5%、私は
 台湾人=62・8はーセントとのことです。また中国との統一を望む=7・4%、現状維持=60・7%、独立を目指す
 =25・9%だそうです。こうした現台湾国民の民意に踏まえるなら、今度の選挙結果は歓迎すべきもの・当然のもの
 とのことでした。
  所が台湾の民意がどうであれ、「台湾併合」という中国の国家目標が変わることはないとされました。習近平政権の 
 目標は一に「平和統一」ですが、武力行使も辞さないというものです。中国民族の夢の実現とは香港や台湾の中国
 への完全復帰であり、アメリカに代わる世界のリーダーとしての立場の獲得なのです。そして共産党の一党独裁下
 においてこの国家目標は100年たっても変わることはないとされました。そのためにこの40年間すさまじい大軍拡を
 推し進めている。アト5~10年でアメリカの軍事抑止力は無くなるとまで言われました。とするならば自由と民主主義
 途方による支配、基本的人権を守るという同じ価値観を持つ民主主義諸国は、スクラムを組んで一党独裁の国・
 中国共産党の戦っていかねばならないとされました。特に「開かれたインド・太平洋」という視点から、日本・アメリカ
 オーストラリア・インドといった国々との連携が必要とのこと、さらに「台湾有事」でも「日本は巻き込まれないで済む」
 全く非現実的であること、中国の侵攻の妨げになる在日米軍と自衛隊をたたいておくことは初期からの目標、日本は
 主要な標的になり、正に「台湾有事は日本有事」そのものだと言われました。そもそも外交と軍事の2分論などあり
 得ない、軍事は外交の後ろだてになるべきものとされました。
、  かなり直線的な内容が多かったですが、多くの点で賛同を覚えました。そのためにも日本は防衛力の抜本的
 強化を図っていかねばなりません。ロシアのウクライナへの侵攻が物語っています。侵攻するに理由なといらない
 のです。それには早く憲法を改正して、自衛隊をしっかりと位置付けていかねばならないと考えます。こんな時
 政治資金問題であたふたする自民党にも本当に困ったものです。
  高大の教養講座としては他にない政治的、それも直線的な内容でした。しかしそれはそれでよかったと思います。
 大勢の聴講者もそのような感じでした。

   ◎ 久喜小、地域学校保健委員会・手作りコンニャク 1/25(木) 久喜小 

  暖冬の中とはいえ、厳しい寒波が襲来している今日この頃です。2月を前にして若干インフルが流行って
 いるとはいえ、子供たちは元気に学校生活を送っています。先日連続して24日(水)「地域学校保健委員会」
 25日(木)「手作り蒟蒻教室、26日(金)「生徒指導委員会」が開催されました。年度末近しを思わせますね。
 月が替わり2月になると第2週が「ゆうゆうの閉講式」、令和5年度の活動を終えることになります。 
   そんなあわただしい中、上記の行事に参加させていただきました。まず「地域学校保健委員会」です。
 「遷善館学園地域保健委員会」として、1中・3小の参加、オンラインで行われました。意見交換を行うクラスが
 **小6-1と久喜中1-1、**小6-1と久喜中1-5と決まっていて、それぞれの学校での発表を結ぶ
 わけです。この種の授業の進歩には驚くばかりです。
  久喜中生徒全員と、3小学校6年生へのアンケートに基づいて進みました。ネット使用率ですが中学生
 99・0%、とょう学生97・6%、使うメディア機器ですが、中学生は自分のスマホ、小学生はゲーム機、スマホの
 所持率は中学生83・7%、小学生44・7%でした。次にネットの使い方です。中学生は多い順に「H・Pやサイト」を
 見る、「メールやライン」をする、「SNS」を見る、小学生は同じく1番多いのが「1人でゲーム」をする、、2位・
 3位は中学生と同じでした。次にネットトラブルの経験です。「勘違いが起こった」、「友達と喧嘩した」が中学生
 26・2%、18・6%、小学生は11・4%と9・8%と1・2位だったのが気になりました。最後がメディアを使う事で
 生活の変化は、という問いに、「毎日がより楽しくなった」との答えもありましたが、「寝るのが遅くなった、目が
 疲れる、視力が落ちた」とのマイナス面の返答もありました。
  「まとめ」として遷善館学園の生徒児童は、メディア機器を「生活を豊かにするツール」として使用しているが
 一方で「健康面に影響」を受けている人もいますと結んでいました。後にメディアを介した人付き合い方
 コミュニケーションの取り方を学び楽しい学生生活を送ろうと提案していました。









、 「手作り蒟蒻教室」です。3クラス6年生全員を対象に、キャリア教育,物を作ることの大切さ、そして食育と
 いろんな事を含んでの授業でした。講師は市内で蒟蒻店を営む三代目О氏と、その息子の四代目です。二人
 供久喜小出身、О氏は私のサッカーの教え子であり、その後様々な活動をご一緒している仲間です。四代目は
 久喜小150周年でアトラクションとして祭りばやしをたたいてもらいました。
  さて蒟蒻は「コンニャクイモ」から作ります。これは冬の寒さに弱いため、春に上、秋に刈るを3回繰り返し、
 3年ものだけ使います。丁度さといもというか、ヤツガシラを大きく、ごつくした感じです。これを製粉機で粉に
 します。この粉に食用石灰水を加え、よく混ぜてゼリー状にし、これを蒸して(この「蒸す」だけ折原蒟蒻店工場
 で行いました。) 大部工程を端折りました。もちろん手作りですから、その間に何度も何度も手を加えました。
 子供たちは熱心に手作り蒟蒻に取り組んでいました。10人弱のお母さんたちが徹だったくれました。ただ
 私のような立場での参加は私1人でした。
   その日「ゆうゆう」があり、終了後蒸して出来上がった蒟蒻を頂きました。丁度レンガ位の大きさです。
 さっそく家で料理、半分は醤油で煮、半分は刺身蒟蒻で夕食に食べました。中々のものでした。
   四代目はまだ若者ですが教え方が上手でした。子供たちも喜んでいました。ありがとうございました。

 ◎ 令和5年度・東部地区社会教育関係委・他研修会 1/23(火) 春日部市中央公民館

 
 東部地区の社会教育関係委員・職員の研修会が、23日(火)春日部市の中央公民館で開催され
 出席し
です。私は議員辞職後「スポーツ少年団本部」の枠で社会教育委員に就きました。スポ少本部長を
 昨年の総会で辞職していますので、本年5月の社教委任期を以て、3期6年務めた「社会教育委員」を
 辞することになります。ですからこれが社教委としての最後の研修会となります。私は例の肋骨骨折の
 関係で参加できませんでしたが、「関東ブロック」の研修会が宇都宮市であったばかりであり、久喜からの
 参加は3名と寂しいものでした。
  研修会の中身は実践発表2、゙文教大准教授「青山鉄平」氏の講演の2本立てです。なお研修テーマは
 「人々をつなげる社会教育の役割」でした。
  実践報告の最初は春日部市の女性の方、ご自身坂東流の名取であり、日本舞踊の会、分連副会長
 社会教育委員としての実践発表でした。日本舞踊の方はバチカン宮殿にてローマ法王に初めての日本
 舞踊を披露した実績をお持ちで、かなりのものと推察します。舞踊の会として伝統芸能の継承活動、文連
 役員としての文化活動から、それはひとづくり、つながりづくり、地域づくりに繋がる力を持つ青山氏はとし、最後に
 社会教育委員として、そうした上に立ち、まなびを通し地域コミュニティを支えていきたいとしていました。
  もう1人は吉川市の方、この方は若手の職員でした。こうした研修会で過去も必ず職員が行うという
 ケースが多いのですが、私はやはり民間人(社会教育委員)が行うべきだと考えます。春日部の方も
 おしゃべりは決してうまいとは言えませんでしたが、それはそれでよいものです。報告も「吉川市の社会
 教育委員の取り組み」という総花的なみのでした。「寺子屋事業」、「放課後子供教室(1校のみ)」、
 「吉川市文化芸術基本条例」について触れていました。
  休息をはさみ青山氏の講演に移りました。青山氏はこのページで何度も触れています。久喜市で何度も
 講演され大変なじみの深い方です。「人と地域をつなぐ社会教育の役割」と題する講演はいつものように
 軽快で、かつ論理的なものでした。「学校教育」と「家庭教育」以外の全てを「社会教育」という、それは地域時
 特性に応じ、「社会教育らしさ」をもつに始まり、社会教育における「教育」と「学習」を考え直せとされました。
  そして社会教育の目標は絶えず、「ひとづくり」と「ちいきづくり」にあったとし、人づくりと地域づくりを結ぶ
 「つながりづくり」を重視しようとし、地域の学びと活動を活性化する役割を社会教育委員は担え、とされて
 いました。もう何度も聞かされた話ですが、それなりに納得しました。
  私は議員になる前40歳代に「公民館運営審議委員」を8年ほど勤めました。そして今回6年務めた社教委
 を辞します。この間様々な活動を続けてきましたが、本当に後何年出来るだろう、という歳になりました。
  まあそれはそれとして寂しいものですが、もう少しやれるところで頑張ってみます。 

        ◎ 「久喜論語塾」開校3年に  12/18日(木) 

  
私の久喜中時代の恩師であり、生涯にわたる「学びの師」である橋本昭先生の「論語勉強会」に
 入会させていただいたのは10年近く前になります。月1回の勉強会に楽しく出席させていただきました。
  勉強仲間といっては失礼で、学校教育・社会教育の大ベテランばかり、平均年齢はかなり高い学習
 グループでした。しかしコロナが暗い陰を与えだしました。「休会」からついに先生の年齢も考え「解散」
 となったときは大変残念でした。何とか仲間たちとまた「論語」を勉強したい、という疼くような思いが
 ありました。「再開を」と橋本昭先生に申し出たら、「それぞれの人たちがそれそれの在り方で、論語を
 勉強してくれることがベスト、あの勉強会が生きること」と言われました。そこでその時の仲間の方に
 話をし、立ち上げたのが「久喜論語塾」なのです。現在9人の塾生がいます。そのうち6名が昔からの
 仲間です。塾長というか「代表」が、かっての勉強会の中心的人物だった橋本久雄先生です。私が
 会の事務局長を勤めています。月1回久喜小のどこかの部屋をお借りして、2時間弱の勉強会をして 
 います。本来なら「公民館」とか「集会所」でやるべきですが、固定した日にち、固定した時間100%
 借りることは不可能です。久喜小のご厚意に甘えていますが、本当にありがたく感謝しています。
  テキストは「史跡足利学校」編の「論語抄」という小冊子です。B6版80頁のものです。1頁に1論語の
 文章ですので80の論語の文が載っています。これを1日平均3つずつ勉強していきます。1日の
 担当者を決めておき、その人がまず「子曰く。必ずしののたまわくと読みます」と音読、皆が続いての
 音読から始まります。論語の面白さは「こうでなければいけない」がないこと、比較的自由に解釈できる
 ことです。だからみんながそれぞれの人生観・価値観に基づいて様々なことをしゃべる、それが面白い
 のです。仲間は旧校長先生、造船技師、県庁職員等々、現在は区長、第一線の地域活動のリーダー
 そんな人たちが口角泡を飛ばしてしゃべります、それが何とも楽しいのです。
  今日は令和6年に入って最初の定例会でした。間もなく3年目に入ります。テキストも完読近くですが
 止めることなど考えられません。また何らかのテキストを探し出し勉強を続けていくでしょう。
   今日は「論語塾」終了後、新年会を兼ねて食事会を行いました。勉強会同様楽しいおしゃべりに花が
 咲きました。今年は季節の良い頃に「文学散歩」ならぬ、「論語散歩」でもしようか、なんてことも話題に
 出ました。楽しみに今年も定例会に参加し続けたいと考えます。、
   なお会員は常時募集しています。私の所でも可、お気軽にお電話ください。

   ◎ くきっ子ゆうゆう20周年を迎う、記念事業を実施  12/9(土) 

  久喜小放課後子供教室(くきっ子ゆうゆうプラザ・柿原実施委員長)は、平成17年モデル事業として
 市内初めて開校されました。来年令和6年をもって20周年を迎えます。平成17年には10周年記念
 事業を実施しました。来年令和6年に20周年を迎えるにあたり、何らかの記念事業を実施すべしとの
 考えから私は今年度に入って早い段階から、実施委員会で提案し続けてまいりました。とにかく忙しい
 「くきっ子ゆうゆう」の実情です。当面当面の課題の協議に時間を割かれ充分な話し合いができないで
 いました。やっと皆の間にこの問題への関心が強まり、去る11月30日(木)開催された「実施委員会」に
 おいて記念事業に取り組むことが決定されました。中身(事業内容・日にち)については協議にいたらな
 かったため、その検討を20年に関わった実施委員長・私のようにスタートから関わった者等6人による
 小委員会を発足させました。この小委員会を12月7日(木)持ち以下の事業内容を決定しました。
  これは次の実施委員会(日にち未定)に提案され、承認されれば正式決定となります。なお来年度も
 変らず「くきっ子ゆうゆう」は行われます。それの進展との辛みがあります。正式日程は決められませんが
 いずれも年度後半、ほぼ令和7年に入ってからと推定されます。
  
  ● 20周年記念誌の発行  
      発行部数・内容については今後の協議によります。私は記念紙では無く記念誌をと考えています。
  ● 記念式典(祝賀会・食事会)の開催
      かってくきっ子は毎年食事会を開催していました。(ウインザー城) なるたけ安価に抑え、食事会的な
      ものとし式典(祝賀会)を持とうというものです。会場の案はいくつかありますが未定です。
  ● 子供(ゆうゆう参加者)・サポーターが参加するフエスティバル
      年度途中にこれを行うことは大変なことと思います。10周年の時は上記2つだけでこれを行っていません。
      そこで閉講式とダブらせればという案が出ています。ダンス等は成果の発表、他は壇上での紹介
      1年間の活動のスライド、またはビデオでの紹介、レクゲーム他です。当然サポーターの皆さんへの
      感謝・お礼の時間を持ちたいという内容です。

  平成15年議員だった私はおりに触れ文科省のH・Pを見ていました。現放課後子供教室・当時地域子供教室
 に衝撃を受けました。「久喜でやりたい・久喜ならできる」こんな思いを抱きました。さっそく議会で一般質問、
 珍しく一発で行うと答弁を頂き、直ちに準備に取り掛かりました。現社会教育指導員として「ゆうゆう」を見て
 いただいているS先生が担当だったのも奇しき御縁だと思います。まずモデル校として久喜小で始める事と
 なりました。私が準備委員長を勤め「運営委員会」を発足させました。委員長に我が盟友である飯島氏を選出
 20名の委員のうち13名が久喜小関係者でした。そして平成17年の開校となった次第です。
  あれから20年、地域の子どもの健やかな育成を地域が保証していくという、この新しい教育の在り方を
 曲がりなりにも20年実践してこられたことをうれしく思います。
  20周年記念事業を過去を思う里程標として。30年・50年続く未来への指導標として組織していきたいと
 考えます。内部に渡る正式決定以後全力をつくして参ります。
 
   ◎ 久喜市生涯学習関係者合同研修会  12/2(土) 栗橋文化会館イリス 


  久喜市生涯学習関係者の合同研修会が、2日(土) 「栗橋文化会館イリス」にて開催されました。
 文教大学准教授・国立青少年教育振興機構育センター副所長・青山鉄平氏の「人と地域をつなぐ
 社会教育・生涯学習の役割=生涯学習まちづくり」と題する講演が内容です。青山氏は久喜では
 「ゆうゆうプラザ」の研修会でも講演をお願いしておりおなじみの方です。市民大学学生・同校友会
 会員・生涯学習推進部員・社会教育委員など大勢の方が出席されました。
  案内の文章で青山先生の講演題目が「生涯学習まちづくり」と聞いたとき、何としても出席して話を
 聞こうと思いました。「生涯学習まちづくり」という命題というか、内容というか、方向性に無限の魅力を
 感じ、その下に自分の全存在をかけてがんばろうとした(頑張った)20年近い歳月を持っていたからです。
  私は平成7年開校の「久喜市民大学」の1期生、従って大学院も1期生です。1期は40名の学生をようし
 内8割が大学院に進みました。私はそこで「生涯学習ゼミ」を選択、担当教授はおなじみの野島先生、
 私の論文の中身は「生涯学習まちづくり」でした。当時私はすでに福富強先生の「全国生涯学習まち
 づくり研究会=全国まち研」の会員でした。確か埼玉県では4・5番目の会員だったと思います。東京
 松戸等で開催される多くの研修会に出席したものでした。その後久喜市の市民大学の仲間と「久喜市
 生涯学習まちづくり研究会=まち研くき」を組織し活動しました。「我が町発見」ということで市内の各所を
 歩いたり「市民まつり」では「コーナー」を出したり、県内他市町の「まち研」と交流をしました。埼玉県の
 八潮市・掛川市・亀山市といった町の生涯学習まちづくりは憧れであり、夢でした。全国的に「生涯学習
 都市宣言」を行う町が続出していました。「いずれ久喜も!」という思いで満ち溢れていたのです。
  今から35~20年も前の話です。私の「生涯学習まちづくり」の活動は全て壮大なゼロと化しました。
 福留先生の「全国まち研」は今・どこへ行き、何をしているのでしょうか。「まち研久喜」はチヨットお門
 違いの「学校ボランティア」へ転換、何とか生き残りを図りましたが、とうとう耐え切れず5年程前に
 解散しています。「八潮」は「掛川」は「亀岡」は今どうなっているでしょう。私はスポ少の関係で「八潮」には
 年1~2回訪れます。市民や行政の人でも「生涯学習まちづくり」を口にする人は誰もいません。あの
 「藤波市長」の輝ける挑戦は一体どこに行ったのでしょう。
  私は個人的にはスタートと、その後の状況の変化と2つあると思っています。1つは平成元年・2年の
 文科省の「生涯学習まちづくりモデル事業」です。全国自治体の7割が参加したという画期的事業でした。
 わずか300万円の補助金事業でしたが。必置間機関として「生涯学習推進会議」か義務付けられました。
 「まちづくり」という事業名に惑わされ全行政部門が参加するものでした。「生涯学習」が未成熟な中で
 形ばかりの「まちづくり」、多くの自治体で失敗に終わり、また熱心な担当者の交代なとど共に終息
 していきました。我が久喜市などは熱心な市民活動家により、「住民主導の生涯学習の推進」として
 何とか生き残った珍しい町といえます。
  もう一つはいわゆる人口減少・少子高齢社会です。入りは少なく。出は多い社会です。加えて昨今の
 久喜のように公共施設の老朽化があります。トイレが使えない、雨もりがする、立体歩道橋の外壁が
 オッこちるという問題です。当然行政はこちらに金を使います。生涯学習といったいわば余計事に金は
 使わないのです。
  青山先生の講演内容に意義はありません。そり通りだと思います。もし4半世紀前に聞いていたら
 猛烈にパトスを燃やされ、走り回る事だったでしょう。しかし今は「ああ生涯学習まちづくりか。懐かしいな」
 というノスタルジアの中でしか話を聞けないでいます。悲しいことです。
  どうすればよいのでしょうか。私はこの歳になりいくつかの活動を止めましたが、まだいくつかの活動を
 続けています。そうした活動に頑張る、それぞれがそれぞれの活動に頑張る、そうした中でその活動が
 緩やかなネットワークとして繋がったとき、学びと活動が地域につながるのではないか、そんな思いを
 持っています。残されたわずかな時間をこうして活動し、自分が過去憧れ、目指した生涯学習まちづくり
 の夢・幻を追っていきたいと考えます。


    ◎ 母校・東工大附属工高最後の?クラス会  11/9(木) 田町

 
 このことについてはもう何度も記してきました。私は「東京工業大学理工学部付属工業高等学校」という
 大変長い名前の高校が母校です。全国で唯一の国立の工業高校です。最初の東京オリンピックを前にして
 高度成長期にあった当時、理工ブームが押し寄せ、また都立・県立高校より受験日がひと月早いことも加わり
 倍率が20倍にせまるという大変な難関校でした。小さなプレス工場を営んでいた父は、自慢の息子であった
 兄が大学で「文学」に進んだこともあり、私には何が何でもここで学ばせ、アトを継がせようとしたのです。
  そんなことで私はここの生徒となりました。ちなみに私は大学は早稲田ですが、これもまた親父が「兄と妹が
 大学に進み。アトを次ぐお前が高卒ではかわいそうだ、仕事を手伝いながら夜(夜間部) なら行ってよい」と
 何かの気まぐれに言ったのです。しめたと思い早稲田の「第二政経」で学ばせてもらったということなのです。 
  とにかくそんなことで進んだ「東工大付属高校」は、私にとり天国でした。良い教師に恵まれました。良い
 友に恵まれました。仲間36名の内結局3分の1が進学しましたが。基本就職校でしたからのんびりした
 雰囲気に満ちていました。私にとり天国であり、楽園だった東工大付属校は、みんなにとってもそうだったよう
 です。だから卒業しても折に触れ集まり、旧交を温めあってきました。
  卒業してすぐに東京オリンピックがありました。高度成長経済の時代でした。就職した仲間は全国に散らばり
  一選のエンジニアとして働いていました。だから皆忙しく、クラス会だ。飲み会だといって頻繁に集まりだした
 のは60を越えてからでしょうか。とにかくコロナの前までは毎月飲み会を持っていましたし、最近でも春の観桜会
 秋の一泊旅行を毎年持っている位ですから。今回大規模な形で「クラス会」を持つに至ったのには2つの理由が
 あります。1つは80歳になったということです。企業戦士も皆一様に歳をとりました。本人+私もですが連れ合い
 です。「あすこが痛い、ここが動かない、女房が悪くてね」のオンパレードです。さらにもう1つ、母校の移転です。
  東工大付属は山手線・京浜東北線・港区田町駅にあります。西側が三田口、東側が芝浦口です。この芝浦口
 改札を抜けると5秒で校門、グラウンドは線路に接しており、とにかく駅に近いのです。三田側には慶応大学・
  名門女子高の三田高校、森永の本社があり、綺麗です。芝浦口には今はなくなりましたが、芝浦工大、本校
 があり汚なかったです。ここにおんぼろ校舎が何棟かあり、我が校舎を成しました。卒業して60年です。
  当時の面影を残すのは何もありません。、しかし今でも新幹線で東京駅を出ると校舎を見るまで席に就かず、
 懐かしい風景を見るのを楽しみとしていました。その校舎がなくなるのです。
  問題は東工大が2018年に「指定国立大学法人」に指定されたことから始まります。この指定により東工大は
 「世界の有力大学と伍し、社会・経済の発展に貢献する取り組みを強化し、もって国立大学改革の推進を図る」
 となりました。結果「産学連携や新産業の創出」を目指し、「田町キャンバスの土地活用」が打ち出されました。
 何のことはない現田町にある我が母校を解体し(2024年)、目黒区大岡山の東工大キャンパス内に新校舎を
 建設(2025年)するのです。授業開始は翌2026年からとなっています。
  だから母校が現在地にあるのは今年までとなります。先の80歳という私たちの年齢に加え、最後に母校を
 観ながらのクラス会をとなった次第です。

 
 さてその後です。跡地にNТТ・鹿島建設・JR東日本・東急不動産などでジョイントを組み、36階建てと
 7階建ての2棟のビルを立てます。2032年に営業オープンを予定しています。東工大が産業連携・新産業創出
 のためどのくらいこのビルを使うかは明らかでありません。ただしホテル・マンション・事務所・店舗等でほとんど
 使われるのは解かっています。何か「近くに高輪ゲートウェイ駅も出来、土地の価格も上がった。ハイタワービル」
 でも建てて有効利用するか(もうけるか)だろう と思うのは母校がなくなってしまう私たちのしがみでしょうか。
  とにかく消息がつかめている22名のうち15名が参加しました。前は何もなかった芝浦口にも結構なビルが建ち
 その中にある中華料理店で、懇談のひと時を持ちました。楽しい時間でした。みんな酔いも手伝って、最後じゃなく
 またやろう。最低でも85の時には、なんて気勢を挙げていました。果たして何人集まるでしょう。もちろん私はその
 中の一人ですが。とにかく我が母校が心の「田町」からなくり、「大岡山」移ってからも、もちろん訪ねることはないと
 思いますがに、「伸び行く日本工業に、理想花咲く徒を送り(校歌から)」続けていただきたいと願うものです。

  校門から望いた校内。人工芝が校庭、
 正規のサッカーコートが取れます。


    ◎ 久喜小研究発表会(授業時数弾力化モデル校事業) 10/31(火)

  久喜小の「授業時数の弾力化に係るモデル校事業研究発表会」が、31日午後久喜小で行われ参加しました。
 久喜小は私の知る限り多く委嘱を受け、各種研究事業に取り組んでいます。前の「夢創造科」に係るもの、令和に
 入り、元年から3年までの「イノベーション力の育成に係るカリキュラムマネジメント」、そして去年・今年の「授業
 時数の特例に関するもの」、加えて文科省より「ディジタルシティズンシップ」に関する研究委嘱です。熱心な
 久喜小先生方に敬意を表するものです。
   まず体育館での全体会、県教委、久喜市教育長、久喜小校長より挨拶がありました。その後主幹教諭であり
 久喜小研究主任のО先生より、久喜小が授業時数特例を実施する背景、研究発表会で公開する各学年の
 研究活動等について説明がありました。今回紙ベースでの資料は一切ありません。その代わり参加された
 先生方は何かがアップされているパソコンを持ち込んでいました。私はそれがありませんので、全てその場で
 拝聴させていただいたのみでの報告です。間違っていましたらお許しください。О先生はその中で、① 久喜小
 教育目標の「イノベーション力の育成」に教科横断型のカリキュラムマネジメントで取り組んでいる、また②社会に
 繋がる学習を実現・継続していくために、A 大単元構想・自分なりの答えを出せる授業。 B ディジタルシチズン
 シップ・「受信と発信」・「スキルとコミュニケーション」のバランス、C・「ユネスコスクール」自己実現から社会貢献へ
 の3つに取り組んでいると報告されました。








  ―左から3枚 授業参観から―   ―右・全体会―
  そのあと1年生から6年生まで、各教室での授業参観に移りました。いつもと違いここの時間がたっぷりとられ
 ており、各学年ともにじっくり観る事が出来ました。その中で10/14日付の本ページで報告している市教委の
 学校訪問を受けての発表会の際、報告した2年生の「おもちゃ作り」、4年生の「雨水をためよう」、3年生、6年生
 等の授業が面白かったです。2年生の「動くおもちゃを作ろう」では、大勢の子が「ぺットボトル」を使ってのものに
 取り組んでいました。いきなり子どもがどう思うか、聞いてきたのでびっくりしました。大人にアドバイスを貰って、と
 いうのがあるようです。3年生は地場産業の魅力を伝える、ということに取り組んでいました。4年生の「雨水を
 ためよう」、これは我が学運協の仲間H氏が指導しています。ためた雨水をどう、何に使うかを論議していました。
  6年生はさすがにチヨット難しい「自己評価」、「5年生への伝達」という内容でした。

  体育館での全体会に戻りました。まず県教委と市教委の方による講評、「子ども達が生き生きしていた」と
 いわれました。その通り、私もいつもそう思います。
  そしてメインの国際大学「豊福」准教授による講演に移りました。「デズタルシチィズンシップ教育と問題解決型
 学習・探究活動の充実」と題するものです。「デジタルシチズンシップ」なる概念が登場したのは去年のことです。
  私たちの理解は大変浅いものがあります。その意味でもこの講演は大変難解でした。久喜小で令和元年から
 研究を続けてきたものを、「ティズタルシチズンンシップ」の視点でまとめた、と言っていましたが、その視点から
 意味が良く理解できませんでした。「ディジタルシティズンシップ」とは、デジタル技術の利用における適切で責任
 ある行動規範を言います。今までの「情報教育モラル」と似ていますが、単に「規範・ルール」を教えるのではなく、
 自分で判断できる力を身に着けさせる事が異なるといわれています。そうしたことが前記した「問題解決型学習・
 探究活動の充実」という部分につながるのでしょうか。とにかく私の理解・能力を越えており、ぴっちり90分の
 講演が実に長かったです。でも「GIGAスクール構想」の推進の中で、この分野の学習は益々重要となるでしょう。
  次の「学習指導要領」では全ての教科に「ディジタルシティズンシップ」の学習が組み込まれると言われています。
  いずれにせよ現段階の不勉強を恥じ、これからしっかり取り組んでいくことを決意させてくれた今日の発表会でした。

     ◎ 北小音楽会(北斗祭)・久喜小音楽会(+鼓笛演奏) 10/29(土)

 













  朝、夢の中なのか現実なのか、解からないまま目を覚ましました。ごろゴロごろとものすごい雷がなっていました。やっと
 現実の世界とわかったとき、「ありゃまぁ」と思いました。今日は土曜授業で私が知っているだけでも、久喜小では音楽祭
 北小では北斗祭、太田小に至っては150周年式典まであるのです。しばらく登校待機だろうな、と思っていましたが、案の
 定久喜小の登校指示は9時を回っていました。この日私は北小の「ありがとう北斗祭(感謝の集い)」に出ました。私は
 立場上久喜小音楽祭に出ねばならぬのですが、案内がこちらの方が早く返事を出していたためお許しを請います。
   久喜小は地域の方に感謝する会と音楽祭は別に行います。北小は今日のように「地域の方に感謝する会」と音楽会
 =北斗祭を統一してやっています。前記した雷の関係で1時間遅れ、10:30、校長先生のあいさつで開会です。―上・左―
 特色としてこの日に合わせ、毎年3~4名の方を表彰することです。「読み聞かせボラ」として私も大分前に頂きました。
 この日は「ゆうゆうのサポーター」他の方が、学運協・PTA 会長と校長3者連名の表彰を受けました。―上・左2―
  100%子どもたちによる進行で音楽会が始まりました。久喜小は基本1学年3クラスですから、1年から6年まで一緒で
 3部制を撮りますが、北小は1学年1クラス、全員一堂に会してです。3年生合奏
―上・右2―  1年生合奏―上・右―
 6年生合唱 
―下・左― 全員良く練習したのでしよう。みごとな出来栄えでした。特に6年生は近々行われる 「市内
 学校音楽祭」に北小代表で出場するとかで、白いシャツ、布テープで手製ネクタイというコスチュームでの出場でした。
 本大会での頑張を期待します。こちらこそありがとうございました。大部視力が衰え、いつまで続くかと思いますが、
 「読み聞かせ」もう少しがっぱってみます。


  急いで我が家に戻り、久喜小に向かいました。遅れて開会の時間はほぼ同じころと思います。もう少し「音楽」聞ける
 かと思いましたが、最後の3部の2つのプログラムだけでした。お許しください。
―下・左2―  その代わり午後の
 6年生の鼓笛演奏は聞きました。6年生最後のものとしてこの日の午後に予定していたものです。朝の雷雨で校庭は
 水浸し、PTAによる必死のグラウンド整備のおかげです。行進はしませんでしたが整備なった校庭を使ってのものです。
 6年生には良い思い出となり、下級生には自分たちもと励みになったことでしょう。 
―下・右の2枚― 我が子の
 晴れ姿を、という保護者でいっぱい、余り前へ出ては失礼と思い後方での撮影で失礼します。
  久しぶりの朝の雷雨、その後の秋晴れ、2つの学校の音楽祭を楽しんだ土曜日の1日でした。 

   ◎ 本町小学校 開校50周年記念式典  10/21(土) 本町小体育館















  我が母校久喜小学校はこのべージで何度も報告したように、昨年創立150周年を迎え、私もその1員であった
 実行委の下、盛大に記念事業を実施しました。1市3町で合併した新久喜市とは異なり、旧久喜市は久喜町・太田
 清久・江面村の1町3村で合併し誕生したのですが、その1市3町にそれぞれ1つの小学校しかありませんでした。
  久喜町には久喜小だけだったわけです。それが昭和40年代後半に、人口が急増しました。また太田地区では
 青葉団地、いくつかの地区での区画整理事業等でこれまた人口の急増、新設校の開校となったわけです。「久喜小」
 から「本町小」、本町小から「北小」が分離独立しました。本町小の分離前、久喜小児童数が1600人だったと聞いて
 驚いたことがあります。児童数減少による小学校の統廃合が続く昨今の状況がウソみたいですね。
  昨年久喜小150周年事業に当たり、卒業生から協賛金を頂く活動に携わった時の話しです。祭り関係の某氏に
 お願いしたところ、「岸さん、私は5年生まで久喜小、最後の1年は本町小、だから少し割引ね」と冗談を言われた事も
 ありました。この人は丁度60歳でしたから、「じゃあ、本町小の50周年はすぐだな」と思ったものでした。
  その本町小の「開校50周年記念式典」が、21日本町小体育館で開催されました。校長・PTA会長と一緒に「学校
 運営協議会」会長としてご招待いただいたのです。一時期はサッカーや野球の大会時に良く本町小に来ていましたが、
 この所ご無沙汰しています。丁度大規模改修とのことで、校舎はほとんどメッシにおおわれていました。
  控室や会場への途中で、顔見知りの何人かから言葉をかけられつつ体育館に入りました。ここも久しぶりです。
 すっかり式典の用意ができていました。
―上・左― 開会前に卒業生の女性ピアニストによるオープニングセレモニー
 です。本町小・久喜中から東京音大卒、国内外で多くのコンサートに出演されています。モーツアルト、ショパンなどの

 曲を5曲ほど弾かれました。開会に先駆けこのピアニストの方の伴奏で全員起立して「本町小校歌」を斉唱しました。
 ―上・左2―校歌の作詞は濱梨花枝(榎本操)氏、作曲は服部良一氏です。やはり2番に「遷善館」が登場しています。
 卒業生ピアニストは児童代表から、謝辞と花束を送られ退場していきました。―上・右2―
  式典に入り国歌斉唱の後、校長先生が式辞を述べました。校長先生は本町小の特徴として、1・各種研修活動に
 熱心に取り組んでいる、2・地域と一体としてある、と述べられました。何かどこかの式典でも聞いたな、なんて思いました。
 ―上・右― その後市町・議長・教育長等の来賓祝辞、市長は「私も本町小と同じく昭和49年の4月生まれです。」とリップ
 サービスでした。実行委員長挨拶に移りました。何代か前のPTA会長の方です。普通の挨拶ではなくスライドを写しつつ
 本町小50年の歩みを語るものでした。スライドに回りに何もなかった当時の風景が写され、懐かしかったです。―下・左―
  児童代表の言葉、選挙の時の「激」に近い、PTA会長の「閉会の言葉」をもって式典は終わりました。解散しました。
 出口に話の中でも出ましたが、50周年を期して変る新しい子どもたちの運動着(夏・冬)が飾られていました。何かすごく
 モダンな感じでした。 ―下・中―  
  お土産に下敷き・ボールペン・記念誌を頂きました。記念誌は御覧のようなものです。―下・右―久喜小の150年記念誌
 を思い浮かべました。そういえば今年太田小・清久小も150周年です。「岸さんの所のようなわけにはいきません」と何人
 から言われました。何を意味するかよくわかりませんが、それぞれに記念事業への思いがあり、取り組みがあります。
 肝心なのは関係者一体となって、それぞれの未来へ向け歩み続けることです。
   本町小の50周年をお慶び申し上げます。共に地域とともにある学校づくりに邁進してまいりましょう。

    ◎ 第11回・久喜市健康づくり・食育推進大会  10/14(土) 久喜総合文化会館 








  下段でもお知らせしたように、令和5年度第11回健康づくり・食育推進大会が、14日午後「久喜総合文化会館
 小ホール」と「サイエンスホール」で開会されました。主催は久喜市と久喜市教育委員会、主管が同大会実行委、
 公益社団法人 春日部法人会、医師会・歯科医師会・薬剤師会等が協賛・協力しています。私も前にこの
 実行委員会に関わったことがありました。小ホールをメイン会場とし、市内で健康体操教室を実践しているリーダーに
 よる活動発表、開会セレモニーに移り、大会会長・市長等のあいさつの後、健康づくり・食育推進ポスターやパネル
 展示校、さらには健康づくり・食育推進実践校等々の表彰が行われました。
 ―左― これで開会行事を終え、
 メイン講演はサンリオエンターテイメントKK代表取締役で、サンリオビューランド館長のK女史によるものでした。
  私は開会行事の途中から入館、この講演も聞きたかったのですが、開会行事に時間を要し、子どもたちとの集合
 時間に追われ、集合場所「サイエンスホール」へ移動しました。ここでは入賞したポスター、各学校のパネルが
 展示されていました。
―右・2― は久喜小のものです。またあまり大きくはない会場のあちこちで、協賛の医師会
 薬剤師会といった人たちによる血圧測定・血糖値測定等が行われていました。
―右―
  
子どもたちと合流、舞台裏から壇上に進みます。一番前の椅子に座ったら、会場内の顔見知りの方が、子どもの
 発表会に何で岸さんが出るんだ、と不思議な顔をしていました。子どもたちは立って代わり番の発表ですが、私たちは
 舞台一番前の椅子に座って待機です。ですから発表のスライドも見られないし、当然写真を撮る事もできません。
 子どもの差し出すマイクに下段と同じようなことをお話して終わりました。
  家へ帰ってくつろいでいたら、校長先生からお礼の電話を頂き恐縮しました。子どもたちが自分たちで作った
 梅ジュースをおいしいと、みんなの前でほめてくれてうれしかったと、また保護者からは子どもたちの発表会に地域の
 大人が一緒に参加してくれた、久喜小は本当に地域と一緒にあるんだなと実感できた、とほめられたと話されました。
  まぁチヨットうれしかったです。久喜小は今年151年の伝統校です。庭に梅の古木があり、その実を子どもたちが
 採って、梅ジュースを創る、それを学校にお伺いする私たち地域の人間がごちそうになる、そこからまた元気を
 貰ってまた頑張れる、良いことだなとしみじみ思います。楽しい思い出に残る半日でした。

    ◎ 令和5年度・久喜小保健委員会  10/13日(金) 久喜小多目的室









  13日(金)に「多目的室」において、久喜小学校の「令和5年度 第1回学校保健委員会」か開催されました。中身は
 1部と2部に分かれ、1部は明日14日(土)に「久喜市総合文化会館」で開催される「久喜市健康づくり・食育推進大会」
 で発表する「久喜小学校の健康づくり・食育の取り込み」の発表、2部は久喜市教育委員会給食課栄養士Sさんに
 よる講話というものでした。

  今年で第11回となりますが、久喜市では毎年多くの団体、組織の協賛を得て、「健康・食育推進大会」を開催して
 います。その中の1部に市内小学校、中学校各1校が各校における食育と健康づくりの推進活動を発表する、と
 言うものがあります。今年小学校は久喜小です。そこで発表する内容のものを予行練習というと何ですが。今日の
 1部で発表しました。発表者は久喜小の給食委員のみんな、「給食委員取り組活動」、3年生の「総合的学習の時間
 での取り組み」、「サニー学級のとり組」の3つです。このサニー学級の取り組みの1つに「梅ジュース」の作成があります。
  久喜小裏庭には2本の梅の古木があります。その梅の実を取り、自分たちで梅ジュースを作るのです。この夏私は
 何度も冷たい梅ジュースを頂きました。実はこの発表会の一部に「地域の方に感想を聞く」というのがあり、子どもの
 インタビューに答えるのがありました。私と久喜小地区コミ協会長のМ氏が出演しました。何故数多い地域活動家
 から私に指名があったかというとビジュアル?です。「梅ジュースはウメ―」等と答えたМ氏は「ダジャレ」からです。
  「毎日のように久喜小にお伺いしていますが、いつも元気な「久喜小っ子」にあえて大変楽しみです。それと君たちが
 作ったおいしい梅ジュースをいつもごちそうになります。そこでまた元気を貰ってさらに張れます。」私はインタ
 ビュアーにこう答えました。
  2部は「バランスの良い食事をしよう。何故好き嫌いはいけないの?」という、久喜市栄養士Sさんのお話です。
 私はこの人と親しく、スポ少の研修会でも何度もお世話になっています。
  私たちの食べる食べ物は赤色群・黄色群・緑色群と3別出来る。赤色群は体を大きくしたり、力持ちにする肉・魚・
 卵・牛乳などタンパク質を多く含むもの、黄色群は米・パン・うどん等エネルギーを生む糖質・脂質と呼ばれるもの
 緑色群は調子を整える野菜・果物・キノコなどビタミン・ミネラル等、こうSさんは話されました。
  さらに今日の献立から3つの色群に食べ物を分類し、学校給食がいかにバランスを配慮しているか話されました。
  最後にクイズ、草しか食べない牛はどうなのか、逆に肉しか食べないライオンはどうなのか、子どもたちは手を挙げ
 一生懸命答えます。答え、牛は草からタンパク質を生み出す特別な内蔵を持っている、ライオンは捉えた獲物を必ず
 内蔵から食べる、そこから草(のもつ栄養)を取り入れる、のだそうです。子どもたちと一緒に楽しい時間を持つことの
 できた楽しい今日の保健委員会でした。

     ◎ くきっ子ゆうゆうプラザ ボールで遊ぼう・ロボット  10/7(土)








  「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものです。とにかく殺人的猛暑の日が続いた今年の夏でしたが。秋彼岸と
 供に何となく和らぎ、10月に入るとすっかり涼しくなりました。すでに「富士山」には初雪が降り、北海道「大雪山」は
 紅葉真っ盛りとなっています。間もなくスポーツの、芸術の秋本番となります。久喜小放課後子供教室・「くきっ子
 ゆうゆうプラザ」もこの季節を迎え順調に進みそうです。
  今年私が担当しているのは木曜日が「ボールで遊ぼう」、土曜日が2回の物ですが「ロボットを作ろう」です。
 久喜小の木曜日の講座を代表するのは、何といっても「ドッチボール」です。私も長いことこれを担当してきました。
 子どもたちにも面白いのでしょう。何と参加者が100人をゆうに超しました。もちろん高・中・低とグループ分けして
 やってきましたが、サポーターから悲鳴が上がり、今年は参加人数減少を期して中・低学年と搾りました。その
 代わり高学年を対象に、新たに設けた講座が「ボールと遊ぼう」です。ボールを使う最も一般的な、「野球」と
 「サッカー」を交互にやる内容です。私がこれを担当することになりました。まさかこの歳で私が実技担当という訳には
 いきません。野球・サッカーそれぞれに専門家を新たなサポーターとして迎え。スタートを切りました。写真
―左―
  はサッカーのミ二ゲーム風景です。これからも楽しくやっていきます。
  もう10年以上続いている「ロボットを作ろう」は、10月に入っての土曜日2回の講座です。「ゆうゆうプラザ」の講座は
 原則無料です。ただし講座を進めるにあたり必要な物品がある場合、実費負担となります。「ロボットを作ろう」は
 専門的部品・モーター等一番高額な講座です。それでも最後に、自分の作った「ロボット」を動かすのは何とも言えない
 ものらしく人気の講座です。でも今年はどういうわけか少なく参加者は5名でした。1対1での指導を受けつつ、子ども

 たちは一生懸命制作に取り組んでいました。―中2枚― は多目的棟理科室での講座風景です。
  講座を終えて解散というとき、大変なプレゼントがありました。「ロボットを作ろう」講座責任者であるH氏のご家族・
 お仲間の方々は「ロケット」の制作に取り組んでいます。2~300mは跳ぶという本格的なものです。しかし実験に
 広大な空地を要するため出来ないでいました。今日は「ゆうゆう」の日、スポ少の校庭使用もありません。そこで

 H氏を中心にロケット発射実験をしたのです。 ―右― は写真の三脚を使った発射台です。これに手作りのロケットを
 立て飛ばすのです。風が強く苦労しました。一番体育館より発射、途中パラシュートが開いて落下するのですが、
 何とビオトープ後ろの木にひっかかのもありました。すごいものですね、さっそく僕たちは来年高座にとり込もうよ
 なんて話し合いました。
  とにかく秋の深まりとともに「くきっ子ゆうゆう」も進んでいきます。頑張ってやっていきます。

    ◎ 久喜小学校運営協議会・授業参観・研究協議  10/4(水) 

  10月4日は「久喜小学校運営協議会」の10月定例会議でした。いつものように議題に沿っての協議ではなく
 この日は2年生の授業を参観、その後全員の先生方と一緒に研究協議、という形でこの日の会議を持ちました。
  というのも久喜小は「授業時数特例校」の指定を受けています。これは昨年・2022年から始まった新しい制度
 素人の私の説明で申し訳ありませんが、要するに小中・義務教育では、授業時数は各教科とも学年毎に定められ
 ていますが、それを総授業時数は確保したうえで、1割を上限として標準授業時数を下回る教育課程の編成を
 認めるものです。久喜小はこの指定校となり、かつ市教育委員会の研究指定も受け実践研究活動を進めてきました。
  この実践活動の研究発表会が10月31日にあります。それに合わせ今日の市教育委員会指導主事の学校訪問を
 うけ、10月31日に向けて中間のチエックをしつつ備えようというものでした。
  授業を参観したのは2年生のクラス、「生活科」の時間、ここで「動くおもちゃ」を作ろうという内容です。とにかく
 9/1に始まり。11/13日までに、この授業が26時間も用意されているのですから大変なことです。その長い期間の
 その1日を観る訳ですから、授業参観で内容がよくわかるということはありません。ただいつも感心するのは今日は
 2年生でしたが、実によくタブレットを使いこなしていること、それから先生が最初と最後に話す程度で、後は教室を
 ぐるぐる回りながら、子どもたちの自主的思い・意欲にゆだねていることでした。今日は26時間の8時間目に当たります。
  進行は1・目当ての確認 設計図を書く、2・活動、3・ふりかえり パドレッドに書く、という順に進んで行くそうです。
 これはスポ少なんかでの活動(練習)も、導入―展開―まとめ、となりますのでよくわかりました。今日の授業は1・目当て
 の確認・設計図を書くから、2・活動へ入っていくあたりと思われました。

  その後子どもたちの下校を見守って全員の教員、学運協メンバーで図書室にて研修を行いました。研修課題は
 授業時数特例事業を活用した久喜小の特色の展開、~発信による社会参画を取り入れた大単元構想の実現~という
 サブタイトルがついています。相変わらずあまりよくわからない難しい文章です。そういえば教委指導主事の1人が
 今日の授業に子どもが集中していた、それは子ども主体の授業だったから、こうしたことがイノベーションの育成に
 繋がるのだろうとほめた後、先の文書や説明する図が解かりずらい。もう少しやさしくといっていました。そうだと思い
 ます。研修の最初に久喜小の研究主任が、久喜小の特色として①大単元構想、②デジタルシチズンシップ、③ユネ
 スコスクールを上げ説明しました。「大単元構想」という言葉は久喜小の会議では年中出てきます。教科書にそった
 「単元学習」を基に、子どもたちの主体的取り組を引き出す、これまでの単元よりゆとりと柔軟性を実現するもの
 これがよく言われる「自分なりの答えを出すことが出来る」に繋がるのでしょう。②のデジタルシチズンシップです。
 「発信と受診のバランス」、「スキルとコミュニケーションのバランス」を言われました。③の「ユネスコスクール」では、
 自己実現から社会貢献とし、むすびとして「社会につながる探究活動の実践」を挙げていました。こうしたことが
 研修課題のサブタイトル、~発信による社会参画を取り入れた大単元構想の実践~となるわけですが、しかし
 何と回りくどい表現なのでしょう、前記の通りもう少し優しくといつも思います。
  その後6つのグループに分かれてのワークシヨップ、指導課主幹の講評で会は終了しました。ワークシヨップでは
 ある程度の本音の部分が聞けて面白かったです。「主幹」の講評ではまた頭が痛くなりました。曰く「個別最適な
 学びと協働的学びの統一」、曰く「コンピテンシー育成の取り組み」、「グラウド活用した学習者主体の学習へ」、
 「シンキングレンズ・基礎となる見方・考え方」といった言葉の氾濫でした。久喜小学校運営協議会の会長として
 こうした事を充分理解しないとダメなのかなと、まああまりグチを言わず、認知間近な頭脳にムチうって頑張る
 こととします、何て事を思いながら3時間半の研修を終え、帰途につきました。 
 
   久喜市高齢者大学の教養講座を拝聴しました。 10/2(月) 高大学習室 

  私はコロナ前に恩師H先生が主催する「論語勉強会」に参加していました。有意義
 かつ楽しいものでした。この勉強会はコロナの感染拡大で休止となり、その後先生の
 ご高齢も加わり中止となりました。しかし何とか論語を勉強したいという欲求が
 つよく、その当時参加されていた仲間の方との思いも一致し、「久喜論語塾」を発会
 2年がたとうとしています。久喜小のご好意により会場の提供を頂き、孔子門弟の
 「10哲」ではありませんが、中心メンバーだった別のH先生を中心に楽しくやっています。
  そのH先生は久喜市高大で論語についての講座を持っており、本日鷲宮総合支所5Fの教室にて、「教養
 講座」がもたれ仲間と一緒に拝聴しました。
―写真―

  H氏はまず「湯島聖堂」にある「孔子」の像を紹介、さらに渋沢栄一が加須市に講演に来られたのを記念、「加須不動尊」
 境内に建てられている記念碑について触れました。「言葉が誠実で行いに真心があれば、世界中どこへ行っても事はうまく
 進む。しかし言葉がいいかげんで、行いに真心がなければ 生まれ故郷でさえ、思うようにならな」という内容です。
 ちなみに渋沢栄一氏は我が久喜小にも訪れています。さらに「論語」は解釈が様々でこれがベストというものはない、だから
 自説を堂々と述べることができるとされました。そして現代につながる論語の論(さとし)として、いくつか紹介しました。
   ① 巧言令色 鮮なし(すくなし)仁
   ② 温故知新以て師と為るべし 

   ③ 言に訥(とつ)にして行に便ならん事を欲す
   ④ 文行忠信子四を以て教うし
  の4つです。
   ① は言葉が巧み(上手)で、外見を良く装う人に仁者はいない
   ② は旧いことに習熟し、さらに新しいことをわきまえてゆくから師となれる
   ③ は口を重くして、実践につとめるようありたい
   ④ は文と行は形に表れる外側、忠信は人に見えない内側 両者の調和が必要    大体こんな意味です。
  もちろん前記したように解釈の様々は全くかまいません。最後に3つの演習を出して、高大の学生たちは5~6人の
 グループで演習に取り組んでいました。皆さんならどう解釈しますか。
   1・子の曰く、道に志し、徳に拠り、仁に依り、藝に遊ぶ
   2・子の曰く、吾れ十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十に
     して耳順ふ、七十にして心の欲する所に従って矩をこえず
   3・子の曰く、学びてときにこれを習う、亦悦ばしからずや、朋あり、遠方より来る、亦楽しからずや、人知らずして
    ※(うら)みず、亦君子ならずや        の3つです。
  2と3はよく知られていますね。1・は不変の真理(天の道)を求め、道徳を根拠に人の道(仁)を身につけ、学問の
 世界を楽しむ、と解しました。なお「藝」とは六藝、礼=作法 数=数学 書=書道  御=馬術  射=弓術
 楽=音楽り6つを言います。「藝に遊ぶ、とは学問に親しむ」事なんですね。これは論語塾で学んでいたので
 何となく理解できました。学生諸君はどう解したのでしょうか。  
  楽しい時間でした。私たちは今後とも「論語塾」を続けていきます。皆様方の参加をお待ちしています
―岸・可―

    
   久喜市高大校友会・第15回音楽芸能祭  9/29(金) 総合文化会館小ホール






















 
 高齢者大学校友会会長М氏とは長く親しい関係にあります。今は「市大・高大運営委員会」のメンバーとして、一緒に
 活動しています。第15回となる「音楽芸能祭」のご案内を頂きお伺いしました。親睦と社会貢献を2つの柱とする「高大
 校友会」の活発な活動にはいつも感心しています。午後C・Sに関する会議あり、半日でしたが楽しい時を持ちました。
  上・左  開会式でのМ会長挨拶。
  上・左2 同じく開会式での梅田高齢者大学学長・久喜市長
  上・右2 高大校友会は会歌「この街で」を持っています。開会式での斉唱、赤のТシャツは手話で歌う会員です。
  上・右  サギ対策を呼びかけるる放送劇、大変愉快な内容でした。 
  中・左  男性会員の踊り 会場から盛んにかけ声がかかっていました
  中・左2 フラダンス 趣味で踊る人達の中では最上級の踊りでした。
  中・右2 М会長と同期の方々のカラオケ、この後「都はるみ」の「好きになった人」を踊りました。見ていて実に楽しそうで
        あり、さわやかな印象でした。
  中・右  沖縄地方のエイサー踊り  このグループには議員時代の先輩がいました。5年ぶり位懐かしかったです。 
  下・左  エイサー踊りとおなじグループ、神輿を担いで元気に練り歩いていました。
  下・中  民謡 私も知る「武田節」などが踊られていました。
  下・右  我が町内会の役員仲間です。ギター片手に達者なパフオーマンスでした。 

  午後からも続けられました。午後もと思ったのですが、コミュニティスクールに関する遷善全学園の会議があり失礼しました。
 他に内容としては大正琴・ウクレレ・フォークダンス・社交ダンス・手話ソング・合掌・よさこい・ハーモニカ・スコップ三味線と
 まことに多種多様用でした。そうしたプログラムに演目ごとに出演人数が記載されています。合計すると約280名でした。
  そうした数、演目の多様さももちろんですが、会員諸君が実に楽し気に演じているのが素敵でした。
  高大校友会会員の皆様が、もう一つの柱「社会貢献」の分野でも、今まで同様頑張って頂くことに期待します。ご承知のように
 来月15日には「市民まつり」が行われます。市大と高大、その卒業生を中心に運営されてきた「市民まつり」も、こうした生涯
 学習ボランティア中心の実施は、今年で最後になると言われています。数の減少と高齢化です。大変残念な思いがします。
  市大・高大運営委員会の責任者としても、1個人としても、市大・高大の充実に頑張っていきたいと考えます。

       ◎ 久喜小学校開校記念日記念集会  9/7(木) 















  9月8日は久喜小学校の開校記念日です。もう何度もこのページで報告してきましたが、久喜小学校は
 前身「久喜学校」として、私の菩提寺である本町一丁目「光明寺」を仮校舎とし、明治5年1月にスタートしま
 した。昨年盛大に150周年を祝いました。今日の開校記念日はこの実際の誕生とは異なり、その後文科省
 の定めにより、久喜小が「尋常小学校」と改称した日に由来しています。例えば我が母校「久喜中」です。
 私は久喜中の第12期生ですが、私が1年生の6月15日に当時の「太田中」と合併し、「新久喜中」と変り
 ました。その後この日が久喜中の開校記念日となっています。
  いずれにせよ今年久喜小は151周年、毎年毎年の開校記念日に当たり、150周年の意義・思いをふり
 返り、久喜小学校の新たな充実発展を目指していこうというこの日の集会でした。
  
  子どもたちが「実行委員会」を組織、この子たちの企画で準備、当日の司会進行がなされました。中身に
 ついて詳しく報告はありませんでした。メインは6年生の鼓笛マーチング、加えて集会で150周年記念事業の
 スライドによる振り返り、ちょうど「社会チャレンジ事業」で久喜小に来ている久喜中2年生のメッセージ等
 でした。前日に「学校運営協議会」を持ったのですが、この日あわただしい準備状況を聞かされました。
  まずメインの鼓笛演奏です。校庭で実施予定でしたが、当日台風含みの雨が予報されています。そこで
 体育館に変更となりました。次いで今年の猛暑の関係です。9月になっても熱中症警戒アラートが発令され
 続けています。体育館からエアコンがある「多目的室」に変更となりました。「多目的室」となれば会場の大きさ
 から「鼓笛演奏」内容が違ってきます。マーチングからドリルへといった所でしょうか。当然見学は不可となり
 ます。保護者への連絡、別室でのオンラインでの見学準備ととにかくあわただしかったと思います。
 ―写真・上― は多目的室での集会です。狭い多目的室はコスチュームをまとった子どもたちであふれました。
 実行委の子どもたちの司会で集会は進み、スライドで去年の150周年を振り返り、また先に紹介した中学生
 によるメッセージを受けました。2年生の久喜中生は直接150周年式典は参加していません。でも準備段階
 で頑張ってくれました。なお中学生なのですからメッセージはもっと大きく、わかるようにやってくださいね。

  鼓笛に入るにあたりパソコン室に移動、そこで大型スクリーンで「鼓笛演奏」を見学しました。実行委・中学生
 学運協メンバー、他のわずかな人数でした。―写真・下― なおこの日の有様は意味がよくわかりませんが
 北海道札幌市の「札幌情報高校」とオンラインで交換しています。
  せっかく練習されたのに会場が狭く、鼓笛隊の児童には気の毒でした。いろいろ変更があって開校を記念
 する集会としてもう一つだったかなという気もします。パソコン室での最後の集会で挨拶を求められた私は
 「遷善館」、「久喜学校」そして「150周年」と、久喜小はいつも地域の人たちの暖かい応援を受け、今日まで
 きました。君たちも将来、そうした久喜小を取り囲む力強い地域教育力の担い手に成長してください―。
  こうあいさつしました。 

  読み聞かせ・C・S・ゆうゆう、新学期の活動が一気に始まりました 8/7(木)

  本H・P「久喜市アラカルトのページ」にも関連記事を書きましたが、本年の夏(6月~8月)1898年気象庁が
 観測を開始して以来、史上最高の暑さを記録したそうです。平均気温を1・76度上回ったとか、正に命に
 危険を及ぼすような暑さの連続でした。そしてそんな暑さは9月に入っても続いています。何となく秋彼岸まで
 ダメなのかな、てな感じです。市内小中学校の新学期は8月最終から始まっています。前記した暑さの中
 9月に入り、ようやくいろいろな活動が本格化してきました。昨日(6日・水)は朝、北小で「読み聞かせ」、
 午後から久喜小で「学校運営協議会」、そして今日は「くきっ子ゆうゆうプラザ」と一気に新学期の活動が
 始まっています。

  北小の読み聞かせボラです。もう20年をこえて続けています。基本絵本を読むのですから、子どもたちに
 絵がよく見えるように手をいっぱいに伸ばし、本を垂直に立てて読むのです。しかし最近このスタイルでは字が
 読めなくなりました。もう限界と思うのですが皆同世代なのです。1人が辞めるとほとんどが辞めてしまう恐れが
 あり、誰も口火が切れないでいるのが本当のようです。毎年8日から10日くらいです。今年はやや多く全学年
 2回位入っています。私は上級生に読む本を決めています。4年生は「SDGs」について語るウルグァイの大統領の
 お話、5年生には3・11に関する「タンポポ」というお話、そして6年生には特攻隊に関する「すみれ島」という
 お話です。平和の大切さ、命の大切さについて考えてもらいたくて、と前置きして読みました。さすが6年生、
 子どもたちは静かに聞いてくれました。

  午後は久喜小の「学校運営協議会」が開催されました。学校側2人、地域(保護者代表含む)8人の10名ですが
 毎回全員出席で開いています。今回は休み明けでしたので協議事項が大変多かったです。まず「学校評価?」に
 ついて、児童・保護者・教職員へのアンケートに基づくものですが、「まとめて自分の考えを話すことができる」と、
 「人の話をよく聞くことができる」のコミュニケーションに関する点は共通して低かったです。問題ですね。
  次に先日行われた教職員との「意見交換会」の反省事項、全員が一致して継続を望んでいました。
  次に私たちが毎月曜午前に取り組んでいる「学習支援プロジェクト」について、色々問題点が指摘されましたが、
 継続の方向で内容を検討していくことになりました。
  名称は未定ですが久喜小に関わる大勢の方々の参加を頂いて、「久喜小の未来を語る会」的な集会を持つ事が
 確認されました。私が会長就任にあたってのお約束の1つ、大歓迎です。
  「校内南東すみにあるビオトープについて」 児童が主体となり、持続可能な新たなビオトープへの転換を図る
 方向が提案されました。
  最後に明日の「久喜小開校記念集会」について説明を受け協議を終了しました。
  2学期は久喜小の「研究発表」があり、忙しい時期です。でも「学運協」として、「久喜小フオーラム」の開催と
 「遷善館活動の充実」に頑張っていきたと考えています。

  7日・木は午前に久喜小の開校記念行事があり(別掲)、午後は新学期になって
 最初の「ゆうゆう」を持ちました。「ゆうゆう」に先駆け実施委員会を持ちました。
  他会場の見学会、秋の教室などを確認しました。なお保護者サポーターが多く
 参加され、会場の図書室は溢れました。ありがたい限りです。
  今年初めて持った私が責任者を勤める「ボールで遊ぼう」、全開が雨=体育館
 でしたので校庭では初めてでした。今日は野球、ティスタンドにカラーボールをおいて
 それをプラスチックのバットで打つものです。何人か少年野球経験者がいましたが
 約半数が野球のルールを全く知らないのにびっくりしました。とにかく初めての教室、1年間無事にかつ楽しく運営
 できるよう頑張っていきます。

  てなことで「読み聞かせ、コミュニティスクール、ゆうゆう」と一気に活動が再開されました。老体に鞭打って、という
 より楽しくやっていきます。

   ◎ 久喜小のサマースクールに参加しました。 8/24(木)・25(金) 















  口を出るのはこの話ばかりですが、本当に今年は暑い、いつまで続くのかと思いますが間もなく新学期を迎えます。
 そんな24(木)・25(金)の2日間、久喜小でサマースクールが行われました。これはコロナ騒ぎで中止されていましたが
 前から行われています。2日間・午前中のみですが、もうじき新学期だよ・さぁ気分を引き締めよう、とか、日頃余り取り
 組めない地域の方のご協力を頂いての「**実験」とか、異学年との交流だとか、そんなもろもろの試みを合わせて行う
 ものです。だから正式な登校日ではありません。でもほとんどの子が元気に出席していました。
  例えばこんな事を学習しました。1年生と2年生は地域・保護者の方々による絵本の読み聞かせを聞きました。6年生は
 24日には1年生の教室に行ってチヨットお兄さん、お姉さん気分、学習の手伝いをし、25日には「水」の話を聞きました。
 1番充実していたのは4年生だったと思います。24日は「ペットボトルロケット」の制作・実際の打ち上げまでやりました。
 25日はまず最初に私の「天王様・提燈祭り」に関する話を聞き、その後は「水」についてを学びました。
  私は25日4年生の「ベッドボトルロケット」の制作、打ち上げに参加しました、まず制作、各教室で危なっかしい手つきで
 ペットボトルの切断等に取り組みました。 ―上・左― 悪戦苦闘の末、翼もついて何とかロボットの形になってきました。
 ―上・左2― これが発射台、プラスチックの針金にロケットに就いたストローを入れて固定するという物でした。―右2―
  ボトルに水を入れ、空気入れで圧をかけ飛ばします。 ―上・右― ボトルは普通の500ml、翼もキチンとしていないため
 遠くまで飛んでいくというものはあまりなく、飛行するロケットは写真にとれませんでした。飛び出すとき結構な水が飛び散り
 ます。暑い盛りの校庭、子どもたちはそんなことにも歓声を挙げ喜んでいました。楽しいひと時でした。
  25日(金)です。私は多目的室で4年生相手に「提燈祭り」についてお話をしました。今年私は太田小と久喜東小でお話を
 しました。当然祭り前です。まさかこの時期にと思いましたが、7/12に実際山車を引いてさらに興味を持ったとの事でした。
  「山車の重みは、提燈の数は、山車を新しくするのに幾ら位かかるか」といったいつも出る質問のほかに、「何故神話に
 基づく人形を乗せたのか、12・18と決まった理由」といった質問が出たのには驚きました。久喜には7台の山車がありますが、
 うち神話に基ずく人形は5台です。残りは実在の「織田信長」(中町)と、道教の神、五月人形にも登場する鐘馗様(東1)です。
 神話上の人形としたのは、神話が当時の一般人に大きな影響力を持っていたこと、神話上の功績や威厳に敬意を表し
 てのものと思われます。祭りは旧暦の6月12・15」18でした。祭りが新暦になったのは明治43年です。この時そのまま
 新暦に移行すると1番忙しい田植えの時期、そこでひと月遅くし7月12・15・18になりました。最近は15日の意味が薄れて
 いますが、私の子どもの頃は中日ということで結構にぎやかでした。
  2時間目は1年生と2年生のクラスの「読み聞かせ」の教室を見ました。私が北小で20年を越えて「読み聞かせ」ボラを
 やっているのは何度も報告しています。ボランティアの方は2つの教室に各々3人ずつ、保護者の方と地域の方でした。 
  私が読んだ本や聞き手参加型のものもあり、楽しく拝聴しました。「岸さん、久喜小でもやってくださいよ」と言われました。
 もう年のせいか、手をいっぱいに伸ばし本を立てて読む、というのが出来なくなっています。もう今年あたりが限界かなと
 思っていますので、丁重にお断りしました。―下・左と左2―
  3時間目は「水のお話」=4年生に出ました。私の久喜小学校運営協議会の仲間、H氏は水ジャーナリスト、本も幾冊か
 出されています。氏が教鞭をとるМ大学のゼミの学生が担当してくれました。机に100コのコップがおかれています。まず
 子どもたちに水のある場所の質問、1・川、2・湖、3・海まではすぐ思い浮かびます。アト4・土、5・地下水、6・氷河、残りは
 解からなっかったのですが、7・植物、8・動物、そして最期が9・雲とのことです。おかれている100コのコップを指さして
 海の水の量はいくつくらいですか、人間が使用できる水の量はいくつくらいですか? 答えはすいません、声が小さくて聞き
 漏らしました。そのあとはサイコロを使って、「水」がある場所へのすごろくゲーム、子どもたちは楽しんでいました。
 ―下・右2と右―  大学生の皆さんありがとうございました。
   体は一つですから他は見られませんでした。昨日は通りすがりに、6年生が1年生の学習のお手伝いしているのが
 見えました。2日間でしたが、新学期開始を前に楽しい経験をしたと思います。いろんな形で地域の方のご協力をいただき
 ました。ありがとうございました。26日(土)には私は越谷市でのスポ少講習会での講師があり、参加出来ませんでしたが、
 校庭の親子草取りがありました。サア、新学期です。これからも地域の方々とともに久喜小児童の輝く笑顔を育む活動に
 がん張っていきます。

   ◎ 久喜小「学校運営協議会」と教職員との意見交換会  8/23(水) 

  猛暑が続く中、早や新学期を迎える頃となった23日、久喜小学校学校運営協議会のメンバーと、久喜小
 教職員との意見交換会を持ちました。昨年初めて開会しており、今年は2回目となるのですが、私は昨年
 ちょうどこの頃、血糖値を下げるため2週間入院しており初めての経験となります。
  学校が用意したチラシにはこの会の目的として、「1・学校運営協議会と久喜小教職員が交流を持ち、お互いを
 理解しあえること、2・解決策まで辿り着けない問題について話し合い、共に考える関係性になる事」とありました。
  出席者はHグループまで8つに分かれ、1グループ3名と4名ですので30名前後でした。もちろん学校運営
 協議会メンバーは校長・主幹を含め全員参加です。 
  まず自己紹介、私の所は今年新任という男子若手と、久喜小は2度目の着任というベテラン女性でした。
 チラシに「話し合いテーマ例」が記載されており、①久喜小学校の良いところ、②学校運営協議会の方に聞いて
 みたいこと、③ 久喜小教職員に聞いてみたいこと、④ 困りごとを相談等々が記載されています。それに沿い
 話し合いを始め、進めました。①久喜小の良いところでは先生から子どもが元気、きちんと挨拶をしてくれる等
  私からは手前味噌ですが地域と学校との結びつきが強い、久喜小は我が町内にありますが祭りの山車小屋
 防災組織の倉庫を置かしていただいており、最近では会議の部屋までご提供頂いています。ありがたい限りです。
 ②学校運営協議会の方に聞いてみたいもの、「岸さんは年中学校でお顔を見ているが、いつ頃からこうした
 活動を始めたのか。」 我が家は久喜小から100mと離れていません。子供の頃は学び舎であり、遊びの場
 でした。決定的なのは30からの少年団活動、祝祭日40年を超えて久喜小にいました。そして「くきっ子ゆうゆう」
 「学校運営協議会」の活動、だから久喜小は自分にとって「おらが学校」という域を越え、「いつもそこにいる所
 です。」と言ったらチヨット呆れられました。③の久喜小教職員に聞いてみたいことです。久喜小の先生には
 いつも感心しています。とにかく私は思うのですが、久喜小は委嘱研究事業が多すぎます。市の教育委員会
 委嘱を越えて、文科省等国の委嘱のものばかりです。「大変ですね」と言いましたら、「そういう雰囲気に満ちて
 いるし、皆が助け合うのでさほど苦ではない」といわれました。優等生ですね。でもさすがに私も感じる新しい
 委嘱研究ごとに登場する新しい言葉、特に英語のそれには苦労なさるそうです。しばし同感です。

  そのあと短い時間ですが目一杯フリートーキングで過ごしました。大変楽しく有意義な時間でした。
  終了後各グループごとに発表がありました。これは私のグループでも私が話したのですが、いわゆる「教育
 支援プロジェクト」と称する地域のメンバーによる児童の宿題の〇付け作業、この問題点が数グループから
 指摘されていました。これは「学運協」の事業ではありませんが、ほとんどのメンバーがそうです。今後
 問題点を話し合っていきたい、としました。
  時間のわりに有意義な会でした。学運協の会長となり、私が「実現したい」とお約束したのは、他に「久喜小地区
 フオーラム、遷善館フオーラム」の2つです。久喜小フオーラムは年内に実現したいし、「遷善館フオーラム」は
 スタートしたばかりの「正副会長会議」の進展の中で順伍していきたいと考えます。 
  
   ◎ 県教委主催 2023コミュニティスクール研修会-Ⅱ- 8/4(金) オンライン 

  2本目の研修は貝ノ瀬先生の講演でした。この講習会はいつも事前の案内バンプもなければ、当日のレジメも
 ありません。その時間になってその日の研修内容を知るのですが、しかし貝ノ瀬先生の講演は大きな喜びでした。
  先生は三鷹市の現場と行政を経験しています。多くのコミュニティスクールが目指している「小中一貫教育」を
 先行して実践されました。「C・S」に関する多くの著書を表しています。私も数冊買い求めて勉強していますが、
 特に、「図説 コミュニテイ・スクール入門」は入門書として簡易に解説してあり、折に触れここに立ち戻り、立ち
 戻りつつ活動に当たっています。最初講演を聞いたときに言われた、「(C・S移行に当たり)覚悟と本気を持て」
 は衝撃でした。これはどちらかといえば現場の教師と行政(教育委員会)への言葉でしたが、地域の私自身
 「学運協」の人間として、「覚悟と本気」とをもって活動していきたいと常に念じています。

  まずコミュニティスクールについて、「C・S」とは、から始められました。1・学校がかかえる複雑化・困難化した
 課題を解決し、子どもの健やかな育成を目指すためには、地域住民の協力・参加が必要。 2・このためには
 地域と学校が目標・ビジョンを共有、一体となって子どもを育んでいく「地域とともにある学校」が必要、3・学校
 地域が協働し、こうした活動を継続的・組織的に進めていくために、「コミュニティ・スクール」が必要 とされました。
  加えて ※・「学校運営協議会」=運営を協議する組織、※・学校を応援し、地域の実情に応じ特色ある学校
 づくりを進めていく、※・学校運営協議会と校長(教育委員会)→説明・説明→「学運協」・承認・意見→ 学校、
 ※・校長の意見を反映する仕組み  等々について話されました。
  次は久喜市を始め、多くのコミュニティスクール導入市町が参考にしている、「小中一貫教育」についてです。
 タテの協働である小中一貫教育、ヨコの協働である地域社会との連携(コミュニティスクール、地域学校協働本部
 チーム学校などがパッケージとなって、社会に開かれた「教育課程」を実施することが大切とされました。
  そして「地域学校協働本部」と「コミュニティスクール」について話されました。「地域学校協働本部」については
 埼玉県・久喜市において「社会教育法」に位置付けられてから、急にその名が登場し、「協働活動推進委員」を
 委嘱したりして騒がしくなっています。「コミュニティスクール」と「地域学校協働活動」の「一体的推進」とか、
 「は車の両輪」等ということが盛んに言われだしました。しかし2年たちますが「活動実態」というものを私は
 知りません。久喜小で組織した「チーム久喜小」なる組織も、1年も経たぬのに解体状況にあります。理念は
 理解できますが、どこにあるのか、どこに組織するのか、どんな実態なのかもわからない「協働活動推進本部」
 なんて土台無理だと思っていました。しかしです。コミュニティスクールは「地域とともにある学校」を目指します。
 その学校は地域社会の人材を育てる場所です。いい学校はいい地域を創り、いい地域はいい学校を創るのです。
  コミュニティスクールはいま、地域住民と協働して、学校の質を上げていくと同時に地域も良くしていく役割りが
 必要となっています。貝ノ瀬先生はこの側面を強調され、『一体的推進とか、車の両輪とか言われるが、コミュニティ
 スクールの活動を持ってそれとしてよい、「協働活動推進」についている大きな国の予算も上手に使うべき。』と
 極めて簡潔明瞭に話されました。我が意を得たり、という感じでした。

  最後に少子・高齢・人口減少社会の進展の中で学校が、村が、町が消えていくという現象さえ生まれています。
 本当の意味での地域創生が必要とされました。コミュニティスクールは学校運営や地域の問題に関して、多くの
 住民が参加できる仕組み、自律し、住民主体・住民自治を創っていくツール、民主主義社会の場づくりだと
 結ばれました。
  思いもかけず貝ノ瀬先生の講演に接し、多くの示唆を頂きました有意義な研修でした。

   ◎ 県教委主催 2023コミュニティスクール研修会-Ⅰ- 8/4(金) オンライン

  本年度の県主催「コミュニティスクール研修会」が4日、午後開催されました。いつものようにオンライン方式、
 いつものように久喜小図書館に集合、大型スクリーンを見ながら、何回やっても、どの機関が主催しても、音声が
 途絶えたり、画面が動かなかったりのトラブルが起き、いつものようにイライラしながらのものでした。
  今回の研修内容は2つ、1つは「新座市立野火止小学校」の事例発表、そしてもう1つはなんと「貝ノ瀬先生」の
 講演の2本立てでした。さて「野火止小学校」の事例発表です。私は平成16年に現「放課後子供教室」の久喜市
 への導入を求める一般質問を行い実現を見た後、「コミュニティスクール」への移行を求める質問を何度も何度も
 行いました。「Y」・「K」・「K」3代の教育長に、合計で2桁に及んだかなと思っています。最初Y教育長にした際
 「県内で移行している学校は3校に過ぎない現状にある。なお検討の対象としたい。」と逃げられました。
 「野火止小学校」はそのうちの1つ、平成16年に県内2番目にC・Sに移行しています。
大変懐かしさを覚えました。
  保護者・児童一体での米作り作業、充実している安全見守り活動等々活動事例を発表されました。こうした事例は
 どこにでもありますが、ここでは「家庭・学校・地域」それぞれの役割を明確にし、それに「子ども」を加えて、課題
 ごとに「やるべきこと」を明確にしていました。「―家庭でしつけ、学校で学び、地域ではぐくむ―」、地域とともに
 豊かな学びを創り出し、地域の絆を深める学校、それが「コミュニティスクール」であり、「野火止小学校」だという
 事なのでしょう。 
  さらにもう1つ、「野火止小学校」の目指す児童像は、1・考え学ぶ子 2・仲良くする子 3・たくましい子、なのだ
 そうです。そうして自動をそだてるが教育目標となります。我が久喜小の教育目標は、「イノベーション力の育成」
 です。これは前の「かしこく ゆたかに たくましく」から変更したものです。「野火止小学校」も、久喜小学校の前の
 教育目標も、いわゆる「知・徳・体」を盛り込んだ極めて一般的なものです。野火止小学校もこれを変更しています。
 変更というよりプラスしました。「学校教育目標」を、コミュニティスクールの進行に伴い、「学校地域教育目標」とし
 4番目に「地域を愛する子」を加えたのです。何のためにコミュニティスクールをやるのか、地域・保護者が学校と
 一体となり、認識・目標を共有した時、地域とともにある学校への活動は持続可能となるということなのでしょう。
  単なる「学校教育目標」でなく、「学校地域教育目標」、充分検討すべき問題を提供していただきました。
 

      太東学園 HОТフォーラム2023  8/3(木) 太東中 

  この日も熱中症警戒アラートが発令されていました。暑い盛りのそのまた暑い
 午後13:30からの「太東学園 HОТフォーラム2023」に参加しました。下段で
 報告しているように、平成29年に全小中校「コミュニティスクール」に移行した 
 久喜市内では、各中学校毎に独自の名前をつけ「**学園」と称する組織の
 活動を、自校の活動と一体的に取り組むことにしています。「小中一貫教育・
 9年間の学びの連続」がその狙いです。市内では久喜東中地区が「東夢学園」
 南中地区が「南わかぎ学園」、太東中地区が「太東学園」、そして我が久喜中地区は郷土の郷学で校歌にも
 その名が登場する「遷善館」を取り、「遷善館学園」としています。
  「太東学園」は市内他校に先駆け平成28年コミュニティスクールに移行、東小H、太田小О、太東中Тの頭文字
 をとって「HОТフオーラム」を開催、また3校学運協の代表者からなる「情報・意見交換会」を毎月開催するなど
 先進的活動を展開、私が今回の遷善館活動充実化に当たり、大いに参考としてきました。今回このホットフオーラム、
 に参加したのは、そうした意味が1つ、もう一つは「久喜市アラカルト」のページで報告していますが、天王様・提燈祭り
 の話を東小児童にした際、前久喜小、現東小主幹教諭I氏からお誘いを頂いたという2つの理由からです。
 
  会場は太東中の普通教室を使用、参加者を18のグループに分けてのワークシヨップ、1グループ5~6名で
 構成されていましたから、参加者は90名前後と思われます。開会行事・基調講演・発表全てはオンライン形式で
 行われました。主催者挨拶、来賓あいさつ(市教委指導課長)と進んで、太東学園長・太東中・中島校長の約20分の
 簡単な基調講演です。太東学園の学園目標に沿い、「―太東学園で伸ばす力 「社会力 人間力 学力」―」なる
 ものです。前記した市内各学園は学園としての教育目標を持っているのだと思います。ちなみに我が「遷善館学園」は
 久喜中の―志に生きる―を活かして、「夢を持ち志に生きる児童生徒」を児童生徒像とし、「―未来を切り拓く―」を
 目標としています。私は遅れて学校運営協議会委員となったせいか、この決定過程を知りませんし、「遷善館学園」
 内部でも認識が非常に薄いと感じています。今後の改革課題の1つです。
  さて太東学園です。「社会力・人と人がつながり、社会を創る力、創り変えていく力」、「人間力・地域を愛し未来を拓く力」
 「学力・知識技能のみならず、読解力・表現力・創造力・課題をみつけ意欲的に取り組む力等々」と話され、最後に
 地域を愛し、地域とともに、学びを通し9年間をつないていく事が「太東学園の課題」とされました。

  中心の「グループワーク」です。KJ法による「プレーンストーニング」によるものです。最近は全てこの方式、もう新鮮さも
 何もありません。前の「生涯学習フオーラム」でも述べましたが、何か別の方法を講ずるべきです。テーマは前記した
 太東学園の教育目標についてなのですが、方法として太東学園児童生徒の「良いところ」、「課題(問題点)」について挙げ
 これに基づいて話し合うもの、これには参りました。私は久喜小地区の人間、太東学園地区の児童生徒の長所について
 よく知りませんし、ましてや短所について述べるなどそれこそ失礼だというものです。出席者の大半は顔なじみです。 
  大人の活動について感想を述べるなどは出来ますが、最初の自己紹介以外ほとんど発言しませんでした。みんなが
 意見を紙に書いて、それを大きな紙に貼り、意見を集約していく、それを最後に5つのグループ代表が発表しましたが、
 ―写真― 奇妙に一致するのは不思議なものです。なおこのグループワーキング、司会者は学運協メンバーでしたが
 発表者は全員教員でした。暑い最中駐車場係など教員の協力と多数の出席が出席が目立っていましたが、これは
 いかがなものてしょうか。
  最後にI教委指導課長の講評をうけ閉会となりました。さて今回のフオーラムです。初めからそうだと思っていましたが
 「ああ、よかった」でも、「詰まんなかったな」というものでもありません。ワークシヨップによるフオーラムとはこういうもの
 だと思います。ただ出来れば年内にはと思っている、「遷善館学園フォーラム」開催には大いに参考となりました。
  それとこんな最悪の環境下に、これだけの人が集まり、地域の子どもの育成に口角泡を飛ばす、そんな場を見られた
 だけでとてもよかったです。 

 
     遷善館学園活動の充実へ 第1回正副会長会議 7/10(月) 久喜中 

  この日は猛暑に関する注意報が出された大変暑い日でした。そんな日の1番熱いときに第1回の「選善館学園
 正副代表者会議」を久喜中会議室で開催しました。ご承知のように市内の小中学校はH28年の「太東中地区」を
 モデルとし、翌29年から全て「コミュニティスクール」に移行しました。その際「小中一貫教育・9年間の学びの連続」
 を掲げる三鷹市を参考としたこともあり、各中学校地区に固有のネーミングをつけ、ここの活動を各学校の活動と
 供に取り組むこととしたのです。久喜中地区1中学・3小学校は郷土の郷学であり、校歌にもその名が歌われる 
 「遷善館」をとり、「遷善館学園」としたのです。
  私はスタートから1年遅れて久喜小の学校運営協議会委員となりました。「遷善館学園」内でどれ程取り組みが
 なされたのか良く知りません。ただ令和元年に1度学運協のメンバーに、PTA役員、区長、民生委員等の方に
 加わって頂き、「フオーラム」を開催したことがあります。100名をゆうに超す出席を頂きました。講演とワーク
 シヨップ形式の話し合いの2本立てでした。他にはなんの活動もなかったと推定しています。    
  この5年間「運営協議会委員」としてあった私は、この「遷善館活動」や久喜小の活動に不満を感じていました。
 今年4月「会長」に推挙されるにあたり、委員の皆様に改善・改革案を提起、同時に「遷善館」活動の再建・充実
 を提案し了解を頂きました。久喜中・本町小・北小の会長さんに何度かお会いし話をしました。また「遷善館学園長」
 たる久喜中木村校長先生には何度も貴重なアドバイスを頂きました。そして去る6月7日(水)には久喜中にて
 全「遷善館学園」の学園長、学運協会長の出席の下会議を持ち、定期的な意見・情報交換会を持つこと、会議の
 中で緩やかな合意形成を図りつつ、今後の活動に当たることを確認しました。
  そして本日の第1回の正副会長会議となった次第です。4校ですので3月に1回会議を持つ、輪番制とし各会場校
 が運営に責任を持ち、協議課題を学園長と相談して決める等々に基づくものです。第1回の会議なので4校の
 正副会長のほか、全ての校長先生も出席されました。感謝申し上げます。学園長の司会の下まず全員の自己紹介
 次いで4校学運協の活動状況・課題等に話が進みました。また5年前の「フオーラム」の評価等も話題となりました。
 とにもかくも、いずれは取り組もうね、というレベル、しばらくは意見・情報交換を続けつつ、それぞれの活動に反映
 させていく、活発化させていくというところが結論でした。
   次回は10月久喜小で行います。とにかく「遷善館活動」活発化への第一歩がなされて、まずは良しというところ
 でした。私としてはとかく頭デッカチになりがちなのをセーブしつつ、現実に踏まえて着実に活動を続けて行きたい
 と思っています。「久喜小コミュニティスクール」も「遷善館活動」も。

     ◎ 雨にたたられた令和5年度・くきっ子ゆうゆう初日 6/22(木) 








  下段で報告してあるように令和5年度の「くきっ子ゆうゆうプラザ」の活動が始まりました。22日は各教室の初日
 でしたがあいにく雨にたたられました。雨で1番困るのはアウトドア―の教室です。木曜日では「グラウンドゴルフ・
 ドッヂボール・ボールと遊ぼう」の3教室です。そのうち「ボールで遊ぼう」は新教室、余りにも「ドッヂボール」の
 参加者が多いため1~3年までとし、4年生から上で募集しました。サッカーと野球を中心に1年間の活動を
 予定するものです。雨の場合、ドッヂボールは体育館を占有して使用、「グラウンドゴルフ」は「学習」の教室に
 参加します。「ボールと遊ぼう」です。一応今年私が担当しますが、サッカー等狭いスペースで出来る内容も
 ありますので、小さなスペースで結構ですよ、と準備段階で話してきました。初日からその雨となってのですから
 不思議なものですね。
  ―左― 学習の教室です。この日は少数ですが「グラウンドゴルフ」教室参加者もここ、会場の「図書室」は満員でした。
  ―左2― ドッヂボールの教室です。100名を越えた昨年度の反省に踏まえ、3年生までと絞りました。それでも大勢
        参加を見ました。この日は体育館フロアーに2面のコートを使いも元気にボールを追っていました。
  ―右2と右― は新しい教室の「ボールと遊ぼう」です。4年生から上で14名の参加を見ました。この日は体育館
  2F、「ゆうゆう」の部屋前の狭いスペースを使ってサッカーで汗を流しました。私のほかに5名のサポーターが顔を
 そろえてくれました。サッカー・ベースボールに専門家がいます。早く外でケームをして楽しみたいなって思います。
  今年はもう1つ「ボッチャ」を新たに取り入れました。これは他目的室を利用します。
 というわけで5年度の教室が始まりました。しかし始まったと思ったら次週から夏休み、再開は9月となります。
  いずれにせよ20周年をまえにし、今年も子供たちと一緒に頑張っていきます。 

     ◎ 令和5年度・くきっ子ゆうゆう開校式  6/15(木) 









  今年もまたあの膨大な準備に係る事務をこなして、放課後子供教室「くきっ子ゆうゆうプラゾ」の開校式を迎えました。
 開校式に先駆け、「図書室」において「代表者会議」を開催しました。久喜小は保護者の協力が大変強いのが特徴です。
 いろんな役職ごとにグループ分けされているのですが、年間を通して各教室にサポートをいただく、「年間サポーター」の
 皆さまも参加していただいたので図書室は一杯でした。 (―左―) 席上K実施委員長から今年度は木曜日8教室
 13日、土曜日10教室10日、206名の参加で行われるとの説明がありました。初めての教室(ボッチャ等) 初めて参加の
 教室サポーターもおられますので、雨天時の活動場所、緊急連絡体制、事故防止等について確認をしました。その後
 体育館で行われる開校式に移動しました。
  開校式は参加する児童の司会で進行しました。実施委員長―運営委員長―校長先生等の挨拶を頂きました。(―左2―)
 子どもたちは学年・参加教室に関係なく下校班ごとに体育館すわりで並んでいます。今年の参加者は昨年を20名弱
 下回りましたが、全体の4割強の参加を頂きました。高学年になるほど参加者が少なくなり、特に6年生はほどんど
 見られないというのが久喜小の特徴です。また前記しましたが保護者の協力が強く、今年もサポーター以外に多くの方が
 開校式に参加してくれました。 (―右2―) その後各教室ごとに「教室サポーター」の紹介がありました。私は今年木曜日
 長年親しんだ「ドッヂボール」 を離れ、「ボールと遊ぼう」、土曜日は「ロボットを作ろう」を担当します。「ボールと遊ぼう」
 は今年から取り入れられた教室です。長く私が担当してきた「ドッヂボール」はくきっ子最大の人気教室、昨年は100名
 を越し、運営に支障が出るほどでした。そこで「ドッヂボール」を3年までと制限、6・5・4生対象に新たに組み入れたのが
 「サッカーとベースボール」の「ボールと遊ぼう」です。「ロボットを作ろう」は2日間のみです。最も私は基本的に木・土全部
 参加の予定ですが。「教室サポーター」の紹介が終わった後子どもたちと対面、「よろしくお願いします」の挨拶をしました。
 (―右―) こちらこそ老体にムチ打って頑張ります。よろしくお願いします。
  安心安全はこの事業の最重要課題です。子どもたちが「今どこにいるか、何をしているか」がきちんとわからねば
 なりません。下校班は通常の学校のそれと異なり「ゆうゆう」だけです。各教室に参加するにあたってのチエック、終わって
 のチエック、下校班全員そろっての下校となります。簡単なシステムですがこれが一番安全です。各教室の中での
 安心安全への配慮とともにこの基本をしっかり守って、この1年間も活動してまいります。  
  来年はいよいよ「くきっ子」の20周年の年となります。この事業の導入に当たったものとして感無量のものがあります。
  今年も頑張っていきます。

  ◎ 令和5年度 第11回久喜市生涯学習研修大会「まなびすとフオーラム」6/10(土) まなびすポット 









  令和5年度の「久喜市生涯学習研修大会・まなびすとフオーラム」が、10日午後鷲宮総合支所5Fの「まなびすポット」で開会
 されました。たしかコロナの関係で4年ぶりかと思われます。主催は「久喜市生涯学習推進会議・久喜市生涯学習推進部・
 久喜市教育委員会」の3者です。このうち「推進会議」は久喜市における生涯学習推進の最高機関、あらゆる行事の主催者
 であり、施策の決定機関です。これに対し「推進部」は生涯学習推進の実行部隊です。私はこの両者に深く関わってきました。
  現在の「推進会議」は第三次です。一次は平成元年当時の自治体の7割が参加した画期的事業であった「文科省」の「全国
 生涯学街づくりモデル事業」に参加の際設置されました。議長・坂本市長、副議長・渡辺助役・戸賀崎教育長・高橋社教委員長
 みな故人となられています。私はこの時を知るただ1人の人間です。第二次は合併後、議長が田中市長、副議長が柿沼教育長
 推進部委員長だった私でした。私はこの体制がベストと思っています。第三次が現在のものです。議長は最初がТ氏・今が
 М氏です。2人とも私の親しい友人です。能力も評価しています。しかしここに民間人を置くことはいけないのです。行政の
 完全な手抜き、生涯学習推進活動の放棄でしかないと考えます。
  「推進部」です。前記第一次の「推進会議」は、当時の久喜市の推進状況の未成熟さ故か、発足数年後には無活動状況に
 陥りました。そこで私は行政のH氏と相談し、トップ級の活動家を網羅する実戦部隊としての「推進部」を手作りで組織し、その
 委員長に就任しました。このメンバー40名一杯、あらゆる分野の地域活動を体験してきた活動家ばかりでした。私たちは
 猛烈に活動し、体験型にして・企画段階からボランティアの参加を頂く「推進大会・まなびすと久喜」、大勢の市民が久喜市の
 未来に口角泡を飛ばす「研修大会・まなびすとフオーラム」と現在の姿を確立したのです。私は推進部委員長を14~5年務め
 退任、その後K氏をはさんで、現3代目のМ委員長です。委員長のМ氏、副委員長のТ氏とは久喜小で親しく一緒に活動し
 ています。お二人のお話では昨今推進部の活動が低迷、実質12~3名の活動に陥っているとの事で、4年ぶりとなる今年の
 大会を大変心配していました。
  大会は主催者挨拶、来賓祝辞から始まりました。
 (―左―) 次に大会役員から今日のグループ討議のテーマ (あなたに
 とって久喜のまちづくりとは)と、グループ討議の説明を受けました。参加者は8つのグループに分かれています。1つの
 グループは10人です。参加者全体ではこれに推進部員、生涯学習課職員が加わり約100名というところです。「PTA」とか
 「ゆうゆう」の活動家とか、「市民大学生」等が8つのグループに分かれ、テーマに基づいて徹底討論を行うというものです。
  最近はこの種の研修会・行事を「フオーラム」と呼び、方法を「ワークシヨップ」と呼ぶのが定番となっています。ワークシヨップ
 とは参加者が主体的に参加する体験型の講座・研修会、かっての講師・指導者の話を聞くという「、いわばスクール型から、
 参加者が個々に考え、相互に協力しあい、与えられたテーマを元に展開されるものです。日本ではかって街づくりをめぐって、
 行政と対立した市民サイドの意見を集約す手法として登場しました。もう半世紀を超す歴史をもち、ここ数十年の研修会・
 講習会と称するものはほとんどこれです。すっかり市民の間に定着していると思われます。今回もそうでしたが「ワークシヨップ」
 とは何ぞやという主催者側の説明が入ります。余り意味がなく、そろそろおやめになった方がよいと思われます。
  グループ討議に移りました。どこのグループも熱心に話し合っています。
(―中の2枚―) テーマが広すぎる、もう少し具体的
 なものに絞ってほしい、との意見が多く出されていました。私たちのグループでも個々の施設整備の要求から、高齢化の問題
 人口減の問題、安心安全の問題、コミュニティの問題、ボランティア活動の問題と、個々ばらばらに多くの問題点が出されて
 いました。ただまちづくりというテーマからか、久喜市の現状について意見を述べる人がおられました。都市計画とか用途指定
 だとか基本的なものに無知のまま、強い意見を述べる方が見られ残念でした。ただしこの方式では相手の意見を否定しては
 いけません。苦笑しながら聞いていました。自分の意見を小さな紙に書き、それを模造紙に張り、同内容のものを集め、それに
 タイトルをつけてまとめるというプロセスも、飽きが来るほど経験してきました。後で発表の際にも感じたのですが、奇妙に
 一致するのですから不思議なものですね。
  グループ討議を終え、各グループ代表による発表に移りました。市民大学生、高齢者大学生から高校生までいて
 (―右―)
 発表者はバラエティでしたが、内容は不思議と同一のものでした。この日私は「くきっ子ゆうゆうプラザ」の代表として参加しました。
 各「ゆうゆう」は1人の参加割り当てがあるとのことで、誰も手をを上げなかったのです。私は初めから出席のつもりですから
 良いのですが、「PTA」も同様、「市民大学」などは単位に組み込まれています。そもそも「ワークシヨップ」とは、参加者の
 主体的参加を前提としています。こういう募集の仕方はいかがかと思います。
  私としては長すぎる時間と相まって消耗な研修会でした。少し新たな試みに挑戦されればと思います。ただし私はこの日
 久喜小PТA役員の車に乗せていただき参加しました。帰路PTA関係者が何人かでお別れの挨拶をしていました。その人
 達は「初めてなのでよかったわ」と言っていました。私のようにこの種のワークシヨップに3桁近く参加している人間は別として、
 こういう意見もあったことを付け加えておきます。

     ◎ 遷善館学園活動の復活・充実へ  6/7(水) 久喜中学校 

  ご承知のように久喜市のコミュニティスクールは、平成28年度の太東中地区(太東中・太田小・久喜東小)をモデル校
 としてスタート、翌29年に埼玉県では初の全小中校がコミュニティスクールへと移行ました。従って太東中地区を除く
 地区はすべてが今年7年目に入ることとなります。久喜小がスタートした平成29年は私の議員最後の年でした。当然
 「学校運営協議会委員」には委嘱されず、翌30年からの活動になります。そして今年度久喜小の学校運営協議会の
 会長に就任させていただきました。自分としては5年間委員として活動してきて、大いなる喜びとともに、少なからぬ
 不満点とがありました。久喜小学校運営協議会の運営に関するものとか、学校とともに取り組まねばならぬもの等は
 会長となった最初の会議の時提案させていただきました。学校と委員の皆様のご理解をいただき、基本的に思った
 方向でスタートできたと考えています。そしてもう1つのことです。
  久喜がコミュニティスクールを導入するに当たり参考としたのは「三鷹市」です。貝ノ瀬先生が現場で、教育長として
 育ててこられたものです。それは9年間の学びの連続、「小中一貫教育」の基盤としてコミュニティスクールを置くと
 いう考えです。この考えは久喜市ではモデル校としての「太東中地区=太東学園」で取り入れら、翌年全校スタートに
 当たっても々取り組みがなされたのです。各中学校区で、そこに進学する小学校とともに、地域性や歴史等に踏まえ
 名前をつけ、(例・太東中=太東学園、東中=久喜東夢学園、南中=久喜南若木学園;)活動しています。そして我が
 久喜中地区は久喜小・本町小の校歌にも登場する郷学・「遷善館」を取り、「遷善館学園」と称しています。この
 「遷善館学園」の活動です。私の知る限りこの5年間でコロナの前に、1度だけ全員の研修会をもった記憶があります。
  市内文化財審議委員のI氏の「遷善館」に関する講話、参加者の話し合いという内容だったと記憶しています。
 この「集会」を持つにあたり当然各「学校運営協議会」会長等の会議はあったのだと思います。しかし定期的意見交換
 の場も、その後の何らかの形での研修会ももたれることなく、今日を迎えています。例えば「太東学園」では、年2回の
 「フォーラム」、年9回の「正副会長会議」を継続して持っています。私は「遷善館学園」のこの現状に大いなる不満を
 持ってきました。そして私が久喜小の会長に就任した今年、「今後の課題」として、遷善館活動の再開・充実の考えを
 提起、皆様のご了承を頂き活動を開始したのです。
  「遷善館学園」の学園長は「久喜中・木村校長先生」です。先生は前太東中校長として「太東学園」活動に関わって
 おられました。また「スポ少」や「綱引」等の活動を通し、親しくご指導を頂いて来ました。先生にお会いし、このことに
 つきご指導を頂きました。次に遷善館学園を構成する4小中校の学校運営協議会会長さんにお会いし、お話を申し
 上げました。お三人とも今まで活動を何らかで形でご一緒した方ばかりで、気持ち的には楽でした。そして皆熱心で
 能力のある方ばかりでした。何の異論も出ず、ご理解を頂きました。そしてとりあえずみんなで話し合いをとなり、
 先日久喜中で校長先生も参加されての会議を持ちました。
  まず自己紹介、そして各々の学校での学運協の活動状況、さらに遷善館活動に期待するもの等、活発な意見交換
 かなされました。そしてまず年4回の正副会長会議を持とう、会場と運営は4学校の持ち回りとしよう、そうしたことを
 積み重ねつつ、「選全館学園フオーラム」を実現しよう、等を話し合いました。 
  スタートが上手くいって安心しています。でも基礎となるのは各学校の「学校運営協議会」の活動です。「久喜小
 フオーラム」の開催、「地域学校協働活動推進本部」との連携強化、等推し進めてまいります。

     ◎ 令和5年度・久喜小DIGと引き渡し訓練  6/3(土)

  3日土曜日の午後、久喜小にて防災訓練「DIG」と
 保護者への引き渡し訓練があり、私も参加しました。
  おりしも台風2号に伴う豪雨が「東海・関東地方」を
 襲い、草加市・越谷市・松伏町には「災害救助法」が
 適用されています。久喜では幸いにも大きな被害は
 なかったと聞いており、改めて災害の少ない久喜市は
 良い街だなと確認した次第です。
   私の町内会にも自主防災組織があり、防災訓練を実施しています。各家庭から避難所に指定されて
 いる久喜小へ非難し、その後消防署職員の講話をお聞きしたり、非常食を作り、食するといった内容です。
  久喜小児童の場合は災害発生時が家庭にいるとき、通学・帰途中のとき、授業中の時と考えられます。今回の訓練
 は「DIG」は通学・帰宅途中時に役立つものであり、「引き渡し訓練」は、久喜小在校中に起きた災害、所定の場所に
 非難した子供たちを迎えに来た保護者に、安全に引き渡すという訓練です。
   体育館に大勢の保護者、区長さんが集合しました。保護者は各地区ごとにおられる地区リーダー、サブリーダー、
 他保護者が多数参加しています。「DIG」は各地区ごとに行われました。本町2~5、中央2・3、南1~5、上町・
 上早見2、各地区の児童数は最大で66名、最少で13名でした。私はK区長と一緒に本町2丁目の「DIG」に参加
 しました。児童は42名、大勢の保護者の方も参加です。さて「DIG」です。「Disaster災害」「Imaginationイメージ想像」
 「Gameゲーム」の頭文字を取ったものです。最近の防災訓練では必ず行われており、私も2桁は経験しています。
  やり方です・
―写真・左―のようにグループを作ります。全員本町2丁目の児童、当然1年から6年生までいます。
 私も1つのグループに入りました。自分の住まいが記されている大きな地図を持ちます。①自分の家、②学校への
 通学路を記します。次に危険個所をチエックします。危険個所は自分で判断します。地震で壊れるかもしれない
 建物、倒れるかもしれない看板・自動販売機・カーブミラー等々、そして災害・地震がどこで発生したか、を考えます。
 まだ学校の近くだ、すぐ家まで帰ってきている、途中だというように、学校へ戻るか、家まで行くか、途中の場合
 どこへ避難するか、あの空き地、「クルミの家」の家 いつもよく知っている区長さんや地区役員のお家等々、
 大切なことはこうした図上訓練の中で「その時」を想像し訓練しておくことです。「あらかじめ**へ逃げろ」と決めて
 おくことは良くないとされています。今回は下校途中に震度7の地震が発生した、との想定に基づいての訓練、
 子どもたちの自由な発想での考えを聞くのは楽しかったです。久喜小地区は通学区が比較的小さく、また通学区内に
 危険と思える箇所の少ないところです、特に私の本二は久喜小も町内にあります。比較的危険性の少ない所ですが
 やはりいざに備えてのこうした研修は大切と考えます。
   次は引き渡し訓練です。在校中に災害が発生した場合、その時に応じた安全確認をした後、迎えに来た
 保護者に児童をお渡しするのが原則です。引き渡し場所は屋内と屋外があり、今日は「DIG」講習を行った教室
 です。廊下に並んだ子供たち、迎えに来た保護者に手を引かれ次々と下校していきました。
(―写真・右―) 
  こういう訓練には必ずあるのですが、引き取りに来ない保護者がおられ、終了に結構な時間を擁しました。
 しかしです。本番の場合はもっと大変です。勤めから保護者が帰ってこられない事もあるからです。「自助・
 共助・控除」といいます。共助と並んで「近助」が大切です。「地域の子どもを地域で育てる」と並んで、「地域の
 子どもは地域で守る」、そんなことの大切さを教えてくれた今日の防災訓練でした。

    ◎ 令和5年度・第1回久喜市市民大学・高齢者大学運営委員会 5/24(水) まなびすポット 

  「久喜市市民大学・高齢者大学」の令和5年度第1回「運営委員会」が、24日鷲宮総合支所5F「まなびすポット」で
 開催されました。運営委員の任期は2年、令和5・6両年度のため、開会に先立ち新委員に委嘱状が公布されました。
  私は4年前議員辞任後「社会教育委員」に就きました。その社会教育委員会から推薦を受け「市大高大運営委」に
 就いてきました。過去2期4年委員長にあった事はたびたび報告しています。すでにご承知のように基礎となっている
 「スポ少本部長」を辞任していますので、今日で辞任と思っていました。所が社会教育委員の任期は令和5年度一杯
 6年3月までであり、当然今日社会教育委員から委嘱となったわけです。本日委嘱された委員の任期は令和7年4月
 までであり、何と後2年間この委員に就くこととなりました。またその後の正副委員長の互選では委員長に推挙され、
 この2年間も委員長を勤めることとなりました。チヨット思っていなかったので当惑していますが、マァとにかく頑張ること
 とします。なお副委員長には生涯学習推進部「杉村氏」が再任されました。
  その後私の進行の下、1・2 令和4年度市民大学・高齢者大学の実施状況、3・4令和5年度同じく両大学の実施
 状況について、事務局から説明を受け、質疑等を行いました。授業内容については悪く言えば代り映えしないという
 所ですが、実際は長い伝統の上に立ち、充実した内容で実施されていると言えます。問題は数=学生数なのです。
  あれだけ数の獲得に努力したにも関わらず、市民大学の入学者は11名(2学年・13名)に留まりました。なお高大は
 47名(2年41名、3年28名、4年44名、計160名)です。チヨット参考までに数字的なものを上げておきます。
   市民大学は私を1期生とする平成7年開校、今年の入学生が29期生になります。10期位までは新入生30名
 を確保していたのですが、10期平成16年ころから20名台に減じ、ここ10年は10名台に喘いでいます。逆に学生の
 平均年齢はうなぎ上りにあがり、私の1期が46・2歳と最も若く、ここ20年近くは60歳代となっており、今年は63・5
 歳とそれでも最近では一番若いものでした。
 高大です。昭和54年に開校され今年度が45期生になります。旧久喜市だけでも入学者は100名を越えており、
 平成16年=26期では最高の216名を数えたものでした。しかし38期=平成28年から2桁となり、上記した現状の
 数に落ち込んでいます。何としても現状の数を維持し、願わくば増加を図っていかねばなりません。現在がギリギリの
 数であり、もしこれ以上落ち込むと私立大学という存在そのものが問われると考えます。
  なお両大学ともに校舎が今までの「中公公民館(コミセン)」から、鷲宮の「まなびすポット」に変わりました。
 「その影響は」、との質問に学生にはさほどなく、新入生ではやはり鷲宮地区の人が増えているとの事でした。
  また一般市民も学生と同じよう学ぶことができる「市民大学公開講座」=12講座、「高齢者大学教養講座」は
 共に大変充実しており、市民の皆様の積極的参加を期待するものです。
  両大学ともに卒業生の組織、「校友会」が大変充実しています。正に生涯を通して学び、地域貢献に頑張れるのが
 「市民大学」であり、「高齢者大学」です。
  両大学のさらなる充実を目指し頑張ってまいります。

      ◎ 令和5年度・久喜小学校運動会  5/20(土)






















  真夏日が何日か続いていました。もちろん天候はドピーカンでした。「あんまり暑いとヤだな」なんて思っていたのですが
 何と金曜日から雨になり、今度は実施できるかどうかの心配となりました。早朝まで雨は降っていました。開会式の
 時も何人かが傘をさしていました。どの写真を見てもわかるよう、黒く嫌な雲がずつーと上空にありました。でも
 みんなの熱意が勝ったのです。滞りなく運動会を終えることができました。この日運動会を予定していた学校10
 本町小のみ明日に延期、他は全て実施できたとのことです。
  今年は3年ぶりにコロナの影響から放たれ、全員一緒に運動会を行うことができました。それでもまだ規模を縮小
 リレーを中心にプログラムは少なく、午前中にしっかり終了していました。今回のスローガンは「パワー全開久喜小学校!
 速く 前へ 風を切れ! ~つなごう 心と心のバトン~ とにかくリレーが中心で7プログラムもあり(代表選手1)、
 他の演技は鼓笛を入れても4種目というものでした。
  ―上・右―は全員そろっての開会式、すごく簡素なものて゛した。
 プログラム1番は5・6年生の鼓笛―・上・中の2枚― 6年生は去年の150周年記念パレードを経験していますが
 5年生は大変だったと思います。これもコロナ前に比べるともう一つという感じ。指揮棒振っての指揮者(リーダー)
 5人中2人が男子というのも良かったです。
  リレー以外のプログラム、1・2年生、3年生、4年生の3っだけ、タマ入れ、綱引―中・左―、長い竹棒を4人で
 握って走るもの―上・右― という典型的なもの、「玉入れ」の際、「始め」の合図まで腰を降って踊る1・2年生が
 可愛かったです。
  リレーは今回1~6年生に、選抜、代表者のリレーと7プログラムもありました。皆一生懸命走っていました。ただ
 もう少しバトン渡しをちやんと教えればよいのにと、皆思った事でしょう。もしリレーゾーンがあれば8割は失格という
 ものでした。もっとも子どもたちは焦るのですね。最後にさすがは代表選手、と思わせる見事な走りの選抜リレーで
 全競技を終了しました。―中・右の3枚―
 
 閉会式です。開会式同様全員が集合。選手代表の運動会を終えての感想発表、紅白優勝、準優勝チームへの
 トロフィ授与とあり、最後に全員で校歌を斉唱、全てを終えました。 
―下―
  
まだまだコロナ前に比べると演技種目の内容、盛り上がり等々、今いち、今にという感じでした。でも全員が気持ちを
 一つに頑張ったと思います。お疲れさまでした。


     ◎ くきっ子ゆうゆう、令和5年度開校へ 準備進む  5/11(木) 

  久喜小学校放課後子供教室(くきっ子ゆうゆう)は今年で開校19年目を迎えますが、本年度の開校に
 むけて準備が着々と進行しています。本日開かれた「実施委員会」において以下の事を確認しました。
  すでに本年度の参加申し込みが終了しました。今回初めて紙ベースではなく「Googiフォーム」での
 申し込みとしました、「くきっ子」も、久喜市内でも初めてと思われます。久喜小のICТ教育指導員であり
 今までも講座の指導者として長く協力いただいていた、K氏の全面的協力を頂きました。この種のものは
 前はすべて紙ベースでした。しかしスポ少の登録でさえウエッブになっています。まして久喜は「GIGA
 スクール構想」の取り組みでは全国最先端を行きます。子どもたちは常に「タブレット」を持ち歩き、授業も
 全てこれで行われています。保護者が「QRコード」を通しスマホから申し込むこともできます。こうした取り
 組みはむしろ遅かったといえます。初めての事とてまだまだ不完全な部分もありますが、改良を加えつつ
 使っていきたいと考えます。
  さて今年の申し込みです。木曜日教室へが185人、土曜教室へが315人になりました。木曜教室は
 1年中受けますのでこれで確定です。土曜日は1日講座もあり、1人で複数教室を受けることができます。
 315人というのは延べ人数です。木曜教室参加者は昨年をかなり上回っており、実数で250人を越える
 ことは確かと思います。うれしい限りです。
  今年の教室です。木曜日  学習・そろばん・フラダンス・あみもの・ダンスを作ろう・グラウンドゴルフ
 ドッジボール・ボッチャ・ボールと遊ぼうの9講座です。ボッチャとボールと遊ぼうが新規、輪玉氏はその
 新しい教室・ボールと遊ぼうを担当します。
  土曜日です。陸上・楽しい理科実験・ふわふわ凧・ミニテニス・クリスマスリース・ミニ工作・習字
 ロボットを作ろう・絵手紙・可愛い花アレンジの10講座です。私はロボットを作ろうを担当します。  
  開校式は6月15日(木)を予定しています。 閉講式は令和6年2月15日(木)です。木曜教室は13日、
 土曜教室は10日、年間23日開校します。学校行事で少し減りました。それにしても年間23日とは
 あまりにも少ないですね。私は地域の活動が子どもたちにある影響を与えるのは、最低年間50日と
 考えています。スポ少が子どもに対してすごい影響力を持つのは、どこでも最低100日はやっているから
 です。しかしこれは久喜市の放課後子供教室の組織のかたち・方法では無理というもの、とにかくこの
 日程でしっかりやっていくほかはありません。
  これから保険の集金等(こればっかりは従来の方法です)最後の準備をして開校式を迎えます。
 頑張っていきます。

  久喜市学校運営協議会委員委嘱式・全体研修会 4/21(金) 鷲宮総合支所4F会議室 








  
令和5年度久喜市学校運営協議会委嘱交付式および第1回全員研修会が、21日(金)鷲宮総合支所4F
 会議室にて開催されました。原則各学校の学運協委員は10名、うち2名が学校関係者(校長等)、地域代表
 8名というのが一般です。ですから今日は1学校8~9名参加かなと思われます。何せ小学校21校
 中学校10校、31全校がコミュニティスクールに移行しているのです。どうみてもゆうに250人以上が参加
 しての会議、会場は超満員でした。―左― 
  最初に教育長が挨拶されました。コロナの関係で4年ぶりの全員委嘱式ができたことを喜び、久喜市は
 平成29年県内では初の全校コミュニティスクールへの移行を実現したが、法改定でコミュニティスクール
 への移行は努力義務となり、今全国42・8%まで拡大したと報告されました。ちなみに平成29年度は
 11・7%でした。さらに「久喜市は「教育振興基本計画」の中で1・持続可能な社会の担い手として未来を
 拓く子どもたちの育成。2・郷土愛を育み地域を支える人づくりの推進、3・学びの多様性に対応した生き
 甲斐の持てる生涯学習の推進を掲げているが、そうした活動を推進する最も優れた仕組みが学運協・
 コミュニティスクールだ」と話されました。
  委嘱式の交付に移りました。31小中学校代表(会長)に教育長から委嘱書が渡されました。―中― 今回の
 委嘱期間は本年4/1~令和7年3/31までです。
  その後北小、栢間小、久喜東夢学園(久喜東中・青葉小・青毛小で構成)から「事例発表」を受けました。―右―
 この事例発表が今回の全体研修内容となります。「北小」は私の読み聞かせ活動の場であり、よくお伺い
 しています。先生方とのグループ協議の報告に注意を持ちました。私は久喜小でもぜひ実現したいと考えて
 います。また会長が「選善館学園(久喜中・久喜小・本町小・北小)活動」に意欲的なことに意を強くしました。
  栢間小は「児童数68名、小さいところは小さいなりの良さがある」活動の報告をされました。地区内の
 全戸数にアンケートを実施、それに基づいて活動しているとのこと、戸数は1200戸、やはり小さいなりに
 出来ることと感心しました。
  久喜東夢学園は唯一の中学校区からの報告、久喜市の場合小中一貫教育を目指し、またスタートに当り
 「太東学園」がモデルとなったことから、全市内にこの「学園」が組織されています。しかし久喜小の「選善館」
 も含め、コロナの影響があったとはいえ、余り活動されていないのが現実です。私はこの「選善館」活動に
 強い意欲を持っており、久喜小での協議を踏まえ動きを開始するつもりです。
  その後は各学校毎の協議の時間ですが、私たちは久喜小での予定活動があるため失礼しました。

  その久喜小の予定行事です。昨日・今日と「学校説明会」が持たれています。昨日は1・3・5年生、今日は
 2・4・6年生、本年度の久喜小教育活動、予定されている事業の説明、そして「くきっ子ゆうゆう」、PТAからの
 お願いと言った内容です。そこで学運協メンバーを皆様に紹介しました。本来は昨日もなのですが、わざわざ
 お越しいただくのは申し訳ないとの学校側の配慮でこの日のみとなったのです。
  今年の久喜小の教育活動です。1・授業時数特例モデル事業、2・デジタルシティズンシップ、3・ユネスコ
 スクールの3つです。「1」は現実には生活科・総合的学習の時間が増えることになります。「2」は本ページ
  3月7日付で詳しく説明していますのでご参照ください。「3」は久喜小はユネスコスクールを目指しています。
 現在「チャレンジ校」段階を突破、「キャンディテート校」の段階にあります。後は認定を待つのみです。
  またPTA会長から、役員廃止を含む「PTA」の改革に取り組むとの話がありびっくりしました。私はあまり
 このことには賛成しません。注意深く見守っていきます。
  そのあと出席された保護者の方も私たちも、授業参観の時をもつ、長い1日を終えました。

       令和5年度・久喜市々民大学入学式 4/15(土) まなびすポッと

  久喜市市民大学(まなびすとカレッジ)の令和5年度
 入学式並びに始業式が、前段で報告した校友会の
 総会を終えたばかりの「まなびすポッと」で開催され
 ました。私は同大学と「高齢者大学」の運営委員長の
 任にあり、主催者の1員として出席しました。
  ずっ―と心配していた本年度の新入生は11名と
 やはり少なく、大学院入学者は5名、ここ最近とみに少なかったのでこの数はまずまずでした。
  「新入生呼名」です。11名が呼名されましたが、男性4名、女性7名に驚きました。市民大学は開校時、将来の
 久喜市のリーダーを養成するとの視点から、60歳までと入学の年齢制限がありました。従って働く人間の入学は
 難しく女性が圧倒的な比率でした。その後高齢社会の進展とともに入学年齢制限がなくなりました。学生の平均年齢は
 猛烈に上がりましたが、男性入学者が多くなり8:2くらいの比率が続いていました。今年の逆転減少は今年だけの
 ことでしょうか、それとも今後も続くのでしようか。新入生11の数です。定員は40名、もう20年近く10台前半という
 数が続いています。前記した「市大高大運営委」です。両大学の校友会代表もおり、私を含め過半数が両大学の
 ОBです。母校愛もあり、新入生増加のためかなり無理なお願いを行政にしています。行政はそれをほとんど聞いて
 くれて可能な限りの処置を取ってくれています。それでもこの数、チヨット溜息が出ます。
  学長式辞―左―で学長・梅田市長は、「久喜市は市民参加・協働のまちづくりを進めている。これから市民大学で
 学びそうした活動の先頭に立たれることを期待します。」と式辞を述べていました。
  来賓祝辞、議長(代理副議長)に次いで、当選したばかりの梅沢・石川お二人の県議が祝辞を述べられました。どうか
 4年間よろしくお願いします。在校生代表による「歓迎の言葉」、新入生代表による「誓いの言葉」 ―右―の後、
 久喜市の歌、「笑顔のまち永遠なれ」を斉唱、閉会となりました。
  なお今回の新入生の中に親子(お母さんとお嬢さん)がおられるそうです。親子そろっての入学は初めてとのこと
 でした。さらに新入生の中で鷲宮在住の方が1番多いそうです。もう合併して14年、**地区などと言うことはない
 のですが、これは校舎が旧中央公民館から鷲宮総合支所5F。まなびすポッとに移ったためです。
  なおさらにもう1つ、私の「市大・高大運営委員長」ですが、選出母体の「社会教育委員」の在任期間が今年度
 いっぱいあるため、なあしばらくはこの職を続けることになります。よろしくお願いします。

      ◎ 令和5年度・久喜市々民大学校友会総会 4/15(土) まなびすポッと

  
久喜市々民大学の令和5年度「校友会総会」が、15日鷲宮総合支所5F「まなびす
 ポッと」で開催されました。平成7年に開校された「市民大学」は今年の新入生が
 29期となります。私がその第1期生、6期まで進んだ平成12年に私が設立準備
 委員長を勤め発足、初代公友会会長を勤めたことも何度も報告しています。
  さてその市民大学はここ10年以上入学者数が減少、10人やっとという状態が
 続いています。ОB組織である校友会も御多分に漏れず、役員の必死の努力に
 関わらず会員数は減少傾向。今年も100人を割っています。(本年度会員数91名)
 私たち1期は卒業10年を記念し、那須に1泊の懇親旅行を行いました。その後会員が大量退会、必死に慰留した
 のですが、「ごめん岸さん、校友会って何やってるか見えないんだもの」と言われました。それが一般会員の思い
 なんだと理解しました。でも一生懸命やっています。まず総会、3度の全体会(うち1回は懇親新年会)、講演会、
 親睦旅行、そして「文化・芸術部会、行政研究部会、ボランティア部会」の3部会活動です。
  「文化芸術部会」では文学散歩を行っています。「行政研究部会」では昨年新焼却炉について研修会を持ちました。
 
「ボランティア部会」では市民マラソン大会、観光ボランティア等々の活動に当たっています。
  そして何よりも「久喜市民まつり」の企画スタッフは。私が平成10年・11年と実行委員長として関わって以来、ズッ
 と校友会メンバーが担っているのです。だから何としても市民大学・校友会を守り、育てていかねばならないのです。
 
役員はそうした活動に先頭に立ってきたH会長が退任、
変わって22期のH会長が新たに就任しました。
 H会長ご苦労様でした。H新会長よろしくお願いします。

  今年も可能な限り各種行事に参加、校友会と共に歩んでいきたいと思います。 

       令和5年度久喜小学校入学式  4/11(火) 









  令和5年度の市内小学校入学式は、11(火)午後に一斉に行われました。久喜小学校でも89名の新入生を
 迎え挙行されました。卒業生が94名でしたから数字上では減ったことになりますが、一時期に比べるとまずまず
 の数だと思います。コロナはだいぶ下火にはなりましたがそれでも慎重を期し、来賓・在校生の出席はありません。
 私たち学校運営協議会のメンバーは、いつもの通り内部の人間としての出席です。大変暖かい日でした。久喜小
 のサクラは皆散っていましたが、それでも残された最後の花びらが、風に舞って新入児童を歓迎してくれました。
 そんな花びらのようなかわいい新入児童は、同じように家族と一緒、そして母親に手を引かれ緊張した面持ちで
 校門をくぐっていました。
  開会です。卒業式と異なり「入場」はなく、保護者と2人ですでに椅子についています。ほぼお母さん、お父さんは
 後方に座っています。ほんとどのご家庭が夫婦同行です。まず1年生「担任の発表」、僕の、私の先生
 どんな人だろう、皆真剣に見入っていました。次に「新入生呼名」です。今発表された担任の先生が名前を呼び
 ます。皆立ち上がり「ハイ」と元気に返事し着席するのですが、座った後みんなホッとして隣の保護者に抱き附く
 のが何ともほほえましかったです。校長式場・来賓(市長)祝辞と続きました。 ―左・中― 今年も基本来賓は
 お呼びしていませんが、市長が特別久喜小には来られたようです。お二人ともに「先生、優しいお兄さん・お姉
 さんが待っています。元気に勉強し遊び、楽しい久喜小生活を送ってください。」とエールを飛ばし、また保護者
 には家庭の宝は地域の宝」と、学校・家庭・地域の連携を訴えていました。
  その後いつもは2年生による「歓迎の言葉」があります。毎年1年間でこんなにも成長するのか思わせる
 見事なものですが、今年はやはりコロナの関係、5年生諸君出演「久喜小学校の紹介」なるビデオメッセージ
 でした。校歌を歌わず曲を放送で聞いて閉会となりました。これまたいつもは6年生が新入生の手を引いて
 教室へと退場していくのですが、今年は担任の先生の先導で、自分たちがこれから学ぶ教室へと退場して
 行きました。―右― チヨット心細げでしたが大丈夫ですよ。前の挨拶にもあったように、優しい先生・お兄さん
 お姉さんたちがいます。いつも見守ってくれる地域の方々もいます。加えて150年という歴史と伝統の力も
 あります。元気に久喜小生活を楽しんでください。
  私たち学校運営協議会メンバーも君たちのより良い学習環境創造を目指し、精一杯活動してまいります。
     入学おめでとう

 
      ◎ 6年目に入る久喜小コミュニティスクール  4/5(水)
                
 会長に就任しました。
     

 
 本日午後より令和5年度の第一回久喜小「学校学校運営協議会」が開催されました。ご承知のように久喜市
 では平成28年度太東中地区でのモデル事業を経て、29年度より市内全ての小中校が「コミュニティスクール」
 に移行しました。県内初めてです。基本的に10名、学校サイド2名、地域サイド8名の人が運営委員に移植され
 「学校運営協議会」が全校一斉に(太東中地区を除く)スタートしました。その時私は議員最後の年でした。議決
 機関の人間(=議員)は審議機関の人間にはならない、から市や教委が委嘱する職には附かないは久喜市の
 決まりとなっています。従って当然ながら私は「学校運営協議会委員」に委嘱されませんでした。これは私にとり
 大変残念なことでした。なぜなら私は市内小中校のコミュニティスクールへの移行を強く願い、それを要求する
 質問を数度にわたって行ってきたからです。「実験校=地区を皮切りに導入の方向で考える」との答弁を頂いた
 時は大変な喜びでした。平成29年の久喜小での発足に当たり、委員への委嘱は叶いませんでしたが、翌30年
 24年ぶりに民間人に立ち戻り委嘱を得ました。以来3期5年間にわたり「久喜小学校学校運営協議会委員」を
 勤めてきたことになります。4年はH校長、この1年がA校長でした。前半はちょうど久喜小学校の教育目標を
 「イノベーション力の育成」に変えた時期に重なり、これをめぐっての話し合いに明け暮れました。後半は昨年
 実施した久喜小創立150周年記念事業に多くの労力を取られました。コロナの関係で人が集まれない時期と
 重なりました。だから肝心の「コミュニティスクール」でいえば、どうにももう一つという感じでした。久喜小としては
 7年目、私としては6年目に入る今年、継続するかだいぶ迷うところがありました。スポ少本部長を辞し、関わる
 多くの役職をその任期を持って終了するからです。多くの人にご相談を申し上げましたがお受けする事にしました。
  子どものころから多くの時間を過ごし、スポ少活動に代表されるように多くの生きがいを与えてくれた久喜小に
 最後のご奉公をしようと思い、かつその最後の活動領域を、私が一貫して追い求めてきた「地域と学校の協働」
 で、と考えたからです。
  会議の前に職員室で先生方との対面がありました。主幹教諭が異動し、内部昇格でО先生が就かれました。
 1年間よろしくお願いします。今日は校長室で会議を行いました。次いで校長、学運協会長の挨拶、校長の後
 いきなり私に振られました。一瞬びっくりしましたが「全員の賛同を得ている」とのことでお引き受けしました。
  まず校長より久喜小学校グランドデザインについて説明がありました。学校教育目標は当然「イノベーション
 
力の育成」です。これをうけ目指す学校像を「輝く未来をみんなでつくろう」とし、さらに学校経営の基本理念を
 「子どもは未来を託す地域の宝 ~楽しみながら学び続ける教職員~」、基本方針を「学校・家庭・地域が協働
 
する開かれた教育課程の実現に向けて」としています。そして今年度の重点として「学力古向上・健康な生活・
 
豊かな心・環境・個の伸長・伝統と特色」の6つを掲げています。このグランドデザインについて活発な意見交換
 を行った後、これを承認しました。その後主幹教諭より日課と年間行事計画について、校長より「学習支援プロ
 ジェクト」について説明を受け、新年度最初の会議を終えました。
  その後私はあえて発言しました。この間の学校運営協議会の活動に踏まえ、改良したい点、協議して頂きたい
 もの、実現したいもの等が何点かあり。次回学運協でご協議頂きたいという内容です。1つは学校運営協議会
 そのものに関するもの、運営の改善です。2つ目は久喜小内の問題、学運協メンバーと教職員との話し合い・
 意見交換の場を求める、さらに久喜小に関わる全ての人々の意見交換の場の創設等についてです。そして
 選善館学園との関係、教委との関係について等々、改善・改良したいもの、要望したいもの等を次回会議で協議
 したいというものです。とにかく会長を仰せつかった以上全力を傾けてまいります。

     ◎ 令和4年度 久喜小学校卒業証書授与式  3/23(木) 









  久喜小学校の「令和4年度・卒業証書授与式」が23日行われました。県南S市に住む私の孫も卒業、県内は
 ほぼこの日とのことでした。今年は桜の開花が観測史上2番目とか、久喜小北側の桜もほぼ満開でした。
  さて今年の卒業式です。コロナがようやくにして下火となりました。完全に昔に戻るかなと思ったのですが、それは
 それ、在校生を代表し5年生のみ会場入り、来賓は呼ばず、卒業生、保護者、そして5年生のみでの式でした。
  久喜小にとって150周年に当たる今年の卒業生は94名です。一時期70名前後まで落ちこんだ事がありましたが
 最近微増の状況にありうれしいことです。在校生・保護者・私たち関係者が着席する中、卒業生の入場が始まりま
 した。(―左―) まず気が付いたことは羽織袴の和装が多いこと、今まではゼロだったと思いますが、今年は男性は
 1人でしたが、女性は10人近くいました。すぐ卒業証書の授与に入りました。3組の最後にいただいた卒業生の
 番号が「第16、482号」でした。150年?ですから1年平均110人ということになるのでしよぅか、とにかく歴史と
 伝統を感じますね。(―左2―) は卒業証書を頂いて演壇からフロアーへ降りたところですが、このように和装の
 子がいっぱいいました。校長式辞に移りました。校長先生は今年行った150周年記念事業に触れながら「地域と
 ともにある久喜小」について触れ、さらに「イノベーション力の育成」という教育目標に支えられた卒業生は「未来と
 世界を支えるだろう」とはなされました。来賓祝辞はPTA会長だけでした。同じく150周年記念事業にふれ
 10年後「タイムカプセルを開けるのが楽しみですね。」と語っていました。私の席は演壇向かって右側の最前列
 です。ちょうど机におかれた「生花」の陰に隠れて、校長先生もPTA会長も全く見えませんでした。 (―右2―)
  「別れの言葉」に入りました。昔の卒業生の「答辞」、在校生の「送辞」を合わせたやつです。卒業生が
 「回れ右」をして起立、在校生と保護者に対面、次に在校生も起立して向き合ってエールを交換する、という
 形です。(―右―) 昔は代表1人でした。中学校ではそれが生徒会会長でした。最近はみんなが一言はしゃべる
 という形、その分長くなりましたがやはりこの方がよいでしょう。6年生は150周年で論語の講演を聞いたのを
 活かして、「学びて時に之を習う 亦悦ばしからずや。朋遠方より来る 亦楽しからずや」と論語の一節を入れ
 「イノベーション力の育成」を成し遂げ? 久喜小学校を作ってください」と後輩に呼びかけていました。また
 5年生は「卒業おめでとうございます。これからもみんなの後ろ姿を見て歩いていきます。中学校へ行っても
  頑張ってください。いろいろありがとうございました。」と返していました。その後卒業生保護者代表の謝辞、
 そして校歌を歌って式は終了しました。
  何度もこのページで報告してきたように、今年は久喜小創立150周年の年でした。卒業生は論語の講演会
 鼓笛パレード、式典への参加と良い思い出が出来たことでしょう。タイムカプセルにはなんて書いたのかな
 とにかく10年後カプセルを開く時には、全員元気で顔を見せてください。楽しみにしています。(と言いたいところ
 ですが、チヨット無理かな、多分どこかで見守っています。)
  とにかく卒業おめでとう。何度も出ましたが「イノベーション力」、様々な変化に対応し、元気に歩み続けて
 ください。

   ◎ 久喜小・「デジタルシティズンシップ」研修会   3/7(火) 久喜小多目的室

  久喜小は関係者である私も感心するくらい、国から委嘱を受けた研修活動に
 取り組んでいます。新しい学科の創造を目指した「夢創造科」の活動、続いて
 久喜小の新しい教育目標である「イノベーション力の育成」を目指す「カリキュラム
 マネジメント」の研究、しばらく休むのかと思ったら、昨年からの「デジタルシティズン
 シップ教育」についてという具合です。この「デジタルシティズンシップ教育」についての
 活動は令和4年度は3年生のみでした。2年目の今年は全学年で実践するため
 1年間の成果に踏まえ、さらなる充実を目指し行ったのが、今日のスタートアップ研究会でした。

  研修会はオンラインで行われ、1・令和4年度の授業に当たった3人の先生からの報告、2・この3人に校長。市教委
 指導主事、久喜小でのこの委託研修に一貫して指導に当たっている国際大教授の6人によるパネルディスカッション
 
(―写真―) 3・国際大教授による講話の3本で行われました。なおこのパネルディスカッションのコーディネーターは
 外部にいてオンラインでの参加でした。この研修会への参加者は上記6人に私たち4~5人という少数でした。

  資料的なものは一切ありません。「デジタル・シテイズンシップ」という言葉さへ現時点で非常に馴染みのないものです。
 加えてこの授業をどう行うかという、教師としての専門的分野が入り込んできます。大変難解なものでした。先生方の
 研修に参加すると、良くこういう場面にぶつかります。門外漢の私としては基礎的な部分のみ紹介します。
  現在全国で文科省により、「GIGAスクール構想」が推し進められています。全国の生徒・児童に1人1台の端末(コン
 ピューター・ダブレット)と高速ネットワークを整備するものです。久喜市では早くから当局の理解を頂いて、全国・全県の
 トップレベルで進められています。メリットとしてアクティブラーニングに最適な環境が整備される、ブログラミング教育
 への効果が拡大される、インターネットを利用した調べ学習が進む等が挙げられますし、またデメリットとしてはSNS
 トラベルなどのリスク、遊びと学習との境があいまいとなる、久喜市だけでは問題となりませんが自治体による対応の
 違い等が挙げられます。いずれにせよ国際間でのICТ化への遅れという現実があり、この構想推進は今後とも強く
 行われると思われます。
  そこで情報社会の中で1人1人が情報問題に適切に対処し、積極的に参加していく創造的な態度を習得していく事が
 大切となります。そこで小中高と各教科を通して情報モラル教育を行うこととなります。しかし情報モラル教育というと
 積極的・創造的立場というより、どちらかというと「あれもダメ、これもダメ」という規制の方が強い感じでした。そこで
 登場したのが「デジタル・シティズンシップ」という考えだと私は理解しています。「デジタルシティズンシップ」も当初は
 「情報技術の利用における適切で責任ある行動規範」と、「規範」という言葉であらわされていました。しかし今では
 「デジタル技術を適切に利用するだけでなく、社会の一員としてよりよい生活や社会を目指していくもの」ときわめて
 能動的に変わってきています。これを先に実践報告をされた久喜小О先生は、「実現したい理想を叶えるために、
 デジタルを活用する。その反面メリットに対し連鎖的にデメリットも起こる中で、両者のバランスをうまく取りながら
  自己実現を図っていくという考え方がデジタルシティズンシップと考えると思います。」と述べていました。共感
 出来る内容と思います。
   いずれにせよ久喜小学校は令和5年1年間、全学年でこの「デジタルシティズンシップ」教育に取り組みます。
 学校運営協議会の一員として積極的に応援していきたいと思います。私自身の学習を進めながら。
  
   ◎ 令和4年度久喜市市民大学卒業式・修了式 3/5(日) まなびすボッと 









  久喜市市民大学の令和4年度卒業式、並びに修了式が5日(日)鷲宮総合支所内「まなびすポッと」で行われました。
 私が平成7年度の第1期生だということは何度も述べています。今年の卒業生は27期生、14名でした。ちなみに
 2年生に進級する1年生は11名、本年4月入学の29期生は今のところ10名とのことです。定員は40名、関係者
 みんながあれほど努力しているにも関わらす、入学学生はどうしても増えません、悲しいことです。  
  さて卒業式です。国歌斉唱の後卒業生全員に学長(梅田市長)から卒業証書が授与されました。 (―左―)
 その後学長式辞 (―左2―)、続いて市議会議長、お二人の県議よりお祝いの言葉を頂きました。各々が「市民
 大学は久喜市の生涯学習活動の象徴としてある」とか、「ともに地域を盛り上げましよぅ」とか、「社会的つながりを
 強めていきましよぅ」と述べておられました。 (―右2―) は挨拶の初めと終わりに起立する学生です。全員でこれ
 だけですからやはり少ないですね。最後に在校生代表の「送辞」、卒業生代表の「答辞」を受けました。
(―右―)
 卒業生代表は「市民大学での学びを活かし、楽しく充実した人生を起きっていきたい」と語っていました。

  私は学長、副学長(教育長)、教育委員とともに「市民大学・高齢者大学運営委員」として、4人の委員とともに
 主催者としての出席でした。4年前に社会教育委員になった際、社会教育委員ワクから「市民大学・高齢者大学
 運営委員」となり、皆の推薦を頂いて委員長として4年間勤めてきました。社会教育委員そのものが「スポーツ少年団」
  からですので、この職も今年を持って辞することとなります。市民大学、高齢者大学ともに入学者数の減少に
 何の歯止めもかけられなかったこと恥じるものです。でも猛烈に熱心な他の委員とともに考えられうる策は全て
 行ったということは言えます。しばらく厳しい状況が続くと思われますが、両大学の充実発展を祈っています。
   もちろん市民大学校友会会員としての活動は変わらず続けていきます。

    ◎ 市民大学校友会行財政部会研修会・新焼却炉問題  2/25(土) まなびすポッと









  市民大学卒業生の任意加盟の組織で「市民大学校友会」があります。何度も報告しているように同大学1期
 卒業生の私が準備委員長を勤め、平成12年誕生させました。以来「市民まつり」や、「生涯学習推進部」等々の
 人的補給源、他の活発な?(それなりの)活動をしています。市民大学校友会は3つの部会を持ち、学習・ボランティア
 活動を展開していますが、その1つが「行財政部会」、久喜市政の様々な分野を学習していこうというものです。
  この「校友会行財政部会」の主催で、今久喜市にとって最も大きな事業であり、かついろいろ話題になっている
 「新焼却炉」に関する勉強会が25日、鷲宮「まなびすポッと」で開催されました。講師は「環境経済部・資源循環
 推進課」から課長等2名、出席者は約40名というところでした。―左―
  まず課長より大まかな全体像の説明を受けました。久喜市のごみ処理は「久喜宮代清掃センター」久喜地区
 「菖蒲清掃センター」菖蒲地区、「八甫清掃センター」栗橋・鷲宮地区の3か所で行われている。宮代センターを
 始めとし、焼却炉の老朽化が進み整備が急がれていた。特に久喜宮代清掃センターでは、平成8年から整備の
 検討がされてきたが、地元住民の同意が得られず進展しなかった。合併後築34年経過している「菖蒲清掃センター」
 焼却炉新整備の問題が起こり、「それなら」ということで検討が進み、地元皆様の同意も頂いて今回の事業となった。
 内容は以下の通り、① 市内3つのセンターを統合した新ごみ処理施設を建設する、② 新施設はごみの焼却の際
 発生するエネルギーを有効活用する(熱・電気等) ③ 新施設は令和9年4月の稼働を予定。 さらに新ごみ処理
 施設更新に当たり、余熱利用施設(老人施設・プールl等)、本田静六記念公園を一体整備し、一つの場所でいくつもの
 楽しみを体験できる新たな賑わいを創出する、を基本理念としています。  
  建築概要です。敷地面積・約40、000㎡=4ha   建築面積・約9、200㎡   建ぺい率・約23%
        延べ面積・20、100㎡   容積率・48%   構造・鉄骨鉄筋コンクリート造   階数・地上6階・地下1階 
        建物高さ・33m・(煙突部分59m)   駐車場・約90台
  スケジュール  基本設計令和4年度、実施計画令和5年度     工事令和5年下半期~令和8年度
           稼働 令和9年度~   菖蒲清掃センター解体 令和9年度~令和10年度 
 写真―中・右― は講師が用意した資料中のカラー写真を写したものです。煙突が俗にいう光る煙突です。 
  各フロアーの外壁は壊れているのではありません。わざとこうしたデザインなのです。要するにこれが基本コンセプト
 である「迷惑施設ではない潤いのある」建物なのだそうです。各種見学コースも完備されています。建物の廻りに
 盛土で丘を作り、ごみの搬入車が見えないようにしてあるそうです。屋上には庭園が整備されます。下の公園にも
 作られるのですが、屋上にもジョギング・ランニングコースを整備するそうです。議会等で問題となった高額過ぎる
 建築費も「にぎわいを創出する」との考えの下、遠くへ追いやられています。私は一般に公共施設を整備する際、
 どうしたら安くできるか、を考えることが最大の市民サービスと考えていますが違うのでしょうか。
  そのあと事前に参加者から募集した質問への答弁に入りました。この質問は、大項目6、中項目21、さらに
 小項目につながるという膨大なもの、うまくまとめられた「行財政部」役員に感謝します。
  いくつか紹介します。
  ※ 事業方式 DBО方式  いわば公設民営 金は「公」で出すが、他は20年間の運営まで含め民間が行う
  ※ 新焼却炉の処理能力は155t
  ※ プラスチックを全量焼却としているが環境上問題があるのでは。全く問題はない
  ※ 市長は高すぎる施設について丁寧に説明するとしているが本当にやるのか   時期は未定だがやる
  ※ 新聞でたびたび報道されている宮代町との協議について   新聞は面白おかしく書く、協議を続けている
  ※ いわゆるにぎわい機能の施設(屋上庭園・光る煙突・ランニングコース)は不要、シンプルなごみ処理施設にすべき
    迷惑施設という感じを払しょくする。周辺の人に愛せられる施設にしたい

  質問の多くの内容に賛同します。答弁者は新焼却炉建設の事務局ですから、現状況に沿って答弁するのは当然
 なのでしよう。でも「にぎわい機能」とはここまでお金をかけてまで必要なのか、どうしても疑問が残った勉強会でした。

   ◎ 令和4年度・久喜市高齢者大学卒業式  2/17(金) 総合文化会館小ホール  

  17日(金) 総合文化会館小ホールにて本年度の「久喜市高齢者大学卒業式」が行われました。私が「久喜市市民大学・
 高齢者大学」の運営委員長を勤めていることは度々報告しています。「運営委員会」の主な任務は両大学の講座内容の
 決定、学生の卒業・進級の認定等々ですが、当然両大学の行事、「大学祭、体験発表会、卒論発表会」等にもお招きを
 頂いています。「卒業式・修了式」はその最たるもの、「略礼服でご出席ください」の指示通り、黒のダブルに身を包んで
 毎年出席してきました。所がコロナです。もちろん卒業式そのものは行ってきましたが、「来賓はなし」という状態、学長=
 市長、副学長=教育長だけというものでした。その意味で本日は3年ぶりのご招待、ただ会場が総合文化会館「大ホール」
 から「小ホール」へと変わっていました。私は議員時代も必ず出席していましたが、小ホールは初めてだと思います。やはり
 入学者数の減少を反映しているのです。








  式は生涯学習課長の司会で進行しました。まず卒業証書、修了証書の授与、今年の卒業生は41名、修了者は1年41名
 2年27名、3年44名でした。
―左― 旧久喜市時代1学年の定員は120名でした。3年連続定員オーバー、抽選漏れで
 入学出来なかったという市民の訴えで、一気に倍増240名とした思い出があります。卒業式定員1、300名の大ホールが
 8割方埋まりました。今は懐かしい思い出です。そのあと皆勤賞・精勤賞の表彰、ともに4名ずつおられたのはびっくりでした。
  学長(市長)式辞
、―左2― 来賓祝辞、在校生代表の送辞、卒業生代表の答辞 ―右2― と続きました。話しの中身は
 いずれもコロナがらみが多かったです。入学式が6月にずれ込んだとか、大学祭、運動会などの高齢者大学4大行事、全部
 行えたのは卒業の今年だけだったとか、そんな内容でした。梅田学長は卒業後の「人生経験と大学での学びを生かし、地域
 への貢献を」と呼びかけていました。最後に全員で高齢者大学校歌を斉唱して終えました。
 ―右― 私の地域活動の先輩
 故、鳥海氏の作詞、奥澤氏の作曲です。久喜市の東西南北の地名を歌いこんでいますが、かって「南青葉は広がりて」と
 あったのを合併前の久喜市の地名では恐れ多いとのことで、「南の富士は広がりて」と鳥海氏が直したというエピソードが
 あります。 そのあと卒業生は皆の手拍子に送られ退場していきました。一昔前は在校生の作る手のトンネルをくぐって
 あの長い大ホールのフロアーを退場したものです。小ホールではそれも見られなくなりました。今年の卒業生代表の卒業
 証書番号はたしか4329番と呼ばれていました。令和5年度の新入生は46期となります。古い伝統と確かな実績を持つ
 高齢者大学が再び多くの学生でにぎわうよう、市大・高大運営委員長としての努力を誓って家路につきました。
 
    第11回 久喜市生涯学習推進大会「まなびすと久喜」 2/5(日) 鷲宮総合支所5・4F

























  令和4年度の「第11回・久喜市生涯学習推進大会=まなびすと久喜」が、5日(日)鷲宮総合支所「まなびすポッと」と4Fを
 会場として開催され、当日ボランティアとして参加しました。確かコロナの関係で2年間中止されており、今年も日曜のみの
 1日開催と規模を縮小しての実施です。主催は生涯学習推進部を中心とし、私のような市大・高大・両校友会・社教委等の
 当日ボランティアを加えての「実行委員会」です。私は旧久喜市において第一次生涯学習推進会議」に参加、昭和63年度
 の第一回大会から参加し続けており、その後平成4年に「生涯学習推進部」を手作りで組織、同委員長として今の推進大会
 =まなびすと久喜を形創ったことは何度も報告しています。 
  ここ数年全体としての久喜市の市民・地域活動の退潮というべき状況があります。生涯学習(推進)活動も同様です。
 何度も々も報告している市大・高大の入学者数の減少もその表れです。久喜市の生涯学習推進の実行部隊である
 「推進部」などその最たる例です。私のころは定員40名ぴっちりいて、それはそれは活動量も多いものでした。現在
 名目17名、実働12~3名と聞いています。「生涯学習推進会議」も行政が100%手を引き、民間サイト運営となっており
 その機能をなくしています。だから縮小して1日のみの日程、ほぼ変わらぬ企画内容も仕方ないのかもしれません。
 しかし変わらぬボランティアの人々がこの大会を支えていました。それが久喜の強さなのでしよう。
  大会は「まなびすポッと」での開会式で始まりました。 (―上左1・2―) ここはその後「ゆうゆう」や「市内サークル」の
 「まなびすと発表会」の場としてにぎわいました。余りこの種のものに出ていない「くきっ子ゆうゆう」も、今回「フラダンス」
 「ダンス」の2種目に出ました。 (―下左1・2―) ボランティアの手でお金をかけずに衣装も統一しました。いつも久喜小
 の「教室」で見ています。可愛い踊りに感動しました。午後には鷲宮中学校郷土芸能部の鷲宮神社に伝わる崔馬楽神楽の
 一種なのでしょうか、「四方固め」なる舞がありました。太鼓・笛等の演奏の下厳かな亜雰囲気でした。(―下右2―)
 (―下右―) は社交ダンスです。市内のサークルの方々ですが、みな年齢的に相当なお歳です。でもピット背筋をたてて
 見事に踊っていました。
  5Fの他の部屋は「ゆうゆうプラザ」、生涯学習推進部、高齢者大学、市民大学、および両大学校友会の活動報告です。
 (―上右2・1 中左1―) 4Fでは体験型の物が多く、鉄道模型(―中・左2―) オモチャの病院(―中右2)、折り紙(―中・右―)
 の他、久喜市の観光(栗橋宿等)、 手話体験、中島敦の紹介、クイズに挑戦、ボッチャ体験等々がありました。
  私は社会教育委員からの当日ボランティアとして1日勤めました。係は本部詰め、具体的な仕事はなく、うろうろして
 いました。大会が成功なのかどうかは難しいところです。企画に新しいものはありませんので、これくらいの参加団体、参加
 市民(6~700人推定) はいるのです。ただ行政からの予算が30万円と聞いて慄然としました。私がやっていた頃は
 土曜日の講演の講師謝金だけで100万円だったのです。公民館も今年でなくなります。一体教育委員会は何を考えて
 いるのだろうとふと考える時があります。
  生涯学習推進運動そのものがピンチになっていると思わざるを得ません。

     令和4年度・久喜小感謝の会  2/2(木)  久喜小体育館

















  日頃いろいろお世話になっている地域の方をお呼びし感謝の気持ちを伝える、「久喜小感謝の会」は毎年
 持たれており、私も必ず出席してきました。今年は特に「150周年の年」ということで、子供たちの100%工夫
 をこらした会を持っていただきました。ありがとうございました。開会の言葉、校長先生挨拶、児童代表による
 「感謝の言葉」
―上・左2― とあって、そのあと子供たちがそれぞれに工夫をこらした歓迎のパフォーマンスを
 見せてくれました。
―上・右2―は1年生、大きな画用紙を持ちながら歌を歌ってくれました。最後にその画用紙
 を全員が掲げると、感謝の文字がありました。
―上・右―は3年生、一生懸命練習した楽器で演奏してくれました。
  子供たちの学校での元気な活動が大型スクリーンで写される中―下・中5・6年― 地域の代表に感謝状が
 手渡されました。コミ協会長、ゆうゆう実施委員長、150周年実行委員長の3人が受け取りました。
―下・左―
 
最後にご招待いただいた地域の人間を代表し、コミ協会長と150実行委員長がお礼の言葉を述べて会を終え
 ました。
―下・右―
  自分もご招待いただいた1人なので、こんなことをいうのもはばかられますが、確かに久喜小は有形無形の
 地域の人の応援を頂いています。150周年記念式典は無事終わりました。式典2・3日前の最後の詰めの
 会議の時でした。ふと窓から校庭を見ると1人のボランティアが松の木の剪定をしていました。それを見て
 あっ、この人たちの表彰を式典ですべきだった、少なくともそれを議題にすら上げなかった責任者としての
 自分を恥じました。
  久喜小の木を剪定してくれる人がいます。ほぼ毎日飼育小屋の小動物の面倒みに来られる人がいます。
 土曜・日曜の夕暮れ時に花壇の手入れに来られる老夫婦もおられます。そういう人たちはこういう会に出て
 来ません。表彰なんて恥ずかしくて、という人たちばかりです。そういう人たちが一杯いるのが久喜小の強さ
 なのです。久喜小の子供たちも、私たちもそうした人たちの存在、そうした人たちに感謝することを決して忘れ
 てはいけないと思います。
 
      ◎ 令和4年度・「まなびすと久喜」へどうぞ 

  
毎年2月第1土・日は私も長く関わってきた「生涯学習推進大会=まなびすと
 久喜」の日です。
しかしこの行事もコロナにより中止されてきました。今年は他の
 市の行事同様、日曜日(5日)1日のみという、縮小された形で実施されます。
 
 主催は久喜市生涯学習推進会議、まなびすと久喜実行委員会、教育委員会
 の3者です。この実行委員会ですが「生涯学習推進部」を中心として、市大・高大
 その卒業生、市内中高生等を含めたボランティアによって構成されます。

  
中心となる「久喜市生涯学習推進部」です。平成4年に第一次生涯学習推進会議の解体的危機の中で
 推進活動の実行部隊として私が手作りで組織しました。その後13年間にわたり委員長を勤め、今のまなびすと久喜
 や「研修大会(まなびすとフォーラム)」を作り上げてきました。そんな過去を持ちますので今回数年ぶりに復活した
 「まなびすと久喜」に社会教育委員の枠でボランティアとして参加、本日開催された大会前最後の実行委員会に
 出席したという次第です。今久喜市の生涯学習推進活動は、他の活動と同様低迷状況にあります。やはり少子
 高齢社会とコロナが大きな因をなしているのでしょう。肝心かなめの「推進部」ですら、私の頃は定員40名一杯が
 熱心に活動していました。今は10名台前半とのことです。大変心配していました。しかしです。会場となっている
 鷲宮総合支所5Fの「まなびすポッと」いっぱいの人がいるのに驚きました。市大・高大・社会教育委・中高生等の
 ボランティアです。この姿は私の頃とまったく変わりありません。これがまなびの町・久喜の強さなのだと思います。
 てなことで2/5(日)行われる大会にはぜひ参加していただきたいとご案内します。私は年寄りに敬意を払ってくれ
 たのか、それともどうせ役に立たないと思われたのか「本部詰め」となっています。とにかくどこかでうろちょろして
 いますのでお声がけください。

  ● 
日 時  令和5年2月5日(日) 9:30 開会式 10:00イベント開始 15:30終了
  ● 
会 場  鷲宮総合支所5Fと4F  なお駐車場は総合支所前でなく、道路向かい側の公民館、または運動公園に
  ● 
5Fフロアー  まなびすと発表会   放課後子供教室=ゆうゆうプラザの各学校の子どもたちの発表
                      市内愛好家・サークルによる発表  踊り・ダンス・ウクレレ・よさこい・スコップ三味線他
  ●
5Fフロアー  久喜市の生涯学習活動(団体)の紹介  市大 高大 ゆうゆうプラザ  推進部他
  ●
4Fフロアー  おもちゃの病院 手話で話そう ロボットと遊ぼう 折り紙コーナー  栗橋宿の歴史等 
               皆様のご参加をお待ちしています。

     ◎ 令和4年度東部地区社会教育委等の研修会    1/25(水) 羽生市 

  令和4年度の「東部地区社会教育関係委員・職員研修会」が25日、羽生市の「産業文化会館」で開催され
 ました。主催は「埼玉県教育委員会」、共催・「埼玉県市町村社会教育委員連絡協議会」、「羽生市教育委員会」、
 そして東部地区内の「北埼玉地区社会教育委員協議会」、と「埼葛郡市社会教育振興会」です。「等」とあるのは
 社会教育委員のほか公民館関係者、および社会教育に関わる職員をさします。この研修会は埼葛地区・北埼
 地区会場交代で毎年行われてきました。ここ2・3年はコロナの影響で中止されています。それぞれの地区代表
 事例発表、+講演という内容も変わりありません。今年久喜市からは5名が参加しました。
  最初の事例報告です。地元羽生市から女性の社会教育委員、松伏町から公民館館長を勤める職員からの
 物でした。羽生市の報告は「つなげる ひろがれ 笑顔いっぱいに」と題し、宮沢章二顕彰会とNPO法人「子育て
 サポートキャロット」の活動を報告しました。宮沢章二は羽生市が生んだ詩人、私の母校・久喜中校歌の作詞家
 でもあります。「社会教育は地域づくりの根っこ」との信念に基づき、この2つの活動を通し「つなげる ひろげる」
 を伸展させているとしました。
  松伏町公民館長の報告は「コロナ禍における人と人とをつなげる松伏町の取り組み」と題し、1・成人を祝う会
 2・ミニまつぶし 3・動画配信について報告しました。いずれも個人の活動報告でなく、行政としてのコロナ禍での
 取り組みでした。報告の動画で「音楽の町・松伏」の一端が覗けて楽しかったです。
  最後の講演は県教育局社会教育主事の「人々をつなげる社会教育の役割」と題するものでした。1・生涯学習と
 社会教育、2・社会教育主事と社会教育委員、3・「つながる」 「つなげる」、4・国の動向から、を話されました。
  正直言って講師にも内容にも不満があるのではありません。ただ「生涯学習と社会教育」とか、「社教主事と社会
 教育委員」といわれても困るのです。もう何10回とこうした話を聞いてきたでしょうか。何回か登場した「人づくり
 つながりづくり 地域づくり」の中教審答申の内容も聞き飽きたものです。だから4・国の動向から、の中で、今後の
 課題として、1・部活動の地域移行化、2・DXの推進、3・学校運営協議会と地域・学校協働活動の一体的推進
 の3点を上げたときは、大変新鮮に思え聞き耳を立てたものでした。「DX」とはデジタルトランスフォーメーション
 デジタル技術を用いて新たなビジネスモデルの創出や企業風土の変革を実現すること、変化の激しい時代の中で
 市場における優位性を維持し続けるための重要なテーマとのことです。我が久喜小の学校教育目標
 「イノベーション力」に似ているところがあり、俄然興味を持ちました。以上1・2・3と「社会教育」なんてテーマで
 話をしてくれたら、どんなにか素晴らしいものになっていたかと思います。

    ◎ 撰善館学園地区保健委員会・オンライン  1/24(火) 久喜小図書館 

  
久喜中地区4小中校で形成される「撰善館学園」で、24日午後保健委員会が開催されました。当然今回も
 オンライン形式、発信元は久喜中、司会進行も久喜中生徒が行い、撰善館連絡協議会会長の本町小校長は
 本町小から、講師の久喜眼科医はおそらく自分の医院からという状況でした。今回のテーマは「目の健康を
 考えよう! ~電子メディアとの付き合い方~」です。
  まず最初に事前に市内小中生から取っていた、アンケート結果が発表されました。それによると毎日何らかの
 電子メディアに接する人85・3%、1にスマホ、2にテレビ、3にパソコンの順とのことです。次に使用にあたり
 何らかのルールを設けている、中学生80%、小学生84%、そのルールを守る中学生70%、小学生67%です。
 最後に目が疲れる、視力が落ちた等健康に影響があるは65・3%でした。ちなみに私はスマホの使用時間は
 少ないですが、パソコンはきわめて多く、1日3時間から多い日は5時間くらいです。視力は1・2を保ってい
 ますが、目が疲れたなと思うときはしばしばあります。
  次に市内の眼科医・М先生の登場です。私も血糖値が高かったため定期的にお世話になっています。
 テレビ・パソコン・スマホ・タブレット等、電子メディアが人に与える影響が強まっているから始まりました。第一
 このオンライン研修会からしてそうですし、子供たちのGIGAスクール構想によるタブレット使用での授業等々
 もその原因の1つに挙げられます。そこからまず目に対する影響として視力1・0以下の児童生徒の増大
 小学生で37%、中学生で58%にまで達している、これは20年前に比べると中学生で1・5倍、小学生で
 1・8倍であり、さらに眼鏡使用でいうと小学校1年生は6・3倍、6年生は1・6倍に増えていると指摘されました。
 影響は低年齢化、強度化し、眼だけにとどまらず、言葉の発達の遅れ、肥満、体力・学力低下、メディア依存
 ネットいじめ、さらには暴力性につながるといわれました。そのために2歳までは見ない、授乳時・食事時は
 止める、1日2時間までとする、は最低線とされました。さらに詳しく話を続けられました。
   目には正視・近視・遠視・乱視とあり。近視は遺伝、または1時間以上・20㎝以下で見る、屋外活動の低下で
 起きるとのこと、防ぐには正しい姿勢、30㎝以上離れ、垂直に見るのが必要とのことでした。さらに30分見たら
 20秒以上(目を)休ませる、(実際アメリカでは20-20-20運動が組織されているそうです。20分見たら20フィート
 6メートル離れた景色を20秒見る)、みんなで一緒に体を動かす(1日120分以上の運動で近視が低下する)、
 寝る1時間前からはデジタルは見ない等々が大切とのことでした。
 まとめ1・ 30㎝以上離す  30分見たら20秒休む  瞬きをする(乾燥を防ぐ) 休み時間は外で体を動かす
 まとめ2・ ルールを決める(利用時間 まったく使わない時間を設ける)   何よりも生活の充実化を!  

  以上でした。子供たちはすべての授業でパブレットを使用しており、目を中心とするマイナス的影響は避け
 られないと考えます。大切なことは上記したような対応策をきちんと取る、そのうえで電子メディアに接する
 ことと思われます。

    ◎ 令和4年度市民大学体験発表会 1/21(土)  まなびすポッと 

 
 令和4年度の「久喜市市民大学体験発表会」が
 21日午後、鷲宮総合支所内「まなびすポッと」で
 開催されました。卒業を前にした同大学の恒例の
 行事ですが、確かコナろの関係で2年ほど中止に
 なっていると思います。ご承知のように私は「市大・
 高大運営委員長」にあり、毎年出席しています。

  発表者は1年生2人、2年生2人の計4人、最後に「講評」といういつもの形式です。
  1年生のK氏、「目指せ世界一周40、000㎞」、趣味のウオーキングで世界一周40、000㎞の早期踏破を目指し
 多くのウオーキングイベントに参加、自身で40~50キロメートルの長距離に挑んだり(日光杉並木・山手線一周)
 仲間と「ぶらり久喜の街」、「ぶらり奥の細道」といった行事を持っているとの事、2009年から記録を取りはじめ、
 昨年3月の時点で18、000㎞とのことです。私は距離は図っていませんが、1日1万歩以上を20年間は続けました。
 ここ数年は腰痛その他で7、000歩になっています。40、000㎞達成を祈念します。他に関わって来たボランティア
 活動等報告してくれました。

  1年生のТ氏です。―写真・右―は発表風景です。みなこのようにスライドを上映しつつ報告してくれましたТ氏のみ
 A4版3枚にびっしり書いた原稿を読みました。題して「そば屋になって」です。一流企業?に勤めていたТ氏は会社の
 イベントなどで自慢の手打ちうどんをつくり、大好評だったとの事、定年前に「ウドン屋を開く」と決意、会社を辞め
 修行に努めました。その後同じく勤務先を辞めたご子息さんも加わり、奥さと3人で経営方針を定めたそうです。
  1・挽きたて 打ち立て 茹でたてにこだわる  2・原料はすべて国産  3・出前はやらない
  4・ごはん物はやらない  5・化学調味料は使わない   6・全て注文を受け手から  等々との事です。
  最後に店の名前です。当時の久喜市のイメージフレーズ「風の見える街」を知り、「風庵」としたそうです。そうです。
 中央4丁目の人気店「風庵」です。久喜のそば店では1番美味いと思います。私も何度も利用しています。開店から
 24年たち、今はご子息さん中心とか、いつまでも元気で美味しいそばを食べさせてください。  
  2年生に移ってN氏の「三島由紀夫の生涯・裏話」です。今日は体験発表会です。自らの体験を話す場です。所が
 今までも体験ではなく、自らの考えとか思いとかを述べるケースは相当ありました。確か「帝京大学ラグビー部の
 制覇について」と同校ラグビー部V9への意見を述べただけのもありました。ただおそらく帝京大学のフアンなんだ
 ろうと推測されましたが、この報告は「三島由紀夫」文学のフアンなのか、彼の思想・生きざまを支持しているのか
 一切語られないまま「裏話」に終始するものでした。何の脈絡もなく「平岡家の家系図」、三島を育て祖母の「夏子」
 に関わる「永井尚志」、タレント「神津カンナ」とのエピソード、そして「縦の会」、「市ヶ谷駐屯地決起」と出てくるため
 非常に難解?でした。ちなみに私は三島文学の理解について浅いものです。ただ三島の市ヶ谷駐屯地の行動とか
 それに伴う政治的思想とかについては否定的です。
  最後が2年生のY氏の「合唱活動とコミュニティ」です。市内・近隣のみならず5回にも及ぶ海外への公演活動、
  さらには文化会館での「第九を歌う会」の活動、そして「久喜市合唱連盟」での活動を報告してくれました。私は
 スポーツ活動なら誰にも負けない自信がありますが、自分にないこうした活動は無条件に感動します。多くの市民
 参加型の合唱活動への発展的展開に期待します。
  最後にK氏の「講評」をお聞きし
-写真・右- 解散しました。次は同じく久しぶりの卒業式です。

      ◎ 久喜市市民大学入学のお勧め  1/14(土) 

  新年に入り10日を過ぎますと、会議・行事がどっと入って来ます。来週は
 日曜日の「スポ少ロードレース大会」を皮きりに、「社会教育委員」、「学校運営
 協議会」等の会議が目白押しです。今週は木曜日=12日に今年最初の「くきっ子
 ゆうゆう」があり、前段階で「実施委員会」を持ちました。そこでは早くも令和5年度の
 「くきっ子ゆうゆう」についてあれこれ話し合ったのですが、その前に今年の閉講式
 (2/16・木予定)をどう持つかという事も論議しました。コロナの新規感染者が
 そこそこ多く、全員が一堂に会しての閉講式は無理かなという意見も出ています。誠に忌々しいコロナです。
 会議を終えいつもの通り「ドッヂボール」で子どもたちと遊びました。
  「くきっ子」のドッヂボールは有名です。大勢の子どもたちを大勢のサポーターが見ているからです。今年度
 100人を超す子どもたちが受講しました。3つのコートを使い、10人を超すサポーターがつきます。校庭一杯に
 広がり歓声を上げながら動き回る子供たちを見ながら、この事業の有効性を改めて確認するのです。―写真―

  今日=14日は鷲宮総合支所5Fの「まなびすポッと」で、「久喜市市民大学校友会」の幹事会を持ちました。
 市民大学は令和5年度生が29期生です。ですから27期までの各期の役員によって構成されます。年3回
 程の会議を持ちます。私が平成7年に開校された「久喜市市民大学」の1期生であり、卒業5年たったH13年に
 「市民大学校友会」を立ち上げ、初代会長を勤めたことは何度か報告しています。「校友会」は卒業生が自由意志
 で加盟します。「久喜市民まつり」スタッフはここがほぼ全員を占めており、他「ゆうゆうプラザ」他久喜市生涯学習
 活動の推進に大きな役割をはたしています。とここまでは誠によろしいのですが、やはりこの組織も御多分にもれず
 「長期低迷」傾向にあります。第一市民大学入学者がこのところ極めて少ないのです。定員は40名です。定員を
 維持したのは1期と2期だけでした。ここ最近は10名をやっと超す程度になっています。そして卒業生の「校友会」
 加入率も非常に少なくなっています。コロナの関係もありますがそれ以前からの傾向です、このことは「市民まつり」
 運営はもちろん、各種生涯学習活動に大きなピンチをもたらしています。
  これを象徴することがありました。「校友会幹事会」は各種議事の協議を終え終了に近ずいていました。その時
 「市民大学」の事務を担当している教委・社会教育指導員が来場、チラシを2枚配りました。1枚は市民大学の
 事業である「体験発表会」のお知らせであり、もう1枚は他ならぬ「市民大学新入生募集」というものでした。
 募集はまだ始まったばかりですが、今の所希望者ゼロとの事、「何とか口コミでご協力を」とのお願いには何か
 必死とも受け取れるものがありました。
  私は「市民大学・高齢者大学運営委員会」の委員長を勤めており、両大学運営に責任ある立場にあります。
 今までも両大学入学に口コミで大勢勧誘してきました。もちろんこれからもそうしますが、今回は私のこのH・Pも
 使わせていただきます。どれくらいお役に立つか解りませんが、少しでも努力したいの思いです。
  ※ 久喜市市民大学   通称まなびすとカレッジ29期生を募集します
  ※ 久喜市在住30歳以上  2年制の大学  希望者には大学院もあります
  ※ 学習日は主に水・金・土(水・金は19:00~、 土は10:00~と14:00~の日があります。
  ※ 学習活動、特別活動(市議会傍聴、視察研修他)を含め年間約30日
  ※ 会場 主に鷲宮総合支所5F まなびすポッと他
  ※ 参加費(授業料) 9、000円
  ※ 申し込み方法  郵便はがき  Eメール FAX  直接窓口
  ※ 3月17日までに
  ※ 問い合わせ先   0480-58-1111(内線214) 久喜市教育委員会生涯学習課
      積極的にお問い合わせください。皆様のご入学をお待ちしています。  

  令和4年度・埼玉県地域学校協働活動推進フォーラム・オンラインⅡ 11/24(木)

  県主催による最初の「地域学校協働活動推進フォーラム」ですので、少し長くなりました。改めて-Ⅱ-として
 文科省「志々田女史」の講演を報告します。この講演は「学校運営協議会と地域学校協働活動の一体的
 推進のために」と題するものでした。
  2019年度から学校運営のシフトチェンジが始まったから始まりました。それは「開かれた学校から地域と
 共にある学校へ」というものです。ここから「学校運営協議会=コミュニティスクール」への移行が全国的に
 一気に進んだことになります。そこから1・地域学校協働活動と学校運営協議会との違い(の理解)と一体的
 推進、2・学校運営協議会を形骸化させないこと の2つが問題になるとしました。基本的考えとしてそもそも
 教育基本法(第13条)に「学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力」が謳われており、そこから
 ①子どもには学校と家庭以外の学びの場と、ナナメの関係で成長を支えられる多様な大人との学びの機会が
  必要(例・ゆうゆう等)、②大人には学校教育まかせの子育て、次世代育成を是正していくことが必要とし、
 そのために ③ 子どもの成長を支えるための大人の横のつながりづくりを促進することの大切さ、を述べ
 られました。要するに子どもの学びを学校教育だけで完結させない仕組みづくり=「地域とともにある学校」
 づくりとしての学校運営協議会と、大人の意識改・ネットワーク化、学校と地域の相互信頼の構築としての
 「学校を核とした地域」づくりとしての地域学校協働活動、この一体的推進が必要だというのです。
  結局「志々田」氏の講演はこのことを繰り返し繰り返し述べる内容でした。そのために共通の目的をもち、
 理解し、説明し続ける、共感し、納得しあう関係をつくると言っていました。
  また「地域学校協働活動」は教員や保護者の「お手伝い」、「応援」ではいけない、とも言っていました。
 しかしこのことは大変難しい問題です。久喜小では「チーム久喜小」を組織化、発足させました。しかし現実
 「チーム久喜小」は学校を応援する組織=活動にとどまり、「地域づくり」の視点は全くありません。「地域学校
 協働活動の推進」をお題目的に唱えても、どだい無理という状況にあります。しかし「チーム久喜小」の活動を
 大切に育てていきたいと、今私は考えています。ここはいわゆる2段階戦略です。「チーム久喜小」の活動を
 活発化し、とにかく学校へ出向いてくる保護者・地域の方の数を増やし、その過程で意識改革を図りながら
 「地域学校協働活動」を求めていく、現実にはこれしかないと考えています。
  前段階でこの「フォーラム」に参加したのは私だけだったと記しました。私は異常性格の持ち主で、およそ
 ご案内頂いた各種研修会にはほぼ参加する、を50年間続けてきました。だから主にスポーツの分野ですが
 多くの資格を取得、活動に役立ててきました。それが当然だと思っていました。しかしです、今回イスに座って
 研修していると窓越しに校庭が見えます。今日は「ゆうゆう」の開校日、100人を超す参加をみる「ドッヂ
 ボール教室」のため、何人かのサポーターがコートを作っていました。ああしてもくもくと「ゆうゆう」の準備に
 当たる人は大切だなと思ったのです。必要なことは子どもの育成を地域のナナメの関係で保証しようと頑張る
 この人たちの活動を保障していくことだと、単に地域学校協働活動とは何ぞや、と理解することを優先する
 自分を恥じ、自己批判した瞬間でした。

 ◎令和4年度・埼玉県地域学校協働活動推進フォーラム・オンラインⅠ11/24(木)  

  「放課後子ども教室」(ゆうゆう)や「コミュニティスクール」に関するフォーラム(研修会)は、県主催で何回か
 行われてきていますが、初めての「地域学校協働活動」推進の研修会が、24日オンラインで行われました。
 時節柄オンライン、久喜小での会場は多目的棟の音楽室でした。「学校運営協議会」、「チーム久喜小」の
 メンバーに案内を出していますが、思った通り参加者は私1人でした。(アーァ)
  研修会の次第です。1・埼玉県の取り組み状況について、2・シンポジウム「学校と地域でつくる学びの未来」
 コーディネーター+シンポジスト4人、3・講演 文科省生涯学習研究官 以上の3本立てでした。
  まず1・の県の取り組み状況についてです。県教育局の生涯学習推進課F氏が話されました。まず県独自の
 組織としての「学校応援団」についてその趣旨、活動例等話されました県内小・中学校共に98%以上の組織率
 を勇姿、コーディネーターも多数配置している。コーディネーターを中心に「放課後子ども教室」や「コミュニティ
 スクール」とも連携した活動をしているとされました。しかしです。久喜市は県のアンケートに全ての学校に
 「学校応援団」が挿し木され、コーディネーターを配置していると答えていますが、「放課後子ども教室」や
 「コミュニティスクール」との具体的関わりを知りません。いずれも独自に組織化されています。県教育局としては
 こう言わざるを得なかったと思いますが、こうしたきれいごとはやめていただきたいと考えます。そして「地域学校
 協働活動とは」にふれ、単なる「支援」から「連携・協働」へ、「個別の活動」から「総合化・ネットワーク化」を目指す
 とされました。さらに「コミュニティ・スクール」と「地域学校協働活動」の一体的推進を言われました。その通りで
 全く異論はありません。只です。例えば「チーム久喜小」を単なる「支援」から、「連携・協働」へとどう発展させて
 いくのですか。問題はこのようにあります。

   2・「シンポジウム」です。コーディネーターに最後にご講演を頂いた文科省の「志々田まなみ」氏、シンポジストは
  4人ですが推進員とも言える民間活動家は川口市の方のみ、後は秩父市の小学校校長と島根県益田市の教育
  委員会の方、そしておなじみ久喜市生涯学習課の渡辺さんでした。これは地域学校協働活動のこうしたフォーラムで
  未だ民間人が話すだけの活動実績も具体例もない証左です。私はコミュニティスクールの研修会等でも文科省
  委嘱の専門家だけが話すのは余り良くないと思っています。いつも同じ話の繰り返しというのが現状です。
   活動の実績が乏しいため余り具体的なお話は聞けませんでした。4人とも共通に言っておられたことは事業と
  しては「青少年の健全育成、特に学校外の子どもの育ちの場の充実」、組織論としては「世代交代による人材確保
  人と人とのつながり」といった言葉が繰り返し出ていました。増田市の教育委員会の人が「学校教育課(久喜市では
  指導課)の中に社会教育コーディネーターをおくべし」と言っていたのが印象的でした。

 
     久喜市立久喜小学校創立150周年記念式典―Ⅱ―  11/19(土)


  鼓笛パレードをした5・6年生、路上で応援した4年生以下の全ての児童が「特別教室棟」の前庭に集合
 しました。記念碑除幕式、タイムカプセルの埋設を行うのです。「式典、記念誌、モニュメント制作」は記念
 事業の付き物です。制作するモニュメントは何にするか、は重要な問題でした。結果学問の木と言われる
 「楷の木」、それも中国孔子廟にあるそれの遺伝子を受け継ぐものを植樹するとなりました。提案をされた
 実行委発起人穂村前校長先生の思いを評価するものです。岡山県備前市の「閑谷学校」と、私の恩師で
 ある旧教育長橋本先生のご好意により、2本の「楷の木」を植樹することが出来ました。150周年記念事業
 として「楷の木」を植樹した理由、久喜小と論語との関係、そもそも久喜小の地域の中での位置づけ、等々
 記した記念碑を建設、その除幕式を行ったのです。併せて「楷の木」を植樹したブロックで囲ったエリアに
 「10年後の自分へ」と題する手紙をタイムカプセルに納入、埋設する事も記念事業の1つとしました。
  「特別教室棟」前庭に全員が集合しました。司会は5年生と4年生の児童、開式・閉式の言葉も児童代表
 要するに子どもが主役の式典行事です。。当初こうした子ども中心の進行に心配な面もあったのですが、
 これが全く杞憂、皆見事に役割を果たしていました。
  まず実行委員長挨拶 (―左―) 来賓祝辞の後、児童代表も加わって除幕を行いました。(―中―)
 その後全児童・教職員や地域の方も含めた「10年後の自分へ」の手紙をカプセルに納入、埋設しました。
 (―右―) 10年後に開けることになります。「岸さんも」と言われましたが、遠慮しました。10年後というと
 私の3年忌か7年忌の頃かな思いますので、でもこんなことを考えると何かワビしいです。








  大急ぎで昼食を取り、午後の「式典」に
 入りました。受けつけ開始は12:45です。
 開会13:30までの間、久喜市伝統の
 天王様提灯祭りのお囃子を聞いて頂き
 ました。披露頂いたのは「本壱祭典保存会」
 全員私も熟知している久喜小出身の若者
 たちです。(―上・左―)

 来賓が入場、閉め太鼓をもってお囃子演奏が終わりました。ご苦労様でした。13:30ジャスト、式典開始です。
 まず私が『久喜小の教育の原点=郷学・遷善館が建学された時(1803年)、久喜小の前身=久喜学校が開校 
 された時(1873年)と同様、今回の150周年事業も地域の皆様の理解と支援の下になされた、この式典の
 成功をもって、地域と供にある久喜小のこれからを保障していきたい』と開会の言葉を述べました。
  その後実行委員長(―上・中―) 前校長=発起人、校長、PТA会長が主催者側として挨拶しました。その中で
 直前校長の穂村先生は、久喜小の特徴を『絶えず地域の皆様の熱意に支えられてきた地域の学校、多くの
 先進的取り組み、研修等で地区教育活動ををリードする中心校』と2つ挙げていました。
  来賓の祝辞を市長・議長・教育長・県議・歴代校長代表の5人からいただきました。歴代校長を代表して
 祝辞を述べられた西崎先生、平成7年から3年間、久喜小第31代の校長先生を勤められました。お元気に
 当時の思い出を語ってくれました。その後の来賓紹介で、その西崎先生よりさらにお歳の平成元年から
 第28代の田中校長先生、また歴代PТA会長では、昭和49年から昭和の時代の4人の会長全員が出席され
 紹介されました。また昭和37年から10年間久喜小で教鞭をとられたというТ先生も出席紹介され、実に懐かしく
 当時を振り返りました。私は議員になったのは平成7年=51歳の時ですが、その10年程前から地域活動に
 関わっていた関係で、久喜小の多くの行事に参加してきました。大変懐かしいお顔を拝見出来た至福の時間
 でした。挨拶、祝辞の「前半の部」を終え、休憩をはさんで「後半の部」に移りました。
  まず1年生から4年生、それに教職員からPТAまで参加してのお祝いのビデオメッセージ・動画披露です。
 よく出来ていました。子どもたちがジャンプして、着地すると次のクラス・メンバーに代わっているなど工夫を
 凝らしていました。久喜小の良いところは? 校庭が広いこと、ビオトープもあって自然が豊かなこと、皆の
 中が良いこと、上級生が親切なこと、そんな問いかけ、答えを子どもたちのアクションや実際の風景で繋いで
 いきました。このビデオには参加せず、会場に出席の6・5年生は時には大笑いをしつつ見ていました。
  教職員のビデオには、給食配膳員や安全警備員等すべての人が参加していました。全教職員を写す時
 誰かが今は亡き志村けんのバカ殿さまの踊りで先導していました。この人のバカ殿さまの踊りは演技でなく
 素地なのだと?思います。(―上・右―) とにかく楽しい時間でした。
  いよいよ最後の校歌斉唱です。(―下・左―) 久喜小の校歌は大正2年に定められた古いものです。作詞
 「巌谷小波」、作曲・「田村寅蔵」です。作曲者の「田村寅蔵」は「きんたろう」、「一寸法師」等の童話の他
 数千曲を超す県歌、校歌を作っています。作詞者の「巌谷小波」は優れた童話作家であり、絵や書の方でも
 活躍しています。久喜小の校長室に飾られ、式典「しおり」の裏表紙にも記載した額入りの歌詞は、大正13年
 久喜小に来られた際残された本人直筆のものです。「草より出でてまた草に」とか、「遷善館の今もなお」何度
 歌ってもいい校歌だなと思います。
  校歌斉唱を最後に記念式典はお開きとなり、来賓は退席していきましたました。(―下・右―)
 司会のТさん、お見事な進行でした。お疲れさまでした。
  この式典、文字通り責任者として3年かけて準備してきました。途中いろんなこともありましたが、何かあっと
 いう間に終わってしまいました。私は今まで実に多くの組織建設や行事の組織化に関わってきました。大きい
 もの、小さいもの、苦労したもの、比較的容易だったもの、数多くにのぼりますがすが全部我が思い出の中に
 凛としてあります。この久喜小150周年記念式典もそうしたものとして、私の胸の中にずーとあり続けるでしょう。

   ◎ 久喜市立久喜小学校創立150周年記念式典―1―  11/19(土) 









  何かこの3年この事ばかりで時間を過ごして来た感がありますが、いよいよ久喜小150周年記念事業の
 結びとなる「記念式典」の日を迎える事となりました。もっとも「記念式典」のこの日は午前中に「鼓笛隊
 パレード・記念碑序幕式」、そして「記念誌」も一応この日発行という事ですから、全ての事業がこの日
 1日で、といっても過言でない日となります。
  15日火曜日から連日、久喜小へお伺いして準備に当たってきました。書初めの練習で体育館フロアーを
 使用するなどが入り、予定と少しずれた点もありますが、前日の18日一気に準備を完了しました。
  午前に6年生児童のお手伝いを頂きながら左右壁面に紅白幕を張り、イス並べを行いました。前方が
 児童を代表して6・5年生席200、後方が卒業生、地域・保護者の方々計200+当初2Fを予定していた
 保護者40、右に来賓席、左に主催者・実行委席、来賓は直前になり急増したため計600席にもなりました。
  (―写真・右―) 午後からはイス席に名札を張り、カードを置き、また榎本家のご好意でお借りできた
 郷学「遷善館」扁額、新旧2本の校旗等を壇上に飾りすっかり準備を整えました。(―中―)
  子どもたちも150周年事業に参加しています。「久喜小の未来」というタイトルで行った絵画展に応募して
 くれた子どもたちの絵画を後方壁に張りました。(―左―) 他に保護者や地域の方よりご提供いただいた
 久喜小の古き良き時代の写真、児童ボランティアの手になるバースディアート作品で壁は埋め尽くされました。
 正にみんなが参加した手作りの式典、準備していてうれしくなりました。
  夜は式典当日皆をお迎えするときに、久喜市伝統の天王様提灯祭りのお囃子で迎える事となっていますが、
 ご披露頂く「本壱祭典保存会」メンバーがいろんなものが置かれた中で、ポジション取りや太鼓台の設置等
 リハーサルを行いました。全て準備は終わりました。願わくば明日が青天でありますように!  









