陸軍大臣からジュールダンへの手紙
1799年2月8日



[雨月20日、2月8日]
 ドールタンヌ准将が、監視軍選定後のメンツ方面軍の新たな配置に関する雨月16日(2月4日)の手紙と、監視軍の存在、目的地及び任務に関する手紙の双方を私に伝えた。それを総裁に提出したのに伴い、急いで返事を送る。
 親愛なる将軍殿、これらの様々な課題に関してあなたと議論する中で、決して政府はあなたの部隊を弱体化させよう、あるいはあなたの指揮権を限定しようと意図しているものでないことをあなたは理解しているものと期待している。そして私は、もしあなたがベルナドット将軍に与えられた命令を見ているのなら――2つの軍の幕僚を編成するのに必要な昇進に関する一覧表を加えるためあなたに送るのに遅れが生じてしまったが――、あなたも同じように考えるものと信じている。
 あなたは6個第一線大隊、30個騎兵大隊、4個軽砲兵中隊、及び10個徒歩砲兵中隊と2個土木工兵中隊の増援を求めていた。
 しかしあなたもよく知っている通り、現在の状況下ではあなたに歩兵を送るのは不可能だ。というのもそれは国内から引き抜かねばならないが、そこには既にほんの少しの兵力しかないからである。そして彼らは選挙直前の秩序維持のためだけでなく、同様に我々にすぐオランダ及び西方海峡の海岸部に関する警戒を呼び起こした現在英国で準備されているかなりの軍備に脅かされている海岸に戦線を敷くためにも、全く不可欠なものだ。
 私は現実的な懸念をもって、あなたが戦役の運命について見つけ出した悲痛な不安を理解している。あなたの使える部隊の状況から見て、あなたは特にメンツ方面軍が弱すぎると考えているのだろう。しかし、敵がどれほどの戦力を持っていると仮定しても、彼らはそれを分割する必要に迫られていることを熟考してほしい。即ち――
 メンツ方面軍 計4万5000人
 エルヴェティー方面軍 計3万人
 使用可能な軍団で構成される監視軍 2万から2万5000人
 これら全ての合計戦力 9万5000人から10万人
 そして、一人の指揮官によって同じ作戦下に動かされるこれらの戦力は、10万人、あるいは12万人の帝国兵を相手にきっと勝利のためによく戦うだろう。特にこれらの3つの軍がそれぞれの攻撃のために、大掛かりな移動に慣れいつもどこかでその実行に失敗しているオーストリア軍に対して最も決定的なやり方であるその位置の集中を図るなら、自然の理としてうまくいくに違いない。結局のところ、敵がその全軍をもってもある一ヶ所の軍事的な地点に4万から5万人以上を集めるのが可能と考えられる[?]。
 要するに、選挙の危機が去るや否や、そして海岸部の警戒から解放されれば、可能であればあなたが求める6個大隊を供給するため私は国内からいくらかの兵を引き抜くだろう。

google book "Memoir of the Operations of the Army of the Danube, Under the Command of General Jourdan" p72-75


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