ジュールダンから総裁政府への手紙
1798年12月3日
[総裁政府への手紙の抜粋]
霜月13日、共和国暦7年[1798年12月3日]
私は今、ナポリがローマ軍を攻撃することで敵対行為を始めたことを告げるジュベール将軍の手紙を特使から受け取りました。オーストリア軍によって強力に支援される確信がないまま、彼らがそのような段階へ進むことはしないと推定されます。ジュベール将軍は私に、皇帝が彼の全軍をイタリアで自由に使えることかないような態勢をメンツ方面軍に取らせるよう懇願していますが、どんなものであれ極めて重要な布陣を取ることで敵を邪魔することは我が軍の弱体ぶり故に私には不可能です。
相応の布陣を敷くことができるようになるためにも、私は陸軍大臣が約束した増援の到着を熱烈に望みます。しかし、8リーグ以上に散らばった守備隊の兵も含めて12半旅団と8000から9000人の騎兵で私に何ができるでしょう。征服地を維持し、エーレンブライトシュタイン封鎖を実施しそれを援護するために、私にどのような移動が実行可能でしょうか。私が受け取っているあらゆる記録と情報は国交断絶の接近を告げています。極めてきちんとした典拠のある付属文書を熟読すれば、我々がどの程度オーストリア政府の誠意を当てにできるか分かるでしょう。マンハイムから私に送られてきたもう一つの文書から、一人の砲兵士官とオーストリア軍の兵站担当者がそこから軍需品を撤収してフィリップスブルクへ送るためそこに到着したことを、私は知らされました。フィリップスブルクではただの住民に身をやつしたオーストリア軍の砲兵が、軍務に就くべくやって来ています。
市民総裁殿、この状況下で国交断絶した際にあなた方の戦役計画について検討し完全にそれを習得できるよう、計画内容を私に連絡することを切望します。奇襲を受けるあらゆる可能性を防止するため、私はあらゆる必要な予防措置を進めています。云々。
google book "Memoir of the Operations of the Army of the Danube, Under the Command of General Jourdan" p19-21
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