  19日本番の朝を迎えました。さわやかな秋の日差しが今日1日の成功を保障してくれているようでした。
 8:30子どもたちの整列が終わりました。8:40指棒を振る女子児童を先頭に、約80mの隊列が南門=
 市道1号線6間道路際から出発です。今年子どもたちは天候のコロナの関係で運動会、市民まつりと
 経験なし、ぷっつけ本番のパレードです。コースは前段階でお知らせしてあります。警察との交渉で応援
 する児童・保護者との関係から左折のみ、歩道のある通りを多く取り入れています。パトカー2台が先導
 交尾を勤めてくれました。先頭を旗を振りつつ実行委員長、PTA 会長が歩きます。車道側を役員が固め
 子どもたちの安全を守ります。子どもたちは元気に、祝・150周年を地域の人たちにPRしてくれました。
  ありがとうございました。
  左 校庭から南門を道路へ出る児童  中・右 市道1号線。六間道路を進む児童

  久喜市立久喜小学校創立150周年記念事業・最終準備です。11/11(金)

  久喜小学校創立150周年記念事業の最後を締めくくる、19日(土)まて後10日ほどと迫りました。
 3年かけて準備してきたこの事業の全てが、これから10日間の準備にかかっています。
  8日(火)から最終準備が始まりました。この日保護者の皆様大勢の参加を得て「体育館」清掃と
 記念碑除幕式の会場周辺(特別教室棟前)の除草を行いました。きれいになりました。9日(水)は
 「まなびすとのページ」で報告してあるように、久喜小の研究発表(デジカルシティズンシップ教育)の
 発表会のため中断しましたが、これから全日実行委、PTA会員等で何らかの準備を続けていきます。
  私は担当ではありませんが、地元、周知しているとのことで、鼓笛隊パレードコースのご自宅へ
 あいさつ回りに追われることとなります。とにかく何としても19日最終の美を持って終わらさねばなり
 ません。懸命な努力を傾けますが、再度皆様方の当日への参加をお願いする次第です。
  当日のスケジュールです。なお①と②の午前の行事は雨天の場合21日(月)に延期されます。

  ① 6・5年生児童による鼓笛パレード
   久喜小南門(六間道路)出発8:40 ― 大島歯科8:45 ― 提燈祭り交差点8:51 — 中央公民館前交差点
  8:53 ―  蓮江病院裏8:58 ― 久喜眼科方面へ左折9:03 ― 久喜中学校前9:11― 久喜小南門9:18
   コースはすべて左折です。警察の協力を頂いています。歩道上にて御声援頂ければ幸いです。   

  ② 楷の木植樹に伴う記念碑除幕式  会場 久喜小特別教室棟前校庭
   自動整列10:10 ― 開式10:15(司会・開式の言葉は児童) ― 実行委員長挨拶10:20 ― 来賓祝辞
   10:40 ― 除幕10:45   タイムカプセル埋設10:50 ― 閉式11:10 


  ③ 記念式典(体育館) 上履き持参・マスク着用をお願いします 
   12:45 受付開始  13:30 開会「この間提灯祭りお囃子演奏・本壱祭典保存会囃子連
   開会の言葉   私が申し述べます
 
  実行委員長 直前校長 校長 PTA会長
   来賓祝辞  市長 議長  教育長  県議  県議  歴代校長代表
   来賓紹介 祝電披露
                    休    憩 (約15分)
    お祝いのビデオメッセージ  1年生~4年生  教職員 PТA
    校歌斉唱            歌唱リード 6・5年生
    15:40 閉会の言葉

  以上の通りです。卒業生の皆様、地域の皆様のご出席を心待ちいたしております。

     ◎ 久喜小・デジタルシティズンシップ授業参観・研修会  11/8(火) 

  久喜小創立150周年記念式典を10日後に控え、8日は学校運営協議会
 11月定例会議の日でした。しかしこの日は通常の会議ではなく、久喜小が
 研究委嘱を受けている「「デジタルシティズンシップ」教育を推進する「情報
 モラル教育」の:」研修会の日、その公開授業の参観と久喜小教員と一緒に
 研修会参加という形でこの日を持ちました。
  久喜小では次から次と新語・英語が登場します。「イノベーション」には
 慣れましたが、こんどは「(デジタル)シティズンシップ」なるものです。

 チヨット面食らいますが良く考えてみれば簡単です。「シティズンシップ」とは。市民としての身分・権利、いわゆる
 「公民権」とか「市民権」と呼ばれるものです。議員の頃、民主党政権の影響や「自治基本条例」制定への動きの
 中で勉強したものです。それに「デジタル」がつきます。要するにICТの利用における適切で責任ある行動規範を
 学ぶもの、ICТ社会の中で円滑に人間関係を維持するのに必要な能力を身につける教育という事でしょう。
  そういう意味では従来の「情報モラル教育」とはやや異なるというのが最近の考えのようです。「情報モラル教育」
 というのはネガティブなもの、あれはダメ、これもダメ、危険だから大人が管理する的な物です。これに対し
 「デジタルシティズンシップ」教育とはポジティブなもの、ICТを正しく理解し、これを積極的に活用し社会参画する
 能力を育成する教育とでもいうことが出来ます。これが久喜小の「デルタルシティズンシップ教育のグランドデザイン」
 で描いている、「個人と社会のウェルビーイング(幸福で全てにおいて満たされた状態)」を目指す時代において必要な
 学校教育目標である「イノベーション力の育成」としての学習、これを言うんだろうと思う次第です。

  この学習に取り組んでいるのは3年生です。ですからまず3年生3クラスの授業を拝見しました。子どもたちは
 ここではこれまでの学びを活かした自分の考えや、自分の情報活用について取り組んでいました。例えば
 「(他の人が写っている写真を使ってよいか)」とか、「これは良くできたので写真に撮ってよいか」といった質問
 項目でした。私は自分のH・Pをもって20年になります。最初の頃はよく失敗してお小言を言われたのを懐かしく
 思い出しました。しかしいつもながら全員がタブレットを使いこなし、電子黒板を利用、3クラス同じ資料で
 効率よく授業を行っているのには感心するばかりでした。
  その後「多目的室」で教員と一緒に研修、研修主任の報告、大学教授の講話を拝聴しました。最近聴力が 
 富に悪化、よく聞き取れない部分がありましたが、大体自分の理解通りだったと思います。
  久喜小が毎年のように、国・県・市教委等からの指定を受け、各種研修に取り組んでいることに敬意を表し
 ます。大変だと思いますが共に頑張っていきましょう。

 
       ◎ 久喜小記念式典向けビデオを鑑賞しました。  11/4(金)

  ほぼ3年かけて準備した久喜小学校の「創立150周年記念式典」も、いよいよ後2週間後にせまりました。
 週が明けた月曜日・8日からは連日準備の活動が待ち構えています。いよいよなのです。
  さて私は31日(月)退院しました。1週間はあまり動くな言われています。そんな私でも十分対応可能な
 準備活動がありました。式典時「お祝いこビデオメッセージ」として披露される動画を鑑賞したのです。
  式典に付き物は「主催者挨拶」と「来賓祝辞」です。これを一部とするならば、無二部として何をしよう は
 始めから私たちの研究課題でした。子どもたちが体育館壇上で合掌する、合奏を披露する等々の案から
 ビデオメッセージに落ち着きました。コロナ感染防止対策と時間の制約を合わせ考えるなら、この時期に
 1番相応しい方法と言えます。
  さて久喜小の式典のプログラムです。開会13:30です。この開会まで「提燈祭りのお囃子演奏」を「本壱
 祭典保存会お囃子連」の若者が行います。全員が久喜小出身の若者です。そのあと主催者側の挨拶が
 4名、来賓の「お祝いの言葉」を6名から頂きます。「来賓紹介、祝電披露」と進んで休憩に入ります。
 当日児童代表として3・5年生約200名、卒業生・地域で200名、保護者50名、来賓・実行委で100名と
 計約550名の参加を予定しています。6・5年生児童は自分たちの校舎でのトイレとなりますので、休憩は
 15分を予定しています。そして再開、1年生から2・3・4年生、教職員、PTA会員の順で「ビデオメッセージ」
 が披露されます。皆は壇上の大型スクリーンを見る形となります。
  一度見ておかないと「ビデオメッセージ」のイメージがわきません。司会者もどう紹介していいか困るという
 ものです。そこでビデオの鑑賞となった次第ですが、結論として言えばよく出来ていました。それと時間が
 はっきりしており、読めるのが助かります。中身はここで言わないようにします。1学年1作品、1学年は
 通常3クラスですからまとめるのに大変だったと思います。子どもたちが「久喜小の良いところは何だ」と
 問い、「皆が中の良いところ」と答える、それを「ジャンプ」でつないでいく当たり良く考えていました。
   おそらく子どもたちが作り当日体育館り壁面等で披露する「久喜小の未来」をイメージする絵画、バース
 ディ・アートと共に出席者の感動を呼ぶものと思われます。
  休み明けから体育館の大掃除、紅白幕の洗濯等具体的準備が始まります。もう目の前です。
  最後の準備に頑張ります。

     ◎ 久教委「中嶋撫山」のマンガ本発行 10/24(月)

  数日前の読売新聞埼玉版に、久喜市教育委員会が「中嶋撫山」に関する
 マンガ本を発行したとの記事が載っていました。確か小学校4年生の「総合的
 学習」の時間に使用、地域の偉人を知る学習に役立てる他、「郷土資料館」・
 「教委文化財保護課」等で、1部100円だったと記憶していますが販売すると
 いう内容だったと記憶しています。その記事をななめ読みして「ああ今度鷲宮へ
 入ったら求めてこよう」なんて思ったのですが、何と今日「鷲宮総合支所4F会議室」
 で開催された社会教育委員会において入手することが出来ました。何日か前の
 「久喜市アラカルト」のページで報告してあるように、私は明日から1週間ほど
 春日部の病院に入院、手術を受けます。午後はその準備に追われましたので、
 未だゆっくりこの本を読んでいません。例えマンガ本とはいえ失礼というもの、
 今の段階で詳しい批評は控え、とりあえずお知らせだけとします、
  B6版132ぺ―ジのもの、監修が「村山吉廣」氏、マンガの絵が「阿崎桃子」氏
 です。村山氏は我が母校、早稲田大学の名誉教授、「中嶋撫山」の研究では、
 久喜市・鷲宮町に古くから関係のある方、阿崎氏については不案内です。
 なおこの本の「制作検討活用委員会」なるものが組織されており、メンバーに
 「久喜市文化財審議委員」の「石井氏」、祭りの「板垣氏」と並んで我が久喜小前校長「穂村氏」の名前がある
 のもうれしい限りでした。
  本は生い立ちから勉学に明け暮れた青年時代、久喜への転居、そして「幸魂教舎」開学、その後の足跡等で
 構成されています。ご承知のように私は今、「久喜小創立150周年記念事業」に全力で取り組んでいます。
  久喜小の前身「久喜学校」が明治6年に開校され、その最初の授業は「中嶋撫山」先生による「論語」の
 講義でした。久喜小学校開学の碑も、撫山の墓も、我が菩提寺「光明寺」にあるのもこんな関係です。
  久喜小学校150周年の「詰め」をまじかにして、このマンガ本を退院したらじっくり読んで感想で
も書いて
 みたいなと今思っています。


    久喜市放課後子ども教室第3回運営委員会 10/13(木)  「アミーゴ」 

  久喜市放課後子ども教室(ゆうゆうプラザ)の、令和4年度第3回定例会が13日菖蒲文化会館
 「アミーゴ」で開催され出席しました。会議の方は「ゆうゆうプラザ見学会」、「表彰候補者推薦」、
 「情報交換会について」、「活動報告暑の作成について」等、この時期の課題をスムーズに協議、
 終了後「実施委員長会議」を持つため短時間で終了しました。冒頭挨拶をしたK委員長が、前の
 運営委員会会長である「飯島祐紀夫」の本年度のシラコバト賞受賞が決定したと報告しました。
       前運営委員会会長  飯島祐紀夫氏  シラコバト章授章
  「シラコバト章」は埼玉県コミュニテイ協議会の表彰です。県のコミ協は歴代知事が会長を勤めて
 おり,現会長は当然「大野知事」です。コミ協の表彰ですから対象は「住みよい地域社会をつくるため
 実践活動に当たっている人」となります。スポーツ振興、青少年健全育成、その他幅広い分野の
 地域活動のリーダーとなります。実は私も平成2年に受賞しています。当時の会長は故「畑和」氏
 でした。県民の日に表彰しますので、平成2年11月14日付の表彰状が我が家に飾られています。
  さて飯島氏です。私とは古く親しい友人関係にあります。スポーツ少年団活動を40年間ご一緒
 しました。私が本部長で彼が副本部長、私が実行委員長で彼が副実行委員長という関係でした。
  でもいつもスポ少20周年も30周年も、日独同時交流も、全てを企画し実施の先頭に立つのは
 飯島氏でした。氏を深く評価し、尊敬しています。だから平成17年久喜市地域子ども教室(当時)
 運営委員会を組織するにあたり、準備委員長を勤めた私は自信を持って、彼を委員長に推薦しま
 した。彼はスポ少の役職を降り、「放課後子ども教室」の充実発展に全力を上げられました。
  その後の氏の活躍ぶりは皆様よく知る所です。合併をはさんで新旧久喜市全小学校への組織化を
 実現、関わる地域教育力の高さ等、ある意味で全国1ともいえる今の状況を作り上げました。その後
 1昨年の「ゆうゆう15周年」で1つの時代が終わり、昨年統括コーディネーターのK氏が、そして本年
 飯島氏が退任、現在の新体制が築かれたことになります。今回の「シラコバト賞」受賞は彼の実績から
 見て遅すぎる観さえあります。もっと早い段階で例えば「文部大臣・社会教育」表彰等に値すると考え
 ています。いずれにせよ長く彼と活動を共にした仲間に呼びかけ、お祝いの会を持つ予定です。

  さて今年の「ゆうゆう」も開校半年が経過しています。市内の今年の「ゆうゆ」うへの参加状況が
 報告されています。「江面小」の誕生によりマイナス1の22学校中、休校中の上内小(かがやきっ子)
 を除く全21校で実施されています。全児童数6795名中、「ゆうゆう」への参加者2611名、参加率
 38・4%と高い組織率を誇っています。ほぼ2年間コロナ騒ぎで十分な活動が出来なかったことを
 考えるとすごい数字です。なお久喜小=くきっ子は児童数491名、参加児童222名、参加率45・2%
 と高い水準にあります。今年は秋口に入り「入院―病院通い」で不本意な活動ぶりですが、今月で
 全て終わりますのでまた頑張りたいと思います。

        ◎ 久喜小・食育に関する授業参観と講演  10/11(火)

  11日は久喜小の令和4年度・第6回「学校運営協議会」でした。この日はいつものように課題を
 決めての協議ではなく、「食育」に関する4年生の授業参観と、市学校給食センター職員(栄養士)に
 よる講演という形で行われました。  

   まず「食育」を進めるにあたっての久喜小のねらいです。最大のそれは「久喜小としての健康の
 定義を決めたい」という事、続いて朝食接種率を100%にする。今年の久喜市の「食育祭り」に発表が
 出来る内容を充実させたいとのことです。「健康」の定義と言えば、私も散々「スポ少認定員養成講習会」
 で使わせていただいた、「WHO」のそれ(六層の定義)がありますが、久喜小では単純に「心身ともに
 健やかな状態であること」としています。

  さて授業です。4年生は3クラスあります。3組共に共通の内容を電子黒板で流し、2人来られたセンター
 職員はあっちこっち行ったり来たりしていました。最初に「続けられると幸せに感ずるものは何でしょう」と
 質問、多くの子は「毎日元気に勉強したり、遊んだりすること」、要するに「健康」であることと答えていました。
   そのために①朝ごはんをしっかり食べましょう、と授業は進みます。②どんな朝ごはんを食べれば良い
 のでしょう、と続きます。朝ごはんに3つのスイッチを入れましよう、1つ目は「頭」のスイッチ、2つ目は
 「身体」のスイッチ、そして最後の3つ目は「おなか」のスイッチです。「頭」のスイッチはいわゆる「主食」と
 言われる米・パン・ウドンなど「黄色の食品群」です。「身体のスイッチ」は肉・魚・卵どエネルギーを
 生み出すタンパク質を中心とした「赤の食品群」、「主菜」と言われるものです。「おなか」のスイッチは
 野菜等の「緑の食品群」、ビタミン等身体の調整機能を持つ食品群です。この「黄・赤・緑の食品群」、
 「主食・主菜・副菜」を総合的に、バランスよく毎朝食に接種せよというのです。

  授業が終わり次いで図書室に移動、保護者の皆様と共にセンター職員の講演をお聞きしました。
 保護者は数人、いつも思うのですがチヨット少ない感じです。講演は約20分でしたのでほぼ授業の内容と
 同じでした。ただその後事前に保護者から寄せられた質問に答えました。面白かったので紹介します。
  1・(子どもに)食欲がないとき、最低何を食べさせればよいか
   おにぎり・パン・バナナ・コーンフレーク等炭水化物(ぶどう糖)の物、プラス水分として牛乳、麦茶
  2・簡単に作れるお勧めの朝ごはんメニューはありますか
   具だくさんの汁物、それに豆腐・納豆等を組み合わせる。
  3・(子どもに)好き嫌いがあり、時間をかけてまで(無理に)食べさせる必要があるのか
   多種類の食材を使う。それが嫌いなら同じ栄養素のあるものを使う。 
  どうも質問を聞いていて、今の保護者の典型的な姿を見る感じであまり愉快ではありませんでした。
 さすがにセンター職員は、「朝食」をしっかりとることの必要性を話し、無理に食べさせるのでなく、どう
 したら朝お腹がすくかを考え、生活のリズムの見直し等を提案していました。けだし同感です。
  そのあと会場内からの質問に移ったのですが、最後に私が「余り食育に関係ないですが」と質問しました。
 「久喜の学校給食センターが稼働して1年余、現時点での総括を問う」というものです。ご承知のように
 4市町の久喜市には自校化・直営・委託と全ての方式があり、そのすべてに問題点を抱えていました。
 結局市内全ての小中校生に配食するという、大型センター方式となったわけです。当時議員であった私は
 学校給食の在り方としては、自校方式+小規模直営方式の組み合わせが良いとしつつも、久喜の現状
 からしてこの方式推進の先頭に立っていました。だからどうしても尋ねたかったのです。1・最新の器具を
  使用できる、2・統一したメニューを提供できる、3・地産地消を推進できる、と良かった面ばかり上げて
 いました・マァ給食センター職員としてはこの答えしかないのでしょう。

        ◎  久喜小・公開授業を参観しました。  10/3(月) 









  私が「学校運営協議会」委員、「くきっ子ゆうゆう」を始め、多くの関わりを持ち日常的に時間を過ごしている
 久喜小学校で、「久喜市教育委員会」と「東部教育事務所教育支援担当」による、学力向上推進学校訪問
 を受けての「公開授業」が3日(月)行われました。午後からは分科会・全体会がもたれ、先生方の研修は
 続きましたが、私は午前の公開授業のみ参加しました。
  何度もこのページ話してきました。久喜小では学校教育目標を「イノベーション力の育成」と変え、この目標
 達成のため、教員の理解と資質向上が課題となっています。今年度の校内研修「PLAY FUL PROJECT」の
 下、「遊び心」と「学び」を併せ持ちつつ研究することとし、こうした研修で、久喜小の授業の特徴である
 「大単元構想」を実戦、教育目標を体験的に理解していくことを目指しています。
  午前中の第2校時、第3校時、第4校時とも6学級くらいが公開されていました。何処でも好きな所を観
 好きな時間いて下さいというやつです。最初の第2校時、次から次と観て歩きましたが、途中から興味を
 ひいたものとしました。 4年生「書写」の時間、毛筆でひらがなに挑戦していました。私は自他ともに認める
 悪筆です。でも子どもたちが皆大変うまいのに感心しました。久喜は「書道」の盛んなところです。久喜市内
 書道愛好家の共通の師と言える久喜高校の「折原水光」先生は、かな文字の日本を代表する大家でした。
 そんな流れが今も久喜市を覆っています。この子達もそうした道を歩むのかな、なんて考えながら授業を
 観ていました。 
  もう1つは2年生の「生活」の時間、「作って遊ぼう 動くおもちゃ」です。(―写真・左―) 子どもたちは
 プラスチックやペットボトルで動くおもちゃを作り楽しんでいました。しかしこれも「より良いおもちゃにする
 ためパワーアップの視点をもつ」、そのために「身近な人の考えにふれ、自己・他者の認識を深め、広める
 =繋がり=人との、次の活動への」となるのだそうです。子どもたちも大変ですね。、
  第3校時の1つに1年生の「体育」の時間、体育館での「マットを使った運動遊び」というのがありました。
 今スポ少では低学年と幼稚園児を対象に「アクティブチャイルドプログラム」=日本スポーツ協会制定の
 遊びながらの体力向上プログラム、を使った活動を推し進めています。興味がありましたので是非参観
 したいと体育館で待ち構えていました。所が急に休講となり、慌てて音楽室での2年生、「くりかえしを
 見つけよう」を参観しました。途中なので良く解りませんでした。あと1年生の「道徳」―おかしくないかな―を
 参加しました。チヨット時間が足りないという感じでした。
  最後の第4校時です。今度こそと思い体育館で3年生の「体つくり運動」を参観しました。全員がボール1個
 を持ち、先生がたたく「タンバリン」に合わせ体を動かすものです。(―写真・中と右―) これも遊びの要素を
 多く取り入れています。先生は「児童が出来る、出来ないのみに捉われず、「体育が好き」といえる授業を
 求めた」と言っていました。スポ少も勝つことや技術にのみ捉われず、「スポーツが好き」という子どもを育てる
 事を目的としています。
   最後に6年生の社会「武士の世の中へ」を参観しました。タイトルから今NHKでやっている「鎌倉殿の
 13人」の時代だと思いました。所が戦国時代の信長・秀吉の時代でした。鎌倉殿は武士の社会を作ろう
 という目的意識があったと思いますが、鎌倉幕府―室町幕府と続いた信長・秀吉に「武士の社会を創ろう」
 という直接的思いがあったのでしょうか。自分を信長・秀吉として天下統一の手立てを考えるという流れです。
   ある生徒が「信長」が「安土」に城を築いた理由を実に詳しく述べていました。私の最も得意とする分野
 ですが、正に見事、博学ぶりに感心しました。所がこれも6年生=卒業式前という時に、将来どう歩んでいくか
 という「集大成」に向けた動きの1つとのことでした。
  私はたまたま久喜小の近くに住み、卒業し、その後「スポ少活動・ゆうゆう・コミュニティスクール」と
 久喜小に関わり続けてきました。絶えず久喜小と共にあったことを誇りに思っています。その第一は
 先生方の熱心な研修活動、それを通した良き教育への努力にあると、改めて考えさせてくれた公開授業の
 参観でした。

          ◎ 孫の公開授業を参観しました。  9/16(土)

 
 私は男・男・女の順に3人の子どもを持っています。ウチ次男に3人、長女に2人の孫を授かっています。
 次男はチヨット離れた所に住んでいます。孫が小さかった頃は運動会等泊りで行ったものでしたが、昨今
 高齢故に出不精となり、孫に会うのも2~3年に1回くらいになってしまいました。そり代わり長女の方は県南
 S市に住んでおり、我が家にもよく来ますし、孫と接する機会も多いものがあります。運動会とか所属する
 スポーツ少年団の大会等ですが、先日初めて公開授業に参観する機会を得ました。長女がどうしても外せぬ
 用事と重なり不参加、代わりにという事でした。久喜小でこういう事には慣れています。悦んで参加しました。

  孫の学校には運動会で何度も来ています。S市のS小学校です。S市の中心校で1番の伝統校、久喜小と
 全く同様に今秋11月19日に150周年記念式典を予定しています。普通その町の名をつけた1番の伝統校は
 施設など立派なものです。しかしここは逆、校舎も体育館もプールも実に古く貧弱です。伝統校らしく校庭に
 多くの大木があります。それらも一切手入れしてありません。こういう逆を「ウリ」にしているのかな、といつも
 不思議に思います。
  さて孫は長男が6年生、長女が2年生です。2時間目・3時間目を長男、4時間目を長女と参観しました。
 長男の2時間目は「英語」が予定されていましたが、特別教師が病欠、急きょ担任による「討論会」となりました。
 2組に分かれ「子どもが得か、大人が得か」とやる物です。意見そのものは子どもらしい面白いのもありました。
  最近の子どもは「自分の意見・考えを正しく相手に伝える」能力に大分欠ける気がします。知識の獲得も大切
 ですがこうしたことも頑張ってもらいたいと思います。
  2時間目は「道徳」、これは大変面白い内容でした。友人が犯罪を犯した、親友としての貴方の対応は、という
 ものです。1・お金を渡して逃がす、2・自首するよう説得する。応じない場合は警察に連絡する。3・同じくまず
 説得する。応じない場合逃がしてやる、なる内容です。皆が活発に意見を述べていました。結論は1・が1割、
 2・が3割、3・が6割という所でした。親友として何が何でも警察に連絡するは忍び難いという事なのしよう。所で
 私の孫です。この子のジイは無口でおとなしい方です。しかしこの子はよく言えば積極的、普通に言えば出しゃばり
 です。いつも「ハイ・ハイ」と手を上げ続けるタイプです。でもこの日は比較的おとなしく「アァ6年生になったんだな」と
 感じました。
  教室を変えて長女のクラスです。ここも「道徳」の時間でした。皆で公園に遊びに行ったら立ち入り禁止の「池」に
 先輩の4年生たちが入りこみ、遊んでいました。君たちはどうしますか、という内容です。「注意する・でも先輩だから
 こわい・やっぱりやめろと言う」子どもたちは熱心に意見を出していました。長女は長男に比しておとなしいタイプ
 なのですが、積極的に答えていました。「2年生になって成長したな」とうれしく思いました。
   てなことで初の孫の授業参観を終えました。長男は来年中学生ですからもうその機会もないでしよう。長女の
 方はもう1回くらいあるかななんて思いつつ、S小をあとにしました。楽しい時間でした。

     ◎ 久喜小150周年記念事業「式典」について    9/16日(金)  

  下段で報告したように久喜小学校創立150周年記念事業も、記念講演会が成功裏に終わり、残るは最後の
 記念式典のみとなりました。併せてこの日午前中には、5・6年生による鼓笛パレード、記念植樹に関する記念碑
 の除幕式、タイムカプセルの埋設とあり、全ての事業を終了することになります。(以上3事業はいずれも野外の
 ため、雨天の場合は21日(月)に日延べされます。)  いよいよ3年間をかけ準備してきた「記念事業」も最終局面
 を迎えるに至ったのです。9月の実行委員会で最終確認を行います。そのための「式典部会」の会議を先日もち
 最終案を決定しました。
  ◎ 11月19日(土)  子どもたちは土曜授業・全員が登校します。
      8:20  パレード出発式  
      8:30~9:10  久喜小地区市内パレード5・6年生
     10:15      除幕式開始
     11:15      タイムカプセル埋設を含め全て終了  以上3事業は雨天の場合21日(月)に延期

     12:45  式典受付開始  体育館前(卒業生・地区の方々)  久喜小玄関(来賓・久喜小関係者) 
            本一祭典保存会若者囃子連による久喜提灯祭り囃子で来場者お迎え
     13:30  開会の言葉(岸)    挨拶  実行委員長―前校長―校長―PTA会長
                       祝辞   市長―議長―教育長―県議―県議―歴代校長代表(西崎)
                       祝電披露  来賓紹介  上記挨拶者+市議会議員+歴代校長+遷善館関係者(9名)
           休憩約10分
     アトラクション  児童代表挨拶  ビデオメッセージ1年から6年  教職員・PTA
         校歌斉唱 
     15:00  閉会の言葉 可なりのずれ込みが予想されます

  準備について  ①  ひと月前まで    1・案内状・招待状の発送  学校関係者は学校で  周知の他の方法
                           2・報道機関への取材要請 市役所情報政策課広報広聴係
          ②  1週間位前~前日まで  1・アトラクションビデオの作成  2・看板制作2 プール門 舞台正面
                        3・遷善館学園額の借用・掲載は壇上  4・絵画コンクール体育館広報壁面 6万円
                        5・PTA公募の久喜小の古い写真     6・演壇花 15、000円 大熊ランドより
                        7・本一祭典保存会若手囃子連との協議  演奏は舞台 13:00~13:20 2万円
                         8・会場設営 挨拶その他はアロアー 壇上 旗3・校旗・横断幕・遷善館額
                        9・フロアー正面に置くもの 演壇(花) マイク オンライン用カメラ
                       10・フロアー 前方5・6年児童150 後方・一般200 2F保護者用40
                       11・右側来賓+久喜小関係者  左側・役員  壁面に紅白旗   
                       12・スリッパ(コミ協より借用) 消毒液 来賓用記章は使用しない
                       13・受付で渡す「しおり」の作成  A3版2つ折り  1000部作成 
          ③  当日  集合 ※ 10:00を目途に自由    ※ 服装 ネクタイ着用 女性はこれに準ずる
                  ※ 駐車場の確保  教職員・校庭(雨天時久喜中)  来賓・お囃子プール際  一般・校舎前                
                  ※ 12:30までに昼食を済ますこと   ※ 12:45 受付開始
                  ※ 受付  一般・体育館前   来賓・本館玄関(名簿)
                  ※ 来賓控室・校長室  久喜小関係者控室。図書室       ※ 後かたずけ

  煮詰めなおす必要もあるかと思いますが、サ゛ットこんな予定です。とにかく有終の美を飾りたいと思います。全力で準備に
 当たります。卒業生諸兄姉・地域の皆様・保護者の皆様の参加をお待ちしています。よろしくお願いします。 
            
       
   ◎ 久喜小学校創立150周年記念・「論語について」講演会  9/7(水) 久喜小体育館 

















  下段でお知らせしたように、「久喜小学校創立150周年記念事業」も、2学期に入り大団円の時を迎えて
 います。拓尾を飾る11/19日の「記念式典」に先がけ、全児童を対象とする記念講演会を9日(水)
 久喜小体育館にて行いました。最終的に児童はコロナ感染状況等を鑑み、3年生以上としました。1・2年生は
 教室でのリモート、参加保護者、実行委等は密をさけるため2Fにイスを置いての参加でした。
  校長室に待機しておられた講師の「安岡定子」先生が万雷の拍手の中入場、直ちに開会しました。山中実行
 委員長(―上・右―)、青山校長、星野PTA会長に次いで、私が講師紹介を行いました。改めて「安岡定子」先生
 を紹介します。先生は現代日本における「論語」研究の第一人者、特に「子ども論語塾」を主催、小中生等に
 論語を解りやすく話され、また経営セミナー等でも論語と経営について多くの講演をされておられます。また
 「平成」の名付け親であり、戦中から戦後にかけ日本の政界・財界に大きな影響力を与えた、「安岡正篤」氏の
 お孫さんに当たることから、同氏を顕彰する「安岡正篤記念館」(武蔵嵐山町)の理事長を勤める等、幅広い
 活動をされておられます。

  講演が始まりました。先生は、「目に見えない、数字に表せないもの」、「例えば人の気持ち・思いといったもの」
 を「自分で考える事」が大切、「論語とはそうしたもの」、「だからみんなに当てはまる」から始められました。
 そして3つの「論語」のフレイズにそい話しを進められました。      仁遠からんや
    学んで時に之を習う  亦悦ばしからずや              我仁を欲すれば 斬に仁至る。
    朋あり 遠方より来る 亦楽しからずや               
    人知らずして憤らず  亦君子ならずや。        故きを温度ねて新しきを知れば
                                     以て師と為るべし。 
                    
   3つともかなり有名なもの、私もよく知っています。最初の「学んで」は「学習」の語源になっています。学ぶ習慣をつける事、
 朋(友)を持つこと、努力を続ける事が大切だよ、という事です。
  2つ目の「仁遠からんや」です。「仁」とは思いやりです。「仁」はどこにあるのでしょうか。すぐ近くにありますよ、ということで
 あり、「磨かないと落ちて行くのですよ」と教えています。
  3つ目の「故きを知れば」です。これは有名「温故知新」の熟語の原点です。昔の教えや過去のことについて学習し、そこ
 から新しい考え方や取り組み方を見つけられれば、先生と成れる、という意味です。同時に安岡先生は「自分の事をふり
 かえれ」と言っていました。「答えは一つでない、間違っていてもよい」と言っていました。久喜小の新しい学校教育目標
 「イノベーション力の育成」を考える過程で、さんざん私たちが論議した内容です。聞いていてうれしくなりました。
 (―上・中と右―) 講演される安岡先生、先生はこうした話の合間・合間に子どもたちに多くの質問をされていました。
 それが子どもたちの注意をひきつけ、集中力の持続に大変効果的でした。見事な進行だったと思います。
 

  ぴったり1時間で講演を終えられました。その後児童代表の「感謝の言葉」、花束贈呈と続き、(―下・左と中―) 先生は
 大きな拍手の中退場していかれました。(―下・右―)
  全てを終えて大いなる満足感がありました。全児童を対象に何をやるか、は大きな問題でした。久喜小の先輩の多い久喜中
 または久喜高の吹奏楽部を招いての参加型音楽会とか、何か体を動かす、例えばウオークラリー的なもの、という考えもあり
 ました、しかし前H校長と共に私はこの企画に固執しました。いわばこの事業の責任者である私の想いが先行しただけに
 不安な面もありました。しかし満足のいく良い講演会でした。久喜小の子どもたちに拍手を送ります。
  残るはいよいよ「記念式典」です。全力を傾け準備に当たります。

  ◎ 久喜小150周年記念事業大団円へ  明日記念講演会開催  9/6(火)

  久喜小学校の「創立150周年記念事業」については、このページでその都度何度も報告してきました。
 久喜小学校の前身「久喜学校」が、私の菩提寺でもある本町一丁目の「瑠璃山光明寺」本堂を仮校舎に
 明治6年1月に産声を上げて以来、本年をもって150周年に当たり、それを記念して地域と共に歩んで来た
 久喜小学校のこれからをしっかりと保証していこうとの考えの下に、150周年記念事業を実施するものです。
  この実行委員会が発足して3年になります。「記念誌」や「記念事業」や「協賛金募集」等、それぞれの
 組織(実行委部会)を中心に準備に当たってきました。中心は今年晩秋の「記念式典」、この日に合わせ
 「記念誌」を発行、さらに「記念植樹」に関わる「記念碑の除幕式」他を行います。そしてその前段階として
 明日、久喜小学校の開校記念日に当たる9月7日、全校児童を対象に「記念講演会」を持つのです。
 正に3年かけて準備してきた記念事業の大団円の時を迎えているのです。
  ところで先記のように
 明治6年の1月に「久喜
 学校」が開校したのに、
 何故9月7日が開校記念日
 なの、と疑問をお持ちかと
 思います。そうなのです。
 この9月7日は久喜小学校
 そのものとは直接関わりがなく、明治25年に国の「小学校令」に

 よって、「久喜町立久喜尋常小学校」と改名した日なのです。それからずつ―と経って昭和30年に、この日を
 開校記念日としたというのですからよくわかりません。私などは本来の誕生日に開校記念日を戻すべきと考えて
 います。いずれにせよ9月7日に全校児童が、この記念事業の中で唯一一堂に会する講演会を持つのです。
 (最終的にコロナとの関係から、3年生以上が体育館、1・2年生はリモートで教室となりました。)

  講演会の内容は「論語」に関し、「子ども論語塾」を主催する「安岡定子」氏にお話しいただくものです。何に
 するかで大分迷いました。全校生徒が参加する事から、何か体を動かすものをとか、参加型音楽会といった
 ものを考えました。しかし150年前の久喜小の最初の授業が、中嶋撫山による論語であったこと、故に久喜小の
 教育の原点は「論語」であることから、これを150周年事業の基本コンセプトにとの考えを持ったのです。
  記念植樹として中国孔子廟の「楷の木」の遺伝を受け継ぐ木を植えました。そして講演もかくなった次第です。
 講師の安岡先生は我が国の論語研究の第一人者、また「正篤」氏のお孫さんに当たることから、同記念館理事長を
 勤められる等幅広く活動をしておられます。先日訪れた「安岡正篤記念館」で思いもかけず先生にお会いでき
 大変感激しました。きっと素晴らしいお話をお聞き出来、子どもたちにもこれからの自分、これからの久喜小、これからの
 地域社会について考える良いきっかけになると思います。大変なたのしみです。
   本日久喜小体育館で準備をしました。(―上・左右―) 手作りの素敵な看板も張りました。もうワクワクです。
  
    ◎ 埼玉県・コミュニティスクール研修会・リモート  8/5(金) 









  県教育局主催による「令和4年度・コミュニティスクール研修会」が、リモート(Zoom)方式により開催されました。
 所で久喜市では「太東中地区」が平成28年、モデル校としてコミュニティスクールに移行、翌29年に久喜小を
 含む市内全小中校に導入されました。全校導入は県内初めての事です。私はその年議員職にありましたので
 辞任した翌平成30年に「学校運営協議会委員」の委嘱を頂き、現在5年目に当たります。29・30年頃は
 久喜市でも独自の研修会を持っていました。ここ数年はコロナの影響か、それともやる気を失くしたのか?
 市の研修会は行われていません。代わりに県がコロナ下、いつも「リモート方式」で研修会を持ってくれています。
 2年続けて私だけの参加でしたが、今年はメールで再度の呼びかけをしていただき、他に2名の参加者があり
 ました。うれしい限りです。
  さて今回は事例発表が和光市教育委員会の「コミュニティスクールと地域学校協働活動の一体的推進」
 その後の講演が私も一度お伺いし研修したことのある、福岡県春日市の「C・Sマイスター」のお二人でした。
  まず和光市の事例発表、「地域に理解がない、人材が不足、教職員の関心が少ない。」とちょっと寂しい
 現状を紹介していました。なお学校運営協議会委員は12名以内、1期3年で2期までと言っていました。
 この6年までというのは一考に値します。久喜市は委嘱された委員の長すぎる活動年数が、他で問題と
 なっています。学校運営協議会委員の長すぎる年数は、活動の停滞につながると考えます。
  各学校運営協議会の代表者は「コミュニティスクール・ディレクター」として、「推進協議会」を構成します。
 横のつながりに役立っているそうです。さらに各中学校区ごとに、このメンバーに行政関係者が加わり、
 公民館に「地域学校協働本部」か置かれているそうです。という事は学校運営協議会代表者によって、「地域
 学校協働本部」が形成されてるという事なのでしようか。まさか人が同じなので「一体化」といっているのでは
 ないでしょうが、とにかくタイトルの「C・Sと地域学校協働本部の一体的な推進」については、具体的活動
 内容は一切語られませんでした。一つだけ参考になったこと、それは「拡大学校運営協議会」、学運協委員に
 教員・保護者・地域の人たちが加わって、定期的に会議をもち、人材の発掘・確保その他様々な活動に
 当たっているとのことでした。久喜小でも検討の必要を感じます。
  次に春日市C・Sマイスターの講演です。春日市は平成17年コミュニティスクールに移行、活発な活動を展開
 しており、全国から研修者が絶えません。私も平成27年にお伺いしており、また平成23年に発行された
 「春日市発・コミュニティ・スクールの魅力」・ぎょうせい出版は私の愛読書でもあります。ただ一般論としての
 「コミュニティスクール」は語りつくされており、新鮮味は感じられません。三鷹・貝ノ瀬先生の話しを夢中になって
 聞いた昔が懐かしいという事です。ただ導入の部分で「変化が著しい社会」、「子どもに自ら考えていく力を育てる
 事が必要」と、正に久喜小の「イノベーション力の育成」を言い、そのためにも「社会に対して開かれた教育課程」の
 大切さ、実現するために「C・Sは大変有効な一つの手段」とされた部分は面白かったです。アトは地域と学校が、
 C・Sと地域学校協働活動が、1・目標を共有する、2・相互に連携・補完する、3・役割と責任を分担する、4・共育の
 基盤を形成する、と言っていました。
  最近こうした話しを聞いて「それはそうですが、だからどうなの」という妙に冷めた気分になることがあります。
 つかれているのでしょうか。私も学運協委員になって5年、この1年でやめるべきなのでしょうか。 
  
写真―左―はスクリーンに映される研修内容、―中―は2人の講師です。―右―は研修会終了後会議室に
  置かれていた150周年で新調した校旗です。


 
    ◎ 嵐山町・安岡正篤記念館を見学しました。 7/27(水)

















  いよいよ本番も迫った「久喜小150周年記念事業」については、このページ他でくどいほど書いてきました。夏休みが 
 開けてすぐ9/7の久喜小の開校記念日には、全校児童を対象とする「記念講演会」、そして締め括りとなる「記念式典」が
 11/19です。両事業ともに私が責任者を勤めますが、とりわけ記念講演会は「安岡定子」先生による「論語」に関する
 講演です。小学生児童に論語は、と首をかしげる人もいましたが、「久喜学校」最初の授業が「中嶋撫山」による論語だった
 こと、だから岡山閑谷学校から中国孔子廟に植えられた「楷の木」の遺伝を引き継ぐ木を頂き、記念植樹したこと等々から
 この企画を決定しました。「子ども論語塾」を主宰される安岡先生、きっと素晴らしい講演会となる事でしょう。さて安岡先生は
 現在日本を代表する論語の研究家ですし、多くの場で講演をされておられますが、もう一つの肩書が「公益財団法人・郷学
 研修所・安岡正篤記念館」理事長であることです。「安岡定子」先生は、「安岡正篤」氏のお孫さんに当たられます。安岡正篤氏
 についてアレコレいう事はないでしょう。近代日本における東洋思想の第一人者であり、生涯を有為の人材育成に捧げ
 昭和の政界・財界指導者の精神的拠り所となった人です。この「安岡正篤」氏の不滅の生涯を後世に伝えるべく、平成
 3年に建設されたのが、この「記念館」です。一度立ち寄って安岡氏に思いをはせたいと思っていましたが、機会を得ま
 せんでした。本日嵐山町を訪ねることが出来たのは大変な喜びでした。
  嵐山町と言うと、私も研修で何回か利用したことのある「国立女性教育会館」(―上・左―) ですが、安岡記念会館はその
 並びにあります。うっそうたる森林を背景に2棟の建物がしっそりと建っていました。 (―上・左2―)  (―上・右2―) 
 正門の案内板です。ここの「郷学」とは「安岡」氏の考え方、地方風土に培われた学問を振興しようというものであり、藩校に
 準じる教育機関としての「郷学校」を指すのではありません。この草深い土地に立つ建物がこの考え方の象徴と言えます。
  記念館は氏の生い立ちから、戦前・戦中・戦後と足跡を追っています。それぞれの時代に氏が関わった「金鶏学院・日本
 農士学校・全国師友協会」等での活躍が紹介されています。 (―上・右、下左は書斎―) (―下・左2―)は氏の愛読した本を
 納めた「恩賜文庫」です。文字通り、昭和9年全国17の社会団体への昭和天皇からの寄付で設立されました。写真は氏が
 愛読した「和綴じ本」です。
  こうした氏の思想家・教育者としての活動と共に、氏を有名としているのは政界・財界への強い影響力、悪く言えば戦後史の
 フィクサー・黒幕としてのそれです。「終戦勅書」の最後の文言、「日本人としての誇りを高く持ち、再建に当たろう」、は氏の
 単に「負けました・申し訳ありませんでした」を潔しとしない推敲によるものとされています。今の総理総裁は岸田氏です。
  属する派閥は「宏池会」、これは初代会長「池田隼人」氏の求めに応じ、安岡氏が名づけました。今の「令和」の前、「平成」と
 いう元号の名付け親も安岡氏です。なにせ吉田内閣から中曽根内閣まで歴代政権に多くの影響を与え、こうした内閣の多くが
 「施政方針・所信表明」演説の推敲を安岡氏に求めたといわれています。
  政界のみならず財界にも強い影響力を持っていました。旧財閥系はもとより、経営の神様と言われた「松下幸之助」氏も
 安岡氏を師と仰いだといわれています。今回安岡記念館を訪ね一番感銘深かったこと、「一燈照隅 万燈照国」という言葉
 1つの灯りは隅しか照らせないが、万となれば国全体を照らすことが出来る、1人1人の努力が基・大切という事でしょう。
 いまさらと言われるでしょうが、とにかく私も一隅を照らし続ける活動に当たりたいと考えます。一般論として安岡氏の評価は
 別れるところですが、私は備中高梁の「山田方谷」、越後長岡の「河井継之助」、そして「安岡先生」と陽明学者は皆、人間的に
 大好きです。それよりも何も全く思いもしなかったのですが、安岡定子先生が在館しておられました。猛烈に緊張して9/7の
 事をお話ししました。あんまりうれしかったので、何と入館料未払いでした。お許しください。9/7にお支払いします。

  少し時間があったので近くの菅谷館跡を歩きました。今歴史大河ドラマで鎌倉時代をやっています、少し前の義経が一之谷
 屋島・壇の浦と平家を追い詰めていた頃、猛烈に強かったのが「熊谷氏・平山氏・畠山氏」といった関東・武蔵野の武士でした。
 特に畠山重忠の豪遊ぶりは有名でしたが、その畠山氏のお城があったところです。何か石垣とか土塁とか建物が残っているか
 と思いましたが、草深い空場だけで何もありませんでした。(―下・右2―)  ただ鎌倉へとまっすぐ伸びる鎌倉街道の名残と
 (―下・右―) 私の子どもの頃の「甘とう院」のそれ位の深さを持つ「空堀」だけを見ることが出来ました。

 
  ◎ 提灯祭りについてお話ししました。(太田小・久喜中) 6/24(金)・7/14(木)

  「アラカルトのページ」でも報告していますが、今年は3年ぶりに「天王さま・提灯祭り」が山車の運行を伴い執行
 されます。何と言っても久喜市最大のお祭り、それにかっての各保存会のお祭りから久喜市全体のお祭りへ、
 久喜の町おこし、活性化をねらいとするシティプロモーションのそれへと変化している昨今、祭りを知り、理解する
 ことは大切なことと思います。そんなことでここ数年、この時期に「総合的学習の時間」を使って「提灯祭り」について
 講義するというか、お話をすることが増えています。今年も6/24太田小、7/14久喜中で行いました。

  事前に質問項目を頂いており、それに沿ってレヂメを用意しての話しです。「提灯祭りの歴史」、「運営方法」、
 「久喜の山車の特徴」、「大切にしていること」、「これからのお祭りに望むこと」等々です。久喜中ではそれに「久喜中
 生徒に望むこと」というのが加わりました。
  ※ 1783年浅間山の大爆発による「作物全滅」・「疫病流行」から、豊作を祈願し、疫病退治を願って、現本一宮本家の
 「大八車」を利用した祭礼用山車を引いたのが始まり、240年の歴史を持ちます。
  ※ 各保存会毎の組織、連合体としての祭典委員会についてお話ししました。各保存会は毎年2~300万前後の寄付を
 集め、それにより運営されていること、祭典委員会には行政からの補助金があること、山車・人形・提灯等全て保存会
 所有であること等々です。
  ※ 全国各地にある山車のお祭り、その中でも有数の大きさ、昼は人形山車・夜は提灯山車から2台あると思われている
   山車上部が回転する、これは全国でも久喜だけでは。提灯は13段~11段・約500個、お囃子=バカ囃子、決して
   優雅とは言えない、大太鼓1・小太鼓2・笛1・鐘で構成。平成2、平成10、令和元年に天皇陛下の即位を祝う
   国民祭典に埼玉県から唯一参加しています。
  ※ コミュニティの形成・絆作り  伝統文化の継承   祭りを通して久喜を元気にする
  
  各保存会のお祭りから久喜市全体のお祭りへ。 シティプロモーションの視点=久喜市を元気にするお祭りへ
  100%民間組織の祭典委員会から行政・商工会・町内会連絡会等を加えた実行委員会形式へ 日にちから曜日開催へ

    これは久喜中だけの質問です。「子日わく 吾十有五にして学に志す」 孔子・論語から君たちは人生の方向を決める
  最も重要な時期にいること、そのために学んでいただきたい、学び続けていただきたい、社会の変化に対応する学習力を
  獲得していただきたい、生意気なようですが先輩という事でお許しを頂きこんなことを話しました。

  てなことで両校ともに質問時間を10分取って、びたり時間内に終わらせました。私はこういう事には慣れています。1つだけ
  困ったことは太田小でのこと、各保存会の説明で、どうしても久喜駅西口の町名が出てしまい、太田小諸君には理解できた
  かなと思いました。いずれにせよ、こういう形で子どもたちが久喜について、歴史とか、文化行事について理解を深める
  ことは大変良いことだと思います。これからも100%協力してまいります。

    ◎ 社会教育委員依嘱式・R4年度第1回会議  6/30(木) 鷲宮総合支所 

  令和4年度の「第1回久喜市社会教育委員会議」が、30日、鷲宮総合支所5F「まなびすと久喜」で行われました。
 久喜市社会教育委員の任期は2年、令和4年度・5年度のため、会議に先立ち20名の委員の依嘱式が行われました。
  私も本年6/1より、令和6年5/31日までの委嘱状を頂きました。ところで私は社会教育団体代表、要するに
 「久喜市スポーツ少年団」から社会教育委員に就いています。(当然ながら議員在職中はダメ、辞任してからです。)
  そして私はスポ少本部長の役を本年をもって辞任することとなっています。すなわち令和5年G・Wの総会をもって
 新市で12年、旧久喜市を加えると30年以上勤めた、スポ少本部長でないことになります。この辺をお訪ねしたら
 私は社会教育委員の任期いっぱい努める、次の任期令和6年6/1からは、新たにスポ少本部を代表する人が
 役に就くとのことでした。何のことはない、任期2年丸々勤めることになります。
  新委員の自己紹介がありました。委員は20名、ウチ久喜地区13名と異常に高く、鷲宮4、栗橋・菖蒲・校長会各1
 となっています。新人は6名だと思います。「市民大学でまなびました」とか、「ゆうゆうに関わっています」というのが
 多かったです。その後委員長にK氏、副委員長にО氏を選出、委員長の議長で議事を進めました。
 その後事務局よりパワーポイントを使っての「社会教育委員とは、求めること」なる講話がありました。
  社会教育とは「学校教育を除く」すべての組織的活動を指す
  社会教育法第15条―久喜市社会教育委員条例を設置基準とする
  任務は社会教育に関する諸計画の立案、教育委員会への助言、調査研究の3つ 
   まあ100年変わらぬこんな説明を受けました。ただ今、「学校教育」と「社会教育」の境・壁を取り除こうとする
 動き・考えが猛烈な勢いで行われています。学校の教育課程そのものに社会教育(と呼べるもの)がどんどん入って
 います。「地域とともにある学校、学校を核した地域づくり」、こんなことが日常的に言われる昨今なのです。
 そのうちこうした講話も中身がちがうものになるのでしょうか。
  その後社会教育委員の自主組織「社会教育委員協議会」について話し合い、最後に「人権啓発実行委員会」、
 「市民芸術祭選考委員会」、「図書館運営協議会」、「生涯学習推進会議」等12に及ぶ、久喜市の各種委員会へ
 の社会教育委員の選任を決め閉会しました。私は引き続き「市民大学・高齢者大学運営委員」に選任頂きました。
   こちらの方ももう少しがんばることとします。
     ◎ 「チーム久喜小」発会式・意見交換会  6/28(火)  

  28日午後「久喜小図書室」において、「チーム久喜小
 発会式」、終えて出席者による意見交換会が行われ
 ました。発会式は青山校長先生、PTA会長にして
 「地域学校協働推進員」の星野氏、「学運協」から
 田沼氏が挨拶、次いで星野氏と飯岡主幹教諭による
 スライドを使っての「チーム久喜小」についての説明、
 (―左―)、その後数グループに分かれての「意見交換
 会」(―右―)、その発表と進んで閉会しました。
  久喜小には小規模ながら「学校応援団」が組織されていました。しかしコロナにより活動の進展をみぬまま解散状況と
 なっていました。「コミユニテイスクール」への移行、その活動と考えの一定の進展の中で、「C・S」が地域とともにある学校
 を目指すなら、「学校を格とした地域、その活動組織」を作るべき、との考えが「学運協」でも出され、久喜市教育委員会より
 委嘱を受けた上記「地域学校協働推進員」の星野氏を中心に、組織化が進められてきました。結果久喜小児童保護者
 地域のボランティア43名+学運協委員8名の参加(申込者)をえて発会式に至ったのです。
  「子どもは地域の宝」、その「子供をつながりの中で育てる」とし、「学校で人の輪を繋げ、広げよう」と呼びかけています。
 「チーム久喜小」について「ドキドキ ワクワクするチーム」、「人生を豊かにするチーム」と位置づけ、「できる事をできる時に」
 「やると自分が楽しい! 幸せ!」を感じる活動を、と結んでいました。きわめて当たり前の事であり、何の異論もありません。
 活動の進展と組織の充実を望むものです、とだけしたいところですがチヨット待ってください、確認すべきものが何点かあり
 ますよ、と思うのです。
  平成20年頃から28年頃まで、学校を支援する地域の組織・考えに、「学校支援地域本部」がありました。この学校を
 支援する具体的組織名を、埼玉県では特に「学校応援団」と呼びました。埼玉県教育局の各市町村教育委員会へのアン
 ケート、「貴方の町の各学校には「学校支援地域本部」が設置されていますか」なるものに、市教委は「23小・11中(いずれも
 当時)全てに設置済み」と答えています。しかし「学校支援地域本部」なるものは設置されていません。一応出来ていた
 「学校応援団」をもってそう答えたのでしょう。しかしこの「学校支援地域本部」なる考え・組織は今、否定されています。「地域」
 と「学校」という各々の実体があって、一方の「地域」が「学校」を支援するのです。そのベクトルは一方向なのです。これに対し
 平成27年中教審で提起された「地域学校協働本部」という考えは、双方向です。「学校」と「地域」双方が補完しあい、高めあう
 のです。これからの活動は、従って「チーム久喜小」の活動はこの「地域学校協働本部」の考えに立つべきです。前記したように
 埼玉県は殆どの学校に「学校応援団」が組織されています。これを否定することは無用な混乱を起こすことがあり得ます。
   従って「学校支援地域本部」なる物は否定しつつ、「学校応援団」は認める、活動を継続しつつ「地域学校協働本部」の活動
 考えを目指していければ、というのが県教育局の基本的見解となっています。
   ですので「チーム久喜小」の活動を、「学校応援団の再建」としてでなく、「地域学校協働本部」としてとらえていただきたい、
 共に補完しあい、共に高めあう、ドキドキ ワクワクする活動、参加する人達の「人生を豊かにする活動」であってほしい、と
 思うのです。
  色んなことを言い過ぎました。「地域学校協働活動」が久喜市でいわれだし、「推進員」の委嘱があって、久喜小の「チーム久喜」
 の動きが初めての物と思われます。星野さん・飯岡主幹らのご努力に敬意を表します。もちろん私は「チーム久喜」の活動に
 積極的に参加してまいります。チヨット口うるさいのはご勘弁ください。

    ◎ 久喜小150周年記念本番へ 講演会―式典  6/24(金)  

   3年をかけ準備してきた「久喜小150周年記念事業」については、その都度このページで報告してきました。
  本番の年に入り準備は急ピッチで進んでいます。記念誌の1頁を飾る在校生の集合写真も先日撮影しました。
   楷の木植樹についての「記念碑」も間もなく建立されます。この「記念碑」も150周年記念誌に掲載するため
  これの写真撮影をもって「記念誌」のすべての準備を完了、印刷―発行を待つだけとなります。
   何よりもこの事業を実施するための協賛金の件です。200数十名の皆様の協力を頂き、目標額を十分に
  達成することが出来ました。卒業生の皆様、地域の皆様に心よりの御礼を申し上げます。お陰様にてかなりの
  ゆとりをもって事業執行に当たることが出来ます。
   さて6/24(金)は本年度に入り、第4回目の実行委員会を開催、最後の本番事業の詰めを行いました。 
  ● 9/7(水) 久喜小開校記念日 児童を対象とした講演会
  ● 11/19(土)  1  パレード(56年児童による鼓笛パレード) 8:30出発  約50分予定
              2  記念碑除幕式  10:15~   児童代表司会   テープカットは6人(多目的棟前庭)
              3  上記終了後タイムカプセル納入 
              4  記念式典  12:45 受付開始   13:30 式典開始   会場 体育館
                実行委員長 校長など4人挨拶  市長 歴代校長代表等6人祝辞  
                児童・教職員等の出し物     校歌斉唱      閉会 14:45予定
 
   上記のうち9/7の「記念講演」と「記念式典」を私が担当します。いよいよと気を引き締めています。
  「記念講演」は安岡定子先生による、「論語」に関するお話です。先生は「子ども論語塾」を主宰、子どもに対する
  講演は慣れておられます。問題は体育館に入る子どもたちです。コロナ騒ぎ以降、全児童が体育館に入った例は
  ありません。2学期開始日に最終決定します。場合によっては3年生以上入館、1・2年生は教室で「リモート」でと
  いう事も十分考えられます。なお入館する実行委等関係者は30名程度にとどめ、それ以上の方が希望された場合
  どこかの教室でリモートでとなります。実行委・協力員、そして協賛者の皆様にはご案内を差し上げますが、この
  旨ご理解いただきますようお願い申し上げます。
   11/19の4つの事業です。まず鼓笛パレードです。久喜小地域を駅まで行って戻る、というコースとなりますが
  今年の子どもたちは、動き(歩き)ながらの演奏を経験していません。「市民まつり=10/16(日)」も今年パレード中止 
  だからぶっつけ本番となります。頑張って下さい。
   子どもたちの手紙を入れる「タイムカプセル」、色々意見がありましたが、掘り出すのは10年後となっています。
  私は多分・おそらく・確実に?あの世から見物することになりそうです。
   いよいよ最後の式典です。出席者の入場時に、提灯祭りの囃子でお迎えします。出来るだけ若い久喜小卒業生に
  たたいてもらう予定です。出席者ですが6・5年生児童・教職員等で200、実行委等関係者で50ですので、卒業生
  地域の方等で200、一応500名を予定しています。なおご協賛を頂いた全員の方に返信付きご案内をお出しします。
  予定に組み入れていただきますようお願い申し上げます。
   いよいよ最後の時を迎えます。ぬかりなきよう最後の準備に当たってまいります。よろしくお願い致します。

     ◎ 久喜小 くきっ子ゆうゆう・令和4年度開校式  6/16(木)  








  久喜小の放課後子ども教室(くきっ子ゆうゆうプラザ)の、本年度開校式が16日行われました。開校式にさきがけ
 図書室にて、実施委員会。終了後各教室の責任者による「代表者会議」を持ちました。(―左―) 本来開校式は
 参加児童及びサポーター全員で行います。しかしコロナ以降そうした形式ではなく、オンラインで持っています。
  今年の「くきっ子ゆうゆう」は、木曜日7教室、土曜日8教室、計15教室で運営されます。殆どの「代表者」が
 参加、久喜小校長、運営委員長の挨拶を頂き、その後本年度運営の注意事項などを確認しました。コロナ感染
 状況により、マスクの着用が緩くなっているのが特徴、特に外のドッヂボール、グラウンドゴルフ、陸上などは
 熱中症を注意されたいとのことでした。
  ここで今年の「くきっ子ゆうゆう」の状況をお知らせしておきます。木曜日は14日、土曜日が9日の23日活動
 します。前記の通り木曜日は7教室、土曜日(親子教室)が8教室、参加者は5/16現在222名、木曜日196名
 土曜日述べ362名、久喜小の全児童数は491名ですから、約44%の参加を頂きました。まずまずと考えて
 います。土曜日は親子教室」、原則保護者が共に参加し、送り迎えをすることになります。木曜日は「ゆうゆう」
 独自の下校班を構成し、下校します。今日の開校式は、その訓練も兼ねています。開校式はその下校班ごとに、
 校内のいくつかの部屋に散ってオンラインで行われました。      
  私は理科室、「青と橙」の下校班に出ました。子どもたちはこういうのに慣れています。校長先生の挨拶(―左・2―)
 
に始まり、各教室指導者の呼びかけ、注意をキチンと聞いていました。(―右・2―)  そのあとは今年のメンバーで
 初めて下校班を作り、本番さながらに体育館前に集合、下校サポーターのお母さん方と一緒に下校していきました。
 (―右―)
  私は一応木曜日はドッヂボール、土曜日は「ロボットで遊ぼう」を担当します。一番人気のドッヂボールへの
 参加者は何と100人を超えています。安全で楽しく、かつ有意義な1年を送っていきたいと考えます。

     ◎ 久喜小 150周年記念誌用集合写真撮影  6/9(木) 

















  我が母校であり、我が家以外最も多くの時間を過ごして来た(いる)久喜小学校が、明治6年開校以来本年が150周年に
 当たること、それを記念して本年1年記念事業を行う事、「実行委員会」を組織し準備に当たっていること、等はこのページで
 多く報告してきました。記念事業には付き物が「式典」と「記念誌」です。「式典」は責任者を私が担当しており、11月19日に
 行います。記念誌です。「記念誌部会」のもと、一番組織的な活動を行ってきましたが、すでに原稿は完備、最後の写真撮影
 以外すべての準備が完了しています。その記念誌の1ペ-ジ目となる、児童全員の集合写真撮影が9日行われました。

  当初は朝9:00からでしたが、前日せっかくマーカーなど設置し準備しましたが、昨夜は雨、ご覧の通り水も浮いているため
 11:00過ぎに変更となりました。 (―上・左―) グラウンドも乾いていよいよゴーです。撮影は本校О・BでもあるH写真館
 本館の屋上ではなく、4Fテラスからの撮影です。(―上・中―) 上級生から順に体育館前・横に集合、指示に従い撮影会場に
 進みます。(―上・右―) 記念誌の集合写真の場合、「150」とか、すでに報告してある「キャンドルナイト」のように「校章」を
 描くというケースが多いのですが、今回は単純に集合写真、全児童約500名を2大隊にわけ撮影するものです。それでも
 500名からの写真となると、「やれ右に折れてる、そこが込み入っている」と中々大変、何となくカッコウがつくのに結構な
 時間がかかりました。(―下・左―)  (―下・中と右―)が最終的なものです。もちろん本物の写真にはバックネットは入って 
 いないでしょう。撮影されたH様ご苦労さまでした。

  この後記念誌用写真としては、最後の「孔子・閑谷学校・楷の木」の植樹に関する石碑の完成を待っての撮影のみが残され
 ています。いよいよ本番突入直前という所です。「記念式典」は11月第3土曜日の19日です。この日、午前中に児童の「鼓笛
 パレード」、「タイムカプセル納入」、お昼過ぎに「かいのき植樹記念碑除幕式」とあり、午後体育館にて「式典」を行います。
  殆どの行事がこの1日に集中しているという忙しい日となります。この式典と9/7日(水)久喜小開校記念日に実施する
 全児童対象の「講演会」が私の担当です。この講演会は「安岡定子」先生の「論語」を内容としています。久喜小学校開校の
 最初の授業が「中嶋撫山」先生による「論語」であったことから、私が企画、実行委で強く主張し実現したものです。9/7
 といえば夏休み明けスグ、というわけで今月「式典部会」をもち、色々な詰めを行います。
   とにかく3年かけ準備してきました。多くの先輩・地域の方の協力も頂戴しました。この記念事業を是非とも成功させ
 地域と共にある久喜小を確固たるものにしたいと考えています。

      久喜小  G・Wを終えて、新年度の新たな動き   5/12(水

  
新年度に入り早いものでひと月経ちました。G・Wもおわり
 落ち着いた新年度の活動が始まっています。一学期最大の
 行事、運動会練習の音が聞こえてきます。放課後子ども教室
 =ゆうゆうプラザ、宿題応援プロジェクト、学校運営協議会=
 コミュニティスクール、といった私が関わる諸活動も新年度での
 新たな活動に入っています。

  
まず「宿題応援プロジェクト」です。毎週月曜日10:00から1時間30分くらい、子どもたちの宿題をチェックするものです。
 参加するのは「学校運営協議会」委員を中心に、ボランティアの人も含め、最低8人は毎回参加しています。会場は久喜小の
 「皆の部屋」、持ち込まれた子どもたちの宿題、課題学習等をチェック、誤りは正し、花丸を記し、感想を書き込む、という所
 までします。宿題のチェックは担任の先生にとり結構大変だそうです。時間的ゆとりの中で、他の分野で子どもたちに接して
 もらえればという事、プラスし地域の大人に色々講評や、感想をもらう事は子供にとってうれしいとのことで続けられてきました。
   今年に入って少し変化しました。まず「宿題応援プロジェクト」から、「学習支援プロジエクト」と名称を変更、併せて単なる
 宿題チエックから、学習支援へと活動の巾を拡げました。すなわち「業間時間」に「皆の部屋」を訪ねてくる子どもたちの学習
 支援を行う、また宿題チェック後の時間に積極的に教室へ出向き、支援を必要としている子どもたちに対応するというものです。 

  まだ始まったばかり、それに具体的支援に十分対応できるのか、という問題等ありますが頑張っててみます。

  放課後子ども教室・「くきっ子ゆうゆうプラザ」です。平成17年に久喜小で始められました。だから今年度は18年目に入り
 ます。令和元年に15周年記念事業を行って以降、市内全域でコロナで苦しい運営を強いられてきました。「くきっ子」の場合
 多くの熱心な実施委・サポーターのご努力で、まずまずの水準を保持してきたという事が言えます。さて今年です。G・W前に
 新入生への説明会を終え、5/10(火)・11(水)の2日間、参加申し込みの受付を行いました。現時点での参加者は222名、
 全校児童数は491名ですから、45%の皆様にご参加いただくことになります。まずまずの数字と思います。本年は木曜日
 14日、土曜日9日、計23日開校します。木曜日はドッジボール、編み物、学習等7教室、土曜日は陸上、ロボット、ミニテニス
 等8教室となっています。開校式は6/16(木)行う予定です。
  なお今年から久喜小ホームページに「くきっ子ゆうゆうプラザ」のページを開設しました。トップページの左右に各々10を超す
 ページが記されています。右側の上から4つ目が「くきっ子ゆうゆうプラザ」です。ここをクリックしてください。現在は―左―の
 ように何も記載されていません。事業の進展とともに報告していきます。お気軽にお訪ね下さい。
  
  コミュニティスクール=学校運営協議会です。久喜小では6年目に入ります。今年の目標は「チーム久喜小」の組織化と活動の
 活発化です。保護者・地域の方から構成されます。「組織・活動が見えてこない」等と言う方がいますが、とにかく前に進むべきです。
 それは「地域の方が当たり前に校内にいる学校、学校・地域両輪で児童を育てる学校」を目指すものだからです。会員を募集し
 6月末に総会を開催する予定です。学校運営協議会委員は、「チーム久喜小推進委員」としての役割を果たすことになります。
  学校運営協議会としては11日朝、久喜小児童に委員を紹介する朝会を持ちました。パソコン教室からのオンラインです。
 ―右― 1人1分くらいという事で、みな結構緊張しながら子供たちに話しかけていました。
  他にいよいよ本年実施となる「150周年記念事業」の準備も佳境に入ります。同時並行に頑張ってやっていきます。

      令和3年度久喜小学校卒業式  3/24(木)















  大変温かい気候となり、桜のつぼみが一気に膨らんだかと思うと、これまた時ならぬ彼岸中の雪と
 不純な天候が続いていますが、24日(木) 久喜小学校の令和3年度・「卒業証書授与式」が行われました。
  ご承知のようにコロナ感染対策としての、「まん延防止等重点措置」が21日解除されたばかりです。
 ことしもまた来賓・在校生の出席はなし、従って祝辞無しという大変簡素な形でのものでした。私たち
 「学校運営協議会」のメンバーは、内部者という事で、来賓ではなく、教員と同じ立場での参加も去年と
 変わりありません。
  久喜小の今年の卒業生は81名、もう1人少ないと2クラスですが、ぎりぎりの3クラスです。1児童2名まで
 という保護者が見守る中「卒業生入場」です。
(—上・左—) 誰も声に出さないテープが流れるだけの「国歌」
 の次は、いよいよ「卒業証書授与」みな緊張しながら受け取っていました。
(—上・中と右—) 卒業証書の
 番号は3組最後の児童で86、400名位でした。来年が150周年、この子達は149期生になります。
 伝統の重さをひしひしと感じます。また今年の卒業生に羽織・袴姿の子を2人見ました。
(—上・右と下・左—)
  私は久喜小の卒業式に30年を越えて出席し続けていますが、記憶にある限りこのスタイルは初めてだと
 思います。もっとも気仙沼にすむ我が孫の卒業式では、全員羽織り・ハカマとの事で、やはり地方によって
 異なるのですね。
  「校長式辞」です。穂村校長先生は子どもたちに優しく語り掛けるように、「コロナの感染で大変な高学年
 生活を送ったこと」、「そうした中でもタブレット等を使った素晴らしい学習活動を展開したこと」、「来年度は
 本校の150周年の年であること」、「久喜小は一貫して地域の教育の中心校であること、地域の人達にいつも
 支えられて来た事を知ったこと」、「そうした久喜小卒業生に相応しい、素晴らしい中学生活を送ってもらいたい」
 と話されました。最後に郷土の詩人=「安積得也」の詩「明日」……人皆に美しき種子あり 明日何が咲くか……
 を紹介、素晴らしい種を持つ卒業生が、きれいな花をさかせるよう訴えていました。(—下・中—)
   穂村校長先生は久喜小校長として、再任用を含め4年間過ごされました。コミュニティスクール、150周年
 記念事業等で多くのご指導を頂きました。ありがとうございました。今後は久喜小ОB、久喜小地区住民として、
 引き続きのご指導をお願いします。
  卒業生の「別れの詞」、「保護者代表謝辞」と続き、また声に出さない「校歌」歌って子どもたちは退場して
 行きました。(—下・右—)
  卒業おめでとう。君たちの前途に幸多からんことを祈っています。もう今年となる150周年への参加をお待ち
 しています。一緒に地域とともにある学校を創っていきましょう。

  ◎ ふた月遅れ、やっと論語勉強会を立ち上げました。3/15(火)久喜小皆の部屋 

  このページで何どかに分かれ報告してきました。私は久喜中時代の恩師であり、その後市の教育長に
 就かれ様々なご指導を頂いた、H先生の「論語勉強会」に参加していました。校長経験者が多く、平均
 年齢は大変高いものでしたが、楽しく参加していました。2年ほど続いたのですが、ここもまた「コロナ」の
 影響をもろに受けました。高齢者が多く当面の「休会」から、とうとう「例会の休み」→活動休止の解散と
 なりました。やっと論語の勉強が面白くなりかけた矢先だっただけに、大変残念に思い、何とか「再開を」と
 願ったのですがかなわず今を迎えています。
  そんな頃と並行して「久喜小150周年記念事業」の準備をしていました。そしてこの事業のコンセブト
 を「論語」としたのです。「光明寺」で開校した久喜小の最初の授業が、「中嶋撫山」による「論語」の講義
 だったこと、だから記念碑の代わりに、孔子の墓に植えられている「楷の木」の遺伝を受け継ぐ木を
 記念植樹すること、子どもたちの記念講演会に「安岡定子」氏を招き、講演してもらうことを決めたのです。
  そんなことを背景に久喜小の子どもたちに、少しでも「論語」にふれてもらおうと、昨年「くきっ子ゆうゆう」
 で「論語にふれよう」なる講座を持ちました。この講座もコロナにやられ、3回のところを1回だけでしたが
 この講座の講師をH先生の勉強会でご一緒していた、若いH先生にお願いしたのです。H先生は高齢者
 大学でも「論語」を講義している勉強家です。この講座を準備する過程でH先生と何度か相談、「論語
 勉強会」を立ち上げることにしたのです。名称は「久喜論語塾」、会場は久喜小の「みんなの部屋」をお借り
 することにしました。会員は旧H先生の勉強会に参加していたメンバープラスして、久喜小の「ゆうゆう」や
 「学運協」の仲間、とりあえず7~8名でスタートし、おいおい増やしていこうという考え、例会を毎月1回
 第3火曜日とし、前10:00からとしました。年が明けて1月から開催する予定でした。所がこれもコロナ
 本当ににっくきやつです。1月・2月と中止、やっと2カ月遅れの立ち上げとなりました。
  今日は7名が参加しました。テキストは「足利学校」の「論語抄」にするか、壬生の「論語古義抄」にするか
 討論があったのですが、H先生の提案の「足利学校」のものと決まりました。学而第一・第二と番号が打って
 あります。その一の「子の曰く、学びて時に之を習う」と、ニ・子曰く、鮮きかな仁」を学びました。音読し、通訳
 を読み、皆で考えを述べ合う、という旧H先生以来のスタイルです。「子曰く」は「し、いわく」でなく、ここでも
 「のたまわく」と読むことに統一しました。2つとも有名なものですが、論語は「こうあらねばならない」というもの
 でなく、解釈は自由です。安岡先生のものや、加賀谷先生のものも微妙に違っています。その辺が面白い
 ですね。
  てなことで立ち上げ1日目を終えました。長くじっくりとこの「論語塾」を継続し、勉強していきたいと思います。  
 
   ◎ 久喜市放課後子ども教室運営委員会 3/10(木) 栗橋文化会館・イリス 

  10日、栗橋文化会館・イリスにおいて、令和3年度の最後となる第4回「久喜市放課後子ども教室運営
 委員会」(くきっ子ゆうゆうプラザ)が開催されました。協議内容は、*・3年度の活動を振り返って、*・4年度
 の活動方針、というこの時期ならではのものでしたが、会議の席上運営委員会発会以来、17年の長きに
 わたり会長を勤めた、飯島氏の辞任を承認しました。高齢と体調不順からかねてより辞意を表明、役員一同
 慰留に努めていましたが、今日の辞表受理となりました。
  私は飯島氏とは古く、親しい関係にあり
 ます。スポ少・生涯学習推進活動共に
 ご一緒しました。スポ少では私が日独同時
 交流実行委員長の時、彼が副実行委員長、
 本部長の時、副本部長でした。これは私が
 自営業、彼がサラリーマンだったためで、


 実際は20周年の時の木更津海岸潮干狩り、30周年の時の音楽の集い、共に彼の企画・運営、猛烈に助け
 られたものでした。生涯学習推進部では「学社連携部会」で一緒に活動、学校と地域との望ましい在り方について
 口角泡を飛ばして論議したものでした。
  議員となってほぼ10年、文科省のH・Pを折に触れて開いていた私は、「地域子ども教室」のそれに俄然注目
 しました。「これは良い、久喜なら必ず成功する」との確かな思いがありました。久喜市への導入を求める議会
 での質問、好意的答弁を経て、平成16年私を委員長とする準備委員会を立ち上げました。モデル校として
 久喜小でまず開校する事と共に、責任をもって委員長に飯島氏を推挙しました。平成17年春でした。
  以来17年が経ったわけです。地域子ども教室→放課後子ども教室(ゆうゆうプラザ)、組織化の過程で彼の果たした
 役割は計り知れないものがあります。合併をはさんで市内全23校の開校に成功しています。参加児童数と地域
 サポーターの結集度では正に全国一とも言えます。もう一人の相棒、統括コーディネーター柿沼氏との絶妙な
 コンビは「ゆうゆう」の今日を在らしめたという事が出来ます。長いこと本当にご苦労様でした。「ゆうゆう」は
 令和元年の15周年記念事業後、低迷の道を歩んでいるとも言えます。コロナがそれに追い打ちをかけました。
 これからは苦しい「ゆうゆう」の運営となるでしょう。どうぞ経験を活かされ、大所高所からのご指導・アドバイスを
 お願いします。運営委員会では辞任に当たり、花束と記念品を送りシャイを表しました。(—写真—)
  私も飯島氏と同様運営委員として、久喜小の実施委員として元張ってきました。運営委員は「スポ少」ワクです。
 私がスポ少の本部長を努めるのも令和4年度までですから、運営委員はそれまでのつもりですが、「くきっ子」の
 実施委員は体の続く限りやっていようと思っています。もっとも来年あたりで続かなくなるかな?
  今はコロナの関係で大勢での食事会は無理だけど、一度ゆっくり飯でも食いながら、スポ少—推進部—ゆうゆうと
 50年続いた2人の思い出話などしたいなと思っています。
    本当にご苦労さまでした。

    ◎ 久喜市(鷲宮総合支所)生涯学習施設拐取式  3/4(金)

  鷲宮総合支所5階に完成していた「久喜市
 生涯学習施設」の来年度からの運用を目指し 
 開所式が、4日同所で行われました。
  鷲宮総合支所5Fは、旧鷲宮の議場だった
 もの、議場・委員会室等を利用しています。


  その議場を改装した「まなびすと教室」で式典が行われました。市長の式辞、議長の祝辞を受けた後、テープ
 カットが行われました。(—左—) 市民大学でよく歌われる久喜市の歌「笑顔のまち永遠なれ」斉唱の後、施設を
 見学しました。時節柄「密」をさけ、グループに分かれての見学です。この施設には先の「まなびすと教室」の他に
 学生たちの「教室」(会議室—右—)、久喜市生涯学習推進部や推進会議の活動部屋になる「生涯学習推進室」
 市民大学、同校友会が使える「市民大学室」、高齢主大学、同校友会の「高齢者大学室」の他に、「事務室」・
 「オープンラウンジ」等があります。
  一通り見学しましたが、非常に複雑な気分に駆られました。ここはお願いしてきた「生涯学習センター」では
 ありません。「生涯学習施設」です。「生涯学習センター」は前市長により旧東京理科大学の独立棟に、として
 計画されました。現市長の見直しによりこの計画は消え、B棟4教室が連なる校舎の2Fとされました。3Fは
 365日24時間オープンの「貸しビジネスルーム」というものです。これは計画自体無謀という事で立ち消え
 ました。そんな経過を経て鷲宮総合支所5Fの「生涯学習施設」となったわけです。曲りなりに市民大学・
 高齢者大学の校友会室が確保されたという事で、「よし」とすべきなのでしょうか。それともこんな半端な
 施設を何故作ったの、となるのでしょうか。少なくとも市大・高大にとって、教室がここに移ったことは数の
 増加にはつながらない、むしろマイナスとなるのではという恐れがあります。
  なおこの施設を「まなびすポッと」と名づけたそうです。「まなびすと」とは私が代表していた平成4~5年に
 「推進部」が創った新語です。「まなびすと」の「す」と「と」の間に、「ポッ」を入れたのですが、どういう意味
 なのか、何故この名称にしたのか全く分かりません。「まなびすと」が久喜市にすっかり普及、定着して
 いるのに比して何とも変な名称です。

   ◎ 久喜小・令和3年度教育課程研究指定校事業研究協議会 2/4(金) 

  久喜小が「文部科学省」から指定をうけ、R2・3と教育課程(カリキュラムマネジメント)の研究に当たって
 いる事は、このページで何回も報告してきました。その何回目かの研究発表会、上記表題のように大変
 長い研究発表会が、4日、時節柄オンラインで行われ参加しました。さすがに出席者が少なく、「久喜小学校
 運営協議会」から私を含めて2名、教委より1名だけでした。なおこの研究指定校は全国でただ2校、久喜小
 と大阪教育大学付属天王寺小(国立)だけ、久喜小が先に行いました。まずI・О両研究グループの責任者が
 約30分の発表を行い、その後全国のオンライン参加者から、質問を受けました。最初に久喜市について
 概略説明、150年の歴史をもつ市内最古の学校と紹介、次にH25年からの「夢創造科」の研究を経て、
 R元年「イノベーション力の育成」と教育目標を変更、これにより覚悟をもって、教育活動に当たっていくと
 しました。次に教育目標の実現に向け、教育課程を編成し、全教職員で作り上げていくこと、さらに
 イノベーション力を3A・7つの資質・能力に定義、さらに学年目標を設定、問題解決型学習である「大単元」を
 設定します。そして目標の実現に向け、目指す児童像として、「みちをたのしみ、みちを歩き、もちをつくる
 (みちは道と未知)」を設定しています。アトは「授業・評価・学校力のイノベーション」とか、研究授業に向けた
 「P・D・C・A」とか専門知識を必要とする専門用語が羅列する部分となり、私のような専門外の人間には、
 とても分かりにくいものとなりました。
  解りにくいと言えば久喜小の次に発表した「大阪教育大学付属・天王寺小学校」のタイトルです。「教科横断的
 なSTEAM教育について」なるものでした。「STEAM教育って何だろう」と思っていましたら、何と「科学・サイエンス、
 技術・テクノロジィ・エネルギー、芸術・アート、そして数学・マフマティクス」の頭文字をとったものとのこと、
 私は不案内でしたが、プグラミングの必要性の中で、最近大変注目されているそうです。でもこれと言い、
 先の久喜小の発表と言い、やたらと英語と専門用語が多いのは、地域の人間としてはやや閉口します。
  最後に「来年度の研究の方向性」として、児童は「授業時特例校制度を活用して、本校独自のカリキュラムを
 作成する」とし、教職員は「各キャリアに応じ、個性を活かしながら、学校教育目標の実現に迫る」とし、私たち
 地域の人間は「チーム久喜小ミーティングの毎月実施」とありました。いずれにせよ私たちは学校運営協議会の
 1員として、「イノベーション力の育成」なる学校教育目標の実現に努力していきたいと思います。
    ◎ 久喜小学校150周年記念事業に関わる説明会  1/29(土) 

  我が母校「久喜小学校」が本年創立150周年を迎え、数々の記念事業を持つこと、私も実行委員として
 その先頭で頑張っていることは何度も報告してきました。最大の事業「記念式典」を11月に持ちますので
 もう10カ月と迫りました。オミクロン株コロナ騒ぎの真っ最中の29日(土)、久喜小体育館において2回目の
 卒業生各期の代表者による説明会を開催しました。オミクロン株による新規感染者が急増しており、中止
 も検討しましたが、十分間隔をあけ、かつ短時間で終わらせるという事で開催に踏み切りました。
  校長挨拶のアト、各部会責任者から進捗状況の説明がありました。式典部会の責任者として私は担当する
 2つの事業、1・9/7の在校生の講演会と、2・11/19の式典について報告しました。特に式典については
 500名規模で開催したいこと、そのために卒業生に200名ほどの参加をお願いしたいこと、寄付金を集める
 過程で各期でこの旨の周知・徹底をお願いしたいこと等をお話ししました。
  同じく記念誌・記念事業についても報告がありました。最後に実行委員長より今回の主要な議題である
 寄付金集めに関するお願いがありました。今回記念事業全般で700万円の事業費を予定しています。ウチ
 PТAの積立金、ローソンからの緑化事業への協賛金で、すでに200万円ほどがありました。従って約500万円を
 目途に協賛をお願いしてきました。実行委員長と私の2人で直接お願いに上がった結果、すでに目標に
 近づきつつあります。しかしながら過日の実行委で、より多くの皆様の参加と協力を頂きたいとし、各期ごとの
 連絡を含めた集まりを経ての、協賛へのお願いをすることになった次第です。
  すでに私の期や、1期上の学年の方など同期生の協賛を終えている期もございます。どうぞ卒業生の皆様に
 おかれましては、ご理解頂きますようお願い申し上げます。
  これから卒業式・入学式・運動会と大きな行事が続くことととなります。そうした合い間を縫い、準備活動を
 きちんと積み重ねてまいります。そんなことをみんなで誓い合って、寒さにふるえ上がった会を終えました。

 
     ◎ 社教委協議会・栗橋イリス内の水塚を見学しました。 1/25(火)









  「社会教育委員」は、「社会教育法」15条に基づき置かれている「非常勤特別職」です。社会教育振興に
 関する計画を立案したり、教育長を通して教育委員会に様々な助言・提案等を行います。私は4年前の
 議員辞職後、社会教育団体から(スポ少)のワクでこの職にあります。「非常勤特別職」ですから、会議を
 そう頻繁にやるものではありません。そこで社会教育委員同士話し合い、自らの研修の場、情報交換の場
 としての「社会教育委員協議会」なるものを組織しています。いわば「スポーツ推進委→スポーツ推進委協議会」
 と同じものです。正式な会議の合い間を縫い、年2回ほど会議を持ってきました。正式な会議がこの所「移動」が
 激しいですが、教育委員会がある足元が多いため、地方?で開催しています。そして会議終了後、その地域の
 社会教育関連施設等を見学する、を常としてきました。例えば菖蒲森下公民館→神明神社、鷲宮公民館→
 郷土資料館といった具合です。そして今回開催された「栗橋文化会館・イリス」では、イリス内に置かれた
 「吉田家水塚」を、教委文化財保護課職員の案内で見学しました。
  「水塚」は「みつか」または「みづか」とも言います。洪水に備えて屋敷内に盛土をして築いた高台、または
 その上の建物を合わせて言う事があります。水害の多かった関東地方の利根川・荒川流域の低地部に多く
 みられるそうです。久喜市内には何と230もの水塚が確認されています。イリス内にある吉田家水塚は、市内に
 残る商家の水塚としては唯一のもの、栗橋宿の歴史と生活をつたえる貴重な歴史的資料として、旧栗橋町
 文化財に指定され、利根川堤防強化事業に伴い移転が必要となったため、国の補償費を財源に、平成24年
 「イリス」内に移築・復元されたものです。
  「イリス」の駐車場端にあるため外観だけはいつも見てきました。いつもは閉じられていますから上に昇るのも
 建物内に入るのも初めてでした。(―左・研修風景―) 吉田家水塚は、大谷石を積んだ高さ約2mの塚の上に
 2棟の蔵が並んでいます。塚へ上る階段の上から2段目に、昭和22年・1947年の「カスリーン台風」の際の
 押し寄せた洪水の高さが記されていました。(―中―) 塚の大きさは21・5×13・5=290㎡あり、蔵は手前
 から「大蔵・向う蔵」と呼ばれています。(―右―) 大蔵は江戸末期、向う蔵は明治37年に建てられたそうです。
 中には様々な資料が陳列されていました。当時は何日間か避難する生活用具が置かれていたのでしょう。
 カスリーン台風の際は、約20人がここに避難、難を逃れました。
  栗橋は日光街道7番目の宿場です。利根川があるため関所が置かれ、防御の観点から橋を設けず、船で
 渡ったそうです。江戸中期・末期には結構な賑わいを見せ、本陣・脇本陣他に旅籠25軒もあったとのことです。
  利根川と共に生きてきた、栗橋の歴史の一端に触れる事の出来た良い研修でした。

 
      ◎ 久喜市々大・高大運営委員会  1/24(月) 久喜中央公民館 

 
 24日(月)「久喜中央公民館」において、令和3年度第2回「市大・高大運営委員会」が開催されました。時期
 コロナ禍とはいえ卒業シーズンを前に、卒業・修業認定を行い、来年度の実施計画を協議するものです。
  「久喜市民大学」、「久喜高齢者大学」についてはご存知のことと思います。「市民大学」平成51年開学、
 私は1期生であり、ホームルーム委員長を勤めました。また開学5年後に私が準備委員長となり、「市民大学
 校友会」を組織し、初代委員長となりました。久喜市における生涯学習活動・ボランティア活動のリーダー育成
 を目的とする学習機関、2年制であり、1年制の「大学院」を併設しています。
  「久喜高齢者大学」は昭和54年開学、何と45年の歴史を持ちます。高齢者の学びを通した生きがいづくり
 仲間づくりを目指しています。4年制の大学です。他市町に「寿大学」とか「老人大学」といった名称で、同様な
 大学があります。しかし4年制、これだけの規模・内容・歴史をもつものはないでしょう。ある意味で正しく日本一
 といえます。この両大学が優れているのは、大学だけではありません。卒業してからの活動なのです。正に
 学んだ成果を地域に活かす、というやつです。企画・運営総て市民の手になる「市民まつり」は、両大学生・校友会
 なしには考えられません。「放課後子ども教室・ゆうゆうプラザ」の指導者も、「久喜市生涯学習推進部」の
 メンバーもその中心は同様です。すなわち久喜市の多くの市民活動・コミュニティ活動は、両大学。校友会なし
 には成り立たないのです。正に両大学は十分その建学の精神を、全うしていると言えるのです。

  しかしです。今両大学に憂慮すべき事態が発生しているのです。それはここ10年近く入学者数が減少して
 いるという事です。理由はいくつかあると思います。「高大」の場合高齢化が逆の影響を与えています。勤労
 する年齢が上がり、終えて「4年制の大学は」という感じです。「市大」の場合は良く解りません。生活環境の
 悪化等様々な要因があると思います。40人を定員とする「市大」はこのところ10人台前半に留まっています。
  コロナの影響をもろに受けた1昨年等(この3月の卒業生)何と5名でした。「高大」も今年の卒業生は38名
 以下1年生から31・48・43名という状態です。だからある数の学生数を確保したい、はここ数年の強い願い
 です。このところの「市大・高大運営委」の協議は、いつもこのことが中心です。運営委のメンバーは高大・市大
 卒業生が多く、行政への要望も自然過熱化します。現在4年度新入生を募集中です。(3/18日迄) 運営委の
  要望にこたえる形で、積極的な募集状況をおつくり頂いたことに感謝します。両「校友会」も様々な手段を
 講じています。ぜひ4年度新入生の数が増加するよう祈っています。

  今年はまた新たな問題点が生じました。両大学の授業が従来の「中央公民館」から、鷲宮総合支所に整備
 された「生涯学習関連施設」に移ることです。駐車場が確保できる、という利点があります。しかし駅から歩いて
 はダメ、公共交通の利便性も低下した等のデメリットもあります。今年1年の実績に踏まえ、来年戻さぬまでも
 両会場の使用率等を配慮されるよう運営委としては要望しました。
  という事で全員の卒業・進級を認定し、来年度の両大学の実施計画を了承、会議を終えました。
  4月多くの学生の参加の中で、新年度の授業がスタートする事を強く希望するものです。

      ◎ 遷善館学園(久喜中学校区)教職員研修会 1/7(金) 久喜中学校

  昨年暮れの久喜小でのいくつかの会議の折に、新年明けの7日に「遷善館学園館」教職員の研修会が
 ある、という話を伺っていました。いつものようにいつものような新年を終え、日常生活に戻りつつある中、
 このことを思い出し、研修内容も知らぬまま参加しました。
   ご承知のように久喜市内全小中校は、「C・Sコミュニティスクール」に移行しています。その際縦軸に
 小中一貫教育を置き、横軸として中学校区を置き、「**学園」と称したのです。「**」は普通中学校名
 なのですが、久喜中地区は「遷善館学園」としたのです。所がこの「**学園」殆ど活動をしていません。
 これは久喜市教育委員会の問題だと思います。県内初の全校C・Sへの移行を云々するだけで、具体的
 指導・資金的助成をしないからです。かろうじて教職員(遷善館?)のみが、学級経営にあった課題の研修を
 しているという状況にあります。
  今日の研修は遷善館学園の「小中一貫教育研究協議会」、会場は久喜中多目的室、講師は「アクアスフィア・
 水研究所」代表、というより我が久喜小学校運営協議会の仲間である「橋本」氏、氏は水関係のジャーナリスト
 として、様々な活動に当たっておられる他、いくつかの大学で教鞭をとっておられます。特に静岡県立三島北
 高校が、文科省より「スーパーグローバルハイスクール」の指定を受けた際、今はやりの「問題解決型学習」に
 沿った指導に当たり、この問題の第一人者、久喜小でも講演をされています。
  ところで最近この種の研修会、というより学校現場でも、やたらと難しい造語とでも言うべき言葉や、英語が
 氾濫(1番いい例が「イノベーション力」)していします。今の学習指導要領で謳われている「アクティブラーニング」
 とか、「問題(課題)解決型学習」とか、「探究型学習」等がそうです。チヨット面食らうのですが、よく考えてみれば
 どうという事はありません。
  スポ少で指導者が、意識的であれ、無自覚であれ誰でもやっていることです。要するに教え込むのではなく、
 子どもの意欲を引き出す、自ら練習する、どうしたら上手くなれるか自分で考え、それを進めていく(仲間・同じ
 団の団員と一緒に=協働)という事です。さらにスポ少では(これは何処でも)1日、ある期間、1年間の
 スケジュールを立てるとき、「導入―展開―まとめ」という考えをとります。「導入」は文字通り「導入・始まり」の
 部分、「展開」が1番多くの時間をとり、「まとめ」は通常、反省・振り返り、年間スケジュールの場合、これが
 「大会」に当たることもあります。今回の研修で「問題解決型学習」を進めて行くうえで、「アイスブレイク―探究―
 振り返り」としていました。「アイスブレイク」とは直訳すれば、「氷をとかす」、初対面の人同士が出会うとき、
 緊張感を解きほどすという意味でしょう。「探究」とは探究的学習の「探究」、ところで本年度からの「学習指導要領」
 では、「総合的学習の時間」が、「総合的探究の時間」に変わります。従来より、より能動的、自分の趣味・関心に
 合わせた課題を見つけ学習していく、という事なのでしょう。「ふりかえり」自分を客観的にとらえ、次に向けた
 改善点を洗いだし、実行していく、という事です。
  こんな話を1時間弱聞いて講演部分は終わり、あと教職員はグループごとの「情報共有」と称する分科会に
 移って行きました。4校殆どの先生が参加されていたのでしょう。広い多目的室はいっぱいでした。正月早々
 ご苦労なことです。今年も頑張ってください。私は講演のみ聞いて、こうした教員研修会の指導・講師に当たる
 橋本氏と久喜小の学運協の仲間として、一緒に活動できる充実感を感じつつ、これで失礼しました。
  
   ◎ 久喜小創立150周年記念誌の「コミュニティ・スクール」についての原稿  12/3(土)

    すでに何度も報告しているように、我が母校であり、私がずーとそこに在り続けた久喜小は、来年1年をかけ創立150周年
  記念事業を実施します。当然「記念誌」を発行します。その中で「コミュニティ・スクール」に関する紹介文を編集委員会より
  依頼を頂きました。下記の文章がそれです。すでに編集委に送付済みですが、発行は来年秋を予定していますので、早めに
  ご指摘いただければ修正可能です。乱文ですがご一読、ご指摘いただければ幸いです。
 

                       コミュニティ・スクールについて
                                           
 久喜小学校学校運営協議会
                                                   岸  輝 美

            久喜小は久喜市立久喜小学校です。広い校庭、立派な校舎、体育館、今や1人1台のタブレット、
あらゆる施設・教材は完璧に市が保証します。先生方は最高学府で教職課程を修得、県の
採用試験に合格した英才ばかりです。文部科学省が定めた
「学習指導要領」が、一定の教育
内容を提示し、各学校の「教育目標」に基づいた「学級経営プラン」
が作成されています。そうです。
何も心配することはないのです。子どもの教育・人格形成全てを学校
にお任せすればよいのです。
そこは「象牙の塔」、神聖にして侵すべからざる領域なのです。と長くそ
うされてきました。しかしです。
ちょっと待ってください。子どもたちは月曜~金曜5日間、基本毎日
001600の8時間、計40時間
学校で過ごしています。1週間は24×7168時間ですから、学
校で過ごす時間は4分の1以下なのです。
4分の3以上を、家庭とそれを最小単位とする地域社会で過
ごしているのです。なら家庭と地域社会も
子どもの教育・人格形成に関わるべきではないか、そうした
考えが起こるのは当然といえます。学校・
家庭・地域、子どもを取り囲む3つの領域全てが、子どもの
育成に関わるのです。最初は役割分担と
いう事が言われました。学校は学力をつける、家庭は基本的生
活習慣=躾をする、地域社会は体験を
通して豊かな感性・丈夫な体力をつける、まあこんな塩梅です。
しかしよく考えればこれも不思議な話です。
 学校でも躾に関わりますし、地域社会でも学力は向上しま
す。だから無理に役割を分けたりせず、
各々が連携し、溶け合い(融合)、一体となって、子どもの健や
かな育成に当っていくことこそベターなの
です。この考えを学社融合と言い、これを横軸=生活領域の
全てと、縦軸=ゆりかごから墓場までで、
統一したものが「生涯学習体系」です。今や神聖にして侵す
べからざる学校そのものが、この体系に組み
込まれたのです。そこでは家庭を最小単位とする地域社会
と学校が、情報・方向性・価値観を共有し、
子どもの育成に当たるのです。同時にこうした活動を通し
て地域社会そのものをより良く、より豊かな
ものへとしていくのです。「コミュニティ・スクール」と
この考えに立った最も優れた組織体であり、活動体
なのです。

 久喜市では平成29年4月に、すべての小中学校が「コミュニティ・スクール」に移行しました。県内初の
試みでした。「コミュニティ・スクール」を別に「学校運営協議会制度」と呼びます。「コミュニティ・スクール」とは、
「地方教育行政の組織と運営に関する法律」に基づいた仕組みで、「学校運営協議会」が設置された学校の
ことを言います。「学校運営協議会」は、学校・保護者・地域住民代表10名以内で構成されます。学校代表は
2名、校長、教頭または教務主任です。残り8名は地域の人間となりますが、ウチ1名は久喜小児童の保護者
PTA会員ですが、他にはいろんな人がいます。久喜小地区の区長さん、放課後子ども教室=くきっ子ゆうゆう
プラザの方、市内で生涯学習推進活動に当たっている方、スポーツ少年団の指導者といった方々です。現在の
男女比は4対3、年齢は40歳~70歳代です。いろんな職歴をお持ちです。会計士、銀行マン、建築設計士、
教員、市役所職員、そして議員だった人もいます。久喜小卒業生、久喜小地区在住に限っていません。共通する
のはただ一つ、燃えるような「久喜小愛の持ち主」の1点のみです。

 次に「コミュニティ・スクール」の役割、活動状況に進めていきます。かって「閉じられた学校教育体系」から、
「開かれた生涯学習体系への移行」という中で、「社会に対して開かれた学校づくり」が言われました。
「コミュニティ・スクール」は一歩進んで、「地域と共にある学校づくり」を目指すものです。保護者や地域住民が
教育の当事者となるのです。子どもは「地域の宝」学校と共に育てるのです。当事者になるとは学校経営や教育
活動に「参画」することです。地域の力、大勢の大人の専門性・経験を生かした教育活動を実現します。こうした
活動を通して、地域の活性化、「みんなが元気になる社会」を目指します。子どもを真ん中に学校・家庭・地域を
結ぶ、この役割・活動を「学校運営協議会」が果たすのです。

  学校運営協議会の主な具体的役割は以下の3つです。
      校長が作成する学校経営の基本方針を承認する。
   
 学校運営に関し、教育委員会・校長に意見を述べることが出来る。
      教職員の任用に関し、教育委員会に意見を述べることが出来る。
 ①    
です。久喜小では学校経営の基準となる「教育目標」を変更しました。ちょうど「コミュニティ・スクール」への
移行時期と重なり、結構大変だった思い出があります。従来は「かしこく ゆたかに たくましく」でした。知・徳・体を
表し、久喜小に定着していました。校長が提起した新しい教育目標は「イノベーション力の育成」でした。ちよっと
面食らいました。この言葉自体未だ市民権を得てない時でした。私たちは深く考え、意見を交換し、正に熟議の末、
これを了承しました。従来からの「生きる力」に加え、変化が激しく、予測困難という時代を背景に、「それを乗り
越えていく力」、「新しい価値を創造していく力」を育てていくことが大切と考えたからです。

      です。学校運営協議会の会議を毎月1回開催しています。出席者は毎回ほぼ全員、約2時間の会議です。
協議する内容はその都度違いますが、久喜小が国から委嘱を頂いている「カリキュラムマネジメントの充実」の研究
発表について、コロナ禍の学校行事の在り方について、ICT授業について、創立150周年記念事業について、学校へ
来る意義について、等々がありました。なお先だって頂いた「久喜中だより」において、久喜中堀内校長はコミュニティ
スクールの紹介文の中で、この活動を「学校経営への熟語と協働」と記していました。活動内容を表す良い表現だと
思います。
   ③人事権への介入ではありません。久喜市の子どもたちを丈夫で活力に満ちた児童に育てたい、若く元気な体育の
先生に来てもらえたら、等を話し合うものです。

 
 さて久喜小がコミュニティ・スクールに移行して5年たちました。まだまだスタートに就いたばかりです。いろいろ不十分
な点がありますが、こんなことを目指していきたいと思います。1つは教員との定期的意見交換の場です。これを基礎とし
PTA、区長会、民生児童委員協議会、地域団体の皆様との意見交換の場に拡大していければと思っています。そして 
久喜小地区住民がフリーに参加し、教育に関する夢を語り合う「久喜小フォーラム」の定期的開催に進めていきたいもの
です。
2つ目です。久喜小には「みんなの部屋」があります。地域の方がフリーにお使いいただける部屋です。これをゆく
ゆくは、かって何度も訪ねた「習志野市秋津コミュニティ」のように出来ればと考えています。コミュニティ・スクールは、
同時にスクールコミュニティでなければならないと思うからです。


 久喜小は令和4年創立150周年を迎えます。私たちは全力でこの準備に関わっています。その中で享和3年、「遷善館」が
建てられた時も、明治6年久喜小の前身「久喜学校」がスタートした時も、大勢の地域の皆様の協力・応援があったことを知り
ました。私たちもそうした先人たちと同様、久喜小と共にあることに深い喜びと充実感を覚えるものです。それは「新しい公共・
新しい教育の時代」における、「熟議と協働」の文化を地域から構築していく活動なのです。


   ◎ 令和3年度 久喜市放課後子ども教室 表彰式・情報交換会 11/22(月) 鷲宮総合支所









  「久喜市放課後子ども教室」・ゆうゆうプラザの令和3年度表彰式、並びに情報交換会が、鷲宮総合支所4F会議室で
 開催されました。表彰式ですが、10年以上各実施校において、活動されている方を表彰するものです。「放課後子ども
 教室」は、未だ「地域子ども教室」と呼ばれていた平成17年、我が久喜小でスタートしました。合併・全校実施をみた令和
 元年秋に15周年記念式典を開催しました。その記念表彰として初めてのそれが行われ、以降10年を迎えた活動家を
 順次表彰していくことを決めたのです。昨年度はコロナで全ての全体会は中止となりました。現時点コロナは大変下火
 となっています。この機を捉え2年ぶりの「情報交換会」を実施、その席での表彰式となった次第です。授章者は7つの
 実施校から22名の方々でした。長いことご苦労様でした。今後ともよろしくお願いします。(―左・表彰―)
  

  情報交換会に移りました。過去毎年2回の研修会を持ってきました。1度は講師をお招きしての講演会、または先進地
 視察という内容ですが、もう1回は「情報交換会」と称するワークショップでした。今日約60名の参加をみました。毎回
 最低でも100人を越えていただけに、矢張り寂しい感じを持ちました。因みに本年度江1小・江2小の合併で全22校
 ですが、3校が全面中止、2校が全面動画配信により実施、今日の参加校は18校となっています。なお本年度の
 全参加児童数は2241名、参加率約33%、サポーター数1883名とのことです。
  テーブルは10ですから、1テーブル当たり6から5名という所、テーマは「コロナ禍における放課後子ども教室の実施に
 ついて」です。(―中―) 全員の自己紹介の後、意見を交換しました。司会より意見を求められた私は、* 市放課後
 子ども教室は15周年事業実施の数年前、全校実施が完了したあたりから、活動への「あき」と、活動家の高齢化を
 要因とし低迷期にたちいった、* コロナがそれに拍車をかけた、* 本年度の3校中止はまことに残念、再開には
 大変な努力を要する、的な事を申し述べ、最後に全面動画配信方式への批判的見解を述べて終えました。私の
 テーブルにも本年、全面動画方式で「ゆうゆう」を持っておられる実施校の方がいて、盛んに動画方式の良さを
 言っておられました。「子どもの安全」重視を盛んに言っていましたが、この立場に立つと修学旅行も、自然観察も、
 プールも中止となります。私たちはそれが子どもにとって+となるかどうか、からスタートします。+になるのなら実現に
 向け、最大限の努力をしようよ、となるのです。それに「ゆうゆう」の意義は第一に、子どもに体験の場を提供し成長を
 促すことにありますが、同時にそうした活動を通して、大人たちのコミュニティ・元気な地域づくりにあります。私は何と
 しても、対面方式による「ゆうゆう」を実現していきたいと考えます。
  全テーブルの発表を持って「情報交換会」を終えました。 (―右―) チヨット今、「ゆうゆう」は苦しい状態にあります。
 来年中止は5校くらいになり、やがて全校半数くらいの実施という、暗い思いがよぎります。「くきっ子」も女性陣は
 良いのですが、男性陣は私も含め高齢化が進行しています。何とかしなけりゃ、この思いは恐怖に近いものとなっています。

      ◎ 論語・久喜小150周年事業・学習会発会  11/10(木) 

  「論語」について皆さんご存知の事と思います。「孔子」とその高弟たちの言行を、「孔子」の死、約300年後に
 お弟子さんたちがまとめた(記録した)書物です。「孔子」は紀元前5世紀の人です。日本ではやっと国が出来始めた
 頃です。古代中国の大古典=「四書」のひとつ、「四書」とは「大学・中庸・孟子そして論語」を指しますが、含蓄深い
 のに関わらず、その簡潔さから、断然多くの人に読まれ続けている「儒教」の入門書です。私の菩提寺は真言宗の
 豊山派です。その真言宗の開祖・空海=弘法大師(774~835)も盛んに読んでいたという記録があります。
  江戸時代の寺子屋でも、最近ではNHK大河ドラマ「青天を衝く」の渋沢栄一と、時代を越えて読み継がれました。
 とに角日本人の道徳・規範力・倫理観等に強い影響を与え続けてきました。日本だけでなく、どこかの席で歴史上
 世界で最も読まれている三大書物は、「キリストの聖書、マルクスの資本論、そして論語」だと聞いた記憶があります。
 この真実は定かでありません。
  久喜では我が恩師である橋本昭先生を中心に、論語の勉強会がもたれており、これを伝え聞いた私は早速入会を
 申し込みました。最初「勉強会」に参加した時、びっくりしました。殆どが校長経験者という、地域教育界の大御所
 ばかりでした。高齢の方が多く、だからコロナと共に休会、そして解散に追い込まれました。いつか論語の勉強会を
 再開したい、というのは参加者全員の想いでした。
  こんなことを背景に、私は久喜小150周年記念事業の準備に関わりました。久喜小の前身・「久喜学校」は明治
 6年1月、前記した我が菩提寺・光明寺本堂を校舎にスタートしました。その最初の授業が、「中嶋撫山」による
 「論語」でした。久喜小の教育の原点は「論語」にあるといえます。だから150周年記念事業のコンセプトを「論語」と
 したのです。「中国山東省・孔子廟」に植えられた楷の木の遺伝を受け継ぐ、学問の木・楷の木を、岡山県備前市の
 「閑谷学校」から頂き、校庭に移植しました。また久喜小全児童を対象にした講演会を、「子ども論語塾」を主催する
 安岡定子先生の論語に関するお話としたのです。現代日本の論語研究家として、東北大学の金谷先生、大阪大学の
 加地先生と共にトップを行く、安岡先生をお迎えできることは大変な喜びとするものです。
  こんな準備の状況から、少しでも久喜小の子どもたちに「論語」に親しんでいただこうと、本年度の「くきっ子ゆうゆう」に
 論語の講座を取り入れました。前記した橋本昭先生の論語勉強会の中心メンバーだった、橋本久雄先生、先生は
 久喜小のご出身、かって学校運営協議会委員であり、久喜小とは何かと関わりの深い方です。橋本久先生に講師を
 お願いし、私が担当して講座を開講しました。しかしこれもコロナに禍され、3回の予定が1回のみという有様でした。
  受講生も全員が低学年、ややだれ気味の雰囲気もありましたが、橋本久先生の周到な準備にたった面白い講義、
 成功の裡に終えることが出来ました。(本ページ10/16日付参照) 
  前記しましたが、私たちはかっての論語勉強会の復活を望んでいました。この間の全過程で橋本久先生、他の何人かと
 ご相談し、橋本昭先生のアドバイスもいただいて、論語勉強会を立ち上げることとしました。
、 先日「久喜小みんなの部屋」で会議を持ちました。出席者は旧勉強会のメンバー、久喜小関係者等です。名称は「久喜
 論語塾」、基本的に月1回の定例勉強会、会場はこの部屋のさらなる利用拡大を図る意味からも「久喜小みんなの部屋」
 橋本久先生を中心に、旧勉強会のメンバーを指導者として、活動していくこと等々を話し合いました。
  私はこの会の事務局を担当します。和気あいあいの中に、皆で「論語」を勉強していければよいな、と思っています。
  「子の臼わく、吾れ七十有七にして学に志す」の心境です。

      ◎ 150周年記念事業参加 久喜小キャンドルナイト 10/30(土) 久喜小校庭

















  久喜小創立150周年記念事業参加、「キャンドルナイト」を30日(土)夜、久喜小校庭で行いました。当初は半年後と
 せまった本番を盛り上げようと、夏休み・8月最後の土曜日に、「ナイトバザール」という事で、盆踊りや屋台も出す予定
 でした。コロナとの関係で無理だろうとの事で、2万本のローソクに灯を灯す「キャンドルナイト」としたのです。それもやはり
 コロナ騒ぎで延期となり、結局2カ月後れの開催となりました。(―下・左2―) これが屋上から写した今回のローソクに
 よる全体図です。校舎側頭に150thとおき、その下が久喜小のマークです。上側左右の耳はクルミの木の葉っばの
 部分となります。ですから(―上・右―) は今言った耳の部分、(―下・左―) は150の15の部分です。とに角2万本の
 ローソクを立てるのが大変でした。金曜日の午後から始めたのですが、上手くいかず、PTAのお母さん方は殺気立って
 い.る程でした。
  本番の日は12時から始めました。ローソクは紙コップに、浅いアルミ状のお皿にロウ、糸の真が入ったもの、軽い
 ので風に飛ばされてはいけないと、重りに水を入れました。コミュ協・PTA・ボランティアの方、それなりの人にお集まり
 頂き、また昨日の経験から割普請方式を採用したため、そこそこに作業がはかどり、一時期は不可能とさえ思えた
 ローソク立て・設置も、何とか15時過ぎに終了することが出来ました。(―上・左と左2―) 
  10月末という時期だと、もう暗闇も濃くなる17時前から点火を始めました。チヤッカマンを200本は用意しました。でも
 2万本に灯を灯すのです。大変だなと思っていたのですが、この日学校業事があり、今までダメだった中学生のボランティア
 が多数駆けつけてくれました。若い人たちは動き振りが違います。時間までに全部点灯することが出来、それが夕闇の
 深まりと共に、すっきりと浮かび上がりました。(―上・右2―)  19:00 市長・議長もおみえになり式典を始めました。
  多目的室近くで実行委員長・校長・来賓が挨拶、いつの間にか久喜小児童・保護者・地域の方等々、無大勢の方の
 ご来場を頂いていました。私は職員室前のテント内にいましたので、挨拶は聞こえませんでしたが良いのです。思いは
 一つですからね。それからしばらくの間、本館の屋上に登り、前記した写真を取ったり、ローソクの前で記念写真を撮ったり
 しました。(―下・右―) 屋上から見たときもきれいでしたが、そばで見るローソクも、灯がゆらゆら揺れてとても幻想的
 でした。これは提灯山車のローソクの灯と同じ、矢張り良いものですね。
  今回ローソクは実行委員長が用意しました。以前「J・C」で経験があるそうです。メーカーの説明書によると、灯は4時間
 持つとありました。しかし19:30頃には、早や消えだすローソクも出始めました。20:00一斉に撤去に係りました。点灯が
 大変だったように、消火・撤去もと思っていましたが、これが結構簡単でした。前記したように紙コップには水が入っています。
   紙コップをゆすると水でろうそくが消えます。浅いアルミ状のお皿、紙コップは紙コップで集め、人も多かったせいもあり
  短時間で終了しました。
(―下・右2―)   なおこの日ドローンにて上空から写真を撮りました。この写真をプリントした
  クリアファイルを作成、児童に記念品として贈呈する予定です。
   この事業は一貫してPTAの方々のリードで行われました。いろいろ難しい局面もありましたが、その情熱と努力に敬意を
  表します。これでしばらく行事はありません。私は実行委員長と共に、記念事業用資金調達に忙しい時間をもうしばらく
  送ることになります。
 

       ◎ 久喜北小・令和3年度ありがとう北斗祭・感謝の集い  10/30(土)









  久喜市内の各学校には、母校愛・地域愛に燃え、様々な形で学校運営に協力する、大勢の地域の方がおられます。
 そして学校ではそうした方のご努力に感謝する、「感謝の会」を持っています。久喜小でもそうですが、本日北小での
 「ありがとうの集い」に参加してきました。私がもう20年を越えて、北小で「読み聞かせ」のボランティアをしていることは
 何ども報告しています。久喜小と北小のそれが違う所は、北小は音楽祭=北斗祭に合わせ、感謝の会を持っている
 事です。コロナ騒ぎの下では出来ない行事です。今回出席された地域の方は30名、約学校運営協議会委員、ゆうゆう
 実施委員、民生児童委員、区長、環境ボランティア、そして私たち読み聞かせメンバーといった人たちです。児童は
 6・5年生のみ、他学年は出場の時のみ体育館に来るという状態、保護者の参加はなく、後で動画配信するそうです。
  私たちもイス席4列、十分な間隔があり、いろんな意味でコロナ感染対策がなされていました。それでも今の感染状況
 だから出来るわけで、矢張り通常の状態はありがたいなと思います。
  これは久喜小でもそうですが、まず最初に子どもたちから手作りのペンダント、育てた鉢植えのビオラを頂きました。
 (―左―) 北小では毎年、この日に地域の方3名の表彰をしています。私も3年ほど前にいただきました。校長ではなく、
 学運協とPTA会長の連名なのが特徴です。(―左2―) 
  1年生から順次音楽・合奏の発表が行われました。下級生はかわいらしく、上級生は見事な演奏でした。よくベテラン
 の方が「今の若者に負けるものはない、ただ楽器とパソコンだけはかなわない。」と言います。今の子どもたちは
 とに角楽器は見事に弾きこなします。小さいときからこうした訓練・経験を積んでいるからなのでしょう。
  ずっと聞いていましたが、矢張り5年生・6年生は見事でした。5年生は楽器を一切使わず、手拍子・拍手と足踏み
 だけで演奏しました。(―右2―) チヨット変わっていましたが、よくリズム感を出していました。
  6年生はやはり最上級生、あらゆる点で優れていました。(―右―) 最後に校長先生が講評を述べられました。
 子どもたちはコロナとの関係で、十分な練習はできなかったと思います。笛を吹く子以外(打楽器系)マスクをしての
 演奏でした。ご苦労様でした。
   私の北小での活動、読み聞かせボラも、年々視力が落ち読みにくくなっています。もう何年続けられるかと思います。
 でもこうして楽しい時間を持たしてもらうと、もう少し頑張ろうとなります。 
  良い集いであり、楽しい時間でした。
   
    ◎ やっと「論語」の講座を持てました・くきっ子ゆうゆう  10/16(土) 

  埼玉県に東京都・沖縄県に発令されていた
 「緊急事態宣言」が適応されたのは、8月2日の
 事でした。デルタ株が猛威をふるい、2回延長、
 解除されたのが、9月末日だったことは記憶に
 新しいところです。新学期に入り、しばらく分散
 登校という事で、不便をおかけしましたね。
  当然この期間は「ゆうゆう」もおやすみでした。

  そしてやっと今月7日になって再開したことは、下段で報告しています。さてこの中止となった9月の間です。私が
 提案し、当然担当することとなり、大変楽しみにしていた初の試み「論語を読もう」の講座も、当然2回にわたり
 中止となりました。この講座は前記したように、「くきっ子ゆうゆう」で初めてのもの、講師の橋本先生とも相談し、
 いろいろ考え、3回シリーズとしました。だから前2回が中止となり、たった1回、最初にして最後の講座が16日
 持たれたことになります。
  
  何故この講座を持つに至ったかを、少しお話しておきます。もう何ども書いてきましたが久喜小は来年=令和4年
 開校150周年を迎え、記念事業を予定しています。この記念事業のコンセプトに考えたのが、「遷善館の教え」です。
  久喜小は「遷善館」の教えを今に伝えようと、開校に当たり「中嶋豊山」先生の、「論語」から授業をスタートした
 のです。ですから記念事業の目玉として、中国孔子廟に植えられている学問の木=「かいのき」の遺伝を受け継ぐ、
 同「かいのき」を移植することとしました。そして来年9月7日の開校記念日に、150周年記念事業として全児童を
 対象に、「子ども論語塾」を主催し、我が国論語研究の第一人者、「安岡定子先生」をお招きし、講演会を持つことを
 決定しています。このゆうゆうの講座はこのことを前提に、少しでも「論語」をなじみのあるものにと考え、持つことと
 したのです。久喜市は元教育長であり、私の久喜中以来の変わらぬ恩師である「橋本昭」先生を中心に、「論語」
 勉強会が早くから持たれていました。私もそれに参加していましたが、今回の講師「橋本久男先生」はその中心
 メンバー、久喜小卒で、C・Sに関わる「学校評価委員」でもあり、また、久喜高大・市民大等で「論語」の講師を
 勤めておられます。3回の講座を1回で終わらし、しかも参加者は低学年児童でしたが、橋本先生の熱心な、
 そして何よりも、児童向けに用意された講座内容は素晴らしいものでした。
  優しく書かれた「パワーポイント」を使用、まずNHK大河ドラマ「青天を衝く」から、―《勢いは 青天を衝き 臂を
 掃いて(正確にはこの文字ではありません)登る(これもこの文字ではありません) 気は白雲を穿ち 手に唾して
 征く》― を説明されました。
 そのあといくつかの「論語」中の文言を音読、説明されました。「子の曰く 学びて時にこれを習う 亦悦?ばし
 からずや 朋あり遠方より来る 亦楽しからずや 人知らずしして恨みず 亦君子ならずや」の一番有名なのから
 始まり、「温故知新」、「巧言令色」、そして「子の曰く 道に志し 徳に拠り 仁に依り 芸に遊ぶ」といったものまで。
 感心したのは説明する際に子どもに解りやすく、ミヂカな例を出されていたこと、子どもたちも何とかあきずに
 最後まで頑張ってくれました。

  今日のこの講座に何人かの「ゆうゆう」活動仲間が参加してくれました。皆「論語」を勉強したいと言っています。
 講師の橋本先生とも相談したのですが、論語勉強会を立ち上げたいと考えています。会場は久喜小の「みんなの
 部屋」を活用できればと思っています。橋本先生を主催者に、私が事務局を担当します。また忙しくなりますが
 楽しい思いです。    

 ◎ 久喜小・文科省指定「カリキュラムマネジメントの充実」研究発表会 10/14(木) 

  久喜小では、私たち「学校運営協議会」の
 塾議を経て、学校教育目標を「イノベーション
 力の育成」と変更したことは、すでに何度も
 報告しています。久喜小では令和元年度から
 市教育委員会の、さらに昨2年度からは「国立
 教育政策研究所」の委嘱をうけ、「イノベーション
 力の育成」をめざしたカリキュラムマネジメントの
 充実」を主題に研究に取り組んできました。

  本日オンライン方式により、この研究の発表が午後より行われました。全国から300人弱の申し込みがあったと
 聞いていますが、久喜小に集まった参加者は、私たち久喜小学運協のメンバー以外、講師・市教委職員らで10人強
 という状況でした。
  13:00「公開授業」から始まりました。2Fの3年1・2・3組の部屋に電子黒板が置かれ、1・3・5年生の授業を放映、
 各自が好きな方法でそれを見るという形です。1時限50分なのでしょう、ほぼ等分に全部見て歩きました。生の
 授業参観でも、内容が良く解らないのですから、ビデオ動画を見てではなおさら解りませんでした。最近の授業は
 タブレットを駆使しながらというものですが、5年生の授業ではタブレットを片手に、マスクではなくフエィスガードで
 話し合い、「協議」の大切さ、相手の意見を聞き、自分の意見をつたえる、に取り組んでいました。
  1年生の授業では黒板に、1・ワンダー会議をする、2・プロジエクトを見直す、3・振り返り、と書かれてあり、
 子どもたちはブロック積み木を組み立てながら、一生懸命話し合っていました。先生が「プロジエクト・プロジエクト」
 と盛んに言っていました。1年生なのです、もうこういう時代なのですね。(左―1つの教室には数人しかいません―)
  
  その2、分科会に移りました。「授業研究部」、「評価部」、「環境部」の3分科会があります。説明文に「環境部」
 「チーム久喜小、地域の人材・教材」とあり、学運協のメンバーは、最初全員がここに参加しました。しかしあまり
 面白いものではありませんでした。シナリオが出来ていて、それに沿って進めるのですが、興味を引くものはありません
 でした。写真の左は動画を見る教室です。その動画を先生方裏方の人が放映するわけです。それが写真の右です。
 「多目的棟」3つの部屋に、1分科会当たり10人弱の先生方が、役割を分担、必死に事務に当たっていました。
  私は毎日ウオーキングをしています。久喜小の周囲を歩くと、結構遅い時間まで、この部屋で先生方が準備に
 頑張っていました。授業だけでなく、ここまでやるのですからご苦労様としか言いようがありません。次いで双方向の
 研修会という事で、オンラインで参加の方から質問を受けました。「環境部」では仙台市の方が、「3分科会と校務
 分掌との関係」、さらに「地域人材バンク」への質問が出ていました。沖縄の方も感想を述べていました。今回オン
 ライン方式がうまく行ったか疑問ですが、沖縄の方でも参加できるのがこの方式の良さですね。また文教大学の
 浅野先生は「個の学び」についてふれ、カリキュラムとは、単なる教育計画でなく、教師の働きかけと子どもの活動の
 全てと定義、社会に対し開かれた教育課程から、「個の学び、個の学びを社会に開く」重要性を述べておられました。

  その3は最後の全体会です。まず市教育委О主事が講演、氏は教育目標を変更したときの、久喜小の教務主任
 「イノベ―ション力の育成」について話されました。内容は今まで散々聞いてきましたので割愛します。
  最後が文科省と国立教育政策研究所の「鳴川哲也」先生による講演です。所でコロナ騒ぎからこうした研修会が
 オンラインで行われるようになりました。私などは度し難いアナログ派ですから、どうしても馴染めないものがあります。
 最初の頃は映像が乱れたり、音声が聞こえなかったりがありましたが、最近はそうしたトラブルが少なくなりました。
  今回このオンラインによる研修会が成功だったか、どうかと前記しましたが、トラブルが結構多くありました。鳴川
 先生の講演初めにもそれがあり、先生は「ICTというが、これはいつも、チヨット、トラブルの意」なんて笑いを誘い、
 いらだつ気分を納めてくれていました。鳴川氏は久喜小が教育目標を変えたことを、「覚悟と本気とをもってそうした」
 と評価、「みちをたのしみ みちを歩き みちをつくる」とか、「大単元構想」とか基本的考えに立つワードを、「学習指導
 要領」との比較から考察、評価されていました。最後に「正解のない問いを問い続ける努力」という久喜小の活動を
 評価され、さらなる努力を求めていました。

  私は日常的に久喜小にいて、「イノベーション力の育成」にかける久喜小の努力を良く知っています。この依嘱研究に
 対しても、全員の先生が真剣に取り組んでいる姿も見てきました。研究委嘱の年数からして今年が最後、今回が
 最後の研究発表となるのでしょうか。チヨット寂しい気がします。特に結構あったICТ上のトラブルが、全体に影響を
 与えた感じがして少し残念でした。
  最も私は学運協のメンバーとして今後も変わらず、久喜小の教育目標の充実に頑張っていきますが。
   
       ◎ 緊急事態時宣言解除、「ゆうゆう」再開  10/7(木)

  東京都と沖縄県に発令されていた、第4次の
 「緊急事態宣言」が、我が埼玉県等首都圏・
 及び大阪府に適用されたのは、8月2日のこと
 でした。デルタ株が猛威をふるい、絶望的な
 状況の中、2回にわたって延期され、結局解除
 されたのが、9月末というのは皆様ご承知の
 通りです。


  従って2学期入りは緊急事態下にありました。子どもたちは分散登校、半数の子どもたちは、家へ持ち帰ったパブレットで、
 教室にいる子供たちと同じ学習をしていました。一口にこう言っても大変なことです。1・2年生の子供など教室にいても、
 1日中パブレッとを睨んでいることはかなり苦痛です。まして自宅にいる子は、という事で、かなりの子が、「ユーチューブ」で
 漫画を見る、またはゲームをしているそうです。誰が何を見て(して)いたか解るんだそうです。ヤバイことですね。私なんかは
 いつもアッチ系の動画ばかり見ていたとすぐ解っちゃいます。マァ分散登校は限界に来ていたとのことです。21日から通常登校
 となり、そしてやっと宣言が解除されました。宣言下で、当然「ゆうゆう」は休止となりました。久喜小150周年記念講演(安岡
 定子氏・論語)との関わりから、私が提案・担当する「論語を読もう」は3回のうち、2回まで中止となりがっかりしました。また
 同じく150周年関係では、「キャンドルナイト」が延期され、今月30日(土)に行われる予定です。
  さて「くきっ子ゆうゆうプラザ」の宣言明け最初の開講日が、昨日7日でした。実施委員会を開催、今後の方向性を確認した後
 久しぶりに子どもたちと楽しい時間を持ちました。この日は「ドッヂボール・ダンスを創ろう・編み物・学習・そろばん」等でした。    
  写真・左はドッヂボール、手前が低学年、先が高学年、相変わらず大勢の子どもたちが参加しています。
     右は体育館での「ダンスを創ろう」です。一見器械体操的動作をしていました。
  私は木曜日は「ドッヂボール」、土曜日は「論語」を担当します。木曜日の「ドッヂボール」は「くきっ子」の目玉講座の一つ、毎年
 大勢の子どもたちが参加してくれます。サポーターも常時4~5人、最近はプラスして、協力員として保護者も数名参加しますので
 大分楽になりました。必ず皆から離れて砂遊びをしている子どもがいます。人がキャッチしたボールをひったくる子がいます。
 チヨット転んで傷1つないのに、ケガした、ケガしたと騒ぐ子がいます。もう毎回見慣れた風景なのですが、やっぱり久しぶりだと
 妙に懐かしく、良いものです。やっぱり子どもたちはこうして、元気に仲間と遊ぶのが良いのです。
  もう「宣言」が出ることなく、こうした日々が続きますように、と思わずにはおられません。

     ◎ 久喜小創立150周年記念事業用募金のお願い 9/27(月) 

  我が母校である久喜小学校が、来年令和4年度に開校150周年を迎える事、来年1年をかけ記念事業を行う事
 私が実行委員中枢メンバーとして、多くの準備活動に当たっていることはもう何ども報告してきました。記念事業の
 中身ですが、1・記念樹植樹(中国孔子廟にある学問の木・カイノキの遺伝を受け継ぐ)、2・記念碑、3・校旗新調
 4・記念誌発行、5・記念講演会、6・記念品作成配布(児童)、7・記念パレード、8・記念式典等々です。上記の費用
 ですが、記念植樹230万円、記念誌200万円を始め、約700万円を予定しています。すでにPTAによる積立金、
 ローソンの緑化事業への支援金等で100数十万確保していますが、目標額は前記の通りです。募金要綱等は
 確定していましたが、遅れていた関東信越国税局からの「寄付金控除の適用」解答が到着、先日の会議で本年10月
 1日より、来年8月31日まで募金を募ることとなりました。時節状況の厳しい折誠に恐縮ですが、ご協力たまわり
 ますようお願い申し上げます。
 
                        募 金 要 綱
                                     久喜市立久喜小学校創立150周年記念事業
                                     実 行 委 員 長    山 中 大 吾  

  1・募金目標額  前記
  2・事業計画    前記
  3・募集期間    前記
  4・募金単位    一口5、000円  クラス・同学年で募金の場合この額にこだわりません。  
  5・募金対象   本校同窓生および本会の趣旨に賛同いただける方(法人及び個人)
  6・募金地域   久喜市立久喜小学校区及びその周辺地域
  7・募金管理者  実行委員会事務局 久喜小事務主幹 
  8・募金取扱者  実行委員会会計担当    宮内 智
  9・募金方法   (1) 口座振り込み
               A・3万円以上の場合(寄付金控除の対象となります) 武蔵野銀行久喜支店 普通 ・1168377
               B・3万円未満の場合 埼玉りそな銀行久喜支店 普通  58855083
                   名義人は両者ともに 「久喜市立久喜小学校創立150周年実行委員会」
             (2) 現金書留・為替  〒346-0005 久喜市本町2-5-1 久喜小学校事務室 ☎0480-21-0054 
             (3) 直接持参   久喜市立久喜小学校事務室
                 なお当然要綱にはありませんが、連絡いただければ岸がお伺いします。☎ 090-2744-9415
            ◎ 二口以上で150周年記念誌を贈呈させていただきます。その際住所、名前、記念誌がいる・いらない、
               名義を公表してよいか・否か、名義は個人名か企業名か等を記載した寄付申込書をお送り下さい。

  久喜小は「遷善館」の伝統を引継ぎ、明治6年1月にスタート、ここに150周年を迎える事となります。記念事業をここに学び、この
 学校を愛し、この学校を支えて下さった、全ての皆様と共に行いたいと思っています。多くの先人の地域教育を切り開いた志にふれ、
 久喜市の中心学校としてのさらなる未来を切り開きたいと考えます。つきましては記念事業遂行に当たり、本校卒業生・地域の皆様に
 募金という形でご協力をたまわります。なにとぞよろしくお願いします。   

      ◎  久喜小研修会向け動画撮影―UP 9/21(火)

  久喜小学校が文科省の依嘱を受け(国立教育政策研究所教育課程研究指定校)、「カリキュラムマネジメントシステム」
 の研究授業に当たっていることは、もう何度も報告しています。所で久喜小は、これももう何度も報告していますが
 長く続いてきた学校教育目標(かしこく ゆたかに たくましく)から、「イノベ―ション力」に変更しました。激しく変動し、予測
 不可能な社会を乗り越えていく力、とでもいうのでしょうか、私は「久喜小学校運営協議会」の一員として、この過程に
 参加し、この新たな学校教育目標に賛成しました。10月14日午後からの研修会は、「イノベーション力の育成を目指した
 カリキュラムマネジメントの充実」と題するもの、時節柄オンラインで行われますが、今久喜小ではこの研修会の成功を
 目指し、様々な準備活動が行われています。関わるいくつかの動画を撮影し、全国に発信しているのもその1つです。
   この動画です。久喜小の教務主任であり、この研究の主任であるI先生が司会を勤め、若手教員が撮影します。
 (1)は何と言っても校長先生へのインタビュー、そして(2)が学校教育目標「イノベーション力」を決めたときの状況、その後の
 感想等で、そのほか(3・6)久喜小の先生へのインタビュー、(5)PTA会長(何と会長はパンダのぬいぐるみでの登場でした)
 (7) が大単元構想についてとのタイトルで、本ページ7/5日付で紹介している、我が学運協の仲間=H氏へのインタビュー
 です。さて私が登場する(2)ですが、9月15日、当時の「久喜小教務主任、現教育委員会指導課主事のО先生」が飛び入りで
 参加され、校長室で撮影され、先週末にUPされました。

  さてこの動画へのアクセスです。まず久喜小学校のホームページを開いてください。トップペ゜―ジに「イノベ―ション力」と
 大きく書かれています。その下に□の中に、「研修サイト」とあります。ここをクリックしてください。そうするとパスワードと書かれた
 □ が出てきます。ここにパスワードを打ち込みます。パスワードはきわめて単純なものですが、ここで私がお教えするわけ
 にはいきません。H・Pの管理者である久喜小教頭・教務主任に直接聞いて下さい。(☎21-0054) パスワードを打ち込み
 次に「送信」をクリックしますと、次のページに「研修サイトURL」と出てきます。これをクリックすると、いよいよ「ようこそ 久喜
 小学校へ」のページに到着します。このページを下へと追っていくと、「研究主題の紹介」等あり、1番下に、概要動画1、
 同じく概要動画2、そして事前公開動画が出てきます。この「概要動画2」をクリックすると、先の(1)~(7)までの動画が次々と
 登場します。文字に書くと面倒くさそうですが、実際は簡単なものです。

  さて私へのインタービューです。司会の教務主任で、この研修の主任でもあるI先生から、次の3点を問われました。
  ① 新しく教育目標「イノベーション力」を決めたときの状況
  ② どう子どもたちは新しい教育目標を主体化していったか
  ③ 今思う事(感想)は

  ① 最初は少なからぬ戸惑いがあった。この新しい教育目標設定に当たっては、矢張りH校長の存在が大きかったと思う。所で
    今年の県主催のコミュニティスクール・フォーラムで、講師の文科省の方が、コミュニティスクールとは、校長先生が「イエス」とか
    逆に「ダメ」とかいうものでなく、「レッツ・一緒にやりましょう」という組織体であり、活動体だと言っていました。上手い説明をする
    と思ったのですが、正にこの時がそうでした。校長の「レッツ」一緒にやっていきましょう、考えていきましょう、という事で、私たちは
    じっくり考え、皆で話し合い、また考えるという、いわば「塾議」ともいうべき過程を経て、この新しい教育目標に同意しました。
  ② こどもたちがどうこの新しい教育目標を理解し、身に着けていったかは具体的には良く解らないものがある。ただ面白い話が
    1つあります。私「綱引」をやってるでしょう。(岸は久喜市綱引連盟会長であり、久喜市綱引大会の責任者です。) 去年はコロナで
    中止しているので、この新しい教育目標の最初の年・平成元年です。久喜小の先生方がチームを作り、「一般混合の部」に
    参加してくれました。試合の時、出場していた久喜小の児童100人ほどが、指定されている自分たちの席を離れ、先生たちの
    応援に駆け付けたわけです。「頑張れ・先生頑張れ」と応援している子どもたちの中で、ある6年生が「イノベーション力 イノベー
    ション力だ」とやったんです。相手チームと互角で、綱は動かず、どちらが勝つかわからない予測不能でした。だから「イノベーシヨン
    力だ!」 と叫んだ子どもと、「予測不能な社会を乗り越えていく力」の理解とが妙にマッチしていて、まあ笑った・笑ったという事が
    あったんです。子どもたちがこの新しい教育目標を、どう身に着けて行ったかというのは、具体的には良く解らない所ですが、優秀な
    本校先生方が、日々のカリキュラムの中でそれに取り組み、子どもたちは着実に身に着けていったと確信している。
  ③  ①でいったように始めは確かに戸惑いがあった。他の活動仲間に「何それ?」なんて言われたものです。ただ今は、例えば
    脱炭素社会の中で、あれは単に出すのを減らすのではなく、今までに出ていたものを失くしていく、というのがあって、例えば
    企業なんかが絶えず技術革新に取り組みながら、成し遂げていく、新しい価値を創造していくというのを、「」イノベーション」と
    呼んで、この言葉は完全に今、市民権を獲得したといえます。それともう一つ昨年度から完全実施された、新しい新しい「学習
    指導要領」です。目標を「生きる力」としていますね。それを構成するのが「確かな学力」、「豊かな人間性」、「健康・体力」の
    3つです。丁度久喜小の前の教育目標、「かしこく ゆたかに たくましく」と同じものですが、「生きる力」とは変化の激しいこれ
    からの社会を生きていく力」とされています。こう何か久喜小の「イノベーション力」が、正に先取りした、一歩前を進んでいたと
    いう事を、確認できて何かうれしい気がする。まあ今そんなことを思っています。
      マア大体こんな内容で10分強の動画撮影を終えました。私は3質、О先生は2質、私が7~8割占めていた感じです。
    やっぱり私はオシャベリなのでしようか。とにかく一度クリックして拝聴いただければ幸いです。 あと10月14日の研修会、誰でも
     参加できます。参考になります。ふるってご参加下さい。

     ◎ 久喜市立久喜小学校開校記念事業 9/7(火)

  今市内の学校は緊急事態宣言を受け、分散登校が実施されています。久喜小でも半数の児童が登校、残り半数は
 家庭でのオンライン授業です。久喜市内小中校はこれへの高い実績があり、安心なのですが、矢張り早く「緊急事態
 宣言」が解除され、全員揃っての対面授業を望むものです。そんな中の7日久喜小学校は149回目の開校記念日を
 迎えました。
  久喜小で来年の150周年に備え、記念事業を実施すべく、準備に当たっていることは折にふれ報告してきました。
 「久喜小学校」は、明治6年1月の16日、我が菩提寺である「光明寺」本堂を校舎とし、「久喜学校」としてスタートしま
 した。「えっ、じゃ何故9/7なんだ」という事です。伊藤内閣でのわが国初の文部大臣、「森有礼」は様々な教育制度の
 改革・整備を行いましたが、小学校をいわゆる「尋常小学校」と「高等小学校」に分けました。この時=明治25年9月
 7日に、「久喜学校」は「久喜尋常小学校」として生まれ変わったことになります。これが9月7日が開校記念日になった
 由来ですが、実際そうなったのは昭和30年からという事でややこしいですね。今の50歳~30歳位の人にお聞き
 すると、この開校記念日は休みだったと言っていました。しかし今は全員が登校、何らかの形でこの日を祝っています。
 でも去年・今年とコロナの関係で、皆が一堂に会しての集会は出来ないでいます。去年の開校記念日、私が150周年
 事業について校内放送でお話ししました。
(本ページ令和2年9/7日付参照) 今年はもっと進んだやり方でした。
  司会・教務主任I先生のみ放送室にいて、私、私の後挨拶されたH・PTA会長、そして児童代表は校長室です。机の上に
 タブレットが1台置かれており、そこに挨拶する人の顔が映っています。僕たちはそれに向かって話すのです。そうすると
 教室にいる児童全員の、半数の自宅学習の児童のパブレットに、声と顔が流れるというものです。私なんかにはその
 仕組みは解りませんが大したものですね。司会に「久喜小愛に燃える地域の代表、岸さんです」と紹介され、チヨット照れ
 ながら挨拶しました。私は「自分も君たちの先輩、大分古いけれど久喜小の卒業生」、「住まいもすぐ近くにあり、子供の
 頃は家へ帰るとすぐまた学校へきて、暗くなるまで遊んだ」、「中・高・大学生の頃は、土・日近所の仲間と校庭で野球や
 サッカーを楽しんだ」、「大人になるとスポーツ少年団でサッカーをやり、40年を超えて土・日、皆の先輩とボールを
 蹴っていた」、「そして今ではくきっ子ゆうゆうプラザや、コミュニティスクールで頑張っている」等々を話しました。
  おぎやーと生まれてからこの方、多くの時間を久喜小で過ごしてきた事、久喜小愛に燃えているというより、逆に久喜小
 から、きがいと多くの元気とをもらっている、だから今、記念すべき久喜小の150周年に一生懸命取り組んでいる」と話し
 ました。そのあと150周年記念事業の中身について触れ、「今コロナで大変な時にありますが、元気に久喜小生活を
 送り、来年の150周年を皆で迎えましょう。」と結びました。このあと子供たちはI先生出題の久喜小クイズで、短い時間を
 楽しんでいました。
  いよいよ本番まで半年と迫りました。コロナで延期された2万本のローソクで「久喜小150」の文字を描く、「キャンドル
 ナイト」も来月には行います。本番へ向け盛り上げていき、来年を迎えます。


    ◎ 令和3年度・埼玉県「コミュニティ・スクール」フォーラム 8/6(金)

  令和3年度の「埼玉県・コミュニテイ・スクール
 フォーラム」が、6日午後、時節柄オンラインで行われ、
 久喜小図書館・大型スクリーンでのそれに参加
 しました。スクリーンに参加申し込みの各学校・
 運営協議会名が次々と映し出されます。久喜市
 からも7~8校が参加、県全体で500名との事です。


  研修内容は1・文科省・「地域学校協働活動推進室」の榎木氏の講演、2・戸田市立戸田第一小学校・学校運営
 協議会会長と、同校校長の事例報告、3・ふじみの私立大井小校長で、C・Sマイスター朝倉(女性)氏の講演
 という3本立て、休憩を挟み3時間のものでした。
  榎木氏の講演です。「学校と地域の問題解決につながるコミュニティ・スクールの推進」と題され。① その必要性
 ② 制度の概要、③ 導入の効果・成果、④ 導入のプロセス・留意点、について話されました。 
  C・Sは学校・子ども・地域それぞれの課題を共有し、解決していく組織的・継続的な、連携・協働の組織・活動と
 定義づけていました。学校経営の責任者である校長が、『О・Kとかダメ、という事でなく、Let's(一緒に!)』という組織と
 面白い表現を使っていました。学校運営において、学校が対応する領域が大きく広がっている、とし、様々な立場や
 知見を持つ人々の参画が必要とされ、例として熊本の防災活動、その他を上げていました。地域防災活動は今後の
 C・Sの大きな課題と思われます。まとめとして「C・Sは地域とともにある学校づくりを通した、地域づくりの取り組み」
 とし、「地方創生に貢献、さらには国・世界の発展に貢献する」とされました。

  休憩を挟み戸田市立戸田第一小学校の学校運営協議会会長、並びに校長の事例報告を拝聴しました。戸田市も
 平成30年から全校コミュニティスクールに移行していますが、同校はその中で先進的役割を果たしています。
  町内会長である運営協議会会長の報告を聞きながらびっくりしたこと、コロナのまん延、危機の時だからこそC・Sを
 とのことで校長と正副会長のみの会議を持ち、その後オンラインの会議を続け、子どもの安全見守り活動に繋がった
 と報告したこと、我が久喜小ではこの時期、普段と全く変わらず対面会議をしていました。(私たちが異常なのですか?)
  続いて校長先生、働き方開会とICT教育を進めたい、PBL(プロジェクトペーストラーニング・課題解決型学習)を、と
 考えていた。「戸一愛」に溢れた委員の活動に助けられている、としました。こういう研修会で、こういう言い方ってあるん
 ですね。1つだけ気になったこと、会長の会議の報告で毎回毎回、「C・Sディレクター**先生のまとめを頂いた。」とか
 「助言を頂いた」とあったこと、何だろうと思っていたら、戸田市教育委員が委嘱している杉並の元校長先生との事、
 オンラインで参加している各学校から、「C・Sディレクターて何ですか」、「詳しくこの制度を教えてください」、「こういうのは
 大いに助かる。予算をつけて下さい(県は)」と多くの質問・要望が寄せられていました。所で私はこういうのには反対です。
 「戸一愛」や「久喜小愛」に燃える人たちが、例え稚拙でも頑張ってやっていけばよいのです。

  最後が「ふじみの市立大井小・朝倉校長先生」の講演、文科省C・Sマイスターでもあり、こうした研修会ではおなじみの方
 私はもう数回お話を拝聴しています。正直申して文科省榎木氏と表現こそ違え同内容、当たり前と言えば当たり前ですね。
  「子どもが育つ基盤を共に創る」、「社会に開かれた教育課程の実現」、「学びの好循環」、「学校を核として人が育つ、
 地域が育つ、まちが育つ」こんな内容を熱心に話されました。
   今回の研修でお二人から「地域学校協働活動(本部)の構築」、「地域コーディネーターの育成」が何ども言われました。
 文科省の方針から来ていますが、埼玉県ではつい昨日まで一切語られていませんでした。そうした組織を創る、誰が
 どこに、学校運営協議会との関係は、難しいことですが、考えてみねばなりません。
  それと導入の話しで朝倉氏が、「C・Sを早くから導入したところには「あき」が見られる。」と話した事、「CS」で「あき」
 「停滞」という話を聞いたのは初めてです。「長期低落」にあえぐスポ少は間もなく60年です。全校実施が無理となった
 放課後子ども教室は18年です。まだ10年を迎えていない久喜のC・Sにも「あき」とか「停滞」があるのでしょうか。
  最後にイヤミを一つ、オンラインで研修している各地区から、前記した質問、お礼のメール等が送られ、それが講演
 資料の横にどんどん映し出されます。「学校運営協議会のメンバーと拝聴しています。**先生・**会長、ありがとう
 ございました。」というのがいくつもありました。所で久喜小図書館での研修、参加者は教務主任と私だけです。私は
 10年を超え、把握出来たこの種の研修会には全部出ています。敬愛してやまぬ我が久喜小の仲間の奮起を求めます。

     ◎ 久喜小裏庭で子どもたちが山車を引きました。 7/12(月)  









  12日~18日は天王様・提灯祭りです。12日と18日に市内を勇壮に山車が練り歩きます。12日に久喜小の
 子どもたちはいくつかのグループに別れ、各保存会の山車引きに参加します。暑い盛りですが子どもたちにとり
 大変楽しいようです。ところがです。「アラカルトのページ」で何回も報告しているように、去年・今年と山車を引く
 ことが出来ませんでした。にっくきコロナの所為です。

  現4年生は去年秋、「楽しみにしていた山車が引けなかった、町の人たちも何となく元気がない、なら僕たちが
 ミニ提灯祭りをして地域の人に元気を送り届けよう。」と、「ミニ提灯祭り」を行いました。学校にあった古い
 リヤカーを利用、竹の柱を建て、手作りの提灯を飾り、校庭を練り歩きました。私はこのミニ提灯山車作成に関わり、
 また山車運行の日にはご招待を頂きました。(本ページ令和2年11/7参照)
  そんな先輩を持つ現3年生です。より計画的・目的的に提灯祭りと町の人たちについて、関心を拡げ、活動を
 展開しました。まず私を講師に祭りについて色々勉強しています。(同じく本ページ本年度5/28日付参照)
  その時の子どもたちの質問、「祭りに関わる人が大切にしていることは」の質問に、「同じ町の住む人とのつながり
 絆」との私の答弁に、みなうなずいてくれたのが印象的でした。
  お祭りのもう1つの楽しみに露天があります。今年も1軒のお店も出ません。なら自分たちがブースを作り、いろんな
 事をそこでして、招待する町の人たちに楽しんでもらおう、そんなことも企画しました。それが今日12日、本来なら子供
 たちが山車を引く日です。子どもたちに山車を引く楽しみも味わってもらおう、そうした意味で久喜小裏庭駐車場での
 山車の引き回しとなりました。これも何回か報告していますが、私が長いこと会長を勤めていた「本ニ祭典保存会」は
 久喜小が地域内にあり、また山車蔵の土地をお借りしています。義理があると言えばそれまでですが、H会長以下役員
 若者が気持ちよく協力して頂いた事に感謝します。
  人形以外全て飾られた山車の前で開会式です。(―左―) 裏庭には電線が横断しており、人形を乗せることはできない
 のです。校長・PTA会長・H保存会会長、そして私が挨拶しました。校庭で引けば本格的なのですが、公道を通らない限り
 出られません。公道を引くことは☓ですので、ヤムを得ず裏庭の駐車場です。「密」対策から3グループに分かれて引いて
 もらいました。(―中―) 「ワッショイ・ワッショイ」と声も出せませんが、それでも子供たちは充分楽しそうでした。
  最後にクラスごとに記念写真を撮って全てを終えました。(―右―) 暑い中ですが子どもたちは堪能したようです。
 地域の人たちを招待しているブースがある体育館へと帰っていきました。そこに「焼きそば」や「綿あめ」はありませんが
 自分たちが工夫を凝らした「じゃんけん」、「クイズ」、「運命観」等が招待者を楽しませてくれるでしょう。いつの間にか
 山車の周りには他学年の子どもたちが一杯集まって、「ァッ・本当の山車だ」、「僕たちもやりたい」と大騒ぎでした。

  今日と今日を迎えるまでに学運協会員、久喜小地区コミュニティ推進協議会役員、そして本ニ祭典保存会会員の皆様に
 多くの協力を頂きました。本当にうれしく思い、感謝します。これが久喜小の誇りであり、財産です。これこそが「良い地域が
 良い学校をつくり、良い学校が良い地域をつくる」姿なのです。

    ◎ 久喜小学運協の仲間による問題解決型学習研修会 7/5(月) 

  問題(課題)解決型学習(P・B・L)という方法があります。アメリカの教育者・ジョン・デューイによって提唱されました。
 知識の暗記などのように学ぶ者(生徒)が受動的でなく、自ら課題を発見し、解決する能力を養うことを目的とした
 教育法です。学習者の自発性・能動性を引き出すわけで、教育者(教師)の役割はいわばサポーターといえます。
  そしてこの教育法は、現学習指導要領が言う「アクティブラーニング」と同じものです。それは正解・解答のある
 課題に取り組み、知識や技能を得る事でなく、正解のない議論を通して問題解決能力を養うものです。
  アクティブラーニングは主体的で、対話的で、深い学びの視点からの学習法です。これは久喜小の新たな教育目標
 「イノベーション力」ではありませんが、1・社会的変化の急速な発展、2・人工知能の普及、急速な社会の変化に対応
 できる適用力や適応力=問題解決能力を必要とする、3・従来型知識の詰込みから、必要な力を延ばす重要性等を
 背景に打ち出されたものと言えます。アクティブラーニングの中で、様々な人と交わる(グループディスカッション)、
 自分の意見を表現する、他人の意見を受け入れる、数人で協働して学ぶ、事を学びます。そして新しい課題に気づき
 解決する力がついていくのです。

  所で今日この「問題解決型学習」研修会を、我が「久喜小学校運営協議会」の仲間であるH氏講師で行いました。
 氏は「水」に関する研究者、数冊の本を出しておられ、この分野でいくつかの大学の教員を勤め、また講演活動に
 当たっています。中国での節水を主する国際協力活動、「日本水フォーラム」での普及啓発活動等と並んで、2015年
 から5年間S県立М高校において、水をテーマに探求型の授業を行っています。今日はこれに基づいての講演、
 久喜小の殆どの先生、学運協からも5名が研修会に参加しました。
 氏は「問題解決型学習」を、「探究的・協働的な学び」と表現しました。探究的学びとは、学生自らの興味のあることに
 対し深く学んでいくこと、「協働的な学び」とは、異なる多様な他者と協働して、主体的に課題を解決することとされました。
  表現は違いますが、上記で私が示したアクティブラーニングと変わりありません。これまでは「知識をたくさん覚えた人が有利」
 しかしAI等の技術進歩により、これからは「覚えた知識を使いこなし、問題を解決する事が大切」と頑張ったそうですが
 周りの先生方は偉く不安がったそうです。「新しい事を始める余裕がない、そんなことして学力が落ちないか、どう評価する
 かわからない」等々、とに角軌道に乗るまで3年かかったと言い、また「P・D・C・A」でなく、「P・D・P・D」だなんてことも言って
 いました。アクティブラーニングを先駆けて実践することは大変だったろうと推察する次第です。
  私は地域の人間です。子どもを相手に「問題解決型学習」を実践することはありません。しかし「ゆうゆう」でも、「スポ少」
 でも同じことです。子どもの主体性が第一です。教え込むのでなく、子どもの可能性をサポートすることです。そして子供たちが
 大勢の他者と交わえる、子ども同士が活動していく・成長していく、そんな環境を整備してやることです。
  改めてそんなことを考えさせてくれた今日の研修会でした。

     ◎ くきっ子ゆうゆう・令和3年度の開校式を終えました。 7/1(木)

  
「くきっ子ゆうゆう」の活動については、その都度このページで報告してきました。この事業もコロナにより大きな
 痛手を受けました。昨年度は大幅に遅れ、かつ規模を縮小しての開校でした。いくつかの学校では開校を見合わ
 せした。それも再度の感染拡大により途中中止という状態でした。
  さて今年度です。ここへきてワクチン接種が急ピッチで進んでいますが、依然として感染は収まりを見せていません。
 そんな中慎重に講座内容を検討、「密」になるもの、「食」を伴うものは去年同様実施せず、講座内容を確定後募集を
 行い、164名の参加を得て、例年よりほぼ1カ月遅れての開校式となりました。

  今年も全員そろっての「開校式」は見合わせ、下校班ごとに各教室に集まって頂き、校内放送での開校式となりました。
 柿原くきっ子実施委員長、飯島運営委員長、穂村校長先生にご挨拶を頂きました。校長先生からは『サポーターの方に
 感謝の気持ちを込めてきちんと挨拶しよう。異なる学年が活動する、お互い相手をいたわる・感謝する気持ちを持とう、
 いろんな活動に積極的にチャレンジしよう。』といった内容の話しがありました。
  「ゆうゆう」で大切なことはいろいろありますが、安全安心に活動が行われること、活動時間中はもちろんの事、下校も
 それが言えます。毎日の通学班とは異なる、ゆうゆうの下校班が組まれるのです。私が参加した特別教室棟・理科室でも
 まず実施委員・協力委員としての保護者一体で下校班を編成しました。受付時・下校時の方法について詳しく説明しました。
  ご承知のように「ゆうゆう」の活動日は木曜と土曜です。土曜日のそれは原則保護者送り迎えとなっていますが、木曜日は
 この下校班で帰ります。「八街」の悲劇が起きたばかりです。今度も安全安心を徹底したいと思います。
  一般的な注意もしました。マスク必着、手洗いと消毒、9月くらいまでは熱中症対策(水分の補給)等々です。活動場所の
 説明もしました。今日のグループは地域ごとですから、いろんな講座の人がいます。**はグラウンド、**は図書館、
 **は音楽室とやりましたが良く解ったでしょうか。
  40分ほどで終わり、子どもたちは体育館前の下校場所に集合、チェックを済ませ下校班ごとに帰宅していきました。
 大勢の保護者サポーターが参加してくれました。ご協力に感謝します。どうかよろしくお願いします。
  前記したように開校が通常よりひと月は遅れました。だから来週1回あるだけで夏休みに入ります。今年私は木曜日は
 「ドッヂボール」、土曜日は秋の「論語を読もう」を担当します。老骨にムチうって頑張ります。

       ◎ 久喜小 ビオトープで遊んで学ぼう  6/26(土)

















  「ビオトープ」ってご存知と思います。ドイツ語です。英語では「バイオトーブ」と言います。ギリシァ語のビオス
 =生物と、トポス=場所から来ています。生物が自然な状態で生息している空間を言います。環境先進国の
 ドイツで野生動植物の保護を目的に、森林・池などを整備したことから始まりました。日本では主にガーデニング
 の分野で水辺の生態系を人工的に整備した場所を指すようです。
  我が久喜小でも校庭東南のスミに、数年前再生した立派なビオトープがあります。2018年5月に大分前に
 整備され、その後放置状態にあったものの再整備を始め、 10月に完成したものです。この再生活動の先頭に
 立たれたのが、私たちが師匠とお呼びするТ氏、その後日常的に久喜小に来られ、ビオトープの管理、その他に
 頑張っておられます。お陰で久喜小ビオトープは2019年に「全国学校園庭ビオトープコンクール」で、日本生態系
 協会賞を受賞しています。
  久喜小PТAの主催で奈良市より、「谷幸三」環境科学博士をお迎えし、「ビオトープで遊んで学ぼう」なる
 イベントが26日(土)行われ参加しました。谷先生は生き物と自然に関する活動団体に多くかかわっておられます・
  保護者同伴ですから全部で100数十名もの参加を得ました。開会式の後40~50人くらい、3グループに
 別れて開始です。第1グループはビオトープに関するクイズです。(―上・左―) PТA会長が担当、電子黒板に
 次から次とクイズが出されます。最初は常識的問題でしたが、後半だんだん難しくなり、「ビアトーブに来る蝶は」
 とか「チヨウが良く止まる花は」とか、「トンボの目はいくつ」なんてなるとまるで解りませんでした。子どもたちが
 物知りなのに感心しました。
  第2グループは教頭先生による久喜小のビオトープの歴史、活用しての授業の紹介等々でした。(―上・中―)
  第3グループがお待ちかね、外へ出てのビオトープの実際の視察です。(―上・右と下・左―) 3グループに
 別れてですが何せ参加者が多いのでこんなに混雑しました。久喜小のビオトープは本当によく出ています。2つの
 池があります。その池を結んで小川が流れています。小川が自然に流れるように築山を利用した高低差があります。
  ビオトープのあちこちに谷先生や、Т師匠が待っていて詳しく説明してくれます。水辺の水生植物として「ウリカワ・
 シャグクモ・アナカリス・イヌホタルイ」、現物を指さしながら説明してくれます。(―下・中―) は「穂」をつけた「ガマ」
 また「イヌホタルイ」は絶滅危惧種に数えられるそうです。昆虫としてはトンボ類、ヒメアメンボ、タイコウチ、水カマキリ等
  魚、貝類としてタナゴ・クロメダカ・ヒメタニシ・タモロコ・ミナミヌマエビなどです。あとビオトープにくる鳥もいるそうですが
 さすがに今日は来ないようでした。昆虫はともかく、前記した植物・昆虫・魚などに子どもたちは、皆目を輝かしながら
 見入っていました。私はこのビオトープとでもいうべき環境が、常時身近にある中で育ちました。だから?余り感激は
 ないのですが、子ども・保護者は本当に熱心でした。
  全員が1周りした後、また体育館に集合、谷先生の講演を1時間ほどお聞きしました。最初1時間と聞いたとき、
 低学年の子が多いので持つかなと思ったのですが、子どもたちは熱心に関西なまりで大分聞きにくい話しをよく聞いて
 いました。(—下・右―) 昆虫などの動物には「完全変態のもの、不完全変態のもの、無変態のものがある」から
 始まりました。「完全変態する昆虫は」から、「昆虫の体の仕組み」へと話は進みました。私の一番弱い部分です。
 「サナギ」があるかないかが、完全・不完全の違い位は知っていましたが、アトはさっぱりです。子どもたちが良く
 知っているのに感心しました。
  私は日常的に久喜小にお伺いしていますから、ほぼ毎日ビオトープに接しています。今日のイベント参加で
 これからは、今までと違った態度と関心を持ってビオトープ内に入ることとします。有意義なイベントを企画・実施して
 頂いたH会長以下PТAの皆様に感謝します。

