ウィーン
1799年5月13日
ウィーン、5月13日
(中略)
カール大公殿下が伝えたところによると、最後の出来事の後には新たな結果をもたらす事態は生じていないが、敵はおそらく機動と前哨線の絶えざる変更によって我々の注意を引こうと試みている。これに対し、ゴルガー将軍、メールフェルト将軍、ギューライ将軍が送り出した偵察部隊が侵入を行い、継続的に敵を悩ませ、多くの損害を与え、絶え間なく捕虜を得ている。またオデンヴァルトで2回の会戦があり、農民もそれに参加した。それはビルケナウ村の近くでシュタイナイの上流と下流にあり、ゴリンガー中尉麾下の部隊とゼクラー・ユサール連隊の支援を得て、敵はかなりの損害を出して撃退された。
ユサールは敵の馬匹20頭を得た。
ベルクシュトラーセでは同じユサール連隊の他の部隊がラシュタット近くのライン河で、輸送隊とゲルスバッハへ運んでいた180樽の小麦粉を奪った。
google book "A Collection of State Papers Relative to the War Against France, Volume 8" London Gazette, pp207-208
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