スウェーデン王の帝国議会に対する宣言
1799年5月20日



 レーゲンスブルク、5月20日
 ポンメルン公たるスウェーデン王の名で出された帝国議会に対する宣言

 陛下は既に戦争の再開後においてラシュタットの講和会議はもはや合法的ではないと見なしており、その結果、それを理由にこの会議は解散したものと見なし大使を呼び戻したことを宣言している。
 帝国諸邦の使節は、ドイツの首長に対して抱いている尊敬の念を明白に侵害しない限り、ラシュタットにとどまることはできない。陛下の見解によれば、現下の戦争は帝国の戦争であると見なすべきである。事実、それは当初はそのようなものとして宣告され、そして会議も休戦期間中に和平について交渉するという目的のみのために開かれたのだから、物事は以前と同様の基盤のうえにとどまるべきだと陛下は考えている。
 従って帝国の各構成員はその部隊を提供してこの戦争に積極的な関与をすることが義務である。陛下の見解では、その地理的位置や手段の欠如のため関与が不可能なところを除き、この義務を免じられる領邦は一つもない。我々の主な義務は帝国の首長に従うことであり、我々の権利と特権の享受を確実にするためその憲法にコミットすることである。
 帝国のいくつかの領邦の利益と幸福は、彼らに中立の意味するところを指示することにあるとおそらく断言できる。陛下は既に不可避な状況から戦争の負担を負うことを妨げられている君主と諸邦をそこから除外しているが、同様の理由が存在しないところについてはそのような行動にどんな理由も認めない。そして、たとえ彼らが戦争で果たす役割に困難と費用が伴うとしても、彼らの関与を取りやめることを正当化する確かな理由とはならない。
 そう、理由にはならない。そして私的利益を通例としてはならないし、神聖な約束は我々の先祖の間で尊重されていたのと同様、我々の間でも尊重されなければならない。
 自らを孤立させ主権者に払うべき服従を無視することによってではなく、これらの手段のみをもってして帝国の統合は維持されるのだ。
 我々は既に、帝国の最初の戦争が始まったすぐ後に自身のみ取り残されながら彼の忠実な人民と5年に及ぶ戦争を一人で支えた皇帝に感謝の念を持っているのではないか? そしてもし彼が後に共和国と結んだ和平がドイツにとって完全に一般的な優位をもたらすものでなかったとしたら、それは単に首長が見捨てられた後にそのような期待を抱くのが正当化されなかったからだろう。我々の民から忠誠と従属を引き出している我ら君主たちは、我々自身の責任を果たすことで彼らに模範を示すことを我々の義務と見なさなければならない。中立によってどのような優位が得られるのか? それは尊敬に値するのか? そして、そうではないことを我々に確信させるような様々な事件があれ以来起きたが、それでは十分ではなかったのか?
 陛下の責務を果たすことが彼にとって最も満足のいくものであるため、一般的な沈黙をこれ以上無関心に見守ることはできない。これ以上の沈黙は不利をもたらすとも考えており、ここで沈黙を破ることが大いに役立つと判断した。人々の心を読むものこそ彼の審判者である。そしてその審判者は、彼がこの手段を採るに際して何の野心も働かせていないことを間違いなく見抜くだろう。彼の唯一の動機はドイツの団結、信頼、そして統合を再建する望みだけである。
 かくして彼はここに、現時点をもって彼の分遣隊を行軍させることを、ポンメルン公として友邦に宣言する。よき思いを持つ帝国の構成員、特に効果的に実行する力を持つところは、彼の例を模倣することを期待する。

google book "A Collection of State Papers Relative to the War Against France, Volume 8" p279-280


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