      ◎ くきっ子ゆうゆう・本年度開校に向けて 代表者会議 6/19(土)

  久喜小の放課後子ども教室(くきっ子ゆうゆうプラザ)の、令和3年度の準備状況に
 ついては、このページで何回か報告してきました。7/1(木)の開校日を前に
 本年度の講座別受付も終了しました。
  .◎ 開校日は7/1、閉校日は令和4年2/17、共に木曜日です。
   木曜日は13日、土曜日は8日、計21日開校します。 
   木曜日は「学習」、「編み物」、「ドッヂボール」、「ダンスを創ろう」等7講座
   土曜日は「理科実験」、「ミニテニス」、「クリスマスリース」等9講座
  受講生は木・土合計163名でした。

 ◎ 人気講座は圧倒的に木のドッヂボール、60名を数えました。同じく木の「編み物」も人気です。
  逆に少なかったのが、「G・G」と「フラダンス」、共に2名でした。でも本人の希望により実施します。
  今年初めてなのが私が担当する「論語を読もう」、6名参加します。逆に今年も中止としたのが、「密」との関係で「室内遊び」
    アトは食べ物が伴う「料理教室」と「お茶=茶道教室」です。
  実施委員は26名、女性はPТAのお母さんが数名参加され、大分若返りました。男性実施委員の高齢化と固定化が進行
   しています。今年は男性スタッフの強化を目指していきます。

  この日は「特別教室棟」で代表者会議、開校式に向け最後の確認作業を行いました。(―写真―)
  開校式の7/1(木)です。今年も一堂に会しての開校式は行いません。それぞれの教室・講座ごとにご集合いただき、学校
 放送で行います。そのあと通学班を編成し帰宅することになります。
  本年度開校への準備は全部整ったことになります。木曜はドッヂボール、土曜は3回ですが「論語」に頑張らせて頂きます。
   それと先日の運営委員会で今年中止のところ、1校は確実な状態でした。その後のご努力で、残りは全校実施出来たら
  よいな、としみじみ思います。

        ◎ 久喜小で提灯祭りについてお話しをしました。 5/28(金)

 
 久喜市の提灯祭り、天王様まで後ひと月余と迫りました。去年はコロナの関係で中止となりました。今年も開催方法を
 巡り大変な協議がありました。結果規模を大幅に縮小し、18日1日のみ、昼間(人形山車)のみ、それぞれの保存会地区内
 のみで執行となりました。加えて各保存会の独自性を尊重し、引き回し(山車の運行)をしないことも認めました。(1・2)。
  所で7保存会中5保存会が関わる「久喜小」は、提灯祭りへの関心が大変強いところです。毎年3年生が12日各保存会の
 山車引きに参加しています。去年は参加できず大変残念な様子でした。祭りをやらなかった久喜市の人たちも何となく元気が
 ない、なら自分たちでミニ提灯祭りをやって、久喜の人たちに元気を送り届けよう、との事で「ミニ提灯祭り」をやってくれました。
 (本ページ11/7日付参照) そんな先輩を持つ現3年生です。総合的学習の時間=くるみタイムで、今年も山車を引きたい
 祭りの事を知りたいとなりました。そんなことで私に依頼を頂き、今日体育館でのお話しとなりました。
 
  事前に担当の先生から、こんなことを子どもたちは知りたいなるメモを頂きました。それに沿っての話しでした。
 
【いつ、何のために始めたの】 天明3年、1783年【約240年前】浅間山の大爆発により、久喜にも多くの火山灰が降りました。
   米も野菜も取れず、灰の混じった水を飲んで疫病もはやりました。そこで豊作祈願・疫病退散を願い当時の人が現本一
  宮本(眼科医)家の祭礼用山車(大八車を装飾したもの)を引き回したのが始まりです。
 
【何処で・誰が】 新久喜市ではなく旧久喜市、その旧久喜市から江面・太田・清久の3村を除いた旧久喜町、そのまた旧久喜町の
   駅西側から今の埼玉栗橋線までの地区に、当時6つの町内会があり、その町内会がそれぞれに山車を作り始まりました。
   今は新町内会ですので「保存会」を作っています。その人たちの寄付金で、自分たちで役員・若者会を作って運営しています。
 
【久喜の山車】 国内最大級の大きさ 土台から上が回転する、おそらく日本唯一では 昼は人形山車、夜は提灯山車
 
  皆2台あると錯覚する。人形は「素戔嗚尊・日本武尊・神武天王等神話に由来する、等身大の大きさ。提灯は10~13段
   500個以上、灯りはローソクです。山車は50年くらいで新調します。お囃子は大太鼓1、小太鼓2、笛と鐘各1の5人1組です。
   お囃子の練習は各保存会でやっています。皆もたたけるようになると良いですね。
 【大切にしていること】 コミュニティの形成(絆・連帯感) 伝統文化の継承 経済活動 → 久喜市を元気にする。
   皆、お父さんやお母さんに頼まれて回覧板を届けますか。と聞いたら「ハイ」、「何処へ届けますか」、「ポストです」。「そうですね、
  私も今はポストです。でも子供の頃は「おじさん・おばさんコレ」と言って手わたししました。人間関係はそれだけ薄くなっています
  人と人との繋がり・絆は大切です。お祭りはそれを大切にしています、と言ったら皆解ったようにうなずいてくれました。
 【今年・去年】  去年は僕の知る限り初めての中止となりました。今年は前記したように大幅に規模を縮小して行います。でも
   感染対策を充分に講じてのもの、参加に当たっては、それぞれの保存会のルールをきちんと守ってください。

  以上の内容を約15分くらい話し、アトは質問タイムにあてました。いろんな質問が出ました。
 ① 山車の重さは  正式に図っていません、推測です。最初の何もない状態で1・5t~2t、それに昼間は人形・飾りもの(彫刻)が
    夜は頑丈なヤグラ・提灯が乗ります。また昼夜共通でお囃子の人、屋根上などに全部で15人くらいの人が乗ります。その時は
    約4tになるといわれています。
 ②  提灯には何と書いてあるの  本壱・本弐・本三、新弐というように各保存会名が書かれています。そのほか人の持つ提灯
    (弓張提灯)には「保存会会長」、とか「役員」と役職名が書かれています。
 ③ 雨の時はやらないのですか  提灯祭りは7月の12と18日、丁度梅雨の終わり頃です。2日間一度も雨に会わなかったのが記憶に
   ないくらいいつも雨にたたられています。でも中止はありません、雨対策をして必ず祭りをやります。
 ④ 提灯は燃えないのですか   久喜の提灯の灯りは伝統を守ってローソクです。ですから必ずいくつかは燃えます。提灯は高い
   ですから(1個5000円くらい)燃さないよう気を使いますが無理ですね。それとさっき言った雨です。一度ゲリラ豪雨にやられ全ての
   山車の8割から9割の提灯がダメになってしまった事もありました。
  
  他にいくつか質問が出ましたが大体こんなものでした。楽しい時間でした。ただ難問を仰せつかりました。前記したように子どもたちは
 12日にいくつかの保存会に別れ山車を引きます。今年は12日は中止です。18日は日曜ですから学校はお休み、だから何としても12日に
 山車を引かせてほしいというのです。私が前の会長を勤めていた「本弐祭典保存会」は、久喜小裏庭をお借りし「山車小屋」を建てて
 います。協力すべき義理があるというものです。勿論外へは出られません。校庭の中だけです。出来るかどうか現会長と相談し、可能な
 限りの努力をしたいと思います。 

     ◎ 久喜市民大学・高齢者大学運営委員会  5/26(水) 久喜中央公民館 

  久喜市には共に市の誇りと言える「高齢者大学」と「市民大学」があります。共に校長は
 市長、副校長が教育長です。「高齢者大学」は建学昭和54年・今年が43期です。
 「市民大学」は開校平成7年、令和3年度生は27期生となります。両大学の目的は若干
 異なりますが、「いきがいづくり、生涯学習・域活動の推進」に果たして来た役割は絶大な
 ものがあり、久喜市の高い地域力・市民力は、両校に支えられているといって過言であり
 ません。私が「市民大学」の第1期生であり、卒業生の組織「市民大学校友会」の最初の
 会長であることは何ども報告してきました。 この両大学のより充実した活動を求め

 「久喜市市民大学・高齢者大学運営委員会」なるものが組織されています。令和3年度第1回運営委員会が、
  26日「中央公民館」で開催されました。この運営委員会は「社会教育委員」、「生涯学習推進部」、「高齢者大学校友会」
 「市民大学校友会」、「校長会」といった組織の代表者8名で構成されています。私は「社会教育委員」代表、令和元年より
 委員を勤め、この2年間委員長を勤めていました。
  会議は教育長より委嘱状を頂いた後中断、高大2年生の授業を参観しました。最初は高齢者大学校歌の練習、私は
 議員時代、運営委と高大の入学式・卒業式には毎年出ています。なじみのある曲です。そのあと「俳句」を学ぶ授業、まず
 加須市で「浮野」なる俳句の会を主催しておられる落合水尾先生、次いでご自身高大の学生でもある粉川先生によるもの
 でした。お二人ともお名前は存じています。落合先生は女房と義弟の中学時代の恩師、粉川氏はお兄様が私と同級生に
 当たります。もう少し話を聞いていたかったのですが、事務局に促され会議室に戻りました。
  会議を再開、令和3・4年度の正副委員長を選出、私は委員長を継続することとなりました。その後私の司会で、1・2「市民
 大学高齢者大学の令和2年度実施報告」、3・4「両大学の令和3年度実施状況」について、両大学事務局より報告、質疑を
 行いました。昨年時コロナ禍の真っ最中、何よりも入学生が少なく、市民大学は何と5名(途中辞退者多数)、高大はそれが
 今年に表れ32名です。加えて多くの授業・行事などが中止となっており、運営の苦労が推察されました。
  資料に市大・高大の開校からの年度別入学者数、平均年齢等があり大変参考になりました。「市民大学」は定員40名ですが
 ここ8年連続して10人台です。また1年制の大学院進学者も極めて少なくなっています。「高齢者大学」です。各自治体に
 「生きがい大学」とか、「寿大学」等と称する高大は多くあります。そのほとんどは1年制か2年制、久喜市の高大は4年制で
 あり、その規模は日本一とも言えます。平成14年と16年には入学生200人を超えました。しかしその後70人を超えることは
 なく、前記のように今年は36名でした。だから両大学ともに多くの学生を!は関係者共通の想いです。学校・校舎の問題、
 原則中央公民館、駐車場が狭いのでは、他の施設を使ったらという意見、また学校統廃合によって誕生した通学バスを
 市民・高齢両大学の通学にも使ったら(これは制度上出来ないそうです。)等々の意見が出されました。なお両大学ともに
 旧久喜市が圧倒的に多く、栗橋・菖蒲地区が少ないという地域的アンバランスがあります。
  ここで会議を終え事務局が『次の会議は令和4年1月』と述べたところ、新委員から猛烈なブーイング、両大学の危機的
 状況への認識が甘い、次の会議は夏にでも持て、というものでした。その熱心さに敬服、私も若い頃は?こうだった、なんて
 言っていられません。事務局と相談召集者私の「運営委員協議会」的な会議でも持とうかと考えます。
  とに角情熱をもって両大学の明るい未来へ取り組んでまいります。

       ◎久喜小・今年もコロナ禍での運動会でした。 5/22(土)

















  22日(土) 久喜小学校で運動会が行われました。新学年度が始まってひと月半、この時期の運動会は本当に大変だと
 思います。ましてコロナとプラス雨にたたられました。最近の私は週の半分は久喜小に行っています。ずっと見てきました。
 子どもたちはいろんな悪条件にめげず元気に練習、今日の本番を迎えました。
  この日あいにくの雨含み、やるのかどうかわからないまま校門をくぐりましたが、結局1時間遅れの開会でした。なおこの日
 市内8校で運動会が予定され、決行4、明日への延期4とのことでした。
 さてコロナ禍の運動会、今年も様々な安全対策の工夫を凝らしての開催でした。まず2学年ずつ低・中・高学年に分けての
 完全入れ替え制です。それぞれ学年別徒競走と、2学年合同の表現の2種目のみ、5・6年高学年は運動会には付き物の
 「鼓笛」が加わります。各ブロック55分、開始10分前に写真にもみられる紅白テントの児童席に集合、実施中以外は
 各教室での学習です。来賓はなし、保護者は同一世帯の2人のみ、子どものブロックに応じて会場への入退場となりますが
 マスク必着、入り口での消毒、入場路と退場路は別で接触なしと徹底していました。
  児童は低・中・高とブロック毎に入場、まず準備体操です。(―上・左―) ついで徒競走です。トラックは使わずフィールドに
 14のレーンが引いてあります。レーン幅は1・2mでしょうか、走行距離は全学年50m、2mずつ区切られています。ここを
 第1組は1・3・5・7・13と奇数レーンを走り、第2組は2・4・6・8・14と偶数レーンを走ります。どうやってもソーシャル
 ディスタンスが取られていることになります。(―上・左2と右―)
  「表現」は一緒ですが、徒競走の時は1学年紅白テントの児童席で見学、ポンポンを振って応援していました。
  「表現」です。低学年は赤や空のポンポンをふって(―上・右2―) 中学年は黒のТシャツに統一、首に巻いていたネッカ
 チーフを振ってのものでした。(―下・左2―) 珍しかったのは高学年、赤・黄色・空色等のビニール傘をかざしての踊り
 とてもカラフルできれいでした。(―下・右2―)
  最後が運動会になくてはならない「鼓笛パレード」、(―下・右―) 練習時間が少なく大変だったと思います。所でいつも
 思うのですが「鼓笛」の指揮者はいつも女の子ですね。「徒競走」さえ男女混合で走っていました。男性の指揮者はあり
 えないのですか。あの可愛いコスチューム、スカートをズボンに変えるだけで男女共有できるのでは、たまには男子児童の
 指揮者も見たいものです。

  霧雨含みの冷たい半日でした。工夫を凝らしコロナ禍で開催された久喜小関係者に、会場に来られない方々へのネット
 中継をふくめ敬意を表します。早く、本当に早く五月晴れの下で、全員参加・本来の運動会をやりたいですね。

   ◎ 久喜小学校での様々な活動報告   5/18(火)

  「緊急事態宣言」や、「まん延防止等重点措置」の対象都道府県が拡大されました。数字的には最悪とも言えますが、
 一方で遅ればせながら、本当に遅ればせながら「ワクチン接種」がようやく始まり、光明を与えている、そんなこんなの
 今日この頃です。しかし1年前とかなり異なり、それこそ1年間のコロナ禍の経験に因るものなのか、我が母校「久喜小」
 では熱心に各種活動が行われています。私もお陰様にて元気に各種活動に頑張れています。
  「放課後子ども教室=くきっ子ゆうゆうプラザ」は、令和3年度の講座内容・スケジュールを全て決定しました。申し込み
 用紙の配布、申し込み受付をまもなく行い、開校式に備えています。
  昨年からもう1年以上継続している「学校支援プロジェクト」と名づける、児童の宿題や自由学習のチェックです。毎週月曜
 午前中2時間弱ですが、「学運協」のメンバーを中心に10人近くも集まります。昨日(17日)も子どもたちの運動会の練習の音を
 聞きつつ頑張りました。忙しい先生方の負担を軽減し、その分少しでも子供たちと触れ合う時間を、との思いから始めたの
 ですが、やる私たちも結構楽しんでいます。
  「C・S=学運協」の方も活発に活動できています。先日(14日・金)は年度初めで、子どもたちにメンバーの紹介がありました。
 時節柄校内放送によるものでしたが、今、子供たちには全員にタブレットが渡っており、そこの顔写真を見ながらというものでした。
 全員短い時間でしたが思い思いの自己紹介をしていました。私は『岸輝美と申します。僕も君たちのおぢいちゃん・おばあちゃんの
 頃に久喜小学校を出ています。家も学校の近くにあり、子どもの頃から学びの場=遊びの場でした。大人になってもスポ少・ゆう
 ゆう、そしてコミュニティスクールとずーと久喜小で過ごしてきました。だから久喜小が大好きです。一緒に善い学校・良い地域を
 創って行きましょう。』と申し述べました。「C・S」は久喜小では活発ですが、コロナに追われ、「遷善館学園」の方が全くストップして
 います。私たちは150周年におわれていますが、これからの課題となりますね。
   その「150周年記念事業」です。「説明会」も終わり(本ページ4/24日付参照) 正式に実行委員会が発足しました。アト1年
 確実に準備を進めていきます。
  今日は体育館で「久喜小生徒指導委員会」が開かれ、各地区の区長さん・民生委員さん、そして私たち学運協委員と多くの
 皆様の参加を頂きました。冒頭のあいさつで校長先生は、①久喜小の新しい教育目標・イノベーション力について、②22日(土)
 開催予定の運動会について、③ 150周年記念事業について語っていました。生徒指導主任より、1・「令和3年度の行事予定と
 教育活動について」、2・「本年度の生徒指導の重点について」説明がありました。本日のメインの内容ですが、全員が理解する
 状態ではなかったと思います。その後「情報交換」に移りました。私はせっかくの機会ですので150周年事業についてお願いを
 したいと思ったのですが、その機会なく残念でした。
  20日(木)・21日(金)は「久喜小朝の挨拶運動」、そして22日(土)は運動会です。
  コロナに負けず子どもたちは頑張っています。つられて私たちも様々な活動に元気いっぱい当たっています。

     ◎ 久喜小西側道路の草取り作業をしました。 5/4(火・祝)

  G・Wも後半に入った4日、久喜小の「学校運営
 協議会」メンバーと一緒に、垣根生垣部分の下に
 伸びる雑草の草取りを行いました。久喜小の垣根は
 7割弱が例のブロック塀の安全性への疑問から
 金網フェンスへ新調したばかりのもの、、3割強が
 「レッドロビン」とも呼ばれる「セイヨウ(ベニ)カナメ」の
 生垣です。当然生垣の下には雑草が生える事となります。

  しかし四方ぐるりと金網フェンスというのも味気のないものです。生垣の刈込をしたり、下地の草を取ったりというのも
 それはそれで良いものです。久喜小では北側の大半と西側の半分、プール門までが生垣です。プール門が正式に
 久喜小の正門なのか解りませんが、児童はここから登下校します。来客もここから入ります。
  ところでここの生垣の「セイヨウ(ベニ)カナメ」です。これは「カナメモチ」と、「オオカナメモチ」をかけ合わせた新種です。
 きれいな赤色と枝の成長が早いため、今・生垣の主流となっています。ただ余りにも枝の伸びが良いため、年に1回の
 刈込では枝が粗くなってしまうという欠点?もあります。
  久喜小でも運動会は5月下旬です。丁度その頃生垣の枝は粗く伸び、下地の雑草も生い茂ることとなります。そこで
 いつも運動会の前に枝を剪定し、雑草を刈り、きれいな環境で運動会を見てもらおう、という作業を行ってきました。
 先日の会議の時いつにしようかとなり、コロナで家にいるのだから、G・W中にとなった次第です。ただ今回はひと月
 ほど前に、地元の区長さんが生垣を剪定してくれていました。従って下地の除草だけ、大分楽でした。久喜小はこの
 ようにいつも地域の人たちの温かい支援に恵まれています。ありがたいことです。
  下地は雑草の他に、熊笹が生い茂り (―左―)、結構大変なのですが、皆の頑張りできれいになりました。(―右―)
 
これで良い環境の中で、子どもたちは練習に励み運動会を迎える事になります。
   
   久喜小学校開校150周年記念事業に係る説明会 4/24(土) 久喜小体育館 

  久喜小学校開校150周年記念事業に
 関しては、このページで度々報告して
 きました。来年=令和4年1年かけ種々の
 記念事業を実施します。今まで「準備委員会」
 により準備を進めて来ました。アト1年となり
 これからの大きな結節点として、本日の説明会を
 開催しました。

  今までは久喜小教職員、保護者代表、私たち学校運営協議会メンバー等で進めてきました。しかしこの記念事業の
 目的の一つである、「絶えず地域とともにあった久喜小、それを確認しさらに発展させよう!」からもより多くの皆様の
 参加を頂こうと考えたからです。久喜小の卒業者名簿を見つつ、僭越ながら全く独断で各期代表数名を選抜させて
 いただき、ご案内を致しました。乱暴さをお許しを下さい。ですから本日何人出席していただけるか、本当に不安でした。
 写真のように多くの参加を頂きました。コロナもあり、大変ありがたく感謝申し上げます。
  準備委の事務局を担当されてきた、Т女史の司会で会議は始まりました。最初に穂村校長挨拶、まず久喜小学校の
 歴史について触れ、明治6年1月の本校は、開校従って**周年も1番早いことを話されました。ついでこの150年
 絶えず久喜地区学校教育の中心を担ってきたこと、その過程で地域の皆様に支えられてきたこと等にふれ、卒業生
 地域の皆様一帯で記念事業を実施していきたいと結ばれました。
  ついで山中準備委員長が今までの経過を報告、今日の「説明会」の意義と今後の協力を訴えました。
  次に「記念誌」・「事業」・「式典」各準備委部会より報告・説明が行われ、「式典」は私が行いました。
  最後に上原事務局より「募金」についてお願いがありました。
  いままで私たちが準備に当たってきました。今日の「説明会」以降、新たに本日ご出席の方を中心に、有志の参加をも
 頂いて、正式に実行委を発足させたいと考えます。更に記念事業資金の問題があります。頭の痛い話です。すでに
 積立金、ローソンからの寄付(本ページ3月1日付参照)等ありますが、とてもとても足りません。広く皆様より募金への
 ご協力をお願いするところです。1口5、000円(法人2口以上) 口座振り込み、現金書留、直接持参の3方法があります。
 例えばです。お1人から10万円いただくより、10人から1万円ずつご協力を頂きたい、事業執行と資金調達を出来るだけ
 多くの人の手で、という考えです。来年11月の記念式典の日までに、クラス会、同窓会など開催していただき、ご芳志を
 募って頂ければ幸いです。なお2口以上ご協力いただける方には「記念誌」一冊贈呈させていただく予定です。

  私は本日の説明会へのご案内と参加に努力してきました。どれくらいの方にご出席いただけるか本当に心配でした。
 説明会がマァ成功に終わったことに一安心ですが、また新たな心配が持ち上がっています。今後の事、特に募金について
 です。全く貧乏性なのですね。気苦労が絶えません。

 久喜市々民大学・令和3年度第21回定期総会4/17(土) 久喜市中央公民館視聴覚室 

  
久喜市市民大学の本年度総会が、17日(土)中央公民館で開催され、出席しました。昨年度はコロナの
 関係で書面評決の総会、2年ぶりとなります。私はご承知のように市民大学の1期生、またこの校友会の
 設立準備委員長であり、最初の会長でもあります。今年の入学生が27期生、もうそんなに経ったかと思う
 のですが、内実たるやどうもいけません。どうにも学生数、従って卒業生=校友会会員が少ないのです。
 ここ数年は10人台がやっと、ついに一桁まで落ち込んでいました。それがなんと今年の新入生=27期生は
 16人だと皆が喜んでいました。嘆かわしいことです。私の同期生は定員丁度の40名でした。最もこの状況は
 全体として市の市民活動・地域活動の低迷の反映であり、仕方ないことと言えます。
 
  総会に先駆けこの1年間で逝去された会員に黙とうを捧げました。4名もいました。中には私と大変親しく
 また20才近くお若いK氏もおられました。痛ましいことです。合掌。
  さて総会には2年に1度の役員改選を含む5議案が提案され、全て満場一致で承認されています。
 昨年度は総会も中止、そのほか文学歴史散歩、講演会、全体会、秋の親睦旅行、新年会と中止・中止の
 オンパレードでした。全体会も役員のみ出席で行われてきました。令和3年度は一応行事が通常通り計画
 されていますが、全てコロナとの関係にあります。とに角ワクチン接種の進展を望むだけです。
  会計ですが収入は1人1000円の会費のみです。会員数が毎年数人の減少があり今年は100人を予定、
 従って会計は苦しいものとなります。そうした中前記事業が中止となり、そのお金を合わせ、5万円を久喜市の
 「コロナ対策基金」に寄付していました。幹部役員に敬意を表します。
  役員です。新役員は基本20期・21期で構成されています。2年任期で毎回2期程ずれていきます。この役員
 体制がほぼ「市民まつり」の役員体制となります。市民大学学生数の減少は、このようにいろんな点に影響を
 及ぼしてくるのです。今後何としても市民大学の学生数を確保していきたいと思います。
  閉会後、ご自身22期卒業生であり、校友会会員の梅田市長が挨拶されました。このところ市内の感染者が
 急増、今日で630名に達したこと、そんな中済生会栗橋で70、久喜総合で10感染者用ベッドを増設して
 くれたとの事、ワクチン接種は医療関係者の段階、久喜市は2つの総合病院を抱える事から、従事者が多く
 未だ40%だという事、一般市民65歳以上は4・6万人もおり、とりあえず85歳以上から始める事を話され
 最大限の努力を傾けるのでもう少しお待ちいただきたいとされていました。

  私はまた1期から「幹事」として役員を勤めます。会員が3人しかいないからです。最初は20人からいました。
 1人減り、2人減って、卒業10年で殆どが辞めました。「もういいわ」という事です。最も卒業から4半世紀たって、
 皆相当な歳となり仕方のないところです。私はもう少し頑張ります。体力・知力共にもうヘロヘロですが、1期の
 学級委員長、校友会設立準備委員長、第1期校友会会長としてのプライドです。

       ◎ ゆうゆうプラザ・令和3年度開校へ準備進む  4/15(木)  

  新年度に入り半月が経過しました。新入生が学校に慣れたこの時期に始まるのが、運動会の練習と
 「ゆうゆうプラザ」新年度開校の準備といえます。15日(木) 午前中に「放課後子ども教室運営委員会」
 午後「くきっ子ゆうゆうプラザ実施委員会」を開催、新年度開校への準備を進めました。
  「鷲宮総合支所」会議室で開催された
 運営委員会に先駆け、令和2年度の
 「表彰式」が行われました。この表彰は
 15周年記念式典に始まり、10年以上
 活動を続けられた実施委・サポーターを
 表彰するものです。
 左・表彰状授与  右・梅田市長の挨拶

  表彰を終え「協議」に入りました。まず役員の選任です。ほぼ変更ありませんが、辞任されたТ副会長に
 変わり、М新副会長を承認しました。東鷲宮小校長当時、同校のゆうゆう立ち上げに立ち会い、その後
 Т中校長時代にはコミュニティスクールの中心的役割を担われました。よろしくお願いします。
  各実施校を基とする運営体制には変わりありませんが、今年は江Ⅰ・Ⅱの合併=江面小誕生により
 実施校が1減の22校となります。
  事業計画です。6月開校式、来年2月閉校式となります。全員研修会・現地研修会は中止、「情報交換会」のみ
 11月22日に予定されています。なお各実施校の公開・見学は9~11月です。
  予算です。今年は約80万円減額され、513万9千円となりました。ために各実施校への教材費消耗品費も
 5→4万円、参加児童1人当たり単価も500円→400円に減額されています。
  参加各実施委員会委員長は開校式への努力を誓い、解散しました。
 
  久喜小放課後子ども教室(くきっ子ゆうゆうプラザ)実施委員会は、同日午後開催されました。K委員長より
 新たな実施委員の参加を得て、今年は24名体制、と報告があり一同大いに気を良くしました。 
  開会後新たに実施委員としてお迎えしたS氏等が挨拶、S氏はすでにサポーターとして、「初めてのパソコン
 教室」で活躍されていました。その後K実施委員長より、本日午前の「運営委員会」の報告があり、直ちに協議に
 入りました。
  本年の開校式  7月1日(木)  事前活動として5月19日代表者会議、5月26日申込書配布、5月31日・
 6月1日の2日間申し込み受付・集金          閉講式  令和4年2月17日(木)
  木曜日 7月~4年2月の13日   土曜日9月~4年1月の8日    合計21日
  木曜日の講座  ドッヂボール・グラウンドゴルフ・学習・縫物・フラダンス・ダンス・そろばん・パステル等の8講座
  土曜日の講座  理科遊び・ロボット・陸上・ふわふわ凧・絵手紙・ミニテニス・クリスマスリース・ミニ工作・論語を読もうの9講座
             私が提案、担当することになる「論語を読もう」は9月4、18、10月16の3日間となりました。
             講師H氏は長く論語を勉強しておられた方です。来年令和4年度は久喜小の開校150周年の年、
             記念事業を計画しています。その久喜小の授業は明治6年1月、光明寺本堂を校舎に中嶋豊山氏の
             「論語」から始まりました。「論語」は久喜小教育の原点といえます。来年の児童を対象とした講演会も
             「安岡定子」先生による論語を予定しています。(9月開校日)保護者そろっての参加をお待ちしています。

  以上の内容で開校への準備を進めます。久喜市全体でいえば、昨年度「コロナ」の関係で実施しなかった学校がいくつか
 あります。全校実施に意味があります。1校でも実施しないと連鎖反応を起こす可能性があります。運営委中枢の努力を
 求めます。それともう1つ、実施日の減少が気になります。「くきっ子」も講座開始は9月にずれ込み、21日となりました。
  私は何らかの事業・活動が子どもに影響を与える場合、最低活動日数を「週1回、年間50日」と思っています。「スポーツ
 少年団」があれだけの影響を子どもに与えるのは、「土・日、祝祭日」年間を通して活動するからです。久喜のように大勢の
 地域サポーターの参加で活動していることを考えた場合、仕方ないとはいえちよっと寂しい思いです。

        ◎  久喜小学校・令和3年度入学式  4/9(金)









  昨日は市内中学校、今日は小学校の入学式です。相変わらぬコロナ禍の中、我が久喜小でも令和3年度
 入学式が行われ出席しました。昨年は最初の「緊急事態宣言」時でした。「密」をさけ数十年ぶりの校庭での
 入学式でした。その時誰が今まで続くこの状態を予想したでしようか。なおしばらく私たちはコロナと付き合い
 つつ過ごしていかねばならないでしよう。今年は会場こそ「体育館」となりました。しかし来賓無し、在校生無し、
 2人までと限定された保護者のみ出席です。勿論私たちも来賓ではなく、教師と同じく内部者としての参加でした。 

  今年の新入生は2クラス71名でした。卒業生が80名丁度でしたから9名の減となります。体育館近くの校舎の
 壁にクラス編成表が張られ、皆熱心にそれに見入っていました。(―左―) 私の県南S市に住まいする孫も昨日が
 入学式でした。保護者は1人とされ、子煩悩な父親は写真を撮るためにのみ会社を休み、外で待っていたとの
 事ですが、久喜小は2人まで、たいていは母親が新入生と一緒に座り、父親は後方のイス席で、という形式でした。
 だからいつも見られる床まで届かぬ足をブラブラさせながら、心配げに後方の母親・父親を見やるという見慣れた
 光景はありませんでした。卒業式同様歌わぬ国歌(閉式前には校歌)の後、校長先生の式辞です。穂村校長先生は
 『久喜小には優しい先生、何でも教えてくれる48*名のお兄さん・お姉さん、君たちを宝物のように大切にしてくれる
 地域の人がいますから何の心配もいりません。安心して頭と心と身体を鍛えて下さい。一生懸命頑張って成長する事を
 イノベーションと言い、久喜小の学校目標です。』と言っていました。地域の人を持ち上げ、イノベーション力を宣伝
 する当たりさすがだなと思いました。(―中―) そのあと担任紹介、校歌とあって何と15分強で式を終えました。
 新入生呼名、来賓祝辞がないとこうも早いのかという所でした。
  しかしその後新入生も在席のまま、市長・議長・教育長の「祝辞」、在校生の「歓迎の言葉」がビデオメッセージで
 ありました。卒業式では式終了後に行われ、「お聞きください。」との呼びかけがありましたが、殆どが帰ってしまって
 いました。その反省からでしようか。
  その後新入生は先生に誘導され教室へと向かいました。いつもは在校生のお兄さん・お姉さんが手を引いて誘導
 するのですが、コロナ禍仕方ないことでしょう。(―左―)子どもたちが記念写真撮影のため、また体育館へ戻ってくる
 間に、学校運営協議会委員とPTA 活動の紹介があり、全式典を終えました。

  今しばらくはコロナとの戦いになるでしょう。元気に小学校生活を送って頂きたいと考えます。来年はいよいよ150周年
 一緒に最後の準備をしていきましょうね。また「ゆうゆう」の方も参加をお待ちしています。

     ◎ 桜の新宿御苑での2年越しの同窓会役員会 3/30(火) 

























  もう何どもくどい位いろんな所で書いてきました。私は「東京工業大学理工学部付属工業高等学校」という大変長い
 名前の「機械科」を出ています。全国で唯一の国立の工業高校であり、試験日が都・県立よりひと月早いことから、
 私の頃は倍率17~8倍の大変な難関校でした。殆どが大学へ進学するようになった今も、付属高校であることから
 東工大推薦枠を相当数持っており、それなりのレベルを持続していると聞いています。私の仲間は結果1/3が進学
 しましたが基本就職学校であり、伸びやかで自由な校風でした。とにかく私はここで過ごした3年間、お世話になった
 S先生、全てに100%満足しています。夢のような楽しい日々でした。
  卒業して最初の頃は5年に1度、それが3年になり、今は2年に1度「同窓会」を持っています。その学校ですがJR
 田町駅芝浦口すぐにあります。近所に最近「高輪ゲートウェイ駅」が出来ました。土地の価値が猛烈に上がった事に
 なります。そこで学校を目黒区大岡山にある東工大構内に移し、跡地(約23000㎡)を有効利用することに決めた
 そうです。高さ180m、36Fの高層ビルを建てるとの事、一部に東工大の研究施設を含む複合施設、JR東日本・
 大手ゼネコン・デベロッパー等がジョイントを組みます。これにより「東工大」には年間45億円の地代が入るそうです。
 問題は完成を2030年に予定、そのために2024年(令和6年度)に、我が母校が現在地から移動するとのことです。
 私が卒業して60年、当時の面影を残す建物はほとんどありません。それでも巨大ビルの建設が始まる前に母校の
 敷地にたたずみ、青春の思い出に浸ろうという事で、今秋に母校校舎内でクラス会を持つことにしました。その
 打ち合わせをしようという事で、その前段階にやっと公開された新宿御苑で桜を見て、と相成った次第です。実は
 去年同窓会を予定していました。ここで桜を見てからとなっていたのですが、春の「緊急事態宣言」で直前に中止と
 なり、大変残念な思いをしました。実に2年越しの「御苑」での観桜でした。

  「新宿御苑」は「徳川家康」の臣、「内藤」氏の江戸屋敷跡、その後皇室の庭園から、戦後に国民公園として一般
 公開されました。庭園内に65種・1000本の桜があり、早咲き、おそ咲とほぼひと月にわたって楽しむことのできる
 都内を代表する桜の名所です。緊急事態時は閉鎖されており、事前予約制でやっと開放されたばかりです。
  仲間がインターネットで予約、新宿門から結構な人出の中、入園しました。(上・左)  事前予約のない人はその場で
 スマホで申し込んでいました。途中で「申し込みを〆切ります。」とやっていましたから、全体で何人か解りませんが
 人数制だと思います。前記した通り桜の種類が多く、葉桜の木もありましたがまだまだ堪能できる中、結構な人が
 楽しんでいました。(上・中-右) 「上野公園」ではこの土日、写真を撮る人さえ「立ち止まらないでください」なる注意が
 あったそうです。ここではシートを敷いて飲食さえしていました。園内には上・中・下と3つの池があります。(中・左)
 「上の池」に延びる桜、(中・中)は「下の池」湖畔のしだれ桜です。とに角1000本の桜、写真のように( 中・右 ) 花筏
 ならぬ地面を花びらが埋めているのに、未だまだ3~5分咲の花もあるという状態、本当に充分桜を堪能することが
 出来ました。 
 
  新宿駅で皆にお別れした後、山手線で上野まで来て、「上野公園」の桜をみました。今まで見る機会に恵まれていません。
 ここは「新宿御苑」と違い誰でもフリーに入れますが、通路中央にコーンをおいて一方通行、広場はグリーンのフエンスを
 張って立ち入り禁止となっていました。(下・左-中) ウイークデイの夕方ですから人出はこの程度、ただし土日は大変な
 混雑だったそうです。ここはソメイヨシノだけですから、少し盛りを過ぎたなという感じでした。それでも「寛永寺・清水観音堂」を
 背景とした桜など見事なものでした。(下・右) 
  我が家から久喜駅までのそれを含め2万歩を超えました。少し疲れました。

       ◎ 久喜小学校令和2年度卒業証書授与式  3/24(水)










  久喜市立久喜小学校の令和2年度「卒業証書授与式」
 が、本日挙行されました。「緊急事態宣言」こそ解除され
 ましたが、依然として感染は油断のならない状況があり
 ます。来賓なし、在校生の出席なし、保護者は2人まで
 式次第も極限に短縮してのものでした。
  私は来賓ではなく、「学校運営協議会委員」として、
 教師と同じく内部の人間としての出席でした。

  今年は例年になく桜の開花が早いそうです。久喜小裏庭の桜の古木もすでに5・6分咲きという状態でした。
 保護者の拍手に迎えられて卒業生の入場です。(―上・左―) 今年の卒業生は2クラスのピタリ80名、もう1人でも多ければ
 3クラスになっていました。コロナ・コロナの1年間、大変だったと思います。男子はほぼ久喜中の制服、久喜中制服以外の
 学生服が少し多くなったかなと感じました。女子は思い思いのコスチューム、全員の入場を終えました。(―上・中―)
  「開式の言葉」に続いて、司会から「国歌」と紹介がありました。「えっ」と思ったのですが「国歌斉唱」、「国家独唱」でもなく
 「国歌」なのです。会場に曲が流れただけです。矢張りコロナ禍、歌うことは止めたのですね。
  「卒業証書授与」に移りました。1組の最初の方が第16、226号、2組の最後の子が第16、307号です。148回目の
 卒業式、矢張り歴史と伝統を感じます。私は久喜小の「卒業証書授与式」にもう30年以上毎年出席しています。子ども
 たちが席を立ち、壇上へ登り校長先生の前まで歩いていく間に、その子の想いを込めた文章がアナウンスされます。
 「僕の夢(将来目指す職業)」とか、「久喜小6年間で一番楽しかったこと」などです。毎年楽しみにしているのですが、今年は
 少しでも式を短くするためかアナウンスはありませんでした。壇上の校長先生はマスク着用です。子どもたちも着用で壇上へ
 上がり、演壇手前でそれを外す、というスタイルでした。校長先生も声を出すことなく、目と態度で一人一人にエールを送って
 いました。(―上・左と下・右―)
  「校長式辞」に移りました。マスク着用です。壇上・演壇前の校長先生と、1番前に座る児童とは5m以上は慣れています。
 マスクを外そうかとも考えたそうですが、やはり決断できなかったとの事、マスク着用での長い式辞は結構大変だったそうです。
 (―下・左―) 『コロナの影響を受け続けた最後の1年だったが、修学旅行実施等英知を結集して乗り越えてきた。今日まで
 皆に関わった多くの人に感謝の気持ちを忘れないでほしい。NHKの大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一は郷土・埼玉
 の偉人であり、久喜小に来られ講演をされている方でもある。旧習を打破し、日本資本主義の基礎を作ったその活動は、正に
 我が学校の教育目標「イノベーション力」そのものである。この渋沢栄一の名言を皆なに送ります。「夢なき者は理想なし、
 理想なき者は信念なし、信念なき者は計画なし、計画なき者は実行なし、実行なきものは成果なき、成果なき者に幸福なし、
 故に幸福を求める者は夢なかるべからず」 どうかこれからの君たちは学んだ事を活かし、前へ進んでいってほしい。』
 走り書きのメモですがこんな内容でした。
  次が「別れの言葉」です。このところ「代表」でなく、「全員」でやる形になっていました。しかし今年はこれも時間短縮でしょうか。
 代表1人という昔の形に戻っていました。
  最後が「校歌」、これも曲だけ流れ、皆口の中で歌うだけでした。その後子どもたちは皆に見送られ退場していきました。なお
 来賓の挨拶がない代わりに、終了後市長・教育長、議長のビデセオメッセージが壇上大型スクリーンに映写されていました。
  コロナ禍、よく考えた式典でした。子どもたちのこれからはしばらくはwithコロナだと思います。まず健康に留意しながら元気に
 中学校生活を送って頂きたいと思います。地域の人間としていつまでも君たちを応援していきます。

        ◎ 久喜小150周年記念事業に係る説明会の開催について 3/22
 
  私の母校であり、学校運営協議会委員を勤める「久喜市立久喜小学校」が、来年令和4年度に創立150周年を迎える事、
 この節目の年に当たり、絶えず地域と共に歩んで来た久喜小が、大勢の卒業生の方、地域の方の参加を頂いて記念事業を
 計画していること、そのための「準備委員会」を令和元年11月に組織し、様々な準備活動に当たっていること、等々をこの
 ページで何度か報告してきました。当初教職員、PТA役員、私たち学校運営協議会委員等数人のメンバーでの活動でしたが 
 「記念誌部会」を中心に新たな委員の参加を頂いて来ました。1年半近くのそうした活動の集大成として、又正式に実行委員会
 結成の場として、「久喜小学校創立150周年記念事業実行委員会に係る説明会」を開催します。

  日時は令和3年4月24日(土曜日)10:00~、コロナの事もあり1時間程度を予定しています。会場は久喜小学校の体育館
 です。参加対象者です。久喜小卒業生、久喜小PТA会員、広く久喜小を応援してくださっている地域の方々です。久喜小地区
 のみならず、旧久喜小地区の(本町小・北小開校前)、東1丁目地区には回覧にて全戸にお知らせしました。また久喜小学校
 卒業生の皆様には大変僭越ですが、「久喜小卒業者名簿」から、1学年2~5名程度選抜させていただき、各個人へ案内状を
 配布させていただきます。私は今週、久喜小卒業式等ありますが、直接手渡しでご挨拶したく回らせていただきます。
  季節柄スタッフは検温・マスク着用で対応します。また消毒液の設置、体育館内の消毒、換気、デイスタンス等徹底しますが
 ご出席の皆様におかれましても、事前の検温、マスク着用をお願いし、また当日体調のすぐれない方は、誠に恐縮ですがご参加を
 ご遠慮下さるようお願いします。
  当日の内容です。穂村校長、山中実行委員長がご挨拶を申し上げます。その中で記念事業の趣旨、今までの経過報告等申し
 上げます。次に予定している「記念事業の概要について」準備委員会の担当者より説明します。次が私共も頭を悩ませている
 「募金」についてです。事業経費は***万円を予定しています。PТAの積立金、ローソンからの寄付金(緑化モデル事業・下段
 3/1日付参照)等で***万円確保しています。まだ多くの経費を必要とし、大変恐縮ながら16、500人を超す卒業生の皆様を
 始め地域の方に協力をお願いするものです。最後が「実行委員会について」です。この日出席を頂いた方から、そのお気持ちのある
 方に実行委にご参加を頂き、正式な立ち上げを図るものです。
  なお予定されている記念事業は以下のものです。
    1・孔子廟の楷の木の遺伝を受けづぐ、学問の木=楷の木を植樹します。
    2・記念式典  令和4年11月19日(土) 予定  久喜小学校体育館
    3・記念講演  久喜小児童を対象にしたものですが、一般の方も参加できます。 子ども論語塾塾長 安岡 定子先生
    4・記念誌の発行
    5・記念事業   ①タイムカプセル ②鼓笛パレード  ③ 航空写真  ④ チャリティバザー 等

  私はご承知のように、久喜小から100mの所に住んでいます。子供の頃から久喜小が遊び場でした。少年・青年の頃は休日に、校庭で
 野球やサッカーに興じました。決定的なのは30代初めからのスポーツ少年団活動です。久喜小の児童を対象に「サッカー少年団」を
 組織しました。とに角ほぼ40年の長きにわたり、土・日・祝祭日は久喜小で過ごしました。そしてその後の「ゆうゆう」と「コミュニティスクール」
 です。自分が生きてきたと同じ年数を久喜小と共に過ごしてきたことになります。先だって義母が98歳の天寿を全うし黄泉の旅に立ちました。
  その時私の子どもが全員集まったのですが、私の棺を乗せた霊柩車が「メモリアルトネ」に向かう際、久喜小の周りを一周せよ、と遺言を
 伝えました。「我死して久喜小の未来を見守らん」という事です。ちよっとオーバーですが、その気持ちです。久喜小が自分にとり、どれだけ  
 充実した時間を送ってくれたかを考えたとき、この記念事業の遂行に全身全霊を傾ける覚悟です。
  とに角大勢の皆様の参加をお待ちしています。

     .久喜小環境緑化モデル事業(開校150周年記念事業プレゼント)完成式典  3/1(月)

  「緊急事態宣言」発令中ながら、3月.に入って1日に久喜小校庭で、「環境モデル推進事業
 完成式典」が行われました。この事業は大手コンビニの「ローソン」の寄付を原資とする事業
 です。「ローソン」の社会貢献活動として、各店舗に設置されている「緑の募金箱」を活用、
 「(公社)国土緑化推進機構」、及び各都道府県の「緑化推進委員会」の協力により、平成17年
 から行われています。事業内容は ① 学校敷地内の環境緑化、② 学校敷地内の環境教育
 フィールドの造成・整備(ビオトープ等)、 ③ 学校周辺地の環境緑化などです。毎年全国70校 
 を前記両者の推薦により決定しています。表彰校にはローソンの基金により実施された事業、
 との簡単な看板設置費用を含め、50万円以内の資金が提供されます。久喜小ではビオトープの整備、開校150周年記念事業と
 しての、孔子廟のそれを引き継ぐ「楷の木」の植樹を持って、この事業に応募したものです。
 
  その式典は1日10時よりイス20脚程おいて、「楷の木」植樹前にて行われました。コロナ禍と
 あって児童は参加せず、教職員を代表して校長・教頭両先生、埼玉県緑化推進委員会専務
 理事のM氏、なおM氏は久喜市にお住まいどころか、久喜小の卒業生でいらっしゃいます。
  PTA役員、私たち学校運営協議会委員と150周年準備委というところ、出席予定である
 「ローソン代表」の方は、コロナ対策でお忙しいとか欠席でした。
  私はこの日、先月98歳の天寿を全うし亡くなった、義母の49日法要に当たっていました。
 10:45までに南羽生の菩提寺に行かねばなりません。10分ほど式典に出席し、校長とМ氏の挨拶を聞いて辞しました。
  校長先生の挨拶の中で、久喜小はこのところ環境美化に関して多く表彰を頂いている、と「ビオトープ整備に関して
 「生態系協会」から、提灯祭りに当たり児童手作りのゴミ箱を寄贈したことにより、「公社・食器容器環境美化協会」から、県の推薦に
 より「環境美化教育優良校等表彰」を、そして今回」と報告されていました。ビオトープ整備などは、多く地域の皆様の協力でなされた
 事業です。ありがたいことだとつくづく思います。М氏はこの事業の仕組み、久喜小が受賞するに至ったプロセス等を話されていました。
  とに角頂いただいたお金は今後の事業推進に有効に使わせていただきます。ありがとうございました。

   写真・上  岡山県備前市閑谷学校よりいただいた楷の木と説明版 左側に元教育長・橋本昭先生よりいただく楷の木を植えます。
       下  完成式典で挨拶をする県緑化推進委員会・М専務理事

         ◎ 北小読み聞かせボラ活動、本年度最終段階に  2/24(水)

  私が「北小」で子どもたちを相手に、読み聞かせボランティアの活動に当たっていることは
 もう何度も報告しています。早や20年近くになります。子どもを巡ることでチヨット嫌な事があり
 「スポーツ少年団」以外で子どもと向き合いたいというのが発端でした。始めは当然久喜小で、と
 思ったのですが、ここは保護者のみ、そこで地域活動の仲間がいた北小で、となりました。絵本を
 読みます。ですから絵を見せながら読むのです。そのために手を一杯伸ばし、本を垂直にして
 読みます。これが最近とみに視力が落ち、読みづらくなりました。「もうそろそろかな」とも思うのですが
 皆同世代、一人が辞めると皆がとなりますので、言いだせないでいるというのが正直なところです。
  今年は春の「緊急事態宣言」の関係で、ずーと遅れ10月からのスタートでしたが、それでも8回の内残り1回となりました。
 令和3年度の活動もまもなく終了という所です。
  ここへきて困ったことがありました。2度目の「緊急事態宣言」、県立も市立図書館も閉館なのです。私は3年生までは図書館へ
 行って絵本を見ながら、学年・季節等を考慮に入れながらその都度選びます。しかしここ数年は4年生以上は読む本を決めています。
 年1回ですし、その学年しか読みませんからダブること、困ることはありません。今年に入ってからは6年と4年でしたので助かりました。
 市立中央図書館で、この期間中の臨時貸し出し制度を使い、題名を言って本を借りられたのです。残った1回は2年生です。これは
 お願いして久喜小か、北小の図書館で選んでお借りしようと考えています。
  さて私が読む本です。4年生は「汐文社・世界で一番貧しい大統領のスピーチ」、5年生には「文研出版・タンポポ・あの日を忘れないで」
 6年生は「偕成社・すみれ島」です。今日は4年生でしたので「世界で一番貧しい大統領のスピーチ」を読みました。ウルグアイのムヒカ
 大統領の実際の演説ですから、作者はいません。2012年「リオデジャネイロ」て行ったムヒカ大統領の演説は、人間にとって何が
 大切かを教えてくれたものとしてあまりにも有名です。私も感動した文を書いておきます。「貧乏とは、少ししか持っていないことでなく
 限りなく多くを必要とし、もっともっと欲しがることである」。「人と人とが幸せな関係を結ぶこと、子どもを育てること゜、友人を持つこと
 地球上に愛があること--こうしたものが人間が生きるためにギリギリ必要な.土台です。」
  「たんぽぽ あの日を忘れないで」は「光丘真理」さんの作、3・11の話です。光丘さんが故郷宮城でふと見たタンポポ、被災した
 子どもの願いが、綿毛となって飛んでいき、明るい笑顔の花が咲きますように、との願いが込められています。
  「すみれ島」は鹿児島県知覧から飛び立ち、南の海に消えていった特攻隊員の話、今西裕行氏の作です。特攻隊員は訓練地の下の
 子どもたちから送られた「すみれ」と共に、片道の燃料で最後の空に飛び立ちます。その後南のどこかに「すみれ」が一杯に咲く
 島があったそうです。人はそれを「すみれ島」と呼びました。―― 5年生にも6年生にも、命の大切さを知ってもらいたくこれを読んでいます。
  こう書いてくると何だか来年辞められなくなりますね、何だ、かんだと言って来年も続けるのでしょうか。
 
   ―写真は読み聞かせとは関係ありません。今日行った市役所ロビーに飾られていたもの、季節感と共にとてもきれいでした。―

     久喜小オンライン公開研究会「イノベーション力の育成を目指したC・Sの充実」 2/13(土)

  下段で記しましたように久喜小では昨12日、―イノベーション力の育成を目指したカリキュラム
 マネジメントの充実―を研究主題とする「公開研究会」を行いました。初めてのオンライン.による
 ものです。参加された久喜小学校運営協議会の仲間と共に、1年生の教室に設定されたスクリーン
 を見つつこの研究会に参加しました。―写真―
  オンラインでの研究会への参加は初めてです。名前だけは分科会・全体会なるものがありますが、
 私たちの教室以外、久喜小内のどこを会場として、何人参加しているのか全く分かりません。
 これからこういう形での研究会・研修会は多くなるでしょう。でも私は100%アナログの人間なので
 しょう。この研究会方式に全くなじめませんでした。

  全体会が始まりました。まず穂村校長が挨拶、オンラインによる研究発表は初めてであるとされた後、久喜市・久喜小を紹介しました。
 郷学「遷善館」の流れを継ぐ伝統校ながら、H25~29の「夢創造科」、そして現在の「C・М」と時代を先取りする研修活動を行ってきたと
 されました。
  研究発表に移りました。5年生の「Re innovation」について担当教師よりの報告です。1・イノベーション力の育成について
 2・研修の運営、3・大単元構想、4・授業実践について、5・来年度に向けて、です。丁度授業の時間、4~50分、全て報告すると
 長くなりすぎますので割愛します。ただ下段でも感想を述べましたが「アワーグラスパーケーション」だとか、「オーバービューマップ」、
 「オーバービューシート」とか、「リンクステーション」、「ブラッシュアップ」等、とに角カタカナが多すぎる。新しく作った言葉加えてこれですから
 自ら好んで難しくしているようなもので、これは改めていただきたいと切望する次第です。
  そのあと分科会に移りました。3分科会に分かれており、私は第3分科会に移動したのですが、パソコン室、ここはスクリーンではなく、
 1人1人がパソコンを開いてみるのですが、どうしても開けません。やむなく同じ状況の仲間と共に、先ほどの部屋に戻り、ここの第1分科会に
 出ました。大単元構想「Re innovation」について、「授業・評価・(学習)環境」について報告していました。「いままでにないものを生み出す」
 「正解のない問」、こどもにとって「おもしろそう・やりがい・やればできる・やってよかった」との気持ちを起こさせる等を話していました。
  またここでは多くの質問(事前)に答えていました。「3つのAと指導要領との関係」、「創造的思考を育む手立て」、「各教科とのつながり」
 等々です。当然の疑問だと思いました。その後埼玉大学の小倉教授、久喜市教育委員会の太田指導主事よりまとめ的はなしを聞きました。
  埼大の小倉教授は、久喜小のイノベーション力の育成は、前から言われる「生きる力」のそれだという事、特に令和3年度への期待を述べ
 「大単元構想による魅力ある問いの追求・社会や世界のためになる教育・プロジェクトにおける個人の評価・キャリア教育の視点」等を
 話されました。そして感想として「カタカナ・難しい言葉が多すぎる」と言っていました。けだし同感でした。
  最後に文科省「鳴川哲也」氏より、まとめ的、講評的話しがありました。文科省が「カリキュラムマネジメント」とについて研究委嘱したのは
 全国2校だけだという事、久喜小が先の「夢創造科」についでの今回の取り組みに深い敬意を表する、から始まりました。久喜小が今までの
 教育目標、「かしこく ゆたかに たくましく」から、「イノベーション力の育成」に代えたのは、新しい時代に向け、子ども・地域と共に歩んで
 いこうと、覚悟をきめたことと評価されました。次に「カリキュラムマネジメント」について話され、教育課程に基づき、組織的・計画的に
 各学校の教育活動の質の向上を図っていくかの問題とされました。その後教育目標の6つの視点、3つのAと現在の学習指導要領との
 リンク、大単元構想、総合的学習の特性等について話されました。最後に子どもと地域の特性を1番知っている教師の本気と覚悟が子どもと
 地域を創る、とされ、久喜小の教員、研修会に参加された先生方にさらなる努力を呼びかけていました。

  久喜小も私もオンラインでの研究会は初めてでした。これからは益々こうした形式が増えるものと思われます。だから馴染んでいかねば
 と思いつつも、矢張り普通のあり方が良いなと思うのは、私の歳と特性の所為なのでしょう。私は学校運営協議会委員として、久喜小の
 「イノベーション力の育成」授業に少しの戸惑いを持ちますが、この教育目標を推進していきます。そうした意味で鳴川先生のお話しは
 大変良いものでした。もっとも私は初めからあらゆる地域活動を「覚悟と本気」をもってやっていますが。

    ◎ 久喜小・公開研究会(12日)を前にオンラインでの授業公開  2/11(木・祝) 

  久喜小学校では.明日2月12日(金)に、―「イノベーション力」の育成を目指したカリキュラム・
 マネジメントの充実―を研究主題とする公開研究会を行います。下段その他で述べてきたように
 「国立教育政策研究所教育課程研究指定事業」、「久喜市教育委員会依嘱」としてあるものです。
 本来なら12日にいくつかの教室で参加者に授業を見てもらい、その後全体研修会という日程
 なのでしょう。しかしコロナ禍の昨今です。大勢の方に授業を見てもらうわけにはいきません。
 そこで参加を申し込まれた人に、この間の研究主題の授業を録画配信、それを8日から今日の
 11日まで行い、あらかじめその資料を研修したうえで明日12日の研究会に参加してもらうという
 方法を取りました。メールでの申し込み、メールでの返信、その中の

 「URL」を開くという方法です。8日配信という事でしたが、この日は届かず、翌日はアクセスが殺到したせいか開けず、やっと昨日
 今日と勉強させてもらいました。動画配信で 見せていただいた授業ですが、色々な機会を頂いてそのほとんどを(ある過程ですが)
 実際見ています。明日を楽しみにしています。―写真 私のパソコンに配信されてきたもの―

  配信された資料ですが、5年生と他学年の授業風景の動画が2、あと5年生の授業に関する「Re innovation」とタイトルが付けられた
 文章・解説が2つでした。5年生のものは51分、もう1つは全学年で14分ですから、あくまでも中心は、説明文と合わせ5年生の授業
 となります。さて短編の方の5年生を除く学年を紹介したものです。1年生は「遊びに行こうよ。秋と遊ぼう」親切にしてくれた2年生への
 感謝の気持ちが表れています。2年生は「1年生のヒーローになろう」、1年生に学校案内をしたことから始まっています。
  3年生は「元気を出そう久喜市! 私たちに出来る事」 コロナ禍でお祭りも中止となった久喜市民に、元気を送り届けようと提灯山車
 を手作りしました。4年生は「守ろう 大切な水と命」、久喜小のビオトープと新川用水の見学から、水と命を守様々なアイデアを考えました。
  6年生は「アナザー運動会」、見に来てくれた人に元気を届けようと、今までにない、全て自分たちの手になるパフオーマンスを見せよう
 と頑張りました。… … …以上です。私は幸いにもこの全ての授業を参観しています。特に3年生の「手作り提灯山車の制作」には、
 久喜市祭典委員会会長という立場もあり、余計な事ながらちよっとアドバイス、お陰で学内の提灯祭りにはご招待を頂きました。(本ページ
 令和2年11月7日付参照) 各学年の学習内容は当然「イノベーション力の育成」をめざすものです。下段で紹介したように「イノベーション力」
 は3つのA、7つの資質・能力で構成されます(としています)。1・Assistance ①知識・技能 ②自律的態度、2・Application ③論理的思考 ④
 批判的思考、⑤創造的思考、 3・Approach ⑥探究的態度 ⑦協働的態度 です。例えば3年生の「提灯山車を作ろう」では、地域の人の
 ためにという目的にたち、どんな提灯を作ろうかと考える2・の⑤創造的思考を醸成します。4年生の「守ろう 大切な水と命」では、自分の考えを
 根拠をもって示す、→ 知識を繋ぎ合わせるから、2・の③論理的思考を育成する、という学習内容です。
     
  さてこの研究会の中心をなす5年生「Re innovation」です。授業風景の動画を見ました。1・導入~4・アマゾンの授業の4段階から成り立って
 いました。
  1・導入 担任教師のインストラクション(教示・指示)によって、プロジェクトを知り、 イノベーションについてイメージを持たせると共に、子どもの
  学びのエンジンに灯を付ける。 アイデアをだす、遊び心を持つ、自信を持つことが大切。
   2・活動 全体の目的から自分の解決したい課題を発見し、その手立てを考える  児童一人一人がアイデアを
  3・1оn1   教師との面談の中でプロジェクトの方向性を決める。また自身が気付いたり、足らないことを知る。
  4・アマゾンの授業を通して  「アマゾン」の社員教育担当の方からお話をお聞きしました。自分がプロジェクトを進めるうえで、大切にして
  いきたい「お守りの言葉」を獲得する。           動画配信された授業内容は以上となっています。
  
  最後が2つの解説文です。これは下段でも記しましたが(2/5日付)、図と文章からなる大変難解なものです。今まで何回も挑戦しましたが、
 正直言って3・4ページまで進むと読むのがイヤになります。第一専門用語、自分たちで創った新造語が多すぎます。こんな難解な文章は
 おやめになったほうが良いと思います。研究者の熱心さは評価しますが、もう少し多くの方に理解できるものが良いのではと思います。
 私は「コミュニティスクール」に関する久喜小の学校運営協議会、地域の人間です。この解説・説明文は私の理解を超えていました。私は
 久喜小の教育目標「イノベーション力の育成」を支持・評価し、推進してきました。ただ最近思うのです。「イノベーション力」とは子どもが
 主体的に学び・遊び・体験する中で、身についていくもので、3つのAだ、7つの資質だと言って、それを授業の中に押し込めていくものなのかと、
 明日の研究発表の中でその答えが見つかれば良いななんて考えています。

            ◎ 久喜小、オンラインによる教育課程研究発表会  2/5(金)

  「国立教育政策研究所」は、教育政策調査研究のため、文科省内に置かれています。
 その目的に資するため毎年全国いくつかの学校を、研究課題に応じて指定しています。
  令和2年度の研究指定校の研究協議会(発表会)が、2月の2・3・4・5と開催され、
 久喜小学校が昨日5日、教育課程研究指定校のうち、小学校―カリキュラム・マネジメント―
 について発表しました。本来なら東京の文科省あたりの大きなホールに、全国からの研究家
 実践者を集めて行うのでしようが、この時期です。オンラインで行われ、それを校長室で
 他のメンバーと共に傍聴しました。


  発表はこの研究教員の主任・副主任の2人で行われました。主任はコミュニティスクールその他でいつもご一緒に活動して
 いめ教務主任です。1・久喜小の紹介、2・研修の運営、から「イノベーション力の育成」、「大単元構想」、そして最後に6・来年度に
 向けて、の6つから成り立っていました。
  まず1・久喜小学校の紹介です。郷学「遷善館」の流れを継ぐ伝統校ながら、「夢創造科」、今回の「イノベーション力の育成」と時代を
 先取りする研究に取りくむ、また地域とのつながりの強い学校。
  2・「イノベーション力の育成」について これからは「変化が激しく、予測困難な時代」、そこで「予測困難な未来が来ても、それを乗り
 越えるための力=イノベーションが必要」、乗り越える=新たな価値の創造。具体的イノベーション力とは、「3A」1・アシスタント(蓄積
 する力)、2・アプローチ(取り入れる力)、3・アプローチ(創造する力)であり、各々の「A」の資質・能力とは自律的態度や論理的態度、
 創造的思考、協働的期待度など7つを挙げていました。
  3・研修の運営について  全教員からなる「推進委員会」を組織、更に3つの部会に分け研修体制を確立している。埼大・文教大・
 市教育委等からアドバイスを頂いている。
  4・大単元構想 1つの教科だけで新たな価値を創造していくのでなく、今までにない組み合わせを見つけていく・教科横断的授業構想
    大単元構想の構造  みち(道・未知)をたのしみ  みちを歩き  みちをつくる
  5・授業実践と評価  評価法は未確立、研究中。多面的・多角的な評価を複数組み合わせて評価することが大切。
    授業実践 2年生の生活科の時間で1年生のヒーローになろう、4年生の「水を守ろう」、5・6年生のアナザー運動会、
           全学年のオンライン音楽会等の実践例を紹介していました。
  6・最後が「来年度に向けて」でした。児童・保護者・教員それぞれの「研究の成果」に対する越えを紹介ステージ1から3までの
   来年度の「研究発表」に向けた久喜小内の研修スケジュールを述べていました。

  私たちは「かしこく ゆたかに たくましく」という従来の久喜小学校教育目標から、時代の変化に対応し、「イノベーション力の育成」と
 代えました。そして「国立教育政策研究所」の指定を受け、「イノベーション力の育成」をめざす、「カリキュラムマネジメント」の研究に
 頑張る久喜小の努力を評価するものです。ただ言葉自体あまりなじみがない状況です。研究を急ぐ余りに「3S」だとか、「7つの資質」
 だとか、「観覧者モデル」とか、無理に整理化している感が否めませんでした。それにわかりにくい単語=専門語がやたら多く、私たち
 専門外の人間の理解を難しくしていました。 

  
      ◎ 久喜小に150周年記念事業の「楷の木」を移植しました  2/1(月) 

  今日から2月に入りました。今月7日まで
 我埼玉県を始め、11都府県に発令されて
 いる「緊急事態宣言」は、栃木県を除き延長
 される見込みです。この「緊急事態宣言」に
 よって、1/30(土)・31(日)に予定されていた
 久喜小150周年記念事業準備委員会による、
 岡山県備前市の「閑谷学校」→「備中高梁市」
 訪問・研修は、延期という名の実質上の中止に追い込まれました。つくづくコロナの感染拡大を忌々しく
 思うものです。
  さてもう何度も述べてきました。我母校・久喜小は明治6年1月に、本町1丁目にあり、我が家の菩提寺である「光明寺」
 本堂を仮校舎に、「久喜学校」としてスタートしました。令和4年=来年が記念すべき150周年となります。校長、私たち
 地域の人間(学校運営協議会委員)、PTA役員が記念事業の準備を始めるにあたり、コンセプトとしたのはこんな点でした。
  久喜小は郷学「遷善館」の流れを継ぐ伝統を持ちつつも、時代を先取りする様々な.教育のあり方を研究・実践し、その
 先頭に立ってきたこと、もう1つが「遷善館」がそうであったように、常に地域の人たちと共に歩いてきた事、この2点でした。
  この上に立ち記念事業を卒業生のみならず、多くの地域の人々の参加で行う事、更に学問=孔子で事業を統一しようと
 考えたのです。
  普通記念事業と言えば、「式典・記念誌・モニュメント制作」となります。そこで「記念碑」や、「記念銅像」といったものでなく
 中国山東省の「孔子廟」に植えられた、「楷の木」の遺伝を受け継ぐ「カイノキ」を植えようと考えたのです。大正初期にこの木の
 種が日本に持ち帰られました。日本の孔子廟ともいえる「湯島聖堂」、岡山県備前市の「閑谷学校」、「足利学校」等に植えられ、
 また上記で育てられた木が、日本国内の多くの大学構内等で植えられ、正に「学問の木」とされています。穂村校長が「閑谷学校」
 に粘り強くお願いし、快諾を得ていました。先の岡山行きもそのお礼という意味がありました。職人さんの手によって保護された
 運ばれていた木が本日、久喜小に植えられました。場所は「多目的室」の前です。実は赤と黄色に紅葉する2本の木を頂くことと
 なっていました。それがその2本を余りにも近く植えたため、根がくっついてしまい、分離して植えるのは危険という事で、2→1本で
 植えることとなりました。それが上の2枚の写真です。空きスペースにはもう1本、元久喜市教育長「橋本昭」先生からご寄贈頂いた
 同じく孔子廟の木の遺伝を受け継ぐカイノキを植えます。ここに「由来」を書き込んだ石碑を建て、その除幕式を記念式典当日に
 行う予定です。(令和4年11月19日・土予定)
  さらに言うと「式典」は「一般と子どもの部」とあります。「子どもの部」ではコンセプトに沿い、子ども論語塾の「安岡定子」先生の講演を
 行う予定です。一応私が担当します
  緊急事態宣言解除後、各期卒業生の代表の方にお集まりいただき、代表者会議を開きます。そして新たなメンバーの参加を頂いて
 正式な「実行委員会」を立ち上げます。

  すぐ令和4年の秋はやってきます。張り切って準備を進めていきます。

     ◎ 久喜小学校支援プロジエクト・150周年準備委 今年の活動を終えました。 12/21(月)









  21日(月) 午前に「久喜小学校支援プロジエクト」、午後に「150周年記念事業準備委員会」の行動・会議があり
 両方ともに令和2年の活動を終了しました。
  「学校支援プロジエクト」とは、日常的に大変忙しい先生方の負担を少しでも減らすことを目的に、主に6・5年生の
 宿題、自由学習等のチェックをするものです。会場は久喜小の「みんなの部屋」です。1Fの1番多目的教室棟に近い所
 です。かって物置となっていた部屋を片づけ、皆が使えるルームとしました。久喜小にボランティアに来る人のたまり場です。
 当然地域の人に開放しています。町内会役員会、地域の人のサークル・クラブ活動にどうぞお使下さい。私は出来れば
 習志野市秋津小の「秋津コミュニティ」のようにしたいなと考えています。日曜日や夜間使いたいと思うとき、無理だなと
 判断せず、とに角ご相談ください。
  支援プロジエクトの中味です。算数の計算帳、国語の漢字の書取り帳、自由課題のもの、新聞を読んで感想・意見を
 書き綴るものなど多彩です。参加するメンバーです。最初は学校運営協議会委員のみでしたが、その後元久喜小教員
 元PТA会長等が参加され、多いときなど10人という時があります。うれしい限りです。算数分母の計算など、「アレ、どう
 やるんだったけ」と思うときがあります。漢字の書き取り、これが小学生かと思うほどきれいな字を書く子もいれば、「もう
 少し丁寧に書くクセを付けましょう」と、批評(メモ)を書かざるをえない子もいます。この前は自由課題、鎌倉時代の歴史の
 勉強で、「北条政子」にふれ、「愛憎の念がこれほど強い人は困ったものです。」という文章があって、思わず笑ってしまい
 ました。毎週月曜日、午前10時から1時間半程度、来週は冬休みですから、今日が令和2年最後となります。また来年も
 仲間と共に、少しでも担任教師の時間的負担が減少するよう、頑張っていきます。(―左・活動風景―)
 
  150周年記念事業準備委員会の活動です。このことに関してはこのページで何回か報告してきました。令和4年度に
 久喜小150周年記念事業を、1年かけ実施しようとするものです。今日丁度10回目となる準備委員会を開催しました。
  当初10人足らずのメンバーでしたが、PТA役員、卒業生等が加わり20名近くとなりました。来年2月下旬に卒業生
 各期の主要メンバーにご案内を出し、記念事業説明会を開催し、新たな有志の参加を頂いて4月頃には「実行委員会」を
 正式発会させる予定です。この記念事業の目玉として、中国孔子廟にある「カイノキ」の遺伝を受け継ぐ、カイノキを久喜小
 校庭に植えます。この木をご提供いただく岡山県閑谷学校へ、来年1月に研修にお伺いします。
  当然この記念事業は結構な費用を要します。その捻出を含め来年度が最重要な1年となります。とに角は私久喜小へ
 歩いて1分、走っていけば2~30秒という所に住んでいます。子どもの頃は学びの場は遊びの場でもありました。
 長じて「スポ少」、「ゆうゆう」、「コミュニティスクール」と活動の場であり、ほぼ年齢と同じ位久喜小で過ごし、元気をもらい
 続けてきました。そうしたことへの最後のお礼奉公だと思っています。とに角頑張ります。
  (―中・右―)は久喜小PТAのお父さん方が作ってくれた、150周年を告知するイルミネーションの昼間と夜のものです。
 148が来年は149となり、そして150となるとき、いよいよ本番となるのです。長い努力が必要ですが、それは私にとって
 楽しい苦労となります。

       高校時代の仲間と恩師を偲ぶ旅行をしました。 12/7(月)・8(火)

















  このことは何度も書いてきました。私は久喜中卒業後、東京は山手線田町駅の芝浦側すぐにある、「東京工業大学理工学部
 付属工業高等学校」という、大変長い名前の学校に通いました。全国で唯一の国立の工業高校で、当時(昭和34年=69入学)
 高度成長経済を背景に、理工ブームが到来しており、また試験日が都立・県立よりひと月近く早かったため、倍率は16~7倍
 あったと記憶しています。幸運にも合格できた私は、そこで実に楽しい3年間を過ごしました。結果として相当数が進学したのですが、
 基本就職校です。皆のんびりしていました。旋盤・鍛造等実技や、原動機・力学・製図といった専門科目に多くの時間を取られ
 わしましたが。仲間は皆優秀であり、何故か余り恵まれていない、というよりかなり厳しい家庭の出身者が多かったです。それ
 だけに皆のんびりし、ふざけあいつつも、きちんとした目的というか、進むべき方向みたいなものを確立していました。そんな
 楽しい3年間を倍化させてくれたのが、恩師のS先生でした。ぶっきらぼうな人でした。いつも膝までの灰色のコート風作業衣に
 身を包み、肩をゆすりながら歩いていました。優秀な人でした。都(区)立中学校の数学の教師から出発し、私たちを送り出した後
 母校の横浜国大の教授まで勤められました。たしか頭脳抜群で兵役を免除されたと、他の機械科の先生からお聞きしたことも
 ありました。この時代を生きてきた人独特の、頑固派リベラルの人でした。高校2年が60年安保の年でしたが、HRの時間
 などに厳しい意見などを聞かせてくれました。そして思いやりのある優しい人でした。在学中、卒業間もなくの頃、何回か先生の
 ご自宅にお伺いさせていただきました。お優しい奥様と大歓迎してくれたことを、懐かしく思い出します。私にとって瞳のように
 大切な3年間の思い出は、先生とめぐり合ってこそなりたつものでした。
  卒業後私たちは、若い頃は5年に1回、その後3年おき、2年おきとクラス会を持ちました。S先生は100%の出席でした。先生が
 横浜国大を退官されしばらくされて、目がご不自由になられました。そして数年前に奥様に先立たれた以降、急に元気をなくされました。
  2年ほど前に最後のクラス会にお見えになったときは、全員が先生の目の前で自己紹介をしたものでした。そんな先生の訃報が
 もたらされたのは本年初夏の事でした。コロナ禍真最中の事とてご焼香を遠慮し、納骨を済まされたお墓に詣でたのは10月も末の
 頃でした。(10月20日付本ページ参照) その時皆で年内に、どこか近くの静かなとこで先生の思い出話をしようよ、と話し合いました。
 これが今回、12月7(月)・8(火)三浦海岸の旅として実現をみたことになります。
  それぞれ住まいはバラバラ、京急線終点の「三崎口」を集合地としました。総勢7名、バスで城ケ島が目の前に見える地点まで移動
 そこでおいしい鮪の刺身などの昼食をとりました。しばし海岸線を散策後、再びバスで三浦海岸に移動、三浦海岸駅にほど近い
 ホテルに入りました。(―上・右―) リゾートマンションを途中からホテルとしたもの、なかなか良い宿でした。夕食をとった後、部屋で
 おもいおもいのアルコールを飲みつつ、思い出話に花を咲かせました。「14の春に変えるすべなし」とは啄木の歌ですが、私たちは皆
 喜寿の歳です。はるーか彼方となった高校時代、S先生を思い出しつつ話は長く続きました。ただです。仲間の階段の登り・下りの
 スタイルなど見ると、ああ老けたなと思う事が何どもありました。という事は自分もそうなのです。あぁヤダヤダ。天国でS先生にお叱り
 を頂くのも、そう先の事ではなさそうです。(―上・左2―)はホテルの窓から見た東京湾の朝焼け、(―上・右2―)は参加者です。

  翌日は藤沢・町田・狛江・千歳烏山とバラバラなため、横浜で解散しました。私は足立区まで変える友人と、日暮里で下車し、「谷中」の
 町並みを散策しました。お隣の「根岸」は歩いたことがありますがここは初めてです。(―上・右―)は日暮里駅と谷中を結ぶかの有名な
 「夕焼けだんだん」です。最も夕焼けの時間には少し早かったですが。(―下・左と左2―)は谷中銀座のアーケードと町並みです。土・日など
 結構な人出とのことです。この界隈は戦災を免れており、今は懐かしい店舗・住宅等見られ楽しい散策でした。最後に「山岡鉄舟」が゛幕末
 から明治維新時に、国事に殉じた人の霊を弔うため建立した、「全生庵」を詣でました。「山岡鉄舟」は剣・書・禅、3つの道の奥義を極めた人
 (―下・右2―)、また鉄舟との縁で隣に眠る、落語界の中興の祖とも言われている三遊亭円朝(―下・右―)の墓に頭を垂れました。
  楽しい散策でした。チヨット時間があるから散策でもするか、という元気をもう少し持ちづ付けたいと思います。 
 
  なお我母校はここ数年で東工大構内に移転します。跡地は売却されるとの事、もう当時の面影は残っていませんが、最後の母校をみつつ
 来年春にクラス会を、が次の目標となります。

      ◎ くきっ子ゆうゆう、活動進順調に進展  12/5(土)

















  コロナに明け、コロナに暮れようとしている今年ですが、季節は変わらず進んで、早や師走の時となりました。先日女房の
 実家を訪ねた帰途、花咲水上公園へ寄り、名物の銀杏の紅葉を見てきました。見事なもので歩道は黄色の絨毯でした。(―上・左―)
  コロナの関係で例年より4カ月後れ、10月にスタートした今年のくきっ子ゆうゆうプラザですが、晩秋から初冬への季節の
 移ろいと共に、いつも通りの充実した活動を展開しています。11/21(土)には面白理科実験・風船遊び、12/5(土)にはクリスマス
 リースづくりを行いました。
  面白理科実験は多目的室の理科室で行いました。ご覧のように十分間隔を開けてのものでした。(―上・右2―)カラフルな風船が
 子どもたちには一杯渡されています。(―上・右2、下左2―) それに空気を入れたり、水を入れたりして色々な変化・性質を調べる
 ものです。風船に空気を入れ膨らますのですが、手押し式ポンプではなかなかうまくいきません。私も持参しましたが、足踏み式
 空気入れ10本も使って風船を膨らましました。(―上・左―) 膨らました風船をセロテープでつなぎ、リンクを作ります。それを頭上に
 ほうり、ドライヤーの熱を噴き上げますと、実にきれいにクルクル回ります。(―下・左―) 子どもたちは夢中で挑戦していました。
 最も一時にみんながやったため、ブレイカーが飛んでしまうというハプニングまでありました。
  12月に入り5日は人気の「クリスマスリース」づくりです。何と40人もの申し込みがあり、一番大きい多目的室を使ったのですが、 
 写真のように大変でした。(―下・右2―) リースはリング状のものに、松ぼっくり、ベル、星型のもの、他様々なデコレーションを
 取り付けていきます。リンクは芋づるが本来と言いますが、プラスチック制の物が市販されています。(―下・右―) 様々な
 デコレーションをグルーガンという接着器具を使ってリンクに止めていきます。この器具がないとうまくできません。スティク状の樹脂で
 接着するホットボンドの器具です。子どもたちはやけどをしないよう真剣に挑んでいました。素敵なクリスマスリースが出来ました。
 ドアに飾ってサンタ様の到着を待ってください。
  てなことで「くきっこゆうゆう」は順調に進んでいます。コロナ騒ぎの今年、残念なことに9校が閉校しています。開校しているところも
 動画配信、オンラインという形式もあります。それぞれの実施委員会で、実情に合わせて行っているのですから、批判する気は全く
 ありません。ただ私は上記のような体験型講座に嬉々とする子供たち、それを熱心に見守るサポーターの皆様を見るとき、やはり
 この形で開校してよかったと思うものです。
      ◎ 久喜小で一人芝居を観ました。 12/3(木) 









  3日久喜小体育館で、同校6年生児童を対象に行われた1人芝居を観劇させていただきました。この催しを私は全く偶然に
 キャッチしました。大変興味を持ち、校長先生にお願いしたところ快くご了承を頂きました。『男はつらいよ、でなく、学運協
 委員は良いものよ』という所です。この話がまとまった理由をあまり知りません。1人芝居を演じられた「鹿重」さんという方は
 久喜市の隣町にお住まいです。年齢不詳、とにかく30台後半から50歳くらいまでと推察しました。長く劇団に関わっておられた
 そうです。「主に脚本や舞台道具作りを担当していた」と話しておられましたから、主催者側におられたようです。ところでコロナは
 いろんなところに影響を与えています。「鹿重」さんの劇団も公演を行うことが出来ず、解散に追い込まれたそうです。仲間は
 いろんな職に散っていったそうです。しかし、と鹿重さんは考えたそうです。自分は劇一筋に生きてきた。今更他の職には付けない。
 ならばこの道で、自分の想いを伝えていこう。--そこで今回となった1人芝居を演じ、そこで自分にとっての演劇とは、自分に
 とって「魅せる」とは何か、を伝え、想いを繋げていきたいと考えたそうです。ところで久喜小6年生(2組・80人)は、総合的学習の
 時間で「卒業制作プロジェクト」を行っています。そのプロジェクトにつなげる、想いを持つこと、想いを表現すること、とは何かを
 鹿重さんの芝居で考えてほしいとのことから、今回の企画が実現しました。
  舞台は久喜小体育館です。「密」をさけるため1・2組別々の観劇です。(―写真・左―) 鹿重さんは7時過ぎには来校され、準備に
 当たったそうです。白と黒の幕が張られた、箱状の物が凹凸に立っています。真っ暗な会場、それへ観客側から光をあて、1人
 芝居を演ずる鹿重さんの影が映るという形です。演じられたのはおなじみ芥川龍之介の「蜘蛛の糸」です。芥川龍之介が児童向けに
 初めて書いたもの、おしゃか様の慈悲と盗賊のエゴイズムとが表現されています。しかしここではこの小説の筋はあまり重要では
 ありません。 とに角鹿重さんが盗賊を演じたり、お釈迦様を演じたり、(―左・2―)が影絵として映し出され、皆食い入るように
 見入っていました。特に盗賊が蜘蛛の糸を登っていくシーン、よくこんな舞台道具を考え、作ったなと思わせる小道具を用い
 表現していました。
  そのあと子供たちは感想を話し合い、また鹿重さんに質問の時間、残念ながら子どもたちの声は小さく(マスクが影響?) 離れて
 座っている私には聞き取れませんでした。鹿重さんが短い時間ですが話されました。氏の演劇家として、プロとしての想いが十分
 伝わるものでした。
  トイレ休憩をはさんで第二部、影絵体験です。5人のグループをいくつか作り、体育館の板壁をスクリーンとして影絵を映し出して
 いました。鹿重そんからコツ・ポイントの伝授を受けてのもの(―右2・右―) 皆楽しそうに挑んでいました。
  良い企画でした。久喜小6年生の子どもたちが、鹿重さんの想いを受け、自分たちに繋げ、「卒業プロジェクト」が成功することを
 願います。最後にこの一人芝居、いろんなところで、いろんな人が観られたら良いな、と思いました。

     ◎ 令和2年度第1回・久喜市大・高大運営委員会  11/16(月) 

  先日スポレクのページで、スポ少本部の「令和2年度・第1回常任委員会」の内容報告をしたばかりですが、16日「市大・高大
 運営委員会」の令和2年度の「第1回・運営委員会」が開催されました。私は平成30年に「社会教育委員」を委嘱され、社会教育
 委員選出で「久喜市民大学・高齢者大学運営委員」に就きました。就任早々委員長の職を頂き、今年で3年目に入ります。
  さて今日の運営委員会です。運営委員会の開催が遅れたというより、コロナ禍、両大学の今年度の開始が遅れ、報告・協議
 する内容がなかったことによります。両大学ともに入学式を、4月開催の予定が6月下旬に持っています。それも来賓なし、私たち
 運営委員も出席していません。授業の開始は7月に入ってからという状況でした。
  両大学の(1) 令和2年度の実施状況、(2)令和3年度の実施計画、(3)令和3年度の学生募集について、の3点につき報告を
 うけ、協議しました。衝撃的なことがあります。学生数です。両大学ともに一時期に比べ学生数が減少していました。「高齢者大学」
 は、4年生・3年生と30人台となり深刻でしたが、2年生は45人、今年の1年生は55人となり、まずまずといえます。問題は「市民
 大学」なのです。定員40名、何ども言ってきたように1期の私たちは39名でした。10期を過ぎる頃から極端に減少、ここ数年は
 何としてでも10人台を守ろうと必死でした。それでも10名そこそこでしたが、今年入学希望者10名、入学者実際8名、2人コロナ
 騒ぎで退学し、何と6名在学という事です。大ショックでした。皆も同様、従って多くの意見はここから出発するものでした。
  中には「学生から多くの意見を聞くこと、そこから前例にとらわれない魅力ある講座を持つべし」とか、「時節柄オンラインを取り
 入れたら、それに合わせてパソコンやスマホの講座も持っては」という積極的な意見もありました。しかし多くはここ数年言われ
 続けてきた否定的なものが多かったです。「費用対効果という事もある。10人を割るようならそんなことも考えるべきでは」、「義務
 教育でも数が少なければ統合する。市大・高大を一つにするのも1つの考え」、中には「市では指定管理者制度を多く導入している。
 行政が手を引き民間に任せたら」といった意見もでました。
  それぞれの人がそれぞれ真剣に考え、述べられた意見です。尊重しますが私は上のような考えは持ちません。私は「生涯学習」と
 いうこの摩訶不思議なものにのめり込み、この歳まで生きてきました。だから市民が学ぶという事、学んだ成果を地域に活かすと
 いう事を、何よりも大切にしていきたいと考えています。余り「費用対効果」という考えを持ちません。高大は高齢者の生きがいづくり
 市大は市民の学びの苑です。2つを一緒にすることは無理と考えます。久喜市では図書館まで指定管理者制度を導入しています。
 私は市民の学ぶ施設への指定管理者制度導入はすべて反対です。市民の学びを大切にすることは、市民自治を大切にすることです。
 実際「市民大学」をNPО(住民主導)で運営している例はあります。ただ指定管理者制度導入の例を私は知りません。
  久喜市は大変市民力の高い町です。市民まつり、ゆうゆう、全校実施のコミュニティスクールといった現実がそれです。この現実を
 支えているのが、市民大学であり、高齢者大学なのです。
  歯を食いしばってでも頑張り、両大学学生数の増大を何としても図り、さらなる充実を進めていくという点に立つべきだとしみじみ
 思います。この考えでこれからの「市大・高大運営委員」を勤めていきたいと考えます。

     ◎ 久喜小授業研究会・イノベ―ション力の育成  11/9(月)

  久喜小では教育目標である、イノベーション力の育成を目指した、「カリキュラムマネジメント」の充実を計る授業研究会を
 今秋4回にわたって開催します。すでに2回終わっています。私はこの種の研究会にはほとんど出るのですが、なぜか私が
 主催する事業等にぶつかり、この日が今秋初めての参加でした。
  4年3組の「くるみタイム」(総合的学習の時間)の「守ろう大切な水・命」と題するものでした。何故川の水が汚れてしまうのかを
 グループで話し合い、原因・解決策、県や国の役割等に分け、久喜市の汚染対策を学んでいこうというものです。大きな「Y」の字を
 描き、120度の3つに1・汚れた原因、2・自分にできる事、3・国・県が出来る事をそれぞれ書き込んでいきます。1・汚れた原因
 には生活排水、産業排水等を挙げ、2・自分にできる事には洗剤等あまり使わない、油等は一回ふき取ってから流す、等、そして
 3・国・県の役割では下水道の整備、集落排水等を挙げていました。そして「Y」の字とは別に、紙に「調べて感じたこと・考えたこと」
 という空欄があり、そこに「久喜市では濁った水が多い」、「自分だけでなく、皆が気が付かないとダメ」等が書き込まれました。
 授業はここで時間切れです。この後子どもたちがどう考えを進め、まとめていくのか本当に後ろ髪を引かれる思いでした。

  子どもたちは事前に校庭内の「ビオトープ、新川用水」で事前学習をしています。「ビオトープは水草や藻がたくさんある。新川
 用水は水が汚い、周りがコンクリートで覆われている」、等を感じたそうです。そしてこの学習はゲストテイチャー、ビオトープは私たちが
 師匠・先輩と呼ぶ地域の方、新川は私の市民大学同期生のS氏です。このように久喜小の授業が、多くの地域の人の参加によって
 なされていることをうれしく思うものです。そしてここから「生き物にはやはり水草や藻が大切なのでは、新川は昔から同じだったのか
 ビオトープはたくさんの人に守られているけど、新川のような身の回りの川は守られていないのではないか」、といったことを感じた
 そうです。これからも地域の方から話を聞き、クラスの考えとしてまとめていくそうです。これで1つのPhase「段階・局面」がおわり
 次に進むそうです。どう進(深)化していくのか楽しみです。
  その後「図書室」に移り、先生方が参加しての「研究協議」に入りました。教員でないのは私1人です。本日授業を公開された
 担任の先生からの反省を含めた話、ワークショップと進んで、最後に本日の指導者・東部教育事務所K指導主事より指導講評
 を受けました。私以外全員教員ですから、専門用語がぼんぼん飛び出します。「教科横断的」とは何となく意味が解ります。
 「大単元構想」と言われると何だそれは、と長く困りました。今回「本単元で育てたい3A」とあり、一瞬面くらいました。3Aとは
 「Assistance・ Application・ Approach」をいうのは理解していますが、読むのと聞くのでは大部違います。最も私以外は先生方
 ばかりですから 即理解できるのでしょう。
  ただいつもこの研究協議に出て思うのですが、例えば今日の参観した授業のように、子どもたちが現地で学び、感じたこと
 考えたことをグループで話し合いまとめていく、その中でどのようにしたら川を、水をきれいにしていけるか(社会や人生をより
 良いものにしていけるか)を考えていく、その延長線上でイノベーション力は身についていくのでは、と考えるのです。
 イノベーション力の育成をまず先頭に、到達する過程を縦(時間)とヨコに当てはめていく(と感じられる)のは、単語の意味さえ
 良く解らない素人の私の余計な心配なのでしょうか。とにかくこの日も、久喜小の先生方の熱心さに感心しつつ帰路に就きました。

      久喜小3年、ミニ提灯祭りを参観しました。11/7(土) 久喜小多目的室









  7月上旬、久喜小の「カリキュラムマネジメント」の研究発表に参加しました。その時3年生のクルミタイム=総合的学習の
 時間の内容に大変興味を持ちました。― コロナ禍、楽しみにしていた久喜提灯祭りも中止になった。地域の人たちも何と
 なく元気がない。僕たちで山車を作り、ミニ提灯祭りをやろう、自分たちだけ楽しむのではなく、地域の人に元気を届けよう。―
 こんな内容、子どもたちは山車の制作に話しを進めていました。私は根っからの出しゃばり、まして久喜市祭典委員会会長です。
 子供たちの大変すばらしい提案に、少しでも参考になればと後日担任の先生に少しお話をしました。『山車を作る、置いとく
 だけか、みんなで引き回すか、そこがポイント。動かすなら車輪のあるもの、リヤカーとか運搬機みたいな物を利用しないと。』
  あれから4カ月が立ちました。今日は土曜授業、子どもたちの手作りの提灯山車による、「久喜小ミニ提灯祭り」が開かれ
 ご招待を頂きました。前から心待ちしていました。喜び勇んで出席しました。
  祭り会場は久喜小多目的室です。なお本来なら地域の方・保護者にご参加いただくべきものです。しかしコロナ禍、「密」を
 さけめためそれはかないません。そこでライブでInternet中継をしました。久喜小をはじめ、久喜市内の小中校のこういう
 能力には定評がありますが、改めて感心しました。多目的室には学校のかなり古いリヤカーを利用した「提灯山車」が鎮座
 していました。(―左―) また壁面には手作りの提灯が飾られていました。(―中―) ポットボトルを利用したり、古新聞紙を
 何重にもまるめ、かためた手作りのもの、ご苦労様でした。プログラムの中で、みんなからその提灯を頂きました。
 ありがとうございます。(―右―)
  午前が1組、午後が2組の発表でした。司会者が上手に進めます。「紙芝居」によるミニ提灯祭り開催に至る道のり、祭りの
 歴史等々を紹介していました。「クイズ」では祭りの始まった時代、提灯の数、祭りの開催日等の問題が出ていました。
  「地域の方への手紙」等がプログラムでした。車輪の山車は主に1組、提灯のヤグラ(―右2―)は主に2組のみんなが作りました。
 山車を囃子の音に合わせ、多目的室外のテラスへ引き出します。(―左2―) 囃子の音につられ校庭で体操していた他学年の
 仲間が山車に注目していました。提灯のヤグラは引き回しませんが、その代わり射的や焼きそばの屋台を出したり、ソーランを
 踊ったりと本当に祭りを楽しんでいました。
  両方ともに最後に「感想」を求められました。『久喜の祭りは約230年ほど前、ちょうど今年のような状態のとき始まりました。
 浅間山の大爆発で久喜にも火山灰が降りました。お米は取れず、井戸にも降ったので疫病がはやりました。そんな時疫病退散
 五穀豊穣、みんなに元気を、と始められたのです。久喜小の地元に元気と笑顔を届けたい、というみんなの気持ちはきっと実って
 コロナも収まり、明るい町が戻ると思います。今日は楽しかったです。ありがとうございました。』大体こんな内容でした。
  子どもたちの思い入れに感謝します。ありがとうございました。私も久喜市祭典委員会も、来年は元気に祭りができるよう
 頑張っていきます。

     ◎ 北小 「ありがとう北斗祭」に出ました。10 /31(土)

 
 久喜小にも日頃お世話になっている地域の人たちに感謝の意を
 
伝える「感謝の会」があります。北小ではプラスして日頃の学習の
 成果を発表し、合わせて子どもと地域の方々との交流を図る場としての
 「ありがとう北斗祭」が開催されています。「読み聞かせ」と「綱引指導」で
 北小に関わる私も、毎年ご招待にあずかり、昨年などは校長先生・PТA
 会長・学校運営協議会会長連名の感謝状まで頂戴し、恐縮した思い出が
 あります。今年もその「北斗祭」が、コロナ禍、例年とは少し違うかたちで
 
開催され出席しました。

  この会はいつもは全校児童の参加の下、体育館で行われます。しかし北小ではコロナ禍の今年、全員での体育館
 使用はまだやっていないそうです。そこで全体での交流はあきらめ、各教室に散って感謝の気持ちを伝える会として
 開催したとのことです。図書室に全員が集合し、今年新たに北小に赴任されたY校長先生からご挨拶を頂き、その辺の
 事情の説明を受けました。その後迎えに来た児童の案内で、それぞれの教室に向かいました。私は1-2でした。
  まず校長先生から校内放送であいさつを頂きました。また全出席者の紹介を頂きました。やはり久喜小同様、「学校
 運営協議会委員」、「ゆうゆう実施委員」、「民生委員」が多かったです。代表の司会で進行します。1年生ですが見事
 なものです。全員で歌とダンスを披露してくれました。歌は「大切なもの」というタイトル、何か6年生が卒業式で歌うような
 難しい歌でした。ダンスは今年の運動会で披露したものとのことです。グラウンドに散ってのものと違い、目の前での
 ダンスは何とも愛らしいものでした。一杯プレゼントを頂きました。それが写真です。
上のピンクのものは感謝の手紙が
 
何通か入っているノートです。中が今まで゛子供たちが育ててきた鉢植えのビオラ、右が児童会役員が制作したクリスマス
 リース、
輪の部分はサツマイモの弦でした。今日参加している地域の方の指導とのことです。そしてメダルは左が児童会
 
右が1-2の皆によるものだそうです。うれしい限りです。
  綱引大会、今年は中止ですので指導はありません。「読み聞かせ」です。年々目が衰え、読み聞かせ風に読むのが
 つらくなっています。20年を超えました。もうそろそろいいかな、なんて思うのですがこうして感謝されると、もう少し
 がんばるか、となるのですから不思議ですね。

  
とにかくこちらこそありがとうございました。元気をもらいました。頂いたプレゼント大事にしますね。

 
     ◎ 久喜市立久喜小学校創立150周年記念事業について  10/28(水)

  久喜市立久喜小学校の150周年記念事業に関しては、本ページ6/30日付、9/1日付で報告
 してきました。令和元年の11月よりスタートした準備のための活動もほぼ1年が経過、スケジュールの
 中心事業も概略決定いたしました。準備委員会から脱皮、実行委員会発会式を来春4月、そのための
 大きな基礎となる「卒業生各期代表者会議」を、2月下旬に持たせていただきます。多くの方のご参加を
 頂きたく、記念事業内容、準備進捗状況を含め報告します。
  ① 記念式典を令和4年11月19日に行います。
     14:00~ 久喜小学校体育館 出席予定数500名
  ② この日13:00~ 記念モニュメントの除幕式を行います。記念モニュメントは中国孔子廟に植って
    いる学問の木=カイノキの遺伝を継ぐカイノキを、岡山県閑谷学校よりもらい受け、移植します。
    そのカイノキの由来を記した石碑の序幕です。
  ③ したがって11月19日が記念事業の中心日となります。この日までに記念誌を発行します。なお
    記念誌は有料にて配布の予定です。価格は未定です。

   子どもたち=児童の参加する事業です 
  ➃ 子どもたちの式典=講演会を行います。安岡定子氏による論語に関する講演会を予定しています。
     久喜小開校記念日の9月7日、または①の記念式典前日11/18日(金)を予定しています。
  ⑤  校庭に150の人文字を描き、それをドローンで撮影します。その写真をプリントしたクリアフアィルを作成
     皆に配布します。
   ⑥ 子どもたちのメッセージを入れたタイムカプセルを校庭に埋めます。
   ⑦ 鼓笛隊のパレードを行います。日時・回数(①の式典当日、または事前にPRを兼ねて)は未定です。
   他に ⑧ 卒業式や入学式に壇上に置く校旗を新調します。

   以上を予定しています。問題は経費です。大雑把に見積もっても700万近くかかり、今後500万円強を
 捻出せねばなりません。卒業生各位のご寄付を仰がねばならず心苦しい限りです。もちろん用意できる
 金額に合わせ、事業の規模を判断していくことになります。
  さて現在の準備委員会ですが、当初10名程で出発しました。その後PТA役員、卒業生有志等の参加を
 頂き、20名近くに成長しました。今後150周年記念事業の趣旨をご理解いただき、参加・ご協力を頂く
 ため卒業生の各期代表者会議を開催、それに踏まえて実行委員会を発会したいと考えています。
  「卒業生代表者会議」を令和3・2021年2月27日(日)10:00より「久喜小多目的室」で開催します。
 大変僭越ながら「卒業者名簿」で当方が選抜いたしました皆様にご案内を差し上げます。どうぞよろしく
 お願いいたします。この会議に踏まえ4月24日(土)に実行委員会を発会する予定です。

  一方的なご案内で心苦しく思っています。愛する我が母校=久喜小の150周年記念事業を何としても
 成功させたく、ご協力のほど心よりお願い申し上げます。

    ◎ 高校(東工大付属)の恩師の墓参りをしました。 10/20(火) 蒲田









  私は「東京工業大学理工学部付属工業高等学校」という、大変長い名前の機械科を卒業しました。
 JR山手線と京浜東北線の田町駅、その東口下車1分の所にあります。当時片道1時間30分は
 優にかかりました。何故こんな遠くの学校へ通ったかというと、父が秀才の誉れ高かった兄が意に
 反して文学の道を歩んだため、私には何としても工業高校へ進学させ、父が経営する工場を継がせ
 たかったことにありました。ここは唯一の国立の工業高校であり、受験日が県立・都立よりひと月早く
 落ちたら、県立の工業高校を受験すればよかったのです。高度成長時代を前にして、理工ブームが
 到来していました。大学は軒並み(理)工学部を新設していた時代であり、倍率は何と16倍を超えて
 いました。問題が猛烈に難しかったのを覚えています。おかげさまで何とか合格し、3年間通いました。
 とに角汚なかった事、安かった事が特徴でした。本館のコンクリートの建物は薄汚れ、校庭には何と
 防空壕が残されていました。あとお金を取られたという記憶がありません。同級生に質いてみたところ
 月300円だけだったと言っていました。35人の仲間と3年間一緒したわけです。基本的に就職校ですが
 結局4割進学しました。でも皆のんびりしていました。楽しい、実に楽しい3年間でした。私などは就職も
 しなければ、進学もしない(結局昼間工場を手伝う、を条件に早稲田の二部に入学)訳ですから、この
 のんびり、楽しいの先頭を切った生活でした。3年間こうした私たちを担任されたのが、今日墓参
 したS先生でした。いい人でした。この時代に生きた人、特有の頑固派リベラリストでした。区立の中学の
 数学教師から、本校の教員となり、私たちを送り出した後、母校である横浜国立大学の教授となられた
 ほど優秀な人でした。時として騒ぎすぎ、時としてハメを外し過ぎた私をいつも暖かい目で見続けてくれ
 ました。だから大好きな人でした。
  現役時代から卒業後も、何ども横浜の先生のお宅へ遊びに行き、優しい奥様も含めて歓待を頂き
 ました。卒業後同窓会を持ちました。先生は必ず出席され、変わらず私たちに接してくれました。
  しかし横浜国大を退官されてから、少し目がご不自由になりました。5年ほど前お優しかった奥様に
 先立たれて以降、急に元気がなくなりました。クラス会も東京でやるのはやめよう、先生のお近くで
 やるようにしよう、と話し合ったのは3年ほど前でした。その先生の訃報がもたらされたのは本年5月
 でした。コロナ禍の真っ最中、焼香はご遠慮いただきたいとの遺族の連絡もあり、納骨後にみんなで
 墓参りしようとその時話し合いました。8月に実施直前にまで行ったのですが、皆喜寿の歳の同級生
 やはりコロナが怖いという事で、今日3度目の正直となった次第です。
  JR京浜東北線蒲田駅から、羽田方向へ10分ほどバスで行ったところ、真宗西本願寺派のお寺でした。
 参加者は8名、これが多いのか少ないかはわかりません。来られる状況なら皆必ず来る、先生との
 関係はそういうものとしてあります。卒業して60年、この年月の経過だとこの数になるのですね。
  皆で花を手向け、お線香を添え、頭を垂れました。あの私の生涯の誇り?である3年間の思い出が
 ゆっくり渦巻いて過ぎていきました。先生どうか安らかに、奥様とご一緒にお眠りください。
  年内にどこか静かなところへ一泊旅行に行き、もう一度先生をしのぼう、と約束しお別れをしました。

  最後に高校の現状を一つ、近々今のところから東工大学内に移転するそうです。近くに「高輪ゲート
 ウエイ」駅もでき、跡地は売ってしまうのでしようか。なお校名は「東京工業大学付属科学技術高校」と
 変わっています。全員が大学進学となり、工業高校を名乗るのは無理があるようです。東京工大に
 毎年10名以上の合格者があり、レベルは変わらず維持しているようです。
 
        「くきっ子ゆうゆう」 活動進む 10/3(土)・15(木)・17(土)

















  約4カ月遅れて、令和2年度・「くきっ子ゆうゆうプラザ」を開校したこと、市内各実施校も活動を再開、それを受けて実に1年ぶりの
 「運営委員会」を持ったこと、は前段 で報告してあります。さて10月1日に開校した「くきっ子ゆうゆうプラザ」は、3(土)、15(木)、17(土)と
 順調に活動を継続、落ち着いた展開を見せています。会議が持てるようになってから「くきっ子実施委員会」は、令和2年度開校するか、
 しないかの真剣な協議を重ねました。「実施する」と決めた後、どうすれば最大限の安全安心を確保できるか協議しました。その時
 「動画配信」とか「オンライン」とかという考えはありませんでした。子供たちと地域の大人たちが互いに向き合う事、地域の大人たちが
 その中で自らも元気になること(教育コミュニティの創造)、がこの事業の姿と考えたからです。安全安心のために様々な準備をしました。.
 そしてそれなりの自信をもって令和2年度の活動に入りました。
  実施する講座は木曜日8講座、土曜日8講座、安全安心を考え、「密」の点から人気の「ドッヂボール」、「遊びの広場」、「食」に関わる
 「料理教室」、「茶道」を取りやめました。活動日数は何せ10月開講ですからわずか18日にとどまりました。参加者は138名、人気
 講座がないこと、この時期の開校であること、何よりコロナ禍の中であること、等々から3桁に乗れば御の字と思っていましたので、
 喜んだものでした。周到な準備と熱心なサポーターの下で、順調な歩みを見せています。

 上・左と下・右は共に土曜日講座、上・「面白理科実験」と、下・「ロボットを作ろう」です。共に2日間の講座、「面白理科実験」には多くの
 受講者がありました。ビニール袋でロケットを作っていました。何か次の講座日には、久喜小の校庭の土から、「鉱物」を発見する、に
 挑戦するそうです。「ロボットを作ろう」は、今年何故か参加者が少なく、サポーターの方が多いほどでした。
  アトは木曜日の講座です。上・左2は「学習」、上・右2は「初めてのパソコン」です。パソコンはそばで指導しますので、サポーターの
 皆様はフエィスガードをしています。上・右は「フラダンス」、可愛い下級生の女子がお尻をふりふり、フラダンスに挑戦していました。
 下・左はいつも人気の高い「編み物」です。今年も多くの人が参加してくれました。「密」をさけるため離れたイス席で、一生懸命編み棒を
 動かしていました。下・左2は「陶芸」です。机の上で皆懸命に土をこねていました。下・右2「そろばん」です。指導者は有段の大ベテラン、
 「願いましては」の声にみな頑張ってそろばん玉をはじいていました。
  ほかに屋外の講座として「陸上競技」、「グラウンドゴルフ」がありました。今年は残暑が厳しく、開校前「コロナ対策」と同時に「熱中症
 対策」を考えたほどでした。それが何と瞬く間に寒さを感じる程となりました。皆元気にクラブを振り、陸上競技に励んでいました。
 私は土曜日「ロボット」を担当、木曜日は「ドッヂボール」がなくなりましたので、フリーの立場で動きます。

  未だ開校してひと月も立っていません。でも今の状況から推察して、順調に歩んで行けそうです。周到な準備をされた実施委員と
 コロナ禍の中、変わらず熱心なサポーターの皆様に敬意を表します。「ゆうゆうプラザ」は子どもたちの輝く未来を創造する活動であり
 関わる大人たちの豊かなコミュニティを創造する活動です。この原点をしっかり踏まえ、着実な歩みを続けていきたいと考えます。

      ◎ 久喜市放課後子ども教室運営委員会 10/14(水) 鷲宮総合支所会議室 

  令和2年度の第3回・「久喜市放課後子ども教室運営委員会」が14日、鷲宮総合支所
 会議室で開催され出席しました。会議は写真のように、いつものような出席を得たのですが
 「あれ前持ったのはいつだったろう」と思うほど、本当に久しぶりの会議でした。運営委員会は
 各実施校が各年度開校する6月の前に、1回・2回の会議を持ちます。そして今の時期が
 第3回、年度末の3月に第4回の会議を持つのを常としています。令和元年度の第4回、
 本年度の第1回・2回と中止となっていますので、実に1年ぶりとなります。この間7月の
 「全員研修会」・「現地研修会」、9月の「見学会」と全部中止、みなと顔を合わせるのは
 何と昨年11月の「15周年記念式典」以来となります。なお本年11月の「情報交換会」も
 すでに中止が決定されています。


  これというのもあの憎き「コロナ」の所為です。我が「くきっ子」も大変な苦労の末に、例年より4か月後れ、先日開校にこぎつけたことは
 下段で報告しています。さて久喜市内全体の実施状況です。本日詳細が報告されました。本年度中止を決参加者は定したのは7校です。何らかの
 形ですでに開校しているのが14校です。残り2校が未定ですが、動画配信や、学校行事に合わせる形で開校を予定しています。
  すでに開校している14校も動画配信2校、オンライン1校で、「くきっ子」のように今まで同様、皆を集め、向き合って、は11校となります。
 私は動画配信形式、オンライン形式の実態を良く解りません。今日時間があれば質問しようと考えていたのですが、機会がありませんでした。
 ただどんな方式をとるにせよ、仮に中止を選択せざるを得なかったにせよ、それぞれの実施委員会で長時間にわたる、真摯な協議に
 踏まえてのものと推察します。他実施校についてとやかく言うことはありません。ただこの事業が子どもたちのより良き未来のために、地域の
 大人たちが努力する(ボランティアで)という、基本原則だけはしっかり守っていきたいと考えます。
  これからの「ゆうゆう」の歩む道は決してなだらかなものではないでしょう。要は「子どもにとって最善の利益」(子どもの権利条約)を私たち
 地域の人間が守り、創っていくことなのです。

        ◎ 令和2年度・くきっ子ゆうゆうプラザ開校式  10/1(木)

  例年なら6月上旬の開校となります。ほぼ4カ月遅れて本年度の「くきっ子ゆうゆう
 プラザ」開校式を持ちました。とにかくコロナ・コロナの今年です。そもそも「くきっ子
 ゆうゆう」の会議すらなかなか持てませんでした。「やるかやらないか」の協議から
 「やるとしてどんな方法で」、「やる講座はどれで、中止する講座はどれか」と多くの
 時間を費やしました。木曜日8・土曜日8の実施する講座を決め、募集を行いました。
  毎年最大の参加者がある「ドッチボール」等、「密」との関係で取りやめています。
 この時期での開校という事もあり、参加者3桁に乗れば上々、と思っていましたが
 何と138名の参加を頂きました。うれしい限りです。今日は開校式の前に「実施
 委員会」を持ち、万全を期しての開校式でした。


  いつもは参加者全員が体育館に集合して行います。今年はそうはいきません下校班ごとに(木曜日の講座、土曜日講座は原則
 保護者の送迎)。実施委講座が行われる教室に集まっての開始です。私は「青と黄」の下校班を、「陶芸&パステル」を行う「理科室」
 で担当しました。校内放送で「くきっ子ゆうゆう実施委員長」、「久喜市放課後子ども教室運営委員会副会長」、「久喜小校長」にご挨拶
 を頂きました。柿原実施委員長は「安心安全を第一に楽しい時間を過ごしましょう」、校長先生は「あいさつ、思いやり、チャレンジ」の
 3つのキーワードを語っていました。
  そのあと下校班の編成を行いました。下校班は町名を用いません。複数の町名にまたがる下校班があり、混乱するからです。
 写真のように色別のプラスチックの箱があり、その色が自分の下校班名です。参加チェックは各自が行いますが、写真中央部にある
 ようにゴルフで使うペンが刺さっています。それでチェックし、使用後は右、海苔のプラスチックケースにそれを入れます。1人が1本の
 ペンを使うのです。そのペンは後で役員が消毒し、又使用することになります。なお写真・左は消毒スプレーです。このようにやる
 べきことは全部やるを前提に、今日の開校式を迎えました。それぞれの講座においても最大限の注意を払い、来年2月11日の
 閉校式を無事迎えたいと思います。その時子どもたちが1周りも、2周りも大きくなっていたらうれしい限りです。
  とにかくコロナ、コロナのこの時期、安全・安心を第一に楽しく頑張っていきます。

         ◎ コロナ禍 工夫の久喜小運動会  9/29(火)  久喜小校庭


















  雨で2日中止・延期された「令和2年度・久喜小学校運動会」は
 やっと秋晴れとなった29日(火)行われました。 
  コロナ・コロナの今年です。修学旅行は中止とした学校は結構
 ありますが、全員参加の運動会だけは、それぞれに工夫しつつ
 実施する方向です。久喜小でもいつもとひと味もふた味も違った
 工夫の運動会でした。

  いかに屋外とはいえ何としても「密」は避けねばなりません。そこで全体を低・中・高学年の3グループにわけ、午前中を1時間ずつ
 3つに完全分離して行っています。保護者は1児童当たり2人まで、目印に低・中・高学年毎に色の違ったシールを腕に張り、その
 学年だけ応援できるという仕組です。いつもある入・退場門は置かず、数方向に延る万国旗も1方向だけでした。テントは紅白の
 それが3張りずつ張られています。それぞれに1学年が入る形です。なおこうした紅白テントは地域の方・保護者のご厚意による
 ものです。久喜小は多くこうしたご厚意に恵まれています。ありがたいことです。(―上・左―) 校庭には1・2m真っ角くらいのマスが
 書かれ (―上・左2―) そのマスに1人入って開会式?、マスの縦ラインを使って徒競走を行います。(―上・右2―)は低学年の
 開会式?です。各グループごとの開会式で準備体操を行うのですが、一切声を出さず太鼓の音に合わせてやっていました。
 (―上・右―)は市長がピストルを撃っての低学年の徒競走、なお徒競走は1年から6年まで、同じ形式で々50mでした。
  (―中・左―)は中学年の「表現・ソーラン」です。このプログラムは毎年行われますが、ここでも一切声を出さず、音は「鳴子」のみ
 でした。(―中・左2―)は高学年の徒競走、6年生にとっては小学生最後のそれとなります。身体も大きく、さすがに迫力がありました。
  (―中・右2と右―)は高学年の「表現」です。コロナ禍、みんなの心を1つにし、久喜小パワーを届けようと、選曲から振付まで
 全部自分たちでやったそうです。赤と黄色の旗を振ってのものでしたが、旗に何か記してあるのが気になりました。(―中・右―)
 終わって子どもたちが控え席に戻って解りました。控え席の後ろ、久喜小南側・6間道路沿いはフエンスの塀です。腰の高さから
 上は金網・フエンスになっています。旗にみんなにパワーを届けようと、それぞれがメッセージを記したそうです。旗の棒の部分を
 フエンスに差し込んで、帰りの保護者、少しの間でも地域の方に読んでいただこうとの思い、とのことでした。(―下・左―) イイですね。

  全学年、徒競走・表現と2つのプログラムですが、高学年のみプラスして「鼓笛」がありました。そういえば「市民祭り」も、「中央地区
 体育祭」も中止となり、お披露目の場がなかったのですね。ここも行進はなく、校庭一杯に散っての演奏、懐かしさあふれる「久喜小校歌」
 を聞かせて頂きました。ありがとうございました。(―下・右―) 
  そんなことで午前中に全てを終えました。観覧保護者には健康チェックから消毒、観覧場所、入れ替えの場合の進行方向等
 完全に徹底されていました。全ての人が納得できる形で工夫された運動会でした。久喜小ではこうした工夫の徹底化・延長上で
 修学旅行も実施します。久喜中地区ではただ1校ですが、学校運営協議会もこれを応援して行きたいと考えています。時間は短くとも、
 プログラムは少なくとも、改めてそんなことを確認させていただいた良き運動会でした。

      ◎ 半年遅れで今年も読み聞かせボラ始まります。 9/18(金) 

  コロナ禍が続いています。長きに及んだ非常事態・学校の臨時休校が解除され、正常化への歩みが始まったのは
 6月のことでした。しかし規制の緩和と感染拡大はイコールなのか、それとも第二次感染期の到来というのでしようか
 全国的に感染者の増大が続いていました。経済・社会活動再建への動きが少しずつ進む中で、しかし多くの学校行事
 市の行事の中止が続いています。久喜市では年内行事からも来年度行事へと進み、3月末の市民マラソンも中止と
 (実質上・人を集めず「オンライン大会」として実施)なっていますから、おそらく令和2年度内の行事は全てやらない事に
 になるでしょう。学校行事です。延期されたきた「運動会」は、今月から来月にかけ、極端に簡略化した形で行われる
 ようです。修学旅行は実施・中止半々の状態、「ゆうゆう」は23小学校中8校で、今年度は実施しないようです。

  さて私が」北小」において、「読み聞かせボランティア」をもうかれこれ、20年を超えて続けていることは、度々この
 ページで報告してきました。1年で10日程であり、朝のほんの15分ですので何とか続けてきました。ただし目が悪く
 なり、手を一杯に伸ばし、本を垂直に立てて読むという、「読み聞かせ」のスタイルで読むことがしんどくなりました。
  「もうそろそろかな」なんていつも思うのですが、何せ仲間が皆同年配です。一人辞めるとみんなが、となりかねません。
 皆にらみ合ったまま、言い出せないでいるというのが本当のところです。今年学校より「ご覧のような状況、落ち着くまで
 しばしお待ちください。」との連絡を頂いていました。今年はどこも授業時数不足に追われています。「今年はやらない
 のかな」なんで思い始めた先日、学校側より連絡があり、北小図書館にて、学校、いつも一緒に行う保護者代表と
 協議の場を持ちました。楽しみにしていたいくつかの行事が中止となり(北小では修学旅行も中止)、子どもたちが、本を
 読んでもらうことを大変楽しみにしている、と聞かされ、根が単純なものですから、すっかりうれしくなってしまいました。
 良し、今年も頑張ろう、となった次第です。
  10月から今年はスタートします。半年遅れですが、去年と同じ回数、今年はチヨット忙しくなりそうです。今年に入り
 活動が中断していたものが、また1つ復活しました。徐々に日常活動が旧に戻っていければよいですね。スポ少とは
 違った形で子どもたちとの関わりを、と思って始めたこの活動です。初心に帰って頑張ります。

   ◎ 今日は久喜小の開校記念日、記念事業について話しました。 9/7(月) 

  今日は久喜小の開校記念日です。.瑠璃山光明寺(本町1)の山門前に久喜小90周年記念事業の碑が立っています。
 そこには明治6年1月に光明寺の本堂を教室として、久喜小の最初の授業が行われたと記してあります。このページ
 9/1付で報告している「久喜小150周年記念事業」も、これに基づいています。何故今日なのかというと、明治19年=
 1886年に「小学校令」で、旧制の小学校の名称である「尋常小学校」 に改名した日とのことです。私は新制中学としての
 「久喜中学校」の第12回卒業生です。私が1年生の6/15に、「太田中」と合併しました。学校が出来て12年目の合併
 記念日が、そのまま久喜中の開校記念日となっています。とにかく明治6年の1月に「久喜小」が生まれ、開校記念日と
 なっているのは、今日9月7日だという事です。前は今日の開校記念日が、お休みだった年もあったとのことです。最近は
 通常授業が行われ、その代わりに校長先生が、「朝礼」で開校記念日についてお話しするのを常としているとのことです。
 コロナ禍の今は「朝礼」は行いません。全校放送がそれに代わります。150周年記念事業の準備に取り組んでいる今、
 その事を子どもたちに話そうとなったそうです。当然山中準備委員長がやることになります。その山中氏から「所要あり、
 不可、代わりに」との依頼を受けました。そんな前弾があって、本日校内放送で私が、久喜小児童に150周年記念事業に
 ついてお話をしたことになります。しゃべることは慣れていますが、こういうことは初めてです。「原稿を書きますからチェック
 してくれますか」と校長先生にお話ししたところ、「何を岸さんが」と一蹴されました。てなことでいつものようにアドリブでやり
 ました。100%正確ではありませんが、以下報告をします。

  【皆さんおはようございます。今ご紹介を頂いた「岸輝美」です。久喜小学校の開校150周年記念事業について、少しお話
 させていただきますのでよろしくお願いします。先ほどの校長先生のお話にもあったように、今日は久喜小の開校記念日です。
 みんなのお誕生日ですね。久喜小学校は明治6年、本町一丁目にある、光明寺というお寺の本堂を教室として、最初の授業を
 行いました。今年で148歳、さ来年令和4年が記念すべき150周年となります。ところでみんなはお誕生日のお祝いをしますね。
  お友達を招待したり、家族そろってバスデイケーキに歳の数だけローソクを立て、息で消して、そのケーキを食べたりします。
 久喜小学校も令和4年に、盛大に150を祝う記念事業を行おうと今準備をしています。卒業生や地域の方をお迎えして誕生
 パーテイ・式典を体育館で行います。150年のいろんな出来事を記した記念誌を発行します。中国の孔子という偉い学者に関係
 した学問の木と言われる「カイノキ」を校庭に植えます。みんなに校庭に150の人文字を作ってもらい、ドローンで航空写真を
 撮ります。その写真をクリアファイルにしてみんなにプレゼントします。鼓笛隊で久喜の大通りをパレードします。みんなの後輩が
 久喜小の200、300年を迎えたとき、読んでもらうみんなのメッセージをタイムカプセルとして校庭に埋める、そんなことも考えて
 います。今こんな準備を校長先生を始めとする久喜小の先生方、私のような地域の人間、みんなのお父さん・お母さん、PТAの
 人たちで進めています。しかしこの記念事業の本当の主役は他ならぬ君たちです。こんなことをやりたい、これも良いんじゃないか、
 そんなアイデアをゼヒ私たちにお寄せください。久喜小学校はみんなの学校です。楽しくて、有意義な記念事業をみんなで用意して
 行きましょう。これで私の話を終えます。ありがとうございました。】
 
  大体こんな話でした。早速5・6年生から、「その時久喜小にいたいな」という反応があったそうです。卒業生として誇りを持って参加
 してください。待っていますよ。

       ◎ 令和2年度・くきっ子ゆうゆうプラザ開校へ  9/4(金) 

  平成17年、モデル校として久喜市内で最初に開校された「くきっ子ゆうゆうプラザ」は、今年で16年目に入ります。
 昨年は市全体で15周年を祝う式典を持ちました。市内23校全てがその上に立って、今年の「ゆうゆうプラザ」を運営
 する予定でした。しかし大きなピンチに見舞われています。ご承知コロナ感染の蔓延です。
  市内全ての学校で臨時休校が解除され、授業が始まったのは6月1週、通常授業は3週の15日からでした。私たちは
 3カ月ぶりの会議を持ちました。2学期9月初めの開校を目標に、実施講座の検討など、今年の「くきっ子ゆうゆう」はどう
 あるべきかの話し合いは長きにわたりました。コロナ感染状況、学校の授業の進展状況等を勘案し、開校をさらにひと月
 おくらして準備を終えました。短い夏休みが終わり、申込書を配布、先月末に受付を行いました。来週にはのびのびと
 なっていたサポーター代表者会議を持ち、万全の体制をもって開校式に臨みまする
  ◎ 開校式は10月1日(木)、閉校式は令和3年2月11日(木)です。
  ◎ 木曜日は11日、土曜日は7日活動します。
  ◎ 木曜日は学習、そろばん、編み物、ダンス、グラウンドゴルフ、フラダンス、パソコン教室、陶芸・パステルの8教室です。
  ◎ 土曜日はミニ工作、クリスマスリース、理科遊び、陸上、ロボット、ふわふわ凧、ミニテニス、絵手紙の同じく8教室です。
  ◎ 今年、木曜日はドッチボール、遊びの広場(共に人気教室であり、密が避けられない)、スポーツ吹き矢(つばが飛ぶ)、
     お囃子体験(季節の関係)を中止しました。
  ◎ 同じく土曜日では料理、お茶を中止としました。共に「食品」が関わるためです。
  ◎ 木曜日 受付15:00 活動15:10~16:00 下校16:15(ゆうゆうの下校班で下校)
  ◎ 土曜日 受付9:10 活動9:30~11:20  下校11:30 原則保護者送迎です。
  ◎ 木曜日104名、土曜日34人(述べ227名)、計138名の参加を頂きました。この状況からして3桁に乗れば上々と
     思っていましたので喜んでいます。楽しく、有意義で、かつ安全な運営を心掛けていきます。

   久喜市内全23小学校で開校されていましたが、今年は開校15校、中止・休みは8校です。判断が割れたのは仕方ない
  ことと思います。ただ来年に備える態勢だけは整えておくべきと考えます。
   寒くなると風邪のみならず、インフルの問題が出てきます。コロナ感染はどうなっているのでしようか。久喜小ガイドライン
  久喜市教育委員会ガイドライン遵守はもちろん、徹底した安全策を取ってまいります。ご協力のほどよろしくお願いします。

       ◎ 久喜小学校創立150周年記念事業準備進む  9/1(火) 

  本ページ6月30日付で紹介しています。我が母校久喜小学校は、明治6年1月我が家の菩提寺「光明寺」を仮の校舎と
 して開校されました。令和4年度が記念すべき150周年の年となります。この節目の年に当たり、久喜小関係者(卒業生は
 旧久喜町のほぼ全域となります。)の多くの参加を頂いて、記念事業を実施しようとその準備に当たっています。校長先生を
 始めとする久喜小職員、私たち学校運営協議会委員(全員久喜小ОB)、PТA代表と10名前後でのスタートでしたが、徐々に
 増え、15名ほどで、月1回の会議を持ち準備を進めています。
  ◆ 実施年は再来年、令和4年度です。
  ◆ 記念式典を11月19日(土)を予定(予備日20日(日))、この日に記念モニュメントの除幕式、この日までに記念誌を
     発行の予定です。したがって実施期間は令和4年4月から11月一杯の予定です。
  ◆ 正式な実行委員会を来年令和3年4月に発会させます。PТA会員の皆様、卒業生、地域の皆様の積極的参加をお待ち
     しています。(近々参加お呼びかけのチラシを配布します。お問い合わせは久喜小0480-21-0054、岸でも可090-2744-9415)
  ◆ 実行委員長=山中大悟氏の下、3部会―6部で準備を進めます。
     1 式典・記念誌部会 A 式典部      式典一般対象と児童対象のもの 祝賀会
                B 記念誌部     記念誌を発行します
     2 記念事業部会   C 記念事業     鼓笛パレード 150の航空写真 タイムカプセルその他
                D モニュメント部  学問の樹として知られるカイノキ(孔子廟のそれと遺伝子を同じくするもの)を植えます。
                                合わせてそこに記念碑を作成します。
     3 総務部会     E 財政部       資金をつのります。(協賛金を求めます。)
                F 庶務・広報部   実行委の事務局的機能をはたします。 
   以上はあくまで現段階での案であり、平成3年の実行委発会後協議を続け、同3年度中に正式決定することになります。どうか
 積極的にお好きなセクションへの参加をお待ちしています。
  私は式典記念誌部会の部会長、そして式典部の部長を勤めます。また年寄り?故、人間関係に詳しいとのことで財政部の副部長
 を仰せつかりました。要するに資金集めをしろ、とのことです。マア、グチをこぼさず頑張ります。
  とにかく私は子供の頃から今日まで、久喜小とは深いかかわりを持ち、多くの楽しい時間を過ごしてきました。そんなことへの最後の
 お礼奉公、頑張ってやっていきます。
  ◎ 令和2年度・共生支援事業~障がいについて学ぶ学習会~ 8/7(金) ふれあいセンター久喜 


 左 会場のふれあいセンターくき


 右 挨拶する社協事務局長



  
8月に入り梅雨が明け、学校が遅れて夏休みに入り、連日猛暑が続く、しかしながらコロナ感染者の増大が止まず、連日過去
 最高を記録するという何とも重い気分の中、「ふれあいセンター久喜」において、令和2年度・共生支援事業~障がいについて
 学ぶ学習会~が開催され参加しました。現状については前記しました。とにかく各種会議はポツンぽつんと開かれるようになりました。
  これに合わせ市民向けの各種行事・研修会等がもたれるようになるかと思いきや、とにかく感染者の増大が、これにストップを
 かけているのでしょうか、中止・中止のオンパレードで、一向にその気配がありません。公民館が関わる各地の市民体育祭はとうに
 中止となっていますが、11月末の「利用団体作品展示会」も中止との知らせが来ています。少なくとも年内の市民が参加する各種
 行事で、予定通り行うとの情報はもたらされていません。私などこうした会議・行事・研修会等で年間の半数を過ごす人間です。ヒマで
 ヒマで困っている毎日です。福祉委員と認知症サポーターの登録をしている私に、久喜社協の会報その他情報紙が定期的に
 送られてきます。それでこの日の研修会を知り、さっそく参加を申し込みました。
  この時期の珍しい市民向けの研修会です。さすがにコロナ対策は徹底していました。とにかく3人座れる長机、1列オキに左端
 右端に席が指定されています。従って参加者はイスの数だけ、50人という所でした。
  この日の研修会は、2人の障がいをお持ちの方の話を聞くというものでした。1人は「人生七転び八起~言葉のキャッチボール」
 という視覚障害の方、もう1人は「音のない世界~ろう者の生活~」という聴覚障害の方です。お二人とも久喜市にお住みの60歳
 代半ばの女性でした。視覚障害の方です。28歳で急に光を失ったそうです。結婚し、お子様も授かっていました。急に光を失った
 事で色々な困難が生じ、歩行も困難、家事は失敗続き、いつ家庭崩壊かと生きる望みを失いかけたとき、子どもの励ましと
 盲学校での様々な体験が救ってくれたとの事、五感を精いっぱい使い、てんぷらも揚げられるようになり、やればできるとの
 自信を得たそうです。ノーマライゼーションの進展で、一昔前に比べると応援の人も増え、日常生活もかなり楽となった。しかし
 道を歩いていても、大きな音がしたり、風がふき、・雨がふると途端に歩行は困難となる。大勢の人との言葉のキャッチボールを
 重ねていきたい。28歳時の私のように、いつ自分が障がい者になるかわからない、共に向き合い、共に生きていく、みんなで
 暖かさに満ちた共生社会を築いていきましょうと結ばれました。
   聴覚障害の方です。私たちに向かい演壇上で手話で話され、最前列の社協の手話通訳の方が、それを訳されマイクで話される
 というスタイルでした。先の視覚障がいの方はマスクでしゃべられました。この方はフエィスシールドです。これは講演を聞いて
 良く解りました。手話は手指動作だけでなく、非手指動作も加わるそうです。手指動作は単語を表し、非手指動作は「うなずき」、
 「顎」、「口」等の動きで.感情表現をするとのことです、だからコロナ騒ぎでマスクをつけることは若干困るとのことでした。大いに
 参考となりました。この方は前の方と異なり、生まれつき音が聞こえなかったそうです。大宮のろう学校で学び、自分の名前、物の
 名前が初めてわかったそうです。 ここで第一言語としての「手話」を学び、家族・先輩等の応援も得て、結婚・出産・子育てと進んだ
 とのことでした。ただ実生活の中で、旧民法11条の影響(その残り)、銀行で住宅ローンの利用を断られたり、スーパーのレヂでの
 チヨットしたトラブルで『ホント、ろう者ってめんどくさいわ。』と罵倒されたりがあったそうです。前の方と同じく最近は暮らしやすく
 なったといっておられました。街角で名前を呼ばれることがある。でも後ろからではわからない、そっと優しく肩をたたいてほしい、
 ゴミの分別でも何でももっともっと知りたいし、教えてほしい。多くの人が手話を理解してほしい、と言っておられました。同時通訳
 されたお二人の能力とご努力に敬意を表します。
  講演されたお二人とも、家庭経営と子育てに自信をもって話されていました。私はすべての面でマジョリティの側に身を置いて
 きました。50年にわたるスポーツ活動でも、いつも健常者を対象にしてであり、パラ競技・大会とのかかわりを持ちません。いつの
 間にか後期高齢者となりました。はっきり衰えを自覚できる身体の持ち主となりました。これから何年活動できるか解りませんが、
 老・若、男・女、身体・知的障がい者・健常者、すべての人が互いの違いを理解し・認めあい、幸せを求め共に生きていく
 「ノーマライゼーション」の道を歩み続けていきたいと考えています。
  
    半年ぶりに社教委の会議を持ちました 7/28(火) 教育委員会会議室 

  私が議員辞職後、1昨年平成30年4月に「久喜市社会教育委員」を委嘱いただいたことは報告してあります。「社会教育
 団体代表」という枠であり、スポーツ少年団からの選出でした。この「社会教育委員」の会議は「条例」でも、「規則」でも明確に
 定められていません。マアこの種の他組織の会議と同じく、年3日(回)程度でしょう。そしてこれまた他組織と同じく、この程度の
 回数では全く足らず、組織は形骸化し、不活発なものとなります。こうしたことを補うべく、我が社教委員会は自主的研修・意見
 交換の場として、「社会教育委員協議会」を組織しています。同様なものとして、「スポーツ推進委員会→スポーツ推進委員協議会」
 があります。この「社会教育委員協議会」が、今年1月菖蒲「森下公民館」で開催されて以来、実に半年ぶり、こちらは正式な、
 令和2年度・「第1回社会教育委員会議」が、28日教委会議室で開催されました。コロナ騒ぎで長く開催できず、2年任期の
 組織として、新委員を委嘱せねばならないという時期に至っていたためです。
  まず依嘱式、新人7名を含む20名に委嘱状が、本来なら教育長からの手渡しですが、やはりコロナ下とあり各自の机の上に
 おかれていました。今回の任期は令和4年5月31日まで、私は2期目の委嘱となります。そのあと教育長が挨拶、「市民大学、
 高齢者大学、ゆうゆう、コミュニティスクールと社会教育・生涯学習先進地である久喜市を、コロナに負けずさらに充実したものと
 していこう」と話されました。そのあと新委員20名全員が自己紹介をしました。新人7名にも多くの知人・友人がいました。栗橋・
 菖蒲地区が各1名なのがチヨット気になりました。
  新委員長選出まで教育長が仮議長となり、「会議」に移りました。まず新委員長に久喜地区のK氏(留任)、副委員長に鷲宮地区
 Y女史(新)を選出しました。次いで新委員による初めての会議とあり、事務局より「社会教育委員に求めること」なる講話を拝聴
 しました。マア私としては何ども聞いている内容です。一般論として社会教育と生涯学習について話され、社会教育委員の役割と
 して、①社会教育に関する諸計画の立案、②教育委員会の諮問答申、③研究調査の3つを挙げられました。次に社会教育委員
 に求める資質として、①行政と市民との橋渡し、②幅広いアンテナを、③委員相互の信頼関係、➃家庭・地域の教育力に貢献
 を話され、その上に立ち、①人づくり、②地域づくり、③絆づくり、に努められたいとされました。
  そのあと各年度初の会議に必ずある生涯学習関連事業の「昨年度の報告と新年度の計画」について説明、質疑応答を受けました。。
 共に「生涯学習」、「人権教育」、「文化振興」、「図書館」、「スポーツ振興」、「文化財保護」、「公民館」に関わる巾広いもの、
 4人の課長・課長職の方が報告・説明されました。私は多くの質問があったのですが、時間上、「公民館の必要性と重要性」の
 1点のみ意見を述べました。
  最後に各種委員会等への社会教育委員選任を行いました。「生涯学習推進会議委員」、「人権啓発実行委員会委員」、「民生
 委員推薦会委員」、「放課後子ども教室運営委員」等に、「社会教育委員」代表として委員を選出するものです。基本的に立候補制
 私は前回に継いで「市民大学・高齢者大学運営委員」につきました。こちらの方も会議を開いていません。私は今委員長を仰せ
 つかっています。
  とにかくコロナ騒ぎで久喜小関係(学校運営協議会、くきっ子ゆうゆう実施委員会)を除き、会議を持てない状態が続いていました。
 先週スポ少会議を持ち、今週末にはレク協会議が開かれます。感染者が逆に増えている重苦しい状況の中、各種活動の復活→
 活発化を願うものです。

         ◎ 福祉委員(久喜地区)研修会 7/17(金) ふれあいセンター久喜










  久喜地区の福祉委員研修会が17日、「ふれあいセンター久喜」で開催され参加しました。「福祉委員」が久喜市に発足
 したのは何年前でしょうか。私は本町2丁目町内会役員会に、久喜市社協の職員が来られお話を頂いた際、他の役員と
 一緒に手を挙げ委嘱を頂きました。もう10年は経っているかなと思います。この間多くの研修会に参加してきました。
 今日は「初心者研修会」ですので、出席することもなかったのですが、何せコロナ下この種の研修会に飢えています。私
 など年間を通し、半分は会議・・研修会等行事で過ごしています。やっと会議はぼつぼつもたれるようになりました。
 とにかく長きにわたり、この種の行事に飢えていましたので、いの1番に申し込みをしました。
  福祉委員は現在市内全体で、91地区・268人いるそうです。旧久喜は51地区・162名とのことですが、参加者はさほど
 多くありませんでした。開会、まず社協事務局長が挨拶(-左―) 、後「福祉委員について」職員より話しを聞きました。
  急速な少子高齢化・核家族化の中で、住民のつながりが薄れ、公的サービスがそれなりに充実した半面、困っている方が
 多数存在する、こうした状況下地域の住民同士力を合わせ、福祉課題(困りごと)に取り組み、支えあう仕組みが必要
 この中心に立つのが「民生委員」、ただし民生委員は数に限定があり、多岐にわたる地域住民の困りごと全てを託す
 事は無理、そこで地域にあって困りごとを見つけ、気づき、それを民生委員や行政・社協につなぐ、その役割を担うのが
 「福祉委員」だ、という話でした。
  そのあと2つの区福祉委員から活動報告を受けました。1つは東5丁目・第7区「地域で困ったときの連携」、ついで
 (-中―) 本町1丁目・23区「いきいきサロン開設の経緯と運営」と題するものでした。(-右-)
  第7区のそれは「シニア交流会について」と、実際にあった「1人暮らし高齢者のサポートについて」、「火事発生での住民
 同氏の連携について」でした。お隣りの町会・区ですので良く存知あげている第23区の「交流会・サロン」ですが、我が本二
 町内会もそれを目指しています。ただ自前の施設を持たないため、予定が立たず非常に難しい、今それを目指し少人数での
 健康体操を「公共施設」で持っています。7区のそれは公共施設でやっています。(東集会所・東公民館)大変だとご推察します。
  「1人暮らしの高齢者のサポートと、火事発生の住民同士のサポート」は、身につまされる話です。我町内会でも自主防災組織の
 活動強化の中で、中心的課題題となっています。どこも高齢者ばかりは変わらぬ問題です。いつも参考にしている23区の
 報告と共に大変参考となりました。
  コロナの騒ぎがありました。同時期に南九州での大きな洪水災害も発生しています。こうした災害以外に、我が町内会でも
 独居高齢者住宅が増えています。地域にあって、私たちが力を合わせ、互いの困りごとを解決しあう、「地域共生社会」の
 実現をめざし、ささやかでも頑張っていこうと思いつつ帰途に就きました。

          ◎ 久喜小授業研究発表会  7/6(月)









  6日(月)午後・久喜小学校において久喜市教委と東部教育事務所の学校訪問に合わせた、「研究授業発表」が行われ
 学校運営協議会委員として参加しました。研究主題は久喜小の学校グランドデザインに謳う、学校教育目標「イノベーション
 力の」育成を目指し、カリキュラムマネジメントの充実を図ることをネライとしています。
  今回の発表は2時間の公開授業、全教員参加の研究協議が内容です。公開授業の方は5校時は1年から6年までの
 全学級で、6校時は3年1組の「総合的学習の時間」で行われました。5校時の授業です。久喜小は全部で18クラスあります。
 当然全部を見るわけにいかず、それでも駆け足となります。授業内容はともかく気が付いたこと、教室のドアと窓は開かれて
 います。机は基本的に前(黒板側)を向いていますが、皆が車座で話し合う場合、全員がフエィスシールドをして行います。
 (-左―) このフエィスシールドは地域の方のご寄付とのことです。5年生の「総合的学習の時間」では、全員がタブレットを
 使っていました。(-左・2-) 数年前「夢創造科」の授業で、全員がタブレットを操っているのを見て感動しましが、今は
 当たり前となっています。これがコロナ休業中のオンライン授業につながったわけです。6年生は2クラス合同で体育館で
 授業です。総合的学習の時間、ここもフエィスshield着用、ソーシャル・デイスタンスを充分取った車座で座り(-右・2-)
 意見交換していました。
  何だか見た目だけの報告ですね。内容的には1年生の「算数」の時間の「数の関数的な見方」の授業、3年生の「外国語
 活動」の時間に、歌を歌いながら単語を覚えていくのが面白かったです。
  6校時は3-1のみ、全先生もこれを参観です。総合的学習を主に+国語の時間、単元名は「元気を出そう!久喜市
 ~わたしたちにできること~」というもの。地域の一員として、身近な地域の人々の思いや願いをとらえ、自分たちに
 出来ることを考え、実践する「社会参画力」の育成を目指すものだそうです。ここまでは良いのですが、その先、正に私を
 歓迎してこの内容を組んだかと思わせる方向に発展、何と地域の人の思いや願いの象徴として、提灯祭り、その今年の
 中止をとらえ、その無念の思いを活かせる、自分たちの提灯祭りを企画していこうというものでした。(-右-)
  授業は多目的室で行われましたが、その中央にスクリーンが鎮座しています。何だろうと思っていたら、何と双方向の
 オンライン、子どもが久喜小にいる保護者で「本三祭典保存会」の役員が、本三の山車倉庫にいて、教室からの子ども、
 先生の質問に答えました。その相互のやり取りはチグハグ、向こうの説明は聞こえませんでした。でもこうした公開授業
 では初めての事、果敢にチャレンジしたのは大いに評価できます。こうしたことが高い評価を頂いた、休業時の久喜小の
 双方向のオンライン授業につながっているのです。本三若者の説明を、子どもたちは理解しえたか解りませんが、とにかく
 自分たちで山車を作り、自分たちの提灯祭りをやろう、その中で地域の方とより深く関わり、これからに活かしていこう、
 こう決まったようです。子どもたちは張り切って意見を述べます、「段ボールがいる、柱も必要だ、提灯はどうしよう、」
  聞いていてオシャベリな私としては、しゃべり出すのを懸命に押さえていました。最近の授業はこのように意見を述べ合う
 から始めます。「夢創造科」等でさんざん見てきました。でもこの場合、山車を動くものとするのか、作っておいとくだけか
 がまず最初です。動かすなら車輪がどうしても必要です。車輪は子供には作れませんから、学校にあるリヤカーなどを
 使う事になります。四方に柱を建て、それをつなぎ、飾っていくしか方法はないでしょう。子どもたちはこれからの話し合い
 の中で、そんなことにはすぐ気づくでしょう。とにかく山車を作り、自分たちの提灯祭りをゼヒ楽しんでください。その中で
 身近な地域社会に自分なりに「参画」する、「社会参画力」を養ってください。協力を惜しみません。
  
  最後は図書室での「全体会」です。まず校長、東部教育事務所指導主事、久喜市教育委員会指導課長の3人が挨拶しました。
 その中で東部教育事務所指導主事は、「授業再開後日が浅いのに、子供たちが落ち着いた雰囲気で学んでいる。」と評価、
  また市教委指導課長は「安部首相による休校要請が出て4カ月、私たちは本当にすごいことをやってって来たんだ。」と
 実感を込めて話しておられました。
  研究協議に移り、6校時3-1担任が、授業の意図やネライ、授業後の自己評価等について報告、続いて東部教育事務所
 指導主事より、指導講評を受けました。
  氏は最初に久喜小の教育目標「イノベーション力の育成」を高く評価されました。ところで私はスポ少・綱引・ゆうゆう等々で
 市内の校長先生を多く存じ上げています。もろ手を上げ評価される方は少ないという感じを持っています。これだけお褒めの
 言葉をお聞きするのは初めてでした。コミュニティスクール移行後、私たちも参加して作り上げた、この予測が困難に時代に
 それを乗り越えていく力・生きる力の育成を打ち出した、この教育目標に深々とした自信を持っています。うれしく拝聴しました。
  次にその中身として、1・授業で評価する(動機づけと見通し)、2・大単元構想(教科横断的)、3・魂を込める(ナンバー1スクール
  を目指す)を取り上げ、久喜小の授業内容を評価されました。最後に6校時・3-1の授業から、オンラインの取り組みを
 評価され、またゲストテイチャーに対しての様々な注意点を述べておられました。
  「イノベーション力の向上」という、久喜小の教育目標を評価されたこと、提灯祭りを通した地域社会への参画という授業に
 ふれたこと、以上大変楽しい研修会でした。

      ◎ 久喜小創立150周年記念事業へ向けて  6/30(火) 

  久喜小は私の母校です。我が家と目と鼻の先にあることから、子供の頃は学びの舎と同時に遊びの場であり、
 大人となってからはスポ少の活動の場であり、その後「ゆうゆう」、「コミュニティスクール」と何か四六時中そこにいる
 感じを持っています。その久喜小は、明治6年1月、我が菩提寺である「光明寺」を仮の校舎としてスタートしました。
 さ来年度=令和4年度が創立150周年に当たります。
  この記念すべき年に当たり、何らかの形で記念事業を実施しよう、との意気込みで「久喜市立久喜小学校創立150
 周年実施委員会」(その後実行委員会と名称変更)を持ったのは、昨年の11月でした。途中コロナ騒ぎで会議が持てない
 時もありましたが、数回の会議を重ね、ほぼ全体の計画案を確立するに至りました。
  久喜小はこの150年、一貫して地域の中心校としてあり、また地域の学校として、地域と共に学校をつくってきました。
 こうした歴史を振り返り、地域全体でお祝いをする、これを記念事業実施の基本的背景とします。
  次に対象者は旧久喜小学校区内の地域住民(従って現本町小地区、一部久喜東地区等も含む)、および久喜小学校
 卒業生です。
  次に今考えている記念事業です。一般的な記念事業として、①式典・令和4年11月19日(土)、② 記念誌の刊行、
 ③記念モニュメント(何にするか未定)、➃ モニュメントではありませんが、久喜小の授業は「中島撫山」の「論語」で
 始まりました。「遷善館」の教えを今に活かす久喜小は、この論語=孔子から、孔子のお墓に植わっているカイノキの
 遺伝を受け継ぐカイノキを久喜小の校庭に植えます。(協力・岡山県備前市関谷小学校)、⑤他に久喜小校庭に150の
 人文字を描き、ドローンで撮影、→ クリアファイルにして全児童に、子どもバザー、鼓笛隊パレード、タイムカプセル
 等が案に上っています。
  とにかく久喜小のPTA会員約430名、教員約30名は無論、旧久喜小地区住民、久喜小卒業生約3000人の参加を
 頂きます。地域の皆様の参加推進方法を種々考え、行っていかねばなりません。
  実行委員会組織図です。実行委員長には現PTA会長・山中大吾氏に決定しています。現在の実行委員は久喜小・
 同PТA代表、私たち学校運営協議会メンバー、久喜小地区コミュ協会長等で成り立っています。「式典・広報部会」、
 「記念誌部会」、「記念事業部会」、「モニュメント部会」、「渉外部会」、「事務局(財務)部会」といった各部会を組織する
 ことになります。今までのメンバーに広くPТA役員、ОBメンバ-に加わって頂かねばなりません。   
  問題は予算・会計ですね。PТAでは150周年用積み立てをしてきたそうです。もちろんこれでは足らないでしょう。
 久喜中で今までやってきたように卒業生に寄付を募ることになると考えます。
  とにかく私は自分が生きてきたほぼ同年数を久喜小と関わってきました。様々な思い出があります。今回はそうした
 ことへの最後のお礼奉公です。ローソクの灯が燃え尽きるときの最後の輝きにも似た活動?をしようと思っています。

   ◎ 久喜小・学校応援プロジェクト(学校運営協議会PRESENTS)始まる  6/16(火) 

  本H・P「市政ニユースのページ」6/15日付でお知らせしたように、昨日15日(月)から市内小中学校において、通常授業が
 始まりました。安部首相の要請をうけ、市内一斉に臨時休校に入って以来、実に3カ月余ぶりとなります。この間全ての組織の
 会議が延期・中止となっていましたが、久喜小学校コミュニティスクールに関する「学校運営協議会」だけは開催してきました。
  臨時休校中も、卒業式・入学式が変則的形で行われてきましたし、苦しむ子供たちもオンライン授業等で頑張っていました。
 そんな子供たち、先生方といつも一緒でありたいと思ったからですし、現実的に少人数の会議でもありますから。そんな時
 協議の多くの時間を割いたのが、この学校運営協議会PRESENTS・学校応援プロジェクト「学習支援(宿題応援)」でした。
 名前はチヨット大げさですが、要するにコミュニティスクールへと移行した久喜小で、私たち地域の人間が、児童・教員を
 (学校)を応援しようとなり、具体的に学習支援(宿題応援)という形で実現しようとしたのです。
  やることは簡単です。要するに6・5年生の宿題(漢字ドリル・計算ドリル)が合っているかを簡単にチェックするものです。これ
 から初めてプリントやテスト等の丸付け等に繋げていけたらとな、という事です。久喜小の6・5年生は共に80名です。もう1名
 いれば3クラスとなるのですが、いろんな意味で大変です。このドリルのチェックです。たまたま今日は臨時休校明け、通常
 授業開始の日とぶつかりました。だから休校中の宿題も加わって、通常の量より多かったのでしょうか。とにかく大変でした。
 これだけの量を教員が行うと結構な負担となります。その時間が減るため、児童とのコミュニケーションをとることが出来ます。
  特にコロナ騒ぎで学校が再開され、濃密授業・業事が続く中、少しでも他のことに向けることが出来ます。また子供たちが
 きめ細かな指導を受ける事にもつながります。
  活動場所は「みんなの部屋」です。久喜小には地域の人が自由に使える「みんなの部屋」と称する部屋があります。かっては
 物置に使われていました。いろんな物を片づけ、空き部屋としたのです。基本的に学校に先生方がいる時間は、誰でも、いつでも
 この部屋が使えます。今は学校ボランティアのたまり場になっている程度ですが、ゆくゆくはこの道の私のお師匠さんである
 岸祐司氏の「秋津コミュニティ」の、「クラブハウス」的なものにしたいな、何て夢を持っています。
  参加する人は広く地域の人です。今日は「学校運営協議会」の委員のほかに、保護者?地域の方1人が参加してくれました。
 これから多くの地域の方の参加を頂き、そこで学校支援を通した地域の横のつながり(教育コミュニティ)が出来ればな、と考えて
 います。
  とにかくよいことづくめな感じですが、そう肩ひじを張らず、続けていけたらなと考えています。しばらく毎週月曜日の午前を
 「みんなの部屋」で過ごします。この「みんなの部屋」に大勢の地域の人が集まり、この学校応援プロジエクトを始まりとして、
 他の領域に様々な学校支援の輪を広げていく、そんな活動の中にいつまでも身を置いていたいと考えています。

      ◎ 「くきっ子ゆうゆう」本年度9月開校へ、スタート  6/5(金) 

  とにもかくにも「緊急事態宣言」が解除され、徐々に通常活動への動きが始まっています。「くきっこゆうゆうプラザ」(柿原実施
 委員長)は、昨4日、実に3月5日(木)以来3カ月ぶりの実施委員会を持ち、今後の「ゆうゆうプラザ」実施の方向性について
 協議しました。去る2/13(木)に「ゆうゆう15周年の年」、昨年度の閉校式を行いました。今年の終わりは来年度のスタートです。
 直ちに本年度・令和2年度の準備に入るのが通常です。しかし今年はちょうどコロナ騒ぎが始まりました。3/5に「実施委」では
 なく、少数での役員会をもち、とにかく「コロナの収まるのを待って今年度の事を」だけ決めて解散したのでした。
  そして「今」を迎えました。おそらく熱心な各実施校の役員諸兄姉です。事務局・教委へは多くの問い合わせ・「早く開校を--+-」の
 催促があったと思われます。「久喜市放課後子ども教室運営委員会」(飯島会長)では、先日役員会を開き、本年度開校への
 基本的方向性を協議したとのことです。それを受けての本日の「くきっ子ゆうゆうプラザ実施委員会」の開催でした。
  さて「今」の状況と今後のスケジュールです。まず市内小中学校ですが、若干の差はあるにしても、基本として6月1週は「分散
 登校」、2週からは午前のみの全員登校、そして3週=15日からが通常授業となります。また授業時数の減少を最大限回復する
 ため、夏季・冬季休暇は大幅に縮小されます。例えば夏休みは8/1~16迄のみです。
  市内の公民館・運動公園等の公共施設は、すでに6/1から利用が出来るようになりました。学校体育施設の開放は、3週15日
 からです。何故かこれは県内他市町に比べ大部早いものです。言うまでもなく各種規制の解除は、感染の危険性を増加させます。
 すでに北海道や北九州において、2次感染と思われるものが起きています。もしそんなことが埼玉・久喜に起これば、こうした
 スケジュールはめちゃくちゃになります。あくまで予定とのものです。
  
  実施委員会はいつもの「ゆうゆうルーム」でなく、十分座席間隔を取って「図書室」で開催されました。運営委員会から飯島会長が
 出席し挨拶、その中でこの15年間「統括コーディネータ」として活動されたK氏、4年間事務局を勤められたО先生の退職を報告
 しました。ご苦労様でした。長きにわたる活動に敬意と謝意を表します。О先生に代わり、新しく事務局に就かれたS先生も出席、
 挨拶されました。先生とは古く親しき関係にあり、16年前、この「ゆうゆう」の導入に当り、一緒に努力しました。これからよろしく
 お願いします。 
  協議に入りました。まず運営委員会が現況から、各実施校開校日の一定の目安とした、9/3開校式を了承、これを目標に
 「できる範囲内での実施」を確認しました。
  次に実施する各種講座です。毎年のことからすでに、木曜日11講座、土曜日13講座を実施予定としていました。すでに今年
 「お囃子・習字・綱引」は実施しないとされています。その中で「遊びの広場、ドッヂボール、料理、お茶」の4講座の中止を決定
 しました。「遊びの広場、ドッヂボール」は何としても密接・密集が避けられないため、「料理とお茶」は食(事)を伴うためです。私は
 15年間「ドッヂボール」に関わって来ました。くきっ子の中で一番の人気講座だけに残念ですが、仕方ないことでしょう。残りの
 基本的に実施するとしたものも、講座サポーターのご意見に踏まえてとなります。なにせコロナ感染防止に、きわめて慎重な方も
 おられ、「今年は「ゆうゆう」、やらないんでしょう」とおっしゃる方もおられます。無理はいけません。
  その他クリアーすべき多くの問題点があります。例えば開校式です。従来通り体育館で、全員出席して、でやれるのでしょうか。
 その前に子どもたちの過密スケジュールから、説明会・申し込み・集金等どのようにするかの問題もあります。サポーターは
 圧倒的に高齢者が多いです。(私を始めとして) 感染防止策を講じて、と言ってもどこまで徹底するのか、できるのかの問題も
 あります。教室入室時の消毒は当然ながら、机、さらには使用道具等の消毒は、色々頭の痛い点が浮かんできます。未だ
 3カ月ありますのでじっくり対策を練っていきます。
  提灯祭りも、市民祭りも(99・9%)中止となりました。11月の市民体育祭、12月の綱引大会まで絶望視されています。そんな
 中で我が「少年団」は6/20日から活動を再開します。この「ゆうゆう」をふくめ、まず子供の分野から、元気な「くき」を取り戻して
 いきたいものです。

       ◎ 校庭での久喜小・令和2年度入学式  4/9(木)










  令和2年度久喜小学校入学式が、9日午後行われました。ご承知のように7日、コロナウイルス感染拡大をうけ、我が埼玉県を
 含む7都府県に「緊急事態宣言」が発令され、それを受ける形で市内小中学校の臨時休校が、5月6日まで延長されるという
 事態の中でのものでした。昨日は市内中学校で入学式でしたが、どこでも来賓なし、簡素化、従って短時間というものと伺って
 います。久喜小のそれは加えて、いわゆる3密の徹底化という事で、屋外・校庭で行うというものでした。
  今回も来賓としてではないのですが、この事態下で、昨日「予定通りですか」と電話を入れました。その時は「校庭で」という話は
 なかったのですが、より安全を狙って外にしたとのことでした。少し早めに久喜小へ行きました。本来なら会場の体育館の前に
 様々な「連絡・お知らせ」の紙を張り付けた黒板が立ち並んでいました。(―左―) 校庭では先生方が最後の準備に追われて
 いました。イスが2つ1組で置かれています。新入生と保護者、そこに後でお聞きしたら教科書と連絡書類とのことですが、2つの
 紙袋を置いていました。(―左・2―) 表面には入学児童歓迎のため、久喜小のマスコット「くるみちゃん」の人形が飾られています。
 (―右・2―) やがて整然と会場も整い、入学式が始まりました。(―右―)
  体育館で行ういつもの入学式は、新入児童だけがイスに座ります。みんな不安そうにはるか後ろの保護者ばかり見たり、お隣の
 子をつついたり、とするものですが、今日は隣がお母さん、みな落ち着いて座っていました。今年の入学生は87名で3クラス、なお
 久喜小全体の児童数は489名とのことでした。いつもある新入生児童の呼名もなく、担任の先生の発表、校長先生式辞をはさんで
 CDによる国家と校歌の斉唱だけという、短時間で式は終わりました。
  私が久喜小にいた頃は、体育館なんてまだありません。今の職員室から多目的室にかけて、長い木造2階建ての校舎がありました。
 その校舎の2階3教室が木製の扉をたたむと突き抜けになり、そこで卒業・入学式・学芸会等をやりました。私たちが卒業して、校舎が
 古くなり、大勢が入ると床が抜けてしまう、という事で、体育館が出来るまで、外でやるようになったと聞いています。だから私は卒業式
 入学式を含め、校庭でのものは初めての経験でした。まあ、やはり中でやって、1年先輩=2年生の「歓迎の言葉」、先輩に手を引かれての
 退場等、あった方がやはり良いですね。
  新入生児童諸君、緊張しましたか。明日からは臨時休校の継続、うまくいってこの次みんなと会うのは5月7日となりますね。
 大変なことですが、君たちの久喜小での生活は先が長い、未来を見つめて頑張っていきましょうね。「ゆうゆう・CS等々」いろんなことで
 君たちと一緒に活動し続けていきます。よろしくね。

      ◎ 久喜小学校令和元年度卒業式 3月24日(火) 

  久喜小学校の令和元年度卒業証書授与式(卒業式)が、24日行われました。ところで今、日本中が新型コロナ
 対策に追われています。学校は臨時休校中、イベントもほとんど中止となっています。13日行われた市内中学校
 卒業式も、来賓・在校生の出席無し、短時間で行ったと聞いています。24日行われた小学校の卒業式も、基本的に
 この形式でした。ただ私の久喜小では「学校運営協議会委員」を来賓としてでなく、教員と同じ学校運営に関わる者と
 し、出席可としてくれました。久喜市内小中校が全校、コミュニティスクールに移行したのは2017です。久喜小も
 今年で4年目に入ります。私自身は1年遅れての依嘱、3年目に入ります。正直言って市内の「コミュニティスクール」の
 活動状況にある種の不満を持っています。自分が思い描いていたものと、違うという思いです。しかし学校運営協議会
 委員となって、すごく良かった部分もあります。久喜小では学校内の全ての行事に参加できることです。他の学校
 ではどうかまで解りません。学校長の考えに因るのかもしれません。だから私はこの2年間、児童・保護者・教員が参加
 できる、可能な限りの行事に参加、多くの研修を積むことが出来、これには至極感謝しています。
  今日の卒業式もそうでした。卒業生と2名までの保護者と教員だけの卒業式でした。学校運営協議会委員(卒業生保護者
 を除き全員)は、教員と同じという事で、その最後尾席に座っての参加でした。
  今年は83名が卒業です。卒業証書番号12、200代にまでなっていました。最大時200名を超えたときもありました。
 (本町小との分離直前) 一番少なかったときはいつ頃で、何人位だったのでしょうか。まもなく創立150周年を迎えます。
 私たちは12、2*0名の、久喜小への思いを受け止めつつ、準備に当たってまいります。
  全員への卒業証書授与の後、校長先生の式辞です。今年は来賓ゼロですから、「教育委員会の言葉」も、「来賓祝辞」も
 ありません。変わって市長・議長・教育委員会の「お祝いの言葉」が、プリントされ全員に配布されています。
  校長先生は今年の6年生の合言葉だった、「GIft・ギフト」について語りました。6年生はこの言葉に立ち、在校生への
 思いやりや、カリキュラムマネジメント研究指定校としての学習、「10年間心に残るパンフレットづくり」に取り組んで来た
 ことになります。そして「宮澤彰二・行為の意味」に続きます。例の「3・11」の後、「ACジャパン」のコマーシャルに流れた
 ものです。「心は誰にも見えないけれど 心遣いは見える。思いは誰にも見えないけれど 思いやりは見える」というやつです。
  私もスポ少の「母集団講習会」の時、何度か使わせてもらいました。心や思いは、行為によって形に表すことが出来る。
 行為としてあらわすために、各々の主体性を磨けという意味でしょうか。そして最後に同じ宮沢彰二の「出発の意味」から
 「とにかく立ち止まらずに出発することが、希望への一歩なんだ」と、卒業生に「前へ進むこと」を促していました。中々聞かせる
 良きはなむけの言葉でした。
  そのあと卒業生は、先生方の拍手に送られて退場していきました。大変な中での卒業式でしたね。でも雨降って地固まる
 君たちのこれからが、バラ色のものであることを願っています。地域の人間として、ずーと応援していきます。

      ◎ 久喜小C・М・S授業参観と研修会  2/21(金)

  21日(金) 久喜小においてカリキュラム・マネジメント・システム=CМSに関しての授業参観、終了後の
 研修会があり参加しました。カリキュラム・のネジメントシステムですが、カリキュラムとはほぼ教育課程と
 同意味、一定の教育目的に合わせ、教育内容と学習支援を総合的に計画したものを言います。ただ教育課程は
 行政用語であり、カリキュラムは学術用語、より広義的意味をもちます。そのマネジメント・システムですから、
 カリキュラムを作り、動かし、変えていく、継続的で、発展的な問題解決の営み、という事です。「新学習指導要領」
 においては、「アクティブラーニング」と供に、キーワードとなっています。
  実は久喜小では今年度から、久喜市教育委員会の指定を受け、研究してきました。それに当たり丁度1年前
 久喜市教育委員会指導課から、K氏をお招きして研修会を持ったことがあり、私はそれにも参加しました。
 (本ページ昨年2/20日付参照) その1年間の研究活動として取り組んできたのが、今日の6年1組の授業参観 
 の中身、「10年認識されるパンフレットを作ろう」というものです。今日は久喜小のそれが、来年は一歩進んで
 文科省からの研究指定となることを受け、授業参観と研修会となったそうです。
  参観した6年1組の授業内容です。6年生はこの1年間活動を通して思いを届ける=「Gift」を学年目標として
 きました。そうした自分の思いを、「10年パンフレットを作ろう」という行動で具体化しています。パンフレットの
 内容はグループによって違います。グループは3~4人で構成されています。机の並びや授業方法は通常とは
 全く違っていました。45分の授業は「ヒアリング」―「ミ―ティング」―「振り返り」に等分されていました。「ヒアリング」
 とは文字通りですが、ここでは「ヒアリング」したものを報告、話し合っていました。「ミーティング」は意見を絞る、
 その上に立って「振り返り」、これはより良く改善したもので行動する、という事でしょうか。参観者は10数名
 半分以上が市内学校の管理職教員、埼大教授を含む指導者数名、私たち学運協数名、他に久喜小の教員が
 10名前後という所でしょう。私たちのメンバーを除いて教員です。だからこの人たちは「CМS」との関係で、今日の
 授業を理解するのだと思いますが、私たち地域の人間にはその点が良く解りませんでした。
  そのあと休憩をはさんで図書室での「研究協議」に移りました。久喜小の教員はほぼ全員が参加していました。
 ただし私の仲間は皆帰り、私1人となりました。まず市教委指導主事のО氏からの「御指導」がありました。
  その中で氏は、久喜小が今年から教育目標として掲げる「イノベーション力」について、「21世紀型スキル×
 大単元構想」だとしました。余りこういうのは感心しません。地域の人たちは「イノベーションて何だ」というのが
 普通です。「21世紀型スキル×大単元構想」と言ったって、何人が理解できるのでしょう。
  そのあと3つのグループに分かれて協議に入りました。授業研究部・学習環境部・学習評価部の3部会です。
 私は自分が座っていたところに一番近い、多分「学習環境部」だったと思います。全員が教員ですから、「CМS」
 研究指定校下で、自分の授業をどう進めるか、の点で話しをされていきます。たった1人の地域の人間としての
 私には立ち入れない所ですし、ただ聞き入っていました。しかし最後に意見を求められたので、少しだけしゃべり
 ました。新学習指導要領での「社会に開かれた教育課程」でいう、「良い学校が良い地域をつくる」、「地域の人材・
 資源の活用、地域社会との情報の共有・子どもの未来像の共有」、から「良い地域が良い学校をつくる」、「あらゆる
 学校への協力は私たちの前提」というものでした。

       ◎ 久喜市民大学院研究発表会 2/15(土) 久喜中央公民館

  久喜市民大学院の、今春卒業予定者による「研究発表会」が15日(土)
 開催され、出席拝聴しました。今年の卒論発表者は4人、1・利根川洪水
 対応と地域防災力の向上に向けて、2・女性としての生き方働き方、3・
 学生向け清掃指南、4・生涯学習を通した協働のまちづくりの実現とシニア
 世代の学びの拡充の提案、の男性3人、女性1人によるものでした。
  聴講者は市民大学生の他、生涯学習関係者等、計7~80名と結構の
 参加者でした。思い起こせば市大と同大学院1期の卒業者である私は
 平成10年の春にこれを行ったのでした。ただし学生数38名、8割近くが
 大学院に進みましたので、発表者は30名近くもいました。映像など使わず口述のみ、正に時の流れを感じます。

  さて今日の発表です。1・の利根川と防災力です。当然1年かけて研究しているのですが、先だっての19号台風の
 経験があり、実にタイムリーでした。栗橋地区利根川は群馬県系列の河川にプラスして、渡良瀬川が合流する
 最も危険な地域であること、低地のみで避難する高台のないこと、氾濫した水は長期間滞留すること、等を指摘
 しかるに今回避難場所、体制・情報等が決定的に劣悪だったことをあげ、行政・市民双方に今後取り組むべき
 課題を提起していました。説得力のある内容でした。
  ただ1人の女性の発表、女性の生き方・働き方です。「自分自身で考え、選択でき、女性が輝く共生社会を実現
 しよう」、と呼び掛けていました。その通りなのですが、自己主張に乏しく一般論に流れたキライがありました。
  3の「清掃」です。タイトルを見たとき、どんな内容なのだろうとびっくりしました。発表者が「引き渡し清掃」の職にあり
 今の職場環境から、学生時代の清掃に関する知識・技術の習得が大切と認識したこと事でした。そこから学校での
 清掃の位置づけ、指導のあり方等を研究し、発表されたわけです。「学習指導要領」では、「清掃」は「特別活動」として
 位置づけられています。「教科」として取り扱うべし、それにあたってプロの職人を活用すべし、何故なら清掃は学習・
 衛生・道徳・観念全てに通じるから、としていました。学校教育現場ではこうした発想はないと感心しました。
  4の生涯学習を通したまちづくりの実現・他です。発表者は定年後の毎日が日曜日という状況に耐えきれなくなり、
 一念発起、市と県の高大、市大・大学院と8年間渡り歩き(学び続け)、現時点に立っているとまず紹介されていました。
  発表を聞いていて、懐かしさとチヨットした心の痛みとがありました。久しぶりにポールラングランや、ドロール報告書を
 耳にしました。熱っぽく生涯学習センターの開設、生涯学習まちづくり協議会や、生涯学習推進本部の新設を語って
 いました。ちょうど私の3~20年前を見る思いでした。発表者が学んだという「久喜市生涯学習推進計画・まなびすとプラン」
 策定にも、ずっと関わってきました。いつ頃から今の自分になったのだろうと、ふと思いました。ただ今「生涯学習うまちづくり」
 という概念は、私が30年前思い描いたものと違うものとなっています。掛川市や八潮市の現状、このページで先日報告した
 「久喜市生涯学習まちづくり研究会」の長期活動休止等がその一端です。30年を超えて、「生涯学習」に関わってきた者として
 様々な流れと現状を改めて考えさせてくれた、真摯で良き発表でした。

       ◎ 久喜小授業(L・G・B・T)を参観しました。 2/14(金)

