オーストリア皇帝からドイツ議会への布告
1799年6月13日



 レーゲンスブルク、6月13日
 今月11日、この地で開かれている帝国議会は以下のものを受け取った。

 ラシュタット付近における最近の大惨事に関するドイツ議会へのオーストリア皇帝からの布告。
 陛下は先月3日、バーデン辺境伯自身のサインがある報告から憂鬱な情報を受け取った。帝国との講和会議に送られたフランスの全権大使が、(何人かの異なる人の忠告に逆らって)ラシュタットを夜に出立した4月28日の夜遅くに、その市からそれほど離れていないところで帝国軍の制服をまとった人々の一団に止められ、そしてボンニエとロベルジョ全権大使は多くの刀傷によって殺されたが、ジャン・ドゥブリ大使は深く傷ついたものの幸運にも死は免れた。そして彼ら全ては私物の大半を奪われた。
 陛下は、彼の正義と徳性の感情が大きな衝撃を受けたこと、そしてこのドイツ帝国の領内で諸国民の権利においてその不可侵性が特別な保証下にある人物に対して犯された野蛮な行為について最初に知らされた時に感じた嫌悪感の全てを、ほとんど言葉では表現できないほどである。そしてまた陛下は、常に人間の尊厳と道徳性、諸国民の法における聖なる原則に最も不可侵の尊敬を抱いてきた彼の心に、この破滅的な大惨事が嫌悪感と伴に残した拭いきれない印象についてもまた表現できない。
 これは狭量な疑いでも無分別な推量でもない。中傷的な非難でも、無謀な捏造についての部分的報告でもなく、堕落した心による熱烈な反撃でも、国内外の新聞編集者による不道徳な作り事でもない――権力の拡大や資金の取立て、あるいは他の秘密の計画を意図した有害な主張でもなく、協議の場における騒々しい発言でも、フランス国民と他のあらゆる国々に対する執念深い宣言でもない――そして忌まわしい行動はあらゆる状況から追跡され、その首謀者と共犯者は偽りなく発見され、違反行為が誰に帰するかは主観的かつ客観的視点から適切に定められることを、司法上の厳格さに基づいて遂行するべく、まじめに、公平に、そして偏見なく、法の規定に従って調査は実行されるに過ぎない。
 この目的のため、もっともふさわしい指揮命令が適切に出された。そして皇帝陛下は同時に帝国議会、ドイツ、及び全欧州の公衆を前に、正義に復讐する公平な判決が有罪を宣告するまで他のあらゆる意見にかかわらず何者も帝国首長の公正な感情を喜ばせる完全な満足には及ばないことを、極めて厳粛に宣言する
 しかしながらまたドイツの国民的問題としてあらゆる側面から陛下が考えたところ、この憂鬱な事件を起こした手法は最も細心な公平性と最も完璧な得心を得られるよう吟味されることも、皇帝陛下の意思である。皇帝陛下は、法的調査を侵食しその決断を前もって定めようとする内外の意見により、幾分か、そして急ぎそうする必要を自身感じており、さらに強い希望を心に抱いている。その点で、慎重な配慮の欠如によって帝国首長自身、あるいは帝国全体のせいにするどのような種類の批判も行われないよう、どのような共謀への疑いの可能性も取り除かなければならない。
 この狙いを最も効果的に達成するため、議会は慎重な審議により、始まった審理の場に臨む彼ら自身の代理人を指名し、可能な限り早く行われるであろう審理段階に応じて愛国的かつ高貴な率直さと伴に、知られていないことの重要性及び嫌悪されて当然な事件に関しては何であれその知恵と慎重さから必要であると思われるあらゆることについて忠告することを委ねられる。そしてさらに、皇帝と帝国の双方は最も厳格な正義の執行と最も完全な満足の供与を求める同じく等しい感情に鼓舞されていることを、及びこれほど無慈悲で悪名高い行動に対する等しく公正な嫌悪と、同様に道徳性と諸国民の法の聖なる原則への等しく忠実な尊敬について、共同の忠告を与えることであらゆる世界に確信させる。
 ローマ及び帝国の陛下は、可及的速やかな帝国の忠告を期待する。帝国首長、及びその他の地位を持つ陛下としてのあらゆる熱烈な希望と伴に。

 (サイン)フランツ、Mor.
 ウィーンにて、1799年6月6日

google book "A Collection of State Papers Relative to the War Against France, Volume 8" p285-287


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