動員の内実



 様々な動員制度によって軍隊へと駆り出されたフランス国民。彼らはどういう立場の人々だったのだろうか。John A. Lynnの"The Bayonets of the Republic"の中には、当時の兵士たちの生年月日、出身地、兵役に就く前の職業、兵役に就いた日、その後の出世、最終的な退役・逃亡・死去について記した身上書のようなものを分析した結果が掲載されている。フランス軍はこうした兵士個人の資料を18世紀を通じて作成・保存していた。軍隊の内実を知るうえでは貴重な資料である。

 まず、旧常備軍時代の兵士について見てみよう。Lynnの書物の中では1716年、1763年、1789年時点での分析結果が紹介されている。まず彼らの元の職業を見ると、中産階級出身者が少ない時期で4%、多くて10%ほどを占めている。職人や小売商人は少ない時期で45%、多い時は63%と極めて高い。それに対し、当時のフランス全人口の80%を占めていたと見られる農民出身者は多くて42%、革命直前の1789年には僅か15%に過ぎない。旧制度下では農民から兵士になる比率が極めて低かったことが分かる。

 別の側面から見てみよう。人口2000人以上の町の出身者と都市部出身、それ以下の地域を農村部出身とした場合、全人口の80−85%は農村部に居住していたにも関わらず、旧常備軍の兵士たちに占める農村部出身者は60−65%にとどまった。人口対比で見た場合、都市部の方が多くの兵士を輩出していたことが分かる。農村部は兵力不足時に実施された民兵徴集の時こそ多くの若者を兵士に取られたものの、基本的には軍隊に行く人は少なかった。農村部なら何とか食っていくことはできただろうが、都市部で職をなくすと他に食べる手立てがなくなって軍に入らざるを得なかったのかもしれない。

 旧常備軍は後の総動員時代と異なって兵力はそれほど多くなかった。それだけに兵士として優秀と思われる者だけを集める傾向もあったようだ。兵士たちの身長を見ると、167センチ以下の兵士は全体の16−19%とごく少ない比率にとどまっている。大柄な人間がより選好された結果だろう。

 次に1791年の志願兵部隊を見る。この時の志願兵はフランス全土にあった国民衛兵の中から集められたものだが、実は当時の国民衛兵は一定額以上の税金を支払っている市民しか加入できないものだった。言わば選ばれた人々しか参加できない組織だったため、その組織を母体に集まった志願兵たちもまた裕福な市民たちの軍隊だった。パリのある志願兵部隊について分析した結果を見ると、労働者出身の兵は僅か5%にとどまっている。中産階級が5%、残る90%は職人や小売商人だった。

 当然、この1791年の志願兵は都市部出身者が大半を占めた。実に85%がそうだったと見られる。農村部出身はたったの15%であり、都市である程度の収入を得ている人々が軍隊に加わって最前線に向かったのである。ただ、旧常備軍時代に存在した「体格選好」はなくなった。全体の52%が身長167センチ以下の兵士たちだったのだ。大柄でない人間も軍隊に入るようになってきた。

 1792年の志願兵になると、また比率がかなり異なってくる。身長167センチ以下が多い(64%)のは前年の志願兵と同じだが、農村部出身者が増え(69%)、農民(その4分の1は農業労働者)の比率が68%に高まったのだ。前年の志願兵の時には存在した、一定の税額を収める市民のみが志願できるという条件が緩和されたためだ。実際に戦争が始まり、そうした規制は外されてとにかく武器を持って戦える者が軍隊に求められた。その分だけ、当時の実際の人口比率に近い兵士構成になったのだろう。

 さらに危機に見舞われた革命政府が1793年初頭に布告したのが30万人の動員令だ。この動員の実態はかなり旧常備軍の民兵に近いものだったと言う。つまり、身代わりを立てることが認められたのだ。実際に動員されたのは15万人程度だが、この兵の大半は貧しい農民が占めていた。ある県では65%を農民が占め、その半分以上が農業労働者(農民の中でも特に貧しい層)だったという。身長は167センチ以下が66%だった。

 徴集によって旧常備軍の構成も少しずつ変わっていった。1793年時点での旧常備軍の中身を見ると、中産階級が11%、職人や小売商人が48%、農民が35%と、1789年時点と比べて農民の比率が次第に高まっている。農村出身者の比率も67%へと上昇。一方で身長167センチ以下の比率も37%へと拡大した。都市部出身者の比率が国民全体よりも高く、しかも大柄だった旧常備軍も、よりフランス人全体の代表へと変化しつつあることが窺える。この時点で兵役期間を見ると1年未満が33%、1−3年が24%となっており、旧常備軍でも半数以上は革命後に兵役に就いた者たちに占められていることが分かる。

 そして1793年の総動員令。これによっておそらく30万人の兵士が動員され、戦場には革命フランス軍の兵士が溢れ返った。この兵士たちの中身についての分析は難しいようだが、農村部出身が全体の84%と大半を占めていたようだ。身長167センチ以下の兵士も65%となっており、もはや大柄な人間だけが兵士になる時代は終わった。兵士はフランス国民全体を代表する存在になっていったのだ。

 Lynnは最後に旧常備軍と志願兵部隊の融合が進められていた1794年初頭段階での軍全体の数字を紹介している。都市部出身者は25%ほどにとどまり、兵士の大半は農村部出身者となった。年齢は全体に若く、25歳以下が77%。ちなみに1789年時点の旧常備軍ではこの比率は48%だった。彼らのうち37%はまだ動員されたばかりの新兵であり、15%は1793年の徴集兵で前年のうちに戦闘を経験した者、23%が1792年の志願兵で、5%が1791年の志願兵だった。旧常備軍出身者は全体で18%で、革命前から軍にいた兵士は僅か5%にとどまった。1794年には軍の大半は「革命軍の兵士」に変わっていたのだ。



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