カール大公の報告
1799年5月28日



 5月28日付、ヴィンタートゥールの司令部からの殿下の報告による。

 スイスの司令官、マセナ将軍は25日、我々の兵に対し全面攻撃を仕掛け、フラウエンフェルトを占領しましたが、その時にホッツェ中将によってキンスキー竜騎兵[連隊]と公爵ローゼンベルク将軍の旅団と伴に派遣されたペトラッシュ中将が到着し、陣を占めました。交戦は終日、極めて頑強に続けられました。前夜ずっと行軍していた我らの歩兵は、疲労にもかかわらず大胆な行動によって名を上げました。騎兵にとってふさわしくない地形ゆえに、激しい砲撃の中、徒歩で戦い、勇名を馳せた公爵ローゼンベルク将軍が指揮したキンスキー連隊の竜騎兵たちが、歩兵を支援しました。公爵は打撲傷を負いましたが、その傷は指揮を継続するのを妨げませんでした。
 双方とも損害はかなりのものでした。夜が来て交戦は終了しましたが、敵は3個師団で攻撃してきた陣を諦めました。
 ペトラッシュ中将は頑強なカウニッツ及びゲミンゲン連隊を完璧に指揮しました。彼は特に公爵ローゼンベルク将軍の勇気と、地形に伴うあらゆる有利な点を利用するという彼の示した腕前を激賞しました。彼はまた最高の言葉で幕僚士官たちの連携と努力を、そして特に戦闘中に全連隊が示した勇気を褒めました。
 この戦闘で得た捕虜は、当初はたった300人とされていましたが、合計すると500人を超えました。
 カール大公は、公爵ロイス中将が指揮する軍の左翼で敵を攻撃するためフィンとフィルを立ち退き、26日にその師団と伴にフィンを経て行軍し、協力して行動するべくホッツェ中将と合流しました。
 攻撃は27日にホッツェ中将とロイス公爵指揮下で行われ、その間軍の右翼はフィンにとどまっていました。
 この攻撃は望んでいた成功を得ました。敵はあらゆる場所からかなりの損失を蒙りつつ追い払われました。スイスで行動中の我が全兵力は27日午前11時、ヴィンタートゥール付近で合流しました。これによって敵はチューリヒ近くの陣地まで退却することを余儀なくされました。この日、我々は捕虜300人と大砲4門を得ました。
 我々の兵によるこの最初の成功は、マセナ将軍をして既にイタリアへ行軍していたロルシュ将軍をその師団と伴に呼び戻すことを決断せしめました。

google book "A Collection of State Papers Relative to the War Against France, Volume 8" London Gazette, p237-238


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