
コンピュータとの付き合いは短いようで長い。小学校6年生頃に読んだゲームセンター嵐の出て来たマンガ”こんにちは
マイコン、こんにちは マイコン2”および友人らと遊びに行ったパソコンショップに展示されていたコンピュータ(X-1,MZシリーズ,
FM7など)に影響され,NECのPC-6001(パピコン)を購入した。当時のコンピュータはフロッピーディスクが主流でなく(もちろんハードディスクなんてとんでもない)ソフトはほとんどカセットテープに入っていた。プログラムのロードにとても時間がかかっていた(5〜20分はかかっていたと思う)。パソコンの使用目的は専らゲームであった。ゲームはASCIIのAXシリーズ,エニックス(ドラクエなどでとても有名になったが、その随分前から興味をそそるゲームを作製していた。パソコン雑誌でも真っ先にエニックスの宣伝を見て新作を期待していた。)のポートピア連続殺人事件などであった。また、ソフト自体そんなに販売されてなく、ソフトを購入するというよりベーマガ(ベーシックマガジン、電波新聞社)などのような雑誌に掲載されているプログラムを打ち込んだりした(小学校時代の友人の山内,梶原はYKソフトという名前でこの雑誌に載ったことがある)。打ち込みは深夜にも及んだ(小・中学生ながらかなり寝不足)。しかし、プログラムを実行してもミスタイプが当然の如くあったため、コンピュータが暴走してしまい、苦労して入力したプログラムが一瞬で無くなったりと苦い経験をよくした。小学校時代良く遊んでいた友人がNECのPC-6001mkII("TALK"コマンドのあとにローマ字を入力するとしゃべる。しかも男性または女性の声を切り替えることが出来た。)を購入し、大変うらやましく感じた。なぜなら、ゼビウス,ドアドアなどゲームセンターで流行っていたゲームが出来たからである。そこで、中学1年の時にNECのPC-6001mkIISRを購入した。そのときに、デゼニランド,デゼニワールド,オホーツクに消えゆ,ハイドライドなどを経験した。アドベンチャーゲームはコマンドの入力が英語で大変苦労した。中学3年の頃、NECのPC-8801mkIISR(中古)を購入。5インチディスクドライブ2基を搭載していた。かなり遊べたマシーンであった。そのため、学校の定期試験などで午前中だけが学校のときは、家に帰ったらずっとコンピュータに向かい試験勉強はほとんどしなかった記憶がある(これはとても問題である)。その後、大学受験を通過する中、コンピュータには興味が全くなくなり全然いじることがなくなった(SHARPのX68000シリーズをいいなあと思っていたが・・・)。
大学に入学し授業でUNIXにてフォートランを勉強した程度でDOS,WINDOWSについてはよく知らなかったし,進歩の度合いもよく分からなかった。ところが,大学4年の卒業研究で配属された研究室でAT互換機について知り(当時はまだNEC
PC98の天下でAT互換機は異端児扱い。),以前使用していた頃に比べてはるかにテクノロジーが進化しているのを感じた(浦島太郎みたい)。その年,研究室の先輩に連れて行ってもらったPCエキスポ(晴海)でケース,キーボード,FDD,マウス,CD-ROM(×2速)など外回りを購入した。内部に組み込むマザーボード,CPU,HDD,ビデオカード,I/Oカードなどは学校にあるマシーンから拝借し使用していた(当時はそれぞれが高価だったんです)。お金が貯まったらそれぞれ安いパーツを買いたしていった。はじめてのDOS/Vマシーンは486系CPUで組み上げ,マザーボードはGIGABYTE社製の物を使用した。このマザーボードはメモリーがパリティ無しのものでもO.K.であった。そのおかげでマックユーザーの人に4MBのメモリーを安く譲ってもらうことができた(当時はまだメモリーが高かった。)。二年経った現在もパワーアップして現役で動いている。CPUはAMD社のDX4,メモリーは24MB,モデムはサン電子の28800bps,OSはWINDOWS95である。