  14日午後、久喜小多目的室で6年生児童を対象に、マイノリティに関する(特にLGBТ)授業があり、10人
 程の保護者、学校運営委メンバーと参観しました。昨年5年生も含めた同じような授業も参観しました。その時は
 なぜこの授業を持つのか良く解らなかったのですが、今年はその辺が良く理解出来ました。 久喜小児童の現状
 から、誰もがマイノリティの一面を持っていること、1人1人が大切な存在であること、仲間としてお互いの考えに
 耳を傾け、理解しあえる集団づくりが大切であること、こうしたことでマイノリティ、特にLGBТの問題を取り上げた
 とのことでした。こうしたことを担任の先生が話された後、ゲストテイチャーとしてLGBТ、トランスジェンダーの
 Hさんが登壇し話されました。Hさんは男として生まれましたが、女性として認識、表現しています。所で私は昨年の
 この授業以来、自分が参加できるこの問題の研修会には、全部参加してきました。アミーゴでのPТAを対象と
 したもの、男と女の集い、埼葛人権研修会等々です。うち2つは今回のように当事者であり、活発な活動をされて
 おられる方でした。全く同じことを話す他、時として身体・心・表現・好きになる対象、人の数だけある「性差」に
 ついて、映像を通してチヨット下卑た笑いを誘い、不快感を覚えたこともありました。今回お呼びしたHさんは、余り
 大きな講演はしない、10人くらいの人と車座で話すのがほとんど、と言っておられました。対象が児童ですから
 たんたんと自分のことを語り、違いを認め合うことを述べていました。短時間で話は終わり、児童からの質問に
 移りました。活発に質問が出ました。「いつ頃から違いを感じたのか ― 七五三で男の衣装を着せられたとき、
 すごく嫌だった」、「困っていることは ― プールの着替えやトイレ」、「結婚については」 このことには答えず、
 いわゆる「パートナーシップ条例・制度」の大切さ・重要性を語っていました。
  そのあと市役所人権推進課の職員の話に移りました。マイノリティの人権について語り、また1人で悩まず
 相談してほしいと、県・久喜の相談先を紹介していました。
  児童が退場、その後参加された保護者の話し合いに移りました。10人ほどですが、この種のいつもと違い、
 活発に質問・感想発表が出ました。やはり関心が強いのでしょうか。私は黙っていましたが一言と求められたので
 少しだけしゃべりました。私はこの間の研修会や、昨春の菩提寺の本山詣で、長谷寺での合同供養の際、大勢の
 僧侶の読経を聞きながら考えたこと、等で自分の考えを持つに至っています。これからますます少子高齢が進行
 します。言語・皮膚の色・人種が違う外国人も増えます。大勢の高齢者(私も含め)、外国人、障がいをお持ちの方、
 この前の講習会で水島氏が言っていた、それこそ左利きや、AB型の人ほどいるという発達障碍児(者)、それぞれが
 それぞれの違いを認め合い、共に助け合って生きていく、共生社会の実現は当然のことなのです。だから私は
 例えば今日のゲストテイチャーHさんが、久喜にお住まいとしたら、サークルや、同じ運動を、当然意識することなく
 助け合いながら一緒にやっていくでしょう。ただ、ただ私はです。遷善館の教えを継ぐ、久喜小の卒業生です。
  ― 父父たり 子子たり …… 夫夫たり 婦婦たり 而して家道正し 家正しくして 国定る― という論語・孔子の
 教えをも、大切にしていきたい思っています。

 令和元年度・久喜市高齢者大学卒業式並びに修了式 2月14日(金) 総合文化会館大ホール

  「久喜市高齢者大学」の「令和元度・卒業式
 &修了式」が、14日(金)総合文化会館大ホール
 で開催され、出席しました。何回か報告していますが
 私は今・市大・高大運営委の責任者をしており、
 一応略礼服での参加となります。今年の卒業生は
 49名、修了者は1年48名、2年42名、3年38名
 計128名とのことです。数年前より、ここ大ホール
 での開催で、寂しいなとの思いを感じますが今年もその通りでした。

  卒業証書授与、修了証書授与と進んで、卒業生の皆勤賞・精勤賞の表彰となりました。今年は皆勤賞4名、精勤賞
 7名でした。市民大学とともに高齢者大学も、入学者減で悩んでいます。それと同時に高齢化が目立っています。学則
 で60歳以上からとなっていますが、平均年齢が、年々向上し、現在では70歳を超えているそうです。これは勤務形態の
 変化によるものと思われますが、しかしその中で4年間の皆勤・精勤はご立派というしかありません。
  学長(市長)式辞、議長・県議の祝辞、在校生代表の送辞、卒業生代表の答辞と型通り進みました。一様に生涯学習の意義、
 学んだ成果を今後に生かす活動の継続を述べていました。ただ「送辞」の中で一つだけ、気になることがありました。卒業生に
 対する感謝と益々の活躍を、と述べた後、「私たちは卒業生が取り組んだ-高大改革-の道をさらに進める」と言っていました。
 この-高大改革-とは、①入学者数の増加、②カリキュラムの検討、③ボランティア活動過多の是正を言うのだそうです。①と
 ②はうなずけます、問題は③です。ボランティアは自主的なもの、義務化はいけないは正論ですが、ボランティア活動は高大の
 大きな柱となっています。今後の検討課題と思われます。
  いずれにせよ「高大」と「市大」は、久喜市の大切な宝ものです。何としても入学者数の増大を通して、活動の充実化を追い求めて
 行きたいと思います。卒業生の皆様がこれからも健康で、ますます活躍されます事を祈念いたします。
  主催者ですので、壇上から写真を撮るわけにもいきません。閉式後在校生の腕で作るトンネルをくぐって退場する卒業生-左-
 と、立ち去りがたく、看板の前で記念写真を撮っているのを-右-市役所駐車場から撮りました。

 
     ◎ 令和元年度・くきっ子ゆうゆうプラザ閉校式 2/13日(木) 



















  令和元年度の久喜小放課後子ども教室(くきっ子ゆうゆうプラザ)の閉校式が、13日久喜小体育館で
 行われました。ご承知のように「くきっ子ゆうゆうプラザ」は、まだ「地域子ども教室」と呼んでいた、平成17年
 市内のモデル校として、最初に開校されました。この閉校式が記念すべき15回となり、それを記念し昨年
 11月23日、市全体の15周年記念式典を持ったのは記憶に新しいものがあります。
  その記念式典で制作したのが―上・左― の看板です。市内全校の活動ぶりを写した写真を、細かく
 切り、張り付けた労作です。今年「くきっ子」が初めて使用する光栄に浴しました。来年がさくらっ子=東小
 その翌年が「きよくっ子」となります。今年参加した児童、大勢のサポーターも参加して始まりです。―上・中―
  開会前に今年の講座の中から、フラダンス―上・右―、ヒップホップ&ダンスが―下・左―が、1年間の
 練習の聖火を披露してくれました。とてもかわいかったです。
  開会です。今年1年もくきっ子運営の中心に立たれた柿原委員長―下・中―、ついで穂村校長が挨拶
 されました。なお久喜小体育館は今まで工事をしていて使用禁止になっていました。この度完成、今日が
 使用はじめです。照明を「LED」に変えただけですが、ずいぶんと明るくなりました。―下・右―
  
その後活動風景のスライドを背景に、児童が感想をのべました。今年木曜日に12講座、土曜日に15講座
 を行いました。私は木曜日に「ドッジボール」、土曜日に11月だけですが「ザ・綱引」を担当しました。
  久喜小の特色として高学年になると、参加者がぐっと減る、があります。したがって今日の発表者も低学年
 が多かったのですが、みな頑張って発表してくれました。その数少ない6年生に卒業を祝ってメダルを贈呈
 サポーター・保護者代表から感想を頂いて閉校式を終えました。
  この15年、絶えず市内の「ゆうゆうプラザ」をリードしてきた、「くきっ子」らしい、落ち着いた、そして心にしみる
 閉校式でした。15周年を終え、新たなサイクルに入ります。気負わず、緩まず、淡々と来年度に備えて
 行きましょう。

     「太東学園」文部科学大臣表彰受賞祝賀会 2/7(金) 三高サロン









  左・文部大臣表彰表彰状 左2・挨拶する飯島太東学園CS委員長、右2・太田小校長の音頭で乾杯、右・歓談風景

  「太東学園(太東中・太田小・久喜東小で構成)コミュニティ・スクール委員会」の文部科学大臣表彰授賞記念祝賀会が
 7日夜・「三高サロン」で開催され出席しました。「文部科学大臣表彰」とは、国内で芸術・文化・科学・教育・スポーツ等で
 顕著な成果・成績を上げた個人・団体を表彰するものです。
  かく申す私も平成26年に表彰されています。スポーツ、それも生涯スポーツ振興という事で受賞しました。私が
 県スポ少副本部長を務めていた故で、県体協の推薦によるものでした。「スポーツ」の分野でこの栄に浴された
 方は結構おられます。レク協のТ氏、スポ少のH氏、スポーツ推進委のМ氏等です。また表彰の分野に「教育」、
 それも「優秀教員表彰」があり、久喜市内で授賞された何人かを存じ上げています。
  しかし「教育」それも「社会教育」となると、また違ってきます。市内でこの分野で頂いたという例を私は知りません。
 それだけに今回の「太東学園コミュニティスクール委員会」の受賞(地域学校協働活動推進)を喜ぶものです。
  久喜市は今市内全34小中学校が、「コミユニティスクール」を導入しています。市内では4年前に太東中地区で
 導入されました。ここの活動をモデルとし、1年後に全校導入となりました。この全校導入というのは、県内で
 久喜市が最初です。私がコミュニティスクールの導入を求めて、何度も質問をしていた時、「否」の理由は県内
 実施校が少ないからというもの、ダメとは言わずもう少し研究させてほしい、というものでした。Y前教育長の頃
 でした。確かに当時は川口市内他で、県内では2~3校でした。それが本年度実施校は434校にのぼるとの
 事です。これは文科省が2017年に、コミュニティスクールへの移行を努力義務化した等、強く推進していること
 によります。時流に遅れまいとする、やや安易な考えもあるようです。この普及の先鞭を取ったのが、県内初の
 全校導入をした久喜市ですし、それに1年先駆けてモデルとなったのが、太東学園ですので、そうしたことが受賞
 の因となったようです。久喜市は横軸に地域(中学校)、縦軸に集中一貫をおいて、これを進めています。そこから各
 中学校区の「**学園」なるものが誕生しています。我が久喜小は「遷善館学園」、ここで研修会を数回持って
 いますが、進展はありません。「太東学園」はコミュニティスクール委員会を組織し、CS委員長と校長とで、定期的
 会合を持ち話し合っていると聞いています。そうした組織化は一歩進んでいるのは確かですが、具体的に
 「地域学校協働活動推進」の活動をどう展開しているのか、を私は知りません。CS委員長は「これからがんばれ
 の意味」と言っていました。そうした意味もあるのかなと思います。
  私は1年遅れた久喜小に、そのまた1年遅れて「学校運営協議会委員」に就きました。現実の難しさに戸惑いつつ
 ゆっくり進めていこうと思い、また絶望している側面もあります。
  とにかく学校と地域のかかわりの問題は、30年前から私の中心テーマでした。じっくりやっていきます。

 
       ◎ 人権教育指導者養成講座に出ました。2/7(金) 文化会館

  7日、午後より「綜合文化会館
 小ホール」において、「平成元年度
 人権教育指導者講座」が開催され
 出席しました。主催は「久喜市教育
 委員会」、講師は部落解放同盟埼玉県
 副執行委員長の「水島豊彦」氏でした。
  この講座が教育委員会の主催で
 もたれるようになって久しいものがあります。
 最近は1日、それも1時間程度の話しを聞くという形式ですが、かっては4日間くらいの日程だったときも
 ありました。一般的な「差別の現状」といった話のほかに、平安時代にまでさかのぼる「部落の歴史」、また
 当時の「南河原村」のお寺に残る、「差別戒名」の墓を見るといった現地視察までありました。みなウイークディ
 当然誰でも出るというわけにはいきません。自営業であった私が、となり、マア至極真面目な活動家であった
 私は、今年は体協から、来年は体育指導委員会から、次はスポ少からと、毎年出ました。当時も講師であり
 運営の中心だったのが「水島」氏でした。氏に岸さんは「毎年来られて熱心だね」と言われたのを、懐かしく思い
 出します。「部落差別解消法」が制定されたのが、つい前の平成28年ですから、差別・人権問題の根深さ、
 遅さに改めて思いを抱くものです。
  水島氏は相変わらずお元気でした。講演の中で「3度心臓が止まった」と話していました。健康に注意されて
 いるのだと思われます。しかしポンポン飛び出す話、その中で示される具体的数字や年数等、素晴らしい記憶で
 あり安心しました。講演の内容は筋道を立て、論理的に話すというものではありません。私たちを取り巻く、未だ
 なくならない「差別・人権問題」を話され、それに対しての取るべき人間としてのあり方をしゃべるものでした。
  まず教育長が開会のあいさつの中で、かって「日本のアウシベッツ」とまで言われた、国立療養所「栗生楽泉園」を
 見てきたことを話されたことから、ハンセン病に取ってきた、様々な非人間的対応を話されました。次に現在の深刻な
 人不足から、今後ますます増大する外国人問題を話しました。また水島氏が個人的に親しい多くの人がいるという
 アイヌ民族について語られました。また最近では13人に1人、いやそれ以上という発達障害児・者にも触れました。
  高齢者・障がい者・外国人・セクシャルマイノリティ、これからは多様性・多文化の時代となる、それぞれの違いを
 認め合い、共に生きていく(共生)が必要、子どもの交通事故は減っている、それは保護者・学校・地域社会での
 危ないよ・危ないよとの訓練のたまもの、この訓練のようにいろいろな所で差別をなくし、人権を尊重する渦を起こして
 いこう、まあこんなお話でした。
  私は前記したようにもう30年を超えて、氏の話を聞いてきました。お変りのないのに安心しました。きっと来年も
 また、これに参加して氏の話を聞いていると思います。

    ◎ 久喜中で(総合的学習の時間)提灯祭りの話をしました。 2/6(木) 










 左・中は今年の人形山車・提灯山車、右・陛下即位奉祝国民祭典・皇居前、全て今日お話ししました。

  過日久喜中より、総合的学習の時間の2年生を対象に「久喜の提灯祭り」についてお話を頂きたいとの
 依頼があり、本日午後「多目的室」にて、1時間の話をしました。
  6点の質問項目を頂いていました。1・歴史について、2・運営について、3・役割・経済効果、4・国民祭典
 参加について、これからの祭りに期待すること、6・久喜中生に期待すること、の6点です。
 1・歴史 天明3年・1783浅間山大噴火による凶作、疫病流行から、豊作・疫病退散を願い、現本6宮本家の
  祭礼用山車をかり、町内を引き回したことが始まり、旧久喜町の6町内に広がり、牛頭天王社(神仏分離で
  八雲神社)信仰につながり、大きなものとなった。昭和23年全町内組織、60年今の祭典委員会組織化
 2・運営について 本来各町内のお祭り 現保存会毎と祭典委の運営がある。7つある保存会は各保存会の
  地域から役員を構成し、寄付金により運営される。3~40年の山車の新築、10年くらいでの大改修、
  提灯、実際の祭り運行等で結構な費用がかかる。祭典委員会は現7保存会で構成され、総会で役員を
  選出、観光協会を通した行政からの補助金、各保存会からの分担金・負担金で運営されます。行政・警察
  消防署・衛生組合との協議、全体行動の調整等多くの仕事があります。
 3・役割・経済効果  地域コミュニティの形成、伝統文化の継承に大きな役割を果たしています。経済効果は
  実際の額は調べていません。ただし毎年22万人から28万人の人出があります。今年は珍しい日・土の
  開催ですので、史上最高30万人を超す観客を予想しています。当然露店だけでなく地元商店でも買い物を
  するわけで、多くの経済効果があります。
 4・国民祭典参加の様子  平成天皇即位と即位10周年と過去2度あり、今回で3度目です。いずれも県内で
  久喜のみ、共に久喜からは「本一」でした。お話を頂いたとき、出る事を前提に協議を開始、結果久喜市・商工会
  観光協会と祭典委で実行委員会を結成、経験のある「本一」に出ていただきました。経費約300万円は全て
  こちら持ち、多くの皆様から暖かい協賛を頂きました。一番努力された「本一」には深く感謝、久喜市からの
  参加者は200名余、内堀通700mを行進、昼のため、提灯に灯をともさず今一の感あり、ただし2部に入り
  灯をともした後の存在感は抜群、現地での人気は絶大なものあり、十分PRできました。
 5・これからの祭りへの期待
  現久喜指定の文化財、早く県指定に、できれば国も?
  神事行事と観光行事の統一的・一体的発展充実
  各保存会行事と合同(祭典委)行事の統一的発展
  財政が豊かに(助成金・寄付金)  若手後継者の育成
 6・これからの久喜中生に期待すること
  良く学び(学び続ける)、スポーツに親しみ、よって丈夫な身体と強くて優しい精神を培ってほしい
  学ぶ中身 知識・技能の獲得→知識・技能をどう生かすか→いかに社会・世界と関わりより良い人生を送るか
  背景 少子高齢社会  2025年問題 本格的少子高齢社会下で主役は君たち  
      だから多少なことでたじろかない強い気持ちと、多くの人とともに生きていくやさしい心を

  多くしゃべりたかったのですが、何せ1時間授業(50分)です。圧倒的に時間が足りず、最後はだいぶ飛ばし
 ました。6の部分など言いたいことが多くあったのですが、大分省略、理解できたかなと思っています。映像は
 4・陛下即位奉祝国民祭典の部分のみ、スライドで見てもらいました。用意したレヂメの内容と映像とで、
 2時間くらいほしかったです。僕のレヂメが欲張りすぎでした。中学生を対象に、今度のような機会に恵まれて
 大変参考になりました。ありがとうございました。

    令和元年度・東部地区社会教育関係委員研修会 1/23 (木) 八潮メッセ










  令和元年度の「社会教育関係委員・職員研修会」が、八潮市の「八潮メッセ」で開催され、久喜の仲間10人と参加しました。
 冒頭県東部地区教育事務所所長、地元八潮市教育長が挨拶されましたが、東武教育事務所所長が女性なのに少し驚き
 ました。県もさいたま市の教育長も女性、こういう時代に入ったのですね。(―左―) 研修内容は特定非営利活動団体
 「まちと学校の未来」代表の「竹原和泉」氏の講演と、八潮市と幸手市の実践発表でした。
  「竹原和泉」氏は、久喜の「ゆうゆう」だったか、「C・S」研修会かで1度お呼びしています。私は3度目となります。氏はアメリカでの
 PТA活動から、コミュニティと学校との関係に入っていった過去に触れつつ、社会総がかりで子どもに関わる必要性を言われました。
  そのためにコミュニティスクールと地域学校協働活動の一体的推進を言われました。学校と地域を「つなぐ」ために、、「情報・ミッション
 アクション・小さな成功体験」の共有が必要とされました。全員が当事者意識を持つこと、みんなで一緒にやりましょうという、支援から
 連携・協働へと進む大切さを言われました。そうした活動を展開している成功例として、氏が関わる横浜の「市ケ尾ユースプロジェクト」
 ほかの事例を話されました。最後にこれからの教育として、新学習指導要領で謳う、「社会に開かれた教育課程の実現」、コミュニテイ
 スクールと地域学校協働活動の一体的推進を強調され、講演を終えられました。竹原氏の講演はいつもきちんとしたレヂメを用意され、
 それに基づいて話されます。導入―展開―まとめがしっかりしており、スムーズに聞くことができます。中身はその通りでうなずけるもの
 ばかり、異論は全くありません。ただもう一つ、何というか、「よしやってやるぞ」との発憤材みたいなものがないという感じを、3度目となる
 今日も持ちました。(―中―)
  実践発表は八潮市「生涯学習学校開放講座」、幸手市の「学校・家庭・地域の連携、子どもを育む市内の状況」でした。八潮市と言えば
 かってF市長が、「生涯学習まちづくり」を公約として、市長に当選、トップ方式でこれを進められました。平成3年には埼玉県で初の
 「生涯学習都市宣言」をされ、この施策も市長の下、平成元年からスタートしています。当時ここの「生涯楽習センター」で開かれた、「全国
 まち研」の研修会、会議等に毎回出席していました。今日の報告を聞いて懐かしく当時を思い起こしました。F市長落選とともに、八潮の
 この流れは消えてしまい、どうなっているんだろうと思っていました。今日の実践発表はその時の遺産が残っているというものでした。
  要するに学校を会場とした市民講座です。H30年は13の小中校で、26の講座が゛開設されています。講師の6割が教員、ただ年々
 減っているそうです。参加者もピーク時H7年の3800人から、2000人と減少しています。「地域は学校に何ができるか」という事は
 「学校は地域に何ができるか」とイコールでなければなりません。学校の持つ教育力=施設・機材・教員の能力の地域への開放は当然の
 事です。改めてF前市長の先見性に思いをはせました。
  もう1つ幸手市です。空き家活用のコミュニティの場「木ごころキャンパス」他、市内で行われている学校・地域・家庭連携での、子育て
 支援活動を調査、紹介するビデオを作成、それを上映して報告とするものでした。関係しているという「木ごころキャンパス」もふくめ
 社会教育委員の活動・関わりが見えてこない報告でした。(―右―)

       ◎ 社会教育委員協議会・神明神社見学 1/21(火) 森下公民館

  久喜市社会教育委員は、教育長が招集する正規の会議の
 他に自主研修・意見交換の場として、「久喜市社会教育員協議会」
 を持っています。今年度からスタートしました。令和元年度第3回
 社会教育委員協議会を、21日菖蒲の森下公民館で開催しました。
 中央だけでなく、これからは各地区で順次開催していこう、とする
 方向性の第一歩、同所は菖蒲地区では唯一の公民館です。
  今回はS委員より「PТA活動の現状と課題」について、情報提供を
 うけ、意見交換を行いました。S氏は市内小学校のPТA会長として、長年活発に活動しておられます。その後
 社会教育委員が選任されている、各種委員会の活動状況について、各委員より報告を受けました。私は「市大・高大運営委」につき
 活発な活動に当たっていますが、各委員会によって全くマチマチのようです。
  1時間半で会議を終え、森下公民館の近くにある、県の天然記念物「神明神社」を見学しました。私は合併の後、議員仲間と一緒に
 :県指定史跡「天王山塚古墳」と一緒に視察に来ています。「神明神社」は第12代天皇「景行天皇」の代に創建されたと伝えられています。
 江戸時代にはこの地を収めた「内藤家」に保護され、栢間村・小林村・三箇村等5ケ村の総鎮守として、厚い信仰を集めてきました。
  ここの特色は社叢=広さ1・74haを埋め尽くす47種類と言われる植物、埼玉県内で大宮氷川神社に次ぐ500mを超える参道林、
 境内林で構成されています。高木としてはアカシデ゜、低木林としてはヒサカキ・シロダモ・エゴノキ等、ヤブニッケイ・ウワズミザクラなどは
 希少な植物とされています。私たちのメンバー以外誰もいず、1人で来ると寂しい(怖い)だろうなと思いました。社叢内の植物は県東部地区
 低地の自然植生を代表する貴重なものとされ、昭和52年に前記のように天然記念物に指定されたそうです。大切に保護していきたい
 郷土の宝ですね。
  これからこの協議会は鷲宮地区、栗橋地区でも開催していきます。例えば鷲宮では大輪地区の砂丘、栗橋地区では栗橋関所等を
 見てみたいと思っています。地域を良く知ることが社会教育の原点ですから。

           ◎ 令和元年度久喜市市民大学体験発表会 1/18(土) 久喜中央公民館 
 
  久喜市民大学(梅田修一学長)の、令和元年度体験発表会が、18日、中央公民館で
 行われました。発表されたのは1年生、2人、2年生3人の5名の方でした。
  1年生の男性の方、高大から市民大学へと進まらています。高大の時に「ハーモニカ
 クラブ」に参加、その後ハーモニカ演奏を生涯の友にし、福祉施設訪問その他、多くの
 ボランティア活動を実践しておられます。市民大学の校歌でもある「久喜市民歌・喜びの街」
 懐かしい「丘を越えて」を演奏、また出席者の合唱「北国の春」を伴奏されました。
  もう1人の1年生男性です。「日本の中の久喜の歴史的概要」と題された発表でした。
 この方は私の古き知人です。最初に子どもの頃の思い出を話されましたが、私と共通の場所、
 行動が多く大変懐かしかったです。旧石器時代から縄文期、弥生期に始まり、平安期、鎌倉期と
 久喜市の状況について述べられました。ただ単に本当で調べるだけでなく、菖蒲栢間の天王塚古墳、古河公方=甘とう院等実際に
 見ておられました。そして江戸時代、久喜の米津氏、菖蒲の内藤氏の治世に触れていました。最後に「久喜は紛れもなく、日本の
 一地方であり、日本と一体で歩んできた」とし、「私たちに必要なことは、日本人が営々として築いてきた、文化と業績に自信を持ち、
 それを次世代につないでいくこと」としていました。私の知るこの方らしい結論でした。
  2年生に入り男性の発表です。市民大学で学んだことを、その上に立ち具体的に地域で、どんな活動をしているかを紹介しました。
 ごみゼロ運動、ふるさと農園体験事業、まなびすとフォーラム、自分の子どもが通う幼稚園の事業、そして地域の「なかよし広場」事業
 等々実に多くの地域事業に参加しています。これからは自分が参加するを超え、多くの人に参加を促す、それを通して地域社会・
 久喜市を元気にする、そんな活動を展開して頂きたいと思うものです。
  4人目、栗橋地区に住む2年生男子の方は、「利根川東遷と栗橋宿・栗橋関所について」話されました。利根川東遷とは、かって
 東京湾に注いでいた利根川を、東側常陸川筋に導き、現在の利根川水系の基礎を作ったことを言います。江戸時代初期の
 1594年から1654年赤堀川の通水に及ぶ60年間の河川改修を指します。栗橋に住み、利根川を母なる川とする発表者は、
 市内中学生が、八坂神社の宮司さんの、栗橋関所の質問に答えられなかったことにショックをうけ、「栗橋を良くすることは栗橋を
 知ることである」と研究・勉強され、「栗橋宿、栗橋関所は栗橋地区発展の原点である」との考えを持つに至りました。発表者は
 利根川東遷を、船運による米などの大消費地・江戸への安定供給、流通経済を支配する仕組みの構築、と結論付けていました。
 栗橋を愛し、栗橋を知ろうとする発表者の思いが感じられるものでした。
  最後は2年生、ただ1人の女性による「SDGsと郷土の偉人」というものです。「SDGs」とは、2015年に国連で採択された、「持続可能な
 社会を実現するための開発目標」を言います。15年後の2030をメドに貧困・教育、健康、気候変動等の問題を解決し、よりよい社会と
 するための17の目標を定めています。このSDGsと郷土の偉人と言われる、渋沢栄一、本多静六との関係を述べられました。例えば渋沢
 栄一の個人の利益を挙げるだけでなく、多くの人・社会全体の利益となる仕事をせよという考え、本多静六の蓄財を基にした埼玉県学生の
 ための奨学金制度等を、SDGs17項目のこれ・これ該当すると指摘していました。所で我が久喜小は「ESD」持続可能な開発のための教育
 に取り組んでいます。持続可能な社会を実現していく生徒児童を育成するための学習・教育とでも言えます。「学校運営協議会」委員として
 こうした活動を支援していきたいと考えています。
  体験発表と言う概念とはチヨット離れた内容のものもありましたが、市民大学学生諸君の真摯な態度は評価します。今年はまだ何と4名の
 入学希望者しかいないそうです。最低20人を目指して勧誘活動を展開していきます。

        「まち研久喜」長期活動休止へ  1/16(木)
 
 「久喜市生涯学習まちづくり研究会」・通称・まち研久喜(中里厚子会長)は、14日市内において、本年初の会議を
 持ち、中里会長から提案された、活動の長期休止を出席者全員で了承しました。4月に開催予定の総会において、
 再度協議されますが、実質上の解散になるものと思われます。
 

  私は平成に入って生涯学習活動にのめり込んでいきました。平成4年に「生涯学習推進部」を組織、その委員長として
 「推進大会」=まなびすと久喜、「研修大会」=まなびすとフォーラム等の充実化を図りました。同時に研修面として、学校
 地域とのかかわりを求め、習志野市秋津小を出発点とする「学社融合」、福留強先生が提唱された「生涯学習まちづくり」
 の二つに強い関心を持ち、多くの時間を費やしました。「学社融合研究会」、「全国生涯学習まちづくり研究会」の会員となった
 私は、この2つの面の活動の活発化、充実化を期しました。平成13年「市民大学校友会」、14年「学校支援ボランティア
 の会」、15年「生涯学習まちづくり研究会」と連続して立ち上げました。
  だから「まち研久喜」は17年ほどの活動の歴史を持って来たわけです。会員は当初からそう多くありませんでした。登録者
 20名程、活動家は10数名でした。最初は「見知活動」に取り組みました。「街を見て知る」というものです。合併してから
 菖蒲・鷲宮といった地域にまで広げました。ただ「広報くき」などで、一般市民の参加を呼びかけましたが、殆ど会員だけの
 参加となりました。また松戸市聖徳大学での研修会等にも多く出、県内の他の「まち研」との交流活動も行いました。
 しかしこの間新入会員はゼロという状態でした。次第に活動に行き詰まりを感じてきました。「ゆうゆう」の活動が活発になると
 「学社融合」に逃げ道?を見出し、この活動に会として参加しました。ここ数年「ゆうゆう」や、「まなびすと久喜」その他で、ある
 コーナーを担当するサークル的な状態となっていました。会員の高齢化、健康状態がこれに拍車をかけました。活発な活動家で
 あったМ氏は黄泉のたびに立ち、Y氏も病に倒れました。
  今回活動休止の提案をした会長も、健康がすぐれぬ状態にあります。ヤムをえぬことと思います。ただ「ゆうゆう」その他の
 要請にこたえる態勢だけは残しておこうという事で、会としての活動休止となりました。
  大変残念なことですが、私自身、後何年こうした活動ができるかなと考えるようになりました。「全国まち研」も今、何をして
 いるのか、その活動が見えないものとなっています。「生涯学習まちづくり」という概念が、通用しない時代となったのでしょうか。
  しかし私はこの理念、その思いだけは持ち続けて、あと何年か活動していきたいと考えています。

     ◎ 令和元年を振り返って・まなびすとのページ 12/26(木)

  令和元年・2019もあと数日となりました。私の今年1年は、本当に猛烈に忙しいものでした。
 1つのことでこんな1年を贈ったことは、1・2回ありました。しかしこのH・Pでの「久喜市アラカルト」・「スポレク」
 といろいろな部分で、そしてプラス個人ごとでと、いろんな分野で忙しかったのは、今年が最高と思えるくらい
 です。歳末に当たり1年を振り返ってみたい思います。まず比較的緩やかだった「まなびすと」の分野からです。

  私は昨年4月に議員を辞しました。23年ぶりに晴れて民間人に戻り、30年近く、そして最後はトップまで
 やらせていただいた、県スポ少の役員をこれは定年制により、6月辞職となりました。そして7月夏祭りを
 終え、地元の祭典保存会会長職を辞しました。残りは市のスポ少本部長だけとなりました。これは今年度が
 10周年に当たり、記念事業を行いました。これを終えてこの職も辞そうと思っていました。ずっとさっぼりして
 後は、「ゆうゆう」と、「CS・コミュニティスクール」位に、できればあと数年関わる、それを終活に、と思ったのです。

  しかし前記したように、晴れて民間人となって全く違ったものとなりました。議員ではなれない教育委員会委嘱の
 役職がわっと入ってきたのです。まず昨年春、「久喜小の学校運営協議会委員」の依嘱を頂きました。29年の
 発足ですので1年遅れ、今春2期目の委員に就きました。「コミュニティスクール」は、理念と現実が難しい問題です。
  頭ばかり先行していた私には不満足な2年間でした。ただ久喜小は令和4年に「150周年記念事業」を行います。
 単なる記念事業でなく、コミュニティスクールの良さを活かし、地域全体で150年を祝う行事にしたいと考えています。
 すでに実施委員会=準備委員会も発足、私もその委員です。これからの準備活動の中で、合わせて「コミュニティ
 スクール」の理念を進めていきたいと思っています。
  同じく昨年「社会教育委員」の依嘱を受けました。これはスポーツ少年団からです。以前の方が役職を辞められ
 会議に諮ったのですが、誰もいなかったためです。ヤムを得ず私が出ることとなりました。これは希望してはいなかった
 役職ですが、やはり社会教育=生涯学習部門の最高機関、それなりに勉強出来ています。今秋「社会教委育関東
 甲信越静研究大会」が川越で開催され、参加しました。ただ全体として、一昔前のような溢れる情熱といったものは
 感じられませんでした。
  その社会教育委員は、1人が必ず何らかの社会教育関係の役職に就くことになっています。これと言って希望する
 役職がなく、最後に残った「久喜市民大学・高齢者大学運営委員」につきました。その後この会議で会長に就きました。
  マア市民大学1期生とか、同校友会の組織者という事で、評価されていたのだと思います。しかしこれが結構良き
 有意義な活動でした。市大・高大共に入学者が減少、厳しい状況にあります。市大と高大の統一・合同とか、存在
 そのものの費用対効果を言う人がいます。悲しいことです。厳しくとも市大・高大の充実を目指し、頑張っていきます。
  議員時代から継続している活動に、「放課後子ども教室・ゆうゆうプラザ」があります。運営委員・久喜小の実施委員
 主にドッヂボールのサポーターをやっています。今年は秋に「15周年記念式典」を行い、私は功労者表彰をいただき
 ました。16年前、たまたま覗いた文科省のH・Pにショックをうけ、久喜市での開校を要求する議会質問を行ったこと等
 を懐かしく思い出しました。「ゆうゆうプラザ」も1つの曲がり角に来ています。スタッフの高齢化・活動のマンネリ化
 です。日本一・日本一と言っていますが、それはある面のみです。1年30日くらいの実施で、果たして子どもたちに
 どれくらいの影響を与えるのか、と思うこともあります。立ち止まり、考え、原点を確認しつつ歩んでいく必要を感じます。

  こんな活動をこの1年やってきました。他に「市民大学校友会」、「まち研久喜」等の活動もありましたが、こちらの方
 は相変わらずです。またいわゆる理科大学の跡地活用としての、「生涯学習センター」は全く進展を見ないでいます。
  関係団体と「要望書」を提出したのも、はるか昔のよう、闇の中に包まれている悲しい状況にあります。動きたくとも
 動けない状況です。
  今年1年はあまりの忙しさに、まともに本も読めない有様でした。来年は少し時間を得て、勉強していきたいと思って
 います。生涯学習活動に励む皆様にとり、来年が良き年であることを祈念いたします。

    ◎ 久喜市社会教育関係団体合同研修会 12/7(土) 久喜中央公民館 

  久喜市社会教育3団体(生涯学習推進会議・同推進部・社会教育委員)に
 市民大学生も加わっての、合同研修会が7日、中央公民館で開催され
 出席しました。講師・布施昌美氏による「学校・家庭・地域の連携による
 地域コミュニティの活性化」が演題でした。講師の布施先生は今年春まで
 久喜市教育委員会生涯学習課に勤務しておられました。現在県教育局
 東部教育事務所で、社会教育を担当しています。ですから久喜市のこの
 分野については良くご存じの方です。久喜市の社会教育・生涯学習は
 歴代布施氏の立場、課長補佐兼社会教育指導主事の方の、努力と熱心さ
 で支えられてきました。布施氏もそうでした。ただしあらゆる分野を仰せ
 つかったため、チヨット忙しすぎた、大変だったなという感想をもっています。

   布施氏のお立場上、東部地区内各地で、今日のような研修会の講師として活動されているのでしょう。ですから完璧な
  資料にもとずいての講演でした。まず「これからの世の中」として「Society5・0」を話されました。そして子供たちを取り
  囲む環境にすすみました。少子高齢化・人口減少・情報化・グローバル化・いじめ・不登校等々、そうした状況に対応
  するものとして、新学習指導要領がある。(小2020、中2021から)、より良い学校教育を通じて、より良い社会を創る
  社会に開かれた教育課程の実現を目指すものであり、問題を解決し、新たな価値を創造していく(いわゆるイノベーション)
  児童を育成していくものだとされました。
   そこからコミュニティスクールの設置状況に進みました。29年の地方教育行政の組織及び運営に関する法律改正に
  より、学校運営協議会の設置が、各教育委員会の努力義務になったことから、コミュニティスクールへの移行は急速に
  進みました。「埼玉県では少ない。もう少し時間を頂きたい」、なる議会答弁を私は頂きつづけてきましたので、。急変に
  驚くものです。今県内で36市町・434校が移行しています。東部管内では37・2%で実施しているとのことです。久喜市は
  2幼稚園、23小学校・11中学校全てで実施されています。(これは県内初)
   そこから「地域学校協働活動」についてふれ、結びが「みんなで考えよう!地域学校協働活動」でした。「地域学校協働活動」
  とは何であり、コミュニティ・スクールと、地域学校協働活動の一体的推進を図ろうとされました。ここで1つの疑問が生じます。
   久喜市は「ゆうゆう」や、「コミュニティスクール」で、地域学校協働活動と呼ばれるものは、盛んにおこなわれています。しかし
  「地域学校協働本部」なる組織はありませんし、第一今までこの名前で、「ゆうゆう」も、「コミュニティスクール」も推進されて
  いません。いわば個々組織されてきたのです。この点は布施氏も良く解っているはずです。何故この点を改めて話されたのか
  理解できませんでした。質問してみたところ「地域学校協働本部」の必要性と、今の状況下でもなお、組織化を答えられていました。
   良く解りません。これはこの問題を考えるとき、筋論として、というより文科省のマニュアル的なものに、そうあるから、今回の
  話につながったとしか思えません。これは無理なこと、久喜市でこれからも「地域学校協働活動」を展開していかねばなりませんが、
  その組織を改めと創るというのはないのではないか、そんな感じを持ちます。
   完璧な資料に基ずいて、話しは全てその通りというものばかりでしたが、この点だけ気になりました。

 久喜市放課後子ども教室開設15周年記念式典・子どもまつり 11/23(土・祝) 毎日興行アリーナ









  500人を超す参加者が、13もの催しに挑戦してくれました。サポーター、保護者も加えると700人規模でした。
 ―左―  広いアリーナもこんな大勢の参加でごった返しました。
 ―左2― ドッジビー 布製のデイスクで争うドッチボール 各実施校対抗、みんな大ハッスルでした
 ―右2― フロアーカーリング 3レーン作りました。
 ―右―  ず―と元気なお囃子の音を聞かせてくれました
 








 ―左―  ペーパークラフト いろんな作品に取り組みました。
 ―左2― オセロ サポーターに勝ったと大喜び
 ―右2― けん玉 なかなか難しいです
 ―右―  ベーゴマ サポーターのおじさんのようにうまく回せません 









 ―左―  折り紙 先生はいろんな実施校で頑張っています
 ―左2― 大人気だったロボットで遊ぼう
 ―右2― アートバルーン いろんな物を作ってもらいました。
 ―右―  将棋 長考一番









 ―左―  こんなに多くのプラレールで遊びました
 ―左2― 割りばしで作った鉄砲による射的 なかなか当たらなかったヨ
 ―右2― 夜の懇親会、お疲れさまでした。
 ―右―  花束をもらい上機嫌の会長とコーディネーター
  写真では紹介できませんでしたが、他に囲碁対局、昔の遊び(コマ回し・メンコ・お手玉等々)、モザイクアート等盛りだくさん
 でした。企画の段階で、チヨット欲張りではと心配しましたが、各コーナーの指導者が手なれているため何とか回りました。
  それにしても各コーナーのサポーターの熱心だったこと、本当に感心しました。最も「ゆうゆう」はこれが出発点であり、全て
 なのですね。
  「子どもまつり」閉会式には、大抽選会、記念写真等あり、正に大サービスでした。皆疲れていましたが、心地よい疲れ、散会
 しました。
  夜は「三高サロン」で懇親会を持ちました。当初「別の日に」という意見もあり、少数でしたが楽しい時間を過ごしました。開設に
 お骨折りいただいたS先生の特別参加もあり、盛り上がりました。参加者一同、飯島運営委会長と、柿沼コーディネーターに
 花束を贈呈、長きにわたる労苦をねぎらいました。
  「ゆうゆう」も決して良い状態にあるとは言えません。活動家の固定化と高齢化が露呈しています。私もその高齢化の中に
 ありますが、もう少し頑張っていきたいと思っています。
  
   ◎久喜市放課後子ども教室開設15周年記念式典 11/23(土・祝) 毎日興業アリーナ  

   もう何回もこのページで報告してきました。「久喜市放課後子ども教室・ゆうゆうプラザ」は、平成17年我が久喜小において
 「地域子ども教室」といった頃開設され、本年をもって15周年を迎えました。現在市内23小学校全てにおいて開校され
 質・量ともに日本一ともいえる規模で実施されています。この15周年を祝い、足跡を振り返り、さらなる充実を期すことを
 目的として、23日(土・祝)「毎日興行アリーナ」にて、記念式典、および「子どもまつり」が開催されました。
  これも何どか記してきました。私はこの事業に深い関わりを持っています。生涯学習推進活動に取り組んでいた私は、
 文科省のH・Pを覗くのを常としていました。たまたま平成15年の暮れ開いたとき、「緊急3カ年計画」としての「地域子ども教室」
 に衝撃を受けました。「これを久喜でやりたい」、「久喜なら成功する」という思いがありました。すぐ「一般質問」で開設を求め
 行政の理解を頂きました。H16年1年をかけ準備、17年久喜小で開校しました。以来私は運営委員、くきっ子ゆうゆうプラザの
 実施委員、何よりも1サポーターとして、今日まで歩んできたことになります。









  この記念事業は約1年半ほど前に提起され、準備されてきました。全運営委員による3部会に分かれた実行委員会、多くの
 各開設校実施委員の協力を得てのものでした。全日夜の準備にも大勢の方が参加してくれました。本日の実施に当たっても
 今、これだけ熱心で、これだけの数の活動家を集められるのは、この組織以外ないと思われます。わずかに自分の行事に
 限ってのスポ少位でしょうか。朝9:00全員集合、ミーティングで今日の成功を誓いあいました。(-左-) 
  式典が始まりました。飯島運営委会長が主催者を代表し挨拶、現在の学校教育の流れから、「ゆうゆうプラザ」の必要性・
 重要性にふれた良い内容でした。(―左2―) 表彰に移りました。功労賞表彰者と感謝状表彰者です。功労賞は23実施校の
 初代実施委員長23名と、運営委に最初からかかわった者、私は後者の方で表彰の栄に浴しました。故人となられた方も
 2人おられました。(黙とう) 感謝状は各実施校で10年以上活動された方、241名の多きにのぼりました。こうした方の
 ご努力でこの事業は成り立っているのです。(―右2・右―) その後来賓の挨拶を頂き、1部式典を終えました。









  「ゆうゆうプラザ」は子どもの活動です。同時にこうした活動を通した、元気な地域社会づくり=「教育コミュニティ」創造の
 活動でもありますが。当然この日も子どもたちの参加がありました。午後からの「ゆうゆうプラザ子どもまつり」です」。
 全実施校から約500名の参加を頂きました。プラカードを先頭に入場です。(―左―) ハックにくきっ子ゆうゆうの講座の
 子どもたちがたたく、久喜提灯祭りのお囃子が響いています。主催者、教育長挨拶の後、参加児童を代表し「くきっ子」の
 2人が「宣誓」をしました。(―左2―) 最初の開設校とはいえ「くきっ子」の子どもたちには名誉なことです。オープニング
 イベントとして、北陽高校チア―リーディングのメンバーにダンスを披露していただいた後(―右2―)、ご指導を受けつつ
 全員で「クッキーダンス」を踊りました。(―右―) すでにマスターしている子どもも多く、大いに盛り上がりました。









  「子ども祭り」の最初、「オープニングセレモニー」を終え、「演技発表」に移りました。これは各実施校で行われている講座の
 中から、希望によりその成果を発表したものです。(―左―)は光の子=江Ⅱ小児童による「ささら踊り」です。同小地区内の
 除堀に古くから伝わるものです。伝統文化の継承を、「ゆうゆう」の場で行う、良いことです。(―左2―)はあおばっ子のダンス
 パプリカのメロディに乗って、軽快に踊ってくれました。(―右2―)はさくらっ子=久喜東小児童の新体操・リボンです。指導を
 ゆうゆうの先輩、太東中の女生徒がやっています。これもよいことです。(―右―)はけやきっ子=鷲宮東小のK―Popダンス
 です。中に6年生が数人いて、専門的な踊りでした。他に写真にはありませんが、ほくとっ子=北小のタヒチアンダンスも
 ありました。こうした講座は全て地域の方のご指導によるもの、学校教育ではできません。これが「ゆうゆうプラザ」なのです。

     ◎ 遷善館学園保健講演会から 「災害と子ども」  11/12(火) 久喜小体育館

  基本的に毎月第2火曜日に、「久喜小学校運営協議会」は開催されます。前回「この日は「講演会」に参加する
 形で持ちましょう」といわれていました。この日私は綱引の指導で、市内の小学校に出向き少し遅刻しました。
  会場の久喜小体育館に入ると、例の体育館すわりの6年生、後ろに少数の保護者、横に学校運営協議会委員
 と、久喜小教員がすわっているといういつもの風景が広がっていました。「遷善館学園保健講演会」ですから、
 もう少し参加者がいてもよいのにな、という感じでした。

  講師は「工学院大学」の、「安部芳絵」氏、恥ずかしながら私は全く不案内でした。ネットで調べたところ、同大学
 教養教育課程准教授、「子ども学・子ども環境学」を専門とし、最近今日の演題となった「子どもと災害」に関する
 著書を出されています。講師の声が小さく、マイクも良くないため、最近とみに耳が遠くなった私には、余りよく聞き
 とれません。要するに2011年3・11の時、各地の避難所で小中高校生が、どんなことをしたか、なぜそれを
 やろうとしたか、周囲の反応はどうだったか、やってどう思ったか、等々を多くの実例の中から話されていました。
 「なんとなく自然に、やろうと思っていたわけではない、でも誰かの役に立ちたいと!」 また大人のコメント、「子ども
 たちから元気をもらった」、こんな内容が途切れ、途切れに耳に入りました。
  そのあと子ども立ちからの質問、感想に入りました。子供たちの声も小さく、講師の話以上に聞き取れませんでした。
 しかし驚いたのは、その質問をし、感想を述べる子供たちの多かったことです。次から次と手が上がりました。きっと
 子どもたちがこの事に関心を持ち、また講師の話が良かった(面白かった)のだと思います。また改めて久喜小児童の
 「意欲・関心」に、それこそ感心しました。時間の関係で、子どもたちの質問を止め、閉会、子どもたちは教室に戻って
 いきました。「あぁ、これで終わりか」と思っていましたが、その後同講師から大人向けの話があったのです。そして
 これが大変面白く、思わぬ余禄を得る事が出来ました。もちろん保護者・私たち・教員それぞれが一桁、もっと大勢の
 人に聞いてもらいたい話でした。

  まず2100年、ほぼ後80年後に日本の人口はどうなる、から始まりました。最大に見積もって6500万人、最小で
 4000万人、半分~3分の1に減少するのです。高齢化は一層進み、労働力は不足します。少子化は進みますが
 あらゆる意味で、「子ども」の存在が大きなウエイトを占めます。そこから北海道「奈井江町」の合併に飛びました。
  これは曲がりなりにも議員であった私は知っていました。あの夕張市との合併をめぐり、住民投票を実施しました。
 その際条例で、小学校5年生以上の子どもたちに、「子ども投票」を実施したのです。87・1%の投票があり、圧倒的
 多数で「反対」となりました。その際、大人の投票は「尊重」する、子どもの投票は「参考」とする、でした。大切なことは
 大人だけでなく、子どもと大人が決める事、子どもの意見を尊重する、子どもに良く説明をする、事だとされました。
 そしてそれが国連の「子どもの権利条約」がいう、「子どもにとっての最善の利益」だとしました。「子どもの権利条約」も
 もう30年になります。その後の歩む道は異なりましたが、当時の仲間と勉強会を持ったことを懐かしく思い出しました。
 そこから本題の「災害と子ども」に入っていきました。災害で弱者=子ども・老人は大きな被害を受けるのが常です。
 3・11での宮城県石巻市大川小の悲劇は、今も私たちの胸を打ちます。しかし子どもは保護の対象だけではないと
 いうのです。もちろん保護すると共に、被災した子供に、子供中心の心のケアをすること、回復する人自身が主体と
 なる事が大切とされました。そこから「レジリエンス」の話をされました。この概念は心理学では、例のナチスによる
 ホローストの孤児たちの研究から確立されています。大きな脅威や深刻な逆協に折れない心、困難に負けない、「自己
 回復力」を言います。そしてこれからの防災力と、このレジリエンスは不可分とそれました。
   更に「PTG=ポスト・トラウマテイック」について触れました。これはトラウマ後の成長、または心的外傷後成長を
 言います。普通「PTSD」といわれる、トラウマ後のストレス障害が起きます。しかし中には困難な苦しい状況を経験して
 ポジティブな心理的変容、成長につながる人もいます。いわゆる「艱難 汝を珠にす」というやつです。
  結論です。子どもの参加(災害などへの)が、子どもの回復・成長につながる現実がある。もちろん保護もするが、子どもを
 プラスして「参加」としてとらえる事、それは私たち大人のまなざしにかかっている、で結ばれました。

  楽しく聞け、思わぬ拾いものをした講演でした。最近のスポ少での「コーチ学」にもつながるものです。私はスポ少や
 「ゆうゆう」で子どもと関わっています。それは地域の教育力で子どもを育む活動です。この「育む」中身を考えて
 行かねばならないのです。単に育むから、様々な活動に子どもたちを参加させていくことが大切になってきます。
  そこで子どもが苦しく、失敗しても、そこから回復する、成長していく、そんな道筋を暖かく見守っていく事こそ大切と
 そんな思いを引き出してくれた今日の講演でした。
 
  第50回・関東甲信越静社会教育研究大会・埼玉大会 11月7(木)・8(金)ウェスタ川越

















  7日(木)・8日(金)と川越市「ウェスタ川越」で開催された、第50回・「関東甲信越静社会教育研究大会・埼玉大会」に
 参加しました。いわゆる社会教育委員の関東地区研修大会ですが、山梨・長野・新潟に静岡県も入ってのものには
 チヨット驚きました。久喜市からバスでの参加です。会場の「ウェスタ川越」は、イベント会場だけでなく、主催の市民向け
 講習会等もある立派な複合施設です。(―上・左―) (―上・左2―)は正面入り口です。研修会場の大ホールはイス席
 1700ですが、ほぼ8割がた埋まりました。地元埼玉は550名の大部隊でした。
  開会前に歓迎のアトラクション、飯能高校チア―リーディング部のダンス(―上・右2―)と、川越鳶組合の皆様の
 「はしご乗り」です。(―上・右―) 久喜でも北陽高校のチアダンス部の皆様に、こうした応援を頂いています。どこも
 同じですね。川越鳶組合のはしご乗りは、川越祭りでいつも披露されるので知られています。この研究大会実行委員長
 が、鳶組合会長とのこと、見事な演技を目の前で見せてもらいました。
  開会行事です。主催者を代表して大会実行委員長、全国社会教育委員連合会会長、県教育長が(―下・左2―)
 来賓を代表して、一昨日知事公館でお会いしたばかりの副事、地元川越市長が歓迎の言葉を述べられました。

  ところでこの研究大会のスローガンは、「今、時代が変わる、人が変わる、そして社会が変わる!~さあ動き出せ
 ¨学び”の先へ~」であり、研究主題は「あなたはどう生きる? 人生100年時代! ~主役はあなた 明るく心豊かな
 社会の実現~」です。このスローガン、研究主題に沿っての講演と、シンポジウムが、今日のブログラムでした。
  講演は文教大学、野島先生の「学びがひらく 豊かな人生」と題するもの、野島先生は久喜にはおなじみの方、
 私の市民大学大学院の卒論ゼミの恩師、4半世紀をこえてご指導を頂き続けています。だからもう10数回先生の
 講演は聞いてきました。正直言って今回の研究大会で、唯一の救いとも言えるものでした。
  まず「人生100年時代」を展望、「後半の人生」に注目しようとされました。そこでの地域コミュニティの大切さ、学びを
 通した地域コミュニティの形成を言われました。人生いつでも学び直しを心掛ける、社会教育を通して、人は地域の中で
 「元気」になれる、元気に学んで「人生100年時代」を生き抜こう、と結ばれました。相変わらず随所にユーモアをちり
 ばめて楽しく聞けるものでした。(―下・左2―)
  シンポジウムは「あなたはどう生きる? 人生100年時代!」がテーマ、コーディネーター、アドバイザーにシンポジスト4人
 の体制、(―下・右2―) 正直言って何が何だかわからないシンポジウムでした。その要因はコーディネーター、とにかく
 自分の考えをしゃべりすぎ、シンポジストの意見を聞き出す、全体の流れを形成していく、が全くない進行、シンポジストも
 コーディネーターの質問に当惑する有様でした。土台人生100年を考えたとき、一番問題となるのはやはり健康問題、
 次に高くなるだろう医療費や、介護費用などを考えての経済面・生活の安定です。こうした現実を全く見ないで、45歳と
 いうコーディネーターが、自分の立場から、学びと活動の継続とやらを、やたら言っても無理というものです。少し、という
 よりだいぶ残念なシンポジウムでした。
  明日は全体会がないため、閉会行事に移りました。来年の会場は新潟県長岡市、全国研究大会を兼ねるそうです。
 「是非お出でください」と挨拶していました。(―下・右―) 
  大会宣言が発せられました。大会宣言は「大会冊子」に記されています。しかし発言者はその軽く3~4倍しゃべって
 いました。何のために「宣言」を大会冊子に記載するのでしょうか。2日目の分科会でもそうでしたが、今回やたらと役員
 挨拶の長いのが目立ちました。とにかく私は男のオシャベリは嫌いです。

  2日目は5つに分かれての分科会です。このうち第1分科会はファシリテーター2人、パネリスト4人共に久喜市の人間、
 久喜の多くの参加者はここに出ていました。私は申し込む際、「どこでも可」としたのですが、第3分科会でした。テーマは
 「市民と行政のパートナーシップ」、進め方はグループ協議とありました。大会冊子を見て、「ありや失敗」と思いました。
 嫌いなテーマですし、嫌いな進め方です。私はパートナーシップとか、協働とかにずっと関わり続けた人間です。今更この
 内容を、しかも初めての人と話し合うことは、大変苦痛だと感じたからです。実際その通りでした。昔はそうではなかった
 のですが、最近初めての人と話し合う、という事が大部苦手になりました。やはり歳をとったのでしょう。それとフアシリ
 テーターの方の進行、間に話された内容もよく理解できませんでした。NPОの団体代表となっていましたが、その活動より
 コンサルタントとしてのそれでは、と思わせるものでした。それとこの分科会の大会冊子内容は、今日の分科会で
 全くふれられなかったものばかりです。どうなっているのでしょう。なお2日目は会議の性格上、写真は撮りませんでした。
  という事で今回の研究大会、どうにも満足感の得られないものでした。
  
   ◎ 令和元年度 ありがとう北斗祭 感謝状を頂きました。 11/2(土)  










  本日午前に北小学校において、令和元年度「ありがとう北斗祭」が開催され、お招きを頂き出席しました。
 様々な形で北小学校を応援している、地域の方をお招きし、感謝の気持ちをお伝えしよう、という会、多くの
 学校でこうした企画のものがあります。私は久喜小のそれには毎回、北小にも多く出席してきました。
  久喜小は私の母校であり、すぐ目の前にあります。古くから多くの関わりを持ち、今は学校運営協議会委員
 を勤めています。北小はもう何年になるのでしょうか。「読み語りボランティア」をしています。私はスポ少が
 活動の中心です。長く子どもと関わってきました。その子供に関することで、議員となって数年後にイヤな
 思いをしました。私にとって大変ショックなことで、スポ少とは別な形で、子どもと向かい合いたいと思った
 のです。「読み語り」を選んだのは、たまたま市立図書館で、そのボランティア養成講習会を開催した事、
 子どものころから「朗読」には自信があったからです。研修を終え久喜小で、と思ったのですが、久喜小は
 PТAのお母さんだけとのことで、生涯学習活動の仲間が多くおられた、「北小」に参加させて頂きました。

  以来も間もなく20年になるかと思われます。市立・または県立図書館で、対象学年・季節等にあった図書を
 選び、家で10数回音読みして、当日朝8:20~30までの間、という形です。最初の頃は1年10日位あり
 ました。その後「読み語り」がブームともなり、PТAのお母さん方と2分、今では5~6日となり、チヨット
 寂しいです。しかし良く続いていると思うこともあります。「読み聞かせ」は絵も見せます。ですから片手で本を
 もち、一杯に伸ばして、垂直に立てながら読みます。だから本と一直線上にあるわけで、最近視力が
 だいぶ衰え、読むことがつらくなりました。「もういいかな」なんて思うこともありますが、目を輝かせながら
 聴いてくれる子どもを思い、1年、また1年と続けてきました。それと北小では、これは11月だけですが、
 毎年市の綱引大会を前に、5~6日綱引の指導にもお伺いしています。

  今日の「感謝の会」は、その後音楽発表会、学年・クラスごとの出店(様々な企画)もあるため、1階に座り
 切れず、2階に立ち見も出るほどの、大勢の保護者が参加されていました。
  児童代表、校長先生の挨拶の後(―左・中―) 壇上にて北小学校運営協議会会長、PТA会長、校長3者
 連名の感謝状の贈呈を受けました。受賞されたのは北小スクールガードのYさん、ロボット博士で知られ、今
 「遷善館学校評価委員」にあるS先生、久喜小もビオトープで大変お世話になっているТ氏、そして仲間の
 河西さん、八木原さんの6名です。このお二人のおかげで、私は長く続けられてきたようなものです。お二人
 には心より御礼申し上げます。また児童からは鉢植えのお花もいただきました。ありがとうございました。
 (―右―)  久喜小でも同様の会がありますが、ボランティアの代表を表彰するのはありません。今まで
 参加してきた北小でもなかったと記憶しています。北小には、私もよく知る熱心な学校を応援する方々が
 大勢おられます。私のような者がいただいて心苦しく思っています。 
  感謝状を頂いて自席へ戻ると、私はすぐ退席しました。もらうだけもらって、すぐ退席とはいかにも心苦しく、
 かつ大勢の方の注目の中で恥ずかしい限りでした。校長先生からご案内を頂いたとき、お許しを得たのですが
 この日、「くきっ子ゆうゆう」、しかも私が担当の「ザ・綱引」でしたのでお許しください。
  とにかくありがとうございました。感謝状を頂けた、でなかったに関係なく、可能な限り活動を続けて参ります。
 ありがとうございました。
   ◎ 久喜高齢者大学校友会設立10周年記念式典 10/29(火) 久喜総合文化会館 










  「久喜市高齢者大学校友会」の設立10周年記念式典が、本日「総合文化会館大ホール」で開催され、
 「市民大学・高齢者大学運営委員会」会長としての立場で、ご案内を頂き出席しました。
  「高大校友会」は合併の前年、平成21年10月に設立されています。現在3代目、私とは古くからの
 親しい関係にある「塚田静雄」氏が会長を務めておられます。開会に先立ち舞台では、沖縄地方の祝い
 もの、「エイサー太鼓」が演じられました。(―左―) 高大校友会からの「市大高大運営委員」である
 岸本氏の司会の下開会されました。まず校友会会歌が紹介されました。市民大学には校歌がなく、代わりに
 「久喜市民歌・喜びの街よ 永遠なれ」を謳います。高大には校歌があります。加えて今回の10周年を
 記念し、「高大校友会会歌」まで作られたことになります。作詞は他ならぬ塚田会長、作曲はいつも高大の
 音楽指導に当たっておられる、東京音楽大学の追川結子様です。会歌の題名は「この街で」です。3番まで
 ありますが、全て「この街で豊かな、この街で学んだ、この街で出会った」、と始まります。そして最後の2行は
 「それが理想の 我が久喜 高齢者大学 校友会」で終わります。素敵な歌でした。
  塚田会長挨拶、来賓祝辞と進み、功労者表彰、特別表彰へと移りました。(―中―)  功労者は設立に尽力
 された麻生様、会員最高年齢の櫻井様、2代目会長の宮島様です。麻生様は故人となられ、奥様が代わって
 出席されていました。また櫻井氏のお歳は93歳、会主催のボーリング大会に、元気に出場されておられるとの
 こと、最近とみに体力が落ちたと嘆く、私など見習いたいものです。
  特別表彰者は、先ほどの会歌の作詞・作曲者に、校友会ロゴマークをデザインされた岸本氏、隠れた才能に
 拍手を送ります。
  その後、会場席に移り、映像で10年間の活動の紹介を頂きました。校友会の目的は1つは親睦、もう1つは
 社会貢献です。949名の会員が72ものクラブで活動しています。歌謡祭・ボウリング大会・グラウンドゴルフ大会・
 芸術文化祭等6つの大会を毎年持っているそうです。そしてもう1つの社会貢献の柱は各種募金活動、今は先の
 台風19号関係の募金活動を展開中とのことです。またボランティア活動は「市民まつり、まなびすと久喜、ゆうゆう」
 などで大活躍のことは、皆様ご承知の通りです。(―右―)
  そのスライドを見ながら、私が初代会長を務め、今もかかわっている「市民大学校友会」との比較を考えていました。
 歴史は市大校友会のほうが6、7年ほど古いです。ただし、そもそも学生数が違いますから、会員数は120名前後と
 だいぶ開きがあります。会員は一向に増えません。私は第1期です。「(市民大学)校友会って活動が見えないんですもの」
 と退会していった同期の言葉を、苦く思い出します。どうにかしなくてはいけません。でも私にはそれだけの気力も、
 体力もありません。悲しいことです。
  高齢者大学校友会の益々の発展・充実を祈念いたします。私も可能な限りご一緒に歩んでまいります。

       ◎ 「くきっ子ゆうゆう」で綱引を指導しました。 10/19(土)









  久喜市放課後子ども教室開設15周年記念式典(11月23日)を前にして、外ならぬその15周年目に当たる
 「くきっ子ゆうゆうプラザ」も、順調に活動を展開しています。教室も多数に上っていますが、今年初めて土曜の
 講座に「ザ・綱引」を組みました。スポレクのページでもう何度も取り上げていますが、久喜市は毎年12月
 第1日曜日に、「久喜市綱引大会」を開催し、久喜小からも多くの参加をみています。参加申し込みが今月末まで
 ですので、今久喜小では参加選手募集中のことと思います。そんなタイムリーな時期に、この講座を組みました。
  ただ多くの人気講座があります。今日と11月2日の2日間のみ、参加者も今日が9名、次回は7名に留まり
 ました。ところで私は毎年11月のほぼ一杯を、綱引指導で各小学校にお伺いしています。だから初心者への
 こうした指導はお手のもの?といえます。
  まず軽い準備体操の後、「綱引」についての説明です。「綱引」は中心選手・エースのいない、全員(8人)が1本の
 綱に思いを込め、協力してこそ成り立つ、究極の「コミュニティスポーツ」です。そのためには1人1人が正しい
 フォームを身につけましょう。正しいフォームとは、「綱」を身体全部の力を使って引くこと、そのためには「綱」を
 身体の正面にしっかり固定します。とお話しして実際に引いてみました。参加人数が2チーム分いないので、他の
 サポーター、保護者の方に協力していただきました。ありがとうございました。お疲れさまでした。
  8人の力を合わせるには、相互の距離=間隔が大切です(―左―)、「テイク・ザストレイン―ステディ ―プル」
 =(位置について―ヨーイ―ドンの綱引用語) 最初のうちはそれぞれがバラバラです。それが(―左2―)のように
 なります。そこで体育館のフロアーに引いてある、ラインを両足ではさんで、まっすぐ引くよう求めました。(―右2―)
 は大部良くなり、ほぼ一直線に引いています。
  「綱引」は大変激しい競技です。普通の生活をしている成人が、2本も引けば「ムカムカ」するほどです。何本か
 引いた子供たちも「アァ疲れた」とフロアーに横たわっていました。(―右―) 
  11月2日にまた元気に参加してください、今月いっぱいですから、みな綱引大会に参加申し込んでください、と
 お願いして1日目を終えました。
  11月に入ると月~金までは、業間・昼休みと各学校にお伺いします。土・日は市民体育祭、国民の祭典・スポ少
 10周年式典、ゆうゆう15周年式典と行事がびっしり詰まっています。魔の11月が迫っています。もっとも私の
 こと、反面楽しみでもありますが。

        ◎ 久喜小・学校給食試食会に参加しました。10/10(木) 











  10日、久喜小学校PТA文化教養部の主催で「給食試食会」があり、「学校運営協議会」の中間と参加しました。
 このニチハ6年生の修学旅行校長不在のため、教頭先生、PТA、学校運営協議会代表のあいさつを受け
 開会しました。まず「久喜市教育委員会学校給食課」の栄養士の職員による講話を拝聴しました。
  「久喜市の学校給食について」と題された講話の中で、子どもたちの1年間の食事の回数は1095回、
 その中で学校給食は6分の1にあたる188回、3分の1のカロリー、50%のカルシウム・マグネシウム、
 40%の鉄分・ビタミンを、学校給食から得ていると紹介されました。学校給食は古く明治22年に山形県
 鶴岡市で始まったそうです。久喜市では昭和29年、久喜小で自校方式により始まりました。最初の給食を
 今でも覚えています。私が5年生の時でした。他の学校ではミルクのみ提供、しかし保護者の要望が強い
 事から52年から、「全農」への全面委託方式で市内全校へと拡大したことになります。ご承知のように
 市内の学校給食は、合併後4地域バラバラでしたが、東京理科大跡地=現教育委員会敷地内に、新たに
 直営による学校給食センターを建設することになります。一応令和3年の2学期からと予定されています。
  市の学校給食の基本理念は、「子どもたちの笑顔があふれる久喜の学校給食」、この理念に基づき
 地場産農産物の使用で、安全・安心な美味しい給食の提供し、食育の充実を図りながら、健全な食生活が
 できる子どもたちを育成する、としています。
  その後「全農」の栄養管理士の方から、今日の献立について説明を受けました。今日の献立は―左―
 御飯・牛乳・レバーとポテトのオーロラソース、小松菜のおひたし、カボチャの味噌汁でした。御飯は大変多く
 残すと悪いので、3分の1ほどに減らしてもらいました。かぼちゃの味噌汁はおいしく飲めました。また私は
 レバーが苦手なため、オーロラソースはチヨットという感じ、小松菜のおひたしは、学校給食独特の味の
 薄いものでした。食べ終えた後、児童は全員しているという「牛乳パックの折り畳み」に挑戦、ぷきっちよな
 私には難しいものでした。―中―
  試食会を終えて、保護者の方もご一緒に、子どもたちの給食の様子を見学しました。前記したように6年生は
 修学旅行、1・2年生の子どもたち中心でした。皆元気に食べており、教室後ろの運搬車の上の食べ物の
 容器は、お替りの子どもたちで空になっていました。良いことです。―右―
  下段で紹介しているように、先日は家庭での「早ね 早起き 朝ごはん 朝ウンチ」の大切さを学びました。
 それと並んで、子どもたちが、給食をしっかり食べることも大切なことです。
  そんなことを思いつつ、学校給食センターが事故なく完成し、市内の全ての子どもたちが、安心・安全
 かつおいしい給食に、歓声を宇げることを願い帰宅しました

        ◎ 久喜小「学校保健委員会」 9/27(金) 

  27日午後、久喜小多目的室で開催された、令和元年度第一回「学校保健委員会」に参加しました。
 先だっての「学校運営協議会」の時、「健康診断」と「体力テスト」の結果について内容と知り、やはり
 スポーツ少年団に関わる者として、子どもの体力については強い関心があったからです。最も私は
 「学校運営協議会」委員として、この「久喜小保健委員会」の委員でもあるわけです。
  さて、この委員会には保護者の他、4年生全員が参加しました。そしてこの4年生に「ヤクルト」の
 方が、「おなか博士になろう」との演題で、おなかの模型や、パワーポイントを使って話されました。
 これが大変面白いものでした。
  まず食事を取る、食べ物は通り道=消化管を通って「胃」に送られる、ここの役割は「消化」、次に
 延ばせば約6mにもなる「小腸」へと進む、ここの役割は「栄養分の吸収」と「免疫」、ついで約1・5mの
 「大腸」、ここの役割は「水分の吸収」と「ウンチ」を作ること、そして「ウンチ」の大切さ、特に決まった
 時間、それも朝することの大切さを話されました。いわゆる健康な生活を送る条件として、「早寝
 早起き、朝ご飯」といいますが、これにプラスして「朝ウンチ」を強調していました。早起きして、トイレに
 座る習慣をつけようとの事です。そして良いウンチ=バナナ状か半球状のものを、とのことでした。
  この「ウンチ」ですが、7割が水分、残り3割はほぼ等分に、1・食べ物のカス、2・腸等の壁から出る
 ゴミ、そして3・「菌」との事、おなかには菌が住んでおり、この数は何と0が14、100兆個、重さにすると
 1人平均1~1・5Kにもなるそうです。この菌ですが、良い菌・悪い菌・中くらいのものとあり、悪い菌の
 代表は「大腸菌」、良い菌の代表は「ヴィナス菌と乳酸菌」、大腸菌は酸っぱいものに弱く、「乳酸菌」と
 争って必ず負ける、だから健康のために「乳酸菌の豊富なヤクルトを飲め」という、これはマァ実に
 見事なC・Мでした。
  でも模型を使っての話を、子どもたちは楽しく聞いていました。そして最後に全員にヤクルトが提供
 されました。おいしく飲みました。ごちそうさまでした。
  さて子どもたちは退席して、次に「保健」の先生と、「体育主任」による、「健康診断」と「体力テスト」
 についてです。男女別・学年別に久喜小の平均値と、県平均・全国平均との比較が出ていました。
  それによれば、特に女子が顕著ですが、やや小柄な子が多いのかなという感じです。また視力が
 低下傾向にある、虫歯が相変わらず多いとの結果も出ていました。
  「体力テスト」の方です。少年団は日体協(スポーツ協会)の「運動適正テスト」を実施しています。
 学校は文科省の「新体力テスト」です。少年団が5科目なのに対し、新体力テストは「握力・上体起こし・
 長座体前屈・反復横跳び・シャトルラン・50m走・立ち幅跳び・ボール投げ」の8科目です。男女別の
 平均値が県平均を上回ったものは、男子48分の21、女子48分の19となっています。小学生時代の
 体力テストの結果に一喜一憂することはありません。大切なことは身体を動かす習慣を身につけ、
 生涯を通して、スポーツに慣れ、親しみ、健康で充実した人生を送るということです、特にそれは基礎
 のときである小学生時代が大切、だから皆さん少年団に入りましょう、とはヤクルトの社員に劣らぬ
 私のC・Мでした。

     ◎ ゆうゆうプラザ開設15周年記念事業  9/21(土)  

  本ページ7/14日付でも報告していますが、久喜市放課後子ども教室(ゆうゆうプラザ)は、平成
 17年「地域子ども教室時代」に、久喜小で開設以来本年で15周年を迎えました。市内全小学校
 23校で開設され、ある意味では日本一ともいえる質と規模で運営されています。これまでの実践を
 称え、将来への発展に資することを目的に15周年記念事業を実施します。
  「久喜市放課後子ども教室運営委員会(飯島祐紀夫会長)」では、20日第3回となる「運営委員会」
 を開催、その内容を決定しました。
  日時は令和元年11月23日(土・祝)です。
  会場は毎日興業メインアリーナです。
  1部式典(表彰式)10:30~、2部ゆうゆうプラザ子ども祭り(ステージ発表、遊びの広場)12:50~
   1部  主催者挨拶
       功労賞と感謝状の表彰
      功労賞は各実施校の初代実施委員長23名と、運営委員会に当初から関わった2名
        私はこの2名(1名故人)の内の1人として表彰されます。マアありがたいことです。
      感謝状は各実施校において、10年以上子活動している実施委員、サポーター等
        くきっ子(26名)、太田っ子(35名)、なでし子(江1小・22名) 等239名
      表彰の後、来賓より祝辞を頂きます。

   2部 ※ オープニングセレモニー (くきっ子の久喜の祭り囃子に乗せて参加者入場)
          主催者挨拶
          教育委員会の言葉
          指導代表宣誓
          オープニングイベント クッキーダンスを踊ろう  北陽高校チア―リーディング部とともに

       ※  演技発表
   ささら(ひかりの子) ダンス(あおばっ子) タヒチアンダンス(ほくとっ子)、新体操(さくらっ子)、K―PОP(けやきっ子)

       ※ 遊びの広場 カーリング ドッジビー 囲碁 将棋 オセロ わりばし鉄砲 モザイクアート 折り紙・他

       ※ 閉会式 抽選会 記念撮影 閉会

  以上の通りです。2部の「子どもまつり」には、約500名ものゆうゆうっ子が参加します。「遊びの広場」が
 盛りだくさん過ぎて混乱しないか心配です。いずれにせよ15年目の集大成となります。最後の準備を
 進めていきます。   

    ◎ 高大授業を参観ました。市大・高大運営委員会 9/6(金) 中央公民館

  私が久喜市民大学・高齢者大学の
 運営委員会会長の職にあることは
 何度か報告してあります。市民大学・
 高齢者大学の入学・卒業の認定、
 カリキュラムの検討等を、その役割と
 しています。本年度第1回の会議を
 本日「中央公民館」にて開催しました。

  会議に先駆け、大集会室にて行われている高大3年生の授業を参観しました。私は高大関係の
 行事には、数多く参加してきました。しかしこういう形で授業その物を見るのは初めてでした。
  3年生の1・2時間目でした。1時間目は歌唱指導、いつも入学式・卒業式で、会場で「校歌」等を
 指揮してくださる溝口先生の指導、先生の歌声のすばらしさにびっくりしました。「見上げてごらん
 夜の星を」、「花は咲く」等謳っていました。写真(―左―)は、手話を入れながらの歌唱です。
  2時間目は「久喜市ゆかりの作家―中島敦―」についての講義、講師は久喜の「中島敦の会・
 斎藤悦男」氏、氏は久喜市職員OB、生涯学習課長時代に親しくご指導いただいた旧知の方です。
 中島敦に関わる多くの資料(掛け軸)を背景に熱心なご教義でした(―右―)。前記した通り高大
 授業そのものの参観は初めて、運営委員として大変参考となりました。

  会議室に戻り「運営委員会」を開会しました。冒頭柿沼教育長がこれからの高大・市大の授業の
 あり方について、単に講義を聴く、という受け身の形から、最近よく言われる「アクティブラーニング」
 主体的に参加し、みなと考えながら問題を解決していく―手法を取り入れたら、との話をされました。
 難しい問題です。そのあと高大、市大の担当指導員より状況報告を受け、質疑・意見交換を行いました。
  何といっても両大学ともに学生数が少なすぎる、(市大=1年生11、2年生12、大学院生5、高大=
 1年生50、2年生45、3年生38、4年生49)、運営上問題が生じるのではとの意見をはじめ、多くの
 意見が出ました。IТ関係器具を多く取り入れては、時代に対応、関心のあるものを、との意見、高齢化
 目立つ(今年度の高大入学者の平均年齢は70歳、中には81歳のスタもおられたそうです。)
  またショックだったのは最近の小中校の統廃合にふれ、市大・高大もそれが選択肢の1つ、との意見が
 出されたことです。私はこうした考えには全く反対です。
  また市民大学生に何かメリットを(カード型のバスの発行等)といった意見が、市民大学生にあり、それに
 賛同するような意見も出されました。意味が良く解りませんが、出たことで評価されるのではなく、学んだ
 成果を活かす活動で評価されるのではないですか、
  いずれにせよ進行役の私は意見が述べられず、血圧が上がってしまいました。高大も市大も学生数の
 減少から、一口に片づけられない深刻さの中にあります。
  運営委の1人として、考え続けていきたいと思います。

      ◎ 論語勉強会に始めて出ました。 8/8(木)

  久喜小の「C・S」に関わる「学校運営協議会委員」に就任したのは昨年4月です。学運協委員に
 なって、一番うれしいことは、学校内のあらゆる行事に出られることです。本ページ昨年の9/17
 日付で報告してありますが、その時もたれた教員の自由学習会としての、「論語」の勉強会にも
 出ています。その時の講師は現「遷善館学園」評価委員で、当時は同じ学運協の委員だった
 H先生でした。H氏は10年以上「論語」を勉強されているそうです。楽しい勉強会でした。早速
 勧められた「安岡定子」氏の「実践論語塾」を買い求め、読んだりしていました。
 その時H氏から、私の中学校の恩師であり、深く敬愛しているH先生の論語勉強会に参加
 していることをお聞きしました。私も入会を申し込んだのですが、丁度一区切りをつける、とのことで
 断念しました。
  しかし今回また新たに勉強会を持つ、とのことで参加させていただきました。毎月1回、会場は
 市内の某料亭です。新発足ということで初めに自己紹介がありました。会員は30名弱、この日の
 出席者は20数名でした。H先生との関係から、教職関係者、ほとんどが顔なじみの方でした。前記
 したH氏もメンバーです。H先生から多くの資料を頂きました。その中の1つ、足利市教育委員会発行の
 「論語抄」がテキストです。この中には「論語」の教え、63が抜粋されています。これを3~5位、
 2年間をかけて、というのが今回の構想とのことです。
  今日は「子の曰く、学びて時に之を習う……」、「巧言令色 鮮なきかな仁」、「剛毅木訥は仁に近し」
 の3つについて学びました。まずH先生が音読です。昔と少しも変わらない澄みわたった声です。
 「子曰わく(しのたまわく)」、このテキストにはカナがふってあります。それには「しいわく」と書かれて
 います。それに対して質問が出ました。「論語」には「孔子」の他、「曹氏」等の言葉もあります。『私は
 「孔子」の言葉は、必ず「のたまわく」と読んでいます。』 との事でした。先生の音読に続いて、全員が
 音読、先生から内容についてのお話しをお聞きします。何人かの方が質問したり、また自説を述べた
 りします。「二宮尊徳」の研究家、郷土・久喜の歴史や、文化財に関しての専門家もおられ、含蓄の
 あるご意見をうかがうことができます。
  「論語抄」の2番目は、「巧言令色 鮮きかな仁」ですが、大部飛んで、これに対極にある「剛毅木訥は
 仁に近し」を学びました。弁舌巧みに仁は少なく、「訥」(とつ、口下手)なる者は仁者にほぼ近い
 ということ、わざわざ離れているものを一緒にやるのは、初参加たる私への先生の戒めか、なんて
 思いながらにやにやしていました。
  毎月、曜日に関係なく、*日に行います。来月は先約があり欠席しますが、その後はまじめに出る
 つもりです。

     ◎ 遷善館学園フォーラム 8/5(月) 久喜中多目的室 











  「遷善館学園」フォーラムが、猛暑の中5日(月) 久喜中多目的室で開催されました。久喜市内の
 全小・中学校は、平成29年度よりコミュニティスクールに移行しています。このコミュニティスクールを
 推し進めるにあたり、久喜市では小中一貫教育を進めています。そんなことで各中学校区に1つの
 C・Sを押し進める「学園」を組織しています。太東中地区は「太東学園」、久喜南中地区は「若木学園」
 そして我が久喜中地区は「遷善館学園」です。これは久喜中地区に郷土の郷学「遷善館」があった
 こと、久喜中地区の3校の校歌に、「遷善館」が登場するからです。
  開会式・閉会式で何人もが挨拶しました。その中の1人の方が、「第1回遷善館フォーラム」と
 言っていました。これが令和元年度の第1回なのか、本来的な意味でのそれを指すのか解りません
 でした。「遷善館フォーラム」なるものは過去行われています。しかしそれは教員を主な対象にしたもの
 であり、企画運営は100%教員でした。今回曲がりなりにも、4校から8名の代表委員による企画
 運営でのものでした。会場は4校の学校運営協議会委員(計40名)、教員・PТA・地区関係等
 140名の参加者で溢れました。(―左―) これは4校でのC・S運動の前進を表すものといえます。
 ただ自主企画・自主運営としては、研修内容は今1のものだったかな、との感を持ちます。

  まず1部の講演です。「遷善館の教育」が演題です。「遷善館学園」はC・Sを押し進めるため、
 久喜中地区・4小中校で組織した架空の学園です。私は初めからこの講演内容に違和感を持って
 いました。「遷善館」を知ろうと思うなら、それは「郷土史」とか「教養」講座での話しです。実際
 講演の中で、C・Sとか、生涯学習に関してのものは皆無でした。
  次に2部の「ワークショップ」です。この方式は久喜市では、自治基本条例を準備する過程で
 行政指導で導入されました。もう20年も前の事です。その時はえらく新鮮でした。しかし最近では
 ここ10年の「まなびすとフォーラム」をはじめ、多くの研修会でやられています。自分の意見を
 紙に書き込んでいく、(―中―) まとめたものを発表する(―右―) という流れもすっかりマンネリ化
 しています。今回も塾議とはいいがたいものがありました。
 
  しかし全て今1だったわけではありません。とにもかくにも140名が参加したというのは大したもの
 です。確かな前進を感じます。しかし久喜では「まなびすとフォーラム」も、「ゆうゆう」の研修会も
 大体これくらいは集まります。チヨット「金太郎あめ現象」も見られます。それと一応自主企画・運営
 だったことです。年に2回くらいは最低やる必要があります。それとこうしたフォーラムの先鞭をとった
 太東学園の、そのまたモデルとなった「さくらっ子フォーラム・久喜東小」のように、「くきっ子フォーラム」
 開催を目指していくことも必要でしょう。そのためにも久喜市教育委員会が、こうした組織にきちんと
 予算を付けねばなりません。教育委員会の「覚悟と本気」を求めるものです。 

     ◎ ゆうゆうプラザ開設15周年記念式典について 7/17(水) 

  天王様・提灯祭り本番を1日前にして、今日は「ゆうゆうプラザ」の研修会=「情報交換会」が
 行われました。私の立場としては当然出られません。「何でこんな日に」と思いつつ、参加申し
 込みはしませんでした。このところ日独準備で、毎日のように教育委員会に通っていますが、
 たまたま昨日「ゆうゆう」担当のО先生にお会いし、「申し訳ありません」とご挨拶したら、「研修
 前に臨時の運営委員会をもちます。重要な会議ですのでそちらだけでもご出席頂けませんか」
 と言われました。祭りの準備も12日前と違い、さほどありませんので出席しました。
  臨時運営委員会の内容は式典に関するものでした。平成17年我が「くきっ子ゆうゆうプラザ」
 で始まった「久喜市放課後子ども教室」は、合併をはさみ、市内全23校に組織され、日本一とも
 言える規模と質を伴って行われています。15周年を記念し、本年11月23日「毎日興業アリーナ」
 で式典を持ち、1部で表彰、午後の2部で「ゆうゆう子どもまつり」を行うことは、このページで報告
  しています。
  1部は記念表彰です。2通りあり、1つは10年以上各実施校でがんばられた方々への感謝状
 です。10年ですから23校中12校が該当しています。10年経過していない残りの実施校は
 10年に達ししだい、順次表彰するという規定も今回制定しています。各実施校から名簿を提出
 していただいています。当然ながら複数校にまたがる方もおられ、実数157名とお聞きしています
  もう1つは全23校の開設に尽力された方、基本的に初代各校実施委員長への功労賞です。
 私は「くきっ子」から、「感謝状」受賞者として提出されていましたが、本日の名簿では「功労者」
 に登録されていました。びっくりもし、またご配慮いただいた役員各位に感謝するものです。
  2部は午後からの「ゆうゆう子どもまつり」です。全23校の実施委員、サポーター、子どもたちの
 参加を頂いてのものです。まず「くきっ子」で行われている、提灯祭りのお囃子にのって、全員が
 入場します。そして「北陽高校チア―リーディング部」の皆様にご指導いただき、全員で「クッキー
 ダンス」を踊ります。
  次は各実施校で行われている「ささら踊り(光の子=江面第2小)」を筆頭に、タヒチアンダンス・
 新体操等を披露していただきます。
  そして最後にフロアーを3つに区切って、フロアーカーリング・折り紙・昔の遊び・プラレール・
 アートバルーン等で参加者に目いっぱい楽しんで頂きます。
  23日はスポ少10周年記念事業の最後となる、「式典」終了の1週間後となります。私も
 すべての重圧から解放されて、1日楽しみたいと思っています。
  多くのゆうゆう関係者の参加をお待ちしています。

   ◎ 令和元年度 文化財講座―提灯祭りについて 7/6(土) 中央公民館 

  本年度の「文化財講座」に出席しました。先日久喜市教育委員会内「文化財課」にお伺いした際
 この講座を案内するチラシを、祭り関係者に配布していただきたい、なる依頼を受けていました。
 今回の講座内容が、「久喜の天王様(提灯祭りの見方)」なるものだったからです。講師は「板垣時夫」
 氏、氏は「久喜市文化財保護審議委員」であるとともに、久喜市教育委員会が八雲神社の調査の
 ため、「さいたま民俗文化研究所」に依頼、研究資料としてまとめた際、中心的役割を果たされた方
 その時以来親しくご指導をいただいています。会場は会議室2つをぶち抜いたものですが、ほぼ
 満員、関係者を始め80名前後、提灯祭りに関する市民の関心の深さを物語っていました。
 
  私もこの齢まで祭に関わる話は多く聞いてきました。しかし今回は専門家からの興味ある話を
 いくつも聞く事が出来ました。
  まず祭りと祭礼について、共に神霊の来臨、神人供食、神送りを内容とするも、祭りは氏子による
 ある地域のもの、祭礼とはそれを見る者がいる都市のそれとのこと。
  次に天王様の夏祭りについて 祭りは本来豊作を願う春と、豊作に感謝する秋のもの、夏祭りは
 疫病除けなどで最後に始まった。(久喜は浅間山の爆発による被災からの脱却)
  久喜の八雲神社は、愛知県津島市に本社(津島神社)のある天王院牛頭天王社(全国に3000社)
 神仏分離により、明治6年天王院から独立、八雲神社となった。
 山車について 世界文化遺産では「山鉾、屋台」なる名称を用い「山車」は使用していない。「出し、花車」
 の名称が古くは使われた。久喜では明治18年、東北線が宇都宮までの開通を祝って、また明治28年
 には、「コレラ」の流行に対して3台、30年には6台の山車を出したとの文書がある。(本一永濱家、
 新ニ榎本家) 山車は降臨する神の拠り所であり、供物入れの意味を持つ。 
  期日 古くは6月に行われていた。明治43年から7月となり、現在のスケジュールになったのは新しく
 昭和56年からといわれる。
  特徴 昼は人形山車、夜は提灯山車 人形は神話に元ずく等身大のもの、本一の素戔嗚尊、新一の
 日本武尊の作者は注目に値する人、提灯山車への転換は全国的にも珍しく、埼玉県では唯一
  人形はまな板(本一)、高覧(他保存会)、仲町は重層高覧 他に本ニの御所車、本一・仲町の脇障子が
 特徴、なお全保存会の日よけ天幕は久喜のみと思われるとのこと。
 マタギと幟 マタギは本一に3、新一に1、幟は本一のみ、中嶋撫山書になる見事なもの
 トンボ(梶棒) 前後にスライドする全国的に珍しいもの
 山車の回転 これも全国的に久喜だけと思われる
 他にごみの収集による祭りの後のきれいさを日本一とほめていました。
  最後に神事と行事として、神事、特に神輿の巡行について感想を述べていました。要するにご神体=神輿
 をもう少し行事に取り入れろということです。これは難しい問題です。私は今のままでよいと思っています。

  私はもの心ついてからこの歳まで、祭り命で生きてきました。しかしどうも故事来歴には関心なく、ただ
 騒ぐだけという感じでした。それだけに今日の話は参考になり、かつ楽しく聞けるものでした。

     ◎ 久喜提灯祭りについて授業しました。 7/4(木) 太田小 

  今、学校での授業にゲストテイチャーという形で、地域の人が多く関わっています。私はご承知の
 ように、議員生活が長かったため、余りお声がかかってきませんでした。一度予定した人より急遽代理を
 頼まれたことがありました。なんと竹馬乗りを教えるというものでした。びっくりしましたが、何とか体が
 覚えていてこなすことが出来ました。懐かしい思い出です。
  今回太田小より、3年生児童へ「提灯祭り」についてお話しいただきたいとの依頼が、祭典委員会に
 あり、私がお伺いさせていただきました。太田小は同じ旧久喜東地区でも久喜東小と異なり、通学
 地域内に提灯祭りの保存会を持たないため、山車引きには参加しておらず、代わりにこういう内容で、
 郷土行事への関心を高めているとのことでした。事前に提灯祭りのDVDを持参、事前学習をして
 いただいておりました。当日は人形山車と提灯山車のパネル、今年の祭典委員会のポスター等持参、
 多目的室に体育館すわりの3年生児童に、45分の授業目一杯に私の話、質疑応答で過ごさせて
 いただきました。どんなお話をすればよいのか、質問はどんなものが出るのか、それなりに緊張して
 いました。事前に参考文献を読み直し、用意させていただきました。
  まず祭りの始まりから、現在の状態までへの経過の紹介、次に昼の人形山車から、夜の提灯山車へと
 変わる山車の構造、久喜の祭囃子について、が約20分、残りが児童の質問へ答えるものでした。
  みんなが元気よく手をあげ、質問は多数に上りました。
  「山車の重さはどれくらいですか?」 皆重さの概念がわからないようで、逆に質問したら「50t」と答えた
 人もいました。空の山車の場合数人で動きます。昼も夜も人形や提灯、囃子方など必要な人が乗って
 通常4tと言われています。
  「提灯の数は?」 電線がなかったころ16段もあったそうです。今は10段から12段です。したがって
 各山車により若干の違いはありますが、普通約500個と言っています。
  「提灯の値段は?、またなんて書かれているんですか?」 提灯1個10万円と答えた子もいました。
 普通で約5、000円です。また提灯には各保存会名が書かれています。
  「山車はどうして回るのですか?」 山車の構造をもう1度詳しく説明しました。4つの車輪がついた
 山車の基礎の部分の上に、屋根を含めた山車本体が固定されず乗っていること、基礎の上部に溝、
 本体の下部(底)に回転補助具(ペアリング等)があること、本当に昔の人は良く考えた、と答えました。
  「山車はどうやって止めるのですか?」 砂利道を走っていた昔は、船のオール状の等身大こん棒
 (手元は握れるくらい、先が太くなっている)を山車の車輪前方に置くことで止めたそうです。今は
 山車の基礎部部に固定された鎖の先端に、A4サイズ位厚さ1cmくらいの鉄板をつけ、それを担当者が
 車輪前方に置くことで止めます。鎖がぴんと張られ、山車全体の力がこれに係りますので、山車は
 完全に止まります。
  「山車の値段は?」 これも10億円、1億円と答えた人がいました。いくら何でもそんなにしません。
 白木のままで2000数百万円、それに色を塗る、金具をつける等装飾して約3000万弱という所です。
  もちろんこれはあくまで山車本体のみ、彫刻その他は別です。
  他に提灯とローソクとの関係を聞かれました。一時期バッテリを電源に、電球にしたら、との指導を
 受けたことがありました。しかしローソクのゆらゆら揺れる明かりと、あの焦げるにおいがたまらないのです。
 これこそ祭りの醍醐味と言ったら皆納得してくれました。
  あっという間にチャイムが鳴りました。手をあげている人が10人以上いました。祭りの時、本部に来てください。
 おじさん(おぢいちゃん)が、現場で説明しますよ。
  ゲストテイチャーとして楽しく、良い経験となった時間でした。
 
    ◎ 「イノベーション力の育成」についての研修会 7/1(月) 久喜小学校

  最近「イノベーション」なる言葉が随所に登場しています。簡単に言えば新しい方法・仕組み・習慣等を
 導入することを意味しますが、プラスしてそうすることにより成長する・拡大するとの意味もあるようです。
  ところで私が学校運営協議会委員を務める、我が母校久喜小ですが、今年の学校教育目標は
 「イノベーション力の育成」です。―新しい価値を創造する力―と解釈してのものです。さすがにこれが
 打ち出されたとき、少なからぬ委員に戸惑いがありました。しかし久喜小が、25年度から4年間取り組ん
 できた、いわゆる「夢創造科」の上に立ち、「汎用的な能力」から、「イノベーション力へ」という説明をうけ
 皆理解しました。「汎用的な能力」=「イノベーション力」=「未来を切り開く人材の育成」ということです。
 イノベーション力をAssist (目的達成を助ける力)、Approach(目的に近づける力)、 Application(目的に適応
 活用する力)とし、それを日々の授業で獲得していこうというものです。
  この「イノベーション力の育成」に関する研究会が、1日(月)久喜小でありました。まず6年生の授業参観です。
 久喜小の良さを表す10年残る「パンフレット」を作ろう、というものです。国語の時間ですが、内容的には
 多くの学科を横断するものです。前記した3つのAに「Art」を加えた4つのAに沿い、1・目的の確認、2・課題の
 設定、3・学習の流れをグループ討論で進めていくものでした。松岡修造を思わせる熱血教師が、熱心に
 授業をしていました。流れの中の1部を見ただけですが、とにかく児童全員が熱心に意見を交換していました。

  次は教師の研修会でした。低・中・高学年に別れての意見交換会、これは先の授業参観に踏まえ、自分は
 どう授業を展開するか、に関わるものですから私は遠慮しました。
  最後はかって久喜小で「夢創造科」の先頭に立たれ、現久喜市教育委員会指導課の「川島先生」による
 30分強の講演でした。氏は児童に寄り添い続けることが出来る教師、自身もイノベーションを起こす、全教職員が
 「チーム久喜小」として進む意識を共有する=「協働的態度」を目指す教師像と言われていました。
  1・目的=ゴール、2・方向性、3・計画=見通し、4・方策、5・実践、6・検証の6つのポイントを押さえた
 授業展開を、とされ、それぞれを説明していました。
  私はこうした研修内容が好きなのですが、内容が実際の授業展開に関わるものだけに、地域に立つ人間
 としては、さすがにやや難解でした。

    ◎ 第16回・男(人)と女(人)のつどい 6/22(土) 中央公民館  

  数えて第16回となる、令和元年度の「男(ひと)と女(ひと)
 とのつどい」が、22日中央公民館で開催され参加しました。
  午前は「ひととひととのネットワーク」を構成する、各種団体
 の発表会があったのですが欠席、午後からの「LGBТ」に
 関する講演会のみ出席しました。
  講演されたのは認定特定非営利活動法人「ReBit」の2人
 1人は女性の方、1人はいわゆるトランスジェンダー、からだの
 性は女性、自認する性は男性、胸(乳房)を除去し、男性に一歩
 近づいたといっていました。「ReBit」とは少しずつ、何度でも
 の意、2009年早稲田大学の学生サークルとして誕生、


 その後法人格となりました。多様な性に対する研修を実施、その他に「LGBТ」の就労支援等を行っています。
 参加者です。この会場はいつも120のイスを並べます。最大時で3分の1強、殆どが行政と「いきいきネット」の
 関係者ですから、市民の関心=理解は程遠いものといえます。
  演題は「多様な性って何だろう、互いの違いを受け入れる社会を目指して」です。まず多様な性・セクシュアリティ
 から始まりました。セクシュアリティの要素は、1・自認する性、2・からだの性、3・好きになる性、4・表現する性
 と4つあり、この4つをかけたものがセクシュアリテイ=性のありかたとのことです。性はグラデ―ションで存在
 する、人の数だけ性の在り方があるというのです。どんな人でも自分だけの大切なものを持っている。その違いは
 私だけの大切なもの、その違いを認め合おう、性の多様性だけでなく、すべての多様性を認め合おう、そして
 一人では無理、みんなで生きていこう、これが結論でした。この結論は講演の中で、繰り返し、繰り返しお二人から
 語られていましたし、この種の講演でどの講師からも必ず言われることです。
  後は人の数だけあるというセクシュアリテイの中で、こういう場合はこう呼ぶと、実に多くをカタカナ語で示して
 いました。私のように心と体の性が一致するのはシスジエンダー、自認する性が男性で、女性を好きになるのは
 ヘテロセクシュアルと呼ぶのだそうですが、どうでもよいこと、興味ありません。
  私は何度も述べてきましたが、「互いの違いを認め合うこと、共に生きていくこと」に何の異議もありません。
 講演者の結論に賛同します。だから「多様な性」、いわゆるLGBТに、十分な理解があるかというと戸惑います。
  例えば私の孫が仮に私にカミングアウトした時、どう対応するか良く解りません。おそらく茫然自失、我を忘れるでしょう。
 どんな対応をするか、その時でないとわからないというのが本当のところです。

  本H・Pの「アラカルト」のページで報告しましたが、私はこの春菩提寺の旅行で本山「長谷寺」を詣でました。
 早朝大きな本堂で共同法要が営まれ、私は両親のそれをお願いしました。寒さに震えながら、その時思いました。
 両親は尊敬に値する優れた両親だったか、というとそうでもないかもしれません。でも今たまらなく恋しく、会いたいです。
  その両親が生み、育ててくれた私は人には「**小町」と言っていますが、さほど美人ではなく、深く愛しているとは
 言えそうもない女房と50年共に生き、3人の子どもをもうけました。その子供が今の私の生きがいであり、例えようも
 なく可愛い5人の孫を生み、育てています。ひとの、社会の歴史とは、営々と続く生命のリレーの歴史だ、と50人を
 超す読経を聴きながらふと思ったのです。一番大切なことは子供を生み、育てることだと、これがなければそもそも
 社会は存在しないと思ったのです。「LGBТ」はこれに関してどう考えるのでしょうか。聞いてみたいと思うのですが
 いつも同じ内容の話ですので多分無理でしょう。

    久喜J・C主催「SDGs」講演会 6/14(金) 久喜総合文化会館    

  14日(金)夜、「久喜青年会議所」主催の「SDGs」(持続可能な開発目標)に関する講演会を拝聴しました。
 「SDGs」については、その言葉、意味等についてはそれなりに理解していましたが、初めて勉強させて
 もらったのは、本ページ本年の2/20日付で報告していますが、久喜小の先生方を対象とする「カリキュラム
 マネジメントシステム」に関する研修会に参加した時でした。「C・М・S」についての研修の中で、「SDGs」と
 「ESD」について学びました。「ESD」とは、持続可能な発達のための教育、持続可能な社会を構築していく
 ための活動・学習を言います。
  講演会はまず理事長が挨拶、続いて「J・C」内担当委員長が問題提起を兼ねた簡単な説明をされました。
 ご承知のように「SDGs」とは、2001年からの「МDGs」を受け継ぎ、2015年国連サミットで打ち出された
 17の目標、169のターゲット、232の指標からなります。貧困、格差、気候変動、不平等などの問題を解決する
 事を目標としていますが、貧困・異常気象・格差等の現実について触れていました。

  その後市内で、総合的学習の時間等で「ESD」に取り組んでいる、久喜小、桜田小、栗橋西小の児童・
 教師、その合間にJC会員の発表がありました。例えば桜田小児童は、福祉の学習で老人ホームで学んだ
 事を、目標3の「あらゆる年齢の全ての人の、健康的な生活を確保し、福祉を推進する」との関わりで発表
 久喜小児童は、ビオトープに触れながら、目標6の「全ての人に水と衛生へのアクセスと持続可能な管理を
 確保する」等について語ってくれました。また栗橋西小は教師が発表しましたが、久喜市教委より「CМS」
 の研究委嘱を受けており、市内で「ESD」への取り組みが一番進んでいるのでしょうか、いくつかの目標を
 報告、特に17の「パートナーシップ」構築について発表していました。また何人かのJC会員の発表の
 中で、女性会員が目標5・「ジェンダーの平等を達成し」に関し、日本の女性活躍度?は149国中110位
 G7中最下位と言っていました。こうした発表の後、基調講演に移りました。時の人ともいえる日本環境設計
 株式会社取締役会長・「岩元美智彦」氏によるものです。

  ところで私は「利潤追求」を第一義とする、会社勤めを経験していません。「儲ける」ということに時間を
 費やしたことのない人間です。ひたすら余暇時間以上のものを、地域活動に使ってきました。だから
 「儲ける」に関する講演はどうしても苦手です。JCが付けたこの講演のタイトルは、「SDGsが私たちを幸せに
 する」ですが、インターネット等で調べると、氏の活動の特徴として「環境は儲かる」という類のものが多かった
 です。そして講演内容はそうしたものでした。衣料からの再生資源化により、化石燃料からの脱却を図る等
 素晴らしいと思います。ただ私には、あくまでも私にはあまり入っていけない話でした。

   令和元年度・第10回久喜市生涯学習研修大会 まなびすとフォーラム
                                        6/8(土) 鷲宮高校

  令和元年度・第10回(合併後の数)久喜市生涯学習研修大会「まなびすとフォーラム」か、8日(土)県立
 鷲宮高校学生食堂で開催され、出席しました。正確には分かりませんが、私としては20年ぶりくらいの
 本体への参加、もう何もおいても猛烈に懐かしかったです。
  私と「生涯学習推進部」とのかかわりについては、もう何度も記してきました。「第一次生涯学習推進
 会議」(昭和63年発足)の解体状況を受け、当時の教委担当者だった、原島現青葉公民館長と2人で
 推進活動の実践家の組織として推進部を組織しました。平成3年のことでした。初代委員長を12年ほど
 務め、2代目委員長、金子氏と交代しました。(現3代目・宮内委員長) 
  委員長当時、推進大会「まなびすと久喜」に次いで、研修大会「まなびすとフォーラム」を組織しました。
 大会内容も改良改善を続け、今のように小グループによる意見交換形式へと至りました。
  委員長を辞した頃、私は県スポ少の副本部長に就きました。この県スポ少の代議員会=年度総会と
 「まなびすとフォーラム」がぴったり重なるのです。最初のうちは、午前中の準備だけ参加していましたが
 それも出来なくなりました。
  加えて「まなびすと久喜」は2月第1土・日です。この日がまた久喜市スポ少本部が、県本部から委託され
 東部地区の多くの指導者が参加する講習会に、これまたぴったり重なるのです。私はこれの責任者ですし
 自身何時間かの講座を担当します。推進部の皆様には大変失礼ですが、このところの推進部は、上記
 2つの大会をやるだけの組織となっています。その2つに出られないわけで、これが私が「推進部」を
 辞した理由でした。
  いずれにせよ今年、私の県本部代議員再登録を事務局が失念、役員在任当時の久喜市の副本部長と
 なったままでした。代議員大会への出席権利がなく、これが今回のフォーラム出席となったわけです。
  とにかく会場の鷲宮高校に入って、猛烈に懐かしかったです。200人という大勢の参加者でした。
 特に高校生の参加者が多いのに感心しました。38名も参加したそうです。主催者皆様の努力に敬意を
 表します。17のグループに分かれての討議でした。私のグループには、高校生、PТA、高大、婦人会
 コミュ協関係者といました。みんなで話し合い、意見を紙に書き、発表するという形式、この形は久喜市
 ではもうだいぶ前から行われており、ややマンネリという感じですが、これが最良の形ですから、やむを
 得ないと思います。テーマは「自分づくりと学び」とは、なるものです。この齢になって「自分づくり」なんて
 言われても困るというものです。もう確立されている?自分の活動を後何年続けられるか、というのが
 すべてである昨今です。そんな発言をグループ内でさせていただきました。
  そんなことで、良きフォーラムだったとか、参考になったとか、そんなことでなく、とにかくなつかしさ
 一杯の半日でした。 

         ◎ 15回目のくきっ子ゆうゆう開校式  6/6(木) 

  令和元年度の第15回目となる「くきっ子ゆうゆうプラザ」の開校式が
 ぶり返した猛暑の中、久喜小体育館で行われました。
  当時は「地域子ども教室」といったこの事業を、市内モデル校として
 久喜小で開校したのは、平成17年のことでした。以来関係皆様の
 熱心な協力をいただいて、旧久喜市内の全校開校→合併→新久喜市
 23校全校開校と進んできました。素晴らしいことです。議会の場でこの
 事業の導入を図った者として、喜びを禁じえません。
  

  今年はこの「放課後子ども教室・ゆうゆうプラザ」15周年を記念し、これを祝う事業がもたれます。11月
 23日(土)、毎日興業アリーナに全関係者の参加を頂き、式典・記念表彰、その他で祝おうというものです。
  「くきっ子」も全力を挙げ、これに参加します。

  さて開校式です。先立ち「サポーター会議」を開催しました。なお今年は100人を超す保護者サポーターの
 登録を頂き、準備のための会場設営等協力を頂きました。また大勢の教室サポーターも参加されました。
  さて15年目に入る今年の「くきっ子ゆうゆう」です。木曜日が学習・そろばん・編み物・ドッヂボール
 スポーツ吹き矢・以後・遊びの広場・パソコン等12教室、土曜日がミニテニス・理科遊び・ロボットを作ろう
 お囃子等15教室、はじめてのパソコン、石鹸を作ろう、そして私が責任者の綱引が新しい教室です。
  開校日は計31日、参加児童数は199名、残念ながら昨年より10名ちょっと少ない数、特に高学年の
 参加減が目立ちました。
  開校式は児童代表の名司会の下に進められ、くきっ子ゆうゆう実施委員長、久喜小校長、PТA会長
 久喜市運営委員会副委員長が挨拶、また6年生児童代表が、力強い「がんばります。楽しみです」と
 挨拶、帰宅班づくりを確認して解散しました。
  15日(土)から教室が始まります。ちょっと夏休みまでは、大変きつい状態にありますが頑張っていきます。
    なお写真は昨年の開校式のものです。

      ◎ 久喜小生徒指導委、CS、社会教育委、他 5/21日(火)

  市内の小学校は多く今週末(25日・土)が運動会です。大型連休の関係で日数が少なく、どの学校でも
 練習に励む子供たちの姿が見られます。そんな日程の合間を縫って、20・21といくつかの行事があり
 忙しいときを過ごしました。
  まず20日(月)です。午前中久喜小の「生徒指導委員会」が開催されました。生徒指導委員会のメンバーは
 学校運営協議会委員、ゆうゆう実施委員、区長、民生児童委、PТA役員他と多数に上ります。開会前に
 久喜小児童との顔合わせがありました。「学運協」メンバ―とのそれはすでに行われています。子どもたちを
 取り囲む大勢の地域の人の、顔と名を子どもたちが覚えることは大変良いことです。
  本年度の第1回生徒指導委員会です。生徒指導担当の先生から、1・今年度の事業計画、2・生徒指導の
 重点、3・いじめ防止対策基本方針、4・あいさつ運動について説明を受けました。
  その後情報交換を行い、6月早々の、「あいさつ運動」への参加を誓って解散しました。

  午後は市内中高校への依頼訪問に、すべての時間を費やしました。このページで報告する内容ではないかも
 しれません。日独同時交流受け入れ事業への協力依頼です。現時点で準備は大幅に遅れています。これから
 急ピッチで進めていきます。20・21の2日間を掛け、11小学校、5高等学校全てを終えることが出来ました。

  今日21日は午前に「社会教育委員協議会」がありました。この会議は教育長が招集する正式の会議ではなく、
 委員長のそれによる自主研修・連絡協議のものです。当面市内の社会教育団体について、理解を深めようと、
 前回は「ゆうゆうプラザ」についてでしたが、今回は何と「スポーツ少年団について」でした。委員長の依頼で
 私が20分ほど話をし、その後は質疑応答でした。私としては慣れ切っている内容のものでしたが、丁度
 タイムリーに、日独同時交流について理解を頂き、大変な収穫でした。
  
  午後は久喜小で「学校運営協議会」、今日は久喜中地区4校合同フォーラムについて、「チーム久喜小会員」
 について協議しました。そして夜、2年目に入り、退任された4名の方、新たに就かれた4名の方を迎えて
 歓送迎会を持ちました。まあ2年に1回ですからこうしたこともよいと思われます。退任された方は、第三者評価
 委員に就かれた方、PТAからの選出で新年度は中学校でその立場で活躍され方等、全員活動を続けられます。
 今後とも久喜小C・Sをよろしくご指導ください。新人の4名の方も、みな優れた実績をお持ちの人ばかりです。
  3年目に入り、地に着いた活動を展開してまいります。有意義で楽しい時間でした。

    令和元年度・埼葛郡市社会教育振興会総会・研修会 5/17(金) 八潮メセナ










    総 会 風 景      表   彰        今野講師による講演

  令和元年度・「埼葛郡市社会教育振興会総会並びに研修会」が、17日八潮市の文化会館・メセナで開会
 されました。かっては17市町あった「埼葛地区」も、合併で5つ減り、宮代町が未加盟のため11市町で構成
 されています。平成30・令和元年度当番市、会長の野口氏のあいさつで開会、八潮市教育長等の挨拶を
 いただいて、会長の議長の下総会に移りました。なお野口氏は私の長きスポ少仲間です。
  さて事業に関する議案です。役員会が年3回、今日の総会及び研修会1日、そして北埼玉も含めた東部
 全体の研修会1日、プラスして県の総会及び研修会、関東地区大会、全国大会となっています。北埼玉は
 現在加須・羽生・行田の3市のみです。ですから私のような平委員は、年2日のみ+1?となります。
  予算・決算に関する議案です。収入は構成市町の負担金、県組織からの助成金ですが、その負担金が
 各市町人口×20銭とあり、苦笑しました。今時、銭の単位が残っているのですね。ですから久喜市は人口
 15万4千人ですから、3万800円となるのでしょうか。役員は2年任期の中間年ということで変更なし、
 すべての議案が承認されています。なお役員と事務局(行政)はローテーションで、きっちり決められており、
 久喜市は当分回ってきません。
  総会を終え、研修会に移りました。講師は文教大学名誉教授臨床心理学を専門とする「今野義孝」氏、
 「地域の豊かなつながりをはぐくむカウンセリングの知恵」と題するものです。
  この内容の講演は論理的に組み立てていくというより、言わんとするところを感性に訴えていく、という
 ケースが多いのですが、今日もそうしたものでした。あなたは「本当の自分」を信じていますか、とまず問い
 そのためには自分自身(時間的・心と身体)、地域、自然、神様や仏様といったものとの「つながり」が大切
 だとされました。「つながり」を育むものとして、良く聴く、理解する、寄り添う、笑顔等をあげました。
  「聴く」は10の目と心で相手の気持ちを聴く、「理解」=under・ standとは相手より低い姿勢で聞くこと
 「寄り添う」とは「そのまま」でいること、そして「笑顔」は人と人とをあたたかくつなぐ、とされました。
  そして最後に「自分が幸せになりたければ、他人を思いやりなさい」との、「ダライラマ14世」の言葉を
 引用、他者を癒すことによって自分も癒される、他者を愛することで自分も健康になれる、「情けは人の
 ためならず」と結ばれました。
  おっしゃられたことはその通りで何の異論もありません。
いろいろ必要な「つながり」の第一に、「自分
 自身のつながり」をあげていました。過去―現在―未来のつながりと、心と身体のつながりだそうです。
  お話をお聞きしながら、いわゆる性的マイノリティにおいて、心と身体はつながっているのか、なんて
 場外れなことをふと考えていました。

  
      ◎ 久喜小・大型連休を終え、諸活動が再開されました。 5/8(水)

  初めてにしておそらく最後だろうと思われる、10日という大型連休が終わりました。諸々の行事を一杯控えて
 一斉に活動が再開されました。久喜小学校では、いつも通り5月の最終土曜日に運動会があります。新しい
 年度となって2カ月足らず、それでなくても大変なのに、今年は練習日が何日か減っています。風に乗って
 鼓笛の音などが聞こえています。残された少ない日々、頑張って下さい。
  「くきっ子ゆうゆう」も15年目の今年度、開校にひと月足らずとなりました。連休明けの昨日・今日と「申し込み
 受付」を行いました。今日の時点で195名の参加申し込みを頂きました。この後追加申し込みがあります。ほぼ
 例年並みの参加者と思われます。やはり木曜講座では「ドッヂボール」、土曜講座では「ロボット・ミニテニス」が
 人気でした。また木曜の「そろばん」が受講者を伸ばしています。
  ところで毎年1つは新しい講座を、とのことで、木曜の「石鹸で遊ぼう」と共に、土曜日に「ザ・綱引」を加えました。
 もちろん担当は私です。久喜小児童も大勢参加する、「久喜市綱引大会」前、11月に2回行います。もしかして
 参加者が少ないのではと思っていましたが、何と11名の申し込みがありました。張り切ってやることにします。

  同じく今日、3年目に入った久喜小コミュニティスクール、学校運営協議会委員と、久喜小児童との「顔合わせ」
 がありました。子どもたち全員に「学校運営協議会委員」の顔と名前を覚えてもらおう、という趣旨です。私は
 委員依嘱後2年目ですが、昨年はなかったこと、やはり少しずつ進歩しているのですね。
  約500名の児童を前に壇上に上がり、教務主任から紹介をいただき、そのあと簡単な挨拶をしました。私は
 『久喜小のすぐ近くに住んでいます。スポ少や、綱引や、ゆうゆうで、顔見知りの人が一杯いますね。よろしくお願い
 します。』と話しました。最期に私たち委員が体育館入り口に立ち、退場する子どもたち全員と手タッチでお別れ
 しました。この子たちの輝くひとみを守り、育む活動に全力で取り組んでまいります。

  この後「PTA総会」、「生徒指導委員会」、「運動会」、6月に入って「朝の挨拶運動」、「ゆうゆう開校」と目白押しに
 各種行事が待っています。頑張って取り組んでいきます。

      ◎ 第19回 久喜市市民大学校友会定期総会 4/20(日) 久喜市中央公民館 

  久喜市民大学校友会の第19回定期総会が、20日(土)中央公民館で開催されました。この日私は栗橋文化会館
 「イリス」で行われた、スポ少野球の東部地区大会代表者会議&抽選会に出席したため、少し遅れました。
 会場の「視聴覚室」に入ったところ、席を探すのに苦労したほど多数参加だったのにびっくりしました。
  さて「市民大学校友会」は、平成13年、1期卒業だった私の責務と考え、設立準備委員長を務め、組織しました。
 初代の委員長を勤め、学校支援ボランティアの組織化等にあたり、校友会の基礎を作りました。以来18年経過した
 わけで、マァ様々な変転がありました。やはり市民大学への入学者数の減少、従って校友会会員数の減少、活動量の
 低迷がありました。役員も1期・1年、順送りだとなり手がなく、2年となりました。第一私の1期生(カレッジ1の会)も、
 校友会の会員数が激減しました。10周年記念事業を終えた年 、多くの会員が辞めました。『もう**歳になったし、
 いいと思うの、それに校友会の活動って見えないんだもん。』と言われたのを思い出します。私は1期を代表し、「幹事」を
 務めています。だから三役以下の役員が、実によく活動していることを知っています。でも一般会員にはそのようにしか
 見えないんだな、とちよっとショックでした。
  さて総会です。52名の出席があったそうです。いつもは40名に届くかという所ですから、最初の私の印象に繋がった
 ようです。事業・会計・役員に関する5議案が全て承認されました。役員は新たに会長「島田」氏以下、18期・19期を
 中心に構成されています。よろしくお願いします。また土屋会長以下16・17期中心の前役員の皆様、ご苦労様でした。
   会計状況ですが1人1000円の年会費が収入源、今年の会員数が118名ですから、15万程度のものとなります。
 事業ですが一般会員も含めた全体会が4回、公開する講演会・親睦旅行各1回、部会(文化・行財政)活動随時、他に
 ボランティア活動などです。
  そのボランティア活動ですが、「市民まつり」と「まなびすと久喜」等、校友会の存在なしにありえないものとなっています。
 他に「ゆうゆうプラザ」の運営委員や実施委員、C・Sに関する「学校運営協議会委員」等に多くの校友会会員がいます。
  やはり「市民大学」と「校友会」は、それなりに意味があり、意義があるのです。
  最後に「その他」のところで発言を求めた私は、「久喜市民大学・高齢者大学運営委員会会長」として、市民大学と校友会の
 今後に関わる新入生の確保に関し、校友会会員諸兄姉の協力をお願いしました。

 
     ◎ 平成31年度 第1回 久喜市放課後子ども教室運営委員会 4/17(水) 鷲宮総合支所

  新年度を迎えて第1回の「放課後子ども教室」運営委員会が開催されました。今年は平成17年に我が久喜小に
 おいて、市内最初に「地域子ども教室(当時)」が開校され、15年目という節目の年にあたり、「15周年記念事業」が
 行われる年でもあります。
  新年度に入り、当然ながら新たな運営委員になられた方もいます。行政の課長を始め数名が交代しています。自己紹介が
 まず行われました。運営委員は総勢41名の多きにのぼります。各実施校の委員長が23名、私のような青少年
 社会教育団体代表、役員で構成される生涯学習推進者、行政代表者等です。
  新しい「運営要綱」が示されました。改正点は、1・放課後児童健全育成事業との連携、2・表彰規定です。表彰規定は
 記念事業において記念表彰があり、それとの整合性を図ったものです。問題は1です。国で平成26年に文科省と
 厚労省の「総合プラン」で、「連携」なるものを打ち出し、ために「要綱」でそれに合わせたものです。これは「建前」の部分で
 「総合プラン」でも「地域の特性に合わせ」と言っています。久喜市の状況で、具体的連携を実践するなど、土台無理な
 話です。でも運営委員はまじめですから、「要綱」等に盛られると、「何をすればよいのですか」となります。今日も
 そうでした。もう同じことの繰り返しはやめるべきです。
  後は年度初の会議でしたので、新年度開校までの準備、年間行事計画等について話し合いました。基本的には例年
 通りですが、今年は「開設15周年記念事業」があります。

  その記念事業です。久喜小で平成17年に「くきっ子ゆうゆうプラザ」が開口されて以来、15年目を迎えます。平成
 22年合併=新市誕生、平成27年市内全校実施と歩んできました。そこで全実施校の参加と共に、これまでの実践を
 称え、将来への発展に資するため15周年記念事業を実施するもので、同時に久喜市合併10周年記念事業となります。
    実施日は本年=令和元年11月23日(土・祝)です。
   ※ 会場は久喜市総合体育館・毎日興行アリーナです。
    午前に記念式典、午後に「ゆうゆうプラザ子どもまつり」を行います
    式典では記念表彰を行います。表彰の中身は1・功労賞、2・感謝状です。2・感謝状は10年以上にわたって活動
      されている運営委員、実施委員、サポーターに贈られます。私は少なくともこの賞は頂けることになります。
      1・功労賞は2の感謝状が実施校が絞られるため(11校)、全実施校を対象に、開設時の実施委員長、+αです。
    午後に「ゆうゆうプラザ子ども祭り」を行います。全23実施校参加、ステージでひぅざで行われているダンス、
      音楽等の発表が行われます。フロアーでは「遊びの広場」、参加者全員ができる遊び、ものつくり等を行います。
   ※ 来年3月に本年度の活動報告書を発行します。それを「記念誌」とし、その内容を含めます。
     アリーナ北側面にパネル展示、北陽高校チアリーディイグと「クッキーダンスを踊ります。」 
  ちょうどスポ少の式典の1週間後となります。実はスポ少の会議でもこの日の希望が多く、設定に苦労しました。私は「式典」
  担当の役員を仰せつかりました。マァ1日1発行事ですから、さほどの苦労もいらないと思います。協力していきます。   
  
     ◎ 久喜市生涯学習まちづくり研究会(まち研久喜)総会 4/16(火) 中央公民館 

  久喜市生涯学習まちづくり研究会(まち研久喜)の、平成31年度総会が、16日中央公民館で開催されました。
 かって「全国まち研」なる組織があり、それに共鳴する、いわばその支部ともいうべき組織が、いくつかの町に
 ありました。埼玉県では久喜市の他、志木市・北本市等でした。しかし今県内で「全国まち研」とのつながりを
 もつ組織はなくなっていると思います。久喜市もそうです。私は平成7年市民大学入学、10年3月同大学院を
 卒業しました。この前後に習志野市秋津の「学社融合研」、福留先生を主催者とする「全国まち研」等の
 研修会に数多く参加しました。いわば一番生涯学習活動にのめり込んでいた時期でした。その勢いのままに
 平成13年「市民大学校友会」、14年「まち研久喜」、15年「学校支援ボランティアの会」を組織しました。
  
  発足の頃の活動は「見知」なる事業でした。街を歩く、見る、知ることを通して、街の良さを発見し、街づくりの
 資源としていこう、そんな活動でした。平成17年に「ゆうゆうプラザ」がスタート、逐次拡大され、ついには
 全校実施に至りました。一般市民・児童に募集をかけても集まらなくなりました。「見知」的事業は、平成22年
 合併 → 各地域を見、良さを発見する、と続いたのですが、会員だけの事業となり中止とやむなきに至り
 ました。そこで行き着いたのが、地域の教育力で地域の子どもを育てる、「ゆうゆうプラザ」への参加でした。
  各自がそれぞれの地元の実施校に参加しましたが、「まち研」として「クリスマスリースづくり」を担当して
 います。だから表面的には「まち研」は、その請負団体的様相を呈しています。堕落したとまで言いませんが
 これでよいのかと皆が思っています。プラスして会員の高齢化があります。新会員の加入はありません。
  会議を持つと「名称変更」から、「解散」の意見まで飛び出します。しかし上記した会の活動の流れの中で
 子ども達の健やかな成長を地域の一員として保証していく、それを地域の活性化につなげていくのだから、
 良しとするか、でいつも落ち着きます。今回もその例にもれませんでした。
   
   NPО法人「全国まちづくり協会」のホームページを時々見ます。いくつかの都道府県に、県単位の「まちづくり
 研究会」が残っていて、サミット的なものをやっています。かって私も参加した「全国まち研」主催の「地域アニメーター」や、
 「まちづくりコーディネーター」養成講習会は、未だやられているのでしょうか。それよりも福留理事長の個性強い指導は
 今も残っているのか、なんて懐かしく思い出します。もう思い返すだけの過去のものとなってしまいました。でも私は
 「全国まち研」の行事や、研修会に足しげく通っていた頃から、自分が後退したとは思っていません。久喜の「C・S」や、
 「ゆえゆう」の活動に、とにかく頑張っていきたいと考えています。
     ◎ 平成31年度 久喜市市民大学・大学院入学式  4/14(日) 中央公民館 

  11日付で報告した「高齢者大学」に続いて、14日「中央公民館・大集会室」において、市民大学の入学式・始業式が
 行われました。市民大学は平成7年開校開校、今年がちょうど25年目となります。今までに480名の卒業生を送り
 出しています。何ども記してきましたが、私はこの1期生、39名の同級生がいました。10期を過ぎるころから急激に
 新入生が減少、10名チヨットとなっています。実は今年も新入生が少なく、一時期は致命的数となっていました。懸命な
 努力でやっと二桁になり、13名まで達したと聞いていましたが、結果は11名でした。卒業生(23期生)が11名、2年生と
 なった24期生が12名、絶望的な思いまでします。私の頃は入学60歳まで、久喜市の生涯学習活動のリーダー養成
 と明確な位置づけがありました。高齢社会の進展とともに、年齢制限も撤廃され、リーダーになるなんておこがましい、
 との要望に応え、「久喜市の生涯学習活動、ボランティア活動への理解を深める」と変わっています。どう努力しても
 数的現象に歯止めがかかりません。しかし私は「久喜市民大学・高齢者大学運営委員長」です。何としても市大・高大の
 明日を保証していかねばなりません。関係する多くの皆様のご協力を仰ぎつつ、両大学運営の基礎となる、数的確保・
 増大に努力していきたいと考えます。
  さて入学式では梅田学長=市長が、『今年は新久喜市誕生10周年の年、オール久喜で街づくりを進めていきたい。
 その中で市民大学生の果たす役割に期待する。』と式辞を述べ、また「歓迎の言葉」で在校生代表が、『共に学び、共に
 活動し、一緒に成長していきましょう』と語っていました。
  下でも報告したように久喜市は市内全小中学校が、コミユニテイスクールに移行しています。各校に設置されている
 学校運営協議会委員に、市大卒業生が多数います。またある意味で、全国一ともいえる「ゆうゆうプラザ」でも、運営委・
 実施委として活動される大勢の方々がおられます。久喜市の多くの地域活動、生涯学習推進活動の中で、市民大学
 関係者の果たす役割は大きいものがあります。一方で最近の学生には「しみん祭り」・「まなびすと久喜」のお手伝い
 に、「強制」、と反発の声もあるとお聞きしています。難しく、厄介な問題です。来週に予定される「市民大学校友会総会」
 で上記したすべての点を、提起しご意見をお聞きしたいな、なんて思いつつ帰路につきました。

   ◎ 平成31年度・久喜市学校運営協議会依嘱所交付式・研修会 4/11(金) 鷲宮総合支所










  久喜市学校運営協議会委員の依嘱式、並びに新年度の第1回全体研修会が、11日鷲宮総合支所会議室で開催されました。
 太東中3校が先行実施され、29年度に全市内小中校が、C・S=コミュニティスクールに移行したわけで、学校運営協議会委員は
 1期2年の任期を終え、2回目の依嘱となります。久喜市の場合委員は1校10名ですから、34校×10名、340名を超す
 出席者がいた訳で、鷲宮総合支所会議室は超満員でした。(―写真・左―) 教育長より各校代表に委嘱状が交付されました。
 前回私は30年度・1年のものでしたが、今回のは令和3年3月末日までの2年間です。
  教育長、来賓として市長より挨拶がありました。教育長はその中で『県内初の全校C・Sへ移行した本市への視察等が絶えない。』
 と言っていました。私は当初、28・29と太東中地区での先行実施、その検討に踏まえていくつかの学校で30年移行、そして
 全校へ、という過程を踏むと想定していました。お陰で私は1年遅れ、チヨット面食らいましたが、C・Sへの移行が努力義務と
 なっている昨今、県内にその流れを作ったという意味で、それなりの評価が出来るのかなと思います。

  そのあと全体研修会、実践発表を東鷲宮小(―写真・中―)、久喜東中学校、太東学園が行いました。お聞きして3つ各々に
 大変に特徴のあった発表でした。
  まず東鷲宮小です。ここは「学運協」・「ゆうゆう」・「コミ協」の会長が同一人物です。そしてここの「コミ協」は活発な活動を
 伴う市内最強とも言える組織です。こうしたことを背景に取り組んだ事業報告でした。「東小けやき祭り」、「東鷲宮地区防災
 フェア」、「子ども見守りステーション」の3つです。こうした事業の展開が、子供の生きる力の醸成になるのですが、やや
 「学び」との関わりの部分(位置づけ)が弱い気がしました。
  それと逆だったのが「太東学園」でした。この発表は昨年夏北海道三笠市で行われた、文科省の「全国コミュニティスクール
 発表大会」でのそれと全く同じもの、「太東学園」は太東中、太田小、久喜東小の3校で構成され、H27・28年度と市教育
 委員会から研究委嘱を受け、28年度から先行実施されました。そうした研究成果と、また全国大会での発表というもの
 として良くまとめられていました。「コミュニティスクールを基盤とした小中一貫教育の推進」を掲げ、社会力・学力・人間力の
 3つの力を伸ばすとし、4つのつなぐ、児童生徒の心・教職員の意識・小中の学び・地域と学校、を実践するとしていました。
  久喜東中は校長先生が行いました。校長として学校経営の難しさ、その中でコミュニティスクールに期待するものが切々と語られ、
 それはそれで聞かせるものでした。久喜市内の学校は今、安定した状態にあります。しかしかっては荒れていたいくつかの
 学校があり 久喜東中もその一つでした。その原因としてあった、最大1500人を擁したマンモス校が363名に減少、従って
 教職員も減少、施設のキャパはそのまま残り、かつ老朽化、管理が行き届かない状況が続いています。その状況の中、学習
 生徒指導の充実と施設設備の整備を掲げ、そのための組織の活性化、家庭・地域との連携強化を謳い、それには
 コミュニティスクールの制度を、最大限に活用していきたいとされていました。

  全体研修会を終え、各校別の協議に入りましたが、久喜小は前記した通り2日前に会議を持ったばかり、早々に切り上げ
 「遷善館学園」4校の話し合いに移りました。(―写真・右―) 久喜中と久喜小・本町小・北小の1中学・3小学校です。
  各校委員の紹介の後、学園長の久喜小校長より「遷善館学園外部評価委員会」の発足の紹介、メンバー挨拶がありました。
 そのあと「遷善館学園」として研修会を持つことなど話し合い、全体を含めての会議を終えました。
  いずれにせよ私はこれで、2019・20の2年間は、久喜小学校と遷善館学園のC・S活動に参加することになります。この
 2年間は私にとって大変な期間となります。まず2019はスポ少10周年、なかんずく日独同時交流受け入れに取り組まねば
 なりません。スポ少活動に私がのめり込んで、45年になろうとしています。その中で昭和59・60年の日独同時交流派遣と
 受け入れは、私の最大の誇りであり、その後の活動の原点となりました。この1年これを成功させ、長きにわたった私の
 スポ少活動の幕引きにしたいと念じています。なんとしても成功させねばなりません。加えて未だ公表できませんが、大変
 重い役職を一つ引き受けざるを得ないかと思われます。さらにこれは100%自分事ですが、これも大きな案件も予想されて
 います。 身が持つかと心配しています。しかしこれも多くの人との関わりの中での事と考えています。
  すべてに全力投球し、悔いの残らぬ活動をし、期間にしてまいりたいと考えています。

     ◎ 平成31年度・久喜市高齢者大学入学式 4/11(木) 総合文化会館大ホール

  平成31年度(2019)久喜市高齢者大学・入学式及び始業式が、11日久喜市総合文化会館
 大ホールで開催され出席しました。私が「久喜市市民大学・高齢者大学運営委員会」の
 会長を務めていることは、何度か報告しています。少なくともこの2年間は高大・市大の
 すべての行事に出席することになります。
  さて入学者数の減少に悩まされている高大(市大も同様)ですが、必死ともいえる努力が
 実り、58名を確保しました。2年生47名、3年生38名、4年生49名ですから、まだまだとは
 言え、反転攻勢の第一歩にしたいと考えます。


  学長式辞で、梅田市長は『久喜市の高齢化率は、ほぼ30%となった。』から、『そうした中、生きがいに満ちた人生をお送り
 いただくため、充実した高大生としての生活を過ごしていただきたい。』とされ、昭和54年(1979)開校、24年の歴史を持ち
 4186名の卒業生を送り出している、「高大」の久喜市の中で占める重要性を話されていました。
  来賓祝辞、在校生の歓迎の言葉、新入生の誓いの言葉と続きました。「令和という新しい時代」、「健康第一に」、「学んだ
 事を地域で活かす」といったキーワードが、多く登場していました。
  新入生の皆様が「学び・クラブ活動・奉仕活動」という、高大生の3大分野でがんばられ、楽しく有意義な4年間を過ごされる
 ことを期待します。「運営委員会」としては、より充実したカリキュラムとともに、新入生数拡大のための方策を追い求めて
 行きたいと思います。

          ◎ 久喜小学校C・S 3年目に入ります  4/10(水)

  昨日入学式を終え、久喜小では新年度の第1回「学校運営協議会」が開催されました。今年度・来年度2年任期の委員の
 委嘱状交付は明後日(12日)となりますが、久喜小での定例開催日に合わせたものです。委員は10名、教員2名、地域代表
 8名で構成されています。異動により教員1名、地域ワクから4名が退任されました。退任といってもPТA役員の交代、新たに
 「遷善館学園」に設置される外部評価委員に就いたため等、この活動から離れる、というものではありません。
  新たに5名の委員をお迎えしました。教員1名、地域4名です。地域4名の方は久喜小児童保護者代表1名、他3名は生涯
 学習推進活動や、学童保育等に関わって来られた方、全員私とは大変親しい関係にあります。

  さて久喜市にコミュニティスクールが導入されて3年、2年前の全市内小中校の導入に合わせ、久喜小もコミュニティスクールに
 移行して丸2年が経過しました。2年前私は未だ議員でした。何としても委員の依嘱を頂きたく、前校長先生に直談判におよび
 ましたが、しょせん無理な話、当然ながら1年前の依嘱となりました。「ゆうゆう」と「C・S」は、私の議員活動の成果と自負して
 います。民間人に戻って、この活動に邁進したいと念じ続けてきました。だから1年遅れの依嘱をいただいたときは猛烈にうれし
 かったです。私は長きにわたった、議会での導入を求める質問にあたり、それなりに勉強していました。しかしそうした理解や
 知識と、現実はかなり違っているなと実感させられた1年間でした。何をしてきたんだと、批判と不満が渦巻いた1年間でしたが、
 しかし今は現実に踏まえ、少しずつ進めていくほかないと考えています。
  私がいわゆる「生涯学習推進活動」なるものに関わって30年を超えます。その中心テーマは一貫して「学社融合」でした。
 習志野市の秋津小を何度も訪ね、「学社融合研」の会員にもなりました。そうした活動での体験です。学校へ何かお願いすると
 「教育委員会が」と言います。教育委員会は「最終責任は学校長ですから」と言います。この相互補完性が「学と社」の関係を
 規定してきたのです。ところで「学校と地域との望ましい関係づくりへの最良のツール」と、C・Sは言われています。このC・S=
 学校運営協議会に関する久喜市の規則では、「協議会は……教育委員会と校長の権限および責任の下……取り組む」と
 定めています。オヤオヤと思うのみです。もちろん全否定するものではありません。しかしそれには教育委員会と校長の、それこそ
 『覚悟と本気』が必要なのです。(30年度県CS研修会での文科省西氏の言葉) 我が久喜小とウワサでお聞きする何人かの
 校長先生を除いて、特に久喜市教育委員会に『覚悟と本気』はあるのでしょうか。
  
  とにかく3年目に入り、久喜小では、従来の校是「自分をつくる」に加え、「イノベーション力の向上」を加えた、新たなグランド
 デザインの下、学校経営に取り組んでまいります。また「チーム久喜小」会員を募集、学・社のつながりを強めていきます。また
 「遷善館学園」内での第三者評価委員会も発足、遅れていた「遷善館学園」としての活動も始めていきます。
  今年は私にとり、スポ少10周年、日独同時交流受け入れ、その他未だ公表できませんが私的なことも含め、大変な1年と
 なります。しかし全力を挙げ、久喜小のC・S活動に取り組んでいく決意です。

          ◎ 平成31年度・久喜小学校入学式  4/9(火)



















  満開だった桜が、葉桜へと変わる中、平成31年度久喜小学校入学式が行われました。久喜小学校は明治6年1月開校、
 今年で147年目に入るという大変な伝統校です。今年の新入生は85名で3学級、なお先日行われた前年度の卒業生は
 63名2学級でした。今年の全児童数は490名、前年度より24名・2学級増加とのことです。このご時世、何をおいても
 増えることは良い事です。
  入学式が始まりました。まず担任の発表 (―上・左―) 僕の先生はこの人だと、皆一生懸命見詰めていました。85名
 全員の呼名です。皆大きな声で返事をし、しっかり立っていました。(―上・左2―) 校長式辞です。『お兄さん、お姉さんは
 皆やさしいです。早く学校に慣れて、楽しい学校生活を送りましょう。』 (―上・右2―) 教育委員会の言葉・来賓祝辞と
 続きました。新入生は緊張しつつ聞いています。見慣れた風景ですが、イスに座っている足底が床に届かず、皆ブラブラ
 させているのが何とも愛くるしかったです。(―上・右―)  2年生代表が「鍵盤ハーモニカ」の演奏をふくみ、「1年生を迎える
 言葉」を述べました。(―下・左―) 去年は聞く立場、1年間の学びの成果をしっかり見ることができました。今度は身体が
 だいぶ大きくなり、6年生全員による「校歌斉唱」です。(―下・左2―) 新入生もすぐ覚えてくださいね。式の最後は「職員
 紹介」です。相当数見慣れない人がいました。教員は異動があるのが何とも大変ですね。(―下・右2―) そして新入生は
 担任の先生の先導で、教室へと退場していきました。(―下・右―)
  明日から授業が始まります。同時に今年・来年2年の「CS―学校運営協議会」の初会議があります。新入生を迎え、1人
 1人の「自分づくり」を魂を込めて支援する学校=久喜小の明日を、さらに充実したものとするための活動に取り組んで
 行かねばなりません。「ゆうゆう」も含め、最大限の努力を誓うものです。
 
          ◎ 平成30年度・久喜小学校卒業証書授与式  3/22(金)











 上左  正装の担任教師の先導で卒業生入場
 上左2 卒業証書授与
 上右2 校長先生式辞 
 上右  卒業証書をかざして 「別れの詩」
 下左  在校生の手話を交えてのエール
 下右  在校生の演奏に送られて退場


  春本番を超えて、初夏の感すらした陽光の中、久喜小学校の平成30年度・卒業証書授与式が行われ出席しました。
 考えてみれば議員という立場で、4半世紀にわたり出席し続けてきたことになりますが、今年から民間人として、それと
 久喜中からはお声がかからず、久喜小のみの出席となりました。久喜中、他の小学校の場合、第何回と回数が入りますが
 久喜小は当該年度だけです。まもなく開校150年となる久喜小では、歴史が古すぎて、それに卒業式の無かった年度も
 あったのでしょうか、とにかく年度だけの呼称となっています。
  今年の卒業生は63名・2クラスです。とにかく少ないな、という感じです。ちなみに新入生は3クラス、あと何年生かが
 2人増え、ぎりぎり2→3学級と、来年は2クラス増えるそうです。
  6年生担当の先生は、男女お1人ずつ、それぞれ正装で先導され、卒業生が入場してきました。開会行事の後、まず
 「卒業証書授与」です。呼名を受け、1人1人が緊張しつつ、壇上へと進みます。昨年までは各自の「抱負・楽しかった
 思い出」等がアナウンスされてのものでしたが、今年はなくなっていました。やはり校長先生が変わると、式も変わるようです。
 2組の最後で授与された卒業生の、卒業証書の番号は第16144号でした。歴史を感じますね。
  「校長式辞」で、穂村校長先生が「安積得也」の詩を引用しつつ、卒業生にエールを送りました。例の「はきだめにえんどう豆
 咲き、泥地からハスの花が育つ」というやつです。私も講演に良く使わせていただいています。「卒業生1人1人は、みな素晴らしい
 タネ、可能性、輝ける未来を持っている。努力を続け大輪の花を咲かせていただきたい。」というものでした。
  来賓祝辞と進みました。私は久喜小で多く議会を代表し、祝辞を述べてきました。何せ私は人前で挨拶したり、演説するのが
 大好きな人間です。「好きこそものの上手なれ」といいますが、この歳まで人前でおしゃべりをし、人後に落ちた例はありません?。
  最期に立候補した5年前から、これで議員を辞することを決めていました。昨今の政治状況の中でも後悔はありませんが、この
 時ばかりはアァ議員を続けていたら挨拶出来たのに、と思いました。度し難いですね!。
  「卒業生記念品贈呈」です。久喜小ではいつも卒業生手作りのものを贈ります。今年はこの度見事に復活した、「ビオトープ」の
 表示板でした。復活にも卒業生の協力を頂きました。ありがとうございました。
  「別れの詞」です。一昔前は「答辞」といって、卒業生代表が個人でやりました。それがみんなで、となってどこもこの形式になりました。
 卒業生が全員壇上に昇り、これまた「送辞」を読む側の在校生と向かい合い、思い出、学校への感謝を語り、エールを交換しあうのです。
 最初これを見たときは大変新鮮でした。これでよいのだと思いました。しかし最近チヨット長くなりすぎています。マア卒業式という
 大切な儀式ですから、仕方がないといえばそれまでですが、この日もややクドイ感じでした。
  最後に校歌をうたって閉式です。母校の歌はいつ聞いてもよいものです。月が草から出て、草に沈むという明治末期の久喜の
 風景を謳った巌谷小波作の校歌を歌って閉会となりました。
  卒業性諸君の前途を祝します。僕はこれからも久喜小をずっーと見守り、一緒に歩いていきます。

      ◎ 社会教育委員研修・公民館活動について 3/18(月) 桶川公民館  

  下段で紹介した「社会教育委員会議」の時、この研修会の案内を頂きました。
 私は「社会教育委員」は新人ですので、出られる限りはと思い、参加しました。
  案内文を読む限り主催がはっきりしていませんでした。会場で、かって久喜市にも
 あり、当然ながら埼葛地区、県とあった「公民館運営審議委員会」が桶川市には
 現存すること、正し桶川市が属する「北足立」地区の組織は4年前に解散したこと、
 それに伴い研修機会がなくなったことから、広く他地区の社会教育委員にも呼び
 かけ、今日の会を持ったことを知りました。従って研修内容は、社教委でのそれ
 には余りない、「公民館の歴史」・「今後の展望」といった内容でした。


  とにかく朝9:00~16:10まで、80分の講演3本と、90分のシンポジウムというハードなものでした。講演は
 1・公民館の歴史と展望 群馬大学講師 植原孝行氏
 2・公民館とコミュニティセンター 立正大学教授 大島秀樹氏
 3・社会福祉と社会教育 群馬医療福祉大学講師 永澤義弘氏 のお3方、シンポジウムは上記3人をシンポジストに
  熱心なんだろうと思われる桶川公民館長(職員)がコーディネーターで、参加者の質問に答えるものでした。
  3人の講演内容をそれぞれに紹介すると、長くなりすぎますのでかいつまんで報告します。   
  
   公民館は戦後すぐ、昭和21年・1946の文部省次官通達に始まり、24年・1949の「社会教育法」によって法的地位が
  確立されました。図書館・博物館とともに、3大社会教育施設とされていますが、左記2施設は明治初期のスタート、公民館は
  戦後の復興を地域住民の文化教養・自治意識を高めることで、を狙いとしたものです。歴史は浅いのですが、施設数でいうと
  公民館約1万5千、図書館3300、博物館1250と圧倒、年間利用者・参加者数は(平成26年)公民館2億260万人、
  図書館1億8400万人、博物館1億3320万人となっています。公民館は全国画一でなく、それぞれの時代と地域課題に
  応じて運営されてきました。例えば公民館で運転免許証を得る、簡素な結婚式を挙げる、過疎地域では地域振興を図るため
  産業を興す、といった事業も行われいます。とにかく地域住民の自治意識の高揚、文化教養の向上に、公民館活動の果たして
  きた役割は大きいものがあったといえます。
   しかし時代の変転に公民館も巻き込まれつつあります。首長部局の類似施設としての「コミュニティセンター」の誕生です。
  合わせて 公民館数そのものの減少、講座のマンネリ化と減少、利用者の固定化という現象です。また指定管理者制度の
  導入が大きなうねりとなっている昨今、そうした心配もあります。
   こうした課題に対する特効薬はない、公民館は地方分権の施設、住民参加の下、多様なネットワークを形成し、今まで
  培ってきた地域関係を生かしながら、それぞれの地域に応じた学習と活動を展開せよ、こんな結論でした。

   お3方の講演は結局それしかないだろう、という結論に至るものでした。シンポジウムで私は大島氏の講演にあった、政治学者
  松下圭一氏の「社会教育の終焉」と、久喜市も今年から始まる、図書館への指定管理者制度導入について考えを問いました。
  前者については講演時と異なり、否定的でした。後者についてはお3方とも反対との立場、我が意を得たりの思いでした。しかし
  文科省ですら、ある一定の要件を加えながらも、公民館へさえも指定管理者の導入を容認しています。久喜市でも図書館→
  博物館(郷土資料館) → 公民館へと進むことが考えられます。十分注意しつつ見守っていきたいと考えます。
 
         年度末の諸々の会議を終えました。 3/ 14(木)

  3月も半ばとなりました。間もなく中・小と卒業式、そして新しい元号を迎えます。私が関わる諸活動の平成最後の
 年度末会議、6(水)社会教育委員会、8(金)久喜市放課後子ども教室運営委員会、12(火)久喜小学校運営協議会と、
 次々と開かれ、新しい年度への態勢を打ち固めています。
  「放課後子ども教室運営委員」だけが継続で、残り2つは昨年新たに依嘱されました。議員を辞め民間人となり、
 どうしてもやりたい活動は、「学校運営協議会委員=C・S」と、「スポーツ推進審議会委員」でした。社会教育委員は希望して
 いませんでしたが、結果やってみてよかったと思っています。スポ推進委はおそらく今年度会議が開かれてないと思います。
 嘆かわしいの一語に尽きます。
  「社会教育委員会」では、平成31・2019年度の、①生涯学習課、②中央公民館、③中央図書館、④文化財保護課
 に関わる全ての事業を承認しました。①生涯学習課が関わる事業は、1・生涯学習、2・スポーツ推進、3・人権、
 4・文化振興の4つです。混迷を続ける「生涯学習センター」整備問題が大きなポイントとなります。スポーツでは
 「マラソン」だけに偏るな、と誰かが注文を付けていました。③図書館では新年度から「指定管理者制度」に移行します。
 開館日数・開館時間の拡大等をPRしていましたが、体育施設でも同じでした。しかしピッチの整備とか、フロアーへの
 ワックス掛け等、市民サービスは着実に低下しています。しっかり「公」が指導するよう要望しました。
  「公民館」は、公民館をそのものとして整備することは、もうあり得ない状況となっています。館の未整備状況、特に
 旧3町地区の活動の脆弱性等々、今、大きな曲がり角に来ていると言えます。
  「久喜市放課後子ども教室運営委員会」です。平成17年久喜小で開校以来、来年度で15年という節目の年となります。
 今市内全23校に組織され、参加児童数、サポーター数も日本一の規模を誇っています。誕生に関わった者として感無量
 なるものがあります。本年11月23日(土)に「毎日興行アリーナ」で、記念事業を行います。その内容が了承されました。
 ただ表彰規定に異論が出され、持ち越しとなりました。いずれにせよ今までの足跡を振り返り、さらなる充実を目指すものと
 して、記念事業を成功させるべく頑張ります。
  「久喜小学校運営協議会」です。毎月1回持っていますが、1期2年の最後の会議となりました。私だけが委嘱され1年です。
 10名中、3名の方が辞任されます。4月(来年度)市内全員への、2年間の依嘱状が交付されますが、久喜小では後継者は
 内定されています。それと来年度の久喜小のスクールプランが、ほぼ出来上がり、皆で話し合いました。昨今の教育関係には
 目タラやったら英語が多いのですが、新しい「プラン」も同様です。内容的に異論はありません。来月に新委員を交えて会議、
 そして全市内新委員への依嘱場が交付されます。なりたくて、やりたくてなった委員です。全力投入していきます。

  いずれにせよ新年度は「スポ少10周年記念事業、日独同時交流」が待ち構えています。目の回るような1年となります。
 身体がもつか、との恐れもありますが、自分はこの世界しか生きられない人間ですから、すべてのことに頑張っていきます。

     ◎ くきっ子ゆうゆうプラザ懇親会 3/7(木) カントリーハウス・ウインザー 










  本ページ2/14日付で報告したように、「くきっ子ゆうゆうプラザ」も30年度の活動を終えました。15周年に当たる
 31年度の活動まで、しばしの休憩となります。もっともその合間も私たち実施委員は何かと忙しいのですが。
  さて30年度のご労苦をねぎらい、来年度活動への充電の機会として、「サポーター会議」を兼ねた「懇親会」を7日(木)
 開催しました。会場は「カントリーハウス・ウインザー」です。ご存知でしょうか。いわゆる4間道路、立体交差の道と
 市役所通りとの交差点近くにあります。ここのH・Pがあります。詳しく知りたかったのですが、営業案内ばかりでした。
 ですので以下は推測です。イギリス・ロンドン近郊に、今もイギリス王室の公邸として使われている「ウインザー城」が
 あります。ここの利用駅名も「**ウインザー」となっていますから、地名と思われます。ここのヴイクトリア王朝時代の
 建物を、市内にお住いのH氏が、平成元年に復元したものです。相当部分を日本まで運び、関税の手続きが大変
 だったとお聞きしています。3階建て、2つの塔、外壁はくすんだ赤レンガ(―左2・テラスから―)、内壁は漆喰、床
 階段等黒のフローリングとの対比が見事、窓ガラスはステンドグラス(―右2―)、照明はチヨット暗いですが、シャンデリア
 (―右―)、また机・イス等、アンティーク家具も用意されており、各種撮影、ロケ、イベント等に貸し出されています。
  「くきっ子ゆうゆうプラザ」実施委員k氏が、管理を任されていることから、いつもここを使わせていただいています。

  今回40名のご出席をいただきました。柿原実施委員長挨拶の後、来賓として運営委員会副会長、久喜小校長、
 PТA会長の挨拶をいただきました。お茶で乾杯の後、懇親です。とにかく安価で、とお弁当のみ実費、お茶、コーヒー
 等は女性実施委員がポットでお湯を持参、あとはセルフでという形です。全員の自己紹介、みな活動への充実感と
 来年度への抱負を語ってくれて大変さわやかでした。そのあとビンゴゲームに興じたりして、あっという間の1・5時間
 でした。最後に「締め」の挨拶の中で私は、『今年は市全体・くきっ子の15周年の年、「くきっこゆうゆう実施委は暖かい
 人間関係にあふれたいこごちの良い場所、子どもの居場所は大人の居場所、これからも今まで同様、この15年に
 先鞭をとった者として、活動を続けていきましょう。』と挨拶しました。(―左・和やかな会場風景―)

   ◎ 平成・30年度久喜市民大学・大学院卒業式並びに修了式 3/3(日) 中央公民館  

   久喜市市民大学(学長・梅田修一久喜市長)の
 平成30年度・大学と大学院の卒業式並びに
 修了式が、ひなまつりりの日というのに、冷たい
 雨の降る3日(日)、中央公民館大集会室で行われ
 ました。今年の卒業生は23期生、ですから
 春4月の新入生は25期生となり、私の1期入学以来 
 四半世紀の歴史を刻んだことになります。

  副学長・柿沼教育長の「開式のことば」、「国歌斉唱」についで、証書の授与に入りました。
 まず「卒業証書授与」、23期生となる今年の卒業生は12名、ここ数年ほぼこの程度の数となっています。「卒業証書を
 授与する。まなびすと学士の称号を授与する」とする、卒業証書の最後の学籍簿の方の番号は489号でしたから、未だ
 1学年平均20名を上回っていることになります。私の時は39名でした。なんとしても入学生数の確保が、これからの
 大きな課題となります。続いて大学院生5名への「修了証書」の授与、この方たちの卒論は、本ページ2/26日付で
 お知らせしてある通りです。修了証書の最後に「まなびすと博士」、そして卒論テーマに沿って「教育博士とか日本語博士
 を授与する」との文言がありました。良いことと思います。ちなみに大学院修了者総数は183名でした。最後に1年生の
 終了証の授与、これまた12名でした。
  学長式辞・来賓祝辞に移りました。梅田学長は式辞で、「私は子供の未来が輝く街・活気に満ち溢れた街・シニア世代が
 活躍する街を掲げている。そのためには生涯学習活動が充実せねばならない。卒業生に大いに期待する。」と話され
 ました。そのためにも市長、「生涯学習センター」のきちんとした整備をお願いします。 
  そのあと在校生代表の「送辞」、卒業生代表の「答辞」、「久喜市の歌」斉唱で閉式しました。
  写真は 左(卒業証書をいただく卒業生)、(拍手に送られ退場する卒業生)です。

  さて私がこの2年間久喜市民大学・高齢者大学の運営委員会会長職にあることは、すでに報告してあります。
 これから両大学の入学者数の増加策を図る作業が待っています。何度か記してきたように抜本策は難しいかと
 思われますが、運営委員会のみならず、大勢の方のお知恵を拝借していきたいと考えます。

    ◎ 久喜小研修会 カリキュラムマネジメントシステム・他  2/20(水) 久喜小 

  これも本ページの13日付で報告した「天体観望会」同様、「学運協」委員たる故、感謝申し上げます。:研修内容は
 「カリキュラムマネジメント」についてです。「カリキュラム」とは、学校等組織的教育において、一定の教育目的に合わせ
 教育内容と学習支援を総合的に計画したものを言い、良く「教育課程」とも言われます。そのマネジメントとは、学校の
 教育目標をより良く達成するために、組織としてカリキュラムを作り、動かし・変えていく、継続的・発展的な問題解決の
 営みです。新学習指導要領において、いわゆる「アクティブ゛ラーニング」と共にキーワードの1つとされています。
  久喜市教育委員会では昨年から「栗橋西小」に研究を委嘱、久喜小でも本年からこの依嘱を受けるべく、今日の
 研修となりました。
  講師は教育委員会のk氏、持参された冊子と、文科省「小学校指導要領解説・総則編」が資料でした。
  まず最近の研修会では必ず入る、「これからの社会について」から始まりました。少子化・超高齢社会、人口特に生産
 人口の減少、そうしたことを紹介された後、内閣府が述べている「Society5・0」社会に触れられました。それは狩猟社会
 1・0、農耕社会2・0、工業社会3・0、今までの情報社会4・0に変わる、我が国が目指す未来社会です。現実空間から
 センサーとIоТを通じて、情報が集積され、それをAIが解析し、高度な付加価値を現実空間にフィードバックする社会
 です。文字に書くと難しいですが、要するに今は変化が激しく、予測困難な社会だということです。そうした時代を生きて
 いく、まさに「生きる力」をはぐくむ教育が更に重要になるということです。それは「従来型の学校、そして教員」だけで
 解決できるか、ということです。これからの学校は「社会に開かれた教育課程」のもと、カリキュラムマネジメントを展開
 せねばならない、というのが序論でした。社会に開かれた教育課程の中身に進みました。
  ①より良い学校教育を通して、より良い社会を創るという目標を持ち、その目標を社会と共有していくこと、
  ②これからの子どもたちが人生を切り拓いていくために、求められる資質・能力を明確にし育むこと、
  ③ この実施にあたり地域の人材・資源を活用、社会教育と連携、目指すものを、社会と共有・連携しつつ実現すること。
 そしてカリキュラムマネジメントの3つの側面について話されました。
  ① 教科横断的な視点を持つこと
  ② 動かし、変えていく持続的問題解決の営みから「評価」の大切さ、「P・D・C・A」サイクルの確立を図ること
  ③ 地域の人的・物的資源を活用すること   です。

  この後、「SDGs」と「ESD」について触れられました。最近はやたらとこうしたアルファベット頭文字の単語が多く、面食らい
 ます。よく考えれば「S」は「Sustainable」、「D」は「Development」、「 G」は「Goal」、「E」は「Education」となるのでしょうか。
  したがって「SDGs」は「持続可能な開発目標」、「ESD」は「持続可能な開発のため教育」となるのでしょうか。「ESD」は
 我が国が「ユネスコ」に提案したもので、言葉とぼんやりした概念だけは知っていました。共通するのは、1人1人が持続
 可能な社会の担い手となる、世界につながる日本人=子どもを育てていくということなのでしょう。
  最後に「教えるとは希望を語ること 学ぶとは誠実を胸にきざむこと」という、フランスの詩人の言葉を引用、研修された
 先生方に覚悟と本気を促していました。k講師の今日のお話は、学運協の委員としてコミュニティスクールに、また放課後
 子ども教室に関わっている者として、きわめてスムーズに聞けた内容でした。コミュニティスクールの今後は、「社会に開か
 れた教育課程」の実践、どんな久喜小児童を育てるのか、そのために久喜小はどうあるべきか、を地域と学校で共有する
 ことにあるからです。
  前記したように、自らが関わる今の活動から、良く理解でき楽しく聞けた研修でした。「誠実を胸に刻み」つつ家路につきました。

  追記、実はこの後もう1つ研修がありました。「IGS」なる会社の営業マンによる、「Ai GROW」について、です。資料はありま
 せんので話を聞いただけです。詳しく書くと長くなりすぎますので省略します。「IGS」なる会社は企業の就職にあたり、就職試験
 問題を作ったり、実施している会社です。普通は学歴とか、知識・頭脳・スキルといった試験で採用します。それを3重の円を
 描き、一番内部に気質、2番目にコンピテンシー、一番外側の円にそれこそ知識・スキルといった内容を問い、それをAIに
 よって可視化するものです。すでに多くの一流企業で採用されています。「Ai GRОW」とは、これを学校教育・教育機関向けに
 新たに開発したものです。生徒の能力・可能性に加え、教育による効果を可視化し、様々な学校経営に生かしていこうとする
 ものです。試験はタブレットとスマホのみで行うそうです。前記したように資料がなく、お話を聞いただけの私の理解によります。
 少し理解不足かもしれません。お許し下さい。しかしk氏のお話ではありませんが、社会のみならず教育の世界も変化が激しく、
 予測困難です。チヨット前までは、こうした話を企業の、しかも営業マンから聞こうとは、それこそも予測しませんでした。しか
 しこうしたことも、カリキュラムマネジメントに役立てようと、熱心に参加された諸先生方と、着目された校長先生に敬意を表します。
 
  ◎ 平成30年度・久喜市市民大学大学院卒論発表会 2/16(土) 久喜中央公民館大集会室

  昨日の高大卒業式に続いて、「市大・高大運営委」として、「市民大学大学院研究発表会」に
 出席しました。ご承知のように「久喜市民大学」は2年生、開学当時から1年の「大学院」を
 併設しています。大学・大学院共に1期である私の時は、入学39名、その8割は大学院へ
 進みました。最近は入学者10台半ば、大学院進学者は数名という状況です。それと私の
 頃は大学院に「コース・ゼミ」が設けられており、進学者はそれを選択しました。例えば「生涯
 学習ゼミ=野島先生」、「家庭教育ゼミ=岩崎先生(青葉在住・埼大名誉教授)、「郷土史
 ゼミ=故山本先生(吉羽在住・久喜市文化材審議委員)」といったように。アト「環境ゼミ」が
 あったという記憶があります。今はどうなっているのでしようか。今年大学院生は5人でしたが指導の先生は2人、
 研究内容は多岐にわたっていましたが、個人の嗜好によるようです。
   1・「私立学校明倫館と宮内家」、2・「関東造盆地運動発生メカニズムの考察と考古学的検証」、3・「新井白石と野牛村に
 ついて」、4・「日本語 その歴史と特質―日本語は素晴らしい―」、5・「武蔵の国鷲宮神社―刀禰上流以南修治告成碑の建立・
 近郷住民の拠り所」の5つです。まず全体的な感想です。正直言って大学院生の熱心さ、真摯な研究態度に敬服しました。
 毎年ではありませんが、私はよくこの「研究発表会」を拝聴します。良く研究してありレベルの高いものでした。それにもう1つ、
 発表の際のパワーポイントの見事さです。よくここまでと思えるものばかりでした。この種のものが使われるようになったのは
 いつ頃からでしょうか。本HPの「スポレク」のページによく報告していますが、私は今でも年間10講座を超えて、スポ少関係講習会
 の講師を務めています。おしゃべりと自分で作ったレヂメのみです。「パソコンは使われますか」と、お伺いする教委事務担当者に
 聞かれます。お恥ずかしいことです。

  1・「私立学校明倫館と宮内家」です。久喜市を教育の街といいます。その原点は「遷善館・幸魂校舎・明倫館」と受け継がれてきた
 歴史にあります。発表者は平成元年に亡くなられた宮内家13代目「宮内勝」氏のお嬢様のご主人です。その奥様もこの日会場に
 来られていました。私の久喜中の1年先輩、今でも親しくご交際をいただいています。「勝」氏のお子様は女性ばかり、宮内家は13代
 で途切れたことになります。発表者は宮内家に住み、義父から受け継いだ膨大な資料を所有しています。宮内家は藤原家の出、
 鷲宮神社の神主を経て、現在の江面に封居、一橋領の名主職として先代まで続いてきたことになります。11代目「宮内翁助」は、
 衆議院議員を3期務め、「中島撫山」から「皇漢学」を学び、また田宮流剣道の達人でもありました。明治26年「中島撫山」の次男
 「中島端蔵」を初代館長として、同地区に明倫館を設立、のちに2代目館長を務めました。宮内家12代目の「宮内淳」は後に
 明倫館3代目の館長として明倫館の充実、地方教育の振興に尽力されています。「明倫館」は昭和昭和10年廃校となるまでに、久喜
 周辺に1881名の人材を送り出し、地域振興の大きな推進力となっています。
  
  2・「関東造盆地発生運動のメカニズムの考察」  私の一番興味関心の薄い部分です。従ってこうした研究に取り組む人は訳もなく
 尊敬してしまいます。要するに私たちの住む久喜市=関東平野は平だが、それは河川が運ぶ土砂が堆積したもの、それらを取り除く
 と、その下の基盤岩は盆地状で、今なお沈下が続いている、この関東盆地運動のメカニズムについて調べたというものです。
  そのためには日本列島の状況、大陸プレート、海洋プレートの問題、布いては地球規模でのプレートの動きに関係するマントル対流の
 考察と発表は続いていきました。私には理解ではない部分ですが、とにかく「流れ・動き」まで加えたパワーポイントが、実によくできており
 これを見ることで救われました。またよく調査研究しており、行田崎玉古墳近くには、多くの古墳があったが、地殻の沈みと堆積により
 地下に埋まっているとのこと(埋没古墳)、良く判りました。研究に至った発想と熱心さに敬意を表します。

  3・「新井白石と柳生村」 柳生村というのは現白岡市の1番久喜に近い所、東北道の側道に沿って進むと宇都宮線の踏切がありますが
 その周辺です。私の隣家の祖母はここから嫁いでいます。ここの領主がかの「新井白石」だったとは、発表者同様私にも驚きでした。
  新井白石の領地は他にもあり、ここには一度も足を踏まなかったともいわれています。しかしこの辺りは菖蒲地区から続く、池沼の多い
 良く水害に見舞われた荒れ地でした。そこで「白石」は、「白井堀」と呼ばれる排水路を開削、収穫量を倍増させたとのことです。これから
 この周辺の美田を見ると、政治と学問が統一されていた人・「新井白石」の功績をしのびたいと思います。

  4・「日本語は素晴らしい」  6~7000語といわれる言語のうち、ここ10年で消滅すると思われるのは、アイヌ語等2500語もあるそうです。
  日本語は使用する人口数は第9位ですが、英語・スペイン語等と比べ、使用は日本だけ、世界的影響力は少ないと思われます。しかし
  日本語は素晴らしい、との視点から、まず日本語の形成の歴史を丁寧に述べられました。次に英語は1000語、フランス語でも5000語を
  覚えれば、通常の日常会話ができるのに、日本語は22000語を覚えないとダメとのこと、「私」の1人称も英語はI、ドイツ語はIchと1つ
  ですが、日本語ではすく10以上あげられる、一言でいえば日本語は素晴らしく、魅力的で、複雑であるとされていました。最期に最近日本語
  を乱しているのは「マスコミ」であると警鐘を発し、またグローバル化に隠れた、安易な英語使用にも苦言を呈していました。

  5・「刀禰上流以南修治告成碑の建立」  これは鷲宮神社の拝殿前に立つ、大きな灯篭型の石碑です。ここに刻まれている文字からこの
  研究は始まりました。1742年関東地方を襲った大雨により、刀禰(利根)上流以南(本庄市~栗橋周辺)で、いたるところで洪水が発生、
  大きな被害をもたらしました。このアト修理を命じられたのが、毛利藩です。毛利藩は莫大な資金を使い、100万人余の農民を動員、この
  「お手伝い普請」を終わらせました。要するに徳川幕府の政策=外様大名対策から来ているものです。石碑はこの時の毛利藩の業績を
  後世に残すためのもの、そしてそれにふさわしい場所として選ばれたのが「鷲宮神社」だったということです。加えて近郷住民の拠り所として
  あった「鷲宮神社」のいくつかの行事、建造物等を紹介していました。

  全員が熱心に取り組み、かなりレベルの高いものでした。何度も記していますが、発表に用いる「パワーポイント」の見事さに敬服しました。
 ただ5人発表という今日の形式では、1人の持ち時間が決まっているはずです。大幅な時間延長の人がいましたが、これは内容の如何を
 問わず良くないことです。それと指導教授の講評がチヨット気になりました。

  
    ◎ 平成30年度・久喜市高齢者大学卒業式並びに修了式 2/15(金) 久喜文化会館大ホール


  15日、平成30年度の「久喜市高齢者大学・卒業式並びに修了式」が開かれ出席しました。
 今まで議員とし、来賓で出席してきました。その時「主催者」として、「市民大学・高齢者大学
 運営委」が、黒のダブル、シルバータイで出席しているのを見てきました。私今年はそうした立場
 スタイルでの出席となりました。少なくともこの2年間は、高大・市大に関わる行事には全て参加
 することになります。
  今年の卒業生は71名、進級生は1年50名、2年40名、3年50名でした。


  幕が上がり開会しましたが、やはり1200人定員の会場に座る、学生数の少なさが気になりました。この数なら小ホールで
 十分なのです。71名の皆様に卒業証書、3学年140名に修了証書が授与されました。次に今年は皆勤賞6名、精謹賞2名の
 方の表彰です。これからはまず健康であることが第一となりますね。
  『これから高齢者大学での学びを生かし、住んでよかったと思える街づくりにご貢献を!』との学長=梅田市長の式辞、議長・
 県議の祝辞を受けました。在校生代表の送辞、卒業生代表の答辞に移りました。送辞の中に『私たちは引き続き、先輩が取り
 組んできた学生数減少の解消、ボランティアの負担の軽減に取り組む』と言っていました。後者の部分が気になりました。
 「ボランティア」は高大3本柱の1つではなかったのですか。「負担」と感じるのでしょうか。答辞では、高齢者大学校歌にあるように
 「生きる喜びいつまでもの充実した人生を送って行きたい」とされていました。
  どうぞご健勝で、充実した人生をお送りください、と祈りつつ、「蛍の光」の音とともに卒業生を見送りました。

        平成30年度・くきっ子ゆうゆうプラザ閉校式 2/14(木) 久喜小体育館










  この歳になると本当に1年は早く
 感じられます。30年度・「くきっ子ゆう
 ゆうプラザ閉校式」を迎えました。
  昨年は開校式・閉校式共に欠席
 でした。晴れて民間人となった今年は
 自分なりに頑張り、年間を通して
 90%以上出たかな、と思っています。 


  開式に先駆け講座の発表です。(―上左―) ヒップ&ダンスは2曲踊ってくれましたが、山高帽をかぶってのものが可愛いかったです。
 一番後ろで心配げに見守っていた講師の方が、ついに踊っていました。真摯さを見た思いでした。次が編み物です。(―下左2―)
 
下級生でよくこんな物が、と思わせる力作ばかりでした。
   閉校式が始まりました。「くきっ子実施委員長・久喜市ゆうゆうプラザ運営委員長・校長先生・PТA会長」、次々と登壇それぞれに
 思いを語ってくれました。(―下右2―) 『14回目の閉校式、来年はゆうゆうが始まって15年目になります。「くきっ子ゆうゆう」はその
 先頭を走り続けてきました。来年も頑張りましょう。』等々。なお司会は5年生の2人の男子がやってくれました。ドッヂボールやロボットで
 一緒しました。いつもは言うことを聞かないやんちゃ坊主ですが、立派に司会を務めてくれました。ご苦労様でした。次にスライドで
 活動風景を映しつつ、参加児童の感想発表です。今年度は木曜日が10講座、土曜日が15講座行われ、211名が参加してくれました。
  ドッヂボール、遊びの広場(室内)、学習のように14年続いているのもあれば、今年初めてのロボット、お囃子体験、ふわふわ凧もありました。
 スクリーンに映し出される時間に、感想発表が間に合わなかったりと、いつもある風景もそれはそれでよかったです。みんなの感想発表
 聞いててとても楽しかったですよ。(―下右―)
  ところでゆうゆうは、どうしても高学年になると参加が少なくなります。今年6年生は8人が最後まで頑張ってくれました。ほぼ全員が
 6年間とのことです。その6年生に卒業メダル、E氏手作りの記念品を贈呈しました。(―下左―) それそれが感想で述べていたように、
 この6年間の経験を活かし、楽しい中学生生活を送ってください。
  最後がサポーターの感想(―下中―)、保護者感想(―下右―)です。サポ―タ-は囲碁の方です。写真に映っているのは10歳の天才
 少女棋士「中村菫」さんです。皆楽しそうに聞いていました。保護者の方はいつもお見かけする熱心な方、こちらこそありがとうございました。

  コミュニティスクール導入には議会で4年かかりました。放課後(当時は地域)子ども教室は、一発質問、一発回答でした。たまたま
 開いた文科省のH・Pでこれを見たとき、これは大切だ、久喜ならうまくいく、との確かな実感がありました。しかしここまで発展充実する
 とは予想しませんでした。関係各位のこの間のご努力に深く敬意を表します。「くきっ子ゆうゆう」は平成17年開校、この先頭を走って
 きました。来年は節目となる15年目、久喜市全体で記念事業を実施します。今までもこれからも、決して波穏やかな航海ではないでしょう。
  初心に帰ってこの事業の継続・充実に、努力し続けていきます。

