アンストラザーの報告
9月5日



 皇弟殿下オーストリアのカール大公の司令部
 ヴュルツブルク近くのツェル、1796年9月5日

 閣下、
 昨日、ヴュルツブルクの要塞は降伏しました。700人に及ぶ守備隊は捕虜となりました。フランス砲兵隊長のベルモン将軍もその中にいます。
 一部はオーストリア軍が残し、一部は近隣の地域から徴発されて集められた途方もない量の物資、弾薬と食糧が町と要塞の中で発見されました。
 敵は輸送できない70門の大砲をシュヴァインフルトで放棄したとの情報も伝わりました。
 正面にいる軍団からの報告によれば、敵は決定的にマイン河から立ち去り、フルダへ向けて退却していると信じるあらゆる理由があります。追撃に送り出された軽兵は継続的に捕虜と荷物を運び込んでおり、敵の前代未聞の非道に憤慨した農民たちは多くの場所で蜂起し、彼らの手に落ちたあらゆる落伍兵を引き渡すか滅ぼしています。
 同じ作戦線でやり抜くことを決断した殿下はこの日、マンハイム及びマヤンスの守備隊と連結するため軽騎兵10個大隊とともに伯爵メールフェルト大佐を送り出しました。これは1万2000から1万5000人の軍団を敵の後方で活動させることができるようになることを意味します。この企画を委ねられた士官の著名な能力をもってすれば、その成功については大いに期待が持てます。
 本日、軍はヴェルトハイムへ移動しました。司令部は翌日レンリンゲンに置かれるでしょう。
 ドナウ対岸から届いた最新の報告によると、ラ=トゥール将軍はいまだにミュンヘン前面を保持しているように思われます。しかし此岸での成功はモロー将軍に退却を強いるという期待した効果は生み出していません。今や彼がそれを遅らせるという危険を冒すことはほとんどありえなさそうです。
 敬具

 ロバート・アンストラザー
 第3近衛連隊大尉

google book "A Collection of State Papers Relative to the War Against France" London Gazette, p89-90


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