ジュールダンから総裁政府への手紙
1799年3月1日



 市民総裁殿、戦役に入った瞬間の軍の本当の戦力についてあなたの目に触れるようにするのが私の義務です。従って私はあなた方に各師団の正確な状況と編成が入った小冊子を送ります。8個半旅団がいまだ到着していないため、ライン右岸の実効戦力が3万6000人にまで減少していることを私は指摘しなければなりません。
 疑いなくあなた方は想定されていた戦力と現実との大きな違いに気づくでしょう。この違いは、武器も衣服もあるいは規律も与えられず、第一線大隊には向いていない徴収兵の状況に由来します。私はまた古参兵がいまだ存在しない監視軍のために2個半旅団を出立させるのを余儀なくされました。
 市民総裁殿、騎兵連隊の弱さは疑いなくあなた方にとって衝撃でしょう。また私は、仕事を全うしようとしなかった納入業者の失敗によりこの兵科がここまで落魄してしまったのを見て全兵士が感じている悲哀をどうやってあなた方から隠したらいいのか分かりません。
 監視軍の実効部隊は机上にしか存在せず、エルヴェティー方面軍の実効戦力はたった5万人[ママ]しかいないため、メンツとエルヴェティーの2個軍が使える戦力は6万6000人にまで減っています。私が行った敵軍に関する様々な報告の意味するところをよく知れば、我々が極めて優勢な戦力と対峙するであろうことをあなた方は簡単に確信するでしょう。市民総裁殿、私は自らにかかっている点については全力を尽くしますが、我々が戦うことになるであろう兵士たちが質がよく鍛えられたものであることをあなた方に述べる自由は残します。前衛部隊はヴィリンゲンに14日に到着しました。軍は15日と16日に前進し、右翼をブロンベルクに、左翼をロトヴァイルに置いてシュヴァルツヴァルトの前面で砲撃を行いました。
 総裁政府による宣戦布告の後、私はオーストリア軍の敵対状況を知ることができません。マセナ将軍による要約の結果を待つか、より明確な命令を待つ必要があります。私に指示されているのは軍をシュヴァルツヴァルトの彼方へ送り、ネッカー河とドナウ河の源流を占拠することだけです。私は風月15日に総裁政府に手紙を出しました。その後に軍がちょうど行ったばかりの移動を伝え、現在占めている陣地についていくらかの意見を述べます。
 市民総裁殿、今や私の布陣をより幅広く調べようと思えば、報告によると敵の最もありそうな戦力はレッヒ川に8万人、フランケンに2万5000人、コンスタン湖方面とグリゾン地方に2万5000人、そしてロシア軍2万4000人に上ることに気づくでしょう。従って、オーストリア軍がエルヴェティーにいる3万人の軍を牽制または戦闘するために5万人を利用すると想定するなら、実効戦力が3万6000人を超えない私の麾下の軍に対して行動する10万人が残ることになります。――私は簡単には恐れませんし、私に対峙する障害を乗り越えるため私にかかっているあらゆることを行うべく固く決意しています。しかし、敵がおそらくフランケンにいる2万5000人の部隊で私の左翼からラインへ行軍し結果として私の背後を取ること、そしてその後で私を6万人で攻撃することを思案した場合、私が思うにこの戦役では勝利の栄冠より栄誉ある死を見つける方が私にとって困難は少ないでしょう。市民総裁殿、あなた方が私の左翼と連絡線を監視軍によって支援する策を打っていることに私は十分に気づいていますが、監視軍がいまだ存在していないため私の麾下にある軍は大いなる危険に足を踏み入れるでしょう。市民総裁殿、軍の形勢と状況について、特に私がパリの友人から15万人の軍と伴に戦役に入ることを祝う手紙を受け取った時点で、誤魔化すことなくあなた方に知らせるのは私の必須の義務です。――私は彼らの間違いをそのままにしておくべく大いに気をつけますが、あなた方に真実を話すのは私の義務です。

google book "Memoir of the Operations of the Army of the Danube, Under the Command of General Jourdan" p105-109
gallica "Précis des opérations de l'armée du Danube, sous les ordres du général Jourdan" p91-93


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