            ◎  久喜小天体観望会 2/13(水) 久喜小校庭


  13日、久喜小で「天体観望会」なる企画があり参加しました。私は今、「C・S」に関わる、「久喜小学校運営協議会」の委員です。
 議員時代に、6~7回の質問をし、「C・S」導入の道を開いたという自負があります。ずいぶん勉強してきましたが、多分に頭デッカチ
 現実とはだいぶ違うものがあります。現状に批判と不満がありますが、最高にうれしいことは、久喜小に関わる全ての情報が入ること
 そしてそれに参加できることです。もし委員でなかったら、この夜のような貴重な体験も積むことはできなかったでしょう。
  「久喜小天体観望会」なる聞きなれぬ行事です。久喜小をはじめとする市内学校は、埼玉大学教育学部教授であり、理科教育学会
 会員でもある「小倉康教授」に理科のご指導を頂いています。そうした場で親しくなった先生に依頼、今回に繋がったとお聞きしています。

  時間は17:30~19:00、会場は久喜小校庭南門近く、参加者は時間柄保護者同伴の久喜小児童・保護者・先生方、7~80人
 もいました。(―左―) 「小倉研究室」の自動車が持ち込まれ、それを利用してスクリーンが設置されています。(―右―) 小倉先生が
 陣取る机の上にはパソコン、すぐそばに大型天体望遠鏡が置かれています。(―中―) このいかにも性能がよさそうな、天体望遠鏡
 を小倉先生がのぞき込み、パソコンを通して月や、星がスクリーン上に映し出されるというシステムです。
  小倉研究室の若いメンバーが10人ほど参加しています。この人たちの軽妙な司会で「天体観望会」は進行しました。参加者全員に
 筒状の簡易な「望遠鏡」が配布されました。ちょうどカメラのズームレンズのような形状、10倍の倍率とのことです。これで「月、星」
 を見ながら進行していきます。まずはちょうど半月上の月の観望です。白衣・白のあごひげを蓄えた「ガリレオ・ガリレイ」氏が登場
 いろいろ説明してくれます。(―右―) 所で私は「天文」の知識は全くと言ってよいほどありませんし、興味もありません。第一小中高と
 理科の授業に、天文の時間はあったかなという程です。それゆえに久喜小児童の知識に驚き、改めて優秀さを実感しました。
  月は地球の唯一の衛星で、約1/4の大きさ、寒暖の差が大きく30度c近くあり、表面はデコボコしている、太陽の光を受けて輝き
 位置と場所で形が変わる、前記のシステムで、スクリーンに映し出される月を見ながら、ガリレオ先生が説明します。
  次に天文に関するクイズ・質問です。1・太陽は東から出て、西に沈む○、 星は季節によりその位置が変わる○、星は季節により
 並び方が変わる☓、私が分かったのはここまで、そのあとの具体的星座の問題まで10問、子供たちは正確に答えていました。おそれ
 いりました。
  そのあと星、星座の観望に移りました。まず「北極星」です。昔から北の方向を示す星として知られています。「北極星」とは「こぐま座の
 ポラリス」のことです。これは大きな柄杓の形をした北斗7星から見つけます。北斗七星は「春」になるとはっきりするそうですが、この夜は     
 ぼんやり見えました。その柄杓の口から、その幅5倍移動したところにあります。 
  次が「カシオペア座」です。これは北極星を「秋」に探すときの目安になるそうです。説明の前に、小倉研究室の若きペア―が、この星に
 まつわるギリシャ神話を話してくれました。ありがたいことです。「カシオペア座」は、「天の川」の中に位置し、この辺りに望遠鏡を向けると
 無数に輝く星群を見ることができるそうです。
  続いて「オリオン座」、ギリシァ神話の登場人物「オリオン」に由来します。ここでも研究性が、その神話を聞かせてくれました。冬を代表
 する星座で、南の空にスグ見つかります。東側の赤い一等星を「ペデルギウス」といい、「おおいぬ座のシリウス」、「こいぬ座のプロキオン」で
 「冬の星座大三角形」を形成します。私などはこの言葉を初めて聞きました。「じゃー、大6角形はどこだ」と、私がサポーターを務める「ゆう
 ゆう」ドッヂボールのいたずら坊主が言っていました。まいりました。もう、尊敬しちゃいます。
  私などはついていくだけで必死でした。それにしても貴重な体験でした。久喜小児童と私たちにまで、こんな貴重な時間を提供いただいた
 小倉先生と研究室の皆様、そして穂村校長先生を始めとする、久喜小諸先生方に感謝します。ありがとうございました。 

    ◎ 平成30年度 埼玉県コミュニティ・スクールフォーラム 2/8(金) 県民健康センター

  平成30年度の埼玉県コミュニティ
 スクールフォーラムが、8日開催され
 出席しました。会場は「県民健康センター」
 かってこの隣に「県立武道館」があり、
 そこが県体協事務局、ここでも「本部員会」
 「代議員会」をよく開催したものでした。
 今は上尾の「総合スポーツセンターC」、
 入り口でしばし懐かしさに浸りました。

  さて研修内容は、深谷市による「事例発表」をはさんで講演が2つ、1つは文科省C・S推進係「西祐樹」氏、1つは文科省
 CSマイスター、三鷹市の「四栁千夏子」氏、そして最後に四栁氏進行による「熟議」なる意見交換会でした。
  「西祐樹」氏は前記のように現文科省ですが、それまでは福岡県春日市の教育委員会におられ、あの春日市のC・Sを
 立ち上げ・推進された方です。四栁氏はCSの先進地、久喜市も立ち上げにあたりモデルとした三鷹市のPТA会長として
 久喜市にもお越しいただいた貝ノ瀬教育長の下、民間人の立場から推進に努力された方です。西氏の講演は「コミュニティ
 スクールの必要性、そして可能性」、四栁氏のそれは「地域とともにある学校づくり」~子供たちの未来のために、今、私たちに
 出来ること~との演題が付けられています。内容がよく似ていますので、一緒に報告します。

  西氏はまず子供を取り囲む環境について話されました。少子高齢・人口減少、グローバル化・情報化、変化が激しく予想
 困難な未来、そうした状況下、子どもたちに今後求められる能力は、激しい変化の中で主体的に判断できること、多様な人々と
 協働していくことができること、新たな価値を創造し、新たな問題の発見・解決につなげていくことができること、とされました。
  新たな学習指導要領改訂の方向性は、まさにそうした能力・資質を育成すること、そのためにも「地域とともにある学校へ」
 転換を図ること、コミュニティスクールは育てたい子ども像、目指すべき教育のビジョンを学校・保護者・地域が共有し、その
 目標実現に向け、共に協働していく仕組みとされました。そしてそのあとはコミュニティスクールを進めるうえでのポイント、
 コミュニティスクールと、地域学校協働活動との一体的推進の事例等について話されました。
  四栁さんのお話しも、言わんとするところはほぼ同じでした。ただPTA会長だったというお立場から、より具体的な内容でした。
 久喜市がモデルとしただけに、久喜市と同じ組織形態、コミュニティスクールを基盤とした小中一貫教育、中学校区の**学園
 方式などです。ただ一中学校区の**学園に、1つの学校運営協議会が組織されているのは驚きでした。お立場から全員参加
 相互理解、みんなでやる、とぃつた事の具体的取り組みを話しておられました。
  西氏は一自治体の教育委員会職員から、専門職としての文科省C・S推進係となり、四栁氏は1学校PTA 会長から「C・S推進委員・
 マイスター」となりました。素晴らしいことです。西氏は教育委員会としてC・Sに取り組むにあたり、『「覚悟と本気」が必要』と言って
 おられました。久喜市教育委員会に「覚悟と本気」を持っておられる方はいらっしゃるのでしょうか?。

  深谷市の事例報告です。深谷市は人口14万3000人、小19校・中10校と、それぞれ久喜市より少し小さい街です。平成28年度
 から市内全小中校がC・Sに移行しました。県内では東の久喜とともに、北の深谷が全体をリードしている形となっています。
  報告内容も私たちが久喜市で経験した通りのもの、ただ報告を学校教育課長と小学校長がやっていました。これは「学校運営協議会」
 の民間人がやるべきです。

  最後が四栁氏の進行による「塾議」、「塾議」なる言葉は貝ノ瀬先生が作ったとか言われていますが、久喜市ではとうに取り入れられて
 います。「ファシリテーター」と呼ばれる司会者を置いての協議・話し合い方式です。3人掛けのイスを2列で向かい合い、最大6人での
 ものでしたが、私のところは鶴ヶ島市と戸田市の教員、そして私とは刎頸の友とでもいうべき、久喜市のI氏の4人だけでした。久喜市では
 「自治基本条例」制定の頃から、「まなびすとフォーラム」でも、もう10年も前から取り入れられており、新鮮なものではありません。
  各自治体の教育委員会にとり、「コミュニティスクールの導入」が努力義務となって以来、多くの町でその方向にあります。このフォーラム
 にもそうした意味で、教育委員会の担当・学校の管理職といった方が出席されておられました。私は「学校運営協議会委員」となって
 まだ1年です。本で読み、頭で理解していたものと現実はだいぶことなります。保護者の理解から、地域の方のそれへと、長く、地道な
 努力が必要なのだと今感じています。

 
          ◎  久喜小感謝の会  2/6(水) 久喜小体育館










 花のアーチをくぐって入場   久喜小校長挨拶     退場は子供たちと手タッチで  いただいた鉢植え・手紙・プレート

 
 6日久喜小の「感謝の会」に出席しました。出ようとしたときに携帯が鳴りました。サッカーの若手指導者からでした。『団長
 今日久喜小のに出ますか?初めて呼ばれたので良く解んないので。』とのこと、『お前何か感謝されることやってんのか』と
 冗談を言ったのですが、控室の図書室に入って解りました。座るイスがないほどの大勢の方がおられました。校長先生に
 よれば、この日の趣旨の徹底化のため、より大勢の地域の方にお声がけしたとのことでした。良いことです。
  「感謝の会」、会場は体育館です。内容は校長・地域代表の挨拶、児童代表感謝の言葉、感謝の手紙と鉢植えの花の
 プレゼントと、ほぼ20分くらいです。ただ入退場が大変なのです。まず控室の図書室で、全員が子どもたち手作りのネックレスと
 いうかペンダントというかをいただきます。そして1年生のかわいい子供たちと手をつないでの入場です。体育館に入ると
 子供たちのフラワーのアーチが長く待ち構えています。全員の拍手を受けながら席に着くのです。
  子供たちから「感謝の手紙」と、大事に育ててきた鉢植えの花、「ビオラ」をプレゼントされました。「感謝の手紙」を頂いたのは
 たまたま、母親は「ゆうゆう」の仲間、父親はサッカーの教え子という6年生女子でした。うれしいことです。花はしばらく楽しんだ後
 我が家の花壇に移して、大事に育てます。ありがとうございました。
  退場が大変でした。約500人の全校児童が何重にも列を作り、参加者全員が手タッチしてというものでした。前記した今会
 初参加の我がサッカー後輩も大感激の様子でした。
  久喜小にコミュニティスクールが導入されて2年が経過しました。いろいろありますが、あらゆる面で不徹底であり、不十分
 だと思います。しかし肝心なことは地域の方に学校に関心を持ってもらうこと、どんな形でも関わってもらうこと、そして学校は
 それに答えることです。それが第一歩になります。そんな意味でも今日の「感謝する会」は、とても良い企画でした。
 

   第9回久喜市生涯学習推進大会・まなびすと久喜 2/3(日) 久喜市中央公民館


















 
  第9回(合併後)「久喜市生涯学習推進大会・まなびすと久喜」が、2月2(土)・3(日)の両日、この所旧4地区持ち回り開催の
 ため、今年は「久喜市中央公民館」で開催されました。ところで私はこの「まなびすと久喜」に2通りの関わりを体験して
 きました。1つはその先頭に立ち、猛烈に頑張ったこと、1つはそのあと、現在も含め離れての参加の2つです。

  教育の街と呼ばれる久喜市は早くから、いわゆる各種生涯学習活動は盛んでした。それを組織的・計画的に推進していく
 いわゆる「生涯学習推進体制の整備」と呼ばれる活動が始まったのは、昭和63年です。平成1・2と当時の文科省の
 「生涯学習街づくりモデル事業」に参加、その必置機関としての「生涯学習推進会議」を発足させたのです。議長坂本市長
 副議長、渡辺助役、戸賀崎教育長、高橋社会教育委員長、いずれも「故」が頭につきます。委員には全行政部長の他に
 塩崎区長会会長・斎藤体協会長・榎本文連会長等々、いずれも久喜市の地域活動に、一時代を築かれた方々ばかり、
 事務局を担当した、私とはサッカーでも深い親交のあった丸林氏、みな黄泉の旅に立たれています。私は社会教育団体
 代表として委員に就きました。私の知る限り当時を知る唯一の関係者と思います。なんか化石的人物みたいでヤーですね。

  そして年度的には昭和63年度、平成1年2月に「第1回久喜市生涯学習推進大会」を、この推進会議の下に持ったのです
 会場は文化会館大ホール、参加者は5~600名、内容は講演のみでした。ただしこの講師が当時の文科省生涯学習官
 現・全国生涯学習街づくり協会理事長の「福留強」氏でした。氏は退官後「全国生涯学習まちづくり研究会」を組織、私は
 その会員となり、多くの行事・研修会に参加、久喜市にも「まち研久喜」を組織しました。まさに不思議なご縁です。
  「推進大会」はその後毎年もたれてきました。翌年の第2回大会で、私は当時の社会体育の状況報告をパネリストとして
 行っています。このいわば「第一次生涯学習推進会議」は、その後機能を失い、無活動状況に陥りました。補助金をいただく
 ための必置機関との性格、「まちづくり」にこだわり全行政部長を委員としたこと、何よりも全体としての生涯学習推進活動の
 未成熟さの故でした。「どうにかしなければ」私は考えました。そして丸林氏の後担当となられた、長きにわたるこの道での盟友
 である原島氏と、生涯学習推進の施策機関ではない、実戦部隊の組織化を図ったのです。はじめは原島氏との会議、次は
 1人ずつ連れてくる、又次もということで仲間は20名を超えました。平成4年ただ講演を聞くのみという推進大会の在り方を
 変革、文化会館で参加型の推進大会を持ちました。文化会館では限界がある、より市民参加・手作り型に深めようとの思い
 から、会場を「中央公民館」としたのは翌5年でした。そしてこの年「生涯学習推進部」が発足したのです。

  なにせ当時の社会教育・社会体育、福祉部門等、あらゆる分野の中心的活動家を網羅した実践部隊でした。私はこの
 初代委員長に就任、12年間その職を務めました。メンバーは皆猛烈に情熱を持ち、猛烈に活動しました。推進大会の他に
 「研修大会=まなびすとフォーラム」も組織しました。「部会」を組織し、多くの研修の機会を持ちました。何よりも推進大会の
 充実に努めろました。イベント・規格の公募化、ボランティアの募集、それも当日のみから企画段階までへ、テーマの設定等々
 今の原型は全て数年で確立しました。当時のメンバーの真摯な努力と能力に深く敬意を表します。
  だから組織過程・大会内容は、数年で行きつく所まで行ってしまったといえます。平成10年代に入ると、早や前年の踏襲
 という状況が出てきました。所で久喜市は議決機関の人間(議員)は、審議会のメンバーにはなれません。それが拡大して
 行政が何らかの依嘱する機関にも、ご遠慮いただこうという傾向があります。そのことで不愉快な思いもまま経験しました。
 委員長はやめようと思い辞しました。そしてもう1つ「スポ少」との関係がありました。
  私は久喜市本部を代表し、県の代議員から役員に選出いただき、。昨年6月年齢制により辞すまで、30年近くその職を務め
 ました。特に後半副本部長を17年、最期の1年は本部長職まで務めました。そして「まなびすとフォーラム」は「県本部総会」、
 「まなびすと久喜」は、久喜市本部が県本部から委託されての研修会と、ぴったり日程が重なってしまったのです。最近の「推進部」
 は残念ながら、この2つのみの組織・活動となっています。最初の内は午前中準備のみ参加とか、夕方から後片付けの参加等
 していましたが、それもできなくなりました。そして数年前の推進部辞職に至っという次第です。

  だからここ数年は他地区開催ということも手伝い、ほとんど見ることができませんでした。今年1日目土曜日は13時から2時間の
 講義でダメ、2日目は13時からの講義のため、9時に簡単な挨拶を終わらせ、午前中一杯会場を回ることができました。本当に
 数年ぶりのことです。この時期の大会のため、人出は天候に左右され勝ちなのですが、この日は暖かな良い条件に恵まれました。
  屋外・1F~4Fまで全部見て歩きました。多くの企画がおなじみのものでした。前記したようにこれは仕方のないことです。そして
 参加者も少ない印象を持ちました。屋外も閑散としていました。―写真・上左2― 1F大集会室はおなじみまなびすと発表会、最近は
 ゆうゆうプラザ関係が多くなっています。「江Ⅱ小・光の子」のささら舞のお囃子を聴くことができました。―写真・上右― 1F~4Fの
 各イベントも賑わっている感じを持ちませんでした。繰り返しますがこれは仕方ないことなのです。少子高齢社会のすさまじい進行の
 中で、今多くの活動団体は勢いを失い、活動は低迷しています。かって破竹の進撃一途だった、我がスポ少ですらそうなのですから。
  今回目についた「ロボット」、「スポーツ吹き矢」等は新しい組織、「手話」は久喜市で「手話言語条例」が制定されたことによります。
 そんな中で4F「ゆうゆうプラザ」のコーナーだけは、相変わらずにぎわっていました。これは23全小学校の「ゆうゆう」が―写真・下右―
、まだそれなりの元気を持っているからなのでしょう

  見てまわリながら、自分の30年に及ぶ「推進大会」とのかかわりを思い返していました。市大・高大の入学者数の減少、スポレク
 団体に顕著な会員数の減少、私が夢中になってこの大会に取り組んでいた頃と、大きく状況が異なっています。大変厳しい状況下
 にあります。しかしこの活動を辞めることはできません。私もかかわるすべての分野で努力し続けていきます。
  最後にこの苦しい条件の中、大会組織化に努力された「推進部」他関係皆様に敬意を表します。

            ◎ 久喜市民大学について  2/ 1(金)

   続いて「久喜市市民大学」です。大学2年、大学院1年を併設するこの大学は平成7年開校、早4半世紀の
  歴史を持つこととなります。私がこの年入学の1期生であることは何ども報告しています。いわばその後の
  大学・大学院運営のモデルとなったわけで、何か徳をしたような、そしてその後加わった学校行事関係が少なく
  何か損をしたような3年間でした。ただ年齢制限60歳まで、久喜市の生涯学習推進活動のリーダー養成、と
  いう目的・理念に貫かれており、定員40名のところ、39名入学、うち34名を占めた女性陣は当時の一線級の
  リーダーばかりでした。私は学級委員長を務めましたが、この女性陣主導の学生生活だったとの思い出があります。

   さて「久喜市民大学」は、教育委員会の周到な準備を経て開校されました。その中心にたたれたのが、橋本昭
  教育長であり、乞われて参加されたのが野島文教大学教授でした。(いずれも当時の肩書) この時背景を
  なしたのが5日制であり=いわゆる「ゆとり教育」です。開校した平成7年・1995は、その3年前(平成4年・1992
  新しい学力観の導入)に始まった週1から2回となりました。そして平成14年・2002の完全5日制へと進んでいきます。
   そしてこの年は「生きる力・総合的な学習の時間」が導入されています。久喜市では5日制導入にあたり、「5日制
  検討委員会」を組織、周到な準備をしました。私は橋本先生の厳命に従い、この委員長として活動しました。
   5日制の中でより地域の教育力が問われる、より良い地域と学校との関係づくりが求められる、そうした生涯学習
  推進のリーダーを養成しよう、こうして「市民大学」はスタートしました。私は平成9年3月大学を、翌10年大学院を
  卒えました。大学院の研修テーマは、野島先生の下「久喜市における生涯学習推進活動の今後の課題」でした。
   平成7年からの議員活動で、「放課後子ども教室(当時地域)」、「コミュニティスクール」の導入実現に努力したのも
  こうした背景に因ります。

   どうしても「市民大学」への思い入れがつよすぎるため、前書きが長くなります。「定員」は40名ですが、入学者は
  徐々に減少していきました。平成29年度までの卒業生は477名、今年の予定者が12名ですから、年平均22名、
  ここ数年は10名代半ばという状況です。次に年齢です。私の頃は30歳~60歳まででした。高齢社会到来とともに
  上の年齢制限撤廃の動きが強まりました。私はこの動きに反対でした。しかし高齢者の学ぶ権利を奪うべきではない
  はある意味では正論です。63歳までを数年続けましたが、ついに上の年齢制限はなくなりました。働いている人が
  大学に通うことは非常な困難が伴います。おっつけ退職者が中心となります。最近の入学者は60歳代半ば以降が
  中心のようです。誤解を恐れず言えば、年齢制限撤廃とともに、私は「市民大学」が変質したと少しばかり思っています。
   いわば「第二の高大化」です。市民大学は学びの場であり、学んだ成果を地域に活かす=生涯学習推進活動の
  リーダー養成の場です。「高大」は当然学びもありますが、高齢者に充実した生活を送っていただく、「生きがいづくり」
  の場です。私は卒業5年を経て、「市民大学」の理念を生かすため、「市民大学校友会」の組織化にあたりました。
  「結成準備会」の代表を務め、初代の委員長になり、今の校友会の基礎を作りました。校友会について書きますと
  長くなりますので割愛します。今でも1期を代表して校友会の役員にあります。年何回か開催される「全体会」に
  出ますと、各期の活動報告があります。『私たちの*期は卒業生**名、校友会会員は現*名、隔月にボーリング大会を
  年*回はお花見、旅行等をやっています。』と報告されます、深く考えざるを得ません。 
   
   私は「市民大学」は学びの場、指導者養成の場へと純化させるべきだと考えています。しかし今の高齢社会からして
  このことは無理なのでしようか。今の現状からして「高大と市大を合体したら」との極論を言う方もおられます。もちろん
  ごく一部ですが。何としても何としても!高大も含め、入学者数の増加を図っていかねばなりません。市民大学はこの
  ままだと消えてしまうかもしれないという、きわめてピンチな状態にあります。
   カリキュラムの件とか、学校行事の問題とかはこの際、あまり関係ありません。「校友会」や他の生涯学習関係団体も
  懸命に取り組んでいますが、とにかくこの「数」の確保がすべてといえます。
   何か悲観的なことばかり述べてきましたが、私は「高大」も「市大」も、役割を果たしてきたとある意味で考えています。
  100%市民の手による「市民まつり」や、「ゆうゆうプラザ」、市内全小中学校への「コミュニティスクール」の導入は、
  両大学の存在なしに考えられなかったでしよう。久喜市の高い市民力・地域教育力は両校によって支えられていると
  言えます。それだけに何としても両大学を維持し、難しくとも充実したものにしていきたいと考えています。
   たまたま市民・高大運営委員長に就任した今、このことのために全力を傾けてまいります。
   
           ◎ 久喜市高齢者大学について  1/30(水)

  下段1/18日付「久喜市民大学・高齢者大学運営委員長に就きました」で、「市大・高大について日を改めて
 報告します。」としました。ここで「久喜高齢者大学」について報告します。
  「「久喜市高齢者大学」は、高齢者に対し、実生活に即した教養の向上を図り、趣味活動や社会参加による
 生きがいを高めることを目的として昭和54年(1979)に設立されました。4年制、定員1学年220名(現150名)
 です。全国各自治体に「生きがい大学」、「寿大学」等の名称で同様の大学は多くありますが、4年制・定数・歴史等
 において、まさに全国有数の高齢者を対象とする大学といえます。
  4年制、各学年は、毎年4月に始まり、3月に終わります。定員は1学年220名ですが、このところ入学希望者が減少
 実際150名となっています。希望者が定員を超えた場合、抽選となります。旧久喜市時代(定員110名時)3年続けて
 抽選で落ちるという実例があり、議会でも取り上げられ一気に倍増したという過去がありました。久喜市在住、60歳
 以上、4年間の学業が可能な市民が対象となります。目的は先に挙げたとおりです。具体的には(1)学習活動 実生活
 に即した教養を高める学習活動を行い、生活 の充実化を図る。(2) クラブ活動 趣味活動を推進し、各人の自己実現と
 相互の交流を図る。(3) ボランティア活動 社会的活動を実践、思いやりの心や連帯感を深め、市民意識の高揚を図る
 の3つの活動が中心となります。(1)の活動の中で各学年ごとの校外学習、いわゆる現地研修があり、4年生は卒業旅行を
 兼ね、宿泊で行われています。また大学祭として体育祭と作品展示会もあります。(2)のクラブ活動ですが、文芸・美術・
 料理・スポーツ・写真・パソコン等実に多くのクラブがあり、熱心な活動が展開されています。(3)のボランティア活動です。
  各クラスごとにボランティア委員がおり、全体で高大ボランティア推進委員会を構成しています。環境美化・教育支援・
 福祉活動等各種活動を自主的に行うほか、「市民まつり」、「まなびすと久喜」等のイベントにも要請に応じて参加、強力な
 支援部隊となっています。また卒業生により「高齢者大学校友会」も組織されており、大学同様(1・2・3)の活動を行い
 充実した元気な高齢者としての活動を展開しています。
  問題点です。これは市民大学も同様ですが、昨今入学者数が減少していることです。要綱定員は1学年220名ですが
 最近は150名を募集、しかし実際は30年度では、1年生50名、2年生40名、3年生50名、卒業生は71名、計211名
 となっています。合併により人口は倍増しているにも関わらずです。これは先の校友会にも言え、設立時平成21年には
 839名会員でしたが、現在は650名となっています。原因はいろいろありますが、高齢化に伴う労働年齢の変化が
 一番影響していると思われます。60歳定年は昔の事、今65歳からさらに数年という時代となりました。仮に70歳で働く
 事を辞め、それから4年制の大学に通うということは、少しおっくうなのかもしれません。様々な形で高大の良さ・魅力を
 発信し続け、入学制の増加を目指していきたいと考えます。
  いずれにせよ40年を超す歴史を持つ高大が、久喜市の元気な高齢者の育成、地域活動活性化に果たした役割は、
 計り知れないものがあります。高大を何としても充実・発展させていきたいと考えます。

  ◎ 平成30年度・東部地区社会教育委員研修会 1/24(金) 行田市教育文化センター










  左  会場の行田市教育文化センター「みらい」
  左2 開会行事・主催者挨拶
  右2 「馬場祐次郎氏」による講演
    実践発表 行田市と白岡市

  東部地区社会教育委員・関係職員の平成30年度研修会が、24日行田市の教育文化センター「みらい」で開催
 されました。埼葛地区・北埼玉地区の社会教育委員等、約200名が参加しました。内容は1部・講演、2部実践発表の
 2本立てです。講演は「(一社)全国社会教育委員連合会副会長の馬場祐次郎氏」文科省で社会教育を担当しておられた
 方です。演題は「これからの社会教育のかたち ~緩やかなネットワークによる人づくり・地域づくり」というものです。
  正直言って社会教育全般にわたり、さらっと表面を一通り話された、という感じの話でした。そもそも社会教育とは、に
 始まり、国民の生活のあらゆる機会と場所において行われる各種の学習(生涯学習)を、教育的に高める活動の総称、
 とされました。最近よく言われる生涯学習と社会教育の関係です。「もう一度社会教育を見直そう」とし、生涯学習の支援
 から、社会教育へ、と言われました。社会教育の役割は「学びの場を拡げる」、その学びを人づくり、地域づくりに繋げて
 行くこととされました。その事例としていくつかの町の公民館活動を紹介していました。まとめとしてこれからの社会教育
 関係者に求められる役割を、「住民主体の地域づくりの支援」と結ばれました。その通りと思われる話を通り一遍に
 話された感じで、やや深みに欠ける感じでした。
  実践発表は行田市、「市民ボランティアによる手作りの市民大学」と、白岡市・「町ぐるみん白岡」の取り組みの2つでした。
 NPO法人行田市民大学活動センターによる、市民大学の設立、運営は、下段で紹介しているように私自身が「久喜市民
 大学・高齢者大学運営委員長」にあるだけに、面白く聞けました。大学の基本理念、ОB会の組織化(久喜市では校友会)
 学んだ成果を地域に生かす活動等久喜と全く同じです。違っていることはカリキュラム編成等運営を市民がやっている事
 久喜市は行政です。ただ久喜市は開校にあたり周到な準備をしており、大学の目指す方向性、持っている理念に不満は
 ありません。行田は開校して10年、これからが大変な時期を迎えます。注意深く見守っていきたいと思います。
  白岡市の「町ぐるみん白岡」はお話を聞いている限りでは、組織実態・活動状況が良く判らないものでした。地域活動
 全般と謳っていますが、実際は子供の成長に地域で関わろうということのようです。機能組織図に「地域学校協働本部」
 が多く登場しますが、実際に組織されているのか、機能を果たしているのか、は不明でした。そしてコミュニティスクールを
 目指すとしていましたが、「学校運営協議会」との関係など、理解不足の点が気がかりでした。
  私は何度か記してきましたが、社会教育委員1期生、張り切ってこの研修会に出ましたが、やや拍子抜けという内容でした。

 
          久喜市民大学・高齢者大学運営委員長に就きました 1/18(金)

  平成30年度久喜市民大学・高齢者大学運営委員会が、18日(金)教育委員会会議室において開催されました。
 私が30・31の2年間「社会教育委員」を委嘱された事、社会教育委員から、「久喜市民大学・高齢者運営委員」に
 選出された事は、本べージ6/3日付で報告してあります。この日はすべての運営委員が確定し、最初に教育長から
 「依嘱書」が交付されました。総勢8名、教育委員代表、校長会代表、市大と高大の校友会代表等、平成国際大学
 代表もおられました。教育長が挨拶、「高大は建学昭和52年、市民大学は平成7年、卒業生は久喜市の高い市民力
 地域教育力の中心的担い手として活躍している、ただ最近共に入学者数が減少し、憂慮すべき事態を迎えている」
 こんな内容でした。出席者の自己紹介の後、今後の委員会運営の中心となる正副委員長の選出にうつり、互選で
 委員長には私、副委員長には「生涯学習推進部代表・宮内智氏」が選出されました。
  前記したかと思いますが、私は市民大学開校に当時導入された、「5日制」を検討する組織の委員長をしていたこと
 から関わりを持ち、大学・大学院とも1期生、また校友会設立準備委員長、初代委員長も務めました。市民大学に
 ついては、誰よりも熟知しているとの自負があります。高大については、やや不案内の部分もありますが、今両大学
 共に入学者不足から1つの曲がり角を迎えています。より良き大学を目指し努力いたします。よろしくお願いします。

  その後新メンバーでの初の会議のため、両大学について、特にプログラムについて、担当より説明を受けました。
 そして今日の会議の主目的である、市民大学・高齢者大学の卒業・修了認定について、協議しました。
   高齢者大学の卒業生は71名、うち皆勤者が6名おられます。修了者は1年50名、2年40名、3年50名の140名、
 共に出席その他良好で問題全くなく、全員の卒業・修了を認定しました。
  市民大学は1・2年生共に12名、大学院は5名です。市民大学は30歳以上、上の制限はありません。したがって
 現役の方、それも勤務の帰路学習という方もおられます。どうしても出席日数が少ないとなります。しかし勉学態度、
 また休日出席の状況等から、全員進級・卒業の認定をしました。
  なお高齢者大学の卒業式は2/13(水)文化会館、市民大学のそれは3/3(日)中央公民館で行われます。昨年までは
 来賓として出席していましたが、今年から主催者として出席することになります。
  市民大学と高齢者大学の現状・問題点等記さねばなりませんが、長くなり過ぎます。日を改めて報告します。

      ◎ 平成30年度・第2回遷善館学園研修会 12/25(火) 久喜中学校

  平成30年度・第2回遷善館学園(久喜中学校地区)の
 全体研修会が、25日久喜中でもたれ、参加しました。
  ところで8/7には第1回の研修会が、佐藤日大教授の
 講演で開催されています。(本べージ同日付参照)この
 時は「遷善館地区4校合同研修会」と銘打っていました。
  この日は「教育研究協議会」のそれとなっています。
 今日は質問は一切なしでしたので、良く判りません。 
 どうも4学校の教員で、「遷善館学園小中一貫教育研究協議会」なるものが組織されており、どうやら前回も今回も
 この組織の主催のようです。 
 そして頂いた資料の中に、「遷善館学園のねらい」という文書、そして「遷善館学園推進構想図」までありました。一体
 どこで、誰が作成したのでしよう。初めてお目にかかりました。そしてこの日の研修会は講演だけ学校運営協議会委員も
 聞き、その後の研究協議は「結構です、お帰り下さい」、というものでした。教員だけの組織を作り、構想図までつくり、
 4小中で小中一貫を推し進めようとの考えなら、何も私たちに、しかもこんな時期にお声がけ頂く必要はありません。
 言っておきますが私たちは、小中一貫教育を進めるため、コミュニティスクールを導入したのではありません。地域と
 学校との望ましい関係=教育コミュニティ創造のためです。小中一貫がそのための有効な1つのツールなら、それを否定する
 ものではありません。小中一貫教育をやりたければ、「義務教育学校」を導入すればよいのです。チヨット考えてみてわかり
 ました。2回にわたり研修会を持つという事は、この組織に補助金がついているということです。教育委員会も教育委員会
 です。4小中校の「学校運営協議会」の連合組織、それこそ「遷善館学園学校運営協議会」とか、「遷善館学園コミュニティ
 スクール推進協議会」とか言った組織に補助金をつけるべきなのです。そして研修会の内容はこの組織できめるべきなのです。
 教員だけの組織に補助金をつけて、まともにコミュニティスクールを推進する気があるのかと、疑問に思うものです。
  講演は小中一貫教育の先進地である、八潮市の中学校校長としてこの活動の先頭に立ち、現教育相談所所長の「三宅隆志」
 先生によるものでした。八潮市での小中一貫教育導入の特殊性、市長の選挙での公約、先に予算が付く(1200万円他)、という中で
 平成18年10月から「特区」により始めたこと、背景に県平均の2・3倍という県下一の不登校、非行、低学力という状況があった
 そうです。とに角9年間を見通す、小中間の教員・児童・生徒の交流、連携を深める、基礎基本を大切にする、という原点に踏まえ
 やれることからやる、ボトムアップという姿勢で頑張ってきたとのことです。後は中学校長としてやられたこと、教員による部会の
 設置とその活動、総合的な学習との関係、9年間のカリキュラム、家庭・地域とのかかわり等について述べておられました。
  やられたことを述べておられましたので、そうでしたかというだけです。ただ100%教員向けのお話ですので、聞いていて楽しい
 ものではありませんでした。1つだけその中で「小中一貫教育は手法・方法論であって、目標(=学力の向上と豊かな心の育成)でない」
 ということを何度か口にしていました。
  私たちにとってはコミュニティスクールが手法・方法論であり、小中一貫ではありません。「地域」ということを考えたとき
 皆が久喜中で学ぶのだから、その9年間を考えてみようね、という事です。そのことをはっきりしていただきたいと考えます。
  私は皆から1年遅れ、協議会委員の依嘱をいただきました。最初の1年間の部分が不案内、チヨット遠慮する部分もありましたが
 来年からは遠慮しないでやっていきます。


   ◎ 青少年育成久喜市民会議の講演を拝聴しました 12/8(土) ふれあいセンター久喜 

  8日(土)午後、「ふれあいセンター久喜」にて
 「青少年育成久喜市民会議」の講演会が開催され
 出席しました。「市民会議」が主催する講演会には
 あまり参加したことがありません。過去警察署々長
 さんといった方の講演が多く、あまり興味を持たな
 かったためと思われます。今回参加したのは講師が
 Jリーグ「FC東京」の前社長「阿久根謙司」氏だったから
 です。2年前「都市問題会議」で岡山市に行った際、

 J2所属「ファジァーノ岡山」の社長(当時)、「木村正明」氏の講演をお聞きしました。資本金500万円で負債額1000万円を
 超えていた「ファジアーノ岡山」を、立て直した木村氏の手腕は有名ですが、その過程で「経営とサッカー・Jリーグの
 理念」のはざまに苦しんだ話など、サッカーの世界に生きてきた私には、実に楽しく聞けました。
  「阿久根謙司」氏もこの世界では有名人です。本職は野球です。早稲田実業時代に甲子園にも出場、早稲田に進んで
 大学日本代表に選出される等活躍、東京ガスへ入社後は都市対抗で活躍、監督も務められています。
  ところでJリーグです。企業チームの「日本リーグ」が発展したものですから、先行したクラブは会社とのつながりが強い
 ものです。浦和レッズ→三菱、横浜マリノス→日産、川崎フロンターレ→富士通というように、そしてFC東京は東京ガス
 なのです。そのFC東京が2011年J2に交換した年、阿久根氏は請われてFC東京の社長に就任しました。監督では
 ありませんが、「自立」を掲げてクラブを再建、1年度J1に復帰したのみならず、その年の天皇杯優勝まで果たしました。
 またJリーグ100年構想にのっとり、クラブを企業組織から市民のそれへの変革に努力、主催試合観客数17500人まで成長
 させ、2015年東京ガスに復帰しています。だから今日はそうした話が聞けるものとばかり思っていました。
  この日の講演・題目は「木の上に立って見ましょう ~自立を促すコーチング~」でした。要するに100%コーチングに
 ついての話だったのです。便利すぎる社会、加えて少子化、指示待ちの子どもを、自分で見て、考えて動く=自立した
 人間へと育てよ、それには親のコーチングが必要、コーチングとは考え工夫する環境を作り、自発的な行動を起こさせる
 ためのコミュニケーションマインドだ― ―という内容でした。子供を社員に置き換えて、管理職研修等でも阿久根氏は
 大忙しとの事でした。
  その通りです。何の異存もありません。ただこの話を90分聴くことに少し閉口しました。私は50年を超えてスポーツの
 世界に身を置いてきました。優秀なプレイヤーであり、コーチであった事は一度もありません。しかし実に優秀なプランナーで
 あり、オーガナイザーであり、コーディネーターだと自負しています。そのために多くの研修を積んできました。日体協(スポ協)
 や文科省の多くの資格を得ました。そして今でも受講生に、多くのスポーツにかかわる話をさせていただいています。今日の
 話は私が長く学習し、多く話してきた中身そのものだったのです。一昔前は「野球(サッカー)やるには頭はいらない、体で覚えろ」
 というものでした。今は「自立」の時代です。確かにその通りですが、「教え込む」部分も少しはあるというのが、40年少年サッカーに
 関わってきた私の今の考えです。
  講演終了後今日はその話は聞けなかったので、Jリーグの100年構想について質問しました。多くのスポーツ愛好市民に
 支えられ、多くのスポーツ市民に成果を還元するJリーグ、というやつです。丁寧にお答えいただいた阿久根氏に感謝します。
  その後市民会議主催の「家庭の日絵画コンクール」入選者表彰式があり、解散となりました。(―右―)
  ◎ 平成30年度・久喜市市民大学及び社会教育3団体合同研修会 12/1(土) 中央公民館

  平成30年度・久喜市市民大学及び社会教育3団体合同研修会が、1日(土)
 中央公民館で開催され出席しました。この研修会は昨年度よりもたれ、今年が
 2回目、なお社会教育3団体とは、社会教育委員、生涯学習推進会議、生涯学習
 推進部の事、なお市民大学校友会にも参加を呼び掛けています。参加者は総勢
 100名弱というところでした。
  今回は野島正也先生による講演です。野島先生は新潟県出身、東京教育大学を
 出られ中学校教員を経て、文教大学人文科学教授、同大学学園長、現名誉教授
 です。実は先生と久喜市の生涯学習、そして私とは深い関係があります。


  久喜市民大学の開校は平成7年ですが、その準備は2年前から始まりました。その時中心に立たれたのが橋本元教育長
 そして請われての野島先生でした。この年から5日制が始まり、その後完全5日制へと発展していきました。地域と学校との
 関わりが新しい教育の、生涯学習の課題となったのです。橋本・野島両先生の指導の下、こうした時代に対応する生涯学習
 活動のリーダーを育成する、こうした明確な方向性を掲げ、市民大学はスタートしたのです。私は当時「5日制検討委員会」の
 委員長を務めており、こうした関係で市民大学開校準備の末端に繋がらせて頂きました。大学では当然野島先生の授業があり、
 また2年度大学院へ進学した私は「生涯学習」を選択、野島先生の直接指導の下に単位を得ました。
  以来20年になります。この間先生と何度かお会いしましたが、直接講演をお聞きしたのは10年程前1回と記憶しています。
 久しぶりにご挨拶をさせていただきましたが、だから講演を熱心に拝聴するというより、懐かしさが先に出て、うれしく、楽しく
 お聞きするという状態でした。
  先生の講演は大学教授故でしよう、導入―展開―まとめがきちんと整理され、理論整然、解りやすいことが特徴です。
 「地域・学校・家庭の連携・協働と生涯学習活動」と題された、今日の講演もその最たるものでした。
  生活・自然体験の無さから、今子供たちの成長に黄信号が灯っているから始まり
  子どもを育てるは学校だけでなく、地域との連携でやるべし、続いて  
  昭和62年中曽根内閣時の「臨教審」から、平成27さらには今年までの「中教審」答申を紹介、家庭・地域・学校の連携・
 協働に関する国の施策を説明
  地域の学校支援活動に触れ、1・その種類、2・実際、3・かかわり方、4・受け入れ態勢、5・3者連携の実例、6・その成果
  連携・協働活動の良さとして、1・新しいことに出会う、人と交わる、3・人に良さを認められる
  地域の活動家に期待されるものとして、1・プランナー、2・コーディネーター、3・ファシリテーター
  そして最後に、人は地域とのつながりの中でもっと元気になれる。地域協働を念頭に、学校という公共を基盤にした
 地縁の仕掛けを、で結ばれました。
  正直申して、私たちがいろいろな場面で学習していることを、そのまま述べられたわけで、その通りという内容ですが
 こうも整然と語られると見事なものだとなります。私としてはただただ懐かしく、うれしい講演でした。 
  市民大学と久喜市の生涯学習の推進に、大きなかかわりを持たれた先生が今後もそうあり続けて下さい、
 私はこうごあいさつ申し上げ、お別れしました。
    ◎ 久喜市放課後子ども教室全体研修会 11/29(木) 鷲宮総合支所会議室

  久喜市放課後子ども教室(ゆうゆうプラザ)は、毎年2回の全体研修会を持っています。1回は講師をお招きしての
 講演が多く、今年は7/21に青山氏の講演、プラスしてパネルディスカッションで行われました。(同日付本ページ参照)
  2回目はこのところ、全員がいくつかのグループに分かれ討論しあう、「情報交換会」という形です。今日は何と
 120名もの参加をいただいて、鷲宮総合支所4F会議室で行われました。情報交換に先駆け、栗橋小(栗くり
 ゆうゆうプラザ)実施委員長・奈良さんより事例発表がありました。
  「栗くりゆうゆうプラザ」はH22年開校、今年8年目を迎えています。実施委員19名、講座指導者17名、地域
 指導者61名、保護者サポーター109名、17講座に203名の児童が参加して行われています。
  さて情報交換会です。テーマは3つ、1・保護者や地域人材の確保、2・講座の在り方と工夫、3・安全に対する対応
 です。参加者は希望するテーマ別にグループを作ります。今日は120人参加者を基本的に8人ずつ、15グループに
 分けましたが、1=4、2=8、3=3グループでした。これは参加者の関心をそれなりに表しているといえます。私は
 1・人材確保に参加、8名のうち3名が各校の実施委員長、副委員長、校長、わたくし他2名、というグループでした。
 皆かなりの経験者、かつ熱心に活動している方で、いつも情報交換会で感じる「また同じ話か」と閉口する事もなく、
 それなりに充実した話し合いでした。
  しずかっ子元気(栗橋西小)128名、小林小(おばやし)110名、上内小(かがやきっ子)85名と少人数学校からの
 参加者は、であるが故の苦労を語っていました。サポーター全員が実施委員で地域の人間、講座指導者はいない
 という「しずかっ子」、指導者に地元の人がいず、全部外部にお願い、少数の人間が必死に支えているという「かがやきっ子」
 本当に同情するしかありません。皆、異口同音にサポーター、実施委員の高齢化、講座の指導者不足を訴えていました。
  どうも「くきっ子=久喜小」、「さくらっ子=久喜東小」その他いくつかを除いて、その運営はかなり厳しいものがある
 ようです。
  所でこの日の研修会資料に、今年の市内全体の組織状況が報告されていました。それによればゆうゆう参加者は
 3、226名と過去最高、全児童の44・7%を占めるそうです。これも過去最高、ここ3年連続して3、000名、40%
 を超えています。これだけ見れば「ゆうゆう」は連続して、充実した活動を展開しているといえます。しかし先に挙げた
 発言に代表される、内部にいる人の本音の部分もあります。1つの研修会にこれだけ多くの人が参加し、それなりに
 熱心に研修しあうのもまた現実です。本当に難しいところです。
  来年は平成17年に「くきっ子」が開校して以来、15周年の節目に当たり、運営委員会は記念事業を決定しています。
 この間、それいけ・ドンドンで組織化を急いできました。その結果が市内全23校開校につながったわけですから、
 運営委・教育委員会のご努力は高く評価されることに違いはありません。しかし組織化を急いだ余りのひずみもいくつか
 露呈して来ています。15周年という記念の年を、文字通りさらなる飛躍の一歩とするためにも、運営委・各実施委
 一体となった、足元からの充実化を図っていかねばならないと考えます。
  (カメラを忘れましたので、研修風景の写真はありません。お許しください。)
 
     ◎ 久喜市民大学校友会 栃木祭り見学  11/11(日) 栃木市



















  市民大学校友会(土屋献一郎会長)では、毎年全体行事として日帰りによる見学旅行を実施してきました。
 今年は栃木市「栃木祭り」との事で、祭り大好き人間の私は、喜んで参加させていただきました。
  栃木市はご承知のように、かって江戸との船運、例幣使街道の宿場町として栄え、巴波川沿いの「蔵の街」、
 「小江戸とちぎ」として知られています。郊外の大平山の桜や紫陽花見物の帰途、また議員としてデパートと
 同居する市役所視察等、10回は訪れているなじみある街です。またここは2年に1度、10数台の人形山車が
 華麗に街を巡行する「とちぎ祭り」としても知られています。今回は卒論に「久喜の祭り」に取り組んだ担当役員が
 企画してくれました。いろいろお世話になりありがとうございました。 
  栗橋―東武日光線で、「栃木駅」につきました。いつも車利用ですので「駅」に降り立つのは初めてと思います。
 会場の「蔵の街大通り」とはだいぶ離れていますが、ちょうど2台の山車が、私たちを出迎えてくれるかのように
 駅前に来ていました。(上左)・左は静御前、右は桃太郎)が人形です。山車が意外に小さいこと、3階建てで屋根が
 ないこと、車が3輪であることにびっくりしました。そのあと祭り会場の「蔵の街大通り」まで歩きました。
  さて栃木市の山車です。12台かと思います。全てに人形が載っていますが、「日本武尊」、「素戔嗚尊・スサノオノ
 ミコト」のように日本神話に基づくもの、「関羽
」(上左2)、「張飛」のように三国志上の人物、さらに「静御前」、「太閤
 秀吉」、「桃太郎」、「弁慶」
(上右)と実に様々です。「諫鼓鶏」人形の山車では、前方で大勢の女性が踊りながら
 運行していました。
(上右2)
  
ご承知のように私は祭り**、もの心ついて以来久喜の提灯祭りに関わってきました。そんな私の正直な感想です。
 まず山車が小さい、一番小さなもので久喜の半分、大きなものでも7割程度です。だから「蔵の街大通り」を余裕で
 すれ違うことができます。
(下左) 車輪は3輪です。(下左2) これでわかるように山車が軽い、囃し方として10人は
 山車に乗っているのに、2~3人で方向を変更できます。そして久喜の山車と違い屋根がありません。4本の柱に
 板を敷いて3階建てを作っています。3方を完全に幕で覆っています。この幕は多くの写真でわかるように、金糸
 銀糸の見事なものです。この幕の隙間から覗き込んで、内部の構造を知ろうとしたのですが、1台の山車に必ず
 1人ついているガードマンに、その都度「山車に触らないでください」と注意されました。これまた久喜のよりは大分
 小さい人形は、3階に乗っていますが、この部分が上下します。これは「とちぎ祭り」は明治7年から始まっていますが、
 この際日本橋の町会から江戸の山車を購入しています。江戸の山車は将軍に見てもらうため、城内の門をくぐる
 必要があり、そのためこのような工夫がなされていたそうです。その後新たに作った山車もこれをまねたのだと思い
 ます。久喜でも「本一」の山車は、人形が上下します。(栃木市のとは方法が異なりますが) 別に驚くことではありません。
  私は特別に郷土愛の強い人間ですが、祭り関係者に必要な「狂」も、見物者に必要な「興奮」も、久喜の祭りの方が
 上だと思うのが正直なところでした。
  夜には山車に提灯が灯り、幻想的な雰囲気との宣伝文もありました。しかし推測するに20個程度の提灯です。四方を
 ズラリ、500の提灯で覆う久喜のと比ぶべきもないでしょう。。最後に何度も歩いた、巴波川沿いの遊歩道を散策して
 帰ることとしました。旧市役所本庁舎前では、若者が祭りと関係ない太鼓をたたいていました。(下左2) また巴波川
 沿いの遊歩道もさすがに日曜日の祭り、いつもより大勢の人でにぎわっていました。(下右)
  まとめに一言、久喜の祭りはやっぱりよい、もっと全国に知られてしかるべき、というところです。やはり私は度し難い
 祭り**のようです。

   平成30年度第3回・久喜市PТA人権教育研修会 11/10(土) 菖蒲文化会館 

  10日(土)菖蒲文化会館・アミーゴにおいて、平成30年度の第3回PТA人権教育研修会が
 開かれ参加しました。特定非営利活動法人「東京レインボープライド」共同代表・杉山文野氏を
 講師とするLGBТに関する講演で、「初めてのLGBТ ~性の多様性と人権~」との演題による
 ものです。参加者は約100名強というところ、なお撮影禁止のため写真はありません。

  講師の杉山氏は日本初の「渋谷区同性パートナーシップ条例」制定にもかかわった、いわゆる
 トランスジェンダ―活動家です。はじめに自己紹介を兼ねて15分ほどのビデオが映されました。
 杉野氏は日本女子大学付属で幼・小・中・高と学んだ女性です。しかし小さいころから心は「男性」
 スカート、制服、水着等着るのが嫌で゜嫌でならなかったといいます。たまたま試合用ユニフォーム
 =防具が男女一緒ということで、フェンシングにのめりこみ、日本代表選手にまでなっています。
  父親にはカミングアウトしたそうですが、手術までは踏み切れず、グリーンバード(ごみ拾い)運動
 等に取り組んでいました。そして例の五体不満足の「乙武洋匡」氏との出会いから、28歳の時に
 手術に踏み切ったそうです。その後定期的に男性ホルモンを注射、ヒゲも伸ばし、声を含め、
 見た目には全く男性です。しかし変更が大変厳しい日本においては、戸籍上は女性、バスポート・
 運転免許証等に苦労したとのことでした。
  性には①体の性、②心の性、そして③好きになる性、と3つあると進まれました。①、②、③共に
 典型的男性、典型的女性、どちらとも言い難いの3通りあり、従って3×3×3の27通りの性があると
 されました。こうなると何だか良く解らなくなります。スクリーンに、「おすぎとビーコ」の「おすぎ」さんが
 登場しました。この人は①は典型的男性、②はどちらとも言い難い、③は典型的男性の17番に分類
 される。続いて同じくタレントの「はるなあい」さんが登場、この人は典型的男性で、心は典型的女性で
 好きになる性は男性で11番とのこと、こんなことに何か意味があるのでしょうか。続いて普通の初老の
 男性と40歳前後の女性が登場、男性は体も心も男性で女性が好き、女性は体も心も女性で男性が
 好き、(要するにマジョリティの人) 私の父と姉です、と笑いを誘っていましたが、あまり愉快な話では
 ありませんでした。
  話は続きます。「L・G・B」は自分と相手との問題、「Т」は自分に関してのこと、ともに目に見えない
 セクシャリティ、言わないのでなく、言えない現実があるとされました。
  「性同一性障害」なる言葉が登場したのは1990年に入ってとのことですが、ちょうどその頃、とんねるず
 の人気番組に「皆さんのおかげです」というのがあって、その中に「ほもだほもお」なるキャラクターが登場
 知らぬ間にキズつけていたとされ、「おかま、ホモ、ニューハーフ、おねえ、レズ、おなべ、こっち/そっち」
 といった言葉に赤信号を発していました。
  LGBТは5~8パーセントもおり、企業、文科省、厚労省等での活動を紹介、杉山氏も「ハートをつなごう
 学校」なる名称の下、生徒児童への支援活動を行っているそうです。
  最後に性的マイノリティ支援活動の広まりについて話されました。オリンピック憲章でも「人種、肌の色、
 性別、性的指向、言葉、宗教……などの理由によりあらゆる差別を受けることのない」と謳っています。
  同性パートナーシップ条例も9自治体にまで進展、同性婚を可とする国は30カ国、その中でニュージー
 ランドの「愛しあう2人の結婚を認める法律」が国会で成立した様子を紹介しました。そこでも触れていましたが
 回教国では死刑を含む重い罰則付きの禁止ですし、キリスト教でも強くこれを否定しています。それに対して
 日本ではいわゆる性的マイノリティの人たちに、強い迫害を加えたということはなかったのではないかなと
 ふと思います。
  最後にカミングアウトできる(の対象)人になろう、多様な社会を目指そうで結ばれました。このことは至極当然
 であり、当たり前のことです。
  講演を聞いて参考になったとか、勉強したという実感はありませんでした。自分自身悩み、苦しみ、今こうした
 運動の中にいる人のものとして、初めて聞いた講演でした。いろいろ知ることのできた、また時として不快も覚える
 講演でした。

   ◎ 久喜市民大学・高齢者大学運営委員に就任します 11/1(木)   

  私が「社会教育委員」の依嘱をいただき、その職に就いたことは、本ページ6月13日付で
 報告しています。その会議の最後に各種委員会等へ、社会教育委員として就く選任を行い
 ました。「野久喜集会所運営委員」、「図書館協議会委員」、「人権啓発実行委」、「生涯学習
 推進会議委員」等、実に12委員会がありました。社会教育委員は全員がyどこか1つにという事
 です。その際、私は「久喜市市民大学・高齢者大学運営委員会委員」と決定しました。
  その運営委員会会議が先日、教育委員会会議室で行われました。正式依嘱を頂けるものと
 ばかり思っていましたが、前任者の依嘱期間があと何日かあり、この日はオブザーバー出席、
 正式依嘱は次の会議とのことでした。こうした面倒くささは議会で経験していますが、おかげで
 この日は発言をせず、この組織の問題点についてじっくり考えることが出来ました。

  この委員会のメンバーですが8人、「教育委員、社会教育委員、文化財保護審議会委員、学校長
 市大と高大の校友会」等の代表者で構成されています。また「理科大教授代表」とあります。今後どう
 なるのでしょうか。私が1期生の「市民大学」は平成7年の建学です。一方「高齢者大学」は昭和54年
 発足、今年が40年目となります。「運営委員会」は設立基準が「要綱」ですので、正確にわからない
 のですが、両校が並立運営され、おそらく平成10年頃の発足と推察します。両大学の基本的運営方針
 を審議、決定していくのが役割となります。
  高齢者大学は学習・クラブ活動・ボランティア活動が3本柱です。「仲間づくり、生きがいづくり」がネライ
 です。各自治体に同様の大学は多くありますが、4年生で、しかも40年の歴史を持つはまれ、まさに
 久喜市の誇りといえます。しかし最近大きな問題点が生じています。入学者数の激減です。1年生50名
 2年・40、3年50、4年生71名、全学生数211名です。定員は1学年220名、大学としては880名です。
  私はこの定員数が決定された状況を良く知っています。入学希望者が定員をはるかに超え、抽選の
 結果3年連続落ちるという事例が発生したのです。議会でも問題となりこの数となりました。事実最初の
 頃は200名を超えていました。それがこの数です。これはカリキュラムなどの問題ではありません。超高齢化
 働く年齢の上昇が大きな原因と思われます。今年の1年生の平均年齢が、70歳を超えているのもその
 表れでしよう。。実情に応じた定員の変更も考えねばならないと思います。
  
  一方「市民大学」です。私は大学、従って大学院の1期生、またその後市民大学校友会を責任者として設立
 初代会長を務めました。だから市民大学については、誰よりも良く知っているつもりです。開校平成7年、
 60歳未満、将来の久喜市の生涯学習活動のリーダー養成、という明確なネライがありました。高齢化の
 進展から年齢制限がなくなり、リーダー養成という方向性も消えました。それと一緒に市民大学も勢いが
 なくなってきたとも言えます。定員は40名ですが、わたくしの時は入学39名、卒業38名、大学院進学33名
 でした。今1年、2年共に13名、ここ10年程1学年10人台半ば、大学院進学者数名という状況にあります。
  市民大学をなかまづくりの場、第2の「高大」にすることはありません。学びの場、リーダー養成の場と
 純化すべきと考えます。
   高大も市大も、入学者数=学生数の減少という状況の中で、一時期の元気を失っています。しかしそれは
 それとして、高大と市大、そしてその卒業生=校友会の存在と意義は、絶大なものがあると考えます。
  久喜市は大変市民力の高い街です。100%市民の手になる市民まつり、日本一ともいえる「ゆうゆうプラザ」
 県内初の全校コミュニティスクールの導入、この活動を保証し、担っているのは両校の学生とОBなのです。
  この状況こそ久喜市の誇りであり、セールスポイントなのです。だからこうした活動を保証していく「生涯学習
 センター」の整備はどうしても必要なのです。
  チヨット横道にそれました。11月末に正式に依嘱をいただきます。久喜市の生涯学習の進展の一つとして
 頑張っていきます。

 
   平成30年度・埼葛地区人権教育指導者研修会 10/26(金) 幸手市北公民館

  幸手市の北公民館で開催
 された「平成30年度・埼葛地区
 人権教育指導者研修会」に
 参加しました。会場は桜・紫陽花
 彼岸花と、何度もお伺いしている
 幸手市権現堂堤のすぐそぱに
 あります。


  この研修会には「社会教育委員」として参加しました。「研修会」ではなく、「指導者研修会」と銘
 打ってあり、行政社会教育担当者、学校人権教育担当者が多く、民間人は「社会教育委員」だけと
 思われます。参加者ですが約130名というところでしょうか。主催は「埼葛地区人権教育推進協議会」
 開会行事で挨拶 された役員は、みな埼葛地区市の教育長でした。
  研修は人権啓発DVD「あした咲く」鑑賞、朝日新聞編集委員「北野隆一」氏の、「差別の現場を取材して」
 の2本立てでした。企画は兵庫県人権啓発協会、30分強のものですが、やたら目ったら問題提起の
 多いDVDでした。妻に先立たれた父と会社員の次女のところに、娘のケガから夫と仲たがいした
 専業主婦の長女が娘を連れて帰ってくる、その1週間ほどの出来事を追ったものです。
  次女の会社でのパワハラ・マタハラ、独身会社員の次女と専業主婦の長女との葛藤や各々の立場
 ゆえの悩み、仕事一筋だった父と亡母との関係、亡母が生前熱中していた園芸ボランティアの仲間、
 若き男性がLGBТであること、とにか一杯出てきました。それぞれ違う「幸せ」を、「あした咲かす」
 ために、すべての人間が、多様性を尊重し、共生社会の実現を目指していこう、というものなのでしょうか。

  休憩をはさみ講演に入りました。演題が「差別の問題を取材して」というものですから、朝日新聞記者
 である北野氏の、これは問題というより「事件・出来事」が次から次と登場しました。
  性を巡る差別から、医大入試の女子差別 セクハラに対するMeToo運動 LGBT  新潮45問題
  ヘイト問題から ヘイトスピーチとは いじめ・差別問題 在特会 解消法制定
  障害者差別から 相模原事件 優性思想 強制不妊手術 障害者雇用の水増し 障害者差別解消法
  部落差別問題から 全国部落調査 裁判の経緯 部落差別解消法
  差別問題を取材してから 水俣病 原発避難者いじめ 部落問題 在日コリアン 拉致問題 強制動員(労働)
                  ハンセン病 皇室(オランダ人強制抑留) 天皇熊本訪問(ハンセン病・熊本)  
  以上列記したように問題というか事件というかを、次から次と話されました。あまり深く触れるとか、従って
 わたくしたちが深く考えるとかのない講演でした。ただ講演資料にあった障碍者インターナショナル=DPI
 役員の「差別の反対は平等とか公平になりますが、今の社会にあっては無関心」と、北野氏が何度か口に
 した「民主主義の原則は多数決だが、それはイコール少数者の意見を尊重することだ。」のみが印象に
 残っています。

   ◎ 青毛小、C・Sを基盤としたインクルーシブ教育 10/17(水) 青毛小

  本日青毛小で「コミュニティスクールを基盤としたイン
 クルーシブ教育システムの構築」なる研究発表会があり
 参加しました。ご承知のように私は久喜小で学校運営
 協議会委員の依嘱をいただき、コミュニティスクール=
 C・Sにかかわっています。またインクルーシブ教育に
 ついては、久喜市議会28年11月定例会において、この
 問題に関し、久喜市議会では初の質問をしています。
 「C・Sを基盤としたインクルーシブ教育」なるものに強い
 関心を持ち参加しました。

  今回の研究発表の内容は、午後から公開授業Ⅰ(低学年)、Ⅱ(高学年)があり、その後短い
 全体研修と、70分ほどのシンポジウムというスケジュールでした。もちろん授業を参観する予定
 でしたが、急用が入り、全体研修からの参加となりました。大変残念なことでしたが、仕方ありません。
  いただいた資料を入念に読み、シンポジウムの皆さんの発言を参考に、何とか理解できた
 ものを記してみました。
   研究主題は前記した「コミュニティスクールを基盤としたインクルーシブ教育システムの構築」
 です。~ユニバーサルデザイン化された授業の工夫と特別な教育支援体制の創造~という
 副題がついています。ユニバーサルデザインという言葉は、私が議員になりたての20年位前から
 良く使われるようになりました。文化や国籍の違い、老若男女といった差異、障害、能力のいかん
 を問わず、利用することが出来るよう目指した施設、製品、情報などの設計・デザインを言います。
  アメリカの「ロナルド・メイス」が1985年に提唱しました。一見もう一つの用語、「バリアフリー」と
 似ていますが、これは障碍者・高齢者などの生活弱者のため、その障害となる障壁等の削除を
 行うもの、発想が異なります。
  シンポジウムで埼玉大学の長江教授が、ユニバーサルデザインの7つの原則、それに基づく
 授業の7つの原則(1・すべての子どもたちが授業に参加できる。2・多様な学びに対して対応できる等々)
 を語っていました。青毛小ではユニバーサルデザインに立つ授業として、焦点化・視覚化・複線化に
 よって、誰もが「わかった・できた」と実感できる授業づくりにあたってきたそうです。
  一方地域です。コミュニティスクールが核となり、インクルーシブ教育を推進することは、様々な人と
 人とをつなげ、すべての人が暮らしやすく、幸せと感じる共生社会を作ることになるとしていました。
 賛同できる視点です。青毛小の学校運営協議会委員長I氏は、かって生涯学習推進部でご一緒した仲間
 ですが、シンポジウムで、インクルーシブ教育を理解する研修会を地域の人60名参加で持った、今日の
 発表会も運営する立場で参加したと語ってくれました。
  他にシンポジウムで青毛小PТA会長が「青毛っ子ゆうゆうプラザ」について、地域からやさしさを
 いただいていると報告され、地元幼稚園延長k氏は、「幼・保・小」の交流を通して学びと発達の
 連続性を作っていきたいとされていました。
  わたくしは「ゆうゆうプラザ」も、「コミュニティスクール」も、学校を子どもを核とし地域コミュニティを
 形成していくものと考えています。県と久喜市からの今年と来年の依嘱である、青毛小のこの事業は
 今日は中間発表です。さらに1年間活動を続けられ、素晴らしい成果をあげられることに期待します。
  来年は間違いなく初めから参加させていただきます。

    久喜小・第1回学校保健委員会 9/28(金) 久喜小体育館










  29日久喜小で5・6年生、保護者が参加する、「LGBT」理解を内容とする「保健委員会」が
 開催され参加しました。この問題は最近「新潮45」で炎上、あまりにもタイムリーとなっています。
 最も久喜市教育委員会は早くから、まず「正しい理解を」と教育活動に取り組んでいます。
  動画その他が映し出されるスクリーンを前に5・6年生、後方イス席が保護者ですが、その
 大半は私たち学校運営協議会と人権擁護委関係者、実際の保護者はほんの数人で、
 保護者の関心、従って理解は少ないというのが実情のようです。

  開会、まず6年担任の先生が、紙に書かれた文章、数値などをかざしながら子どもたちに
 話しかけます。(以下の数値・文章は紙に書かれたものを、私がさっと呼んだものですので
 100%正確とは言えません。) 『だれか好きな人がいますか』、久喜小の6年は2クラス、
 5年は3クラスですが、全部で180人くらいと思われます。「いるが80%、いないが20%位」
 だったと思います。次にこの文章は正しいかどうかというのです。その文章とは「思春期になると
 男は女を、女は男を好きになるのは自然なことです。」というものです。事前の答えはそう思う
 が2/3強、そう思わない・正しくないが1/3弱とのことです。そして先生がLGBT について説明
 します。人間には心の性と身体の性がある。人によって同性・異性・両方を好きになることもある。
 まあそんな話でした。そのあと、先の文章は正しいか、直す必要があるかと問いました。なんと
 比率はほぼ逆転し、正しくない・直す必要があるが2/3、そのままで良い1/3となっていました。
  そのあと『近所にLGBTの人がいる。噂になっている。君たちはどう付き合うか文を書きなさい。』
 というものです。子どもたちは体育館座りのまま、窮屈そうに文章を書きます。そして何人かが
 手を挙げ発表していました。子供の声は小さく、全く聞き取れませんでした。でも数人全員が
 『噂の中に入らない。一緒に付き合う』と書き、発表したに違いありません。
  この間15分くらいでした。かくて久喜小ではLGBT教育が熱心に行われ、子供の理解が進んだ
 となるのでしょうか。『思春期になると男は女を、女は男を好きになるのは自然なことです。』
 は、それほど正しくなく、どうしても直さなければならない文章なのでしょうか、私にはどうも
 良くわかりません。
   そのあと子供たちが退席、大人だけの研修となりました。校長先生挨拶、ついで久喜市教委
 指導課指導主事の講演と続きました。指導主事の話は、文科省か県教委のこの問題に対する
 「指針」とか「手引き」みたいなものを読むだけで、内容はありませんでした。
  LGBTの他にもセクシャルマイノリティはある。そうした人たちは13人に1人、7・6%もいる。
 左利き、AB型の人よりも割合は大きい。いじめ、ひやかし、不登校の対象となる。保護者は
 自分の子どもがの思いで寄り添うべし、カミングアウトの相手は同級生が多い、だから子供
 たちの正しい理解が必要、こんな内容でした。
  そのあと本年度の健康診断と体力テストの結果について、養護教諭と体育主任から報告が
 ありました。こちらのほうが普通の「学校保健委員会」の内容なのでしょう。私にはこちらのほうが
 面白かったです。それによると久喜小児童は、身長・体重共に多くの学年で県平均を下回り
 「やや小さめ、小粒の子が多い」です。体力テストの結果です。学校では「新体力テスト」を
 行います。これは握力・上体起こし・長座体前屈・反復横とび・シャトルラン・50m走・立幅跳び
 ボール投げが中身です。全身持久力としてのシャトルランが、男女共に素晴らしい結果を出して
 います。これは取り組んでいる「毎朝4周校庭マラソン」の成果でしょうか。全体として県平均を
 上回っている種目が多いのですが、「ボール投げ」・「立ち幅跳び」がやや難点のようでした。 

  さて「LGBT」に戻します。この日登壇した先生の誰かが、「金子みすず」の「鈴と小鳥とそれから
 私」を引き合いに出していました。例の「みんな違ってみんな良い」というやつです。私も久喜市議会で
 初めて「インクルーシブ教育」について質問した際、この詩を使いました。「みんな違ってみんな良い」
 一人一人の違いを認め合い、「みんな違ってみんな良い」仲間と共に生きていく、は私の信条です。
 だから「LGBT 」の人たちを差別することはおろか、けぎらうこともありません。ただ、です。私は今年
 後期高齢者の仲間入りをしました。「C・S」や、「ゆうゆう」の活動も、あと何年できるだろうと考えるよう
 になっています。そうした高齢者である私にとって、最近の「LGBT」の急激な動きに戸惑いを覚えるのです。
  人権教育を重ねて、性的少数者への理解を深め、差別的感情を減らしていく、そんな緩やかな動きで
 あってほしいのです。認めないものはすべて差別主義者とか、言葉尻を捕まえてすべて差別と論ずる
 最近の性急さに大きな戸惑いを感じています。

    久喜小に「みんなの部屋=地域連携室」が誕生しました。 










  私が「学校運営協議会委員」を務める、我が母校久喜小学校に「みんなの部屋・チーム久喜小
 地域連携室」が誕生しました。「学校運営協議会」は月1回持たれます。私は発足に1年遅れて、
 今年の4月から委員を委嘱いただきました。会議の折に「地域に開かれた学校の手始めに、地域の
 人がいつも久喜小にきて、気軽に皆とふれあい、校庭一杯の元気な子供たちを見ながら、茶飲み
 話ができる、そんな部屋が欲しいですね」と提案したことがあります。もちろん学校ボランティアの
 拠点・たまり場、がその第一義的役割ですが。
  場所は職員室や校長室のある本館と、多目的教室棟を結ぶ校舎の一番東側です。部屋の入口
 には
―写真・左―のように、大きな赤文字で「みんなの部屋」、やや小さく黒文字で「チーム久喜小
 地域連携室」、さらに1番小文字で「みんなで推進しよう №1スクール」と書かれた案内板が
 下がっています。部屋の中は
―写真・中―のように、机2つで構成されるテーブルにイスが置かれて
 います。部屋には校庭からも直接入れます。ちょうど今久喜小では、日常的にビオトープを整備
 される方々が、来ておられます。
―写真・右―はその方々の作業用品です。
  「みんなで推進しよう、№1スクール」です。30年度の久喜小の学校教育目標となっています。
 久喜小の校是は「自分をつくる」です。「賢く 豊かに たくましく」自分づくりを目指す、潤いと活気
 溢れる学校づくりをすすめていこうというものです。この「賢く 豊かに たくましく」は、れぞれ「知・徳
 体」を表しますが、知・かしこさ№1、徳・豊かさ№1、体・たくましさ№1の子ども、スクールを目指して
 いこうというものです。久喜小は「選善館」の教えを受け継ぎ、明治6年開校、今年で146年という
 歴史と伝統は文字通り№1です。毎日朝マラソン4週をとおして「体」№1を、挨拶をきちんとして「徳」
 №1を、学力テスト全国平均+7点をめざして「知」№1を追い求めていこうというものです。
  さらに言えばこれからは、私たちの目標に「地域と共にある学校№1」が加わることになりますね。

  この「地域連携室」は、月~金、8:30~16:50解放されます。それ以外の曜日・時間、また会議
 等で占有したい時など、「ご相談に応じます。ご連絡ください。」とのことです。久喜小地域の皆様
 どうぞお気軽にご利用ください。
  ところで4/13に行われた、今年度の第1回全員研修会です。CSマイスター「岸 裕司」先生が
 講師でした。岸祐司氏は「秋津コミュニティ」の代表です。「秋津コミュニティ」の中核をなすのは
 同氏が運営委員長を務める「秋津小コミュニティルーム」です。4教室と、30㎡の畑と、陶芸窯付き
 小屋からなる、秋津小コミュニティルームは、自主・自立・自己管理で運営され、基本的に全日、9時
 から21時まで解放され、年間1万2、000人もの人に利用されています。「学社連携・学社融合」は
 生涯学習にかかわる私の中心テーマでした。平成の初期、私は何度か秋津を訪ね、岸氏や
 宮崎秋津小校長先生から、直接ご指導をいただきました。「岸さんというのは皆コミュニティに熱心
 ですね」と、宮崎校長先生に言われ、恥ずかしく、うれしくもあったことを懐かしく思い出します。
  いつの日か、久喜小の「みんなの部屋・地域連携室」を、「秋津小コミュニティルームのように」と
 思わずでもありませんが、5年・10年先のこととなるでしょう。とにかく焦らず、変に気負わず
 地域連携を進めていきます。
  提案に直ちに対応いただいた穂村校長先生をはじめ、久喜小学校諸先生方に感謝申し上げます。
 
 
      ◎ 「論語」勉強会に出ました。 9/19(水) 久喜小

  私がこの4月から、久喜小の「学校運営協議会委員」に依嘱いただき、地域とともにある久喜小を
 めざし、「C・S」の活動にあたっていることは、このページでお知らせしています。「学校運営協議会委員」
 となってうれしいことは、自分が日常的に久喜小にあること、小さな行事や催し物にも参加できる事です。
 今回の「論語勉強会」等は最たるもの、先日の「学校運営協議会」の会議日に、校長先生から知らされ
 「いいですか」、「どうぞご参加ください」となった次第です。久喜小の先生方が自由な参加で持っている
 「勉強会」、それも今回は「論語」、しかも講師が同じ運営協議会の仲間であり、久喜市教委等でもご指導を
 いただいてきた「橋本久雄」先生だったからです。
  「論語」はご承知のように、「孔子」(およびその弟子たち)の言行を収録したものです。古代中国の大古典
 である「四書」(大学・中庸・孟子そして「論語」)の一つです。「孔子」は紀元前552~479の人です。日本で
 いえば縄文から弥生の時期といえます。そんな昔の教え(言行)が、今脈々と生き、人々の支えになっている
 のですから大したものです。古くからふれてみたいと思っていました。我が恩師「橋本昭」先生が、清久で
 継続的な講座を持っていました。参加したいと思っていたのですが、議員末期の忙しさの中でかないません
 でした。今回大変短い時間でしたが、良いきっかけを与えていただきました。早速数札の本を買い求め
 勉強していきたいと思います。

  橋本先生は10年にわたって「論語」を勉強されておられます。はじめは短い言葉・文章から始まりました。
 「巧言令色」 「温故知新」 「言に(そつ)にして行に敏ならんことを(そつは言べんに内と書く漢字ですが
 変換できませんでしたに)」 「文行忠信」の4つです。「言に「そつ」にして行に敏ならんことを」とは、君子は
 口を重くして、実践につとめるようにありたい望む、という意味です。「文行忠信」は「孔子」の教育観の中心
 をなすそうです。文とは学問、行とは徳業でともに形として現れる外側、忠と信は誠の心とでもいうべき
 人に見えない内側、「言行一致」とでもいうべき、両者の調和が必要だということです。
  こうした講義を通して「論語」は解釈が様々で、これがベストですよというものがない、従って各々の解釈を
 自信をもって述べなさいといわれ、その後長文3つの演習に移りました。20分ほど時間を与えられ、自分
 なりに解釈しなさいというやつです。
  子の曰わく、学びて時にこれを習う、亦説ばしからずや。朋あり、遠方より来る 、亦楽しからずや。人知らず
 して憾(正式にはこの字ではありません)みず、亦君子ならずや。
  子の曰わく、道に志し、徳に依り、仁に依り、芸(正式にはこの字ではありません)に遊ぶ
  子の曰わく、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。
 六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従って矩を超えず
  の3つです。いずれも「論語」のなかでも代表的なもの、不案内な私でも数回耳にしています。「どう解釈して
 もよい」とのことですから、それなりに解釈、まぁさほど外れていませんでした。2番目の「子の曰わく、道に
 志し…………芸に遊ぶ」の「芸」とは、「六芸(りくげい)」をいい、それは「礼・楽・射・御・書・数」をいうそうです。
 ほぼ何となく解りますが、「御」とは馬術、馬車を御するとのことでした。
  短い時間でしたが、大変楽しいもの物でした。受け入れていただいた久喜小の先生方と、橋本先生に
 感謝します。前記したように2冊ほど関係本を求めました。折に触れ親しんでまいります。
  ところで私は「論語」の中でこれが好きです。―子の曰く これを知る者は これを好む者に如かず これを
 好む者は これを楽しむ者に如かず―  私の長きにわたる地域・社会活動も、残された時間は少なく
 なってきました。これからはゆうゆうも、CSも、スポ少も、とにかく「楽しんで」やっていきたいと念じています。


     ◎ くきっ子ゆうゆう・ロボット制作  9/15(土) 久喜小図工室 










  「くきっ子ゆうゆう」も新学期に入り、一段と弾みがついています。15日(土)はイベント型の講座ですが
 人気の「面白理科実験」に加え、今年の口座の目玉である「ロボットを作ろう」の初日だったため、大勢の
 参加者・保護者でにぎわいました。(-写真・左-) この講座は「北小」等ですでに行われており、
 私たちも追い求めていたのですが、今回素晴らしい指導者に巡り合いました。久喜小児童の保護者の
 方です。「ゆうゆう」は原則無料ですが、実費をいただくものもあります。(-写真・中-)のように多くの
 特別部品を必要としますので、ご了解ください。子供たちは指導者が用意してくれた、ペンチ・ドライバ
 六角レンチなどを手に、解説書とにらめっこしながら、今日の工程「ギヤ本体」作りに挑みました。
  (-写真・右の中央部分-) 今回の講座には多くの保護者が参加してくれました。事実子供だけでは
 かなり難しかったと思います。それだも「先生!」と助けを求める人が多くて、指導者は大忙しでした。
  この講座は3日間です。2日間でほぼ完成させて、最終日は「ロボット遊び」に興じることになります。
 その時が楽しみですね。
  なお今日は、雨で何と2日間も延期になった、久喜小校庭の草取りが予定されていました。私も
 「くきっ子ゆうゆう」が始まるまで、参加を予定していました。雨で中止?となったのですが、「ロボット作り」
 の工作室から見たら、なんと校庭一番南端にある、「ビオトープ」の整備に10人を超す人たちが、ぴしょ
 濡れで頑張ってくれていました。「解んない」、「先生」という子供たちの声を聴きながら、その人たちを
 窓越しに見やりつつ、心から感謝しました。
  「地域とともにある学校づくり」というお題目は、こうした人たちがあって、初めて成り立つのです。
 ありがとうございました。

  久喜中地区(遷善館学園)コミュニティスクール合同研修会 8/7(月)久喜小多目的室

  久喜市内のすべての小中学校に、「学校運営協議会」が
 組織され、コミュニティスクールに移行して2年が経過しました。
 1年先行した太東中地区に代表される、1つは小中一貫教育
 の進展を図るため、もう1つは同じ地区間の交流・情報交換を
 通したC・Sの充実を図るため、中学校地区ごとに連絡会を
 組織、名称も地域特性に応じたものとなっています。
  久喜中地区は久喜小・本町小・北小の4校で構成され、
 この地区の郷学というより、久喜市の教育の発端となり、
 校歌にも歌われている「遷善館」にちなみ、この4小中校を
 「遷善館学園」と呼んでいます。この「遷善館学園」地区の、
 合同の研修会が、7日久喜小学校多目的室で開催されました。
 一応平成30年度の、というより最初のものです。

  会場はわたくし達にはなじみの久喜小多目的室、出席者は4校の学校運営協議会委員に、特に
 若手が目立った先生方、会場一杯でしたから100名弱かと思われます。内容は講演と意見交換会の
 2本立て、講演は日本大学文理学部佐藤晴雄教授、佐藤氏はコミュニティスクールや、学校支援
 ボランティア活動研究に関する第一人者、コミュニティスクールの草分けである、足立区立五反野小
 の立ち上げにも直接関わられています。講演はまず「チーム学校」、「新しい時代の教育や地方創生」、
 「学習指導要領等の改善及び必要な方策」の3つの中教審答申について触れ、いずれも「より良い
 学校教育を通してより良い地域社会を創ること」、「コミュニティスクール等の活用を図ること」を
 謳っていることから始まりました。その後ですが私は最近とみに耳が遠くなりました。講師のぼそぼそ
 とした話し方も加わり、よく聞き取れなかったこと、出席者に先生が多かったことからか、「深い学び」に
 関し、「わかる学び―つくる学び」とか、同じく「認識の段階」とか、ちょっと私たち地域の人間には難解な
 ものでした。しかしマア後からレヂメをじっくり読んで、何となく理解できました。
  まず「閉じられた学校」では、学校という施設の中で、教師と児童生徒という関係だけ、「開かれた学校」
 では、地域の人・情報・物の資源が学校に入り、そこでの活動が、地域へと逆流し、地域(社会)の充実に
 つながる(だから開かれた学校を目指せ)という事、学校と地域の連帯に関しては、1・相互理解・情報交換
 から、2・相互補完、3・協働へと進めねばいけない事、そのために地域と学校が共通の目標を持つこと
 学校は自己の一方的都合による授業から脱却し、地域資源の活用を図ること、とされました。
  「深い学び=認識の段階」の件は私には大変難解でしたが、認識には抽象的認識―半抽象的認識―
 具体的認識の3段階があり、具体的認識には「経験・体験」が関わり、そこに地域の人が関わることで
 より深い学びにつながる?ということなのかなと私なりに理解しました。とにかく前記したように半分ほど
 しか聞き取れず、難解な部分が多くありました。
  
  意見交換会のほうです。1グループ6人でのグループ協議です。1つは講演を聞いて感じたこと、2つめは
 コミュニティスクールに望むことの2つです。私のところは地域の人間は私だけでしたので、あまり意見交換
 とは行きませんでした。若い先生が自分のところの「CS」に関し、情報が入ってこないといっていました。
 学校側の改革を望みます。
  私はご承知のように1年遅れて「委員」の委嘱を頂きました。素直な感想として言えば、地域は学校に何が
 できるか、の段階にとどまっています。「委員」が学校ボランティアの実働部隊となっている例もあります。
  コミュニティスクールの狙いは佐藤講師も言っていたように、「より良い学校教育を通して、より良い
 地域社会を創ること」です。少しずつそうした方向を目指していきたいと考えます。
  それと「遷善館学園」です。今まで言葉だけで全然見えていませんでしたが、今回初めて合同研修会が
 持たれました。この活動にも取り組んでいかねばと考えます。 

   ◎ 久喜市社会教育委員・生涯学習課職員歓送迎会 8/2(木)・徳樹庵  

  久喜市社会教育委員(委員会なるものは組織されていません)と、生涯学習課職員の合同歓送迎会が
 2日開催され出席しました。私が30・31年度の「社会教育委員」に委嘱されたことは、本ページ6/13
 付で報告してあります。
  社会教育委員からは前委員長K氏、数年前辞した「生涯学習推進部」で、晩年ご一緒したK氏等3人
 職員から前係長のТ氏が、今回退任、また転職されました。出席者一同より花束を贈らせていただき
 益々のご活躍を祈念しました。会には25名が参加、楽しいひと時を過ごしました。
  
  ところで「社会教育委員」は、社会教育法第15条で規定され、都道府県・市町村に設置することが出来
 ます。したがって必置機関ではありません。教育委員会によって委嘱され、社会教育の振興策全般を
 教育長を通して、教育委員会に助言することを任務としています。具体的には①社会教育に関する
 諸計画を立案する、②教育委員会からの諮問に対し、意見を述べる、③社会教育に関する調査・研究を
 行う、の3点となっています。身分は非常勤特別職で、久喜市では人数20以内、年3回程度の会議を
 行うとされています。
  さて新参者の私が、こんなことを申し上げるのはいささか不遜ですが、今まで社会教育委員の活動が
 活発であったとは決して言えないと思われます。これは会議の回数とつながりがあります。そこでかって
 私が就いていた体育指導委員(スポーツ推進委員)と、体育指導委員協議会との関係を提案します。
  教育委員会と直結する「スポーツ推進委員会」と、同じメンバーからなる、自主活動組織=「スポーツ推進
 委員協議会」です。協議会にはわずかですが補助金が付き、そこで自主研修、自主行事(縄跳び大会)等
 持っています。社会教育委員もこうした自主研修・活動を持たねばなりません。出来れば20人の委員で
 3つくらいの小委員会を組織し、課題研究に当たっていく必要があります、こうした活動に真摯にあたって
 いかない限り、全ての社会教育団体に関し、指導と助言を与える等、社会教育振興に関し、市民と行政との
 パイプ約を果たすという、社会教育委員の任務を果たしていくことはできないと考えます。
  私は新参者ですから、少し控えめに?次の会議で主張していこうと考えています。


    ◎ 久喜市民大学校友会公開講演会―楽しい終活― 7/28(土) 久喜市中央公民館

  久喜市市民大学校友会(土屋献一郎会長)の公開講演会が、台風接近が伝えられる28日(土)午後、「中央
 公民館」で開催され参加しました。今回の講演のテーマは「楽しい終活」、講師は他ならぬ市民大学校友会の
 仲間であり、「よすが訪問看護ステーション」の管理者・看護師の井上順子さん、東京大学病院の看護師長を
  勤められ、退職後前記ステーションを開設されました。私とはスポ少母集団活動時代からの、30年を超す
 親しい仲間です。
  所で私は「ものごころ」ついてから、いつも忙しく、前へ前へと走り続けてきました。目先の忙しさに追われ、
 「終活」など考えるヒマはなかったのです。しかし今年に入って様変わりしました。忙しさに変わりはないのですが
 とにかく長いこと頑張ってきた、多くの活動にピリオドを打ちました。市議会議員、県スポ少役員、お祭りの会長
 そして今年の誕生日に晴れて、後期高齢者の仲間入りをしました。否・応なしに「終活」について考えるとか、
 そうしたものとして少しも変わらない、日常生活を過ごしていくとか、とにかくそんな時間に入っているのは確か
 なのです。
  ~人生100年時代をどう生き抜くか~、とサブタイトのがつけられた話は、「元気かどうか、気持ちが前向きか
 どうか、それが大切である」から始まりました。中高年の5つの課題へと続きます。① 人生の統合(より豊かに
 生きる「知恵」を学び、方向性を定めて「決断」する時)、② 老いた親の扶養と介護(私は15年母を介護し、8年前
 看取り、これは終えています。)、③ 老年期に向かう準備(今までと違った役割を見つけ、生きがいを感じる生き方
 を求める、身体の病気、機能障害など、変化に対する手立てをの学び、身に着ける)、④ 死生観の確立(自分の
 人生の終わりに思いをはせる、友人等の死との遭遇が避けられない時)、⑤ 夫婦関係の調整(今まで身につけて
 しまった不健全な慣習を断ち切る。)、特に⑤は身につまされます。女房に旅行を提案して、一人で行けば、という
 やつです。そして中高年の美しく、健やかな生き方(老い方)として、他者のために生きる=ボランティア活動を
 上げました。さらに最後の時をどのように過ごすかを、本人が決定しておき、家族と話し合っておく事の大切さを
 話されました。死の美学の確立から、最後にきちんとした介護をしてくれる人をつくっておくこと、訪問看護師の
 立場から、在宅医療の大切さに最後にふれ、講演を終えています。
  前記したように私は今年、いくつかの活動にピリオドを打ちましたが、逆にいくつかの活動を始めました。
 とにかく忙しい毎日を送っています。今この活動をアト5年くらいは最低でもしたいと考えており、終活の気持ち
 はあまりありません。とにかくひたすらボランティア活動に当たっていますので、講演で言われた高齢者の
 美しい生き方=老い方だけは、十分実践しているということで、お許しを頂きます。

 ◎ 第45回日独同時交流、吉見町受け入れ・対面式見学 7/26(木) 吉見町フレサスカイホール 


  何度も言ってきたようにスポーツ少年団は、昭和39=1974年の東京オリンピックを記念し、青少年のための永遠の
 事業たれ、との願いを込め、前々年の37=1972年に誕生しました。その時モデルとしたのが、地域スポーツクラブの
 歴史を持つドイツ(西)でした。両国スポーツ少年団の発展を期し、リーダー団員の同数・同時期の交流からなる「日独
 同時交流」が始まったのは、昭和49年=1974年であり、以来歴史を重ねて本年で45回を数えるに至っています。
   写真左・はドイツ・日本国旗を飾った会場 左2は受け入れ民泊家庭との対面式、右2はドイツ団員の自己紹介
   右は全員での記念写真です。来年久喜での1日目にこれを行います。

  私はこの「日独同時交流」には深いつながりがあります。昭和60年=1985年、旧久喜市本部は創立10周年を
 迎え、各種記念事業を実施しました。その目玉として「第12回日独同時交流受け入れ」を行い、その前年第「11回
 日独同時交流派遣指導者」として、私が訪独したのでした。「派遣と受け入れ」、この2年間は私にとって、何にも耐え
 がたい貴重な2年間であり、その後の活動のすべての原点となっています。
  ところで埼玉県は最強の少年団本部、この事業も「関東第2グループ」の中核で、毎年どこかの市町村本部が受け
 入れしています。当然「2度目の受け入れを」との要請が、県本部から寄せられていました。久喜市の組織力からして
 当然お引き受けすべきでしたが、のらりくらりと逃げてきました。「合併がある。合併後日が浅いので」等々と。
  それは旧久喜市と同じように、新市本部の10周年にやりたいとの思いがあったからです。県と久喜市の思いとが
 合致、来年平成?31年=2019年に行うことが決定しました。

  29年は宮代町で行い、私は県本部を代表し、歓迎パーティであいさつしました。そして今年は吉見町の受け入れ、
 今日京都から新幹線で東京駅、マイクロバスにて出迎え、吉見町着が15:30、受け入れ民泊家庭との対面式を
 見学しました。会場は吉見町民会館、その4Fにある「フレサスカイホール」が会場でした。吉見町は今・人口2万人
 を割っています。が大変立派な建物でした。ドイツ団は指導者1人、団員11人の12名、指導者は30歳前後の
 男性ですが、ドイツ人には珍しく小柄な方、お聞きするとレスリングの選手とのこと、軽量級なのでしよう。団員は
 いわゆるリーダー団員で16歳~20歳まで、男女ほぼ同数でした。日本の団員もこの年齢の人が訪独します。
 団員の身体はみな立派でした。通訳を入れて本部長・副町長・議長があいさつ、続いて指導者挨拶・団員自己
 紹介とつづき、民泊家庭との対面、民泊家庭の中には、流ちょうな英語で自己紹介する方から、消え入りそうな
 声の方といそれぞれですが、1週間後は同じく涙と共にお別れするのです。
  しばらく談笑の後、夜の全員での「食事会」に備え、民泊家庭に帰っていきました。

  良き参考となりました。この後お別れパーティまでの間、いくつかの交流プログラムを見学に来る予定です。
 また来年8日間の久喜でのプログラムを、これから考えていかねばなりません。定番のものに日本の盆踊りへ
 の参加があります。最近久喜では盆踊りが少なくなりました。明日27(金)は清久工業団地で、28(土)は南栗
 コミュニティ広場で、行われる予定です、。こちらも見ておこうと考えています。
  とにかく33年前の日独同時交流は、その後のすべての原点となった素晴らしいものでした。来年、2度目の
 それを見事にし遂げて、静かに消えていこうと私的には考えています。 

  平成30年度・久喜市放課後子供教室全体研修会 7/21(土) 久喜市総合文化会館 

  久喜市放課後子ども教室(ゆうゆうプラザ)の、平成30年度全体研修会が、猛暑の続く21日「久喜市総合文化会館
 小ホール」で開催され参加しました。久喜市の放課後子ども教室も、久喜小(くきっ子ゆうゆうプラザ)で、平成17年開校
 以来14年目に入りました。市内全23校で実施され、すでに本年度も1学期中の活動を終えています。今年の参加者は
 3、188名、全児童中44・2%を占めています。様々な問題点をそれぞれが抱えつつも、活発に展開されている事を
 うれしく思うものです。その要因は熱心なサポーターにありますが、運営委員会の関係者への的確な各種研修会の
 実施もその1つです。今年も7月にこの「全体研修会」、秋に各実施校の「見学会」、そして冬には「情報交換会」が
 予定されています。ただ「全体研修会」も、ここまで回数を重ねてきますと、マンネリ化の傾向にあります。正直申して
 「何だ!これは」という研修会も、いくつかありました。そうした意味で今回はパネルディスカッション、コーディネーター
 青山氏はこれで久喜では3度目、単に講演だと「またか」という思いを持つのですが、市内でいろんな活動で子供と
 関わっている3人のパネラーと共に、それなりに良く考えた企画でした。
  もう一度コーディネーター、パネラーを紹介します。
  コーディネーター 青山鉄平氏 文教大学人間科学部准教授 前記したように久喜市には多く来られています。
  パネラー  井上弘江氏  幸手市立行幸小学校校長(前久喜市立青毛小教頭)
          高橋久江氏  久喜市子ども会育成連合会副会長(くきっ子ゆうゆうプラザ実施委員)
          谷口信子氏  桜田小学校学童クラブ支援員
  まず青山先生が問題提起の基調講演をされました。簡単にいえば、①放課後子供教室は大切ですよ、②でも難しい
 ものですよ、ということです。家庭教育力・地域教育力の低下、一方での学校教育の肥大化、こうしたことを背景に
 子供の体験活動・居場所の減少、貧困と教育格差等の問題がある。こうした問題点を止揚するものとして「放課後
 子ども教室」がある、豊富な体験活動の機会を提供し、安心・安全な居場所を提供し、学習支援を行い、格差の是正を
 図る、そしてそれを親・教師とのタテ、子ども同士のヨコの関係でなく、サポーターとのナナメの関係で行っていく良さ、
 そしてこの活動を地域住民の生涯学習活動として、地域づくりのきっかけとして展開していくこと、の大切さが①
  ②「でも大変ですよ」、として、先生とも親とも違う立場が求められる、よその子を叱る難しさ、体験と安全とのバランス
 等、まさに私たちが常日頃感じている「難しさ」を列記されました。そして私たちに「何をするか」よりも、「何のために」
 が必要とされ、さらに自身が楽しむこと、ときどき悩むこと、を提案されていました。
  パネルディスカッションに移りました。井上先生は「幸手市立行幸小」と「幸」が2つもある、幸せ溢れる現勤務校の
 古き良き時代そのままの地域教育力にふれ、さらに特別な支援を要する子どもへの対応を語り、最後に子供の
 夢と大人の夢を合体させようと結ばれていました。
  高橋久江氏は現「くきっ子ゆうゆう」で一緒に活動する仲間です。また2代目の実施委員長を務めました。その時の
 経験から学校との好もしい関係づくり等を話され、また先の相模原市の現地研修での、感動した話をされていました。
 ただ連合子ども会副会長ですので、そこでの体験話を聞きたかったのですが、これはありませんでした。
  谷口信子さんは学童には絶えず問題がある、とされ、これからも子供と一緒に生活していきたいとされていました。
  パネルディスカッションはいつもそうですが、話す内容がぐんぐん深まっていく事は期待できません。
  今回もその例にもれぬものでしたが、マンネリを打破する良い企画であったことは事実です。
  
        ◎ 久喜市放課後子供教室現地研修会・相模原市 7/10(火)

  西日本各地に大きな被害をもたらせた大雨も、一段落した
 10日(火)猛烈な暑さの中、久喜市放課後子ども教室現地
 研修会を神奈川県相模原市で実施しました。
  圏央道経由のバス利用、参加者は事務局・運営委役員・
 実施校委員長を中心とした25名でした。
  相模原市は人口72万の政令指定都市です。私は高校時代
 から良く山に登りました。そのころよく丹沢の山を歩きました。
 たしか一番東の「塔が岳」から縦走して、降り立った駅が横浜線
 の「橋本駅」だった記憶があります。山の中の静かな駅でした。
 
 左・相模原市役所       右・中央省現場視察
  それが今一大ターミナルとなり、リニア新幹線駅として、時代の脚光を浴びているのですから、時代の流れと
 いうのは恐ろしいものです。ここでは相模原市役所会議室で説明を受け、その後「中央小学校」・「根古屋小学校」2つの
 学校の放課後子ども教室を見学しました。「中央小」は、市内中央地区にあるかっての大規模校(現480名)、根古屋小は
 山間部にある100名強の小規模校です。ここの放課後子ども教室は、市長部局の「こども・若者支援課」が担当しています。
  初めから放課後子どもプラン推進事業として組織されました。「放課後子どもプラン」とは、文科省の「放課後子ども教室」
 と厚労省が従来から実施している、児童クラブ事業を合わせた事業です。最大時6校、現4校で実施されています。
  上記4校は校内の施設での教室実施型、ほかに市内に23ある児童館、24あるこどもセンターで実施している事業に参加
 する事業実施型があります。見学した2校は「教室型」ですが、久喜市とは全く異なっています。そこに「地域のボランティア」
 は存在しません。非常勤一般職であり、有給の児童育成指導員が主任1人、指導員3人、必要に応じて補助員が配置されて
 います。見た目では「学童」と何ら変わりありません。私はこの6年「福祉健康常任委員」にあり、市内の学童施設は、殆ど
 見て歩きました。そうした施設に子供たちが集まって来、思い思いに遊ぶ、それを指導員が安全管理を兼ねてみている、と
 いうものです。この状態ですから毎週月~金、年間230日は開校できるのです。
  「放課後子ども教室」の組織化は、各市町によりまちまちです。久喜市はボランティアの活動家が、多くの地域ボランティアの
 参加を頂いて実施しています。子どもたちに「体験」の場を提供することを狙いとした講座型です。この方法はそれを可能に
 する多くの地域ボランティアの存在=地域教育力を必要とします。久喜市はこれを可能にする地域教育力=市民力をもって
 いるのです。ただこの方法では実施日数の少なさ、久喜市では30日前後という欠点もありますが。
  私は久喜の方法が好きです。というより地域の人間がかかわらない、「放課後子ども教室事業」を否定します。地域の大人
 たちが、子供を真ん中にした活動を通して、より豊かな地域コミュニティ=教育コミュニティを形成していく、ここにこそ
 放課後子供教室や、コミュニティスクールの本質があります。
 
   社会教育委員の委嘱を頂きました・30年度第1回会議 6/13(水)  教育委員会会議室 

  13日(水)教育委員会会議室で、30年度・「第1回久喜市社会教育委員会」が開かれました。会議に先立ち30・31
 両年度の社会教育委員に委嘱状が交付され、私も委嘱状を頂きました。
  久喜市の社会教育委員は条例で20名以内とされ、今回目一杯の20名が委嘱されています。継続8名、私も含め
 新規12名です。正直申して私は民間人となり、どうしてもやりたい仕事が2つありました。コミュニティスクールに係る
 「学校運営協議会委員」、「スポーツ推進審議会委員」です。ともに私の議会での発言で発足した制度・組織です。
 責任を持ち続けたいと思ったからです。だから社会教育委員の方は、あまり希望していませんでした。しかし今年から
 選出に社会教育団体枠が設けられ、スポーツ少年団からも1人となりました。スポ少の会議で2度諮りましたが、該当者
 なく、私となった次第です。ほかに団体枠は「文連」、「P連」、「ゆうゆう」、「高大」、「市大」、「校長会」等、あとはいわゆる
 公募です。
  最初に正副委員長を選出、委員長に金子氏(学経)、副委員長に後藤女史(婦人会・ともに継続)が就任しました。
 お二人とも私とは親しく、長い活動仲間です。
  その後事務局よりパワーポイントを使い、「社会教育委員に求めること」なる説明を受けました。
 1・社会教育と生涯学習
 2・社会教育委員の役割(一般論)
 3・今後の取り組み(久喜市での)として、①コミュニティスクール、②放課後子供教室、③成人式について
 1・2・3の①・②は私の専門中の専門分野、こうしたことを聞かねばならないのか、とちょっと辛い時間でした。
 3の③成人式については、例の成人年齢の引き下げ(2022年4月1日)に伴い、成人式をどうするのか、という事
 これも社会教育委員会で話し合う事?と思いました。私は議員に立候補するまで「公民館運営審議会委員」として、
 10年弱活動していました。今この組織はありません。やはり社会教育委員会の仕事なのでしょうか。
  その後意見交換に移りました。社会教育委員の1・社会教育の諸計画の立案、2・教育委員会への諮問答申、意見を
 述べる、3・調査研究等ですが、住民のニーズをとらえ、教育委員会との橋渡しをせねばなりません。その意味で来年
 4月オープンが予定されていた生涯学習センター、今新市長により「立ち止まり、再検討する」対象となっています。しかし
 生涯学習センターオープンに向けての市民要望は、大変大きなものがあります。また今後の久喜市の社会教育活動
 生涯学習活動の充実には、センターはどうしても必要な施設です。社会教育委員として早期整備に向けて活動すべし 、
 こう意見を申し述べました。多くの方の賛同を頂き、今後の活動の大きな柱にしようとなりました。
  意見交換を終え、最後に各種委員会への、社会教育委員からの選任を決定しました。放課後子供教室運営委員、
 久喜市立図書館運営協議会委員、人権啓発実行委員、高大・市大運営委員等々何と13もありました。
  私は最後まで遠慮していましたが、皆が1つは受けるべしとのことで、「市民大学高齢者大学運営委員会委員」を
 お引き受けしました。
  皆と話しをしているうちに、大いにやる気が出てきました。でも、あんまり出しゃばらずにやっていくことにします。 
 

          ◎ くきっこゆうゆうプラザ・30年度開校  6/7(木) 










   平成30年度も6月に入り、久喜市放課後子供教室(ゆうゆうプラザ)の新年度の開校式が、各小学校で行われて
 います。わたくしが実施委員を勤める久喜小(くきっ子ゆうゆうプラザ)でも、7日開校式が行われました。
  開校式に先駆け、本年度もお世話いただく、「サポーター全体会」を持ちました。所で本年の「くきっ子ゆうゆうプラザ」
 です。214名の児童が参加(全児童数464名)、各教室への登録サポーターは96名です。その他にここ数年目立って
 いますが、多くの保護者サポーターが協力、「空いているときに出来ることを」の下、下校サポーターのみならず、受付、
 開校式・閉校式の準備、写真、パソコン、印刷と多くの部門に協力をいただいています。―写真・左―はサポーター
 会議です。後列が約80名の保護者の皆様、左が教室サポーター、開校式ではもう少し増えましたが、こちらのほうは
 ちょっと寂しい出席でした。
  木曜日が19日、10講座、土曜日が12日15講座です。「お囃子体験」、「ロボットを作ろう」、「ふわふわ凧」が
 新しい講座、人気を呼んでいます。いずれにせよ、教室サポーターの皆様のご努力が何よりも大切です。変わらず
 よろしくお願いします。なお児童の参加率は変わっていませんが、高学年の参加者が少ないというのも変わりません。
  これは全市的問題、対策を講じていかねばなりません。

  下校コース毎に整列した児童が参加、本年度の開校式です。司会はこのところ参加児童が行っています。まず参加児童
 代表が「開校の抱負」を述べました。―写真・左2― 私たちはこの子たちの期待に応える、楽しくも、有意義な各講座を
 展開していかねばならないのです。柿原実施委員長―写真・右2―、次いで運営委員会代表、校長、PТA会長と挨拶を
 いただきました。その後子供たちと対面形式でのサポーターの自己紹介、次いで「諸連絡」とあって終了です。児童が
 各教室の感想を述べたり、作品を見せたり、またダンス形式のものの発表会、等々のある閉校式と違って開校式ですから
 この辺で仕方がないところでしょう。
  しかしそれからが結構大変でした。参加児童は各下校コースに集まり、体育館前に集合、下校サホーターの保護者と
 ともに下校するシステムです。子供たち、特に初参加の1年生には、このことをしっかり理解してもらわねばなりません。
 ―写真・右―のように、色違いの下校コースを記したポスターを、よく理解してもらってから解散、いったん教室に戻り
 体育館前に再集合、数を確認しそれぞれ帰宅していきました。

  「くきっ子ゆうゆう」は今年で14年目に入ります。14年間継続されている講座もいくつかありますが、それ以上の14年間
 継続されている実施委員、サポーターの方もおられます。今年は新たな実施委員も加わっています。私たちは絶えず
 実施委員、サポーターの獲得を図りながら、マンネリに陥ることのない活動を図ってまいります。私は民間人となって初の
 1年となります。もう言い訳?は聞きませんから、100%の出席を目指してまいります。

      ◎ 平成30年度第1回・久喜小学校地区生徒指導推進委員会 5/25(金)

  平成30年度の第1回「久喜小学校地区生徒指導推進委員会」が、25日久喜小で開催されました。今久喜市内は
 全小中学校34校が、コミュニティスクールに移行しています。この「生徒指導推進委員会」はもう10数年前から
 地域の方々の教育力の応援をいただいて、生徒児童の健やかな育成を図っていくことを目標に、市内全小中校に
 組織されています。地域の構成団体は、各々の学校において少し異なると思います。学校運営協議会委員、区長
 保護司、民生委員・児童委員、放課後子供教室実施委員、そしてPТA役員等です。かって久喜小ではスポーツ
 少年団もそうでした。私は久喜小地区のスポーツ少年団を代表して副委員長を務め、久喜中地区生徒指導推進
 委員会にも出席していました。私の団の活動停止とともになくなりました。だから今日の出席は2年ぶりのこと
 大変懐かしく、かつうれしく思いました。ただ残念なことにスポーツ少年団は、構成団体でなくなっていました。

  会議開始前に体育館で、全校児童との顔合わせがありました。久喜小は今年の入学生が66名、全部で463名
 です。いつものことながら少子化には胸の痛む思いです。対面で1人1人が自己紹介しました。総勢50人近くですが
 校長先生の問いに、「みんな覚えた」と低学年時、どっと笑いが起きていました。終わりは私たちが入口に向かい
 あって並び、その中を子供たち全員が「手タッチ」で教室に戻っていきました。私たちが全員を「覚えられない」のは
 確かです。
  会議室に戻り、「推進委員会」を始めました。校長、PТA会長が挨拶、お二人ともに新人です。次いで教務主任
 より、「本年度の生徒指導の重点について」、「いじめ防止対策基本方針について」、「あいさつ運動について」説明
 を受けました。各月毎に「進んであいさつします」とか、「ていねいな言葉で話します」といったように生活目標が定め
 られています。また「自己肯定感」を高めるための「くるみ賞」、時間を見て行動する「ノーチャイム」等々について
 です。また「久喜小いじめ防止基本方針」はA4版7ページに及び膨大なもの、「事例は」との問いに、28年度=2件
 29年度=4件とのこと、すべて解決済みとのことでした。
  あいさつ運動は今年も6月、8月、1月の3回、延べ10日、推進委員メンバーが参加して行われます。その後
 情報・意見交換に移りました。わたくしは久喜小の学校教育目標に何度か登場する、「基本的生活習慣つくり」
 これは森信三先生の「時を守り、場を清め 礼を正す」から来ているのですが、同じく小泉先生が唱えた「躾の
 3原則」でいう、例えば座っていた椅子を戻すとか、靴をそろえるとか、具体的なものを提起すべきでは、と発言しました。
  いずれにせよ議員をやめて、こうした仕事を与えていただき、原点に戻って活動できるのはうれしいことです。
  
これからも頑張ってやっていきます。

        平成30年度第2回・久喜小学校運営協議会・避難訓練見学 5/8(火) 









  私が本年度から、「久喜小学校学校運営協議会委員」の委嘱を受け、第1回の会議に出席したことは、本ページ
 4/11日付で報告してあります。この会議は毎月1回開催の予定であり、その都度報告する事はないのですが
 本日はその前段に「地震対策総合訓練」があり、その見学をしました。
  訓練は以下の方法・内容で行われました。13:00緊急連絡訓練(家庭連絡メールで連絡)
  子供たちは教室で安全な非難の仕方について話し合う
  13:40 緊急地震速報着信(第1動作―頭巾をかぶり、机の下に身を伏せる―をとる)
        地震到達、第1動作を取り続ける
        クラスごとに校庭に避難・第2動作をとる(頭巾のまま校庭に固まり座る) ―写真・左―
        被害状況を把握、第1動作についてクラスごとに話し合い  ―写真・左2―校庭に迎えに来た保護者
  14:05 地区ごとに一斉下校の隊形に並びかえる
        地区ごとに保護者への引き渡しを行う  ―写真・中―
        児童と保護者一緒に、地区別活動場所に移動
  14:30 各地区(久喜小は12地区) 活動場所で「DIG」を行う。(ディグ=地図を囲み災害をイメージ、課題を発見し
        対策を検討するための手法) ―写真・右2、右― 保護者・児童は一緒、進行は地区役員。話し合い→
        発表→ワークシートに記入 
  15:15 屋外集合場所(各校門)に地区別に整列
        地区委員、担当教員、保護者、児童一緒に下校、通学路の点検、話し合った内容の確認 
  
  以上の内容です。校庭に避難したところから、最後の各校門に集合したところまで見学しました。久喜小地区は
 比較的危険な個所の少ないところです。ディグで地元の本二地区を覗いたとき、地図上で学校を囲み、自分の
 家は道路の反対側だ、なんて言っている子供もいました。しかし実際の災害時はどんな状況になるのか、想像
 できません。何度もこうした訓練をするべきと考えます。それと最後の地区別ディグの際、体育館や、各教室に座って
 行ったため、中には寝てる子供もいたりで、やや緊張感に欠けていました。特に一緒に行うとされた保護者が
 大半は見ているだけという状況でした。今回の反省点にしていただきたいと考えます。

  その後1時間遅れの会議となりました。今日の感想点、今年の学校のスクールプランに謡われている「№1構想」
 について話し合い、解散しました。

           ◎ 北小での読み語りボランティア、今年も始まりました。 5/2(水) 

  
私が「久喜市立北小学校」で、児童向けの読み聞かせ(語り)ボランティアを、もう15年近く継続している事は
 何度か報告してきました。当時、少年団で子供を相手に多くの時間を過ごしている私が、その子供のことでもの
 すごくイヤなことを経験し、別の角度から子供と接してみたいと思ったからです。当時久喜市立図書館で行っていた
 「読み聞かせボランティア養成講習会」に参加、たまたま私と他の活動でご一緒している、仲間の方が何人かおられ、
 お誘いを頂き「北小で」となりました。
  最初の頃は月1回、年9~10回位でした。朝8:15校庭で、体力向上等の運動を行っていた子供たちが教室に
 戻り、8:30の授業開始までの時間です。市立図書館や県立図書館で、対象学年により読む本を数冊選択、家で
 それらを数回読み、1冊を選ぶのです。対象学年、季節、絵、内容等考慮するのですが、これが結構難しく、良い
 本が決まるとまず仕事の8割は終了という感じです。
  15年も続けてきていろいろ変ってきました。まず自分の側からいうと、高齢からくる肉体的衰えです。体力でなく
 視力です。基本的に絵本を読むのですから、読むと同時に絵を見せるのです。ために手をいっぱいに伸ばし、
 本を垂直に立てて読むのが鉄則です。メガネをかけているといえ、最近この姿勢で読むのがしんどくなりました。
 おいおい手元で、本は斜めで、となってきました。
  もう1つは主催者、学校側の問題です。「図書ボランティア」のPTAのお母さんたちが増え、この仕事を2分する
 ようになりました。良いことですが当然私たちの回数は減ってきました。それと「学習指導要領」・授業時数の関係が
 あります。特に今年は新しい「学習指導要領」が前倒し実施されます。「外国語・英語」の関係です。授業時数を
 むやみに伸ばすことはできませんから、当然朝のフリータイムが、それで削られることになるのです。
  そんなことで今年の回数は、なんと年間5回となりました。さすがに学校側は気兼ねしたのか、今日の終了後
 PTA図書ボランティアの皆さんとの、交流会を企画してくれました。初めてのことでした。

  仲間も私同様、皆高齢化しています。みんな「もうそろそろ」と言っていますが、「やめる」とまでは言いません。
 てなことで私も続けることとしました。北小での読み語りボラ、男性は私1人、「綱引き」の指導で顔を覚えられ
 結構人気があります。何よりも子供はかわいく、接するのが楽しいものですから。


     平成30年度・久喜市高齢者大学入学式・始業式 4/13(金) 久喜総合文化会館小ホール

  13日、午前中に下段の「学校運営協議会全員研修会」
 に出席、午後は総合文化会館小ホールの「平成30年度
 久喜市高齢者大学 入学式・始業式」に出席しました。
  今、超少子・高齢者社会、子供の健やかな育成と、元気な
 高齢者の活動は、一体として重要、なんて理屈をいう
 ことはしません。とにかく「久喜高齢者大学」の卒業式
 入学式は、出られる限り出てきたのです。それに
 おそらく、ご案内を頂くのもこれで最後か、なんて思うからです。

   今年の入学制は、男性31名、女性25名の56名でした。2年生45名、3年生51名、4年生71名、在校生は
  223名です。久喜地区と鷲宮地区が多く、菖蒲地区、栗橋地区、特に菖蒲地区の学生が少ないようです。
   入学式の会場は小ホール、今までと、案内にも大ホールとなっていましたが、急遽変更したようです。小ホールは
  定員300名ですから、十分です。これからは、ここに定着してしまうのでしようか。とにかく最盛期の半減どころか、
  1/4減です。「久喜市民大学」の本年度入学数も、13名とお聞きしています。10代前半に落ち着いてしまっています。
  残念なことです。最も高齢者大学の入学者数減は、「働き方」にも関係しているようです。定年60歳の頃は、元気な
  高齢者がわっと入学してきました。今、65歳まで働くのは普通になっていますし、プラスしてα、70歳まで、という方も
  結構おられます。その年になり、4年制の大学はきついよ、ということなのでしょうか。
   とにかく久喜市・ふるさとを知るを中心とした学習、仲間づくりの各種クラブ活動、プラスしてボランティア活動、この
  3つを中心とする、高齢者大学の活動と存在は極めて大きいといえます。
   高齢者大学は開校昭和54年、今年で40年目を迎えます。この間、高齢者の元気な生活と、生きがいづくりへ
  果たした役割は大きいものがあります。高齢者大学が、再び多くの入学者を迎え、充実・発展することを願うものです。
 

     ◎ 平成30年度・学校運営協議会・第1回全員研修会 4/13(金) 鷲宮総合支所4F会議室

 
 下段で報告しましたように、私は11日久喜小の
 
「学校運営協議会委員」となりました。ピカピカの
 新人ですが、さっそく本日の平成30年度・第1回
 「学校運営協議会全員研修会」に参加しました。
  そして私にとって、記念すべき最初の本日の研修会
 講師が、何と「岸祐司」氏でした。
  すでに何回か記してきました。私の生涯学習推進
 活動の中心点は、一貫して「地域と学校との関係」にあり、学社連携→学社融合の概念にとりつかれて来ました。

   平成10年前後、「秋津コミュニティ」として、学社融合の先駆的活動をしていた、習志野市立秋津小学校を4~5回
  訪問し、同校校長宮崎先生や、コミュニティ会長だった岸氏から、親しくご指導を頂きました。宮崎校長先生から
  「岸さんという人は、皆コミュニティの創造に熱心ですね。」と、お褒めの言葉を頂いたこと等、懐かしい思い出です。
   その後岸先生を久喜市にお呼びし、ご講演をいただきました。また両氏が主催する「学社融合研究会」にも入会
  いくつかの研修会に出席しました。その岸先生が講師という事、何をおいても参加させていただいたわけです。

   講演内容は今まで多く拝聴してきた中身そのもの、何の抵抗もなく聞ける楽しいものでした。今までの久喜市の
  CSに関する研修会は、(外部の人間として数回参加)貝ノ瀬先生等教育委員会、いわば「官」の人でした。岸先生は
  100パーセント「民」の人、それも長きにわたる実践者です。我が意を得たりの内容に満ちていました。
   地域とともにある学校=コミュニティスクール(CS)は、学校とともにある地域=スクールコミュニティ(SC)でなければ
  ならない、のっけからこうスタートしました。そして1年365日、延べにして年間1・3万人もが活用する秋津小内の
  コミュニティルームの実際に触れながら、CSの実態、そうした活動の子供たちへのメリット等に触れました。
  「CS」は法律(地方教育行政の組織及び運営に関する法律・平成16年一部改正)で制度化されました。昨年度から
  各教育委員会の導入努力義務とさえなっています。文科省主導型、どうしても「CS」の匂いが濃く、「SC」に
  ついてはあまり語られない、と常々感じていました。これは大変難しいことですが、今後に多くの示唆を得ました。

   研修会は写真のように、会場あふれる人たちが参加しました。講演終了後、各学校毎の協議となりました。
  その間岸先生に10数年ぶりにご挨拶をしました。覚えていていただいたのには感激しました。「融合研」の活動も
  ここ10年ご無沙汰しています。「会員登録簿には残っています。会費を納入、すぐ再開を」と言われたのには
  赤面しました。今後の活動の中でしっかり考えます。
    というわけで、私としては中身というより、懐かしさのあふれた研修会でした。とにかくこれから久喜小の
  「CS」活動、しっかりやっていきます。

  
       ◎ 久喜小学校運営協議会(C・S)に出ました。4/11(水) 久喜小学校 

   11日午後・久喜小学校において、平成30年度・第1回久喜小学校学校運営協議会が開会され、初参加しました。
  ご承知のように久喜市では、平成28年度から太東中地区、昨年度から市内小中学校全てで、コミュニティスクール
  が導入されました。各学校に保護者・地域・教職員等の代表からなる「学校運営協議会」を組織、教育委員会が
  承認したものを「コミュニティスクール」と呼びます。その目的は地域の人間が、教職員と一体となり学校運営に参加
  する事、地域と一体となった学校を創っていくことにあります。平成16年「地方教育行政の組織と運営に関する法律」
  の一部改正によりこのことが可能となりました。下段で述べたように、生涯学習推進活動にのめりこんでいた私の
  最大の関心点は、学校と地域との関係でした。千葉県習志野市の「秋津コミュニティ」に何度も訪問、同会長・岸氏が
  主催する「学社融合研究会」の会員でもありました。そうした立場から、平成16年当時「地域子供教室」と呼ばれた
  現在の「放課後子供教室・ゆうゆうプラザ」の導入を求める質問をし、一発でОKとの答弁を頂きました。翌17年
  私のところの久喜小で開校、市内全23校で開校され、14年目に至っています。
   その後は久喜市へのコミュニティスクール導入1点に絞り、質問をし続けました。コミュニティスクールは昨年度から
  その導入は、各市町村教育委員会の努力義務となるまで成長し、29年4月現在、全国で導入3600校を数えるまで
  拡大しています。しかしその歩みは遅く、『時宜早尚』、『もう少し検討する時間が欲しい』、『県内では2校のみの
  状況にある』等々、答弁は厳しいものでした。関連質問も加えれば5度に及びましたが、現柿沼教育長になって
  やつと「導入する」との答弁を頂いた時は、小躍りするほどうれしかったものでした。
   前記したように、28年太東中地区3小中校をスタートに、29年度にはなんと市内全小中校に、「学校運営協議会」が
  組織されけるに至りました。
   ところで私です。昨年の全校導入にあたり、何としても久喜小や久喜中の、「学校運営協議会委員」になりたいと
  思いました。久喜市では議決機関に属する人間(要するに議員)は、各種審議会委員になれません。それが高じて
  何らかの形で市や、教育委員会が関わる組織にも、ご遠慮いただこうという状態にあります。デモンストレーション
  までしましたが、案の状お呼びがかかりませんでした。涙を呑んで待つこと1年、民間人であることが確定して、晴れて
  ご指名を頂いたことになります。だから今日の会議は私にとって、まさに至福の時でした。
   これも下段で記したように、私はこの30年間久喜市で起こったあらゆる生涯学習・社会教育に関することを
  インプットしています。久喜小・久喜中地区の多くの活動団体を熟知しています。久喜小・久喜中地区の学校と
  地域の未来について多くの「絵」を描いています。これからの活動の全てを、この1点に集中するといっても過言で
  ない活動を展開したいと考えています。
   今日の30年度第1回会議は、新任の穂村校長先生をはじめ、全員の自己紹介、活動予定、何よりも平成30年度
  学校経営方針の承認等で閉会しました。とにかく頑張ってやっていきます。


     ◎ 平成30年・久喜市生涯学習まちづくり研究会総会 4/10(火) 中央公民館  

   久喜市生涯学習まちづくり研究会(まち研久喜)・中里厚子会長の、30年度総会が10日中央公民館で開催され
  ました。「生涯学習」とは何ぞや、なんて改めて言う気もありませんが、久喜市において生涯学習活動を組織的に
  推進していこうとする活動、いわゆる「生涯学習推進体制の整備」、と呼ばれる活動がスタートしたのは昭和63年
  です。平成元年・2年と「文科省」による、生涯学習街づくりモデル事業に参加、そのための必置機関として
  「久喜市生涯学習推進会議」を組織したのです。議長・坂本市長、副議長・渡辺助役、戸賀崎教育長、高橋社会
  教育委員長でした。肩書はいずれも当時のもの、そした個人名の前に全員「故」が付きます。私はこの時、「社会
  教育団体代表」として、「委員」に委嘱されました。塩崎区長会長、野原公運審会長、斎藤体協会長、一時期の
  久喜市の地域活動に一時代を築かれたリーダー、事務担・丸林先生と、皆「黄泉」の旅に立たれています。
  当時を知るのは、私ただ1人と言えるでしょう。第1回久喜市生涯学習(現在のまなびすと久喜)を平成元年2月に
  開催しました。総合文化会館大ホールでの講演形式のもの、その時の講師が文科省生涯学習官・「福留強」氏、
  現「NPO法人・全国生涯学習まちづくり協会代表」というのも何かの因縁でしようか。
   以来私は生涯学習推進活動にのめりこんでいきました。前期「生涯学習推進会議」は、数年も経ずして無活動
  状態に陥り、久喜市の実戦部隊を網羅した「生涯学習会深部」を、当時の担当者原島氏(現青葉公民館長)と
  ともに組織、初代会長を10数年務め、「市民主導の生涯学習活動」の原型を形作りました。
   平成7年1期生として「久喜市市民大学」に入学、10年3月同大学院を卒業しました。このころから前記した
  福留氏が主宰する「全国まちづくり研究会=当時」に参加、同会会員となり、各種研究会に多く参加しました。
   そして13年「市民大学校友会」を組織、14年「久喜市生涯学習まちづくり研究会」を発会させたのです。
   翌15年「学校支援ボランティアの会」を組織、思えば久喜市の生涯学習推進活動のピークの時期でした。

   以来「まち研久喜」は、少人数ながら15年を超え、活動し続けてきたことになります。なお前半は濃かった
  「全国まち研」との関係は、現在はありません。今までの活動は「見知」と呼ぶ、久喜の街を見、知ろう、そこから
  いろんなことを再発見していこうという活動でした。旧久喜市から、合併後3町にまで広げ、実施してきましたが、
  現在はなくなっています。
   会員は増えず、高齢化しました。寂しい限りです。今は放課後子供教室=ゆうゆうプラザ、市民まつり、
  まなびすと久喜等への参加、支援が主になっています。月1回の定例会も、夜の出席はつらくなった、ということで
  今年度から昼間となります。久喜市の多くの地域活動と同様、低迷の状況に陥っているようです。
   議員を辞して、晴れて1民間人となった私は、これからの活動の多くを、放課後子供教室・ゆうゆうプラザと
  久喜小コミュニティスクール・学校運営協議会に置きたいと考えています。
   教育活動を通した地域コミュニティ、教育コミュニティ創造の活動です。「生涯学習街づくり」の考え、理念と
  変わりません。頑張ってやっていきます。
  

          ◎ 久喜中・栢間小の入学式に出ました。 4/9(月)・10(火) 

  葉桜の候となりました。入学式のシーズンです。9日(月)は中学校、10日(火)は小学校の入学式が、市内一斉に
 行われ、中学校は母校・久喜中、小学校は菖蒲地区栢間小のそれに出席しました。








   平成30年度・第72回入学式、入学生は172名でした。新入生はちょっと大きめのポプラ色の制服に身を固め、
  入場(―写真・左―)、 皆良い顔をしていました。校長式辞で新任された堀内校長先生は、久喜中のモットー「志に
  生きる」にふれ、「志」の上、「士は人」、「下・心」は文字通り心・精神を意味するとし、新入生=人は、久喜中に学ん
  でいく心・精神をしっかりと持ち、歩みだそうと話されていました。教育委員会の言葉(―写真・左2―)、来賓祝辞と
  続いて、入学式では付きものの「職員紹介」がありました。やはり小学校よりはちょっと上という年齢層でした。
  (―写真・右2―) 形通りに進んだ入学式は形通りに終わり、新入生は退場していきました。(―写真・右―) 
  私の23年間続いた議員という立場での、入学式参列は今日で終わったことになります。小学校と異なり、どうしても
  地域との関わり、なじみが少ないのが中学校です。しかし私にとっては大切な母校、これからもコミュニティスクール
  小中一貫教育校としての「選善館」活動を通し、久喜中に関わり続けたいと考えます。来賓に配布されました入学式
  のパンフ入りの封筒に、平成30年度「学校経営プラン」の冊子が、同封されていました。良いことだと思います。








   小学校の入学式は、菖蒲地区南部の「栢間小」に出席しました。23校ある小学校には、その地区に議員がいない
  地区があります。その都度調整するのですが、議長からの要請によるものです。栢間小には議長の時、一度入学式
  に出ています。また以前教委で社会教育を担当しておられたT氏が校長先生の時期や、「綱引」の指導に何度もお伺い
  しており、なじみのある学校です。校庭にシンボルである大銀杏や、51本もの桜の木があり、自然見豊かな学校です。
  (―写真・左―) 今年の入学生は14名です。(―写真・左2―) 新入生の後ろに、在校生代表で座っていた新6年生は
  20名、全校生110余名、久喜地区の江1小・江2小、鷲宮地区の鷲宮小・上内小と並んで、同じ菖蒲南地区の小林小
  との統廃合の対象となっています。
   校長式辞、教育委員会の言葉、市長祝辞(代理)に次いで、久喜市議会を代表し私が祝辞を述べました。『1人1人が
  呼名を受け、元気よいお返事・挨拶がとても立派だったこと』を述べ、栢間小でのこれからを、学校の教育目標
   (か・や・ま)のように、かしこく、やさく、まっすぐに歩んで行ってください。』と結びました。
   6年生児童が、栢間小の様々な行事の
写真をかざしながら、「歓迎のことば」を述べました。(―写真・右2―)
   入学式恒例の職員紹介、ちょうど昨日の久喜中のひと学年という感じでした。(―写真・右―)
   小さな学校には小さな学校なりの良さがあります。一方大勢の子供たちと、切磋琢磨しながら学んでいくことも大切
  です。栢間小児童の将来がより良いものであることを願い、同校を後にしました。


         ◎ 「くきっ子ゆうゆう」新年度の準備が始まりました。 4/7(土)

 
 「久喜市放課後子供教室」(ゆうゆうプラザ)の1番校として、平成17年スタートした「くきっ子ゆうゆうプラザ」は、
 本年開校して14年目を迎えます。平成30年度の開校準備が進んでいますが、7日(土)同校「多目的室」において、
 「代表者会議」を開催しました。本年度開校までまだ2カ月ありますが、はや本番ムードというところです。  
 
  久喜小「多目的室」に各教室の代表者、実施委員等にお集まりいただきました。開会、くきっ子柿原実施委員長、
 飯島運営委員会会長、久喜小穂村校長のご挨拶を頂きました。飯島会長は某学校のゆうゆう関係者による懇親会
 で出た話『ゆうゆうのサポーターは優しすぎる。すぐ手を出し、手伝ってしまう。子供たちが自分でやる、考えると
 せねばならない』、を紹介していました。私たちも心掛けるべきものです。
  穂村校長先生は、前任者の田村校長に代わり、新任されました。桜田小―太田小と「ゆうゆう」、「コミュニティ
 スクール」に関わってこられました。地元の方、私とは古き活動仲間です。よろしくお願いします。
  さて今年の活動です。木曜日が19日、土曜日が12日の31日間です。延べ実施日数に昨年度と同じです。
  木曜日は、「学習、そろばん、編み物、遊びの広場、フラダンス、ヒップポップ&ダンスをつくろう、ドッヂボール、
 グラウンドゴルフ、スポーツ吹き矢、囲碁、陶芸とパステル」の11教室です。
  土曜日は「ミニテニス、理科遊び、陸上、習字、押し花、料理、お茶、花アレンジ、クリスマスリース、ミニ工作教室
 絵手紙、阿波踊り、お囃子体験、ロボットをつくろう、イタリアン、ふわふわ凧」の16教室です。
  木曜日の教室は毎回実施されますが、土曜日は最長で4回、お茶・クリスマスリース等1回のものもあります。
  新教室は「ふわふわ凧」、「イタリアン」、「ロボットを作ろう」・「お囃子体験」の4つ、今年の目玉となります。
  「ロボットを作ろう」は本当に良い人に巡り合えました。久喜小児童の保護者の方です。
  「ふわふわ凧」のサポーターも、この世界では全国的な方です。
  「お囃子体験」は、久喜の提灯祭りの囃子です。上記4つはいずれも子供・保護者にとって魅力的なもの、今から
 ワクワクしています。
  
  そのあと活動場所、連絡方法当を確認、散会しました。本年度開校式は6/7(木)15:15~です。その前
 13:30にサポーター全体会を持ち、万全を期してスタートします。
  入学式、5上旬に児童への教室紹介、そして中旬から参加申し込みの受付と続いていきます。 
  去年はどういうわけが多く公務と重なり、開校式・閉校式も欠席でした。今年からはそんなことは無いとなります。
 言い訳はできません。頑張っていきます。



                平成29年度・久喜小学校卒業式  3/23(金) 









  
久喜小裏庭の桜の花も、4部・5部咲きのものまである、すっかり春の気候となった中、平成29年度・久喜小学校卒業
 証書授与式が行われ出席しました。久喜小は私の母校であり、走っていけば1分とかからぬところにあります。それ
 どころか、子供の頃は遊び場であり、長じてスポ少、ゆうゆう等々、とにかく四六時中「そこ」にいる、まさに「オラが
 学校」なのです。
  ところで先に出席した久喜中学校の卒業式は第71回でした。本町小・北小・東小といった学校も、第**回卒業式
 としているはずです。久喜小は開校明治6年・1873年、校歌にも歌われているように、1803年設立の郷学「遷善館」
 の教えを継ぐ、140年を優に超す伝統校です。開設地は我が家の菩提寺「光明寺」て゛した。その後火災にあったり、
 何回かの制度改革があり、大戦中の混乱ありで、正式な卒業式の回数がわからないのでしょう。
  今年の卒業生は68名、100人を割ってしまうと大騒ぎしたのは、何年前だったでしょうか。寂しい限りです。
  入場、全員が呼名を受け、今年退職される田村校長先生から、卒業証書を授与されました。
(―写真・左―)別れの
 さびしさ、緊張感と、「やるぞ」との意気込みが同時に表れていて、すごくさわやかでした。
  校長式辞の中で田村校長先生は、「夢はでっかく、根は深く」という、「相田みつお」氏の言葉を引用しつつ、夢を
 実現するため、深くて太い根を張る努力を促していました。教育委員会の言葉から、来賓祝辞へと移り、市長(代理)
 についで私が挨拶しました。久喜小地区には3人の議員がいますが、先に述べた私と久喜小との関係から、皆が
 忖度してくれて、ここ10年以上いつも私がしています。ありがたいことです。ずっと続けていると内容に苦労するもの
 です。今年は「サンティグジエペリ」が、「星の王子様」で使った、「1番大切なものは目に見えない」を引用、逆に「目に
 見える久喜小を取り囲む1番大切なもの」……遷善館の教えを継ぐ140年余の伝統、高い教育力・特に「夢創造科」、
 地域の方々の学校経営への応援等々を紹介、その中で過ごした6年間に誇りと自信をもって、新しい世界を歩んで
 頂きたいとしました。まあこうした式での最後の挨拶となりました。とにかく人前で挨拶したりが、大好きな私としては、
 何とも寂しい限りです。
  教育委員会からの卒業記念品授与
(―写真・左2-)、逆に卒業生からの卒業記念品贈呈と進んで、「別れの詞」
 です。最初の卒業証書をかざしての詞が印象的でした。
(―写真・右2―) 「月が草から出て、また草に沈むという
 草深き武蔵野の一隅、久喜にある学校」という、何とも時代を思わせるわが校歌を斉唱、卒業生は退場していきました。
 
(―写真・右―) 本町小、北小からの新しい友人もきます、学科・教科毎に先生が違います、ある意味で中学生活の
 大きなウエィトを占める部活動も始まります、今までとはだいぶ違った生活となります。でも大丈夫ですよ、1番大切な
 もの、で囲まれた久喜小学校での6年間の積み重ねは、君たちに確かな未来を約束しています。
  私もこの4月から、1民間人として、久喜小の応援に頑張っていきます。私としても思い出に残る卒業式でした。
  

              ◎ 久喜小学校 感謝の会 2/7(水) 久喜小学校体育館  









  裏日本側では大雪、関東地方も厳しい寒さが続く7日(水)、久喜小児童による地域の
 方々への「感謝の会」が開催され、出席しました。久喜市では早くから地域教育力の
 応援を頂いて、「学校経営」に当たってきました。そして本年度からその集大成として
 市内全小中校に、「コミュニティスクール」を導入しました。そうした活動の先頭にたつ
 「学校運営協議会」、「久喜っこゆうゆう」、「学校応援団」、「登下校安全見守り」の人達
 およそ久喜小の子どもたちの安全と、健やかな育成に関わる大勢の地域の方が
 参加されました。

  玄関から控え室の図書館まで、控え室から会場の体育館まで、かわいい低学年の
 子ども達が両手を曳いて案内してくれました(―写真・上左―) 会場に入ってまず「あれっ」て思いました。
 児童の数、特に高学年の子が少ないのです。校長先生のあいさつの中で解りました。
  大流行のインフルで、6年生2学級、4年生1学級が学級閉鎖中との事でした。子供たちも先生方も、ほとんどがマスクを
  着用していました。大変な中、ありがたいことです。
   会は企画・運営・司会全て子ども達によるものです。児童代表感謝の言葉、感謝を込めての合唱
(―写真上・左2)、
  お礼の手紙、子ども達の手作りの鉢植えとプレゼントを頂きました。
(―写真・下―)はプレゼントされた感謝の手紙、
  鉢植えの花2鉢、そしてネームプレートです。ありがとう、大事にします。その後「地域の人」を代表し、久喜小学校運営
  協議会の斉藤委員長が、逆の感謝の言葉、というより、学校側からテーマを指定されたとのことで、「挨拶」について
  子ども達に話しをしました。
(―写真・上右2―) あっという間に短く、楽しい時間が終わり、入場と同様、子どもたちが
  作る花のトンネルをくぐって退場しました。
(―写真上・右―)

   前記したように久喜市内すべての学校に、コミュニティスクールが導入されていますが、その前から全ての学校を
  すべての地域の人たちが応援、そして全ての学校で、地域の人たちに感謝する集いがもたれているようです。
   とても良いことです。「良い地域が良い学校を創り、良い学校が良い地域を創る」からです。


     平成29年度・久喜市放課後子ども教室・情報交換会 11/30(木) 鷲宮総合支所会議室 

   平成29年度・久喜市放課後子供教室・「情報交換会(全体会)」が、30日鷲宮総合支所4F会議室で開催され、出席しました。
  私と「久喜市放課後子供教室・ゆうゆうプラザ」との関りは、もう何度も報告しています。「スポーツ少年団」から選出、全体の
  運営委員と、久喜小(くきっ子ゆうゆうプラザ)の実施委員、そして主に屋外スポーツの教室サポーターをしています。いつも
  :現状の立場にあることから、参加は限定されていましたが、今年は特に他の公的行事と重なり、出席が思うに任せず
  心苦しく思っています。お許しください、という所です。
   研修会には市内全23小学校実施校から、100名を超す参加者がありました。飯島運営委員長、柿沼教育長挨拶の後
  3実施委員長より事例発表がありました。
   我が「くきっ子ゆうゆう・久喜小」実施委員長、柿原氏からは、地域サポーターと共に、運営に欠かせない「保護者サポーター
  確保」について、次に市内最小規模の「光の子ゆうゆうプラザ・江面第二小」木村委員長より報告を聞きました。今年で開校
  9年目、47%の児童の参加がありますが、それで28名、すなわち全児童数が58名なのです。地域2名、保護者3名から
  なる実施委員会、小規模校ゆえの大変なご努力が伝わる報告でした。今、江面第Ⅰ小との統合の動きが進んでいます。
   「学校が真に地域コミュニティの中心となる為に、この活動が重要なのだ」という言葉が印象的でした。
   最後に「あおばっこゆうゆうプラザ・青葉小」不破委員長より、この活動に欠かせない「安全」に対する報告を受けました。

   その後「テーマ別意見交換会」に移りました。① 保護者や地域人材の確保、② 講座のあり方と工夫、③安全問題、の
  3つです。1グループ6人から8人、テーマ別に16のグループを構成してのディスカッションです。私は②「講座のあり方と
  工夫」に参加、6名の仲間でした。実施委員長もおられれば、1実施校のサポーター、数校に渡る講座指導者と立場は
  色々でした。「ゆうゆうノートの活用」、プログラムの工夫(人気のある講座、新しい講座の開発)等、また自分の講座の
  苦労話等が話されていました。参加者の顔ぶれを見ると、毎回参加している方も結構おられますが、初めてという方も
  おられます。いつも同じ話しの繰り返しとなりますので、チヨット閉口という感じも持ちます。しかしいつも新しい人の参加
  を求め、充実を図っていくことは変わらぬ課題なのでしよう。

   最後にいつもながら余計な一言。我が「くきっ子ゆうゆう」の柿原さんが、報告でも言っていたように、かっては年間50週を
  超す開校日を持っていました。現学習指導要領が始まり、授業時数が拡大、1週5時間授業は1日となり、現在の31週に
  縮小されました。現在土曜日だけの開校という実施校もあります。新学習指導要領の実施は数年先ですが、ほぼ来年度
  から先行実施されます。小学校への外国語(英語)の授業化に伴い、授業時数が年間35コマ増えると言われています。
   そのしわ寄せが土曜日に来るのでしようか。いずれにせよ何らかの形での、「ゆうゆうプラザ」への影響は避けられないと
  考えます。「ゆうゆうプラザ」の重要性を思い、またそれを久喜市教委が語る以上、久喜市教育委員会の十分なる配慮を
  求めるものです。

      ◎ 久喜南わかぎ学園・研究発表会  11/7(火) 久喜市立南中学校 

  久喜南中学校区の南中・江1小・江2小・清久小の
 4校は、平成28・29年と、「久喜市教育委員会」から
 「確かな学力と健やかな心身を育む小中一貫教育の
 推進」 ~主体的・対話的に学び、考えを深める学習
 指導を通して~、の研究委嘱をうけ、研究活動を続け
 てきました。その研究発表会が、7日南中で開催され
 参加しました。また本年からのコミュニテイスクールの
 開校に合わせ、上記4校を「わかぎ学園」としています。


   研究活動の具体的内容は、4小中校教員の人的交流の促進、子供の「学力観」・「指導観」・「評価観」の共有、9年間の
  「学びの連続性」を意識した授業改善の促進による、学力向上を目指すものです。「久喜南わかぎ学園協議会」を組織し、3つの
  専門委員会で、「知=学力向上」、「徳・体=豊かな心の育成」・「連携=学校・家庭・地域連携」の内容研究を重ねてきました。
   今日の発表会はその集大成、1部が南中各教室での公開授業、2部が体育館に移動しての全体会、①ワークショップ、
  ②研究概要発表・指導講評、③講演会という盛りだくさんの内容でした。

   「南中」は誕生して56年、各学年2クラス、生徒数210名の規模です。6クラスの授業公開の他に、音楽室で江1小・江2小
  6年生合同での音楽の授業がありました。この2つの学校は、久喜市の学校統廃合の優先校となっています。合同授業がすでに
  何回も行われているのでしょう。本当に打ち解け合って楽しく、授業をしていました。担当は3校の先生でした。
   この授業の他にも1年生の理科を、江2小教員が南中教員と共に授業をしていました。小中教員の交流は十分なされている
  感じを持ちました。1年生の別のクラスの友人を紹介する英会話の学習、2年生の少人数による数学の授業(習熟度別?)
  3年生の受験期を控えての、上手な自己PRの学習等に興味を持ちました。どのクラスも男女が大変仲良く、楽し気な授業風景に
  感心しました。先に「久喜中ポプラ祭」の時に感じた、学校経営の良さはどこでもおなじようです。

   体育館に移動して「全体会」です。まず前記した3専門委員会研究の、「1・学力」、「2・豊かな心」の2グループに別れての
  ワークショップです。私は「2・豊かな心」に参加しました。「ソーシャルスキルトレーニング」を1年間実践し、どんな場面で、どんな
  振る舞いをすればいいのか学ぶことが出来、より良い人間関係の構築につながった、との報告がありました。ところで私は
  40年を超えて、スポーツ少年団活動に関わっています。スポ少の目的は「青少年の健全育成」です。「健全」の中身は心と体、
  「丈夫な体と豊かな心」、という事です。実際はスポーツのトレーニング・練習をする、その合間・過程で、「好きなスポーツが出来る
  ことを、全ての人達に感謝しよう」、「同じスポーツをする仲間を大切にしよう」、「ルールを守るだけでなく、フエアープレイの精神で」
  と話すのです。健全育成とはそうしたものの結果、チヨットした違和感を感じました。
   そのあと研究の全体像の発表があり、南中の教頭先生がワークショップになかった「学校・家庭・地域連携」についてもふれられ
  ました。この地域は前から、「清久コミュニティ協議会」に代表されるように、地域連携に濃い所、地域の輪で子供を育てていこう
  という気運の高い所です。教員の相互乗り入れ授業、学校行事への相互参加等、活発な状況がよくわかりました。
   久喜市教育委員会指導主事の「講評」の後、最後に講演を受けました。講師は共栄大学教育学部教授「濱本 一」氏、濱本氏は
  白岡市内の中学校教員、県教育局等の前歴もお持ちの方です。
   濱本先生は小中高等学校での、暴力行為・いじめ・不登校等の問題にふれながら、子供たちにとって、学校とは安心できること
  成長できること、自信が持てる事、の場でなければならないとし、さらに自分の良さを見つけて、将来に希望が持てる、言葉を換えれば
  人間関係づくりと学力向上をもたらす場、でなければならない、とされました。その上に立ち、小中一貫教育を通して、こうした課題に
  取り組んでいる、子供たちが落ち着いた雰囲気で学習している「わかぎ学園」を高く評価し、全国レベルでの研究発表と持ち上げて
  いました。後は新学習指導要領に関わる「アクティブラーニング」や、「キャリア教育」について話されていました。長くなりますので
  割愛します。

   久喜市では今、コミュニティスクールの全面的導入に応じ、太東中地区(太東学園)、南中地区(わかぎ学園)、久喜中地区(遷善館
  学園)なる名称の下、小中一貫教育への取組がなされています。その最先端を行く「わかぎ学園」の取り組みを、今日の発表内容を
  濱本先生同様高く評価するものです。私もこれから地元久喜中地区で、「遷善館学園」の活動に、何らかの形でかかわっていきたいと
  考えます。
      写真・左は江1・江2小6年の音楽の授業、右は濱本一先生の講演風景です。  

      平成29年度・久喜中ポプラ祭を見ました。10/28(土)久喜市立久喜中学校

 
 先週の「北斗祭」に続いて、今日は久喜中学校の
 
「ポプラ祭」を見させていただきました。プログラムに
 
「71th」と記されていましたが、この大会が第71回と
 
いうのではありません。私は久喜中学校第12回の
 
卒業生ですが、こうしたイベント自身ありませんでした。 
  私の息子や娘が在籍していた頃、「合唱祭」なるものが
 
あったと記憶しています。それが久喜中のシンボル
 
ポプラにあやかり、「ポプラ祭」に発展したものと思われます。


   内容は午前が全学年・全クラスの合唱コンクール、午後が文化部(吹奏楽部・合唱部)の発表会です。とにかく各クラスからの
  実行委員と生徒会による自主運営、会場内のデコレーションも全て美術部等生徒の手づくり、春の「体育祭」と並ぶ、メイン
  イベントですから、子供たちの意気込みが伝わってくるさわやかなものでした。今回の「ポプラ祭」は、~響け 仲間と励んだ
  この瞬間~とのスローガンがついていました。開会式で実行委による「聖火入場」には笑ってしまいました。
   1年―2年―3年の順にクラス別に歌うのですが、最初に学年全体による合唱があります。1年生のみ4クラス、他は5クラス
  やはりほぼ200人による合唱は迫力があります。クラス別はビアノ伴奏、指揮共に仲間がやります。いつもながらその見事さに
  感心します。いつも女子ばかりなのですが、今年は指揮・ビアノ伴奏共に男子がいました。まあ当然ですね。
   やはり学年が上がるごとに、平均して上手くなる、素人の私にはそう聞こえます。学習効果というやつでしようか。各クラスごとに
  みんなで曲目を決め、音楽の時間だけでなく、放課後や昼休みにも練習するそうです。1・2年生が終わり、3年生が始まる前に
  休憩が入ります。その時間に3年生はクラスごとに円陣を組み、お互いを励まし合っていました。この風景は体育祭の時、「クラス
  対抗綱引き」の前にも見られます。そんな風景を見ながら、「アぁ・久喜中の学校経営はうまくいっているな」といつも思うのです。

   全部終えて審査員講評(外部の音楽教師)がありました。「美しい言葉を大切に」と言われました。一瞬意味が良く分かりません
  でしたが、美しい言葉で話す、美しい言葉の思いを知る、ということ、要するに歌の歌詞を大切にし、思いを込めて歌うとさらに
  良くなる、という意味でした。さすがにプロは違うなと感心しました。あと指揮者のアクションについても、細かい注意を述べて
  おられました。
   さて私は前記した通り久喜中の卒業生ですから、久喜中の入学・卒業式には必ず出席します。久喜中の卒業式では最後
  校歌斉唱の前に、(卒業)「式歌」として「名づけられた葉」なる曲が歌われます。私は初めてこの歌を聞いた時、その歌詞も
  旋律にも、背筋が凍るほどの感動を覚えました。「Uou Tube」でこの歌を何度も何度も聞き、今では私も歌えるようになりました。
   「何故この歌を、卒業式で歌うようになったのか」と中学生の子をもつ、私のサッカークラブの親に聞いてみました。「ポプラ祭
  で歌われ大変好評だった。それ以来。」と言っていました。~ポプラの木には ポプラの葉~で始まるこの歌は、ポプラをシンボル
  とする久喜中にも、旅立つ子供を励ます卒業式の歌としても最適と考えます。
   このポプラ祭にひたむきに励んだ生徒たちが、これからもひたむきに中学校生活を送り、成長されることを期待しています。
   応援していきます。
  

          ◎ 平成29年度・ありがとう北斗祭  10/21(土) 久喜市立北小学校 

  「北斗っ子 笑顔と感謝を届けよう」をテーマとし
 平成29年度・「ありがとう北斗祭」が、雨が降り続く
 それどころが大型台風が接近する21日、久喜市立
 北小学校で開催されました。
  このページでも何回か報告していますが、北小で
 読み聞かせボランティアを、もう10数年やっている事
  また最近では11月のほとんどを、「綱引」の指導に
 費やしていること等々で、私もご招待に預かりました。


   内容は1部が体育館での「音楽発表会」、各学年が合奏・合唱等を聞かせてくれます。Ⅱ部は「北斗っ子ゆうゆう」も含む
  教室での、それぞれ企画に富んだ「出店」です。この会には大勢の地域の方が招待されていました。開会式でその中の1人
  K氏が表彰されました。かって少年野球の指導者であり、私とは40年を超える仲間です。私が北小へ行くと必ずおられる
  まさに地域の学校ボランティアのはしり、見本みたいな方です。表彰者が学校運営協議会の会長と好調の連名、コミュニティ
  スクールが発足した今年、いいなと思いました。
   さて音楽発表会です。1年生から6年生まで、合唱・合奏・斉唱・合唱奏を聞かせてくれました。いつも思うのですが、全員が
  1年生まで「ピアニカ」等、見事なまでにこなしているのには本当に感心します。ただ1月になったのはそれぞれ1学年の人数
  の少ないこと、50人を超えているのは6年生だけでした。おそらく他の学年は1クラスなのでしようか。文科省は望ましい
  学級数を、小学校では12~18学級としています。クラス替えがあったほうが良いのです。丁度今日は、衆議院選最終日、
  やはり子育て支援策の強化はどうしても必要なのです。
   Ⅱ部は教室での「出前」、各教室で子供たちが工夫を凝らして出し物があり、大勢の参観者が楽しんでいました。
   写真は左が音楽発表会のステージです。「写真をお撮りになるのは構いませんが、SNS等での公開はご遠慮下さい」
  とアナウンスがありました。最近はどこでもこの状態にあります。右は「北斗っこゆうゆう」での、「紙コップを積もう」、紙コップを
  ピラミッド状にいくつ積めるか挑戦していました。これも子供の顔が映ってないのはこれだけでした。

   開会式で子供たちから、大事に育てた鉢植えの花を頂きました。ありがとう、大切にします。
   最近は多くの学校で、こうした地域の方々に、感謝するイベントを持ってくれるようになりました。有り難いことです。
   でも地域の人が、学校に関わるのは当たり前の事なのです。「良い地域が良い学校をつくり、良い学校が良い地域をつくる」
  からです。コミュニティスクールもそうしたものなのです。


          ◎ 平成29年度・久喜市放課後子供教室全体研修会 7/1(土) 菖蒲アミーゴ












   久喜市放課後子ども教室「ゆうゆうプラザ」の、平成29年度全員研修会が、1日「菖蒲文化会館・アミーゴ」で開催されました。
  開会式で飯島運営委員会会長が挨拶(―写真・左―)、その中で今年のゆうゆう参加者、市内全校で3182名、全児童の
  46・3%に達している事、サポーターは2700名余と紹介していました。会場にはこうした活発な状況を反映するかのように
  230名余が参加しました。今回の研修は神奈川県横浜市の「特定非営利法人・まちと学校の未来」代表理事、竹原和泉
  先生による―社会総がかりで子どもを育てるために―「放課後子ども教室とコミュニティ・スクールとで創る地域の未来」と題する
  講演、題名通り今回は、ゆうゆう関係者の他、今年から市内全小中校で、始まったコミュニティ・スクール=学校運営協議会
  関係者も出席されていました。

   竹原先生はパワーポイントを使い、わかりよい話しをされました。(―写真・中―) 「ゆうゆう」も、「コミュニティ・スクール」も
  共通の目的・ネライは「子どもの未来」にある、そのために縦軸=時間(小学校・中学校・高校→社会人)と、横軸=空間(学校・
  地域・家庭)のつながりが大切、子どもの成長のためのつながりは、同時に大人のつながりでもある、から始まりました。
   次いでこの活動の中で大切なことはプロセスを共有する事、これは情報の共有→ミッション・課題を共有→アクションの共有
  →小さな成功体験の共有のサイクルだとされました。子供が参画して創り、大人も一緒に楽しめ、社会につながり、地域に
  ひろがるプログラムを、と力説されておられましたる
   総論を終え、「コミュニテイスクール」に入られました。学校内に「学校運営協議会」を置くのは当然ですが、プラスして「地域
  連携担当教職員」の組織をおけ、とされました。そして地域に「地域学校協働本部」を組織、そのコーディネーターと前記した
  「地域連携担当職員」との連携・協働をもって、学校と地域との効果的な連携・協働、その推進体制を構築していくべきとされ
  ました。さらに「PDCA」のサイクルになぞり、審議機関としての「学校運営協議会」は、熟議をもって「P」を担い、「D」を
  「学校支援地域本部」が担う、「C」チェック・学校関係者評価を、と言っておられました。この部門はかって「学校評議員」が
  担っていました。しかし久喜市では「学校運営協議会」発足とともに、「評議員制度」を廃止しています。「Cチェック」の重要性
  を改めて痛感しました。久喜市には「地域学校共同本部」は未組織です。改めて地域の中にこうした組織は必要なのだろうと
  思います。今後の活動の発展に待ちたいと思います。
   最後にコミュニティスクールは、地域と学校の望ましいあり方を構築する、その活動を推進していく仕組みだとされました。
  最後にコミュニティスクールは、「よい子をそだてるための漢方薬、じわじわ効いてくる」と話されたのが印象的でした。

   閉会式では竹原先生に花束を贈呈、(―写真・右―)感謝の気持ちを表しました。その後席を移し、約40名参加しての
  懇親会、竹原先生も出席され、和やかで楽しい時間を持ちました。

   
            平成29年度・久喜稲門会総会・懇親会 6/16(日) 三高サロン 










   16日開催された「早稲田大学稲門会・埼玉県支部・久喜稲門会平成29年度総会」に出席しました。久喜稲門会が発足したのは
  平成に入って直ぐの頃、間もなく30周年を迎えます。旧久喜地区のみでしたがТ会長を中心に、まとまり良く、結構活発に活動
  していました。そのТ会長は10年以上勤められた後、高齢を理由に退任、代わりにK会長となりました。K会長は私の中・高・大
  を通しての先輩、理念に燃え、熱心に会長職を勤められたのですが、Т会長時代ののびやかで、親しい人間関係の中にいた
  会員と若干ミゾを生じてしまいました。ここ数年を越え、活動量が減っていた状況、私も仲間の顔が見えない総会に大分ご無沙汰
  していました。何人かの校友により、再建への道が模索されていました。今年の総会はF新会長を中心に、いわば再建大会として
  持たれたという事が言えます。
   総会は大変な盛り上がりを見せました。来賓に羽生・春日部・蓮田白岡各稲門会代表、そして大学から校友会担当役員を迎え
  懐かしい会員で会場は溢れました。(―写真・左―) 会場正面にエンジの早稲田カラーに、稲穂に大学の校章を記した旗が
  つるしてあります。とにかくいいな、と思うのですから不思議なものです。(―写真・左2―) 提案された議案はすべて了承、
  これがやりたくて出席したという校歌の斉唱です。出席者の中には、いつも必ず「応援団」とか、「早稲田精神研究会」OB
  タイプがいて、見事にリード、皆気持ちよさそうに「早稲田 早稲田 ― ― ―  早稲田 早稲田」と大合唱でした。(―写真・右2―)
   それから会場を移しての懇親会、みな楽しい時間を過ごしました。(―写真・右―)

   当然稲門会会員である田中市長も出席です。挨拶の中で全国600いくつかある市、その市長のうち、早稲田OBは63名で
  トップ、以下日大・慶応・東大・中央の順、最近青学がちらほら出ている、と言っていました。県内40市でももちろんトップで
  熊谷・和光等だそうです。
   早稲田本学から来られた校友会担当役員は、最近の大学の状況を語ってくれました。少人数授業、4人に1人の教授、
  英(独・仏)語だけでの授業、もちろん全員にパソコン、こうした少人数授業教室だけの高層校舎もあるそうです。私など
  600人入る例の「小野梓講堂」での授業のみ思い出に残っていますが。

   とにかく私は本ページ5/27日付(母校・東工大付属工高のクラス会に出ました。)でも記したように、大学には進めない身
  でした。亡父が正月に「家業を昼間手伝って、夜なら行ってよい」と急に言い出したのが幸い、ひと月の受験勉強で、いわゆる
  夜間部・「早稲田大学第二政治経済学部経済学科」に滑り込みました。それでもみんなが「岸さん早稲田だよね」と聞かれると、
  「はい」、「どこ」―「政経です」、専門は「経済です」と答えるわけです。そうするとみんなが「優秀なんだ」と思ってくれるわけで、
  これは生涯学習推進の活動に従事する者としては、なんとも面はゆいことです。
   とにかく好きなもの以外勉強したという記憶がありません。だから卒業に5年かかりました。その卒業の年に
  「学費大幅値上げ反対・学生会館の管理運営権を学生の手に」、という「学・学闘争」で、150日間の全学ストライキがありました。
  「早稲田をゆるがした150日間」として、今も語り草になっています。全校舎バリケードで封鎖、ために卒業試験は行えず
  論文提出となりました。いわば私はこのどさくさで、卒業できたという事になります。
   ところでこの日、早稲田祭実行委の学生がゲストとして来ていました。私たちへの資金カンパのお願いの為です。皆千円、
  中には1万円とカンパしていました。早稲田祭は 世界一の学園祭としてあり、私の頃は左翼一色に染め上げられている
  内容でした。今日来られた男女の実行委学生、大学との友好な関係の下で早稲田祭を運営しています。
   私は今、青雲の志と異なり、体制の中にどっぶり身を置いて生きていますが、どうかこの学生たちは、荒ぶる早稲田精神の
  持ち主であってほしい、と思うのは私の身勝手でしょうか。

 
                くきっ子ゆうゆう・救急手当法講習会 6/7(水) 久喜小  










   久喜小放課後子供教室(くきっ子ゆうゆう)の、29年度開校式は8日です。丁度6月定例会一般質問の初日、大変残念ですが
  私は出席できません。この日保護者も含めて大勢のサポーターが出席します。開講式の前にサポーター会議を開催しますが
  それに合わせ、久喜小の保健担当の先生による、「応急手当法講習会」を実施します。「心肺蘇生法」を伴う救急法のそれ
  ではありません。ゆうゆう参加の子どもたちが、転んで擦り傷をつくる、ドッヂボールで突き指をする、ぶつかって打撲した、
  そんな事故・ケガに対応するものです。当然私はそれにも参加できません。
   ところで久喜小のプールはこの日・8日から開始されます。これに合わせ先生方は、毎年「救急手当法」の勉強会を行って
  いるそうです。そんな事あってはいけませんが、「くきっ子ゆうゆう」での万一に備え、こちらも研修しておく必要があります。
   たまたま前日だった研修会にお願いしたところ、気持ちよくご承知いただき、実施委員数名と参加しました。
  
   講師は日本赤十字社・埼玉県支部のインストラクター、会場は久喜小多目的室、参加者は30名弱という所でした。
  (―写真・左―)  研修は肋骨圧迫(―写真左2―)と、人工呼吸(―写真・右2―)から始まりました。
   肋骨圧迫は傷病者の胸下部中央を、手のひらの手首に近い部分で、約5c肋骨を押し下げるものです。1分間に100~
  120回のテンポです。人工呼吸はマウス・То・マウス、傷病者の気道を確保した後、自分の口から相手の口へ吹き込む
  ものです。約1秒、心臓圧迫を優先し、30回、人工呼吸を2回、これを繰り返します。

   いよいよAED(自動体外式除細動器)です。AEDを使っての救急法講習会は、「日赤」と「消防署」が熱心に行っています。
  私は長く消防組合議員にありましたので、もう20年近く前に消防署のそれを受講しました。その後3年に1回位、3回ほど
  受講しましたが、ここ暫く御無沙汰していました。AEDを使うまでの流れはこういうものです。
   傷病者の発生―① 全身・周囲の確認―➁反応(意識)の確認・なかった場合―③協力者を呼び、119番通報とAED依頼
  ―④ 前記した肋骨圧迫30・人工呼吸2を繰り返す―⑤ AEDの到着  到着後はこうなります。
   1・本体のフタを開け、電源スイッチを押す 以降は音声メッセージに従う
   2・電極バッドを張る。 2か所(―写真・右―)  傷病者から離れる
   3・心電図の解析に従い、ボタンを押す
   4・④を再開する。電気ショックから2分おきに心電図の解析が行われます。

   大体こうした流れです。実際は交通量の激しい場所だったり、協力者がいなかったり、傷病者が出血していたり(感染対策)
  乳幼児であったり、といろいろなケースが考えられます。救急法は「知っている」と、「出来る」とは決定的に異なるのです。
   日赤にしろ、消防署にしろ、何度も講習会に参加し、研修しておく必要があります。

   開校式をまえにし、良い研修をさせていただきました。久喜小関係皆様に感謝申し上げます。


            ◎ 久喜小(20・土)、久喜中(28・日)の運動会に出ました。

  20日久喜小・28日
 久喜中と両日ともに好天と
 大変な暑さの中、行われた
 運動会・体育祭を観戦しました。
 もっとも久喜中は所用あり、
 早期退席、観戦と言えない
 かもしれません。



  私の子どもの頃、運動会とは秋の行事と決まっていました。
 幼稚園は今でもそうですが、すっかりこの時期のものに
 定着してしまいました。特に小学校の場合、1年生など
 入学して日も浅く、練習その他、大変だなといつも思います。
  6・5年生による鼓笛隊の行進は、秋の市民まつりの頃に
 比べると、「いまいち」の感がありますが、それでも結構「様」
 になっています。下級生から上級生まで、よく頑張っているな、
 が感じられ感心します。


   久喜小の運動会、ブログラムの最初の方は、50m~100mまでの学年別「徒競走」です。一時期全く走るフォームになっていない
  子が、相当数いたのですが、この頃めっきり減りました。やはり「児童の体力復調の兆し」は本当のようです。
   写真上段は久喜小の運動会恒例のプログラム、左・大玉送り、中・よさこいソーラン、右・組体操です。あと写真にはありませんが
  紅白対抗応援合戦がユーモラスでした。組体操プログラムは久喜中にもあります。一時期「危険だ」との報道が新聞紙面を埋め、
  止める学校がいくつかありました。組体操は良いものです。安全には配慮しつつやるべきです。両校に敬意を表します。

   ほとんどを見させていただいた久喜小と違い、久喜中体育祭は前記のように1時間ほどで失礼しました。写真下段、左は各団毎に
  色とりどりの応援旗を先頭にした入場行進、右は100m走です。中学生の走りは、さすがに迫力がありました。入場行進の背景は
  ポプラ並木です。私より2年後輩の、田中市長の卒業時に植樹したと聞いています。以来50年余、久喜中のシンボルとなりました。
  しかしここ数年何本かが枯れてしまい、写真の数となりました。昨年久喜中70周年を記念して、10本近く植えました。最低数十年
  かかりますが、また一時期のうっそうたるポプラ並木を見たいものです。最も私ははるか天空から眺める事になりますが。

   最後にお恥ずかしい話しを1つ、久喜中体育祭で議会を代表し挨拶しました。かって私は君たちと同じ場所に立っていたこと、
  だからこの体育祭をずっーと見続けてきた、とまず述べ、『好きなシーンがあります。組体操の最後に人間ピラミッドをつくり、
  頂点に立った君たちの仲間が、「光れ 久喜中 燃やせ命」との垂れ幕を下ろすシーン、そして団対抗綱引きの前に全員で肩を
  組み、円陣をつくり、仲間を鼓舞し、相手にエールを送るシーン』と続け、『それは君たちの体育祭にかける、久喜中生活に
  かける意気込みの表れ、どうか今日1日が、「心に刻む体育祭」(今年の久喜中体育祭のスローガン)であってほしい。』とやって
  終えました。ここまでは、唯一衰えを見せない口の動きですからよかったのですが、あとがいけません。降壇の際、朝礼台の
  下の地面が透けて見える、急なステップにバランスを崩し、慌てて駆け寄った結城校長先生に支えられました。ああヤダヤダ。
   足・腰・バランス感覚の衰え、留まるところを知らず。先のポプラ並木はごく直近に、それも天空ならぬ地の底で見ることに
  なりそうです。

            ◎ 母校・東工大付属工高のクラス会に出ました。 5/27(土) 都内新橋 

  
 26日(金)、東京は西新橋の某中華料理店で持たれた、私の母校である「国立東京工業大学附属工業高校機械科」・昭和37年
  卒のクラス会に出ました。この日午前は「市民ニユースのページ」で報告した、東鷲宮西停車場線延伸道路開通式に出ました。
   午後は2時から鷲宮総合支所会議室で、「久喜市社会福祉協議会理事会」がありました。この理事会、通常約2時間の会議です。
  ところで先のクラス会は16時から18時までの会です。どう考えたって大幅な遅刻です。でも何も考えず出席と返事を出しました。
  どうしても出たかったからです。(案の上、社協理事会終了後、脱兎のごとく車を運転、東鷲宮駅西口駅前に車を停め、JRに飛び
  乗りました。会場着17:15、75分の遅刻、約40分のクラス会、それでも大満足でした。)

   何としてもクラス会に出て、仲間でなく、恩師に会いたかったのです。私の高校は東京工業大学附属工業高校、その機械科です。
  田町駅前東口にあります。3年間ここで恩師S先生の下、同じ36人の仲間と学び?ました。そのころ片道たっぷり1:30分かかり
  ました。何故ここへ進学したかというと亡父の意思です。プレス加工業を営んでいた父は、自慢の長兄が文学の道へ進んだのに
  がっかりし、次男の私に何が何でも工業高校へ進学させ、家業を継がせようとしたのです。母校は国立大学の付属です。筑波大・
  東学大等付属高校はいくつかありますが、母校は全国で唯一の国立の工業高校です。全国から受験できます。前の東京オリン
  ピック直前、高度成長経済の中にあり、理工ブームの到来中でした。何よりも試験日が都立・県立より約1カ月早いため受験者が
  多く、15倍という倍率でした。よく田舎中学出の私が合格できた、と今でも不思議に思っています。
   
   ここで3年間の青春を送りました。前記したように就職も、もちろん進学も関係ない3年間です。(結果として、卒業直前に亡父が
  「3兄妹の仲、親の意思に沿ったお前だけ大学へいかないのはかわいそうだ。昼間稼業をやり、夜間部ならよい。」と言って
  くれました。早稲田大学第二政治経済学部に進みましたが。) よく遊び・よく遊んだものでした。3年間勉強をしたという記憶が
  ありません。3年間のうちに、時として度が過ぎたり、社会の規範を外すことがありました。そんな私を飛びぬけて優秀で、大人の
  仲間は暖かく守ってくれました。何よりも恩師S先生の存在が第一でした。先生がいなかったら、この工高を無事卒業できたかと
  考えるくらい、私はこの師が大好きです。
   我が恩師は都立両国高校、横浜国大を卒業後、東京都墨田区の中学教師を経て、母校機械科の教官となりました。私たちを
  送り出して数年後40代前半に、師の母校横浜国大工学部に招かれ、同大学教授として定年退職されています。中学教員から
  横国大の教授まで進まれたわけで、優秀ぶりは良く分かります。「機械力学」、「原動機」等に関する専門書もいくつか出されて
  います。一応専門家である?私は目を通したことがありますが、チンプンカンプンでした。一見ぶっきらぼうですが、いつも
  暖かく私たちに接してくれました。
   このクラス会は齢と共に5年に1回から、3年に1回、そして隔年開催となりました。先生は毎回必ず出席され、お元気な姿を
  見せてくれていました。頑固なリベラリストであり、最近の年賀状、暑中見舞いの返書には、「戦前への引き戻しに心配する。」
  とか、「安保法制に反対」といった文字がありました。政治家である私だけへの返事なのでしょうか。少し心苦しく、それ以上に
  懐かしく拝読しています。横浜のご自宅にはよくお伺いしました。素敵な奥様がいつも歓待してくれました。その奥様が昨年
  黄泉の旅に立たれました。そのことを後から知らされた仲間と、お墓参りに行ったのですが、その時も急な公務が入り、欠席
  しました。お詫びをしたいという気持ちでいっぱいでした。それと師は94歳になりました。お子様は独立され、1人暮らしです。
  お体はまずまずなのですが、眼がお悪くなり1m位までしか見えないそうです。だから横浜からクラス会に出てこられるのも
  もしかして今回が最後かな、という事もありました。だから何としても出席し、恩師に会いたかったのです。

