番外3
時間と空間:名言の主は?



「『場所は取り戻せるが、時間は決して取り戻せない』はナポレオンの最も好む軍事格言の一つだったが、彼にとって残念なことに後者のいくらかは[ネイの突出によって]失われた」
"Jena 1806" p60

「奇襲の効果は失われたが、より悪いことに、貴重な時間も失われた。ナポレオンがイエナの戦い前に述べたように、場所は取り戻せるが、時間は決して取り戻せない」
"Napoleon and the World War of 1813" p289

「おそらくナポレオンは戦闘開始の遅れを単に正当化しただけだろう、というのも彼の兵は午前9時に始めるという計画からかなり遅れていたからだ――これはほんの数年前までは考えられない状況だった。かつて彼自身が言ったように『戦略は時間と場所の使い方に関する技術だ。私は前者よりも後者を惜しまない。場所は取り戻せるが、時間は決して取り戻せない……私は戦いに敗れることはあっても、1分を失うことは決してないだろう』からだ」
"Waterloo 1815" p52


 ナポレオンに関連する英語文献を見ていると、しばしば上記のような表現にぶつかる。かなり有名なフレーズのようで、英語のwikiquoteでも紹介されているほどだ。過日、NHKで放映された番組「名称の采配」でも、アウステルリッツの戦いを象徴する格言として登場した。
 だが、この言葉がナポレオンのものであることを示す証拠はあるのかとなると、いささか心もとない。何しろ上に紹介した本は、いずれも引用元を記していないのだ。いかにも機動力を重視したナポレオンらしい台詞だからといって、一次史料の裏づけがなければ彼が発言したものであると断言するのは不可能。誰か証拠を示している人物はいないのか。
 探してみるとDavid G. Chandlerの「戦役」にそれらしい記述があった。そこに書かれていたのは以下のような文章だ。

「時間と距離に対する考察は、彼のあらゆる偉大な戦略的移動における基本的な計算として根底に存在した。『戦略は時間と場所の使い方に関する技術だ。私は前者よりも後者を惜しまない。場所は取り戻せるが、時間は決して取り戻せない』『私は戦いに敗れることはあっても、1分を失うことは決してないだろう』『時間は質量と力の間において重要な要素となっている』。(註)
註:ナポレオン書簡集、第18巻、p218」
Chandler "The Campaigns of Napoleon" p149


 どうやら書簡集にこのフレーズがあるらしい、と思って元ネタに当たると落胆することになる。そこには1809年1月14日付で記された「イタリア防衛のための覚書」という文章があるのだが、書かれているのは以下の部分だけだ。

「戦争技術[art de la guerre]では、力学と同様に、時間は質量と力の間において大きな要素となっている」
"Correspondance de Napoléon Ier, Tome Dix-Huitième" p218


 つまりChandlerの脚注は、彼が引用した3つの文章のうち最後の1つのみにかかっているのだ。「時間は取り戻せない」と記している最初の文章だけでなく、2番目の文章も脚注の「対象外」。どうやらChandlerも最初の2つの文章については元ネタを発見できなかったようだ。従って、ここから先は自分で探すしかない。

 2つの文章のうち探しやすいのは2番目の「私は戦いに敗れることはあっても、1分を失うことは決してないだろう」というヤツだ。1854年に出版された"Mémoires de l'Académie Royale de Savoie"という本の中に、"Quelques détails sur les circonstances de la suspension d'armes conclue à Cherasco en 1796, entre le général Bonaparte et les commissaires du roi de Sardaigne"という長い題名の記事があり、その中に件の文章が載っているのだ。

「私[ボナパルト]はあなた方に警告する。2時には全面攻撃が行われるように命じられていること、そしてもし本日中にコニ[要塞]が私の手に入ることが確実にならなければ、この攻撃は延期されないことを。いずれは私が戦いで敗れる時が来るかもしれないが、私が過信や怠惰のために時を失うことは決してないであろう」
"Mémoires de l'Académie Royale de Savoie" p314


 ピエモンテ軍の参謀長だったアンリ・コスタ=ド=ボールガール侯が記したこの記事は、イタリア方面軍司令官だったボナパルトとピエモンテとの休戦交渉について書かれている。ボナパルトによる上記の発言は、その交渉の過程で出てきたものだ。読んで分かる通り、戦略のキモについて述べたのではなく、ピエモンテ側に対する脅しの一種。軍事格言の一つとして取り上げるのがふさわしいかどうかと言われると、返答に困るような発言である。

