総裁政府の布告
1799年2月20日



 総裁政府の布告

 皇帝にしてハンガリー及びボヘミア国王陛下の兵は、共和国暦6年霜月11日(12月1日)にラシュタットの協定に違反してイン川を再度渡り、世襲領を出た。
 この移動は、共和国を攻撃するために来たと大っぴらに宣言しているロシア兵の行軍と連携したものである。
 その約束にいつも忠実であり、絶えず平和を維持する最も真剣な願いに鼓舞され、また皇帝陛下も同じ感情を抱いていると信じたいと切に願っていたフランス政府は、ロシア兵の行軍と彼らに対して認められた[オーストリア領]通行に関する満足のいく供述を彼に求めた。
 しかし皇帝はこの重要な問題に関して完全な沈黙を維持することが適当だと考えた。従って総裁政府は必要な防衛策を取ることを余儀なくされた。そして、その安全に備えるというあらゆる政府に課せられた義務により、現在の状況に応じてフランス軍をこのように布陣させる。同時に不変の平和の望みを宣言し、そして皇帝陛下が友好的な宣言によりロシア軍がその国内から撤収しその兵がラシュタット協定で定められた陣に戻ることを公表した時はいつでもフランス軍は元の場所に戻るであろう。

 一にして不可分のフランス共和国暦7年風月2日(2月20日)、総裁政府承認
 総裁政府議長
(サイン)ルヴリエール=レポ

google book "Memoir of the Operations of the Army of the Danube, Under the Command of General Jourdan" p98-99


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