   会場に着くと、もうみんなの近況報告は終わっていて僕が最後でした。顔が見えないから名を名乗ってからやれ、という事で
  「岸 輝美です」と言ってから近況を報告しました。終わって先生に挨拶に行くと、ギュツと手を握ってくれました。変わらぬ
  柔和なお顔で2言・3言何かつぶやかれました。うれしくて、懐かしくて「そうか、そうか」しか覚えていません。先生、どうか
  いつまでもお元気で、ずっーとクラス会に顔を出してください。
   先生をタクシーでお送りして、仲間と話し合いました。皆一様に齢をとっています。故人8名、ほぼそれとと思われる音信不通
  4名、大親友だった者、前回元気に顔を出してくれた友もいます。皆優秀であり、良き友でした。これから毎年開催するか、
  先生の地元の横浜でやるか、等話し合いお別れしました。
   この恩師・この仲間と過ごした3年間は、本当に素晴らしい時間でした。僕は我が母校・東工大付属工高を誇りに思っています。


             ◎ 久喜中(8・月)・久喜小(18・木) PТA総会に出席しました。 5/18(木)

   
G・W明けの8日(月)久喜中学校、今日18日(木)久喜小学校と、平成29年度のPТA総会に出席しました。 両校とも私の
  母校、子供に関する活動に関わっていることもあり、両校PТA総会にはこの20年を越え、毎年出席しています。

   PТAというと私にはいくつかの思い出があります。6年前他界した母が猛烈に熱心な活動家でした。だから「子の母親」とは
  皆PТA活動に熱心なのだとばかり思って来ました。所が我が女房は全く無関心、最初の頃は大いに戸惑ったものでした。
   さらにもう1つ、私はご承知のように20歳代から多くの社会教育団体に関わり、活動し、殆どはその「長」を勤めました。
  しかしなぜかPТA活動にはご無沙汰でした。私の子どもが小・中校生の頃は、私の社会教育活動の絶頂時でした。面白くて
  忙しくて、PТAまで関わる気がなかったというのが表向きの、熱心な活動家であった母の子と違い、私の子は出来が悪く、
  お声がかからなかった、というのがもう1つの理由のようです。田中市長も議会の大先輩である、U氏・S氏も会長を勤めて
  います。今にして思えば残念だった、経験しておくべきだったとの思いがありますが、あとの祭です。

   今日の久喜小の総会で、本来任意加盟であるPТA会員についての質問がありました。今更戦後民主教育華やかなりし頃
  スタートしたPТAの、歴史や組織について語る気はありません。実際久喜市内23小学校PТAで、子供の保護者にして会員で
  ない者はゼロ、と久喜小会長が答えていました。丁度明後日は久喜小の運動会、校庭で熱心に練習する子供たちの歓声が
  こだましていました。久喜中も久喜小も、卒業式があり、入学式で新たな子どもを迎え、PТA総会があり、運動会を迎えます。
   季節と時間は移っていきますが、子供たちは変わらず学び・活動し、たくましく成長していきます。そうした子供たちを応援
  していく、その環境をより良いものにしていく、せんじ詰めればこれがPТA活動だと言えます。当然ボランティアなのです。

   現実に、ここしばらくその活動が活発だとは決して言えません。久喜中も久喜小も、総会出席会員は1割弱で、8割強の
  委任状で総会は成立しています。しかし前記した子供たちは、学校だけで成長していくのではありません。学校と家庭と
  地域の3者の輪の中で成長していくのです。その3者の中心にあるのが、PТAだと言えます。  
   今年から久喜市内では家庭と地域がより深く、学校運営に関わっていこうとするコミュニティスクールが始まります。
  何も新しい事業・活動が始まるのではありません。久喜中も久喜小も、今まで「地域と共にある」とうたって来ました。
  「地域がつくり、地域が育てる学校」へと、久喜中・久喜小を今までより一歩、前へ進めていく活動です。そうした活動の中で
   PТA活動の活性化を図っていただければ幸いです。たまたま両校総会でご挨拶の機会を頂いた私は、こんなことを申し
  述べました。
 

           ◎ 北小読み聞かせボラ・くきっ子ゆうゆう29年度登録  5/10(水)

   
今日10日は私が毎年続けている、北小学校での「読み聞かせボランティア」の29年度の活動初日の日でした。もう10年を
  超えていますが、何年やってきたかなと考えていましたら、仲間の方が14年目だと教えてくれました。とにかく「読み聞かせ」と
  いうのは、(絵)本を読んで聞かせると同時に、絵本に描かれている「絵」を見せるのです。だから手を一杯に身体と一直線上に
  伸ばし、本を垂直に立てて読むのです。齢と共にこの姿勢で読むのがつらくなってきました。視力がおとろえているのです。
   だからつい身体の近くで読んだり、本を斜めにしてしまいます。もうやめようかな、と最近思う事が多くなりました。でも仲間は
  (男性は私1人です。) 皆同世代、もう少し頑張ろうよ、との声と、子どもの卒業・進級の時に送られてくる「感想文集」での
  おほめの言葉がうれしくて、結局なんだかんだ言いつつも、今年も続けることにしました。
   今日は2年生でした。今月もう1回は6年生です。学年を考え、季節を考え、読む本選びに苦労します。まあ少なくとも今年1年
  頑張ってやっていきます。

   今年で開校13年目を迎える「くきっ子ゆうゆうプラザ」です。29年度への準備状況は、本ページ4/1付で報告しています。
  その後新入生児童・保護者への説明会を行い、G・Wも明けた昨日と今日9・10と、本年度の参加申し込みを受け付けました。
   本日はその集計作業があり、北小での読み聞かせを終えた後参加しました。本年度参加申し込み者数・221名、昨年度が
  210名であり、久しぶりに200名を超えたと喜んだものでしたが、今年度はそけを10名強上回ったことになります。
   締め切り後開校式までに、ほんの数名ですが追加申し込みがいつもあります。225に届くかという所と思います。
   開校日(木曜20日・土曜11日・計31日)と、講座(木曜11・土曜13計24講座)に変わりはありません。ただ単位口座への参加
  申し込み者があまりに少なかった場合が心配されましたが、今の所大丈夫のようです。木曜日では相変わらず「ドッヂボール」と、
  「遊びの広場」(室内での様々な遊び)が多く、土曜日では「ミニテニス」、及び新講座の「スイーツ」(料理・甘いものづくり)が人気の
  ようでした。この後保険手続きを行い、月末に実施委員会をもって、来月9日の29年度開校式へ万全の体制を敷いてまいります。
 
  北小読み聞かせボラ・くきっ子ゆうゆうプラザ、今年もまた頑張っていきます。子どものはじける笑顔を守り、育むために。

          ◎ 久喜市放課後子供教室(ゆうゆうプラザ)・平成29年度の活動へ 4/20(木) 

   久喜市放課後子供教室の、平成29年度に入って初の運営委員会が、20日菖蒲総合支所4Fの、菖蒲コミュニティセンターで
  持たれました。久喜市放課後子供教室(ゆうゆうプラザ)については、もう何度も報告しています。まだ「地域子供教室」といった
  平成17年私の久喜小で始められました。今年で13年目に入ります。長きにわたる関係各位の努力の積み重ねにより、市内全
  23小学校で実施されるようになって、3年目となります。平成16年の一般質問で開校への答弁を得た事、準備会委員長として
  現在に至る運営委員会を組織した事、その後はスポーツ少年団を代表とし、運営委員を務めている事、何よりも「くきっ子ゆうゆう
  プラザ」実施委員として、日常的な活動を行っていること、等々も報告してきました。
   さてその13年目を迎える「放課後子供教室」です。昨年は市内小学校児童の実に41・7%、3、000人を超す参加を見ています。
  それだけに関わる人が皆真面目なのです。運営委員は39名います。23実施校の委員長、プラス私のような子供に関わる団体・
  機関の代表者です。団体代表者1・2名の欠席がありましたが、多くの参加を頂きました。新実施委員の中に「学童保育運営協議会」
  を代表して、Т事務局長がおられました。本年3月まで議会・委員会で大変ご指導を頂きました。またよろしくお願いします。
   新実施委員長として2校が交代していました。実施校ごとに歴史=年数が異なります。前記したように13年目の「くきっ子」は現
  K委員長で4代目です。10年委員長をやっている、という所が結構あります。勿論皆な抜群の行動力・組織力を持つ方ばかりですが
  代われる人がいない、という状況を生まない努力も合わせ願うものです。役員は全員が留任となりました。

   さて本年度の活動です。今日のような「運営委員会」は、4月・5月・10月・3月と4回持たれます。
   「全員研修会」は7月1日、菖蒲文化会館アミーゴにて、「コミュニティスクール」に関する講演会として開催されます。
   各実施会場の「ゆうゆうプラザ見学会」は、9月~11月が参観可能として実施されます  
   その見学会をうけ、「情報交換会」を11月30(木)鷲宮総合支所会議室にて実施します。
   他に現地研修会を7月21(金)・22(土) おなじみ長野県青木村で行います。 
   「ゆうゆうプラザ」そのものは例年通り、6月開校・2月閉校です。
  29年度の予算です。この事業は国・県・久喜市の1/3ずつの補助金事業、本年度は総額631万7、000円とのことです。内約半分の
  300万強が各実施校で使う需用費、残りが報償費・役務費・備品整備費等になります。各実施校からパソコン・プリンター等要望が
  多いのですが、なかなか応じられないのが実情です。需用費は各会場5万円と、参加人数に応じた額の合計となります。
   後、多くの時間をスポーツ安全保険の手続き説明に費やしていました。私などはスポ少でこの世界40年、ですので「くどいな」と思う
  のですが、これはまあ仕方ないのでしよう。

   最後に気になったことをいくつか記します。1つは最初の挨拶で教育長・会長が、今年から市内全小中校で「コミュニティスクール」が
  導入されると話し、また今年の全体研修会のテーマが、「放課後子供教室とコミュニティスクールのかかわりについて」となっている
  事です。私は前記したように「ゆうゆうプラザ」の開校を実現させてからの10年間、「コミュニティスクールの導入」にネライを絞り
  質問を重ねてきました。そうした立場からすれば、全校導入は喜んで余りあるもの、と言えなくもありません。しかし太東中地区導入
  から1年、その何等の検証もなく、また太東中地区の様に準備の期間も置くことなく、前倒ししてまでもの全校導入は何がなんでも
  いささか乱暴と言わざるを得ません。コミュニティスクールと、「ゆうゆう」との関係は重要な問題です。しかし上記の状況からベクトルが
  逆にならぬよう願うものです。
    もう1つはいわゆる「学童との関り」です。今日も幹部役員が口にしていました。「学童との連携」は、文科省と厚労省による「放課後
  子ども総合プラン」から来ています。4・5年前文科相の若い職員の講演で「全体研修会」を持ったことがありました。その時の無内容な
  講演の記憶はいまだに新しいものがあります。久喜市の「ゆうゆう」の組織の在り方からして、「学童との連携」は土台無理な話です。
   「連携」を口にするのなら、その具体的あり方を示すべきなのです。

   まあいずれにせよ各実施校は、これから6月の開校まで、様々な準備を重ねていくことになります。「くきっ子」で頑張っていきます。


            ◎ 久喜市民大学校友会・第17回定期総会  4/15(土) 久喜中央公民館

  久喜市市民大学(学長・田中市長)の卒業生・在校生で組織される「久喜市市民大学校友会」の
 平成29年度・「第17回定期総会」が、15日・「久喜市中央公民館」で開催され出席しました。
  私が平成7年設立の「久喜市市民大学」の1期生である事、建学6年が経過した平成12年に
 「久喜市市民大学校友会設立準備委員会」を組織、委員長として校友会の組織化に当たり、
 13年初代会長として「校友会」を発足させた事については、もう何度も報告してきました。
  校友会も発足して17年です。「推進部」のメンバーはほとんどがこの会員ですし、私が始まりの
 「市民まつり」実行委員長、そして企画スタッフもそうです。また「ゆうゆう」の中心的活動家も
 同じことが言えます。そうした意味ではそれなりに有意義な活動を展開している、と言えなくもない
 のでしょう。
  総会は提案された5議案すべてを満場一致で承認、27・28と2年間会長を勤められた田沼さん
 事務を一手に担われた杉村さん等、14期中心の役員から、会長土屋氏、副会長塚本氏・金子氏という、16・17期を中心とする役員
 体制にバトンタッチされました。田沼氏等前役員のお骨折りに感謝し、また新役員の皆様よろしくお願いします。 
  
  さて私たち1期ですが、同級生は今の様に10人代などでなく、30人の後半です。ほぼ30人で「カレッジ1(ワン)の会」という同窓会を
 持っています。そしてその半数が「校友会」の会員でした。1人減り、2人減っていったのですが、5・6年前『もう10年、そろそろいい。』
 と、ごそっさとやめられました。「もう終活の時期」という理由と、「校友会は活動が見えてこないから」とのことでした。この「校友会は
 活動が見えない。」はよく聞かれます。校友会の会員は約130名、その半数はここ5・6年の卒業生です。私の1期などわずか3名、
 自分たちの会ですら、年1回食事会を持つ程度です。役員の皆様の本当に真摯な活動を知っているだけに、残念な気がします。
  しかしまあ、卒業して20年ともあれば仕方ないことなのでしょうか。


             平成29年度・久喜市高齢者大学入学式  4/13(木) 久喜総合文化会館

  久喜市高齢者大学(学長・田中市長)の平成29年度入学式・始業式が、13日「久喜総合文化会館」
 大ホールで開催され、出席しました。今年の入学生は男性23名・女性35名の58名、昨年が54名
 どうもこのところ、この辺の数字に落ち着いているようです。一時期3桁だったことを思うと、入学者数
 の減少傾向は「市民大学」と同様のようです。新入生の席に座っている人の中に、長くスポ少で
 サッカーの指導の当たってきた仲間がいました。確か私より1つか2つ年上です。「久喜市高齢者大学」
 の入学年齢制限は60歳以上となっていますが、今や60歳は現役のバリバリ、仕事を完全に辞め、
 高大に入学するのは、この年になっているのです。
  「久喜高齢者大学」は開学昭和54年、今年で39年目に入ります。埼玉県、否・全国的にも珍しい4年制、
 多くの人材を久喜市の地域社会に送り込み、明るい高齢社会の原動力となってきました。
  仲間をつくり、教養を高め、生きがいに満ちた健康な高齢者生活を送る、が高大の目的ですが、その
 活動の柱は以下の3つです。
  1つは学習活動です。1学年で20日(午前中)位、県や久喜市の歴史、環境、そして安全や健康について学習します。
  1つはクラブ活動です。自主的に多くのレク・文化・芸能クラブが組織され、活動しています。
  そして最後はボランティア活動です。私も「市民まつり」や、「まなびすと」で本当にお世話になりました。

    田中学長式辞、来賓の祝辞、在校生の「新入生歓迎の言葉」、新入生の「誓いの言葉」と、式は進んでお開きとなりました。
  新入生・在校生合わせて261名です。1、300名収容する総合文化会館大ホールが会場ですから、幕が上がって会場を見渡すと
  「アレ、少なくなったな」と思うのがほんとのところです。「高大」も「市民大学」も、「スポ少」まで、およそあらゆる組織・活動に
  少子高齢化の波が押し寄せて、どこもあえいでいます。しかし「高大」も、「市民大学」も、「スポ少」も、少子高齢社会に必要で大切な組織
  なのです。頑張らねば、としみじみ思います。
 

            ◎ 久喜中(10日)・久喜小(11日)の入学式に出ました。 4/11(火)


   
   春の訪れが遅く、やっと桜が咲いたかと思うと冷たい雨と、とにかく天候の不純な今年の春ですが、4月も2週目に入り、各種入学式が
  一斉に行われています。10日(月)は市内中学校、11日(火)は小学校の入学式です。加えて私は今週13日(木)に高齢者大学、15日(土)
  埼玉保育教育学園と4つの入学式に出席することになります。先陣をきって私の母校であり、居住地にある久喜中・久喜小のそれに
  出席しました。

   今年の久喜中の入学生は4クラス・154名でした。卒業生が203名でしたから、3/4に激減したことになります。久喜小の卒業生も58名
  というここ数年では最小でした。この学年は3小学校共に少ないようです。結城校長先生が「式辞」で、イチロー選手が高校時代、毎日必ず
  やった素振り、それもたった10分間だけ、を引き合いに、「凡事徹底」という言葉を使い、小さな事の積み重ねが、とてつもなく大きな成功を
  導くとし、そのような気持ちをもって、久喜中の3年間頑張ってほしいと話されていました。
   また田中市長(総務部長代理)は、人とのつながりを大切に、多くの人とのふれあいの中で3年間を過ごして下さい、との祝辞がありました。
    ― 写真・左1・2 久喜中入学式  新入生代表誓いの言葉、教職員紹介―

   今日の久喜小学校の入学式です。「天候の不純な今年の春」と前記しましたが、この日冷たい雨が降りしきり、前日を10度C近く下回り
  ました。こんな寒い入学式は記憶にありません。実は昨日、私の現時点での生きがいの孫の入学式が、県内S市でありました。
   目の中に入れても痛くないという孫の入学式シーンを思いつつ、緊張して座っている、しかも足が床に届かずブラブラさせている、目の前の
  同年齢の子どもたちを見ていました。(写真・―中―) みんな小さく、かわいいのですが、この子たちは間違いなく、昨日の中学生の様に成長
  していくのです。その6年間の歩みを確実なものにすることが、学校と保護者と地域の役割と言えます。
   今年の新入生は97名です。卒業生が58名でしたから、39名も増えた事になります。最も今年の卒業生が少なすぎたのです。孫の学校
  ではなかったそうですが、久喜小では「新入生呼名」というのがあります。1人ひとりが名を呼ばれ立ち上がり、また着席するだけのものですが
  一応あなたの入学を許可しますよ、という儀式なのです。これが終わると1年生担任発表があります。皆僕の・私の先生はどんな人かな、と
  真剣に見やっていました。(―写真・右2―)
   そのあとがお定まりの校長式辞と来賓祝辞、田村校長先生が「相田みつを」の詩を引用して式辞を述べておられました。「花を支える枝 枝を
  支える幹 幹を支える根 根は見えねんだな」という例のやつです。その「根」の部分に当たるのが「小学校時代」、皆様の協力を頂いて
  しっかりやっていきますと話されていました。4人挨拶が続いて会場がざわつきだした時、2年生児童による「1年生を迎える言葉」がありました。
  (―写真・右―) 所で私は昨日・今日は挨拶はありませんでしたが、過去学校関係でも多く挨拶を述べてきました。人前でしゃべるのが大好きな
  私は一向に気にならないのですが、1番苦手の挨拶は幼稚園・保育園の入学(園)式、2番目が小学校のそれです。子どもたちが人の話を
  聞いていないからです。その子供たちが2年後(公立)の卒園式では、見事に襟を正し、人の話を聞くのです。私はこれが子供の成長であり
  それを促す教育の力なのだといつも感心します。この2年生による「新入生歓迎の言葉」がそれです。この子たちは丁度1年前の新入生です。
   見事な歓迎の言葉を聞きながら、改めて子どもたちの1年間の成長と、久喜小の優れた教育力を噛みしめていました。
   最後にこれは6年生による久喜小校歌の斉唱で式を終えました。久喜小は今年で145年目に入ります。校歌もつくられてから100年を超します。
   歌いなれた我が母校の校歌を一緒に歌いながら、伝統とは良いものだと改めて思いました。


       ◎ 久喜市教育委員会生涯学習課職員歓送迎会・関係団体交換会 4/8(土) 徳樹庵 

  
 新年度に入り、未だ1週間しか経っていませんが、早くも平成29年度・久喜市教育委員会生涯学習課担当職員歓送迎会、並びに
  社会教育4団体交換会が開かれ出席しました。社会教育4団体とは、「久喜市社会教育委員会」・K委員長、「久喜市生涯学習推進会議」
  Т議長、「久喜市生涯学習推進部」・М委員長、そして「久喜市放課後子供教室運営委員会・I会長の4団体です。私はかっては「社会教育
  委員会」を除く3団体に関わっていましたが、現在は「放課後子供教室運営委員会」のみ、その立場での出席です。
   今年も教育委員会(生涯学習課)は」、大幅な人事異動がありました。
   まず「関根武視」教育部長が、健康増進部長に異動され、新たに「澁谷克美」菖蒲総合支所副支所長をお迎えしました。  
   「真田稔」教育副部長が、議会事務局長に栄転され、新たに「野原隆」財政部参事兼課長をお迎えしました。
   「宮内敦夫」生涯学習課長が、環境経済部長に栄転されました。
   代わりに新課長に、「海老島正純」生涯学習課主幹が昇進、就任しました。
   代わりの生涯学習課主幹に、「木村明信」氏が指導課長補佐から異動、就任しました。
   「岩井美佐恵」主査が退職され、後任に「武藤克美」氏が異動、就任しました。

   会には4団体委員・職員から約50名が参加しました。主催者を代表して倉持社会教育委員長、行政を代表して柿沼教育長が挨拶
  退職、栄転された4人に、続いて昇格・転入された5人の方にご挨拶をいただき、花束を贈呈しました。
   後は皆親しい生涯学習仲間、杯を傾けつつ、活動談議に時間を過ごしました。
 
   教育部長・副部長はさて置くとして、「生涯学習課」という事で話を絞れば、課長は2年間、「マラソン大会」に忙しい時間を過ごした
  事に成ります。見事に成功しました。ご苦労様でした。さて後任の海老島氏です。私としては「サッカー」を通して個人としても
  30年を超す付き合い、行政マンとしてはスポ少担当という事で、あらゆる面で一緒に活動してきました。これからは今まで通り、
  とはいかないまでも、変わらぬご指導をお願いするものです。


           ◎  くきっ子ゆうゆう・29年度開校へ準備進む  4/1(土) 久喜小

   久喜小の入学式は4/11(火)です。それから説明会をやって、受付をして、体制を整えて、開校式は6⋰(木)まだだいぶ先の事
  ですが、しかしそれにに向かって確実に、準備を進めていかねばなりません。新年度に入った4月1日、早くも開校準備の第一歩
  「サポーター代表者会議」が開催されました。開会に先立ち、久喜市教育委員会(指導課)へ異動される教頭先生が、お別れの挨拶を
  されました。久喜小では教務主任も久喜市教委へ異動です。まあお別れと言っても、年中顔を合わせる事になりますが。
   校長先生と共に会議に出席された、新しい教務主任は内部昇格ですが、教頭先生は20年近く前、久喜小に6~7年勤務されて
  おられました。その当時も親しくご一緒に活動させていただきました。どうぞよろしくお願いします。
    校長・久喜市放課後子供教室運営委員会会長・くきっ子ゆうゆうプラザ実施委員長の挨拶、出席された約30名のサポーター代表の
  自己紹介を終えて、さっそく協議に移りました。
 ※ 活動日  平成29年度は木曜日20日、土曜日11日の31日です。この31日という活動日数ですが、私は1つの活動・行事が
          何らかの形で参加者に影響を与える、ぎりぎりの数と考えています。くきっ子は今年で開校13年目に入りますが、
          今の学習指導要領下で、授業時数が増えるまでの数年は、1週2日、従って1年50日間くらいの開校でした。週1日に
          なってしまったことを大変残念に思っています。私が今の学習指導要領を、あまり評価しないのもこの辺に因ります。
 ※ 活動教室  木曜日は「学習」、「編み物」、「室内遊び」、「グラウンドゴルフ」、「ドッヂボール」等11教室、指導者の関係で8回の
           「ヒップポップダンス」を除いて、毎日行われます。
            土曜日は「ミニテニス」、「料理」、「お茶」、「絵手紙」、「クリスマスリース」等体験型の13教室、「お茶」・「クリスマス
           リース」戸様に1回から、「ミニテニス」・「陸上競技」のように4回のものまであります。
            今年の新規教室はすべて土曜日のものですが、「陸上」・「習字」・「スイーツ」・「絵手紙」の4教室です。           

   この後、「雨天時の実施会場について」、教室によって「年齢制限」を設ける事、「ゆうゆう・学校からの連絡について」、「事故防止
  について」等々について実施委員会側からの説明があり、最後にサポーター代表から質問・ご意見等をお聞きして会を終えました。
   この後G・W前に、新入生も含めた子どもたちへの説明会を行い、G・W後に参加申し込みを受け付けます。そして6月8日の
  本年度の開校式、この後忙しいスケジュールとなります。頑張ってやっていきます。


            久喜中15(水)・久喜小23(木)の卒業式に出ました。 3/23(木) 










   居住地にあり、母校でもある久喜中15日(水)、久喜小23日(木)の卒業式に出席しました。久喜市内の小中学校の卒業式は、春彼岸を
  挟んで行われます。わずか1週間ほどの違いですが、春の訪れが全く違います。中学校のそれは寒く、小学校のそれはまずまずという
  中で行われるのを常としています。温暖化と裏腹に厳しい寒さだった今冬、久喜中は大寒、久喜小は小寒と言える中で行われました。

   
久喜中の今年の卒業式は第70回です。すなわち今年が久喜中の、開校70周年の年でした。私は第12回の卒業生です。40周年や
  50周年の時は私たちОBも参加して、盛大な記念式典・行事を持ったものですが、今回は関係者のみで質素に行ったと聞いています。
   今年の卒業生は203名でした。私の時は7クラス、1学級55人はいて約400名の卒業でした。最もそこから東中と太東中が分離した
  事に成るのですから、当然と言えば当然なのでしょう。最近の久喜中の卒業式は実に整然と進んでいきます。卒業証書授与、校長式辞
  来賓祝辞と進んで、呼び物の卒業生「別れの言葉」です。
―写真・左―のように階段状のステップに全員が並んでのものです。かって
  「卒業生代表答辞」と呼ばれたものですが、こうして全員で行うのが今らしくて良いし、市内小中、殆どこの形で行われています。その後
  私の大好きな久喜中独自の式歌「名づけられた春」、「久喜中校歌」を斉唱して式は終わりました。久喜中地区に5人の議員がいます。
   来賓として祝辞を述べる4つの行事に順番に割り振ってあります。今の任期で私が卒業・入学式で祝辞を述べる機会はありません。
  挨拶大好き人間の私としては何とも残念な話です。それにしても寒い卒業式でした。

   新制中学校として昭和22年開校の久喜中と違い、久喜小は明治6年の開校です。今年で144年と伺っていますから、何とも歴史の
  ある伝統校です。ただ卒業式は第**回とせず。一貫して平成**年度と呼んでいます。平成28年度の卒業生は58名でした。
   少子化で減少したと言え、70名は確保されていました。ここ数年でも一番少ない数と思われます。卒業生入場
―写真・左から2―
  卒業証書授与
―写真・右から2―校長式辞と進んで、私はここでは祝辞を述べる光栄に浴しました。私はとにかくスポ少・ゆうゆう
  綱引と久喜小で多くの時間を過ごします。地域の人間が参加できる行事は全部出ています。卒業生と一緒だったそうした行事・活動に
  触れながら、卒業生の努力を評価し、地域の人間に元気をくれた活動に感謝しました。そしてそうした行事・体験を卒業生と地域の
  人間に提供してくれた、久喜小の優れた「校力」を称え、ここで6年間身に着けた物を糧にし、自信をもってこれからに歩んで行って
  頂きたいと挨拶しました。最後に保護者と・地域の方々に、来年から導入される「コミュニティスクール」の中で、「地域と共にある
  学校・久喜小」を、さらに深化させていただくことをお願いし、結びとしました。
   その後久喜中と同じ形での「卒業生・別れの言葉」
-写真・右―、私にとっては懐かしい大正2年の作という校歌の斉唱で式を
  終えました。なお入学式は久喜中・4/10(月)、久喜小11(火)午後から行われます。当然共に出席します。
   
   久喜中生は高校へ、久喜小生は中学校へと旅立って行きました。前途は決して緑の草原だけではありません。高齢社会の厳しい
  現実が待ち構えています。どうか頑張って歩んでいって下さい。地域にあってずうっーと応援していきます。  


                  ◎ 埼玉保育教育学院の卒業式に出ました  3/18(土)
 
  2月定例会の閉会が近づいた頃、議長より「埼玉保育教育
 学院」の卒業式に出ていただきたい、なる要請を受けました。
 久喜市議会は議会代表の出席依頼を受けた場合、順番が
 決まっています。議長―副議長―担当委員会委員長―同副
 委員長です。「保育学院」ですから私の委員会の所管、それで
 なくとも人前で挨拶するのが大好きな私ですから、謹んで?
 お引き受けしました。
  私のウオーキングコースにある同学院や、学院長「杉田女史」の
 事は良く存じ上げていました。ただ大学内容や、学生実態に
 ついては不案内でした。今まで小・中学校は勿論、保育園・
  幼稚園・高校から、社会教育の市民大学・高齢者大学と多くの卒業式に出てきましたが、成人・この種の卒業式は初めて、そうした意味
  でも関心がありました。来賓席に座り入場して来る卒業生を見て驚きました。私はいわゆる高卒の人が入学し、幼稚園教諭・保育士の
  資格を撮る専門学校的イメージをもっていました。しかし卒業生の大半は30~40代という人でした。学院長式辞等を聞いて理解する
  ことができました。この学院は「近畿大学通信教育部子ども学科」の指導校なのです。3年間の勉学で卒業の時は短大卒業資格・
  幼稚園教諭2種、保育士、社会福祉士主任任用資格等を取得できます。働いている方、育児中の方もおられます。かって60代の
  卒業生までおられたとのことです。
   入学に当たり「近畿大学短大期大学通信教育部子ども学科」と、「埼玉保育教育学院」に同時入学します。教材が渡されます。通信教育
  につきものの「テーマレポート」作成に当たっては、土曜日夜の「全体講座」、学生が学べる時間に行う「個人講座」がおこなわれるのです。
  教育実習・保育実習に当たっては、「学院」指導者による事前実技指導があるのです。まさに学ぶ意欲に満ちた人に「いつでも 誰でも
  どこでも」という、開かれた学習環境が整っているのです。
   その最たる姿を卒業生代表謝辞に見ることができました。11歳と5歳のお子さんをお持ちの主婦の方でした。お子様が障がいを
  お持ちで、今までそのことだけで懸命に生きてきた、子供が大きくなり、一定の落ち着きが得られたとき、これからの人生を子どもと
  同様の人たちと生きていきたいと考え、障がい者施設で働くことを願い、この学院に入学されたとのことでした。育児と家庭と学生
  生活をつづけながら卒業できた喜びを、涙と共に語っておられました。ぜひ頑張っていただきたいと願うのみです。
   今まで経験した卒業式とは全く異なる卒業式でした。本日卒業されたそれぞれの人が、幼稚園教諭として、保育士として、これからの
  高齢社会の中、それを支える子供たちの育成に、それぞれの場で頑張っていただきたいと願うものです。
   良い経験をし、さわやかな思いをだいた卒業式でした。


                歴史講座 神道無念流について  3/11(土) 久喜郷土資料館

   
「公民館」も「図書館」も、「中央」と冠がつくのはいずれも旧久喜市の施設です。場所が中央にあるだけでなく、施設も一番大きな
  ものです。しかしこの「久喜郷土資料館」は旧鷲宮町の施設、よくこれだけのものを、と思わせるほど立派な施設です。その「久喜市立
  郷土資料館」が主催する、「第2回歴史講座」に参加・拝聴しました。「幕末日本に剣命をはせた神道無念流について」、講師は神道
  無念流戸賀崎道場恵文館館長・戸賀崎正道氏です。人並み以上に歴史物・剣豪物が好きだという事もありますが、私は久喜中時代
  剣道部、講師の戸賀崎氏の1年先輩でした。1年先輩ですから中学時代はまずまずでしたが、高校2年の夏休み、後輩の指導?に
  言った際、不動岡高校剣道部で腕を上げた戸賀崎氏に、長身からの猛烈な面をもらい参った記憶があります。氏はその後慶応大学
  社会人以降も一貫して、日本剣道界にその名をとどろかせています。
   さて講座は講話1時間、木刀・真剣での動作見本30分+質問というものでした。
   戸賀崎家です。新田義貞から出て、武州菖蒲の戸賀崎城城主から、剣道戸賀崎家5代の初代「熊太郎」の8代前・1581年に
  現在の清久に帰農したそうです。初代「熊太郎」は180C、100kはあったという巨漢、江戸に出て神道無念流の開祖・「福井兵右衛門」に
  弟子入り、1番弟子として21歳で免許皆伝、35歳の時、3000人と言われる門弟をようした道場を開設しました。以来2代目・胤吉、
  3代目・芳栄、4第目芳武、5代目清常と五代にわたり、神道無念流の名を知らしめた事に成ります。
   2代目「胤芳」は江戸の道場を、高弟「岡田十松」に譲り、清久に戻り、ここの道場で門弟の指導に当たりました。この「岡田十松」の
  一番弟子が例の「斉藤弥九郎」、幕末3大流派を、「北辰一刀流・千葉周作・玄武館」、「鏡心明智流・桃井春蔵・士学館」、そして
  「神道無念流・斉藤弥九郎・練兵館」と呼ぶのはこうした事によります。3代目・「芳栄」は、水戸・徳川斉昭の信任厚く、水戸藩の尊王
  攘夷思想に大きな役割を果たしたと言われています。4代目に明治維新が起こり、廃刀令もだされ、剣道・武術は衰退の一途をたどる
  こととなり、5代目が大正10年没する前に、道場も閉鎖されています。
   6代目が「守恵」氏、7代目が私が30・40歳代に多大なご指導を頂いた、旧久喜市の教育長「恵太郎」氏、8代目が現「正道」氏と
  なります。正道氏が神道無念流戸賀崎道場を再興するにあたり、「恵文館」と名づけたのは、祖父と父の「恵」、私も親しくご交際を
  頂いた母親の名の「文」を取ったのです。
   その後竹刀・木刀・真剣でいろいろな「型」を示してくれました。木刀ですが市販のものは刀の様に「そり」があります。神道無念流の
  それは、丸太を削ったという昔の物そのままに、無反りの頑丈なものでした。竹刀です。私は中学生時代「サブ・ロク」と呼ばれる
  3尺6寸を使っていました。正道氏は現在3尺9寸のものを使用しているそうです。神道無念流のそれは3尺2寸、実際の真剣に
  合わせた長さとのことです。真剣を使用した「型」です。日本剣道連盟の構えは中段・上段・下段・八そう・脇がまえの5つです。
   神道無念流の「中段のかまえ」は「半身平正眼」とよばれるものです。上段は普通左足を前に、刀をやや後ろにしますが
  神道無念流は剣をまっすぐ頭上に構えます。長身の正道氏が、この構えを見せてくれた時、はさすがに迫力がありました。

   最後の型・動作の見本を含め。楽しい時間でした。歴史的遺産・文化の類が少ない久喜市にあって、「神道無念流」の5代に
  わたる活動はそれにあたります。大事にしていかねばなりません、そんな思いを強くさせてくれた歴史講座でした。
 


            ◎ 第20期・久喜市民大学生卒論発表会  2/18(土) 久喜市中央公民館 

  久喜市民大学(学長・田中市長、副学長・柿沼教育長)は
 平成7年開校され、今年で22年の歴史を持ちます。私が
 第1期生であることはもう何度も書いてきました。2年制の
 大学、1年制の大学院とあります。定員の40人は変わり
 ませんが、私の頃は60歳までという制限がありました。
 今は高齢社会の進展の中で年齢制限はなくなっています。
  最初の頃は「生涯学習・ボランティア活動のリーダー養成」 
 という目的が色濃く打ち出されていました。年齢制限の撤廃
 と共に、この辺が薄れ、最近では「第二の高大化」なる批判も聞かれています。

  それと同時に入学者数(このところ10名代半ば)、大学院進学者数共に減少しています。20期生が何人なのか知りませんが、大学院
 進学者は今日発表された5名となります。ちなみに私の1期は入学者39名、内8割以上が大学院に進学しました。私も橋本昭旧教育長
 と並んで、この大学の創設者である「野島文教大前学長」の下、「生涯学習推進体制の整備について」なる卒論に取り組んだものでした。
  10期くらいまでこの卒論発表会には、毎年出席していました。このところチヨットさぼり気味、興味あるテーマの時だけとなっていました。
 今回出席させていただいたのは「帝京大学ラクビー部の強さを考察する」に猛烈に興味を抱いたこと、そして「くきっ子ゆうゆう」でお世話に
 なっているS氏が「囲碁」について発表するからでした。
  
  「学生数が減少している」と前記しましたが、それでも現役学生、ОBの校友会会員を中心にそこそこの参加者がありました。(―写真・左―)
 未だ未だ捨てたものではありません。発表者は前記した5名でしたが、皆パワ―ポイントを使ってのもの(―写真・右―)、私の頃はひたすら
 しゃべり、資料と言えば印刷した紙を配布する位、つくづく20年という年の流れを感じました。
  発表テーマの「栗橋関所について」、「久喜のお祭り」に興味を持ちました。「久喜のお祭り」は特に、栗橋地区・上清久地区、旧久喜地区の
 八雲・八坂神社の祭り(天王様)について、故事来歴・ご神体等発表していました。私はものごごろ着いた頃から、「天王さま」に夢中になって
 きた祭り馬鹿です。祭りには京都祇園祭の様に「雅」なもの、秋田の西馬音内盆踊りや、越中おはら風の盆のように「哀愁」を誘うものと様々
 あります。私は祭りの本質は「狂」だと考えています。そこに関わる者が「狂」になるのです。「諏訪の御柱」などがその代表です。私は子供の
 頃から、常日頃親しい仲間が曳く他町会の山車が近づくと、「それ、やっちゃい、ぶっつけちゃい」と狂ってこの歳まで来ました。だから故事
 来歴とか、ご神体についてあまり詳しくありません。恥ずかしい話ながら良き参考になりました。
  
  帝京大学ラグビー部の発表です。大学選手権8連覇は見事としか言いようがありません。岩出監督は見事なマネジメントに加え、「帝京
 大学ラグビー部」に文化を定着させたと考えています。ただです。ただ帝京大学のラグビーは、どうもあまり面白くないのです。私は10代の
 半ばから、このスポーツに夢中になってきました。早稲田に入り、そこで早明戦に触れ、益々熱中したという私の過去が、そう思わせるの
 かも知れません。とにかくあの頃の早明戦は面白かった。大西鉄之助―日比野弘の早稲田は「展開・接近・連続」のプレーを、北島忠義氏
 ひきいる明治大学は、ひたすら「前へ」のラグビーに徹した。それは単なるプレー・戦術を越え、選手たちの哲学であり、理念でした。
  国立を埋めた6万の観客は、その哲学・理念に共感し、一体となり、熱狂しました。絶えて勝ち抜き、「荒ぶる」を謳う早稲田のフィフ
 ティーンに、重量フォワードに押しつぶされ、フィールドに泣き伏すラガーマンに、何度なみだを流した事でしょうか。
   それから私は益々ラグビーの虜となり、ほぼ大きな試合は皆観続けてきました。今の帝京大学のラグビーに、帝京大―東海大戦に
  あの頃のような興奮を感じないのは何故なのか、といつも思っていました。発表者にこの点を質問してみました。この質問は無理なもの
 だと初めから解っていました。お前の身びいきの問題、と言われればそれだけのことですから。ただ前記した名伯楽・大西鉄之助氏の
 著書、「闘争の論理」は、あらゆるスポーツ社会学に関する書物の中で、最高水準と考え、今も折にふれ読み返しています。スポーツ・
 ラグビーの中でこうした理論を構築した人の説く、ラグビーそのものが好きなのです。
  後はただ、発表者もふれていましたが、帝京大学ラグビー部がこのまま仮に勝ち続け、10連覇を達成したとします。その年は日本で
 4番目に古い早稲田大学ラグビー部の、創部100周年にあたります。清宮監督下の全盛時代、大学日本一を経験した山下大吾新監督
 のもと、早稲田が帝京を粉砕し、一緒に「荒ぶる」を謳いながら涙したい、とひたすら願っています。
  

            ◎ 平成28年度・「くきっ子ゆうゆう」閉校式  2/16(木) 久喜小体育館 









   久喜小放課後子供教室・「くきっ子ゆうゆうプラザ」の、28年度事業を終えるに当たり「閉校式」を16日行いました。「くきっ子」の12年目に
  あたる28年度は、久喜小全児童の46%となる208名の参加を頂いて、木曜日20日・土曜日11日・計31日活動しました。市内全23校の
  組織化が実現した中で、活動家の固定化・高齢化、事業内容のマンネリ化が叫ばれていますが、「くきっ子」はまずまずの1年間だったと
  考えます。閉校式には大勢の保護者・地域サポーターが参加してくれました。

   司会・進行も2人の5年生児童にお願いしました。これからは「子供がつくるゆうゆうプラザ」をより目指していきたいと思います。開会に
  先駆け、「フラダンス」(―写真・左―)、「編み物」(―写真・左2―)、「ヒップホップダンス」(―写真・中―)の活動成果の披露がありました。
  「ヒップホップダンス」は今年から取り入れた教室、「編み物」と並んで大勢の参加者がありました。
   開会です。柿原くきっ子実施委員長(―写真右2―)、飯島久喜市放課後子供教室運営委会長、久喜小教頭先生、久喜小PТA副会長が
  挨拶されました。
   そのあと(―写真・右―)の様に、大型スクリーンに31全活動教室を紹介したスライドが上映され、スライドに合わせ各参加児童が感想を   
  述べました。自分がスクリーン上に映し出されるとみんな大はしゃぎ、私は木曜日は「ドッヂボール」ですが、土曜日はいろんな教室に参加
  します。「面白理科実験」、「お茶」、「ミニテニス」・「クリスマスリース」等々、懐かしく思い出していました。「感想」の方も「面白かった」、「また
  来年も参加したい」のオンパレード、まあ悪い気はしません。
   ところで参加児童ですが、どうしても高学年になるにつれ減っていき、6年生は1桁になります。今年は最後まで頑張ってくれたのは7名、
  卒業を前にして、「くきっ子卒業メダル」を贈呈しました。『6年間、ゆうゆうで頑張りました。中学校へ行くとゆうゆうのないのが寂しい。』、
  『私は転校生なので、ゆうゆうは3年だけです。でも3年間の中で最大の思い出です。』と感想を述べてくれました。
   最後にサポーターと参加児童保護者が感想を述べられました。陶芸とパステルを担当されたОさん、木曜日はドッチボール、土曜日は
  3つの教室に参加したという児童の母親Nさん、お二人とも見事な感想を述べられました。
   Nさんは乳飲み子を背負ってのものでしたが、教室ごとに私もそうだなと感じる見事な感想を述べておられました。

   来週に今日の閉校式を評価する「実施委員会」をもって、あとは29年度の準備に入ります。私は今まで多くの組織・活動に参加して、
  発足―成長・拡大―低迷―衰退という活動過程を体験してきました。正直言ってどんな組織は10年まではうまくいくのです。そんな
  意味では久喜市全体も、くきっ子もこれからが正念場です。「くきっ子」も数年前、サポーターの固定化、参加児童の減少という傾向が
  ありました。しかしこのところ改良・改善されている感じを持ちます。それも柿原実施委員長をはじめとする、中枢役員の方の大変な
  お骨折りがあってこそです。私も可能な限り、そうした活動に加わり、久喜市全体の、くきっ子の明日を守っていきたいと考えます。
   

                  ◎ 久喜小 感謝の集い  2/15(水) 久喜小体育館

                     
                                     








   学校を地域に開く(拓く・啓く)、という言葉が使われるようになったのはいつの頃だったでしょうか。とにかく今、学校は多くの
  地域の方々の参加・関りの中で、運営されていることは確かです。「ゆうゆう」・「ゲストテイチャー」・「登下校の安全見守り」
  「学校応援団」、そんな地域の方に子どもたちが、日頃の感謝の気持ちを表そうと、手づくりでの「感謝の集い」なるものも
  何年か前から、多くの学校で行われています。15日、久喜小でのそうした心温まる「集い」に出席しました。

   それにしても100%、子どもの子どもによる「感謝の集い」でした。玄関から控室の「図書室」へ、「図書室」から会場の
  「体育館」まで子どもたちが手を引いて案内してくれました。参会者は三桁には少し足りませんでしたが、ゆうに80名は
  越えていたでしょう。これだけの人が何らかの形で子供たちの育成に関わっているのです。控え室で子どもたちから、
  手作りのペンダントを頂きました。久喜小の校章・クルミの人形が描かれてある素敵なものです。
(―写真・右―)全員が
  そのペンダントを首から下げての入場です。同じく子どもたち手作りの、花のトンネルをくぐっての入場、そして退場でした
 
 (―写真・右2―) 司会ももちろん子供です。まず久喜小吹奏楽部の子どもたちが、素敵な演奏を聞かせてくれました。
  そのあとこの日唯一の先生の出番、Т校長先生がお礼の言葉を述べられました。子供たちにアクションの指導を受け
  ました。―右手で4つ、左手で4つ、同じく2つ、最後に1つ、終わったら180度向きを変える―というもの、なんだろう
  と思っていたら、『さあ、全員立ち上がってください。』、そして参会者の間に1人の子どもが入りました。メロディが流れて
  始まりです。要するに前の人の肩をたたくのです。左・右で4つ、2つ、1つと叩いたら、向きを変える、自分の肩を叩いて
  くれた子供の肩を、という事です。
(―写真・左―) これを何度か繰り返して終了、『すっかり楽になったよ。』と何人かが
  言っていました。良いアイデアの楽しい時間でした。
   そのあと子どもたちから、種から育てたという「ノースポール」という、小さな白い花の鉢植えと、感謝の手紙を頂きました。
  
(―写真・右―) 最後に参会者代表の挨拶、久喜小サマースクールで絵手紙を教えたというМ氏、私はいろんな活動を
  ご一緒しています。子どもたちから逆に元気をもらえたという、氏の人柄のにじみ出た良いあいさつでした。
(―写真・左2―)
   
全員での合唱を最後に集いを終えました。入場と同様、花のトンネルをくぐり、皆さわやかな気持ちを抱いて会場を後に
  しました。「感謝の集い」にこちらこそ感謝します。ありがとうございました。

   ところで昨日開会した2月定例会、恒例の市長による「施政方針」で、コミュニティスクールを、29年度中に市内全校で
  開校するとしました。私は「コミュニティスクール」の開校を、何度も何度も議会の場で訴えてきました。しかし太東中地区の
  検証もなしに、また太東中地区の様に一定の準備期間もなしに、予定年度を早めての市内全校開校は、乱暴と考えます。
   形骸化とか、名前だけというのは避けたいものです。
   そんなことはともかく、子供は可愛いし、何よりも大切です。綱引のコーチでも、ゆうゆうのサポーターでも、読み聞かせの
  おじさんでも何でもよいのです。とにかく子どもたちと、ずっーと関りあっていきたいとひたすら考えています。


     ◎ 平成28年度・久喜市高齢者大学卒業式・終了式 2/13(月) 久喜総合文化会館大ホール

  立春を過ぎたとはいえ、まだまだ連日のように
 寒風が吹きすさぶ中、久喜市高齢者大学の
 平成28年度・卒業式・終了式が、「久喜総合
 文化会館」大ホールで開催されました。
  「久喜市高齢者大学」は、昭和54年に開校
 され、本年で39年の歴史を持ちます。全国
 各自治体に「寿大学」とか、「生きがい大学」
 とか名称は様々ですが、同様の高齢者を対象
 とした大学があります。しかし1年制、せいぜい
 2年制のもの、久喜市は4年制、歴史・伝統・
 規模・活動内容まさに全国トップレベルと言えます。
  今年の卒業生は75名、終了者は3年生79名、2年生76名、1年生58名の計213名でした。この数は例年より少ないと
 言えます。そういえば3年生代表の「送辞」の中で、「学生数の減少」について触れていました。当然ながら理由・背景は異なり
 ますが、これは「市民大学」にも言える事、久喜市の生涯学習推進活動には厳しい問題です。
  学長=田中市長が式辞の中で、東京理科大の跡地活用→生涯学習センターの整備→高齢者大学の移転について
 話されていました。高齢者大学の本部は「久喜市中央公民館」ですが、「久喜市生涯学習センター」整備後は、「市民大学」も
 共に移り、授業もそこで行われる事に成ります。
  卒業生代表が良い「答辞」を述べられました。4年間の思い出話しにふれ、高齢者大学の柱、「学ぶ」・「仲間づくり=絆」
 「地域への還元=ボランティア」を活かし、卒業後は地域社会の中で頑張っていきたいというものでした。
  本格的高齢者時代を迎え、地域の良きリーダーとしての、これからの活躍に期待します。在校生がつくる手を合わせた
 トンネルをくぐりながら退場していく卒業生(―写真・右―)を見送りながら、そんなことを考えていました。  


      第7回・久喜市生涯学習推進大会(まなびすと久喜) 2/5(日) 久喜市中央公民館 












   「地域の絆と新たな出会い」を大会テーマに掲げ、第7回・久喜市生涯学習推進大会(まなびすと久喜)が、4(土)・5(日)の両日
  久喜市中央公民館で開催されました。私とこの大会との関りについてはもう何度も書いてきました。話し出すと止まらなくなります
  のでやめておきます。とにかくこの大会は昭和63年度・旧久喜市の「第1次生涯学習推進会議」主催で、総合文化会館で開催
  され、その後平成3年に私が組織した「生涯学習推進部」の手で、「中央公民館」を会場に毎年開催されてきました。
   合併後開催回数を改め、1つはマンネリ打破を、1つは3地区も回ろう、との考えで、隔年「久喜市中央公民館」・3地区となり
  ました。昨年は「菖蒲文化会館・アミーゴ」で、来年は「栗橋文化会館・イリス」が会場となります。という事で私は昨年まで、この
  大会を主催し、運営する側にいました。このページで報告していますが、昨年委嘱時に「推進部」を辞しました。「推進部」への
  愛着は強いものがあり、ずいぶんと迷いましたが踏み切りました。残念ながら「推進部」は、6月の「まなひすとフォーラム」、
  そして2月のこの大会を運営する活動だけに陥っています。現実にこの2つの大会が、共に私の最優先活動とする「スポ少」の
  活動にダブってしまうという問題がありました。この大会は「土・午後、日・全日の2日間」ですが、今回も同様、昨年まで準備
  だけ参加していた土・午前はスポ少の少年野球教室、午後は白岡市のスポ少認定員養成講習会講師と久喜市社会福祉大会
  日曜日は、久喜市スポ少の認定員養成講習会で、朝開講式に出、午後は自分が講師という日程、従っていつものように
  午前の開講式を終えて、正午までの2時間弱、大会を見学という状態でした。とにかく28年目にして、初めて1市民の立場で
  この大会をみさせていただいたことになります。

   中央公民館は街中にある人の集まりやすい所ですが、唯一の欠点は駐車場のないことです。勿論私は徒歩での参加です。
  玄関には(―写真・左―)、看板と林立する緑の大会旗が出迎えてくれました。自分もこうした準備にあたった事を思い出し、
  やはり懐かしさがこみあげてきます。
   2日目・日曜の大会は中央公民館の屋外(裏手駐車場)・1F~4F迄、全て使って参加型の企画です。順次見て歩きました。
   屋外・「おいしいよ マイウ」  焼きそば・手打ちそば等食品と煙体験
   1F・「まなびすと発表会」  半分はゆうゆうプラザ、半分は市民サークルの発表 写真左から2は三箇っ子のフラダンスす。
  
 2F・「楽しく遊ぼう ものづくり」 ロボット 手話体験 押し花 一緒に工作楽しみましょう等参加型のもの 写真右2・「まち研」
   3F・「レッツチャレンジ楽しもう」 2Fと共に来場者が参加するもの  おもしろスポーツ教室  折り紙 ペーパークラフト等。
   4F・「視野が広がる4階」  ゆうゆうプラザの活動紹介(―写真・右―)  高大・市民大学等の紹介 カフェコーナー等。

   相変わらず、というか、変わり映えしないと言えばそれまでです。しかしこの大会が中央公民館に移ってから20年を超え、その間に
  毎年改良・改善を加え、準備過程から含め、行きつくべきところに行ってしまっています。こうした内容以外ないのかもしれません。
   それでもスポーツ体験の「吹き矢」、「ロボット体験」、「信頼の絆はサービスで!」、久喜市手話サークルの「手話体験・活動紹介」
  等々の新鮮なものもありました。
   いろんなところで、いろんな人と挨拶したり、されたりの連続でした。2Fの「まち研久喜」、4Fの「ゆうゆうプラザ」のコーナーでは
  少し時間を過ごしました。本来なら「推進部員」であろうとなかろうと、こうしたコーナーで活動せねばならないのですが、前記した通り
  私のスケジュールがそれを許しません。お許しください。
   来年は「栗橋文化会館・イリス」が会場です。もしスポ少のスケジュールが今年と同じなら(多分変わらず)、イリスまで出向くことは
  難しいものとなります。今から心配しています。


     久喜市生涯学習推進計画(まなびすとプラン)見直しへ
                 第1回検討部会開催されける。
 1/25(水) 菖蒲コミュニティセンター 

   私と生涯学習(推進活動)とのかかわりについ捨ては、今まであらゆるところで述べてきました。少しでも書き出しますと
  長くなりますのでここではやめておきます。ところで久喜市に「久喜市生涯学習推進計画(まなびすとプラン)」なるものが
  あります。ご承知のように平成22年3月・「新久喜市」が誕生しました。22年度中に新市レベルでの「生涯学習推進会議」
  「推進部」等の組織を確立し、その上に立って新久喜市の生涯学習推進施策を計画的・総合的に推進するため、23年に
  「久喜市生涯学習推進計画・まなびすとプラン」の策定に着手しました。
   旧久喜市と新久喜市は全く別の法人です。旧久喜市には10年を計画期間とする2次に渡る推進計画がありました。
  1次のそれは当時の担当職員であった「故М氏」が1人で作りました。2次目のそれは私が「策定懇話会座長」を務め、
  多くの生涯学習推進活動家の参加の下に作られました。事務局は現指導課のS先生でした。現推進計画の基本をなす
  「まなぶ いかす つなぐ ささえあう」を基本としたものでした。
   だから私的には「現・推進計画」を第3次のそれと思っていますが、前記した通り新市のものとしては初となります。
  計画期間を平成25年~34年の10年としました。策定は23年夏に始まり、25年春までを要しました。何と27回もの
  会議をもち、パブリックコメントを経て、25年暮れに正式決定されています。
   私は正式な計画作成部会員ではありませんでした。「アドバイザー」なる位置づけ、もう1人が東京国際大学講師の
  K氏でした。作成部員は5名で、「ゆうゆう」、「推進部」、「公民館」、「スポーツ推進委員」、「学校長」の代表、そうそうたる
  人物でした。私が「アドバイザー」だったのは要するに「議員」だからです。新市になってから議決機関の人間は計画策定
  過程に関わらないが強化されたためです。話は横道にそれますが、昨年策定された「久喜市スポーツ推進計画」です。
   私は過去50年、久喜市のスポーツ・レクリエーション活動に深くかかわってきました。何のおごりも、ヘリくだりもなく
  久喜市のスポーツ推進計画策定に関わる最も適した人間と思っています。でも前記の理由でそれはかないませんでした。
   今でもすごく残念に思っています。

   さてこの10年間にわたる計画は本年度(29年度)をもって、前期の5年間が終わり、30年度から後期の5年間に移ります。
  その時、この計画の再評価見直しを行うとなっており、今年1年をかけその作業を行う事となりました。そして今日、第1回
  「久喜市生涯学習推進計画(まなびすとプラン)」検討部会が開催されました。
   要するに現計画の上に立ち、新たな状況等を加えた見直しを行うというものです。検討部会員は5年前と同じ組織の代表
  3名は前回のメンバーであり、座長も前回同様H氏となりました。私も5年前同様アドバイザーという立場です。見直しの概要
  作業スケジュール等について話し合った後、意見交換を行いました。私は
  1・基本的に現推進計画に踏まえ、「まなぶ いかす つなぐ ささえあう」を充実していく
  2・新たな状況として①生涯学習センターの整備、②コミュニティスクールのほぼ全校でへ開校に踏まえる
  3・おしなべての地域活動団体・機関の弱体化の現実に立つ(スポーツ団体・市民大学)等々を述べました。
   私はアドバイザーですので、毎回出席ではなく、折に触れ出席し、意見を述べるとのことです。もちろん連絡を頂ければ
  必ず出席し、見直し作業に全面的に協力するつもりです。


             平成29年・「くきっ子ゆうゆう」・「県スポ少」活動がスタートしました。 1/12(木)

   新年も松の内も過ぎ、ここまでくると年末年始で休止状態にあった、諸活動が再開され通常の状態に戻ります。今日は
  「くきっ子ゆうゆう」の新年に入って最初の開校日、また実施委員会も開催されました。また「県スポーツ総合センター」内
  県体協本部で、県スポ少正副本部長会議も開かれいよいよ29年の活動が始まりました。

  

  
 市内最初の実施校である久喜小・「くきっこゆうゆうプラザ」は、29年度が13年目となります。28年度の活動は2/16
  に行われる閉校式で終わりとなります。報告書の作成・28年度活動の総括・評価、29年度の新講座の検討と私たちの
  忙しさは変わらないのですが……。実施委員会では2/4・5(土・日)に開催される「まなびすと久喜」の展示準備、また16(木)
  閉校式について協議しました。閉校式では、今年は司会を「ゆうゆう」参加児童に任せることとし、当日発表する実技に
  ついても、いくつか検討されました。実施委終了後、「くきっ子」はあまりこの種の懇親会を持たないのですが、新年という
  事で、皆で食事会をもちました。市内某レストラン、この経営者も「ゆうゆう」関係者です。運営委の正副会長も参加され
  和やかな中に新年の活動への頑張りを確認しました。
   久喜市内の「ゆうゆうプラザ」も、全23校開校となって2年目となります。組織的には良くここまで来たものだ、と思いますが、
  開校5年・6年・7年と経って、実施委・サポーター不足と厳しい状況の実施校がいくつかあるようです。それに今年は市内で
  コミュニティスクールへと移行する学校がだいぶ増えそうです。「ゆうゆう」と「コミュニティスクール」の関係等、思考・構築して
  いかねばならない問題が新たに浮上してきます。頑張ってやっていきたいと考えます。

   その後上尾市総合スポーツセンター内、「県体協」本部での、県スポ少正副本部長会議に出ました。少子化→児童数の減少
  から、長期低落化の状況にあったスポーツ少年団も、関係者すべての懸命な努力が実り、下げ止まりの時を迎えています。
   県でも減少はわずかに留まり、久喜市では逆に若干の団員数の増加をみました。新年を「反転振興の年」とするよう努力
  して参ります。
   さて私は平成13年から県副本部長を務めてきました。その前10年を越え本部員でしたから、県にあって4半世紀を超え
  県本部の中枢を担わせて頂いてきたことになります。そのお役も残すところあと1年となりました。来年度(30年度)の
  代議員会(総会)をもって、定年で引退することとなります。(役員就任時73歳までとの年齢制によります。)
   今年は競技別関東ブロック大会を主催しますし、昨年から私が責任者となって進めてきた「処分基準」問題もまとめていか
  ねばなりません。最後の1年、全力で県スポ少の活動にあたってまいります。

               ◎  くきっ子ゆうゆう・平成28年度活動進む  11/19(土)












  
季節は晩秋から師走に入ろうとしています。
 
時の移ろいとともに「久喜市放課後子ども教室
 ・くきっ子ゆうゆうプラザ」も順調な歩みを
 続けています。「くきっ子」は毎週木曜日と、
 隔週(月2回 第1・第3土曜日)に開かれます。
  木曜日のそれは年間を通して行う講座型
 土曜日はイベント型の教室を持っています。
  この日は「面白理科実験」と、「お茶・茶道」の
 教室がありました。

   
   
今年「面白理科実験」は2回、「お茶・茶道」は1回のみです。共に子どもたちに人気があり、大勢の参加者がありました。
  「面白理科実験」、体育館で行われました。今日は「空気」に関する面白実験です。講師のО氏は大変熱心に他の「ゆうゆう」
  でもこの教室を持っていただいています。最初はまず今日の実験用道具の政策です。小さなポットボトルの底を開き、風船を
  貼り付ける、小型の段ボール箱の一面に直径10センチほどの穴をあけ、他は空気が漏れないようしっかり目張りする、の
  2つを造りました
(写真・上段左)
   ポットボトルです。
(写真・上段中)のように、紙人形を立て、風船をひいてそれを打つ、いわゆるポットボトル鉄砲です。
   
段ボール箱です。縦において穴の上に細く割いたビニールひもを置きます。「ポン」と段ボールを打つと、ビニールひもは
  キラキラと本当にきれいに空中散歩をします。今度はダンボール箱を横におき、チームを組んでの風船送り競争です。
  みんなキャッキャッ言いながら、相手に勝とう、風船を相手陣地に送ろうとパタパタ段ボールを叩いていました。
(写真・上段右) 
   こんな遊びに楽しみながら、子どもたちは空気の特性等理解したと思います。
 

   お茶・茶道教室です。図書館で行いました。朱傘も立てられ「お茶室」の雰囲気が出ていました。(写真・下段左)
  講師のE先生は本格的お茶の家元です。私も一度ご招待を頂きましたが、自宅には大変立派なお茶室まであります。
   子どもたち全員に本格的茶碗、茶筅そして和菓子が配られ、熱心にお茶をたてる、に挑戦していました。
(写真・下段右)
  最後に同行された保護者にたてたお茶のふるまい、保護者一同見事なおふく加減にご満悦の様子でした。 
   私の母は50代から60代半ばまで、10年を超え近所の「茶道教室」に通っていました。最盛期の頃は毎日のように母の
  たてたお茶を飲まされたものでした。膝を痛め、まっすぐ立てなくなったことで茶道を辞めましたが、その時ホッとした事を
  覚えています。子供たちが真剣にかき回す茶筅を見つめながら、少し感傷的に思い出していました。

   「面白理科実験」に「茶道教室」、子どもたちは貴重な体験を積んだと思われます。こうした体験と指導していただく地域の
  方とのふれあいを通し、少しでも社会力=生きる力の醸成に繋がる事を望むものです。
   この後「くきっこゆうゆうプラザ」は師走に入り、「クリスマスリースつくり」等、季節感にマッチした教室に入っていきます。


         久喜北小PТA家庭教育学級・絵本作家の講演を拝聴しました。11/9(水) 久喜北小

  10/29の本ページ「北小北斗祭」でも記しましたが、私は丁度今年で15年目に
 入りますが、「久喜北小」で読み聞かせボランティアをやっています。そんな関係でこの
 北小PТA主催の「家庭教育学級」のご案内をいただき、また「北斗祭」の日も、会長から
 直接お誘いをいただきました。
  私が「読み聞かせ」を始めたのは、ちょうどそのころ子どもに関し、大変嫌な出来事が
 あって、「スポ少」以外に子供と向き合う「何か」をしたいと思ったからです。現在の「久喜
 中央図書館で、子どもに絵本を読み聞かせるボランティア養成講座参加者を募集、
 これだと思い参加しました。昔から朗読は得意だったからです。久喜小はPТAの会員
 ばかりでした。北小は地域の方も参加しておられ、その中に生涯学習推進活動でご一緒
 の方がおられたので、仲間に加えさせていただきました。以来15年になります。

  自分でもよく続けてきたなと思うのですが、朝、授業の始まる前の10分位ですし、1年で10日くらいですから、大した負担
 にもならなかったのです。ただ今は絵本をもった手を一杯に伸ばし、同一線上で読んでいくことが大分つらくなりました。もう
 そろそろ引退かなと思うのですが、皆私と同世代、一様に口を閉ざしています。やはり皆も熱心に聞き入る子どもが可愛く
 一緒の時間がもちたいのでしよう。
  「読み聞かせ」は、まず読む本選びから始まります。1に担当学年を考え、2に季節を考えます。夏にクリスマスの話を読ん
 でも、というやつです。そして同時に大事なのが「絵」です。絵本を読み聞かせるとは、絵を見せ、話しを読むのです。
  こんなことを15年もやった来たのに、絵本の作者は誰だったかは全く覚えていません。だから今日の講演者が絵本作家
 「川端誠」氏だと伺っても全く分かりませんでした。ただ川端氏のお話しを聞いていて、川端氏が書かれた絵本を次から次と
 紹介する中で、「まんじゅう・こわい」、「めぐろのさんま」、「じゅげむ」等落語シリーズに触れた時、「ああ、図書館で読んだ」と
 思い、「リンゴです」、「バナナです」・「いちごです」の果物シリーズについて話された時は、「ああ、何年か前、子どもたちに
 読んだ」と気づきました。
  僕たちは1回1冊の本しか読めません。「りんごです」等果物シリーズは3冊そろって、1度に読むと面白いのになと思った
 ものでした。確か読んだのは「りんごです」だったと思います。普通読む前に何冊か読み、選択しますので「バナナです」、
 「いちごです」も読んだ記憶があります。7・8年位前だったと思います。「いちごです」はいちごはアイスクリーム、ショート
 ケーキ、ジャムといろいろ形を変え、どれも美味しい。でも一番おいしいのは「イチゴ」そのまま、人間はありのままが良い
 そんな内容だったと思います。最も読み聞かせの時、こんな説明はしませんが。
  「十二支のお節料理」では、絵の制作の苦労話をされました。「地球を掘る」では作家が絵本を作る際、些細な事にも実に
 多くの神経を使うことを知りました。川端氏の優れた感性を随所に感じた講演でした。
  出席者は60人ほどおられたでしようか。PТA・地域の方も、ほとんどが「読み聞かせ」に関わる人ばかり、川端氏と感性を
 共有しておられるのでしょう。川端氏の話にいちいち相槌を打ち、笑いこけていました。一方私はと言えば、話しの中で
 お書きになられた作品から、あの作品を書かれた方か、と感じただけですから、感性の鈍さはいかんともしがたいものが
 あります。やはりもう、子どもに夢を語る読み聞かせから引退する時なのでしょうか。


             ◎ 久喜小教育の日 授業参観と音楽会  11/5(土) 久喜小 


    左から
 2年生 便利グッズ・どこでも届いちゃうぞ
 3年生 提灯祭りを楽しく  
       クリーンボックス
 4年-2組 災害から身を守ろう
      避難所での生活環境の向上に




    左から
 5年生 STOP地球温暖化
       木材家具つくり
 6年生 人工知能に負けない
       ロボットとタブレット
 午後の音楽会は各学年ごとに
    合奏と合唱でした。


  多く活動していると行事がダブることが結構あります。地域活動の
 場合優先順位をつけていますので構わないのですが、問題は議員
 活動が絡む場合です。当然ながらこちらとなります。だから出たいと
 思っていた行事・会合に残念という事が、こちらも結構あります。
  去年は2年に1回の「女性議会」に出られませんでした。今年は
 「市政ニユース」のページで報告した、「市議会議長会フォーラム」と
 久喜小の「夢創造科」の研究発表の日が重なってしまいました。
 ご承知のように久喜小は文部科学省から研究開発校の指定を受け
 新設教科「夢創造科」の開発、研究に取り組んできました。


   この研究は4年間に及ぶもの、今年が最終年です。過去3年は研究発表会に参加、子どもたちの、久喜小先生方の取り組みを
  つぶさに見てきました。それだけに「まとめ」、「最終年」である今年の発表会に出られなかったことはとても残念でした。
   久喜小の「教育の日」に当たるこの日、午前中は授業参観、それもこの「夢創造科」との事で勇んで出席させていただきました。
   「夢創造科」は平成20年と言える、新学習指導要領改訂に資する研究です。自分の暮らしと科学技術とのかかわりについて
  関心を持ち、具体的なものつくりの中で、その科学技術を活用し、問題を解決していこうというものです。また今までの研究発表で
  この過程で、いわゆるPDCAではありませんが、設計する―ものづくり(実践する)―評価する(それも皆で=グループで)という
  学習方法がとられていました。要するに課題を解決する自律的態度を身に着ける=生きる力の醸成の方策といえます。そして
  それはるここ数回の学習指導要領を貫く基本的考えと言えます。
   今日は実際の授業参観というより、子どもたちがつくった「もの」の展示会とでもいうべきものでしたが、そうした一端を知ることが
  できました。2年生の「どこでも届いちゃうぞ!大作戦」、4年生の「災害から身を守ろう、5年生の「STOP!地球温暖化」」どれも
  よく工夫されていて、楽しく見ることができました。
   後は、「研究発表会」のように埼玉大学の教授や、文科省の学校教育官の講評を聞きたかったな、というのが私の本音です。
   
   午後からは体育館での「平成28年度・校内音楽会」を見、聞かせていただきました。各学年ごとの「合奏」と「合唱」です。それに
  しても先日の「ありがとう 北斗祭」でも感じたのですが、今の子どもたちの楽器をこなす能力は大したものです。1年生も含め
  全員が見事に楽器を弾きこなします。私の出身高校は全国で唯一の工業高校です。丁度高度成長期の前、理工ブーム華やか
  なりし頃でしたから、皆一流企業に就職しました。今全員退職していますが、彼らが企業戦士として頑張っていたころ、同窓会で
  よくこんな話を聞きました。『今の一流大学での若者に、仕事・能力負けるものは何もない。ただこれだけは敵わないというのが
  ある。英会話と楽器だ』と。私など身につまされてよくわかります。吹けるのは口笛とホラだけです。だから子供たちの演奏を
  ただタダ感心して聞いていました。
   1年生の音楽劇はとてもかわいかったです。
   4年生は手拍子=拍手だけの合奏を聞かせてくれました。
   上級生ともなると、その音色は一段と見事になります。5年生の合奏・「千本桜」はとてもよかったです。
   6年1組の「合唱・命の名前」、2組の「合奏・知覚と快楽の螺旋」は、クラス単位でのものとは思えないほどでした。お聞きすれば
  1組の合唱は「久喜市小中学校音楽会祭」に学校代表で出場、また2組の合奏はこれから埼葛音楽祭に出場するとのことです。
  2組の合奏はパーカッション系が多く、見事なリズムを聞かせてくれました。
   久喜小の子どもたちが毎日毎日を楽しく頑張っている姿が感じられた1日でした。とても楽しかったです。
        ありがとうございました。
 

          平成28年度・ありがとう北斗祭に出席しました。 10/29(土) 久喜北小












   ★ 伝えよう 大切なあなたに 「ありがとう」 ★ を掲げて、久喜市立北小で、「平成28年度 ありがとう北斗祭」が開催され出席
  させていただきました。私が北小児童=北斗っ子にとって、「大切なあなた」に該当するか自問するところがありますが、ご案内を
  頂いたためらです。ご承知のように北小で丁度15年目になりますが、「読み聞かせボランティア」を続けている事、そして今年も12月
  第一日曜日に開催される「久喜市綱引大会」に備え、綱引の練習に励む子供たちの指導にお伺いしているからです。

   久喜北小は平成7年本町小から分離して開校しました。旧久喜地区では1番新しい学校です。周辺は比較的新しい住民が多く、
  開校時から、ビオトープづくりに代表されるように、地域住民が積極的に学校に関わっている地域です。加えて久喜市は教育委員会が
  「地域に開かれた学校経営」を掲げており、そんなこともあって、北小では地域の学校ボランティアの人たちに感謝するこの会を毎年
  開催しているものと思われます。内容は二部制です。一部は体育館での「音楽発表会」、終了後の二部が教室での出店です。
   出席した招待者は3~40名位でした。開会式で子供たちから大事に育ててきた、鉢植えの花(パンジー)をプレゼントされました。
  ありがとうございました。第一部の音楽祭では、各学年毎に壇上で合奏・斉唱を聞かせてくれました。1年生の斉唱「おもちゃのチャ
  チャチャ」はかわいらしく、6年生の合奏「宇宙戦艦ヤマト」は見事でした。(-写真左-)
   第二部の「出店」、6年生と2年生、5年生と3年生というようにペアーを組んで、それぞれ出し物の出店です。例えば紙コップで
  巨大なタワーを作り、ボーリングを行うもの、北小や動・植物に関するクイズ、クイズの中にサイエンスクイズというのがあって電気に
  関するもの、私は逃げ出してしまいました。傑作だったのはNТVの人気番組「笑点」を模した「北笑点」、(-写真左から2-)のように
  テレビ番組の出演者と、同じ色の法被をまとった6年生が、賢明に大喜利に挑戦していました。
   また北小の「放課後子ども教室・北斗っ子ゆうゆう」も出店、サポーターが保護者・子どもたちに「絵手紙」、「ロボット制作」、また
  「けん玉」等々を披露していました。(-写真右の1・2-) どの出店も参加された保護者でいっぱいでした。

   「地域と共にある学校」を掲げる久喜市では、その究極の形として「コミュニティスクール」を太東中地区で開校、全市内への
  拡大を目指しています。一部の閉会式で蒲田校長先生が、北小もそれを目指していきたいと挨拶していました。久喜中地区、
  という事になります。うれしいことです。とにもかくにもいろいろな活動を通して、地域の立場から、というより一体で、子供たちの
  健やかな明日を目指す活動に、これからもずうっと関わっていきたいと考えます。


          久喜市民大学校友会・28年度講演会 7/30(土) 久喜中央公民館
  












   久喜市民大学校友会(田沼勝子会長)は、毎年1回市民公開講座として「講演会」を実施していますが、28年度のそれが
  梅雨明け直後の猛暑の日、30日「久喜市中央公民館」で開催されました。思いかえれば昨年のこの講演会は、私の次男の
  「防災講話」で行ったのですが、もう1年経ったのかと思います。今年は私が橋渡しをさせていただいて、「新久喜総合病院」
  から、桑木巨樹の会副理事長の「新久喜総合病院の紹介と考え」、リハビリテーション科・岸川課長の実技も含めた「健康
  教室」の2本立てで行いました。

   まず熊木氏の講演です。熊木氏はご自身も名古屋大学医学部卒の麻酔医ですが、「巨樹の会」副理事長として、蒲池
  グループ全体の運営に当たる方、いかにも切れ者といった感じで、よどみない口調での自信に満ちたお話でした。
   まず蒲池グループの紹介、急性期・回復期合わせて病院20・2診療所・10事業所(訪問看護等)、学校法人7を経営
  回復期病院14は述べ2、581床、日本最大規模です。新久喜総合病院のモットーは「断らない医療」。24時間・365(日)
  昼夜を問わずすべての患者様にできる限りの医療をつくす、としています。本当に長期にわたってそんなことができるのか、
  に対する答えの実例として、私も視察した佐賀県武雄市の「新武雄総合病院」をあげていました。(市民病院→民営化=
  巨樹の会)
   新総合病院の医療スタッフを紹介、また未だ3カ月ですが救急受け入れ件数等の実績を上げられました。病院のベッド数は
  ご承知のように300です。4月譲渡開院時入院患者135人、わずか2カ月で6月には300人に達したそうです。
   また「320CТ」、「3・0Т磁気共鳴断層撮影(МRI)」という先進的機器も導入しています。開院時400人の医療スタッフは
  現650人、数年後には800~1、000人に拡大していくとも話していました。
   「良い医者・良い医療はみんな(市民が)でつくる」、また「病院=産業を通して街を活性化する」の発言が印象に残りました。
   埼玉東北部の皆様から、高い信頼を得られるよう、「やる気」と「やさしい心」をもって、「断らない病院」を実現します、と
  最後に結んでいました。

   次は「健康教室」と題する「岸川」氏の講演、介護予防の重要性につれ、加齢に伴う身体の衰えが主な内容、最後に「健康体操」
  のいくつかを実技指導してくれました。何といっても参加者が皆市民大学ОB、平均年齢推測**歳ですから、皆身に染みて
  拝聴していました。寿命には「平均寿命」と「健康寿命」がある、元気な高齢者になること、健康寿命を延ばすことが大切、という
  こと、「老年症候群」として認知症、せん妄、転倒、誤さん、活動量の低下等があり、この「老年症候群」の予防が大事ということです
   そのためにも、不必要な安静を避ける・十分な運動・適度に活動・趣味を持つ(仲間との)、会話・楽しく過ごすといった生活が
  大切、運動・体操としては、強化するより衰えを防ぐという感じでとのことでした。そして実技指導、ストレッチから全身調整運動、
  頭の体操と楽しい時間をすごしました。

   この日梅雨明け後の初の週末、猛烈な暑さが戻り、35度を超えたところもありました。午後1:30開演ということで、この暑さで
  若干参加者が少なく、チヨット残念でした。


       平成28年度・ゆうゆうプラザ全員研修会  7/9(土) ふれあいセンター久喜 












   平成28年度・久喜市放課後子ども教室・「ゆうゆうプラザ全員研修会」が、「ふれあいセンター久喜」にて開催されました。
  今まで例えば大学教授とか、例えば文科省の生涯学習官とかによる理念的、学問的講話でこの研修会は持たれてきました。
   今回はガラッと変わって、長野県青木村の児童センター所長・「高田玲子」氏をお迎えし、「あおきっ子の放課後」と題された
  青木村児童センターでの実際の活動について、お話しを聞くものでした。
   開校式で飯島運営委会長、柿沼教育長から、本年度のゆうゆうプラザが、久喜小で平成17年開校以来12年目、昨年
  栗橋西小の開校で全市内実施となって2年目に入る事、市内全児童の41・2%に当たる3、024名の参加を得ている事
  それを支える実施委員は430名、サポーター1、928名の協力を得ていること、そして今年から太東中地区において、
  コミュニティスクールが開校、可能な限り早い時期に、市内全小中校での開校を目指すこと等が話されました。

   さて青木村です。.長野県上田市と松本市を結ぶ、人口4、500人ほどの山間町です。私は20歳代に山登りに熱中して
  いました。車で松本市へ入る最短コースとして、よく利用した思い出があります。またここの村長さんはかって埼玉県の職員、
  当時、菖蒲町の助役として来られたことがあり、菖蒲町とは強いつながりがあります。そうした縁で今年10月に、私たちの
  会派で視察研修に行くことが決定されています。まさに「縁」とは不思議なものです。
   青木村は1保育園・1小学校・1中学校です。児童センターは平成16年開設されています。靑木小に隣接してあり、全児童
  250名のうち、150名が利用しています。いわゆる「学童」=放課後児童クラブはありません。この「児童センター」がその
  役割を果たしていることになります。児童センター、靑木小校庭、付近を流れる浦野川、これが活動の場です。そこでの
  子どもたちの活動がパワーポイントで紹介され、それを高田先生が説明するという形で進んでいきました。
   なお高田先生はかって埼玉県の教員、東部地区の吉川や三郷といった町で、教鞭をとられたそうです。同じく教員の
  ご主人が他県でも教員を勤めたい、ということで採用試験を受け返し、長野県の教員になったそうです。何カ所か異動された
 後、こんな環境で子供を育てたいと思い、青木村に定住されたそうです。
  このセンターの運営方針は、「良く遊ぶ」、「良くふれあう(異年齢の子ども同士・地域の方々)」です。そして「自分の責任で
 自由に遊ぶ」とされます。子供同士ののトラブルは成長のために必要と考え、必要以上に大人が介入しないとしています。
  実際紹介された付近を流れる浦野川での遊びは、本当にほほえましく、かつ羨ましいものでした。
  
  もう一つ、「水曜クラブ」の活動があります。これは全く久喜の「ゆうゆう」と同じ、水曜日に地域の方を指導者として様々な
 クラブ活動を行うものです。子供たちの自主参加、地域の方にいろいろなことを教えてもらい、遊び・楽しみながら社会力
 (人と人のつながる力)を身につけようとするものです。今年の6月から始まりました。この1年は13日持たれます。やはり
 こうした行事は、この回数位なのかな、と思います。
  そんなことでいわゆる理念とか、理論を聞くものではありません。青木村の豊かな自然の中で、「遊びとふれあい」を
 通して、子どもを育てていく活動の実際を見せてもらいました。気楽に聞けましたが、なぜかさわやかな感情だけは残り
 ました。10月、青木村で、今日のスライドで見た風景を、子どもたちを、活動を、ぜひこの目で見、確かめたい、との
 うずくようにな思いを強く持ちました。


          ● くきっ子ゆうゆうプラザ・平成28年度開校式  6/9(木) 久喜小体育館 











   9日午後3時より、12期目となる平成28年度・「くきっ子ゆうゆうプラザ」の開校式、先駆けて1:30より、「サポ-タ-
  会議」を開催しました。今年は、地域サポーターを上回る、保護者サポーターの登録を頂きました。うれしい限りです。
   安全見守り、下校指導、許す範囲内での様々なお手伝い等、よろしくお願いします。
   
   さて開校式です。今年は208名の指導が参加してくれました。全校生徒数が425名ですから、49パーセントの参加を
  みたことになります。今年は教室型の木曜日20日、イベント型の土曜日11日、計31日開校されます。
   この31日が多いのか、少ないのかは判断に迷います。かって週2日開校していました。ただ現状からすれば、もう
  これは無理なことです。
   木曜日は学習・ドッヂボール・室内遊び等11講座、「陶芸とパステル」、「ヒップホップダンス」が今年からのものです。
   土曜日は「トランポリン」、「料理」、「クリスマスリース」等10教室です。
   開校式では6年生男女2人が、「開校の抱負」を述べてくれました。こちらこそ1年間よろしくお願いします。
   そのあと、挨拶、来賓祝辞、子どもたちへのサポ―ターや、実施委員の紹介と形通りに進んで閉式となりました。

   今年は子供たちの参加が、例年より10パーセント近く多く、また保護者サポーターも同様です。無理をせず、また
  ある意味での強制もしないで、地道にやってきた成果かなと考えています。
   地域・教室サポーターの顔ぶれの固定化、高齢化等の問題もあります。絶えずお声がけをし、サポーター、実施委員の
  補充を続けていきます。
   私は今年もドッヂボールをメインに関わっていきます。可能な限り顔を出していきたいと考えています。
  

        ● 第4回・久喜市小学生陸上競技大会  5/31(火) 久喜市総合運動公園市民グラウンド











          上・左から
   会場いっぱいに張られたテントで仲間を応援
   70mハードル走
   4か所でハイジャンプ
   100m走
   100m走のスタートはスタンディングでした
    いつものように川内選手が引っ張る1、000m走



   平成28年度・第4回「久喜市小学校陸上競技大会」が、総合運動公園市民グランドで開催されました。市内23小学校
  6年生全員が参加する大会です。競技種目は男女共通100m走、70mハードル、1、000m走、走り高跳び、ボール
  投げの5種目、それに全員種目として40人×100m走(30人以下学級は30人×100m走)の7種目です。
   市民グランドは、先の「久喜マラソン」のゴールとなった400mのトラックです。そのトラックの外周をぐるりと各学校の
  テントが取り囲み、子どもたちが大声で出場の仲間を応援していました。
   正面側走路で「70mハードル」、バックスタンド側走路で「100m走」、フィールドでは「走り高跳び」(午後は「ボール投げ」)
  と同時並行で行われていました。
   100m走と70mハードルは予選、決勝とあります。1、000m走は男女各2レースでタイムレースです。
   目の前で行われた70mハードル、ハードルを超すフォームが(飛ぶのではなく跨ぐ)出来ている子、そうでない子の差が
  はっきり出ていました。
   100m走、一応各校2人の代表選手ですから、やはり迫力がありました。ただスタートがクラウチング・スタートではなく
  運動会のようにスタンディングなのには、ちょっと疑問を感じました。
   走り高跳びです。今・少年団の運動適正テストで圧倒的に悪いのは、「立ち幅跳び」です。「ハイ」も「ロング」もジャンプ
  は同じ、大切なのは「踏切」です。見ていてこのタイミングが、全然つかめていない感じでした。
   1、000m走は今年は弟さんも参加、川内兄弟がレースを引っ張ってくれました。川内選手と走れて子どもたちには 
  大変な思い出になったことと思います。

   子供たちは学校の体育着とハチマキきをして、出場します。学校対抗という雰囲気も加わってなかなか良いものでした。
  今の子どもたちのスポーツでの交流は、この大会だけと思います。「綱引大会」や「縄跳びフエスタ」は希望者だけの
  参加です。そうした意味でもこの大会がますます充実し、継続していくことを希望するものです。 
  

            ● 本年度開校への準備進む、くきっ子ゆうゆうプラザ  5/19(木)

   
今日は午前、今年度に入って2回目の「久喜市放課後子供教室運営委員会」が開催されましたが、午後は「くきっ子ゆうゆう
  プラザ」実施委員会を、スタッフルームにて持ち、6/9の本年度の開校式、先駆けての「サポーター会議」等について協議しました。
  開校12年目を迎える「くきっ子ゆうゆう」の準備も、着実に進んでいます。
   「くきっ子ゆうゆうプラザ」は平成17年、モデル事業として市内最初に開校しました。1昨年10周年記念事業を実施したことは
  本ページで報告しています。私は開校準備当時から実施委員、そして講座サポーターにあります。
   12年目の今年の開校式は、6月9日(木)です。先駆けて13:15より「サポーター会議」を実施します。
   今年の参加者受付を、5/10(火)・11(水)の2日間行いました。お陰様で昨年より約30名多い、206名の参加者がありました。
   いつも+αの参加がありますので、210名強出の開校と思われます。200名を超すのは数年ぶり、うれしい限りです。
   「くきっ子ゆうゆう」は、毎週木曜日、隔週土曜日で行われます。木曜日は講座、土曜日はイベント型のものです。
   木曜日は学習、編み物、フラダンス、ドッヂボール、室内遊び、グラウンドゴルフ、室内遊び、今年からのヒップアップダンス等
   イベント型は理科遊び、ミニテニス、料理、お茶、クリスマスりーり等。全部で21講座です。
   木曜日、いつもながらドッヂホール60名で最多、今年初めて取り組むヒップアップダンスは、39名と人気がありました。
   逆にそろばん2名、囲碁3名はサポーターに気の毒な感じですが、参加者より強い希望があり実施します。
   土曜日は全講座20~30名の参加をいただいています。
   こうした講座は、すべて教室サポーターの協力のおかげで運営されます。心より御礼申し上げます。
   実施委員は19名でスタートします。地域の方々、保護者OB、現役PТAと結構バランスが取れていると思います。
   サポーターは、6/9のサポーター会議で、保護者サポーターを加え、登録します。
  
   6/2に次回の実施委員会を開催、「開校式」に向け、最後の準備をします。私は今年も主に「ドッヂボール」担当と思いますが
  可能な限り、現場に出て、子どもたちから元気をもらいたいと考えます。

 
                ● 生涯学習推進部の職を辞しました。 5/18(水)

   
明日は、鷲宮総合支所会議室において、平成28年度に入り、2回目の「久喜市放課後子ども教室運営委員会」が開かれ、
  出席の予定です。今年は運営委員の任期・2年の交代年であり、私は公務で欠席しましたが、去る4月22日に28-29年の
  運営委員委嘱式があり、私は引き続いてスポーツ少年団推薦として委嘱を頂きました。市内全校の開校を終え、「放課後子ども
  教室」の活動も、新たなステージに入っています。引き続き努力を傾けてまいります。

   ところで「久喜市生涯学習推進部」の、これまた28―29年の委嘱式が、5月13日にありました。私は20年を越え、
  「推進部員」にありましたが、この委嘱式への案内はなく、自動的に失職となりました。これは昨年度末(本年3月)の意向調査
  (継続するか、否か)に、『この辺でもういいかと思います』と、返答したためであり、自らの意思によるものですが、長きにわたった
  私と「推進部」との関わりを振り返ると、万感尽きぬものがあります。

   久喜市で生涯学習を組織的に推進していこうという動きは、昭和63年に始まりました。平成元年・2年と、文科省の「生涯学習
  まちづくりモデル事業」に参加、まずか150万円の補助金でしたが、そのための必置機関である、「生涯学習推進会議」を発足
  させたのです。
   議長=坂本市長、副議長=渡邊助役・戸賀崎教育長・高橋社会教育委員長、委員には斉藤八重子体協会長、浜梨花(榎本)
  文連会長、野原国松公運審会長、塩崎勝区長会長等がおられました。肩書はすべて当時のものですが、お名前の前には、
  これまた全て「故」が付きます。
   初期の久喜市の社会教育・地域活動の推進に、すぐれた足跡を残し、黄泉の旅に立たれています。40代前半だった私は、
  体育指導委員会(現・スポーツ推進委員会)委員長として、委員の委嘱を頂きました。今では私の知る限り、この当時を知る
  唯一の者となります。第1回久喜市生涯学習推進大会は平成元年、講演された講師は当時の文科省生涯学習官「福留強氏」、
  現「全国生涯学習まちづくり協会会長」であり、同会々員である私の、この分野での変わらぬお師匠さんでした。翌平成2年の
  第2回大会に、私はパネリストとして参加しています。
   

   ところで前記した「生涯学習まちづくりモデル事業」は、当時の自治体3、300の、約7割が参加した画期的事業でした。しかし
  この事業の終了と共に、生涯学習推進の動きは、全体としての推進運動の未成熟状況、熱心だった担当者の交代などで、
  ほとんどの参加自治体で、潮の引くように後退していったのが現実でした。しかし久喜市では「市民主導の生涯学習の推進」の下、
  高い質とある量をもって推進活動が展開されてきました。それは全て「生涯学習推進部」の活動にあったと断言することができます。

   久喜市でもこの時の「第1次生涯学習推進会議」の活動は、失敗に終わっています。何よりも生涯学習推進の活動が、全体とし
  未成熟であったこと、なまじ「まちづくり=全行政で」としたため、全部長職を委員に委嘱、ために会議日程設定すらままならなかった
  状態でした。この「第1次推進会議」は、早くも平成3~4年には無活動状態に陥ちいったのです。この状態を埋めるべく、私は
  当時の久喜市の社会教育・地域活動の一線級の活動家を結集、生涯学習推進の実戦部隊を創設すべく活動を始めました。

   この時ご相談したのが、当時の教委生涯学習課係長、現青葉公民館長の原島氏でした。氏は教員ですが、市の教育委員会に
  複数回勤務されました。久喜市の学校体育施設開放制度を確立されたのも氏です。久喜市の社会教育・体育の発展を振り返る
  時、氏の存在抜きに語ることはできません。
   2回目の会議に2人が1人ずつ仲間を呼び、また次もと、短期間にて20人を超す組織体制ができました。こうして「推進部」が
  誕生したのです。久喜市の社会体育、公民館、PТA、青少年育成、文化、あらゆる地域活動の最前線に立つ、一線級の
  活動家ばかりでした。

   平成5年から10年近く、「推進部」は猛烈な情熱をもって、猛烈な活動をしました。その1は「第2次生涯学習推進会議」の確立
  です。議長=田中市長、副議長=橋本教育長、私(推進部委員長)体制でした。
   その2は現在の「まなびすと久喜」、「まなびすとフォーラム」の組織化です。参加型から、市民の企画・運営型へ、多くの生涯学習
  ボランティアの一歩からの参加をいただいて、と毎年・々改革を加えつつのものでした
   その3は「推進部」そのものの強化です。部会制度を確立、多くの研修・研さんを重ね、推進部員の資質の向上、「推進部」そのもの
  の強化・向上を図りました。その後の久喜市の生涯学習関連事業・活動は、市民大学の建学、校友会の発足、ゆうゆうプラザ、
  コミュニティスクール、さらには市民まつり等々、すべてこの延長線上、要するに市民主導の生涯学習の推進、それを生んだ「推進部」
  にあるのです。
   

、  そんな私に「推進部」の活動が減りだしたのは、いつの頃からだったでしょうか。10年を超えた委員長を辞した事、議会での活動が
  忙しさを増したこと、「まなびすと久喜」や「フォーラム」がマンネリ化し出したこと、全体としての生涯学習推進活動の低迷、そんな
  ことが混ざり合ったのかも知れません。特にスポーツ少年団で、私が県と久喜のトップに立ってから、それが一段と加速しました。
   熱心に活動されている、推進部員の方には大変失礼ですが、今・「推進部」は単に、「まなびすと久喜」と、「まなびすとフォーラム」を
  実行するだけの組織となっています。この2つの行事と、少年団の欠かせぬ行事が全く同じ日なのです。本番に出られぬのに、準備に
  参加するのは気が引けます。会議その他に欠席するのが多くなりました。

   この間活動を共にしてきた仲間は、すでにほとんどが推進部を辞しています。4年前も、2年前も、そろそろ自分も、と考えましたが
  そこまでふんぎることができませんでした。それは「初心に返ってまた頑張る」ものでなく、今までを引きずり「この俺が辞められるか」と
  言うものだったと思います。いつまでも許されるわけがありません。今回の意向調査への「辞職表明」となった次第です。

   自らの意志とはいえ、失職した今、やはり寂寥感を拭い去ることは出来ません。近頃の推進部の会議で、最近の「まなびすと久喜」
  「まなびすとフォーラム」の形骸化・マンネリ化から、抜本的改革を、との声が良く聴かれます。それを言うなら、2つの行事だけでなく
  久喜市における生涯学習推進運動への推進部の関わり、推進部の在り方・そのものを考えねばならないでしょう。
   つい余計なことを言いすぎました。お許しください。とにかく私は推進部は辞職しましたが、今後とも生涯学習推進活動には立ち
 続けます。

  故・丸林正勝氏以来、ご指導とご厚誼を頂いた歴代事務局の皆様に、心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。      


           ● 久喜中(9日)・久喜小(12日)PТA総会に出ました  4/13(金)

   G・Wも終わると、市内小・中学校のPТA総会と運動会(体育祭)の季節となります。今年も居住区であり、母校でもある久喜中
  (9日・月)、久喜小(12日・木)のPТA総会に出席しました。
   私の母は熱心なPТA活動家でした。だから母親(保護者)というものはそういうものだとばかり思って来ました。しかしわが女房が
  全く無関心なので、驚いたという懐かしい思い出があります。どうも最近はそうした傾向が強いようです。両総会共に出席者は
  さほど多くなく、40名強という所でしょうか、それも大半はいわゆる役員で、一般会員の数はどれ位なのでしよぅか。
   ところでPТAに関し、5/5日付・「スポレクのページ」でもちょっと触れましたが、「一億総活躍国民会議」での、委員・タレント
  「菊池桃子」さんの発言が話題となっています。「本来は任意のものなのに、全員参加の雰囲気づくりがなされ、強制に近いものと
  なっている」という内容です。そしてこれがインターネット上で、結構好評らしいのです。自分自身多くの地域活動に携わり、ここ
  数年必ずPТA総会に出席し、そして上記の状況を見つつ、ちょっと考えさせられる問題です。

   今、我が国・わが町の最も大きな問題は、いわゆる「2、025年問題」です。高齢化率が35パーセントを越え、しかも後期高齢者が
  前期高齢者数を上回り、1人の高齢者を、何と1・7人で支える社会になると言われています。対策として「地域包括ケアシステム」の
  構築に挙げて取り組んでいます。言えることはそうした社会を支える人たちは、今、間違いなくPТA会員のもとにある小学生
  中学生だということです。「地域包括ケアシステム」構築と並んで、大切なことは、今の小学生・中学生をどう育てていくか、にあると
  考えるのです。
    厳しい状況の中を生きていく子供たちを、多少の事ではたじろかない、丈夫な体と強い精神、同時に多くの人と共に生きていこう
  とする、優しい心根の持ち主へと育んでいかねばならないのです。2、020年から新しい「学習指導要領」に変わります。
   新学習指導要領の中身はこうしたものになると言われています。総会が開かれた久喜小では、この新学習指導要領に資するための
  研究を、文科省から委嘱され取り組んできました。たしか今年が4年目、最後の年です。「夢創造科」という新しい学科を通しての研究
  です。そこで言われることは「自立・協働・創造」です。問題点をもちより、共に考え、解決し、新しい地点を創造していくものです。
  新学習指導要領の骨格をなす「アクティブラーニング」という考えもそうしたものです。単に知識を習得する、知っているから、習得し、
  知っている知識を活かしていく、という中で、強調されているのは、しっかりした「主体の確立」と、「共に」という「協働」です。

   「2、025年問題」下を生きる子供たちを、私たちは「しっかりした主体」の持ち主へと、「協働」で育てていかねばならないのです。
  行政・教委に任せるのではなく、学校にのみ委ねるのでなく、「地域・家庭」が共に、一体となり進めていかねばならないのです。
   「スポーツ少年団」も、「ゆうゆう」も、「PТA」もそうした活動であり、組織なのです。だからそこに「任意」も、「強制」もないと考える
  のです。挨拶の機会を得た久喜中総会では、こうしたことをしゃべらせていただきました。また久喜小では、総会会場の窓越しに
  運動会の準備に、走りまわる子供たちを見ることができました。
   最近とみにくたびれてきましたが、まだまだ頑張らねばと、そんな子供たちを見つつ思いました。
   

         ● 平成28年度・第16回久喜市市民大学校友会総会  4/16(土) 久喜市中央公民館

  「久喜市市民大学校友会」の平成28年度・第16回定期総会が、16日久喜市中央公民館で
 開催されました。久喜市市民大学(学長・田中市長、2年制+1年制の大学院)は、平成7年に
 開校、今年の新入生が22期生となります。私が1期生であること、平成12年に交友会(当時)
 結成準備会を組織、委員長として組織化に当たったこと、13年発足、初代会長を勤めた事は
 もう何度も報告してきました。
  この間「市民大学」は大きく変貌したと考えています。下段で報告した「高齢者大学」は、仲間
 づくり、生きがいづくりをネライとしています。これに対し「市民大学」の目的は、学ぶ→学んだ
 成果を地域に活かす→久喜市の生涯学習推進運動のリーダー養成にありました。だから
 60歳までという入学年齢制限もありました。高齢社会の到来とともに「高齢者にも門戸を開く」
 との理由で、63歳・65歳と段階的に引き上げられ、ついに撤廃されました。これだけの高齢
 社会です。ある意味で仕方ないとしても、問題は中身です。年齢が「高大」と変わらなくなると、中身もそうなってきた、「リーダー
 養成」は後方に退き、「仲間づくり・生きがいづくり」中心、という感じを持ちます。入学者も減り、特に大学院への進学者が激減
 しています。何度か対応策が講じられたようですが、変化は見られません。唯一の救いは、各種ボランティア活動への参加を、
 カリキュラムに組み入れている事からでしょうか、「まなびすと久喜」や、「市民まつり」へのスタッフとしての参加は高いものが。
 あります。 ただこれを嫌がって、中途退学者もあるとの事ですから難しいことです。

  さて「校友会」です。平成9年に市民大学大学院を終えた私は、まず「学校支援ボランティアの会」を組織しました。その延長戦上に
 生涯学習まちづくりの活動に励む卒業生の、交流・意見交換・研修の場として「交友会」を組織しました。全員それぞれの期が
 あり、組織的には緩やかな連合体としました。会長は1期より順次、1年交代としました。私の1期からも20名弱の参加をみました。
  ただ各期ごとに参加にばらつきがある事、市民大学入学者自体、減少している(定員40名に対し、各学年10人代)ことから、
 決して活発な活動がなされて来た、とは言えない状況にあります。
  1期も1人抜け、2人辞め、等々3人となってしまいました。『校友会は活動が見えない。』というのです。今年も含め各役員が
 懸命の努力をされているのを知っているだけに、これは大変残念です。最も1期は卒業20年、皆歳をとりすぎたというのが
 本当の理由のようですが。
  今年も立派な総会資料が準備され、1年4回の全体会、公開講座としての講演会、3つの部会の活動、久喜マラソン大会を
 はじめ、市民まつり、まなびすと久喜等のスタッフボランティア活動と、それなりの活動が示されています。ただ役員を見ると
 多く固定が見られます。(1期などはその典型です。) 各期に基礎を置いたというより、校友会活動に興味のある人だけの
 活動になっているかの感があります。
  役員はこのところ2年任期となっており、本年度は継続です。「会報」発行等ご苦労をおかけします。よろしくお願いします。
  事業計画も毎月のように予定されており、大変なことです。ただ市民大学への入学生がやっと10人代、と聞いています。
 厳しい活動が続くものと思われます。
  特効薬はありません。地道にこつこつとやっていくしかないのでしよう。実年齢はさほど違いませんが、学年齢では20歳も
 上となりました。あまりでしゃばることはできませんが、それなりに協力してまいります。


          平成28年度・久喜市高齢者大学入学式  4/3(水)  総合文化会館大ホール 

  平成28年度・久喜市高齢者大学入学式・始業式が、「久喜総合
 文化会館大ホール」で行われ、出席しました。  
  「久喜市高齢者大学」は、昭和54年開校され、本年度で38年目に
 入ります。今までに3、963名の卒業生を送り出してきました。この間
 久喜市高齢者の精神である、生きがいづくり、仲間づくりは、大きな
 成果を生み、在校生・卒業生は、市内各種のボランティア活動、地域
 活動に積極的に参加、その貢献・役割は絶大なるものがあります。
  全国・県内各自治体に「生きがい大学」とか、「ことぶき大学」といった
 名称で、久喜市高大と同様の組織は多くあります。ただそのほとんどは
 1年制、せいぜい2年制であり、久喜市のように4年制、これだけの規模
  歴史を持つのはないと言えます。正に久喜市が全国に誇れるものといえます。 

   入学式では田中久喜市長・高齢者大学学長が、『久喜市は教育振興基本計画の中の、3つの基本の中の1つに、郷土を愛し、生きがいの
  持てる生涯学習社会の実現、をかかげています。みなさん、これから4年間、元気に学びに、クラブ活動に、仲間づくりに頑張ってください。』
  と式辞を述べていました。また議長・県議も新入生、それぞれ進級された在校生に、激励のエールを送っていました。

   どうぞ元気に大学生活をお送りください。ただ1つ気になることがあります。今年度の新入生が67名であったこと、大学生全員で306名で
  あることです。1、200名入る大ホールは閑散としていました。以前はこの倍はいたと思います。数年前から新入生が100人を割りました。
  今年は前記の通りです。これも高齢者時代の反映という説があります。すなわち誰もが65歳までは、場合によってはもう数年働く時代となり
  ました。『この歳になり4年制はきつい。身体も少しくたびれたし。』だろうというのです。
   一理あるかな、とも思います。いずれにせよ色々考えねばならないと思います。なにせ「高齢者大学」は久喜市の宝ですから。 


        ● 久喜中・4/8(金)、栢間小・11(月)の入学式に出ました  4/11(月)

  
 4月に入り、満開の桜が葉桜へと変わろうとしています。市内小学校・中学校の、平成28年度入学式が一斉に行われました。
  まず8日(金)が中学校、11日(月)が小学校です。中学校では当然ながら久喜中へ出たのですが、今日の小学校では、議長より
  依頼があり、初めて栢間小のそれに出席しました。

 
 久喜中学校の新入生は198名でした。6学級編成、このところ
 この辺の数で落ち着いているようです。結城校長先生が久喜中
 だより「ポプラ」の中で、高見順の詩を引用、新入生にエールを
 送っています。こんな詩です。『われは草なり 伸びんとす 伸び
 られる日は 伸びんとす 伸びられぬ日は 伸びぬなり 伸びられる
 日は 伸びるなり』 、実はこの詩はもう20年近く前になります。
 「スポーツ少年団野球部会」の第1回合同開会式の、正に
 400数十団、1、000名が、入場行進を開始せんとするその時に、
 西部所沢球場内にアナウンスしたものです。
 以来私は「母集団講習会」の講演などに、よく引用しています。 
 新入生諸君、君たちはまさに伸びられるときです。精一杯、頑張り努力し、大いに伸びて下さい。

  栢間小の入学式です。市内に23の小学校があります。全部の学校に議員がいるわけでありません。逆に久喜小には4人もいます。
 菖蒲地区には5つの小学校、議員は3名ですので、誰かが議長代理となります。今回の私がそれでした。私は議長の時栢間小のお隣
 小林小には卒業式・入学式と出ました。栢間小へは初めて、ただし前任校長が、かって生涯学習課におられた、О先生とあって何度も
 お伺いしています。菖蒲地区の一番西にあり、児童数120名前後と思われる小規模校です。
  新入生は20名丁度でした、ちなみに今年桜田小が150名、鷲宮東小が110名、この辺が大所で゜す。久喜小はやっと80人台に乗り、
 いつも久喜小と似たり寄ったりの本町小は、何と50人を割ったとのことでした。とにかく地域差が大きいようです。
  ですから新入児童も、保護者も、歓迎のため出席の在校生も丁度久喜小の1/4程度、こじんまりしていましたが、アットホームの
 良い入学式でした。
  あいさつした私は子供もたちには、一杯お友達を作って元気に小学校生活を送るよう、保護者には学校・地域との3つの輪のクロスで
 健やかに子供たちを育てられるよう申し上げました。


       久喜中・3/15(火)、栗橋保育園・19(土)、久喜小23(水)と卒業式に出ました 3/23(水)

  3月中旬を過ぎ、卒業式の時を迎えています。順に15日久喜中、
 19日栗橋保育園、今日23日久喜小のそれに
出席しました。
 
 久喜小・久喜中は私の母校ですし、居住区ですので、基本的に
 
出席しています。「栗橋保育園」は所属する、「福祉健康委員会」
 副委員長としてものです。久喜市議会では同時間に招待が
 重なった場合、議長―副議長―担当委員会委員長―副委員長
 と順番が決められています。したがって私は「福祉健康委」所管の
 保育園の運動会や卒園式が、4つ以上重なったときだけ、
 お声がかかることになります。 
  【久喜中・卒業記念品授与 ・全員で別れの言葉】                                               
      
 
それでも、議長代行=議会代表ですから、きちんと祝辞をのべねば
 なりません。まあ、挨拶大好き人間の私としては気にならないのが
 救いです。「栗橋保育園」は運動会に次いで2回目、南栗橋駅近くの
 新幹線高架そばにあります。第62回・「保育証書授与式」ですので
 歴史のある保育園です。今年の卒園生は27名、保育年数順に
 名簿ができており、1番の子の「6年4ケ月」にはびっくりしました。
  
それにしてもやはり可愛いい、私には幼稚園児の孫が2人います。
 「思い出のこどば」や退場の時、泣いている子供がいて、思わず
  
もらい泣きしてしまいました。

【やっぱり保育園児は可愛い】 【久喜小・卒業証書授与】    
 
 久喜中の卒業式は第69回ですから、昭和22年が第1回なので
 しょうか、ちなみに私は第12回の卒業生です。今年の卒業生は230名、
 何としても200人代は保持していただきたいと思います。私の時など
 7クラス55人学級、実数56~7人位で、教室の後方は机が並び
 通れない程でした。最近の卒業式は実に整然としています。

 
 「別れの言葉」では、全員が写真のように前へ並んでのものでした。
 「式歌」では久喜中だけで歌われ、僕の大好きな「名づけられた葉」が
 唄われました。最後の「校歌」とともに大声で歌い、母校を後にしました。

  久喜小も私の母校、わが家から走って**秒の所にあり、
 【久喜小では祝辞を述べました】【久喜小卒業生・別れの詩】 「ゆうゆう」、「スポ少」と、とにかいつもそこにいる「オラが学校」です。
  
今年の卒業生は77名、とにかく少なくなりました。1学年100名を割ってしまうと、大騒ぎしたのがうそのようです。
  久喜小の開校は明治6年、第1**回卒業式となるはずですが、一貫して回数は謳っていません。久喜小学区には4人の議員がいます。
 市内23小学校には議員ゼロの所もあり、2人の仲間がそちらの挨拶に回りました。私も入学式は菖蒲地区・小林小にまいります。
  そんなことで私は久喜小で、来賓祝辞を述べることができました。私は久喜小のもつ伝統・先生方の教育力、立派な施設、地域の方々の
 応援する力、等々の優れた環境を申し上げ、加えても文科省委嘱研究・「夢創造科」にふれ、そうした中で身に着けられたものを活かし
 自信をもって歩んで行っていただきたいとお話し申し上げました。

  今年お伺いした保育園・久喜小・久喜中の3卒業式はそれぞれによいものでした。年齢はそれぞれ異なりますが、どうぞそれぞれの未来に
 向かい、しっかりと歩んで行っていただきたいと考えます。議会では子育て支援策の一層の推進をもって、また個人としてもずーと応援し続けて
 いきます。 
             
  
                ●  久喜北小学校 ありがとうの会   3/11(金) 

 
 あの「東日本大震災」3・11から5年目の日、久喜北小で常日頃
 北小の子どもたちを、いろいろな形でサポートしてくれる、地域の方々に
 感謝する集い、「ありがとうの会」が開催され、わたくしもご招待を受け
 参加しました。同様の会は久喜小にもあります。今年は2/17(金)に
 ありました。本H・P「市政ニユース」で報告してあるように、この日私は
 病院視察で九州におり、参加できませんでした。
  久喜小は地元ですので、ご招待いただければ各種行事には全部と
 言ってよいほど出ます。一方北小は運動会やこの回答Wることが多い
 ため、しばし欠席します。申し訳ないなと思っていますので、今日は

 喜んで出席しました。
 [卒業間近の6年生が接待してくれました。こちらこそありがとう]    私がご招待にあずかるのはもう15年を超え、北小で「読み聞かせ
 ボランティア」をしているからですが、今年は加えて「綱引」の指導に10日間ほど通いました。
  招待者はわたくしたち「読み聞かせ」の他、交通安全員の方々、学校の花壇等手入れをさせる地域のボランティアの方々、またいわゆる
 ゲストテイチャーの方など約20名程でした。
  今日は卒業間近い6年生が接待してくれました。長机を合わせたテーブルに7~8人でグループを作り、用意されたお茶菓子をつまみ
 ながらの楽しいひと時でした。素敵な招待状をいただき、また全員の感謝の文章による、素敵な冊子もプレゼントされました。
  見事な合唱も素敵でした。みんな打ち解けて中学校への思い等語ってくれました。
  どれくらい君たちにお役に立っているかわかりません。僕たちこそみんなに、元気をもらいました。「ありがとう」です。
  
           ● くきっ子ゆうゆうプラザサポーター懇親会   3/3(木) ウィンザー

 
 もう何度も書いてきました。「久喜小放課後子ども教室=くきっ子
 ゆうゆうプラザ」は、モデル校として平成17年、市内で最初に開校
 
されました。昨年度・26年に10周年記念事業を実施、11年目を
 
終えたばかりです。この11年目の閉校式は去る2月17日に行われ
 
ました。私はたまたまこの日、新たに久喜に来る病院を視察に、
 
福岡・佐賀県におり、参加できずに大変残念でした。
  
そんなことで今、12年目の開校に向け、準備を始めています。
 そんな折、ナント「くきっ子」では12年目にして初めて、という実施委・
 講座サポーター一体での懇親会を、南5丁目地内「ウィンザー(城)」で
 開催しました。それにしてもそこそこに活発であり、そこそこに和気
 合い合いの「くきっ子」で、懇親会は初めてというのも驚きでした。

 【カメラを忘れてしまいました。後からの外部からの写真です。】

   
会場の「ウィンザー」と言うのは、久喜・春日部線(いわゆる4間道路)の市役所入り口近くにあります。イギリス・ウィンザーにあり、現存する
  お城で人が住むものとしては、最大とされています。エリザベス女王も良くここで終末を過ごされるそうです。会場の「ウィンザー」は、この
  「ウィンザー城」をまねて建てられ、市内H医師のものです。パーテイや写真撮影の会場として、良く使われるそうですが、ここの管理を
  「くきっ子」実施委員K氏がしており、その関係でお借り出来ました。
   来賓に運営委員長の飯島氏、田村久喜小校長、折原PTA会長等をお迎えし、参加者は実に50名近くに上りました。実施委員М氏の
  名司会で進行しました。来賓各位より挨拶を頂き、各講座ごとの自己紹介に移りました。「フラダンス」、「フラワー・アレンジメント」、
  「室内遊び」、「囲碁」、「ドッヂボール」、「グラウンドゴルフ」、「編物」、「クリスマスリース」etc、本当に大勢の講座サポーターが、参加して
  くれました。

   それにしても素敵な会場でした。窓は全てステンドグラス、正に中世のお城そのままと言う感じでした。ただしそこで談笑しているのは、
  中世のナイトではなく、子供大好きのサポーター、この人たちの力を合わせ、28年度も「くきっ子」を頑張っていくぞ、そんな誓いを交わして
  楽しい時間を終えました。
   28年度開校式は6/9(木)です。それまでにサポーター全体会議、新入生児童への説明会、参加受付等々忙しい仕事が待って
  います。でも楽しい仕事です。


    ● 第6回・久喜市生涯学習推進大会「まなびすと久喜」 2/6(土)・7(日) 菖蒲文化会館アミーゴ

  平成27年度・第6回久喜市生涯学習推進大会「まなびすと久喜」が、6(土)・7(日)の菖蒲文化会館
 「アミーゴ」で開催されました。
  私が旧久喜市において、昭和63年度から始まったこの大会に、深くかかわってきた事はもう何度も
 書いてきました。最初は「久喜総合文化会館」での講演会形式でした。会場を「中央公民館」に移しての
 自らが企画し運営する「参加型」へと改革、ほぼ10年をかけて、企画ボランティア・運営ボランティア・
 出展・出演団体の公募と改良・向上を続け、正に久喜市内の「オールまなびすと」による大会に定着して
 います。私にはそうした過程の全てを糧道してきたという、ひそかな自負があります。
  しかしここ10年を越えて、こうした運営方法・企画内容がマンネリ化している、と言うことも何回か書いて
 きました。「改革をする」の第一歩を、思い切って会場を変えてるに求めたのです。
【1日目・パネルディスカッション】
  しかし「集客」と言う点で、中央公民館に勝る所はありません。そこで合併を
 機に、旧3町文化会館との隔年開催に踏み切ったのです。中央公民館―
 「鷲宮西コミセン」=第4回・平成24年度、中央公民館―そして今年26年度
 第6回大会が「菖蒲文化会館・アミーゴ」での開催となりました。当然28年度
 第8回大会は「栗橋文化会館・イリス」での開催となります。
  鷲宮大会・今回の菖蒲大会と見てきて、まずはこの試みは成功だったなと
 思います。もちろん20年を越え、積み上げてきた企画内容です。大幅に変わる
 事は不可能です。ホールでの「まなびすと発表会」、屋外での手作りの食品
 販売、各フロアーでの企画出展は全く変わっていません。
 【ゆうゆうプラザの活動紹介】 【寒風下の屋外コーナー】
  というより変えようがないのです。(中にはまたかと思う物もありますが)
 まず推進部員が担う実行委員長には、地元の方について頂きます。屋外の
 食品販売の手作りも地元のボランティア、まなびすと発表会の出円団体も
 地元優先となります。今年も栢間小の子ども達(かやまっ子ゆうゆう)による
 写真の「小塚太鼓」の演奏等楽しいものでした。
  何よりも1日目の「まちづくりフォーラム」です。郷土の偉人、地元中の地元
 三箇が生んだ「本多静六博士に学ぶまちづくり」とし、基調講演・パネル
 ディスカッション、パネラーにも菖蒲地区中学生等、地元の方に多く出て頂き
 ました。2年先の栗橋開催も今から楽しみです。
  【まなびすと発表会 小塚太鼓とフォークソング演奏】
  
心配された人出です。中央公民館は満席で200数十ですが、アミーゴのホールは客席数400という立派なものです。でも「まなびすと
 発表会」最大時で8割ほど埋まり、ホッとしました。2日目全体でも2、000人は越えていたと思います。
  ご参加された市民の皆様、企画運営に当たられた推進部員、ボランティアに感謝申し上げます。企画・出展内容も徐々に変革、向上
 していけるよう今後とも努力して参ります。
  
  さて私はと言えば、このところ関わりが大分薄れてきました。この日程は県本部主催・久喜市スポ少本部主管の研修会とぶつかり
 どうしてもダメなのです。特に今年は新井氏の叙勲祝賀会にぶつかり(市政ニュース2/6参照)、午前中の準備もお手伝い出来ま
 せんでした。1日目は叙勲祝賀会出席、途中で退席して「白岡市ハプス白岡」で講演、それが終わってアミーゴに駆けつけましたので
 「まちづくりフォーラム」のパネルディスカッションの7割程度しか聞けませんでした。2日目は朝9時に「ふれあいセンター久喜」での
 開校式に出、その後午前中がアミーゴ、久喜に戻り午後1時からの講演を済ませ、またアミーゴに戻り、反省会まで出席と言う
 あわただしさでした。(スポ少の研修会については、7・14の2日間事業ですので、14に「スポレク」のページで報告します。)しかし
 こうした状況は、どちらかの日程が変わるか、スポ少・推進部の役職のどちらかを私が辞めない限り続く事に成ります。
  私としては苦しいところです。 



       ● 久喜市放課後子供教室・平成27年度情報交換会 12/2(水)鷲宮西コミュニティセンター

  
久喜市放課後子供教室・ゆうゆうプラザ、全校開校の年、27年の
 
活動も残りをわずかとなった12/2(水)、「鷲宮西コミセン・鳳」で
 全体研修会としての「情報交換会」が開催され、出席しました。 

  出席者約100名を①・組織の拡充、人材確保、②・活動内容(講座の
 工夫)、③・ケガ・下校の安全管理の3テーマ、12グループに分け、
 各グループ7~8人で情報交換、といういつもと同じ方式です。
  この時期にこの参加者、相変わらず「ゆうゆう関係者は熱心だ」
 ということも言えれば、私の記憶で全体研修会で100人を割ったのは
 ここ数年ないこと、ちょっと心配だとも言えます。少しマンネリ気味な
 のと、ここ数回前回の文科省職員のように、講演が全く面白くなかったのも原因かも知れません

【いつものようにグループ毎に情報交換】【この旗が実施校に立ちます】
   
私のグループは、③のケガの防止・下校の安全管理について、6人のグループでした。私が毎回同じでマンネリだと思いつつ、ほぼ全部
  この種の研修会に出るのは、いろんな人の、いろんな状態での生の話を聞けるからです。「Kっ子」の女性の方、下校安全は全く問題ない
  地域、ただしいわゆる地域サポーターが全く少なく、教室は全て外部サポーターとのこと、「Sっ子」の男性、全部土曜日の開校、原則親子
  での参加、安全は親の責任と言っていました。とにかく年間7週とか、9週開校という話を聞くと、深く考えさせられます。スポ少が子どもに
  とり決定的な意味を持つのは、その活動が年間日数の3割を越えるからです。それぞれの実施校ごとに事情があり、大変なのはわかって
  います。解っていますが、やはり年間1割の開校日数を目指したいものです。

   話し合いを終えての「意見のまとめ・発表」、①では、校長が変わることにより学校の対応が極端に違ってきた、組織(実施委)の中での
  地域とPTAとのバランスが出されていました。学校によりPTAが積極的に関わるところと、全く無関心で地域関係者のみのところとバラ
  バラのようです。もちろんPTAの協力が得られるよう、努力を重ねる必要性は論を待ちません。
   ②では子どもに希望する「講座・教室」のアンケートを実施したが、「教室指導者」の問題で対応できなかったとの報告がありました。
  「ゆうゆう」が子どものカルチャースクールである必要は全くありません。多くの体験の場を提供すると言うことと、「講座・教室」の数のみ
  増やすこととは異なると思います。
   ③では指導者・サポーターの子どもへの「叱り方」の難しさが出されていました。これは同感できます。

   いずれにせよ全校開校を終えた「ゆうゆう」は、これから新しい地平を歩むことに成ります。今まである意味で実施校拡大を目指し
  しゃにむに突き進んできました。「立ち止り、周りを見渡し」一歩ずつ進んでいく事が必要です。ここ数年開校したところは、未だ勢い
  がありますが、5年・6年と経過した所に、やや難しい状況もあるようです。
   現状と地域性、望ましい方向性とを、バランス良く考慮しながら歩んでいかねばならないと考えます。


        ● 久喜東小・さくらっ子ゆうゆう10周年記念イベント 11/21(土)久喜東小 

  もう何度も書いてきました。久喜市放課後子供教室(ゆうゆうプラザ)は
 平成17年・久喜小(くきっ子ゆうゆう)をモデル校としてスタートし、今年で
 11年目に入ります。残されていた栗橋西小に本年・「しずかっ子元気」が
 開校され、待望の全校開校が実現しています。
  昨年「くきっ子」が開校10周年を迎え、ささやかな記念事業を実施し、
 手づくり・費用無の記念誌を発行したことも、このページで報告しています。
  「くきっ子」に次ぎ、翌18年開校されたのが久喜東小(さくらっ子ゆうゆう)
 今年10周年を迎えています。活発に活動を展開、組織力に定評のある
 「さくらっ子ゆうゆう」ですが、そのままに本日10周年記念事業を行い
 私も出席しました。合わせて大変豪華な記念誌も発行しています。
【開会式・久喜東小校長挨拶】【久喜レク協指導のニユースポーツ】
  開会式は久喜東小体育館、参加児童・サポーター、「ゆうゆう」では
 おなじみの風景ですが、ちょっと場違いの服装の大人が20名ほど
 この人たちが、本日の記念イベント「キッザニア体験」の講師でした。
  さくらっ子実施委員長、ゆうゆう運営委員長、久喜東小校長挨拶と言う
 開会式を終え、各々の会場に散ってキッザニア体験教室の始まりです
  「キッザニア」とはKid+Z+ania、子どもの国と言う造語です。私はこの
 言葉を7~8年ほど前に知りました。「ゆうゆう」を初め、少年団にも関わって
 いた事からある日、「子ども・遊び・体験・学習」というキーワードを、インター
 ネットで追っていったところ、この言葉にぶつかりました。「子どもが遊びな
 がら社会体験をする」そんな意味でした。まさに「ゆうゆう」がめざすものと
 【全部で6つの教室で体験活動】【閉会式で各グループ毎に感想発表】   一緒だな、と思った記憶があります。
 
  所が今回改めてインターネットをあけたところ、少し意味が違っていました。日本では豊洲と甲子園に、世界には多数あるテーマパークを
 指すとあります。「子どもに職業体験をさせながら遊ばせ、学ばせる」ので余り意味は違い無いのですが、当然有料、営利を目的に営業
 しているわけです。何十項目ある「キッザニア」を多く追ってみたのですが、全部上記で統一されていました。いわゆる塾で子ども達に勉強
 させ、偏差値・偏差値という営業もあれば、「遊び→体験→学習」を掲げての営業活動もあるのだと少し驚きました。
  今回「さくらっ子」が10周年記念事業を行うに当たり、新しい体験活動を、と言うことで、文科省に相談、全面的指導と協力をいただいた
 と聞いています。この「キッザニア」の講師陣は、公益財団法人2、NPO法人1、労働組合1、企業2と多様に渡っていました。
  文科省(生涯学習関係)に、子どたちの体験学習に協力する企業・団体が、500を越え登録していると聞いています。そうした企業・団体
 と思います。
  全部教室を見て歩きました。面白かったのは「建設産業労働組合」、「阪急阪神エクスプレスKK」、「日本証券業協会」のそれでした。
 「地震に強い家を作ろう」、「世界を旅する動物」、「チャレンジお菓子の株式会社」と名付けられています。
  例えば「チャレンジお菓子の株式会社」です。思わず買いたくなるお菓子を開発する、友達と株式会社を作り、売り出して大儲けする、
 ただ資金が足りない、まず広告・PR、次に株を公開して投資家ゲット、何人投資してくれるかが大儲けのカギだ、というもの、まあ何とも証券
 業協会のイベントと言えます。ただ3者に共通しているもの、それはまず考え、それを持ち寄り皆で話し合い、より良きものを選択、そして
 実際につくっていく(PR内容・株公開のプレゼン)というプロセス、これはどこかで観ました。そうです、久喜小の「夢創造科」の研究発表です。
  正に「夢創造科」でいう、「自立・協働・創造」の学習過程なのです。

  皆が体育館に戻り、各グループごとに体験発表をして記念行事を終えました。上記した豪華な「記念誌」も頂きました。この記念誌も
 含め「さくらっ子」の10周年記念事業と、私が関わった「くきっ子」のそれとは大分視点が違う感じを持ちました。これはどこから来ているのか
 良く解りません。だから全体として「さくらっ子」の記念事業に、過大評価も、もちろん批判もありません。
  私は長く、そして多くの組織活動に関わり、「誕生―成長―停滞―衰退」という組織過程を体験してきました。正直申して「スポ少」は
 今「衰退期」にあり、「生涯学習推進部」を中心とした生涯学習推進運動は「停滞期」にあります。「誕生―成長」を一直線に走ってきた
 「ゆうゆう」は10年・全校開校を終え、これから難しい時期を迎えます。
  今後のそうした展開の中で、今まで同様「さくらっ子」が、中心的役割を果たされんことを期待します。
  10周年おめでとうございました。

      
           ● 久喜小学校 「夢創造科」発表会  10/16(金) 久喜小学校 

  私の母校であり、余暇時間の大半を
 過ごす「オラが学校」久喜小学校は
 平成25年度から28年度まで、文科省
 から、研究開発校としての指定を受け
 教育課程の編成、学習プログラムの
 開発の活動に当たっています。「夢創
 造科」なる新教科を編成、「科学の心で
 夢を創る児童の育成」を図っています。
  3回目に当たる27年度の発表会が
  16日久喜小学校で行われました。
  【参観者で一杯の教室】    【タブレットを駆使する児童】 【指導陣によるパネルディスカッション】
   この日のスケジュールは午前2時間・午後1時間の公開授業、終了後体育館でのパネルディスカッションその他の全体集会と
  いうものです。私は午前は「みどりの風」配布におわれたため、午後から参加しました。
   公開授業は3年生の「からくりおもちゃを作ろう」と、5年生の「木と仲良くしよう」というものでした。この日の参加者は名簿登載者
  だけで150名近く、両教室とも参観者であふれていました。
   3年生のそれは4~5人の1グループで、ブロック、歯車、回転軸等を使った、ロボット風のおもちゃが作ってありました。作る過程で
  どう置けば安定するかとか、歯車の動き等について発表していました。皆の発表を聞き、良いところを取り入れた設計図をグループで
  作り、よりよいものを創っていくと進んでいくそうです。
   5年生はこの「夢創造科」の研究主任である、川島先生担任のクラスでした。ここも個人がまず設計図をつくり、それを発表、
  それぞれの良さを活かしたグループの設計案をまとめると言うものですが、感心したのは今議会で導入に向け、検討している
  タブレットが各グループに1台ずつ置かれている事、全員がそれを見事に使いこなしている事でした。参った、参ったという感じです。

   全大会は開会行事の後、この「夢創造科」の久喜小研究主任、川島先生の報告、指導に当たっておられる早稲田大学と埼玉
  大学の教授をパネリストとするシンポジウム、文科省初等中等教育局・教育課程教科調査官による指導講評と言う内容でした。
   川島先生は科学技術の、基礎・基本的知識・技能を身につける事を通して、自立し協働する態度、批判的で創造的な思考力、
  そして豊かな感性等の汎用的学力を養うことを狙いとしていると話されました。
   その川島先生と3人の大学教授による、パネルディスカッションは、長いので割愛します。
   文科省「上野耕史」調査官の話しは面白いものでした。「夢創造科」には指導の価値と、目標の価値があると言うのです。
  「夢創造科」は新しい学習指導要領の編成に資するための研究ですが、その新しい「学習指導要領」は、丁度オリンピックの年
  =2020に実施されるそうです。これは丁度2030年問題の10年前です。2030年問題とは改めて言うまでもありません。
   65歳以上の高齢者が3分の1となります。1人の高齢者を1・8人の生産人口が支える事に成ります。新しい学習指導要領は
  そうした時代の若者を育てて行く基準に成ると言うのです。と言うことは「夢創造科」もそうしたものとしてあらねばならない、と
  言うことでしょう。それは3つのキーワードであらわされます。「自律・協働・創造」です。
   自立する自己を確立する
   他者と協働する
   新しい価値を創造していく    こうしたことを「夢創造科」の中で身につけて行く、それがある意味で大きな犠牲を追うことに
  成る今の子ども達が、将来たくましく、そしてやさしく、あらゆる面に可能性を追い求めながら生きて行くことにつながるのでしよう。 
   川島先生の報告が指導の価値とすれば、これが目標の価値と言えるのでしようか。面白く拝聴しました。
   

        ● くきっ子ゆうゆう、2学期の事業進む、ペットボトルロケット・トランポリン  9/19(土)











 【トランポリンは最も人気があります。100名弱も参加しました】   【ペットボトルロケット作成に取り組む、これが完成品です。】
   今日からナント11年に1回という、5連休のシルバーウイークが始まりました。開校11年目に入った「くきっ子ゆうゆうプラザ」
  も、2学期に入り順調に進んでいます。この日は子ども達に最も人気の高い「トランポリン」と、今年初めて取り組んだ「ペットボトル
  ロケット」作成講座が行われました。

    「くきっ子ゆうゆう」は毎週木曜日、第1、第3土曜日に実施しています。木曜日は「ドッヂボール」、「編物」、「室内遊び」等
  決まった講座を行います。土曜日は季節的な行事、準備その他の関係で毎週開催が無理な講座等です。クリスマスリースつくり
  お茶、料理、木工工作といったものです。今日行ったトランポリンは、大変人気が高く、毎週でも行いたいのですが、市内に1台
  しかない、トランポリンそのものの搬入が大変なため、開催が限られてしまいます。また今年から初めて取り組む「ペットボトル
  ロケット」は、作成から実際飛ばすまでで、1日2時間×3日間の講座となりました。

   トランポリンは大変人気が高く、今年も大勢が参加を申し込みました。同時に2人しか飛べませんので、全体を2グループに分け
  1グループは同じ体育館フロアーで、長なわとび、バスケ等をやったくらいです。トランポリンは「万が一」ということもありますが、
  講師のH氏が大ベテランなので安心です。児童期の身体の発育発達に、トランポリンは大変有用、と考えます。

   もう一つは今年から取り入れた「ペットボトルロケットを飛ばそう」、土曜日3日間の講座です。講師は昨年度まで教育委員会
  生涯学習課課長として、直接ご指導をいただいた方、今春退職されました。一市民となって、こうした活動に参加されたことに
  敬意を表します。ペットボトルは丸い2L入りくらいのものです。これを途中で切って、つないで、先端部分を付けて、というのが
  今日の作業です。ペットボトルを切るのはナイフ、みんなおっかなびっくりで取り組んでいました。親子参加講座ですので、
  中には親ごさんが、という風景も見られました。みんなが努力した作ったものが、勢いよく飛ぶのを早く見たいものです。

   木曜日は議会があったり、土曜日は他の行事と重なったりして、なかなか思うように参加できません。毎日必ず参加される
  サポーターの皆様に感謝しつつ、これからもずうーと「ゆうゆう」に関わっていきたい、と考えます。

       ● 久喜市男と女の共生セミナー「スポーツとジェンダー」講演会  9/5(土)中央公民館視聴覚室

   5日午後「中央公民館視聴覚室」にて、「溝口紀子」氏による「スポーツとジェンダー」と題する
  講演会が行われ、参加・拝聴しました。この講演会は「久喜市女と男の共生セミナー委託事業」
  ≪なの花会創立25周年記念男女共同参画公開討論会≫、と長い肩書きがついています。
   従って「なの花会」と久喜氏が主催者、開会式ではなの花会F会長と、田中市長が主催者
  挨拶をされていました。
   「なの花会」は私の記憶では、県が主催する「婦人大学」(当時)が、久喜市を会場として行われ
  その受講生を中心に発会しています。平成2年ですので表題通り、今年が25周年に成ります。
  「女性学習グループ」と称し、学んだ成果を男女共同参画社会に活かそうと、~しなやかに 
  したたかに~活動しています。とにかく私には歴代会長や役員に、「久喜市民大学」、生涯学習
  推進活動を通し、活動をご一緒した多数の友人・知人がいます。現在会員がどれ位なのか、
 私は知りません。今日久しぶりにお会いして、顔ぶれに変わりがないのと、皆歳をとられたな、というのが実感でした。

   さて講演です。講師の溝口さんはパルセロナオリンピック女子柔道52Kg久銀メダリスト、埼玉大学3年の時であり、この功績で
  埼玉県民栄誉賞を受賞されています。現在「静岡文化芸術大学」准教授にあり、今年いわゆる「地方教育行政法」の一部改正で
  廃止されるまで、静岡県の教育委員長も勤めておられました。  
   ところでこの歳まで、スポーツ振興一筋に歩いてきた私は、今まで多くのスポーツに関する講演を聞き、研修を積んできました。
  しかしジェンダーの視点でスポーツに関する講演を聴くのは初めて、この講演のサブタイトルに「スポーツの力で性差をどう改善
  するのか」とあり、大変興味を持っての講演会参加でした。

   講演はまずバルセロナオリンピックの思い出~始まりました。決勝戦の相手は地元スペイン選手、圧倒的に攻め、優勢ながら
  当時の審判員技術の劣悪さと、地元びいきの中で惜敗されたことを話されました。現役時代の「勝負師・溝口」を彷彿させる話
  でした。
   次いで今誰もが興味を持っている、2020東京オリンピックのスタジアム問題、エンブレム問題を語りました。問題は「JOC」
  や「JSC(日本スポーツ振興センター)」のガバナンスの欠如、内輪の論理と世間の価値観にずれがある、とされました。
   スポーツ団体の多くは閉鎖的、「見せる・聞く・話す」の組織の透明性・公開性が必要と話されました。
   この辺から今のスポーツ界に在る女性差別について、次から次と話されました。あらゆるスポーツ大会の賞金に、男女間に
  大きな差がある、特にサッカーはその最大で、ワールドカップの賞金は、100倍以上の差がある、世界最大のスポーツ組織、
  「FIFA」(国際サッカー連盟)に女性理事は1人しかいない、「ブラッタ―会長」はもう20年近く会長職にある、とFIFAを酷評して
  いました。しかしこれは国際サッカーの組織過程の歴史によるもの、とサッカー関係者としてあえて言わせていただきます。
   
   「女子柔道の有段者の帯、黒帯に白線着き」の話は初めて聞き、面白いものでした。か弱い女性を守るため区別している
  のだそうですが、素人(シロうと)、玄人(クロうと)から、玄人である女性有段者でも、柔道の世界では素人だという考え、これは
  区別などではなく、差別だと主張されていました。とにかく「国際サッカー連盟」は今、「日本柔道連盟」もいままでゴタゴタの中に
  ありました。「自浄能力の無い組織は、女性を軽視しする傾向にある」と結んでいました。

   最後に待ちかねていた、いわゆる「体罰」問題に触れ、スポーツでの教育とは「強育」であり、「協育」であり、「共育」だと、
  「脅育・恐育・狂育」は無縁である、とされました。もう少し語ってほしかったのですがこれだけでした。
   私達スポーツの世界で「体罰」問題が浮上して、未だ時間が経っていません。私たちは今、「体罰」を根絶するため多くの努力を
  傾けています。私が参加した青山の日本青年館で開催された「体罰根絶を目指す全スポーツ人の集い」には、今日の講演の
  中でも、何回も登場した「遠藤利明」現オリンピック担当大臣、溝口女史の先輩・「山口香」女史等から、大変有意義な話を聞くこと
  ができました。
   
   私は思うのです。スポーツとはそもそも、スポーツに打ち込む自分を愛しむように、同じスポーツに打ち込む仲間・相手を
  愛しむものだと、自分に尊厳を見出すように、相手にも尊厳を見るものだと、相互尊厳・相互尊敬に基づいて成り立っていると、
  それを集約したものが、いわゆる「スポーツマンシップ」とか、「フェアプレイの精神」と言われるものです。だから全スポーツ人が
  こうした立場に立てば、そこに「体罰」等ありうるはずがなく、「女性性差」もありえないのではと、
   そのためにはもう少しの時間?を擁するでしょう。前記した、遠藤オリンピック担当相等が中心となって成立した「スポーツ
  基本法」前文が謳う、「文化としてのスポーツ」の定着をこつこつと目指していくしかないでしょう。

   女性性差の例証として挙げられたものに、やや乱雑さが見られたという思いもありますが、この種の講演をなさるフェミニストに
  往々にして見られる独善性がなく、柔道家、スポーツウーマンという要素が前面で、話そのものは大変楽しく聞くことができました。
   タイトル、サブタイトルからすれば、やや物足りなかったと言う部分と、面白く聞けたという部分が交差した講演でした。


          ● みんなで語ろう! HOTフォーラム  8/11(火) ふれあいセンター久喜

 
 来年度から「太東中地区」(東小・太田小・太東中)で、「コミュニティスクール」が始まること、今・
 急ピッチで準備が進んでいる事、そのための第一弾として、5日太東中地区の教員・設立準備委員
 を対象として研修会(講演会)が開催されたことは報告してあります。(本ページ下段参照) 
  その第二弾とし太東中地区教員、保護者・地域の方々による「みんなで語ろう!HOT フォーラム」
 が開催されました。タイトルのHOTとは東小・太田小・太東中の頭文字、すなわち太東中地区コミュニティ
 スクール開校を半年後に控え、その推進力となる学校(教員)、保護者、地域の皆様が、教育問題
 全てについて語り合い、相互理解を深めつつ、開校にむけ進んでいこうと言うものです。 

 
  会場は「ふれあいセンター久喜」、約160名の参加者で熱気にあふれていました。市教育委員会が
 この事業の導入に当たり、太東中地区をモデル校として指定したのには、この地区の高い教育力が
 背景に合ったものと推定されます。それを裏づけるにふさわしい今日の参加者でした。

  この日は「9年間を通した子どもの育みのために、~今、学校・保護者・地域に出来ること~」をタイトルに、参加者の皆さんの意見交換
 として持たれました。意見を統一したり、何か結論を出すものではありません。全体をナント20のグループに分け、1グループ7~8人、
 開会行事の後、さっそくグループ討議、自己紹介から始まりました。皆そうだと思いますが、私のグループも地域の方、保護者、先生が
 それぞれおられました。討議では東小地区と太田小地区の2人の地域の方(区長、またはそれに準ずる方と思います。)が引っ張られ
 ました。お二人とも大変熱心に、地域活動に取り組んでおられ、また教育問題への造詣の深いのに感心しました。話は見守り運動から
 町内会活動の現状、学校の先生の地域活動への参加から、小中一貫教育から中高一貫教育と幅広いものでした。逆にいえば保護者と
 特に先生の意見が余り聞けなかったのは残念でした。
  私は自己紹介の時に、この地域の人間ではないので静かにしています、と言いましたが、地域の方のお一人が私を知っておられ
 「岸先生、御意見を」とふられましたので、少しばかりしゃべらせていただきました。

  全体的な印象としては、これだけの人数が集まったこと、私のグループでも明らかなように、1人ひとりの情熱と問題意識が高いこと
 等々から先々に明るい希望を持った事です。もう少しくわしく言えば、コミュニティスクール=小中一貫教育との考えがママ見られること
 コミュニティスクール導入で、何か劇的に変わるということでなく、子どもを育てる中で、大勢の人が関わり、支え合うことで地域と学校が
 より良いものとなっていく、そうした活動が始まると言う位に考えた方が良い、と思ったことでした。

  なお下段の8/5でもふれませんでしたが、久喜市教育委員会は「コミュニティスクールを基盤とした、小中一貫教育」に取り組むとして
 います。東小・太田小・太東中の太東中地区3校を「太東学園」と称し、この太東学園の教育目標を、「~地域とともに、9年間をつなぐ
 学びを通して~ 地域を愛し、未来を拓く、たくましい児童生徒の育成」としています。
  そして、目指す児童・生徒像として
   知  進んで学び、考える子
   徳  豊かな心をもち、行動する子
   体  元気いっぱいやりぬく子      としています。
  以上から太東学園で伸ばす力を、社会力、人間力、学力と位置付けています。コミュニティスクール=学校運営協議会を横軸とし
 9年間の時間的流れ=縦軸に、小中一貫教育という考えと思われます。

       

          ● コミュニティスクール講演会・研修会  8/5(水) ふれあいセンター久喜

  コミュニティスクールが、来年度(28年度)を目途に、まず太東中学校地区(太東中・
 太田小・東小)で、30年度から全市内34小中校で開校されることは、もう何度も報告
 してきました。すでに太東中地区では、「学校運営協議会」の土台となる、地域や保護者の
 皆様、教職員による「設立準備委員会」が発足しています。
  この日コミュニティスクールを、全市内で開校している三鷹市の前教育長であり、全国
 C・S連絡協議会顧問「貝ノ瀬滋」先生をお迎えし、3小中校の教員、設立準備委員を対象
 とする講演という形での研修会が開催され、お許しをいただき私も出席しました。

  「コミュニティスクール」とは、正式な事業名、法律上の名称ではない、各学校毎の
 「学校運営協議会」が設置されている学校を、「コミュニティスクール」と呼びます、
 から講演を始められました。
  欧米にはほとんどの国に類似の組織がある、しかし日本のそれはH16年制定の
 「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」に根拠を置く、地域と共にある学校
 づくりのための有効なツールだ、と進められました。
  【 講演をされる「貝ノ瀬滋」先生 】
  参加者に先生方が多いことから、キーワードは「共に」、と「当事者意識」だとされました。保護者・地域住民・教員が集まって、学校や
 地域の課題を共有すること=「共に」、また教員は、「熟慮」し、「討議」することを通じ、子どもたちを伸ばし、自分も伸びて行こうとする
 姿勢が大切=当事者意識とされました。
  三鷹市では貝ノ瀬先生が校長をされていた、「第4小学校」での教育ボランティアの活動から、C・S導入に至ったそうです。しかしこの
 制度が始まってすでに10年、多くの事例・情報があり、久喜市はいわば「良いとこ取り」が出来ること、ただしあくまでも久喜市にそくした
 (合った)良いとこ取りを、とされました。
  
学校運営協議会の役割について話しをされました。1が学校支援、2が協議(合議)機関の2つを主とし、さらに言えば3・学校評価が
 加わること、少子高齢化、グローバル化、地域社会の希薄化、等現在の子どもたちを取り囲む状況から、複雑・多様化した学校の課題、
 それに伴う教員の負担増等にふれ、そうした子どもや学校の抱える課題を解決し、子ども達の豊かな未来をもたらすためには、社会
 総掛かりで教育を実現していくこと=地域ぐるみで子どもを育てる事が大切であり、その仕組みこそコミュニティスクール=C・Sだと
 力説されました。
  その後 C・Sとセットでの小中一貫教育(これは久喜市の目指す方向でもあります。)や、学校の運営と経営の違い、C・Sと人事との
 関係、等三鷹市での経験に踏まえ話されました。そして最後に「これからの市民社会は、多くの人が関わり、支え合って行くことが大切
、C・Sは学校の、教育の、地域社会のそうした仕組み、それは地域創世、地方創世につながるもの」で話しを終えられました。
  
  ところで私は昨年「くきっ子ゆうゆうプラザ10周年記念誌」で最後にこう書きました。『「新しい公共」という概念があります。行政・市民・
 市民団体等が、平等・互恵・一体で公共を担うことを意味します。私達が目指すものは「新しい教育」です。子育てや教育についての
 問題意識を、学校・家庭・地域が共有し、力を合わせ課題克服の活動を展開します。こうした活動を通じて、新たな人と人とのつながり=
 教育コミュニティの創造を進めて行くのです。「ゆうゆうプラザ」はそうした活動です。学校を拠点とした地域の活性化=教育コミュニティ
 の創造を図るものです。そこは一人・ひとりが人の役に立ち、同時に自己を高める(自己実現)の場です。久喜市の「新しい公共」の時代
 において、「自助」と「協働」の文化を地域から構築していく運動なのです。』
  正に我が意を得たり、という思い、コミュニティスクール導入を目指し、長いこと努力してきて良かった、という思いの今日の貝ノ瀬先生の
 講演でした。
 

         ● 久喜市民大学校友会講演会・防災について 7/26(日) 中央公民館視聴覚室












  【田沼市大校友会々長挨拶】      【パワーポイントで説明】     【約70名の参加をいただきました】
  
久喜市民大学校友会(会長・14期田沼さん)主催の公開講演会が、この夏最高気温を記録した26日午後、中央公民館視聴覚室
 にて開催されました。久喜市民大学は平成7年開校、今年の1年生が21期になります。市民大学OB有志で構成される、「交友会」
 は平成11年設立され、今年で16年目になります。私が市民大学1期生であること、交友会の初代会長を勤めた事は、もう何度も
 報告しています。

  「市民大学校友会」は。各期の活動を軸に、緩やかな連携を保ちつつ、全体活動、部会活動、交友会会報の発行等の活動を
 行っています。今日の「講演会」もその1つで、毎年時期的な内容を選びつつ行われてきました。今回は「命を守る防災の大切さ」
 ~東日本大震災で見たこと・体験したこと・伝えたいこと~というサブタイトルがついています。講師は宮城県立気仙沼向洋高校教員
 で宮城県防災指導員、他の資格を持っています。
  氏は気仙沼市に住み、3・11を勤務先の、「南三陸町志津川高校」で経験されました。その後1年間、宮城県庁に出向し防災専門
 教育を学びました。現在は宮城県独自(全国初)の「防災指導員」の認定を得、県内小中高校での防災マニュアル作成の指導、
 副読本の作成、講演活動等に当たっています。
  ここまで書いてくると、何人かの方はお気づきだと思います。他ならぬ私の次男です。この話を聞いた時複雑な思いでした。
 「チャンと務まるか」とか、「出席者数は大丈夫か」とか、出席する一交友会員より、肉親としての思いが先行し、お誘いの電話を何人
 かにしたものでした。結果、この講演会はいつも30名代参加で行われてきましたが、約70名の出席をいただき、それなりの講演を
 することが出来て、まずはホッとしています。

  講演はまず自己紹介、当時と現在の勤務先「志津川高校」、「気仙沼向洋高校」の紹介から始まりました。
 次いで当日の志津川高校での対応、南三陸町や気仙沼市を襲った大津波、それによる被害状況等を写真で示しつつ話しました。
  一番ショックだったのは、震災数日後のことです。福島原発の事故以後、南三陸町から30Kしか離れていない、牡鹿半島の付け根
 にある女川原発が水素爆発する、との風評がどこからともなく伝わり、全員が死を覚悟、とにかく家には帰れず、生徒会館に寝泊まり
 していた全員の子ども達を、体育館の壁に身を寄せさせた、という初めて聞く話で゜した。救援に来ていた自衛隊、警察官、消防隊員、
 誰も何も分からず、右往左往したとの事、極限状況の怖さを思いやる話しでした。3・11当日、雪が降った猛烈な寒さ、漆黒の闇の
 中で星空が綺麗だった、という話も大変リアルでした。
  その後両町の震災後の様子から、今、そして復興の状況に話しが進みました。私はこの5月に次男宅を訪ね、両町の復興状況を
 視てきたばかりです。(市政ニュースのページ、5/15・16・1718日付参照) 南三陸町の防災センター、かさ上げ工事の土の壁
 津波で3Fまでつき抜かれ、4Fのみ残っている旧向洋高校、他の県立高校の第二グランドを借用し、プレハブ校舎で授業している
 現向洋高校、未だ2ケ月しか経っていません。生々しく思い出しました。
  その後出席者の防災意識チェックをしつつ、まとめに入りました。自助・共助(近所=近助)・公助から、まず自分を守ること、その
 ためには
防災の日常化を図ること、震災後という言葉は無い・震災を風化させてはいけない、で講演を終えました。

  今の教員ですから当然ですが、パワーポイントが良く出来ており、説明を助けていました。久喜市の事も調べてあり、それも
 スライドに出していました。しゃべりを除いては、親父に似ぬ?出来の悪い子と思ってきましたが、曲がりなりにも人様にそれなりの
 話ができて、一安心というのが、講演の内容よりも正直なところです。
 

         ● 27年度・ゆうゆうプラザ全員研修会  7/8(水) 久喜総合文化会館広域展示室

  
平成27年度・久喜市放課後子ども教室「ゆうゆうプラザ全員研修会」が8日、久喜総合
 文化会館・広域展示室で開催されました。本年、栗橋西小(しずかっ子元気)の開校を
 
もって、市内全23小学校での実施という、目標としていた状況が生まれています。そうした
 事を背景に、この研修会には150名のゆうゆう関係者が参加、文科省社会教育課地域・
 学校支援推進室から、お2人の講師をお招きし、講演―トーク・質問で行われました。

  所でこうした研修会の狙いは何でしょうか。研修を受け、講演を聞き、「あっ、ゆうゆうは
 こんなに意義があるんだ、大変だけど頑張ろう」と元気をもらって帰っていく、こんなことも
 その1つでしょう。そういう意味で言えば今日の研修会は、失敗だったと言えるでしょう。

 
 講演された文科省の若い女性の講演内容に、文句はありません。女史は文科省の
 社会教育施策、なかんずく所管する地域の学校支援について、施策を施策として話された
 のです。ただ久喜のゆうゆうプラザとの関わりの中でその話を聞き、参考になるものが

 
【講演を終え、講師を囲んでトーク時間】  無かったということなのです。

  「放課後子ども総合プラン」から、「放課後児童クラブ」との連携について長く話されました。一体「連携」とか、「一体化」とはなにを
 さすのでしょう。学校区ごとの「運営協議会」設置にふれていました。しかし久喜市の「ゆうゆうプラザ」で今、新しい組織を立ち上げる
 体力があるのでしょうか。
  久喜市内では「児童クラブ」の子は、本人・家族が希望すれば、「ゆうゆう」の事業に参加できます。実際どこの実施校でもかなりの
 「児童クラブ」の子が参加しています。それをもって「連携」とか、「一体化」というのでしようか。少なくとも「学童運営協議会―運営委員会」
 実施校では「保護者会・指導員―実施委員会」との協議の場を持ち、課題を共有し、それこそ「協働」で運営に当たっていくべきものです。
  最も毎週1日・隔週土曜日の実施日数が、市内でも最大であることを考えるなら、「児童クラブ」側にそうした考えがあるのでしようか。
 何よりも全校開校を果たせた今、実施日数を含めた「ゆうゆう」の充実こそが求められているのです。
  それに講師が講演する場合、その講演先の現状、今回なら久喜市の「ゆうゆう」と「児童クラブ」について、少しは頭に入れられて
 話すべきだったと考えます。

  同じことが、これまた多くの時間を割いた「土曜日の教育活動の推進」にも言えます。文科省の施策としての、施行規則の一部改正や
 活動推進プランについて長く話されていました。しかし現実に久喜で何に、どう取り組む必要があるのか、一向に見えてこないのです。
  久喜市(旧)では、平成4年5日制が始まるに当たって(月1回)、「5日制検討委員会」を組織、周到な準備をしています。私はこの
 座長を勤めましたので、検討課題・内容も鮮明に記憶しています。久喜市民大学の開校、学校を核としたまちづくり、「ゆうゆうプラザ」も
 そうした方向としてあり、だから私はこれに深くかかわってきたのです。
  確かに久喜市では今年から土曜日授業を開始しました。しかしこれは「完全5日制の定着」を前提としたものであり、新たな事業の
 展開を目指したものではありません。自由な時間の中で、子ども達の様々な体験活動の場を保障していく、従来の久喜市の考え、
 例えば「ゆうゆう」の土曜日実施の拡大、等を目指していくのが現実的あり方です。くどいようですが、現状からして、土曜日に新たな
 教育活動を展開していく、そんな体力が私たちにはありません。

  前記したように「ゆうゆう」開校11年目、全校実施という新たな時を迎えています。しかしどこの実施校でも様々な問題点を抱え
 厳しい状況に置かれつつ、懸命にこの事業に取り組んでいるのです。
  頑張っている多くの実施委員やサポーターの方々が、少しは元気がもらえる、そんな研修会を求めるものです。


         ● 平成27年度・久喜市小学校陸上競技大会  6/2(火) 久喜市総合運動公園市民グラウンド

  平成27年度・第3回「久喜市小学校陸上競技大会」が、2日総合運動公園・市民グラウンドで開催され
 観戦しました。市内全23小学校の6年生全員(原則)が参加し、体力の向上、スポーツ精神の高揚を図る
 とともに、市内児童の交流と親睦をはかることを狙いとするものです。
  私の記憶では旧久喜市では長いこと、男子はサッカー、女子はバスケがクラス単位でチームを編成し
 全チームが複数の試合をする、という形式で行われてきました。この大会は平成24年旧久喜市内で
 まず持たれ、翌25年から全市レベルで開催され、本年度が第3回となります。この過程で当時は久喜小
 校長であった、柿沼現教育長の強い思い入れがあったと伺っています。
  なにはともあれ、市内全校小学生児童が一堂に会し、スポーツの基礎である、走る・飛ぶ・投げる、と
 いった競技を競いつつ、交流を図ることは大変良い事です。
【市内全校による大会開会式】

  競技種目ですが男女ともに、100メートル走、70メートルハードル走、1、000m走、ボール投げ、
 全員リレーです。全員リレーは1人100メートル、全員参加によるもので42人×100と、30人×100
 と2部門あります。これは当然ながら児童数に因ります。
  100メートル走と、70メートルハードル走は、予選・決勝とあります。従って大会運営は中々大変で
 トラックではホーム側70メートルハードル走、バック側100メートル走、フィールド内では、4か所で高跳び
 (午前、午後はボール投げ)と、3競技が同時進行していました。
   市民グランドは400メートルトラックですが、トラックの半周をぐるりと各学校のテントが並び、応援の
 保護者も加えて、大変なにぎわいを見せていました。
【トラック・フィールドと3競技が同時進行】

  私はホームの来賓席でレースを観戦していました。従ってホーム側で行われていた「70mハードル走」と
 フィールドでの「走り高跳び」は比較的良く見えました。ハードル走はハードルを、「飛ぶ」というより、「跨ぐ」
 のが原則です。後ろ脚の抜き方が問題となります。このフォームが出来ている子と、そうでない子の差が
 かなり出ていました。
  「走り高跳び」は、ほぼ全員が、「踏切」が出来ていないようでした。「助走」と「踏切」がバラバラでした。今
 少年団体力テストで、記録が一番を悪いのは「立ち幅跳び」です。「ハイ」にしろ「ロング」にしろ、大切なのは
 「踏切」です。これはどこからきているのでしょうか。
 「100メートル走」は遠すぎて良く解りませんでした。男女ともに8レースでしたから、1校当たり3人前後、出場選手は皆つわものぞろい
 【女子の70mハードル走】   なのでしょう。全員早かったです。 

  1、000メートル走には、呼び物、川内選手が一緒に走りました。男女共に各2、計4レースの先頭で
 子ども達に「新記録だぞ、新記録だぞ」と、手を振って励ましつつ、走ってくれました。これは非公式ですが
 本部席にいた大会役員が、「新記録ですね」と言ったのが2レースありました。相も変わらず川内選手は
 好青年でした。
  少しの時間でしたが、「久喜マラソン大会」の準備状況をお話しし、協力をお願いしました。
  
  この大会は久喜市教育研究会、久喜市小学校体育連盟の主催、お骨折りに感謝いたします。
 本当は午後の全員リレーも見たかったのですが、所要あり、午前のみで失礼しました。
 【川内選手が皆を引っ張る】


         ● 久喜市生涯学習推進部・久喜市々民大学生合同研修会 5/30(土) 中央公民館

  平成27年度「久喜市々民大学」と、「久喜市生涯学習推進部」との合同研修会が、30日午後「中央公民館」で
 開催されました。「久喜市々民大学」は、平成7年に開校され、本年度27年度生は第21期となります。定員は
 40名ですが、現在1年生16名、2年生17名との事、相変わらず、学生数不足に悩んでいるようです。
  私が1期生であること、「OB」の組織である「校友会」を立ち上げ、初代委員長を勤める等、この20年間
 「市民大学」と共に、歩んできた事は、このページでもう何度も報告しています。
  こういう形で「推進部」と「市民大学」との、合同による研修会が、持たれるようになり、もう何年たったでしょうか。
 「市民大学」サイドはよく解りませんが、「推進部」としては、その目的も意義も徹底されないまま、今日を迎えて
 いる感じを持ちます。今回も双方が入って、1グループ7名程度によるワークショップ形式でのフリー協議でもたれ
 ました。もっとも「ワークシヨップ」なる言葉は最近使われず、「フィチヤーステーション」が良い、との意見も内部に
 【ワークショップによる協議】    ありました。
  
   テーブルは6つでしたので、参加者は約40名というところ、テーマは6/13(土)鷲宮高校で行われる、本年度
 「まなびすとフォーラム」と同じ、「コミュニティ豊かなまち」でした。市民大学生を進行係として、進みました。
  「コミュニティ」という概念・言葉には、私はいろいろな思い出があります。久喜市でスポーツ活動を初めて15年
 30代後半に聞いた、当時の日本スポーツ少年団指導者協議会委員長、伊藤春夫氏の「コミュニティスポーツ論」
 に目からうろこの落ちる思いでした。コミュニティスポーツの振興→スポーツ少年団活動が、私の人生の大半を
 占めるにいたったのは、その時からでした。また平成9年・久喜市民大学大学院の卒業論文を、「コミュニティ
 スポーツ論」をとしたのもそんな関係からでした。
  同じ**地域に住むという地域的協属性に、その地域でスポーツや文化芸術活動で、生きがいや幸せを求める活動を共にしているという
 【こんな形でまとめました】      協属性がプラスされたものを、コミュニティと呼ぶと考えています。

  だからそこにはスポーツクラブや、文化芸術サークルが多く組織されており(アソシエーション)、そうした活動が
 展開できる施設が整備されてい社会、すなわち充実したコミュニティ社会とは、私たちが生涯学習推進の目的と
 する「生涯学習社会」だと言えます。
  コミュニティという概念は多様にわたります。6つのグループ全部が発表したのですが、中には久喜の市民歌
 「笑顔のまち永遠なれ」にひっかけて、「笑顔があふれるまち」とか、「挨拶のあるまち」とか、「高齢者に優しい
 まち」がコミュニティだと言うのもありました。まあ。否定はしませんが。
 
  全く同じテーマで、6/13に、「まなびすとフォーラム」が開かれます。毎年同じスケジュールですので、私は県スポーツ少年団本部の代議員会
 【全グループが発表】    (総会)と重なり、参加できません。お許しいただきます。
      それよりも何よりも、市民大学の充実(学生数の増)は、なんとしても図っていかねばならないと考えています。


             ● 久喜市立北小・読み語りボラ、今年も頑張ります   5/20(水)

  今日から27年度の、北小での読み語りボラの活動が始まりました。私が北小でこの活動を初めて、もう15~6年に成ります。子どもに
 関するイヤな出来事があり、スポ少以外何かの活動で、新たに子どもと向き合いたかったからです。丁度その頃現在の「久喜中央図書館」
 で、「読み聞かせボランティア養成講習会」があり、それに参加しました。男性は私一人でした。昔からしゃべること・語ることには自信が
 ありました。小中生の頃、何度か朗読のコンクールに代表して出たものでした。講習を終え、「読み聞かせボランティア」の人達で組織
 されるサークルにも入りました。
  活動を久喜小で始めようと思いましたが、久喜小のそれは基本的にPTAの方たちでした。たまたまサークルの会員で、他の活動で
 ご一緒している知人のお誘いをいただき、「北小」での活動に参加したのです。
  「北小」は子どもたちへの「読み聞かせ」の時間は月2回です。朝8:15~8:30です。1回はPTAのお母さん方、1回を私たち地域の
 人間が担当します。夏休みや年度初め等は休みですので、せいぜい1年に9~10回程度、余り時間的負担にもなりません。てな事で
 この活動を始めてから、いつの間にか10数年を越えました。

  この活動はまず読む本を決めることから始まります。北小は以前は4年生まででしたが、4・5年前から全学年対象となりました。指定
 された学年に応じ、季節感に応じ、となります。夏にクリスマスの話しをしては、「どうも」ということです。もう一つ基本的に絵本を読み
 ますので、「絵」も選択の際の重要な要素となります。
  てなことを考えつつ本を選択します。私は通常指定日の1週間ほど前に、県立か市立図書館に出向き、1時間ほどかけ本を選びます。
 良い本が選べると、それでもう7割方は終わったことに成ります。こうして選んでも、いざという時、子ども達に『知ってる』と言われることが
 あります。PTAのお母さんに読んでもらったのでしょう。だから最近では2冊は用意することにしています。 このアトは何回も下読みをします。
 以前は2・30回読んだものですが、最近はグーンと減りました。反省しています。

  今年の3月、今年度の打ち合わせをした際、『そろそろこの辺で』と申し述べました。このところ読み聞かせが「しんどく」なっているのです。
 「読み聞かせ」は、肩の高さ一杯に伸ばした右手でしっかり本を持ち、絵を見せながら読みます。この体勢で本を読むのが、「きつく」なって
 います。老眼が進んだのでしょう。それと部分入れ歯の「部分」が増えました。自信のあった肝心要の「音読」に、「滑舌」に衰えを感じるの
 です。でも仲間は皆似た年齢、同じ悩みをこぼしつつ、励まされ今年も続けることとしました。まあ、1年頑張ります。

  もちろん楽しい事もあります。サッカーの「団長」、スポ少の「本部長」に代わって、北小の子どもたちは、「読み聞かせのおじさん?」として
 挨拶してくれます。嬉しい限りです。もちろん「綱引のコーチ」も、「ゆうゆうのおじさん?」も変わらず頑張ることにします。
  

 
           ● 久喜中PTA総会・久喜小生徒指導委・くきっ子ゆうゆう  5/14(木)

 
 G・Wが終わると、市内小中学校の運動会、その前のPTA総会の時期、となります。私はご案内もいただきますし、母校でもある久喜小
 久喜中のPTA 総会には毎年出席してきました。久喜中のそれは11(月)にあり、出席しました。久喜小は明日15(金)です。当然出席する
 所ですが、今年は出られません。と言うのも3年ぶりに次男の孫の運動会を見に、気仙沼を3年ぶりに訪れるからです。お許しをいただきます。
  そんなことで、久喜中PTA総会、これも必ず出ている今日開催された「久喜小生徒指導委員会」、同じく今日の「くきっ子ゆうゆうプラザ実施
 委員会」から、本年度の参加状況等を合わせ報告します。

  久喜中のPTA総会は11日に開催されました。前記したように私は毎年出席してきました。まず感じたことはP(保護者)の出席者数です。
 PTAはご承知のように。PとT(教員)の組織ですが、一番端の新旧役員を除き、中央がPとTの席、授業を終え、途中から参加したTを
 除くと一般のPは、やっと二桁に達したかと言うところでした。これはどのPTA総会でも最近見られる、似たり寄ったりの状況です。
  今私のスポーツ少年団は危機的状況を迎えています。10年を越え団員が減少、活動の低迷を余儀なくされています。その最大の因は
 もちろん少子化にありますが、加えて1つ、保護者の意識変化もあると思われます。少年団は地域の子どもを(スポーツを手段として)地域で
 育てる活動です。しかし預けるだけならともかく 自分はそれに参加しない、それは負担?だ、、というものです。何ともさびしい限りです。
  戦後誕生したPTAも、本来は参加が自由な任意の組織です。しかし日本型PTAは全児童・生徒の保護者で構成され、原則全員が会費を
 納入します。もうこういう形が無理になっているのでしようか。
  所で今、PとTにC(コミュニティ) を加え、PTCAに、と言う考えがあります。久喜市では来年から太東中地区で、数年後には市内全域で
 コミュニティスクールが始まります。PTCAも夢ではなくなるかも知れませんね。
  私の母はPTA活動をやりぬいた人でした。母親と言うのはみんなそうだとばかり思っていましたが、女房が不熱心なのにびっくりしました。
 所でこの歳に成るまで、ありとあらゆる社会教育関係の役職、しかも中枢のそれをしてきた私は、PTAだけは何故か関わりませんでした。
  子どもが小中生時代、多くの社会教育団体の活動に熱中し、少しの暇もなかったというのが一つの理由、もう一つは何故か?子どもの
 出来が悪くて、役員に就くのが恥ずかしかったのかもしれません。もし仮に久喜小や久喜中が、PTCAになったらその時は何が何でも
 役員に成ってやろうと、かなわぬ夢を描いています。

  14日は「久喜小区生徒指導委員会」に出ました。久喜市内には各小学校に、「**小学校区生徒指導推進委員会」、各中学校に
 「**中学校区生徒指導推進委員会」、久喜市には「久喜市生徒指導推進委員会連絡協議会」と3通りの組織があります。いずれも
 学校と地域の人々が連携し、子どもの健やかな育成に関する問題意識を共有し、一体でそれを推進していこうとする組織です。
  小学校区のそれには校長等学校側代表、PTA役員、その校区の区長、民生児童委員、主任児童委員、保護司、放課後子供教室
 役員、スポーツ少年団等のメンバーで構成されます。年に2回ほど開催されますが、地区の方の出席率はすこぶる良く、正に久喜市の
 高い地域教育力を表しています。
  久喜小校長より今年度の「生徒指導の重点について」話しを聴き、「挨拶運動」等今年の事業計画を承認、学校側・地域側からの
 情報・意見交換を行って解散しました。なお今月28日には、子のメンバーと久喜小児童との顔合わせ会が予定されています。

  「久喜小生徒指導推進委員会」終了後、「くきっ子ゆうゆうプラザ実施委員会」を開きました。11日(月)・12日(火)と行った、本年の
 参加申込を受けてのものです。「くきっ子ゆうゆうプラザ」は原則、毎週木曜日、隔週土曜日開校されます。本年度は木曜日20日、
 土曜日11日の31日です。木曜日には10教室、土曜日は年間で9教室開校します。本年度の参加者は
14日現在175名、12日の
 〆切時より6名増えていますので、来月11日の開校式には180名を数えるものと思われます。「くきっ子ゆうゆうプラザ」の本年度も
 まず順調にスタート出来そうです。   
  
  
       ● 全校開校へ!放課後子供教室・27年度第1回運営委員会 4/22(水) 菖蒲コミセン

  平成17年、この事業が始まって11年目、長い間追い求めて来た全校開校の年となる、平成27年度・第1回久喜市放課後子供教室
 運営委員会が、「菖蒲コミュニティセンター」で開催されました。
  新たな運営委員に「委嘱書」が交付されました。昨年度途中開校の「すなはら=砂原小」、「かがやきっ子=上内小」、そして実施
 委員長が交代した「あおげっ子=青毛小」、「太田っ子=太田小」に加え、市内最後に本年開校される「しずかっ子元気=栗橋西小」の
 実施委員長の皆様でした。「しずかっ子元気=栗橋西小」は6/22に開校式を予定しています。これで市内全23校でこの事業が
 実施される事に成り、開始以来11年を経て、新たな時期に入ることになります。正に感慨深いものがあります。なおたまたま「しずかっ子
 元気」の実施委員長は、旧市役所の職員で、旧知の方です。よろしくお願いします。
  そのあと、事務局より運営委員会の組織・運営体制から、27年度事業計画、予算案、保険関係、本年度開校式までの説明を受けました。
  運営委員も23実施校の代表者に私のような団体代表者(校長会・P連・主任児童委・学童運営協・子ども会等)を加え、36名に膨れ
 上がりました。行事では研修会として、7月に全員研修会、28年2月に情報交換会を予定しています。この事業は国・県・久喜市の1/3
 ずつの補助金で運営されます。総額616万1、000円です。なお新規開設校のみ備品整備費が就きます。パソコン・プリンター等の購入
 費用に当てますが、いくつかの継続校で古くなり、新しい物が欲しいとの声が聞こえます。そんなお金はどこにもありません。困った
 問題です。
  さて27年度の問題点です。まず今年から始まる「土曜日授業」と、関連して「学校開放制度」との関連です。久喜市の学校開放制度は
 昭和53年に始まりました。数年を経て、「第1・第3土曜日の午前中は、開放団体に開放しない」というルールを確立しました。すなわち
 学校(PTA)行事・地域行事は、原則としてこの日、この時間に行うと言うことです。このルールで大きなトラブルもなく今日まできましたが
 合併をはさんでこのルールが崩れています。「ゆうゆう」の土曜日事業も、第1・第3以外というケースさえ見られます。土曜日事業実施に
 伴い、教育委員会で学校教育・社会教育・体育両者にプラスとなる、新たなルールの健闘・確立とその徹底化を望むものです。
  もう一つは28年度から「太東中地区=太東中・太田小・東小」で始まる、「コミュニティ・スクール」の問題です。3年後には全市内で実施を
 予定しています。当然ながら「学校運営協議会」の主要な部分を、地域教育力で構成される各学校実施委員会が、担うことに成るだろうと
 いう事です。学校と協力し、地域を良く知り、子ども達の健やかな育成を図ってきた「運営委員会・各実施委員会」の持っている力と、今後に
 果たす役割は益々大きなものに成ると考えます。 
 

          ● くきっ子ゆうゆう実施委、11年目へ、そして市内全校開校へ   4/16(木)

