「静粛に、天才只今勉強中」の戦争



 フランス革命を描いた漫画は色々あるが、その中で最も面白いのはやはり倉多江美氏の「静粛に、天才只今勉強中」であろう。主人公のモデルとなったのはあの二股膏薬ジョゼフ・フーシェだが、話の中身は彼の一代記ではない。というより、フーシェ一代記に見せかけたフランス革命パリ政治史というのが実情に近いだろう。特に恐怖政治の頃の描写は異様な迫力がある。著者はよほどモンターニュ派の革命を描きたかったのだろう。

 しかし、いくつもある漫画の中では革命史を上手く描いているこの作品でも、やはり戦争は主題にはなっていない。あくまで中心はパリの政治闘争であり、戦争はその背景として紹介されているに過ぎないのが実情だ。その数少ない戦争関連のシーンについて、以下にいくつか取り上げて解説してみる。

「敗走、敗走…。毎日がこのニュースだ」「十万のフランス軍がたった四万のオーストリア軍にだ…」――5巻25ページ

 宣戦布告直後にパリの政治家が話すシーン。オーストリア軍相手に敗北しているというのだから、おそらくこれは1792年4月のハプスブルク領ネーデルランドへの攻撃失敗のことであろう。問題はこの直前に描かれているシーンである。

「退却……」「え〜〜〜、どういうことだ」「最初の敵が見えたんだとよ〜」「将軍はオレ達を信用してないってわけだ…」「わしらも貴族将校の下で奮戦する気はないね…」――5巻24−25ページ

 この時フランス軍が敗北したのは貴族将校が退却を命じたからではなく、統制の取れていない群集も同然の兵士たちが敵を見た瞬間に逃げ出したからである。しかもそのうえに兵士たちは「裏切りがあった」と称して将軍を私刑のうえ殺害したほど。全て貴族が悪いと言っているのは「人民史家」ミシュレのような過激なモンターニュ派歴史家くらいだ。

「奥さま『祖国は危機にあり』ですって」「広場ではテントが張られ志願兵を募集しているんですが」「みんな熱に浮かされたように兵役を志願しているんです」――5巻45ページ

 1792年7月のあの布告である。作品中でジョゼフィーヌの家で働いている家政婦がこの台詞を話している。ただ、この1792年時点での志願兵は数は集まったものの、決して質の高い兵隊ではなかった。

「ヴァルミーの丘でケラーマン将軍ひきいるフランス軍はパリをめざすプロシア軍の前進を阻止」「ヴァルミーの陣地は揺るがず!」――5巻74ページ

 これは1792年9月のヴァルミーの戦い。議会の前で情報を伝えに来た男がこう叫び、それを聞いたロベスピエールが呟く。

「人民の軍隊が正規の職業軍隊を後退させたか!」――5巻75ページ

 確かに「人民の軍隊」である国民志願兵が、プロイセン軍の砲撃を受けても退却することなく踏ん張ったのがヴァルミーの勝因だ。だが「後退させた」というのは言い過ぎで、むしろプロイセンが勝手に後退したというのが実情。補給の困難と天候不順及び連合国の仲の悪さこそが、「正規の職業軍隊」を退けた最大の功労者だ。

「承知のようにオランダに向け進軍したデュムーリエ将軍は敵のオーストリア軍にねがえった」――6巻11ページ

 ジロンド派の政治家が議会内で言っている台詞。1793年4月以降の場面であろう。ここに描かれるデュムリエは言語道断な卑劣漢でしかないし、多くのフランス革命関連の歴史書で彼は同様に扱われている。だが、その前段階としてネールヴィンデンの敗戦に触れないのはいかがなものだろうか。敗北によって追い詰められたことが、デュムリエを裏切りに追いやった要因の一つになったと思うのだが。

「戦局は日ごとに悪化している」「プロイセン軍はマインツを奪回し、オーストリア軍はベルギー国境を占領。イギリス軍もスペイン軍も進撃中だ…」「国内では王党派の反抗と穏健派市民の反乱がリヨンからボルドー各地に広がっている」――6巻71ページ

 ロベスピエールが公安委員会で分かりやすく現状をまとめてくれているのがこのシーン。彼が公安委員会に入った7月下旬ごろの話だろう。リヨンでシャリエが処刑されたのは7月17日、フランス軍がマインツを撤退したのは7月23日(22日の説もある)。この時期には北フランスでコンデ、ヴァレンシエンヌが相次いで陥落した時期にも当たっており、確かに戦局は日ごとに悪化していた。

 フランス国民は共和国から敵が駆逐されるまで軍務に徴用する。若者は戦争におもむき、既婚の男子は武器を作り食糧を輸送する。女子は病院に勤務し衣服を縫い、老人は広場に通い兵士を激励し、国有の建造物は兵営となり公園は軍需工場とする――6巻72ページ

 有名な総動員法の内容を簡単に紹介したものだ。こういう文章を漫画に登場させてしまうあたり、この漫画のマニアック度合いが浮き彫りになる。総動員法の成立は1793年8月23日。

「すばらしいニュースだ。フランス同胞に対して防塞を築き公然と共和国軍に敵対したリヨン市会は全面降伏した。われわれの勝利だ…」――6巻73ページ

 リヨンの降伏は10月上旬。実はその前、9月8日にオンドスコートでウーシャール率いる北方軍がイギリス連合軍を撃退しているのだが、これまたネールヴィンデンのように無視されている。対外戦争より国内の反革命派鎮圧の方が重要だということなのだろうか。

「フランス軍はワッチニー村でオーストリア軍を破り北部国境地帯を救ったぞ…」――6巻82ページ

 パリの街中で伝令が大声をあげるシーンだ。この勝利によって連合軍のこの年(1793年)の進軍はほぼストップした。その意味では重要な戦いではあるのだが、モンターニュ派独裁の時期の最も重要な戦闘であるフリュールスの戦い(1794年6月)はなぜか描かれていない。その代わり、以下のような台詞を主人公が吐いている。

「戦線では全面的にフランス軍の優勢がつづいている。国境が安泰になれば各委員会ともロベスピエールに譲歩する必要はない」――7巻69ページ

 実はこの台詞の中に、フランス革命戦争が政治に及ぼした最も重要な影響が示されている。主人公はこう言っているのだ。対外戦争の危機が去れば恐怖政治は必要ない。逆に言えば恐怖政治を受け入れた理由はあくまで戦争という異常事態下の緊急避難的措置に過ぎないということになる。泥棒がいなくなれば番犬は不要になる。狡兎死して走狗煮らる。戦争の影響を無視してパリの政治史を語るのは無意味だ。

 とは言え、この作品もやはりその大半をパリ政治闘争を描くのに費やし、戦争はことのついでに触れる程度にとどめている。無論、戦争だけで歴史を描くのも一面的に過ぎるのは間違いないし、この作品も戦争を描くのが目的ではないだろう。だが、かといって戦争を完全に背景に押しやるのはいかがなものだろうか。昔からある、フランス革命史を国内要因ばかりに重点を置いて描く伝統的手法は、この漫画にも影を落としている。



ジョゼフ・フーシェ(1759-1820)



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