陸軍大臣からの一般命令
1799年2月20日
[共和国暦7年風月2日、1799年2月20日]
総裁政府はイタリア方面軍、メンツ方面軍、エルヴェティー方面軍、そしてライン監視軍の司令官たちに対し、以下の命令を出す。
オーストリア政府はラシュタットのフランス全権公使が渡した緊急の覚書への返答を怠った。彼らの沈黙は、当該覚書の趣旨に基づき、敵対的行為と見なされる。
メンツ方面軍司令官は遅滞なく麾下の軍をシュヴァルツヴァルトの彼方へ行軍させ、以前の命令で特に指定していた場所と同様に、ネッカー川とドナウ河の水源地域を占領せよ。
オーストリア軍を招いた党派主義者たちを自国から彼方へ追放するようグリゾンの人民から求められたエルヴェティー方面軍司令官は、十分な数の兵を率いてグリゾン地域を支配せよ。そのうえで軍事的防衛線を敷くように。もし自陣の安全のために必要であれば、左翼ではオーストリア家に属するフォーラルベルクの土地を占拠せよ。ネッカー川とドナウ河の水源に位置するメンツ方面軍の移動を支援するため、別の部隊をシャフハウゼン周辺に維持すること。
エルヴェティー方面軍指揮官はグリゾンの住人から、彼らを虐げるオーストリアの軍隊から彼らの国を解放するよう求められるであろう故に、彼は幕僚士官をクールにいるオーストリア軍の指揮官に送り、グリゾンへの進出を彼らに知らせ、進出2時間前には撤収するようにとも命令を彼に伝えよ。命令不履行の場合、どこであれ彼らを発見したら必要に応じて彼らを追い払え。
監視軍司令官は最大限の敏速さで麾下の軍を編成せよ。そして受け取った命令に従い、メンツ方面軍の活動的な作戦を支援するため可能な限りの迅速さでマイン川とネッカー川の間に布陣せよ。
メンツ方面軍とエルヴェティー方面軍の指揮官は既に述べた地域へ進出する前に以下の布告をフランス語とドイツ語で出版するよう命じられる。
ヴァルテリーヌに布陣するイタリア方面軍の兵は、同時にサント=マリーまで前進することでエルヴェティー方面軍の動きを援助せよ。
陸軍大臣はこれらの一般的な行動を実行するための特定の命令を出すよう指揮を受ける。
google book "Memoir of the Operations of the Army of the Danube, Under the Command of General Jourdan" p83-86
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