ジュールダンの報告
9月4日



 サンブル=エ=ムーズ軍司令官から総裁政府へ。――ハーメルブルクの司令部にて、共和国暦4年果実月18日[1796年9月4日]。

 市民総裁殿、
 敵が16日にマイン河を渡り、ヴュルツブルクへ向かったことを謹んでお知らせします。そこにいた守備隊はおそらく町を保持することができなかったため、砦に退きました。
 私はヴュルツブルクの守備隊を解放しようとするため、また敵を再びマイン対岸に追いやるため、17日に攻撃を決断しました。敵も同様に私を攻撃する計画を考えていました。彼らは私の左翼を迂回しようとしており、私は敵の2ヶ所の退却地点であるデッテルバッハとキッツェンゲン[キッツィンゲン]を奪うため敵の右翼を迂回しようとしました。戦闘は午前8時に始まりました。多数の騎兵を持つ敵は私の左翼で数的優位を持っていたようで、そこを包囲しようと脅かしてきました。私は我々に多大な優位を与えてくれる騎兵突撃のリスクを犯す義務があると信じました。ボノー将軍が突撃を命じ、それは勇敢に実行されました。いくつかの敵部隊は崩壊し損害を受けましたが、新たな兵が前進してきたため我々の騎兵は奇襲を受け後退しました。ボノー将軍と私は彼らを再集結させましたが、2度目の突撃を試みるのは不可能で、敵はいつでも新たな増援を受けていました。そのため私は後退を余儀なくされました。退却は適切に実行されました。
 敬具。

 司令官、署名ジュールダン。

google book "Réimpression de l'ancien Moniteur, Tome Vingt-Huitième." p421


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