ロンドン・ガゼットの記事
10月1日



 ベルン、1796年10月1日

 敵軍の大群が連日シャフォウゼンに到着し続けており、そこで武装解除され、チューリヒ、ベルン、ソルール州を通り抜けてバーゼルへ送られている。
 しかしこの壊走をもたらした要因については何ら明らかになっていない。脱走者が引き続き毎日いまだ大量に到着していることから、いくつかの場所で何か無視できないことが起きているのは確かだ。また到着した者たちが多くの異なる軍団に所属しており、彼らが全員一緒に軍務に就いていたことはあり得ないだけに、敵が一ヶ所でなくもっと多くの場所で損害を蒙ったのもありそうだ。全般的なパニックが全軍に広まっているという事実以外について、脱走兵自身から何かを知るのは(彼らの話はとても混乱しているため)難しい。この混乱した状態でたどり着いた者の中には、21日にウルムを去ったモロー将軍の司令部から来たものすらいる。
 シュヴァルツヴァルトで武装している農民の数や戦力に関連することを確信をもって知ることは困難だ。我々が知っているのは、いくつかの小さなオーストリア軍団がオフェンブルクやフリブルクの方から浸透し、ドネシンゲン、テンゲン、そしてエンゲンあたりの谷や森に散らばっており、そしてこの国の国境から聞こえる範囲の全ての村で警報を知らせる鐘が絶えず鳴っていることだけである。しかし共和国軍はいまだフリックタールと隣接する3つの森の町、ラインフェルデン、ラウフェンブルク、そしてゼッキンゲンを確保している。フランス兵に対する農民の怒りと憎しみはあらゆる見方すら超えており、彼らが共和国軍に吹き込んだ恐怖のみがそれに匹敵している。

google book "A Collection of State Papers Relative to the War Against France" London Gazette, p106-107


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