アンストラザーの報告
9月20日



 皇弟殿下オーストリアのカール大公の司令部
 ヘーン、1796年9月20日

 閣下、
 ホッツェ中将からちょうど受け取った報告によると、昨日夕方ホックシュテバッハへ前進している時、彼は敵の後衛部隊を激しい戦闘に巻き込む手立てを見つけ、その戦闘は完全にオーストリア軍有利に終了しました。
 その活力と積極性でフランス軍の中でも知られているマルソー将軍は負傷し、捕虜になりました。彼の二人の副官も同じ運命を分けあい、参謀副官は戦場に斃れました。かなりの数の下級士官と兵士たちも同様に連れてこられました。
 敵は大急ぎで退却を続けています。しかしながら彼らは強力なウケラトの陣地に全部隊を集め、そこでもう一度抵抗するであろうと想定されます。
 このため大公はクライ将軍の軍団を主力部隊の近くに寄せ、結果として将軍は本日ハッケンブルクに宿営します。殿下は本日夕方にはヴァルローデにいる予定で、ホッツェ将軍の前衛部隊はアルテンキルヒェンとヴァイエルブッシュに押し出しています。
 マンハイムとフィリップスブルクの守備隊から引き抜かれた部隊とメールフェルト伯麾下の騎兵分遣隊で増援されたかなりの軍団は、バーデン辺境伯領へ前進し、多くの成功を収めました。彼らは敵がこの国に残した部隊を奇襲して追い散らし、多くの捕虜を得て大量の荷物と弾薬を奪うか破壊しました。
 今月14日にいたるまでのラ=トゥール将軍の作戦に関する報告が届き、それによるとモロー将軍は今月10日と11日にイーゼル左岸の陣地を引き払ったようです。ラ=トゥールは彼らをしっかりと追跡し、12日にはプファッフェンホーフェンにいました。モロー将軍がノイバーグに向けて行軍しているように見え、そこでドナウを再渡河すると想定されるため、ナウエンドルフ将軍は彼の動きを見張るためその地の下流で河を渡りました。14日に敵の後衛部隊と激しい戦闘が交わされ、オーストリア軍は大砲1門と1000人以上の捕虜を奪いました。
 敬具

 ロバート・アンストラザー
 第3近衛連隊大尉

google book "A Collection of State Papers Relative to the War Against France" London Gazette, p98-99


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