参謀長エルヌフからジュールダン将軍への手紙
1799年4月4日



 ゲンゲンバッハの司令部、芽月15日(4月4日)、一にして不可分のフランス共和国暦7年
 エルヌフ将軍から司令官へ

 親愛なる戦友よ、モリトール参謀副官は間違いなく、ブレントツェーベンの陣を放棄することを余儀なくされた出来事に関する報告をあなたに渡したでしょう。より詳しい細部に入る時間が得られるまで、簡単な素描を伝えます。
 昨日、芽月14日(4月3日)午後3時、クロアチアとパンドゥールの兵がフリベルクからホルンベルクへ至る道路を塞ぐために現れたとの報告を受けました。山がちな地ではしばしば起こるように、特に農民が敵とぐるになっている際には彼らは哨戒線の隙間から入り込むことができるため、この状況は私を驚かせませんでした。司令部の護衛は60人から成っており、私はすぐにそのうちの24人を12人の案内人と伴に派出しました。
 クロアチア兵は撃退され、森の中に散らばりました。しかしフリベルクから半リーグの場所に到着した時、彼らは弾薬欠乏のため戦えなかったペラン旅団の100人の兵を発見しました。我々の擲弾兵たちもまた、よくある弾薬の欠乏から撤退を余儀なくされました。私はすぐに、たまたま司令部を通りかかった土木工兵1個中隊に前進を命じ、その後に実包を載せた弾薬箱を送りました。この時、アトレル参謀副官が入り、敵がフリベルクを占拠し、そのためあらゆる連絡線が遮断されたとペラン旅団の指揮官が彼に断言したことを私に話しました。時間は夕方5時半頃で、私がデカーン将軍に命令を出そうとしている時にその士官の到着が私に告げられました。彼は歩兵5個中隊を率いていました。彼は入りながら「我々はきっちり包囲された」と叫びました。私は敵がどの哨戒地区の間で通過できるところを見つけたのか問いました。彼は、何も知らない、彼らは気球で来たに違いない、彼らは午前11時頃にかなりの戦力でフリベルクに入り、そこを占拠していた部隊を追い払ったと答えました。また敵の戦力がその場所に集中しており、いくつかの強力な縦隊を組んでウツァックとフルトヴァンゲンへ前進しているとのことでした。これらの場所とは連絡が取れず、彼はこの二ヶ所についてより懸念を抱いていました。私は彼に、将軍、そなたは命を賭けてフリベルクを奪回しなければならない。敵がその場所を確保したときに私に知らせなかったことは特に非難されるが、今はまだ何も失われてはいない。そなたは5個中隊と伴にホルンベルクからフリベルクへの道を通って行軍せよ。私はハズラッハの市民ベッカー、メルラン、パジョルに対して敵の右翼に、同時に野営地の右翼は敵の左翼に攻撃をするよう命令を送る。夜明けが攻撃の時となるだろうと話しました。デカーン将軍は私の計画が実行不可能であること、敵はブレントツェーベンを正面から攻撃するだろうし、我々が頼りにしてる兵が既に追い払われているためにその攻撃が行われてもおかしくないと答えました。私が彼に強く言い、野営地の右翼を再編しなければならないと主張すると、とうとう彼は兵に頼ることはできないと伝えてきました。そのため私は陣を引き払う命令を出す決断をしました。同時に私はスールト将軍から、野営地に1個大隊のみを保持し、敵が深刻に脅かしているヴァンダンム将軍の側面に部隊を率いて行軍することを強いられていること、そして宿営地の面倒を見るのをスーアン将軍に委ねたことを知らせる手紙を受け取りました。
 私はデカーン将軍に、ホルンベルク道路経由でできるだけフリベルクの近くまですぐ前進し、最後までそこを維持するよう命じました。
 同時に私は士官をフェリーノとサン=シール将軍に送り、彼らに私の状況を伝え、一方はフライブールとノイブリザッハへ、他方はオーベルキルヒとケールへ退却するよう命じました。フェリーノ将軍はブリザッハ橋頭堡における強力な守備隊の保持と、彼の師団の一部をユナングの橋頭堡を占拠するため可能な限りの迅速さで派出する役目を委ねられました。
