R・クロファードの報告
11月23日



 皇弟殿下オーストリアのカール大公の司令部
 オフェンブルク、1796年11月23日

 閣下、
 21日から22日にかけての夜、キンツィヒ右岸でケール前面の塹壕が開かれたことを閣下に謹んでお知らせします。この攻撃で対塁線右翼の右及び左側面から掘り始めた最初の平行壕とその連絡壕が夜の間に完全に完成し、夜明け前には兵たちは我慢できる程度に掩蔽されました。敵は作業を妨害しようと試みることなく、塹壕に対していまだ一発も撃ってきません。しかし昨日早朝(22日)、敵は対塁線の左翼に対する奇襲を行い、それ以上深刻になりそうもない戦闘の後で、多くの損害を出して彼らの陣へ追い返されました。
 敵は21日から22日にかけての夜の間にストラスブールから兵の大群を送り込み、前哨線のすぐ背後にかなりの静けさで攻撃縦隊を組んだため、彼らの存在は気づかれませんでした。夜明け直前(しかし午前中の大半の時間残ったとても濃い霧のため視界は極めて不良でした)、これらの縦隊は前進を始めました。彼らによる攻撃接近を知らせる唯一のものであったオーストリア軍の歩哨や番兵の射撃が行われるや否や敵歩兵は猛烈な勢いで一発も撃つことなく突進し、すぐに第一線左翼にある2つの堡塁を奪いました。ズントハイム村も同じ方法で攻撃され、彼らは同様の成功を収めました。その後で、第一堡塁を持つ村とその左翼をつなぐ壁の背後にやって来た敵は、一方の面がまだ完成していなかったその構築物をすぐに奪いました。ここに向かって敵歩兵の大群は壁の開いたところを通って突進し、この翼側の全面に広がりました。そして一部が第二線に進んでいる間に、残りは第一線に残っている堡塁の奪取を試みました。しかし、これらかなりの時間にわたって完全に孤立し、完全に包囲されてあらゆる支援から切り離されていた部署は、しばしば壕に入って胸壁を登ろうと試みる敵に激しく攻撃されながらも、そこにいた士官と兵たちの最高の名誉を反映するようなやり方で守られました。これらの堡塁全体の損害はかなりものもでした。そのうちの一つでは大砲の運転係が砲撃することすら余儀なくされましたが、あらゆる攻撃は撃退されました。
 敵の右翼縦隊は彼らが奪った2つの構築物を占拠した後、第二線の左翼を攻撃するため障壁の間を押し出しました。しかしオラニエ公フレデリック(その勇敢で賢明な行為はいくら称賛しても足りません)は彼の旅団を再編し、歩兵の一部を第一線左翼の第三堡塁と第二線左翼の構築物からつながっていた障壁の背後に置きました。この状態で彼は、第一線の堡塁間を貫いた敵歩兵部隊が実際に彼の背後にやって来た間、正面からの想像しうる限り最も厳しい攻撃に抵抗しました。彼は陣を維持したのみならず、その側面における敵の進軍を完全に食い止めました。
 左翼の兵の大半はケンツィヒの右翼にある塹壕で働いていました。包囲軍を指揮していたラトゥール将軍は仕事からちょうど戻ったばかりの大隊のうち3つを使ってズントハイム村を奪回し、敵がそこから彼を立ち退かせようと大いに努力したにもかかわらずそこを維持しました。シュターデル中将(左翼指揮官)は第二線の右翼へ前進してきた敵を追い返し、ズントハイム左翼の堡塁を奪回しました。2つの障壁の間を前進したオラニエ公は彼があれほど激しく交戦した敵縦隊を撃ち破り、彼らが奪った堡塁を奪い返しました。そして敵は彼らの塹壕を掘った宿営地に戻りました。
 オーストリア軍の損害は死傷または行方不明が士官40人と兵約1300人にのぼりました。これは左翼の半分以下しか交戦しなかったことを考えるのなら、間違いなくかなりのものでした。しかしフランス軍の損害はもっと多かった筈です。陣の周囲の地面の一部は彼らの死体で覆われ、とても控え目に言って彼らの損害は2000人に達していたでしょう。左翼の堡塁をフランス軍が確保していた間、彼らは大砲5門を持ち去る手段を見つけました。他は全て取り返しました。
 大公の行為に対して正当化[?]を試みることは不可能です。彼はズントハイムを奪回するべく兵を元気づけ、その左翼にあった失われた構築部へ攻撃を振り向け、そして最も激しい砲撃下で大いなる冷静さと最も完全な軍事的知識に基づいて命令を出しました。
 陛下の第9歩兵連隊のプロービー中尉(クロファード中佐の任務に同行していた)はマスケット銃弾で負傷しました。しかしこの負傷は非常に軽いもので、極めて短期間の入院以外の結果は何ももたらさないでしょうと付け加えられることに私は大いに満足しています。
 敬具
(サイン)ロバート・クロファード

google book "A Collection of State Papers Relative to the War Against France" London Gazette, p139-140


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