 では残る「時間は取り戻せない」はどうだろうか。ソースを探すうえでの一つの取り組みとして、google bookで最も古い文献を調べてみる。ナポレオンの発言と記しているものを探すと、フランス語文献で見つかった最も古い本は1947年出版の"Itinéraire de Napoléon Bonaparte"だった。著者はLouis Garrosで、同書p436にこのフレーズがあるものの、やはり引用元は見当たらない。
 ナポレオンの死後120年以上も後に出版された本が最古というのは流石におかしい。それよりもっと古い本はないのだろうか。ナポレオンの発言かどうかにこだわらず、当該フレーズをgoogle bookで探してみたところ、1881年出版の"Précis militaire de la campagne de 1813 en Allemagne"という本が見つかった。そこには"nous pouvons regagner de l'espace ― du temps perdu jamais"「我々は空間を取り戻すことはできる――だが失われた時間は決して取り戻せない」(p13)という言葉がある。どうやらこれがフランス語では最古の文献になるようだ。
 google bookでは本の一部しか見られない。だがinternet archiveで探せば全文閲覧が可能だ。そこに載っている文章は以下の通り。

「グナイゼナウ曰く、『戦略とは時間と空間の使い方に関する科学である。私は前者よりも後者を惜しまない、なぜなら我々は失った空間を取り戻すことはできるが、失われた時間は決して取り戻せないからだ』(註)。
 註:シュタインへの手紙、ダンマルタン、1814年1月27日」
"Précis militaire de la campagne de 1813 en Allemagne" p13


 グナイゼナウ、である。フランス人民の皇帝ナポレオンではなく、プロイセン軍参謀長のグナイゼナウこそが、この台詞を言った当人という訳だ。
 そして、実際にナポレオンではなくグナイゼナウの台詞として調べてみると、一次史料も簡単に見つかるのだ。1880年に出版された"Das Leben des Feldmarschalls Grafen Neithardt von Gneisenau"のp167-169に、1814年1月27日付でグナイゼナウがシュタインに宛てて書いた手紙が載っている。そこには間違いなく"Raum mögen wir wiedergewinnen; verlorne Zeit nie wieder"「空間を取り戻すことはできるが、失われた時間は決して取り戻せない」(p169)という文字がある。

 これはもうほぼ決まりだろう。「時間は取り戻せない」という台詞を言ったのは、ナポレオンではなくグナイゼナウなのだ。ではなぜグナイゼナウの発言がナポレオンの発言にすり替わってしまったのだろうか。色々と調べたところ、どうやらMaximilian Yorck von Wartenburgの本が大元にあるらしいことが分かってきた。Yorck von Wartenburgは1885年に"Napoleon als Feldherr"という本を出版しているが、その中に"denn er dachte wie Gneisenau"「なぜなら彼[ナポレオン]はグナイゼナウのように[場所は取り戻せるが時間は取り戻せないと]考えていた」(p44)という文章がある。上で紹介した1880年出版のグナイゼナウ伝記から引用したのだろう。
 間違いを広めたのは、このドイツ語の本自体ではなく、それの英訳本だと思われる。1902年に出版された"Napoleon as a General, Vol. I."のp48には"for he thought with Gneisenau that"という、何とも微妙な一文が紛れ込んでいるのだ。これではナポレオンとグナイゼナウの両方が「時間は取り戻せない」と言っていたように見える。せめて"like Gneisenau"くらいにしておけば良かったのに。
 もちろん、その後に出た英語文献でも、まともな著者はそんな勘違いはしていない。1904年に出版されたTheodore Ayrault Dodgeの"Napoleon; a History of the Art of War"では「グナイゼナウのように、彼[ナポレオン]は[時間は取り戻せないと]言うことができただろう」(p232)と表現している。あくまで"he could say"であって"he said"ではないのだ。
 しかし、世の中にはDodgeのようにきちんと読まない人間もいる。慌て者が勘違いしたのか、それとも分かっていて故意に間違えたのかは知らないが、遅くとも1917年には「場所は取り戻せるが時間は取り戻せない」をナポレオンの言葉として紹介している英語文献が登場した("The Texaco star")。その後も続々と同じ間違いを再生産した本が出てきている。

 そうした間違いは今も続いている。Les principes de la guerre napoléonienneというサイトでは「時間は取り戻せない」という言葉をナポレオンのものとして紹介しているが、それが書かれた日付について「1814年1月7日にシュタイン宛に記した」と述べている。実際にグナイゼナウがこの手紙を書いたのは1月27日。それを誤って「1月7日」と記しているのは、まさにYorck von Wartenburgの英訳本だ。上記サイトがこの間違えた英訳本を論拠に書いていることが分かる。
 不用意な翻訳から勘違いする人が現れ、そうした人の書いたものをさらに別の人がろくに確認もせずに書き写す。そうした作業が延々と繰り返された結果、「場所は取り戻せるが時間は取り戻せない」はナポレオンの言葉であるとの誤解がどうしようもないほど広まった。それが現在の状況だろう。ナポレオニックに関する代表的な入門書を書いたChandlerも、残念ながらそうした「不用意な」歴史家の一人になってしまっている。



アウグスト・フォン=グナイゼナウ(1760-1831)

――大陸軍 その虚像と実像――