ウィーン
1799年4月26日



 ウィーン、4月26日

 大公殿下が今月20日にシュトックアッハから書いた手紙によると、シャフハウゼンとペータースハウゼンから追い払われた後も敵はなおライン右岸の小さな町エグリザウで有利な位置を占めていたため、彼らをその陣地から追い出すよう彼はシュヴァルツェンベルク公に命じた。この命令に従って彼はその地に接近し、敵に降伏を要求した。拒絶する返答を受け取ったところで、彼は敵をあまりに猛烈に攻撃したので彼らはすぐに陣地を捨て退却した。この戦闘における我々の損害は戦死者と負傷者たった14人だった。
 殿下はまた、コスポト中将の報告によるとフリブールからヴュー・ブリザックに敵が建設した塹壕陣地を破壊するために分遣隊が送られたが、その陣地はすぐ放棄されたようだとも述べている。翌日、300騎の騎兵と700人の歩兵から成る敵の分遣隊がライン右岸に現れた。その間、別の場所では10人の騎兵からなる敵の哨兵に我々が襲い掛かり、彼らを捕虜にした。
(後略)

google book "A Collection of State Papers Relative to the War Against France, Volume 8" London Gazette, p188


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