帝国議会の動向
1799年4月2日



 レーゲンスブルク、4月2日

 昨日、選帝侯会にロシア軍の行軍に関連する選帝侯の決定案が提案された。案はバイエルン、プファルツ、ザクセン、ブランデンブルク、ブラウンシュヴァイク、及びメンツの代表者たちで構成される多数によって可決承認された。審議中、ケルン選帝侯の代表者は彼の投票を補完するものとして以下の宣言を議案に挿入するよう動議を出した。即ち『フランス政府は、シュヴァーベン及び上ラインクライスへその軍を進軍させることにより、フィリップスブルクに降伏勧告することにより、プファルツ及びドイツの他地域に分担金を強いることにより、最近になってエーレンブライトシュタイン要塞に莫大な要求をなすことにより、そしてベルナドット将軍の直近の布告により、帝国に対する新たな敵対行為に踏み込んだ。――ロシア兵の行軍に関する討議は、オーストリアに対する公式の宣戦布告の結果として、そしてさらにあらゆる報告において伝えられるロシア兵が行軍している方角の結果として、完全にその目的を失った。――皇帝陛下の側で一般的に考えられている説明は、どのような効果も生み出すことはできない。――オーストリア家は攻撃されているだけでなく、その国家に対する武力侵略が、フランス軍がシュヴァーベンクライス内へ前進した結果として帝国の領土内で行われているため、オーストリアはその兵を送り返すことはせず、状況に応じて攻撃が行われた場所において彼らを活用するのがより困難でなくなるだろう。今や新たな戦争が勃発し、現時点で帝国が経験するであろう、より敵対的な処置は、議会ではなく武器に拠るものとなる。従って選帝侯は、問題となっている主題についてどのような要望もなされず、どのような法的判断も下されるべきではないと自ら宣言するにとどめるべきであるとの見解を持つ』。
 同日の諸侯会の審議中、シュヴァルツブルク、チュートン騎士団長、ヒルデスハイム、パデルボルン、リューベック、及びシュヴァーベンの伯爵らは投票を行った。9票のみが欠けていた。即ちメクレンブルクの4票、ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル、ホルシュタイン=グリュックシュタット、ポンメルン、アレンスベルク、及びシュヴァルツェンベルクである。この会合においていつ提案がなされるかについては未だに分からない。諸都市会では多数が帝国都市フランクフルトと投票で一致しているが、未だに提案は作成されていない。

google book "A Collection of State Papers Relative to the War Against France, Volume 8" p179-180


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