司令官マセナからエルヴェティーの住民への布告
1799年4月28日



 司令官マセナからエルヴェティーの住民への布告、4月28日発布

 市民諸君、
 諸君の領地に向かって前進し、また諸君がたとえ死すとも諸君の家、諸君の独立、そして諸君の憲法を守ろうとしているその決意を知っている敵は、彼らが見せかけているほどの自信はなく、諸君を欺き分裂させようと試みている。彼らはまるでその敗北を既に忘れたかのように、あるいは諸君を驚かすことで自らを鼓舞しようとするかのように彼らの勝利を語り、諸君と戦う必要を回避しようとしている。彼らは自身が攻撃されたと説明しているが、彼らの攻撃性はあらゆるところで明らかになっている。イタリアではナポリで沸き起こった不敵な行為、トリノで計画された策略、フィレンツェでのよく知られた陰謀、ドイツではラシュタットの交渉に科せられた拘束、英国の悪巧みへの絶え間ない積極的加担、ロシア軍の招請と行軍、そしてまた、前回の要求の後で承認された中立を軽視し即時完全なエルヴェティーとの合併を懇願していた人民の希望を抑止する目的でそこへ入ってきた兵士たちをグリゾン地方から追い出すことによってフランス共和国が私に実行させた秩序を与えなければ未だに外国の暴君の下に喘いでいたであろう[スイス]同盟領土への侵攻が、それを示している。エルヴェティーの市民諸君! オーストリアにつけ込ませるな。今日、彼らは諸君にへつらい、もし受け入れられれば明日には諸君の中に隷属と死をもたらすだろう。1798年の開始時から彼らは諸君に侵攻する計画を立てた。その時から彼らは諸君の中に彼らに与する党派をつくり、手際よく彼らに降ろうとした。ノートル=ダム=デ=ゼルミトの聖職者が『エルヴェティーはオーストリアの一地方になることを望んでいる』と語ったのが一例である。しかし諸君の憤りが彼らの協議と約束を拒否した。諸君は諸君の大義をフランスのそれと結びつけた。それらは不可分のものである。我らの努力、労力、そして成功を一体化しようではないか。あらゆるものが我ら双方にとって共通している。私が指揮する軍はもっぱら諸君の領地を保全するために使われている。諸君自ら隊伍を組み、犬どもの隊列と戦い、そしてまもなく敵は諸君の国境から追い払われ、彼らの攻撃性から、エルヴェティーが大きくなり、要塞化され、そしてオーストリアがその効果を予測し恐れて奪おうとした組織の成果であるより有利な状況になるのを見るという悔しさ以外に何も受け取らないだろう。

(サイン)マセナ

google book "A Collection of State Papers Relative to the War Against France, Volume 8" p268-269


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