  本日、久喜小放課後子供教室(くきっ子ゆうゆうプラザ)実施委員会(柿原順子委員長)は、実施委員会を
 開催、すでに大枠が決定していた本年度=平成27年度の、全ての中身を正式決定し、開校式にむけ、
 スタートを切りました。
  「くきっ子ゆうゆうプラザ」は、未だ「地域子供教室」と呼ばれていた平成18年度に、久喜市内のモデル
 事業校として、市内で最初に開校しました。昨年10周年を祝い、記念誌を発行、記念祝賀会を開催した事は
 このページで何度か報告しています。今年で11年目に入ります。そして私たちが先鞭を取ったこの事業は
 多くの方の参加・協力をいただいて、この年市内全小学校23校で、開校されることに成ります。最後まで
 残っていた「栗橋西小」において、昨年準備委員会が組織され、本年早々の開校が確実視されています。
  私たち「くきっ子ゆうゆう」はそうした現実に踏まえ、初心に立ち返り、本年の事業を実施して参ります。

 【10年前・第1回の開校式】
  
 本年度木曜日20日、土曜日11日、計31日開校します。
   開校日は6/11(木)、閉校日は28―2/18(木)です。
  ※ 木曜日は学習・そろばん・編物・室内遊び・フラダンス・ドッヂボール・グラウンドゴルフ・スポーツ吹き矢・囲碁の10教室を
       原則毎週実施します。
  ※ 土曜日はミニテニス・理科遊び(旧おもしろ理科実験)・トランポリン・ペットボトルロケット・押し花・料理・お茶・フラワーアレンジメント
      クリスマスリースの9教室です。こちらは親子での参加を歓迎し、4~1回開催されます。新教室は「ペットボトルロケット」、この
      教室の指導者は、前生涯学習課課長の中山氏です。
  ※ 子ども達に対する説明会を、5/1(金)に朝礼の際行い、参加申込受付を5/11(月)・12(火)行います。
  ※ 保護者サポーターを募集します。やれる範囲で何でもよいのです。例えば開校式や閉校式の当日、30分ほど早く来られてイス出し
      の手伝い、または児童・保護者の受付、お子さんが参加している教室の見守り、年に何回かある印刷等の手伝い、昼間は
      時間がないけど、自宅でパソコンならという方、なんでも良いのです。もちろん年1回でもかまいません。
  ※ 地域・教室サポーターは常時受け付けています。子どものために、同時に自分のために、積極的にどうぞ

  久喜市全体の問題です。全校開校を前にして、当々ここまで来たかという深い感慨があります。いろんな方のご協力のお陰ですが、
 何よりも飯島会長、柿沼統括コーディネーターをはじめとする、運営委員会の皆様の努力を高く評価し、敬意を表します。しかしこれからが
 難しくなります。全校開校となれば「量」の拡大から、「質」が問われてくるのです。正直申してどの実施校も、様々な問題点を持っています。
  実施委員・サポーター不足が露呈しています。少数の方の懸命な努力で支えられている現実が、多くの実施校で見られます。
  「地域の子どもを地域で育てる」、もう一度原点に立ち返り、地道に努力を続けて行かねばなりません。
  あらゆる協力を惜しまない覚悟です。


          ● 平成27年度・久喜市高齢者大学入学式・始業式 4/13(月) 総合文化会館

  先週時ならぬ春の淡雪をもたらした寒波が居座り、肌寒さが残る中、平成27年度・「久喜市高齢者大学」
 入学式・始業式が、総合文化会館大ホールで開催され、多くの議員の仲間と共に出席しました。

  全国各地に「いきがい大学」とか、「ことぶき大学」等の名称で、類似の高齢者を対象とする大学は多く
 あります。しかし「久喜市高齢者大学」は、全国でもまれな4年生のそれとして、昭和55年に開校、今年で
 37年の歴史を誇る大学です。学習活動、クラブ活動、ボランティア活動を中身とする充実した大学は
 今まで、8、191名の卒業生を地域社会に送り、久喜市高齢者の生きがいづくり、仲間づくり、に学びの
 場を提供し続けてきました。
  本年度の入学生は101名、それぞれ進級する在校生は、3学年計252名です。入学式・始業式では
 学長の田中市長が「式辞」で、高齢化社会が進行する中、高齢者大学の存在は大きなものがある。大いなる活躍を期待する、と
 述べられ、また「新入生代表誓いの言葉」では、第二の人生で社会に資する生き方をしていきたい、そのためにも高齢者大学で充実した
 活動を展開していきたい、と誓っていました。

  これから4年間、新入生の活動が充実したものであることを、また高齢者大学が益々充実発展されんことを祈念します。
  いろんな立場で応援し続けて行きます。


          ●平成27年度・社会教育3団体合同研修会  4/11(土)  中央公民館

 
 生涯学習推進部の全体会を持った後、平成27年度・社会教育3団体の合同研修会が開催されました。社会教育3団体とは
 社会教育委員会・生涯学習推進会議・生涯学習推進部の3つです。それぞれの団体にダブッて委嘱されている方もおり、人的
 交流はあるのですが、もう一つ、それぞれの役割・関連性が解らないとの声が上がり、24年度から年1回開催されています。
  前記したようにダブッている人もいることから、どこが何人とは言えませんが、全体で40人弱というところでした。それをほぼ8人
 5グループに分けてのグループ協議です。テーマは「社会教育3団体のそれぞれの役割に学ぶ」でした。
  まず全員が所属団体も含めて自己紹介、ついで3団体に所属する参加者が、それぞれの活動状況等について報告し、その後
 フリー討論に移りました。ここでそれぞれについて若干説明しておきます。
  社会教育委員(会)は社会教育法に基づく、「久喜市社会教育委員会条例」によって設置さされています。定員20名以内、委嘱者は
 教育委員会です。
  生涯学習推進会議は「久喜市生涯学習推進会議条例」に基づき設置され、定員20名以内、委嘱者は市長です。
  生涯学習推進部は「久喜市生涯学習推進部規則」に基づき、定員は40名以内、委嘱者は市長です。
  上を見ても解るように「社会教育委員会」のみ法律に基づいています。「任意の機関」とされていますが、ほぼ全ての自治体に
 設置されています。「生涯学習推進会議」は、同様の名称のものは多く見られますが、各自治体独自の組織、「生涯学習推進部」に
 至っては、100%久喜市独自の組織です。
  社会教育委員会は、久喜市3団体の中でも別格の組織です。社会教育全般にわたり、その振興・推進を教育委員会に提言します。
  「推進会議」と「推進部」は兄弟組織です。生涯学習推進に関する指針を決定するのが「推進会議」、それを受け、事業を実施する
 いわば実戦部隊が「推進部」となります。
  ただ之に久喜市の生涯学習推進の歴史が加わります。旧久喜市は平成1・2年の「全国街づくりモデル事業」に参加、昭和63年に
 「第1次生涯学習推進会議」を発足させました。この「推進会議」は数年を経て、当時の生涯学習そのものの未成熟からして、活動を
 停止、解散状況となりました。私はこの第1次生涯学習推進会議に関わった者として、この穴を埋めるべく、当時の社会教育課課長
 補佐のH氏と相談、平成4年、民間実戦部隊としての「推進部」を組織、初代委員長を10数年務めました。この推進部の驚嘆すべき
 活動量が、久喜市の生涯学習活動を支え、「第二次生涯学習推進会議」を誕生させたことになります。議長=市長、副議長=教育長
 と共に私は推進部代表として副議長を勤めました。そして合併に伴い誕生したのが、現在の「第三次推進会議」です。ここでは何故か
 行政は手を引き、100%民間組織となっています。残念ながら非力化は多い難いものがあります。
  これに各組織委員の資質と活動量の問題が加わります。「推進部」も人数・活動量ともにかってとは隔絶の感があります。今回では
 ありませんが、この研修会で「3者の関連が良く解らない。それぞれ解散して一緒に成ればよい」という発言があってびっくりしました。
  いずれにせよ「人・研修・活動」での交流を強めて行くしかありません。
  ある意味で久喜市の生涯学習推進活動は、危機的様相を呈しているのです。


            ● 久喜中(4/8・水) 久喜小(4/9・木)の入学式に出ました









   【入学生徒入場】         【校長式辞】        【入学生徒代表誓いの言葉】      【職員紹介】










 【足が床に届かない新入生】【2年生による歓迎の言葉】【6年生の校歌斉唱】【そして6年生に手を引かれて教室へ退場】

 
 満開の桜が葉桜へと変わろうとしている候、8日(水)中学校、9日(小学校)の入学式が一斉に行われ、私は共に母校である久喜中と
 久喜小に出席しました。それにしてもナント不順な天候なのでしょう。一気に20度c近く下がってこの2日間の寒かったこと、8日は季節
 はずれの雪まで降り、春の淡雪と桜吹雪とが同時に舞う中の入学式でした。
  久喜中の新入生は191名、ちなみに卒業生は229名でした。久喜中学校には、今年、前任者・関校長先生に代わり、新たに前久喜市
 教育委員会指導課長の結城先生が、校長に就かれています。その結城校長先生から入学を許可された新入生は、いつものように新調の
 ポプラ色の制服が良く似合い、緊張感と意気込みとが同時に感じられ大変さわやかでした。
  久喜小の卒業式に次いで、来賓あいさつの機会をいただきました。私は久喜中の創立40周年記念事業として、私達卒業生が建立した
 中庭にある石碑に刻まれたフレーズ、『光れ 久喜中 燃やせ いのち』を引き合いに、「光輝く伝統校・久喜中において、この3年間
 精一杯、青春のいのちを燃やし続けて下さい。」と話しました。

  久喜小の入学生は81名でした。卒業生は77名、僅かとはいえ増えた事は何をおいても良いことです。もっとも全学年14普通学級
 プラス2支援学級で419名との事、1学年平均70名を割るわけで、児童数の減少は誠に深刻です。
  校長式辞、教育委員会の言葉、来賓祝辞と続くのですが、皆「君たちがこれから楽しく、久喜小での生活を送ってもらうために3つの
 約束をしましょう。1つ・挨拶をする、2つ・お話しを聞く、3つ・元気に運動をする」とやるのですから、私も経験していますが、後からの方は
 大変です。新入児童はそうした話を、いつもみられるまだ床に届かない足を、ぶらぶらさせながら神妙に聞いていました。
  2年生児童による「歓迎の言葉」、目の前の1年生がたった1年でここまで成長するのです。子どもの成長する力、それに働きかける
 教育力って本当に素晴らしいと思います。
  そして6年生が「久喜小校歌」を披露、新入児童はその6年生に手を引かれて、各教室に退場していきました。

  久喜中・久喜小新入生諸君が、元気に楽しく学校生活が送れますよう祈念します。地域にあってずうっと応援していきます。そんな
 事を考えつつ、寒さに肩をすぼめながら家路につきました。


    ● 久喜小・久喜中、桜田保育園の卒業(園)式に出席しました 3/13(金)・14(土)・23(月)

 
 卒業式のシーズンを迎えています
 
私は今年も居住区であり母校である
 久喜中・13日、久喜小・23日、そして
 これは「福祉健康委常任委員会副委員長」
 の公務として、鷲宮地区桜田保育園の
 卒業(園)証書授与式に出席しました。


 
 来賓控室から覗いた久喜中の校庭には
 在校生が書いたのでしょうか、卒業を祝う文字が
 
【校庭には祝・卒業の文字】 【卒業証書授与】 【今年で退職される関校長先生の式辞】   石灰で書かれてあり、ほほえましさを覚えました。
  「卒業証書授与」では、全員が壇上へと進み、関校長先生から手渡されました。関先生は今年で退官されます。私の次男の恩師であり
 私自身も長きにわたりご指導を頂いてきました。その関先生は式辞で「疾風に勁草を知る」を卒業生に送っていました。市長が2月定例会の
 「施政方針」で使った言葉です。その市長がたまたまこの日、来賓として出席していました。市長が久喜中のPТA会長時代の学校側の
 担当だったとか、関先生の最後の卒業式との事で、出席先に久喜中を選んだのでしょう。思わぬ関先生の式辞に、内心のうれしさを隠し
 つつ、当時の思い出を最後に語っていました。聞かせる内容でした。見事な学校経営に手腕を発揮された、関先生の新たな立場での
 今後のご活躍を祈念いたします。


  
翌14日は鷲宮桜田地区にある「青木学園・桜田保育園」の卒園式に出ました。昨年の秋、同じく「桜田
 保育園」の運動会へ出席されたし、といわれた時は、いささか驚きました。招待が重なった時、議長―副議長
 ―担当常任委員会委員長―副委員長―と順番が決まっているそうです。今回は青木理事長とは旧知の間柄、
 勇んで出席させていただきました。今年で同保育園は閉園し、来年度から近接する「桜田保育園」と合体、
 幼保一元化構想に基づき、新たに「桜田子ども園」として開園します。関係者の英断に敬意を表します。
  ですから第10回となる今年の卒園式が、保育園としては最後のそれとなります。その卒園式での園児たちの
 態度は見事の一語に尽きました。園児たちの成長力とそれに働きかける、先生方の教育力に感服しました。
 感受性の強い子が、何人も目の前で号泣していました。気仙沼に住む私の次男の次女が、今年幼稚園を

 卒園します。目の中に入れても痛くないというその子と重ね合わせて、ついもらい泣きをしてしまいました。
 【堂々とした園児の態度】  

 
 今日(23日)は久喜小学校の卒業式に出席しま
 した。2クラス・77人ですから、一昔前に比べると
 本当に少なくなりました。

 
 一人ひとりが壇上に進み、卒業証書を受け取る
 のですが、その時各自の小学校生活での楽しかった
 思い出や、将来の夢がアナウンスされます。思い出
 では、「修学旅行」が圧倒的に多く、将来の夢では
 男の子ではスポーツ選手、ゲームクリエィター、
 女の子では「フアッション・デザイナー」、「パティシェ」が
   【卒業証書授与】        【卒業生と在校生とが向かい合っての別れの詩】      いつも目立ちます。今年の変わり種は「海獣医」や
 「イルカトレーナー」、傑作だったのは「解体屋」、これはお家のご職業です。

  来賓祝辞を述べる機会を頂きました。私は「久喜小の古き良き伝統に加え、「夢創造科」で身に付けた学習態度を活かし、中学校生活を
 歩んでほしいと話しました。


             ● 平成26年度・くきっ子ゆうゆうプラザ閉校式  2/19(木)

 
 久喜市放課後子ども教室・「くきっ子ゆうゆう
 プラザ」、平成26年度閉校式が19日、参加児童
 サポーター、保護者、久喜小教職員参加のもと
 開催されました。
  
すでにこのページで報告しているように、今年度は
 平成17年スタートした「くきっ子ゆうゆうプラザ」の
 10周年の当たり、記念誌の発行・祝賀会等開催
 されています。10回目の閉校式、伝統を感じる
 落ち
ついた雰囲気の中でのものでした。
【こんなに上手く踊れました】   【実施委員長挨拶】  【スライドを見つつ参加者感想発表】  まず開会前に「フラダンス」教室の可愛い女の子が
 練習の成果を見せてくれました。
  柿原実施委員長、飯島運営委会長、久喜小教頭先生
 挨拶の後、スクリーンに映し出される、各自の参加教室
 の活動を紹介するスライドを見ながら、感想を述べて
 くれました。ソロバン、室内遊び、ドッヂボール
 
編物、学習面白理科実験、トランポリン、ミニテニス
 
料理、茶道、積絵、リース作り、後いくつあったでしょう。
 
皆サポーターの皆様の熱心な活動で成立しました。
 そしてそこには、どこでも、いつでも子ども達のはじける
 
【これ 作ったヨ 編物】  【6年生に卒業メダル贈呈】  【6年生 感謝の言葉】   笑顔がありました。
 あらためて「ゆうゆ」って良いな、と思いました。
  6年生に卒業メダルを贈呈しました。確か登録数は10名を越えていますが、今日は女子のみ6名でした。多分男の子たちは、みんなの前で
 メダルをかけてもらったり、感想の言葉を述べるのが恥ずかしかったのでしょう。6人の内、半分は6年間「ゆうゆう」で頑張ってくれたそうです。
 サポーターを代表して「編物」のKさん、つづいて保護者代表が感想を述べ、最後に実施委員のAさんが「26年度ゆうゆうプラザ活動のまとめ」を
 報告しました。参加児童数175名、29日活動、教室サポーター72名の他、多くの保護者サポーターがいろんな面で活動してくれました。
  新しい教室はミニテニス、土曜日の教室でしたが人気があり、保護者も大勢参加してくれました。

  さてこの後です。実施委員会は休みなく月1は開かれますが、「ゆうゆう」自体は長い春休みとなります。この間私たちは今年度の反省、
 来年度の方向性から、講座・教室の決定、そして新しい活動家の獲得と、かえって忙しい時となります。

  
「くきっ子」では11年目、久喜市全体では待望の全校開校の年となる来年に備え、休みはないのです。


  ● 平成26年度・久喜市高齢者大学卒業式・終了式  2/13(金) 総合文化会館大ホール

  平成26年度久喜市高齢者大学卒業式・終了式が、13日久喜総合文化
 会館大ホールで開催され、来賓の1人として出席しました。
  久喜高齢者大学(学長・田中市長)は昭和54年建学されました。今年の
 卒業生が33期、27年度入学生は37期生となる、歴史ある大学です。
  全国でも珍しい4年制の大学、久喜市の高齢者の学びを通した健康づくり
 仲間づくり、生きがいづくりに大きな役割を果たしています。
  まず今年の卒業生108名に、卒業証書が、続いて3年生83名、2年生90名
 1年生90名にそれぞれ修了証書が授与されました。
 学長式辞、田中市長はその中で、丁度卒業生が入学する直前に、3・11
 【在校生のが作るるトンネルをくぐって卒業生の退場   東日本大震災が発生したことに触れていました。卒業生の答辞の中でも、この事
 にふれており、入学式が計画停電で、急に時間変更に成ったことを言っておられました。こんなことでも折にふれ思い出し、話しをして
 私達の記憶から、薄めてはならない事だと感じました。
  そのあと皆勤賞、精勤務賞の授与に移りました。なんと108名卒業生の内、皆勤賞が17名、精勤賞が15名もおられるのにびっくり
 しました。皆勤とは文字通り、4年間1日も休まなかったこと、精勤とは3日以内です。学ぶ高齢者は皆健康なのだ、と痛感しました。
  先にも触れましたが卒業生代表の答辞も立派でした。前記したように入学式当時にふれ、クラブ活動、体育祭、発表会等の思い出を
 語り、これからも学ぶ意欲を持ち続け、高齢者大学で学んだ成果を、地域社会に還元していきたい、と結ばれました。
  最後に在学生が作る手のトンネルをくぐって、退場していきました。ご健勝で活躍されることを祈念いたします。
  本年度38期生の入学式は4/13日に行われます。また出席します。

 ◎ 来賓のあいさつの中で樋口県議が報告していました。
  圏央道 久喜JTCから幸手―五霞―境間(19・6km)が、本年3/29(日)開通するそうです。
  

                ● 久喜小(地域の人に)感謝する会  2/12(木)
  

  12日午後久喜小学校の子ども達が、(地域の人たちに)感謝する会を
 持ってくれました。招待者控室の図書室に入ったら、その数の多いのに
 
驚きました。区長さん・民生委員さん・学校応援団の人達・ゆうゆうプラザ
 のサポーター等々、とにかく久喜小に関わる大勢の人たちがご招待を頂き、
 殆どの方が喜んで出席されたのでしょう。会場の体育館まで可愛い1年生が
 手をひいてエスコートしてくれました。体育館入り口から、招待者のイス席
 まで、子ども達手作りの花の輪のトンネルをくぐりました。何から何まで
 心がこもっていました。
 児童代表と校長先生から、感謝の言葉をいただきました。そしてこれまた子ども達が
【子ども達の花の輪をくぐって入場】【全員で歌を歌ってくれました。】  長きにわたって、丹精込めて育てた埼玉県の花・サクラソウの
 
鉢植えと、「感謝の手紙」のプレゼントとをいただきました。招待状まで子ども達の手書きのものでした。 
  最後に全員で合唱してくれました。短い時間でしたが、とても清々しく、楽しいひとときでした。

  別に学校と地域の望ましい在り方、とか、良い地域が良い学校をつくり、良い学校がよい地域をつくる、なんて仰々しく言うつもり
 はありません。とにかくそれぞれの人が、「オラが学校=久喜小」を愛しているのです。そして久喜小の子ども達の、健やかな成長を
 願っているのです。みんなから「元気」をいただいて、またあしげく久喜小にきます、全員がそんな思いで帰って行きました。
 

           ● 「くきっ子ゆうゆう」・伊達市からの視察がありました 2/5(木)  

  すでにお知らせしてあるように、「久喜市放課後子ども教室・くきっ子
 ゆうゆうプラザ」は、開校10周年に当たる本年度事業も、順調に進展
 してきました。本年度閉校式を2週間後に控えた5日(木)、福島県伊達市
 政策提言委員会の視察がありました。
  この日は関東地方に場合によっては、10cもの雪をみるとの状況でした。
 幸い予想は外れましたが、冷たい雨、屋外講座を体育館で、というあいにく
 の状態でした。
  視察にこれられた伊達市は、福島県の県都・福島市の東隣にあり、人口
 6万4千人、面積265平方㎞、一般会計予算337億円程のまちです。
 【体育館入り口、図書室テラスから活動状況を見る視察団】
  平成18年伊達町等5町の合併で誕生しました。町名の由来は、「伊達正宗」の伊達氏がここから起ったことに因ります。久喜小に
 来られた一行は、「政策提言委員会」という名称だけは伺っていました。行政?、民間?、と思っていましたが、市役所職員若手メンバー
 とのことでした。本当の事をいうと少し話がしたかったのですが、運営委員会正副会長、くきっ子の実施委員長、生涯学習課担当が
 久喜小図書室で、熱心な説明をしておられましたので、「くきっ子」では一実施委員である私は遠慮しました。
  ただ私が「くきっ子ゆうゆう」で担当している外遊び、この日は体育館でドッヂボール、に見に来られた時、少しばかり話しをしました。
  ごたぶんにもれず伊達市においても、人口減少・少子高齢化が進行、そこで子どもと高齢者が元気に活動できるものを、と考え
 この事業にたどりつき、久喜市への視察となったということでした。一行は伊達市の財政・企画政策・福祉の職員、ただ社会教育の
 関係者がいないのは少し残念でした。
  この活動は地域の人たちの応援をいただき、子ども達を健やかに育てて行く活動です。そしてその活動をとおして地域の人たちが
 元気になり、地域をいきいきとしたものにする活動です。だから伊達市の若手職員の提案から、この事業が同市でもはじまり、
 成功する事を願っています。
  くきっこはこの後26年度・閉校式を迎えます。そのあとは「くきっ子ゆうゆうプラザ」11年目の、そして久喜市としては23校・全校
 開校となる27年度を目指していきます。


  ●第5回・久喜市生涯学習推進大会「まなびすと久喜」 1/31(土)・2/1(日) 中央公民館










 【1日目朝の打ち合わせ】  【1F大集会室で会場設営】  【ゆうゆうの準備は4Fです】  【2日目・にぎわう会場】
  第5回・久喜市生涯学習推進大会「まなびすと久喜」が、1/31(土)、2/1(日)の2日間、1日目は1F大集会室での
 「まちづくりフォーラム」、2日目は屋外を含む全館を使っての各種イベントと、いつもの形で開催されました。
  私がこの大会に、旧久喜市の第1回大会(昭和63年度)から、ずぅーと関わってきた事は何度か報告しています。ここ
 数年ですが、スポーツ少年団の公式行事に重なり、半端な形でしか関われなく成っていました。今年は1週間ずれたため
 1日目はずっといる、と宣言したのですが、なんと土曜日、午後3時30分に消防議会となってしまいました。(2/2日付
 市政ニュース参照) てなことで1日目は午後3時まで、2日目は久喜市スポ少認定員養成講習会の合間合間の参加と
 いつもと同じ参加となりました。
  1日目1/31(土)は朝8時30分に中央公民館に集合、全体打ち合わせ会を持ち、各会場の準備、設営を行いました。
 上の写真、左3枚はその風景です。昼にいったん家に戻り消防議会のしたくを整え、中公に戻りました。その時カメラを
 家に忘れてしまいましたので、午後の「街づくりフォーラム」の写真はありません。
  「街づくりフォーラム」は1部講演、2部パネルディスカッションの2部構成でした。講演の方は県教育局生涯学習課社会
 教育主事I氏が、生涯学習に関する国の動向、県の動向、県の教育振興計画、生涯学習推進指針等について話されました。
  県の社会教育指導主事ですから、その通りの事を、その通りに話されたのですが、県社会教育委員会・建議「学びの
 循環ある地域社会を目指して」から、「学びの循環」について触れた時、久喜の「生涯学習推進計画・まなびすとプラン」の
 キーワード、「まなぶ いかす つなぐ ささえあう」との関連性を話された時は、興味をもって聞くことができました。
  パネルディスカッションは久喜北小で「ゆうゆう」に関わるYさん、青年会議所のS君、栗橋商工会青年部のH君、鷲宮
 東中PТAのYさん4人がバネラー、時計をにらみつつ聴いていましたが、3時に会場を後にしました。自己紹介から
 自分の活動・学びの紹介等終えて、これからと言うのに大変残念でした。










【「けやきっ子ゆうゆう」の新舞踊の発表】【押し花に挑戦】    【木工・紙細工に挑戦】  【終了後・商工会館での反省会】
  2日目は「ふれあいセンター久喜」で行われた、久喜市スポーツ少年団認定員養成講習会の開講式、自分の講師時間の
 合間を縫って、何度か行き帰するという、いつもの行動となりました。この日は強風の吹く大変寒い日でした。屋外担当の
 スタッフの皆様本当にご苦労様でした。またこの中で駐車場係など100%こなして頂いた、高大ボランティアの皆様には
 本当に頭の下がる思いです。
   このようにこの大会も多くのボランティアの参加により行われました。寒い日にも関わらず会場はそこそこの市民で
 にぎわっていました。「さすが、まなびすと」と言えなくもありません。しかし相変わらず企画の固定化、マンネリが目立って
 いました。もう何年も前からこの事は言われてきました。合併を機に会場の移動、隔年の中公実施、隔年での旧3町
 会場での開催等、一定の前進が見られています。これからは正に「ビルド・&スクラップ」、思い切った固定企画の廃止も
 必要と考えます。
  もっとも私がこの程度の関わりです。あまり大きな事は言えないのかと思います。反省、反省。


             ● 久喜小学校 「夢創造科」研究発表会  1/29(木)










  【参会者であふれる久喜小教室と多目的室】        【解りやすく手順を図示】      【全体会参会者】










  【石油缶で楽器を作ったり、ロボットを作ったり、からくりおもちゃを作ったりと、皆、意欲的に取り組んでいました】

  私の母校であり、「おらが学校」の域を超え、絶えずそこにいる場である久喜小が、文部科学省から研究開発校の指定を
 受け、25年から28年までの4年間、科学の心で夢を創る児童の育成を掲げ、「夢創造科」を新設、研究開発運動に取り
 組んでいる事は、何度か報告してきました。また1年目=25年度の研究発表会も、本ページ26年1/29で報告しています。
 この研究開発も進み、2年目の研究発表会が、29日(木)行われました。
  中身は1学年1クラスの夢創造科の公開授業、そして体育館でのシンポジウムを中心とする全体会です。
  公開授業は5時間目と6時間目を使って行われ、5時間目が奇数学年、6時間目が偶数学年でした。参会者は県外も含め
 約150名を数えました。
  各教室、多目的室、図工室等で行われた公開授業を見学しました。「夢創造科」とは科学技術教育を担う新教科、指定校
 としての久喜小が、教育課程の編成、学習プログラムの開発を行っている新教科です。動機→探求→設計→創造→評価
 そしてまた動機が夢創造科の学習展開サイクルです。26年度は年間50時間、各学年ごとにカリキュラムが構成されており
 今回は37~50時間の学習内容が発表されています。
  1年生は「音って楽しいね」、音の出るいろいろな楽器を作り、発表していました。
  3年生は「からくりおもちゃを作ろう」、歯車、ブロックを使い、動きにあったおもちゃの設計図を考えていました。
  6年生は「ロボットと共に生きる」、自分たちで設計・制作したロボットがいろんな動きをしていました。
  それぞれの学年ごとに、先にあげた学習展開サイクルにそって、授業が進められてきており、今日の発表はその1時間分
 と言うことです。どの学年、どのクラスも、子どもたちは楽しげに取り組んでおり、この1年間の連続が、「設計・計画」、
 「創成・育成」、「評価」という、目的とする3つの能力の獲得につながるのでしょう。
  ただ残念だったのは同時刻・3学年授業公開のため、どうしても次々と回ってしまい、1つの授業をじっくり見れないこと、
 これは去年も感じました。

  体育館に移動、全体会に移りました。田村久喜小校長、柿沼教育長、県教育局義務教育指導課指導主事の挨拶についで
 久喜小でこの研究開発の先頭に立つ、川島研究主任が、夢創造科の研究概要について報告しました。素材活用、メカニズム
 活用、生物活用の3つの分野に科学技術を分け、それぞれの特徴を踏まえながら学習を進めている事、その学習展開は
 は先にあげたサイクルであること、また児童を対象に行ったアンケートにおいて、「将来科学技術を活かした仕事をしたい」が
 20%も向上したこと、を延べ、研究実施の大きな効果であるとされました。
  ついで埼玉大学教授、早稲田大学教授、日本理科教育支援センター代表等5人による「夢創造科と子どもの育ち」と題する
 シンポジウム、この研究開発の運営指導委員のメンバーです。「夢創造科で確実に学びの力を身につけている、思考し、判断し
 決断していた」、「仲間がつながっている」、「新しい物を作り出すことに喜びを感じている」、「理学と工学、両方が出来ている」
 云々、皆きわめて好意的な発言でした。
  最後に文部科学省教育課程課教科調査官・上野氏による指導講評、氏は教育には2つの目標がある、1つは現行学習指導
 要領の目標、もう1つは今後活かされる将来の目標、「夢創造科は将来の目標を探求していく活動だ」としました。
  少子高齢化の進行、グローバル化の進展、地球規模での課題の増大という状況の中、将来活かされる目標のキーワードは
 自立・協働・創造の3つ、そのためにも科学技術を適切に評価し、活用できる力を身につけること、将来起こりうるあらゆる
 課題を解決出来る能力の育成の獲得が必要とし、それが夢創造科だと話されました。

  この教科の研究開発も、丁度中間点に成りました。去年より確実に授業内容が進歩しているとの、確かな実感を持ちました。
 これからのさらなるご努力をお願いするものです。地域にあって変わらず応援していきます。 



         ● 久喜市民大学校友会新年会  1/17(土) 三高会館・徳寿庵 

  久喜市民大学校友会(宮内智会長)主催の新年会が、
 17日開かれました。久喜市民大学(学長・田中市長)が
 
開校されたのは、平成7年、私が市議会議員に初当選
 した年でした。私は1期生として大学2年、大学院1年、
 大変有意義な体験をさせていただきました。
  開校6年たった平成13年、私は準備委員長として市民
 大学生の学びと活動と交流の組織、「久喜市民大学
交友会
 を組織し、初代委員長に就きました。「久喜市民大学」その
 ものは、今年の入学生が21期生、「校友会」も15年の歩みを

    
【各期の参加者でにぎわう新年会会場】      刻んできた事に成ります。

 
 「久喜市民大学」もこの20年間に、大きく変わったような感じを持ちます。私の頃は入学に当たり、50歳以下という年齢
 制限がありました。高齢化社会の到来と、実際入学者が少ないということから、これが撤廃されました。「市民大学」の目的は
 まなぶ、学んだ成果を地域に活かす=久喜市の生涯学習推進活動のリーダーを養成する事にありました。しかし年齢制限
 の撤廃と共に、これが薄れ、今では「久喜高齢者大学」と余り変わらない、生きがいづくり、友達つ゜くりの場に変わりつつ
 あります
。「校友会」も発足時、私はあえて「交友会」と名付けました。友=多くの市民と交わりながら、生涯学習街づくり、
 を進めて行こう、ちょっと青いですが、そんな気持ちを込めてのものでした。「校友会」では正に市民大学の仲間との会、
 ではありませんか。
  しかしまあ、市民大学校友会も発足して15年が経とうとしています。この間その時その時の、役員の熱心な活動のお陰で
 余り活発とも、優れて有意義であるとも言えないけれど、それなりに活動を展開してきたことになります。私も市民大学開校
 10周年記念事業(市民大学の生みの親=橋本昭前教育長の講演)を主導した後、一線を退いて今日まできました。
  
  私の1期は前は15~6人位「校友会」会員でした。しかし数年前に「体力的にももう無理、活動を整理したい」とかで
 次々と退会、今は3人だけです。「校友会は何をやっているのかよく見えない」とも言っていました。役員の熱心な活動は
 あっても、これがみんなの見かたのようです。だから今でも1期の代表役員です。「校友会」は今、年間の行事に担当制を
 しいています。この新年会の担当はなんと1・2・3期、正にオールドスター揃い踏みと言うところでした。
  従ってこの新年会の司会進行を担当しました。出席者30数名、この数が多いか少ないかは解りません。「市民まつり」や
 「まなびすと久喜」で顔なじみの人ばかりです。それなりに和やかで、楽しい2時間でした。

  今年は2年任期の「校友会」役員の改選期です。現会長は12期のМ氏、副会長は共に14期のS氏とT氏です。今期の
 役員は14期以降から選出される事に成るのでしよう。1期は遠くなりにけり、です。今年(26)年度は、前記したとおり
 市民大学20周年の年でした。市民大学本体も、校友会も何故かこのことに無関心でした。言いたいことは種々ありますが
 しかしまあ大人しく、1期代表の役員だけやっていくこととします。 


          ● お出かけください!  第5回まなびすと久喜   1/17(土)










 【最終実行委員会全体】  【のぼり旗で大会ムードも盛り上がり】 【フロアー別打ち合わせ】

  平成26年度・第5回「久喜市生涯学習推進大会(まなびすと久喜)」は、1/31(土)、2/1(日)の2日間、
 久喜中央公民館で開催されます。この大会は旧久喜市において、昭和63年から開始され、22回の歴史を
 持っていました。合併により回数を改め、今年が5回目となります。
  私は旧久喜市の第1回大会から、この大会に関わり続けてきました。「総合文化会館」から「中央公民館」へ、
 単に講演を聞くから、市内まなびすとの参加型へと、組織過程も多くのボランティアの、準備段階からの参加を
 頂いてと、転換、発展させてきました。私はこの過程で「推進部」の委員長として、この大会では本部長として
 こうした活動の先頭に立ってきました。
  この大会もここ10年、マンネリ化が目立ってきました。全く変わらぬ企画内容が目立つようになっています。
 合併を機に会場の変更に踏み切りました。昨年は「鷲宮西コミセン」、来年は「菖蒲アミーゴ」、その2年後は
 「栗橋イリス」で行われます。これは改革・変化のための1つの手段です。特殊な例を除き(児童劇スノーマン・
 ゆうゆうプラザ等)3年以上継続の企画は、思いきって外す等、何か考えるべき時に来ていると思います。

  とはいえ準備過程、組織過程はこれ以上向上の余地はない、と言うところまで来ています。イベント参加団体の
 公募、ボランティアの準備段階からの参加等々です。こうしたことは「市民の手による生涯学習の推進」を長きに
 渡り実践してきた久喜市ならではのものだからです。
  今日の第3回(最終)実行委員会にも、多くのボランティアの参加を頂きました。市民大学生・高齢者大学生・
 市内中高校生・そして公募市民、その数は100名近くに達しています。当日ボランティアのみならず、企画段階
 から参加していただいている、企画ボランティアも多数おられます。
  会議は「全体会」で、この大会の概要、2日間の日程、その他について説明、確認し、その後各「フロア」毎に
 別れ、打ち合わせを行い解散しました。

  さて当日の大会内容です。1・31(土)は、午後から、講演とパネルディスカッションでの「まちづくりフォーラム」
 です。私はここの担当です。予定していた2つの年間行事が、共に1週間ずつ「前倒しと後送り」になったため
 久しぶりに1日手伝えると思っていたら、なんと「消防議会」が午後3時30分から入りました。土曜日の午後の
 議会なんて、普通あり得ないのですが、6市町首長さんが揃うのはこの時間しかないとの事です。15時までは
 会場にいることにします。
  実際のイベントは2/1(日)10時~15:30時までです。
  屋外 「あたたかな食と心で広がる和」  手打ちそば・焼そば・おでん等々
  1F  まなびすと発表会  ゆうゆうプラザの各学校児童  市民サークル(詩吟・コーラス・フラダンス等)
 ◎ 2F  みんなで楽しもう!!ものづくり  工作いろいろ  折り紙  ロボットと遊ぼう  押し花はがき
 ◎ 3F  楽しくやってみよう    おもちゃの病院  児童劇  アートバルーン  おもしろスポーツ体験
 ◎ 4F  未来にはばたけ まなびの街   市内学習機関の紹介  ゆうゆうプラザの紹介  久喜市4地区紹介
  私はこの日、県・久喜市スポ少本部主催の講習会で講師を勤めます。2~3時間位しかいられません。

  ぜひ会場に足をお運びください。この大会は市民に広く生涯学習活動の楽しさ・素晴らしさを体験していただく場です。
 同時に日頃の生涯学習活動の成果を発表する場です。両者が重ねあい生涯学習活動のさらなる充実と、街づくりへと
 発展する事を願っています。繰り返します。ぜひ「まなびすと久喜」にお出で下さい。  



          ● 「くきっ子ゆうゆうプラザ」10周年を祝う会  12/23(火・祝) 久喜テラレス


 


 


 


【大勢の関係者が出席してくれました】 【柿沼教育長挨拶】 【10周年記念誌】   
 
久喜市放課後子供教室・「くきっ子ゆうゆうプラザ」は、当時まだ「地域子ども教室」と呼ばれていた平成17年に
 開校、今年10周年を迎えました。丁度この年、市内22校に開校され、最後の1校にも「準備委員会」が発足、
 長きに渡る目標であった「全校開校」にむけ大きく前進しています。この事業の導入を図った者として、また
 ここまで10年、この事業と共に歩んできた者として、正に感無量のものがあります。
                  
  この節目の年に当たり「くきっ子ゆうゆうプラザ実施委員会」は、10年の足跡を振り返り、さらなる事業の充実を
 期し、「10周年記念事業実行委員会」を組織、記念誌を発行、そして今日の「10周年を祝う会」を開催しました。 
  右の写真は10周年記念誌です。普段通常活動に欠席の多い私が、そのお詫びを兼ねて担当させて頂きました。
 10年間の記録とその年の文章、プラスして参加児童とサポーターの文章、祝詞文に写真を加えて22ページの
 ものです。10年の前後に「開校準備」と「20年・30年を目指して」を加えました。この部分は私が文章を書きました。
  「放課後子供教室」に寄せる私の思いを、少しばかり文章化したつもりです。下段は久喜小の校章、文科省の
 子どもの居場所つくり新プラン、久喜市のゆうゆうプラザのマークです。久喜小で「地域子供教室」と「放課後子ども
 教室」を、この10年展開してきました、という意味です。

  今日の「祝う会」には、「くきっ子ゆうゆう」の現実施委員・サポーターの皆様の他に、今まで関わっていただいた方
 久喜小の先生方、運営委員の正副会長、前久喜小校長であった柿沼教育長にもご出席を頂きました。加えて
 10年前立ち上げた時の教育委員会の担当であった武井現小林小校長、その後ご指導を頂いた帯津現栢間小校長
 久喜小の小島旧校長、青山主幹教諭等々、懐かしい先生方の参加も頂きました。本当に懐かしく、楽しい時間を
 過ごさせて頂きました。改めて多くの皆様の思いと協力で、この事業がここまで来れたことを痛感しました。

  丁度この下段に先日開催された、「久喜市放課後子供教室全体研修会」を報告させて頂きました。いつもこうした
 機会に、ある程度の現状を知ることができます。現実はかなり厳しいものがあります。どこもサポーター不足、
 実施委不足に悩まされながら、それなりの人がそれなりの重荷をせおいつつ頑張っているのです。「くきっ子」も
 その例に漏れないものがあります。こうした現実に足を踏まえながら、この事業のもつ無限の可能性を求め、
 一歩一歩進んでいく必要があります。
  「くきっ子」も子ども達のはじける笑顔に元気をもらいつつ、20年、30年を目指していきます。多くの皆様とご一緒に!
  

        ● 久喜市放課後子供教室全体研修会   12/9(火) 菖蒲農業トレーニングセンター

  年内最後となる久喜市放課後子供教室(ゆうゆうプラザ)の全体研修会が、9日
 菖蒲農業トレーニングセンターで開催されました。当初「アミーゴ」で開催予定
 でしたが、急に変更となりました。最近ではめったに使われていませんが、かって
 菖蒲地区内の研修といえば全部ここでした。しばし懐かしさに浸りました。
 

  さて「久喜市放課後子供教室」も、平成17年久喜小で開始されて以来10年目に
 
入りました。久喜小(くきっ子ゆうゆうプラザ)では10周年記念事業に取り組んで
 
いることは先に報告しています。(本ページ11/25付参照) 開始5年の21年

  
 【開会行事・右-挨拶される柿沼教育長】      旧久喜市内全10校の開校に至りました
 
そして合併5年後の今年、市内全23校開校へと大きく前進しています。未実施校であった菖蒲東小、鷲宮砂原小、鷲宮上内小が本年
 相次いで開校、残された栗橋西小も来年早期の開校を目指し、「準備委員会」が発足しました。導入の口火をきった者として感無量の
 ものがあります。この全体研修会も年3回きちんと継続され行われており、事業充実の一因を成しています。

  今回は夏の講演会形式(本ページ7/9付参照)とは異なり、グループ別意見交換会で持たれました。参加者を8人程度のグループに
 わけ、。、①実施委・サポーターの確保について、②活動プログラムの充実について、③活動の安全について等を中心に話し合いと
 いうものです。私のグループは7名、男性3名、女性4名、実施校も上手く7校に分かれていました。そして活動歴もバラバラで今年
 開校が2名、1年3名、あおばっ子の方が6年、そして私が10年という具合です。従って私としては内容が理念面に走らぬよう、ずいぶん
 気を使って発言しました。改めて同じ事業と言え、ばらつきがあることを知りました。「くきっ子」は毎週木曜、隔週土曜日開校してい
 ます。講座数は毎年20は超えます。土曜日のみ、講座数4という実施校もあります。実施委員も地域の方のみ、学校の協力が
 得られない、と嘆く方もいました。一方学校の応援はばっちり、という方もいます。ウチのグループにはいませんでしたが、今年開校の
 砂原小はPTA内に「ゆうゆうプラザ委員会」を設置、そこが主力です。いろいろな組織形態、実施形式があって良いのです。

  ただ私の経験から言うと、組織も活動も10年経つと一つの転機を迎えます。来年はほぼ間違いなく待望の全校開校となります。
 今まで組織の拡大をもって、活動の充実としてきた部分もかなり違ったものとなります。中身が問われてくるのです。時あたかも
 放課後子供教室同様、私がここ10年追い求めてきた「コミュニティスクール」の導入に、久喜市も大きく前進しようとしています。
  そうしたこととの関連の中で、これからの「放課後子供教室」を考えて行くべきと思っています。

 
        ● 久喜市市民大学、社会教育3団体合同研修会  12/6(土) 久喜中央公民館

 
 久喜市市民大学1・2年生と、社会教育3団体との合同研修会が、6日午後
 中央公民館で開催されました。社会教育3団体とは久喜市社会教育委員会、
 久喜市生涯学習推進会議、久喜市生涯学習推進部の3団体です。私は
 生涯学習推進部に所属しています。日本大学文理学部教授・佐藤晴雄氏の
 「生涯学習のまちづくり」と題する講演で研修会は持たれました。氏は今年
 7月にも「放課後子供教室」の研修で来ておられます。(本ページ7/9参照)
  その時氏の講演内容を殆ど聞き取ることができませんでした。今回マイク

 
その他放送関係に万全を期すようお願いし、私は氏とは2mと離れぬ最前席で
  
 【P・Pを使って話しを進まれました】  お話しを聞きました。

 
 用意されたレヂメとパワーポイントを使って、スクリーン上に画像を映しながら講演を進められました。
 1・は生涯学習ちまちづくりの関係施策の軌跡   戦後すぐの公民館運動に始り、秋田県小畑知事の施策、大分県平松知事の
  一村一品運動、生涯学習の導入によるまちづくりの導入、平成に入ってからの学校を核としたまちづくり運動の起こり、
  コミュニティ―創造と、今までの軌跡を一通り話されました。初期の公民館運動の実態をスクリーンで映しましたが、その頃を知る
  ものとして(もちろん私は子どもです。母等が熱心な活動家でした。)大変懐かしく見ました。
 2・はまちづくり視点  うめる ただす つくる・いかすという考えから、青森県大間町の「あおぞら組」という地域おこしグループの

   活動を紹介、その活動ぶりは大変面白いものでした。
   また、コミュニティの範囲としてみえる(範囲)、きこえる(範囲)、あるける(範囲)をあげていました。コミュニティ創造と言う場合、
   小学校区が良いのではないかということでしょう。
 3・は後にそのコミュニティに関連して「学校を拠点にしてまちづくり」、「コミュニティスクールからスクール・コミュニティへ」を話され
  ました。その時千葉県秋津市「秋津コミュニティ」の活動状況が映されました。学社融合・教育コミュニティの創造は私の一貫した
  活動のテーマ、私が秋津小を最初に訪ねてからもう20年以上たちます。秋津コミュニティ会長「岸祐司」氏とも親しくご交際を得、
  「融合研」にも入会、久喜にも講演にお越しいただきました。上の写真-右-はその秋津小です。これはもう懐かしく拝見しました。
   コミュニティスクールについては本ホームページ「市政ニュース」で何度も報告しています。久喜市ではやっと導入にむけ
  研究を始めたばかりです。言いたいことは山ほどありますが、余りお先走ったことは控えたいと思います。

   スクリーンに映し出された写真は猛烈に懐かしかったり、大変興味をひいたりと言うものが多くありました。肝心の話の方も
 今回は最前列に陣取ったせいか、7・8割聞き取る事が出来ました。ただ話しの内容がポン・ポン・ポンと飛び飛びに出てくる
 ため統一性に欠けるきらいがありました。
  最後の「学校を拠点にしてまちづくり」、久喜市では正に「ゆうゆう」の活動がそれに当たります。全23校開校が来年度なった
 後、この観点の意義づけが重要になってくると考えます。

 
           ● 清久小・子どもオペラを観ました。 11/28(金)  総合文化会館大ホール

  28日「久喜総合文化会館」大ホールで、「清久小」児童による子ども
 オペラ「わたし、彩(さい)発見!!“夢プロジェクト”」が上演され観賞しました。
 これは久喜市合併5周年記念事業、文化庁の「地域発・文化芸術創造発信
 イニシアチブ事業」を合わせてのものです。
  
清久小は運動会を地区の住民と一緒に行っています。昔から「地域と共に」
 を校風としています。そんな清久小において、子ども一人ひとりがガンパル
 活躍できる、「自己肯定感」や「やる気」を高めるものを、と追及、児童全員
 
参加の「オペラ」に至ったそうです。文化庁の先の事業にも認定され、また
 「音楽の街」づくりを目指す久喜市の全面的応援も得て、今日の発表となりました。
 【当然ながら演奏中撮影禁止、看板と開会行事です。

 
 3カ月以上も前から「総合的学習の時間」等で稽古・練習・作成に当たったそうです。なにせ清久小児童全員参加です。歌の好きな人は
 歌を、楽器が得意な人は楽器を、工作が得意な人は舞台装置を担当したそうです。また記録係という人もいてみんなの役割やせりふ、
 さらには会場で配布されたプログラム等を作成したそうです。
  加えて作曲・音楽指導に久保摩那子先生、演出を馬場紀雄先生、他に音楽指導、美術監督等をそれぞれ一流の専門家が指導され
 ています。

  その美術監督をされた「内倉ひとみ」氏の「光のパフォーマンス」のプロローグから始まりました。
  大勢の児童の参加でオペラは進行していきました。一貫した筋書きと言うものはなかったと思います。最初舞台一杯に車座で寝ていた
 子ども達がこいのぼりに成っていたり、空一面の綺麗な虹を5枚の布で表現したり、子どもたち手作りのロボットが登場し、みこしを
 加えたお祭りがあって、子ども達が夢中で虫取りをする、そしてフィナーレはみんなの住む地球の未来をみるため、スペースシャトルに
 のり宇宙へ飛び出すというものでした。言わんとするところも余り解りません。フィナーレの所で「大切な地球・私たちの住い」という
 フレーズが何回か出てきましたが。要するに筋書きも、訴えんとする中心テーマも余り重要でないのかもしれません。パンフレットに
 載っていた久保先生の文章によれば、子ども達に「きのう見た夢」という文章を書いてもらい、100以上もの中から7つ選んで、それを
 題材とし作曲したとの事でした。大切なことは全員が協力して経験する事、その中から「わたしを彩発見」することなのでしょう。
 

  大勢の人々の協力で実現したこの“夢プロジェクト”の成功を祝います。大切な事は「子どもオペラ」も含め、子ども達にとって様々な
 体験の場、「スポーツ少年団」や「ゆうゆうプラザ」といった活動を提供し続ける事です。それが心豊かな子どもの育成に繋がるのです。


           ● 「くきっ子ゆうゆう」くきっ子開校10年、記念誌発行へ  11/25(火)

  未だ「地域子ども教室」と呼ばれていた平成17年、「くきっ子ゆうゆうプラザ」はモデル校
 として市内で最初に開校されました。今年で10年目を迎えています。丁度この年未実施校
 だった菖蒲東小、鷲宮砂原小、鷲宮上内小に相次いで開校、最後の1校=「栗橋西小」
 にも来年度早期の開校を目指し、「準備委員会」が発足しています。間に合併をはさみ
 長いこと目標としていた全校実施に大きく前進したことに成ります。この事業の久喜市への
 導入を要求した者として、またこの10年「ゆうゆう」と共に歩んできた者として、大いなる喜び
 を感じ、感無量のものがあります。

  さて「くきっ子」では10周年という節目の年に当たり、記念事業を行うこととしその準備に
 追われています。ところで「ゆうゆうプラザ」の今日を形作ったものは何なのでしょうか。
  まず何と言ってもこの事業そのものの素晴らしさにあります。次いで「久喜市放課後子ども
 教室運営委員会」の努力、行政=教育委員会の支援、それぞれの学校の協力、いろいろ
 ありますが、なんといっても最大の因は各実施校の実施委員・教室指導者・サポーターの
 皆様の力です。忙しい日常生活をぬい、1日も休むことなく学校に顔を出してくれます。
 自分の生活からそれが出来ぬ私にとって、それでなくとも忙しい「くきっ子実施委員」の皆様に記念事業を提案する事はかなり心苦しい
 ものがありました。でも皆さん快く了承していただき記念事業を行うこととなりました。 事業は記念式典(祝賀会)と記念誌のみとし、
 「記念誌」の作成は全て私が引き受けることとしました。

  所で私はこのホームページを作成し、年4回の活動報告紙を20年間発行し続けてきました。だからパソコンの技術も、と思われ
 勝ちですが実際は全くダメです。全て独学自習、この「ホームページ」もサッカーの教え子に立ちあげてもらい、後はマニョアル通り
 にやっています。何かあると全くお手上げという状態です。「写真」を所定の位置に貼り付ける等正に悪戦苦闘の連続でした。だから
 膨大な時間を要しましたがやっと原稿が出来上がりました。後は今度の「くきっ子実施委員会」で皆の了解を頂き印刷・製本、12月
 下旬の祝賀会で配布の予定です。

  写真は記念誌の表紙です。実物は表紙だけカラー紙とします。中央上は久喜小の校章、下段の左は「地域子ども教室」、右は
 放課後子ども教室=ゆうゆうプラザのシンボルマークです。「久喜小で地域子ども教室と、放課後子ども教室を10年やって来た」
 という意味です。平成17年=1期から今年=10期までの記録と文章、その前後に「開校を目指して」と「20・30年に向かって」が
 加わります。この2頁は私が原稿を書きました。柿原くきっ子実施委員長の「10周年に当たって」、と飯島運営委員長、柿沼教育長
 の祝詞文に、サポーター、参加児童からいただいた文章が各2頁、写真3頁がついて全部で22頁のものです。早く印刷・製本したい
 とうずうずしています。

  文章をお寄せいただいた皆様に感謝します。「ゆうゆう」の意義、私の想い等は記念誌に書きましたのでここでは省略します。
 久喜小では卒業式に全員が呼名を受け、登壇し校長先生から卒業証書を受け取ります。その時1人ひとりの「久喜小での思い出」
 とか「未来への夢」がアナウンスされます。ここ数年必ず「くきっ子ゆうゆうでの思い出」や、「くきっ子で学んだこと」もアナウンスされ
 るようになりました。思わず胸が熱くなります。「ゆうゆう」は、「未来の大人たちのために今出来ること」であり、「心豊かな遊びの場」
 です。子ども達のはじける笑顔と共に、これからもずうっーと「ゆうゆう」に関わっていきます。


           ● 市内21校目・砂原小ゆうゆうプラザ開校式 11/17(月)

  今年私が関わっている久喜小の
 放課後子供教室「くきっ子ゆうゆう
 プラザ」が開校10年を迎えています。
  まだ「地域子ども教室」と呼ばれた
 平成17年旧久喜市内のモデル校として
 開校されたものです。「くきっ子ゆうゆう
 プラザ」では、私を責任者とする記念事業

                                             実行委員会を組織、今準備活動に追われて
【久保実施委員長開校宣言】         【参加児童代表・誓いの言葉】  います。この件については後記します。
          【参加された児童・サポーター・保護者の皆様】   
 

  さて久喜市でこの事業が開始されて10年のこの年、間に合併を含みながら追い求めてきた市内全23小学校開校へ
 大きく前進しています。末実施校であった菖蒲東小、鷲宮砂原小、鷲宮上内小がこの秋合い次いで開校するのです。
  最後に残された栗橋西小においても、準備委が組織され来年6月の開校が予定されています。この事業の導入に
 当たった者として正に感無量のものがあり、改めて飯島運営委員長、他皆様のご努力に敬意を表します。

  さて17日には3校の内鷲宮砂原小において、「すなはらゆうゆうプラザ」開校式が行われました。3校の内砂原へ
 出席したのは、実施委員長のKさん、同校PTA会長のMさん、校長のT先生と生涯学習・スポ少活動その他で
 ご協力を頂いて来たからです。
  砂原小体育館は参加児童・実施委員・サポーター・保護者の皆様で一杯でした。参加児童数は146名に達して
 います。開校式は久保実施委員長の開会の言葉、飯島運営委員長の開校宣言、2年・4年・6年生3名による
 参加児童代表の言葉と進み、高橋校長先生挨拶、来賓として井上議長、柿沼教育長が挨拶しました。
  柿沼教育長はゆうゆうプラザのキーワードは2つ、「体験」と「交流」だとし、多くの講座・教室に参加、様々な事を
 「体験」し、異年齢・地域の大人と「交流」、心豊かな遊びの場を同時に学びの場として下さい、と話されました。

  当面本年度は8つの教室・講座で運営されます。実施委員はほとんどが同校PTA役員との事、ご努力をお願い
 する次第です。ゆうゆうプラザは前記のように子ども達が「体験」と「交流」を通し、健やかに成長していく場です。
 同時にこれに係る大人達が、この活動を通していきいきとした地域社会を構築していく「教育コミュニティ」創造の
 場です。共に協力し、頑張っていきましょう。


             ● 久喜小教育の日 授業参観(夢創造科) 音楽会 11/1(土)









 【廃材利用のイス】 【このダンボールの分別 【タブレットを駆使した発表風景】 【発表風景】
           ゴミ箱は提灯祭りで使われました】

 
 1日は市内いくつかの小学校とともに「久喜小教育の日」、午前中は授業参観、午後は校内音楽会が
 行われ、共に出席しました。授業参観は通常のそれではなく全学級・「夢創造科」の授業でした。

  
久喜小が25年~28年まで文部科学省から、研究指定校として「夢創造科」なる学科を新設、「科学の
 心で夢を創る児童の育成」に取り組んでいる事は何度も報告しています。本年々頭には1年目の研究
 成果の発表会も行われています。(本ページ1/29参照) 現在「夢創造科」は年間で50時間、当然
 その分既存の学科時間数は減っているわけで、「夢を育む楽しい挑戦」ながら大変なこの挑戦にご努力
 される久喜小関係の皆様に敬意を表する次第です。
  改修されて綺麗になった各教室では「木と仲良くしよう・6年」、「木で救うぼくらの地球・5年」、「クリーン
 カーテンを作ろう・2年」といった発表が行われていました。発表スタイルも大分変っていて1度に数グループが
 同時発表、聴くのは保護者で発表しないグループは他の学年・他の学級の発表を見学しているそうです。
  各教室には今までに作った製品が陳列されています。写真1番左の廃材利用の木工製品を制作したクラス
 には、僕くたちの作品で「Co2 が***㎏削減されました」、との壁紙がありました。また、左2番目の1学期に
 作った段ボール利用の分別ごみ箱は、実際7月の提灯祭りに使われています。
  5・6年の発表では見事にタブレットPCを使いこなしていました。
  来年1月には2回目の研究発表会がありれます。この授業の進展を望むものです。楽しみにしています。









【大勢の府保護者も参加】 【ハロウィンパーテイのスタイルで】   【合唱・合奏共に見事でした】 
                             【バトンクラブの演技】 

  
午後からは体育館で校内音楽会が行われました。1年生~5年生までは学年ごと、6年生はクラスごとの
 発表でした。また、クラブ活動として音楽クラブによる合奏の他、バトンクラブやダンスクラブの発表も行われて
 います。体育館は全児童、観覧の保護者でほぼ一杯でした。
  ハロウィンの仮装をして登場の2年生の可愛い姿、今月6日に文化会館で行われる市内音楽会に、久喜小
 代表で参加するため、猛練習しているという6-1の合唱には感心しました。それにしても全児童が見事に
 それぞれの楽器をこなしていました。間もなく定年という私の活動仲間が、「今の小生意気な大卒新入
 社員に負けるものは何一つない、が、英会話と楽器だけはかなわない」と言っていたのを思い出しました。
  一昔前はピアノを弾けるのは本の何人でしたが、今の子どもは皆こなせるのかな、なんて思います。
  くきっ子ゆうゆうのサポーター仲間と共に楽しい時間を過ごせました。


            ● くきっ子ゆうゆうプラザ情報交換会  10/30(木)

 
 久喜市放課後子ども教室・ゆうゆうプラザも事業を開始して10年という節目の年に
 
入っています。まだ「地域子ども教室」と言われた平成17年、旧久喜市内のモデル校として
 久喜小で「くきっ子ゆうゆうプラザ」の愛称でスタートしたのです。
  誕生6年目には合併により新久喜市が誕生しました。この間5年間で旧久喜市内全10校が
 開校しました。そして合併5年目、この事業開始10年目に未開校だった菖蒲東小(東っ子)
 鷲宮砂原小(砂原)、鷲宮上内(かかやきっ子)が相次いで゛開校、残された最後の1校、
 栗橋西小においても開校に向け「準備委員会」が発足する等、市内23校完全実施体制へ
 大きく前進しています。この事業の久喜市への導入を議会の場で要求した者としてある種の
 感慨を禁じえません。
  この間「くきっ子ゆうゆうプラザ」はさまざまな問題点、様々な不十分点をようしながらも
 事業推進の先頭に立ち続けつつ10年目に入りました。この年に当たり過去10年の歩みを
 振り返り、記録として残しさらなる活動の充実を期し、10周年記念事業を実施する事となりました。

  なにせ「くきっ子ゆうゆう」の運営に皆追われています。事業は最小限とし記念誌の発行、記念式典のみにとどめました。式典は
 年内の事業が終わる12月下旬を予定しており、それに合わせての記念誌づくりに今追われています。言い出しっぺの私が事業の
 実施委員長を仰せつかりました。毎日頂いた原稿、手元の資料の原稿打ちに取り組んでいます。「くきっ子ゆうゆう」に在学6年間
 参加、今中学生、高校生のOB・OGからのうれしい原稿もあります。当時を思い出し懐かしさに子たる楽しいひと時もあります。式典に
 合わせ、記念誌についてもこのページでお知らせします。

  今年の事業も順調に進んでいます。この日は「くきっ子ゆうゆう」の情報交換会の日でした。これは各実施校の日程に合わせ
 市内でそれぞれに取り組む活動家が参考にそれを見学、意見・情報交換等をしながら良き点などを自らの「ゆうゆう」にとり組む
 もの、市内から多数の方が久喜小に来られ、各教室を見学しながら担当者と話し合っていました。
  式典までアト2カ月弱、頑張っていきます。
  


         ● 久喜市生涯学習団体・教育長歓送迎会  8/31(日) 三高サロン

 
 久喜市教育委員会教育長を、合併をはさみ2期8年にわたり勤められ、「久喜市教育振興計画」を策定、
 
教育行政の充実発展に多大の貢献をされた「吉田耕治」氏は、本年5月をもってご勇退されました。
  代わって5月臨時議会において教育委員に任命された「柿沼光夫」氏が、同月の教育委員会定例会に
 おいて新教育長に推挙され、就任されました。吉田氏は教育長の他市内で久喜中・久喜東中の教員、青葉
 小校長も勤められ、氏から直接指導を受けた、一緒に活動した大勢の関係者が地域におられます。そうした
 方々から何らかの形で「感謝する会」をもとう、との声が多く寄せられました。そこで私が呼びかけをさせて
 いただき、事務局である「生涯学習課」ともご相談し、主要社会体育団体・社会教育団体計7団体の代表を
 もって発起人会を発足、準備に当たりました。
 【両教育長に花束贈呈】 
  
発起人会で皆様と協議、吉田前教育長に「ありがとうございました」との意を表し、合わせて柿沼教育長に
 
「今後よろしくお願いします」との事で、「教育長歓送迎会」という形をとりました。社会教育・社会体育関係
 16団体にお声掛けをさせていただきました。なにせ「体協・文連・スポ少」といった大衆団体から、「社会
 教育委員会・図書館協議会・スポーツ推進委員協議会」といった委嘱機関まであります。また多くはすでに
 新市で統一された組織となっていますが、未だに旧4市町のままという組織もあります。どこまでお呼びかけ
 するか大変苦慮しました。この会開催を知った方から「自分には案内がない」とのお叱りも頂きました。統一
 したルールを守らせて頂きましたのでどうかお許しを頂きたいと思います。両教育長、田中市長・井上議長ら
 4人の御来賓をふくめ、約100名の参加を得て盛大に開催する事が出来ました

【両教育長を前に・市長挨拶】
  
会は放課後子供教室運営委員会会長・飯島氏の名司会のもと進行しました。冒頭発起人会を代表してあいさつした私は両教育長
 に感謝とよろしくの意を述べ、また出席された皆様にはこの会で親睦と交流を深め、久喜市生涯学習活動の輪をさらに深く、大きな
 ものにしていくこと、そうした活動を通じて新久喜市のまちづくりに貢献されることを述べました。
  花束・記念品の贈呈、両教育長・来賓のあいさつの後懇親に移り、団体ごとに両教育長を囲んでの記念写真撮影等で和やかに
 進行、閉会しました。
  日頃あまりない社会体育・社会教育役員間の交流もはかれ、何よりも両教育長に喜んでいただき有意義な会でした。発端から
 2カ月余もかかりましたが成功裏に終わりホッとしています。ご努力いただいた発起人・関係諸兄姉に感謝申し上げます。


        ● 平成26年度・久喜市放課後子供教室全員研修会 7/9(水) 総合文化会館広域展示室

  平成26年度に入り、1回目の「全員研修会」が10日「総合文化会館広域展示室」で開催されました。
 「放課後子供教室」も平成17年に久喜小でスタートして、今年で記念すべき10年目を迎えます。
 「運営委員会」の驚嘆すべき活動力もあり、合併後4年で旧3町地区で9校が開校、今未開校3校で
 全面的準備活動中にあり、待望の全23校開校へ秒読みの所まで来ています。今日の研修会も会場
 あふれるほどの実施委員、サポーターが詰めかけこの事業の活発さを物語っていました。
  今日の研修会は日本大学文理学部教授、文科省のコミュニティスクール企画委員でもある「佐藤晴雄」
 先生の『放課後子ども教室から子どもを育てる ~地域と共にある学校づくり~』と題された、約90分
 程の講演でした。
 【挨拶する飯島会長】
  佐藤氏によるレジメが用意されてあり、それに沿っての講演でした。内容は
 1・なぜ放課後子供教室なのか―その意義―
 2・地域連携と子どもの学び
 3・連携とは何か
 4・学校・地域連携(学校支援活動)と子どもの学び
 5・学校経営を開く意味
 6・学校の危機管理
 7・おわりに  というものです。
【会場いっぱいの参加者】
  講演が始まり講師の話がよく聞こえませんでした。前列の方数人が相槌を打ち、笑いこけているので聞こえないのは私だけかと
 思いました。とうとう老化が耳まで来たかと真剣に心配しました。となりのО氏に聞いてみたら、『大学教授との事ですが、この
 講義は学生泣かせですね』との返答、、少し安心しました。終わって仲間の何人かにお聞きしましたが同様のご返事てした。とにかく
 話された内容の2~3割しか聞き取れない状況でしたので、理解しようにもどうにもならないというところでした。
  5・の「学校経営を開く意味」では「ジョハリの窓」を使って説明していました。レジメに「地域連携で学校の隠された領域を大きくする」
 とあり、レジメを読む限りどうしても理解できませんでした。おそらく説明されたのでしよう。ただその説明が聞こえないのではどうにも
 成りません。偉く残念でした。また「表現・認識・対象」を図示しての「認識の位置」、同じく「具象・表象・概念」を図で示しての「認識の
 段階」に多くの時間を割いていました。これもまた聞こえないので理解のしようがありませんでした。。
  また「わかるけれどわからない」というフレーズを使って何かを説明していました。何を説明したか「わからない」ですが、黒板に
 このフレーズを書きましたので使ったことは「わかり」ます。私は「地域子供教室」の頃、文科省のH・Pでこれを見て、久喜市への
 導入をお願いしました。以来12年間これに関わっています。「くきっ子ゆうゆう」が開校、「運営委員会」が確立して以来、毎年
 何回かあるこの研修会にはまず全部出ていると思います。だから今日の研修会の前半で1・2で聞かされた放課後子ども教室の
 意義はよく「わかり」ます。しかし現実に市内の「ゆうゆう」がこの意義を100%具現化する「時間と内容」で実際行われているかは
 わかりません。久喜市放課後子供教室の現状は「わかるけれどわからない」と言うのが実感です。


               ● 久喜市立北小学校開校20周年の集い  6/27(金)

  久喜市立北小学校(鎌田充子校長)の開校20周年に係る集会が、27日同校体育館で開催され
 「読み語りボランティア」としてご案内をいただき参加しました。
  同校は平成7年6月「本町小」から分離する形で、現在地で開校しました。私は10数年前から
 同校で読み語りボランティアをさせていただいています。またスポーツ少年団サッカーでは私の団
 と兄弟組織の「本町クラブ」のホームグランドでもありますので、よく使わせて頂いています。
  歴代の校長先生、岸本・久保田・山本といった方々にも、親しくご指導をいただいてきました。
 新住宅地の学校であるにもかかわらず、地域との結びつきが強く、「地域ボランティア」の方々が
 いつも学校に出入りしていて好感の持てる校風を形作っています。卒業式や運動会にいつも
 【講演される斎藤先生】  ご案内をいただき続けています。

  可能な限り参加していますが、ただ多く日程が重なってしまいます。そんなお詫びを兼ねて今日は
 出席しました。
  北小初代校長「斎藤庸夫」先生が講演されました。対象が在校児童ですので、開校当時の北小の
 様子、特に図書室や音楽室が大変立派であったこと、子どもたちに可能性を信じて努力する事の
 大切さ等を「逆上がり」を例にわかりやすく話しておられました。
  その後子どもたちによる「北小クイズ」、『今までで北小の校長先生は何人』の「6人」はわかりましたが
 『卒業生は1、000人を超えているか』は解りませんでした。1、000人に少し足りない900人代後半
 【児童による北小クイズ】  だそうです。 

  その後校庭で北小のマークを参加者が形作っての航空写真が撮られました。お誘いをいただきましたが所用があり
 こちらの方は失礼しました。゛
  「北小」が今の校風を維持し、良き学校としてあり続けられることを期待します。「読み語りボランティア」続けられる限り
 がんばっていきます。


             ● くきっ子ゆうゆうプラザ・平成26年度開校式  6/12(木)

  久喜小の放課後子ども教室・「くきっ子ゆうゆうプラザ」の平成26年度開校式が、12日久喜小
 体育館で行われました。久喜小は未だ「地域子ども教室」と言われていた平成17年、モデル校とし
 市内で最初に開校されました。今年が10周年という節目の年に当たります。現在市内全小学校
 23校中、19校開校にまで拡大、今20・21番目の開校を目指し「菖蒲東小、砂原小」で全面的な
 準備活動が展開されています。もちろん久喜市・教育委員会・久喜市放課後子供教室運営委員会
 等々の全面的支援と活動があったればこそですが、少しはモデル校としての役割を果たしたかと
 この事業の導入にあたったものとして微かな満足感があります。その節目の年に当たる今年は
 173名の参加者を得て行われます。
 【柿原くきっ子実施委員長の挨拶】

  初めに6年生の女子、5年生の男子から開校に合っての抱負が述べられ、開校式のは始り
 「飯島放課後子ども教室運営委員会会長」、「柿原くきっ子実施委員会委員長」そして久喜小
 教頭先生より挨拶をいただき、子どもたちにサポーターを紹介、スピーディに開校式を終えました。
  

  
  今年は木曜日19日、土曜日10日、計29日開校されます。もたれる各講座は木曜日が、「学習」
 「そろばん」、「編み物」、「フラダンス」、「ドッヂボール」、「室内遊び」、「グラウンドゴルフ」、「囲碁」
 「スポーツ吹き矢」の9講座、土曜日行わるものが、「トランポリン」、「押し花」、「ミニテニス」
 【参加した児童諸君】 「おもしろ理科実験」、「フラワーアレンジメント」、「料理」、「お茶」、「クリスマスリース」の8講座です。
 
  全て地域のサポーターの皆様の協力で行われます。どうぞよろしくお願いします。私は「久喜市スポーツ少年団本部」を
 代表しての「運営委員」ですが、同時に「くきっ子ゆうゆうプラザ」の実施委員、木曜日の定期物は「ドッヂボール」、土曜日の
 の不定期物では「クリスマスリース」を担当します。日常的忙しさの中、何日出られるかと不安に思うこともありますが
 最大限頑張るつもりです。


  ●平成26年度久喜市放課後子ども教室運営委員会委嘱式・第1回運営委員会4/23(木) 菖蒲コミセン

 
 23日菖蒲コミュニティセンターボランティアビューローにおいて、平成26年度・久喜市放課後子ども教室運営委員会委嘱式、
 終了後・第1回運営委員会が開催されました。

  
久喜市放課後子ども教室(通称・ゆうゆうプラザ)についてはこのページ、他で何度も記してきました。平成17年未だ「地域子ども
 教室」と言った頃まず久喜小で開校されました。今年で10年に当たります。この間「久喜市放課後子ども教室運営委員会」そして
 教育委員会等の熱心な活動、協力を、何よりも久喜市の高い地域教育力に支えられ確実に組織・活動を拡大してきました。
  旧久喜市内全校開校から現在では市内全23校中19校で開校されるにいたっています。私自身たまたま開いた文科省H・Pの
 「地域子供教室」に刺激を受け、久喜市での開校を議会で訴えたのは平成16年6月議会でした。当局の前向きな答弁を得て
 「地域子ども教室開校準備会」を組織、その責任者として運営委員会を発足させました。その後「スポーツ少年団本部」からの
 運営委員、居住区久喜小(くきっ子ゆうゆうプラザ)の実施委員としてこの9年活動に当たってきました。誰よりも「放課後子ども
 教室」に深い思い入れをもつものです。

  まず吉田教育長より運営委員への委嘱書の交付がありました。委員は1号委員が学識経験者(校長会・学童協当)4名、2号委員
 が地域活動の指導者(スポ少・子ども会・主任児童委員等)4名、3号委員が生涯学習推進関係者(若干名・現在4名)、4号委員が
 学校教育関係(P連)1名、5号委員が各実施校代表者(現在は19名)、6号委員が会長が指名した者、となっています。
  今回の任期は26・7年度の2年間、計33名が委嘱を受けました。ご努力をお願いし、誓うものです。

  26年度第1回の運営委員会に移りました。まず新役員を選出、会長に飯島氏、副会長に柿沼氏(共に再)、同じく副会長に
 金子氏(新)を、また7名の地区幹事を選出しました。続いて事業計画、予算案と執行の手順について事務局より説明を受け
 本年度の「ゆうゆうプラザ」開校までの準備、及び保険関係を確認し、委員会を終えました。

  すでに各実施校において26年度開校への準備が進んでいます。私はこの間ご承知の事情でお休みしていましたが、また
 復帰します。所で今年度の課題です。まず全校開校を目指すという問題があります。未開校の学校はそれぞれ事情があり
 本年度の全校開校は無理かと思われますが、2校程度の開校を目指していくことになります。
  ただこうした拡大路線と裏で実施済み校の間に問題点が山積しているといえます。1つは実施委員、サポーターの高齢化
 です。1つはこの間熱心に活動していただいた活動家の疲れと慣れから来る活動量の減少です。1つはここでも少子化、
 参加児童数の減少と言う問題等々です。こうしたことは組織と活動が始まって5年もすれば必ず起きることです。絶えず周囲の
 人たち、特に保護者に語りかけ、参加を促し、実施委員・サポーターに1人でも新人を獲得していく努力をすること、具体的には
 これ位しかありません。
  「くきっ子」は今年10年を迎えます。何らかの形で記念事業を行いたいと考えます。実施委員会で提案、中身を今後話し
 合っていきます。
  いずれにせよ間もなく26年度の事業がスタートします。子どもたちのはじける笑顔に会える事になります。



                  ● 平成26年度・久喜小学校入学式   4/9(水) 

  昨日の中学校のそれに続いて市内小学校の入学式が9日開催され、私は居住地区であり、母校
 でもある久喜小学校に出席しました。
  久喜小学校の今年の入学生は82名、卒業生は79名・2クラスでしたが、28-27-27の3学級を
 編成することが出来ました。
  久喜小では柿沼校長先生が定年退職、青山主幹教諭が異動され、以前教育委員会におられ
 顔なじみの田村校長先生以下新体制での新学年です。
  その田村校長先生は校長式辞の中で
 1・挨拶をきちんとする。
 【新入生呼名】       2・話を良く聞く
 3・運動をする、の3つを守ることを子どもたちと約束、最後に親からの授かりもの、4・生命を大切に
 と話されました。また『家庭でタネをまき、学校で花を咲かせ、地域で実を結ぶ。』から家庭・学校・地域
 3者連携しての子どもの育成を訴えていました。

  吉田教育長による「教育委員会の言葉」、市長の祝辞(市民部長代理)に次いで私が市議会を代表し
 祝辞を述べました。何となく考えていたこと全てを校長・教育長に先にしゃべられてしまい、少しあわて
 ましたが、お二人の話からヒントを得て、1・学校での事を親に良くお話しをする。 2・安全のため(通学) 
 上級生の言うことを良く守る。 3・友達と仲良くする(心を合わせる・力を合わせる。)の3つをお願いしました。
 【2年生による1年生を迎える言葉】
  そして保護者の皆様には『久喜小は安心して子どもを託せる高い学校力・教育力を持っている。』事を
 お話しし、加えて『単にお任せするだけでなく、PTA ・親父の会・放課後子供教室(くきっ子ゆうゆうプラザ)
 等、子どもを育てる活動に積極的に参加、子どもと共に歩んでいただきたい。』で結びました。

  その後は2年生児童による英語の歌を歌っての「1年生を迎える言葉」、1年間で子どもたちはこんなに
 成長するのです。そして6年生による「久喜小校歌紹介」で式を終えました。
  とにかく82名の皆さんの入学を心より祝います。もしこのことが実現出来たら議会人としても、地域の
 1員としても、何よりもOB=卒業生としてずっーと応援していきます。  
 【6年生による校歌斉唱】


                 ● 平成26年度・久喜中学校入学式  4/8(火)

  平成26年度市内中学校の入学式が、満開を過ぎた桜の花びらが美しく風に舞う8日開催され
 久喜中学校のそれに出席しました。
  今年の久喜中学校への入学生は先の卒業生と全く同じ202名、これは大変微妙な数字で
 200名を割ると5クラス編成となり、結果として教員が2名減らされるとの事です。僅か2名ですが
 大台を確保し、学校全体がホッとしたとの事、深刻な話ですね。
  202名全員の呼名-起立-入学許可の後、関校長先生の式辞に移りました。
;  関校長先生は『呼名をうけ起立する君たちに「期待」と「不安」を感じた。』から始め、『これからの3年間は
 子どもから大人に成長する大切な時期、今日の新鮮な気持ちをずっと持ち続けてほしい。』と話されました。
 【呼名を受け起立する新入生】 

  そして有意義で充実した中学校生活を送るために
 ① 1つの事に打ち込む
 ② それぞれが自分を高める力を持っている事を認識する
 ③ 他人と心を合わせる。力を合わせる。 が大切とされ、最後に
 ④ 健康な身体を、と結ばれていました。

  そのあと新入生誓いの言葉、記念品授与、職員紹介、保護者代表挨拶をもって式を終えました。
 【新入生代表の誓いの言葉】

  子どもたちは少し大きめのポプラ色の制服に身を包み、緊張気味に話しを聞いていました。そんな
 子どもたちを見ながら自分のこの学校への入学当時を思い出していました。もう半世紀以上前になります。
  丁度1年生の6/15に当時の太田中と合併しました。だから入学からその日まで久喜小学校のクラスの
 ままでした。合併して7クラス、1クラス55~6名編成でした。とにかく机が教室中を埋め尽くし、後ろは
 通路にならないくらいでした。それでもみんな良く学び、遊び、協力し合って楽しい久喜中の生活でした。
  皆が良く口にする「少人数学級」に何となくひ弱な印象を持つのはそんな所為かと思っています。
 とにかく新入生諸君はこの恵まれた環境の下、「自分づくり」に励み久喜中の新しい伝統を築いていって下さい。
 【職員紹介】  地域の人間として、先輩として応援し続けて行きます。


               ● 平成25年度・久喜小学校卒業証書授与式  3/24(月)

  観測史上最大と言う大雪が降ったりと、とにかく寒さの厳しい今冬でしたがさすがに春彼岸を迎え、
 春本番を思わせる気候となってきました。桜のつぼみも一段とほころぶ中、久喜小学校の平成25年度
 卒業証書授与式が24日挙行され出席しました。 
  少子化の波をもろに受けて今年の卒業生は79名、一昔前久喜小の児童数が一学年100名を割って
 しまうと大騒ぎしたのも懐かしい思い出となっています。ちなみに新年度の入学生は82名との事です。
  卒業生が入場、式が始まりました。卒業生一人ひとりの将来への夢だとか、楽しかった思い出等が
 紹介される中、卒業証書授与が進みました。思い出では圧倒的に卒業旅行のそれが多く、将来の夢
 ではやはりプロ野球・サッカー選手になりたいという少年団団員と、ゲームクリエィター、バティシェ-ル、
 (開式を待つ緊張気味の卒業生) ペットトリマーはこの所毎年多く見られています。
 

  柿沼校長先生の式辞に移りました。柿沼校長先生は今年で勇退が予定されています。3年間校長
 として優れた学校経営を指導されました。学校に出入りする地域活動家へ細かい配慮をなされ、少年団
 や「くきっ子ゆうゆう」の活動中に良くお声掛けをいただきました。特にこの1年は埼玉県の小学校
 校長会会長、全国の副会長の要職につかれ、教育行政振興のトップにたっておられました。
  本年度より向こう4年間、文部科学省より「研究開発校」の指定を受け。「夢創造科」を新設、研究活動の
 基礎をかたちづくられました。「式辞」はそうした全てに踏まえ、子どもたちへの思いが込められた聞きごたえ
 のあるものでした。
 (壇上で卒業証書授与)
  田中市長の来賓祝辞に続いて議会を代表し祝辞を述べさせていただきました。私は最後に卒業証書を
 受け取ったW君の番号が「第15、803号」だったことから、久喜小は郷学「遷善館」の教えを継ぎ、明治
 6年に開校された140年を越す歴史を持つこと、単に歴史がある、伝統があるでなく正に「継承の中の
 創造」古きを受け継ぎ、新しきを導入する学校経営が常になされている事をあげ、その例として久喜小が
 文科省の研究開発校の指定を受け、「夢創造科」を新設、研究活動を実践している事を述べました。
  私はこの「夢創造科」の研究発表会に参加、学習させていただきました。(本ページ1/29日付参照)
 その時の全体会のパネルディスカッションでの久喜小6年生担任の言葉、『「夢創造科」は大変だが夢を
 切り拓く楽しい挑戦、新しい価値を創造し、応用していく態度を確立していきたい。』 から『そうした学習活動を
 (柿沼校長先生の式辞)  


 体験した君たちは自信を持って新しい世界を歩んで行ってほしい、大変だが夢を切り開く楽しい挑戦に
 挑み続けていただきたい。』と結びました。  

  そのあとは全員参加の「別れの詞」から、「式歌」と「校歌」斉唱で式を終えました。久喜小の校歌は大正
 2年制定というこれまた歴史のある歌です。巌谷小波作詞、田村虎蔵作曲というもの、一面の草はらで
 月の出入りが見える武蔵野に栄える久喜の町とか、遷善館の教えをつたえるとか、いかにも大正2年の
 作詞作曲といえるものです。もちろん卒業生の私は空で歌えます。同様の田中市長共ども子どもたちと大合唱して
 (全員で別れの言葉)  久喜小にお別れしました。


            ● 平成25年度・第67回久喜中学校卒業証書授与式  3/14(金)

  24日は市内各中学校で一斉に平成25年度卒業証書授与式が行われました。私はいつもの
 ように居住区にあり、私の母校でもある久喜中学校のそれに出席しました。
  久喜中学校のそれは数えて第67回となります。これがいわゆる戦後新制中学校がスタートしてからの
 年数と言えるのでしょう。  
  今年の卒業生は202名、ちなみに新年度の入学者も同数との事です。久喜市内小中の卒・入学式
 にはいつも大勢の地域の来賓が出席します。「地域とともにある学校」の表れなのです。そうした方々と
 共に席につき、卒業生が入場、式が始まりました。
 まず卒業生一人ひとりが呼名を受け壇上へと進み、卒業証書を受け取ります。少しばかり緊張しつつも
 【卒業生の入場】 これからに向い「サァやるぞ」との意気込みが感じられ大変さわやかなものでした。
  

  ただ私としてはいつも大勢いる顔見知りの少年団の子どもたちの成長した姿を見るのが楽しみの一つ
 なのですが、このところずいぶんと少なくなったなと言う実感があります。少しさびしいです。  
  卒業証書授与の後、「校長式辞」、「教育委員会の言葉」、「来賓祝辞」と進んでまず田中市長(代理・
 総務部長)、ついで議会を代表し、今年もまた私が祝辞を申し述べる機会をいただきました。かっては
 何年かに一度であり、何をしゃべるかずいぶんと考えたものでした。このところ毎年のようになり、少し
 雑になったかな、という反省があります。私は昨秋出席した久喜中のポプラ祭での卒業生諸君の歌声が
 全クラス全て素晴らしかったこと、それは久喜中3年間での「確かな学び」と「豊かな学び」の成果なのだ
 【卒業証書授与】 とまず述べました。

  ついでこの「ポプラ祭」から生まれたという久喜中卒業式の式歌・「名づけられた葉」の内容にふれ
 ポプラの葉は何千何万枚あろうとも一様に「ポプラの葉」としてしか呼ばれないが、君たちは君たちだけの
 名で朝に夕に呼ばれる、だから一人ひとりが、久喜中の教育目標=「志しに生きる」、やる気をもち、
 おもいやりを持ち、たくましく歩んでいってほしい、せいいっぱい緑を輝かせ、どんなに風が強くとも、
 で結びました。
  そのあと「卒業生別れの詞」へと進みました。昔は「答辞」と読んでいました。私の頃は卒業生で
 一番成績優秀な者がやっていました。その後生徒会会長が、という時期が長く続きましたが今は
 【卒業生全員による別れの言葉】 全員でやります。みんなの思いが一つになっていつも清々しい思いに包まれます。
  そのあとは「Uチューブ」で何十回も聞いている式歌、前記した「名づけられた葉」と「久喜中学校校歌」を卒業生諸君と共に
 歌い、さわやかな気分で久喜中を後にしました。


             ● 平成25年度・くきっ子ゆうゆう閉校式  2/20(木)

 
 放課後子供教室「ゆうゆうプラザ」も年度末を迎えました。「くきっ子ゆうゆうプラザ」25年度閉校式が
 20日、久喜小体育館で行われました。開会にさきがけアトラクションとして「よさこい教室」のメンバーが  
 久喜音頭に乗って見事な「よさこいソーラン」を舞ってくれました。可愛いものでした。

  
  青木くきっ子実施委員長、「久喜市放課後子供教室運営委員会」を代表して高橋副委員長、そして
 柿沼久喜小校長先生が挨拶をされました。久喜小の子どもたちの1年間の頑張りを称え、それを支えた  
 サポーターの皆様に感謝し、開校10周年となる来年度へのさらなる充実を期す内容でした。


 【アトラクション・よさこい】 
1年間の活動を振り返るスライドが上映されました。木曜日定期講座としてのドッヂボール、編み物
   そろばん、昔の遊び、スポーツ吹き矢、土曜日不定期の料理・リースづくり、面白理科実験、ミニテニス
 茶道等々、スクリーンに映し出されたスライドを見ながらその講座参加者が活動内容を紹介し、感想を
 述べるという形式、低学年のたどたどしい説明がまた聞かせるものでした。子どもたちは自分の姿が
 映し出されると大騒ぎしていました。


  
参加者代表による各講座サポーター代表への「感謝の手紙」贈呈の後、卒業間近な6年生3人が   
 全体的感想を述べました。皆顔見知りの子ですが、全員が6年間「ゆうゆう」に参加していたとの事
 うれしい限りです。その3人に実施委員会から「卒業メダル」を贈りました。どうか素晴らしい中学生
 【柿沼校長先生挨拶】   生活を送ってください。

 
 最後に今年の「くきっ子ゆうゆうプラザ」運営の中核を担った柿原実施委員が、サポーターの
 皆様、久喜小教職員にお礼を含む「活動のまとめ」を述べ、閉校式を終えました。


 
 久喜小の放課後子供教室は、未だ「地域子供教室」と呼ばれていた頃平成17年に開校しました。
 モデル校として市内最初のスタートであったことは何度か述べてきました。

  
圧倒的に多くのサポーターの参加をいただき、現在の久喜市内の「ゆうゆうプラザ」の原点を
 形作ってきたという自負があります。教育委員会と運営委員会の懸命な努力を得て、市内23小学校中
 【活動をスライドで紹介】  19校開校まで進展したことをうれしくおもうものです。

  
来年「くきっ子ゆうゆう」は開校10周年を迎えます。実施委員の皆様にはそれでなくともご負担を
 おかけしていますので、ごくごく簡単な記念事業を持ちたいと考えています。
  とりあえず記録を残す意味で10周年記念誌を発行します。この10年に関わったサポーター
 何よりも子どもたちに原稿を頂ければいいな、と考えています。
  後は記念講演会に懇親会、どうも普段は忙しさにかまけて参加率が低いのに、こんな時だけ
 
しゃしゃり出るのは不謹慎のそしりをまぬかれませんが、その分私がこの仕事の多くをお引き受け
 する覚悟です。
【6年生に卒業メダルを贈呈】

        ● 平成25年度・久喜市高齢者大学卒業式-終了式 2/10(月) 文化会館大ホール 

  久喜市高齢者大学(学長・田中久喜市長)の平成25年度卒業式・終業式が、10日久喜総合文化会館
 大ホールで開催されました。久喜市高齢者大学は旧久喜市時代・昭和54年=1979年に開学されて
 います。今年の卒業生は31期生、単に歴史と伝統があると言うだけでなく、4年制から来る豊富な
 カリキュラム、各種クラブ活動、そしてボランティアとしての各種イベントへの参加等々、正に県内と言う
 より国内有数の高齢者大学と言えます。

  今年の卒業生は120名、ちなみにそれぞれ進級する終了者数は1年生93名、2年生89名、3年生
 113名の合計295名でした。
 【雪の残る卒業式会場の久喜総合文化会館】 

  まず卒業証書授与、卒業生を代表し受納したのは私の古きサッカー仲間でした。いわゆるクラス委員の
 立場で活躍、いろいろなイベントでお目にかかってはいましたが、卒業おめでとうございます。
  びっくりしたのは皆勤賞・精勤賞の授与、皆勤賞・精勤賞共に14人もいました。4年間なのですから
 大したものです。久喜中の同級生が複数いました。お互いいつまでも元気でいましょう。在校生の送辞
 卒業生の答辞、卒業生寄贈品目録贈呈と進んで卒業式はお開きとなりました。
  卒業生は在校生が手をつないでつくるトンネルをくぐり、「蛍の光」に送られながら退場して行きました。
 どうか4年間学んだ成果を活かし、地域のリーダーとして、生涯学習活動の実践者として元気な生活をお暮らしください。
 【在校生のウデのトンネルをくぐっての退場】   ご卒業おめでとうございました。
 

     ● 平成25年度・第4回久喜市生涯学習推進大会(まなびすと久喜) 2/1(土) 鷲宮西コミセン

  平成25年度・第4回久喜市生涯学習推進大会(まなびすと久喜)は、2月1日(土)・2日(日)の2日間
 鷲宮西コミセンをメイン会場に開催されました。この大会は旧久喜市時代、昭和63年度にスタートして
 います。内容を講演型から参加型・体験型に変更以来、新市誕生、回数を第1回と改称してからも
 20年を越え「中央公民館」を会場としてきました。内容も改良・改善の積み重ねで行きつくところまで
 到達しており、当然マンネリの傾向が強くなっていました。実行部隊の「推進部」での協議の結果、思い
 切って会場を変更することとしました。「合併」も考慮し、久喜市中央公民館を隔年会場とし、鷲宮-
 栗橋-菖蒲と回ることとしました。今年はまず鷲宮西コミセンをメインに、お隣の鷲宮体育館も加えて
 の開催、来客に若干の不安を抱えてのものでした。
 【実行委・ボランティアも加わっての朝の準備会】

  大会テーマは「羽ばたこう!力を合わせて」、サブテーマは「もっと知ろう わが街を」です。推進部員と
 市民大学等準備段階からのボランティアで構成される実行委員・プラス高大生・理科大生・市内中高生の
 当日ボランティアでの運営、各種イベントは2日目の日曜日、1日目土曜日は「まちづくりフォーラム」として
 講演主体と言う形式は変わりありません。
  所で私はここ10年近く、スポ少の公的行事と重なり充分にこの大会に関われなくなりました。特に今年の
 2日目は、日体協スポーツ科学専門委・佐藤岐阜聖徳大准教授を迎えてのACP実技講習、後私の講師と 
 続き全く会場に出向けませんでした(スポレクのページ2/2付参照)。故に報告は1日目のみです。
 【川内優輝選手お母さん・美加さんの講演】

  今回「まちづくりフォーラム」は鷲宮会場にふさわしく、かの市民ランナー「川内優輝」選手で行われました。
 1部講演がお母さん「川内美加」さんの「最強の市民ランナー川内優輝を育てる」~決してあきらめない~
 と題する講演、2部がお母さんも加わって川内選手を良く知る人の座談会でした。またこの合間に地元
 フオークソンググループ「青い風」と川内選手の母校「砂原小学校」児童による「応援歌」の演奏・合唱が
 ありました。これは大変さわやかで素晴らしいものでした。
  川内選手のお母さんは川内選手の小学生時代は親が導くの信念の下、オニのコーチだった小学生の頃
 陸上部とともに生徒会役員で活躍した中学時代、駅伝で選んだ進学先でケガで悩まされ続けた高校時代
 【「青い風」と砂原小児童による応援歌】 選抜で箱根駅伝を走った大学時代から、ご存知県庁職員としての現在までを興味深い
 エピソードを交えて紹介されました。

  そうした各年代での様々な経験が1人で計画し、1人で実践し、結果を生んでいくという今につながっている
 というのが結論のようでした。
  座談会は川内選手の母校・鷲宮中時代の校長、現在の職場の副校長、美加さんと同じくスポーツ好きの
 子供を育てている地元小学校のPTA役員に美加さんが加わってのもの、川内選手の中学校時から職場での
 仕事ぶり等が加わって面白く聞けました。川内選手は今まで300回レースを走って途中棄権は1回しかない
 そうです。この強さは走るのが好きなこと、トレーニングを自らが楽しんでいる事、小さな目標を設け1つずつ
 実践している事、等をあげていました。正に川内選手賞賛のオンパレードと言うところでしたが、少なくとも私の知る川内選手はそれに
 【お母さんも加わって川内選手を語る座談会】 値すると考えます。
  PTAのお母さんが「楽しむことか、勝つことか」と質問しました。これは永遠の課題です。上司の勤務先副校長が『マラソンを続けて
 人間形成を重ね、立派な社会人になってほしい』といっていました。プロセスで努力し、それに結果が伴うのがベストなのですが
 少年団でもこれは一番難しい問題です。
  とにかく西コミセンを一杯にする人を集め、まずまず成功した企画と言えます。


         ● 久喜小文部科学省研究開発学校指定「研究発表会」 1/29(水) 久喜小

              
 
 久喜小学校が「文部科学省」から研究開発学校の指定を受けている事(平成25年~28年度)は何回か
 報告してきました。研究主題は『科学の心で夢を創る児童の育成』、~新設教科「夢創造科」の開発を通して~
 です。これと併せて久喜市教育委員会からと、埼玉県理科教育研究会からの委嘱を受けており、兼ねての
 研究発表会が、29日久喜小で行われ参加しました。
  学校で教える教科は法が定める「学習指導要領」の基準にのっとって行われます。しかし10年、20年先を
 見通して、その基準の改善に関する研究を行うことも大切なことです。久喜小では科学技術を中心とする
 「夢創造科」を新設、各学年において年間50時間ほどの授業時間を設け、科学技術立国日本の未来を担う
 「科学の心で夢を創る」児童の育成を目指しています。
 【4年1組の研究発表

   まず1年2組、4年1組、6年1組の公開授業の見学からスタートしました。 
 1年2組 ここでは「音って楽しいね」なる授業。木や缶、プラスチック等の物を使い、接触させたり、こすったり 
 して違う音を出し、出し方を考え、改善する視点を学び、制作過程で自分の楽器の改善をおこなうというもの、
 4年1組、「災害から身を守ろう・ピンチをチャンスに」なる授業。災害時の避難所において、救援物資の入って  
 いた段ボールを使い、避難グッズを制作するものです。安全で丈夫で被災者の使いやすい物を作るために
 必要な科学技術に関する知識を探究活動を通して身につけるものです。
 6年1組  「木と仲よくしよう」なる授業、子どもたちが与えられた廃材から自由に発想、設計に当たり様々な
 木工製品を創っていました。用具の使い方を正しく身につけ、人と木材製品との関わり、さらには地球環境との
 【6年1組の研究発表】つながりについて考えるものです。それを地域の方々がその発想も含め採点していました。
  当然ながら低学年・中学年・高学年では教育目標が異なります。よりよい科学技術について各々「考えられる
 ようにする」、「客観的に考えられるようにする」、「多角的に考えられるようにする」と記載してありましたが
 これはよくわかりませんでした。

 
 Ⅱ部は体育館での全体会、各教室に散っていた参加者は県内外を含め、全体で150名というところでした。
 柿沼久喜小校長、吉田教育長、この研究を指定している県理科教育研究会会長で久喜中校長の関先生、
 県教育局のあいさつの後、今日公開授業を6年1組でなされた、久喜小研究主任「川島尚之」先生から
 「研究開発学校と夢創造科の概要」について説明がありました。川島先生は綱引指導その他で私とは大変

 【全体会でのパネルディスカッション】 親しい関係にあります。 
何事にも熱心に取り組まれる方ですが、今回も大役を引き受けた
 ことになります。頑張ってください。身に付けるものとして技術力・設計力・評価力をあげていました。『こうした研究は国立大付属小
 などで行われて来た、久喜小のような普通校でやることに意味がある。』と言われたのが印象的でした。 

   
  
最後は4人のパネラーによるバネルディスカッション、パネリストは埼玉大学の浅田先生と小倉先生、日本理科教育センター代表の
 小森氏、このお3方はこの研究の指導・助言に当たっています。なお小森氏は久喜小卒業生です。もうお1人は前出の川島先生、
 コーディネーターは久喜市教育委員会指導主事の飯野先生、この4月までは久喜小で教鞭をとっておられました。
  内容はかなり専門的であり、また多岐にわたっていました。何度かの発言を自分なりに勝手に記憶のまま報告します。
 浅田先生 科学技術の教育を自由にやっていく。研究と実践との接続が大切。科学教育で人間力を育てる
 小倉先生 「PISA」と「キーコンピテンシー」にふれ、問題を解決していく資質や能力を高める、科学の特徴的な諸側面を人間の
           知識と探究の一形態として理解すること
 小森氏   日本中の子供たちを理科好きにしたい、あきらめない、失敗を恐れず課題の解決に向け学習していく。
 川島先生  大変だが夢を開く楽しい挑戦だ。新しい価値を創造し、応用していく能力、自立・持続する力の獲得をとおして
         主体的に取り組む態度を確立していきたい。  

  『大変だが夢を開く楽しい試み』、と言う川島先生の発言に拍手を送ります。
 この活動は始まったばかりです。26・27・28年度の研究計画も出来ています。実践は大変だと思います。成果を確認しつつ、
 課題を見つけ、改善していくの繰り返しかとも思われます。
  久喜小は私にとり『オラが学校』の域を越え、『絶えずそこにいる所』です。地域にあって可能な限りの応援を惜しみません。
 『大変だが夢を開く楽しい試み』の成功を祈念します。
 


              ● 社会教育3団体合同研修会  12/7(土)  久喜市中央公民館

  
7日午後「久喜市中央公民館」で開催された「教育関係3団体合同研修会」に参加しました。ここで言う3団体とは「久喜市社会
 教育委員会」、「久喜市生涯学習推進会議」、「久喜市生涯学習推進部」です。またこの研修会は「久喜市民大学」の講座として
 位置付けられ、また「市民大学校友会」も会員への研修会参加を呼びかけたため、総勢150人という多数で行われました。
  講師は久喜市にはおなじみの国立教育政策研究所・社会教育実践研究センターの「木村清一」氏、「地域の活性化とボランティア
 活動」なるタイトルでのものでした。

  講演は「レヂメ」にそって、◎地域活性化の主役は市民、◎市民が「まち」をつくるに始まり、続いて◎広がっていくボランティア
 活動の現状にふれ、そうした ◎ボランティア活動が増えている背景、◎生涯学習とボランティア活動の関連と続き、最後に ◎ボラン
 ティア活動をさらに推進するために、で結ばれました。
  また講演の合間合間にワークショップ方式の参加者間グループ協議を取り入れていました。その1は「どのようなまちに住みたいか」
 その2は「どのような方法で地域活性化に貢献していくか」というもの、会場は8人前後のグループ別となっており、10分前後の
 グループ別話しあい、いくつかのグループの発表、それを講演内容に組み込んでいく、という方法でした。「どんな町に住みたいか」
 で発表された内容、「高齢者にやさしいまち、交通の便利なまち、安全安心なまち、学べるまち」でした。私はどんな町に住みたいか
 なんて考えたことがありません。ずうっと住んできて、様々な活動をして、その中で関わった多くの仲間がいる久喜まち以外に住め
 ないからです。

  ◎「生涯学習とボランティア活動の関連」の中で学ぶ→学んだ成果を活かす、深める実践としてのボランティア活動→その上に
 経ちまた学ぶ→ボランティア活動、という「まなび」の循環を言っていました。
  また◎「ボランティア活動をさらに推進するために」の中で、行政の役割とし、ボランティア活動を推進する基盤の整備、
 「ボランティア・コーディネーター」の養成を強調していました。

  拝聴して全てごもっともな内容であり異論は全くありません。ただいくつかの点で気になるものがありました。レヂメ内に記載されて
 いる資料・参考文章がずいぶんと時がたっていることです。2・の市民が「まち」をつくるの例として大分の一村一品運動をあげて
 いました。30数年も前のものです。
  8・「ボランティアが増えている背景」の(2)に-学習指導要領の改訂により、「総合的な学習の時間」や道徳、特別活動の中で
 ボランティア活動をより一層充実させることになった。-という記述があります。ご承知のように戦後8度目の改訂となる現行
 学習指導要領は平成23年度から実施されています。簡単に言えば平成14年から22年までの前学習指導要領の否定or 反省
 の上に成っています。その前学習指導要領は「生きる力を育む」とし、総合的学習を導入、特活等に熱心に取り組みました。
 だからこの文章は平成10年代中ごろのものと思われます。市民大学生等に無用の誤解を与えるおそれがあります。

  最後に1つ、1・の地域活性化の主役は「市民」の例として大和市の「市民活動推進条例」をあげていました。-「通勤・通学
 など幅広く市民を規定している。こういう例は(条例も規定内容も)珍しい」-と言われました。
  ご承知のように久喜市も「市民活動推進条例」を持っています。旧久喜市時代「自治基本条例」・「市民参加条例」と共に制定しま
 した。「自治基本条例」のみ合併に当たり再制定しました。その時問題となったのが「市民」の規定です。久喜市では通勤・通学する
 人にとどまらず、市内で「活動する人」も加えました。市内で生涯学習活動に当たる人は広い意味で市民なのです。

  どうもママ余計な部分を書いたかなと言う気もありますが正直な感想です。お許しください。
 

             ● 「 綱引大会」へ 今年もがんばっています!  11/25(月)

  
今年も平成25年度・「久喜市綱引大会」が12/1(日)総合体育館で開催されます。今年も約100
 チーム、1、000人の参加選手諸君が、一本の綱に思い込め熱戦を展開することでしょう。 

  
すでに大会への申し込みも終わり出場選手諸君は最後への練習に汗を流しています。
  
私が昭和58・1983年に埼玉県内初の「綱引審判員取得講習会」に参加して以来、30年を越えて
 「綱引」というこの不思議な種目に関わってきたことは何度も報告しています。今年も大会を前に
 
練習に頑張る久喜小の子どもたちと楽しい時間を一緒に過ごしています。


 
 久喜小の綱引大会への練習は11月に入り連休明けから始まりました。私は5日間の定期監査、
  延べ3回6日の研修と続き、お伺い出来ないでいましたが此処へ来て連日指導に出向いています。
       ①  
 
       
  
大会は男女別に低学年・中学年・高学年と6部門に分かれます。それぞれクラスで8~10人で
 チームをつくり、業間・昼休みに練習します。
  「綱引」はエースのいない競技です。誰のおかげで勝った、誰のせいで負けた、のない競技です。
 8人が一般の綱に思いを込め、心を一つにし、協力し合ってこそ成り立つものです。そのためにも
 1人1人が身体全体の力で綱を引くという正しいフォームを身につけることです。綱を身体の正面に
 持ってくること、綱に絶えず正対することです。然しこれがなかなか難しいのです 苦しくなる、
 相手に引かれだすとどうしても崩れてしまうのです。
 
 写真①は1年生、は3年生と思われます。何人か身体がヨコを向いている子、お尻が出ている
 子がいます。本番まで一週間矯正出来るでしょうか。
      
 ②           
  とにかく子どもたちは元気いっぱいです。その元気で今終末の「綱引大会」にチャレンジしてください。勝っても負けても良いの
 です。仲間と協力して気持ちよい汗を流すことが大切なのです。
  私も当日審判で君たちのガンバリに協力・応援します。


             ● 久 喜 中 ・ 第 67 回 ポ プ ラ 祭  11/2(土)

 
 もう何度も述べてきましたが「久喜中」は私の母校であり、「久喜小」と共に「おらが学校」であります。
 
だから久喜中の入学式、卒業式には毎年出席してきました。あれは何年前の卒業式だったでしょう。

 
式は順調に進んで「式歌斉唱」へと進みました。てっきり「蛍の光」とか「仰げば尊とし」とかが歌われると 
 ばかり思っていましたが初めて聞く歌でした。感動すら覚える素晴らしい曲でした。知人の卒業生の親に
 聞いてみたら「名づけられた葉」、ポプラ祭で子どもたちが歌い、その後「式歌」として導入することにした
 との事でした。家へ帰りPCのUチューブで何度も聞き、曲も歌詞も覚えました。曲も素晴らしいものですが 

 
歌詞がまたよいのです。「ポプラの葉は一律にポプラの葉と呼ばれる、しかし人間は一人ひとりが固有の
【開会行事のパフォーマンス】  名前で呼ばれる、そのように各々が固有の生き方を目指せ。」そんな意味かと解釈しました。
 その後入学式や卒業式で何度かこの歌のフレイズを使い挨拶した記憶があります。


  
その年以降私は一度「ポプラ祭」を見たい・聞きたいと思い続けてきました。なぜか今まで日程が合わず
 今日
念願かなっての初観演となりました。「ポプラ祭」とは要するに全員そろっての音楽祭、それもクラス
 対抗の合唱コンクールといえます。開会行事で校長挨拶のあと、全員が熱意を込めてのパフーマンスが
 ありました。全員が今日を楽しみにしていたこと、そのため多くの練習を積んだこと、そして「やるぞ」との
 思いが込められた良い
開会行事でした。
  
 【学年別の最初にある学年全員での合唱】  合唱コンクールは学年別なのでしょうか。1年・2年・3年と各学年ごとに最初に全員の
 合唱があり、そのあと
クラスごとに移ります。全学年が6クラスですから200人を超す合唱となります。さすがに迫力がありました。
 
もっとも知っていたのは2年生が歌った「花は咲く」だけでしたが。

 
1年生が終わり2年生に移りました。聞いていてびっくりしました。1年生のは普通のクラス全員による合唱
 という感じでしたが、2年生ともなると断然上手いのです。特に5組の「With You Smile」、4組の「あなた
 にあえて」、2組の「旅立ちの時」等素晴らしいものでした。 
  2年生が終わり3年生に移る時休憩がありました。その時3年生のクラスほとんどが全員で肩を組み、円陣
 をつくって頑張りを誓っていました。卒業を前に思い入れが深いのでしょう。
 【クラスごとの合唱】    その休憩時に席校長先生が『3年生のは感動的ですよ』といわれました。正にその通りでした。
 これはもうコーラス部の「それ」という感じでした。学びの経験がこれほどの成長をもたらすのかと思いました。

  このポプラ祭には「Souls !! one voice」という副題が付けられていました。歌声に魂を込めて、とか思いを込めて、という
 意味でしょうか。会場正面やヨコ壁には手作りの垂れ幕や横断幕が張られ全員がこの「ポプラ祭」に魂を込めていました。それは
 久喜中の素敵な学校運営の表れだと思いました。
  一度見たい、聞きたいと思っていた「ポプラ祭」に素晴らしい感動を得て実にさわやかな気分で帰途につきました。



             ● 久喜小 「中校舎」 の工事が終わりました      10/22(火)

  久喜小は私の母校であり、また「スポ少」、「ゆうゆう」その他で日常的に多くの時間
 そこにいる正に「母なる学校」です。その久喜小の校舎ですがかつての木造校舎を
 その都度現在の鉄筋モルタル造りに建て替えてきました。だから本校舎・中校舎・東校舎
 とバラバラに建てられています。一番古い「中校舎」などおそらくこの種の校舎としては
 市内最古に属すると思われます。外壁は劣化して真っ黒、『トイレがくさくて子どもが使用
 出来ない。』と何度も一般質問で追及されたいわくつきの建物でした。当然耐震補強に
 合わせた改修工事がなされるべきでした。
  所がです。ご承知のように東停車場線(20m道路)・提灯祭り通り・市道1号線(6間道路)
 の間は旧久喜市でも一番地盤の良い所、何回かの耐震度調査でもいつも○の数値が
 出ていました。そんな事で大分後回しとなりましたが、やっと本年耐震補強及び改修工事
 が行われたのです。 

 【校庭から見た中校舎・プレハブは間もなく撤去されます】  工期は正式には一応本年6/27から11/29までとなっています。
 しかし実際の工事が始まったのは久喜小児童の安全面から夏休みに入ってからでした。私たち少年団が練習していた日ですから
 休日の事です。大型トラックが資材を搬入、瞬く間に工事用鉄パイプが組まれ、プレハブが立ち、フェンスが張られました。少年団の
 裏庭に置いていた倉庫も移動されました。そしてシートが張られ工事が始まったのです。

  工事の内容ですが建築面では耐震補強工事と改修工事です。改修工事の中身は外壁、屋上防水、サッシの新設、各教室、便所
 等々。他に機械設備工事として給排水関係・消火栓等、また電気設備工事として照明器具がLED化されました。

  もちろんこうした工事は書面で知るだけで厚いシートに覆われての工事ですから伺い知ることはできませんでした。少年団の練習
 の合間にフェンス越しに工事監督者と立ち話しを良くしました。何せ今年の猛暑下です。『大変でしょう』と聞くとシートで風は一切
 入ってこないそうです。『1時間に1回は水分を補強している、みんな10年以上のベテランだから何とかやれる。』との事、本当に
 ご苦労様でした。

  実は今年の市民体育祭(中央地区・11/3)は久喜小が会場です。それまでには校庭を整地してきれいにします、となっていました。
 10月に入って「大丈夫かな」と思っていましたが、写真のようにスッキリしました。東校舎との外壁の違いが夜通っても解る程です。
  不便をかこっていた少年団の練習も間もなく本来の場所でやれることでしょう。
  久喜小は体育館と多目的校舎が建築間もないものです。排水設備がなく改修が待たれていたプールも来年秋に改修工事が予定
 されています。整った校舎・施設の中で子どもたちの元気な笑顔が見られることでしょう。
  近い時期に機会を頂いて新装なった「中校舎」の中を見たいと思っています。


          ● 平成25年度  家庭教育フオーラム   10・3(木) 栗橋文化会館「イリカ」  

  平成25年度・「家庭教育フォーラム」が栗橋文化会館イリスで開かれ参加しました。久喜市教育委員会の
 主催ですが、運営を家庭教育アドバイザー(埼玉県の委嘱)、生涯学習推進部がお手伝いすることになって
 いました。グループでの意見交換の際の司会・書記等が役割ですが、幸いというか役員の数が多くあぶれて
 しまいました。ということで幼稚園・保育園から小中学生保護者の若いお母さん方と一緒に意見交換会の
 輪に加わることだけ出来ました。もっとも全く場違いな感じで発言は一切しませんでしたが。
  開会行事の後埼玉県教育アドバイザー「永田京子」さんの基調提案を受けました。

 (1)
 生活のリズムが出来ていますか?  「早寝 早起き 朝ごはん」が大切、10時までに寝る、早く起きて
  【開 会 行 事】        脳をさます、友人との外での運動・遊びが必要、友人関係が築ける
 (2) 良い親子(家族)のかかわりが保てていますか? 挨拶をする。子どもと話をする、話を聞く
   その時目と目を合わせ心で話す。あなたがいてみんながいるという関わり
 (3) 家庭(社会)のマナーやルールについて気にかけていますか? 
   躾の3原則 ①積み重ね ②一貫性 ③待つ(個人差)  ほめる・しかる
      ルール 交通ルール 家庭でのルール ネット問題
 (4) 親離れ、 子離れ
      乳児期  肌を離さず
      幼児期  肌を離して手を離さず
 【グループ別意見交換】       学童期  手を離して目を離さず
                       青年期  目を離して心を離さず  
                 (5) おわりに  親離れ  親年齢 = 子年齢 学校の地域の行事に参加しよう。

  以上でした。この内容は家庭教育関係の研修会では良く聞くものです。なお日程ではこの基調提案が20分、これは全く無理な話で
 実際30分以上たっぷりかかりました。日程設定に少し無理があったと思います。したがって肝心のグループ別意見交換会を大分短縮
 せざるを得ない状態でした。
  この日の参加者は約80名、基本的に8名で10のグループに分かれての意見交換です。この時点で私は何をしようとうろうろして
 いましたら欠席者の開いている椅子に座って話し合いに加わってください、と事務局に言われました。そこで前記したように意見交換に
 加わったわけです。司会は家庭教育アドバイザー・書記は推進部のグループでした。
  所で私は社会教育の分野においては一線級の活動家?をもって自認しています。逆に家庭教育に関しては全くダメとこちらは自他
 共に認じています。40歳~35歳までの3人の親、皆独立して家を離れています。この子たちの子育て期、私は社会教育活動が
 面白くて面白くてたまらずのめりこんでいました。子育ては全部女房に任せきりでした。今思うのは良く不通に育ってくれたと子どもと
 女房への感謝と反省の念ばかりです。
  それとなんといってもグループの人が丁度娘と同じ年齢の方々ばかりでしたから、余計に押し黙って皆の話を聞いていました。
 躾での一貫性の問題とか、子育てに関するお姑さんとの関係とか、『我が家はこうだ、私はこう思う』的に終始、共通の課題につき
 みんなで意見交換、はあまり見られませんでした。もっとも家庭教育に関する話し合いはいつもこういう傾向にありますが。
  
  子育てを終えた(しなかった)私は今も「地域で子どもを育てる」活動に熱中しています。「スポ少」や「ゆうゆう」がそれです。そうした
 活動に子どもを参加させましょう、そうした中で子どもも親も共に育ちましょう、本当はこんな話をしたかったのですが。 


             ● 久喜市生涯学習推進計画完成へ  9/26(木) 

  26日これが最後となる第28回「久喜市生涯学習推進計画原案作成部会」がもたれ、ほぼ2年間にわたった推進計画作成に
 ピリオドを打ちました。すでに(案)が本年8/13~9/12までのパブリックコメントにかけられています。その後「T生涯学習推進会議
 議長」より教育委員会に提出されました。この後10月中の「教育委員会」に議案として提出され、11月中に印刷・配本の予定と
 なっています。
  合併協議の過程で新市誕生後3年以内に「生涯学習推進計画」を策定する、とされていました。一方昭和63年に組織された
 「旧久喜市生涯学習推進会議」のもと押し進められてきた、旧久喜市の生涯学習推進活動の過程で1次平成4年~13年、
 2次14年~23年と「推進計画」を持ってきました。私はこの2つの計画策定に深くかかわり、特に2次は「策定懇話会座長」に
 ありました。いわば第3推進次計画と新久喜市生涯学習推進計画策定の時期が重なったことになります。早く策定作業に、と
 何度か意見具申をしていましたが、ようやく23年7月の「推進会議」で決定され、第1回「原案策定部会」が同年8月に開催され
 ました。以来2年28回にわたる会議を重ねて今日に至ったわけで、関係各位のご努力に敬意を表ます。
   私は立場上「策定部会員」は無理と思っていましたが、「アドバイザー」なる立場をいただきました。旧久喜市の2度の推進計画
 策定、また昭和63年以来の生涯学習推進活動に深くかかわってきたからと思われます。ご配慮に感謝する次第です。

    この計画は 
  久喜市の「生涯学習によるまちづくり」を進めるための方向性を示すものです。
 ◎ 久喜市生涯学習推進計画(久喜市まなびすとプラン)は平成25年度から34年度までを計画年度としています。
 ◎ 「久喜市総合振興計画」が謳う将来像実現に向けて、生涯学習の視点から基本的な考え方、方向性を示す個別計画です。
  国の教育基本法、社会教育法の改正等に踏まえ、県の生涯学習振興計画等に連携するものです。、
 ◎ 久喜市総合振興計画「市民意識調査」、生涯学習推進部「生涯学習アンケート」から市民の生涯学習の現状に基づくものです。

  以上に踏まえ以下第4章・基本的な考え方、第5章・施策の展開、第6章・計画の推進と続きます。
  第4章・基本的な考え方  では、基本目標を~市民がつくる まなびのまちづくり~とし、「まなぶ」と「いかす」を「つなぐ」「ささえあう」
 ことで豊かな人づくり、まちづくりを目指します。
   基本方針に自主・協働・創造を掲げました自らの意思に基づき・協働により・まちづくりにつながる生涯学習を目指すものです。
  施策の柱にまなび・いかす・つなぐ・ささえあうを掲げました。様々なまなびを提供し、学んだことがいかせる場を整備し、まなびで
 つなぐネットワークを推進し、学びを支えあう体制づくりを目指します。

  第5章・施策の展開では前記のまなぶ・いかす・つなぐ・ささえあうから各課題ごとに201の具体的施策を掲げています。

  今後久喜市の生涯学習推進活動はこの計画に基づき展開されることとなります。全国的に生涯学習推進活動の停滞・低迷が続く
 中で我が久喜市はかろうじて「市民主導の生涯学習」の下、あるレベルを維持してきました。しかしその原動力であった「生涯学習
 推進部」の活動が弱体化し、各種企画・事業に固定化・マンネリ化が見られます。一部変革への試みがなされていますがこれを推し
 進めて行かねばなりません。第1次・2次共に市長が議長であった「生涯学習推進会議」は新市誕生後今の形になりました。この
 改革の意味がわかりません。いずれにせよ「推進会議」・「推進部」の今後の充実した活動の展開を望むものです。
  今後も長く続く生涯学習推進活動の中で正に「自主・協働・創造」、自らの思いに踏まえ生涯学習に関わり続け、潤いと活力に
 満ちた豊かなまちづくりに変わらず頑張っていきたいと考えます。
  追記  本ページ23年8/31~9/2まで3日連続でこの推進計画策定作業開始時の自分の見解を記しています。
      参考までにご一読いただければ幸いです。
 

            ● CAP(キヤップ)おとなワークショップ  9/25(水) 久喜総合文化会館  

  このワークショップの案内を過日の久喜市放課後子供教室運営委員会で頂きました。
 久喜市と教育委員会が後援しているからです。その時参加しようと思いました。理由は2つ
 ありました。1つは大分古い話です。久喜市は学校教育の経営に広く地域教育力の応援を
 頂いていますが、その1つに「生徒指導委員会」があります。地域の大勢の人たちが集まって
 いたその席にCAP の人たちが来てロールプレイを演じました。『知らない人に会い、怖いと
 思ったら逃げよう』という内容に地域の方がかみつきました。『子どもにとって安全な地域の
 体制をつくるのが大切なんだ。』逃げようとは何事かというので゜す。CAPの人たちも困って
 いました。その時機会があればCAPの講習会に出てみようと思ったのです。もう1つは
 昨今のスポーツ界の「体罰」の問題、特にスポ少では相手は「こども」です。この問題を考察
 していく上で何かヒントを与えてくれるか、と考えたのです。

  「CAP」とは「Child子ども Assault暴力 Prevention防止」子どもへの暴力防止という意味です。このプログラムは1978
 アメリカで開発され、1985年・現在エンパワメントセンターを主催している「森田ゆり」さんによって日本に紹介されました。
 現在このプログラムを実践するスペシャリストたちのグループが全国に130以上組織されており、1998「CAPセンターJAPAN」
 を結成、本日このワークショップを主催した「くきCAP」もその一員です。
  くきCAP のメンバーによる「負けだしジャンケン」で出席者をリラックスさせ、CAPの人のロールプレイ(寸劇)、参加者への
 語りかけ――参加者の考えの発表、全員参加型でワークショップは進行しました。 
  子どもたちには「食べたい」とか「眠たい」とかの基本的欲求と同じように、誰にでも「安心」・「自信」・「自由」の権利を持つ、
 それは「生きていくためになくてはならない大切な権利」、暴力はこの権利を侵し、子どもたちの素晴らしい可能性・力を奪う
 ものだと進みます。これは私たちの体罰問題の反省と全く同じです。
  スポーツ界では今「体罰」を許してきたスポーツ界の組織や活動の在り方への反省、指導者・コーチの資質・指導力の向上
 へと方向が進んでいます。CAPでは相手が不特定ですから、権利を奪われた時・暴力にあったとき出来ることとして
 NO GO TELLだとされます。
  NOとは「いや」・「やめて」と自分の意思を表明することです。
  GOとは逃げる、その場を離れるです。前記した生徒指導委員会でのシーンです。
  TELLは相談する、友人・家族等にとなります。このシーンをCAPの人たち、参加者も加わってロールプレイで実際を演じました。

  ワークショップは終盤に入りました。暴力とは殴る・蹴るから言葉の暴力、精神への暴力(いわゆるシカト)等様々ですが
 いずれも人と心とからだを傷つけることです。大人から子ども、男性から女性、教師から生徒・児童、そして体罰では指導者・
 コーチからアスリート・団員へ、すべて否定されねばなりません。
  まわりの大人が出来ることとしエンパワメント、暴力防止の分野では「子どもたちの問題解決能力を高めること」と言われました。
  次に子どものSOSに気づく、子どもの話を聞く、子どもと話し合う
  そして最後に子どもも大人も一人では難しい、一人ではダメ、「つながる、つなげる」大切さでワークショップは終わりました。

  「子どもワークショップ」の前に、今日のような「おとなワークショップ」を実施するそうです。子どもたちを支える大人が子どもの
 人権を守るためまず「出来ること」を学ぶのは大切なことです。必要なことは地域全体で子どもたちを守り、育てていくことです。


    ● 市民大学校友会講演会・高齢化社会の地域医療を考える 7/28(日) ふれあいセンター久喜

 
 久喜市民大学の卒業生の実践活動・研修・交流の組織「久喜市民大学校友会」については折にふれ
 このページで報告してきました。4つある各部会ごとの活動、各種の会議の他に今年2つの事業を計画
 
しています。1つが10月の日帰り懇親旅行、そしてもう1つがこの研修会=講演会でした。内容に関し
 役員会で協議しましたがスグに医療問題、特に地域医療・救急医療問題と決まりました。なんて言っても
 
一番関心のある問題といえます。年間予定では7/21(日)中央公民館となっていました。21日は選挙
 中央公民館は空調工事で開放休止、すったもんだの末28日、ふれあいセンターとなりました。講師の
 済世会栗橋病院院長補佐「本田宏」先生は会員I氏の紹介をいただきました。

 
【熱心に聞き入る参加者】
  
私は本田先生のお話は2桁とまではいかぬともかなりお聞きしています。本田節ともいえる流暢な話の
 中に随所にユーモアあふれるフレイズを盛り込んで楽しく聞けるものです。
  久喜市は合併後済世会栗橋病院・久喜総合病院と大きな総合病院を市内に持つようになりました。
 何となく医療に恵まれているかのようですが市民感覚は決してそうしたものではありません。そんな中あの
 救急搬送問題が発生しました。
  本田先生は持論である医療システム全体の問題としてとらえる、事を繰り返し主張されました。そのため
 正しい情報を把握し、正しい判断を下す、事もまた繰り返し言われました。土光臨調以来日本は医療に金を
【いつもながらの本田節の講師】  使わない、医師数が絶対的に不足、医師の現状は聖職者さながらの自己犠牲の毎日、こうした
 内容が繰り返し繰り返し述べられました。

  その事例もいくつか言われました。日本は高齢化率世界1、なのに医療費は先進国中最低、対GОP比率アメリカ17・4%
 カナダ・フランス・ドイツ11%代、イギリス9・5%、そして日本は8・5%とのことです。
  医師数です。WHO加盟国中63位、OECD加盟国中ビリから4番目、WHOは最小必要医師数を人口10万人当たり150人と
 設定していますが日本は209人、OECD 平均307人と100人も少ないのです。全体で医師不足数12万人との事です。
  さらに深刻なのは埼玉県、さらには久喜地区周辺です。日本で先の10万人当たりの医師数が一番多いのは東京都・京都府・
 徳島県というところ、それでも280人程度です。埼玉は全国最低の143人、東京と京都を基準として10、259人足らない、
 ワーストスリーは近県の埼玉・千葉・茨城、久喜市周辺の利根保健医療圏はその埼玉県の中で一番医師数の少ないところ、
 本田先生はこの現状に講演の途中何度かタメイキをつき、笑いを誘っていましたが本当にため息が出ます。ですから当直医が
 翌日手術に当たるのは当然の事態、緊急搬送のたらい回しは、たらい回しではなく受け入れ不能、と強調していました。 

  これだけ事例の説明を受けましたので久喜・埼玉・日本の医師不足→医療危機はよくわかりました。それをもたらしたものが
 「土光財調」以来の国の方針というのも理解できました。「医療システム全体の問題」として医療問題を考えること、情報操作に
 だまされることなく正しい判断が大切なこともわかりました。
  しかし現実にかかりつけ医で紹介をもらっても診断を拒否されたという事実があります。「医療システム」の問題だけでは片づけ
 られないでしょう。『i padで命が救えるか』と本田先生は言っておられましたが、「i pad」導入も必要な事です。先の国政選挙の
 結果まで「情報操作の所為」とされるのはいささか無理があるとも考えます。
  私たちは今後「医療問題」に関し、正しい情報と正しい判断を基に「システム」としての医療問題を考えていかねばならないでしょう。
 地域医療に関心を持ち、厳しく監視しながら、同時に地域医療を自分たちで育てる、という視点も必要と考えます。


         ● 久喜小あいさつ運動を前に顔合わせの会  7/10(水)

  6/24(月)開かれた25年度第1回「久喜小生徒指導委員会」において、「あいさつ運動」の日程を
 確認しました。前期が夏休みを直前にした3連休明けの7/16から、そして後期が夏休明け直後
 となります。これはここ数年久喜小では恒例の行事となっています。区長・民生児童委員・くきっ子
 ゆうゆうプラザ実施委員、PTA役員、そして私たち久喜小地区スポーツ少年団等々で構成される
 「久喜小生徒指導委員」のメンバーが、久喜小のいくつかの門で『おはよう』と通学してくる子どもたち
 に声をかける、子どもたちは『おはようございます』と元気に答える、子どもたちが門をくぐるほんの
 10数分だけで終わる、それだけの行事です。
 【全員集合の子どもたち】   
  なぜ子どもたちにとって挨拶することが大切なのでしょう。今私たちスポーツの世界に悲しむべき「体罰」の問題があります。
 「文化としてのスポーツ」を振興していくためにも体罰はこれを根絶せねばなりません。先日青山の「日本青年館」で、日体協
 JОC、身障者スポーツ協議会等々の呼びかけで、「体罰根絶の集い」がもたれ参加しました。(スポレクのページ4/25付
 参照) 基調講演で「為末大」氏は「コーチはアスリートの人生を変える」存在だといい、そのコーチに必要なものは「総合的
 人間力」だとも言いました。奇しくも久喜市教育委員会が学校教育目標に掲げるそのものでしたから大変興味を持って拝聴
 しました。もちろん為末大氏が言う「総合的な人間力」と久喜市教育委員会のそれとが完全に同じということではないでしょう。
  為末氏はさらにコーチとして「人間的総合力」の中で特に大切なのはコミュニケーションスキルだと力説しました。相手の言
 うことを正しく理解する、自分の思うことを正しく伝える=双方向の相手への思いやりなのです。この双方の思いやりの第一歩
 原点が挨拶だと私はおもうのです。久喜小が・久喜市内の子どもたちがあいさつ運動に熱心なのはまさにこの点にあります。
  私は16日からのあいさつ運動に今年も参加します。

  このあいさつ運動を前にして「生徒指導委員会」のメンバーと、久喜小児童との顔合わせが行われました。子どもたち全員が
 体育館のフロアーに座り、生徒指導委員のみんなは壇上で1人ひとりが自己紹介、児童代表の挨拶とほんの10分少々で
 終わりました。挨拶はあいさつ運動のときだけではありません。地域で日常的に会う生徒指導委員の顔を名前を覚えてくれる
 のは大変良いこと、こうした機会を設けてくれた久喜小側の配慮に感謝しつつ子どもたちとお別れをしました。


    ● 平成25年度・久喜市放課後子供教室全員研修会  7/3(水) 菖蒲アミーゴ

  3日菖蒲文化会館アミーゴにて平成25年度・久喜市放課後子とでも教室ゆうゆうプラザの全員
 研修会が開催されました。今まで旧久喜市で土日に開催されてきましたが、初めて旧久喜市を離れ
 それも平日開催のものでした。しかし会場は100名をゆうに超す参加者であふれました。それは
 今年には市内23校中、20校で開校されんとするところまで進展している「ゆうゆう」の現実を雄弁に
 物語るものでした。

  研修1は「スポーツ安全保険について」 、契約者である「スポーツ安全協会」の幹事会社である
 【研 修 会 風 景】     東京海上火災の担当者によるもの、様々な事例について説明しました。私はスポーツ少年団で
  この安全保健の問題には既に40年近く向かい合っており、過去それこそ2桁の研修会に出、また
  当然個々の多くの事例についての質問もしてきました。全てが熟知している内容でした。

   研修2は「青山鉄兵」先生による「安全に楽しく体験活動を」なるもの、青山先生は数年前にも
  講師として久喜市にこられています。社会教育・青少年教育に関わり国立青少年教育振興機構
  研究員を努められ、現文教大学で教鞭をとっておられます。
   ※ 子どもにとって体験活動は成長につながる
 【講師の青山先生】     ※  体験活動には危険が伴う(体験活動は子どもの成長にも危険にもつながる) 
                
 ※  大切なことは「リスクマネジメント」という考え 
  
 ※ 「リスクマネジメント」とは   危険な事が起こる可能性(=リスク)を組織的に管理すること  
    リスクマネジメントの原則   リスクを最小限に  リスクを分散  事故への対応力を高める                 
   ※ リスクマネジメントの実際   ① 事故防止  ② 救急対策  ③ 補償対策の3つを考える
  青山先生は東京YMCA事業スタッフとして、毎年のように高校生を対象とした14泊のキャンプを指導しておられたとか、経験に
 踏まえて大変解りやすい内容でした。所でスポーツ少年団指導者の認定員養成講習会に「安全のための方策」という科目が
 あり、私はよく講師を担当します。比較しつつお聞きして大変面白いものでした。スポーツの世界には「危険引受説」というのがあり
 スポーツはある程度危険なもの、という認識をもって参加してきます。しかし「ゆうゆう」にはそんなものはなくやはり安全第一に、、
 しかし成長を促す体験活動を準備していかねばなりません。そこに必要なものはまさしく「リスクマネジメント」という考えなのです。
  『安全は一時的な対策でなく、長期的・継続的な心がけによって守られる。』
  『スタッフ間の日々のコミュニケーション、情報交換が全ての基礎』と結ばれました。
  うなずけるものでした。 


          ● 推進部・市民大学合同研修会  5/25日(土) 中央公民館

  「久喜市生涯学習推進部」と「久喜市民大学」学生との合同研修会が、25日午後「中央公民館」で
 持たれました。この合同研修会がもたれるようになって4・5年経つと思います。この合同研修会が
 何を目的として開催されるようになったのか私には解りません。「推進部」側にはなく、「授業」として
 位置付けられている市民大学側にあるのでしょう。通常の授業にはない形式での学習、少なくとも
 久喜市の生涯学習推進の先頭に立つ「推進部」とともに研修することでの刺激、「ワークショップ」
 方式等への慣れ、いろいろあるのでしょうが、有効な研修になりえているのか、これまた私には
 解りません。

 
 【研修会風景】
 
 参加者は約70名、全体で8つのグループ、各グループに1年生・2年生・推進部員がそれぞれ3名  
 程加わる形です。テーマは『共助でつなぐ!自分が変わるその一歩』、ワークショップによるグループ
 別討議で進められました。
  開講式の推進部役員のあいさつでテーマについて解説、「トントントンからりんと隣組」と歌い『同じ
 ものです』と言われたのには少しびっくりしました。「格子を開ければ顔なじみ」とか、「教えられたり・
 教えたり」という社会を創ろう、という意味では間違いだとは言いませんが、公と市民との新しい関係を
 考える中で、市民やNPО等に重きを置く「共助」と、戦時体制推進の隣保組織だった「隣組」とは少し
【所属したグループでまとめた表】    ばかり違うのではないかと考えます。

  ワークショップという方式も一般的となりました。全員が討論に参加する、双方向の意見を交換する中で合意を形成していく
 その過程が参加者にとって学習となるというものです。ただいわゆる「ファシリティター」的存在がいないため各々が意見を
 述べるだけに終わった感があります。
  メモ用紙に書き模造紙に張ったそれぞれの意見も、「挨拶をする」、「ごみを出す際声掛けをする」といった類のもの、
 まさに「格子を開ければ顔なじみ」的社会を創ろう、的なものに留まっていました。

  合同研修会の在り方を、というより合同研修会そのものについて再検討すべき時期に来ているのではないでしょうか。


     ● 今年も読み聞かせボラ、活動を始めました   5/22(水) 

 
 今日から25年度の北小での「読み聞かせ」の活動を開始しました。私がこの活動を始めてからもう10年経とうと
 しています。スポーツ少年団を始め子どもの関わりを多く持ってきました。そんな中子どもに関わる大変イヤなことを
 体験し、今までと全く別の分野で子どもとの関わりを持とう、としてこの道に飛び込みました。当時の市立図書館で
 行われていた「読み聞かせ講習会」に参加、基本的な事を習得しました。男性は私1人だったという記憶があります。
  実際の読み聞かせの活動場所はどこでもよかったのですが、地元の久喜小はPTAの会員のみで活動していました。 
 地域の方も参加している「北小」からお声掛けをいただき参加しました。以来10年になります。

  基本的に1年10日くらい、朝8:15~8:30の時間ですからさほどの負担にもならず、議長時の1年間中断を除き
 今まで続けてきました。また市内読み聞かせのグループにも所属、情報交換と研修の場も持ってきました。
  「読み聞かせ」の最初の仕事は読む本の選択です。仲間の方でご自身が多くの絵本を所有している人がいます。
 私の場合子どもは当に成人、悲しいことに内孫がいませんのでそれはなく主に県立図書館でお借りします。「北小」は
 対象が1年~6年生まで、やはり学年に応じてとなります。内容と同時に「絵」もポイントとなります。子どもたちに「絵」を
 見せながら読むからです。気に入った本が見つかった場合半分は終わったようなものです。後は家で何回か読む、本当は
 暗記する程読めばよいのですか中々そこまではいきません。
  本番では「絵」を子どもに見せるため本を直角に立てて読みます。私の場合左手で本の一番下真ん中辺をもち、その
 ほんの一直線上で読むこととなります。これがなかなか難しく(読みずらく)だんだん本が斜めになってしまいます。時々
 メガネを忘れるという失敗をやらかします。もうひとつページを静かにめくることです。私はいつも濡れたハンカチを用意
 それで指先をぬらしながらめくっています。
  「北小」の場合隔週でPTAの方、私たちのグループと行っています。ですからいざ読もうとして、『作** **、絵** **』
 と始める『知ってる』と一斉に子どもから声の出ることがあります。いつも2・3冊用意していきます。

  今日は「偕成社」、「やしまたろう文・絵」の「からす たろう」を読みました。読みながら『あれ、この本前に読んだかな』
 という幻覚に駆られました。この頃よくあります。やはり10年もしているからでしょう。
  とにかく初心を忘れず、子どもの食い入るような笑顔だけを楽しみにコツコツと今年も続けていきます。


     ● 「くきっ子ゆうゆうプラザ」25年度開校へ・サポーター会議   5/18(土)

  「放課後子供教室=ゆうゆうプラザ」の25年度の開校に向けた活動が進んでいます。
 全体としては25年度第2回運営委員会を15日開催しました。平成17年「地域子供教室」時代に久喜小からスタートした
 この事業も9年目に入ります。昨年度鷲宮小・菖蒲小2校で新たに開校され、市内全23校中18校で行われている素晴らしい
 状況をうんでいます。呼びかけた者として関係各位のご努力に深く敬意を表する次第です。市全体の準備状況が報告され
 「光化学スモッグ」への対応、「緊急対応マニュアル」について確認しました。また全体研修会を7/3(水)菖蒲文化会館
 アミーゴで開催します。(12:20~)おなじみ青山鉄兵先生の講演を予定しています。大勢の参加をお待ちします。
  『来年の導入10年を期して全校開校を目指したい』、と相変わらず勇ましい事を言っていました。意気込みは結構ですが
 開校数年のいくつかの学校でかなり厳しい状況も生まれています。一気につっ走るのでなく、立ち止り確認しつつ進むことを
 望みます。
  
  私の久喜小=くきっ子では16日実施委員会を開催、6/13(木)の25年度開校式を前に最後の準備として18日(土)
 サポーター会議を開催しました。既に本年度の申し込みを終えています。
  本年度も基本的に毎週木曜日、隔週土曜日に開校します。ただ準備による閉校月・夏休み・学校行事等の関係で実際の
 年間開校日は29日です。 
  木曜日は定期講座、学習、そろばん、編み物、フラダンス、ドッジボール等9講座です。
  土曜日は特別教室的なもの、理科実験、トランポリン、押し花、フラワーアレンジメント・茶道等です。昨年度まで行われて
 いた「バドミントン」がなくなり、新たに「ミニテニス」が3日実施されます。また前年までここで実施していた「グランドゴルフ」が
 木曜日に移動しています。
  さて問題の参加児童数です。久喜小の24年度卒業生97名、25年度入学生56名、急激な児童数減が進行しています。
 児童総数も400名となりました。落ち込みを心配していましたが159名、ほぼ40%ということで安心しました。
  
  サポーター会議では活動内容・年間予定・傷害保険等を確認、最後に種目(講座)別グループミーティングを持って解散
 しました。ところで25年度開校式の日6/13は6月議会開会日、私は欠席となります。
  開校式の成功とスムーズな活動入りを期待するものです。


          ● PTA総会・久喜中5/13(月)、久喜小17(金) に出ました。

 
5月も中旬を回ると体育団体や各種地域団体の総会も終わり、各校PTAの総会時期となります。ご案内をいただいた
 私の地元であり、母校でもある久喜中5/13、久喜小17の総会に出席しました。  

 
 PTAとは「ParentとTeacherのAssociation」の略ですが本来は任意加入の組織です。これはアメリカ等でPTAが
 自発的に組織されたことからきています。これに対し日本のPTAは先の敗戦後「GHQ」によって半ば強制的に導入
 されたという過去からきているのでしょうか、PとTが学びあい、成果を児童に還元する事を目的に運営を含め民主主義の
 演習の場とでもいうべきものを期待されたと思われます。しかし実際は導入された経緯と選後教育予算が極度に少なかった

 事などから、自由意思ではなく義務・強制的に奉仕活動を行わされているという意識や、学校運営への人的・金銭的協力と
 いう日本型PTAの形が出来上がったものと思われます。 
 
 総会は会員の半数出席で成立しますが実際は委任状がほとんどであり、出席者はかなり低いもの(1割前後)でした。
 しかし両校ともに本部活動、委員会活動に、中学校では部活動育成会の活動、小学校では地区委員会の活動が加わって
 活動量は膨大なものがあります。そしてそれは役員・委員の真摯なボランティア性によって支えられていることも確かな
 ことです。
  両総会ともに提案された全議案がスムーズに可決され、本年度活動のスタートを切りました。両校ともに3役が大幅に
 変わりました。特に久喜小では私の知る限り数十年なかった男性の会長が実現しました。PTA役員は女性というのが
 支配的ですが、このところ市内でも男性会長が何人か誕生しています。歓迎するものです。


  
ところでこの歳になるまでありとあらゆる地域団体、社会教育団体の活動に参加してきた私は、PTAには全く関わりません
 でした。これは子どもの小・中生だった時期に市民スポーツ・社会教育活動に熱中しすぎていたからです。面白くて、楽しくて
 仕方のない時期でした。
PTA活動に参加する余裕など全くありませんでした。(もっとも一方で子どもの出来が悪すぎた、との
 説もあります。)

 
 しかし今考えてこれは大変残念だったという思いがあります。特に最近学校と私の本来の活動の場である地域社会との
 関係が大きく変化しています。学校運営は今や地域の応援・協力なしに上手く成り立たなくなっています。いわゆる学校と
 地域と家庭3者の連携で子どもを育てる、というやつです。「第二の学校・地域の学校」としてのスポーツ少年団や、「ゆうゆう
 プラザ」や「学校応援団」がそれです。私の持論である『
良い地域が良い学校を育て、良い学校が良い地域を育てる』という
 やつです。 
 
 
 私は学校に関しては「地域運営学校」を望んでいますし、PTAでいえばPとTに、C(Community)を加えPTCAにすべき
 と考えています。「地域社会」の一員としてPT(C)Aに関われればその時こそ役員として頑張ろう、と成らぬ夢を描いています。 


 
           ● 「まち研久喜」・栗橋8福神めぐり -2-   5/7(火)  栗橋地内

  4番目に回った「福寿院」は栗橋公民館の近くにあり、ここの駐車場を拝借、徒歩にての
 参拝となりました。本来なら残り全部が栗橋駅東口の旧町内にありそれが可能なのですが
 「常薫寺」が利根川堤防強化事業で、移転したため4寺院となりました。
  (1)・(2)・(3)の寺院は東口旧市街地に近接してあります。
  
  (1) 「浄信寺」内の「寿老人」


     (1)
  (2) 通りをはさんで「浄信寺」と真向かいにある「顕正時」内の「毘沙門天」
     「毘沙門天」は上杉謙信が崇拝したという武神・戦の神様だが、同時に暮らしに
     「財」を施す神様とされています。
       「顕正寺」には栗橋宿本陣を勤めた「池田鴨之介」の墓があります。



     (2)
  (3) 「深廣寺」内の「恵比寿天」、「恵比寿天」は福の神の代表的存在
      商業・農業・漁業の守り神として信仰を受けています。

  (4) 境内にある久喜市有形文化財指定の「六角名号塔」
      先の3・11地震で全部倒れたが再建されていました。


     (3)             (4)
  (5) かっては国道4号線のトンネルをくぐった利根川沿いにあった。
    堤防強化事業のため移転、現在は栗橋東中のすぐ近くにあります。
    大変大規模な移転で、現在もその途中、完成していません。
    「常薫寺」境内の「大黒天」、例の大黒頭巾をかぶり、打出の小槌
    を持っています。 

  (6) 利根川堤防強化事業で移転、まだ完成していない大変立派で
    (5)              (6)            大きな寺院です。

  以上4つを車で、4つを徒歩で約3時間かけ巡ってきました。歴史を感じるといったものでなく、冒頭で記したように
 町興し事業として始められ未だ10数年のものです。それと町内石材業者からの寄贈石像というのも特徴、寺院に
 より取扱いに少し差がありました。
  インターネットで調べたところ全国にあまりに多いのに驚きました。「山の手福神」を最古にしますが、ここ10年というのが
 大半のようです。
  初もうでなどに車を有効に利用、めぐってみることをお勧めします。


           ● 「まち研久喜」・栗橋8福神めぐり ―1―  5/7(火) 栗橋地内

  G・Wが明けた7日、「生涯学習まちづくり研究会」(中里厚子代表)・通称
 「まち研久喜」の例会行事として栗橋8福神めぐりを行いました。 
  「まち研久喜」はこのところ除堀の獅子舞(ささら)、鷲宮神社の夏越祭
 等の見学を会員行事として年2~3回実施しています。
  ところでこの「栗橋8福神」の歴史はあまり古くありません。平成11年
 1999年に地元のS石材店が栗橋地区内の8寺院に従来の7福神に
 「吉祥天」を加えた石像を寄贈、まち興し事業として始りました。
     (1)              (2)        8は八、末広がりにつながると評判を呼び参拝者も年々増えています。
  また「埼玉新聞」が新都心のオープンに当たり行った「21世紀に残したい
 埼玉ふるさと自慢100選」事業(県民のはがきによる投票)で、100選に
 認定されています。

  この日は冬に逆戻り、北風の吹く結構寒い日でした。約10km強全部
 歩くものと思い覚悟しての参加でしたが、実際は車でちょうど半分の4寺院
 4福神、町中にある残り4寺院を徒歩で、というものでした。
     (3)             (4)

  (1) さいたま・栗橋線と国道125号線との分岐点にある「寶聚寺」=ほうじゅじ内の「吉祥天」
      吉祥天は通常の7福神にはなく、栗橋8福神のみ、弁財天とともに女性の神様です。
  (2) 「寶聚寺」の鐘楼と合体した山門、老朽化のせいか、あるいは3・11との関係もあるのか
      大分斜めに傾き立ち入り禁止となっていました。

  (3) 国道125号を4号線に向かい「佐間西」交差点を左折、栗橋西小の近くにあります。 
    (5)             「定福院」内の「布袋尊」  住職は栗橋地区の社会教育の活動家で顔見知りの方です。 
  (4) 「定福院」は庭も広く大変立派なお寺でした。境内には沢山の羅漢が林立していました。
    この羅漢のある風景は前記した「さいたま故郷自慢100選」に単独で認定されています。

  (5) 「迎盛院」=こうじょういん内の「弁財天」栗橋北彩高校の近くにあります。 。

  (6) 駅東側にある「福寿院」内の「福禄寿」、栗橋公民館の近くにあります。ここで駐車場を
      お借りし、町中の4寺院を歩いて詣でました。「福禄寿」は人生の3つの目的
   (6)               幸福・封禄(財産)・長寿を具現化したものと言われています。


          ● 平成25年度・第13回久喜市民大学校友会総会 4/20日(土) 中央公民館

  「久喜市市民大学校友会」の平成25年度・第13回総会が20日中央公民館で開催されました。
 市民大学は平成7年に開校され今年度の入学生が19期生となります。私が開校と同時に入学した
 1期生であること、平成12年に校友会(当時は交友会)設立準備委員会を組織、13年発足した
 交友会の初代会長を勤めた事はもう何度も報告しています。
  約50名の出席の下開催された総会は24年度の事業報告・収支決算報告、25年度の役員(2年
 任期)、事業計画・予算の5議案すべてを承認閉会しました。なお新役員には会長に12期の宮内氏、
 副会長に14期の斎藤・田沼氏が就任されました。2年間よろしくお願いします。
 【市民大学校友会総会風景】
  市民大学の1学年の定数は40名です。1期生は入学38名・卒業36名でした。年齢制限があり60歳以下でしたが、その後
 この年齢制限は段階的に緩和され、現在では完全撤廃されています。なぜかこれと呼応して入学者数が減少、10期代に入り
 10人代が続いて大変心配されました。合併後20代後半に復帰してます。したがって市民大学の卒業生が全員で何名くらいに
 なるのか良く分かりません。
  今年の交友会会員は103名です。1学年平均6名ということになり、この数が多いのか少ないのかこれも良く分かりません。
 私の1期生は「カレッジ1の会」という同期会を持っています。卒業後6~7年は年数回20数名は参加する事業を持って来ました。
 だんだん少なくなりこのところ懇親会さえ10名前後、この数が交友会会員数でした。しかし数年前ガクッと減って今は僅か3名
 となりました。『交友会はもういいわ、何やってるか良く分からない、見えないんだもの』と言われました。この『見えないんだもの』
 とのセリフは市民大学卒業生で非交友会会員から良く聞く言葉です。
  しかし交友会役員は実によく頑張っています。いろいろ創意工夫し充実した魅力ある交友会を目指しているのです。全員が
 参加できる事業は年2回ですが、希望すれば参加できる「事業部会」の活動などがそれです。それでも『何やってるのか、良く
 見えない』と多くの人が言うのは悲しいことです。

  先ほどの年齢制限の話です。私の入学の頃は市民大学は「学びの場」、「学びを通して将来の久喜市の生涯学習・ボランティア
 活動のリーダーを育成する」、「学びの成果を地域に還元する」という明確な目的がありました。年齢制限の撤廃とともにこの
 市民大学の精神が変質してきたのでは、という感じを持ちます。いわゆる「第2の高齢者大学化」というやつです。市民大学や
 交友会が「交流の場」・「趣味を充足する場」であってはいけません。そうしたことを含みつつも「学ぶ場・学んだ成果を地域に
 活かす場」であってほしいと考えます。私が交友会会長の当時「学校支援ボランティアの会」を組織、今の「放課後子供教室・
 ゆうゆうプラザ」の原動力を形作ったのもそうした考えに立つものでした。

  私自身最近「交友会」の活動にあまり情熱を持てなくなっています。日常的多忙さが最大の原因ですが、役員会の欠席も多く
 なりました。『交友会はもういいわ』という思いを、かろうじて自分はこの組織の提唱者であり、組織者なのだ、という自負が
 抑えているともいえます。しかしこれは他の役員に大変失礼な話、今年は可能な限り会議に出るつもりでいます。


     ● 平成25年度・第1回久喜市放課後子供教室運営委員会 4/18(木) 鷲宮総合支所会議室

  「
久喜市放課後子供教室・ゆうゆうプラザ」の平成25年度・第1回運営委員会が鷲宮総合支所4F会議室にて開催されました。
 平成17年「地域子供教室」の頃、久喜小ではじめられたこの事業も9年目に入りました。
  合併後旧3町での開校も順調に進み、全23校中18校(菖蒲小を含む)で事業が展開されています。待望の全校開校も視野に
 置いて、またいくつかの会場においてママ見られるマンネリ的傾向を克服し、さらに充実した「ゆうゆうプラザ」を展開していく、
 これが本年度の課題といえます。
  運営委員会は市内18会場の実施委員長のほか、私のような青少年育成団体代表(スポーツ少年団)、学識経験者等13名、
 計31名で構成されています。会長は発足以来飯島氏、副会長には統括コーディネーターも兼ねる柿沼氏等3名、全員私とは
 様々な活動でご一緒している親しい仲間です。
  この事業の実施主体は会場ごとは「実施委員会」、久喜市全体としてはこの「運営委員会」です。行政の事業ではありません。
 どうするかは皆で話し合って決めていけば良い、それだけのことです。ボランティア性に基づいて運営される組織のあるべき
 形がここでも守られているのです。

  この日は平成25年度の最初の会議ですから、「協議」というより本年度の事業計画・予算案・保険等に関する事務局からの
 説明がほとんどでした。この事業は国・県・久喜市から3分の1ずつの補助金事業ですが、国の予算が実施市町村が多くなり
 年々厳しくなっています。新規会場校には備品費がつきますが既設校にはないためどこも大変のようです。
  説明と確認が終わった後、本の少しですが時間があり何人かの人が質問をしました。全市的に少ない高学年生の参加率
 向上のための方策等参考になりましたが、その中で1つだけ気になったことがありました。
  放課後子供教室の本質である子どもの「体験」についてです。放課後子供教室が欲求にすべて応じる子どものカルチャー
 センター的なものである必要はありません。地域の人が子どもに体験の場を提供する、体験を通して子供を育む、こうした
 活動を通して参加する人と地域の活性化を図る、これは教育コミュニティ創造の活動であるからです。

  前記したようにこの事業も今年で9年目に入ります。当初から活動する「菖蒲小=しょうぶっ子」に次いで、砂原小・栗橋南小
 等で開校への準備が進められています。運営委員としてこうしたことに協力すると同時に、久喜小の実施委員として、何よりも
 1サポーターとして今年度も頑張っていきます。
  

           ● 平成25年度・久喜市高齢者大学入学式 4/15日(月) 総合文化会館

  平成25年度「久喜市高齢者大学」の入学式が15日午後、総合文化会館大ホールで行われ出席しま
 した。久喜市高齢者大学は合併後こうした言い方はあまり使われなくなっていますが、旧久喜市の頃
 昭和54年・1979年に建学され、今年で34年目を迎えます。同じような大学として埼玉県は『彩の国・
 いきがい大学』を持っていますが、こちらは県下10校中、2年制が4校、1年制が6校となっており、
 久喜市高齢者大学は開校から4年制、歴史・伝統と共に、充実した内容で運営され正に県下1と
 言えます。
  今年の入学生は114名、男性63、女性51の男女比は申し分ないのですが、地区別として他3地域
 【田中学長式辞】   からの入学者がもう少し欲しいところです。(久喜地区70名)

  式辞で田中学長が良いことを言っていました。『現在の高齢化率は23%だが、50年後の予測では人口は1億2千万人から
 8千600万人へと32%:減少、逆に高齢化率は40%に上昇する。生産年齢1人が高齢者1人を支える時代となる。これからの
 高齢者は健康を守り、自活し、可能な限り支えられる側から支える側への努力をせねばならない。』というもの、在校生代表の
 「歓迎の言葉」、新入生代表の「誓いの言葉」も市民大学の3つの活動、学習活動・クラブ活動・ボランティア活動から特に
 ボランティア活動を通して社会参加・社会奉仕への積極的かかわりを言っていました。

  昨日の生涯学習推進部の今年の活動テーマ『共助でつなぐ』を思い出しました。高齢者の皆様がこうしたことに意欲的な事は
 素晴らしい事です。様々なイベントで今年もまた高齢者大学の皆様の協力をいただき、ご一緒に活動することなるでしょう。
  よろしくお願いします。

             ● 社 会 教 育 3 団 体 合 同 研 修 会  4/13(土) 中央公民館

 
 13日午後中央公民館にて平成25年度の第1回「生涯学習推進部」全体会、終了後「社会教育
 3団体合同研修会」が開催されました。
  推進部全体会は25年度の基本方針として
 
(1) 生涯学習推進大会=まなびすと久喜を今年度は鷲宮西コミュニティセンターを会場として開催する
 
(2) 25年度の年間テーマ  スローガン「地域で学ぶ、地域が育つ」 テーマを「共助でつなぐ
                               
~自分が変わるその一歩」とする
  を決定、その他いくつかの日程を確認して終えました。
 【3団体合同研修会開会式】
 
 社会教育3団体とは「社会教育委員会」、「生涯学習推進会議」、「生涯学習推進部」を言います。「社会教育委員」は「社会
 教育法」15条に基づき設置されている特別職、任意の機関ですがほぼすべての自治体に置かれています。
  「生涯学習推進会議」は久喜市の条例で、「推進部」は規則で設置基準が定められています。「推進会議」は行政が生涯学習推進
 に取り組んでいる自治体には多く置かれていますが、「推進部」は久喜市の独自の組織です。
  この3者の合同研修会は昨年から持たれています。意見交換の中で互いの活動を理解し、自らも研修しつつ久喜市の生涯
 学習の進展につなげて行こうというものです。

  今回は3団体から約40名が参加しました。社会教育委員会と推進会議は20名以内と決められています。推進部員とダブって
 いる人が結構いますから出席50%強というところでしょうか、この数字が高いのか否かは判断に困ります。
  参加者全員を8名くらいで5つのグループに分け、徹底討論というこのところ良く行われている形での研修でした。一応テーマが
 与えられており『久喜市の生涯学習、社会教育活動を進めよう。-まなびすと久喜、まなびすとフォーラムを市民のものとするために』
 というものでした。グループごとに司会者を決め、自己紹介からグループ討論は進められました。正直言って自分の活動の紹介、
 生涯学習という深くて高くて広い中で、自己が考える部分への意見等が中心であり、テーマへの討論にはなかなか進みませんでした。

  参加者は全員良く知っている推進部員をはじめみな真面目な人ばかりです。ただ活動の経験にだいぶ多様性があります。こう
 した研修会でいまさら「推進会議」と「推進部」の違いと関連、社会教育委員の性格と生涯学習推進活動への関わり等について
 共通点に立てないのは悲しいことです。

   私はこの日、スポ少野球春季大会閉会式に出ねばならず、途中で退席しました。したがってグループ討論の最終段階も、
 各グループ毎の報告も聞けませんでした。前記したように今年の「まなびすと久喜」は、20年近く固定されていた中央公民館から
 鷲宮西コミセンに会場を移して行われます。マンネリを打破するためです。このグループごとの徹底討論というスタイルもかって
 あれほど新鮮だったのに、このごろはどうもマンネリの領域に近づきつつあるようです。


          ● 平成24年度・くきっ子ゆうゆうプラザ閉校式  2/14(木) 久喜小

  久喜小の放課後子ども教室、「くきっ子ゆうゆうプラザ」の平成24年度閉校式が14日、久喜小体育館で
 行われました。平成17年にスタートした「久喜市放課後子ども教室」は合併までの5年間で、旧久喜市
 10校全てで開校、合併後は旧3兆での開校を目指し、着実な歩みを続けてきました。本年度は新たに
 鷲宮小でスタート、全23校中17校にまで拡大しています。この間努力を傾けられた「運営委員会」の皆様
 ご協力をいただいた行政・各学校関係者に心より感謝申し上げます。
  平成17年市内初めて開校し、その先鞭を取ったのが久喜小学校、今年で8年目を終えたことになります。
 今年の参加児童数149名、登録サポーター数90名、この8年間絶えず先頭を歩いてきた自信と実績に
 【 学 校 長(教頭) 挨 拶 】  満ちた落ち着いた良い閉校式でした。

  会はY実施委員の司会で始まり、青木くきっ子実施委員長、飯島久喜市放課後子ども教室運営委員長、
 久喜小校長(教頭代理)より挨拶をいただきました。青木実施委員長はサポーターの皆様へのお礼、飯島
 運営委員長は8年間の継続・蓄積を陳べていました。
  数多い講座・教室の中から「フラダンス」と「よさこいソーラン」の発表に移りました。共に低学年の女子が
 主流、フラダンスは「レイ」を首に、よさこいソーランは拍子木を手にしての一生懸命の演技でした。大勢
 いた1年生女子の腰を振ってのフラダンスは何とも愛らしく拍手喝采でした。それにしてもよさこいソーランも
 【成果発表・フラダンス】 含め1年で何日も無い教室・講座で、良くここまでマスターしたものと感心しました。

  約10名の6年生が卒業を前に「ゆうゆう」の感想を発表しました。中には1年生から6年続けた子もいます。
 間もなく中学校に進学、新しい生活が始まります。緑の平原ばかりではありません。荒々しい岩山も待ちかまえ
 ています。そんなとき「ゆうゆう」での体験が少しでも役に立てばうれしい限りです。
  6年生男子と2年生女子の保護者・Sさん、フラダンスのご指導をいただいたサポーターのAさんから感想を
 受け、実施委員長の「まとめ」で閉校式を終えました。
  
 【6 年 生 感 想 発 表】  何か良いことばかり書いてきました。しかしこれは実施校全て共通だと思いますが
 良い方向だけとは限りません。何せ実施委員・サポーターのボランティア性に全て依拠しているからです。

  万難を排し時間をつくり、講座に出たところ子どもが少なくがっかりしたというサポーターがおられます。 実施委員は学校・行政との交渉
 安全配慮と気の休まる時がありません。少しくたびれたな、とのグチが出ます。
  しかしです。子どものためは自分のため、子どもを健やかに育成する道は、同時に自分と自分の地域を元気にする活動なのです。
  『次の実施委員会は*月*日、今年1年の反省会』、『4月の代表者会議、5月のサボター会議、すぐやってくるわよ』と皆、気分を
 引き締め解散しました。

     ● 平成24年度・久喜市高齢者大学卒業式&終了式  2/13(水) 総合文化会館大ホール

  平成24年度第30回「久喜市高齢者大学」の卒業式・終了式が13日、総合文化会館大ホールにて
 行われ出席しました。
  「久喜市高齢者大学」は(通称・高大)昭和54年・1979年旧久喜市時代に建学されました。長寿時代を
 先取り、高齢者(60歳以上)の皆様に出会い・ふれあい・学びあいを通して、生きがいと活力に満ちた
 長寿社会をお送りいただこう、との目的でスタートしました。全国各地に「壽大学」とか「老人大学」とか
 同様のものは多くありますが、殆どが1年制か2年せいのもの、始めから4年制でスタートし、修学旅行
 等充実したカリキュラムを持ち、豊富なクラブ活動、合わせて各種地域行事へのボランティア活動等
  【 学 長 式 辞 】  「久喜市高齢者大学」はこの種としては日本有数のものといえます。


  今年の卒業生64名、各学年を終了し、それぞれ1年進学する者は1年生95名、2年生119名、3年生125名でした。3年生から
 急に学生数が増えたのは合併により通学地域が新市全体に拡大されたためです。
  卒業証書・修了証書の授与についで卒業生の皆勤賞・精勤賞表彰がありました。64名卒業生のうち、4年間1日も休まなかった
 皆勤者10名、精勤者も同じく10名というのにはおどろかされました。「意欲ある人は健康だ!」、ということをつくづく思いました。
  
  学長長(田中市長・吉田副学長(教育長)代行)式辞、来賓挨拶、在校生代表送辞、卒業生代表答辞で式は終わりました。
 卒業証書をいただきに壇上へ進まれた方や、各代表には顔見知りの方が大勢いらっしゃいました。皆「市民まつり」や「まなびすと」
 等でご協力いただき親しくなった人ばかりです。どうぞご卒業後もご協力をいただき、各種市民活動・地域活動の充実にご尽力
 下さい。
  夢中で走り続けたきた私もいつの間にか皆様と同年代となりました。共に頑張って活動し、元気で活力に満ちた久喜市をつくって
 行きましょう。

   ● 平成24年度・第3回久喜市生涯学習推進大会・まなびすと久喜 2/2(土・)3(日)中央公民館

 
 新市となってからは第3回旧久喜市から数えると第25回となる平成24年度・「久喜市生涯学習推進
 大会・まなびすと久喜」が、定例日の2/2(土)・3(日)、これまた固定されている中央公民館で開催され
 ました。2/2づけ「スポレクのページ」にも記しましたが、この2月第1土日は私にとってどうしても外せない
 行事がここ数年来これまた固定されています。準備段階をふくめ余り関われなくなっていましたが、今年は
 プラスして家族の入院問題が加わり、準備段階でナント1日も顔を出せませんでした。2・3当日も私の方の
 仕事とのかけもち、行ったり来たりでした。欠席裁判で担当とされた2Fのフロアー長にお小言を頂きました。
 
返す言葉も有りません・ひたすらお詫びします。ただ来年は少しはマシとなりますがこの日程が続く限り
 
【中公会場固定は今年が最後】  余り状況は変わらないかと思われます。

 
 大会の日程も内容もほぼ毎年固定されたものとなっています。1日目は「まちづくりフオーラム」、2日目は
 
「中公」全てを使っての各種イベントです。1日目午前の準備に参加、中座、白岡市での講演を終え、会場に
 戻ったとき、丁度バネルディスカッションの始まりでした。実は前段階の基調講演を予定されていた菖蒲町の
 K氏が急病で倒れ、急遽鷲宮S氏に変わると言うアクシデントがありました。K氏とは長きにわたり親しく交際
 を続けてきました。幸い快方に向かっているとの事、1日も早い復帰を祈念いたします。
  パネラーは菖蒲から荒井菖蒲商工会会長、久喜地区・会社役員富田さんと商店主飛高氏、鷲宮から鷲宮
 【まちつくりフォーラムバネルディスカッション】 商工会青年部の松本氏、栗橋から栗橋宿ふれあい推進協議会の吉岡氏の5人でした。

  5人共それぞれの地域で、熱心に町おこしに取り組んでいるのが良く解る楽しいバネルディスカッション
 でした。「モラージュ菖蒲」・「フォレオ菖蒲」等大型ショッピングセンター出店の中で、多くの地域密着型の
 イベントを実施、ゆるキャラ・しょうぶパン鬼ー君の応援をえて頑張っている荒井氏の報告、私とは提灯
 祭りの仲間である飛高氏は、「提灯祭り」・「街の駅」開設等を通じ、必死に中心市街地の活性化に取り組
 んでいる活動を報告、また栗橋・吉岡氏は利根川堤防強化工事による地域コミュニティ崩壊を防ぐため

 
「出来ることをみんなで」を合い言葉に栗橋宿の再生・活性化に取り組む活動を報告されました。私も議長
 【ゆうゆうプラザ活動紹介コーナー】 時代に何度かイベントに参加しています。この日私は17時までに八潮市へ出向かねばならず、
 時計とにらめっこしながら拝聴しました。


 
 まなびすと2日目は会場の中央公民館を屋外から4Fまで全てを使っての各種イベントです。フロアー長
 からお小言を頂いたように、この日も私は「ふれあいセンタ」ーと「中公」を2往復、会場には3時間弱しか
 いられませんでした。屋外は焼きそば・手打ちそば等の「食から学ぶ!市民の輪・話・和」コーナー、1Fは
 大集会室での「まなびすと発表会」、2Fは工作教室、おもしろ理科実験、ロボットで遊ぼう等の参加型のもの
 3Fは児童館の児童演劇グループによる児童劇や「お話を楽しむ集い」、そして4Fが「ゆうゆうプラザ」の
 活動展示や市民大学・高齢者大学・市民大学交友会等の紹介コーナーと正に盛りだくさんです。出演団体

 
【まなびすと発表会、ゆうゆう子ども達のよさこい】 展示するサークル等全て公募です。推進部員を中心に市民大学生・理科大生
 
市内中・高生のボランティアの熱心な活動がそこにはありました。

  
相変わらず美事だ、と言う思いもあります。市民主導の生涯学習のまち・久喜市の真骨頂が此処にある
 とも言えます。ただ、ただです。私は第1回大会からこの25年間ずうっーと推進大会に関わってきました。
 変えるときには変えてきました。今・どこか変えねばいけないのです。変えるべき時期に来ているのです。
  企画・イベント内容に多く固定化がみられます。全てにマンネリ化が蔓延しています。新鮮で活力に満ちた
 市民大学**期生の某氏が「自己満足に近いネ」とまで言っていました。ここ数年私は口を酸っぱくして

 
どこぞの政党ではありませんが「チェンジ」を口にしてきました。幸いにも会場・中公の固定は今年で最後です。
 【にぎわう体験コーナー】  隔年毎に3地区での開催となり、来年度は鷲宮西コミセンでとなります。会場が変わると共に
 企画・イベントを準備過程から変えていきましょう。
  もっとも今年何もしなかった私には発言する資格がないかも知れません。今度は口うるさい誰かにお小言を頂きそうです。チヤック ザ
 マウスで行くことにします。。

 ●久喜市生涯学習推進部・市民大学・生涯学習推進会議合同研修 12/1(土)ふれあいセンター久喜

  この日はバドミントン県大会、この大会のアジア青少年スポーツ指導者14カ国約30名の
 視察団来訪等ありあわただしい1日でした。そんな中2時間の時間を割いて研修会に出た
 のは講師が文教大学教授・野島先生だったからです。
  野島先生は久喜市民大学設立準備の頃から久喜市と関わりをもち、その後市の生涯学習
 推進に多くのご指導を頂き続けています。初期の市民大学の講師も勤められました。私は
 市民大学・大学院共に1期生ですが、大学院では野島先生の「生涯学習ゼミ」を受講しました。
 約5万語の卒業論文は私のホームグランド「コミュニティスポーツ論」、熱心な指導を頂きました。
 【講師の野島文教大教授】 野島ゼミの最優秀門下生と自分だけ認じています。
  私にとっては久しぶりにお聞きする先生の講演でした。多様な人が対象ですから専門的な内容でなく、広く「学ぶことの
 大切さ」を語りかける内容でした。いつもながら「引用例」が豊富で笑いながら楽しく聞けました。

  あなたは充実していますか? から講話は始まりました。仕事・家庭・育児に追われるだけの日々、子育て・仕事が
 終わった後のむなしさ、コミュニケーション不足、時間があっても仲間がいないしょんぼり高齢期、これを乗り越え
 充実した人生を送るキーワードは「学び」と「つながり」、と言うより「学び」を通した「つながり」にある。
  「幸せ」とは「仕合わせ」の事。仕事を合わせる・つながりを合わせる=幸せ
  地縁 血縁から幸縁社会へ(学び、つながる「縁」を好む社会、すなわち
  住民同士のコミュニケーションを大切にする社会を!
  そのためには市民大学学生等が「学び」で培った社会力を活かして
 インストラクターとして プランナーとして コーディネーターとして アドバイザーとして ファシリテーター(推進者)として
  カウンセラーとして 地域に係わる活動を始めよう

  公民館活動、福祉ボランティア、町内会活動、学校支援ボランティア、「幸縁」の仕掛けをする場所は一杯ある
 さあ地域に出よう! 始めなければ始まらない    で講演は終わりました。