 スールト将軍は今朝1時に退却開始の命令を受け、野営地に残っていた第2師団の兵士たちに彼の命令を伝えました。デカーン将軍も、同じ兵たちと、スールト将軍が知らされていないであろう場所にいる兵に、前衛部隊の動きに追随するよう通知しました。スールト将軍はホルンベルクを経由して退却を行い、デカーン将軍はフリベルクからホルンベルクへの道路を守りながらスールト将軍が指揮する2個師団の後衛を形成するでしょう。
 移動の実行に関してスールト将軍と協力するようヴァンダンム将軍に書き伝えました。彼はヴォルザッハとハウザッハへ退却し、前衛部隊と第2師団がハウザッハを経由して分列行進し終わるまでキンツィヒを渡河しないでしょう。
 私はハズラッハへ前進しました。夜の間にベッカー参謀副官から2個歩兵中隊、半個騎兵大隊、及び大砲2門と伴にブレヒタールへ退却したことを知らせる手紙を受け取りました。市民パジョルはヴァルトキルヒへ退却し、そこで活発に抵抗しました。私はエルツァッハへの道を防御すべく、すぐに擲弾兵2個中隊と私がハズラッハへ連れてきた第104半旅団の1個中隊でベッカー参謀副官を増援しました。私はエルツァッハとムールバッハからハズラッハへ至る道の入り口に2門の大砲を配置するよう命じ、同時にヴァンダンム将軍に、ハズラッハとエルザッハ間の全部隊の指揮を執るよう書き送りました。私は彼に、その地点で敵を食い止め、そして、できることなら敵によって危機に晒されているとベッカー参謀副官が知らせてきたヴァルトキルヒにいくらかの増援を送るため、あらゆる可能な手立てを打つよう推奨しました。これらの手配を行い、またヴァンダンム将軍が採用するであろう手立てを確信したうえで、私はスールト将軍がこの日に前衛及び第2師団でもって陣取るであろうハズラッハの背後に偵察に出ました。ヴァンダンム将軍麾下の部隊はその陣地にとどまり、エルツァッハ街道を守るために待機すべくハズラッハへ向かうでしょう。ヴァンダンム将軍は、もしフェリーノ将軍の退却か同様に我々の左側面を守る必要がある場合には、フライブールへ行軍する上でより都合よく位置取るためシュッター峡谷を経てローアへ退却をするよう命令されました。
 明日には軍はゲンゲンバッハとオフェンブールの間に布陣するでしょう。私は特にサン=シール将軍に対し、軍全体の動きをより整然とする目的のため、オーベルキルヒの陣を維持するよう推奨しました。サン=シール将軍は特にセクラー・ユサール連隊に悩まされていると知らせてきました。私は彼に、レンヒェンにいるクレーヌ将軍に騎兵を集め第3師団の退却を守るように陣取るよう命じたことを知らせました。
 ラマルティリエール将軍は、ケールとそれに頼っているあらゆる構築物防衛のために手を打ちました。
 兵站長は兵士に物資を提供するよう厳命を受け、その点において満足いく対応をしています。各師団にパンが到着し、彼らの物資は確保されました。
 親愛なる戦友よ、あなたは私の状況と、私が退却を安全に行うために取った手段を今や知りました。私が軍をオフェンブールの平野部に維持することがあなたの意図に沿っているのか、それとも左岸に渡すべきなのか、どうか私に知らせてください。この件に関するあなたの命令を私はやきもきしながら待っています。

 繁栄と友情を
 エルヌフ

google book "Memoir of the Operations of the Army of the Danube, Under the Command of General Jourdan" p206-214


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