  今回は市民大学生等が中心ですから、いわば入門編、生涯学習の進め、といった内容でしたが、久しぶりの野島
 先生の話を楽しく聞けました。
  今久喜市は新市の生涯学習推進計画を策定中です。旧久喜市の推進計画策定の責任者だった私はアドバイザー
 の立場にあります。野島先生には特別アドバイザーをお願いしています。原案策定までにアト1回くらいはお会い
 できそうです。またご指導をいただきます。と思いながら急いで体育館へ戻りました。


       ● 久喜市放課後子ども教室研修会   11/17(土) ふれあいセンター久喜

  久喜市放課後子ども教室(ゆうゆうプラザ)は合併・新市誕生後も順調な歩みを
 続けています。この3年で新たに菖蒲3、鷲宮2、栗橋1で開校、久喜地区10校に
 加え16会場で実施され、今17校目を目指し鷲宮小で準備が進められています。
  こうしたことは行政・教育委員会の指導もさることながら、運営委員会の努力
 何よりも各実施会場での久喜市の高い地域教育力に裏打ちされた実施委員、
 支援サポーターの熱心な活動故と心より感謝する次第です。
  そうした「ゆうゆう」に係わる全ての人のこの事業への理解を高め、活動の充実を
 【講演する梶野光信氏】  期す本年度の「全体研修会」が17日ふれあいセンターで開催されました。

  講師の梶野氏は東京都教育庁勤務、都の社会教育の施策を担当、また早稲田大学の非常勤講師でもあります。
 ところで「好事魔多し」と言います。行事というのは重なるものです。先週の土曜日は「健康食育まつり」と「東小
 30周年式典」が重なりやりくりに苦労しました。この日もこの研修会が13:30開始、15:00より私が仕切らねば
 ならない「埼玉県スポーツ少年団本部長会議」がしかも加須市で控えており、時計をにらみながらの拝聴でした。

   梶野氏は単なる講演だけでなく、途中でいくつかの設問を用意、それをワークシートに書かせ参加者に発表して
 もらい、次の講演内容につなげると言う形式で進められました。まず「放課後子ども教室」が施策化された経緯
  平成14・2002  完全5日精の実施
     16・2004  文科省「地域子ども教室推進事業」
     18・2006  教育基本法改正(学校・過程・地域のいわゆる3者連携)
     19・2007  文科省+厚労省「放課後子どもプラン」
 放課後子ども教室とは ①全ての子ども(を対象)に、②地域の方々の参加を得て、③体験の機会を提供する取り組み
 放課後子ども教室の必要性  子どもに体験の機会を提供(生きる力の育成)、それを地域で保障していく。
 子どもが育つための大人の役割とは  2つの大人のタイプが必要
  1つは学校の先生・親タイプ、        ものの善悪の判断を教える
  1つは近所のおじさん・おばさんタイプ  子ども達が生きる為に必要な「世間知」を伝える。現代社会で失われつつある    
 むかし「生活共同体」としての地域社会には、子どもを育てるための仕組みがあった(子どもが運営する地域の行事)
 これからの放課後子ども教室  体験の場の提供 → 体験の「質」を考えよう
                     地域社会の一員としての子どもの参加、子どもを地域社会の担い手に

  正直言ってラスト近くは『もう行かねば、もう会場を出よう』と思いながらの拝聴でしたので、余り心に響く講演とは
 いきませんでした。反省します。
  実際活動に当たっていれば「どうあるべきか」を考えるより、現場の活動にのみ追われると言うのが普通です。
 時々立ち止まって考えてみる、そんな意味では有意義な研修会でした。

       ● 久喜東小学校創立30周年記念式典   11/10日(土)東小体育館

  つながってきた今 つながってゆく未来 を合い言葉に久喜市立久喜
 東小学校の開校30周年記念式典が10日同校体育館で開催されました。
  ご承知の様に私は久喜小地区の人間ですが、「東小」とは深い関係を持ち
 ます。と言うのも何故か歴代の校長先生とは格別に親しくご指導を頂き、
 また種々の活動をご一緒してきたからです。初代・小林先生、二代・但木先生
 久喜市教育委員会で社会教育課(当時)課長補佐も勤められた奥沢先生等
 懐かしい思い出があります。平成の2桁になってからの校長先生は特に地域
 【挨拶される末田校長先生】  とのつながりを大切にされる校長先生ばかり、7代吉住先生とは加須市立
 「ひやり小」ご異動後も何度かお訪ねし意見を交じ合わせました。

 そして先代9代目が生涯学習推進部でご一緒する金子先生、現校長が久喜市
 教育委員会で生涯学習を長く担当され、現「放課後子ども教室」導入に当たり
 夢を語り合った末田先生、と言う具合です。こうした歴代校長先生のご指導の下
 学校応援団長柿沼氏、今回の記念事業実行委員長渡辺氏、旧PTA会長新井氏
 等の優れた地域教育力が存分に活かされ、「さくらっ子ゆうゆうプラザ」等、学校
 家庭・地域がつながり、子ども達の健やかな成長を保障していくという今日の
 【レグスタイルのダブルタッチの演技】「東小」を形づくっているものと評価する次第です。

  式典はこの日の午前にありました。私は「健康・食育まつり」のためどうしても
 こちらに参加できず、午後の「記念公演」のみ出席しました。-(市政ニユース
 11/10参照)-『素晴らしい式典だったのよ』と渡辺氏に言われました。と思い
 ますが「記念公演」の方も中々のものでした。縄跳びのパフォーマンスチーム
 「レグスタイル」が体育館壇上でダブルダッチを見せ、会場を沸かせました。飛び
 入りで子ども達から若手教員まで参加、大いに盛り上がりました。また光GENJI
 【全員で勇気100%を踊る】  の曲「勇気100%」にのったダンスを指導、ごく短い時間でしたが見事に
 マスターした子ども達から、先生方、来賓の地域の方々迄含め全員で踊り、フィナーレを飾りました。実に
 さわやかなひとときでした。もっともフオークダンスさえダメという私は呆然と眺めているだけでしたが…‥
 お許しを乞います。

  「久喜東小」の開校30周年を心よりお祝い申し上げます。つながってきた今 つながってゆく未来
 子どもと先生方がつながり、学校と家庭と地域がつながり、子らみな花咲く さくらの学校 を創り上げて
 きた「久喜東小」が、つながりをさらに深め無限の未来へと歩み続けられることを期待します。
  当然私も「ゆうゆうプラザ」や「スポーツ少年団」の活動を通じその輪の中にあり続けます。

          ● 「まち研久喜」シラコバト賞受賞   10/15(月)

 
 久喜市生涯学習まちづくり研究会(通称・まち研久喜)・中里厚子代表の平成24年度の
 シラコバト賞受賞が決定しました。平成15年に同会を立ち上げた者として心よりうれしく思い
 長きにわたる会員諸兄姉のご努力と、ご推薦いただいた関係皆様に感謝するものです。
 
  シラコバト賞は歴代県知事が会長を勤める「埼玉県市町村コミュニティ協議会」が、地域で
 以下のような活動を長期にわたり展開している団体・個人を地域からの推薦に基づき表彰
 するものです。
  1・心のふれあいを深める活動
  2・健やかな心身を育てる活動
  
3・住みよいふる里をつくる活動
  4・郷土を知り、郷土を想う活動     「まち研久喜」の活動は上記いずれにも関わりますが
 強いてあげれば、2に生涯学習の推進活動が含まれており、更には「見知=検地」から来る
 4も含めて評価されたものと思われます。

  私も平成2年にこの賞を受賞しています。当時の会長=県知事は「畑和」氏でした。私の
 場合は100%社会体育・市民スポーツ活動がその対象だったと思っています。
  
  その後私は平成4年に「生涯学習推進部」を組織、その委員長として活動していました。
 平成7年「久喜市民大学」に1期生として入学しました。また習志野市秋津の「学社融合研究会」
 入会やNPO法人「全国生涯学習まちづくり研究会」・福留強代表の「生涯学習まちづくりコーディ
 ネーター」の資格を取得した頃でした。
  そして平成14年その後の「ゆうゆうプラザ」の源流となった「学校支援ボランティアの会」
 翌15年にこの「生涯学習まちづくり研究会」を組織したのです。
  発足した当初、町を見、町を知る=検地・見知活動に熱心に取り組みました。参加された・市民
 ご家族の方と一緒に旧久喜のみならず、合併相手の菖蒲・鷲宮など歩きました。

  
また親子が参加する久喜宮代衛生センターでのカブトムシ幼虫さがしから育てる活動、木工工作
 教室、クリスマスリースづくり等を根気よく続けてきました。
  
  会員は決して多くなく、拡大しているとは言えない状況にあります。月1回の例会も出席者が固定化
 しつつあります。それでも各会員はそれぞれが生涯学習推進部員、各地区の「放課後子ども教室=
 ゆうゆうプラザ」の推進者として地道な活動を展開しています。
  これからも町を見、町を知り、埋もれている様々な資源を見つけ出しまちづくりにつなげていく、
 着実な活動を続けていきたいと考えています。
  なお表彰式は11/14(水)県民の日にさいたま市で行われます。私はもう11月定例会を準備する
 「代表者会議」の日、参加できそうもありません。


 ● 放課後子ども教室運営委(9/5鷲宮総合支所)くきっ子ゆうゆう(9/6久喜小)

 
 異常気象では決してありません。もう通常気象の中で猛暑の夏は
 暦の上のみ終わり9月を迎えました。夏休みで長く休みだった「ゆう
 ゆう」も再開します。そんな中5日(水)は鷲宮総合支所で運営委員会を
 開催、そして6日(木)は夏休みを終えての初の「くきっ子ゆうゆう」の日
 でした。
  
運営委員会では様々な秋の行事について協議しました。11/17
 
(土)はふれあいセンターで全体研修会を開催します。また情報交換会
 
【室内ボール遊び・手前1年生】 として11月から12月にかけ各ゆうゆうプラザ実施校を見学で
 きる企画もあります。

  
6日(木)は13時より実施委員会はもち、前記運営委員会決定事項を
 
連絡確認しました。15時からが「くきっ子ゆうゆう」ですが、丁度その
 頃雷雨となり、室内に切り替えました。
  
体育館ではドッヂボール、それにフラダンス、そろばん教室、学習の
 
時間、スポーツ吹き矢が強の講座です。夏休みによる長い中断が
 
あったにもかかわらず子ども達も、サポーターも元気に参加してくれ

 
【願いましては… そろばん教室】  くれました。笑顔が何よりでした。
  
 
 ドッチボールが元気に始まったのを見届けた後、それぞれの講座の
 教室を見て歩きました。
  
スポーツ吹き矢は私も親しいレク協「スポーツ吹矢連盟」連盟の人が
 熱心に指導してくれます。礼儀と作法を尊ぶ「スポーツ吹き矢」はあた
 かも日本弓道を見るかのようです。「ソロバン教室」も私の古き友人
 
「N」氏が熱心に指導しています。本町小の「ゆうゆう」も見てくれて
 
【礼儀・作法正しくスポーツ吹き矢】 います。『退職してゆうゆう自適の身、ゆうゆうで子どもと
 接するのが今の俺の唯一の生きがい』と言ってくれています。ありがたい限りです。

 
 さあー再開しました。可能な限り現場に出て子ども達の笑顔と一緒にいたいと考えます。

 
        ● まち研例会「鷲宮神社夏越祭」見学 7/31(火) 鷲宮神社

 
 決して活発とは言えませんが、親組織の全国まち研(代表福留強)
 の活動が余り聞こえてこない中、「久喜市生涯学習まちづくり研究会」
 (通称・まち研久喜・中里厚子代表)は着実な歩みを続けていると言え
 るでしょう。合併前後の検地(見知)活動で旧3町を市民と共に訪ね
 歩いた活動に一応のピリウドをうって、子ども達の育成活動と並んで
 地域の祭りを中心とした行事を訪ねています。5月の「除堀ささら」に
 次いで、猛暑のなか7/31の鷲宮神社夏越祭と奉納された催馬楽

 
【本殿前の輪をくぐるまち研会員】 神楽見学もこの活動の一環でした。

 
 「夏越祭」とは大祓の一種、炎熱の夏を迎え、荒廃しがちな心を清め
 るみそぎの行事です。かっては「水無月」晦日とされていましたが、
 鷲宮神社では毎年7/31に行われています。

  
またこの日は茅で輪をつくり、その輪をくぐります。左-右-左から
 輪に入る、8の字を描きながら3回通ると災害悪疫から逃れる、とされ
 ために「夏越祭」を「輪くぐり祭」と呼ぶ所もあります。(-写真・上-)
 
【奉納された催馬楽神楽】  この日久喜駅集合、10数年ぶりという東武線鷲宮駅におりて
 歩いての参加でした。

  鷲宮神社と言えばなんと言っても関東神楽の源流と言われる、国指定重要無形民俗文化財
 土師一流催馬楽神楽です。鷲宮神社では年6回、元旦などに神楽を奉納しますが、夏越祭も
 その1日です。私も親しくご指導を頂いている針谷健次氏を会長とする「保存会」の皆様が市民
 また鷲宮高校・鷲宮中学等で「郷土芸能クラブ」を組織され指導に当たっています。鷲宮神社
 神楽殿で舞われる神楽をじっくり見ました。
  神楽は第一座から第十二座まであるそうです。舞人は曲目によって違いますが1人から3人
 位までです。拍子方は小太鼓・大太鼓・大拍子・笛各1人、笛が特に心にしみました。謡方は
 1人です。この日十二座のうち半分くらい奉納されたのだと思います。写真は第五座「磐戸照開
 諸神大喜之舞」です。翁面1人、巫女2人の舞でした。鷲宮神社のうっそうたる大木の陰に涼を
 求め、しばし幻想の世界にひたりました。

  この日「夏越祭」最後の中川へ人形を流す行列の出発まで見る予定でした。しかし急逝した
 議員仲間への弔問が入りそれが出来ませんでした。紙の人形に罪や汚れを移す、その人形を
 船にのって古利根川に流すのだそうで、馬2頭にのる宮司を真ん中にして、巫女さんや氏子
 等の行列が続くそうです。この出発を見られなかったのがすごく残念でした。


  ● 久喜市生涯学習推進部24-5委嘱式・定例会 7/24(火)市役所4F会議室

  久喜市生涯学習推進部の24-5年度の委員委嘱式が、24日市役所4F会議室にて開会
 されました。久喜市の生涯学習推進に関わる最高機関は「久喜市生涯学習推進会議(議長
 平忠昭氏)」です。「推進会議」の決定した推進施策・方向に基づき、個別事業・具体的行事の
 企画・運営に当たるのが「推進部」です。現在は市長より委嘱を受け、『40名以内をもって
 組織される』と規定されています。
  
  久喜市の生涯学習推進活動の組織的・計画的推進活動は昭和63年から始まります。平成
 元年・2年と文科省による補助金事業『生涯学習まちづくり推進事業』に久喜も参加しました。
 そのための必置機関であった「生涯学習推進会議」を昭和63年秋に組織、「第1回久喜市生涯
 学習推進大会(現・まなびすと久喜)」を翌年2月に開催しました。私はその時、社会教育団体
 代表として「推進会議委員」の委嘱を頂きました。以来4半世紀、今その時を知る唯一の活動家
 となってしまいました。

  希望に満ちた船出でしたが1つは生涯学習そのものが未成熟なものであったこと、1つは
 「まちづくり」を意識する余り幹部行政職員の多くを委員とした事務局の問題点がからみ、数年
 後には無活動状態に陥りました。この情況の突破を目指し、私は当時の事務局H氏と相談し
 取り組んだのが、現場活動家の組織化でした。公民館・市民スポーツ、青少年活動等様々な
 地域活動に熱心にり組む仲間を、今日は3人、次は5人と増やしていき、こうして「推進部」を
 平成4年にスタートさせたのでした。

  ちょっと口幅ったい言い方となりますが、地域活動で体験を積み、情熱に満ちあふれた優秀な
 仲間ばかりでした。皆熱心に活動してくれました。私は10年を越え委員長を努め、「まなびすと
 久喜」、「まなびすとフォーラム」、「広報紙・まなびすと久喜」等現在の形の全てを組織しました。
  組織原則論では逆となりますが、「推進部」の努力で「第二次生涯学習推進会議(議長・田中
 市長)」を再建、発足させました。今思い出しても充実し、楽しい日々でした。

 
 それから10年経うとしています。久喜市の生涯学習は高齢者大学・市民大学等の歴史が
 深まり、益々充実したと言う面と、ややマンネリ・形骸化したという面がない交ぜとなっています。
  特に現在の「第三次生涯学習推進会議」の組織形態は理解できないものがあります。私自身
 で言えばどうしてもこちらに多くの時間をかけることが出来なくなりました。特にこの2年間はそう
 でした。反省することしきりです。 

  合併して最初の2年間の任期を終え、24-5、2年間を任期とする推進部員33名に委嘱状が
 交付されました。継続22名、新人11名とのことです。初めての会議ですから自己紹介が行わ
 れました。『何も解りませんが…‥』という発言が多くありました。『解らなく』てもかまわない
 のです。問題は『解る』努力を継続すること、情熱を燃やし続けることです。
  委嘱状交付式の後全体会をもち、組織体制を固めました。委員長に金子氏、副委員長に柿沼、
 中里両氏が再選されました。よろしくお願いします。
  専門部会への所属では私は「学社連携部会」に戻りました。この部門は私のライフワークです。
 シッカリ勉強していきたいと考えます。

  
推進部の具体的活動の最大のもの、「生涯学習推進大会・まなびすと久喜」のマンネリ化が
 叫ばれて久しいものがあります。今年は中央公民館会場の最後、来年は鷲宮、そして会場を
 毎年変えていくこととなります。変わらねばならないし、変えねばなりません。「推進部」の
 在りよう、活動も変わらねばならないし、変えていかねばならないのです。


            ● くきっ子ゆうゆうプラザ開校式24  6/21(木)

 
 久喜小の放課後子ども教室、「くきっ子ゆうゆうプラザ」の24年度
 
開校式が、21日同校体育館にて行われました。久喜小の「ゆうゆう」
 
は未だ「地域子ども教室」と言われた平成17年、市内初モデル校と
 して開校され、今年で8年目に入ります。この事業の提唱者てあり、
 母校・地元でもあることから、私が「くきっ子」にズーと関わっている事
 はもう何度も報告してきました。

 
 この事業も関係者みんなの熱心な活動があり、大きな前進をみせて
 
【実施委員長挨拶】  います。すでに市内全23校中16校で開校され、更に鷲宮地区砂原小
 鷲宮小で本年度の開校を目指し準備が進められています。


  
「くきっ子ゆうゆうプラザ」は今年も木曜日の放課後、第1・3土曜日
 
午前中と24日開校されます。参加児童は現在で145名、また100名
 弱の地域サポーターの協力を頂いて、学習・そろばん・編み物・室内の
 遊び(以後・オセロ・ダーツ等)・フラダンス・更には長拳、お茶・料理
 教室・トランポリン・おもしろ理科実験と豊富な科目が組まれています。
  
更に今年の大きな特徴があります。それは参加児童の8割を超える
 
【9つの約束ときまりをみんなで唱和】110名強の保護者の皆様が保護者サポーターとして登録いただいたことです。

  こうした試みは久喜東小・「さくらっ子ゆうゆう」等ですでにみられて
 いま した。「ゆうゆう」に保護者の皆様にどれ位関わって頂くか、と
 いうのは微妙な問題です。この事業の最大の特徴である
 
「ボランタリー性」に関わるものだからです。私は「スポ少」でこの
 問題をズーと経験しています。運営委員・実施委員の皆様のご配慮を
 【安全サポーターの保護者と一緒に帰宅】 お願いする次第です。


  
開校式は実施委員長、校長挨拶、6年生児童の「誓いの言葉」、そして「くきっ子ゆうゆう
 プラザの9つの約束」の全員による唱和で幕を閉じました。「9つの約束」とは実施委員の作に
 よるもので、『サポーター、お兄さん・お姉さんの言うことを良く守ります。』、『始めと終わりには
 キチンと挨拶をします。』、『帰りはみんなと一緒に交通安全に気を付けて帰ります。』等々と
 いったものでした。帰りは今日大勢お越し頂いた保護者の皆様が、早速下校安全サポーター
 として一緒にかえっていただきました。今年1年無理の無い範囲でよろしくお願いします。

  さあ24年度「くきっ子ゆうゆう」が始まります。去年はご承知の様な事情で殆ど出られません
 でした。その分今年は頑張りたいと考えています。

     ● 平成24年度・第3回まなびすとフォーラム 6/9(土) 栗橋北彩高校

  平成24年度・第3回「久喜市生涯学習研修大会=まなびすと
 フオーラム」が、9日栗橋北彩高校食堂で開催されました。この日
 私は蓮田黒浜グランドで開催されたロータリーカップ大会会場から
 はせ参じましたので、開会にやや遅れました。会場につくやそれなりの
 大きさを持つ栗橋北彩高校食堂が参加者で溢れているのを目にしま
 した。『多いな』と思ったのですが、グループ別協議のテーブルが16、
 そこに原則9名に座っていただいたそうで、役員を含むと優に150名 

 【150名を越す参加者をみました】  を超えていました。これが「市民主導の生涯学習の街」
 久喜市の強さなのです。

  今年のスローガンは「地域で学ぶ・地域が育つ」、そしてテーマは
 「あなたにとって学校支援・協力とは」というものです。これを16の
 テーブル毎にみんなが徹底討論します。私のグループは高校生、
 市民大学生、教員、PTA役員、ゆうゆうサポーターと多士さいさい
 1時間の討論の後、それぞれがポイントをメモに書いて模造紙に、
 それを更に項目別にまとめてグループ発表としました。
  ところで今回のテーマ「あなたにとって学校支援とは」について私見
 【項目毎に意見をまとめます】  を陳べてみたいと考えます。

  このテーマは「学校」と「地域」という実態があって、「地域」にいる
 あなたが学校を支援する、その在り方とは、という発想です。これは
 地域(あなた)→支援学校という1方向の支援となります。そうでなく
 学校と地域の支援とは双方向のそれでなければならないと考えます。
  そのためにも学校と地域が混ざり合う・解け合う=学社融合という
 状態、あるいは地域の中に学校がある(地域立学校)と言う状態が
 【グルーブ別協議を発表します】  望ましいと考えます。貴方にとっての学校支援は、同時に
 貴方(地域)への学校支援でなければならないと言うことです。


  合併3年目、第3回のまなびすとフォーラムは活況を呈して終わりました。この力を中央公民館
 を会場としては最後となる今年の第3回生涯学習推進大会=まなびすと久喜につなげていき
 たいと考えます。

      ● 1年半ぶりに読み聞かせボラを再開しました   5/23(水) 北小

  私はこの歳になった今でも「スポ少」・「ゆうゆうプラザ」と、子ども達との楽しい時間を共有する
 のを常としています。基本的に子どもが好きなのです。そうした中でもう10年以上前のこととなり
 ますが、子どもが関わることで実にいやな事がありました。大変なシヨックを受けました。そうした
 中で今までとは違った活動で子どもと接してみようと思い、「読み聞かせボラ」を始めました。
 子どもの頃から朗読・本を読むことにはかなり自信があったのです。
  市立図書館が主催する「読み聞かせ講習会」等に参加しました。地元の久喜小は読み聞かせ
 をPTAのお母さん方のみがやっており、北小はプラス地域ボラで構成されていました。その地域
 ボラの方々の中に何人もの顔見知りがおられ、北小に参加させてもらいました。以来ほぼ10年
 北小で読み聞かせボラを続けてきたのです。

  基本的に月1回、年10回程度ですから、さほど時間的負担もなく続けてこられました。しかし
 です。新市が誕生、新議会となって私の環境が大幅に変りました。22年度何とかスタートした
 のですが急にダメとなり、ご迷惑をお掛けするのが続きました。夏休みを終えた頃『辞めたい』
 と申し入れました。結局の所、辞めることは認められず、活動を休むということになりました。
  以来1年半、24年度スタートに当たり強い復帰の要請がありました。チヨット自信を失って
 いましたが結局お引き受けしました。やはり目を輝かして聞いてくれる子どもの顔が懐かしか
 ったからです。

  だから今日が1年半ぶりの「読み聞かせ」再開の日となりました。大分緊張しました。何を
 読むか少し迷いました。3・11の事を読もうと思いましたが、当然絵本は出ていません。そこで
 「すみれ島」をよみました。月曜日には金環蝕を見、今度の土曜日は運動会です。みんなと
 送る何気ない毎日がとても大切なことを知ってもらいたい、と思ったからです。
  「読み聞かせ」の技術的な部部としてページをめくる、本をキチンと立てる、横から読む、の
 部分があります。久しぶりなのでこちらの方は今1でした。
  今日は5年生が対象でした。今までは低学年のみでしたが今年から広げたそうです。顔見
 知りの子がいて懐かしかったです。
   これから1月に1回のペースですが、コツコツ続けていこうと考えています。
 
    ● 第2回久喜市放課後子ども教室運営委員会 5/17(木)鷲宮総合支所

 
 本ページ4/19日付で報告してありますが、久喜市放課後子ども教室24-5年度の第2回
 運営委員会が17日鷲宮総合支所会議室にて開催されました。
  ご承知の用に平成17年・久喜小で開始されたこの事業(当時放課後子ども教室)は、合併と
 同時に栗橋・鷲宮・菖蒲地区にも拡大され、現在市内全小学校23校中、16校で展開されて
 います。昨年一気に5校で開校しました。そうした学校では今年、定着を目指した努力が続けら
 れる事になりますし、また鷲宮地区を中心に新規開設を目指した活動も行われる事に成り
 ます。それぞれの会場校全てで何らかの問題点を抱える中で、本年度の開校準備がピークを
 迎える中での開会でした。
  情報交換では特に昨年開校した5校(栢間・小林・三箇・東鷲宮・栗橋)の運営委員より様々な
 問題提起が成されました。本年度の開校式は一番早いところで、5/21、最終の所が6/25
 です。申し込み募集中の所、これからの所とありますが、子どもの参加者は相変わらず高い
 ものの全体として去年よりややマイナスという傾向が見られました。問題となったのは保護者へ
 の協力要請の強弱の問題、組織としてのPTAの関わりの2点でした。
  私はスポ少から運営委員として出ています。スポ少でも保護者・母集団の活動への関わりは
 大きな問題となっています。結論から言えば義務化・強制はしない、但し常時協力への強い働き
 かけを行う、と言うことです。後は地域性・組織の個々の事情によると思われます。
  7/4(水)の第1回情報交換会・鷲宮総合支所、傷病者発生時と不審者への対応マニュアルを
 確認、また光化学スモッグ対策に就いても話しあい、会議を終えました。

  その後各会場校実施委員会で会計を担当する人たちとの協議に入りました。いずれの方も
 実施委員会を支えている一線級の活動家ばかりです。
  本年度の予算については前にもふれました。この事業は国と県と久喜市との3分の1ずつの
 補助金で運営されます。今年この事業の実施校が全国的に増大、為に国の分が減少し、総額
 567万1500円となっています。報償費、需用費、役務非、備品整備費(新規開設校のみ)に
 分類されます。予算執行の手順について事務局より説明がありました。
  何せ3者からの公金を使うわけですから、厳正に執行されねば成りません。その分不自由な
 面もあろうかと思いますがご努力をお願いする次第です。
  いよいよ24年度開校への最終準備に入ります。子ども達のはじけるような笑顔と楽しい時間
 を共有できるのももうスグです。

 
      ● 久喜市民大学24年度定期総会  4/21(土) 中央公民館

  久喜市市民大学交友会の平成24年度・第12回定期総会が、21日
 中央公民館にて開催されました。
  市民大学は平成7年開校、今年の1年生が18年期生になります。
 また市民大学校友会は平成13年度から活動、今年で12年目を迎え
 ています。
  私が市民大学1期生であること、市民大学交友会設立準備委員長、
 平成13年度最初の年の市民大学交友会会長を勤めたことは何度も
 【市民大学総会風景】  報告してきました。その後も1期選出役員としてずうーと校友会と
 関わってきました。

  市民大学と校友会が、私が思い描いたものとしてその後在り続けているか、活動しているかに
 ついては大部疑問があります。しかし校友会の歴代役員は皆真剣に校友会活動に取り組んで
 おり、活動量の減った私がアレコレ批判するのは避けたいと考えます。
  今年1期の校友会会員がナント3人に激減しているのにまずビックリしました。担当のG女史が
 キチンと確認した結果だそうです。去年まで私が会費を取りに行くと、『もう校友会はいいんだ
 けれど、岸さんがわざわざ取りに来たんだから今年は継続しますか。』とよく言われたものでした。
 卒業して15年も経つと仕方ないのでしようか。
  今年の会員数は99名です。おそらく全卒業生の4分の1というところでしようか。今年も活動
 予定に年4回の全体会、講演会、親睦旅行と予定され、その他部会活動と目白押しです。
  ただ現実は市民大学卒業生の中で「校友会」があるウエィトを占めるのは4分の1程度に
 とどまるのでしょう。私も行事には可能な限り出るけれど、部会活動の先頭にたって参加者を
 ふやす、と言った活動は時間のなさ故に出来ないというのがホントのところです。

  提案された5議案は全て満場一致で承認されました。役員は2年任期の中間年ですので
 11期柚木会長以下留任しました。ご努力を期待します。前記しましたが予定の行事には
 可能な限り参加していきます。

      ●24-5年度放課後子ども教室運営委員会発足  4/19(木)

  24・5年度の久喜市放課後子ども教室運営委員の委嘱式、終了後
 24年度第一回の運営委員会が、19日市役所4F会議室において開催
 されました。
  久喜市放課後子ども教室はH17年「地域子ども教室」といった当時
 久喜小で始められ今年で8年目に入ります。合併2年目の昨年一気に
 組織化が進み、現在市内全23小学校中、16校で開校されています。
  「放課後小子ども教室運営委員会」はその組織化、運営の最高
 【24年度運営の確立を目指し熱心に協議】 機関として活発な活動を展開してきました。

  24-5年度運営委員会のメンバーは、各実施校毎に組織されている実施委員会の委員長、
 スポーツ少年団・子ども会育成会・主任児童会・学童保育運営協議会等関係団体の代表者、
 他に小中校長会代表、生涯学習推進者等、全員で29名です。当然新規の実施校が誕生した
 場合、その実施委員長は運営委員会に入ってきます。
  吉田教育長より委嘱書が交付され、事務局を含めた自己紹介を持って委嘱式を終えました。

  その後第1回の運営委員会を持ちました。新役員の選出では会長に飯島佑紀夫氏、副会長に
 野矢良子氏、統括コーディネーターに柿沼公男氏を再選、組織の拡大から役員も増員、
 新副会長に高橋久江氏と兼務で柿沼氏を選出しました。
  年間行事計画として5回の運営委員会、2回の実施委員を対象とした情報交換会、全ての
 関係者を対象とする全員研修会の日程を決定しました。

  問題の予算です。ご承知の様にこの事業は国・県・久喜市の3分の1ずつの補助金事業です。
 全体予算を700万とし予算を請求しましたが、実施数の拡大により国・県からの補助金が
 380万とされたため、総額567万1500円となりました。
  報償費、需用費、役務費・備品整備費(新規校のみ)それぞれの予算が示されました。
 ちなみに需用費の大半を占める消耗品費は継続会場5万円、新規会場8万円を基礎とし、参加
 児童数1人当たり500円がプラスされます。
  その後事務局より傷害保険の内容と手続き、予算執行の手順、そして本年度「ゆうゆうプラザ」
 開校までの準備活動の説明がなされ、質疑応答の後、本年度活動の充実を誓って解散しました。
  傷害保険ですが子ども達は少年団と同じ「スポーツ安全保険」に実費負担で加入していただく
 こととなります。ご承知のように今年200円アップして800円となりました。困ったことです。

  今年は新規校として「鷲宮小」が予定されています。数の増大もさることながら継続実施校の
 内容的充実を図っていかねばなりません。この1年少しさぼってしまいました。
  今年はその埋め合わせを、と考えています。

     ● 第1回社会教育3団体合同研修会  4/14(土) 中央公民館

  14日(土)中央公民館において第1回社会教育3団体合同研修会が
 開催されました。「社会教育3団体」とは久喜市社会教育委員会・久喜
 市生涯学習推進会議・久喜市生涯学習推進部を言います。もちろん
 こういう言葉が一般的にあるわけでなくあくまで久喜市独自のネーミ
 ングです。
  私は現時点では「推進部」のみに関わっています。しかしこの1年は
 公務多忙故に最低の活動量でした。従ってこの3団体が合同して研修

 【意見交換グループ協議】  会を持つに至った過程は一向に解りません。しかし何をおいても
 久喜市の社会教育・生涯学習振興に関わっている組織の研修・交流は意義ある事です。参加
 させていただきました。

  研修会には3団体から約40名が参加、4グループに別れての意見交換という形式で進められ
 ました。推進部役員の座長の下に、それぞれのグループ毎にまず自己紹介、続いて各3団体の
 委員から、3団体の実情・活動報告がなされました。私見を含め3団体を報告します。
 ◎ 社会教育委員  社会教育法第15条の規定に基づき置かれている任意の期間。久喜市
              20人以内。  社会教育に関し教育委員会に助言をする
 ◎ 推進会議  生涯学習推進に関する最高機関  推進施策・方針を決定し、全ての行事
            イベントを主催する。
 ◎ 推進部    生涯学習推進事業の実行部隊
  私が所属したグループでも3団体の委員から上記の様な説明がなされています。
  社会教育委員の役割に社会教育施設、公民館・図書館・郷土資料館等の運営に関する助言
 等があります。年間の会議日数が3日程度であり、報告を受ける程度が実情のようです。
  推進会議と推進部の関係です。推進会議は生涯学習推進に関する最上位組織であり、
 推進部はその下で実行行為に当たるのが本来の姿です。ただし旧久喜市の過去、第一次
 生涯学習推進会議(S63)の崩壊、それを埋めるものとしての推進部の組織化と活動の開始
 (H4)、推進部の活動の充実、推進部主導による第二次生涯学習推進会議の組織化--
 から推進会議の役割・機能が不十分な点があります。私はこの過程=20年の最先端に
 居続けました。
  これは推進部の猛烈な活動量とそれを保障した情熱・資質があったればこそです。推進部が
 これからもこうしたものとして在り続けることを望むものです。

  各グループ毎に熱心な話しあいがなされました。話しあいの呼び水に、と言うことで埼玉県
 生涯学習審議会の「建議」-学びの成果が地域づくりに生きる生涯学習社会の実現をめざ
 して-が提起されましたが、そのようなものとして話しあいがなされたかは疑問があります。
  まあ第1回と言うことですから、2回・3回に期待することにします。

       ● 久喜中・久喜小の入学式に出ました。 4/9(月)・10(火)

  
4月も2週目に入り入学式の時を迎えました。市内では9日(月)に
 中学校、10日(火)に小学校の入学式が一斉に行われ、私は母校で
 あり、居住区の久喜中・久喜小に出席しました。
  久喜中・久喜小共に中(裏)庭に10本ほどの桜の古木があります。
 今年は気温の関係で開花が遅れ、丁度この入学式当たりが満開、
 文字通りお祝いに花を添えてくれました。
  入学式で一番気になるのはやはり生徒・児童の「数」です。久喜中は
 
【真新しい制服に身を固めて】 久喜・本町・北小3校から進学しますが227名入学しました。

 
 各小学校共にある数を保っているのはこの学年が最後で来年度
 からは大きく減少していきます。久喜小では96名が巣立ち、66名が
 入学してきました。1学年3クラスなのは6年生のみ、間もなく総児童
 数は400人を割ることになります。
  私の頃は55人学級小学校5・中学校7クラスありました。とにかく机を
 並べると教室の後ろは通れない状況でした。大きい子、小さい子
 【教職員総会】   賑やかな子、静かな子、とにかく一杯いてみんな切磋琢磨しながら元気に
 
仲良く義務教育の時を過ごしました。多いことは良いことだ、と思って
 います。
  
  久喜中学校では真新しいポプラ色の制服が印象的でした。スグ
 中学校生活で大きなウエィトを占めることになる部活動も始まります。
 元気にガンバッテもらいたいと考えます。
  小学校ではいつも見慣れてはいますが、床に届かぬ足をブラブラ 
 【満開の久喜小裏庭の桜】  させているのが大変可愛いものでした。

 
 「1年生を迎える言葉」では、写真一番下のように2年生が壇上に
 進み歓迎の言葉を述べました。中には体格的に新入生と変わらない
 子も見られましたが、やはり1年間の成長と教育の成果はスゴイもの
 です。みんな立派に歓迎の言葉を述べていました。

  
久喜中・久喜小共に式辞・挨拶・祝辞の中で、両校の校歌にある
 【2年生による歓迎の言葉】 「遷善館」・「幸魂校舎」そして「中島撫山」といった言葉が多く
 出ていました。「中島撫山」の教え、-「一読 十笑 百吸 千字 万歩」-は久喜市教育委員会
 でも取り組んでいます。けんこうである、元気である中に読書の習慣をシッカリ身につけ
 これからの小・中生生活を歩んでいっていただきたいと思うものです。


   ● ゆうゆうプラザ24年度活動始まる くきっ子代表者会議  4/7(土)

  新年度に入って未だ1週間しか経っていませんが、早くも24年度久喜市放課後子ども教室
 「ゆうゆうプラザ」の準備が始まりました。この日くきっ子(久喜小)、本町っ子(本町小)その他
 で代表者会議が開催されています。

  もう何度も報告しています。久喜市で放課後子ども教室が始まったのは平成17年久喜小
 からでした。未だ「地域子ども教室」と呼ばれていました。合併直前の平成21年、旧久喜市内
 全10校開校にまで拡大されました。そして合併後2年目の昨年度、旧各町において組織化が
 一気に進み、市内全23校中16校で開催されるにまで拡充しています。そして8年目を迎える
 今年は各実施校の内容的充実、鷲宮砂原小に代表される新たな開校の組織化等が課題と
 して私たちの前にあります。

  私個人としては平成16年、この組織化を呼びかけて以来、運営委員として、くきっ子の実施
 委員として、主に外遊び・ボール遊びの1サポーターとしてこの事業と共に歩んできました。
 しかし昨年度は議長の激務がこの活動時間を奪ってしまいました。まともに活動したのは何日
 もありませんでした。また子どもと多くの時間を共有したい、との思いと共に「くきっ子」の代表者
 会議に出席しました。

  久喜小の教頭先生、実施委員、各教室の実技指導者等約30名の参加がありました。青木
 実施委員長から24年度の概要説明を受けました。24-6/21開校式、25-2/14を
 閉校式とする毎木曜日、隔週土曜日の26日実施されます。開校式が運動会との関係で6月
 になりますし、学校行事との関係でこの日数くらいが限界のようです。
  学習・ソロバン・編み物・室内遊び・ドッヂボール・スポーツ吹き矢等が毎回、よさこいソーラン
 フラダンス等が隔週実施、また土曜日にはグランドゴルフ・バドミントン・トランポリン等が教室
 内容です。また特別教室として料理・お茶・クリスマスリースと正に多種多様な内容です。
  みんなで子ども達の種目の選択に対する希望、活動場所、連絡方法等について語り合い
 5/12のサポーター会議への参加を確認して開催しました。

  開港以来「くきっ子」は絶えず全体をリードしてきました。8年目ともなると安定し、落ち着いた
 感じがあります。他方マンネリ化と保護者の関心の低下という面も回間見られます。絶えず
 新鮮に意欲的に活動に取り組む必要があります。
  私としては外遊び(ドッヂボール)を中心にサポーター活動を展開していきます。
  今年はナントしても元気いっぱいの子ども達と多くの時間を過ごしたいと考えます。

     ● 母校・久喜中学校の卒業式に出ました 3/15(木) 久喜中体育館

 
 15日は一斉に市内中学校の卒業式が行われましたが、私は母校
 
久喜中学校に出席しました。
 
 昨秋「南中学校」の創立50周年に出ました。太東中は東中からの
 
その東中は久喜中からの分離校です。久喜中はいわゆる6・3制の
 新制中学校制度と共に昭和22年に開校されています。私は12期生

 今年の卒業式は第65回を数えます。
 久喜中は久喜小・本町小・北小3校の児童が進学しますが、今年の

 【久喜市より卒業生に記念品の贈呈】  卒業生は199名でした。

 
 全員が壇上へと進み卒業証書を授与されました。今年は3年間
 皆勤が40名以上のいるそうです。少年団や「ゆうゆう」で卒業生の
 大半が顔見知りであるのがなんと言っても楽しみです。
  校長式辞・教育委員会の言葉についで来賓祝辞に移りました。私も
 議会を代表し挨拶しました。2月定例会でも質問が出た、久喜市の教育
 文化の原流・「遷善館」以来の伝統を受け継ぐ久喜中での3年間を糧に
 
【全員による卒業生別れの言葉】  巣立ちゆく新しい世界の中で大いに羽ばたいてくれるよう
 激励しました。

  久喜中の卒業式での圧巻は全員参加の「卒業生別れの言葉」です。ピアノ伴奏も歌唱指揮も
 ナレーションの代表もいるにいるのですが、全て全員参加です。クラスの代表がクラス全員で
 取り組んだ思い出の行事等について語り、皆がそれをホローする、そんな形で進行します。
 いつも爽やかな気分に浸る事が出来ます。
  卒業式はその後、式歌「名づけられた葉」、校歌の斉唱でフィナーレとなりました。「ああひと
 すじなつかしき遷善館の教えつたえて久喜・久喜わが中学」、私も懐かしく歌わせていただき
 ました。 
  
  少子高齢社会の進行の中で、この子たちの進み道は緑の平原だけではありません。多くの
 負担を負うことになる荒々しい岩山も待ちかまえていることでしょう。どうか強く、たくましく、
 そして優しく歩んでいってほしい、そう願いつつ母校を後にしました。


  ● 久喜市市民大学・大学院卒業式・修了式 3/4(日)ふれあいセンター久喜

  
4日・日曜日午後「ふれあいセンター久喜」で、平成23年度・久喜市
 市民大学・大学院卒業式並びに修了式が行われ出席しました。
  久喜市市民大学は将来にわたって久喜市の生涯学習推進活動の
 リーダーを養成しようと平成7年に設立されました。2年生制大学と
 1年制の大学院を有しています。私が第1期生であり、卒業生の組織
 である「市民大学交友会」の初代会長を勤めたことは何度も報告して
 います。建学17年を終えたことになり、今年の卒業生・19人は22

 
 【卒業証書授与】   年度・16期生に当たります。

  
私の頃は市民大学=学びの場としてありました。また入学に当たり
 年齢制限があり60歳まででした。高齢社会の進展と共に年齢制限が
 撤廃され、入学者数も減少傾向にあります。今年の卒業生は19名、
 1年生はナント10名に過ぎません。それと大学院進学者も減り、今年
 15期生=4名でした。何となく学びの場から、友だちづくりの場・生き
 がいづくりの場へと変貌したのではないか、との声も聞こえます。最も
 【在校生代表送辞】  「まなびすと久喜」や市民まつり等のボランティアとして活動して頂いて
  いるのに変わりありませんが。
  来年度は菖蒲・栗橋・鷲宮地区も会場とし、また聴講生も認める等内容を変えるそうです。入学
 希望者ももう少しで30人の大台に乗るとか、うれしい限りです。
  『市民大学での学びを基礎に、それぞれが生涯学習推進活動、ボランティア活動にお励み
 下さい。みんなのこれからと久喜の生涯学習活動が共に在り続けますように。』挨拶の中で私は
 こう述べさせていただきました。これからは校友会活動でもご一緒していきましょう。

 ● 第26回・彩の国21世紀郷土かるた埼葛北大会2/19(日)久喜市第2体育館

 
 埼玉県子ども会育成会連絡協議会埼葛北支部の主催による
 「第26回21世紀郷土かるた埼葛北大会」が19(日)久喜第二体育館
 
で開催されました。私はこの大会の予選とも言える栗橋地区子ども会
 
郷土カルタ大会を見させて頂きました。(本ページ1/22参照)
  今日のこの大会は埼葛北支部大会、南から蓮田市・白岡町・宮代町
 杉戸町・ 幸手市、そして久喜市の栗橋・菖蒲地区と3市3町の予選を
 経て代表選手が参加しています。残念ながら地元久喜市久喜地区の
 【熱気に満ちた会場】 子ども達はいませんでした。


 
 この日同じく八潮市・三郷市・吉川市・松伏町等が参加する「埼葛南
 大会」
が八潮市で持たれているそうです。そして最終の「埼玉県大会」
 は
3月開催されます。昨年は3・11の関係で中止になったそうです。
 この
大会で勝ち上がった代表選手諸君は、2年分の思いを込めて
 頑張って下さい。
  この大会で特に目立ったことはジュニアーリーダー諸君の活動
 【はい、ありました】 でした。栗橋大会は試合会場の審判を多く育成会役員(保護者)が

 
していましたが、この大会は全てジュニアーリーダーでした。
  これは1/22にも書きましたが、子ども達の健全育成を目標とする組織にあって、子ども達の
 よきお兄さん・お姉さんとしてのリーダーの果たす役割は絶大なるものがあります。スポーツ
 少年団でも必死にジュニアー・シニアーリーダーの育成を図っていますが、中々思うにまかせま
 せん。実行委員長のお話ではこの会場のリーダーが、そのまま県大会でも活躍するとの事
 大変感心しました。


  
会場は大変な寒さでした。老朽している施設ですからヤムを得ないにせよ子ども達にもう
 少し良い環境を提供したいものです。いくら熱気に充ち満ちているとは言え、少し気の毒でした。
  この会場の代表選手の県大会での活躍と、何よりも子ども会育成会の地道な努力の継続を
 祈りつつ会場を後にしました。

   ● 平成23年度くきっ子ゆうゆうプラザ閉校式 2/16(木)久喜小体育館

  
久喜小放課後子ども教室・くきっ子ゆうゆうプラザ23年度閉校式が
 
16日(木)久喜小体育館で行われました。「くきっ子ゆうゆうプラザ」に
 
ついてはもう何度も何度もこのページで報告してきました。まだ「地域
 子ども教室」と呼ばれていた平成17年、市内初モデル校として開校さ

 
れました。この閉校式が7回目となります。
 
 開校以来私は運営委員として、くきっ子の実施委員として、何よりも
 
屋外球技を中心とした1サポーターとして活動してきました。

 
【出席した児童・サポーター】
  
しかしご存知の様な私の環境の変化が「ゆうゆう」での活動時間を
 許さなくなってしまいました。今年は最悪で会議に2・3回、活動に3
 ~4回出たのみ、それも始めから終わりまでというのは1度もなかった
 気がします。
  
閉校式の案内を頂きました。たまたま2月議会が開会、代表質問日
 
までの長い休会中です。少し出席するのをためらいましたが、やはり

 
子どもとサポーターの皆さんに会いたくて出てしまいました。
 
【教室体験発表、よさこい】
 
 今年の「くきっ子」は21教室、年間活動日31日で行われました。
 天候やインフルエンザ等の関係で「絵手紙教室」や「グランドゴルフ」
 等、中止になったり、大幅に回数を減らしたりの残念な教室もありま
 した。
  今年新たに「よさこいソーラン」、「南京玉すだれ」、「スポーツ吹き矢」
 「トランポリン」の4教室が加わりました。熱心なサポーターの皆様の
 指導で大変好評だったと伺っています。
 
【教室体験発表・長拳】
  
折からの大寒波の中、子ども達、大勢のサポーターの皆様が出席
 してくれました。青木くきっ子実施委員長、飯島ゆうゆう運営委員長、
 柿沼校長先生の挨拶を頂いた後、4つの教室の発表がありました。
 「よさこいソーラン」「長拳」「南京玉すだれ」「フラダンス」です。写真の
 ように「よさこいソーラン」「フラダンス」はそろいの衣装、特徴づける
 拍子木やレイを身につけてのものでした。ともに低学年の子が多く

 
その可愛らしさは抜群でした
 
【教室体験発表・フラダンス】
  
児童・保護者・サポーターの感想に移りました。児童代表は6年
 男女各1人、6年生は皆顔なじみの子ばかりです。何人かは6年間
 ズッーと言う子もいます。サポーターが卒業記念にと手作りのメダルを
 贈りました。中学生になって「ゆうゆう」での体験が、少しでも生きて
 くれればありがたいと思います。
  保護者代表はやはり6年保護者、親子で6年間活動して頂きました。
 感謝するところ大です。指導者代表はスポーツ吹き矢のサポーター
 【児童代表の感想】   わざわざ白岡から来てもらっています。

 「ゆうゆう」を絶賛、『白岡にも組織して欲しい』なんて泣かせる事を
 言っていました。

 
 この後3/3(土)に「ひなまつりグランドゴルフ交流大会」を久喜小
 校庭にて開催します。本町小・江1小・東小の子ども達との4校交流

 
事業です。
  
 爽やかな本当に爽やかな気分に浸れた数時間でした。この後4月
 【サポーターの皆様来年もよろしく】 上旬代表者会議、5月上旬サポーター会議をへて
 6月中旬24年度開校式を目指していきます。

  
来年度どれ位参加できるか今の所定かでありません。デモできる限り、出来る限りの参加を
 誓うものです。
  
           ● 久喜小・感謝の会   2/9(木)  久喜小体育館

  9日午後短い時間でしたが、久喜小学校で「感謝する会」が開催され
 出席しました。「感謝する会」こうした性格の集いが持たれるようになり
 何年くらいたつでしょうか。「感謝する会」子ども・児童を中心に学校側が
 地域の人々に「感謝する会」です。区長さんとか、民生児童員の方々とか
 交通指導員の方とか、学校応援団の方々とか、何よりも「ゆうゆうプラザ」
 のサポーターとか、学校を、児童を応援する活動が一杯あって、それに
 携わる人たちが一杯いるという事なのです。そしてこの状況を誰よりも

 【児童代表・感謝の言葉】  学校と児童が感謝していると言うことなのです。

  このページで「受賞」と「祝賀会」2回に渡って報告しましたが、久喜市
 放課後子ども教室(ゆうゆうプラザ)は、文科省の新しい表彰分野での
 第1号として表彰されました。この感謝の会と同じです。学校を、児童を
 支援する地域の人たち・活動に感謝(表彰)されたのです。
   以前久喜小では「秋」に学校音楽祭があり、これに地域の方々を招待
 していたと思います。今度の会は子ども達の企画・運営による手づくりの

 【全校児童による合唱】   会、招待者は6・70名というものでした。

  6年生の男女2人の司会で進行されました。参加者には全員2年生
 児童の作になる可愛いプログラムが渡されています。6年生児童代表
 からの「感謝の言葉」、続いて6年生が書いた「地域の皆さんへ」なる
 礼状と、子ども達が熱心に育てた鉢植えの花のプレゼントをいただき
 ました。その後全自動による合唱をお聞きし、また南2丁目区長・車田
 さんの逆にご招待されてのありがとうの言葉があってお開き、これまた

 【花のアーチをくぐって退場】   子どもたち手作りの花のアーチをみんながくぐって退場しました。

  本の短い時間でしたが大変さわやかな楽しい時間でした。私は今年余り応援できなかったけど
 久喜小は我が心の学校、これからもズーと何らかの形で係わっていきます。


 ● 久喜市高齢者大学・平成23年度卒業式 終了式 2/8(水)文化会館大ホール

  久喜市高齢者大学(学長・田中市長)の、平成23年度卒業式・終了
 式が、8日総合文化会館大ホールにて挙行され出席しました。

  
壽大学・生きがい大学等々、同種の大学は各自治体に置かれていま
 すが、久喜高齢者大学は開学以来30年余の歴史を誇り、4年制、1学年

 
定員220名等歴史・規模・内容において日本最高水準を誇っています。
 
 今年の卒業生は64名、修了生は3年・65名、2年・132名、1年・
 
137名でした。特に合併して直ちにその効果が表れ、2年生以降の
 
【卒業証書授与】  
学生数が倍増していることは大変歓迎すべき事です。

 
 卒業証書授与に続いて皆勤賞・精勤賞の表彰が行われました。64名
 卒業生中、皆勤者8名、精勤者11名もいるのに驚かされました。高齢者
 大学入学条件は60歳以上ですから、卒業生は64歳以上であるのは
 間違いありません。正に元気な年寄り、そのものといえます。
  我が国は今、猛烈なスピードで高齢化が進行しています。20年はアル
 
第二の人生をどう過ごすかは本人にとっても、社会にとっても重要な問題
 【在校生代表・送辞】  
です。明るく、前向きに、様々な社会活動を行いながら健康に暮らせれば
 最高です。


 
 高齢者大学はそうした生活を創造していく大学です。学習活動で知識を
 社会活動で体験を、クラブ活動で絆を生み出します。
  『卒業生の皆様は、ここ高齢者大学の中で獲得したそうしたものを、
 地域活動の中でリーダーとして、また合併3年新たなまちづくりの指導者
 としてお示し下さい。-』 私は来賓祝辞の中でこう挨拶しました。

  
卒業生の中に私の友人・知人が大勢おられます。この1年間ご案内い
 
【卒業生代表・答辞】   ただいた高大関係のイベントには全部出て、その活動ぶりを
 つぶさに見てきました。ご卒業本当におめでとうございました。

  なお24年度・高大入学式は4/13(金)に行われます。出席の予定です。


 
  ● 第2回久喜市生涯学習推進大会=まなびすと久喜1日目・まちづくりフォーラム
                          
2/4(土)・5(日) 久喜中央公民館

 
 合併・新市誕生から再スタートを切りましたので、2回目となる「久喜市
 生涯学習推進開会=まなびすと久喜」は、2/4(土)・5(日)の2日間、
 いつもの会場・久喜中央公民館で開催されました。もう何度も書いて
 きました。私は昭和63年・第1次久喜市生涯学習推進会議に参加、
 平成1年2月の第1回大会から(旧久喜市)ずーとこの大会に係わって
 きました。特に会場を中央公民館に移し、市民参加型となり、推進部が
 【バネル・ディスカッション】  発足し、の過程で委員長に就任、この大会の責任者として猛烈な
 活動を展開してきたという思いがあります。
  しかしこの所大会開催日とスポ少の認定員養成講習会がどうしても重なり、少しずつ参加量が
 減り続けていました。特に今年は特殊な事情もあって「まなびすと」参加は、とうとう1日目のまち
 づくりフォーラムの後半・バネルディスカッションと、2日目「反省会」だけでした。推進部員・実行
 委員の皆様、ひらにお許し下さい。

  さてその参加した「まなずすと」1日目のまちづくりフォーラムです。まず第1部として東鷲宮地区
 コミュニティ協議会中尾会長の講演がありました。東鷲宮小ゆうゆうプラザの実施委員長もお願い
 している方で周知の間柄です。どうしても拝聴したかったのですが、これは公務のためかなわず
 2部バネルディスカッションからでした。なお今大会テーマは-深めよう!市民の『絆-』ですが
 このまちづくりフォーラムの講演・パネルディスカッションも同様の内容となっています。

  パネラーは5人、教員を目指す20代の男子大学生Kさん、交通指導員を勤める30代の女性
 Tさん、福祉関係のお仕事をしている40代男性のKさん、子育てが終わり「ゆうゆうプラザ」の
 サポーターとして頑張っている50代女性Nさん、高齢者大学で学んでいる60代男性Kさん
 本当に『-各世代が「絆」について語る-』というチラシ文の文章通りのメンバー構成でした。
  全員が自己の活動と「絆」の関わりについて陳べ、次ぎに「絆」の広がり・高まりへの方策を
 話すと言うコーディネートでした。
  教員Kさん、対話の大切さ、その際のあるべき態度について語りました。
  交通指導員Tさん、信号待ちの短い時間での子ども達との会話・挨拶の大切さを語りました。
  福祉士のKさん 合併後新しい町で、今こそコミュニティを、を強調しました。
  越後十日町出身というNさん、慣れない町でのPTA、その後のゆうゆうの活動を通して
   「えん・えにし」について語ってくれました。
  高大生Kさん  もう1つは動物をつなぎ止める=拘束、を意味する「絆」をもう1つの意味、
   つながり、連帯とするのは市民の活動、と語りました。
 
  いずれの方も自らの活動に踏まえてのもので大変好感がもてました。なお会場はほぼ満席、
 久喜市民の意識水準を物語っていました。
  翌日私は久喜・和光と1日講師を勤め、17時からの反省会への、それも遅刻しての参加のみ
 でした。なおこの大会はマンネリ打破を目指し、25年度大会(第4回)から会場を移動します。
 固定でなく旧1市3町1巡を目指していきます。少なくとも数歩前進といえます。


    ● 平成23年度・久喜市民芸術祭 1/29(日) 久喜総合文化会館小ホール

  
29日(日)、平成23年度・久喜市民芸術祭が総合文化会館小ホール
 で開催されました。この日私はスポレクのページで報告してあるように、
 前日から県スポ少県外研修に参加しており不在でした。ためにご案内を
 頂いた開会行事への参加も副議長にお願いしました。そんな訳で久喜に
 戻った午後からこの芸術祭を観させていただきました。
  私はこの1年間文化団体連合会や教育委員会が主催する芸術・芸能
 関係の発表会演奏会・コンサートといったものの殆どを、旧3町を含めて
 【シダックスフラメンコによる舞踊】  観、聞いてきました。本当に多くの人たちが熱心に文化 
 
芸術・芸能活動に取り組んでいる事を知りました。合唱・合奏・舞踊・
 
謡曲・演劇…‥この日も3時間という短い時間でしたが市民のそうした
 取組の成果を堪能することが出来ました。


 
 発表者(団体)も文化団体連合会に加盟するクラブから、いわゆる民間
 のカルチャースクール、民間の教室、学校の部活動と多様でした。正に
 生涯学習の原点=自発的意志に基づき、自己に適した手段・方法に

 
【埼玉中央フィルハーモニーアーケストラによる合奏】  よる学習、を地でいくものでした。

  
今回初めて接したのが写真にはありませんが、「吉宝会」による謡曲
 「八島」でした。謡曲とは「能」の歌詞の部分を言い「謡・うたい」とも言い
 ます。「能」は仮面劇で歌と動き(舞い)と笛・鼓・太鼓等からなる囃子

 
で成り立っているそうで、その「歌」の部分を指すそうです。「八島」とは
 
源平合戦の「屋島」のことで源義経や平家の豪傑で知られる平景清
 も登場していました。10数人が毛氈を敷いた舞台に座りながら謡う地味

 
【アロハビューティリリーのフラダンス】  なものでしたが朗々と響く謡は中々のものでした。 

  
最近踊り・ダンス系統の中で人気のアルのが「フラダンス」と「よさこい」
 です。サークル・クラブもたくさん生まれています。そうした地域サークル
 とは別に今回は、ヨーカドーやシダックスのカルチャースクールの人たち 

 
がフラメンコやフラダンスを披露してくれました。
  
  ラストは久喜東中演劇部による演劇でした。かって久喜太東中演劇部
 
【久喜東中演劇部による演劇】 の活動が全国レベルの時があり、良く
 観劇した思い出があります。
開始前紹介にたった演劇部部長が自分だけ2年生、残り全員1年、
 そのメンバーでこの脚本もつくりました。頑張ります。と言っていました。このことを頭に置いて劇を
 観ました。今後の成長に期待するものです。

  とにかく市民の一生懸命な発表を観ての楽しい半日でした。

    ● 「ゆうゆうプラザ」文部大臣表彰受賞祝賀会 1/28(土) 三高サロン

  
久喜市放課後子ども教室「ゆうゆうプラザ」が平成23年度文部科学
 
大臣表彰受賞の栄に浴した事は、このページで報告してあります。
 (10/24・11/1の間)   11/7文科省講堂において表彰式が
 行われ、飯島運営委員長が出席しています。この間「栗っ子ゆうゆう
 プラザ」=栗橋小、開校式等の過密スケジュールもあり、年が明けて

 
28日(土)関係する多くの皆様の参加を頂いて受賞祝賀会がお行な
 
われました。祝賀会は「ゆうゆうプラザ実施校」16校の実施委員を中心
 【受賞報告をする飯島運営委員長】
  に学校長・教育委員会等100名を越す盛況でした。

  
野矢運営委員会副委員長の開会の言葉についで、『受賞の報告』に
 立った飯島委員長は、『受賞は教育委員会・学校・PTA関係者、各実施
 校の実施委員・サポーター全ての皆様の協力のお陰』とお礼を述べた後
 『今後とも目標である市内23校全校での開校を目指し、努力を続けて
 いきたい』と結びました。
  私は平成16年、地域子ども教室(当時)の久喜市での導入を訴える

 【花束をプレゼントされた運営委3役】   
質問をして以来、運営委として、くきっ子の実施委員
 として、何よりも1サポーターとしてこの事業と共に走り抜いてきました。今回の受賞に当たり感慨
 大なるものがあります。
  今、市内16会場約3、000名もの子ども達が「ゆうゆう」に参加しています。本年に入り開校した
 小林小は全児童数120~30名の小規模校ですが、87%もの参加者をみています。そしてこの
 元気いっぱいな子ども達とほぼ同数の大人達が、様々な形でサポーターとして参加しています。
 なんと素晴らしい事でしょう。
  この現実は多くの要因の結集です。1つに絶えず市民参加と協働をまちづくりの柱に据えてきた
 田中市政があります。1つに高齢者大学や市民大学を早くから開校し、市民主導による生涯学習
 推進を掲げてきた教育行政があります。そして飯島委員長や柿沼統括コーディネーターを中心と
 する運営委員会メンバー、子どもの笑顔を守り、育んでいこうとする地域サポーターの熱心な活動
 があります。
  この活動は子どもを健やかに育てていくという教育活動を真ん中にして、参加する大人達が
 地域社会を活性化していく教育コミュニティ創造の活動なのです。
  さすがに私はこの1年この活動と多くの時間を共にする、ということが出来ないでいました。でも
 必ずまたこの活動の真ん中に立ち、子ども達の笑顔と共にある事を誓うものです。

     ● 第28回久喜市栗橋子連かるた大会  1/22(日) 栗橋小体育館

  22日栗橋小体育館で久喜市栗橋子ども会育成連絡協議会の主催で
 栗橋子連かるた大会が行われました。この大会は第28回という古い
 歴史を持つものです。
  久喜市にも子どもが参加するかるた大会があります。青少年育成市民
 会議の主催、久喜市独自の「すこやかかるた」を使用、運営には議員を
 含めてPTA・市内高校生等多くのボランティアが係わります。何よりも
 学校を通して参加者を募集、誰でも参加できるものです。
 【開会式・教育長(代理)挨拶】
  栗橋のこれは全く異なります。栗橋子ども会育成連絡協議会が主催し
 子ども会の会員が参加し、埼玉県子連かるた大会の予選を兼ね、県
 共通の「郷土かるた」を使用、係わる役員は全て子ども会育成会の役員
 なのです。
  ご承知のように私はスポーツ少年団の活動に長きにわたり関わって
 きました。スポーツを手段として子ども達の健全育成を図る組織です。
 同じように子どもの健全育成を目的とする組織・活動にボーイスカウト
 【ハ-イ、ありました】 ガールスカウト、そして子ども会といったものをあげることが出来ます。

  県の副、久喜市の本部長という立場にあり、この活動に40年近く
 関わってきた者の実感として「子ども会は大変だ」という思いがあります。
 参加者に統一性が無く、具体的目標が描けないからです。スポーツ
 少年団はアル意味で楽です。スポーツがしたいという子どもたちの
 集まりであり、上手くなりたい・大会で勝ちたいと言う具体的目標が
 すぐソバにあります。大会に合わせていくだけで1年間の活動プログラム
 【こちらは3人1組の団体戦】  もつくる事が出来るのです。

  子ども会はそうはいきません。それだけに創造性に満ちた、かつ熱心な「育成会」の活動を必要
 とします。それなしに組織を継続して維持していくのは大変困難だと思われます。私は夏休みなどに
 国や県の野外活動の施設にスポ少の子ども達を引率する際、子ども会に出くわすと無条件で
 指導者に敬意を感じるのを常とします。
  栗橋子連には大鹿会長を中心とする熱心な育成会役員の活動があります。栗橋・豊田・静と
 いった各支部の定期的・継続的な日常活動があります。そして全体としてはこの大会、これも
 参加させていただいた10月の栗橋文化会館・イリス前広場でのフェスティバル等の活動があり
 ます。おそらくこの他にもいくつもの活動・行事を持っていることでしょう。

  栗橋小体育館には目を輝かしてかるたとりに熱中する子ども達と、熱心に運営する大人達との
 姿がありました。私は訳も無くこういう風景を観ることが大好きです。どうか地域の子ども達の
 健やかな育成を地域そのもので保障していく、こうした活動の継続・発展を計り続けてください。
   少年団も負けずに頑張っていきます。同じ道を!

       ● 栗くりゆうゆうプラザ開校式  12/20日(火) 栗橋小学校

  
市内で16校目、今年で5校目、何よりも栗橋地区では最初のゆう
 ゆうプラザの開校式が20日(火)栗橋小学校で行われました。その
 名も「栗くりゆうゆうプラザ」、その名の通り「栗くりっ」とした可愛い子
 共たちが195名も参加してくれました。
  ゆうゆうプラザについては何度もこのページで報告してきました。
 「地域子ども教室」といった平成17年久喜小で始まりました。圧倒的
 な地域教育力の参加を頂いて、合併前の平成21年度には旧久喜市内
 【体育館を埋めた栗くりゆうゆうの子ども達】    全10小学校での開校がなりました。
  
  合併に当たり久喜市教育委員会は、ゆうゆうプラザの全市内への組織化を掲げました。それを
 受け「久喜市放課後子ども教室運営委員会」は鷲宮・菖蒲・栗橋地区で組織化への活動を始め
 ました。地道な努力が実り、合併1年目の22年度は鷲宮桜田小の1校に終わりましたが、2年目
 に入った今年、菖蒲地区で三箇小・小林小・栢間小、そして鷲宮地区で鷲宮東小と開校が進み
 ました。そして今回栗橋地区で最初となる栗橋小での開校と繋がったことになります。

  栗くりゆうゆうプラザには195名の子ども達が参加してくれました。地域のサポーターは31名、
 保護者サポーターは164名にも達しました。とりあえず23年度内は年が明けて来春の1月・2月
 隔週で4回の実施日をもちます。アートフラワー・室内遊び・室内スポーツ・室外スポーツ・絵手紙
 折り紙の6つの講座が予定されています。

  ゆうゆうプラザは行政がヤルものではありません。地域サポーター・PTA・保護者等民間(地域)
 の人々が運営主体となるものです。各実施校毎に組織されている実施委員会が中心となります。
 いろいろな問題点があればそこで話し合えば良いのです。
  栗くりっとした可愛い目を持つ子供達の笑顔を守り、育む活動です。同時にそれはそうした活動
 を通して大人達のつながりと活力を生み出す教育コミュニティ創造の活動なのです。

    ● 推進部・市民大学他合同研修会  12/3(土) ふれあいセンター久喜

  3日午後ふれあいセンター久喜において「生涯学習推進部」、「市民
 大学」を中心に、市民大学交友会、社会教育委員、生涯学習推進会議
 委員等に幅広く参加を呼びかけての、合同研修会が開催されました。
 午前と夜は埋まっていたのですが、この時間帯はフリー、参加をさせて
 いただきました。
  参加者は総勢60名前後、講師は東京国際大学人間社会学部講師で
 「小川元気プラザ」所長の栗原保氏、氏の活動のスタートが岩槻市

  【合同研修会風景】 スホーツ少年団ということもあり、私とは古き友人関係にあります。
 
 
  演題は「生涯学習から社会教育へ」、-地域づくりと私-という副題がついています。45分ほど
 話した後、参加者から質問・意見を文書でうけ、後半45分はそれについて皆で意見交換をする、
 というスタイルで進行しました。
  実は私は本年度の埼玉県スポーツ少年団育成員研修会に栗原氏を講師でお招きしました。その
 際氏が共同で本を出されたと聞き、買い求めました。タイトルは「地域教育論」、ここでも-生涯
 学習から社会教育へ-なる副題がついていました。その本を読んでみましたが、何故生涯学習
 から社会教育なのか、理解できないでいました。今日講演を聞いてみても、社会教育論なるものは
 語られるのですが、やはり理解出来ません。そこで質問書で提出したのですが、質問項目が
 多かった故か、それとも私のは無視されたのか、取り上げられることなく閉会となりました。
 疑問と不満が残ったままですので少し書きたいと思います。

  生涯学習学なる学問領域はありません。それでも久喜市で生涯学習推進活動の先頭に立ち
 続けてきた者として「生涯学習」に関する勉強はそれなりにしてきました。生涯学習(当時は教育)
 という考えが登場したのは1960年代後半です。生涯学習をユネスコでlife long integrated
 educationと呼びました。名付け親は「ポールラングラン」とも「ジェサップ」とも言われています。
 直訳すれば「生涯にわたり 統合された 教育」となります。そこで「統合」の持つ意味が重要と
 なります。「ポールラングラン」は、時期、場、内容的・手段的統合だと言っています。ゆりかごから
 墓場までと言う時期の統合、家庭・学校・地域・企業という場の統合、学校教育的内容の偏りから
 全人間的それへの内的統合という考えです。
  簡単に言えば全ての学習を生涯学習としてくくる、全ての時期の、場の、内容の学習は生涯
 学習だと言うことです。生涯学習という色眼鏡で全てを見、考えるということです。

  -生涯学習から社会教育へ-と言う場合少なくとも生涯学習では何故ダメで、それを補う
 社会教育の具体性を上げてもらわねば理解できません。
  「学習」と「教育」という概念だけを当てはめるのでしょうか。インテグレードと言う概念の
 私のまちがった理解からなのでしょうか。
  それを質問したのですが大変残念でした。


  ● 久喜市立久喜南中学校創立50周年記念式典 11/26(土) 南中学校体育館

 
 26日(土)久喜市立久喜南中学校の創立50周年記念式典が同校
 
体育館にて行われ参列しました。
 
 南中は旧江面中と清久中の統合により、「南中」として昭和37年
 
11月に開校されました。丁度樋口県議や鈴木松市議が1期生に当た
 ります。以来50年の足跡を刻んで本日を迎えたことになります。
  
式典には全在校生・教員の他保護者、また来賓多数が出席しました。
 特に来賓に大勢の地域の方がおられ、地域に愛され、地域と共に
 
【実行委から学校へ記念品贈呈】  歩んできた同校の有り様が良く表れていました。

  
南中を特色づけるものとして環境ボランティア活動があります。環境
 美化活動や資源回収のお手伝い、各種地域活動へのボランティア参加
 は脈々と後輩に受け継がれ、地域に深く根付いたものとなっています。
  式典は実行委員長・学校長・PTA会長挨拶、記念品授与と形どおり
 進み、来賓祝辞に映りました。市長・樋口県議・鹿児島教育委員長と
 並んで祝辞を述べた私は、同校30周年記念事業として造られ前庭に
 【教育委員長祝辞】   建っている石碑に刻まれた校歌の作詞者、宮沢章二の筆になる詩句
 -「みんなで学び みんなでうたい 青春はここに生まれた」-を引用しつつ、『南中で学び、うたい、
 青春を育む中で大輪の花を咲かされますように』と陳べました。

  
「生徒発表」として全校生徒による「南風」の合唱、更に吹奏楽部に
 
よる記念演奏が行われました。「南風」は初めて聞きましたが、…
 
どこまでもぼくは行く 一人行く 青い空の下 南風にのり… との
 
歌詞どおり大変さわやかな印象を持ちました。

  
式典を終え控え室に戻ると保護者プラス地域の応援者による美味しい
 
【全校生徒による合唱】   手打ちそばが待っていました。私の記憶では平成14年の体育館
 平成20年の新校舎竣工式でもご馳走になりました。これが前記したとおり地域と共にあるアット
 ホームな南中の校風なのです。
  『Heart to Heart 輝く未来へ』と題されたすてきな記念誌をいただきました。この表題どおり
 地域とつながり、心と心をつなげ輝かしい未来へ歩み続けて欲しいと考えます。

   ● 第24回・全日本マーチングコンテスト 11/20(日) 大阪市・大阪城ホール

   
  久喜東中・金賞  栗橋東中・銀賞に輝く!
  
久喜市内中学校の吹奏楽の実力は全国トップレベルにあります。
 その先鞭を取ったのは久喜中と久喜東中でした。たしか7~8年前
 全日本吹奏楽コンクールに両校そろって出場、話題となったものでした。
  最近では久喜中にあって一時代を築かれたS先生が、新たに赴任
 された菖蒲中が今年の西関東吹奏楽コンクールに進出し、また栗橋東
 中も久喜東中と並んで、このマーチングバンド全国大会初出場と正に
 【にぎわう会場・大阪城ホール】   久喜市の名を全国にとどろかしています。市内中学校
 吹奏楽部の殆どが高いレベルにありますが、その中にあって久喜東中吹奏楽部の
数々にわたる
 実績は素晴らしいの一言につきます。
  

  
平成15・16・17と全日本吹奏楽コンクールに3年連続出場していま
 す。
そして21・22・本年とマーチングコンテスト全国大会出場を果たし
 ました。その他全日本アンサンブルコンテスト(平成16年)、管楽合奏
 コンテスト全国大会(17年)、19・20・21と3年連続東日本学校吹奏楽
 大会出場と栄光の足跡を刻んで来ました。3年連続となる今大会も埼玉
 県大会・西関東大会で圧倒的なパフォーマンスを見せたとうかがってい
 【金賞に輝いた久喜東中のメンバー】 ます。
加えて今年は栗橋東中吹奏楽部が、初出場の栄冠
 に輝きました。久喜市から2校も全国大会出場という快挙です。田中市長、吉田教育長、梅沢
 県議とご一緒に応援させていただきました。

  
会場の大阪城ホールは埼玉スーパーアリーナに匹敵する立派な会場です。全国代表25校の
 開会式入場行進は本番のコスチュームに身を包んでのもの、荘厳にして華やかでした。
 なお会場内の写真撮影は一切禁じられており、両校の演技は残念ながらご紹介出来ません。

  演技が始まりました。久喜東中は16番、栗橋東中は19番、1校の演技時間は6分です。久喜
 総合文化会館での演奏の際、久喜東中の部員数に驚いたものですが、マーチングの場合多数
 の方がどうしても見場が良くなります。最小で50人前後、最大で100人近いメンバーでした。
  服装もマチマチです。華麗な近衛兵スタイルから普通のトレーナーまで、色も赤・黒・白・紫、
 実に様々です。最もこの大会のコンセプトそのものが、「コンサートバンドがそのまま演奏しな
 がらパレードをしよう」というものであり、過度な演出や華美な服装は求めていないそうです。

  演技はどんどん進み緊張感が高まる中、いよいよ16番久喜東中の演奏が始まりました。今まで
 見ていたのは白のブラウス・赤のベストでしたが、今日は白のポロシャツスタイル、これが大変
 すがすがしい印象を与えていました。胸が締め付けられる様な緊迫感の6分間でした。これが3年
 連続出場の貫禄とでも言うのでしょうか、演技はノーミス、演奏も素晴らしいの一言につきました。
  私は音楽は全く不案内です。でも観客席で見、聞きながら「良かったな」と思える学校に○印を
 付けていました。25校中6校でしたが、身びいきもあって久喜東中は◎でした。
  19番栗橋東中の出番です。こちらは近衛兵スタイル、これはずーと使っているそうです。
 栗橋東中は今年全国大会初出場、演奏は久喜東中に劣らず良かったです。特に出だしの音は
 素晴らしいものでした。ただこれが初出場のプレッシャーでしょうか。行進の方に少し緊張感が
 みられました。

  演奏をおえた各学校は外に出て、大阪城をバックに記念撮影をします。撮影を終えた中学生、
 笑顔が溢れる子、感激の余り涙を流している子、皆とてもさわやかでした。田中市長から両校
 生徒にねぎらいの言葉を贈りました。『お疲れ様、とっても良かったよ』、部長がお礼の言葉を
 返してくれましたが、いろいろお礼を言った後『新幹線にまで乗せてもらってありがとうございま
 した。』と言われたのには思わず苦笑してしまいました。去年はバスだったそうです。
  
  会場に戻り演奏も終わりました。発表です。審査が難航したのか少し遅れました。出場25校
 全てが金・銀・銅いずれかに入賞します。『**地区代表・**県**市立**中学校吹奏楽部
 *賞』と1番から順次発表していきます。『金賞』とアナウンスされた学校の控え席からは『ワー』
 と会場を圧する歓声がわき起こります。13番・14番…緊張感が高まります。『16番、西関東地区
 代表、埼玉県久喜市立久喜東中学校吹奏楽部・金賞』、やったーです。しかし久喜東中の控え
 席からは、他の金賞受賞校のように会場に響き渡る歓声は聞こえてきませんでした。翌日の
 朝日新聞には「皆ハイタッチで喜びを表していた」と報じられていました。だから喜ぶには喜んだ
 のでしょう。しかし3年連続出場の貫禄というか、自分たちへの自信というかその表現ぶりは
 見事としか言えないものでした。
  『久喜市立栗橋東中学校吹奏楽部・銀賞』、これもやった-です。初出場にして銀賞は大変な
 ものです。

  3年連続出場の久喜東中はこれで2年連続の金賞、ルールで来年は全国大会には出られま
 せん。その代わりに徳島で開催される国民文化祭に招待され演奏するそうです。顧問・木村
 先生の卓越した指導力と部員の努力、練習量はどこにも負けない、と自負する頑張りがこの
 栄光をもたらしたと考えます。栄光の歴史を今後とも歩み続けてください。
  栗橋東中の皆さん、初出場にして「銀賞」は高く評価されます。明日に向け更なる向上を期待
 します。 両中学校の皆様、本当におめでとうございました。


   ● 平成23年度久喜市小中学校音楽会 11月9日(水) 総合文化会館大ホール

  久喜市教育研究会(会長・板東恵子三箇小校長)主催による市内全
 34小・中校が参加しての音楽祭が、9日総合文化会館大ホールにて
 開催されました。
  昨年まで各市町毎に開催されていましたが、合併2年目にして初めて
 統一してもたれました。午前が小学校の部、午後が中学校の部です。
  ところで今年11月20日大坂で行われるマーチングバンドの全国大会
 に市内から久喜東中・栗橋東中の2校が関東地方代表として参加します。
 【情熱大陸の曲名そのままに赤のバンダナで登場】   数年前には吹奏楽全国大会に久喜中
 久喜東中の2校が出場したこともあり、久喜市内のこの面での実力は正に全国トップレベルに
 あると言えます。

  大変残念な事に3分の1しか見られ(聞け)なかったのですが、これだけ
 でも久喜市内のレベルの高さが小学校時代のこうした努力にあることが
 良く解りました。各学校代表(のクラス)ですから当然と言えばそれまで
 ですが皆素晴らしいものでした。
  最初に登場した桜田小はフルートのみで、「もののけ姫」のスローな曲を
 美事に演奏しました。栗橋西小の「オーメンズ・オブ・ラブ」、本町小の
 【清久小・バック・トゥ・ザ・フューチャーの演奏】  「大序曲1812年」は共に木琴の音が良く効いて
 いました。その他では菖蒲東小「ソーラン節」の太鼓、ロシア民謡メドレーの久喜小の曲の変わり目
 がとても美事でした。
  各学校でそれぞれ音楽会を開き、その代表が出演しています。ということは当然ながら指揮は
 担任の先生、どうみても音楽は素人、という方もおられてソノ緊張した指揮ぶりがまた好ましい
 感じを与えていました。
  又曲名に合わせ赤のバンダナスタイルで演奏したり、またすっきり白で統一したりと中々
 趣向を凝らしているのにも感心しました。何よりも大勢の保護者が駆けつけていました。

  それにしても全員が美事に楽器を弾きこなしているのに感心しました。一流企業に勤める私の
 友人が、かって若者を論じた時、『東大出だ・早慶出だと言ったって今の若い者に仕事では
 絶対負けない、ただどうしても勝てないものが2つだけある、英会話と楽器だ。』と言ったのを思い
 出しました。確かに今の若者は全員が楽器を美事に演奏します。そんな下地はこうしたことから
 も出来てくるのでしょう。
  舞台上の楽器等を動かす関係でプログラム1番から13番までが小学校の器楽合奏、14番から
 23番までが合唱となります。ナントしても合唱も聴きたかったのですが、この日市民団体の研修
 旅行に参加予定あり器楽合奏のみで失礼しました。
  本当に楽しい2時間でした。

         ● 中島撫山没後100年展  11月1日(火) 久喜郷土資料館

  秋も深まり車窓から随所に満開のコスモスを見ることができました。
 フェスタの日こそ雨にたたられましたが鷲宮のコスモスロードも美事な
 ものでしょう。私はここ毎年数回かけ全路を歩いています。さすがに
 今年は1度も歩けないでいましたが、11/1公務が2時過ぎで終了、
 せめて総合支所周辺くらい歩こうと車を走らせました。途中郷土資料館
 撫山没後100年展のポスターがあり、歩きは後回しにして撫山展を
 見ることとしました。顔見知りの館長が専門家を案内につけてくれました。 
 【会場内は禁止ですからポスターのみです】  およそ1時間弱、親切な説明に感謝します。
  私は久喜小・久喜中の出身ですが、共に校歌に郷学
「遷善館」が出てきます。代官・早川八郎
 左衛門によって設立されました。教育に当たったのは「亀田鵬斎」、その子「綾瀬」でした。この
 「遷善館」こそ久喜市の教育の礎といえます。
  中島撫山は1829年に生まれています。江戸で教学に当たっていましたが、戊辰戦争勃発後の
 物情騒然な江戸を去り、学問上の師、先の亀田鵬斎・綾瀬との縁で久喜に転居しました。そして
 明治6年・1873年、本町1丁目(現本町6丁目東武家具店周辺と推測されます。)の撫山宅に
 私塾・「幸魂教舎」を設立しました。以後中国古典では論語・中庸・孟子など、日本古典では
 古事記・日本書紀等いわゆる「皇漢学」が講義されました。撫山は明治44年・1911年83歳で
 没しています。墓は我が家の菩提寺でもある光明寺にあり、久喜市の指定文化財になっています。
 丁度本年が没して100年にあたります。

  撫山の次男、「端蔵」は宮内翁助と共に、久喜市江面に「明倫館」を
 創設しています。六男「田人」の長男が作家中島敦です。
  100年展会場は当然ながら写真撮影は禁止されています。優れた?
 書家でもあった撫山が残した額・のぼり旗・碑文(拓本)、またどの程度
 上手いのか不案内ですが絵等が展示されていました。書はいわゆる
 漢字体で独特の味わいがありました。また御親戚に当たる菖蒲町K氏
 への手紙とう貴重な資料も展示されていました。
 【夕日に染まるコスモスロードを楽しみました】  若くしてこの世を去った作家中島敦には
 「山月記」「李陵」等中国古典を材とするものが多いと言われています。やはり偉大な漢学者
 祖父の影響なのでしょうか。なお久喜市には「中島敦の会」が組織され、寄稿集「中島敦と私」
 を出版、久喜駅西口には今春、記念碑を設置しています。

  館長と説明に当たられた職員にお礼を申し上げ郷土資料館を後にしました。なおこの展示会は
 ほぼ年内一杯開かれています。ご見学をお勧めします。そして11/23には記念講演会も予定
 されています。
  その後時間的には大部遅れましたが、夕焼けのコスモスロードのウォーキングをたのしみました。

       ● 久喜市放課後子ども教室・ゆうゆうプラザ文部大臣表彰受賞

  
文部科学省は毎年教育・文化・科学技術などの分野で優れた活動をしている個人・団体を
 対象に大臣表彰を行っています。久喜市においてもここ数年では生涯スポーツ振興の分野で
 私の親しい友人である正倉勝治氏(体育指導委員)、平井よし子氏(スポーツ少年団)が受賞
 されています。
  文部科学省では今回初めて地域の方々による学校や子ども達への支援活動を表彰します。
 「放課後子ども教室」、「学校支援地域本部(埼玉で言う学校応援団)」、私が本年2月議会の
 一般質問において久喜市への導入を訴えた「コミュニテイスクール」等の活動が対象となる
 ものです。正式には、
平成23年度優れた「地域による学校支援活動」推進にかかる文部科学
 
大臣表彰、となります。埼玉県教育委員会(前段階としての東部教育事務所)からの推薦を受け
 文部科学省において有識者からなる審査委員会で審査、文部科学大臣が決定するものです。

  今回全国で120活動、埼玉県から3つの活動が表彰されます。「ふじみ野市」と「美里町」共に
 学校応援団、と久喜市の放課後子ども教室・ゆうゆうプラザ久喜市内11校です。久喜市内11校
 とは本年度開始時には開校されていた旧久喜市内10校+桜田小です。もし来年表彰されたなら
 今年に入って開校された三箇小・東鷲宮小・栢間小+2~3校が加わって
久喜市内15~6校と
 表記されたでしょう。

  表彰対象が久喜市放課後子ども教室運営委員会(飯島委員長)という組織でなく、ゆうゆう
 プラザ市内11校、と活動そのものであることは良いことです。もちろん飯島委員長や柿沼
 コーディネーターを中心とする運営委員会が活動を組織し・保障してきました。しかし真に
 評価されるのは運営委員、各学校毎の実施委員、教室指導者、地域サポーター一体の
 活動そのものであり、元気にゆうゆうプラザに参加する子ども達の活動そのものなのです。
 そしてその活動は子どもを健やかに育む活動を真ん中においた地域の活性化という、
教育
 
コミュニティ創造の活動なのです。今年から始まった地域の人たちによる学校や子ども達
 への支援活動に対する表彰、その第一号として久喜市のゆうゆうプラザが選ばれた、と
 いうのは正にそうした意味としてあります。

  平成16年「地域子ども教室」と言った当時に、この事業の久喜市への導入を訴えた者とし
 17年の久喜小(くきっ子)開校以来私はこの事業と共に走ってきました。今回の文部大臣表彰に
 感慨深いものがあります。
  さすがにこの1年は子ども達との時間を共有することが出来ないでいます。大変残念ですが
 しばしお許しを頂きたいと思います。
  なお11月7日(月)文部科学省講堂において表彰式があります。来春には報告の集いでも
 もとうか、と運営委では話し合っています。

         ● かやまっ子ゆうゆうプラザ開校  10/24(月)  栢間小

 
 放課後子ども教室(ゆうゆうプラザ)を市内全校に!久喜市放課後
 子ども教室運営委員会・教育委員会、そして何よりもそれぞれの地域の
 リーダーの皆様、それぞれの努力が実を結び組織化が着実に進んで
 います。24日(月)菖蒲地区栢間小において、市内で14番目、菖蒲地区
 では2番目、今年に入ってでは三箇小・東鷲宮小・につづいて「ゆうゆう
 プラザ」が開校、体育館において開校式が行われました。
  三箇小、そしてこの栢間小についで今秋にも開校をと、今懸命の努力
 
【80%を越す参加者をみた「かやまっ子」】  をしている小林小を含め皆いわゆる小規模校です。
 栢間小も100数+の児童数です。しかし100名を越す実に80%以上の参加をみました。


 
 実施委員長のN氏、久喜市スポーツ少年団の副本部長I氏、栢間小・
 小林小地区サッカー少年団・「森下ドリームス」団長のI氏、大勢の私の
 活動仲間が開校に力を貸してくれました。心より感謝申し上げます。
  あいさつにたった私は子ども達には『元気にゆうゆうに参加、いろんな
 事にチヤレンジし、一杯経験してください。』保護者・地域の方には、
 『子どもを健やかに育む活動を通して、元気な地域社会=教育コミュニ
 
【開校式で挨拶】   ティの形成を!』 と陳べました。

  「かやまっ子ゆうゆうプラザ」はスタート時点では、昔の遊び・おやつ(クッキング)・体育館での
 スポーツA・B(ソフトバレー、バドミントンその他)・生け花・編み物・校庭でのスポーツ(サッカー
 ドッヂボール・グランドゴルフ)等の7つの講座が行われます。おいおいサポーターをふやし
 より講座を充実していきたい、と実施委員の皆様が話しておられました。どうかガンバッテ下さい。
 
  今菖蒲地区小林小と栗橋地区(地域)で開校への準備が進められています。「ゆうゆうプラザ」
 はこうでなければいけない、と言うものではありません。それぞれの地域に応じ、実情に応じた
 組織化の道を歩んでいきましょう。要は子どものために、それが同時に大人と地域のためになる
 活動なのです。

 ●平成23年度・第25回久喜市高齢者大学作品展示会 10/22(土) 中央公民館

  久喜市高齢者大学(学長・田中市長)の大学祭の一環としての作品
 展示会が22・23と中央公民館で開催されました。ちなみに大学祭は
 1・体育祭、2・体験発表会、3・作品展示会で構成されています。9/15
 の体育祭は台風で一発中止となりました。10/5の体験発表会は
 都市問題会議参加で鹿児島にいたため欠席しました。毎回ご案内を
 頂いていますが、そうした意味では初めて大学祭を見させて頂きました。
 
  【力作並ぶ展示会】ところで高齢者大学ですが、旧久喜市時代昭和54年に開校され、33年の
 歴史を誇ります。合併によって新久喜市全域に拡大されましたが、学生数が2倍以上に増えて
 いるのは喜ばしい限りです。(4年66、3年65、2年137、1年151)
 この作品展示会は今年25回と言うことですから、開校に数年遅れスタートという事になります。 
  展示会は4年・3年生の先輩のアドバイスの下、2人の2年学級委員長を責任者とし、2・1年の
 総員数174名の実行委員会からなる手づくりのものです。
  中央公民館の全ての部屋を使い、書道、俳句、華道、絵手紙、絵画、陶芸、写真等13もの
 部門に360の作品が並ぶその規模の大きさに驚かされました。
  1Fロビーでの開会式の後、会場を巡りました。開会式で実行委員長が『作品はみな魂の
 こもった物ばかりです。』と挨拶されましたが、その通り力作ばかりでした。
  3Fには喫茶コーナーが用意されており、オカリナ・尺八等の生演奏のサービスまでありました。
 コーヒーをすすりながらゆっくり聞いていたかったのですが、この日ナント7事業からご案内を
 頂いており、為にその希望は叶いませんでした。

  全国の町に「生きがい大学」とか「壽大学」と称する高齢者を対象とする大学があるには
 あります。しかしその殆どが1年制か2年制、久喜市の高齢者大学のように4年制、それに30年
 を越す歴史を持つのはまずありません。久喜市の誇れる物の一つです。
  仲間を得、学び、生きがいとやりがいとを見つけ、いつまでも元気に久喜市をリードしてください。

    ● 第2回生涯学習推進大会「まなびすと久喜」準備始まる! 10/3(月)

 
 平成23年度・第2回久喜市生涯学習推進大会=まなびすと久喜の準備が早や始まりました。
 9/26(月)は久喜市生涯学習推進部(金子雄司委員長)のメンバーを中心に、市民大学学生等
 準備・企画段階からのボランティアも参加して、「第1回実行委員会」がもたれ、5カ月にわたる
 準備活動が始まりました。
  久喜市において「生涯学習推進大会」が最初に持たれたのは、久喜市の生涯学習元年と言える
 昭和63年度です。(平成元年2月)平成元年・2年と文科省の助成金を頂く中で、「生涯学習まち
 づくりモデル事業」に参加しました。この事業に参加するに当たっての必置機関であった
 「生涯学習推進会議」を63年に組織、その主催によるものでした。
  以来23年間、生涯学習推進大会=まなびすと久喜は久喜市における生涯学習活動の進展と
 共にその歴史を刻んできたことになります。
  会場も総合文化会館から中央公民館へ、行政主導から市民(推進部)主導へ・更に市民大学
 生等学習ボランティアの企画段階からの参加へ、講演を聞くから参加し・体験する大会へ、内容
 組織過程は飛躍的に充実しました。
  しかし全てが行き着くところまで行ってしまった後、やってきたのはマンネリです。ここ数年企画
 内容、参加人員共に変わり映えしないものとなっています。
  新久喜市が誕生し、生まれ変わって昨年が第1回となりました。これからの課題は旧久喜市
 時代の市民主導型を引き継ぎながらも、マンネリからの打破を図る事です。来年度以降会場を
 輪番制にする事などが検討されているのは歓迎すべき事です。

      
 平成23年度・第2回生涯学習推進大会
 
 日 時 平成24年2月4日(土)・5(日)
 ◎ 会 場 久喜市中央公民館屋外から全館
 
 主 催 久喜市生涯学習推進会議・第2回まなびすと久喜実行委員会
 
 テーマ 深めよう!市民の「絆」
 
 内容  2/4(土) 13:00 開会式、主催者挨拶、来賓祝辞
                13:30 まちづくりフォーラム
           5(日) 10:00~15:30 中央公民館全てを使ってのイベント

  なおすでに実行委員会は発会しています。委員長・推進部、宮内智君
  当日ボランティアを募集します。ふるって参加下さい。
  私は5日(日)久喜市スポーツ少年団スポーツリーダー兼認定員養成講習会講師の任あり
  余り会場にいられません。4日(土)まちづくりフオーラムの担当になっています。
 
     
      ● 平成23年度・久喜市文化祭(美術展・合同発表会) 10/2(日)

 
 10月に入りスポーツの秋、芸術の秋、本番を迎えました。幼稚園や
 
公民館の体育祭が毎休日行われていますが、教育委員会・文化団体
 
連合会等による「文化祭」=芸術・芸能のイベントも数多くもたれる
 頃となりました。
  菖蒲・栗橋・鷲宮地区文化祭もそれぞれの会場で、10月下旬から
 一斉に行われるようです。久喜地区ではこの休みに文化祭事業の
 
中核をなす美術展1部の絵画・彫刻・工芸展と、舞台を使って発表する
 
【力作が並ぶ絵画】  吟詠・合唱・民謡・カラオケ・舞踊の合同発表会が行われ出席しました。

  
絵画等の美術展1部は、総合文化会館広域展示室を会場とするもの
 ですが1日(土)、中央幼稚園運動会の帰路、ゆっくり見させていただき
 ました。会場に斎藤文連会長がお出でで、ずっと同行され解説を頂いた
 のには恐縮しました。日本画、洋画、彫刻、皆素晴らしい作品でした。

 
学校時代の恩師、親しい友人の奥様、生涯学習活動の仲間等知人の
 作品が多数有り、面白いものでした。なお美術展2部の「書」、3部の
 
【お囃子多数従えての民謡】  「写真」はこれから同じ文化会館広域展示室にて開催されます。

  2日(日)は文化会館小ホールで合同発表会に出ました。これは舞台で
 発表する合唱・カラオケ・吟詠・民謡・舞踊5団体の市民文化祭参加の
 合同発表会、単独ではすでに終えている団体、「合唱連盟」のように
 1週間後というのもあります。基本的に1人の吟詠・カラオケより、華やい
 だ衣装をまとい、複数が多い民謡・舞踊はどうしても派手、やはり写真
 も多いものとなります。一番楽しかったのは民謡連盟の方の三味線の
 
【舞踊連盟・武田節】 合奏、しかも演奏曲が「メリーさんの羊・かもめの
 水兵さん」 と言った童謡でした。多数初心の方なのでしょう、たどたどしく弾いていました。そんな
 中1人のリーダーが正調のかけ声(あいのて)を入れながらリードしていました。演奏を終え多数の
 安堵した顔とリーダーの照れた笑いとが印象的でした。
  それにしても自分の好きな事を楽しみながら仲間との連携、コミュニティ形成へとつながるこの
 活動っていいなと思います。
   来週は合唱連盟の演奏会に、その後は「書」や「写真」の展示会も見たいと思います。


     ● 東鷲宮小ゆうゆうプラザ(けやきっ子)開校式  9/26(月) 東鷲宮小

  
市内13番目の実施校として、東鷲宮小放課後子ども教室(けやきっ子
 ゆうゆうプラザ)の開校式が、26日(月)同校体育館で行われました。
  
放課後子ども教室とこれへの私の関わりはもう何回も書いてきました。
 
とにもかくにも平成17年「地域子ども教室」の当時久喜小でスタート、
 圧倒的多数の地域の皆様の参加を頂いて、5年後平成21年には旧久喜
 市内10校全てで開校する事ができました。
  22年春1市3町合併により新久喜市が誕生しました。新久喜市誕生に
 【開校式での飯島運営委員長挨拶】   当たっての教育委員会と運営委員会の新たな目標は
 当然市内全23校での実施となりました。

 
 昨年市内11番目、旧久喜市以外では初の実施校として桜田小が
 開校しました。そして今年にはいって菖蒲三箇小、そして13番目として
 この日東鷲宮小が開校したことになります。
  東鷲宮小は周辺に新興住宅、マンションが立ち並び比較的児童数の
 多い学校です。全児童の43%、230人ものけやきっ子が申し込んで 
 くれました。「英語で遊ぼう」、「つくって演奏・ケーナ」、「おもしろ理科
 【元気一杯のけやきっ子】   実験」、「たのしいおり紙」など11の講座が予定されています。
 開校式では飯島運営委員長・村田校長先生の挨拶の後、二人の児童代表がゆうゆうプラザに
 期待する言葉を述べました。
  運営委員会と東鷲宮地区関係者皆様の努力で開講することが出来ました。ご努力に感謝申し
 上げます。この後間もなく菖蒲地区栢山小・小林小で開校され、栗橋地区でも準備が進められ
 ています。市内全校開校へ、地道な努力を続けていくことになります。

  「ゆうゆうプラザ」は体験活動を通し、子ども達の健やかな育成を地域の大人達が保障していく
 活動です。そしてそうした活動を通して地域を活性化していく=教育コミュニティ創造の活動です。
 東鷲宮小関係者皆様の今後のご努力に期待します。


       ● 第33回・鷲宮文連ファミリーコンサート   9/4(日)

  鷲宮地区の生涯学習活動の拠点施設である西コミセン・おおとりで
 開催された「ファミリーコンサート」に出席しました。私は立場上市内各
 活動団体のイベントには多くご招待を頂き、可能な限り出ています。
  ただ鷲宮地区は副議長の出身地とあって多く代理をお願いしてきま
 した。今回も普通ならそうなったのですが、丁度この日は大邱の陸上
 世界大会の最終日、我が久喜市の市民ランナー鷲宮在住の川内選手
 登場の日、市長・副議長を含む鷲宮関係議員は応援のため現地へ出
 【鷲宮高校吹奏楽部】   向いています。そんな事で私が出、相変わらぬ久喜市の市民活動の
 奥深さと広がりを実感するという収穫を得ました。

  要するに鷲宮文化団体連合会に加盟する音楽計サークルを中心と
 したコンサートです。実行委員長の文連会長・久保さんを中心に大勢の
 ボランティアの参加で実行委員会が形成されています。それが今年で
 33回というのですから、何よりもその継続性に敬意を表します。
  地元鷲宮高校の吹奏楽部に始まってコーラス・マーチングバンド・尺八
 大正琴・ハーモニカ・雅楽と正にオンパレード、ついつい楽しくて、この日
 【哀愁誘う大正琴】 バストラル加須の安倍晋太郎氏講演会の時間まで3時間も見させて頂ました。

  何故楽しかったのでしょうか。名称そのままにその「ファミリー」にあり
 ました。地元の鷲宮高校生男女のベアーが司会を担当しました。マア
 何というか抑揚の全くない原稿を読むだけの下手な司会でした。しかし
 それがこのコンサートにピタリはまって、何ともほほえましいものでした。
  ボランティアの方々です。80名を越すと会長が言っていました。もちろん
 駐車場係なども含むのでしょう。中心は舞台担当の人たち、この人達の
 【珍しい男性だけの合唱】  動きがたまらなくいいのです。例えば大正琴の出番です。(写真・中)
 休憩をとって舞台上に座って弾く大正琴の準備を終えました。幕が上がり、さあ演奏開始と言う
 瞬間、突然担当ボランティア数人が舞台に乱入、『スイッチ入ってるかな』とばかり、『コン・コン』と
 マイクをたたき、『ウン・大丈夫だ』、と悠然と幕間に下がっていきました。その動きには思わず
 呆然、次ぎに拍手を送りました。
   出演サークルのバフォーマンスも全てが上手いとは決して言えません。中には音楽は余り
 解らない私が思わず固くなる、と言う瞬間もありました。しかしピンクのTシャツのコスチューム
 に身を包んだ平均年齢どう見ても70代のコーラスサークル等々、見てて本当に楽しいのです。

  それはみんなが文字通りファミリーだからです。同じ地域で同じ音楽・芸能活動を愛しむ仲間
 意識に溢れているからです。それは常日頃の充実した活動の表れ、これを33年も続けて
 きたのです。
  どこにも素晴らしい活動があり、仲間がいる、そんなことを改めて確認させてくれた楽しい
 時間でした。 



       ● 新久喜市生涯学習推進計画について-その3- 9/2(金)

  何度も記してきましたが、今度の推進計画は実質的に「第三次」でありながら、「新久喜市
 生涯学習推進計画」となるものです。計画年度を何年度からの何年とするのでしょうか。
 いずれにせよ「第二次」の策定に2年前から入った事を考えると、策定への歩みは今の
 久喜市の生涯学習振興状況そのままにおそいもの、と言わざるを得ません。私はいつ
 策定作業を開始するのか気が気で無かったのですが、最近の活動状況からして気をもむ
 だけに留めていました。やっとスタートしホッとしています。「生涯学習推進会議」その他で
 それなりの前段階はあったのでしょうが、8/26(金)第三次=新市推進計画「原案作成
 部会」が発足しました。

  この組織のメンバーは6名です。「ゆうゆうプラザ」運営委員長飯島氏、推進部金子委員長
 前記した原島氏・末田先生等、私の知る限り「生涯学習」と言う視点で見れば最強メンバー
 と言えます。事務局は本年から生涯学習課課長補佐に就かれた朝武氏です。私とはスポーツ
 レクリエーション振興分野で長きにわたるパートナーです。現時点での計画策定スケジユール
 ですが、このアトほぼ毎月一回部会会議を持ち、「推進会議」とキヤッチボールを続けながら、
 来年秋最終原案を作成、推進会議に提案し、最終調整を経て24年度内に完成させる、という
 ものとのこと、まあ「3年以内に」をかろうじてクリアーしての策定終了となる訳です。
  ところで私です。今の私の立場からして正式な策定委員はムリだとは思っていました。しかし
 何らかの形で係わりたいと考えていましたが、この最初の会議にご案内をいただきました。その
 立場は「アドバイザー」だそうです。要するに「第二次」の策定懇話会座長であり、久喜の推進
 活動を最初から熟知しているので、必要に応じてアドバイスをお受けしたい、のだそうです。
 まあ私としては「うるさいだけのジイさん」にならないよう、そして余り前に出過ぎぬよう、正に
 必要に応じてアドバイスしていきたい、と考えています。 

  最初の会議とのことでフリートーキングが主でした。私は「新久喜市推進計画」策定に当たり
 以下の事を考慮されたい、とし発言しました。
 ◎ 全体として「第二次久喜市生涯学習推進計画」を継承し、発展させるものであること。 
         特に市民主導の生涯学習の推進という立場
   全国的に見て生涯学習・その振興活動の低迷状況。市民主導の久喜市のそれの優位性を
 継承。「第二次」の-まなぶ・いかす・つなぐ・ささえあう-の発展的継承 

 ◎ 同じく全体として久喜市の「総合振興計画」との整合性を図る
   現在「審議会」の下で策定進行中の「久喜市総合振興計画」との整合性を図る
   「振興計画」は合併時の「新市基本計画」を受け継ぐ、久喜市の最高上位計画に位置づけ
   られる。(計画策定に当たり、市民の生涯学習へのニーズを知りたいのでアンケートを実施
   したいとの意見があったが、どれほどの実効性があるか疑問、「振興計画」アンケートにも
   「生涯学習」の分野があるのでそちらを活用すべし。)

  政治の世界で言う 「協働」・「新しい公共」の論理を導入すること。
  行政と市民との「協働」による生涯学習の推進
  学校と市民(地域)との「協働」による教育(学校・地域)活動の推進と言う考え  
  生涯学習はまちづくりにつながる  生涯学習に係わった市民がまちづくりに係わり
            → 「(新しい)公共」の分野を担う、と言う考え

 ◎ 教育  学校教育との関わりを強く打ち出す。単に地域が学校を支援するに留まらず
   「ゆうゆうプラザ」的視点、教育活動による地域の活性化=「教育コミュニティ」という考えを
   打ち出す

 ◎ 教育基本法、社会教育法、スポーツ基本法の制定、改正の立場に踏まえること
   平成18年に改正された教育基本法は、3条で明確に「生涯学習」を規定しています。これを
  うけ、平成20年に「社会教育法」が改定されました。また本年制定された「スポーツ基本法」は
  東京オリンピック前に制定された「スポーツ振興法」の、50年ぶりの全面改定となります。
   当然ですか共通の考えに立っています。「教育基本法」は生涯学習を、『豊かな人生を送る
   ことが出来るよう、生涯にわたりあらゆる機会・場所に…‥』と規定し、スポーツ基本法も
  『スポーツを通して豊かな生活を営む権利=スポーツ文化論』に立っています。久喜市民の
  豊かな未来を創造するものとして「新久喜市生涯学習推進計画」を
  
 ◎ 現実面 新市の計画であること 生涯学習という面で見ても、旧久喜・菖蒲・栗橋・鷲宮
   それぞれに大きな違いがある。統一された計画であることを意識する
    財政面  国でも、どこの地方自治体でも財政は厳しい。「生涯学習」にお金をかけなく
    なっている。前では通用した「公民館**館構想」とか、「生涯学習センターの整備」とか
    金のかかるものには注意したい。

  以上です。とにかく私の4半世紀にわたる生涯学習推進活動の中で、共に汗を流してきた
 「分科会」メンバーの今後のご努力に期待します。あらゆる協力を惜しまない覚悟です。


       ● 新久喜市生涯学習推進計画について-その2- 9/1(木)

  第二次久喜市生涯学習推進計画は平成14年度~23年度を計画年度とするものです。再建
 された第二次生涯学習推進会議(田中市長議長)での協議に踏まえ、「策定懇話会」を発会
 させました。活動の絶頂期にあった推進部のメンバーが主でしたが、幅広く意見を聞くために
 市P連代表等にも参加を頂きました。私は懇話会座長に選出を頂き一年半にわたる策定作業
 に入りました。
  手前味噌となりますが活発な活動状況を反映し、故丸尾氏(推進部員・市民大学講師)、
 鈴木氏(現久喜コミ協代表)等から鋭いご指摘を頂き、協議は高レベルなものでした。それを
 集約し最後に文章をまとめたのは事務局の末田氏(現東小校長)でした。末田氏とはその後
 現在の「ゆうゆうプラザ」の前身、「地域子ども教室」を組織化する等、事務局・民間の立場を越え
 活動をご一緒しました。
   10回の懇話会・1年半を経てまとめたものが、『-まなぶ・いかす・つなぐ・ささえあう-』を
 合い言葉とするものでした。「まなぶ」だけでなく、学んだことが活かせる場を整備しましょう、
 そして「つなぐ・連携」を推進していきましょう、最後に「ささえあう」推進体制の整備・充実を図って
 いきましょう、というものでした。それは10数年に及んだ久喜市の生涯学習推進活動を集約した
 ものであり、その中味であった市民主導を一層推進するものとしてありました。

  それから10年が立ちました。平成24年度から33年度を期間とする「第三次生涯学習推進計画」
 策定の時を迎えたのです。ただこの間いわゆる市町村合併がありました。合併協議の過程で
 『新市において3年以内に「推進計画」を策定する。』とされました。だから実質的に「第三次」で
 あっても、『新久喜市生涯学習推進計画』を策定することになります。
  この10年様々な変化がありました。私事で言えば10年を越えて勤めた推進部委員長を辞しま
 した。また推進会議は「市民活動参加条例」か、「推進条例」どちらかとのカラミで、大いに不本意
 でしたがこちらの方はクビとなりました。そして市町村合併があり、新市議会において会派代表を
 経て議長に就任した事からもうれつに忙しくなり、活動量の大幅な減少を余儀なくされている
 というのが現況です。
  久喜市の推進状況です。推進部に結集していた多くのメンバーが10年近くの活動を経て辞して
 いきました。「推進部」全体の活動量が減り、この時期と旧メンバーが創り上げたイベントの内容が
 行き着くところまで行き、アトは維持するだけ、要するにマンネリが重なりました。
  推進会議です。理由はわかりませんが組織を改革、いわば「第三次推進会議」となりました。
 議長を市長が辞し、民間人となりました。何故なのかこの改革の意味が全く理解出来ません。
 単に合併して市長の仕事が多くなったから、なのでしょうか。いずれにせよ残念ながら久喜市の
 生涯学習推進活動は、大きく活動量を減らし、マンネリと低迷の中にある、と言えます。

  しかしです。久喜市は未だ良いのです。市民大学は新しい推進活動のリーダーを(それなりに)
 送ってくれます。「ゆうゆうプラザ」に代表される高い地域教育力があります。「市民主導による
 生涯学習の推進」は、かろうじてあるレベルを保持している、といえるのです。
  問題は全国の状況です。歴史が浅く、国も地方自治体も行政主導で推進体制がスタートした
 と前記しました。熱心だった行政担当者は多く異動していきました。いわば余計事である「生涯
 学習振興」より、必要な「介護保険」が目の前にありました。景気の低迷は自治体財政を悪化させ
 「生涯学習関連施設の整備」はおろか、各種イベントまで行わぬようなっています。その象徴が
 一昨年久喜市は熱心に取り組んだ「まなびピア埼玉」、いわゆる「全国生涯学習フェスティバル」
 です。久しぶりの首都圏開催で大きな盛り上がりをみせたものの、翌22年は縮小開催、今年は
 廃止されています。理由は政府の財政政策です。こうしたことは生涯学習を衰退させるもの、と
 いわざるを得ません。明らかに国でも地方自治体でも、そして我が久喜市でも生涯学習は、その
 推進活動は大きな転回点に立っているのです。
  こうした背景の中、私たちは第三次(新市)の推進計画策定の時期を迎えたのです。
                              -その3に続く-


         ● 新久喜市生涯学習推進計画について-その1-8/31(水)

 
 「生涯学習」なる言葉が市民権を得たのは、そんな古い話しではありません。国際的には
 ユネスコでのポールラングランの発言が1965(S40)年ですし、我が国では1981(S56)年の
 中央教育審議会が始まりです。従って我が国ではまだ30年ほどの歴史しか有していないわけ
 です。しかし我が国では1984(S59)年から1987(S62)の4次にわたる臨教審の答申によって
 「生涯学習体系への移行」が打ち出され、、1990(H2)年にはいわゆる「生涯学習振興法」が
 施行されました。生涯学習振興は国家的課題となり、都道府県・市町村自治体は上げて生涯
 学習振興施策に取り組むという、いわば歴史の浅い中、行政の手により生涯学習振興への
 取り組みが始まったのです。

  その最大のものが平成元・2年と行われた文科省による、「生涯学習まちづくりモデル事業」
 でした。全国3、000の自治体が参加したといわれる画期的なものでした。久喜市もこの事業に
 参加、
参加に当たっての必置機関であった「生涯学習推進会議」を設置、この会議の主催で
 「第1回久喜市生涯学習推進大会」を、年度的にはS63年度・平成元年の2月に開催しました。
 私がS63年を「久喜市生涯学習元年」と呼ぶのはこうしたことによります。
  この時の「推進会議」の議長は坂本前市長、副議長は渡辺前助役・戸賀崎元教育長・高橋
 元社教委委員長、お三方とも久喜市の政治・教育・文化の振興に多大な足跡を残され黄泉へ
 の旅にたたれています。野原公運審・齋藤体協・榎本文連・塩崎区長会各会長、それぞれの
 分野で一時代を築かれた方々も同じく他界されています。体育指導委員協議会会長として
 「委員」に委嘱された私は、こう見てくると当時を知る唯一の人間となっているのです。

  
なにせ全国的に生涯学習=障害者の学習、などの発言があった頃です。教育のまち・久喜
 はすでに活発に公民館活動が展開されてはいましたが、生涯学習そのものは未成熟の段階
 でした。何よりも「生涯学習まちづくり事業」を意識し過ぎたのか「委員」に、行政全部長職を
 置いため日程調整だけに事務局が追われる有様、会議で中味ある協議は行われない状況
 でした。次第に会議開催が間遠となり、ついには解体状況が生みだされ有名無実化していった
 のです。(平成3~4年)

  こうした中行政と民間サイトで将来に備えた試みが行われました。行政では当時生涯学習課
 課長補佐として、事務局を担当されておられた、故・丸林正勝氏による「久喜市生涯学習推進
 計画」の策定です。私とは同年齢である丸林氏とは、少年サッカー・生涯学習と互いにのめり込
 んだ2つの分野での大親友でした。何度も相談に乗りましたが、丸林氏は戸賀崎教育長の指導
 の下、ほぼ一人でH4年~H13までを期間とする「第一次久喜市生涯学習推進計画」を策定し、
 これを置きみやげに学校・現場へと戻って行かれました。

  もう一つ民間サイドでの試みは、私を中心とする市民による推進部隊創設の動きでした。ある
 意味で仕方なかったとは言え、行政主導の在り方を反省、当時の市内地域活動の主要指導者
 をネライ打ちし、今日の会議は3人、明日は5人、その次は10人と仲間を増やしていきました。
 丸林氏の後継に生涯学習課課長補佐に就かれた原島氏が、始めからのパートナーでした。
 原島氏はその前、スポーツ担当係長として久喜市教育委員会におられた事があり、それ以来の
 親しい仲間でした。そしてこの市民の推進部隊をもって、平成4年・現在の「久喜市生涯学習
 推進部」を創設したのです。 
  
  私はこの発足した「推進部」の委員長に就任、また市長を議長に、教育長と私を副議長とする
 「生涯学習推進会議(第二次)」を再建しました。「第一次生涯学習推進計画」で打ち出した
 久喜市の生涯学習活動のリーダーを育成するものとして、「久喜市民大学」も平成7年開校
 しました。(岸一期生として入学 → 市民大学校友会)
  「推進部」に結集した仲間の活動力・組織力・理論力は抜群であり、何よりも真摯さに充ち
 満ちていました。「生涯学習推進大会・まなびすと久喜」を単に講演を聞くから、参加し・体験
 するものへと変革しました。「生涯学習研修大会・まなびすとフォーラム」を組織し、交換・研修
 活動を高めました。広報紙を発行、学習情報を発信しました。正に市民主導の生涯学習の推進
 として順風万般な歩みを続け、その勢いのまま平成12年「第二次生涯学習推進計画」策定へ
 と突き進んでいったのです。
-その2に続く-


      ● 市民大学交友会講演会(公開講座) 7/16(土) ふれあいセンター久喜

 
 私が市民大学6期生までを対象に、「市民大学交友会」が発足させたのは平成13年の事でした。
 設立準備委員長を勤めた私は初代会長として、その後に繋がる基礎作りを行いました。以来丸
 10年が経過しています。合併を契機に「高齢者大学」は回復基調に有りますが、「市民大学」は
 どうもいけません。何せ入学者がやっと二桁という状況なのです。だから「校友会」もという訳では
 ありませんが、マンネリ化+活動量の不足、低迷状況にあることは言を待ちません。
  
平成23年度の校友会は、会長を2年勤めた齋藤氏に変わって柚木氏が就任されました。私は
 相も変わらず1期選出の役員としてあります。本年度に入って最初の事業が今回の公開講演会、
 前出の齋藤氏を中心に1期・2期役員が担当でした。私はご承知の様な日常生活、準備会に余り
 出られないので熟知の間柄の講師・阿部先生へのお願いのみ担当しました。
 
  講師の阿部敏郎氏は社会福祉法人同仁会・介護老人福祉施設「鶴寿荘」施設長、また市民
 大学の講師でもあります。
  まず高齢者と呼ばれるのは何歳から、で始まりました。定年は60才、年金受給は65才から、
 老人福祉法では65才以上、前期高齢者は65~74、後期高齢者は75才以上、私が敬愛する
 「敦の会」のN氏は、『岸君、ぼくは末期高齢者?』と言っていました。間違いなく言えることは私は
 もう立派な?「高齢者」だと言うことです。
  高齢者人口は増え、総人口は減っていきます。現在65才以上の高齢化率は22・7%ですが、
 2020年には40%を越えるとされています。当然要介護高齢者は増加、特に認知症患者は2005年
 169万人から、2025年・323万人が想定されています。また介護の長期化・重度化もおき、家族とし
 ての同居率の低下、単身高齢者世帯、高齢者世帯の増加といった状況から、家族介護機能が
 低下し、当然介護保険制度の利用へと繋がっていきます。
  そこから阿部氏は介護保険制度の利用手続き、そしていくつかのサービスの内容・実情へと
 話しを進められました。また在宅介護と施設介護のそれぞれについて話されました。家庭で誰に
 介護を受けたいかで、男性は配偶者80・7%、女性は子ども63・1%という下りには思わず笑いが
 出ましたが、その実・現実はそうはいかず、ホームヘルパーさん希望の割合が増加している、と
 続かれた時には身につまされました。
  最後に今回の講演の主題である「今後の介護」について話されました。来年2012年は3年に1度
 の介護保険料の改定時期です。保険料は介護サービス量の増大と共に上がり続けています。
 今回の注目点は65才以上の人1人当たりの全国平均が、5000円の大台に乗るかどうかです。
  地域包括ケアシステムについても話されました。①医療との連繋、②介護サービス、③介護予防
 ④生活支援サービス、⑤高齢者住宅、の5つが日常生活圏域で包括的・継続的に行われることが
 重要との事です。
  最後に介護の内容と量を自分自身が選択すること
      介護を受ける者も、介護する者も明るい介護であること  で結ばれました。 
 
  もう立派な高齢者である私は、16年母を看た疲れから解放されたばかりで、今の所自分の問題
 として考えたことはありません。しかし漠然とこんな事を考えています。後期・末期高齢者になろう
 とも、何か地域のお役に立てる活動が出来る位の体力を維持していること、ばりばり活動していて
 ある日突然ぱたんと倒れて死ぬこと、1人ではとうてい生きていけないので女房より1日でも、1時間
 でも早く死ぬ事です。そしてその時女房の手を握って、俺の人生はおまえのお陰で幸せだった、と
 言うことです。
  あーこれはもう「さだまさし」の世界ですね。

  この後も校友会の活動はいくつもあります。この所の公務多忙から準備する側にはなれないけど
 可能な限り出席していこう、と考えています。

      ● 三箇ゆうゆうプラザ開校式(菖蒲地区初、市内12番目)  6/27(月)

  
久喜市放課後子ども教室=ゆうゆうプラザは、今年で7年目を迎えま
 した。「地域子ども教室」といった平成17年くきっ子=久喜小でスタート、
 4年後の21年久喜市内全10校の開校にまで発展しました。この事業の
 導入を発議した者として、教委・運営委員会一体となったこの間のご努力
 に深い敬意を表する次第です。
  新市誕生を迎え私たちの目標はただ1つ、市内全23校での開校です。
 合併元年の昨22年鷲宮地区桜田小が開校しました。そして27日市内
 【開校式後のレクリエーション】   菖蒲地区初、市内で12番目として三箇小の「三箇ゆうゆう
 プラザ開校式」が同校体育館で行われたのです。

  三箇小板東校長先生には、前に「青毛小ゆうゆうプラザ」開校の際にも大変ご協力を頂きました。
 また実施委員長の齋藤氏は三箇地区野球少年団団長、開校にご協力をいただいた青木市議、
 小林菖蒲地区青少年育成会議議長は元菖蒲町スポ少本部長といずれも古く、親しいお仲間の方
 ばかりです。
  三箇小の児童数は200を数名上回っています。この「ゆうゆうプラザ」への参加者は78名とのこと
 約40%が参加したことになります。
  野口実施委員司会のもと開校式は進行、委員長・校長挨拶のアト、低学年・高学年の児童2人が
 ゆうゆうプラザに期待する言葉、を述べました。高学年の子は私も顔なじみの少年団員でした。
  その後私は来賓祝辞を述べました。今までも新たに開校される会場のみ来賓として市長と議長を
 お呼びしているからです。すなわち私は今日は来賓、今までは新設校には運営委員として参加
 していました。この所公務多忙、特に議長職拝命以来「ゆうゆう」への関わりは激減しています。
 何とも悲しい話しです。でもまた第一戦で頑張りますのでしばしお許し下さい。
  教室とボランティアの紹介がありました。月曜講座と土曜講座、チャレンジスポーツ、学びっ子
 タイム、わくわく実験室、手芸、編み物、いけ花、クッキング、グランドゴルフと盛りだくさん、どうぞ
 よろしくお願いします。
  開校式終了後全員での交流ゲーム、体育館フロアー一杯にみんなで輪をつくって、手をつない
 で協力と頑張りを誓いました。 

  今、このアトに続けと栗橋地区・鷲宮東小地区、菖蒲小林小地区と開校準備が進められてい
 ます。
 ゼヒ成功させ、みんなと一緒に「ゆうゆう」の輪を広げていきたいものです。

  ●23年度・第1回生涯学習推進部全体会議&生涯学習課歓送迎会 4/23(土)


  生涯学習推進部(金子雄司委員長)は平成23年度を迎え、第1回の
 全体会を開催、年間スケジュール、本年度のスローガン・テーマ等を
 決定、また上半期の各種事業について検討しました。主な事業予定は
 以下となっています。
   ※ まなびすとフォーラム(研修大会)・6/11(土) 鷲宮高校 
   ※ まなびすと久喜(推進大会) 24-2/4・5  中央公民館(予)

 【挨拶する3人の退職者】   市民大学生との合同研修会 5/21 12/3ふれあいセンター
 
 ※ 推進部研修  7/24・25 群馬県前橋市・川場村
 
 ※ 久喜市民まつりの他コスモスフェスタ(鷲宮)、菖蒲産業祭、やさしさ・ときめき祭り(栗橋)に参加
  
 5回の全体会、4回のまなびすと実行委、他を開催、会議は市内各地区を利用。 
 
   23年度年間スローガン  地域で学ぶ、地域が育つ
            テーマ     出会い ふれあい 語り合い   共に継続
 
  この後、前記した5/21の市民大学学生との「合同研修会」、6/11「まなびすとフォーラム」に
 ついて細部を検討し閉会しました。

  ところで今年は教育委員会生涯学習課職員の大幅な変動がありました。課長・井出氏が退職、
 課長補佐の帯津氏が学校教育現場に復帰、「市民大学」や「ゆうゆう」を担当された岡野社会教育
 指導員が退職されました。変わりに課長には前に経験されておられる齋藤課長が庶務課から
 転任、課長補佐には砂原小からおなじみ朝武紀雄氏が転入され、新社会教育指導員には前江面
 第1小大竹校長先生が着任されました。主に「ゆうゆう」を担当されるそうです。
  「ゆうゆう」は今年新規開校5校を目指しており、更に活動を活発化していかねばなりません。また
 「生涯学習基本構想・計画」策定に着手することにもなります。
  お3人の長きにわたるご指導に感謝し、また新たなメンバーによろしく、との意味を込め、「放課後
 子ども教室運営委員会」と、「久喜市生涯学習推進部」の共催で歓送迎会を開催しました。
  大勢の仲間の参加を得て、和やかな集いでした。

    ●久喜市民大学交友会・「まち研久喜」総会 4/16(土) ふれあいセンター久喜

  16日久喜市民大学交友会と「まち研久喜」の23年度総会が、全く同じ
 時刻に「ふれあいセンター久喜」で開催されました。本来なら「まち研久喜」
 の総会は別の日時に「中央公民館」で開催される予定でした。しかし
 ご承知のような東日本大震災-福島原発事故に伴う計画停電との関係
 で、公民館の夜間利用が停止されたため、会場・日時を変更、バッテ
 ィングしてしまったのです。 「まち研久喜」の方は総会資料をいただき
 年会費を納めた後、基本的に市民大学交友会に出席しました。

  市民大学交友会は平成13年設立、私が初代会長でした。平成7年開校された「久喜市民大学」
 の事務を5年間担当された栗原先生が平成12年3月に退任され、「感謝する集い」を同年秋
 もちました。この時「集い」の実行委員長を務めた私が「校友会」組織化を提唱、了承されたのです。
  その後1年の準備を経て13年の設立となります。私は「校友会」に深く関わり校友会クラブ活動
 的性格のものとして「学校支援ボランティアの会」をたちあげたりしました。
  「校友会」への関わりが薄くなったのはいつの頃からでしょうか。大学を卒えて15年、校友会を
 組織して10年になります。時の経過が意識を低下させた、と言えばそうかもしれません。実際の
 ところは日常生活の忙しさが、「校友会」に係わる時間を奪ったと言うのが正しいと思います。昨年
 立ち上げた事業部快活道、私は「スポレク部会」の責任者となりましたが、結局何の組織化も
 出来ませんでした。申し訳なく思いますが少なくともコトしも活動できる状態ではありません。そんな
 訳で今年は校友会役員(1期生からの)を固辞したのですが、役員ヤルのなら会員辞める、という
 同期生ばかりで継続のやむなきに至りました。それでも今期1期生から退会者が続出、会員数は
 半減しました。何とも申し訳ない事ばかりです。
  総会では2年会長を勤めた10期齋藤氏に変わり、11期柚木氏が就任、新体制を固めました。
 前記したとおりで協力します、と言うほどの活動は出来ないと思います。多くある事業の内、1つ
 2つは何とか出たいと考えています。

  「まち研久喜」の方は会長・中里、副会長・矢部両氏を再選しています。この所会員数・活動
 内容の固定化が目立っています。「親子ふれあい見知」の活性化を話し合いました。


    ●「女と男いきいきネットワーク久喜」総会 4/15(金) ふれあいセンター久喜

  
「女(ひと)と男(ひと)いきいきネットワーク久喜」の総会が15日、ふれあい
 センター久喜で開催されました。「女と男いきいきネットワーク久喜」は
 平成16年、市内で活動している女性団体、各種グループおよび、個人
 が、ゆるやかなつながりの中で、互いに交流・交換・研修を通してエン
 パワーメントし、豊かな地域社会づくり、男女共同参画社会の形成に寄与
 する事を目的に設立されました。現在26の団体・個人が参加しています。
  交流交換活動、啓発学習活動の他、久喜市と共催で「男と女のつどい」
 【なの花会代表の記念講演】  「いきいき女性会議」、情報紙の発行等の活動を展開しています。
  提案された5議案を全て承認、平成23年度活動の一歩を踏み出しました。
  
  総会記念講演で「いきいきネットワーク久喜」加入団体の1つ、「なの花会」が平成22年度第6回
 「さいたま輝き荻野吟子賞」を受賞されたことから、「荻野吟子賞を受賞して~なの花会の20年~」
 と題して講演がありました。「荻野吟子賞」は日本最初の公認女性医師「荻野吟子」を顕彰し、男女
 共同参画推進に貢献した個人・団体・事業所等を対象に、埼玉県が平成17年度から始めた表彰
 です。2年前の20年度には市内の土屋病院が事業所部門で受賞されています。講演された
 現「なの花会」会長・植原さんとは生涯学習推進活動でご一緒し親しく交際をいただいています。
  実は大変残念でしたが、15時にシルバー人材センター役員と会談が設定されており、講演は
 半分しか聞けませんでした。「荻野吟子」さんの生き方に関する部分だけで、「なの花会」20年の
 歩みの後半部分は聞くことが出来ず会場を後にしました。


      ● 23年度久喜高齢者大学入学式・始業式  4/13(水) 総合文化会館


  
平成23年度久喜市高齢者大学入学式・始業式が13日総合文化会館
 
大ホールで行われました。今年の新入生は新生高齢者大学としては
 2期生になりますが、高大そのものは旧久喜市時代、昭和54年に
 間違いなく到来する高齢社会に備え、高齢者の皆様の生きがいづくり、の
 場として創設され33期生ともなります。今年の入学生は151名、丁度
 旧久喜市、3町が半数ずつを占めるとのこと、「一体感のあるまちづくり」
 を地で行く感じで大変喜ばしい気持ちを持ちました。2年生137名、3年生66名、4年生65名、
 一時減少した学生数も、合併によって増加に転じたのもうれしい限りです。 

  
学長(田中市長)式辞、在校生代表による「歓迎の言葉」、新入生代表「誓いの言葉」に次いで
 来賓挨拶に立った私は、東日本大震災によって『人と人との絆・つながりの大切さが改めて見直さ
 れていること、絆・連帯感・コミュニティが形成されている避難地は苦しい状況の中、比較的安定し
 前向きに復旧・復興への道を歩んでいること』を陳べ、『これからの高齢者大学での学び・社会活動
 を通し、自己を高め、コミュニティのリーダーたる役割を担われん事を期待します。』と結びました。


 
 今年はまた学びの場として、今までの久喜中央公民館の他に、菖蒲総合庁舎、鷲宮地区の郷土
 資料館もプラスされるそうです。学びと活動の輪が一層広がり、深まっているのが感じられ喜ばしい
 限りです。作品展は毎回拝見しています。「市民まつり」、「まなびすと久喜」ではいつもボランティア
 として協力いただき感謝しています。
  入学生151名と、在校生計267名の方が充実した学生生活を送られますことを祈念いたします。

  
      ● 23年度久喜市民大学・大学院入学式  4/9(土) ふれあいセンター久喜


  ふれあいセンター前、青毛堀側の桜が満開の中、平成23年度「久喜
 市民大学・大学院」入学式並びに始業式が行われました。平成7年開校
 の同校は今年の入学生(15名)が17期生、大学院生(4名)が15期生に
 当たります。
  私が平成7年入学の大学・大学院共に1期生であることは、何度も申し
 上げてきました。卒業後市民大学卒業生として初の「運営委員」を勤め、
  【在校生による歓迎の言葉】  また平成13年度には設立準備委員長から、初代「市民大学
 交友会」会長を勤める等正に市民大学にどっぷりつかった日々を過ごしてきました。だから市民
 大学は我が母校・我が心の故郷であります。
  
  そんな市民大学に最近ズーと気になっていたことがあります。入学者、従って大学院への進学者
 の少ないことです。大学の定員数は私の頃と変わらぬ40名、私の時は39名入学、故柿沼元議長
 他1名が途中退学されましたが37名卒業、ほぼ30名が大学院に進学しました。最近では入学者
 10数名、大学院進学者は数名という状態です。
  それともう1つ私の頃は入学年齢制限がありました。60歳未満でした。従って仕事に就いている
 男性の入学は大変困難で女性が圧倒的に多いクラス編成でした。制限年齢が徐々に上がっていき
 今、年齢制限は無くなりました。高齢社会の今、年齢で学ぶ権利を奪うというのはいささか問題が
 ありこれはこれで良いのかもしれません。しかし問題なのは「高齢者大学」と同質化してしまった
 点が有ることです。「高齢者大学」は仲間づくり、生きがいづくりを目標としています。「市民大学」は
 「学び」を通し久喜市の生涯学習推進活動、ボランティア活動のリーダー育成を目的とします。
 このことをシッカリ踏まえた学生生活を送られることを望むものです。
  評価する点も有ります。菖蒲・鷲宮・栗橋それぞれの地区から入学生がいることです。1市3町
 合併がなって2年目、一体感の醸成はこういうところから進んでいくようです。

  在校生代表の「歓迎の言葉」、新入生代表の「誓いの言葉」で入学式
 は終わりました。有意義な学生生活を送られることを期待します。また
 「市民まつり」や「まなびすと」へのボランティアお待ちしています。
  そうした活動でまたお会いしましょう。

  終了後、花冷えの天候でしたが「ふれあいセンター」目の前の青毛堀
 の桜並木を散策しました。写真のように満開でした。今年はわざわざ花見に行く気にはやっぱり
 なれません。そんな意味でも楽しい一時でした。


   ● 22年度久喜市家庭教育フォーラム 2/26(土) 鷲宮西コミュニティセンター 

  22年度「家庭教育フォーラム」が26日、「鷲宮西コミュニティセンター
 おおとり」で開催されました。私は平成9年、1年制の「家庭教育セミナー」 
 を受講しました。その後、この「セミナー」は閉校となり、変わって何年か
 「家庭教育フォーラム」が開催されていました。まもなくこの「フォーラム」も
 なくなりました。今回のこの「フオーラム」は旧久喜市のそれでなく鷲宮町
 で数年前より開催されていたものを引き継いだ、との事でした。

 【参加者まばらな中でのバネルディスカッション】   今回の家庭教育フォーラムは、「家庭教育
 について考える」~家庭・学校・地域の連携を通じて~なるテーマの下、バネルディスカッションで
 行われました。コーディネーターは社会教育委員の「鈴木多美子」氏、バネリストは久喜市社会教育
 委員長「柿沼公男」氏、埼玉県家庭教育アドバイザー「齋藤ユキ子」氏と、「金井清恵」氏、青毛小
 教頭「青木恵一」氏、市P連副会長「酒巻貴代」氏、放課後子ども教室運営委員長「飯島祐紀夫」氏
 の6名でした。加須にお住まいの「齋藤」氏を除けばみな顔なじみの人ばかり、やや新鮮味に欠け
 ました。この種の行事は主催者の手間暇に係わる部分が多いものです。準備不足、参加者が
 極端に少ないのが何よりも残念でした。

  全員熱心な活動家ばかりです。自らの体験に踏まえて『家庭では親が教師』、『子育ては自分も
 育つ』、『家庭は最初の学校』、『子どもにとって信頼できる大人に出会える機会をつくる』などの
 フレーズがどんどん飛び出していました。
  「飯島」氏の「恥の文化が喪失した」の話は面白かったです。ただテーマの~家庭・学校・地域の
 連携~部分への意見は少ないものでした。青木先生が『学校の垣根を取り払い、・家庭・地域を
 結ぶシステムづくり』を言い、また「飯島」氏が『体験活動を通した地域での子育て』を発言してい
 ました。
  最後に東部教育事務所主任社教主事の「嶋信夫」氏が指導講評を述べました。教育基本法の
 「3者の相互連携」にふれた後、① 各々が熱心に活動している放課後子ども教室、学校応援団
 PTA、家庭教育アドバイザーその他の横のつながりを、  ②ボランティアの発掘・人材の確保
 ③ 情報発信  の3つの重要性を指摘していました。

  閉会式で事務局は23年度はこのフオーラムを10月に開催、しっかり準備する、と言われました。
 ぜひそう願いたいものです。


         ● くきっ子ゆうゆうプラザ・22年度閉校式     2/17(木) 久喜小

  平成22年度「くきっ子ゆうゆうプラザ」の閉校式が17日久喜小体育館で
 行われました。「くきっ子ゆうゆうプラザ」は、「地域子ども教室」時代の
 平成17年久喜市で最初に開校しました。16年9月議会での質問-開校
 の決定-私が委員長を務めた「運営委員会準備会」と、懐かしい思い出
 があります。今年で6年目を終えました。と言うことは1年生から参加し
 続けた子は今年6年生、文字通りの卒業生です。そんな子が6名もいまし
 た。飯島運営委員長が全員を紹介、みんな顔なじみの子ばかりです。
 【6年間在籍したメンバー】 貴重な体験を活かし、大きく、強く、そして優しく中学生へと羽ばたいて下さい。
  子ども達が「教室」で学んだ体験発表がありました。「フラダンス」、
 「長拳」、「フォークダンス」です。活動時間は決して多くありませんが
 皆美事にマスター、立派なパフォーマンスでした。
  何よりも横で一緒に踊るサポーターの方々の、心配げに見やる眼差し
 が印象的でした。愛情に満ちたこうしたサポーターの存在なしにこの
 事業はあり得ません。
   また「編み物」や「リース」等の作品も展示されていました。皆美事な
 【手作りのレイで、フラダンス】      出来栄えでした。

  その後1年間の活動を振り返って「活動のまとめ」と題したスライドが
 上映、6年生がナレーションで説明してくれれました。通常プログラム、
 土曜日のそれ、子ども会議やフェスタなど、子どももサポーターも自分が
 登場すると歓声を上げながら見やっていました。
   振り返ればあっという間の1年間でした。私自身は今年雑務多様な
 ため、時間を工面することも思うに任せず本当に心苦しく思っています。
 【当日参加したサポーターで記念写真】 どう考えても来年度好転するとは思えません。
 実施委員やサポーターのジリ貧状況を考えると居ても立ってもいられない気がしますが、
 お許し下さい。
  もちろん時間が許す限り活動に参加、協力し続けていきます。 

  
  ● 第1回久喜市生涯学習推進大会・まなびすと久喜2日目 2/6(日)中央公民館

  合併によって第1回大会に舞い戻った「久喜市生涯学習推進大会・
 まなびすと久喜」2日目が開催されました。中央公民館の屋外から4Fまで
 一杯に使っての各種イベント、と言う形態は全く変わりありません。
  ところでここ数年、久喜市スポーツ少年団本部は2月の第1・第2日曜に
 「認定員養成講習会」を開催しています。各種事業との関係でこの日しか
 空いていなかったからです。だから私は開講式と、午後か午前の1科目を
 担当、残り時間を「まなびすと」で費やす、そんな感じで対応していました。
 【4F・伸びゆくわがまちコーナー】  しかし今年はどっこいそう簡単にはいきませんでした。

  午後からお隣の「白岡町スポーツ少年団本部創立30周年記念式典」が
 あったためです。お隣の町ですから子ども達は、多くの各種目別で交流
 しています。また本部長の野口氏は私の最も親しい県本部の仲間です。
  結局この日私は午前は開講式と1・5時間の講師で認定員養成講習会、
 午後は5時まで白岡で式典・記念講演・祝賀会と過ごしました。(スポレク
 のページ2/6付け参照) 「まなびすと」に係わったのは9:15~10:15
 【1F・まなびすと発表会 ラ・ブリーズを歌う】   と夕17:15からの反省会というていたらくでした。
 それでも昼飯などは白岡へ向かう車の中で食べたくらいでした。お許し下さい。

  さて「まなびすと」です。正式な開会は10時からですが、私が見て回った時間でも結構人が出て
 いました。どこのフロアーでも緑色の制服に身を固めた実行委メンバーが、忙しく走り回って
 いました。企画ボランティア、当日イベント協力団体の方々もびっしり控えていました。何よりも各
 展示物が整然と用意され、各会場へと誘うアイデア一杯の広告物がひしめいていました。
  『たいしたものだ』、と思いました。『これが教育のまち、市民主導の生涯学習のまち=久喜』の
 実態だ、とも思いました。しかしです。各会場を足早に見て歩き、知人に挨拶をし、先ほどの感想を
 抱きながら、何か不思議な感覚が交差したのです。『ここはどこ、私は誰』にも似たものです。
  『アレ、今日はいつなんだろう、何年なんだろう』と言うヤツです。確か自分は去年も、3年前も
 5年前もここに立ち、この風景を見てきたのではないか、そんな想いにおそわれたのです。
  
  旧久喜市での第1回生涯学習推進大会=昭和63年からずっとこの大会に係わり、ここまで来た
 流れを知る者として、ここ数年大会後の会議で変革の必要性を訴えてきました。合併後の今年は
 推進部のメンバーこそ大分新しくなりましたが、推進大会は何も変わらなかったことになります。
   マンネリズムの頂点、来年は会場を変えるとか何とかしないと、このままではいつかダメになつて
 しまう、とまで思いました。
 
  その後これまた遅刻して、打ち上げ=反省会に出ました。4FのTさん、2FのMさん、1Fの
 Oさん…‥各フロアーの責任者が感想を語ってくれました。推進部員、企画ボランティア、各々立場
 の違いはありましたが、皆今回の大会に係わっての苦労、感動、参加者の喜び等々を語っていま
 した。それを聞きながら『あーそうだ』と思ったのです。やはり生涯学習には新鮮さとか、喜びとか、
 生の感動とかが必要なんだ、と言うことです。「俺は何でも知っている」、式に斜めに構えてアーコー
 言うのはやめよう、と思ったのです。

  新しい人たちの新鮮な感覚を大事にし、これからの推進大会を準備していこう、少しずつ変革を
 加えながら。何よりも自分自身が絶えず新鮮であれ、と今考えています。


  ● 第1回久喜市生涯学習推進大会・まなびすと久喜1日目 2/5(土)中央公民館

 
 合併後の初の「生涯学習推進大会・まなびすと久喜」は回数を第1回
 とし、2/5(土)・6(日)の2日間、会場は変わらず久喜中央公民館で
 開催されました。
  1日目の今日は「まちづくりフォーラム」と題する市内新成人による
 バネルディスカッション、2日目の明日は『出会い・ふれあい・語り合い』
 を大会テーマとした中央公民館の屋外・1F~4F全てを使用しての
 「まなびすと発表会」等各種イベントも従来通りです。
 【市内新成人によるパネルディスカッション】

 
 さて1日目です。過去は有名講師による講演会でしたが、ここ数年は
 「まちづくりフォーラム」と銘打ち、市内中高生による『我が町を語る』、
 生涯学習活動に親しむ仲間の方のパネルディスカッション等を実施して
 います。
  今年は市内新成人によるバネルディスカッション「未来の久喜市」、

 
久喜市の未来への夢や希望を小学生がつづつた作文発表の2本だて
 【小学生の作文発表】    で行われました。

 
 さてパネルディスカッションは男性4名、女性2名、鷲宮と菖蒲2、久喜と栗橋1という新成人で
 行われました。コーディネーターは推進部の飯島氏です。皆、ひと月前に行われた市内4会場の
 成人式でそれぞれ実行委員を勤めたメンバーです。
  農業の盛んな菖蒲にあって農業再生の活動に取り組みたいと陳べた菖蒲の男性
  勤務地との違いから久喜の環境政策を評価し、環境に留意した街づくりを語った久喜の女性
  鷲宮の旧市街地に住み、「らきすた」や「B級グルメ」等による街づくりを語った鷲宮の女性
  高校教員になる夢を語り、古き良き栗橋の保存を訴えた栗橋の男性
 全員がしっかりと語ってくれました。全員がルールの下にしゃぺってくれましたので昨年のような
 ことも無くスムーズな進行といえました。
  小学生の作文も中々のものでした。素直な気持ちの中に、久喜市の緑だとか、安全だとか、
 合併問題だとかを真剣に考えているのが解りました。まなびすと実行委員会による表彰も
 良かったです。
  ただ大会本部長による講評は少しいただけませんでした。小学生や新成人の初々しさとか
 きまじめさにややなじまない感じを持ちました。
  明日は大会本番、各種イベントの開催が行われます。私は今日の「まちづくりフォーラム」担当
 明日は特別の受け持ちがありませんし、何よりも「認定員養成講習会」と「白岡町スポーツ
 少年団本部30周年記念式典」でほぼ1日費やすことになります。「反省会・打ち上げ会」だけかな
 と思いますが、何とか時間をつくって会場を回りたいと思います。


      ● ゆ う ゆ う プ ラ ザ」 第3回研修会  1/25(火) ふれあいセンター久喜

  早くも1年を総括し、次年度の準備に取り組む時期を迎えました。
 「久喜市放課後子ども教室・ゆうゆうプラザ」もそんな時期に入りました。
  来年度の活動づくり、予算について報告を受け、協議する平成22年度
 第3回研修会が25日、ふれあいセンター久喜で開催されました。
  「ゆうゆうプラザ」も旧久喜市でとりくまれてから丸6年が経過しました。
 本年度は合併を受け、新たに鷲宮地区桜田小で開校され、11校で実施
 されるに至っています。来年度以降菖蒲・栗橋地区での開校を目指す
 【事務局より報告を受ける】    と共に、サポーターや実施委員レベルでの様々な問題点が
 各実施校で浮上しているという状況の中にあります。
  今回の研修会は上記が内容でしたので、各実施校の委員長、コーディネーター参加のいつもと
 異なり少人数でのものでした。
 
  22年度閉校式から、23年度開校式までの流れを確認しました。事務局よりより23年度は新たに
 栗橋地区「栗橋小」、鷲宮地区「鷲宮東小」、菖蒲地区「小林小・三箇小・栢間小」での開校を目指す
 との報告がありました。アル意味で菖蒲地区・栗橋地区での開校は重要な要素です。ゆうゆう
 プラザの理念とか、実施されてきたレベルとか、各地域の教育力とか様々な問題点もあり、実施校
 拡大への努力は難しい問題です。ご苦労様としか言いようがありません。
  「子どもスタッフ」とか「子ども会議」もさかんに言われていました。「子どもが創るゆうゆうプラザ」と 
 言う視点は確かに重要です。その組織化も必要でしょう。でも一方では退職校長・教員の件で
 某実施委員長が言われたように、『協力者=実施委員が増えない。サポーターは減り続けている』
 と言う実態があります。次から次と新たな課題(組織化)を提起するのもいかがなものか、と思われ
 ます。
  
  最後にゆうゆうの中で、「遊び=自由と厳しく指導する」とのかねあいの問題が話し合われました。
 これはむずかしい問題です。現実の中で一つひとつ判断するしかありません。
  「配慮を要する児童の把握」という文言が資料にありました。実際「久喜っ子」でも、サポーターに
 子どもの言動から 意欲を喪失するというケースが出ています。みんなに迷惑をかけるケースでは
 厳しく接する必要があると思われます。

  いずれにせよ私は「久喜っ子」の現場に出ることが今年は極めて減りました。多分来年も同様かな
 と考えています。大変残念ですが仕方ありません。少しでも出て行く時間を作りたいと考えています。

     ● 放課後子ども教室運営委員会・情報交換会 12/10(金)東鷲宮コミセン


  本年内の「ゆうゆうプラザ」もそろそろラストというこの時期、運営委員会
 並びに情報交換会が持たれました。会場は今年開校した鷲宮桜田小の
 すぐ近く、「東鷲宮コミュニティセンター・桜」でした。
  平成22年度活動報告書、アンケート、来春2月の「まなびすと久喜」への
 参加等年末恒例の仕事への説明がなされ、また来年度の新規開校予定
 として菖蒲地区から小林小・三箇小・栢間小、栗橋地区から栗橋小、
 【2グループでの情報交換会】   鷲宮地区から東鷲宮小の5を上げていました。
 実施校拡大への努力は続けねばなりません。があくまで予定と言うことで決して無理のないよう
 進めていただきたいと考えます。 

  参加者が2グループにわかれて情報交換会に移りました。皆「ゆうゆうプラザ゜」第一線の活動家
 ですから、話す内容それぞれにリアリティが会って良いものでした。
  『学校・地域共に無関心・非協力で少数のメンバーが必死にもがいている』
  『遊びと学びの境が解らない。もう少しキチンとやらなければ行けないのか』
  『帰路の安全にもう一つ自信が持てない。何か良い方法はないか』
  いずれも過去の協議で何度も何度も出た問題、この事業では永遠の課題といえます。この事業は
 これから長く続きますので、真面目な中に、編に気張ったりせずやっていくことが必要です。
  どこまで緩やかにやって、どこでキチンとやるか、なんて解りっこありません。時として甘かったり
 時として厳しかったりしながら、こつこつ歩いていくほかないのです。
  未実施地区から運営委員として出ている某氏が発言しました。『私たちは学校応援団をキチンと
 やっている。他に学校ファームの活動もある。この上何故「ゆうゆうプラザ」というおなじような事を
 やらねばならないのか。』 これは重要な問題です。これから組織化しようとしている未実施校
 関係者の代表的意見です。学校応援団とは文字通り学校教育の応援団です。ゆうゆうプラザで
 私たちは活動主体・運営主体、自由の王国の主人公なのです。

  1時間強の情報交換会はあっという間に終わってしまいました。次回は年が明けて1/25、もう
 協議の対象は「来年度のプログラムづくり」です。

       ● 推進部・市民大学合同研修会  12/4(土) ふれあいセンター久喜

  
「久喜市民大学」と「生涯学習推進部」の合同研修会が、4日ふれあい
 センター久喜で開催されました。合同研修会が持たれるに至った経緯は
 解りませんが、ここ数年年2回ほど開催されています。
  今回は特に久喜市が生んだ数少ない偉人である「本多静六」氏に関し
 ご講演をいただき、その後意見交換をするとの事で参加しました。

 本多静六氏についての講演は、菖蒲総合支所・福祉課の「渋谷克美」氏
 【講演に聴き入る参加者】  
 菖蒲町の教育委員会に在職中、本多静六氏に菖蒲町名誉町民の
 称号を贈呈したり、生涯学習センター・アミーゴ内に「本多静六記念室」を設置する事業を担当された
 そうです。さて本多静六氏です。
  1866年旧菖蒲町三箇地区河原井の名主、折原家に生まれ
  1889・明治22 婿養子として本多姓となる。 翌1890、現東京大学農学部卒業
  その後ドイツで山林学・経済学を学ぶ  帰国後東京大学農学部教授
 本多静六は日本最初の林学博士、日本の公園の父、また「四分の一天引き貯金」等で処世の達人
 などと言われる人、明治神宮の森を創設、日比谷公園、水戸偕楽園、小諸懐古園等多くの公園を
 設計しています。
  県には「本多静六博士育英基金」が制定されており、平成18年には「緑と共生する社会づくり」に
 貢献した団体・個人を表彰する「本多静六賞」を創設しています。こうしたことから埼玉県では
 深谷市の渋沢栄一、妻沼町の荻野吟子、児玉町の塙保己一と共に、大利根町の下総寛一を加え
 本多静六を埼玉の5傑とか5偉人と呼んでいます。
  おそらく渋谷氏は「本多静六」研究家としては第一人者なのでしょう。面白く聞けました。

  その後はおきまりの8人くらいのグループをつくってのグループ協議、与えられた題材は「久喜市
 の文化財の活用方法」、こんなの無理だよと思いましたが、案の定、他のグループの発表も含めて
 『久喜市内の施設・遺跡・行事を知らない、知りたい、そのためのPR』といった類のものでした。
 
  私は最近の推進部の研修会、11/24世田谷のプレイパーク・コミュニティスクールの見学、
 12/7の新久喜市内施設見学共に議会開会日で不参加、せめてはお詫びの印と参加しました。
  ただ合同研修会は年1回程度で充分だと思います。


          ● 本町っ子ゆうゆうプラザ(施設探訪)  11/20(土) 

  11/20日は小春日和の好天に恵まれた。第3土は市内「ゆうゆうプラザ」
 開講日、おそらくどこの学校も、子ども達の明るい笑い声に包まれた事で
 しょう。ところでこのタイトルを見て、アレっと思われた方も多いでしょう。
 確か岸さんは「久喜っ子」では、そうです。この日だけ「本町っ子」のお手
 伝いをさせていただきました。
  この事業の難しさの1つに安全面があります。登下校時もさることながら
 講座内ではなおさらです。ために活動場所を校外に求める、という講座を
 【議場内の本町っ子】  「久喜っ子」ではやっていません。「本町っ子」では「タウンウオッチング=
 我が町探訪」という口座名で年3回程度校外に出て施設巡りを行っています。もちろんシッカリと
 サポーターがつき、保護者の同行も得て安全確認をしながらのものです。 

  今日その講座があり、もう半年も前から協力を依頼されていました。なにせサポーターが「生涯
 学習まちづくり研究会=まち研久喜」の仲間です。否応なしに、中身も解らぬままOKしていました。
 探訪先というのは今回、久喜市役所、もちろん休日ですから市長室と議場を見学するというもの
 でした。私はこのために出勤された議会事務局S氏と子ども達の質問に答える役でした。参加者は
 議席34が少し余っていましたから約30人という所でしょうか。ウチ10人がサポーター・保護者でした。
 とにかく低学年の子が多く、優しく説明せねばなりません。『みんなが楽しく勉強したり、お家の人が
 健康に暮らせるにはどうすれば良いか、市長さんがよく考えて提案します。それをみんなで話し合
 って、それはよい、ここは直そうって決めるのが議会です。』果たして解ったでしょうか。

  傑作な質問もありました。『前に部屋があって、窓から中が見渡せますが何故ですか』。『皆が
 何をしゃべったか記録に残します。そのためにあそこには議会事務局の人がいて録音しています。
  議場が見渡せるようになっているのはそのためです』。『イスが高かったり、低かったりしてるのは
 何故ですか』。要するにイスがバラバラのこと、『合併して議員は34名になりました。前の久喜市の
 議員は22名だったのでイスが足りず、他の町から持ってきたのです』。等々
 
  最後に私からお願い、『久喜市は子ども議会というのをやってます。みんなも一生懸命勉強して
 6年生になったら本町小を代表して議員として来てください』。…‥みんな黙っていました。
  
  どれ位議会を理解できたか解りませんが、とにかく元気に帰って行きました。本町っ子ゆうゆう
 クラブの諸君、これからも頑張ってください。


    ●久喜市放課後子ども教室研修会 11/13(土) ふれあいセンター久喜

  新市が誕生、新市レベルで実施されている「久喜市放課後子ども教室」
 は本年スタートに当たって、年3回の研修会を持つこととしました。9/25
 西公民館に続いて第2回の研修会を開催しました。
  今回は「講演」と異なり、仲間の事例発表、及び実施委員・サポーター
 同士のテーマ別の意見交換という形でした。
  事例発表は清久っ子・なでし子(江1小)・あおげっ子の代表3人です。
 子どもが自由に選択する「なでしこフリー」、「ゆうゆうノート」の活用
 【研修風景・事例発表】 「子どもスタッフ」等々の話しが参考になりました。

  意見交換は学習・スポーツ・文化芸術・下校安全の4つのテーマに別れ、8つのグループ間で
 行われました。1グループ平均8名くらいでしたので、参加者は70名前後と言うところでしょう。
 私は「スポーツ」について話し合うグループでした。
  鷲宮桜田小・本町小・東小・江1小・久喜小・北小と様々でした。スポーツの中身はドッチボール
 バドミントン・ソフトバレー・グランドゴルフ・ティバッティング・サッカー・長拳と多種多様でした。
  共通していたのは一番参加者が多い教室だと言うこと、雨の時、体育館が大変混み合うという
 ことでした。参加者が多いだけに若干規範が乱れるという点も皆がのべていました。
  親の立場からこの事業に参加された方が、無関心他の「親の問題点」をのべていました。「遊び・
 自由」と「向上・規律」の境目の難しさも共通の問題でした。
  
  8グループの全てが発表しました。「スポーツ」以外では、「学習」ではクラス(学年)と意欲の違い
 から一体性アル教室が難しいこと、「文化芸術」では参加者とサポーターの数が不確定なこと
 「下校安全」では地域の協力もさることながら、保護者の理解関心等々が上げられていました。
 いずれも「久喜っ子」でも感じられる問題点でした。

  ゆうゆうプラザの事業が長期化するにつれ、様々な問題点が起きてきます。大切な事は組織
 する側の姿勢にあります。気負ったり、力んだりするのでなく、組織する側と、参加する子ども達の
 日常の中に「ゆうゆう」がある、こんな感じが必要です。そのためにも私たちはゆうゆうの意義とか
 体験活動の重要性とかをシッカリ理解しておかねばなりません。何よりも揺るぎない活動主体の
 確立が必要です。研修の意義はここにあります。


      ● 平成22年度・第1回まなびすとフォーラム  11/6(土)・東京理科大学

 
 久喜市生涯学習推進会議-推進部が主催する生涯学習関連行事は、
 
「推進大会=まなびすと久喜」と「研修大会=まなびすとフオーラム」2っ
 
です。冬・2月と春・6月開催として定着してきました。しかし今年はご承知の
 ように「合併」があり新久喜市が誕生しています。「推進部」も新市のそれと
 して新たに発足しました。特に一人でも多くの旧3町関係者を、との考えを
 募集時に貫いたため、発足がかなりずれ込みました。おせ、おせとなり
 『まなびすとフォーラム』開催が11月にずれ込んだわけです。

 【開会式風景】
 
 会場は東京理科大学、折から「理科大祭」が開催されており、会場に同
 大学学生食堂を拝借しました。新市という意味で「第1回」となった今回の
 大会スローガンは「地域で学ぶ・地域が育つ」、テーマは「地域コミュニティ
 の構築」です。参加者は約120名という所でしょうか。この日は「埼玉教育
 の日」関係行事が多くの学校であり、PTA関係者が少なかったことを考え
 ればまずまずといえます。食堂のテーブルを利用、12にグループ分け、
 まちづくりについて『徹底討論』といういつものスタイルです。

 
【互いの意見を紙に書いて】
  私はこの日、ご承知のように合併記念前夜祭事業がありました。いつ
 
まで会場にいられるのか解らなかったため、グループ分けへは入りません
 でした。いくつかのグループを回ってみましたが、写真-中-のように、
 自分の意見を小紙に書き、話しあい、その結果をまた小紙に書いて、てな
 感じで進めていく方法をとっていました。
  グループ協議のアト、4グループに発表していただきました。理科大生が
 2人、女子高生が1人と、若手が頑張ってくれました。
 【グループ協議の発表】   このグループ協議発表の部分、いきなりその場で言われ私が司会を
 しました。一通り終わったアト、おしゃべりな私は言わずもがなの話しをしてしまいました。
 『私たち推進部が目指すものは「生涯学習社会」の実現です。「生涯学習社会」とは、人々が様々な
 活動に取り組み、活き活きしていること、そうした活動を保障する「組織」と「施設」が充実している
 こと、活き活きとした人々の活動で、地域社会が活き活きしている事を言います。コミュニティとは
 そんな状態を言うのではないでしょうか。』 本当に男のおしゃべりってイヤですネ!。

        ● くきっ子ゆうゆうプラザ・子ども会議   10/28(木)・久喜小


  28日木曜日は「くきっ子ゆうゆうプラザ」の定例開講日だが、この日
 くきっ子としては最初の「子ども会議」を持ちました。
  「子どもが創るゆうゆうプラザ」なるスローガンが登場したのは昨年
 の事です。おそらく我が盟友・飯島運営委員長の発意だと思われます。
 旧久喜市内全10校の組織化に成功し、更なる充実を! と考えれば
 当然考えられることです。そのために子ども会議の開催、子ども自身の
 【子ども会議開講式】  スタッフ入り等々が提起されました。それが1年以上経って、やっと第1回の
 「子ども会議」開催となったわけです。

  会場の久喜小体育館で受け付けです。参加者を5~7名位、12のグループに分け子ども達に
 「ゆうゆう」に対する生の意見を語ってもらおう、というものです。くきっ子の特徴は高学年の参加が
 少ないことですが、私の担当した第3グループはナント1年生4人、これに6年生の書記、1人の
 サポーターが加わりました。動き回る、飽きる、1つにならない子ども達をなだめたり、脅したり、
 空かしたりで必死に自己紹介-ゆうゆうで参加している講座-面白かったこと(つまらなかった
 こと)-ゆうゆうにあればいいもの、ゆうゆうノートと話合いを続けました。くきっ子で一番参加者が
 あるドッヂボールの子がやはり多く、『ボールが中々回ってこないのがつまらない』、『早いボール
 を投げ相手に当て、内野に入れたときは気持ちよかった』とのことでした。やって欲しいものとして
 「サッカー・野球・バスケットボール」とやはりスポーツ系、それに「昔の遊び」を上げていました。
  「ゆうゆうノート」はこれはアトから聞いた他のグループも含め、余り書いていないようです。
 保護者との連来以外なにか利用方法を考える必要があります。
  全体会では書記を務めた6・5年生が結構上手く報告してくれました。子ども自身のスタッフ入り
 とは色々ありますが、こういう形で子ども達に活躍してもらうのは大変良いことです。

  今日の子ども会議が「子どもが創るゆうゆうプラザ」に繋がるかには少し疑問があります。中・高
 学年の参加がもう少し多ければ違ったものになったのでしょうか。
  ただ、先日のゆうゆう研修会で、講師の青山氏は『体験を用いる・体験に委ねる』と話されました。
 (-下段・参照-)   私たちが組織したゆうゆうという体験の場で(もちいる)、子ども達が成長
 していくためにも(ゆだねる)、「子どもが創るゆうゆうプラザ」的発想・その試みは当面失敗したり、
 さほどでなかったにせよ持ち続けていく事が必要と考えます。


     ● 久喜市放課後子ども教室(ゆうゆうプラザ)研修会 9/25(土)・西公民館
 
 
 25日西公民館(清久コミュニティセンター)で開催された久喜市放課後子ども教室
 (ゆうゆうプラザ)研修会に参加しました。その報告を書こうと「まなびすとのページ」
 を開けてみますと、なんと7/26以来でした。最近の私の日常活動をそのまま
 反映している感がします。反省することしきりです。
  ところで久喜市放課後子ども教室は地域子ども教室時代にスタート(平成17)
 5年間で旧久喜市内全10校開校にこぎつけました。合併元年の22年度は旧鷲宮
 地区桜田小で開校、11校で開校されています。久喜市・及び教育委員会は市内
 全校(小学校23)開校を目標に掲げています。全校は将来の課題としても、この事業の
 内容=補助金事業を考えるなら、旧3町中残る栗橋、菖蒲地区の開校組織化に

 
【グループ討論での研修】      取りかからねばならないでしょう。

  会場は各実施校の関係者でほぼ一杯でした。開校間もない鷲宮桜田小実施員の他に「栗橋子供会」
 「鷲宮放課後遊びの会」関係者が参加されたのはうれしかったです。
  ところで今年の実施状況ですが以下の通りです。
 
実施校    久喜地区10校、鷲宮地区桜田小の11校
 活動日数  年間19日から32日まで  全校で木曜日176、土曜日118の294日
 参加人数  1622人
 参加率   平均40%
 講座数    1校11から28まで全198講座
 実施員   11校で225名
 サポーター 全1273名  
  
確かに数字の上では相変わらず高いものを誇っています。しかし各地区でかなり無理して開校を急いだ
 こともあり、また全地域での開校もあってサポーター・実施委の確保に苦労するなどどの会場も楽では
 ありません。にもかかわらず前記した市や教委の期待もあり苦しいところです。そんな状況下で今回の
 講習会は開催されています。

  講師は「青山鉄兵」氏、桐蔭横浜大学スポーツ健康政策学科助教授です。私は社会教育関係の学者、と
 いうより手話関係の指導者、と言うことで名前を聞いたことがある程度しか知りません。とにかく30才という
 大変若い方でした。氏の講演は14時から15時50分までですが、私は始まって45分程しか会場におりません
 でした。スポーツ少年団サッカー部会の市長杯大会閉会式に当たり、15時に市長・教育長をお呼びして
 いたからです。(-久喜少年サッカークラブのページ9/25日付参照-)
  したがってグループに分かれて「体験活動」のイメージについて話しあう導入部分しか聞けませんでした。
 大変残念です。そこで家へ戻り、『体験活動の意義と在り方』なる講演内容レジメを熟読してみました。
  体験には「学び」と「遊び」と「関わり」の3つの大切な要素がある
  体験には「体験を用いること」と「体験にゆだねること」の2つの側面がある。(用いるは私たちの働きかけ
         ゆだねるは子ども達の動き=子どもが創るゆうゆうプラザの重要性)
  関わりに正解はない。悩むことが大切。ゆうゆうプラザの活動の中で私たちは悩み続けていこう
    
  こう結論づけちゃうのは私の勝手でしょうか。

            ● 生涯学習推進部新体制確立   7/26(月)

  久喜市における生涯学習推進活動の実戦部隊=久喜市生涯学習推進部の合併後の新体制(22・23)が
 確立されました。26日委嘱式・全体会が開催されています。
  新委員は総勢28名、「推進部規則」により40名以内と定められており、特に旧3町関係者に積極的な
 呼びかけを行ったとの事ですがやや少ない感じです。旧久喜市以外では鷲宮4、栗橋3、残念ながら
 菖蒲町関係者は0でのスタートです。
  旧久喜市関係ではS市民大学交友会委員長S氏等数名が勇退、逆に今春の市民大学卒業生等が
 新たに参加されています。特に新メンバーにこの推進部を当時社会教育課課長補佐として、行政の立場から、
 私と一緒にこの「推進部」の組織化に当たった原島先生、また、平成16年現「ゆうゆうプラザ」当時の地域
 子ども教室を組織するに当たり、最初に相談した飯島放課後子ども教室運営委員長が新たに(再)加入された
 ことは大変な喜びでした。
  会は田中生涯学習推進会議議長からの委嘱書の交付、全員の自己紹介の後、第1回の全体会に移りました。
 まず委員長、副委員長の選出、規定では「委員による互選」となっています。新部員が1/3を占めること、
 旧久喜市の活動の継続的発展を目指していくことなどから、委員長に金子氏、副委員長に柿沼、中里氏の
 昨年度旧久喜市の3役が選任されました。
  その後事務局の帯津先生から①推進部の活動について、②推進部を軸とした久喜市の過去の取り組み
 について、の説明がありました。
  その後推進部の4部会の確立と部会長の選任が行われました。私はどの部会でも良かったのですが
 「企画部会」に所属することとなりました。 
  今日で合併後の体制(22-23)が整ったことになります。正直申して私は新議会スタート後、今までにない
 多くの時間を議会活動にとられ、その分「久喜っ子ゆうゆう」などの地域活動がおろそかになっています。
 仲間には大変申し訳無く思っています。「推進部」も一切の役職を失礼しましたが、可能な限り頑張っていきます。
  ともかく3年以内という新たな「生涯学習推進計画」の策定には、ナントしても責任ある立場で参加
 したいと思っています。新たな仲間と共に久喜市の生涯学習推進活動に邁進していきます。

 
 
  ● 平成22年度久喜市放課後子ども教室(ゆうゆうプラザ)運営委員会発会 5/24(月)

  
24日、市役所において平成22年度久喜市放課後子ども教室運営委員への委嘱式、終了後第1回の
 運営委員会が開催され、合併後初の、そして将来的には市内全23小学校での「開校」を目指す22-23
 年度の運営員会が発会しました。
  運営委員は全員で26名です。実施校旧久喜市10に、本年開校の桜田小をプラスして11実施校委員長、
 スポーツ少年団代表の私など青少年団体代表者、旧3町関係者等で構成されています。市内小中校長会
 代表として、私と共にこの事業をの組織化に当たった末田好冶先生、同じく元久喜市教育委員会で社会教育を
 担当された相澤初夫先生が、旧菖蒲町を代表して委員としておられるのは何とも心強い限りです。
  役員選出では前年同様、会長に飯島祐起夫氏、副会長に野矢良子氏、総括コーディネーターに柿沼公雄氏
 を選出しました。ご承知のように田中市長は市内全23小学校での開校を公約に掲げており、教育委員会も
 その方向のもとにあります。大変厳しい課題を背負ったことになります。焦らず・急がず・着実に歩んで行かねば
 と考えます。
 その後事業計画、予算、それぞれの実施校での開校式について協議しました。
  運営委員会会議は年4回、情報交換会を2回、研修会を3回予定しています。
  予算ですが総予算は482万円、報償費206万、需用費214万円、役務費36万、備品整備費25万円が
 予算計上されています。備品整備費は新規開設校のみ、需用費も新規開設校には分厚く支給される内容
 となっています。
  ご承知のように前身の「地域子ども教室」は委託金事業でした。これに対し放課後子ども教室は国・県・市
 3分の1ずつの補助金事業です。私の予測では将来国の補助金は打ち切りとなるか、大幅にカットされるでしょう。
 「ムダを省く」を錦の御旗とする事業仕分けの内容から、容易に推察されます。多分、否・間違いなく「予算」は
 将来 きびしいものとなります。報償費の中身など今後検討していかねばならないと考えます。
  開校式は6月に入ると一斉に始まります。私は「くきっ子」以外は、桜田小には出て、穂村校長先生に
 お会いしてこようかな、なんて考えています。
  いずれにせよ私の日常生活は、ご承知のような関係で極めて忙しく成っています。でも可能な限り「くきっ子」
 を始めとし、この事業に係わっていきたいと考えます。体験の場、それも集団を通したそれが決定的に不足して
 いるのが今の子ども達です。子ども達に安全で安心な体験の場を提供せねば成りません。そこでの様々な
 活動=体験が「生きる力」の醸成につながるのです。こうした環境を地域が一体となって守り、育てていく=
 「教育コミュニティ」創造の活動こそ放課後子ども教室のネライだからです。

  なお私はこの日久喜市を離れており、全ては翌日委嘱状と資料を持参いただいた金子先生の報告に
 よります。金子先生が新たにこの事業の担当に成られた事も大歓迎するものです。

 






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